第8話





「・・・はあ」

窓が一つしかない、その狭っくるしい部屋で、ハルカミナトはため息をついた

視線を前に向ければ、そこに見えるのは鉄格子

そしてそのさらに向こうに、同じような部屋に放り込まれている、シラトリユキナの姿が見える

ここがどこか、ミナトは知らない。放課後、いつものように職員室で成績の悪い生徒の処遇をどうするか頭を悩ませていたところに、なんの前触れもなく現れた謎の黒い制服集団にいきなり身柄を拘束され、こうしてここに放り込まれたのだ

一応その集団のリーダーらしき男が、逮捕礼状とかいう薄っぺらい紙と、自分に掛けられている嫌疑を言葉で説明していたが、抵抗することに終始していたミナトは、そんなことなど全く聞いていなかった

この独房に放り込まれてから、二日が過ぎた

一緒に職員室にいた教師達も、余りに突然の事態になにが起こっているのか分かっていない様子だったが、おそらく自分はもうあの高校では教師など出来ないだろう

「・・・・無職かあ・・・・困ったなあ」

「え? なになに?」

なんとなく呟いた独り言に、暇を持て余していた様子のユキナが目ざとく答える

この状況でも相変わらずのマイペースを貫く彼女に苦笑する

「もう話したでしょユキナ。私の教師人生のことよ」

「え? ミナトさんその歳でプー太郎!?」

ユキナへと返したはずの言葉に、その隣の牢に入っているヒカルが目を輝かせる

他にも、ミナトの見える範囲にある独房には、ウリバタケやリョーコの姿も見える

ここに集まっている人物五人は全員、元ナデシコの主要クルーだった

姿が見えないルリやサブロウタ、そしてハーリーやジュンも、おそらく自分達とは別のところに閉じ込められているのだろう

イズミは、リョーコとヒカル曰く、また旅に出ているらしい。捕まっているかどうかはわからないが、おそらく逃げ切っているだろう。なんとなくそんな気がする

「あーでもどうしようかなあ。昨日から原稿全然描いてないから、締め切りに間に合わないよお」

ヒカルが鉄格子に縋りながらため息をつく。彼女はミナト達と違い、昨日ここに連れてこられたばかりなのだ

敵も、一介の女子高生と女教師、それに一兵士と一ジャンク屋よりも、人気漫画家の方がなにかと手間取ったのだろう

「はあーどうしよ。また担当さんに怒られるー」

「大丈夫よヒカルさん、こういう場合の謎の組織の人達って、そういう人達にもキチンと話を通してたり影武者とか用意してたりするじゃない」

「おーなるほど鋭いねユキナちゃん、それであれよね。命からがら逃げ出して家に帰ったらもうそこが引き払われてたりするのよね」

「そうそう、で、なぜかマンガの方はちゃんと連載されてたりするの。自分は描いてないはずなのに! ってなるのよ」

「うあー陰謀よね陰謀よねそれって! で、それを見た私が―――」

「あーもう、うるせー!!」

嬉々として話し始めたヒカルとユキナの間に、リョーコが割り込んだ

今にも噛み付かんばかりの形相で、鉄格子を握り締め二人を睨む

「ぶー良いじゃんリョーコってば、どうせやる事ないんだし」

「だったらもうちょっと静かにしろってんだよ!」

「ぶー」

口を尖らせ、渋々声量を落とす二人

その二人の様子をちらりと横目で見たミナトが、鼻息荒く簡易ベッドへと突っ伏すリョーコへと声を掛ける

「それにしてもリョーコちゃん、ここに来てからずーっと寝てばっかりだけど、どうしたの?」

「ん? ああ」

寝転んでいた体を起こし、リョーコはベッドに座りなおした

「体力蓄えとかねえと、いざという時に動けねえからな」

「? いざというとき?」

「決まってんだろ」

なにを当たり前な、という表情で、リョーコは告げた

「助けが来たときだよ」

その一言に、ミナトは一瞬呆然とした

ナデシコのクルーほぼ全員が捕まっているこの状況で、一体誰が助けに来るというのか

確かに、ミナトが捕まっていることを確認しているクルーはここにいる人間だけだが、学校にまで乗り込んでくるような連中が、他の、おそらく自分達よりも遥かに重要視しているだろう人間、例えばルリやユリカの身柄を押さえていないとは、思えない

