第4話



物心ついたときから掛け算が出来た

生まれて二週間くらいしてからの記憶が、全てあった

生後三週間くらいのとき、培養液のようなものに漬された自分を、ホムンクルスみたいだと自嘲したことがある。今思えばどうやってホムンクルスなんて単語を知ったのだろうか

入れ替わり立ち代わり、研究者たちが毎日やってきた

顔ぶれは似たようなもので、すぐに彼らのシフトも覚えてしまった

退屈でしょうがなかった。毎日何本もの注射をされ、体の隅々を観察されても、そこには恐怖も恥辱もなにもなく、ただ無感動な自分だけしかいなかった

培養液に漬されているといっても、それはあくまで身体組成を調べる程度のものらしい、だったら培養液ではない気がする。でも、研究者の人達はそういっていたから、きっとそうなんだろう

そんなある日、ビデオを見た

こっそりと自室を抜け出した自分は、そのまま普段ならおそらくレクリエーションなどに使われているのだろうその部屋に入ってみた

計画などとは無縁の行動だった。ただの思いつきだった

見つかるかもしれないという考えは、なぜか頭になかった

再生したビデオは、どうということのない、ただのビデオだった

一組の恋人の片方が、死にそうだとか死んだとか、その最後の日々を一緒に過ごそうとか言いながら、楽しそうに動き回る、それだけの代物だった

感動した

こんな、綺麗な死に方があるということに、感動した

自分の知り合いは、皆等しく吐瀉物や、内臓や色んなモノを撒き散らしながら、ひっそりと声も上げられずに死んで行くのに。この映像に映る彼らは、笑いながら、己の生を真っ当して死んで行くのだ

羨ましいと、心底思った

自分も、死ぬときは笑いながら死にたいと思った。幸せだったと、胸を張りながら言いたいと、そう思った

だが、それは残念ながら叶うはずのない願い

こんな実験場で、モルモットにされているモノになど、夢見ることすらおこがましい願い

だから、そのときラピスは願った

だったらせめて、自分が大切だと思える人だけでも、笑って死んで欲しい

そんな相手など出来るわけがないのに、ラピスは酷く真剣に、祈った








機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 幸せ、見つけた 』

 

 



『・・・・統合軍の特秘事項、か』

ナデシコBのブリッジ。ウインドウに映る連合宇宙軍准将、アキヤマゲンパチロウは、思案深げに腕を組んだ

その動作に、ルリは頷いた

「先日から軍内でも噂されている、例の偵察艦隊全滅事件の折に、見つけました」

ルリの後ろでは、ハーリーもサブロウタも、表面上は書類整理をしてはいるものの、いかんせん耳を皿のようにして、ルリとアキヤマの会話を聞いている

『だがなあ、ホシノ中佐。特秘事項とは言っても、そんなものはどこの軍でも企業でも少なからず持っているぞ』

「その閲覧権限が、最低でも少将以上でも、ですか?」

そのルリの言葉に、アキヤマの目が真剣味を帯びた

『・・・・どういうことだ?』

「先ほど送ったデータ通りです。表向きは准将権限でなければ開けないファイルになっていますが、それは罠で、実際はそれ以上の階級でなければ見れないようになってます」

ルリの言葉に、アキヤマは神妙に耳を傾けている

が、不意になにかを思いついたように、ルリへと口を開いた

『そんなところまで知っているということは、もしかして中佐よ』

「・・・・やったのはオモイカネです」

ルリの余りといえば余りの責任転換に、ブリッジを『酷い!』『指示を出したのは艦長!』『人でなし!』『美少女!』などと書かれたオモイカネのウインドウが埋め尽くした

だが、それを平然と受け流しながら、ルリは尚もアキヤマへと視線を向ける

「まあ、方法が違法であることも確かですから、総司令に直接言うのもどうかと思いまして、こうして准将にお話しているんです」

『まあ、この際手段は問わんこととするが・・・・どう見るね?中佐』

アキヤマの言葉に、ルリはつい先日ハーリーとサブロウタに話したとおりのことを、説明しようとした

だが、アキヤマが口を開きかけたルリを制するように遮った

『まさか、統合軍が火星の後継者と組んで・・・・と、そんなことを考えているわけではないだろうな?』

「違うんですか?」

意外そうにそういうルリに、アキヤマが告げた

『ありえないことではない。が、やはり可能性としては低いと言わざるを得ないな、大体少将以上の階級の人間など、統合軍には一握りしかいない。そんな少数と、火星の後継者の残党程度の戦力が寄り合ったところで、地球や月、火星を相手取れるわけがないだろう』

