第18話







第三刑務所最下層脱出ポッド前は、崩れ去った瓦礫の吐き出す煙で、相変わらずの有様だった

そのマスク越しに見えるその灰色の世界で、黒尽くめの男達は動いていた

『第八十二番ポッドの離脱を確認』

通信機越しに聞こえてくる声に、その部隊を指揮している男が答える

「離脱位置は?」

『不明です。脱出の際の衝撃で発射角が大幅に変化。上空からの監視が無ければ特定は不可能』

「他の襲撃部隊はどうした」

『二分五秒前から一斉に撤退を開始』

「一人でも二人でも良い。捕まえて目的と合流位置を吐かせろ」

『すでに全部隊の内12%が戦闘不能になっておりますが』

「・・・・出来ないか」

『おそらく』

返って来た返事に舌打ちを一つ。そしてそのまま男は振り返る

「撤収だ。すぐ上階に上がれ。俺達にはまだ仕事が残ってる」

「隊長」

先程自分達が崩した瓦礫の前に立ち、数人の部下がこちらへと顔を向けている

「どうした」

「サーモニクスに反応。我々が崩した天井の下に、なにかあるようです」

視線を移すと、すでにその問題の崩れた天井を残りの部下が押し上げ始めていた

本来ならそんな物は無視していた。自分達にはまだ、これから先程のナデシコクルーの拿捕などよりも遥かに困難な、もう一つの任務が待っているのだから

だが、仕方なく男は動く。この瓦礫に潰された人間が誰かを確認することも、今後あの連中を手配する上で僅かなりとも役に立つと、そう自分に言い聞かせながら

「・・・・どこだ」

「この奥です」

常人なら十数人掛かりでやっと持ち上がるほどの重量を持つ瓦礫を、彼の部下はたった数人で押し上げる

そして、その中の一人が指し示す方向を凝視する。被さったままの瓦礫が作る影で見えにくかったが、マスクに付いているゴーグルを暗視モードにすればなんの問題も無かった

「ちっ。グチャグチャじゃねえか」

「・・・・はい」

その目に飛び込んできた光景に、再び舌打ちを打つ。総重量百キロを軽く凌駕する物に潰されたそれは、当然ながら原型など全く留めていなかった

トマトを床に打ち付けたように、血が円状に広がっている。そしてその中心部には、もはや死体とすら呼ぶのもはばかられるような肉塊が一つ

その凄惨な光景に、思わず言葉に詰まる部下をチラリと横目で見て、男はさらにその物体へ向ける視線を細める

当然ながら、誰の死体であるかなどといった判別など付かない。ぶちまけられて押し潰された肉片は、子供か大人かの区別すらつかなかった

だが、男は見た。その死体の見に付けている服を

装甲服だった

「・・・・アイツか」

つい先程、自分が散々に殴りいたぶった男の顔が浮かぶ

崩れてくる天井に呆然として巻き込まれたとは思えない。とすれば、誰かを庇ったか、もしくは自分の評価より彼は遥かに小物であったか

だがそこまで考えて、男は部下へと顔を向け、無言のまま顎を動かした

その指示に頷いた部下達が、瓦礫を支えていた手を一斉に離す。轟音を立て、瓦礫は再び元の場所にめり込んだ

どっちにしろ、どうでも良いことだ。あの面子の中で唯一白兵戦を戦える男が死んだ。その事実になんの変わりもない

なぜこの男がこんなところで死んでいるのかなど、男には些細なことでしかない

「第一任務は失敗だ。だがテメエら気を抜くなよ。次の目標はもっと厄介だ」

その言葉に、彼を取り巻いていた男達が頷く。その動作は、その目標への恐れかそれとも男自身の不安からか、幾分かぎこちなく見えた

「サカキバラは目え覚ましたか」

「・・・はい」

背後から聞こえてきた声に振り返る。そこには装甲服に身を包んだ人間の中に混じり、随分と軽装な男が一人いた

「・・・随分な大ポカかましてくれたな。お前なら小娘一人の監視くらい訳ないと思ってたが」

「・・・・すいません」

返す言葉も無いのか、サカキバラはただ身を縮めて頭を下げるだけだ

その、今更叱る必要すら見当たらないほど落ち込んだ姿から、男はつまらなさそうに目を逸らした

「まあ良い。殴るのも説教も後回しだ。お前は何人か連れて脱出した連中を探せ。まだそれほど遠くへは行ってないはずだ」

「・・・・徒歩で、ですか」

「・・・・残ってる足がありゃあ、好きに使え」

その男の言葉に、サカキバラは言葉を詰まらせた

通常、敵かなにかの施設を襲撃する場合、もっとも重要視されるのはその任務よりも、むしろ逃走経路の確保と敵の追撃の足止めだ

そしてここを襲ってきた連中は、その手際からも相当熟練した部隊だということなど火を見るより明らか。そんな奴らが敵追撃手段の破壊などというもっとも重要な部分を、見落としているはずがない

