第5話





「・・・・アキヤマ君から、先日連絡があった」

そう呟くコウイチロウ。その目の前に鎮座する会議室のテーブルに、数人の初老の人間達が腰掛けている。そして当然ながら、その中にはムネタケヨシサダ副司令の姿もある

皆一様に、真剣な眼差しでコウイチロウの次の言葉を持っている

その彼らを鋭い目つきで見回しながら、コウイチロウは口を開く

「例の統合軍の特秘事項を、星野ルリ中佐が見つけてきたそうだ」

その一言に、会議室の空気が僅かにざわめく

皆一様に慌てたように、隣り合った人間と言葉を交わしている

そんな彼らを横目で見ながら、ムネタケが口を開いた

「諜報部から私も聞いております。どうも彼女は、この件について随分と深いところまで知っているようですな」

「内容も、かね?」

手元にある資料を見つめながら訪ねてくるコウイチロウに頷いてみせると、ムネタケは続ける

「アキヤマ准将との通信記録から推測するに、この件に関しての彼女の見解は、どうも統合軍上層部の暴走、或いは独断専行による火星の後継者との連合、という認識に固まりつつあるようですな」

「・・・・ふむ」

考えこむように視線を伏せるコウイチロウを一瞥すると、ムネタケはさらに続ける

「そして彼女たちは特秘事項のさらなる詳細な内容を手に入れるため、再び統合軍のデータベースへハッキングを仕掛ける模様であります」

「あそこのプロテクトは、ルリ君にも突破出来んはずだが?」

「どうも彼女たちは、ナデシコCを使うつもりのようですな」

その一言に、会議室に響いていた喧騒が今度こそ本物へと変わった

「まずいですぞ総司令」

「あの星野中佐とナデシコCによるシステム掌握は脅威です。いくら統合軍のプロテクトが優秀とはいえ・・・・」

「早急に対策を考慮すべきでしょう。手遅れになる」

秩序などまるでお構いなしに、全員が好き勝手なことを喋り出す。いくらルリのシステム掌握を恐れているとはいえ、子供でも若者でもない、もはや老人といえるレベルの男達が次々と口を開くその怯えようは、ある種異常にすら見える

保身のみに全てを傾けている彼らにしてみれば、確かに彼女の存在は脅威となる

そんな彼らを冷めた眼で見回しながら、コウイチロウが口を開いた

「問題なかろう」

その一言に、それまで己の言いたいことのみを口に乗せていた男達が、一斉に黙る。大した統率っぷりであった

そんな彼らを落ち着けるようにゆっくりと見回し、間を置いてから、コウイチロウは口を開いた

「副司令の報告が本物ならば、むしろ我々には好都合だ」

その言葉に反論しようとしたのか、口を開こうとした一人の男を一瞥すると、コウイチロウは黙って聞け、とでも言うように手で机を示した

「確かに計画にルリ君の介入を許すのは些か危険ではある。だが結果としてみれば、我々に無許可でナデシコCを使用しようとするほどに、彼女は統合軍の暴走という推論に自信と確信を持っていることになる・・・・つまり、彼女すら騙し通せる芝居を、我々は行っているわけだ」

口元を歪める。会議室の張り詰めていた空気が、僅かに緩んだ

「おそらく今後も、宇宙軍からも統合軍から・・・そして民間からでさえも、今回の事件を考える上で、我々が統合軍、そして火星の後継者と繋がっている可能性を疑う者など、誰も出はしないだろう」

「好都合、とはそういう意味ですか」

先入観は物事を正しく見る目を狂わせる。かの有名な電子の妖精星野ルリが、その先入観をばら撒いてくれるのだ。知名度、そして世間からの評価を考えた上で、これ以上の展開はない

