第20話







「・・・・成功ですね」

呟くルリ。その眼前に広がるのは、戦艦の物としては余りに技巧の凝らされ過ぎたブリッジ

中央にある艦長席。そしてそれを中心に位置する操舵手や通信士、福長席などの計四つの座席。そしてそこから僅かに下方に位置するサブオペレーター席

ブリッジ全てを覆うように作られた360度式のモニター

懐かしさは余り込み上げては来なかった。自分がこの戦艦を操ったのはたった一度だけ。あの火星の後継者事件の一回きり

だがその戦艦は、誰がなんと言おうが間違いなく最強の、ナデシコ級戦艦、ナデシコC

四ヶ月前には火星の白い大地を写していた全展望スクリーンも、今はなにも写してはいない。吸い込まれそうな漆黒

だが、今はそんなことを考えている場合ではない。事前に知らされたことが本当なら、このナデシコCが極秘に封印されていた月面基地は敵の襲撃の真っ只中だ

「皆さん配置についてください」

静かなルリの言葉に、彼らはただ従う

ウリバタケを初めとしたリョーコ達エステバリスパイロットは勢い良くブリッジから飛び出し、ユキナとミナトはそれぞれ所定の位置につく

サブロウタも右腕を吊るしたまま副長席に座し、ハーリーも慌ててサブオペレーターの座席へと走る

そんな中、ルリは静かに目の前にある艦長席兼メインオペレーターシートへと腰を下ろす

即座にそのルリを覆うように現れるウインドウボール。その中には再会を喜ぶオモイカネのウインドウが無数に浮かび上がった

『おかえり』

「ただいま」

慣れない戦艦だが、そのオモイカネのウインドウには、先程浮かばなかった懐かしさが灯る

艦内の臨時点検を行うミナト達の声を耳だけで聞きながら、ルリはただ目を閉じる

そしてコンソールへと手を伸ばし、触れる。途端に浮き上がるIFSの紋章

いけるか? という問いかけ、返って来たのは当然の二文字

その事実に僅かに口元を緩めると、ルリは目を開いた





勝敗は誰の眼にも明らかだった

基地の六割以上を破壊され、戦力の捌け口を潰され、そしてさらに群がる敵の群

絶望よりも悔恨。浮かぶ怒りはその群に対してではなく、心底不甲斐ない自分へ

ギリギリと手を握り締め、ゴウダはただ怒りと焦りに顔を歪め、目の前の巨大スクリーンを睨む

巡らす思考は逆転へのただ一手。身動き出来ず脱出の手段ももはや定かではないその中で、尚なにか取るべき手段があるのではないかと模索する

だが

なにも浮かばない。浮かぶのはただただ敗北という現実。死への可能性のみ

だが

諦めない。諦めてたまるか

死んでたまるか。負けてたまるか。退いてたまるか

まだ手放すな。まだなにかあるはずだ。打てる手はまだあるはずだ

まだ自分達には先立って出撃した第五第七艦隊がある。事実上彼らにその全てを委ねなければならないが、この戦力差においてその選択はこの上もなく愚かだ

オペレーターが泣いているような声で報告を告げてくる。損傷率22%

敵損亡率5%

20%のボーダーを越えた。これで彼らは事実上全滅に等しい状況になった

退かせるべきだ。脳味噌の冷静な部分ががなりたてる。逃げの一手だ。勝てる勝負ではなくなったが、それでもまだ逃亡のみに神経を注げばそれ自体は達成出来る

月は獲られる。だがまだ地球がある

そこでまた、冷静な自分が告げてくる

本当にそうか? 先程地球から上がってきた統合軍艦隊はなんだった?

そうだ。統合軍そして連合宇宙軍の本拠地であるはずの地球から、敵は上がってきた。それは常識で考えれば有り得ない。無許可で今回の騒動を予め察知していた連中が火星の後継者に寝返ったとしても、無傷で大気圏を突破してこれるわけがない。何十にも張り巡らされた戦時中からまだなお生きている防衛ラインがそれを見逃すはずがない

