先ほど間違えて空メールを送ってしまいました。すみません。
こちらが第六話です。


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      第6話

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  目が見えなかったわけではない

  なんの光もなかったわけでも、全くの無音だったわけでも、なにも触っていないような、フワフワとした感触しかなかったわけでもない

  薄っすらと光は見えていたし、体がなにかに当たっているような感触も覚えていた。無音というわけでもなく、風の通るような高い音が、おぼろげにだが聞こえていた

  だが、結局はそれだけ。それ以外他になにもありはしない

  腕にも足にも、体全ての細部に至るまで、一ミリたりとも動かせない。或いは一ミリ程度なら動かせているのかもしれないが、それを証明する感覚が曖昧過ぎて、どうしようもない

  こんな状態になっても、脳みそだけは働いているのが、歯がゆかった

  考え事をするしかない。だが、なにを考えれば良いのかがわからない

  自分の名前はテンカワアキトで、コックを目指していて、火星の後継者にさらわれた

  そして、そこで一緒に捕らえられた最愛の人、ユリカを助け出して、そして・・・・

  思い出せなかった。なにか大切な、とても大切な出来事があったはずなのに

  そもそもどうしてこんな状態になっているのだろうか、とうとう自分の五感が、完全に使い物にならなくなってしまったのだろうか

  こんな状態になってから、一体どれくらいの時間が経っているのだろうか

  なぜこうなる前後の記憶がないのだろうか

  疑問が次々と浮かんでは消えていき、そしてまた浮かんでくる

  同じことを考え、そして忘れ、そしてまた思い出し考える

  永遠とも思える、気の遠くなるような繰り返しを延々と繰り返す

  そして、それは不意に来た

  光が満ち、体中に篭るような鈍い痛みが走る

  音が聞こえる。懐かしい音が

  もう何年も聞いていないような気さえする、音だ

  ―――「・・・・ット君!?」

  わかってる、この声はエリナだ

  視界が戻ってきた。目も見える。その隣にいるのはイネスだ。白衣でわかる

  自分が寝ているのはベッドだ。やわらかい感触が着ている入院着越しでも伝わってくる

  「アキト君!?」

  ネルガル月ドッグの中にある医務室。アキトが目覚めた場所はそこだった

  点滴やなにかのケーブルのような配線が、体の至るところに這い回っている

  それを認めると、アキトはまだガンガンと鳴り響く頭を押さえながら、呻くように口を開いた

  「・・・・ここは?」

  完全な水分不足で、搾り出した声はガラガラだった

  「月ドッグの医務室。別に初めてじゃないでしょう?」

  近くにあった水を差し出しながらそう聞いてくるイネスに、アキトは視線をさ迷わせた

  確かにそうだった。落ち着いてきた視界に映るのは、確かにあのいつも自分が定期健診を受けている、あの医務室だった

  だが、なぜだろうか

  なにかが、この景色には足りない気がする。決定的な、なにかが

  上半身をベッドから起こすと体がグラリと揺れた。慌てて片手をついて支える

  「あまり動かない方が良いわよ。まだ新しい五感のサポートに体が慣れてないだろうし」

  「新・・・しい・・・・?」

  「あ、それは」

  慌てたように、エリナがアキトとイネスの間に割り込んでくる。その、普段とは少しばかり違う彼女の様子に、アキトの疑念がますます深まった

  なにが足りない?先ほど感じた違和感の正体は、なんだ?

  視線を巡らせる。イネスもいる、エリナもいる。ベッドはいつも通り潔癖過ぎるほど綺麗に整えられているし、イネスのさらに向こうに見える医務室の机には、自分のものらしいカルテが散乱している

  さっき、イネスはなんと言った?そう、自分の冷静な部分が告げてくる

  新しいと言ったではないか。それに、なにより・・・

  ―――覚えてるんだろう?

