第13話







クラシキの叫びに答えられる人間は、誰もいなかった

エリナは居た堪れない様子で顔を背け、イネスはただ淡々と目の前で絶叫するクラシキの背中を見つめていた

セトは、目を逸らすことなく、真っ直ぐに目の前の筒を見つめている

へたり込んだクラシキの背中に、イネスの言葉が掛かる

「これが真実よ・・・・・貴方達が、知りたがっていた」

その一言に、クラシキがビクリと震えた

「アウインの正体は、オモイカネ級のAIでもなんでもない。ユーチャリスの残骸から回収されたラピスちゃんの死体を中継して、ただアキト君の五感をサポートしているだけのものよ」

「・・・整備のチェックをしてくれてたのも、ただの目くらましか」

セトの言葉に、イネスは頷いた

「そうよ。実際アウインにそんな機能なんて付いてないわ。私達が回収したときには、ラピスちゃんの体は完全に死んでいた。当然、脳もね」

イネスからは背中しか見えないクラシキ。その、地面へと投げ出されていた腕が、ギリギリと握り締められた

それを見ても、イネスの言葉は続く

「だから私達は、彼女の脳の一部を借りたの、アキト君の五感をサポートしていた部分だけに電極をつなぎ、強制的にそこだけを覚醒状態にしてね」

言ってから、イネスはその視線をクラシキの背中へと向ける

「クラシキ君。言ったはずよ、覚悟はあるのかと」

クラシキの震えが、目に見えて大きくなった

「セトさんと違って、貴方には足りなかったみたいね」

「アンタアアアア!!」

その一言が、引き金になった。跳ね起きたクラシキが、そのまますぐ背後にいるイネスへと掴みかかる

だが、イネスはそれに眉一つ動かしはしない

「アンタ・・・・アンタ自分がなにしてんのかわかってんのか!? ええ!?」

完全に、逆上していた。クラシキはその顔を怒りに歪め、イネスの体をガクガクとゆすった

「そんなにテンカワが大事かよ!! そんなっ! こんなことが出来るくらいアンタは狂ってたのかよ!!」

クラシキの脳裏に、先程見た脳みそが浮かぶ

一瞬しか見はしなかったが、その姿は、鮮明すぎるほど鮮明に、クラシキの脳に焼き付けられていた

まるでホルマリン漬けにされているような、ラピスの脳みそ

それが、彼の記憶の中にいるラピスと、重なった

いや、重なるわけがない、彼が知っているラピスは、こんな姿じゃなかった

歳相応の女の子だった

腕もあった、足もあった、体もあった、綺麗な桃色の髪をした、人形細工のように綺麗な顔も、あった

だが、その全てを剥ぎ取られたラピスは、今もこうして痛め続けられ、死ぬことすら許されず、尚酷使され続けている

我慢、ならなかった

「アンタは・・・・ッアンタはああああ!!」

言いたいことなど山ほどあるはずなのに、言葉が出ない。余りの怒りにそれどころではなかった

半狂乱になっているクラシキには、もはやマトモな判断力すらなかった

叩きつけるようにイネスの体を捨てると、クラシキは懐に手を突っ込んだ

出てきたのは、黒光りする拳銃

それを、床に倒れ込んでいるイネスの頭に殴りつけるように突きつけた

だが、そこまでしても尚、イネスの顔には冷淡な表情しかなかった

そしてそれが、クラシキの怒りをますます膨張させた

「ああああああああ!!」

あまりに膨れ上がった怒りにどうして良いかわからず、クラシキは喚く

狂ったように頭を振ると、そのまま拳銃の引き金に力を込めた

銃声が、響いた








機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 もしも私が死んだとしたら 』

 

 