だが現実は違う。彼らはその有り得ないことをすでに幾つも突破している

掻い潜れるはずのないレーダー網。爆破されたこの基地

そして、上がってきた統合軍の皮を被った火星の後継者

ギリギリと手を握り締める

最悪の可能性が、頭を過ぎった

この基地を落とされるだけならば、まだ良い。最終的に勝てるのならば、問題はない

だが、状況は違う。地球から上がってきた艦隊、そして余りに周到で強大過ぎる目の前の敵の組織力、それはなにを意味するのか、少し頭を働かせればわかる

信じたくは無い。認めたくは無い。しかし状況から考えてみれば、もう答えなど一つしかない

火星の後継者の背後にいるのは

統合軍と、連合宇宙軍そのもの

「・・・・ふざけるなあっ!!」

至った考えに思わず叫ぶ。何事かと振り返ってくるオペレーター達の視線など、怒りで頭が沸騰しているアズマの目には入らない

冷静になれ、指揮官はこういうときこそ冷静であるべきだ。アマテラスのときの二の舞を踏むつもりか? 本来なら自分には失敗すら許されない。だがそれを身にすることもせず再び同じことを繰り返すのは、それ以前の問題だ

しかし、冷静になればなるほど、先程の考えを肯定する材料しか浮かばない

自分にとっての誇りですらあった統合軍。地球の、人類の秩序と平和を守るはずの、自分の誇るべきそれが、今それ自身の手で、その平和を握りつぶそうとしている

全身の血が煮え立ちそうだった。認めたくない、認めたくない・・・だが

理解しよう

「ぬああああ!」

雄叫びを上げ、アズマは目の前の司令卓に猛烈な勢いで頭突きをかました

先程からの自分達の司令官の奇行に、オペレーター達はもはやどうすれば良いのかわからない。迷子の子供のような目でその頭を突きこんだままのアズマをただ、なにも出来ずに見つめる

そしてそんな彼らの目の前で、その司令官は顔を上げた

割れた額から滴る血を拭いもせず、射殺すような視線を目の前のスクリーンに向ける、自分達の司令官

アズマは、口元を歪めた

良いだろう。心の中でそう呟く

理解してやる。奴らはもはや敵だ。統合軍はもはや敵だ。自分がいるはずだったあの誇りに満ちた軍隊は、もはやただのテロ屋だ

膨大な力で破壊を振りまく、最強の悪だ

「・・・・第五、第七艦隊を下げろ」

先程の激昂とはまるで別人のように、ただ静かに、低くそう告げるアズマ

「放送を掛ける・・・・回線をよこせ」

「は・・・ハッ!」

気圧されたようなオペレーターの声に一拍送れて、アズマの手元の館内放送のランプが輝く

それを確認すると、アズマは口元をゆがめた

完全に、切れた。それは先程までのような自分自身への想いも半分、そしてもう半分は、目の前の圧倒的な力と小利口な計略でなにもかもを手に入れようとしている、糞共に

「全員聞けえ!!」

アズマのその声は、今までのどの彼の怒声より遥かに高らかに、そして遥かに遠く

基地内全てに響き渡った










機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 プライド 』

 

 







