一匹の負け犬の話をしよう。


守り抜くと主と母、そして己が剣にかけて誓った掛け替えのないものを守れず
後悔の影に纏わりつかれた男は、その後いくら勝利を重ねたにしても負け犬なのだ。

勝者の栄光を語るにはその誇りは高すぎる。 
前に進みつつもその影から逃れることもできない、
現在を謳歌することができずに過去の栄光を懐かしむだけのろくでなし。
それは負け犬と呼ぶにふさわしい。 

そのどうしようもない負け犬の名はエドワード・K・サイモン。
700年以上も続くセント・アンドリュー侯爵家の裔にして、
大恩ある女王陛下より外交の長として命ぜられたにもかかわらず
その責を果たせずに大英帝国を滅ぶのを見るだけしかできなかった愚か者。



負け犬エドワード・K・サイモン (The Loser, Edward K. Simon.)

それが私の名だ。(It is my name.)



written by Edward K. Simon
coauthored and translated by Effandross









Noble Blood
機動戦艦ナデシコ 二次創作

Prologue. Great Britain





  大ブリテン、この言葉が意味するものは大英帝国、もしくはそれに続いてブリテン諸島を統治した大ブリテン民主主義連邦のことである。 両者の区別をすべからざる時にこの言葉はしばしば用いられる。 特に大英帝国の滅亡、そして大ブリテン民主主義連邦の新生の過渡期においては。

  大ブリテンとネルガルの友情は、大英帝国の終焉によって深まった。 帝国滅亡の混乱期にいち早く手を差し伸べ、そして我々に戦う牙を取り戻させてくれたのは、ネルガルだったのだから。 私とネルガル会長の個人的な友誼があったにせよ、彼にビジネス・ライクな目算があったにせよ、大ブリテンが彼らネルガルに対して示す感謝が減じられることは決してない。 喩え世界全てがネルガルを敵とみなしても、我らがネルガルを助けるために振るう剣が鈍ることは無い。 

  大英帝国は2195年の10月にチューリップと後に呼ばれることになる敵性物体がバッキンガム宮殿に落ちた事により失われた。 その落下による衝撃と敵性物体より出現した機械兵器群によって、我々が敬愛した王家全員が失われたのだ。 我らの王家に対する敬愛を知らぬ者達は、「守られるべき者達は英国民であり彼らが残っている限りは大英帝国は失われていない」と言うかもしれない。 一面においてそれが正しいことを私も認める。 事実、王家が失われた後は英国は民主政国家として再出発した。 だが、それはもはや我々が愛した大英帝国ではないのだ。 その変化を喜んだ者はこの英国の中にはいない、それは確信であり、論ずる価値すらもないほど明らかなことだ。 大英帝国の、いや、いまや民主主義連邦国となった英国の現在の栄光と繁栄は、ウィリアム国王陛下をはじめとする英王室の御方々の手によってもたらされたものだったのだから。 大ブリテンは滅びてはいない、だが失われたのだ。

  現代に生きる人々には、我々の王室への忠誠はあるいは奇異なものとして映るだろう。 この22世紀の終わりにもなって何を封建的な、と笑う者もいるだろう。 だが私は、いや我々は声を大にして語らなくてならない。 我らが大ブリテンの現在の栄光と繁栄は、王室の御方々なしには決してありえなかっただろう、ということを。  


  昔話をしよう。 
  遡ることおよそ150年前、21世紀中期に大英帝国は未曾有の危機を迎えていた。
  ヨーロッパ統合に反意を示し、EUより一線を画した我らが英国は、深刻な経済政策のミスを重ねて世界市場から締め出された。 同時に中東、アジアの平和維持のために米国とともに転戦を重ねた結果、ムスリムよりの反感を大きく買い、中東、北アフリカ、東南アジアでの経済活動を事実上停止させられた。 軍事費の増大が国民にあたえた負担も大きく、失業率も歴史的な上昇を続け、英国民のリビング・スタンダードは他先進国と比べて一歩も二歩も劣るものとなった。 そしてついには国際連合における常任理事国の地位も失い、名実ともに二流国家に転落してしまったのだ。
  国民の信を失った議会は解散を続け、今こそ長期的な経済復興計画が必要だというときに、短期的、場当たり的な経済措置を繰り返し、経済状態の悪化を留めることはできなかった。 それに憤ったのが、当時のリチャード国王陛下。 一時的に議会を凍結し、王政復古の大号令を発したのだ。
  陛下の採られた政策はまさに果断。 石油に頼ったエネルギー政策は長く続かせないという強固な意志とともに北海油田を石油不足アレルギーの合衆国に売却、王室費にあてられる予算をゼロ近くまで落とし込み、英国の至宝と呼ばれた重宝を担保に入れ、更には北部アイルランドをアイルランドに返還することまでして一時的に莫大な予算を確保、その大部分を技術振興費に当てた。 同時にそれらの政策は、合衆国からの技術吸収、そしてアイルランドとの歴史的な和解へとつながり、国際社会の中での大英帝国の地位の保全、そしてIRAに対する対テロリスト闘争にかかる負担を著しく減らすことに成功した。 膨大な予算が計上されたこととともに、王族の多くが自ら技術者としての教育を受けて改革の先陣を切り、海外で行われている研究で見込みのあるものをスポンサーとして支援し、技術立国を目指した。
  20年の後、リチャード陛下が崩御なされたときには、ドイツや日本、アメリカをはるかに越える技術開発のフロンティアとしての地位を明確にしていたのだ。 そしてその当時世界のテクノロジー・スタンダードの根幹となっている技術のほとんどは英国産、もしくは英国が特許権を握っているという状態になり、それは言うまでもないことであるが巨大な富を、外交力を、そして国力を英国にもたらしたのであった。 世界経済圏が月へと拡大しても英国の技術優位はかわらず、火星のテラ・フォーミング事業にもコロニー開発事業にも英国技術の粋が用いられていた。 リチャード陛下の崩御の後、そのご遺志により政体は立憲君主制に戻ることになったが、全ての大英帝国国民にとって王家への忠誠と敬愛は染み込んでいたのだ。


