第22話







重い沈黙に満ちていた

その暗闇に落ちた部屋の中、相変わらず点いたり消えたりを繰り返すウインドウに囲まれて、老人はただその視線をある一点に向けていた

向かう先には、ウインドウが一つ。ただ他のちらつくウインドウと違い、それには人の顔が映し出されている

連合宇宙軍総司令。ミスマルコウイチロウ

「・・・・どういう、意味かな?」

老人の口調は、確認の意味を求めていた。だがその顔に張り付いているのは、もはや目の前にいる敵に向ける、獰猛な無表情

言葉に合わせるように、コウイチロウは笑う。罠にはまった獲物に向けるような、種そのものが違うとでも言いたげな程の、不敵で余裕に満ちた、獰猛な笑顔

『始まりは、戦争だった』

コウイチロウの口をついて出てくる言葉に、老人は目を細める

『人類史上初の、惑星間での大規模な戦争。きっかけは百年前に連合政府が自らの手で引き金を引くことになった、月独立事件』

もはやわかりきっていることを、一から全て口にする

『追放された人間達がある日得た。かつての誰かが残した巨大過ぎる遺産。だが彼らはそれに飛びつき、その力を行使し、復讐を企てた。自分達の元故郷、地球へと』

語る彼の口元からは、すでに先程見せたような笑みは消えていた

『そしてその戦争の中、地球は敵の正体そのものを、木星もまた有り得ない情報で相手を悪としたてあげ、互いに滅ぼしあった』

その目に、むしろ哀れみか悲しみか、それに類するような表情を乗せ、コウイチロウは続ける

『だがその戦火の中、木星に一人の男がいた。その男が望んだ未来とは、曲がりなりでもなんでも地球と木星との共存の道だった・・・・だが男は』

続く言葉に、老人の無表情に、僅かに険が浮かんだ

『だが男は、余りにも子供であり、そして大人でありすぎた』

言葉は続く

『戦争には、どうしても勝者と敗者が生まれる。そしてそこに男は、自分達の敗北での決着、自分達が道を譲ることでの事態の収拾など、考えもつかなかった』

それは、仕方が無いことではあった。誰も自分が間違っているとは思わず、相手こそがその過ちを正すべきだと信じて疑っていなかったあの戦争において、それは仕方の無いことであった

地球側の人間にとって、一部の人間を除き、自分達の平和を乱す木星トカゲなる存在は害以外の何者でもなかったし、過去に自分達が虐げられてきた歴史を知っている木星にとってもまた、地球は悪以外の何者でもなかった

『開戦当初、軍で事実上のトップとも取れる存在となっていた男にとって、その戦争は本来ならば短期決戦で決着がつくはずだった。だが、その目論見は外れる、そしてそれが示す戦争の長期化は、それこそ双方にとって無駄な犠牲を生むことになると、わかりきっていた。だから男は、急いた』

そこで一拍置くと、コウイチロウは目の前の老人へと視線を移した

『だから男は、どんな手を使ってでも勝つことを選択した。例えどんな卑怯な手を使おうとも、それによってもたらされる終戦という事実が、後の人類のためになると、疑わず、信じて』

「・・・だがその男の考えは、またも覆されることになる」

ポツリと呟いた老人。その反応に満足そうに目を細めると、コウイチロウは頷いた

『男にとっての人類の為となる戦争の終結とは、木星の勝利以外に有り得なかった・・・・。だが男は、その新年とは別に、膠着した戦線とこのままでは消耗戦となりいずれ敗北する事実を受け止め、地球圏代表として現れた戦艦との交渉において、和平の道を選ぼうとした』

「それも結局は、枯渇したと思われた古代文明の遺跡が火星から新たに発見されたことで、決裂するわけだがな」

『そうだな・・・だがまあそれも結局無駄になる。こともあろうにある一隻の戦艦が、自分達の命綱になるはずであり、そしてその戦争においての最終目標でもある遺跡を、こともあろうか宇宙に放り出されてしまったわけだからな』

コウイチロウの言葉に、そのときのことを思い出しでもしたのか、老人の表情が険しくなる

『本来ならその時点で、戦争の意味は消失していた。だが、男は退くわけにはいかなかった。放り出されたとはいえ依然人類の手の中にある過ぎた力を、自分達以外に御しきれるとは思えなかったからだ』

「だがその決意もまた、水泡に帰す」

『熱血クーデター。男はこともあろうに、信じていたはずの味方から撃たれ、そして戦争はその男にとってもっとも不本意な形での、和平条約の締結による終戦となる』

老人の顔が、僅かに緩む

「だが男は諦めなかった。そのときすでに男の頭には、人類をどうすれば導くことが出来るのか、その答えが浮かんでいたのだからな」

『そう。男は自分の膝元で活動させていた古代技術の研究機関だけが握っていた少数の、しかし確実にその段階で解析されていた古代技術よりも数段上の技術と共に、姿を消した』