  心臓が脈打った。忙しない程早く、気持ち悪いくらい強く

  全身から汗が噴き出した。嫌な汗が

  粘ついた口を動かして、アキトは尋ねた

  「イネスさん・・・・」

  冷ややかとも言える視線を、イネスが向けてくる

  「ラピスは?」

  間髪入れず、答えは跳ね返ってきた

  「死んだわ」

  「!ドクター!!」

  その、余りに無慈悲といえば無慈悲なイネスの言葉に、エリナが刺す様な視線を向ける

  だが、それすら平然と受け止めると、そのまま背中を向け、近くにあったコーヒーメーカーへと歩み寄る

  「・・・・そうか」

  呟かれたその言葉に、イネスもエリナも視線を向ける

  その先にいるアキトは、俯いたまま、ただそう呟いた

  「そうか・・・・」

  無気力とも言える様子のアキトに、エリナが慌てて手を伸ばそうとして、その手を不意に、止めた

  下唇を噛み締め、震える程力の入ったその手を胸元まで戻すと、エリナはそのまま立ち上がり、部屋を出て行った

  その彼女の様子を、カップに注いだコーヒーをすすりながら、イネスはただ眺めていた

  「・・・・一つ言っておくと」

  その、まだ中身が半分も無くなっていないカップを、近くにあった机の上に置きながら、イネスは続ける

  「貴方の今の五感は、オモイカネ級のAIによってサポートされてるわ」

  そのまま足を止めることなく、医務室のドアの前へと歩み寄る

  肩越しにアキトの方に振り向くと、イネスは告げた

  「名前はアウイン。仲良くしてやってね」

  だが、それを聞いているのかいないのか、相変わらず俯いているアキトの様子に、イネスは鼻だけでため息をつく

  そして、そのまま声を掛けることもなく、踵を返して去っていった

  無人となった医務室の中で、アキトはただ俯いている

  その手に不意に力がこもり、布団を破り裂かんばかりに握り締める

  歯を砕かんばかりに噛み締めるアキトの脳裏に浮かぶ男は、ただ一人

  ―――「死んだな」

  爬虫類のような顔をした、あの男

  触れるもの全てを破壊しつくしてもまだ足りないとでも言いたげな、あの男の狂った顔

  「・・・・北辰」

  自分の大切なものを、ことごとく奪い去っていく、あの男

  ユリカを、夢を、自分の平穏な幸せを奪っていったあの男

  取り返したと思った。大切な物を、新しく手に入れた。また・・・・奪われた

  「どれだけ・・・・奪えば・・・」

  気が済むというのか

  搾り出した呟きに返る答えなど、なにもありはしなかった

  「北辰・・・・!!」









  機動戦艦ナデシコ
  『 Lose Memory 』





  『 青二才の復讐 』

   

   