要はこの隊長は、歩いてでも走ってでもとにかく逃げ出したナデシコクルーを捕まえて来いと言っているのだ。そしてそれが出来なければ、おそらく自分に待っているのは

そこまで考えて、サカキバラは自分をマスク越しに見つめてくる隊長の視線に気が付いた

慌てて姿勢を正す

「了解!」

「・・・・わかったらさっさと行け」

蚊を追い払うような手つきで手を振る男に敬礼をし、サカキバラは振り向いた

その先には

「・・・・・逃がしたか。政府の虎の子という割には随分と不甲斐ないな」

どうでも良さそうに呟きながらこちらへと歩いてくる。参度傘を被り灰色の外套を羽織った男の姿があった

「・・・・」

近づいてくる北辰に合わせるように、男は被っているマスクを脱いだ

「申し訳もねえな。素人軍団に揃って出し抜かれたとあっちゃ、こっちは弁解の余地もねえ」

「ふっ。まあ我は構わぬがな」

どうやら彼らがナデシコクルーを確保したのかだけを確認しに来ただけらしい。言葉も短めにそれだけ会話をかわすと、北辰はそのまま男に背を向け歩き出した

その徐々に遠ざかって行く背中。それを男は見つめる

そして、気付かれないようにゆっくりと、腰に付いている拳銃へと手を伸ばす

部下に目線を走らせる。それに頷いた彼らもまた同じく、その両手に下げているマシンガンを持つ手にゆっくりと力を加えた

不気味なほどの静寂が響くその中で、北辰は相変わらずゆっくりとした速度で遠ざかって行く

一歩ずつ、足音が響く

そして五歩目の足音を北辰が踏み鳴らした、そのとき

隊長が拳銃を構えるのとほとんど同時に発砲した

狙いは一点。被っている参度傘と外套の間に僅かにだけ見える、首筋

男の発砲より半瞬だけ遅れ、彼の部下も構えたマシンガンを一斉に発砲する

何百、もしかしたら何千にも上る銃弾が北辰の背中へと吸い込まれるように接近し

そして、突如として北辰と銃弾との間に生まれた空間の歪みに、跳ね飛ばされた

「!?」

余りに予想外の事態に、思わず男が呆ける

いや、男はおろか、彼の部下達も目の前の信じられない光景に、マスクの中にある双眸を見開いた

銃声の残響が響き、消えていく

数秒後には、先程と全く変わらないような光景が蘇った。背を向ける北辰に、それを見届けるかのように佇む男達。だが、一つだけ違う点がある

北辰が、その歩みを止めたことだ

「誰の差し金か?」

背中を向けたまま、北辰は尋ねた

その先程の自分達の行為を全く歯牙にも掛けていないような態度に、男はその顔に不快と怒りと悔しさを浮かべる

そして掛けられた北辰の言葉に答える気などさらさらないとでも言うように、ゆっくりと手を立てた

それに倣い、マシンガンを構えていた彼の部下はそれを放り、腰からナイフを取り出し、構えた

その彼らの行動を感じ取り、北辰は体を半身だけ彼らへと向けた

異様に見開かれた左目の中、真紅の瞳が楽しげに揺れている

その目に、なにか不吉な物を感じ取った。だが男はそれに怯むことを許さず、部下へと手で合図を送る

それを受けた彼らが、ジリジリと体をずらしていく。油断も慢心もなにもなく、北辰を包囲しようと動く

だが当の北辰は、そんな彼らを見ていなかった。その見開かれた瞳はすでに目の前のことなど通り越し、さらにその先にあるはずの愉悦と、そして破壊と快楽を見つめている