「これで我々の隠れ蓑が、意図せずに完成したことになる」

コウイチロウの言葉に、会議室を安堵の空気が包んだ

―――ただ、まあ

そんな彼らを見回しながら、コウイチロウは一人物思いに耽る

随分と強引な言い方をしてルリを道化にしたが、実際はおそらく違うだろうことは、コウイチロウや、そして今も会議室の一角で書類に目を通しているムネタケにはわかっていた

自分達に無許可でナデシコCを使うほど、彼女が確信を持っているのは、なにも統合軍と火星の後継者とのつながりだけではない

確かにこれが通常の軍隊の指揮系統ならば、上層部が事の重要性に気づけず、彼女の言い分を無視するかもしれない。もしそうならば、彼女の行動にも確かに合点がいく

しかし違うだろう。今、彼女は軍上層部に、総司令であるミスマルコウイチロウというこれ以上ないほど強力なパイプを持っている

それを使わずに、軍規違反を覚悟してまで彼女がこのような行動に出ることを匂わせるということは・・・・

―――どうやら、完全には信用してもらっていないようだな

部下にあんなことを言った直後に、こんな行動に出るのは、正直焦り過ぎかもしれないと思う。だが、ルリが自分達に疑問を持っている可能性がある以上、猶予はほとんどありはしない

失敗する訳には、いかないのだ

「・・・・仕方ない、か」

そのコウイチロウの言葉に、隣に座っていた初老の男が不思議そうに目を向けた








機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 親の意地、娘の意地 』

 

 



「艦長、あんまり根を詰めすぎるのもどうかと思いますよ」

ブリッジに入ったサブロウタを迎えたのは、昨日の定時を最後に見かけた後ろ姿とほとんど変わっていない体勢で作業を続けているルリの姿だった

「・・・・総司令達に無許可でナデシコCを使わないといけませんから、どうしてもあちこちに細工をしていないといけないんです」

振り返ることもせず、こともなげにいうルリの背後に立ち、サブロウタは彼女の作業風景を見ようとして、まさかハーリーにしているようにウインドウボールの中に顔を突っ込むことも出来ず、結果的に所在無さげに彼女の後ろに佇むことしかできなかった

「・・・でも、思うんすけど艦長。なんでウチのお上さんにまで内緒でこんなことしないといけないんすか?」

宇宙軍の上層部に内密に事を運ぶ。それ以上のことを、ルリはサブロウタにもハーリーにも告げなかった

通信で話していたアキヤマにまで今回のことを口止めしていたところを見ると、どうやらルリはこのことを誰にも話さずに実行するつもりらしい

アキヤマの方もそのルリの言葉に頷いた。どうやら彼は味方、という認識で良さそうだ

「・・・そうですね、もう話しても良いかもしれません」

と、作業がひと段落ついたのか、コンソールから手を離したルリが、振り向いた

その言葉の内容に、サブロウタも僅かに身を硬くする

「ハーリーの奴には、話さないで?」

「あとで私から言っておきます」

それだけ言うと、ルリは艦長席の下から一束の資料を差し出してきた

いまどき紙媒体の資料というのも珍しいが、なによりそれを、電子の妖精とまで呼ばれたルリが使っていることに、サブロウタは少しだけ驚いた

「・・・・これは?」

「・・・・火星の後継者事件の折に、裁判もなんのお咎めもなしに軍に復帰した人たちのリストです」

「!」

その一言に、サブロウタの目が驚愕で見開かれた

「どういう・・・ことすか?」

「おかしいと、思ったことはありませんか?」

サブロウタの問いに、ルリもまた問いを返した

その意図が掴めず、困惑するサブロウタ

「・・・・なにがですか?」

「先だって行われた火星の後継者事件の折、クサカベ中将があれ程あっさりと身を引いた理由です」

クサカベハルキ、元木連中将

戦時中の木連においての実質的な最高幹部であり、そしてかの熱血クーデターの際に彼に反旗を翻したツキオミゲンイチロウやアキヤマゲンパチロウらによって駆逐された男

そして、火星の後継者事件の首謀者でもある、その男

完全な軍事国家であり、親の威光も意味を成さない、完全実力主義であった戦時中の木連

その中であれほどの地位を固める実力のあるあの男が、幾らナデシコCのシステム掌握とイネスフレサンジュという予想外の因子がふって沸いたとしても、あそこまで簡単に降伏を宣言する必要はない