突如としてスピーカーから、鼓膜を突き破るような音量で響いたアズマの声に、そのとき基地内にいた全ての人間が顔をあげた

その顔に浮かぶのは、絶望の一色

もはや成す術もなくただ目の前の業火に水鉄砲を浴びせる消火班

友を傷つけられ、憤りながらもただその治療だけしか出来ることのない現実に歯噛みする医療班。自分達の身を焼かれた怒りと悔しさでただ呻くしかできない負傷者

牙を剥こうにもその口そのものを抑えられ、体中から怒りが吹き立ちそうな戦闘員

その全ての彼らの耳に、その言葉は響いた

「現状は理解しているな。我々はもはや追い詰められた、全ての牙をもぎ取られ、足を毟られ、手を捻り落とされた」

アズマの声は、ただ響く

「爪すら剥ぎ取られた! 四肢全てが動かん! 目の前の奴らに我々が出来ることはもはや無い!!」

その紡がれる事実に、彼らの戦意は急速に縮む。自分達の指揮官から告げられるこれは、紛れも無く敗北宣言だ

嫌だ

負けたくない。自分達にも誇りがある

地球を、平和を守りたいと願う、その心

そしてなにより、軍人としての、意地がある

嫌だ

誰もがそう思った

そして、次の瞬間スピーカーから吹き出した言葉は、彼らの予想全てを遥かに上回るものだった

「それがどうした!!」

その声に、顔を上げる

彼らの目線の先、スピーカーはただ叫ぶ

「腕が無いなら肩を出せ! 足が無いなら腿を引きちぎれ! 牙が無いなら目を抉れ!」

司令室で、アズマは両手を叩き付けた

「ここに足を踏み入れたその瞬間から貴様らの命はワシのものだ! この程度のことで楽になれると思うな! 死んで楽になろうなどと考えるな!」

焼けるような目で、ただただ前へ

「絶望などやらん!」

もはや無い足を踏み降ろし

「死など論外だ!」

もはや無い腕を振り上げて

「貴様らは死ぬことすら許されん! 細胞一片になろうとも生きて見せろ!」

もはや無い牙を突き立てて

「あの連中の傲慢を吹き飛ばせ! あの自らの敗北など欠片も想像していない狡賢い腰抜け共の度肝を抜け!」

ただ前へ

「殺せ! ワシが許す! 生きろ! 命令だ! 泥水を啜ろうが、腐肉を貪ろうが貴様らに敗北は無い! 死すらない!」

それは妄執と言っても過言ではない言葉

戯言と笑われても仕方ない言葉

「一ミリでも動くなら抗え! 僅かでも怒りが残っているのならぶつけて見せろ! あの糞共に負けて良しとするような人間など宇宙へ放り投げろ!」

そこに勝算は無い。手段も無い

ただ

「貴様らに軍人の意地が欠片でもあるのなら! 抗って見せろ! 手段を選ぶな! 勝て! そしてその瞬間まで叫び続けろ!」

確信だけが、そこにあった

もう一度アズマは両手を叩き付けた。その強打する音もまたスピーカーから響き渡る

そして

僅かな沈黙の後、アズマは叫ぶ

「戦闘配備!!」

その瞬間、アズマの周りに無数のウインドウが浮かんだ

基地内のあらゆる場所から、それこそ便所から格納庫までのありとあらゆる場所から、ありとあらゆる人間の顔がそこにあった

その彼らが、一糸乱れぬ動作で右手を振り上げる

踵が音を打ち鳴らす

見事な動作でこれ以上は無いほどの敬礼の形を取る

その光景に、アズマは不敵な笑みを浮かべる

勝算など無い。手段などない。もはや勝てる可能性など億に一つだ

敵からすればとんでもなく愚かな行為だ。バカのすることと鼻で笑うだろう

誰の目から見ても勝敗は明らか。自分達は象の前の蟻だ。勝てるわけがない。理由が無い

だが

それがどうした

自分は選んだ。彼らは選んだ

誇りも尊厳も捨て敵に背を向け逃げ出すことよりも、胸を張り自らの正義を打ち鳴らすことを

自分達の正義を託した統合軍は消えた

ならば

「我ら統合軍! 世界の平和全てを背負う宿命を負った誇り高き軍人!」

これより今、自分達が統合軍だ。理想を託した、自分達の理想とした統合軍だ

来るなら来るが良い。例え仇なす者が神であろうとも、そしてそこにどのような理想が掲げていようとも、自分達は退かない

そしてアズマは手を振り上げる。目の前のスクリーンに映る艦隊に向けて

誇りと尊厳と、その他自分が持つ全ての思いを込めて

「これよりここは我らの戦場! ここより他に我らに生きる道なし!」

手を握り、それを掲げる

「ゆくぞ貴様ら!」

そしてまた、彼らも吼えた

目の前の司令官に向け、そしてなにより、これから彼らが歯向かうどうしようもないような現実に向けて

『サー! イエッサー!』





