第12話







沈黙が、支配していた

休憩室の安っぽいソファーに座り込むクラシキとセトは、ただ考え込むように頭を俯けている

考えていることは、二人共同じだった

二人の間に浮かんでいるウインドウに映されている、使途不明の荷物の正体。それはなにか

そして、どこにあるのか

可能性は、それこそ数限りなく存在する。その荷物は本当にただの荷物かもしれないし、知ったところで自分達にはなんの関係もない物かもしれない

そもそも荷物ではないかもしれない

業者に使途が分からないだけの、なんのこともないただの整備用の部品かもしれない

月ドッグの誰かが無断で発注した違法な物なのかもしれない

数え上げればキリがないほど、その荷物に対する可能性はあった

だが、二人の頭はそのことを理解していて尚、その中でも最も有り得ない可能性のことを考えていた

その荷物は、ラピスではないのか

理由はわからない。だが、自分達に知られてはマズイなんらかの理由で、彼女は極秘にこの月ドッグに、荷物として戻ってきたのではないのか

夢物語なのはわかっている。あの状況から人間が生還する可能性など、万に一つも有り得ない

だが、億に一つの可能性なら、あるかもしれない

みっともないのはわかっている。だが、一度頭を掠めた可能性、しかもそれが、自分達が求めて止まないものだったのならば、それが例えどんなに有り得ないことでも、可能性が0ではないのなら、否定出来なかった

他の可能性がどんなに高くても、どうしてもそこに思考がよってしまう

「・・・・もし・・・・っすよ」

クラシキの言葉に、セトは伏せていた顔を上げる

「もし、もし仮にそれがラピスちゃんだったとして、そしてなんらかの理由で俺達と会えないとするなら・・・・どこに、いるんすかね?」

「・・・さあ、な」

この月ドッグに、格納庫は一つしかない

ドッグとはいえ、その広さは他のそれよりも比較的小さい。存在が公に出来ないという理由が、それにあてはまる

セトの脳裏に、昼間こっそりと開けた格納庫の正方形が頭をよぎった

もし仮にラピスが生きているとしたら、アウインの存在意義とはなんだろうか

五感の補完は、ラピスだけで十分なはずだ。それに、そもそも幾らオモイカネ級のものとはいえ、AIにそんな人間の感覚神経を補佐することなど出来るのだろうか

出来るのならば、自分達の推論は完全に的外れということになる

だが、もし出来ないとするならば

アキトの五感を支えているのは、アウインではないのなら、他になにがあるのか

ラピスしか、ないではないか

「・・・・格納庫の隅にあるコンテナ。知ってるか?」

「え?」

脈絡のないセトの言葉に、クラシキは思わず聞き返した

「コンテナ?」

「ああ、ユーチャリスが回収された次の日くらいにフレサンジュの奴が持ち込んできた、一辺一メートルくらいのコンテナだ」

その言葉に、クラシキはそれを思い出そうと視線を宙にさ迷わせる。だが、心当たりがなかったのか、やがて首を振った

「知らないっす」

「・・・あれによ、アウインの本体が入ってるらしいんだよ」

その言葉に、クラシキは耳を疑った。オモイカネ級のAIというのは、基本的に戦艦や主要基地にしか配備されない

その高すぎる性能を一般に流出させることが危険という考えもその理由の一つだが、他にも様々な問題がある

それを完璧に操るには、どうしてもIFS強化体質の人間の協力が不可欠なこと、そしてそもそものIFS強化体質の人間の絶対数の少なさ、開発に必要な莫大な資金

そして、なにより問題だったのが、その大きさだ

オモイカネ級の性能を持たせるには、それこそ気の遠くなるほどの膨大な記憶容量に、それを瞬時に処理するだけの高性能な演算装置が必要になる。それだけの物を兼ね備えるには、それこそそれに匹敵するほどの広大なスペースが必要になる