「それって―――」

「きゃー!ありえるありえるう!!」

ミナトとリョーコ、そして押し黙っていたはずのウリバタケですら吹っ飛ぶような、甲高い声が辺りを貫いた

声を抑えていたはずのヒカルが、興奮の余りについ声を荒げたのだ

「ヒカルー!!」

リョーコの罵声が、第三刑務所の地下牢に響き渡った








機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 少年と犬、理想と現実 』

 

 





「これって・・・・」

余りに不測の事態に、ハーリーは思わず呟いた

目の前にある光景を中々認めることが出来なかった

考えていなかった訳ではないのだ、考えていなかった訳では、だが

この老夫婦と話している内に、いつの間にかその可能性を忘れていた自分がいた

それは単純に、わずかなりとも親しくなった人間が、自分を裏切る可能性を考えることを、無意識の内に拒絶していたからかもしれない

また、自分は同じことを繰り返してしまったのだ

「・・・・おやー?」

老人が、首を傾げる

「おめえさん、タケ坊のところの人かい?」

―――え?

その一言に、ハーリーは僅かに呆けた

目を後ろに向ければ、老婆も同じように、首を傾げている

その二人の態度に、ハーリーの困惑はますます深まった

―――違う?

この人達が、呼んだのではないのか?

事態が掴めずオロオロとするハーリーを差し置いて、その玄関に立っている黒い装甲服に身を包んだ三人の内の、真ん中の中年が口を開いた

「我々は連合政府の者です」

「!」

その一言に、ハーリーは思わず顔を向ける

「・・・・連合政府?」

確かめるように呟く

間違いない、目の前のこの男達は、昨日佐世保ドッグを、自分達を襲ってきた連中だ

あんな悪趣味な全身黒尽くめの連中など、他にいないはずだ

その彼らが、連合政府?

