第10話





どの道を通ってきたのか、覚えていない

ただ、いつも通りの道を通ってきた記憶はないから、ずいぶんと遠回りをしたはずなのは、間違いない

真っ暗な自分の部屋の中で、そのベッドの上で、アキトはうなだれたように座り込んでいた

あれから、逃げるようにその場を去った

クラシキのあの叫びを聞いたあの瞬間、自分の体が自分の体ではなくなった

わかっている、クラシキのあの言葉は、どうしようもないくらい主観的で、そして思い込みに満ちている

なら、なぜあのとき否定できなかった

みっともないと、鼻で笑うことが出来なかった

理由はわかっている。信じたくなったからだ、自分も、ラピスを

死の瞬間に、彼女がそれでも純粋であり続けたという事実

それを、信じたくなってしまったからだ

顔を両手でふさいだ

そんな考え、最低だ。自分まで彼女のことをそんな目で見てしまったら、一体誰が彼女の仇を討つのだ

あの考えが、当たっていれば、それでも良いかもしれない

でも、もし自分の考えが正解だったとしたら?

彼女の思いは、永久に叶えられないものになる。誰もかれも真実から目を逸らしてしまって、彼女の想いは、誰に理解されることもなく、永遠に埋没することになる

判断など、つかなかった

彼女が自分に復讐を望んでいるのなら

彼女が、自分にそんなことを望んでいないのなら

わからない

理解できたはずの彼女が、つい先ほどまで、自分と同じと信じていた彼女が、遠くなる

『判断不能?』

真っ暗な部屋に浮かび上がる、白いウインドウ

そのウインドウに気づかないアキトに、数秒ほど浮かんでいたウインドウが消えた

そして、次に現れたウインドウは、とても巨大なモノだった

『・・・・これ、映ってる?』

そのウインドウの発する光に、部屋が浮かび上がる

アキトは、顔を跳ね上げた

ウインドウの中には

ラピスが、映っていた








機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 ビデオレター 』

 

 







「ラ・・・・ピス?」

突然現れたそのウインドウに、アキトはただそれだけ呟いた

座り込んでいた体を、わずかに浮き上がらせる

『あ・・・・あー・・・・・。ん、大丈夫』

ウインドウから外れた場所を見たラピスが、頷く

テストが終わったらしいラピスは、その小さな体を、ウインドウ中央に位置している椅子に沈めた

少しだけ緊張しているように見えるその少女は、何度か椅子に座りなおした後、ゆっくりと口を開いた

『アキト、遺言、読んだ?』

照れくさそうに顔を赤くするラピス

その映像に、思わずアキトは目を逸らした

彼女の言う遺言は、先ほど自分の手で、破り捨ててしまった

動転しているアキトは、そのことをラピスにどう言い訳しようかと、言葉を捜した

「いや・・・俺は」

『多分、読んでないと思う』

そう言って、ラピスは顔を上げた

僅かに、口元を歪ませて

『アキトは、そういう人だから』

そのとき、不意に悟った

状況から考えれば当たり前のことなのに、理性ではわかりきっていることなのに、それを心のどこかで拒絶していた壁が、あっさりと取り払われた

―――これが、これこそが、遺言なのだ

ラピスは、最初からわかっていたのだ。アキトが自分の遺言を読まないことを、きっとそこに書いている内容が、自分を悲しませないように、復讐に駆り立てるようなことがないようにする内容であることを、わかっているように