イネスは、ただ真っ直ぐに見つめていた

目の前の、震える腕で拳銃を構えている、クラシキへと

彼の放った弾丸は、イネスに当たることはなかった。彼女の顔十センチほどの場所を通り、近くにある床へとちっぽけな穴を穿っただけだった

そのイネスの視線に、クラシキの顔が涙で歪んだ

「・・・・なんでだよ!!」

唇をわななかせ、顔を涙でグシャグシャにして、クラシキは叫んだ

「なんで避けねえんだよ! なんで抵抗しねえんだよ!!」

クラシキの手から、拳銃がこぼれた

「・・・・なんでえ・・・・」

イネスの横に、倒れ込むように身を崩す

転がった拳銃の音が響く中、クラシキは顔を俯けた

「なんで・・・なんで」

そのクラシキを、イネスもエリナもセトも、ただ見つめていた

叫ぶ

「なんでアンタが泣いてんだよお!!」

イネスは、泣いていた。気丈な表情をそのままに、ただ、涙を流していた

「ああああああ!!」

意味のない雄叫びを上げながら、クラシキはそのまま床へと勢いよく頭を打ち付けた

怒りをぶつけるようなところなど、どこにもなかった

わかってしまったから、誰も、誰もこんなことなど望んでいないことに

誰もが皆、身を切り裂くような思いで、この決断を行ったことに

余りに強い力で頭突きをしたために、床にくっつけているクラシキの頭から流れた血が広がった

だが、そんなことなど歯牙にも掛けず、クラシキは残っている両手もまた、床へと叩きつけた

「うう・・・・ううううう・・・・!!」

駄々っ子のように、何度も何度も床を叩く

許せない、その思いは今も変わってなどいない

だが、それでも、先程見た変わり果てたラピスの姿と、イネスの涙が、頭から離れなかった

なにを責めて良いのか、わからなかった

誰を責めて良いのか、わからなかった

イネスもエリナも、こんなことを望んでいたわけではない

あれほど可愛がっていたラピスの死体を前にして、それを切り裂き、そこから脳核を抉り出すなどという行為に、傷つかなかったわけがない

正気を保っているだけ、凄いとすら思う。自分なら、きっとそんなこと耐えられない

理性ではわかっている。きっと自分よりも遥かに、イネスやエリナの方が傷ついた

だが、それでも、許せなかった

例え彼女達がどんなに望まなかったことにしても、どれほどの想いでそれを成したとしても、死ぬべきはずだったラピスの死体を痛めつけていることには、なんの変わりも無い



―――バイバイ お兄ちゃん



あのラピスの死体を解体し、そこから脳を引きずり出した

その光景を思い浮かべるだけで、吐き気がするほどの怒りが押し寄せてくる

その前には理性など、米粒ほどの価値も重みもありはしなかった

だがそれでも、撃てなかった。イネスを撃つことが、出来なかった

矛盾と、怒りに身を任せることすら出来ない自分への情けなさに、クラシキはただ呻き続ける

額から流れた血は、すでに固まりかけていた。だがその間誰一人として、その場から動こうとも、クラシキに声を掛けようともしなかった

その資格がないことは、イネスもエリナも十分過ぎるほどわかっていたから

そしてセトも、そんなクラシキに声を掛けることはしなかった。ただ真っ直ぐに、ラピスの脳が浮かんでいる液体を見つめ続けていた

「ちくしょおおおおお!!」

勢い良く立ち上がると、クラシキはその涙でグシャグシャになった表情のまま、床に転がっていた拳銃を広いあげた

絶叫と共に、その標準を

ラピスの脳が浮かんでいる、カプセルへと向けた

その突然の行動に、イネスもセトも、慌ててクラシキを止めようと手を伸ばした

これが、クラシキの答えだった

例えどんな理由があるにしても、こんなことは、許せなかった

このカプセルを破壊するということが、そのままアキトの五感を奪うことになるとわかっていても、こんなものの存在を許すことは出来ない

これ以上、ラピスを苦しめることなど、出来ない

だから、破壊する。このふざけた機械を、破壊する

「わあああああ!!」