  まずは、現状把握からはじめることにした

  冷静になれるはずなどないということはわかっているが、それではダメなこともわかっている

  あの男を今度こそ完全に殺すには、今までのような、焼けるような復讐の怨嗟に身を任せているだけではダメだ

  「・・・アウイン」

  イネスの言っていた、今の自分の五感をサポートしてくれているAIの名前を呼んでみる

  オモイカネ級のAIだと、イネスは言っていた。ならば、当然オモイカネと同じように、人間程とはいかないだろうが、簡易な人格を持ち合わせているはずだ

  返事が返ってくるのには、二呼吸ほどの時間を要した

  『初対面』

  空間に浮かんだウインドウの言葉の意味を理解するのに、アキトはさらに三呼吸ほど要した

  「ああ・・・初対面だな・・・よろしく頼む」

  『了解』

  アウインのウインドウにそう答えながら、アキトは両手を確かめるように開閉する

  「!」

  その、なんの違和感もないスムーズな動作に、思わず息を飲む

  そのほかのあらゆる感覚を試す。痛覚も触覚も、聴覚もなにもかも。ラピスのサポートを受けていたときよりも、遥かに良好だった

  愕然とする

  「・・・・は・・・はは・・・・」

  喜ぶべきことだ。これだけ五感が持ち直せば、北辰を倒すのに途方もないほどの有利な材料になる。喜ぶべきだ。そう思う。なのに

  震える瞳から零れ落ちたのは、紛れもない涙だった

  「はは・・・は・・・はは」

  泣き笑いの顔を浮かべながら、アキトは膝を折る

  土下座をするような格好で床にひれ伏しても、アキトの嗚咽は止まらなかった

  『ヒステリー?』

  アウインのウインドウにも、アキトは答えない

  ラピスよりも優れている、補助AI

  何故だろうか、何故もっと早くこうしてくれなかったのだろうか

  「お前が死ぬこと・・・・なかったんだ・・・・ラピスゥ!!」

  あの少女よりも優れたサポートが可能なAIがあるのなら、なぜもっと早く教えてくれなかったのか

  そうすれば、あの少女が死ぬことなどなかったのに

  死ぬ必要など、なかったのに・・・・

  いや、それよりも

  ラピスの代わりが、あっさりと見つかった

  その事実が、なにより悔しかったのだ

  そうやって、忘れ去ってしまうのだ。代わりが現れ、そのときにどれほど悲しまれたとしても、忘れ去られて、消えていく

  誰のせいでもない。それが人間であり、生き物なのだから

  イネスやエリナを恨む気には、なれなかった

  もうこれ以上、誰かを恨む気には、なれなかった

  「ああ・・・」

  ならば、覚えていよう

  他の人間達が忘れてしまったとしても、あれだけラピスを慕っていたこの月ドッグの人間達ですら、忘れるときがきても

  自分が、覚えていよう





  「っ!!」

  刹那、並走していたハーリーの頭を鷲掴みにすると、サブロウタは物陰へと勢い良く飛び込んだ

  直後、その先ほどまで自分達がいた場所に銃弾の雨が降り注ぐ。あっという間に床がえぐれ、そこに無数の穴を持ったクレーターが完成する

  弾道からして足を狙っているらしいが、これほどの密度で撃たれれば、それこそ足が丸ごと使い物にならなくなりそうなほどの量だ

  殺す気はないようだが、その分、死ななければ自分達がどうなろうと構わないのだろう

  即座にそう判断すると、サブロウタは未だ目を白黒させているハーリーの手を引っ張り、再び通路の奥を目指して走り出した

  「サ、サブロウタさあん!!」

  やや遅れて続くハーリーが、必死の形相で問いかけてくる

  「なんなんですかこれえ!?」

  「俺が知るか! 畜生、どうやら艦長に一杯食わされたらしいな!」

  「艦長があ!?」

  通路を右折する。新たに放たれた銃弾が、再び壁を抉った

  その事実に頭を抱えると、ハーリーは半泣きになりながら、前を行くサブロウタへ大声で問いかけた

  「艦長があ!?」

  「二回も叫ぶなバカ! つまり俺らを逃がすために、艦長がわざと昼飯の買出しなんて頼んだってことだ!」

  「ええ!?」

  サブロウタの叫びにギョッとすると、ハーリーは慌てて急停止を掛けた

  「は、早く艦長を助けないと!」

  「ブアアアカやろおおおお!!」

  止まったハーリーの襟首を掴むと、全身全霊の力を込めてサブロウタが前へと放り投げた

  そのまま放り投げたハーリーを、走りながら床へと軟着陸させ、再び強引に走らせる

  「な、なんでですか!? 艦長殺されちゃいますよ!」

  「人の話聞いてなかったのかお前は! 今の状態で俺らが助けに戻ったってなんの役にも立ちゃしないんだよ!」

  「っでもっ!!」

  尚も言い募ろうとするハーリーに、サブロウタは苛立たしげに頭を掻いた

  「良いかよく聞け! 敵の狙いがなんなのかは知らねえが、艦長は無事だ。少なくともすぐに殺されることはありえねえ!」

  言いながら、通路を右折する。そろそろドッグの非常口が見えてくるはずだ

  「なんでそんなことが言えるんですか!?」

  「艦長が電子の妖精だからだ! 世間に対する知名度も好感度も断トツナンバーワンの軍人を、おいそれとは殺せねえよ!」

  非常口が見えてきた。どうやら先回りも、封鎖もされていないようだ

  ―――艦長か、さすがだな

  手口や相手の手際の良さはわからないが、なんせ軍か政府が電子の妖精の捕縛に駆り出すような部隊だ。相手はおそらく精鋭中の精鋭だろう

  そんな連中が、非常口を押さえておくという基本的な手法を忘れるわけがない。おそらくルリがなんらかの方法でここに待機していたはずの人間を引き剥がすか、撃退したのだろう