アキトがラピスの傍にいたように。ラピスもアキトの傍にいたのだから

『・・・・もう、アキトもわかってると思う。私の言いたいこと』

真剣な表情で、真っ直ぐにその視線を向けて、ラピスは言う

『復讐を、やめてください』

その言葉は、先ほど散々聞いたクラシキの叫びと、全く同じものだった

―――「復讐を! やめてください!」

脳裏に浮かぶ、あの男

それを追い出そうとしても、追い出そうとするほど、その言葉と目の前のラピスが、重なってしまう

『アキトは、きっと聞かないと思う。アキトはきっと思うから、私が、死ぬ瞬間に、復讐を望むって』

目を細める

『アキトは、優しいから』

違う。優しくなんてない

そう叫ぼうとしたアキトの言葉を、遮るように、ラピスは続けた

『許せないって、思ってくれると思う。復讐しようって、思ってくれると思う。でも、私はそんなの嫌だ』

ウインドウの中のラピスが、悲しそうにその顔をゆがめた

『あの頃のアキトに戻るのは、嫌だから。アキトには、笑ってて欲しいから』

ラピスは、なにを思ったのだろうか。その歪められた瞳に、涙が浮かんだ

『アキトには、泣いて欲しくないから』

それを零すまいと必死に耐えているラピスに、アキトは

アキトは

「・・・・っ」

泣いた

溢れた。もう枯れ果てたと思っていた、もう流すことなどないと思っていた、涙が

でも、譲れない思いも、あった

ラピスがそう思ってくれているのと同じように、アキトにも、譲れない思いがあった

復讐を、決意した

わかっている、その決意は、この映像を残してくれたラピスの想いとは、正反対なことだということを

だが、決意した

例え、ラピスが本当に復讐を願っていなかったとしても、それでも、万に一つの可能性を無視することは、アキトには出来なかった

悪役は、全て自分が引き受けよう。ラピスの復讐をするなという願いを継ぐのは、この月ドッグの人たちに任せる

自分は、万に一つの可能性のために、復讐を果たそう

そうすれば、ラピスはきっと満たされる。どちらに転んでも、満たされるはずだ

ウインドウに向けて、アキトは笑った

それは、アキトが随分と浮かべていなかった、久々の笑顔

そして、それは悲しみに満ちた、笑顔

映像の中のラピスが、頭を下げた

『私の言いたいのは、これだけ』

「ああ」

『アキト』

アキトはただ、続きを待った

『大好き』

「・・・・ああ」

そのラピスに、アキトも答えた

自分はきっと、その願いに報いることは出来ないけれど

それでも、自分は十分過ぎるほど、満足したから

だから本当に、もう、良いんだ

自分は、復讐を果たす

やはり、許せないから。自分も、あの男も

信じる役は、彼らに任せた。自分は信じないことで、その想いを晴らすから

ウインドウが閉じる。再び暗闇に戻った室内で、アキトは苦笑する

諦めたような笑みで

『復讐?』

浮かんだアウインのウインドウ、今までは鬱陶しくてしょうがなかったそのウインドウにすら、今は穏やかな気持ちで接せられた

「そうだ」

『頑固者』

「ああ、そうだな」

そのアキトの、頑なな態度にアウインのウインドウも停止する

だが、アキトが再び顔を俯け考え事を始めると、まるでその邪魔をしないために気を遣ったように、消えた

だが、それは決してアキトのためを思ったことではなかった

二秒もしない内に、再び浮かび上がる

「?」

その、AIにしては余りに落ち着きの無いアウインに、アキトが訝しげな視線を向ける

ウインドウが、突如変化した

『音声メモリ再生。ユーチャリス残骸から回収した欠損部を結合』

なにをしているのかわからず、アキトはただそのウインドウを見つめる

『再生』

突如、音が聞こえた

テレビの砂嵐のように耳障りで不明瞭なその音

なんの音かと不思議そうな顔をするアキトに答えるように

声が聞こえた

それは、つい先程も聞いた。ラピスの声だった

ザリザリと鳴るノイズの中で、それでも僅かに聞こえたその言葉



『幸せ――――だったんだあ』



たった一言だった。なんの脈絡もない、唐突な、ただの一言だった

