第19話







「つい今しがた、月面基地のレーダーに、火星の後継者の物と思われる艦隊が引っ掛かったわ」

ネルガル月ドッグ第一秘書室。豪華なソファーに身を沈めてそう語るエリナの前で、アキトはただ無言

「・・・・黙っていたのは、悪かったわ。実は今現在地球では、火星の後継者の残党と連合政府、そして統合軍と宇宙軍の上層部による、武力クーデターが進行しているの」

エリナのその衝撃的な発言にも、アキトは身じろぎ一つしない。まるで全てがわかっていたかのように、そのバイザー越しに見える表情は、穏やかとすら言えた

そのアキトの様子に違和感を覚えたエリナが、僅かに眉を寄せる

すると、それに答えるように、アキトが口を開いた

「その決行が、今日か」

「・・・・ええ、今現在会長達が、それを阻止するために行動を開始してるわ・・・・でも正直、状況はかなり厳しいらしいの」

そう言って、エリナは伺うようにアキトの顔を見つめる。その意図を理解したアキトが、ゆっくりと頷く

「サレナの準備は?」

「出来てるわ。アナタには、もう少し経ってから動いてもらうことになると思う」

「・・・そうか」

言葉も短くそれだけ答えると、アキトは踵を返した

「どこに、行くの?」

「時間までまだ幾らかあるんだろう・・・・なら、休ませて貰う」

そのアキトの言葉に、エリナは僅かばかりの動揺を見せた

言葉にこそしなかったが、そのクーデターを阻止するためにルリ達が動いているだろうことは、彼には十分に想像がついているはずだ

今までの彼なら、こんな淡白な反応など絶対にしなかった。この事実を隠していたエリナに対して、怒鳴るくらいのことはしただろう

そしてエリナは、そうなったときの覚悟も、当然していた。だが、現実のアキトの反応は、先程の通りだった。なんの感情の揺らぎも見せず、ただ淡々と答え、頷いただけ

部屋の扉へと向かうアキトの背中を見たそのとき、エリナの心の中で、なにかが疼いた

得も言えぬ、表現のしようもないような僅かな違和感。まるで今見つめている背中の持ち主が、あのテンカワアキトであることを疑わせるような、そんな違和感

ただ衝動に駆られ、エリナは特に意味もなく、その背中へと手を伸ばした

そしてその目の前で、扉が閉まる

「・・・・」

第一秘書室の扉の前で、佇むアキト

ただ無言のまま、そのバイザー越しに見える表情を相変わらず無くして、ただ立ち尽くす

五秒か十秒か、それだけの間止まっていた足を、再び動かし、アキトはゆっくりと歩き出した

その纏った漆黒の外套から覗いている手は

硬く硬く、握り締められていた





揺れる車体とそのエンジン音で、目が覚めた

薄っすらと目を開く。その視界に飛び込んで来たのは、自分達が第三刑務所に突入したときに乗っていた、装甲車の天井

薄ぼんやりとした思考で、曖昧になっている記憶を掘り起こす

だが、思い出せない。霞が掛かったようにハッキリとしない記憶に舌打ちをし、おそらく寝そべっているのだろう体を起こすために、全身に力を入れる

「っ」

激痛が走った。その全身から襲ってくる感覚に、顔を痛みに歪める。だが、その中でハッキリと、他とは比べ物にならないほどの痛みで自己主張をする部分がある

痛みへと気を使いながら視線をゆっくりと移す。己の左肩

そしてツキオミは初めて気付いた。自分の全身が、治療のために巻かれたのであろう包帯で、がんじがらめにされていることに

その事実を認識した途端、フラッシュバックのように鮮やかに、おぼろげだった記憶が頭を駆け巡った

そうだ。自分は仲間と、そしてハーリーと一緒に第三刑務所を襲撃して、そしてそのときにあの男と会った

あの、もはや人と呼ぶことすら憚られるほどの殺気と狂気に満ちていた、あの男と

そして自分は、負けた

意識が途切れる瞬間に聞こえた、あの耳障りな笑い声を思い出した

胸の奥で湧き上がってきたそのときの悔しさと無力感。それにツキオミは歯を食いしばった。力を込めたために顎に再び激痛が走るが、そんなことにも構わずに、さらに力を込める