民間にそのAIが進出しないのは、実はそれこそがもっとも強大な壁となっているからだ

一般家庭に置けるほど小型なAIなど、見たことも聞いたことも無い

だが、目の前のセトの言葉は、それをあっさりと否定するものだった

一辺一メートルのコンテナに収まるオモイカネ級のAI、アウインの本体

そんなこと、あるはずがない

「本当、なんすか?」

「いや、俺が昼間開いた。そこには間違ってもアウインの本体なんざ入ってなかった。あったのは、中継機が一個だけだ」

「・・・・中継機?」

「ああ、なんでんなもんが必要なのかはわからねえし、それをフレサンジュがなんでアウインの本体なんて言ったのかもわかんねえ・・・・ただ、これで一個考えられることがある」

クラシキは息を呑んで、次の言葉を待った

「中継機を通してテンカワの五感をサポートしてるのは、ラピ坊かもしれねえってことだ」

目の前が、明るくなった気がした

アウインの本体と言ってイネスが持ってきたコンテナ。その中身は中継機

そして、それが持ち込まれたのは、ユーチャリスが回収された次の日

企業として明らかにおかしい、テンカワアキトにオモイカネ級のAIを渡したネルガルの不可解な態度

そして、そもそもAIに人間の五感をサポートできるのかという疑惑

死体のなかった、棺桶

ユーチャリスの残骸を回収したときに持ち込まれた、使途不明の荷物

クラシキには、それらの要素が示す場所は、一つにしか見えなかった

ラピスは、生きている

生きているのだ

握り締めていた手が、緊張で震える

隠し切れない喜びを顔に浮かべながら、立ち上がる

「探しましょう」

「なにをだ?」

「ラピスちゃんですよ!」

「・・・・どうやって?」

セトの一言に、言葉を詰まらせる

「俺達どころか、テンカワの奴もあの様子じゃあ知らなかったはずだ。理由は知らねえが、そこまでして隠してるラピ坊を、どうやって探すんだ?」

確かにその通りだった。ラピスに関してもっとも関わりの深いはずのアキトすら、おそらくこの事実を知らない。隠しているのは、おそらくイネスとエリナで間違いない

だが、そこでふと疑問が浮かぶ

あの葬式のときの、態度だ。ラピスが死んでいないとわかっているのなら、なぜあんなに泣いたのか。かといってあの泣き顔は、演技にも見えなかった

エリナでは、ないのか? ならば、一体誰が?

答えなど、もう一つしかない

エリナではないとするならば、そのコンテナを格納庫に運んできた人物以外に、誰がいるのか

イネスだ

彼女の性格からして、中身のわかっていないコンテナをわざわざ格納庫に運んで、しかもそれに触るなと言うとは思えない。ということは、彼女は当然あのコンテナの中身を知っていることになる

中身はなんのこともない、ただの中継機だ。にも関わらず、彼女はセトに釘を打った

触るな、と

もう、間違いなかった

イネスは、知っているのだ

「・・・・イネスさんに、聞くしかないんじゃ、ないんすかね」

クラシキの言葉に、セトも小さく頷いた

「だろうな。ウォンの奴は多分、しらねえだろう」

同じ結論を出したのか、クラシキの言葉にセトはなんの反対もしなかった。そのままソファーから立ち上がり、休憩室の扉を開く

「・・・・教えて、くれますかね」

その後をついていきながら、口を開く

「わからねえ。だが、俺の勘では、教えてくれる気がする」

「・・・・勘っすか」

「勘だな」

頷くセトの横顔を見て、クラシキの口元に薄っすらと笑みが浮かんだ

希望が、出てきた

それは端から見ればなんの根拠もない随分と一方的な希望だが、それは確実に彼らの頭の中に存在していた

ラピスが生きている

そう考えただけで、足取りが軽くなる気がした

やはり、自分の考えは間違っていなかったのだ。ラピスを信じるべきだという、自分の考えは

もしラピスが生きていれば、今度こそ彼女は幸せになれる

アキトも、今回の事件でわかってくれたはずだ。復讐は、きっとなにも生まないのだと

そして、ラピスがどれほど大切なモノだったのかということを

ラピスが生きているのならば、今度こそ、間違いない

今度こそ、みんな幸せになれる

ラピスは、幸せになれるのだ

軽い足取りで、クラシキはセトの後ろをついていった








機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 痛い真実 』

 