なのに、たったそれだけで

全てが、崩れ去った

これがなんのときの音声なのかは、聞かなくてもわかった。あのときだ、ユーチャリスの爆発のその瞬間の、言葉だ

それは、本当に満足そうな声だった。心からそう思っている、それほど穏やかで満ち足りた、声だった

「アウ・・・・イン」

答えるように、ウインドウが浮かび上がった

『録音日時 12月22日 地球標準時間午後二時十二分』

その日付を、忘れるはずがなかった

自分が、情けない程ズタボロにされ、逃げ帰ってきた日

ラピスが、死んだ日

唐突に、悟った

なんのことはない。自分の考えは、死の瞬間に誰かを憎むことこそが当たり前と思っていた考えが、間違っていただけのことだ

自分と同列と、同族と思っていたラピスが、自分よりも純粋だっただけの話だ

彼女が、死を前にして尚、己の幸せを想えるほど、強かっただけのこと

なんのことはない

汚れていたのは、自分だったのだ





深夜の格納庫のど真ん中で、セトは仁王立ちしていた

周りに人はいない。昼班と夜班という概念は、このドッグにはない。元々扱う機動兵器が二種類だけだったのだから、それは無理からぬことだ

そして、その二種類の機動兵器の内の片方は、二度と日の目を見ることもなく、格納庫の片隅で朽ち果てている

そしてセトの目の前には、漆黒の機動兵器、ブラックサレナが鎮座していた

それを見上げるセトの表情は、電源の落ちた格納庫の中では、伺うことは出来ない

ふとその背後に、黒い影が生まれた

だが、その影に気づくことなく、セトは相変わらず目の前のブラックサレナを見上げている

その背中に、声が掛かる

「・・・・頼みが、ある」

「うお!・・・・・なんだ、お前か」

声の主、アキトのその言葉に、セトは体を向けた

そのセトに、アキトはもう一度口を開いた

「頼みが・・・・ある」

「・・・・・復讐、か?」

そのセトの言葉に、意外にもアキトは首を振った

ゆっくりと、自分を落ち着けるように深呼吸をし、アキトはゆっくりと呟く

「それはもう・・・・・辞めた」

アキトの言葉に、セトは驚いたように目を見張った

が、十秒ほど沈黙すると、合点がいったかのように、その表情を緩める

「どうしてまた、そんな心変わりしたんだ」

アキトは、僅かに言葉に詰まった

が、その視線をセトがつい先程まで向けていた、ブラックサレナへと移すと、ポツリポツリと、語り始めた

「俺は・・・・いつから汚れてしまったんだろうな」

アキトの言葉を、セトは黙って聞いている

「復讐するのが、当たり前だと思っていた。そうすれば、死んだ人間が喜んでくれると、そう、思っていた」

「違うのか?」

セトの言葉に、アキトは小さく首を振った

「正直、良くわからない。ただ・・・・」

「ただ?」

先を促すように、セトは静かに告げる

「ただ・・・・ラピスは、純粋だったんだ」

あの少女は、己の死を前にして尚、自らの幸せを誇った

「ラピスは、本当の意味で復讐を望んでいない。それが・・・・わかった」

正直、逃げていた

今なら分かる。自分は、復讐するための理由を、ずっとどこか自分以外のところから持ち出していた

四ヶ月前はユリカに、そして今は・・・・ラピスに

だが、それではダメなことが、良く分かった

きっかけは、自分でも驚くほど小さなこと。あの声を聞いた、ただ、それだけのこと

ただその言葉は、誰のどんな、何百もの言葉よりも、重くアキトに響いた

それは、手。小さな手。頼りなく、触れば折れてしまうのではないかと思うほど、小さく、か細い手

その手が、自分を押してくれた

ラピスが、背中を押してくれた

それは酷く小さな力で、しかし確かに、そこにあった

それだけで、十分だった。あとは、きっともう大丈夫

もう頼ることはしない。これ以上、そんなことは出来ない

あとは、自分の力で、歩いていかなければならない

「復讐じゃ、ない」

こんなにスラスラと言葉が出てくるのは、初めてだった

「奴を、越えたい」

言うと、アキトは仰ぐ、自分と共にずっと戦って来てくれた、相棒を