引き金を絞る。イネスとセトの制止も、間に合わない

銃声が響く。だが

クラシキとラピスの間に、一つの影が割り込んだ

エリナだった

イネスも、セトも、クラシキも、その突然目の前に現れ銃弾を受けたエリナのことを呆然と見つめた

右肩に直撃した銃弾。その痛みに一瞬だけ顔をしかめ、それでもエリナは、その四肢を広げたまま、クラシキの前に立ちはだかった

「・・・・んでだよ」

その一切の迷いのない視線に、拳銃を構えたままのクラシキが、怯えているのか、それとも泣いているのか分からないような不可思議な表情で、言葉を搾り出した

「なんで・・・」

その視線は、銃弾を受けたエリナの肩へと注がれている

「アンタもフレサンジュさんも・・・・なんでだよ」

今度こそ、心が、折れた

力が抜けるままに、クラシキは再び拳銃を床へと落とした

抵抗してくれれば、良かった

言い訳してくれれば、良かった

怒ってくれれば良かった。なにも知らないくせにと、怒鳴りつけてくれれば良かった

なのに目の前のエリナも、先ほどのイネスも、なにも言いはしなかった

拳銃を向けられても、なんの抵抗も見せなかった

まるで撃たれることを望んですらいるように、誰かが自分に罰を与えてくれるのを、待ち続けるように

その態度が、クラシキには、本当にわからなかった

「なんでそんなに大切なのに! こんなことが出来るんだよ!!」

撃たれることも厭わず、罵声を浴びせられることも構わず

弁解もせず、ただラピスを守っている

なのに、そのラピスを、こうして傷つけている

理解を超えていた

その辻褄の合わない行動に、しかし確かに、ラピスへの想いを感じずにはいられなかった

なのに、ラピスをこうして死ぬことも許さずに縛り付けている

もう、なにもわからなかった

エリナもイネスも、そしてこの状況でもなにも言わない、セトも

そのままクラシキは、踵を返して走り出した

途中の進路にいたイネスを突き飛ばして、そのまま逃げるように部屋を飛び出していく

クラシキの消えたその部屋に、沈黙が落ちた

三人共、クラシキの消えていった方角を、ただなにも言わずに見つめている

と、不意にエリナの体が揺れた

それにイネスが慌てて寄り添い、その肩に取り出したハンカチを押し付けた

「また、こんな無茶をして」

「・・・大丈夫よ」

押し付けられたハンカチが、見る見る内に血に染まる

その光景を見つめながら、セトが口を開いた

「理由を、聞かせてもらえねえか」

その一言に、エリナが顔を歪めた

イネスも、その言葉に答えることもなく、ただ新しく取り出したハンカチをエリナの傷口へと押し当てる

「このままじゃあ、俺もアイツも、きっと納得できねえ」

「・・・・」

「お前さんたちが一番辛いのはわかってる。でも、やっぱりそれも言われねえと、わかんねえんだよ。俺たちには」

そういうと、セトは視線を二人の向こうに見えるカプセルへと向けた

「なんでラピ坊が・・・・こんな目に逢わなきゃいけねえんだ?」

「・・・・アキト君を、生きさせるためよ」

その一言に、セトは眉をしかめた

「もしそれだけの理由なら、悪いが俺はお前らを許せねえ」

エリナが、唇をかみしめた

言い訳なんて、したくなかった

どんなことを言っても、どんな大義名分があっても、この状況で喋ることなんて、自己保身の情けない言い訳以外の何者でもない

自分たちが、あのラピスの脳を取り出し、こうして機械へと繋ぎ止めているという現実に、変わりはないのだから

そのエリナの態度を見て取ったセトは、彼女の前へとゆっくりと歩み寄った

「俺らが聞きたいのは、お前の言い訳なんかじゃねえ・・・・真実なんだ」

エリナは、黙って顔を背けた

「ありのままを、教えて欲しいんだ」

だが、その言葉にすら、エリナもイネスも答えない

そのまま、数秒が経った

エリナは顔を背けたまま、イネスはセトの言葉など聞こえなかったかのように淡々と、エリナの傷口の治療を続けている

「・・・・頼む」

セトが、頭を下げた