  非常口を駆け抜ける。随分と長い間出ていなかったドッグの外は、昼間だった

  小高い丘のような山に作られた佐世保ドッグの、南口

  辺りを覆っているほとんど森のような状態の木々の真ん中を切り裂くように作られている道路

  そこを真っ直ぐに下っていけば、麓の町に出る

  走り詰めだったために切れている息を整えながら、サブロウタは横目でハーリーの様子を盗み見た

  その少年は、限界に近いのだろう。ボタボタと汗を流しながら、それでも未だに気掛かりなのか、先ほどから盗み見るように、自分達が抜け出てきたドッグの入り口へと目を向けている

  「大丈夫だっての」

  その垂れた頭に手を置きながら、サブロウタは言う

  「・・・・そうでしょうけど」

  渋々といった調子で視線を入り口から外しながら、ハーリーも答えてくる

  ようやく頭がきちんと回り始めたのか、ハーリーにもこの状況が把握でき始めているようだ。先ほどまでのように喚き立てたりはしない

  その事実に安堵すると同時に、サブロウタは足を森を突き抜けている道路へと向けた。これ以上休んでいる暇はない

  「これからどうするんですか?」

  「・・・・そうだなあ」

  正直なところ、決めあぐねていた

  こうして自分達が襲われたということは、もしかすると元ナデシコクルーの人間にまで、その手が伸びている危険性がある

  それならば助けないといけない。だが、正直自分達にそんな余力があるかといえば、甚だ疑問である

  助けるどころか、こちらが助けてもらいたいような状況に違いはないのだ

  ドッグの中では、ルリがサポートをしてくれた、だがここからは、完全に自分達の力だけで切り抜けなければいけない

  武器らしい武器は、懐にある拳銃一丁。これが今後の自分達の、唯一にして最後の武器だ

  あんな完全武装を施している連中にこんなものが通用するとも思えないが、なにもないよりは遥かにマシだ

  昼下がりの日差しが差し込む道路を歩きながら、思案に耽る

  このまま街に出て、どこかしらに潜伏するのが第一だろうが、なにより最初にこの服装をどうにかしないといけない

  勤務中に襲われたということもあり、サブロウタもハーリーも軍服のままだ。このままでは、街に出て雑踏に紛れたとしても、返って目立ってしまう

  幸運なことに、ポケットには財布が入っている。普段の不真面目な勤務姿勢が幸いした

  「うし」

  服を着替えるという、取り合えずの目標を定めると、サブロウタは自分を鼓舞するように小さく声を漏らした

  「ハーリー。取り合えず街に―――」

  言葉は、そこまでだった

  背後にいるハーリーを振り返った視界の中で、それは見えた

  こちらへ目を向けてくるハーリーの向こう。森の中にある小さな点が、太陽の日差しを跳ね返して輝いた

  それを見つけられたのは、偶然以外の何者でもない

  銃口だった

  それを悟った後のサブロウタの行動は早かった。ハーリーに体当たりをかまして彼を突き飛ばすと、サブロウタはそのまま、自分も同じように体を横に投げ出した

  だが、一瞬だけ遅かった。すでに放たれていた銃弾はそのまま突き進み、サブロウタの右ふくらはぎを直撃した

  「づっ!」

  激痛に思わず悲鳴を上げそうになるが、驚異的な自制心でそれを喉の奥に押し込むと、サブロウタはそのままハーリーを道路へと突き飛ばした

  「行けっ!!」

  まだなにが起こっているのかわかっていない様子のハーリーに向かって、歯を剥いて叫んだ。後ろから、重々しい足音が聞こえてくる

  「街に行け!」

  おそらく、サブロウタの言葉を理解した上での行動ではなかったのだろう

  単純に、誰か近しい人間が撃たれたという事実に、ハーリーは後ずさった

  「行けっ!!」

  サブロウタの、普段ならば絶対に見せないようなその酷く真剣な声色に、ハーリーは怯えるように背後を振り向き、走り出した

  そのハーリーの足元の一点を、赤い標準光が照らす

  その光を遮って、サブロウタは即座にハーリーとその光の間に己の腕を割り込ませた