「そうですか?」

『ん?』

「現状の宇宙軍や各国の軍隊の状況を考えると、その手はそれほど無謀であるとは思えません。准将も知っていると思いますが、現在の民間の軍に対する不信感は、もはや無視出来ないレベルにまで高まっています。そんな情勢下で軍隊を運用しようと思えば・・・・」

『相当な手間と時間が掛かる、か』

アキヤマの言葉に、ルリは頷いた

「速攻を掛けられれば、少なくとも楽勝と言えるレベルの戦闘ではなくなるでしょう」

『大衆というものはどうにも実感が沸かない出来事には疎いからなあ・・・・実際に自分達に脅威が降りかからねば、確かに大規模な軍事活動には良い顔をせんだろう』

アキヤマは、組んでいた腕を解きながら唸った

『やはりその特秘事項という奴の内容が欲しいところだな』

「外からの侵入者を相当警戒してるみたいです。私とオモイカネでは、正直厳しいでしょう」

『おいおい中佐。それは事実上、宇宙軍に侵入の術がないと言ってるようなものだ』

言ってから、アキヤマはふとその表情を真剣なものに切り替えた

『・・・・どこなら、出来る?』

その質問を予め予測していたルリは、あっさりと答えた

「ナデシコCなら」





宇宙に、火球が幾つも生まれては消えていた

アステロイドベルトを構成する、一つの隕石が爆発する。その爆煙から、振り切るような速度でブラックサレナが飛び出す

斜め、横、縦とランダムに機動しながら、アキトは標的を探す

横、いない

斜め、いない

上、いない

下―――

「!!」

下から飛んできた物体を反射的にかわすとアキトはその物体に標準を定めた



「!」

ただの錫杖だった。慌てて視線を下に向ける。だが、そこには何もない

―――どこに――!!