なにも、出来なかった。満足な一撃を入れることすら出来ず、ただ弄ばれて終わった

贖罪のためにつぎ込んだ努力の日々を、あの男は笑って踏みにじってきた

諦めず足掻き、そして倒れこんだ自分を、あの男は嘲笑った

全身から、怒りが吹き出しそうだった。北辰へと、そしてなによりも、口先だけだった、自分自身へと

「・・・・起きたのね」

だがその感情は、突如掛けられた声と、覗き込んできた顔に吹き飛んだ

「ああ、まだ動かなくて良いよ。・・・・お疲れ様」

「マキ・・・・イズミ」

その顔の持ち主へと、か細い声を紡ぐ

「どう・・・なったんだ」

疑問に答えたのは、イズミではなかった

「どうやら俺もツキオミさんも、そして他のナデシコクルーの皆も、助かったみたいですよ」

突如飛んできた声に、僅かに顔をずらして視線を向ける。そこには、右手を包帯で吊るしたサブロウタがいた

「・・・・サブロウタ」

「お久しぶりです・・・ツキオミさん」

ツキオミの言葉に、少しだけ居心地悪そうに、サブロウタが答える

それも当然といえば、当然であった。木連にいた時代、サブロウタはアキヤマの指揮する艦の副長だった。そして彼とつながりがあったツキオミは、当然サブロウタのことも知っている

いや、それはむしろ、他の木連の人間よりも明らかに親しい仲だった。公式には伏せられているが、あの熱血クーデターを指揮していたツキオミとアキヤマの後ろで、彼もまた相当な努力とサポートを行っていたからだ

そしてだからこそ、ツキオミもサブロウタも、互いにどう言葉を掛けて良いのかわからなかった

熱血クーデターの後、地球との交渉の全てをアキヤマに譲り、姿を消したツキオミ

裏切った、或いはそれに類するような感情を持たれていても、全く不思議ではなかった

だが、そうして気まずそうに視線を逸らすツキオミの耳に、サブロウタの声が届いた

「全部、聞きました」

その声に、ツキオミが驚いたように顔を向ける

向けた視線の先で、いつになく真剣な眼差しのサブロウタが、口を開いた

「ツキオミさん・・・あの後ネルガルのシークレットサービスの指揮、取ってたんですね」

「・・・ああ」

目を天井へと向ける。そして、なにかを思い出すように、その目を閉じた

「・・・・怨んでいるだろう。俺を・・・・アキヤマやお前に全てを押し付けて逃げ出した・・・・俺を」

それは、覚悟と共に紡がれる言葉

事実として、自分は逃げ出したのだから

逃げ出したも同然などという気すらない。自分は間違いなく、逃げ出した

あのとき、クーデターが成功したあの時、まだ木連には地球との間で、取り決めなければならなかった幾つもの問題が山積みになっていた

和平条約の締結。頭が丸ごと挿げ変わったことに対する部下の説得

取り逃がした上層部の追撃

だが、それらの問題を前にして、ツキオミはネルガルへとその身を売った。自分と命を賭けて理想を実現した仲間達に、一言の相談もせずに

全て、自分が独自に行ったネルガルとの交渉の末のことであった

熱血クーデター。それを行う上で、彼らに全面的なサポートを願い出た。それそのものはツキオミだけならず、アキヤマ達との合意の上のことであったが、そこでツキオミは極秘にネルガルと一つの盟約を結んだ

クーデターのサポートと、そしてそれが成功した暁には、自分の身柄をネルガルに匿ってもらうという、盟約を

そしてそれは、ツキオミ自身の内から現れた弱さ以外の、何者でもなかった

クーデターさえ成功すれば、もう木連は大丈夫だと勝手に決めつけ、見切りをつけて、盲目だった自分の罪を償うためと自分すら騙して、その身を消した

だが、実際はそんな格好の良い話ではない。自分は、ただ単純に逃げ出したのだ

自らの犯した罪と向き合うことから、そしてそれが色濃く残っている、木連という組織そのものから

昔自分は、戦場で姑息な手を使う地球軍を、卑怯者や臆病者と罵った。だがそれはなんのことはない、他でもない自分自身のことだったのだ

「すまなかった」

搾り出すように、ツキオミは呟く

今更こんなことを言ったところで、自分の罪は軽くなどならない。自分が逃げ出さなければ、自分がアキヤマと共に地球との交渉のテーブルについていれば、ひょっとしたらもっと地球と木星との間の溝は埋まっていたかもしれないのだ