「でもそれは・・・・これ以上勝ち目がないことを悟ったからじゃないすか?」

ルリも最初はそう考えた。だが、それでは合点がいかない

あの男は三年前、戦争を続行させるために、ハルカミナトの恋人であったシラトリツクモを、親友であるツキオミゲンイチロウに暗殺させたような男だ

理想のための手段など、選ぶはずがない

仮にあの時点で負けを確信していたとしても、あの男ならば最後の一兵になるまで抵抗することを選ぶはずだ

そう考えるならば、あのクサカベの行動が示す意味は一つしかない

「三年前の戦争中、最後まで地球との徹底抗戦を主張するようなあの人が、そんなに殊勝とは思えません」

ルリの言葉に、サブロウタも口を閉じ、次の言葉を待った

「考えられる理由はただ一つ。あのクーデターは一種のデモンストレーションであった可能性です」

「・・・・まさか」

ルリにしては余りに憶測の入り混じった突拍子もない意見に、サブロウタも思わず苦笑する

「大体考えても見てくださいよ艦長。クサカベ中将は戦時中だって、和平を考えてたじゃないですか」

当時木連にいたサブロウタの方が、その辺りの事情には明るい

ルリは知らないだろうが、和平が提案された直後のクサカベは、このままでは勝ち目が薄いことを悟り、本気で和平を結ぼうと考えていたのだ

結果的にそれは当時ほとんど諦めていた火星遺跡の不意の発見によって消えることになるが、それでもあの男が和平を手段の一つとして考えていたことは事実だ

「それはこの場合否定の材料にはなりません」

だが、そんなサブロウタの考えを、ルリはあっさりと否定した

「むしろ、彼が自分の理想の為に、そういうからめ手を使うことも出来る人物であることになってしまいます」

「な!?そりゃあ幾らなんでも」

こじつけではないか、そう言おうとしたサブロウタの目を、ルリは真っ直ぐに見つめた

「ではサブロウタさんは、彼があのまま地球と和平を結んだままにしておいたと思いますか?」

その言葉に、サブロウタは思わず息をつめた

そんなことは、とてもじゃないが有り得ない

理想に殉じることを美徳とすら教えて来ていた木連の中において、理想の為に手段を選ばない考えを持っていたクサカベは、確かに異端であった

木連の聖典であるゲキガンガー、それに対する人々の信仰心すら、あの男は利用したのだ

その男が、一時の手段として和平を結ぶことは考えても、それは永続させようとしていたとは考えられない

それは、つまり

「・・・・どういう、ことになるんすか」

「簡単なことです」

無表情に口を開くルリ

「理由はこの際どのようにでもこじつけられるので省きますが、現状だけを説明するなら、火星の後継者の残党・・・・いえ、正確に言うならばクサカベの協力者は、統合軍の上層部のみならず、宇宙軍の一部にすらいる可能性があります」

「な!?」

有り得ない、そう言い掛けたサブロウタを見ながら、ルリは頭を振った

「先日、例の偵察艦隊の全滅現場で、大規模な爆発があったのは知っていますか?」

「え?んなこと聞いてないですよ」

あの話し合い以来、サブロウタは軍経由のあらゆる情報を調べ上げ、統合軍の隠していることがなんなのか、そしてそもそも本当に隠し事をしているのかを確かめている。確かに少佐である自分に調べられることなどたかが知れているが、この時期にそんな不信感丸出しの情報があれば、耳に入らないわけがない

「この情報も、特秘情報程ではありますが、ある程度高いプロテクトが掛かっていました・・・・あった場所は」

「・・・・宇宙軍、っすか」

その言葉に、ルリは相変わらずの無表情のまま頷いた

「この意味が、わかりますね?」

「そりゃあ・・・・当たり前ですよ」

「・・・・だから、ナデシコCを無断で使用する必要があるんです・・・・最悪」

一息をつくと、ルリは僅かに視線を伏せた

「統合軍どころか、宇宙軍すら敵に回す可能性があります」





別れの儀式

それはほとんどの場合において、死者の為ではなく、残された人間の気持ちの整理の為に行われるものである

ネルガル月ドッグで行われたそれも、例外ではなかった

式は、簡素なものだった

非公式ドッグであるこの場所にお経を上げてくれるような人間を呼ぶ訳にもいかず、さりとて即席の人間にそんなことをさせようなどという考えは、誰の頭にも浮かびさえしなかった