  背後からの気の抜けるような音と共に、自分の腕を銃弾が直撃する

  焼けるような痛みが、右腕を支点に全身を突き抜けた

  血が舞い踊る。振り上げたその腕が、その勢いのまま一瞬だけ宙を踊り、力尽きたかのように落下した

  もう、動かない。幾ら力を入れても、その腕はなんの反応もよこさなかった

  だがサブロウタは、そんな状態になっている自分の腕に、視線すら送らなかった

  彼が見つめる先には、すでに遠く影となりつつある、ひとりの少年の後姿しかない

  残った、無事な左腕を懐に押し込むと、そこに仕舞い込んでいた拳銃を引き抜く

  先ほどまでは、これが最後の手段であると思っていたこれを、こんなに早く使うことになるとは思わなかった

  追いついてきた重々しい、何十もの足音が、自分を取り囲む

  その中の何人かが一斉に、右腕を落とし地面に倒れ込んでいる自分へと銃口を向ける。撃つ気はないらしい

  そして、残りの十数人が、そのままサブロウタの横を通り過ぎ、ハーリーを追おうとさらに追跡の足を踏み出そうとした、その瞬間

  一発の銃声と共に、その中の一人が突如、足首を押さえて呻きながら倒れこんだ

  その場にいた全員の視線が、なにごとかとその倒れ込んだ人物へと注がれ、そして一瞬の後、その視線がサブロウタへと向く

  彼が差し出している左腕の中にある、硝煙を上げている拳銃へと

  みなの視線が自分に向いていることを確認すると、サブロウタはその口元を楽しそうにゆがめた

  「へへ・・・・」

  右ふくらはぎと、そして右腕から血をダラダラと流しながら、それでも笑って、言った

  「・・・・・行かせねえよ。バカヤロウ」

  その直後、首元へ叩き込まれた衝撃によって、サブロウタはその意識を手放した





  「隊長、Bの確保に成功しました」

  佐世保ドッグ南口

  そこから出てきた隊長と呼ばれた男が、目の前に転がされているサブロウタへと目線を下げた

  両腕と両足を鉄製の拘束具で封じられているサブロウタは、多量の出血のためか、意識がない

  それを確認すると、男は彼を取り囲むように控えている男達へと視線を向けた

  「Cはどうした?」

  「逃走中です。街に逃げ込まれてしまったため、追跡は中止しました。待機させていた私服班が足取りを追っています」

  その一言に、男は苛立たしげに顔を顰める

  「発見し次第連絡しろ」

  それだけ告げると、もう用はないとばかりにサブロウタへと再び顔を向け、続けてそこから見える場所に位置している一台の宅配便の車をアゴで示した

  「撤収だ。運んでおけ」

  「Aの確保は?」

  「たった今済んだとサカキバラから連絡があった。予定通り第三刑務所に輸送する」

  言いながら、男はその足を偽装していた宅配便の車へと向ける

  その背中に、再び隊員の言葉がぶつかる

  「・・・・隊長」

  「なんだ」

  その返答に、その質問を発したまだ歳も三十半ばの男が、躊躇うように間を置く

  が、思い切ったように顔を上げると、まるで周りに控えている隊員達の代表であるかのように、その質問を口にした

  「今回の任務。どう思われますか」

  その言葉に、男の足が止まる

  その挙動にビクリと身を震わせたその隊員だったが、それでも尚、続けた

  「自分は、正直納得出来ません」

  「職務放棄か?」

  「いえ、仕事はします、しました。ですが、なぜこのような強引な手段で、ホシノルリとその一味を確保しなければならないのでしょうか」

  肩越しに目だけを向ける隊長

  「打ち合わせの時に言っただろう。彼女らは統合軍、及び宇宙軍データベースへの不正アクセス、そして凍結中のナデシコCの無断使用を目論んでいた」

  「それが、我々の動く理由に、本当になるのでしょうか」

  自分達は軍人ではない。形態は確かに似ているかもしれないが、自分達はあくまで連合政府直轄の特殊部隊であり、間違っても今回のように、軍規違反を起こした軍人の確保に出てくるような部隊ではない