自嘲するような笑みを、コウイチロウは浮かべた

『考えればおかしな話だったのだ。幾ら有力な若手将校達が起こしたクーデターとはいえ、軍のトップであるはずの男が自ら出撃するなどな・・・むしろ身を隠すための格好の言い訳にされたわけだ』

「そして男は身を隠し、三年の時を待った」

『そう、戦後の混乱に乗じてのA級ジャンパーなどのボソンジャンプの独占。徐々に増やした信望者。そしてヒサゴプランと言う名のお膳立ての発足』

全ては、完璧なはずだった。決起したその男を中心とした火星の後継者と名乗るクーデター集団。ジャンパーの独占、ヒサゴプランの乗っ取りによるボソンジャンプ技術の独占。そしてそのボソンジャンプというアドバンテージを最大限に生かした部隊の運用

「だがその決起もまた、予想外の因子の出現により、またもや水泡に帰すわけだ」

皮肉気に笑う老人

「その男の企てる計画は、どれもこれもが失敗する・・・・不思議なことだ、まるで世界そのものが男の計画を阻止しようとしているかのように、不自然な程に湧き出る奇跡の数々によってな」

『奇跡などという陳腐な単語で括らないで貰いたいな。その勝利は間違いなく、その時代を生きている人間達の努力と機転によってもたらされたものだ』

「だが・・・・今度はどうかな?」

皮肉気な笑みは、一瞬にして自信と傲慢と確信に満ちた物へと取って代わる

「男はバカではない。二度の敗北すら計算にいれ、最後のこのクーデターを実行しているのだぞ?」

『我々もまたバカではないよ』

「ああそうだろうな・・・・だがそれもやはり男の手の平の上でのことだよ。貴様らがどのような行動を起こそうとも、その男は全てを切り捨て振り払うだろう」

そこで初めて、男は声を変えた。まるでそのような行為などすでに無意味であると高らかに宣言するように、外見は老人の姿そのままに、しかしそのしわがれた老人の声は、若々しさとは程遠いながらも、それでも生気と威厳に満ちた、ある男の声へと変貌する

「本来の名を隠し姿を変え、今貴様の目の前に立つ男を、どう止めるつもりかな?」

老人―――クサカベハルキは、目を見開き笑う

『その姿・・・それもやはり木星が地球側に隠匿していた技術の一つかね?』

「ちっぽけな物さ。我々が得て隠していた技術に、貴様らは僅か三年で追いついてきた・・・・残っているのはこのような使い所のほとんど無いような姑息なナノマシンと、戦争に置いては雀の涙ほども役に立ちはしない、脆弱なフィールド発生技術だけだよ」

笑みを深める

「だがそれで、十分だ」

『そうだろうな・・・・大事なことは、貴様らが地球を欺いていたという事実のみ、内容など付属品だ』

「わかっているようだなあ」

クサカベは、試すような目でコウイチロウを見た

「奇跡の一つや二つでも起こして、止めて見せるか? 無理だろうがな。貴様らがどう動いても我々はそれを止める準備がある。それに万一止めることが出来たとしても・・・そのときは、我々の押し隠していた真実を観衆に晒すことになる。そうなれば戦争だ。もはや勝者も敗者も決められない、泥沼の殺し合いだぞ」

コウイチロウは語らない

「悪いようにはせん。諦めろ。私の手に世界を治めたところで、そこに地獄などありはせんさ。むしろより快適で安全な箱庭のような世界が待っているのだぞ? それをわざわざぶち壊し、中身を戦乱の中に放り込む意味がどこにある」

僅かに身を乗り出し、ウインドウの中のコウイチロウの目を覗き込むようにしながら、クサカベは笑う

「今なら貴様の発言も取り消してやろう。一緒に箱庭を作らんか? 双方が愚かに殴り合い倒れる未来と、偽りとはいえ確実な繁栄と安楽が約束された未来。どちらを選ぶべきなのか、貴様にはわかるはずだ」