上からの、身も凍るような殺気に、考えるよりも先に反応していた

背後から迫る殺意を、ハンドカノンを振り回して弾き飛ばす

弾くことで僅かに生じた二体の間、アキトはハンドカノンを構えようとして

「!!」

それより早く夜天光がミサイルをばら撒いた

近すぎる、こんな距離で爆発すれば夜天光とて巻き添えを食らう

相手の狙いは、まさにそこだ。つうじてかわしたとしても、サレナの姿勢は絶望的に崩れる、そこを狙うつもりなのだ

アキトはそう悟るとサレナをそのままミサイルへと突っ込ませた

接触。爆発

フィールドが悲鳴を上げる。それを掻き消すようにスラスターを叩く

煙を抜けた瞬間、その赤い機体が目に飛び込んできた

そのまま速度を緩めず、むしろ増して体当たり

だが、夜天光もそれを見越したように動く

ブラックサレナの渾身の体当たりは、掠るに留まる

その背中に錫杖が迫る

「!!」

側面のブーストを爆発、背部から生える尻尾のようなマニピュレーターを振り回す

僅かに緩む攻撃の速度。そこを見逃さずに蹴りを繰り出す

弾いた錫杖に向かって加速。そのまま遠くへと弾き飛ばそうとして

夜天光に背中から取り付かれた

そのまま頭部を掴まれる。ギリギリと力が加わり、装甲が悲鳴を上げる

アキトは急遽方向転換。振り切るようにスピードを跳ね上げながら飛び回る

視界を赤が埋め尽くす。エラーと警告の嵐

加速のGが体へと襲い掛かる。それに歯を食い縛って耐え、そのまま近くの隕石へ背中から突っ込む

激突。隕石がバラバラになるほどの衝撃を受け、しかしアキトはすぐに体勢を立て直した

背中に夜天光の気配はない。振り返―――

視界一杯に映る夜天光の拳

直撃

「―――!!」

舌を噛まないように全力で歯を食い縛りながら、そのまま全力後進

頭部の半分ほどが破損。メインカメラも三分の一が機能不全

だが、無視

距離を取ると、そのまま跳ね返るように前進、夜天光の懐に飛び込もうとして

まるで読んでいたかのように蹴りが繰り出され、直撃した

分厚い装甲のお陰でダメージこそなかったが、それはこちらの体勢を崩すには十分過ぎる攻撃だった

夜天光の腕が回転を始める。三ヶ月前に火星での最後の一撃のときに見せた攻撃

あのときに、サレナの胸部装甲版をぶち抜いたあの一撃

体勢を立て直そうとスラスターを噴かす、間に合わない

振りかぶる。振り下ろす

ハンドカノンを、無理やりな体勢で乱射した

ロクに狙いもついていない攻撃だったが、こちらを殴りつけるために接近していた夜天光には十分な脅威となった

何発かが装甲を掠め、そのお陰で逸れた夜天光の一撃はアサルトピットをはずれ右足に直撃

誘爆を恐れ右足ごとパージ。そのまま距離をとる

今度こそ、二体の間に沈黙が訪れた

知らず、息が切れていた。アキトはそれを整えながら、目の前の宇宙に浮かぶ夜天光を見つめる

―――・・・・強い





―――弱い

夜天光のアサルトピットの中で、北辰は失望にその瞳を染めていた

実力的には拮抗している、それだけは確かだった。だが、北辰の求める強さを、今のアキトは持ち合わせていなかった

殺意と執着と執念と・・・

挙げればキリがないほどの負の感情が、今のアキトにはないのだ

あのとき、彼の愛したあの女を助けたとき、すでにアキトの復讐は終わっていたのだ

自分の五感を壊した、それだけのことをされて尚、北辰に以前程の執着を抱けないほど、目の前の男は心底のお人好しなのだ

戦い方は変わっていない、自分の命など二の次の戦い方、相手を潰すことだけを考えている、無鉄砲にも程があるほどの戦い方だが、その根底にあるのは全くの別物に摩り替わってしまっている