「敵艦隊後退を始めました。また目標の爆発を確認。全ての起爆装置は予定通り作動」

告げてくる部下の声に、統合軍の皮を被った火星の後継者の旗艦のブリッジで佇んでいるシンジョウは、小さく頷いた

―――予定通りだ

目の前のスクリーンに映る敵艦隊、そしてそのさらに向こうに微かに見える、おびただしい量の爆炎と煙を吐き出している月面基地

それを見つめるシンジョウの目に浮かんでいるのは、微かな哀愁

あそこで指揮を取っているのが、かつてアマテラスで自分の上司であった男であることを、シンジョウは知っている

無能な男ではなかった。多分に猪突猛進の気はあるものの、彼が戦闘や演習に置いて下す指示は的確であったし、またそれを見て自分も少なからずのことを学んだ

そう、決して無能な男ではなかった

腐敗しきっている今の統合軍の中では、数少ないマトモで希少な判断力を持っている男でもあった

だが、そう思い再び視線を向ける。その無能ではないはずの男がいるその場所は、今は炎と瓦礫に埋もれている

―――これが現実だ

どのような理念を持とうが誇りを持とうが、手足をもがれればこのように全くの無力になる

格納庫の出口は潰した、レーダーも潰した。もはや敵は牙も目も耳も削がれ、なにも出来ない木偶の棒だ

その事実に、シンジョウは僅かに目を細める

個人的な希望を述べるならば、このような形であの男と雌雄を決するのは、本懐ではない

例え仮初とはいえ、自分を指揮していた男だ。そんな人物を相手にしてこのような圧倒的な力量差でことに当たるのは、余り面白いことではない

しかし、これが現実だ

理想の為ならば、これがもっとも適切な攻撃だ。敵の中に味方を作り、彼らに背中から襲い掛からせる

騙まし討ちである、挟撃である。小賢しい方法ではある

だが戦闘においてそれらの行為は至極当たり前の行為だ。悪いのはその罠に掛かる相手

だが、この罠はどうだろうか

罠とはあくまで受動的な物だ。思考を巡らし、仕掛けを考え、そして相手がそれに嵌る一瞬を逃さず捕らえる

罠とは駆け引きだ。それに陥る相手とそれを仕掛けた自分との間での、目に見えぬ声にも出さぬ無言のやり取りがある

ならばこれは、罠ではないと。シンジョウは思う

どうもがいても逃れようのない罠など罠ではない。そこには過程もなにもなく、ただ相手が無力となるという結果しかない

幾ら理想のためとはいえ、このような方法はシンジョウの好む物ではなかった

しかしこれはやはり、しょうがないことなのだ。理想の為の第一歩。そこに汚いも糞もない、ただ相手を倒すことのみを目的とした戦闘があるだけ

「・・・・降伏勧告を出せ」

つまらなさそうに告げるシンジョウの言葉に、勝利に色めき立つ部下から威勢の良い返事が返ってくる

その返事に苦笑する。あの地獄とすら思えた、クサカベ閣下が軍に拘束されてからの苦しみを考えれば、浮かれるのも無理はない

そこまで考え、シンジョウはふと自分のことを思う

では自分は、なぜこんなに淡々としているのだろうか。火星の後継者事件のときには、こんな風ではなかった。自らに与えられた役目を心底誇りに思い、そしてそれに身を削ぐことに生きがいすら感じていた

そこまで考えて、不意に部下が慌てた声で叫んだ

「し、司令!」

「・・・なんだ」

その部下に、冷めた声で返す。この期に及んでなにを慌てる必要があるのか、肝の小さい自分の部下に、必要以上の失望すら感じる

だがその次の瞬間耳に飛び込んできた言葉に、シンジョウは驚愕する

「げ、月面基地格納庫内から重力波反応! グラビティーブラストです!!」

「なっ!?」

思わず耳を疑った。確かに自分達が破壊したのは、敵通信施設と、発射口。そう、格納庫そのものではない

だが、崩れかかったその出口にグラビティーブラストを撃ち込むなど、正気の沙汰ではない。直接爆破の対象にしてはいないものの、格納庫そのものにも相当なダメージが伝わっているはずだ。そんな倒壊しかかっているはずの部分に砲撃を浴びせるなど、もはや自暴自棄となった末の行動としか思えない

おそらくそこからまだ無事な戦艦を発進させようとしているのだろうが、そんなこと不可能だ

少なくとも最初の一隻は、確実に大破する。無事であるはずの確立など小指の先ほどもない

さらに無事に脱出出来たとしても、後続の戦艦が出撃してくるまで、自分達の攻撃をその一隻のみで封じ込めないといけない

死ねといっているようなものだ。幾ら軍人とはいえ、相手も人間だ。そんな役目を買って出るような人間などいるはずがない。敵からの降伏勧告が成されている今の状況では、なおさらのはずだ