話し合いもなにもなく、彼女との別れは、その私物を詰め込んだ、遺骸の入っていない棺桶を宇宙に向けて射出することに決まった

そうでもしなければ、皆一様に気持ちの整理がつかなかった

クラシキは今でも整備中や食事中に物音が聞こえれば、そこにラピスの姿を探してしまう

セトはふとしたなんでもないきっかけで、背後に気配を感じて振り返る

事務室に勤めるキンジョウ カオリは事務室の扉が開くたびに、その小さな女の子が入って来たのではないかとありもしない期待をしてしまう

そしてそれはなにも、彼らだけに限ったことではなかった

皆形も思いも違えど、それぞれがラピスの死を、どこか割り切れないものとして胸の中に抱えている

その彼女の遺体は、当然ながら見つからなかった

ほとんど見る影もなくなってしまったユーチャリスの残骸、それがある宙域をくまなく探しつくしても、そこにあの少女の面影を見ることすら叶うことはなかった

戦艦の爆発。それに巻き込まれ、しかもその舞台が宇宙であった以上、仕方がないことではある

だがそれこそが、未だ彼らを現実と理想の間に宙吊りにしている原因であった

死体のない、証のない別れなど、到底容認できるわけがなかった

特にそれは、あのテンカワアキトとテンカワユリカが、一度は死亡したという事実を覆して生還したことを知っている彼らにとって、もしもの可能性に縋りつかせるには十分すぎる因子でもあった