勝者の口ぶりで、語る

「選択を誤るほど貴様も子供ではあるまい。この事実を公表してそれでも分かり合えると本気で思うほど子供でもないだろう・・・・大人なら、分かるはずだ」

そしてその言葉を聞いて

コウイチロウは笑った

『大人か・・・・』

まるですでに無くしてしまった大切な物を振り返るような口調で、ポツリとつぶやいた

『私もお前も・・・・大人などではないよ』

「ほう、では子供か?」

『このような醜悪な子供などいない。我々は、もはやどちらでも無いよ』

そういって、コウイチロウはクサカベを見つめる

『皮肉にも、貴様の外見が、そのまま我々をあらわしてしまっているさ』

不可解そうに眉を潜めるクサカベに、ゆっくりと告げる

『我々は、老人だ・・・・それもとびきり性質の悪い、身の程を忘れた、な』

「・・・ほう」

その言葉に、しかし戯言以上の意味を見出さず、クサカベは笑った

「ではその老いぼれに振り回される世界は、一体なんであろうな」

『振り回されはしないよ・・・それはやはり、子供や若者の役目だ』

その言葉の裏になにか引っ掛かる物を感じたクサカベが、目を細めた

「・・・・なにを企んでいる?」

『おや、我々がなにをしても止められるのではなかったかな?』

「それと知りたいという欲求とは別物だよ。ミスマルコウイチロウ」

『そうかそうか・・・・なに、簡単だよクサカベハルキ・・・・言葉通りだ。時代を引っ掻き回すのは我々老人ではない。それはやはり、若者の役目だ』

言葉と共に、そのコウイチロウの映るウインドウの横にもう一つ通信が浮かんだ

それは新たな支配下が増えたことを知らせる部下からの報告でもなければ、月面攻略が失敗したことを報告する通信でもなかった

正規のルートを通してやって来た通信ではない。何者かの手によって強制的に割り込まれた物だ

そしてそこには、六人の小娘が映っていた

それを見た直後のクサカベの反応は、冷めた物だった

だが、その表情が段々と引きつり始める

そしてクサカベがその通信の意味するところをようやく悟ったときには、全てが遅かった










機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 開演 』

 

 









地球と火星との丁度中間の座標に位置しているナデシコCのブリッジで、ポツリと呟いた

「全回線への強制割り込み完了・・・・準備完了です」

『了解しました。これより作戦を開始します』

形式ぶったユキナの言葉に、ウインドウボールに包まれているルリは苦笑する

そしてその横に、こちらはいつもの調子のミナトの顔が現れた

『電波良好。メグミちゃん達。どーぞ』



展望室、芝生の上に備え付けられたマイクをそれぞれ握り締め、メグミとホウメイガールズ達は、緊張の余り強張った表情のまま、ミナトの言葉にガクガクと首を縦に振った

そしてその直後、ナデシコCはその搭載されたシステム掌握能力の全てを、開放した

自分達にも分かり易いように視覚化されたマップの中、地球と火星の間に一つだけ浮かんでいたちっぽけな点を中心に、小さな円が生まれた

そしてそれは瞬く間に巨大化し、そのまま信じられないような速度で、その円の両端に、地球と火星を捉えた

デカデカとしたウインドウが、ゴーサインを告げてくる

目を閉じ、呼吸を整える

今から自分達が行う行為。それによって、この戦争の勝者が決まる

その天秤がどちらに傾くのか、それはまだわからない。それは今から決定することだ

深く息を吸う

この話を最初に聞いたとき、無理だと思った。自分達はただのちょっと顔の知られたタレントだ。こんな何万人の命を左右するような、そして下手をすれば人類のこれからの道すら決めてしまうほどの大役など、不可能だ

そう思った。そしてその思いは今も変わってなどいない

だが、現実はもう目の前だ。昇らなければならない舞台は、すでに主役の自分達を待ち構えている

逃げたい、心からそう思った。だが同時に、逃げたくないとも思う

自分達は、終始安全なところでヌクヌクとしていた。ルリを初めとするナデシコクルーがつかまり、そして命がけで刑務所から脱走している間も、自分達の身に危険の要素など欠片もなかった

彼らは、命を張った

なら、自分は何を張った? なにもしてはいないし、自分はなにも失っていなければ、得てもいない

黒尽くめの集団に追いかけられ、それでも仲間を庇って撃たれもしていなければ、必死で刑務所から脱獄もしていない

そして、ようやく与えられた役割すら、自分には、自分達には無理だと叫んで逃げ出すのか?