一対十数という圧倒的不利なその状況においても、この男は尚も自分が死ぬなどと微塵も思ってはいない

あるいは、北辰にとって死など些細なことなのか、彼にとって生などという単語は、期限の知れない定期と大差ないのかも知れない

使えるから、使う。もしそれが出来なくなれば、ただ捨てるのみ

その程度の、物でしかないのかもしれない

男は、極度の緊張から乾いた喉に唾を流し込む。北辰は尚も動かない。ただその歪んだ瞳を男の向こうへと向けるだけだ

と、そのとき不意に変化が起こった。灰色の外套の中から、唐突に煙が噴き出したのだ

蒸気のような熱を持ったその煙に、現実へと引き戻された北辰が不快気に顔をゆがめた

「ちっ・・・・所詮は粗悪品か。まあ良い。もう役目は十分に果たしたろう」

誰ともなく呟き、そのまま体を動かした。今度こそ北辰は正面を向き、男を愉快そうに見つめた

その視線を睨みつける。そしてそのまま男は腕を上げ、そして、振り下ろした

直後、もはや完全に北辰を取り囲んでいた男達が、一斉に放たれる

一直線に向かってくるその彼ら。誰がどう見ても絶体絶命のその状況で、それでも北辰は心底楽しげに口を歪めた

そしてその口から、地獄の底から響くような、おぞましい声が響いた

「来い」










機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 修羅と外道 』

 

 









「・・・・」

薄明るい照明が廊下を照らす

外はすでに日が昇っている。ただこの密閉された刑務所という空間の中では、そんなことなど微塵も関係ない

その廊下を歩く影がある

数は五つ。先頭を行く小太りの男、そしてその後に続く四人の屈強な男だ

四人はなんの言葉を交わすこともせず、触れれば切れるような切迫した緊張感を持ってただ廊下を進む

その四人の醸す雰囲気にあてられているのか、先導する小太りの顔色は頭上で光を発している蛍光灯よりも白い

そしてその小太りの男が先導する四人の中の一人に、統合軍総司令である老人と幾度も会話をし、先程その老人に自分になにかあったときの全てを託した男がいた

視線を向ける。どこまで続いているのかわからないほど果てのない廊下の先を

それは、今まで自分達が歩いてきた軌跡だと、男は思う

あのとき、四ヶ月前にナデシコCによる圧倒的な電子制御によって全ての希望を潰されたあのときから自分達が歩いてきた。軌跡だと

本部を潰され、事実上の敗北宣言があの後クサカベ本人から全火星の後継者に発せられたあと、自分達は命辛々地球と火星の間にあるアステロイドベルトに存在していた、自分達のねぐらへと逃げ込んだ

そのときは、自分を含め。全ての同士達の目に光が無かった

自分達の信じた正義。有り得ないとすら思っていたその正義の敗北、そしてその象徴たる存在であったクサカベの敗北宣言にも等しい言葉に、自分達は全てを見失っていた

寄りかかり全てを委ねていた柱が、唐突に消えうせたのだ。その浮遊感と、そして心細さと不安は、並の物ではなかった

真空の宇宙の中に、ただ一人放り出されたような心境だった。なにも見えない暗闇の中、そこからどんな恐ろしい化け物が飛び出してくるのかと、一瞬後に自分達の命があるのかと、絶望だけを感じていた