うぬぼれかもしれない。だがそのもしもは、ツキオミの心を苛むのには十分過ぎるほどの可能性を持っていた

「・・・・すまなかった」

目を閉じたまま、ツキオミはただ呟く
罵倒されることすら、承知していた

それは一つの可能性。もし自分がネルガルという小屋に逃げ込まなければ、もしかしたらこのクーデター自体防げたかもしれない

もしかしたら、四ヶ月前の火星の後継者事件すら、防げたかもしれない。そしてその可能性は、そのままサブロウタの上司であるホシノルリの、幸せにも、繋がったはずだ

テンカワアキト。復讐鬼と化した彼に護身術や体の動かし方を叩き込んだのは、他ならぬ自分自身

そしてその理由は、決して善意でもなければ、彼のためを思ったからでもない

それは、ただの罪悪感だった。自分の逃げ出したことが引き金で起こったのかもしれない、自分が逃げ出したからこそ傷ついているのかも知れない一つの可能性が、目の前に現れたことに対する

そしてそれによって、なにもかもを奪われた男に対する、罪悪感

「・・・本当に・・・・すまなかった」

吐き出す言葉は、果たしてサブロウタに向けられた物だったのか

ただ目を覆って謝罪を繰り返すツキオミを見て、サブロウタは複雑な心境だった

正直な話、自分はそんなことを気にしてはいない。親友を撃ったことに対する罪から逃げ出した目の前の男の気持ちもわからないでもないし、なにより彼が逃げ出さなければこの騒動を止められたかと言えば、それはやはり可能性の中の一つ。今更目の前の男を責めたところで、なんの解決にもならないし、責めるほどの罪でもない