有り得ない。ルリが言っていたことと、明らかに異なる

統合軍も火星の後継者も、もしかしたら連合宇宙軍も、クーデターを狙っていたのではないのか

クーデターとはなにか、決まっている。現政府のトップを、その組織内の一部が不当な武力で駆逐し、新たな指導者、あるいは政府を押し立てることだ

だが、今目の前にいる連中は自分達を連合政府の人間だと言う

一般人にそこまでおおっぴらにそう告げるのだ。おそらくこれは連合政府の総意。正式な決定だ

「我々は、そこにいる少年をとある容疑で追っている者です。どうかご協力を」

僅かに頭を下げると、目の前にいる老人を押しのけようと肩に手を掛けた

だが

「?」

動こうとしない老人に、その男は訝しげに眉を潜めた

老人は、男の腕力に負けないように、横にある下駄箱へ足と腕を突っ張ってつっかえ棒にしている

「御老人、我々は連合政府の要請でここに来ています。それを妨害しようとしている貴方の行動は、立派な犯罪です」

さらに力を入れて来た男に、老人は懸命に抗いながら、首を向けてきた

「なあ、お前さんよ」

「え?あ、はい」

「御老人!!」

怒鳴る男の存在など無視して、老人は尚も言葉を続ける

「こ奴らの言っとるこたあ、本当かい?」

「・・・え?」

その老人の口元に薄っすらと浮かぶ笑みを見て、ハーリーは悟った

この目の前の老人は、自分をかばってくれている。かばおうとしてくれている。

と、不意に、視界の隅に老婆の不安げな顔が見えた

「あ・・・」

なにを言って良いのかわからず、ただ立ち尽くすハーリーに、老婆は頬に手を添え、残念そうに告げた

「貴方研究所から逃げてきたタイプだったの・・・・・落ちてきたんじゃないねえ」

「ち、違います!」

この期に及んでとんでもないことを言う老婆に、思わず突っ込みを入れる

と、そんな二人の前で、老人が声を荒げた

「どうなんじゃ!?」

「!!ち、違います!!」

老人の迫力に、思わず答えてしまった

しまった、と、ハーリーは思った

これで、この老夫婦は自分達を庇おうとする。それはダメだ。この人たちまで巻き込むわけにはいかない

「・・・聞いたか? お前さん」

目の前の、相変わらず老人の肩に力を入れている男へと、彼は向き直った

「あいにくこの子はワシらの甥での、二日ほど前からここに泊まっとるんだ」

疲れてきた顔に、それでも笑みを貼り付け、老人は告げた

その態度に、今まで出来るだけ穏便に過ごそうと思っていた三人の男の表情が、険しくなる

「御老人、余り我々を困らせないで頂きたい。彼は先日我が政府に対して重大な反逆行為を行ったのです」

今度こそ老人を押しのけようと、男はズイと体を前へと乗り出してきた

だが、それに老人は突っ張っている腕にさらに力を込めて抗う

「だから知らんと言っとろうがあ・・・・この子はワシらの甥じゃあて」

「そうよ? 名前はポチ」

「犬じゃろそれじゃ!」

背後にいる老婆の言葉に叫ぶと、老人は告げる

「名前は・・・・名前はのお・・・・えっと・・・・フ、フランチーヌ=三平=シルブプレじゃ!!」

その老人の言葉に、今度は老婆が叫ぶ

「何人よそれ!」

「やかあしいわポチよりは万倍マシじゃ! 人類じゃ!」

その老夫婦のやり取りに思わず呆然としていたハーリーと、男達

だが、ハッとなった男が、自分達がコケにされていると思ったのか、今度はハッキリと怒りの表情をその顔に浮かべ、老人を突き飛ばした

「ぐっ」

さすがにこれには屈した老人が、ハーリーの方へと倒れ込んでくる

それを慌てて受け止める。と、間髪いれずに、自分のコメカミになにか硬い感触を押し付けられた

拳銃だった

その冷たい銃口に、ハーリーは思わず身を固めた

「・・・・マキビハリ君」

遊びは終わりだ、とでも言うように、そのハーリーへと向けられた声色は、明らかに先ほどまでの丁寧な口調のそれではなかった

「同行してもらおうか」

思わず、息を呑む

脂汗が頬をつたった

「・・・・ねえ、貴方」

老婆の声に、視線だけを向ける。体は、動かなかった

ハーリーと、まだなにかあるのかとでも言うように威圧的な視線を向ける男達を無視し、自分の伴侶である老人が突き飛ばされたことなど意にも介していない様子のその老婆は、相変わらず頬に手を置いたまま、告げた

「マキビハリ君って言うの?」

この老婆はボケているではないか、ハーリーは本気でそう思った

「・・・・はい」

チラチラと突きつけられた銃口を盗み見ながら、それでもハーリーは答えた

その返答に満足そうに頷くと、老婆は両手をポンと合わせた



「じゃあ、ハーリー君ね」



その一言に、ハーリーは目を見開いた

なぜだろうか。そのとき、自分をそう呼んでくれていた人達の顔が、次々と頭をよぎった

自分を逃がしてくれた人たちの顔が、次々と頭をよぎった

自分をそう呼び、そして今おそらく、この目の前の連中の仲間に、不当な拘束を受けているだろう彼らの顔が、次々とよぎった

考えるよりも先に、口が動いていた

「・・・・そうです」

自分は、子供だ

泣き虫で弱虫で、ちょっとなにかあるとすぐに逃げ出す子供

「僕は・・・・」

自分のために撃たれた仲間を前にして、助けるどころか逃げ出すような、どうしようもない子供

「・・・・僕は」

いつもからかわればかりで、好きな人に好きだと伝えることも出来ない子供

憧れの人の危機ですらなにも出来ない子供

銃口を突きつけられ、なにも出来ずただ震え上がっている子供

だが

それだけで、終わるつもりはない子供だ

「僕はマキビハリ!」

頭突きをぶち込んだ。銃口に向けて

ハーリーの余りに予想外の行動に、思わず銃口を突きつけていた男の手から、それが零れ落ちる

それを素早く拾い上げると、慣れない手つきでその銃口を至近距離から、男の顔面へと突きつけた

そして、叫んだ

「ハーリーです!!」

「っこの!!」

だが、相手はプロだった

突きつけられたその銃口を、目にも止まらぬ速度で弾き飛ばすと、ハーリーの顔面を殴り飛ばした

重い一撃に、体が吹っ飛ぶ

痛い。とんでもなく痛い

でも

脳裏によぎる、サブロウタの姿

彼は、もっと痛かったはずだ

「うあああああ!!!」

臆することなく立ち上がると、ハーリーはその小さな体に全力を込め、男へと突っ込んだ

「この、ガキが!!」

男が再び手を振り上げ、それを突きつけてくるハーリーの脳天へと叩き落そうとした、その瞬間

「よく言った!」

高らかな声が、響いた

それは、まさに風だった

玄関から飛び込んできたその突然の乱入者は、戸口に立っていた二人をあっという間に吹き飛ばすと、思わずその男へ向けた視線のせいでハーリーの体当たりを受けよろめくもう一人の首元を掴み、床へ引きずり倒した