「超えたいんだ」

北辰は、アキトにとっての過去だった

そしてアキトにとって、決して遠くない、可能性でもあった

ユリカを取り戻すための戦いで、一歩でも間違っていたら、自分はきっと、その復讐するべき相手と、同じになってしまっていたはずだ

それを止めてくれたのが、ラピスだった。

小さな体で、それでも懸命に、自分を引き止めていてくれた

「だから、頼みがある」

これからがきっと、自分の、本当の戦いなのだ

「サレナを、強化してくれ」

その一言に、一瞬セトは呆然とした

当然だ。ただでさえ普通の人間では乗りこなせないような桁外れのスペックを有しているブラックサレナを、これ以上強化するなど、自殺行為だ

そして、それ以上に

「バカヤロ」

アキトの頭を小突くと、セトは言う

「超えたいんなら、道具なんかに頼ってんじゃねえよ。お前は一度、こいつでちゃんと奴を倒せたはずだ」

もしアキトが口にした言葉が復讐だったなら、セトは何も言わずブラックサレナを強化しただろう

だが、目の前のアキトが選んだ道は、越えることだった。過去としての、弱かった自分の象徴でもあるあの男を、超えることを、アキトは選んだのだ

セトは、夜天光の性能を知っているわけではない。だが、目の前にあるこの黒い機体が性能で劣る機体がそうそうあるとは思えない

人が乗る以上、これ以上の性能など与えられない。ならば、この機体と相手との機体の間に、致命的な差はないはずだ

ならば後は、想いの強さのはずだ

セトの言葉に、アキトは少し驚いたように身を引いた

が、一拍ほど置いて、アキトは苦笑した

「そうだったな」

口元には、いつの間にか柔らかな笑みが浮かんでいた

「ダメだなあ・・・俺」

それはおよそ、復讐を誓ったあのときから初めて見せる。アキトの素の表情だった

セトには、初めて目の前のこの男が、歳相応の青年に見えた

その意外すぎる事態に、セトは思わず固まった。アキトにこんな一面があることが、アキトがこんな話し方をするということが、心底意外だった

その瞬間、確かにアキトは、あのナデシコAの時代に戻っていたのだ

「・・・・どうした?」

だが、気づいていない当の本人が、不思議そうに固まっているセトへと声を掛けた

それで正気に返ったセトが、脈絡もなく、笑う

「なんだよお前。笑えるじゃねえか」

「え?」

自分では気づいていなかったアキトが、意外そうな声を出した

なるほど、とセトは思う

これが、この男の素顔なのだ。復讐や恨みというベールを一枚剥がせば、そこにはなんのこともない、どこにでもいるような、平凡な男がいる

アキトは普通の人間だ。ただ人より少し思い込みが激しいだけの、普通の男なのだ

失望など沸かなかった。むしろ、親しみが沸く

「頑張れよ」

一声掛けると、セトはそのままアキトの横をすり抜け、出口へと向かう

途中、あの昼間目に留めた正方形の箱が見えるが、セトはもうそれには構わなかった

入っていたのは、ただの中継機だった。考えればわかることだ、オモイカネ級のAIが、あんな小さな枠に収まるわけがない。おそらく本体は、ブラックサレナに新たに増設されたか、この月ドッグのどこかにあるのだろう

満足そうに目を閉じると、セトはそのまま格納庫を後にする

この行為をセトは後に酷く後悔することになるが、それはまだ先の話





「・・・・準備は、整ったか?」

統合軍総司令部の19番目の会議室

そこにただ一人だけ座っている老人が、目の前に映るウインドウへと尋ねた

そこに映っているのは、現火星の後継者のトップである男

つい先日、老人と激しい口論を行っていた、あの男だ

『予定より多少数を割っている。なんとかならんのか?』

「無茶を言うな、大体予定よりも決起の時期を早めたのは、そちらの亡霊共のせいだろう」

『・・・・仕方ないか』

「こちらの準備は進んでいる。ミスマルコウイチロウを始めとした宇宙軍の上層部はほぼ掌握。下の艦隊司令などへの根回しはまだ終わっておらんが、まあそれは必要なかろう。いざとなれば権力を盾にして幾らでも言うことを聞かせられる」