執念から、ただの諦めに

戦いが、復讐の方法から、自分が満足して死ぬための方法へと成り下がっている

失望の色が、より深くなる

期待が大きかっただけに、裏切られたときの脱力感も顕著だった

もう良い、期待した自分がバカだったのだ

「・・・失望したぞ、テンカワアキト」

聞こえるはずのない呟きを漏らすと、北辰はスラスターへ出力をぶち込んだ





「―――!!」

なにかの予感に駆られ、ラピスは祈るように組んでいた両手を解いた

目の前のスクリーンには、再び戦闘を始めた二体が映し出されている

実力の差は、明白だった

右足を失い、頭部も半壊しているブラックサレナ

一方の夜天光は、全身に損傷の後が見られるが、その全てが微々たるものだ

アキトはもはや、防戦一方となっている

夜天光の繰り出す攻撃を、もはや片方しか残っていない足と、満足に利かないメインカメラからの映像でなんとか凌ぎ続けている

その戦いを見たとき、ラピスの背筋をゾッとするものが這い回った

嫌な予感がした

嫌な予感が、した





「ぐっ!」

食い縛った歯から声が漏れる

脳が揺さぶられるような衝撃が連続して身体を揺らす

アサルトピットの中は、すでに警告とエラーメッセージ、そして退去勧告で埋めつくされていた

それでもアキトは、戦うことをやめない

勝利の可能性を信じているわけでは、間違ってもなかった

自分が勝つとか負けるとか、そういうことは今のアキトの頭の中にはなかった

ただ、迫り来る死と、夜天光が繰り出す攻撃を避ける。それだけに全神経を注いでいた

北辰の繰り出す猛攻の僅かな隙を見つけ、咄嗟に背後に飛び去る

が、その背後から衝撃が来た

慌てて振り返ると、そこには隕石があった

目の前に集中するばかりに、もはや周りの様子すら満足に把握出来ていない

息が荒い、視界が霞む

握り締めた腕の感触すらない。ぼやけてきた全身の感覚が、自分が本当に戦場にいるのかどうかを疑わせる

視線を移した先、夜天光が錫杖を構えている

合わせるように、もはや無意識にハンドカノンを構える。頭痛が酷くなる

吐きそうだ。加速で混ぜられた胃の中身が戻ってくるように感じる

それを強引に押さえつけて、アキトは自分自身を鼓舞する

―――諦めるな、それだけはするな

戦って、戦って、戦い抜いて死ぬのなら構わない。だが、諦めて、自ら死を選ぶようなことだけは、絶対にしてはいけない

自分は、泥を舐めてでも苦しまなければならない義務がある。血反吐を飲み込んででも生き抜かなければならない義務がある

死んで楽になろうなどと考えること自体が、自分が殺してきた人間達への侮辱だ。死はそんな優しいものではない

苦しみ抜いて、その上で死ななければ、せめてもの償いとして、自分はそれくらいのことをしなければならない

だから、止まるな

「うああああああ!!」

吼えた

自分が、まだここにいることを確認するように

爆ぜるように加速したブラックサレナが、そのまま夜天光へと渾身の体当たりをかました

余りの急加速に口から盛大な量の吐血。ひょっとすると内臓がつぶれたかもしれない。だが、そんなものは知らない

尚も力を込める、夜天光の装甲がメリメリとへこんでいく

食い縛った歯が砕けた。さらに力を込める

圧迫された重力が身体の中を暴れまわる。さらにさらに力を込める

ハンドカノンをパージ、露わになったブラックサレナの両腕を伸ばし、自分を引き剥がすために振り上げたのだろう、錫杖を持つ相手の右腕を、丸ごと握り締める。さらにさらに、さらに力を込める

鈍りきった痛覚が、指先の違和感を伝えてくる。折れた

さらにさらにさらに、さらに力を込める

もう逃がさない

真っ赤になった唇を歪め、アキトは笑った

そして、呟く

「俺の・・・・勝ちだ」

『未熟者よ』

そんな声が、聞こえた気がした





結論を言えば、運が悪かったとしか言い様がない

事実、夜天光にとってブラックサレナの両腕に拘束された右腕を振りほどくことは容易ではなかったし、そのままアキトがなんらかの攻撃手段を用いれば、或いは倒せたかもしれない