だが、と思う

それで納得出来ないのは、他ならぬツキオミ自身なのだろう

後悔の念が強過ぎる彼は、今までに起こった出来事全てを自分自身のせいにして、自らを苦しめている。そうでもしなければ、自分自身を許せないのだ

まるで義務のように、ただ自らを責め立てる

そしてそんなツキオミの内心を察して、サブロウタは思う

彼はきっと、真面目すぎるのだ。そしてなによりも、強過ぎるのだ

真面目すぎるから全てを背負い、そして強過ぎるからこそ、本来なら感じなくても構わないような痛みを、感じ続けている

誰にもその痛みを告げることもなく、ただ己自身の中でのみ解決をして、ひたすらにその痛みを享受し続けている

そこまで考えて、サブロウタもまた目を閉じた

「・・・・俺は、少なくとも俺やアキヤマ艦長は、気にしてませんよ」

告げた言葉に、ツキオミは驚いたように目を開き、サブロウタへと顔を向けた

それに答えるように、サブロウタもまた真っ直ぐと、ツキオミの目を見返した

ならば今、自分に出来ることはなんだろうか

かつて尊敬すらしていた彼に対して、出来ることとはなんだろうか

答えは一つ。ただ、言葉を発すること、それだけだ

今更自分の安い言葉で目の前の男の全てが救えるなどとは思っていない。だが、少しでも、ほんの少しでもこの男が背負っている罪を軽く出来るのなら

彼がほんの少しでも、その重荷を、降ろせるのなら

「アンタは・・・・来てくれた」

その言葉が、どれほどツキオミの心を救ったのか、おそらくサブロウタ自身、気付いてなどいなかっただろう

ただひたすら、誰に頼ることも、誰に許しを請うこともしなかった、強過ぎる男の心に、どれほど響いたことか、きっと分からないことだろう

「四ヶ月前も、そして今も・・・・アンタは、来てくれた」

その一言が、ツキオミにその四ヶ月前を思い出させた

二度と歴史の表舞台に出ることなどないと思っていた自分が、再び現れた、本当の意味での、最後の舞台

かつての同志でありながら、クサカベの言葉に翻弄されている彼ら、それはまさしく、昔のツキオミそのものだった

思考の全てを自分以外の第三者に託し、その彼の言葉を丸ごと信じ、疑うことすらしなかった。疑ってもそれを表に出さなかった、出すことが出来なかった、自分自身

そして、そんな彼らに自分が言った言葉が、頭を過ぎった

―――「シラトリツクモが泣いているぞ!!」

熱血クーデターのとき、ツクモが実は地球側のスパイだったというクサカベのでっち上げた真実は、否定されていた

彼は本当の意味で両者の平和を願い、そしてその結果自分の故郷であるはずの木連に対峙することになってまで、彼は両者の平和を叫んだ

そのことを他ならぬ、彼を殺したツキオミ自身が木連中に告げた

そしてそれから三年後、彼は再びそれを火星の後継者相手に叫ぶことになる

だが

右腕で顔を覆ったツキオミ。その隙間から零れるのは、他ならぬ

涙だった

そうだ。あのとき叫んだツクモの名

シラトリツクモが泣いているという言葉

それは、火星の後継者に向けた言葉ではなかった

あの言葉を向けるべき、本当の男は・・・・

「・・・・ありがとう」

顔を押さえたまま、ツキオミは擦れるようなか細い声を絞り出した

その言葉に、サブロウタも、そして二人の様子をただ黙ってたイズミも、僅かに口元を緩めた

二人に見守られたまま、ツキオミはただ泣いた

それは、重すぎた荷物を背負ってしまった。しかしそれでもそれを降ろすことを許さなかった自分自身を、初めて許せた瞬間だった

誰にも告げず、誰にも見せず、ただ一人でその荷物を抱えていた男が

初めて、その荷物を他人と分かち合った

「ありがとう・・・・!」

震える声を抑えもせず、ツキオミはただそれだけを口にした





「・・・来ました。あれです」

第三刑務所から随分と離れた草原。そこから延びる道路の先に見えたいくつかの車影を見て、ハーリーが呟いた

その目は、まるで泣きはらしたように赤い

そしてそんな彼らが見守る中、極めて標準的な速度で走行していたその車の群れは緩やかに速度を下げ、ハーリー達の目の前でピタリと止まった

全部で五台にも及ぶ車の中の一台から出てきたのは、包帯で腕を吊るしたサブロウタとイズミ、そして松葉杖をつくツキオミだった

「サブロウタさん!」

驚き駆け寄るハーリーに、サブロウタは笑う

「よう」

「無事だったんですね」

「ああ、怪我人だったってこともあって、他の棟とはちっと違う独房に入れられててな、お陰で戦闘や爆撃に巻き込まれずに済んだ」

ツキオミ達による強襲が始まった直後、サブロウタもまたすぐにその震動の意味を察し、独自に脱出を試みた。だが完治していない右腕を引き摺っての脱獄など当然ながら不可能であったし、例え右腕が満足に動いていたとしても結果は変わらなかったであろう

満足な道具さえ揃っていれば話は別だっただろうが、独房の中では当然ながらそのような物が期待できるわけもなく、途方にくれていたところに、イズミが現れたのだ

彼女はサブロウタを助け、彼に安全な脱出ルートを幾つか教えると、他にもやることがあるとさっさとその場を立ち去ってしまった

「・・・・やっぱりオメエか」

リョーコの言葉に、イズミはニヤリと笑う

「もー本当、イズミってば地味に凄いんだからー」

イズミの腹を肘でつつきながら茶化すヒカル

「ジュンちゃん大丈夫かなー。ここにはいないみたいだけど」

「大丈夫じゃない?どっか適当なところにでも隠れてるのよ。多分」

そんな一同を見回すツキオミ。だが、不意にその体をハーリーへと向き直すと、ゆっくりと尋ねた

「・・・・同行した他の者達は・・・どうした」

その一言に、ナデシコクルーの空気が、僅かだけ止まった

皆、気まずそうに目を逸らし、口を閉ざした

重い沈黙が流れる。だが、その中でただ一人、ハーリーだけは、真っ直ぐにツキオミの目を見つめ返していた

「アオタさん達は・・・・僕達を、助けてくれました」

先程のナデシコクルーの反応と、そのハーリーの一言だけで、ツキオミにはなにが起こったのか簡単に理解できた

元々予想していたことだったのだ、そもそも当初の作戦予定はホシノルリの救助のみ。今ここでこのように他のナデシコクルーを助けることが出来ていることすら、驚くべき成果なのだ