老人の言葉に、男は息をついた

『クサカベ閣下の救出プランの方は?』

「お前さんらの要求通りやってるよ。看守、刑務所責任者、その他一切の人間が協力者だ」

そこまで言って、老人が笑った

「どうして人間という奴は、こうも争いを好むのかの、自分が死なないと思っているのか、それとも死んでも良いと思っているのか、その後の革新をこの目で見ることが出来るかもわからんのに」

蔑んだような笑みの中で、その瞳だけが、危うくギラついていた

事実、老人はそのことが心底不思議であった

最初にクサカベが収容されている刑務所に部下を遣ったときも、正直無理だろうと思っていた。結局彼らの中の主要メンバーを殺し、数人の部下と摩り替え、決行のときを待つことになるだろうと

だが、二日と置かずに報告された内容は、そんな自分の見解を根底から覆すものだった

主要メンバーどころの騒ぎではない。その刑務所に存在するほとんどの人間が、自分達の提案を快く快諾したというのだ

おかしい、わからない

クサカベを解き放つということは、それは再び世を戦乱のど真ん中に突き落とすことに等しい

下火となっている火星の後継者は指導者を得て再び盛り返し、それと手を組んだ統合軍と宇宙軍の一部が、残りの部隊と各国の軍隊と、正に血で血を洗う闘争を巻き起こすことになる

彼らが、なにを思いなにを考え、それを受け入れたのか、正直検討もつかない

剥き出しの打算だろうか、それとも眠っていた信仰心でも呼び覚ましたのだろうか

わからない。だが、だからこそ、ここまで面白くなったのだ

「人間は自ら滅ぶため、争うように出来ているのかもしれんな」

『それは、貴様もだろう』

老人の持論になど全く興味もなさそうに、男は吐き捨てるようにそう言った

その男の態度に苦笑しながら、それでもその目は、変わらなかった

「そうじゃの、そしてそれは、お前さんもじゃ」

『・・・・・』

「では、二日後に」

『ああ、二日後に』





「・・・・二日、後?」

移動中の車の中。助手席で、告げられた言葉の意味が理解できず、ただ呆然と聞き返すハーリーに、ツキオミはハンドルを操作しながら頷いた

「正確な時刻は不明だが、とにかく信頼できる筋からの情報だ。火星の後継者、統合軍、宇宙軍、連合政府の者たちがクーデターを決行するのは、間違いなく二日後だ」

「ちょっ!? そんなの無理じゃないですか!」

その余りに突然に告げられた事実に、思わず身を乗り出す

「二日でどうしろって言うんですか!」

ハーリーの焦燥も、無理からぬことだった

自分達には、手持ちの武器も打つ手も、現在のところない。あるのはハーリーの胸ポケットの中に入っている拳銃と、ツキオミの木連式柔。そして老夫婦の家にツキオミと共にやってきたネルガルシークレットサービスの部下が十数人と、彼らがそれぞれ持っているマシンガン。そして、今自分達が乗っているこの数台の大型の自家用車

ハーリーの頭に浮かぶのは、これくらいの物だった。彼は、状況の余りの広大さに自分達の力を正等に評価できず、必要以上に過小評価していた

だから、呟いたツキオミの言葉に、心底驚いた

「ネルガルが動いている」

考えてみれば当たり前のことだった。自分達を助けてくれたときも、ツキオミは自分のことをネルガルの犬だと名乗った

だが、ハーリーの胸の中には、依然として不安しかない

「統合軍や宇宙軍や連合政府を敵に回したら、幾らネルガルだって・・・」

諦めたように、乗り出していた身を助手席へと収めながら、ハーリーはポツリと呟いた

会長であるアカツキがA級戦犯とすら罵られていた時期からすれば、確かにネルガルはかなりの勢いでその勢力を取り戻しつつある

失脚した統合軍に変わった宇宙軍の正式配備機体に、ボソンジャンプ機構を排除したアルストロメリアが採用されもした

火星の後継者事件を単独で鎮圧したナデシコCがネルガル製だったことも、その追い風にはなった

だが、所詮はただの民間企業だ。確かに他の企業に比べれば様々な箇所に太いパイプを持っているし、底力もある

しかしそのパイプは、今回の決起を予期した時点で、なんの価値もないガラクタに成り下がっている。ネルガルの底力の原因にも繋がっている、軍上層部との太いパイプなど、その肝心の上層部が企んでいる今回の事件では、ケンカの道具にすら使えない