あのときもし自分達に、あのクサカベハルキを信じる心がホンの僅かほど足りなければ、皆その孤独さに自ら命を潰していたかもしれない

だが自分達は、見つけた。そのねぐらのコンピューターに隠されていた、クサカベハルキの考えていた真の計画を

トカゲ戦争、そしてこの火星の後継者事件、そしてそのさらに向こうにある計画の存在を

あのときの喜びは、今でも一欠けらの欠如もなく思い浮かべることが出来る

それは闇の中孤独と不安に押し潰されそうになった自分たちに差し伸べられた、正に神の手だった

そして自分達は、それにすがった

自分を暫定的な指導者とし、その宇宙の中にポツンと浮かぶ岩の海の中で息を潜め、ただひたすら耐え忍んだ

そしてそのときが、来るべき時がやってくるのを、指導者としての責務と義務感に押し潰されそうになりながら、ただひたすら待ち続けた

指導者である以上、そんな不安を部下に溢すことも許されない。自分はただ尊大な態度を取り、全てをわかったフリをして、自らの心の中で渦巻く脆弱な自分と戦い続けた

司令部に顔を出すとき、この扉を開けた先に、もしかしたら自分達にとってもはや神にも等しい存在となったあのクサカベ閣下がいるのではないのかと、有りもしないことを、わかっていながら考えないことはなかった

そして開いた先の現実では、やはり自分が指導者であった

何度ストレスで吐いただろうか。何度悪夢を見て夜中に叫んだだろうか。何度その重圧に耐え切れずに、それから解き放たれたい一身で、自ら命を絶とうと思っただろうか

一ヶ月で十キロも落ちた体重で、弱りきった体で、しかしそのときがついにやって来たのだ

ある日、その自分達の隠れ家の近くに、突如として現れた連合宇宙軍の戦艦。それを最初に見たときはついに自分達の居場所が敵にばれたのだと思った。つかまると、あの閣下の残した言葉を遂行することも出来ずに、自分達は殺されるのだと、そう思った。そしてその考えに、幻覚でもなんでもなく、自分の心臓が砕けると思った

だが

『クサカベハルキの目指した目的。それを達成するときが、ついにやって来たのだ』

だがその戦艦から放たれた言葉が、その今までの自分が背負ってきた全ての重荷を、解き放ったのだ

『次代の礎を担う者達よ。我らが呼びかけに答えよ』

その戦艦に乗っていた、連合宇宙軍総司令ミスマルコウイチロウのその言葉

その言葉を受け一番心を動かされたのは、間違いなく自分だ

鉄骨を糸一本で支えていたようなものだった自分の緊張は、その瞬間、プツンと切れた

罠ではないのかとか、そういう考えは一切頭を過ぎらなかった。そして精神的に限界に達しかかっていたのは、自分だけではなかった

その言葉に、その場にいた火星の後継者の人間全てが、なんの疑問も疑いも持たずに、返答した

『我ら、時代の礎となりし者達』

そこから自分が成してきたことは、単純に労働力や起きていた時間などから見れば、そこまでの一ヶ月よりも遥かに重要であり、また己の肉体を酷使しているように見えることだろう