助けたのか、庇ったのか、それとも敵の不意打ちを受けたのか・・・・それはツキオミには、わからない

ただ、目の前の少年の目を見て、一つだけ分かったことがあった

「あいつらは・・・自らの役目をキッチリと果たしたのだな」

弾除けになれ、命など弾幕のように使ってしまえ。そんな、最低な自分の命令を、彼らは最後まで忠実にこなしてくれた

ツキオミの言葉に、ハーリーは力強く頷いた

役目を果たした彼らのことを、その一動作だけで、ツキオミへと報告するように

「・・・・はい!」

そのハーリーの言葉に、彼らを見つめていたナデシコクルー達の空気もまた、緩む

「・・・そうか」

「隊長」

穏やかに笑うツキオミ。そこに背後から声が掛かった

「どうした」

「諜報部より連絡です。火星の後継者の残党と思われる艦隊が月衛星軌道上に出現。もう間も無く月面基地の防衛部隊と接触します。それと同じく地球にある統合軍と連合宇宙軍の保有する軍施設の約七割が常駐していた艦隊を発進させました・・・・目的は、火星の後継者の迎撃では・・・なさそうです」

その報告に、場の空気が緊張で張り詰める

ウリバタケもユキナもミナトも、そしてリョーコもヒカルも、ツキオミ達の到着を待っている間に、すでにルリとハーリーからこの三日間で起こったことの全てを聞いていた

だがそれは、所詮言葉の上での実感だった。統合軍と宇宙軍が政府と火星の後継者の残党と手を組みクーデターを企んでいるという、ただの知識でしかなかった

だがそれが、先の報告の一言で、容易に実感として彼らの体へと浮かび上がった

空を見上げる、当然そこにはなにもない。ただ抜けるような青空がどこまでも広がっているだけだ。だが、その向こうで、今確かに戦争の火蓋が、切って落とされようとしている

皆、知らぬ内に息を呑んだ

いよいよ、その単語が頭を過ぎる

そしてそんな彼らの背後で、突如光が生まれた

その場にいた全員の視線が向けられる中で、その光は周囲の草原を照らす

視界の中、それはあっという間に人の形を取り、そして一際強い光を発した

その中から出てきたのは、他ならぬ

「イネスさん」

ルリの言葉に、現れた人影、イネスは白衣をはためかせながら笑う

「久しぶりね」










機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 動き出す花 』

 

 









「な、なんでイネスさんが!?」

事前のツキオミからの説明から、てっきりユリカが来るとばかり思っていたハーリーが、目を白黒させた

そしてそんな様子のハーリーと、心境としては似たような物なのだろう、彼を取り巻くルリ達を見て、イネスは苦笑を浮かべる

「ユリカ嬢はちょっと新しい用事が出来たの、まあA級ジャンパーって点では変わりないから、心配しないで」

「別の、用事ですか?」

訝しげにそう尋ねるのはルリ

「ええ、もっとも内容は知らされてないけどね。彼女にしか出来ないことらしいわ」

そのイネスの言葉に、ルリが考えるように目を伏せた

そんなルリの様子を見て、イネスは再び苦笑する

「そんなに心配しないで良いわよ。多分だけど、悪いようにはされてないはず」

「・・・そうでしょうか」

「あの会長のやることだから、完璧には保障できないけどね」

冗談めかしてそう言うイネスを一瞥すると、ルリはその視線をツキオミへと移した

その無言の言葉に、ツキオミもまたゆっくりと頷く

それを見届けると、ルリは後ろに控えていたハーリー達を振り返った

「皆さん、これより作戦を開始します。先程ハーリー君から聞かされた通り、これから私達はナデシコへと飛びます・・・・そこで、もう一度だけ聞きます。これが最後のチャンスです・・・・降りたい方は、どうぞ遠慮なく言って下さい」

だがその言葉に、意見など一つもあがりはしなかった

リョーコ達に言わせれば、なにを今更といった言葉である。そもそもここまで来て逃げるくらいなら、わざわざ危険を冒してまでハーリーを助けたりしない

その皆の視線を受け、ルリは僅かに微笑んだ。そして、後ろで控えていたイネスを振り返ると、覚悟と共に告げた

「お願いします」

「ええ・・・跳ぶわよ」





「どういうことだ! ええ!?」

月面基地の司令室で、アズマはその禿げ上がった頭から湯気でも噴き出すほどの勢いで激昂した

その一言に、オペレーターたちが身を縮めるのが見える

事の起こりは僅か十五分前

突如として月衛星軌道上に出現した艦隊。こちらからの通信による呼びかけにも一切答えず沈黙を保っていたそれが、出現と同じく全く唐突に、火星の後継者の識別信号を発したのだ