時間にして、一秒にも満たないほどの、一瞬の出来事だった

なにが起こったのか理解できず、呆然と目を見開くハーリーとその男

「周辺に潜んでいたお前の仲間は片付けた。観念するんだな」

組み敷かれている自分を見下ろしてくるその影に、男は呻くように呟いた

「き・・・貴様・・・」

「ふん」

鼻息をつく、その影

「己が名を高らかに告げたその少年に答えて、俺も告げよう、己の名を」

動きの激しさに舞った、長い黒髪

眩しく輝く、白い木連軍人の制服

「俺はツキオミゲンイチロウ」

口元を歪め、そして、告げた

「ネルガルの、飼い犬だ」





「おらー! そこは今まで通りで良いってんだろ! んなことより足回り強化しろっつってんだろが!」

格納庫の真ん中で怒鳴り散らすセト。彼の指示に従い、整備班の人間達がブラックサレナの右へ左へとせわしなく駆け抜けて行く

その格納庫のどのドッグにも、ユーチャリスの姿はなかった。あるのは、艦橋部分が吹き飛んだ、船の先端と僅かな中央部の残骸だけだ

片付けないのは、なにも感傷だけではない

現在行われている、あの戦闘からボロボロの状態で帰還したブラックサレナの改修作業のお陰で、そんな暇がないからだ

約四ヶ月前の火星での戦闘ですら、ここまで酷い損傷を受けてはいなかった

現在のブラックサレナは、外部装甲のみならず、内部にあるエステバリスカスタムまでガタガタになっている

「アウインよ。ちょいと点検してくれねえか」

『了解』

虚空に向けて放たれたセトの言葉に、一つのウインドウが答える

アウイン、先の戦闘で失ったラピスの穴を埋めるために新たに導入されたオモイカネ級のその新型AIは、正確にはアキトの五感のサポートの為だけではなく、こうして整備作業の円滑化の貢献にも、その役を買っていた

視線を格納庫の隅へと移す、そこには、金属製の小さな正方形がある

一辺一メートルにも満たないその小さな箱に、そのAIの本体が入っているらしい

これを運んできたイネスの指示により、その箱に触れることは一切禁止されていた。もちろんそんなことを素直に聞く整備班ではないのだが、それはあくまで普段ならという、前提の下であった