  大英帝国の滅亡の様子を、少なくとも王室の御方々の死の様相を語ることは今はできない。 思い出したくないというわけではない。 そもそもそれは忘れることができないくらい私の心に深く刻み込まれている。 だが、そのあまりにも生々しいその記憶は、それを口から発することにも、あるいはこの手で書き出すことにも多大な痛みを伴うのだ。 その記憶をもう少し客観的に語ることができるようになるまで、少しだけこの筆を止めることを許して欲しい。
  ともかく。 大英帝国滅亡の後一週間、地球圏最高の技術の粋を極めていたはずの英国軍は敗北を続けた。 主戦兵装であるレーザー兵器がほとんど役に立たず、戦艦の主砲たる大口径レーザー砲をもってしても敵機動兵器を数機落とすのがやっとであった。 補助兵装として搭載されていた機関砲やミサイル、そしてエネルギー変換率の低さから装備数が限定されていたレールガンが多少の効果を収めたが、運動性能において英国軍機をはるかに上回る虫型兵器群(地上型がBlack Widow または BW、空中型がLocustと呼称される)に翻弄され、さらには数においても止め処なくあふれ続ける虫型兵器群を駆逐することはかなわず、バッキンガム宮殿跡地につきささるチューリップの持つバリアーには手も足も出ない状態だった。 英国軍の奮戦も連合軍の救援もむなしく、ロンドンとその近郊の都市の多くが滅ぼされ、首相を務めていたゴードン・パトリックもその命を散らした。 敵の無人機械は生き残りの一人も残すことの無いよう、一つ一つの町を飽和攻撃、蹂躙した後に次の目標に移っていったのだ。 暫定的に首都となったエジンバラまで一歩一歩近づいてくるその様に、英国を守る手段は存在しないかに見えた。

  だが英国民たちが絶望に囚われたときに、救いの手は下された。 
  ネルガルである。 
  大型輸送船にパワープラントと重力波ジェネレーターを積み込んだだけの急造空母に人型機動兵器、試作型エステバリス30機を搭載し、虫型兵器群を駆逐していったのだ。 エステバリスの敵無人兵器を上回る自在な運動性能と搭載するバリアーは、今まで恐怖の対象であった虫型兵器群を絶対的な数量の違いにもかかわらず戦の天秤を傾けることに成功した。 
  だが搭載されていた兵器はともかく、基本的に戦のために作られた船ではないその急造空母には自らを守る術がなく、エジンバラ近郊に軟着陸、空母としての機能を失った。 しかしその船に装備、搭載されていた六体の重力波ジェネレーターは即座にエジンバラを含む近郊の主要都市に設置されてエステバリスを用いることで英国防衛の要となり、残存する英国軍とともに次第に無人兵器群より支配地域を取り戻していった。 ある程度の制空権をとりもどしたところで北極経由でさらなる重力波ジェネレーターとエステバリスが送られ、同時にそれに乗るパイロットたちが超短期間で育成されていった。 
  かくして大ブリテンは徐々に戦う力を取り戻し、やがてはロンドンを取り戻しこの未知の敵を大ブリテンより駆逐するための第一歩を進めるのであった。



 

 

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代理人の感想

まずひとこと。文章が変です。

>全ての大英帝国国民にとって王家への忠誠と敬愛は染み込んでいたのだ。

「大英帝国臣民にとって〜」と来るのであれば「染み込んでいた」のような動詞は使えません。こう言う形を取る場合「Aにとって、BはC」としなければならず、
例えば「王家への忠誠と敬愛は身に染み付いた、確かなものであったのだ」なり「王家への忠誠と敬愛は揺るぎないものとなっていたのだ」のように、BとCはともに名詞でなくてはなりません。

>今まで恐怖の対象であった虫型兵器群を絶対的な数量の違いにもかかわらず戦の天秤を傾けることに成功した。

「虫型兵器群」に対する述語がありません。「絶対的な数量の違いにもかかわらず押し返し、」などとすべきです。「戦の天秤を傾けることに成功した」のは分かりますが、これは文章として虫型兵器をどうしたか、という述語にはなりえません。「虫型兵器をどうにかして」「戦の天秤を傾けることに成功した」のですから、途中を抜いてしまっては訳がわかりません。

>六体の重力波ジェネレーターは即座にエジンバラを含む近郊の主要都市に設置されてエステバリスを用いることで英国防衛の要となり、残存する英国軍とともに次第に無人兵器群より支配地域を取り戻していった。

主語が混乱しています。「重力波ジェネレーター」が主語なのですから「エステバリスを用いる」とするのではなく、「エステバリスの運用に用いられることで」としなければなりません。
また、エステバリスならともかく重力波ジェネレーターそのものが英国軍とともに敵を駆逐することは出来よう筈もありません。ですので後半は「取り戻していった」ではなく、「残存する英国軍とともに無人兵器群より支配地域を取り戻していく原動力となった」位が適当かと思われます。

 

目に付いたところはこんなもんですが、仮にもSSを書こうとするなら文章は絶対に無視できない基礎中の基礎。
ネタだの構成だの、プロットだのキャラクターだのを吹き飛ばしてしまうくらい重要な要素です。
あだやおろそかにはできないことを肝に銘じて置いてください。

精進せいよっ!