「永訣の朝」
authored by Effandross .
火星極冠のオーロラの下、白雪が音もなく降りそそぐ。 風もなく、ゆらゆらと右に左に揺れながら落ちてゆく。 そんな中、淡い燐光が霧散し、降り散る雪に光の残滓を浴びせながら、ジャンプによって起こされた空間の不具合が消えていく。
寒さを感じることのない、壊れかけたこの身をありがたく思うけれど、同時に身体の心まで凍えたいとも思う。
特に、こんな心裂かれるような日には。
今日のうちにあいつは遠くへ行ってしまう。
夏の陽射しが差し込む白い病室に横たわっているあいつが。
力なく垂れ下がった白いリネンのカーテン越しに、無遠慮に硬い陽光があいつの青白い額を照らした。
(アキト、わたし雪が食べたい)
お前を慕う皆に囲まれながら、お前はオレにそう頼んだんだ。 気丈にも、笑いながら、お前はおそらく最後になるであろう願いをオレにしたんだ。
かつて狭いアパートで暮らしたときにおそろいで買ったマグカップに、お前が食べる白雪を取るために、オレは光を超える速さでこの世界を飛び出した。
そして今、オレはここにいる。 火星極冠の遺跡のそばに。
ユリカ。 お前は死ぬという今頃になって、オレのA級ジャンパーだという呪いを少しでも軽くするために、オレにしかとってくることのできない雪の一椀を頼んだのか。
ユリカ、オレのただ一人愛する女。 オレも、前を見据えていくから。
(雪が食べたいな、アキト)
その身を蝕む遺跡の欠片がもたらす疼痛に耐えながら、静かに、だが笑顔とともにお前はオレに頼んだんだ。 人の創り出した火星の大地に、太古から同じように降り続ける雪の一欠けらを。
古代から存する未知の構造体に、雪は声もなく被さっている。 オレはその傍らに身をかがめ、火星の大気に噴霧されたナノマシンのきらめきを残す雪を、オレの前から消えていこうとするあいつの最期の食べ物をすくい取る。
オレとお前の幼い思い出の地の、お前が初めて挫折を知った火星の大地の、息吹を吸い取った雪を、お前のために持っていこう。
(アキト、わたし、先にいなくなるね)
不意にオレは拳を握り締め、力の限り白い大地を打ちつけた。
本当に今日お前はいってしまうのか。
無意味なまでに無邪気に差し込む光に苛立ちさえ感じるあの病室で、お前は残ったわずかな炎を燃やしている。
ユリカ、火星はきれいだよ。 オレたちに苛酷な運命を強いたものは全て火星に関わるというのに。 それでも残酷なくらい、火星の大地は、そこに降る雪はきれいだよ。
オレを包む黒い衣が砂模様に染まる。 細かい六角柱のかけらに、やがてオレは真白にそまり、ここに埋まるのだろうか。
オレの罪を、お前の罪を全てこの白い輝きが雪いでくれるのだろうか。
(アキト、生まれ変わったら、今度こそずっと、一緒にいようね。
ずっとずっと、おじいちゃんとおばあちゃんになるまで、一緒にいようね)
いま、いくよ。 オレの大事なユリカ。
この一椀が、お前の心を魂を許し救うことを願って。
オレがいつかお前にまた会えるようになることを祈って。
「・・・・・・ジャンプ」
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