今の整備班の中には、そんな悪ふざけをする余裕があるような人間は、いなかった

皆、取り付かれたようにブラックサレナの改修作業に没頭している。それはある意味では、思考の放棄

ラピスの死を未だ吹っ切れずにいるその人間達が、忘れようとただひたすらなにか別のことに打ち込んでいるという証拠だ

その事実に、セトは小さくため息をつく。自分とて確かに完全に吹っ切れているとは言い難い。だが、なまじ他の人間よりは長く生きている自分は、まだダメージが少なかった

人が死ぬのは、当たり前なのだ。その事実を、セトは他の人間よりも少しだけ、実感を持って理解出来ている

だからだろう。あの遺言を見ても、セトは笑っていられた



「・・・・おやっさん」

深夜。休憩室でいつものようにパーツの在庫を示す伝票と睨めっこしていたセトに、クラシキが声を掛けてきた

そのとき見たクラシキの顔を、セトはおそらく忘れられないだろう

もう涙も出ないとばかりに、泣きすぎた目の周りは、それを拭うために擦りすぎたためだろう、酷く黒ずんでいた

顔色も青かった、いや、青いのを通り越して、それはもはや白といっても差し障りないほど蒼白なモノだった

両手の爪は、割れていた。固まった血が、黒とも赤ともつかない色を持って、指の周りにこびり付いている

その、余りに凄惨なクラシキの姿に思わず腰を上げかけたセトの耳に、もう一度声が届いた

「これ・・・・」

ボロボロの手の中にあったのは、一枚の封筒だった

『セトへ』そう書かれたその封筒を受け取りながら、セトはクラシキが震えていることに気が付いた

「お前・・・・どうしたんだよ」

「ラピスちゃんの、遺言です」

セトの言葉に答えず、クラシキはただそれだけを告げた

その、あんまりなクラシキの雰囲気に、セトもそれ以上なにも言えず、ただ渡された封筒を開いた

それを読む間、クラシキは無言のまま、ただ立ち尽くし、セトがそれを読み終わるのをただ待っていた

一分程の沈黙の後、セトがその取り出した便箋を封筒に仕舞う

それを見届けると、クラシキはポツリと口を開いた

「俺・・・・もうどうしたら良いのか・・・・わかんなくて」

それは、泣き言だった

若すぎる故に道を見失い、青すぎる故に己を見失い

そして、そんな自分を持て余し、最後にはみっともなくすがり付いてきた若者の、泣き言だった

それがわかっているのか、クラシキはセトを見ず、顔を俯ける

「仇、討ちたいっす。でも・・・・俺が貰ったそれ読んだら・・・なんか・・・・それって、なんか意味のないことなんじゃないかって、そう・・・思えてきて」

崩れ落ちるように、後ろにあった休憩用のソファーへと座り込んだ

「誰も恨むなって、書いてあったんす。でも、それでも・・・・許せないんす。こんな良い子殺した奴らが・・・今もどっかで生きてるってことが、どうしても」

顔を両手で覆う

「でも、でもそれには・・・・誰も恨むなって書いてあって・・・泣くなって・・・・書いてあって」

くぐもった声で、震える声で、続けた

「復讐するなって、書いてあって・・・でもそれだけは・・・許せなくて」

対面のソファーに座るセトが、その顔を僅かにしかめた

「もう、もう俺・・・・どうして良いのか・・・・わかんなくて・・・・どうしようも、なくて」

吐き出すようにそう言うクラシキ。それを見つめた後、セトは自分の手の中にある封筒へと、目を落とした

二人の間に、沈黙が下りた

だがそれも決して長いものではなく、「俺はな」そう呟いたセトの言葉に、あっさりと破られた

「復讐なんてのは・・・・くだらねえことだと思ってる。そりゃあ確かに許せねえって気持ちも分かるし、殺したいって気持ちもわかる、でもよ」

聞いているのかいないのか、相変わらずうなだれたままのクラシキに、セトは尚も言葉をかける

「そうやって、殺したからって理由で殺し返して、そんでまたいつかそれが返って来たときにまた怒って、殺して、相手もまた怒って、殺して。そんでまたそれに怒ってまた殺す。そうやって、大事なモン削りあって、結局最後にはなんも残らなくてってのは。なんていうかよ・・・・」