確かに、自分とサブロウタとルリだけであった状況から見れば、涙が出るほどありがたい加勢だ。だが、それも所詮焼け石に水だ

それにそもそも

ふと、ある考えにたどり着いたハーリーが、おずおずと口を開いた

「あの、ツキオミさん・・・・でしたっけ」

「なんだ?」

視線すら寄越さず、相変わらず安全速度を遵守しているツキオミに、尋ねる

「ネルガルは、どうして火星の後継者側につかなかったんですか?」

会長であるアカツキの性格は、ルリやミナトから聞いている。彼は良くも悪くも根っからの商売人であり、野心家ではない

野心家ではないが、今回のクーデターは、明らかに火星の後継者側に分がある。商売人ならば、絶対に勝つとわかっている方に着くのが常識のはずだ

「・・・・お前は、こう思っているのか? いつからネルガルは、こんな勝ち目のない戦いに善意で参戦するようなお人よしの企業になったのかと」

「え、いや、それは」

慌てて否定しようとするが実際問題その通りであるだけに、ハーリーはしばらく言葉を捜し、結局尻すぼみに、はい、と返事をすることがやっとだった

「簡単なことだ。会長は野心家ではない」

それは分かっている。とは、ハーリーは言わなかった

「確かにネルガルを巨大な企業に育てようという企みはあるが、それは決して一企業としての範疇を超える範囲での話ではない。あくまで企業は企業らしく、それが会長の考えだ」