当然それを受けた月面基地は即座に緊急迎撃体制。宿直から非番で月にあるテーマパークで家族サービスをしていた職員まで、全ての人員を緊急収集

在り合わせの人員でこうしてとりあえずの迎撃体勢を取っているが、十五分で収集した全ての人員が集まるはずもなく、今現在もこの司令室では基地全館にもう何度目になるかもわからない、状況説明の放送を掛けている

だが、アズマの怒りは実はそんなところとは全く別のところにあった

目の前にある巨大なスクリーンに映る敵艦隊。彼らが自分達の交戦圏内に到達するまで、後五分程度

つまり、二十分で攻撃される位置に敵が現れるまで、自分達は敵の存在を察知できなかったのだ

この事実が、アズマには地団太を踏みたくなるほど腹立たしい

二十分である。この艦隊がやってきたのは火星側から、つまりその察知された現場に着くまでに、実に数えるのも面倒になるほどの監視衛星が無数にあるはずなのだ

だが、彼らはそれに全く引っ掛かることなく、ここまでやってきている

索敵の異様な愚鈍さ、他の職員が迎撃にてんやわんやな中、アズマだけがその事態の異常さに気付き、そして憤っている

考えられる理由など、ただ一つだ

彼らが自分達のレーダーを無効にする技術を持っているわけではないだろう、もしそうならわざわざ自分達に発見される必要がない。仮に発見されるとしても、もう少し接近してからの方が圧倒的に効率的だ

つまり、彼らは自分達のレーダーを無効化したわけではない。あの網の目のように張り巡らされたレーダー網を、自力で潜り抜けてきたのだ

そしてそんなことが、即興で出来るわけがない。つまり彼らは極めて入念に準備根回しをした上で、こうして月面を攻めてきているのだ

そこまで考えて、アズマは頭を抱えた

四ヶ月前、ヒサゴプランの要であるターミナルコロニーアマテラスの司令官を務めていたほど優秀な軍人であった自分は、そのアマテラスを破壊された責任を取らされた。無論、指揮の失敗などの、原因そのものはアズマにはない

つまり、アズマは統合軍上層部のトカゲの尻尾切りの尻尾にされたのだ。表向きは一ターミナルコロニーの司令官から月面基地の総司令という栄転ではあるが、時代の最先端であったアマテラスから放り投げられたという事実と、毎日来るはずもない敵を警戒する空しさは、アズマには苦痛でならなかった

とはいえ、目の前の事態とて、彼の本懐などでは決してない

退屈とはいえ、ここでの生活はそれなりに充実してはいたのだ。そして月での生活の感覚もようやく掴み、やっと馴染んで来たと思った矢先の、この敵襲である

自分にはなにか憑いているのではないかと、アズマは本気で我が身の不幸を呪った

「司令! 第五、第七迎撃艦隊発進しました」

そんなアズマの耳に、オペレーターの声が届く。慌てて顔を上げスクリーンを見つめると、月面に接近している赤い点の群れに向けて、基地から青い点の群れが突き進んで行く映像が見えた

「バカ無闇に突っ込ませるな! 展開しろ!」

アズマの怒鳴り声に合わせて、密集していた青い点が広がりを見せる。包むような形で、まだ遠くにある赤い点の群れを待ち受ける

視線を移すと、交戦まで後三分という数字が見えた

それを見ると、アズマは次の指示を飛ばした

「現在準備中の迎撃艦隊の内、今日が当番だった人間達を全て出撃枠から外せ」

その一言に、オペレーターが思わず振り返った

「し、しかしそれは」

「じゃかましい! 良いからさっさとやれ!!」

先程の考えが頭を過ぎる。もし敵が索敵網を抜けられるほど綿密な準備を行っていると仮定した場合、それはまたある一つの可能性を示すことにもなる

月と火星の間のところどころに張り巡らされているレーダー網を、掻い潜るのは物理的に不可能なのだ。ならばそれをどう回避したのか、答えは決まっている。内通者がいるのだ、そいつ、あるいはそいつらが手引きしたからこそ、こうして懐深くまで入り込まれた