その行動に驚いたエリナとイネス。こんな風に誰かに物事を頼むセトを見るのは、初めてだった

「教えてくれ」

俯き、耐えるように口元を噛み締めるエリナ

だが、なにかを振り切るように首を振ると、その視線をゆっくりと、下げているセトの頭へと向けた

「・・・・ラピスちゃんの」

搾り出された声は、傷によるものかそれとも精神的なものか、擦れていた

セトは、その声に顔を上げる

「ラピスちゃんの・・・・願いだったの」





それは、いつもと変わらない夜だった

いつものように書類を片付け、いつものように月ドッグにある自室へと赴き、いつものように眠ろうとしていたときのことだった

ベッドに入ったエリナの耳に、控えめに扉を叩く音が聞こえた

それだけで、その扉の向こうにいる人物が誰なのか、エリナにはわかった

体温で少しだけ暖かくなっていた布団から抜け出ると、扉の前へと移動した

開いた先にいたのは、予想通りラピスだった

ラピスはインターフォンを鳴らさない。理由は知らないが、彼女が誰かの部屋に入るときには、必ず扉を叩く

エリナの目の前にいるラピスは、こんな深夜に尋ねて来たことを申し訳なく思っているのか、いつものピンクのパジャマに包まれている両手で、頼りなさげに自分の体を浅く抱いていた

だが、エリナにしてみればこんな出来事はさほど珍しくない

ラピスは、よく夢を見る。そしてそれは、往々にして悪夢であった

この月ドッグに来たばかりのころは、それこそ毎晩のように跳ね起き、涙を流して泣き叫んだ

悪夢の内容は、覚えていないらしい。それは無意識の内にその内容を頭の中から排除しているためか、それとも本当に覚えていないのかは、エリナにはわからない

だが、そんな彼女のことを不憫に思ったエリナが、ラピスと床を共にするようになるのに時間はかからなかった

一ヶ月か、二ヶ月か、それとも三ヶ月か。段々と情緒を取り戻し精神も安定してきたラピスは、いつまでも誰かと一緒に寝ることに抵抗でも覚えたのか、いつしか一人で眠るようになった

だがそれでも、悪夢は時折彼女の眠りを妨げた

そしてそんなときは、決まってアキトかエリナの部屋を訪ねてきて、一緒に眠った

だから、今回もそうだろうと思った

「大丈夫?」

膝を曲げ、ラピスと視線を合わせる

「怖い夢でも見たの?」

だが、今回のラピスは違った

エリナの質問に、フルフルと首を振る

そして、申し訳なさそうに視線をエリナからはずし、そしてまた戻す

そんなことを二、三度繰り返した後、ラピスはおずおずと手を伸ばして、自分の前で屈んでいるエリナの袖を掴んだ

顔を見れないのか、その視線は床へと落とされている

「一緒に・・・・寝て、良い?」

それだけの言葉を口にするのに、ラピスはどれほどの勇気を振り絞ったのか

ラピスは、基本的になにかの用事がなければ、自分からは誰にも話しかけない

無条件の愛情には、いつも決まって体を硬くし、警戒した

その彼女が、初めて自分から、エリナへと話しかけた

顔を綻ばせると、エリナはそのラピスの頭を撫でた

「ええ、良いわよ」

撫でられていた顔が、少しだけ緩んだ

そのままラピスは、エリナに手を繋がれたまま、一緒にベッドへと体を潜り込ませる

「・・・・あったかい」

先ほどまでのエリナの温もりがまだ残っている布団の中で、ラピスはそうつぶやいた

その言葉にうれしそうに目を細めると、エリナはラピスを抱きしめた

腕の中で、ラピスは一瞬だけ身を震わせる

最初の頃、ラピスは他人に触られることを嫌がった。だがそれは態度に出ないほどの小さな変化で、身体検査などのときには、ほとんど抵抗らしい抵抗も示さない

ラピスがもっとも拒絶する接触は、意外にもなんの用も目的もない接触だった

頭を撫でようとしたり手を握ろうとすると、驚いたように身を縮め、そしてその人物と距離を取った

幼いころ、それこそこの世に生を受けて以来、実験や検査のために体を触られることには慣れていたようだった。ただ、無意味な接触や、目的を見出せない触れ合いには、心底脅えていた