答えは、否

断じて否だ

メグミは、ホウメイガールズは心を引き絞った

土壇場でようやく

覚悟が、決まった

顔を上げる

歌おうと、思った

紡ぐのは歌ではなく、言葉である。だがそれは間違いなく自分達の歌だ

報われなくても良い。望む結末にならなくても、もはや構わない

そう思えるくらい、そう満足出来るくらい、歌おう

結果が最悪の世界になっても、例えそこに荒廃した世界が広がろうとも、それでも自分達は精一杯やったと胸を張れるくらい、歌おう

閉じていた目を開き、メグミ達はマイクを手に取った

ステージが始まる





「第五部隊沈黙! 迎撃失敗です!」

「ヒメジョウ撃沈! 止められません!」

悲鳴のような部下の叫びに、アズマは歯噛みした

「嘘だろ・・・」

誰かが漏らした呟きに、しかしアズマも内心では同意だった

突如として自分達の目の前に現れたあの機体は、瞬く間に五隻の戦艦を潰し、二桁に昇るアルストロメリアを葬った

有り得なかった。目の前の機体の存在は、すでに常識の範疇だった

怒りが込み上げる。こんな戦闘など聞いたことがない。たった一機の機体にこうまで押される艦隊戦など、聞いたこともない

機動兵器一体対月面基地艦隊

そんなバカなカードなど見たことも無い。ましてやその勝者が、その機動兵器一体の方などという馬鹿げた夢物語など、もし自分が読めば憤慨して破り捨てる

だが現実は、変わらない

「第五部隊全滅!」

「再編成急げ! 右翼のミズアオイと左翼のセイカと呼び戻せ! 大至急だ!」

指揮卓が壊れるほどの勢いで腕を叩きつけ、アズマは怒りに身を震わせた

たった一機の機動兵器に、まさか全兵力を集中させることになるなどと、夢にも思わなかった

「・・・・化け物が!」

思わず口をついて出た言葉だったが、それがあながち間違いではないことなど、すでに誰もが承知していた

正に悪夢のような現実として、目の前の化け物はさらに速度を上げる

右翼から接敵した戦艦の周囲をあざけるように回転し、その一瞬後にあるのは爆発

「シチヨウ撃沈!」

また一つ、味方が潰された

「ぐっ・・・」

思わず呻く。そしてその次の瞬間、さらに信じられない光景をアズマは見る

「! 通信です!」

「どこからだ! この忙しいときに!」

「発信源・・・ぜ、前方の機動兵器!」

「・・・・なん、だと」

信じられない言葉と共に、目の前のスクリーンに一つウインドウが浮かんだ

そこに映し出されているのは、目の前の悪魔のような機体を操っている、爬虫類のような顔を喜悦に歪ませた、おぞましい顔だった

俄かには、信じられなかった。たった一機にここまで翻弄され追い詰められている現実だけでも十分に脳の許容量をオーバーしているにも関わらず、その機体から通信が入ることなど、もはや悪い冗談としか思えなかった

だがその悪い冗談は、その外見と全く同じ、おぞましい声で喋る

『貴様が指揮官か・・・・』

ドロリとした粘性のような言葉が、不快に耳に流れ込む

「・・・そうだ」

通信をしながらも、しかしその機動兵器の動きは一切の鈍りも見せはしなかった。襲い掛かってきたアルストロメリアの攻撃をなんなく捌くと、その顔面に手にしている釈杖を突き立てる

『腑抜けばかりと思っていた統合軍の中では、随分とマシな指揮をするな』

だが目の前のスクリーンの男は、全くその桁外れな機動の影響など見せなかった

まるでこの通信を行っている男は、あの機体に乗っていないのではないのかと思わせるほどに

「だからなんだ」

『貴様らは、なんのために戦う?』

「ミジカヨ撃沈!」

「・・・・なんだと?」

睨みつけるアズマの視線など意にも介さず、北辰はさらに続ける

『大儀とやらか? それとも正義か?』

嘲るように顔を歪め、北辰は言葉を突きつけた

『教えてやろう・・・貴様らが必死に守ろうとしている今の世界が、地球と木星が、いかに醜く歪められた事実の上に成り立っているのかを』





「さあ歩け! モタモタするな!」

火星の後継者の脅威にさらされ、それでも尚抗うことが出来る地域など、一握りしかありはしない

半分は突然の味方の寝返りに、そしてもう半分は、それを封じ込め安心したその直後の隙を、辺りに潜んでいたさらなる敵艦隊に捻じ伏せられた

ここもまた、その中の一つだった

抜けるような青空の下。両手を拘束された統合軍の人間が、長蛇の列となり、周囲を武装した兵隊に囲まれながら歩いていた

皆一様に、うなだれたように顔を伏せている

だが、そんな中で一人。その集団の先頭を歩く男は、堂々と顔を上げ、拘束されている両手など関係ないとでも言うような毅然な態度で歩いていた

名を、アララギという。蜥蜴戦争の際にその類まれなる指揮能力を発揮し、木星を引っ張っていた軍人の中の一人だ。本人の希望さえなければ、その名前は間違いなく熱血クーデターを執り行った際の重要人物として、歴史にその名を刻まれたことだろう

だが優秀なその手腕と、死こそ美徳としていた木連の中でも、その思想に真っ向から反逆し部下の命を極力危険にさらさなかったその精神とは裏腹に、この男はどうにもならない変人でもあった

思想にも世論にも振り回されない彼だからこそ、アララギはこともあろうか戦時中に、地球側の間で話題となっていた特異な戦艦、ナデシコのオペレーターを務めるホシノルリを電子の妖精と呼ぶ、電子の妖精ファンクラブを結成していたのだ