 







セトの横で、クラシキは目の前にある医務室の扉を見つめていた

胸の中に渦巻く感情は、不安と、そしてそれを圧倒的に凌駕する、希望

逸る気持ちを抑えながら、クラシキは横にいるセトを見つめた

セトは、なにを言うでもなんの感情を浮かべるでもなく、ただ医務室の扉を見つめている

やがて、その手が上がった。扉の横にあるインターフォンを押す

『はい』

返って来たイネスの声に、クラシキの心拍数が爆発的に高まった

「セトとクラシキだ。ちょいと話があってきた」

『話?』

その言葉とほとんど同時に、目の前の扉が開いた

そこには、いつもの赤い制服に白衣を着込んでいるイネスの姿があった

意外な来客に、少しばかり不審そうに寄せられている眉

「珍しいわね、貴方達がこんなところに来るなんて」

セトとクラシキのどこか普通とは違う雰囲気を察したのか、イネスはそのまま扉の中を視線で示した

それに従い、二人は黙って医務室の部屋に入った

鼻をつくような薬や消毒液の臭い

仕事場でもあるのだろう机の上は、無数のカルテが散乱していた

セトはそこにある来客用の椅子に座り、クラシキは近くにあった適当な椅子を持ってきて、同じようにそこに座った

それを見届けると、イネスはいつもの自分の定位置にある椅子に座らず、医務室の扉に寄りかかるように体重を預けた

「で、話って?」

「メンドクせえのは嫌いだから、率直に言うぞ」

セトは頭を掻き、しばしその手を止め、そしてソレを自分の膝の上に置くと、勢い良く頭を上げた

相変わらず扉に背中を預け、両手を組んでいるイネスに向けて

「アウインは、ラピ坊なのか?」

その言葉に、イネスの組んでいる両手が僅かに、痙攣のように小さく動いた

だが、そんな蚊ほどの反応には、セトもクラシキも気づけない。イネスはそのまま、真っ直ぐにセトへと視線を向けながら、答えた

「まだボケるような歳じゃなかったと思うけど」

その皮肉混じりに返答に、セトは勘付いた

普段のイネスならば、絶対にこんな反応は返さない。もし自分の言っていることが本当に的外れな意見ならば、鼻で笑うなり真正面から否定したりするはずだ

だが、今の彼女の返答は、そのどれとも違った

予感はそのとき、確信へと姿を変えた

「・・・・どこにいるんだ?」

そのイネスの返答を無視した言葉に、彼女の表情が目に見えて険しくなる

「私の言葉を聴いてなかったの?」

「聴いてたからだよ。お前は知ってるんだ」

二人の間に、沈黙が落ちた

牽制しあっているような息苦しく、刺々しいその空気の中、クラシキは口を挟むことも出来ず、ただ二人を見比べている

その沈黙を破るように、セトは続けた

「格納庫にある、お前が言ってたアウインの本体が入っているっていうコンテナな、開けたぞ。中に入ってたのはただの中継機だった」

その一言に、イネスの表情がますます鋭くなる

ほとんど睨むような険しい目付きで、セトを見据える

「貴方には、常識くらいあると思ってたんだけどね」

「悪いが、あんな子供を見捨てられるほど、人間出来てねえんでな」

「・・・見捨てる?」

セトを見つめるイネスの眉がより潜まる

その不快そうな表情など目にも留めず、さらに続ける

「悪いが調べさせてもらった。ユーチャリスの残骸が運び込まれた日に、この月ドッグに使途不明の荷物が運び込まれてる」

じらすように、セトは一息ついた

そして、睨むようにイネスを見据える

「ラピ坊なんじゃねえのか?」

「証拠は?」

「ない」

「なら話にならないわね、出て行って頂戴。これでも忙しいの」

話は終わりとばかりに、イネスは手を振りながら部屋の隅にある冷めたコーヒーを手に取った

その背中に、セトは尚も続ける

「アウインの調整にか?」

「ええ、そうよ」

「おかしいな」

セトの言葉に、イネスの動きが止まる

「・・・なにがかしら?」

「いつからネルガルはなんの利益も見込めない人間にオモイカネ級のAIをサポートに付けるようなお人好しになった?」

間髪いれず、イネスは答えた

「貴方達が及びも付かないくらい、今のアキト君の存在は貴重なのよ。ブラックサレナを乗りこなせるほどの操縦技術を持ち、いまやほとんど存在しないボソンジャンプを扱えるA級ジャンパーである彼の存在価値は、貴方達みたいな一般人とは比べようも無いほどにね」

「じゃあ、質問を変えるか」

答えないイネスの背中を、セトは睨みつけた

「なぜ五感のサポートなんてマネが出来るアウインを、ラピ坊が死ぬまで投入しなかった」

「システムの確立に想像以上に時間が掛かったのよ。私達も出来る限りの速度で完成を急いだわ。ラピスちゃんの生存している内に間に合わなかったのわ・・・・しょうがないわ」