だがそんなシンジョウの考えは、次の叫びでまたもや打ち消された

「じゅ、重力波反応の増大確認。これは一隻だけによる砲撃ではありません! さ、最低でも十隻以上もの反応です!」

「なんだと!」

シンジョウがそう叫ぶよりも早く、目の前のスクリーンに劇的な変化が起きた

一斉に放たれた敵の主砲が月面基地の格納庫といわず、表層部全てを吹き飛ばしたのだ

そしてその濛々と立ち上る煙の中、無数の影が姿を現す

統合軍月面基地艦隊。その全てが

「・・・・バカな」

確かに、理論上は可能なことだった。格納庫に座しているはずの戦艦全てのグラビティーブラストをあらゆる方角に向け、それぞれが完璧なタイミングで一斉放射する

そうすれば、当然瓦礫の倒壊など気にする必要など無くなる。倒壊するべきはずの物全てが消えてなくなるのだから

だが、それはシンジョウの理解の範疇を超えていた

敵の使命は月面基地の防衛だ。にも関わらず、自分達の手でその防衛するべき対象を根こそぎ吹き飛ばすなど、明らかにシンジョウの想像の外の行動だった

こんな行動は、今まで生きてきた人生全ての記憶を漁っても、見たことも聞いたことも、想像したこともない

頭にあの禿げた頭のアマテラス司令官の顔が過ぎる

バカだ

あの男は、バカだ

眼下から、勝利の祭りから現実へ引き戻された部下の声が聞こえる

なにやら自分に指示を求めている。他の艦の艦長や副長からも、指示を仰ぐ要請が次々と飛び込んでくる

だが、そんな物シンジョウの視界には入らない

彼の眼に映っているのは、目の前の常識外れの敵艦隊のみだ

バカである。奴らはどうしようもないほどバカである

取った行動自体もそうであるし、もし一斉砲撃のタイミングが一瞬でも狂っていれば、頭上から襲い掛かってくる月面基地表層部全ての岩盤が彼らを襲う

そしてその可能性の方が、成功の確率よりも比べる方が愚かなほど高かったはずだ

だが彼は、彼らは、それを行った。死のプレッシャーの中、焦ることも逃げることも怖気づくこともせず、その豆粒ほどの確立をもぎ取った

そうバカだ。どうしようもないほど愚かだ

だが、その艦隊を見つめるシンジョウの口元は

明らかな笑みの形に歪められていた

「司令! 指示を!」

掛けられた部下の声に、シンジョウは応じる

そう、応じよう。この戦いに、守るべきモノはおそらく彼らにとってあんなドデカイ基地などではない。それはあの基地全てに息づいていた、彼らそのもの

そう、自分達が落とすべき対象は月面基地などではなかった。彼らなのだ

「左翼右翼展開しろ! 我々も前線に出るぞ!」

途端に慌しくなったブリッジで、シンジョウはただ一人目の前のスクリーンに映る艦隊を見つめる

戦力比はおそらく五分と五分。先じてこの基地を襲撃した二個艦隊に、地球から上がってきた自分達。そして敵は無力化したはずの敵全戦力

小細工などない。もはや残された道は正面衝突。全力での殴り合いだけだ

だが、不思議と悔しさは浮かばなかった。絶対に噛まれるはずのない相手に噛み付かれたことの屈辱よりも、この状況でそれでも尚立ち上がり挑んできた相手への敬意が、それを上回った