ポツリと、呟いた

「虚しいじゃねえか・・・・なんかよ」

その言葉に、クラシキはうなだれたまま、消え入りそうな声で答えた

「復讐・・・していいんすか、ね」

予想通り、聞いていなかった。だがそのことに、セトは特に怒る気にはなれなかった

見えていないだろうか、頷いて見せた

「お前が、マジにそう思うならな」

「・・・・俺が」

その言葉だけは聞いたのか、クラシキは対面に座るセトですら聞き逃しそうなほど小さく言った

「俺が・・・・思う通り」

セトは、もうなにも言わなかった。こういうことは、誰になにを言われたからといって変わるものではない

間違いも正解もないのだ。ならば、クラシキは自分自身で、納得できる方法を見つけなければならない

「俺が・・・・」

「・・・・電気、つけとくぞ」

一人にしてやろう。そう思ったセトは、ブツブツと何事か呟き続けるクラシキを置いて、部屋を出て行った



「そうさ・・・思う通りにやりゃあ良い」

慌しい格納庫の中、思い出した光景にそう告げると、セトは視線を移した

その先には、一辺一メートルの正方形が、無言のまま鎮座していた





『没。破損率50%オーバー』

告げてくる目の前のウインドウなど見えていないように、アキトはただ前を見つめていた

シミュレーターの中、アキトは取り戻した五感を使いこなすことに、手こずっていた

有利な材料になると思われた五感の回復は、しかし意外な障害となって、アキトの前へ立ちはだかった

鋭利となった視覚が、聴覚が、そしてなにより痛覚が

霞んでいた以前の五感では、ブラックサレナを乗りこなすときに、なにも感じることはなかった

ただ直感と感覚で、敵を追い、落としていた

だが、急に開けた視界が、敵を追いきれなかった。おぼろげな位置を掴むことがやっとだった以前の視覚に比べ、これは、見えすぎた

視覚が発達した人間は、それに支配される。直感がここに撃ちこめと告げているのに対して、視覚が本当にその僅かな間にあんなところに行くのかと、疑問を投げかけてくる

そして、その判断の僅か半瞬の遅れが、ダメージへと直結する

以前に比べれば鋭すぎる聴覚が、ノイズを拾う

そしてなにより痛覚が、自分の体を苛んだ

知らなかった。ブラックサレナという機動兵器は、パイロットにこれほどまでの負荷を強いるのだ

無言のまま、もう一度シミュレーターをスタートさせようとして、その視界がグラリと揺らいだ

昨日から、アキトはロクに睡眠もとらず、実に十時間以上もの間、こうして特訓を続けていた

酷使した右腕が、痙攣を始めていた。筋肉の脈動が、耐Gスーツ越しに伝わってくる

その右腕の痛みにアキトは、無言のまま残っていた左腕を振り上げ

なんの躊躇もなく、振り下ろした

こんな風に右腕を痛めつけたのは、この十時間の間で、四度目だった

不意に思い出してしまったその事実が、アキトにあの忌まわしい光景を見せ付ける

あのとき、動かなかった右腕。あのときこの右腕が動いていれば、あんな風に情けなく折れたりしなければ、ラピスは、死ななかった

狂ったように、アキトは何度も右腕を打ちつけた

眉一つ動かすことなく、ただ淡々と、肉がぶつかる耳障りな音だけを打ち鳴らした

一分ほどそうした後、アキトは荒い息をつきながら、おそらく耐Gスーツの下で薄い紫色になっているだろう右腕を構うことなく動かし、再びシミュレーターをスタートさせた

敵は、ユーチャリスの残骸から抽出されたデータを元にした、六連十機

無茶苦茶だった。一対一ならばほぼ確実に倒せる相手だったが、それが十機など、無謀にも程がある

現にアキトがこのシュミレーターにこもってから十時間、彼は一度として満足な勝利など掴んではいなかった

時間と共に低下している体力も集中力も、それに拍車を掛けていた

気を失ったのも、一度や二度ではない

だがそれでも、アキトはやめなかった

『無謀。無駄。無理』

視界にちらつくアウインのウインドウが、心底鬱陶しい

無視し、ブラックサレナを加速させる。体をパイロットシートに押し付けられる感触と、胃を体の内部に押し込まれているような痛みが、目障りだった

さらに加速させ、もっとも近くにいた六連へと機体を激突させる。舌を噛みそうな衝撃が襲ってくるが、それを無視し、アキトはさらに機体のブースターへと出力を叩き込んだ

強固なディストーションフィールドと、頑丈な装甲に守られているサレナよりも早く、その六連は根を上げる

回路がショートでもしたのか、装甲の隙間から煙を上げるその機体に、駄目押しのハンドカノンをぶち込むと、アキトは背後を振り向いた

残った九機は素早く陣形を立て直していた。三機を前衛、二機を後衛として、残りの四機がそれぞれ半分ずつ、サレナの左右から挟撃を掛ける

その、並のパイロットなら確実に絶体絶命の状況でも尚、アキトは眉一つ動かすことはしなかった

片方のブーストを点火。暴れるそのブースターを野放しにし、アキトはその慣性に逆らうことなく機体を動かした

自然、ブラックサレナはその場で急激な回転を見せた

増幅した重力がアキトの体を押しつぶそうと襲い掛かってくる。だが、アキトはその圧力に歯を食い縛って耐え、その目も止まらぬほどの猛スピードの中で、正確に錫杖を突き出してくる六連へと狙いを定める

一瞬の間に、ハンドカノンを発射した。前から来る三機と、右左それぞれ計四機の六連へと

本来なら反応すらされずに直撃するはずのその弾丸は、しかしどの機体にも当たることはなかった

信じられない程の反応速度でそれをかわした七機は、そのまま僅かに鈍った突撃速度を再び活性化させながら、突っ込んでくる

ハンドカノンを、今度は狙いをつけずに乱射する。正確な攻撃にこそ目を見張るような回避能力を見せた敵だったが、狙った本人すらどこに行くのかわからないような弾丸を完全に避けるのは、難しかった