「アンタも、その開発に一枚噛んでたのか?」

「ええ」

「アウインのことは、トップシークレットだったのか?」

「その通りよ」

そのイネスの言葉に、セトの口元が歪んだ

捕まえた

「妙だな」

立ち上がると、セトはそのままイネスの普段使っている机へと足を向けた

その動きを、イネスは止めるでも声を掛けるでもなく、ただ淡々と見つめている

机の前にたどり着いたセトは、そのままその机の上に散乱しているカルテへと手を伸ばした

その内容を見て、さらに次のカルテを、そしてその内容に再び目を通すと、またさらに次のカルテを手に取る

そのセトの挙動を、イネスは不審気に眺めている

クラシキも、そのセトの行動の真意など検討もつかず、ただ呆然と眺めているだけだ

やがて、その机の上のカルテ全てに目を通したらしいセトの体が、そのまま横へと向いた

視線の先には、鍵の掛けられているただの棚がある

そこには、まとめられているカルテがファイルごとに収められている

ざっと見ただけで数十、もしかすると三桁にも手が届くかもしれないその三段の棚の前へと歩み寄ると、セトは背中に手を回した

取り出したのは、拳銃だった

「!ちょっ!」

それに、慌ててイネスは声を掛ける。クラシキも思わず腰を上げた

だが、イネスの静止の言葉を無視し、セトはなんのためらいもなく棚につけられている鍵へと発砲した

頑丈な鍵は、銃弾の一発くらいでは壊れなかった。だが、セトはそのへこんだ鍵へと、さらにたて続けに発砲する

一発打ち込む毎に、目に見えてへこみは大きくなっていく

鍵が完全にブチ壊れその機能を手放したのは、実に十発目の弾丸を撃ち込まれたときだった

その常軌を逸したセトの行動に、止めようとしたイネスもクラシキも、ただ呆然と立ち尽くしていた

そんな二人など歯牙にも掛けず、セトは乱暴な手つきで開かれた棚からファイルを次々と放り出していった

「ちょっと! なにしてるのよ!」

それに我に返ったイネスが声を掛け近寄ろうとしたそのときだった

「ねえな」

「え?」

呟かれた言葉に、イネスの足が止まる

そのイネスへと視線を向けると、セトは適当に取り出したファイルを示しながら言った

「トップシークレットでお前も開発に関わってたのに、アウインに関する資料が一個もねえな」

イネスが今度こそ本気で、セトを睨みつけた

「トップシークレットだからよ。資料は全部アウインの開発室に置いてるわ」

その言葉に、セトは再び口元をゆがめた

「てことは、このドッグのどっかにその開発室があるんだな?」

「っ」

かまを掛けられた、そのことに気づいたときには、もう遅かった

「シラきるならもう俺らは構わねえぞ。ここのどっかにその開発室があるんなら、それがどこに隠されてようと俺らは絶対に探し出す」

「いい加減にして、契約違反よ。貴方達はクビになるわ。そんな暇なんて無いわよ」

「なら今からこの月ドッグにいる連中全員にこのことを言って回るだけだ。そしたら全員クビにするのか? もしそんなことしたらまた一からスタッフ集めることになるぞ」

セトの言葉に、イネスはギリギリと手を握り締めた

やられた。この目の前のいかれたジジイは、最初からこうするつもりだったのだ

自分が素直に答えないことを考え、こうして脅すつもりだったのだ