「やはりアナタは・・・・大した男だ」

喧騒の中で誰にも聞こえることのない呟きを漏らす

相変わらず微笑みで彩られていたその口を引き締め、手を振り上げる

「勝負だ! 統合軍!」





「くくくく・・・はーっはっはっはっはっ!」

その統合軍艦隊の旗艦で、アズマは高笑いを上げた

先程の大胆すぎるほど大胆な試みが成功したことへの喜びなどではない。彼にとってあんなことは当たり前だった

それよりなにより、今アズマの胸を踊らせているのは、先程月面基地を破壊する少し前に敵から送りつけられてきた降伏勧告の文面だ

内容など見てもいない。もとより降伏する気など欠片もなかった自分達にとって、あんな物など紙くずほどの価値すらない

だが、その最後に記述されていた敵司令官の名前だけは、鮮明に記憶に残っている

シンジョウアリトモ

かつての自分の部下であり、アマテラスで自分を手酷い罠にはめた張本人

憎しみなどない。むしろあるのは喜びだ

自分達の奇行とすら呼べる行動に、敵は多少の動揺を見せたようだが、予想を遥かに上回った速度で現状を認識し、素早く体勢を立て直した

大した物だとアズマは思う。さすがは自分の元部下だ

弟子が師を越えることなど、世の中にはざらにある。むしろそれは現在が過去を越えるもっとも分かり易い範例として、評価すらされるべきことだ

だが、自分は負けるつもりなどさらさらない

そしてそれは、相手も同じはずだ

ニヤリと笑う

良いだろう。これより先は罠も計略も一切なにもない、純粋な力比べだ

四ヶ月前に、新たな人類の道を求め自分と違う場所を目指し去っていった弟子と、今あるべきものをただ守ろうとする師である自分との、戦いだ

どちらが選ばれるべき道を選択したのか

勝った方が正しいなどと寝言はほざかない。負けた方が間違っているなどという戯言を口にするつもりも一切無い

これは、ただの勝負だ。意地と意地のぶつかり合い。互いの誇りを掲げて繰り広げる、決闘だ

「総員に告ぐ!」

アズマは高らかに告げる

「これより戦闘を開始する! この戦闘の是非によって月の所有者が決定する重要な戦闘だ!」

その言葉に、ブリッジのあらゆるところから勢いのある返事が返ってくる

怒号の満ちるブリッジの中、アズマは手を振り上げる

その仕草は、皮肉にも今正しくシンジョウが旗艦のブリッジで行っている動作と、全く同じ物だった

同じ軍におり、同じ物を見、同じことを感じたはずの二人の男は、違えた道を今再び衝突させる

「敗北は許さん! 我々が求めるはただの勝利のみ! 立ちふさがる物は全て叩き伏せねじ伏せろ!」

掲げた腕を目の前のスクリーンに振り下ろす

「我らに不可能なし! 我らこそ最強! それを証明して見せろ!」

その瞬間、オペレーターが顔を上げる

「司令!」

「どうした!」

「大破した月面基地の地下に大規模なボース粒子反応! 何者かがボソンジャンプを行ったいるようです! 目的地は不明! 離脱かと思われます!」

その一言に、アズマの眉が僅かに反応する

「! 対象より入電」

「こっちに回せ」

「はっ!」

渡された今時珍しい紙の文面を見て、アズマの顔が壮絶な笑顔に染まる

その文章は、ただの一行。しかしアズマにとっては、それだけで十分な一行

「似合わんことをしおって」

発信者の名前すらないその一文を見て、それでもアズマにはそれを発した連中が何者なのか、一瞬で理解出来た

公式にはA級ジャンパーが一人もいないとされているこの状況で行って見せたボソンジャンプ

援護することも出来たはずだ。噂に聞くあの戦艦の能力ならば、それでこの敵艦隊を無力化することも容易かったはずだ

だが奴らはそれをしなかった。代わりによこしたのは、この短く適当な一文だけ

そう、奴らは確信したのだ。自分達の勝利とやらを、あの、月面基地からの大脱出を見て、確信したのだ

そして、僅かな時間でも惜しいとでも言うように、こんな文章一枚送りつけてさっさと去っていった

手に取るようにわかる。それはおそらく、自分と彼らが、今同じ目線に立っているということだ

皮肉なことだ。アズマはそう思う

今自分は、つい四ヶ月前は落ち目の軍隊の客寄せパンダと蔑んだ存在と肩を並べ、そしてそのときの自分の誇りであった統合軍であり火星の後継者と、戦っている

「昨日の敵は今日の友・・・・良く出来た言葉だ」

くく、と口から声を漏らし、アズマは視線を前へ移す

「良かろう小娘! その激励に答えてやろう!」

自分達の戦場は、ここだ。悔しいが、自分達に守れるのは精々月一つ

だが奴らは違うのだろう。奴らの戦場はこのようなちっぽけなところではない、もっと重要な、おそらくこの戦争の全てが決定するべき場所のはずだ

自然と悔しさは浮かばなかった。別に高望みするつもりなどはなからないし、自分にとってここは、最高の戦場なのだから

『貴艦ノ健闘ヲ祈ル』

握り締めた、ちっぽけな紙の中の文章を胸に刻み込み

アズマは吼えた

「ゆけいナデシコ! 貴様らが戦うべき戦場へ!」

迫る艦隊を見つめ、アズマは声を張り上げた

それは、開戦の狼煙

「月は任せろ!!」








あとがき



根性がある方が勝つ。そんな世の中が案外一番良いんじゃないでしょうか



こんにちは、白鴉です



なんか本来の予定とは大幅に変わってしまいました

本当ならナデシコが助けに入るはずだったんですが・・・・自力で立ち直りやがりました

キャラが独走するのは良いことなのか、悪いことなのか

さておき、ここからようやく反撃開始です

まいどまいどのことですが、どうなることやら





それでは次回で