それが、一体どうしてネルガルが火星の後継者達に与しない理由になるのか、よくわからなかった

「それが、どうして?」

「今回のクーデターに与するよりも、敵として立ちはだかった方が、ネルガルの利益になると踏んだから、だろうな」

「え?」

意味がわからず呆けるハーリーに、ツキオミはハンドルを切りながら続けた

「つまりこの戦い、勝算があるということだ」

「そんな」

「厳しいことはわかっている。雲を掴むような話であることもな。だが、我々には敵の内部に信頼の置ける人物がいる。彼らからの情報が、我々の命綱だ」

断言するツキオミに、ハーリーは一瞬言葉に詰まった

さっきあっさりと言われて流してしまったが、ツキオミは、勝算があると言った

この状況になっても、ほとんど孤立無援で、ほとんど勝算がないように見える今のこの状況でもなお、まだ勝てる手段があるといったのだ

「か、勝てるんですか!?」

その一言を認識した瞬間、居てもたってもいられなかった

ならば、もう少しでも迷っている暇はない。時間がないのだ、二日後で相手が動くというのなら、一刻も早くルリやサブロウタを助け出さないといけない

「方法はある」

「じゃ、じゃあ早くしましょう! 時間がないんでしょ!」

「ああ」

心を、興奮が満たした

この車が今どこに向かっているのか、実は知らない。だが、きっとその行き着く先に、きっと今の状況を打開する秘密兵器があるのだ

希望と車に揺られて、目的地に着くまでの間を、ハーリーはウキウキとしながら待ち続けた

もうすぐ、あの二人を助けられる。もしかしたら他のナデシコクルーの人間達も捕らえられているかもしれないが、それとてきっと助けられるだろう

横にいる無表情な長髪の男が、ハーリーの目にはとても頼もしく見えた

二時間後、たどり着いた場所はどうということのない、ただのアパートだった

ただ、それを見てもハーリーの胸に失望が沸くようなことはない。むしろこのどこにでもあるような場所というところが、彼に映画などで見たような秘密を感じさせてすらいた

だから、その二階にある部屋に通され、そしてツキオミから聞かされた一言に、彼は驚いた

「ここで、君には今から二日間休憩を取ってもらう。疲れを取るんだ」

その言葉に声を上げて抗議した。つい先程まで自分が感じていた、もうなんとかなるという感情を、根本から覆したツキオミに

時間がないのではないのか。今すぐ皆を助けに行くべきではないのか。二日後といえば敵の動く時間ではないのか、そんなことをしている暇はあるのか

だが、そのことごとくを彼はあっさりと否定した

「時間がないのはわかっている。だから我々は今からしなければならないことが山のようにある」

手伝うと申し出た

ジッとしていられなかった。自分がこうしている間にも、敵の思惑は動いていて、そして自分の仲間達は苦しんでいる

そう思うと、とても休むような気持ちにはなれなかった

だが

「確かに、今の我々の力では勝負にならない。だが、だからこそだ」

言っている意味がわからない

「負けているからこそ、正面から挑むのは無謀だ。この状況をひっくり返すには、もう奇襲しかない」

そう言うと、ツキオミは作戦の全てを明かしてくれた

今の段階では、敵が決起する正確な時刻はわからない。だが、それもこの二日の内には絶対にわかるということ

そして自分達は、その直前に行動を起こすこと

今の段階でナデシコクルーの仲間を助けることが出来たとしても、自分達の存在が確実に知られる。そうなってしまえば、その二日間の間、何人もの人間を匿うことなどとても出来ない

今の、まだ敵に気づかれていない状態では、ハーリー一人くらいどうとでもなる。だが、敵が本腰をいれてきた場合、とてもそんなことは言っていられない

だからこそ、敵の決起の直前に勝負を仕掛ける

ツキオミの言っていることは、正論だった。言うべき言葉などあるはずがない

いつものハーリーなら、その彼にすら噛み付いていただろう。そんな悠長なことなど言っていられないと、大人の理屈に反発し、ひょっとしたらそのアパートを飛び出すことくらいしたかもしれない

事実、そうしようとした。だがそのハーリーの頭に、不意にあの老夫婦の顔が浮かんだ

子供が持つ物ではないと取り上げた拳銃を渡してくれた。あの老夫婦の顔が

「・・・・わかりました」

現状、そうするのが一番だった。感傷に目を瞑れば、確かにツキオミのいうことこそが、今取るべき行動なのだ

ハーリーの言葉に頷くと、ツキオミはその部屋を後にした

一人になった部屋。真新しい、ロクに家具すらないこの部屋には、布団が一枚だけある

ノロノロとした動きでその布団にもぐりこんだ

二日間、ならば存分に休もう

その来るべきときに自分が疲れきっていれば、助けられる人間も助けられない。出来ることすらで出来なくなる

吹っ切れた思考でそう考えた途端、抗いがたい眠気が襲ってきた

今まで起こっていた自分の理解を超える状況の数々が、ハーリーの自覚していないところで、確かに彼の疲労を増加させていた

そしてそれは、ツキオミやネルガルという存在が現れたことによって、自分以外の頼れる存在の出現によって、その緊張の糸が切れた

布団の中で丸まって、泥のように眠った

夢は、見なかった






あとがき



人生って奴は大変です



こんにちは、白鴉です

次回から終盤ということで、これからが大変です。どうなることか

突然ですが、この小説のアキトは、基本的にナデシコA時代から根本は変わっていないという設定です

そりゃあ確かに私なんぞが想像も及ばないような仕打ちを受けている彼なんですが、劇場版とかを見るに、どうも彼は根っこの素直で熱血思考な部分が、変わっていないように感じられたからです

結構コロコロと主張とか考えが変わる彼ではありますが、そこらへんが原因です

・・・ごめんなさい。こういうのは本来なら本編で表現しないといけないところなんでしょうが、どうにも私の拙い文章力では表現しきれなくて

それにこれはそもそもの大前提での設定なので、文章中で表すのはちょっと厳しいかなと思い、言い訳がましくここで言わせて貰っております

次回から終盤ということで、これからが大変です。どうなることか



それでは次回で