二機ほどに直撃し、右足と右腕を、それぞれ奪った

だが、残りの五機は他の機体に比べれば極めて強固なディストーションフィールドを突き破り、そのままの勢いでブラックサレナへと取り付いてくる

右腕を、左腕を、そしてそれぞれ右足と左足の代わりをしている左右のバーニアへと取り付かれた

そして、残りの一機が目の前で錫杖を振り上げる

その光景が、不意にダブった

六連の機体が、挙動をそのままに、自分の脳内で夜天光のそれへと変換される

―――「死んだな」

―――「我が、殺した」

我を忘れた

手が震える。痛めつけたはずの右腕すら

絶叫を上げ、四肢を振り回した

残弾など全く考慮せず、ただガムシャラに撃ち続けた

左腕と右腕を押さえつけていた二機が弾け飛ぶ。だが、残りの二機はそのまま、それぞれの箇所に取り付いたままだ

目の前の六連が、錫杖を振り下ろした

視界が、暗転する

『過剰興奮。撃沈』

撃沈とだけ言えば言いものを、わざわざ嫌味を交えてそういってくるアウインのウインドウ

何度やってもうまくいかない苛立ちから、アキトはそのウインドウへと拳を繰り出した

だが、当然ながら実体化などしていないウインドウは、アキトの拳の洗礼を受けることなく、そのまますり抜けたアキトの拳は、シミュレーターの片隅を殴打するだけだった

無言で、アキトはその体勢のまま止まった

打ち付けた拳に、ギリギリと力を込める

雑念が、多すぎた

ユリカを助けるために戦っていたときは、他になにも考えなかった

大切な物は、全て奪われていたから。これ以上失うものなどないと、ただひたすら憎しみを磨き上げた

だが、今は、違う。違ってしまった

会ってしまったナデシコのクルー。ラピスのためにたくさんのことをしてくれた、このドッグの人間達

復讐を終えたあの日、泣いて迎えてくれたエリナ

会いたい、ユリカ

そしてなによりも

この復讐は自己満足でしかないという事実が、なによりもアキトの思いを阻んだ

ユリカを助けるためにと、言い訳が出来たあの復讐

だが、今度は違う。例えあの男を殺すことが出来ても、もう、なにも戻ってはこないのだ

ラピスラズリは、死んだのだから

「・・・・くそっ」

雑念を振り払うように、アキトは打ち付けた拳を振った

一年前は、こんなことなど考えなかったのに

そのとき、不意にシミュレーターが開いた

眼を向ける

そこには、エリナが立っていた

苛ついた気持ちのままのアキトの前で、エリナはその気丈な彼女にしては珍しく、居心地悪そうに身をゆすった

「ねえ・・・アキト君」

次の瞬間、アキトは己の耳を疑った

「もう・・・・やめましょう」

エリナの言葉に、アキトは心底驚いた

脳みそを、殴り飛ばされたようだった

信じられなかった。エリナの言葉が

「なん・・・だと?」

アキトの言葉に、エリナは身を硬くする

が、意を決したように真っ直ぐにその視線をぶつける

「こんなことしても・・・・ラピスちゃんは、喜ばないわ」

なにを言っているのか、俄かには理解出来なかった

復讐を、やめろとエリナが言っている。このまま、あの男を野放しにしろと、そう言っている

「どういう、意味だ」

エリナは、ラピスを大切にしていたはずだ

ひょっとしたら、自分よりも

その彼女が、復讐をやめろという

全身が、カッとなった

この女も、結局はそうだったのだ

ラピスのことを、思い出にしようとしているのだ

あれだけ可愛がっておいて、あれほど気に掛けておいて、いざ死ねば、その悲しみから逃れようとして、こうして忘れ去ろうとしているのだ

立ち上がり、シミュレーターの外で立っているエリナへと詰め寄った

「お前は・・・・それで良いのか!」

許せなかった。こんな都合の良い連中が、アキトには、許せなかった

「大事じゃなかったのか! ラピスが!」

その一言に、エリナがビクリと震えた

アキトに見えないように後ろで組んでいる両手。その中に握られている一枚の封筒を、握り締めた

「許せるのか!? ラピスを殺したアイツらを!」

「そ、それは」

「じゃあなぜそう思う! 忘れろというのか!? ラピスを! あんな小さな子供だったラピスを! それなのに殺されたラピスを!」

エリナが、このドッグに来てからここまで感情を荒げたアキトを見るのは、初めてだった

バイザーに隠されたその顔。だがそこから溢れるほどの怒りと憎しみが、エリナには伝わってきた