そして、索敵網のみならず軍の機能を私利私欲から意図的に無効化することは、重罪に当たる。戦時中であれば間違いなく銃殺刑物だ

そこまで危ない橋を渡ってまで火星の後継者に加担する連中が、ただレーダー網を外してお終いのはずがない

おそらくそいつらは今日の迎撃部隊のシフトに入り込んでいる。そして自分達が慌てて彼らを迎撃部隊として発進させたところで、嬉々としてその銃口をこちらへと向けてくるはずだ。そして後から追いついてくる火星の後継者と合流し、一気に月面基地を占拠するつもりなのだ

通信を開き、警備課を呼び出す

「今迎撃のシフトを外された連中を、全員拘束しろ。多少強引な手を使っても構わん」

『相変わらずだなアズマよ』

「うるさいわ。だが可能性がある以上、無視できるわけなかろう」

『ふっ、了解した』

ウインドウに映る信用の置けるこの初老の男と、周りの人間に聞こえないような小声でやり取りをする。この司令室の中にも、火星の後継者の息が掛かった者がいないとは限らないのだ

「司令! 第一から第三までの迎撃部隊、発進準備完了しました。残りの部隊は未だ準備中」

「遅いぞ! なにやっとる!」

アンタがさっき今日のシフトの奴を全員外せなんて言ったからに決まってんだろ。と内心で毒づくオペレーター

この司令官は優秀なことは優秀なのだが、いかんせん取る戦法が強引過ぎる

「予備兵力は?」

「第八から第九まではすでに準備完了しています。十から十二ももう間も無く」

「民間人の避難は!?」

「担当区域の警察や関係省庁が対応してます。正確な避難率はまだ出ていません」

「大雑把で良い! 出せ!」

「はっ! ・・・・およそ二割弱かと」

「ちっ」

返って来た内容に舌打ちを打つ、戦闘などの有事の際に対応して、月面都市には一応大規模なディストーションフィールドが備えられている。とはいえ、艦隊戦になったときにそのとばっちりを受け、もしものことが起こらないとは限らないのだ

「敵交戦圏内まで後一分!」

別のオペレーターからの声に、アズマが視線を再びスクリーンへと向けた

そこには、『残り1:05:45』という数字がドデカク映っている

「第五、第七艦隊へ通達。射程に入り次第全力で殲滅しろ」

「了解」

「司令!」

「今度はなんだあ!?」

次々と沸いて出てくるオペレーターの報告に、アズマが怒鳴りつけながら応じる

そしてついに、そのときが来た



「第五、第七艦隊。目標と交戦を開始!」

「よおし、第一から第三も出撃させろ」

その言葉と共に、スクリーンへと三度目を移す

現在出撃している艦隊と火星の後継者との戦力は、ほぼ互角

その事実に、アズマは目を細める。こちらにはまだ第十二艦隊まで、全部で十個の艦隊が控えている

そんな自分達に、たかだか二艦隊と同等な戦力で挑んでくるわけがない

アズマはひたすら思考を巡らす。おそらく敵の狙いそのものは、先程自分が阻止したはず、つまり裏切りによる敵戦力の軽減と自戦力の増強だ

だが、本当に敵の狙いはそれだけか

これだけ周到な準備をしていた敵が、裏切りという手段を一つ封じられたからといって、もうお手上げになるのか

―――なんだ? なにを隠してる?