だが、それはあくまで理想の話だ

現実は、もう少しばかり過酷な状況を、テンカワアキトにプレゼントした

ベキンと、板を割ったような音がアサルトピットに響いた

アキトには、その音がなんの音かどころか、その音そのものが聞こえていなかった

異常をようやく悟ったのは、夜天光を押し続けなければいけないはずのブラックサレナの出力が、急速に下降し始めたときだった

冷えていく頭の中で、右腕が鈍い痛みを伝えてくる

視線を移す。そこには、有り得ない方向に捻じ曲がった、自分の腕があった

一般に、人間がその筋力をフルに活用できることは、有り得ないこととされている

そのもっともな理由が、全力を出したことで受ける、自らの身体への影響だ

限界を酷使することで、人の肉体はその反作用だけで呆気なく壊れる

だから人間は、常にその自らの力にリミッターをかけている

だが、アキトは違った。利かなくなった五感と、戦闘による極度の興奮が、彼からそのリミッターをあっさりと奪ったのだ

その結果が、これだ

幾ら力をいれても反応しない右腕、ダラリとぶらさがったそれは、妙に非現実的な景色として、アキトの目へと飛び込んできた

呆けていた時間は、実際問題一秒にも満たなかったはずである

だがそれだけの時間が、目の前のこの機体を相手取る場合に、容易に致命傷となる時間であることもまた、事実であった

首が飛ぶような衝撃が襲ってきた。夜天光に吹き飛ばされたブラックサレナは、そのまま成す術もなくふっとんでいく

が、間髪入れずに近くにあった隕石へと衝突し、そのままその巨大な体躯を岩肌へとめり込ませて、止まった

歪んだ視界の向こう、こちらを見据える夜天光が見えた

錫杖を構え、真っ直ぐにこちらへと突っ込んでくる

その瞬間、目の前が真っ白になった

―――白

ハッとなったアキトが、叫んだ

「ラピス!?」





考えた行動ではなかった。自分は、どうにもそういう場面が多いように思う

ほとんど反射的な行動だった。その瞬間、あのセトに言われた言葉の意味を考える自分も、アキトのことを考え、静観しようと決意した自分も、皆吹き飛んでしまった

全力で、二体の間に割り込んだ。そのことに頭が一杯で、相手の攻撃の着弾点など、二の次だった

運が悪かったのだ。ラピスはそう思う

出撃前にクラシキが右のスラスターの調子が悪いと言っていたことも、いつもより少しだけ相転移エンジンの調子が良かったのも、いつも自分が着ている服のちょっとした秘密に気づいたことも、関係ない

きっと運が悪かった。ただそれだけなのだ

直撃した。相転移エンジンに

夜天光が、慌てて背後に後退するのが見える。やった、ざまあみろだ

アキトを殺させたりは、しないのだ。この人は、絶対に自分が守るのだから

この人は、笑って死ななければいけないのだから

なんといっても、自分の大切な人なのだから

爆発の振動が、ブリッジにまで伝わってきていた

ラピスの周りを、警告と退艦宣告を示す赤いウインドウが埋め尽くす

『退艦警告!』『相転移エンジン臨界!』

次々と現れるウインドウを見て、ラピスは苦笑した

退艦しろとは、一体どこに逃げろと言うのか

今から脱出艇に逃げる時間などあるはずがない。また、逃げたとしてもそこは真空の地獄であり、同時にディストーションフィールドも張れないその脱出艇では、月にも火星にも、近くにあるターミナルコロニーにすらたどり着けはしない

爆発がユーチャリスを包む。死は、すぐ傍まで来ていた

直撃を受けた相転移エンジン。そこに入った亀裂を起点に、爆発はあっという間にユーチャリスを包んだ

凄まじい振動で揺れるブリッジの、その席で、ラピスは目の前に映るノイズだらけのスクリーンを見る

夜天光は、すでにユーチャリスの爆発から逃れようと、遥か彼方へとその身を遠ざけている

隕石にめり込んだブラックサレナは、その一握りだけ残ったスラスターを吹かし、必死にユーチャリスへと手を伸ばす

だが、その距離は絶望的なまでに遠い

それを見て、ラピスは

笑う

頭の中を、数え切れない映像が過ぎった

クラシキや整備班と一緒に食べたラーメンは凄く不味かった。セトが自分でいれてくれたコーヒーはもの凄く濃かった。お返しに自分が入れたコーヒーは、もはや飲み物の体すら保っていなかった。青色のボコボコと沸騰する液体だった。今思えば、ただのコーヒーメイカーとコーヒー豆で、どうやってあんな奇想天外な物体を生成出来たのだろうか

事務室のお姉さんが教えてくれた男をメロメロにする方法とやらは、結局使うことなく終わりそうだ

エリナに貸してもらった本を、返すのを忘れていた。

パーティーは、楽しかった

もう一度、あの写真を見たかった

なんだ、こんな状況になっても、自分の脳裏に過ぎるのは、楽しいことばかりではないか

笑う

自分の両親も知らない、ロクな感情すら持つことをやめていた

毎日が実験の連続だった。楽しいことなど、あの頃は何一つなかった

だが、今目の前に映る映像はどうか

なんだ・・・・自分はこんなにも

「幸せ――――だったんだあ」

ブリッジの扉が吹き飛ぶ。爆炎が大挙して襲い掛かる

計器が破裂する、炎はさらにうねりながら周りにある全ての物を蹂躙し燃やしつくし焼き尽くし壊しつく

爆発

そのときラピスが浮かべていた表情は―――





「・・・・あ」

目の前の光景が、アキトには信じられなかった

あれはなんだ?なにが燃えている?なにが爆発している?