  おまけに、このような武力行使をして身柄を確保するなど、自分達は見たことも聞いたこともない

  軍施設内の無条件発砲とほぼ同義な命令。今回の作戦に支給された、電子の妖精の進入を十分以上もの間退けた、異常とも言えるほど高性能なデータ障壁を伴った端末

  有り得ない、異常だ

  もはや疑う余地すらない。この作戦の背後では、余りにもきな臭いなにかが蠢いているのではないのか

  隊長なら、それを知っているのではないのか

  その隊員の目は、そう物語っていた

  自らの職務にプライドを持っていなければ、血反吐を吐くような訓練に耐え、この部隊に入ることなど出来ない。そういう意味では、この部隊の隊員の思考は、まるでロボットのように統一されている

  目の前のこの男がそう思っているのなら、おそらく隊の人間全てがそう思っているだろう

  そう察した男は、体ごと向きを変えその男と向き直った

  その挙動に、再び質問を発した男がビクリと震える

  だが、そんなものなど欠片も気にしていない様子でさらに距離を縮めると、ほとんどにらみ合うような距離で、足を止めた

  怯えながらも、それでも拭いきれない不審をその目に乗せている男

  良い部下だ。と、心の中でだけ苦笑すると、隊長はそのまま右手を握り、男の顔面を殴り飛ばした

  訓練されているはずのその隊員すら一瞬の反応も寄越せないほどの速度の一撃

  それによろめき、背後に一歩を踏んだその隊員の襟首を万力のような力で締め上げ、男はその顔をにらみつけた

  「タカギよお」

  自分の名を呼ばれ、その隊員は手放しかけた意識を猛然と取り戻したかのように、その隊長へと目を向ける

  その双眸に浮かんでいる恐怖感と、そしてそれと同じくらいにまだ尚引く気のない強い意志が伺えるそれを覗き込みながら、男はさらに掴んでいる襟首に力を加えた

  その余りに強烈な締め上げに、タカギが苦しそうに、空気を求めて口を開く

  だが、そんな様子など歯牙にもかけず、言う

  「俺らは兵だ。手だ、足だ」

  聞いていないかもしれない、それどころではないかもしれないそのタカギから視線を外すと、男はその背後に佇んでいる、自分の行動を止めようか悩んでいる様子の他の隊員達を睨みつけた

  「俺らはそういう部隊だ。考えるなんて贅沢なことがしたけりゃ、もっかい大学にでも入り直して真っ当な仕事に就きな」

  決して荒げているわけではない、声量にしてみればただの会話と大差ないようなその言葉に、だが彼を取り巻く男達は、初めて父親に本気で叱られている小学生のように、完全に萎縮しきっている様子だった

  第三者が聞けばどうということのない言葉だが、少なくとも彼らにとってはそれほどの重みと威圧感が伴っている

  鼻息荒く、危うく意識を手放しそうだったタカギを地面に放り投げるように開放すると、今度こそ踵を返し、車へと向かう

  背後から、未だに拭いきれない恐怖を纏った隊員達の視線を感じるが、振り返る気にもフォローをする気にもならなかった

  考えるのは、頭の仕事だ。思考放棄と言われても仕方がないような考え方だが、この世界ではそれが普通であり、どうしようもない常識なのだ

  自分のしていることに疑問を持ち始めると、下手をすると人すら殺さなければならないことがあるこの仕事など、やっていけるわけがない

  だが、それでも頭の片隅でその思考に耽る自分は、つくづく向いていないと思う

  親は子に似るというが、どうやらそれは本当のようだ

  いつまでも青いままの自分と、そしてその部下達をなんとも複雑な気分で吟味しながら、男は宅配便の偽装を施している車に乗り込んだ





  わからなかった。なぜこんなことになっているのか、全くわからなかった

  自分達がしていたことは、ナデシコCを上層部に無断で使おうとしていたことで、そしてその前に統合軍のデータベースに不正アクセスしたことで、そしてそこから統合軍や火星の後継者の残党がなにかを企んでいることを察して