だが、ここで退くことは出来ない

この気持ちに、飲まれる訳にはいかない

体に、力を込める

「・・・せるわけ・・・・ないじゃない」

「なんだと」

「許せる訳ないじゃない!!」

叫んだ。その張り叫ぶような叫びに、思わずアキトも言葉を詰める

「許せる訳ないじゃない! ラピスちゃんを殺したあいつ等を! あんなまだなにも知らない小さな子を殺したあいつ等を!」

「だったら!」

「でも! しょうがないじゃない!」

後ろ手に隠していた物を、エリナは突きつけた

「あの子が本当に願っていたことがなにかわかるの!?」

その、アキト宛の遺言状を指し示しながら、エリナは叫んだ

「あの子は貴方がこんな風になることが一番嫌だったのよ!」

「本人に聞いたのか!?」

そのアキトの決定的な一言に、今度はエリナが言葉に詰まった

「それは」

「お前にわかるのか!? 自分が死ぬと確信したときに人がなにを思うのか! 憎悪だよ! それしか俺には浮かばなかった!」

我慢の、限界だった。エリナの掲げるその遺言状を奪い取ると、アキトはさらに叫んだ

「こんな物がなんになる! ラピスが俺達のことを考えてそんな内容を書くことなんてお前にも分かりきってることだろう! ラピスが俺達を復讐に誘うような言葉を残すわけないだろう!」

言い切ったその言葉に、エリナも思わず二の句が告げなくなった

アキトの言葉は、尚も止まらない

「死ぬ瞬間が怖くなかったなんてことがあるか! 恨まなかったなんてことがあるか! ラピスが本当はなにを望んでるのか教えてやる!」

手にした遺言状を、アキトはエリナの目の前で

ビリビリと破り捨てた

その突然の行為に呆然となるエリナを残し、アキトは歩き出した

「復讐だ」

すれ違いざまに呟いた言葉は、エリナに届いたのだろうか

「ラピスが望んでるのは、復讐だ」

それだけ言うと、アキトはそのまま振り返ることなく、歩き去った

置き去りにされたエリナ。背後で、シミュレータールームの扉が閉まる音が聞こえた

反論、出来なかった

死に直面した人間の気持ちなど、エリナにはわからなかった

ならば同じ、幾度となく死という恐怖に直面していたアキトの言葉に、どんな言葉が返せるのか

そしてなにより、自信がなかった

自分が死ぬとき、誰も恨まないでいる自信が

残されていく人々の幸せを、心から願う自信が

そんなことすら信じられる自信がない自分を、エリナは責めた

自分が汚れていることを、今日ほど憎らしく思ったことはなかった

誰もいないシミュレーションルームで、エリナは一人で泣いた





これで、ハッキリした

廊下を歩きながら、アキトはそう思う

目的が明確に見えた。周りに見えていた余計な景色が、物が、取り払われていく

ラピスの無念を、晴らす

皆がラピスの死を綺麗に飾り立てるのなら、もう構わない

誰も頼りはしない。自分一人で、復讐を果たす

精々綺麗な想像で、満足すると良い

自分は、違う。ラピスの本当に願っていたことを理解出来るのは、自分だけだ

ラピスが汚れているわけではない。死の瞬間に、本当に自分以外の人間のことを考えられる人間など、いないのだから

「テンカワさん」

背後から聞こえてきた、耳慣れない声に、足を止めた

振り向く、そこにいたのは、一人の青年だった

面識は、ほとんどない。整備班の人間なのは覚えているが、その青年に関するそれ以上の一切を、アキトは知らなかった

廊下の真ん中で、二人はにらみ合うように対峙した

青年―――クラシキは、決意のこもった瞳で、アキトを見た

セトの言葉を、胸の中で反芻する

俺が、マジで思うこと

あれから、色々考えた。そして、自分に出来ることは、考え付くことは、これしかなかった

ならば、それをしよう

自分に出来ることを、精一杯しよう

唾を飲み込むと、クラシキはゆっくりと口を開いた

「少し話・・・・良いっすか」






あとがき



肉食ったら歯ぐきから血が出ました。なぜに?



こんにちは、白鴉です

おっさんの鉄拳が、炸裂しました・・・・ええ、名も無き兵士Aの鉄拳が

活躍させると言ったアウインは次回に持ち越しです。なんか思った以上に膨らんでしまいまして

このペースで行ったら、次回辺り量が凄いことになるかもしれません

なんてこった



それでは次回で