「・・・・」

だが、そんなことが有り得ないことは、十分に理解していた

そして頭では理解しても尚、それを否定してしまう感情を、皆懐に抱いているのだ

だから、式を行った

このままではいけない。いつまでも幻想に縋り付いているわけにはいかない

ラピスの部屋から持ってきた私物が詰められた棺桶を前にして、クラシキはそう思う

彼女が何を望んで逝ったのか、それはわからない。だが、その望みは少なくとも、自分達がいつまでも彼女の死に繋がれたままでいることではないはずだ

正直、まだ認め切れていない部分も、ある

こんなことをしても、まだ尚彼女がどこからか現れるのではないのかという、根拠のない期待が、どこかにある

だが、それを振り払うように、クラシキは視線を移した

主を持たない棺桶。それにいれられているものは、呆れるほど少ない

アイコの作った服に、僅かばかりの、いまどき珍しい紙媒体の本

それだけだった

ありえない。あんな年頃の少女の持ち物が、全ての持ち物が、たった・・・・たったこれだけなのだ

手を握り締める、悔しさで涙が滲む

一年もの間一緒にいて、自分達が彼女に与えられたものなど、これっぽっちしかありはしないのだ

なぜもっとたくさんのことをしてやらなかったのだろう。嫌がられるのも覚悟の上で、なぜもっとたくさんのものをあの子にあげなかったのだろう

わかっている。感傷だ、死んだ人間に誰もが抱く、ただのみっともない後悔だ

滲んだ涙を振り払う。泣かない、泣いてたまるものか

セトが言っていた。男が泣いて良いのは、全てを、自らの出来る全てをやり遂げ、満足したときだけだ

だからクラシキは、そう決めていた

「・・・おい」

背後から掛けられた声に、クラシキは振り返る。そこにはセトと、その隣にはエリナがいた

そして、そのさらに後ろにプロスペクターとゴートがいる

式の内容は酷く簡単なもので、この、ほとんどなにも入っていない棺桶を前に、一人ずつ黙祷を捧げていくだけ

クラシキは、最後だった

特に意味のある順番ではないだろう

格納庫に集まった人間達。およそネルガル月ドッグにいる全ての人間の目の前に位置する遺骸のない棺桶の前から、クラシキはそれを見つめる人間の中に戻った

入れ違うように、エリナがその輪の中から一歩を踏み出す

喪主に選ばれたのは、彼女だった

喪主とは言っても、それはやはり真似事に過ぎない葬式の中での、せめてもの形式ぶった、最後の抵抗のようなものだった

だから普通の葬式のそれのような、妙に他人行儀な話などしない

思ったことを、言うだけだ。エリナはそう言っていた

皆が見守る中、彼女は震える足取りで棺桶の前に立つとクラシキ達を振り返った

ゆっくりと、口を開く

「・・・・ラピスちゃんは・・・」

挨拶も、なにもなかった

「ラピスちゃんは・・・・・良い子でした」

エリナは、こんな自分を心底呪った

こんなときになっても、こんな場所に立っても、こんな格式ばった言葉しか喋れない自分に心底腹が立った

「・・・っ・・・・っ」

そして

「・・・・ラ・・・・ラピス・・・ッ・・・ラピスちゃんは・・・・ッ」

言うべき言葉が見つからない自分が、最高に情けなかった

「ラピっ・・・・ラピス・・・・ちゃんはあ・・・!」

幸せだった。そう言ってあげたかった

なのに、その一言が、出てこない

なにも言えないエリナ。その顔は、すでに涙でグチャグチャになっていた

そしてそれは、その場所にいる誰も同じことだった

泣いていない人間など、一握りしかいなかった

クラシキの同僚も他の人間も、恥も外聞もなく鼻をすすりあげ、涙を流していた

そして、その空気がエリナにも伝わったのだろう。彼女はそのまま、ロクに何も言えずに泣き崩れた

幸せだったはずだなどと、そんなことは口が裂けてもいえなかった

生まれたその瞬間から実験体のモルモットとして扱われ、その研究所から拉致されたその場所は、さらに過酷な環境を彼女に押し付けた

ラピスのその人生の大半は、実験と激痛の中にあったのだ

そしてそこからさらに連れ出された彼女の目の前には、戦場と数え切れないほどの死が広がっていた

普通に生きてよかったはずだ。なのにその権利すら、彼女には与えられなかった

そして、そのまま死んだ

幸せだったはずだなどと、言えるわけがない

エリナはそのまま、イネスに支えられてその場を退いた

格納庫にあるカタパルトに収納されていくその棺桶を見つめながら、クラシキは歯を食い縛った

周りから聞こえる啜り泣きの音は、さらに大きくなった

カプセルにいれられた、その主を持たない棺桶が、飛び立とうとしている

――― 発射十秒前

ウインドウに映ったその秒数が、残酷に別れを突きつけてきた

――― 九秒前

心底、悔しかった。なにも出来ない自分が、メソメソといじけている、自分自身が

――― 八秒前

心底、許せなかったのだ

――― 七秒前