  そして、ルリに聞かされた説明で、そこに実は連合宇宙軍も入っているかもしれなくて・・・・

  あの訳のわからない連中は、火星の後継者の残党なのだろうか、それとも統合軍の手の者なのだろうか

  だが、それならばなぜ、佐世保ドッグの中であんなに派手な銃撃戦が出来たのだろうか

  ドッグには、警護の人間もいるはずだ。もしかしたら彼らは、その人間すら殺したのかもしれない

  それとももしかしたら、すでに連合宇宙軍全体が敵で、自分達以外の軍人は全員敵へと寝返っているのかもしれない

  考えられないことだ、だが、他に自分達があんなことをやっていたと知っている人物など、一人しかいない

  アキヤマだ、彼以外に自分達が統合軍のことを調べていることを知っている人間などいない

  脳裏に、そのアキヤマの顔が浮かぶ。付き合いこそほとんどなかったが、少なくともハーリーには、彼がそんな、火星の後継者に手を貸すような人間には見えなかった

  だが、その彼は、自分達を裏切った

  もはや自分の感覚など、信じられない。もうそんな、甘ったれた自分の常識が通用するような状況ではなくなってしまっている

  ―――サブロウタさん

  彼が、自分を庇って撃たれたのは理解していた

  そして、こうして自分を逃がすために、さらになにがしかの怪我を負っただろうことも、ハーリーには想像がついた

  撃たれた彼を前にして、自分はなにをした?

  みっともない程うろたえ、彼の気迫に押されて逃げた

  最悪だ。ちっぽけな胸の中を、自己嫌悪の嵐が吹き荒れる

  路地裏の片隅で、ハーリーは膝を抱えてうずくまっていた

  本来なら、人込みの中に紛れ、電車かなにかを使ってこの街を出て、信頼の置ける人間に助けを求めなければならない。だが、何百メートルにも及ぶ全力疾走の後、破裂しそうな心臓を引きずってこの場に座り込んでから、どうしても足が動かなかった

  随分と時間が経っているように思う。現に、あれほど暴れ狂っていた呼吸も鳴りを潜め、掻いていた大量の汗すら引っ込んでしまっている

  だが、それでも、動けない

  理由なら幾らでもつけられる。これほど時間が経過した以上、相手もまさかまだ自分がこの街に留まっているとは思っていないだろうから、ひょっとしたら裏を掛けることになるかもしれない

  人込みに紛れ込みたいのだが、あいにく今着ているこの服は軍服だ。確かに街には基地から買出しなどのために出てきたそういう人間もいるだろうが、ハーリー程の年齢で軍の制服を着ているというのは、目立ってしょうがない。これでは人込みに紛れるどころか、逆に見つけてくださいと言っているようなものだ

  だが、そんな言い訳など酷く虚しい空回りだということは、誰よりもハーリーが自覚していた

  単純に、怖かった

  一歩でも動けば、その衣擦れの音を聞きつけて、あの黒い装甲服の人間が襲い掛かってくるような気がして、しょうがなかった

  うずくまって動けない今も、三秒に一度はチラチラと周囲の様子を盗み見てしまう

  泣けてくる程臆病な自分が、心底情けない

  あれからどうなっただろうか。少しでも気を紛らわせようと、ハーリーはルリとサブロウタのことを考える

  だが、その思考とて結局はどうしようもないほど恐ろしい結論に達してしまうのだから、なんの意味も持たない

  そのときだった。磔にされたように動けないハーリーの耳に、なにかの足音が聞こえてきたのは

  顔を跳ね上げる。心臓の鼓動も爆発的に早まった

  抱えていた膝を慌てて地面に降ろし、近くにあった物陰へと隠れる

  心臓が、口から飛び出しそうだった

  声が聞こえてくる。若くない、しわがれたような声だ

  老人の声。その事実に一瞬だけ気を緩めそうになるが、その油断を首を振って取り払う

  こんな路地裏に来る様な人に、ろくな人間がいるわけがない。ましてや老人がこんな人気のない暗い場所に現れるなど、明らかにおかしい

  良く耳をすませてみると、どうやら話し声は老婆と老人の物のようだ。なにを話しているのかは聞き取れないが、こちらに近づいてくる気配がある

  ハーリーは、さらに物陰へと体を押し込めると、息を殺した

  軍服の内ポケットにある、拳銃の感触を確かめながら





  格納庫は、大騒ぎだった

  葬式が終わってから、皆の態度は少しだけ変わった

  今まで、意気消沈し、ロクに仕事もしなかった彼らだったが、それがまるで人が変わったように、180度変化した

  働く。良く働く、ラピスが死んでから働かなかった分を差し引いても余りあるほど、彼らはまるで取り付かれたように働いた

  それは葬式を行った本来の目的を達成できたと言えるのかもしれないし、或いはラピスとの別れや、彼女の死を受け入れたというよりも、彼らの思考ベクトルが、動かずに色々考えることよりも、動いて色々なことを考えないようにする、という方向に動いたからなのかもしれない