だが、実際は違った。今まで自分達の上に乗っていた理想と現実とのせめぎ合いによる重荷が解かれたそのときから、自分達はまさに、本当の意味で息を吹き返した

統合軍との打ち合わせ。地球の目を掻い潜り全神経をすり減らしながら行ったそれすら、なんのことはなかった。あのときの、全てに脅えながら過ごした日々に比べれば

廊下を曲がり、階段を降りる

まるで地獄への入り口のようにポッカリと開いているその階段の向こうの闇は、およそ現実とはかけ離れた雰囲気を発していた

クサカベハルキの幽閉されている、第一刑務所その最深部

理論上はミサイルが飛んでこようと核が突きこもうと揺るぎもしない、独立した独房の中

百年以上動かされていないのではないかと疑うほどに荘厳で古めかしいその巨大な扉の前で、小太りな男が背後を振り返った

「本当に、開けてもよろしいんで?」

脂ぎった顔から紡がれる言葉は愚問以外の何者でもなく、確認の意味すら男が見つめる四人の男達には皆無だった

その彼らの空気が、一挙に重くなる。触れてはいけない琴線に触れてしまったかのように、圧倒的な存在感と威圧感と、そして僅かばかりの殺意を持って

「ひっ」

およそ頭の中での知識でしかなかった。気圧されるという感覚を、男は初めて身をもって実感した

脂汗と冷や汗が同時に吹き出す。それと意識していないのに、自分の足が地震でも来たかのようにガクガクと震えているのを自覚する

怒らせた。そんな当たり前の事実を鈍りきった脳みそでようやく悟ると、男は慌てて扉のロックを解除した

扉は、一瞬にして開いた

その事実に、四人の男達の先頭に立っていた男の目が歓喜に満ちる

開いた扉の向こう。薄暗がりの独房の中に、一つの影を見出した

眠るように影に背を預け座り込むその影。およそ輪郭でしか捉えられていないにも関わらず、男はそれが誰の物であるかを瞬時に理解した

「・・・・閣下・・・・」

万感の思いと、積年の想いが男の胸に蘇った

ボソンジャンプという人間の手に余る強大過ぎる力。その使い方を正そうと立ち上がった自分達

全ては、全人類のためを思って行ったことだった。あのとき火星の後継者達の中にすでに地球人や木星人などという矮小で卑屈な差別意識を持っている人間など一人もいなかった

ただただ、人類の為に

切れ過ぎる刃は、いつかその切っ先を必ず持ち主に向けることになる

まだあの技術を、人類全ての分け与えるのは早過ぎる

資格ある者が厳重に、そして厳正に管理するべき物なのだ。でなければ人類はその力に溺れ、自ら破滅への一歩を辿ることになる

そしてその事実に気付いた自分達の願いが、ついに成就するのだ。そのための、これは偉大でありそして最後とすらいえる、最後の一歩

鉄格子の向こうの影が、ユラリと立ち上がった

その力無い動作に、微かに胸が痛む

自分達にとって文字通り神であり、そして心酔し崇拝する対象であったクサカベハルキという男が、このような覇気の無い動きをしなければならないほど衰弱してしまっているという事実に

だが、と顔を振る。それも、もう終わるのだ。この目の前の人物は、これから先の地球や月、そして火星を背負って立たれるべき方なのだ

理解のない、思考を放棄した愚かな地球人による統治も、もうじき終わる。この目の前にいる神にも等しき人格を持った方の手によって、人類は生まれ変わるのだ

「閣下!!」

目の前で開いていく鉄格子、そしてその向こうに佇むその男に、四人の男達が駆け寄る

そして、中世の騎士が自らの主君を前にしてみせるような恭しい動作で膝をつく

「我ら・・・・我ら、閣下の悲願を成就するべく、悠久のときを経て再び参上仕りました!!」

己の全てを賭けここまで辿り着いた。そして、もうこの目の前の人物に全てを捧げれば全てが上手く行く

その事実に、男の目に涙が滲んだ。それは安心感からか、それとも高揚感からか

力ない足音が聞こえる。四人は顔を伏せたまま、クサカベの次の言葉を待った

そして、男の肩に手が置かれた。その瞬間、男の目から溜まっていた涙が一斉に溢れた。ようやく、この目の前にいる男が現実の物であることに、確信が持てた。これは衰弱しきった自分が見ている夢ではなく、紛れも無い現実