自分の予測が全く利かないそれらの行為を、ラピスは心底嫌がった

だが、そのラピスも随分と慣れたのか、心を許した人間のみという条件が付くものの、こうして触られても逃げ出すことはしなくなった

「エリナ?」

腕の中のラピスが、頭ひとつ分上にあるエリナの顔を見上げてくる

それに答えず、エリナはただラピスに笑い返すと、再び頭を撫でた

くすぐったそうに身をよじる

その反応が嬉しくて、エリナは笑った

「・・・・・エリナ」

ラピスが、少しだけ硬い声を発した

調子に乗りすぎたかと思わず焦ったエリナに、ラピスはさらに続けた

「もし・・・・もし、だけど」

躊躇うように視線を伏せ、ラピスは体をエリナへと擦り寄るように密着させた

胸に顔をうずめ、くぐもった声で告げてくる

「人って、死んだらどうなるのかな」

それは、ただの疑問だった。子供の誰もかれもが抱く、死への疑問

だが、その質問に、エリナは顔を強張らせた

普通の子供が抱くような、ただの思いつきの質問では、きっとない

ラピスは、なにか自分に、言いたいことがあるのだ

「・・・・どうして、そんなことを聞くの?」

できるだけ優しい声音で、ラピスへと問い返した

そして、返って来た返答は、エリナの予想を遥かに超えるものだった

「死体は・・・・ただの、ゴミなの?」

その一言に、エリナは驚きを隠せなかった

ラピスの今まで歩いてきたその人生を考えれば、彼女がこんな言葉を口にするのは、ある意味仕方ないことであり、わかっていたことでもあった

幼い頃から、彼女は近しい者、言葉を交わしたことのある者、それら全てが死ぬところを、直視してきたはずだ

そしてそれらの成れの果てが、まさに文字通り、ゴミのように処分されるところも

だが

「っ・・・・エリナ、痛い」

抱きしめていた腕に力を込めた

そんなことは、口にして欲しくなかった

悪いのは、ラピスではない。それはわかっている。彼女は今まで見てきたモノから感じたことを、素直に受け入れただけなのだ

だがそれでも・・・・嫌だった

ラピスの口から、そんな言葉が出るのが、たまらなく嫌だった

「エリナ?」

「・・・ねえ、ラピスちゃん」

抱きしめていた腕の力を緩め、再びラピスの頭に手を載せながら、エリナはゆっくりと告げた

「そんなこと、ないわ」

「え?」

自分の答えがそれほど意外なものだったのか、ラピスはエリナの顔を意表を突かれたような表情で見上げてきた

「違うの?」

「ええ」

「・・・・でも」

不思議そうな表情で、ラピスはさらにつぶやいた

「捨てられたよ? 皆・・・・捨てられた」

ラピスの体が、僅かに震え始めた

「よくわからない、布袋みたいなのに詰め込まれて、どこかに持ってかれた・・・・皆・・・皆、持ってかれた」

ラピスの頬を、涙が伝った

おそらく、ここに来る前のラピスならば、なんの気兼ねもなくこんなことが言えたのだろう

それがラピスにとっての常識であり、世界であったはずだから

だが、この子は気づいたのだ。はっきりとではないのだろうが、ここで過ごした僅かな間で

それは、とても悲しいことだということに

だから、エリナと一緒に寝ようと言い出したのだ

「大丈夫よ」

震えるラピスを抱きしめながら、エリナは囁く

「もし、誰かが死んだとしても、それはゴミなんかじゃない」

抱きしめながら、エリナは心底思った

この子が、好きだと。大事にしていきたいと

「想いは残る。残された人が、きっと見つけ出して、きっと、その人のことを、ずっと心に留めておくわ」

自分でも、クサイ台詞だと思う。ただそのときのエリナは、ただ自然に、そういうことが言えた

「それは思い出だもの、とっても大事な、ものだもの」

「私が、死んでも?」

涙で赤くなった目で、ラピスはエリナを見つめた

「私が死んでも、残る?」

「ラピスちゃんの、願いは?」

「アキトを、守りたい・・・死んじゃっても、アキトには、幸せになってほしい」

エリナは、そのあまりに予想通りのラピスの言葉に苦笑する

そして、羨ましいと思う。それはラピスに対してのモノでもあり、そしてアキトに対するものでもあった