「っ・・・・!」

――― 六秒前

なにを言おうとしたのか、わからない

だが結果として、その無意味に開かれた口から言葉が漏れることは、なかった

――― 五秒前

視界が滲む。情けない、最高に情けない気分だった

――― 四秒前

決めたはずではなかったのか。泣くのは、自分が泣くのは、自分に出来る全てのことをやり遂げ、満足したときだけのはずだ

――― 三秒前

泣くな、堪えろ

・・・・頼むから

――― 二秒前

ここで泣くことは、負けることだ

何も出来ず、ただそんな自分に憤っただけで終わる。ただの負け犬になることになる

なによりも、心が、負けたことになる

そんなことは、許せない

――― 一秒前

だから泣くな

絶対に

――― 発射

証が射出される

周りからの泣き声が、一層大きくなった

歯を、噛み砕くほど噛み締めた

ギリギリと握り締めた手に、少しだけ血が滲んだ

なのに

それだけ、それだけしたのに

頬を、熱いモノが伝った

床に落ちた水滴

―――涙だった

それだけでもう、駄目だった

声をあげて泣いた。喉が潰れるほど泣いた

鼻水と涙で顔をグチャグチャにして、みっともないほど、泣いた



そんな自分が、死にたくなるほど情けなかった





佐世保ドッグ

そこに停泊しているナデシコBのブリッジでは、ルリとハーリー、そしてサブロウタがそれぞれ神妙な面持ちでそれぞれ作業を続けていた

ルリは相変わらずナデシコC出撃のための根回し。ハーリーはオンラインされている情報から、今回の事件に関わりのありそうなものを徹底的に洗い出している

サブロウタの方は、少しでもルリとハーリーの作業時間を増やすために、本来二人が受け持つべき艦長と副オペレーターの仕事を片付けている

停泊中とは言っても、それは待機などといった臨戦的なものではなく、どちらかといえば休暇といってしまった方が良いほどのものだった

事実として現在ナデシコBに乗っている人間は、艦長のルリと副長のサブロウタ、そして副オペレーターであるハーリーの三人だけだった

黙々と作業を続ける三人の間には、いつものようなおちゃらけた会話はなかった

彼らが年がら年中そんなことをしている訳でもない、というのも理由の一つだったが、なによりも切迫しているはずの事態が彼らの口を閉ざしていた

統合軍と連合宇宙軍、そして火星の後継者

これらが合同で行う可能性がある、クーデター

いや、民主主義にのっとり、多数が正しいと定義するのなら、それはクーデターと呼ぶには余りに大規模で、大掛かりなものかもしれない

もし予想通り、この三者が全く同じ目的を持った上で団結し、発起するというのなら、正直、勝負はついている

だからこそ、急がなければならなかった

彼らの予定している期日がいつかはわからない。だから、一刻も早くナデシコCを使用して彼らの悪行をちゃんとした証拠と共に立証しなければならない

時間はあるのかもしれないし、自分達の予想を上回って遥かにないのかもしれない

前者であることを祈りながら、三人はそれぞれが出来る最短の速度で作業をこなしていく

宇宙軍の人間も、もはやどこまで信じられるのかわからない。今となっては、アキヤマにこのことを言ってしまったのは、失敗だったかもしれない

クーデターなどということを、あの総司令であるミスマルコウイチロウが考えるとは思えない。だが、それでも可能性はある

そして僅かでもその可能性があるのならば、決して頼るわけにはいかない

アキヤマにも、そのことは告げたはずだ・・・だが

「・・・・」

ルリは、作業をしていた手をふと止めた

目の前には、オモイカネが今よこしてきた映像がある

それは、ナデシコが今停泊している佐世保ドッグ内のものだった

右隅に時刻が表示されている。リアルタイムのものだ

そして

「っ」

余りに予想外の事態に、ルリは思わず息を詰めた

他の二人には見えないように表示されているウインドウ。その映像の中では、黒いガスマスクに特殊兵装を纏った十数人にも及ぶ人間が、ここ、ナデシコBが停泊しているハンガーへと向かって来ていた

彼らの姿を見て、ルリは即座に考えを固める

―――SAT・・・いや、レンジャー三課?

映像から見える彼らの外観には、どこの所属先も描かれてはいなかった

襟元にも、右肩にもそれらしいものは見えない。全てを黒い装甲服で覆ったその集団は、監視カメラのことなどまるで無視し、ただ物理的な抵抗のみを警戒しながら施設内の通路を進んで行く

―――特殊部隊・・・・軍の所属じゃない

ルリとて軍内にあるあらゆる特殊部隊の内情を把握している訳ではない。だが、その映像の中の彼らの持つ兵装が、彼女の頭の中にあるどの部隊とも一致しないのは確かだった

軍内に存在しない、非公式部隊

そんなものが存在できるような場所など、他に一つしかありはしない

―――連合政府直轄の特殊制圧部隊?