上層部にその事実が露呈すれば、反逆罪として極刑とされても全くおかしくなかった当時から、すでにアララギはその余りに自由過ぎる感性を隠そうともしていなかった

火星の後継者事件においても、その電子の妖精ホシノルリの為に、自ら危険過ぎるシャトルの護衛を買って出たような男である

そんな彼が指揮するアラスカ方面基地が陥落し、こうして拘束されている理由は、至って単純だった

他の地域と全く同じように、突如として姿を現した火星の後継者の艦隊を相手に迎撃体勢を取り、戦おうとした瞬間に、基地が爆発した

それもやはりその火星の後継者が行ったことだということはわかっていたし、艦隊が現れた直後に彼もまたアズマと同じように敵の狙いを察知し、予め注意を払っていたお陰で、被害は最小だった

戦おうと思えば、まだ戦えた。だがアララギはそのような状況で、いつもの涼しげな顔で、降伏を宣言したのだ

当然部下からは怒号のような不満が上がったが、それもやはり彼は顔色一つ変えずに諌め、こうして捕虜として連行されている

「そういえば・・・・」

そしてそんな状況でも、やはりアララギはアララギであった

鼻歌でも聞こえそうな程の気楽さで、彼は自分の後ろを同じように連行されている副官へと話しかけた

「聞いたぞ。もう直子供が生まれるそうじゃないか」

「・・・・は?」

話しかけられた副官は、その余りに楽天的な言葉に思わず声を漏らした

アララギは、そんな自分達の挙動に銃を構えて警戒する周りの兵士など目にも入っていない様子で、歯切れの悪い副官に不思議そうに眉を寄せた

「は? ではあるまい。もうじき父親になろうという男がそんな顔をしてどうする。もっと胸を張れ胸を」

「え、あ・・・いや」

そのアララギの態度に、さすがにその副官も困惑気味に狼狽する

この男のこういう天真爛漫な性格は知っているし、慕ってもいるが、さすがにこの状況でもこんないつも通りのペースで話しかけられるのは困る

「そ、そうですけど・・・司令、状況を見て下さいよ」

「なぜだね? 赤ん坊は良いぞ? 可愛いしな。俺に嫁はいないが、いつかは自分の子供を抱きたい物だ。うらやましいぞ」

そういって、いつも通りの顔で笑う

「ちょっ、ちょっと司令! 声が大きいですよ!」

潜めた大声で慌てる副官

「なに構うことはないさ。赤子は偉大だ。その存在はきっと次の時代を支える柱だぞ」

「そ、そうかも知れませんが・・・・・」

今はそれどころではないだろうと、平時なら声を上げて注意するところだが、今は状況が悪過ぎる

「お前も最初は赤子だったのだ。恥じることはないぞ。誰だってそうなのだからな」

「おい! 静かにしろ!」

その余りに実の無い会話に業を煮やしたのか、アララギ達を連行していた兵士の内の一人が銃を構えて歩み寄ってくる

だがそれでも尚、アララギはいつも通りだった

「おや、君も混ざるかね? 歓迎するよ」

敵であるということを認識しているのかしていないのか、アララギはにこやかに笑った

その態度を、自分達をバカにしていると取ったのか、その兵士は乱暴にアララギを殴り倒した

「司令!」

慌てて声を上げるその副官も同じように殴り倒す。背後から連行されている一団が抗議の声を上げるが、それも周りを取り巻いていた他の兵士達の銃口によって呆気なく沈黙した

「貴様舐めているのか!」

倒れたアララギは口の中を切ったのか、その唇から一筋血が流れた

両手も満足に使えないため、身を起こして座り込むことしか出来ない。そしてその通りにした彼のコメカミに、兵士は銃口を押し付けた