おそらく、もう何を言っても無駄だ。当然、こっちも今から整備班やそのほかの人間を集めなおす余裕などない

この二人に、真実を告げるしか、ない

「・・・・・」

長い沈黙だった

ファイルをかざすセトと、ただ立ち尽くすクラシキ

そして、イネスはその二人を交互に見つめると、観念したようにため息をついた

「・・・・覚悟は、ある?」

「ああ」

「・・・・はい」

この目の前の連中は、わかっていない。真実がどれほど辛いかを、知らなければ良かったという真実が、世の中にはゴロゴロと転がっているということを

自分も、知らなければどんなに良かったか

踵を返すと、イネスは医務室の扉を開けた

首だけを向けると、そこには相変わらずただ立ち尽くしているクラシキと、ファイルを持ったままのセトがいる

その彼らに向けて、イネスは告げた

「着いて来なさい」

前を向く

「教えてあげるわ。真実を」





「・・・」

展望室で、アキトはただ一人佇んでいた

目の前に広がる宇宙を見据えながら、こうしてもう何時間になるかもわからないほど長い間、アキトはただ夜空を見上げていた

「・・・アウイン」

『応答』

呟いて一秒も経たない内に、アキトの目の前にウインドウが浮かんだ

「お前にはわかるか? どうやったら、超えられるのか」

『?』

要領を得ないアキトの言葉に、アウインは困惑したように答える

『意味不明』

「・・・・アイツを、どうやったら超えられるのか、だ」

『アイツ?』

「北辰だ」

アキトは、ずっと考えていた

どうやれば、あの男を超えることが出来るのかということを

殺すことは、ためらわれた。それではずっと自分がやってきた復讐と、なにも変わりはしない

確かに気持ちの持ちようが違うのだから、同じことを行っても意味合いが変わるのかもしれない

だが、アキトにはその違いがどうしてもわからなかった

目的が復讐だろうが超えることだろうが、殺すことになんの変わりもないのだ

それは第三者から見れば、なんの違いもありはしない

自分の中の問題なのだから他人は関係ないのかもしれない。だが、それではきっと、ダメなのだ

復讐だろうが超えることだろうが、誰かを殺せば、それは必ず誰かの負へと繋がる

それはもう、嫌だった

殺したから復讐され、復讐されたから復讐する

そんなことはもう、うんざりだった

決着を着けたかった。自分を彩るこのドロドロとした鎖に

殺したからといって、奪われたモノが帰ってくることなどない。それが、良く分かっていたから

だからせめて、超えようと思った。だが、その超えるという漠然とした言葉は、想像以上に難しいことだった

『不殺?』

それはきっと、大前提なのだ。それを行わないことが、超えるというつかみ所のない行為を行う上での、大前提

「それだけじゃあ、きっとダメだ」

『意味不明』

そうだろうな。と苦笑し、アキトはさらに言葉を綴る

「俺がやりたいのは、アイツを殺すことじゃない・・・・負かすことなんだ」

『機動戦闘敗北=負ける=死』

そのアウインのウインドウに、アキトは首を振った

「それは外面の話だ。俺が言っているのは、もっと違うことだ」

難しいだろう。幾ら人格を与えられているとはいえ、どれだけ背伸びをしてもAIであるアウインには、この疑問に答えるだけの経験などないし、そんなことを考えるような思考回路もない