ユーチャリスに見える、そんなバカな、あの戦艦がこんな簡単に壊れるわけがない

だが他にそんなものは見当たらない他の戦艦など近くにはいないいやだがしかしもしかしたら近くに隠れていたユーチャリスそっくりの戦艦が自分と北辰との戦闘に割り込もうとしてそれに怒ったラピスが自分達には目視できないような攻撃で撃破したのかもしれないそうだそうに決まっているだっておかしいじゃないかユーチャリスは強いのだユーチャリスは負けないのだこんなあっさりと炎に包まれるユーチャリスなんて偽者だ嘘だ認めない自分は認めない有り得ないおかしいだろラピスどこにいるんだ近くにいるんなら出て来いよもう復讐なんてどうでもいいから帰ろう帰って二人でひっそりと生きようもう諦めるからそうだだってラピスはあんなに小さいんだから自分が傍にいてやらないとすぐに泣くしたまに夜中に怖い夢を見て一人で泣き出すのだそんなときに自分がいてやらなければ誰があの小さな子を支えてやるのかそうだエリナも言ってやってくれラピスがあんな脆い戦艦に乗ってるわけがないだってラピスはまだ小さいのだからラピスが―――

死ぬわけないのだ

こんな、呆気なく

「あ・・・・あ・・・・」

震える声が、引き金になった

もはや爆発は収まりつつあった。その後に残るのは、なにもない

頭では否定しても、もはや変えようのない事実として、目の前の空間の無が、ラピスの死を物語っていた

ラピスが死ぬわけがない、有り得ないだって・・・あの小さな少女はずっと自分を支えてきてくれた。死に引っ張られる自分を懸命につなぎとめ、五感だってサポートしてくれた

―――五感?

そうだ、思い出す。ラピスがサポートしてくれているアキトの五感だ。これが切れていないのだ、自分の目は、相変わらずおぼろげだが確かに目の前の事柄を映し出してくれているし、耳だって聞こえる。折れた右腕からの痛みだって感じる