愕然とした。敵の手は自分達の想像を超えて遥かに広いどころの話ではない。すでにその手は連合政府の部隊を動かせる位置にまで伸びているのだ

―――連合宇宙軍に統合軍・・・・そして、連合政府

有り得ない。これでは事実上、すでにクーデターなど成功しているも同然ではないか

手を握り締める。最悪の、展開だった

もはやあちこちにナデシコCの都合をつけている場合ではない。事態は一刻を争う

敵の狙いは、おそらく自分

もちろんサブロウタやハーリー達も目標に設定されてはいるだろうが、ルリに比べればその優先度は遥かに低くなるはずだ

敵に徹底マークされている自分が逃げ切る可能性が高いか

それともその自分が囮になり、この二人を逃がす確率が高いか

考えるまでもなかった

「・・・・ハーリー君」

ルリはその映像を二人に見えないように隠すと、何気ない様子でハーリーを振り返った

「はい?」

オモイカネも、どうやらルリと同じ考えなのかもしれない。ハーリーの方には、あの映像が回っていないようだ

そのことをオモイカネに感謝すると、ルリは口を開く

「少しお腹が空いてきたので、休憩にしましょう」

「え? あ・・・・はい!」

その言葉に、ハーリーは顔を明るくさせた。口には出さなかったが、朝からぶっ通しで作業を続けていたため、実はかなり疲れていた

「じゃ、出前を頼みますね。なにが良いですか?」

いそいそとコンソールに手を滑らせるハーリーを見ながら、ルリはその視線をサブロウタにも向けた

「いえ、買ってきて下さい。サブロウタさんも一緒にお願いします」

「?良いっすけど、じゃ、なににします」

「チキンライスで」

「インスタントで良いですか?」

「ええ、お願いします」

「はーい」

嬉々として立ち上がるハーリーとサブロウタ。その二人がブリッジを出て行くまで、ルリはその背中を見送っていた

「頼みますよ。二人とも」

『戦闘開始』

呟くと同時に、オモイカネのウインドウがブリッジを埋め尽くした





『隊長。監視カメラ作動確認、発見されました』

黒い装甲服に身を纏っている男の耳元から、機械的な声が聞こえる

「わかった」

佐世保ドッグ物資搬入口。そこで部下を突入させていた隊長と呼ばれた男が、呟く

と、不意に通路の向こうから空気の抜ける音が聞こえてきた

続けて、壁が僅かばかりの振動をもって答える

「・・・なにがあった」

『隔壁閉鎖。第三から第七までの進入経路、全て塞がれました』

「プランBからDへ変更。目標に変化は?」

『赤外線映像に変化なし、Aはブリッジに残っています。BとCは移動中』

「どこへ」

『艦橋ブロックから昇降口へ』

その言葉に、男はマスクを外しているために露出している眉を、僅かばかりしかめた

「Aの確保は一班に一任、サカキバラを代理としてそのまま突入しろ。残りはBとCを追撃」

言うが早いか、彼の周りにいたほかの兵達は、すぐに彼らのマスク内に転送されている映像に映る二つの対象物へと進路を向けた

『優先は?』

「Bだ」

『了解』

その短いやり取りをしている間に、すでに男の周りには連絡用の端末を持っている兵士一人を除いて、誰もいなくなっていた

男が指示を出してからまだ五秒と経っていない。大した優秀さであった

その部下が消えていった通路の先を見つめる男

再び、鈍い振動が遠くから響いてきた

通路の先は闇に閉ざされ、その内容を伺うことは出来ない。男は耳元に手を伸ばすと、再び通信をつなげた

「詳細」

『隔壁閉鎖音』

「どこのだ」

『ドッグ内に通じる通路全てを型番通りに、基地内セキュリティーの発動も確認。第三班に負傷者二名。装備不良により戦線を離脱しました』

「・・・・今日、この基地に詰めてるのは?」

『ドッグ責任者サオトメテンブ他三名。今回の作戦については了承済みです』

「ということは、ナデシコか?」

『おそらく、先ほどナデシコの回線が開くのを確認』

「情報戦用意」

『了解』

にわかに、通信の向こうが騒がしくなった

『動作確認。データ障壁展開。敵侵攻中』

「どれだけ持つ?」

『十分前後かと』

「わかった」

頷くと、耳元にある通信機に触る。チャンネルがオープンになっていることを確認し、男は通信を直接飛ばした

先ほどまでの機密回線のように電波に迷彩を施しているのではなく、剥き出しの通信

ラジオがあれば聞ける程の、筒抜けの状態にした通信を確認すると、男は告げた

「全隊員に通達。作戦限界時間は現時刻より十二分後に設定。優先度はAからB、そしてC。撤収ルートは第五ゲート」

口元を歪める。こんな剥き出しの通信を、あの電子の妖精が拾っていない訳がない

あちらへの脅迫も兼ねたこの行動だということは向こうもわかっているだろう。だが、感情と理性は別物だ

劇的、などとは程遠いだろうが、それでも僅かばかりでもこの通信は有効なはずである