  それは単に、ラピスの死を受け入れるという問題の先送りというわけではない。受け入れるとかそれ以前に、ただ皆ラピスのことを忘れようとしているように見える

  少なくともクラシキには、そう見えた

  悪いこととは言わない。それに実際には、忘れようとしているというよりも、縛られない程度にラピスとの思い出を軽くしようというのが、本当だろう

  きっとそれには、他のことを考えないようになにかに夢中になって、時間が過ぎるのをひたすら待つのが、一番良いのだ

  ただ、クラシキはどういう訳か、そういう気分になれなかった

  整備班のみならず、この月ドッグにいる人間の中では飛びぬけて若いから、こんなにも感傷的なのかもしれない。他の人間よりも割り切るということを、知らないのかもしれない

  そして事実としてクラシキという若者は、良くも悪くも青かった

  「・・・・オヤッサン」

  格納庫の中央で指示を飛ばしていたセトに背後から声を掛ける

  その言葉に、セトは振り向くことなく答えた

  「どうした」

  「・・・・ちょっと、良いっすか」

  「あん?」

  振り返り、訝しげに眉を寄せるセトに、クラシキは思い切って告げた

  「・・・・ブラックサレナのシュミレーションデータ・・・・貰えませんか」

  その一言に、セトは絶句した

  「シュミレーションルームで、待ってますから」

  そんな自分の上司を置き去りにして、クラシキはそのまま振り返ることなく、格納庫を出て行く

  その姿が扉の向こうに消えて、初めてセトは我に返ったように目を瞬かせた

  シュミレーションデータ。それはシュミレーションルームでパイロットが自機の操縦の練習をするときに入れる、自分の機体データのことを指す

  量産機ならばこの月ドッグにあるシュミレーションルームのシュミレーターに入っているが、ブラックサレナなどのように、非公式、或いは個別にチューンナップが異なるような機体の場合は、それぞれのパイロット、或いは整備班の責任者をそれを管理することになっている

  そんな物を欲しがるということは

  「・・・・はあ」

  あの男は、まだ若すぎる。二十代前半ということも理由になりそうではあるが、おそらくあの性格はクラシキ本人の素養だろう

  やりたいように、気の済むまでやらせてやろう。おそらくそうでもしなければ、あの青二才は納得しないだろう

  セトはそう結論付けると、頼まれたそのデータを取りに行くために、ゆっくりと歩き出した





  これは復讐だ、クラシキはそう考える

  ラピスを殺されたことに対する、復讐だ

  我慢出来るわけがない。殺されたのだ。あの少女は、なんの罪もないあの少女は、殺されたのだ

  理不尽だ。有り得ない。このまま黙って終わることなど、有り得ない

  クラシキの脳裏に、つい先日行われた葬式で、みっともなく泣き叫んだ自分の姿が浮かぶ

  それを振り払うように頭を振ると、クラシキは目の前を睨みながら、廊下を進む

  この復讐は、誰にも譲れない

  誰か別の人間が彼女の仇を殺しても、自分はきっと納得できない

  こんな復讐を、誰かに委ねる訳にはいかない

  例えそれが、彼女のもっとも大切な人間であった、あのテンカワアキトであったとしても・・・・





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  あとがき



  しまった 状況が 悪化したぞ



  こんにちは、白鴉です

  頑張るヘタレは、良いヘタレです。

  頑張ってる時点でヘタレじゃないかもしれませんが、まあそういうことです。

  しかし暴走しやがりましたよ、あの方は。最初はただの変態のつもりだったのに

  まあ、なんとかなると思います・・・思いたいです



  それでは次回で