「私が死んでも・・・・私の想いは、アキトを守るの?」

「ええ」

不安げに瞳を揺らすラピスに答えると、エリナはでも、と付け加えた

「アナタは死なないわ。ラピス、皆でアナタを守るから」

「え?」

「アナタを、死なせたりなんかしないわ。だってアナタは、これから一杯幸せにならないといけないんだから」

「・・・幸せに」

噛み締めるようにつぶやくラピス

「・・・よく、わからない」

「今はわからなくて良いの、その内、きっとわかるから」

本当に? と視線で問いかけてくるラピスに、エリナは笑って答える

「きっと、絶対・・・・」

そのとき、誓ったのだ

この小さな子供を、己の幸せすら想像することができないこの小さな女の子を、きっと自分は、幸せにしてみせると

自分一人では、難しいことかもしれない。でも、ここにいるたくさんの人間達と一緒なら、この子はきっと幸せを見つけることができる

今までの分を取り返してあまりあるくらい、幸せにするから

「一緒に、がんばろうか」

「・・・・・うん」



その二週間後、ラピスは死んだ





「・・・お前は、なにかあるごとに部屋に引きこもるな」

セトの言葉に、しかしクラシキは目立った反応を示さなかった

自分の部屋のベッドに寝転がり、ただ天井を見上げている

「拗ねるのも良いけどよ。他にもすることがあるんじゃねえのか」

「・・・テンカワさんに、このことを教えることすか」

珍しく怒気を孕んだ声で、ベッドから身を起こしたクラシキは、セトを睨み付けた

だが、その視線にもたじろがず、セトはその視線を受け止めたまま、眉をしかめた

「本気で言ってんなら、お前を評価してた俺の目はとんでもねえ節穴だったってことだな」

その言葉に、クラシキは我に返ったようにいつもの表情に戻った

気まずそうに視線を落とす

「・・・・すいません」

「許せねえか? あの二人が」

「・・・・はい」

クラシキの答えにため息をつくと、セトはゆっくりと部屋の中へと足を踏み出した

うなだれたように座り込むクラシキの前に立つと、そのまま拳を握り

クラシキを殴り飛ばした

突然の衝撃に、クラシキはもんどりうってベッドから勢い良く転がり落ちた

呆然と、殴られた右頬を抑えて、目の前にたたずむセトを見上げる

セトは、握ったままの拳を収め、つぶやいた

「お前、あの二人がどんな気持ちであんなことしたか、本当にわかんねえのか」

その言葉に、クラシキは視線をはずした

そんなことは、わかっている。あの二人が、望んであんなことをしたわけがないことなど、わかっている

おそらく、自分以上に悩み、苦しみ、あの行為を行ったことも、わかっている

だが、それでも、許せなかった

本当にラピスのことを思っているのなら、なぜ静かに彼女を眠らせてやらなかったのか

本当にラピスのことを思っていたのなら、なぜあんなことができるのか

「・・・・わかって、ます」

「わかってねえ」

「わかって、ます」

「わかってねえ」

「わかってますよ!!」

セトの責めるような言葉に、クラシキは思わず怒鳴った

「わかってますよ! あの人たちがどれくらい悩んだのかも、どれくらい苦しんだのかも! でも、しょうがないじゃないっすか!!」

握った拳を床へと叩きつける

「おやっさんは平気なんすか!? あんな姿のラピスちゃん見ても! ラピスちゃんをあんな姿にした張本人のあの二人を見ても!!」

「・・・・張本人だあ?」

クラシキの言葉に、セトのコメカミがひくついた

「だってそうじゃないっすか! あの二人がラピスちゃんの脳みそ取り出してあんな風にしたんすよ!? おかしいじゃないっすか! 本当に大事ならなんで、なんであんなことができるんすか!!」

止まらなかった。本当は違うということがわかっていても、あの二人への怒りと憎しみが、次々と言葉を吐き出す

「本当に大事ならあんなこと出来るわけがないじゃないすか! 本当にラピスちゃんのことが好きなら、あんなこと出来ないじゃないですか! 結局あの二人はそういう奴らだったんすよ! ラピスちゃんのこと道具としか思ってなかったんすよ!」

