第23話







最初の言葉は、挨拶だった

その日、そのとき、その瞬間、突如全ての人間の元に現れたウインドウに映る彼女達が行ったのは、挨拶だった

すでに知らない人間などいないにも関わらず、彼女達は律儀に頭を下げ、そして己の名を告げた

メグミレイナード、テラサキサユリ、タナカハルミ、ミズハラジュンコ、ウエムラエリ、サトウミカコ

どこにでもいそうであり、どこにもいないその六人は、彼女達を取り巻く数え切れないほどのウインドウに囲まれ、しかし全く物怖じしない視線を前へと向け

ゆっくりと語り始めた

それは三年前から始まる長い長い物語

まだ記憶に新しく、そしてその爪によっていまだ苦しむ傷を負っている人々もいる、昔からの、そして未だ終わっていない物語

そんな話、語られる必要もないほど、人々に身に刻み込まれている、昔話

『始まりは、戦争でした』

メグミが口を開く

『三年前、私達が生まれて初めて経験した、戦争でした』

サユリが口を開く

『その戦争に、正義はありませんでした』

ハルミが口を開く

『どちらにも正義があり、そして悪があり、しかしそこから互いに目を逸らして戦いあう、戦争でした』

ジュンコが口を開く

『でもその戦争は、終わりました』

エリが口を開く

『和平という形で、互いに掛けた正義よりも、今目の前に広がる人々のために、そして誰も望まない戦争という行為を終わりにするために、その戦争は終わりました』

ミカコが口を開く

六人が順々に喋る。そして全員が言葉を終え、僅かに沈黙が降りる

五秒か、十秒か、その間彼女達はただ真っ直ぐに、目の前の無数のウインドウから呆然と注がれる視線と、向かい合った

『・・・しかし』

そしてメグミが、再び口を開いた

『本当に戦争は、終わったのでしょうか』












機動戦艦ナデシコ

 Lose Memory 』






『 子供が笑える未来の為に 』

 

 











『皆さんもご存知のように―――』

とある建造物の中にある廊下で、賢明な言葉で語るメグミ達が映るウインドウ、それを見つめながらプロスペクターは微笑んだ

「なるほど、そういうことですか・・・全く、会長も人が悪い」

一人、合点がいったようにそう呟く

その目には、この瞬間までその作戦を伝えなかった自分の上司であるあのロンゲの男に対する不満など、欠片もなかった

むしろその目に宿るのは、感心や尊敬などの、相手に対する敬意だった

「・・・良く決断されました」

「ミスター!」

ふと、声が掛けられた。その方向に視線を移すと、慌てた顔でこちらに走り寄ってくるゴートがいた。その傍らにはフヨフヨと漂っている、今プロスペクターが見ている物と同じウインドウ

「これは一体」

走り寄ったゴートは、状況が飲み込めないといった顔で、ウインドウを示す

「なに、簡単なことです」

眼鏡を押し上げ、プロスペクターは告げる

「会長のいつもの、悪ふざけですよ」





『四ヶ月前の火星の後継者事件。そしてそのときに再び現れたクサカベハルキ―――』

「た、隊長。これは」

「黙ってみていろ」

ざわつく部下達の中で、ただ一人ツキオミは、目の前のウインドウを見つめていた

その口元が、歪む

なるほどと思う。つまりはこういう筋書きだったのだ

あのアカツキが、これほど勝ち目の薄い勝負に出るなど、おかしいとは思っていたのだ。あの根っからの商売人であり、感情よりも理性を優先させる男が、あんな不利な戦いを挑むわけがなかったのだ

突如として降って沸いた火星の後継者と、そして手のひらを返して踊りかかってきた統合軍と宇宙軍

当然、人々は混乱する。なにが起こったのかもわからず、理解も出来ず、そして全てがわかるときには、もう遅い

おそらくそのときは、火星の後継者か、あるいは統合軍宇宙軍の代表格であるはずの人間からの、勝利宣言が成されているときだろう

だからこそ、このタイミングでの、これなのだ

敵の中でも、自分達に与えられた命令の意味がわからず、しかしそれでも反抗することも出来ず、押さえつけられている人間も大勢いるはずだ

なぜなら、敵が掌握しているはずの人間は、艦隊総司令などのおよそ命令を下す側の人間ばかりだからだ

そして、この通信で、その押さえつけられている彼らに自分達が今行っている行為がどういう意味なのかを、知らしめる

―――つまり、我々は囮か

だが、不思議と怒りは沸いて来なかった。あのいけ好かない笑みばかりを浮かべている会長だからこそ思いついた、この方法

おそらくこれは、このクーデターのさらに先を見据えてのことなのだろう

もし自分達だけが踏ん張り、そして奇跡が起こり、ナデシコCや無事なはずの艦隊を使ってこのクーデターを潰し、首謀者達を捕らえることが出来たとしても、またどこかで同じ芽が顔を出すだろう

だから、こんな通信を行っているのだ。自分達が先程まで行っていたやり方では、普通に生活し、普通に生きている人々に、この事実は伝わらない。だから、こうして全ての人間に真実を突きつけているのだ。彼らの意識を変えるために、自分達で動いてみろと、そういうために