そうだ、まだラピスは生きている



突如、アキトの視界が吹っ飛ぶように潰れた



感触が消えた、音が消えた、光が消えた

全てが、今までと比べ物にならならほど弱々しいものに変わった

その事実が、アキトに冷酷に告げていた

まるで嘲笑うかのように佇む、その死神が、そのときのアキトにはハッキリと見えた

ラピスラズリは、死んだ

死んだのだ







震えた

目の前の光景に、心が震えた

「ふ・・・ふふ・・・・」

素晴らしい、そう思う。素晴らしいではないか

「ふはははははは!!はーっはっはっはっはっ!!」

狂ったように、北辰は笑う。最高に心地良い、あの、すでに興味すら失っていたあの遺伝子細工が、あんなガキが、まさかこんなことをするとは思わなかった

予想外だ。最高だ

ふと視界に、黒い亡霊が映った

片足を失い、顔の半分を破損したそれは、呆けたようにただ目の前の光景を見つめている

唇が歪む。そうだ、良い事を思いついた

三ヶ月前、テンカワアキトがあれほど自分に脅威を感じさせた理由は、自分達に捕らえられたテンカワユリカの存在だ

自分が五感を奪われても人であることを捨てられないくせに、自らの大切な人間のことになると、この男は容易にそれを捨てる

テンカワユリカを捕らえられただけで、あれ程の怒りを見せたのだ、これがすでに死んだ人間の為に戦ったとしたら、その復讐にあの男が注ぐ熱量は、果たしてどれほどなのか

ブーストを点火。狂気で顔を塗りつぶしたまま、北辰は凄まじい速度でブラックサレナへと取り付く

頭部と頭部をぶつけ、接触通信を割り込ませる

開いたウインドウに映った顔は、予想通りの半死人のそれだった

それに、北辰は告げる

「死んだな」

反応は、凄まじいものだった

五感などほとんど機能していないにも関わらず、アキトは反応したのだ

睨み殺すような視線を向けると、アキトはほとんど動かないブラックサレナを強引に動かし、右腕を繰り出してきた

だが、それを軽くいなし、へし折ると、夜天光は再びブラックサレナを吹き飛ばした

近くにある隕石へと激突し、その激突とほとんど同時に、夜天光は再びブラックサレナの頭部に夜天光の頭部をぶつけるように接近させる

「死んだのだ。あの人形は」

それだけの言葉で、アキトのその殺意に狂っていた視線が、光を失くす

呆然と、目の前のウインドウに映る北辰を見つめる

「我が、殺した」

アキトが、震えた

その反応に、顔を狂喜に染め、北辰は笑った

その笑い声は、ゾッとするほど冷たく、狂っていた

「追ってくるが良い!あの人形細工の仇が取りたいならなあ!!」

そのまま踵を返すと、北辰はどことも知れぬ闇の中へと溶け込むように消えていった

後には、ただ漂うのみの、出来損ないのロボットが浮いていた





第一秘書室の机に、エリナは祈るように両腕を組み、顔を伏せていた

死なないで欲しい。願いはその一点だけだった

自分は、彼を止められなかった。ならば、後はせめて彼の思う通りにしてやることくらいしか、自分に出来ることは、もはや残されていない

だから勝って欲しい。勝って、戻ってきて欲しい。その後のことはなにも願わない。ただ、帰ってきてくれさえすれば良い

顔を伏せていたエリナの目の前に、突如ウインドウが現れた

『ウォンさん!!』

その声にビクリと震えると、エリナは弾かれたように伏せていた顔を上げた

ウインドウに映ったクラシキに、酷く切迫した様子で告げる

「どうしたの!?」

『サレナが戻ってきました!』

その一言に、エリナは目を見開く

帰ってきた、帰ってきたのだ

目が潤みそうになるのを押さえ、エリナは掴みかかるような勢いでクラシキのウインドウに噛り付く

「無事なの!?」

『!!・・・・それは・・・・・』

口ごもるクラシキ、それだけでなにか悪いことが起こったことをエリナに悟らせるには、十分だった

返事も聞かず、エリナは椅子を蹴飛ばして部屋を飛び出した

『あ!ウォンさん!』

その後を、慌ててクラシキのウインドウがついていく

だが、そんなことなど目に入らないように、エリナは一心不乱に廊下を駆ける

履いているヒールが邪魔だ。そのことに歯噛みしながら、エリナは尚も走る

エレベーターの下降ボタンを叩きつける。幸いなことに、扉はすぐに開いた

その中で、エリナは再び両手を組む

無事で、無事でいてほしい

彼をとめることは出来なかった。だが、これだけは絶対に譲れなかった

生きていて欲しい。エリナは、祈った

その願いは、格納庫へと飛び込んだ瞬間に、砕け散る





「・・・・」

呆然と佇むエリナの前に、タンカに乗せられているアキトがいた

眠るように横たわっているその姿に、いつものエリナなら安堵したことだろう

格納庫に倒れこんでいる、片足を失い、頭部も半壊、さらに機体のあらゆる装甲が剥ぎ取られたそのブラックサレナの姿さえ、なければ

「どう・・・・なってるの?」

ほとんど独り言のように呟いたエリナの言葉に、横にいたイネスが答えた

「五感をほぼ喪失。肺もやられてるし、腕と足をそれぞれ完璧なくらい骨折」

血の気が引いていくのがわかった

「助かる・・・・の?」