「無茶なことを聴いて、悪かった」

苦笑を顔に貼り付けたまま、アキトが踵を返した。そのときだった

『告げる=勝利』

「?」

行く手を遮るように、ウインドウが浮かんだ

『勝利≠超える』

『勝利=外面超え』

『外面超え≠超える』

『内面越え=超える』

『敗北≠負ける』

次々と現れるウインドウに、アキトは焦った

自分の矛盾だらけの問いかけに答えようとして、アウインは自己処理のループに陥ってしまったのではないか

本来規定されていない問いに、アウインは混乱しているのではないか

「もう良い! やめろ!」

慌てて言った言葉に、アキトの周りを取り囲むように浮かんでいたウインドウが、唐突に消えた

痛いほどの沈黙が、展望室を包んだ

そしてそれは、アキトにとっては途方もないほど、長い時間に感じられた

「アウイン?」

確かめるように呟いた言葉に、再び唐突にウインドウが浮かんだ

そこに書かれていた言葉に、アキトは思わず目を見開いた

『胸を張り誇ると良い、己の全てを』

それはおよそはじめて見る、アウインのマトモな文章だった

「・・・・誇る?」

『多分』

その言葉を、胸の中でもう一度呟いた

どういう意味かは、よくわからない。そもそも、自分にはもう誇れるようなモノなど何一つ残っていない

このうえ、なにを誇れというのか

―――いや、だからこそ、か

この、何もかもを失くしてしまった自分が再び誇れるようなモノを見つけること、それこそが、超えたということに、なるのかもしれない

実際のところ、どうなのかはわからない。だが、なんとなくそんな気がする

それで良い気がする

ただ、胸の中に引っ掛かることがあった

「・・・アウイン」

『?』

自分の言葉に答えるウインドウを、アキトは見つめた

先程の回答や、それまでアウインが行ってきた様々な行為が、AIにしてはどうしても不自然に感じる

―――お前は、なんなんだ?