顔をあげ、喚くように続けた

「でなきゃあんなこと出来るわけないじゃないすか! 脳みそ取り出して機械に繋ぐなんて! 人間の出来ることじゃ―――!」

クラシキの言葉は、セトの繰り出した二度目の拳で中断された

「てめえそれ・・・・本気で言ってんのか」

「・・・っ」

右頬を押さえたまま、クラシキは答えなかった

「言ってみろコラ! 本気で言ってんのかって聞いてんだよ!!」

怒りの余り、セトの握り締めている拳が、震えていた

「てめえなめてんじゃねえぞ」

床に座り込んでいるクラシキの襟元を掴み、鼻を突きつけるように接近させた

「だって・・・・」

殴りつけられた痛みか、それとも、父親に怒られた子供のような心境なのか、クラシキの顔が涙で歪んだ

「だってそうじゃないですか! じゃあなんであんなことが出来るんですか!!」

「あの二人はそれをやったんだよ! てめえの言う出来るわけがないことを! 血反吐吐く想いでやったんだよ!!」

セトの言葉に、クラシキは思わず言葉に詰まった

「張本人とか言いやがったな。てめえ」

だがそれでも、セトの言葉は止まらない

「じゃあなんで止めなかった!? ラピ坊が戦場に出ることを!!」

「っそれは!!」

「わかってたはずだよな!? わかってなかったなんて言わせねえぞ!! 戦場に出ればいつか死ぬときが来るってことがわからなかったなんて言葉で済ませられるとでも思ってんのか!」

「そっそれはおやっさんもじゃないすか!!」

「ああそうだよ! 俺もだ! 俺もお前もウォンもフレサンジュも! そしてテンカワも!! 月ドッグにいる連中全員だ! 皆わかっててやったんだよ!!」

セトの言葉に、クラシキは手を握り締めた

「そして誰よりかれよりラピ坊自身が! 一番わかってたはずだ!」

その一言は、今までのどのセトの言葉よりも、重く響いた

言われなくても、わかっているはずだった。あのラピスが、戦場に出れば死ぬなんて当たり前なことを、わかっていなかったわけがない

涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、クラシキはセトを見上げた

その顔を見て、セトも怒りを納めたのか、先ほどよりも幾分か落ち着いた声色で語った

「張本人なんて、いねえんだよ。これは誰でもねえ、ラピ坊が自分で決めたことなんだ」

「・・・・っ」

「ラピ坊が、エリナに言ったんだってよ。自分が死んでも、テンカワに幸せになって欲しいってな」

それはきっと、エリナやイネスにとって、悪夢のような現実だったのだろう

回収されたユーチャリスの残骸の中に、ラピスの死体を見つけたとき

もし、ラピスがエリナとあの日一緒に眠らなければ

もし、ラピスが、死ななければ

そして、その死体が、残らなければ

どれか一つでも欠けていれば、こんなことにはならなかった

だが、それを不幸だと思うことだけは、したくなかった

あの小さな女の子が、自らの死を考えても、それでも望んだ願い

それを叶えることが出来たその偶然を、不幸だなどと、思いたくはなかった

「・・・おやっさん」

涙で汚れきった顔で、クラシキは呻くように呟く

その肩に、セトは手を置いた

「誰も・・・・悪くなんてねえんだ。皆が、同じように苦しんだんだ」

その一言に、クラシキが鼻をすすりあげた

「ウォンもフレサンジュも、お前と同じか、それ以上に苦しんだんだ」

クラシキが、小さく頷いた

「それでなんとか、チャラに出来ねえか? 辛いのは、お前だけじゃねえんだ」

この出来事は、きっと誰が悪いわけでもない

誰もが皆、ラピスのことを想い、考え、苦しみ、傷つき、たどり着いた結末なのだ

誰のせいでもない、誰の責任でもない

クラシキも、そう、思った

許せるかと問われれば、まだわからない

こんな気持ちは、いまだけかもしれない。考え直せば、やはりまたあの二人への憎しみが芽を出すかもしれない

ただ、今は

「うう・・・・」

今は

「うああああああああああ!!」

泣いた。誰のために泣いたのか、クラシキにもわからない

ラピスがあんな姿になったことを悲しむためなのか、ぶつけようのない怒りをどこかへと追いやるためなのか

何度も床を叩き、何度も頭をぶつけ、何度も息継ぎをしながら

訳のわからないまま、クラシキは泣き続けた










あとがき



花粉が乱れ飛んでてロクに外へも出れません。なんて奴らだ



こんにちは、白鴉です

これにて、月ドッグ編は終了です。多分

次回からようやっと、最終決戦が始まります

今までが結構暗かった分、出来るだけ明るく行きたいなあと思っとります





それでは次回で