「大丈夫よ。致命傷じゃないし、二週間もあれば完治するわ」

救われたような気がした。へたれこむように、エリナはその場に崩れ落ちた

「・・・・良かった・・・・良かった」

「ただ」

運ばれていくアキトのタンカを目で追いながら呟くイネスの表情は、硬かった



「ユーチャリスが、戻ってないの」



時間が、止まった

「ラピスちゃんとのリンクも、切れてるわ」

目の前が、真っ暗になった

その言葉が指すことがどういう意味か、すぐに理解出来なかった

ノロノロと顔をあげ、イネスを見上げる

「どういう・・・こと?」

自覚出来るほど掠れたその声に、イネスはエリナを見下ろすことで答える

ゆっくりと、その首を振る

「・・・・どういう・・・こと?」

すがるように、エリナはもう一度同じ言葉を繰り返した。もはやその答えなど、分かり切っているにも関わらず

イネスは、その手を真っ白になるほど握り締める

気持ちは、痛いほど分かる。だが、状況から見て、もはや可能性は一つだ

そこには希望や願いの入り込む余地など、一欠けらもない

だから、言った

刻み込んだ。この言葉を、忘れないために、絶対に、忘れないために

「死んだのよ」

エリナの顔が、崩れた

よろよろと立ち上がると、イネスへと視線を向ける

その眼は、すでに涙で一杯になっていた

「死ん・・・・だ・・・・?」

誰が?と呟くエリナに、イネスはもう一度告げた

辛いはずだ。身が切られるほど、辛いはずだ

だが、そこで情けをかけるわけにはいかない。事実なのだ。これはもはや百パーセントの事実なのだ

向き合わなければならない。逃げるわけには、いかない

もしかしたら偶然付近を通りかかった貨物船にでも助けられたかもしれない、実はラピスのようなIFS強化体質の人間は、宇宙空間でも活動できるかもしれない

そんなことを言ってなんになる。そんな糞みたいな仮定など、豚の餌にもなりはしない

だから、言った

「ラピスラズリは・・・・彼女は・・・・」

大きく息を吸う

「・・・・死んだのよ」

噛んだ下唇から血が流れるのを、エリナは自覚した

感情が、爆発した

もはや否定しきれない現実の前で、彼女が出来ることなど、なにもなかった

凄まじい勢いでイネスの胸倉を掴むと、顔を俯けたまま張り裂けるように叫ぶ

「どうしてよ!!」

イネスは、その手を振り解こうとも、口を開こうともしなかった

「あの子がなにしたって言うのよ!悪いのは私達じゃない!あんな小さな子に人殺しをさせてきたのは私達じゃない!あの子はなにも悪くない!悪いのは私達じゃない!!」

叫ぶエリナが、その射殺すような視線をイネスの顔へと向けて、初めて気づいた

イネスが、泣いていた

あのイネスが泣いている。その事実が、今度こそ本当に、エリナにもう一つの事実を突きつけた

ラピスラズリは、死んだ

死んだのだ

胸倉を掴んでいた手の力が、抜ける

その場に膝をつくと、エリナは両手で顔を覆った

エリナの叫びに答えられる者は、誰もいなかった

その二人を遠巻きに眺める、いつも馬鹿で、間抜けで、常に頭の中が春日和のはずの整備班ですら、なにも言えなかった

彼らの中には、俯き、ギリギリと手を握り締める者がいた

声を抑え、泣いている者もいた

彼らが見守る中、イネスの前でしゃがみこんだエリナは、くぐもった声で、搾り出すように叫んだ

「死ななきゃならないのは・・・・私たちのはずじゃない!!」





ラピスラズリ

実験材料として生まれ、実験材料として生き、そしてひょんなことから人間として生きることを許された少女

怒ることを、泣くことを、笑うことを知らなかったその少女

些細なキッカケで得た様々な経験から、整備班の作るラーメンは凄く不味いことや、整備班長のおっさんがいれたコーヒーは濃いことや、自分の服の裏に、自分を慕ってくれた女の人達がコッソリと刺繍をしてくれていたことや、受付の女の人から男の人をメロメロにする方法や、母とも呼べる存在から、なにより人間を学んだその女の子

その小さな体で、一人の男を支え続けた女の子

その女の子が、炎に包まれ、死を前にし、全てを受け入れ、最後に浮かべたその表情は―――



間違いなく、笑顔だった



二度目の・・・・笑顔だった






あとがき





BGMは「いつか信じて」でお願いします。いえ、特に意味はありませんが



こんにちは、白鴉です

上で言った曲名、知らない方は無視してください。ついでにいうと、ナデシコの最終話の最後の最後に流れた曲です。好きなんですよ、この歌

と、ここでメイン話は交代です

次回からアキトサイドの話から、ルリたち宇宙軍サイドのお話になります





それでは次回で




管理人の感想

白鴉さんからの投稿です。

素直に、面白いと思いますましたね。

まさか、ここでラピスがリタイヤするとは思いませんでした。

そして、アキトを再び復讐の修羅と化す方法も見事でした。

あれだけ周りから諌められても、同じ事を繰り返し、結局周りを巻き込むアキトという存在のカルマが良く分かりますな。

・・・次回からは宇宙軍サイドの話になるそうですが、やはりユリカも出てくるのでしょうか?