しかしアララギは、その状態でも顔色一つ変えはしなかった。相変わらず口元を涼しげに歪め、銃口など欠片も気にしていないような様子で、その目を兵士へと向ける

アララギの、この状況では異常とすら取れるその余りにもいつも通りの態度に、一瞬だけ兵士は身を引いた

だが、すぐに思いなおすと、銃口をコメカミへと再度突きつけた

「・・・舐めている、か・・・ふむ、確かに俺は君達を舐めているのかもしれない」

「・・・なんだと」

フラフラとしながらそれでも立ち上がったアララギは、そのまま男の顔を真正面から見つめた

相変わらず、涼しげに笑いながら

「なぜなら俺は君達のこのクーデターが成功するとは思っていないからだ」

その一言に、目の前の兵士だけでなく、周りにいた全ての人間が驚いた

皆一様に、この男はなにを言っているのかと、見たことも無いような動物を見る目つきだ。それはアララギの部下ですら、そうだった

だが、そんな一同の視線など気にも掛けず、アララギはただ笑う

「いや、気を悪くしないで貰いたい、と言っても無理かな。まあとにかく、そういうことさ」

「っこの!」

再び殴りつけようと拳を握る。だが、その行為が無意味なことは先程のアララギの態度からも明らかだった。そのことを悟り、兵士は煮えたぎる怒りを、なんとか抑えた

だが、そんな彼の感情を逆なでするように、アララギは喋る

「確か君達は、新しい秩序を作ると言っていたな。ああ、それは別に構わないんだ。必要ならばしょうがないと思う・・・だがな、俺にはどうしてもそれが必要だとは思えないんだ」

「バカか貴様は! このまま人類にボソンジャンプなどという過ぎた力を与えたままでは、いずれその力で必ず彼らは自らを滅ぼすんだぞ!」

決まりきった文句を言う。それを見てアララギは、その目を僅かに細めた

どうせこの言葉も、誰かの受け売りなのだろうと

「では聞こうか」

蔑むでもなく、諭そうとするでもなく、ただ純粋な好奇心からといった様子で、アララギは顔を近づけた

「君達は、何者だい?」

その唐突な質問の意味を咄嗟につかめず、兵士は呆然とした

この男の態度といい、そして先程からの言動といい、すでに兵士の理解を超えていた。意味がわからない

その男の様子を見て取ると、アララギは言い方が悪かったか、と一人呟き、続けて言った

「君達も、人類だろう?」

「・・・だからどうした!」

「いやなに、どうも君達の先程からの言動を見ていると、人類と君達は別物なのだと言っているように聞こえてね」

そこまで言って、アララギはふと顔を上げ、何事か考えた

「つまり早い話が、君達が言う人類というのは、ボソンジャンプの使い方をわかっていない人々という意味かい?」

先程から一人で勝手に理解し、勝手に一人で話を進めるアララギに、男はそれでも我慢した

「・・・その通りだ」

押し殺したような声で、答える

その答えを聞くと、アララギは不思議そうな顔をした

「それなら当然だ。このクーデターは失敗するよ。悪いことは言わない、やめたまえ」

もはやその場にいる誰も、アララギの言動にはついていけなかった

「・・・それは我々を侮辱しているのか! 人類の未来のために敢えてこの身を捧げ立ち上がった我々を!」

だがそれでも、この自分達の全てを賭けたクーデターが失敗すると、平気な顔で告げた内容だけは、簡単に理解出来た

屈辱と怒りで顔を赤くする男に、アララギは依然として、微笑みながら言う

「答えは簡単だ。意味が無いからだよ。ボソンジャンプが下手をすると人類全ての危険に繋がることを理解していないような人間など、誰もいないし、そんな使い方を望むような人間もまた、一握りくらいしかいないさ」