とどめとばかりに、男は言った

「確保方法は捕獲を最優先。ただし、拿捕が難しい場合に限り、各々の個人的判断で発砲を許可する」

一息吸うと、ニヤリと笑う

「逃がすくらいなら、殺して構わん」





吹き抜けていく風が、気持ちよかった

ユリカは、病室の窓から見える景色をなにをするでもなく、ただ眺めていた

開いた窓から、昼下がりの新鮮な空気が流れ込んでくる

中庭に面しているその病室の窓からは、たくさんに並んだ木々やベンチ、そしてそこでくつろぐたくさんの人間の姿が見えた

ユリカはそれを、相変わらずただ眺めている

と、不意に視界の端になにかが映った。目を向けると、その黒い人影は慌てたように木の陰へと身を隠す

それを見つめるユリカの瞳が、僅かに曇る

「・・・なにか見えるのか?ユリカ」

ベッドの脇にある椅子に座っていたコウイチロウが、不思議そうに声を掛けてきた

「いえ・・・」

その声に軽く答えると、ユリカはもう一度だけ黒い影が潜んだ木へと視線を向け、そしてそのまま窓から部屋の中へとその視線を移した

「なんでもありません。お父様」

「そうか。だが、余り風に当たるのも良くない。もう良いだろう?」

確認するようにそう言い、椅子から立ち上がったコウイチロウは、そのままベッドの傍にある窓枠へと手を掛けた

視線を向けてくるコウイチロウにユリカがうなずくと、彼はそのまま窓を閉めた

響いていた静かな喧騒が、一気に遠のいた気がした

物寂しくなった病室の空気の中で、ユリカが口を開く

「お父様も、そんなに毎日お見舞いに来なくても良いのに」

「ははは、そんなこと気にしなくても良いさ」

「でも、今朝も早くから会議があったんでしょう?それにお父様は連合宇宙軍の総司令さんなんだから」

「なに大丈夫さ。雑務は全部ムネタケ君に任せてある」

そう言って口元に微笑を浮かべると、コウイチロウはベッドに腰掛けている娘の姿を見つめた

「どうしました?お父様」

「変わったな。ユリカ」

「え?」

ニッコリと笑うと、コウイチロウは心底嬉しそうに言う

「遺跡から戻ってきてから・・・・大人になった」

「はい」

その父の言葉に、ユリカも微笑みをもって答えた

そして、そのユリカの笑顔を見たコウイチロウの顔が、笑ったまま、曇る

「すまないな・・・・・ユリカ」

その一言が、合図だった

蹴破るような勢いで開いた病室のドアから、数人の武装した兵士達が駆け込んでくる

彼らの銃口が、一斉にユリカへと向けられた

「・・・・」

その向けられた銃口を、ただ見つめるユリカ

その、動揺とは全くかけ離れた淡白な反応を示す娘に、コウイチロウの胸が痛んだ

もしかしたらこうなることなど、とっくに気づいていたのかもしれない

遺跡から解放されてからのユリカの態度は、どこか変わっていた

「・・・・テンカワユリカ」

愛娘の名前を他人行儀に呼ぶのは、凄まじい違和感だった

懐に手を入れると、そこから一枚の紙を取り出した

「A級ジャンパーであり、同時に今は民間人である君は、軍にとって危険人物とみなされた」

「・・・・そうですか」

コウイチロウの言葉にも、ユリカはただ淡々と答える

「・・・・よって、これより我々が予定している軍事行動が終結するまで、ここで我々の保護を受けてもらいたい」

「予定している軍事行動、ですか」

「そうだ。もし断るというのなら、不本意だが無理やりにでも、ここに留まって貰うことになる」

それはつまり、最初からユリカに選択権などないということだった

頷けば、この病院で保護という名の軟禁を受けるし、断ったところで、未だ歩くことすらままならない彼女一人で、一体なにが出来るというのか

どう答えようと、状況に変化などない

ユリカの口元が、歪んだ

先ほどコウイチロウが彼女に向けたのと同じように、ニッコリと笑うと、ユリカは口を開いた

「お断りします」

その、十二分に予想していた返事に、コウイチロウはため息をつく

そして、続けた

「ならば、テンカワユリカ」

目を細める

小さな時から正に文字通り目に入れても痛くないほど我が子を可愛がっていた近所でも評判の親馬鹿と、その愛を一身に受け育った、娘

親子である二人の道は、今このとき、わかたれた

「本日現時刻を持って、君の身柄を拘束する」






あとがき



久々にディズニーのダンボを見ました。泣きました。アレは反則です



こんにちは、白鴉です

上下左右敵だらけです。なんてこった

今回の話からようやっと本格的に戦闘が始まる。かもしれないです

どいつもこいつも大ピンチっていうかむしろ敗北確定な状況ですが、果たしてどうしたものか

まあ何にせよ、次回は再びアキトサイドに舞い戻ったりするかもしれず、相変わらずの予定は未定ぶりですが、どうぞお見捨てにならずに生ぬるく見守っていただけると幸いです



それでは次回で