問いかけが言葉になることはなく、その思いは展望室から見える星空へと消えていった





そこにたどり着くには、随分と複雑な手順を踏まなければならなかった

まずエレベーターに乗り3階まで行き、そこからその階の対極に位置する非常階段へと歩く

そして、そこにあるなんということのない壁の中の一部分に手を触れる。指紋が登録されているものと一致すれば、その横に壁と完全に同化している扉が現れる

それを潜り、そこからさらに伸びている下から上へと突き上がっている螺旋状の階段を上がる

32段目の階段で足を止め、先程と同じように壁へと触れると、今度は網膜認識のための機械が壁から突き出てくる

それをパスし現れた扉へと入り、そこで実に45桁ものパスワードを入力して初めて、そこにたどり着く

機械の作動音が引っ切り無しに響いている、その部屋へ

「・・・・ここが」

「アウインの開発室よ・・・・アウインが、生まれた場所」

クラシキの言葉に振り返ることなく答えたイネスは、そのままその二人を先導してその部屋を歩いていく

そしてその途中で、意外な人物に出会った

前方に見えてきた、目算で横十メートル縦五メートルほどの巨大な扉の前に、エリナが佇んでいたのだ

「ウォンさん」

クラシキの言葉に、エリナは、いつもの態度とは明らかに違う様子で、気まずそうにその視線を彼から外した

小さすぎて、鳴り響いている機械の空気音に掻き消されてしまうような声で、エリナは呟いた

「・・・・・来た、のね」

その言葉に、セトがゆっくりと頷いた

「真実とやらを、拝みに来た」

まるでなにかに耐えるように、セトの言葉を聞いたエリナは、唇を噛み締めた

エリナの横にあるその巨大な扉の開閉スイッチの前に立ち、イネスはただ黙ってエリナの肩を叩くと、その場から彼女を動かした

「・・・・覚悟は、良いのね」

スイッチへと触れたままのイネスの呟きに、クラシキもセトも、ただ黙ってうなずいた

その二人を見た後、一瞬だけ躊躇うような時間を置いて、イネスは、スイッチを押した

腹に来る重低音を響かせて、扉がゆっくりと左右に開き始めた

そのとき、なぜだろうか

クラシキの第六感が、全力で警鐘を鳴らした

扉は、焦らすように少しずつ開かれていく

嫌な汗が、吹き出した。怖いはずなどないのに、この目の前の扉の向こうには、ラピスが待っているはずなのに

体が、小さく震えた

完全に開いたその扉の向こうに広がっているのは、だだっ広い空間だった

半径十メートルはあろうかというその円状の部屋の床一面を、ケーブルや管が這い回っている

蛇みたいだと、クラシキはなんとなくそう思った

自分の喉笛を噛み千切ろうとしている、蛇みたいだ、と

そのケーブルや管の集まっていく先は、部屋の中央部分

理性が悲鳴を上げていた、感情が暴走していた

そして、それよりももっと根本的な感覚が、本能が、今すぐここから逃げ出せと絶叫した

部屋の中央部分には、床から天井へと繋がっている、小さいのか大きいのかわからない、透明な、一本の筒のようなモノが突き出していた

理性が雄叫びを上げる、感情が自らの体をズタズタにする

目はまだそれを認識していないのに、すでに歯の根がガチガチとかみ合わなくなった

寒気が、全身を舐めあげた

その筒には、緑色の、なんの用途かわからない液体が満たされていた

ゴポ、と、気泡が下から上へと通過した

あれはなんだ? 見たことがある、あんなものをいつ見たのだったか

小学校の理科だったか、中学校の理科だったが、高校の化学だったか、生物だったか

でもあれは違う、あれは紙の上に載っているだけの、実際に自分が目にすることなどありえない。ただの記号のようなもののはずだ

違う、そう、あれは違う

思考回路が破裂しそうになる、自分は、こんなことを考えられるように出来ていない

視覚が拒否する。こんなモノなど存在しない

こんなものが、自分の求めいていた答えなはずがない

嘘だ。冗談だ。デタラメだ

認めない、自分は認めない

「嘘・・・」

全身が、自分の意思とは無関係に震えた。力が抜ける

そのままヘナヘナと、クラシキは床に座り込んだ

だが、その視線はまるで釘で打たれたかのように動かない

その緑の色の液体の中にあるソレを、全身で拒絶した

時間が止まる

「嘘だ・・・」

ソレは違う。ソレはラピスではない

とにかく、自分の目が信じられなかった。眼球を抉り出せるのなら、抉り出したかった

この目は、偽者だ。こんなモノが見える目など偽者だ。嘘だ、ありえない

あれは誰のだ? 違う、あんなモノ見えてない。だからあんなものは元から存在しない

誰のモノでもあるはずがない、違う、絶対

瞳孔が、開いた

「嘘だああああ!!」

部屋の中央に位置する筒の中にある、ソレ

緑色の液体に漬かっているソレは





ノウミソダッタ






あとがき



家を出た直後に嵐になりました



こんにちは、白鴉です

本当、こういう嵐は困ります。傘とか持ってなかったんでずぶ濡れです

さて、着々と決戦前の準備が進んでます

あっちもああしなきゃいけないし、こっちもああしなきゃいけません

大変です、どうしましょうか

まあ、きっとなんとかなります

・・・最近これしか言ってませんが、まあこんな感じです





それでは次回で