平然と告げられた内容は、男には我慢ならない物だった

先ほどからロクに噛みあわない会話をしていたこの男だが、それでもこの言葉だけは、聞き捨てならなかった

つまりこの男は、自分達の行っていることを、バカでも思いつく簡単なことだから意味がないと言っているのだ

自分達が命を賭けて世界に叫んでいる警句など、とうの昔に皆気付いていると、そう言っているのだ

「それにほら、あれだ」

アララギもまた、木連の軍人だった

趣味や趣向は多少ずれてはいても、やはり彼の根幹に根付いているその感覚は、誰よりも木連軍人だった

続けられた言葉を聞いて、彼の部下はそう確信した

「こんなやり方で我を通そうとする組織は、必ず負けるものだよ」

余りに許しがたいアララギの言葉に、ついに男の堪忍袋の尾が切れた

構うものか、殺してしまおう。上司には脱走を企てたから止む無く射殺したとでも言っておけば良い。どうせここはもう自分達の領地なのだから

そう思い突きつけた拳銃の引き金を引こうとした、その瞬間

「撃つのかね?」

絶妙のタイミングで割って入られた。引き金を引くタイミングを一瞬無くしてしまった男は、さらに怒りを募らせながら、答えた

「当たり前だ・・・」

「ほう、それは恐ろしいことだな」

アララギのその言葉に、ようやく男の中で、この目の前の男の命を、今自分が握っているという実感が沸いて来た

その事実に、ちっぽけな尊厳を満足させた男は、アララギに大物ぶった口調で告げた

「命乞いをするのなら、許してやらんこともないぞ」

口元が、堪え切れない愉悦に歪む。この目の前の鼻持ちなら無い男に、なにをさせようかと、男の頭はそれで満たされていた

土下座だろうか、いや、この男は案外とあっさりとやってしまいそうだ。自分の誇りや尊厳など欠片も持ち合わせていないに違いない

ならば、自分の靴でも舐めさせるか

これは、良いアイディアのように思えた。自分は天才かもしれないと自惚れた考えを頭に貼り付け、男は嬉々としてアララギの次の言葉を待った

だが、アララギは男の予想を、またしても裏切った

「ああ、撃つのなら構わんよ。思うさま撃ちこみたまえ」

どうでも良いという口調では、なかった

その言葉には、死に対する恐怖が欠片も見当たらなかった

まるでそんな物などなんでもないという風に、男の耳には聞こえた

だが、すぐに考えを改める。この男は自分達がこの基地を襲撃したとき、ロクに戦いもせずに白旗を揚げたような腰抜けだ

そうだ。これは強がっているだけだ。ちょっと脅しを掛ければすぐに泣きついて来るに違いない

そう考えた男は、その銃口を僅かに逸らし、引き金を引いた

乾いた銃声が、辺りに響く

「司令!」

組み伏せられた副官が、悲鳴に近い声を上げる

そしてその背後にいるアララギの部下もまた、心臓をわしづかみにされたような、緊迫した表情を浮かべた

それを横目で見、男は嘲るように笑う。こんな男のなにがそんなに大事なのか、やはり愚者の下には愚者が集まる

そう思い、男は目を向ける。掠った銃弾のせいで裂けた頬から血を流す、アララギへと

半ば以上、当てるつもりだった。それほどギリギリのところを狙った

だが、その目を見た瞬間、男は再び凍りついた

「・・・貴様」

わななく唇から零れた言葉にも、やはりアララギは動じない

彼は、なにも変わっていなかった。相変わらず口元を緩め、ただ真っ直ぐに男を見ている

背筋を、冷たい物が走った

信じられない物を見たように、男は取り乱した

自分の脅しが全く効いていないアララギ。それは先程からの態度がどうせ見せかけただけだろうと思っていた男にとって、信じられないことだった

ここまで至近距離で銃弾を浴びせられ、それでも顔色一つ変えないなど、もはや正気の沙汰ではない

「貴様・・・・命が惜しくないのか!」

一体なにに気圧されているのかも理解出来ず、男はただ喚いた

その言葉に、アララギはその口元に浮かべた微笑を、深める

「死ぬのが怖い人間などいないさ」

「ふざけるな! では貴様の態度はなんだ!」

「極自然なことだと思うがね。君に俺は殺せない。なぜなら俺には君達が正しいとはどうしても思えないからだ」

その場の空気が、止まった。またしても意味のわからない言葉を吐くアララギ

意味がわからない。この目の前の男が自分達の正しさを信じていないことと、自分にこの男が殺せないことと、一体なんの関係があるのか

だがアララギは、男にとってさらに訳のわからない行動を取った

その身を僅かに逸らすと、彼はこともあろうに、その男が構えている銃口の先端に、己の眉間を突きつけたのだ

彼の部下が息を呑む

だがそんな彼らの様子など歯牙にもかけず、アララギは笑う

その銃口の持ち主ですら、余りに常軌を逸しているアララギの行動に面食らっている中、彼はまた言葉を紡いだ

「例えば今私は絶体絶命の状況に陥っている。だがそれでも、俺は君に殺される気がしない」

「・・・バカか、貴様は」

震える指を引き金に掛け、男は呟く。その声もまた僅かに、震えていた

「この状況でまだ貴様は我らに殺されないというつもりか!」

「そうだ。普通なら死ぬね。君がその引き金を引けば俺は死ぬ。俺も普段なら、ただの敵が相手ならそう思う・・・・だがね、君達を相手にしているときは、なぜだかそうは思えない」

先程の発砲の余熱がまだ残っている銃口にさらに額を押し付ける

「もし今君がこの引き金を引いても、装填されているその弾丸が不良弾かもしれない。もしくは雷でも落ちて、君が死ぬかもしれない」

空は、抜けるような青空だ

「そう思えるのは何故だろうね。多分それは俺が、君達に欠片も正しさを見出せないからだと思う。君達の行おうとしていることで、笑えるようになる人間が一人もいないような気がしてならないからだ」

「そんなバカなことがあるか!」

「そう、そしてその言葉すら、俺にはただ死なないという確信を深める材料にしかならない」

銃口の下から、アララギはねめつけるように男を見上げる

その視線に、男は初めて恐怖を感じた。全く理解出来ない、未知の物に向ける恐怖だ

「いつの時代も、勝った方が正しい。それはつまり、正しい物しか勝てないということだと、俺は思っている。そして先程言った通り、俺は君達に欠片ほどの正しさすら見出せない。無論、その俺の考えが間違っているのかもしれないが、この場合は、なぜか不思議と確信出来る」

僅かに身を退く男に、さらに詰め寄りながら、アララギは告げる

「君達に、俺は殺せない」

引き金に掛かる指に、力がこもった。それは純粋な恐怖からだった

この目の前の訳のわからない男に対する、全く不可解で理不尽な恐怖

目に見えて震える拳銃からは、もはやいつ弾丸が発射されてもおかしくなかった

助けを求めるように、男は視線を背後に向けた

「っ!」

だがそこにあるのは

アララギの部下達の、揺るぎ無い視線だった

先程まで騒ぎ立てていた彼らが、今度は全く正反対に、なんの行動も起こさず、ただ淡々と自分達を見ている

―――なんだ・・・なんなんだこいつらは!