答えは否。そんな浅い作戦であるはずがない

そしてその瞬間、月面基地を凄まじい震動が襲った

爆音、そしてそれによる揺れ。その余りの凄まじさに、司令室がまるでミキサーのように掻き混ぜられる

もしアズマが力む余り目の前の司令卓を掴んでいなければ、彼は間違いなく目の前に移る巨大なスクリーンに頭から突っ込んでいただろう

「な、なにが起こった!?」

「爆発です! 基地内で爆発がありました!」

「爆発だあ!? 被害状況出せ!」

その言葉に答えるように、スクリーンに立体化された月面基地の見取り図が現れる

その実に六割以上が、全壊を示す赤で塗りつぶされていた

「なあ!?」

その事実に愕然とするアズマ

「格納庫、全て潰されました! 第一から第七まで!」

「レーダー全壊! 索敵効率80%低下!」

「全館火災発生! 消化班が出動していますが、おそらく」

次々と飛び込んでくる凶報としか捕らえようがない報告に、アズマが噛み締めた歯をギリギリと鳴らした

やられた。おそらくこれが敵の目的だったのだ

索敵網を抜けてきた火星の後継者の艦隊。そしてそこから自分が裏切り者の可能性を見つけることも、相手は計算にいれていたのだ

完全に意識は外に向けられていた。迎撃すること、そして自軍から出るだろう裏切り者を無力化すること、それしか頭になかった

そしてそこに、内部からの爆破

完全に読み負けた。ここまで周到だったとは、これだけの量の爆弾を基地内に仕掛けているにも関わらず、わざわざ艦隊を囮に使ってまで確実性を取ってきた

「くそっ、第五、第七艦隊の方はどうなってる!?」

「こちらの爆発を察知したようで、指揮系統が混乱しています! 被害率18%」

悲鳴のような報告が聞こえてくる

「増援を出せ!」

「無理です! 格納庫が全部潰されてます! 現在稼動できる戦力はゼロ!」

「くぅ・・・・」

目の前のスクリーンに映る被害状況を睨みつけながら、アズマが唸る

その彼の耳に、オペレーターの声が再び響く

「司令! これ以上は無理です! 退去を!」

「・・・・糞!」

心底悔しげに拳を打ち付けると、アズマは数秒の沈黙の後、顔を上げた

「退去命令を、出せ」

「・・・・了解っ」

その言葉に答え、オペレーターがコンソールへと手を伸ばした、その瞬間

「し、司令!」

「・・・なんだ」

「これを!」

言葉と共に、スクリーンに映っていた月面基地の立体図を押しのけ、映像が差し込まれる

それは

「地球側からの映像! 統合軍艦隊です!」

嬉々としたオペレーターのその言葉に、アズマは頭をハンマーで殴りつけられたような衝撃を受けた

「ぞ、増援か!?」

「おそらく!」

思わず声が大きくなる。だが心の中では、疑いも半分だ

もしかしたらこの艦隊も、火星の後継者の息が掛かった連中かもしれない

これだけ周到な連中だ。地球から上がってきたからといって、簡単に味方として信用は出来ない

「識別信号出せ!」

「はっ!」

指示を出し、オペレーターが答える

その報告を、アズマは息が詰まるような思いで待ち続けた

もしこの映像の艦隊が味方ならば、まだ逆転の余地があるということだ。だがもしこれが、これすらも敵ならば、もう自分達に打てる手は何もない。完全に追い詰められる

月を、獲られることになる

「識別出ました!」

その言葉に、鼓動が爆発的に早まるのをアズマは自覚した

どちらだ?

敵か、味方か

「識別」

早く言えと、アズマは内心で叫んだ

すでに握り締めた手の平は、緊張のせいで吹き出した汗でグッショリと濡れている

祈るように両手を組むと、アズマはただただ次の言葉を待った

そして

「火星の後継者です!!」

祈りが叶えられることはなかった

アズマはこのときこそ本当に、自分にはなにかロクでもない物が憑いていると確信した





だがこの状況で尚、彼らにとって幸運なことが三つだけあった

一つはこの月面基地が、稼動している軍施設の中で唯一統合軍と宇宙軍との合同で運営されているということ

もう一つが、司令官であるアズマですら知らない隔離された秘密格納庫が、基地の地下に一つだけあったということ

そして最後の一つは





アズマ達が敗北を覚悟したその瞬間、その格納庫に鎮座する戦艦のブリッジに、ボース粒子の増大反応があったことだ








あとがき



アズマはきっと優秀だったんです。多分



こんにちは、白鴉です



好きなんですよ、アズマさん

なんか凄く不器用な感じとか、ついでに大儀のためなら死ねるとすら叫びそうな雰囲気とか

劇場版では怒鳴り散らしただけで終わった印象なんですが、やっぱりアマテラスの防衛隊長みたいな役職についてるわけだから、多分優秀なんじゃないでしょうか

准将とか呼ばれてましたし

さて、このLoseMemory。今更ですが、機動兵器や戦艦を使った戦闘がものすごい少ないです

十九話もやってたった一、二回です

なんてこったい





それでは次回で