理想は、もう目の前なのだ

「皆、よく耐えてくれた。これより先は、私に任せろ・・・・。諸君らの命、私が預かろう」

その声は、間違いようもなかった。クサカベハルキ、自分達の神である、あの男の声だ

四人、弾かれたように顔を上げた

「かっ・・・・!」

そして、見上げた先にあったのは

「貴様ら狂信者の魂、私が受け継ごうぞ」

出来損ないの、ロボットの顔だった

そこにあったのは、彼らが信じたクサカベの神の如き笑顔でもなんでもなく、ただ適当に誂えられたとしか思えないような粗雑な造りの、ロボットの顔があった

絶句する四人の目の前、その一瞬前までクサカベと思っていた、そう信じて疑っていなかったはずの影が、光を発した

そしてその中でその出来損ないのロボットが、先程のクサカベの声とは明らかに違う音を、発した

『後はワシに任せて、安心して眠るが良い』

それは間違いなく、聞いたことのある声

つい先程、自分が信じた、万が一のために全てを託した

統合軍総司令官―――あの老人の、声

『のお? 笑えるほど正直で真っ直ぐな、素晴らしき愚か者共』

出来損ないのロボットが、内側から膨大な熱量を吐き出し始める

男はそのとき初めて、全てを理解した

そしてそのときには、全てが、遅かった

―――「開戦の合図が総大将代理では締まらんだろう」

―――「マコト、お前は木連の人間だよ。目的のために敢えて茨の道を進むか」

―――「まあ、引き受けた。お前達の身になにかあったときは、ワシが引き受けよう。だから安心して、行ってくると良い」



―――「頭を下げるのは、戻って来てからにせい。お前も木連軍人の一人ならな」



「きっ・・・・」

自分達は、騙されていた

自分達の残存勢力も、自分達の理想へと向ける想いも

クサカベハルキに対する、信仰心すら利用して

あの老人は・・・・糞爺は

「貴様ああああ!!」

男の叫びも、そしてその背後に控えていた三人の幹部達も、全て光が飲み込んだ





「ぷ・・・・くくくく・・・・はーっはっはっはっはっ!」

統合軍本部の十九番目の会議室で、老人はおかしくて溜まらないと言った様子で笑った

その老人の目の前にある巨大なUの字テーブルには、他になんの影もない。老人は一人、その会議室で哄笑をあげる

浮かぶウインドウ。一瞬前までそこにあの火星の後継者のリーダーであったはずの男を写していたそれを指し示し

「言っただろう? 時代の礎を担う者と。喜ぶが良い! 貴様らは間違いなく、時代の礎となってくれたぞ!? もっともその先にあるのが貴様らの理想かどうかは別だがなあ!」

ゲラゲラと笑う老人に答えるように、新たなウインドウがまた一つ浮かんだ

そこに映っているのは、連合宇宙軍総司令の姿、ミスマルコウイチロウの姿だ

『終わったようだな』

「ああ、貴様か・・・・ああ、ああ、たった今終わったよ。愚かで憐れでそして愛すべきバカ共の頭は、たった今この世から消えた」

笑みを浮かべそう答える老人に、コウイチロウも口元を歪める

『では、いよいよか』

「ああ、いよいよだ。火星の後継者の残党はすでに本拠を発った。後は我々の息が掛かった連中を動かすのみ」

『・・・・総司令』

その二人の間に、新たなウインドウが割り込んだ。そこに映るのは、統合軍の中でも少将の地位を得ている男、老人の手駒の中の一人

『月第一から第七、地球第四から第八、火星哨戒第三から第五艦隊まで、全ての準備が整いました。いつでもご命令を』

「そうかそうか・・・・」

部下の言葉に満足気に笑う

その笑みのままウインドウに映るコウイチロウへと視線を向ける

コウイチロウは軽く肩をすくめると、手を振った

『この作戦の発案者はご老人、アナタだ。存分に』

「くく、そうかそうか・・・では、そうさせて貰おうか」

そう言うと、老人は座っていた机から勢い良く立ち上がった。そしてそれと同時に、彼を取り囲むように、数え切れないほどのウインドウが浮かび上がる

その光に照らされた老人は、高らかに告げた

「これより作戦を開始しよう! 今日この一日が、世界にとっての転換期だ!」

ニヤリと笑う

「見せ付けろ。我々の圧倒的な力を、そのとき初めて世界は、我々の足元にひれ伏すのだ」





血の臭いがする死体が凄惨に飛び散らかっている

その、マトモな神経の人間が見れば胃の中の物を盛大に吐き出しそうな程の、むせ返るような血臭と肉片が支配する空間の中

北辰は、口元に笑みを浮かべて佇んでいた

戦闘の余波で全て砕けた照明の中。非常灯の発する微かで頼りない光だけが、おぼろげにその影を浮かび上がらせていた

そして、その中で北辰以外の影が、一つだけ動いた

ズルズルと満足にならない下半身を引きずり、ただ恐怖心からその場を逃れようと必死にもがく、一つの影

サカキバラだった

「ひ・・・ひい」

涙と仲間の血で塗れた顔を必死の形相にゆがめ、サカキバラは折れた両足をばたつかせ、腕の力だけでただもがく

それを見つけた北辰の紅い目が、ギョロリとその焦点を合わせた

だが、ひたすら地面を這い蹲ることに精一杯のサカキバラから、それは見えない。もとより恐怖で錯乱状態に陥っている彼に、そのような事実を認識する余裕など、はじめから皆無だった