上司も理解不可能ならば、部下達もまたその通りだった

その狼狽しきっている様子の男を見て、アララギは笑いながら目を閉じる

三年前の、蜥蜴戦争のことを考えていた

あのときの自分は、こんな風な考え方など欠片も出来なかった。木星の正義もわかる、自分達の都合のために何万何十万、もしかしたら億に届いていたかもしれない人間達を歴史的に抹殺した地球への怒り

その怒りは、よくわかる。当然だとも思える

だが、そんな理由で、その地球にいるはずの、事情もなにも全く知らない人々まで、巻き込んで良いのか

木星での情報操作によって、アララギもまた、地球人は血も涙もない残酷な人間であるという教育を受けている。だが、当時からすでに自分が信じたことしか信じていなかったアララギにとって、そんな虚偽塗れの情報などには一片の信憑性すら感じなかった

おそらく、地球側の一般人と呼べる人々は、そんなことなど知らない。それは自分のみならず、誰でも少し考えればわかることだった

そう、彼らが殺したのは、自分達ではない

そして、自分達は、彼らを殺した

難儀なことだと、そう思う。一体どちらが正しいのか

そして、また思う

あのときの戦争に比べたら、このちっぽけで矮小な戦争の、どれほど単純で簡単なことか

皮肉に彩られた笑みが浮かぶ

だがそれもやはり、彼に拳銃を突きつけている男にとっては、すでに十分な恐怖の対象になっていた

そして男は、思考を放棄することを選んだ

恐怖のまま、引き金に力をこめる。アララギは依然、一切の無抵抗のままだ

「うっ・・・」

どこから湧き出るのかわからない感情に、思わず言葉が漏れる

そして、男がその指に力を込めた、その瞬間

その場に、無数のウインドウが浮かんだ

数は膨大だった。だがそれは冷静な人間が見れば、その場にいる全員の人数と全く同じ数だということに気付けただろう。そしてその発信源が、彼らがそれぞれ身に着けているコミニュケだということにも

だが、当事者であり頭に血を昇らせていた兵士達はそれに気付かない

ただ呆然と、突如として降って沸いたそのウインドウを見つめる

その、六人の人間が映っているウインドウを

呆気に取られ、立ち尽くし、ただそれを見つめることしか出来ない一同の中で

アララギは、満足そうに笑った

そのウインドウに映る六人の女を、アララギは知っていた

四ヶ月前の火星の後継者事件で、銃口を突きつける相手に向かって、こともあろうかマイクで立ち向かった、無謀でバカで、しかし決して嫌いではない人間達だ

そんな彼女達を見て、アララギはその笑みを一層深くした

どうやら自分の勘は正しかったようだ

どうやら世の中は、正しい者が勝つように出来ているらしい

そのとき、アララギの頭に一つの単語が過ぎった

陳腐な言葉だ。自嘲気味に笑う

「しかしまあ・・・お似合いか」

辺りを取り巻く兵士達も、そしてアララギの部下達も、ただ呆然と立ち尽くすその中

両手を拘束され、相変わらず眉間に銃口を突きつけられ

それでもアララギは、その場にいる誰よりも堂々と、告げた

「正義の味方の、おでましだ」








あとがき



・・・・また変なのが出てきた



こんにちは、白鴉です



アララギさんについて補足させて頂きます

なんせマイナーにも限度があるようなキャラなので、テレビ版にも劇場版にもほとんど出てこないです

テレビ版では、確か19話くらいのアイドルコンテストで出てきました。艦長の人か、その副官の人で、スタッフロールにすら名前が出てきませんが、確かそんなあれがアララギだとどこかで聞いたか読んだかした覚えがあります。公式ではない可能性もありますので、もし間違えていた場合、どうかその辺はご容赦ください

劇場版の方は、電子の妖精と呼んでルリを赤面させた男の方です。シャトルで月にナデシコCを取りに行くときの護衛艦隊を指揮していた人といえばわかりやすいでしょうか

本家の方でほとんど描写がないので、半ばオリジナルキャラ化しております、どうもすみません

次回、大攻勢です。多分





それでは次回で