ただ足を動かす。ただ手をばたつかせる

「ひい・・・・ひっ・・・ひいい」

喉から湧き上がるその情けない悲鳴を堪えようとすらせず、サカキバラはただ這う

だが、その地面を探るように差し出していた両手の上に、唐突に痛みが降りた

短刀が二本。それぞれ自らの手の甲を貫通して、床へとその手を縫い付けていた

「・・・ひ?」

その余りに現実離れした、自分の手を刃物が貫通しているといった目の前の光景に、サカキバラは疑問の声を上げる

だが、それはすぐに襲ってきた痛みの奔流が、彼にその光景が現実だと残酷に叩きつけてきた

「ひ・・・・ひあああ、ひああああ!!」

まともな悲鳴にすらならなかった。どうして良いかわからず、サカキバラは手を動かすことも足を動かすことも忘れ、ただ喚く

そして、その視界の中に、一つの顔が突きつけられた

爬虫類の様な顔。つい先程、自分達の部隊を、刃物だけで、たった一人で、壊滅させた男

「いいいい!」

絶叫し、ガチガチと恐怖で痙攣する顎が歯を鳴らす

「良い声で鳴くなあ貴様は。最高だ」

「ば・・・・化け・・・」

「化け物か? 残念だな」

尚も何事か叫ぼうとしたサカキバラの口に短刀を突き入れる。舞った血飛沫を避けもせず浴び、全身を血に染めた北辰は笑う

「言われなれたぞ。そんな単語は・・・・そして・・・そして」

笑いを止め、片手で自らの顔を鷲掴みにする

指の間から覗くその瞳を喜びに澱ませ、北辰は心底楽しそうに呟く

「そして我を裏切った至上最高の愚か者よ・・・・・良いだろう。良いだろうクサカベよ。貴様がそのつもりならば、我は我のやり方でやらせてもらう」

顔面を掴んでいた手を外す。そこから覗くのは、裂けたような笑顔

北辰にとって、裏切られたことなどすでにどうでも良いことだった

どの道全て壊すつもりだったのだ。彼にしてみれば、その時期がただ早くなっただけのこと

人類がその自らの手で自らの首を絞め上げ、窒息死するのが、早まっただけの話だ

「統合軍よ、宇宙軍よ、連合政府よ、ネルガルよ、ナデシコよ、そして火星の後継者よ」

死体に囲まれて、血の臭いに包まれて、死の臭いを包みながら

北辰は、ただ笑う

「地球よ、月よ、火星よ、人類よ」

顔を上げる

「良かろう人類よ。これより我は全てから解き放たれよう。好きにやるぞ。我は我の思う通りに、もはや誰一人止めることの出来ぬ道を行こう・・・・テンカワアキトよ、来れる物なら来るが良いぞ」

非常灯の明かりが、僅かに揺らぐ

そしてその一瞬の後には、すでに北辰の姿は、この第三刑務所のどこにも無かった










あとがき



右を向けばド外道、左を向いたらバーサーカー



こんにちは、白鴉です



もはやなんでもありとなりつつあるというか、なんか一人でパワーバランス崩せそうな感じすらする北辰さん

ここに来ていきなり本性を現しやがったご老人

実力はあっただろうけど、ちょっと相手がアレ過ぎた特殊部隊の隊長さんとその面々

そしていきなり騙されて退場食らったリーダーさん

なんか敵の方が濃いというか、生き生きしちゃっているような感じがします、特に北辰さん

なんか誰の敵とか味方とか、そういう次元を超越したところに逝っちゃった感じです

さてさて、この面子を相手にナデシコはどう対処するのか

・・・・本当、大丈夫なんでしょうか





それでは次回で