甘い考えだ。そう思う。こんな通信一つで世界中の人間達の意識が変わる物かと、そう思う

―――だが

そこまで考え、ツキオミは目を向ける。尚も賢明に喋り続ける、メグミ達へと

―――だが、嫌いではないな

『以上が、今皆さんが陥っている現実です。今皆さんがこうして生きている生活は、ボソンジャンプの危険さを知らしめるために動き出した人たちの手によって、破壊されようとしています』

ウインドウの中のメグミ達の説明が、終わった

今この状況の全てを、語り終えた。ボソンジャンプの危険性を重んじる余りに、他の全てを忘れた人間達の手によって、今この地球や、月や、火星が、圧倒的な軍事力によって震撼させられようとしていることを

さて、とツキオミは思う。ここからどうするのかと

今の説明だけでも、動き出す人間は動き出すかもしれない。だがそれは、先程ツキオミが考えた人々の考えを変えるほどでは無い

なにを喋る? ここからどうやって、世界中の人間達を突き動かす?

結果から見れば、ツキオミの考えは、当たっていた

だが、そのために彼女達の起こした行動は、そのツキオミの予想のさらに上を行くものだった

『そして私達は――――』

続けられた言葉に、ツキオミは目を見開いた





「お、おやっさん!」

転がり込むように休憩室に飛び込んできたクラシキ

余りに急いでいたのか、扉の縁に足をぶつけて身を折った

だが、すぐにそれどころではないと思い返すと、彼は顔を挙げた

ソファーに身を沈めている、セトへ

「こ、これ」

「黙ってろ!」

食い入るようにウインドウへと目を注いでいたセトが、そのままクラシキの方を見もせずに怒鳴る

目を驚愕に見開き、信じられないような物を見、信じられないようなことを聞いているセトは、そのままウインドウを見つめながら、呟いた

「・・・・正気かよ」





メグミ達は、言った

『火星にある、民間にはその存在が隠されている非公式ラボから、ある資料が見つかりました』

『そこには、木星連合の上層部の方達がひた隠しにしていた、ある事実がありました』

『それは』

そこで僅かに、メグミは息を詰めた。この事実を本当に言っても良いのかと

引いてはいけない引き金を、自分は今引こうとしているのではないのかと

そう考えると、急に恐ろしくなった。もしこの事実を告げることによって、世界がどうしようもないほどの破滅へと向かってしまったら、自分はその責任に耐え切れられるのだろうか、その重圧に抗いきれるのだろうか

僅かに、体が震え始めた。恐怖と、そしてその向こうにある最悪の世界を考えて

だが、そこで肩に手が置かれた。驚いて顔を向けると、そこには僅かに微笑んでいる、サユリがいた

この状況でも尚、笑ってみせる彼女。その唇が、声もなく動いた

信じろ、と

皆を、信じろと

その言葉に、メグミもまた、微笑み返した

また自分は、忘れるところだった。自分がするべきことを

つい先程決意したではないか、歌おうと

その事実に気付くと、メグミは顔を上げた

決意と共に、言葉を吐いた

『木星は地球側に、古代文明の技術を、隠蔽していました』





『人間の外見すら改変させてしまうナノマシン』

「ミ、ミスター・・・・これは」

『人間サイズにまで小型化が成功している、ディストーションフィールド発生装置』

ゴートは一瞬、自分の耳がおかしくなったのかと思った

ウインドウの中のメグミ達の周りに、次々と、そのどれもが世界を引っくり返してしまうほどの威力のある内容のレポートが浮かび上がる

否定しようが無い程の、余りにも数限りないその証拠

『A級、B級ボソンジャンパーの人達の身を犠牲にした、人体実験』

それは、再び世界を血みどろの戦乱に突き落とすには、十分過ぎる事実だった

「なるほど」

その横のプロスペクターの言葉に、ゴートは我に返った

「ミスター! このままでは!」

「通信回線への強制割り込みだけなら、確かにナデシコCだけで全ての範囲をカバー出来ますしね。それに申し分ない人選です。民間にすでに顔も名も知られているメグミさん達なら、こういうことにも信憑性が増す」

「ミスター!」

この男は、なにを悠長なことを言っているのか

このままでは、時代は逆戻りする

いや、逆戻りなどという生易しい物ではない

「ルリさんという手もありますが、軍人であるあの人では、やはり公平性が欠けてしまうでしょうし」

「ミスター!!」

このままでは、戦争が始まる。それも今度こそ、救いようのない戦争が

条約を破った木星側に不信感を持った地球軍は、もはや和平などとは夢にも思うまい。そうなれば、後は互いに互いの身を黒炭にするまで終わることのない、殲滅戦争になる

さらに今、木星も地球もなく、同じ場所で彼らは生活しているのだ

隣人がそのような事実を隠していたということを知れば、不信感と、そしてよくも騙してくれたなという怒りが湧き上がるのは必然

そうなれば、もうなにもかもが手遅れだ

一体会長は、メグミ達は、なにを考えているのか

彼らは今、破滅への一本道へと、世界の背中を押したのだ

正気の沙汰とは思えなかった

ゴートの声に、プロスペクターは目を向けた

「どうしました? そんなに大声を出して」

「なにを言っているのです! このままでは」

慌てて視線を上げる、メグミ達を写しているウインドウは、さらに数々の物的証拠や事実を挙げている。もはや木星側に言い逃れなど出来ない

「このままでは、戦争になるのですよ!」

「なぜです?」

切羽詰ったゴートの言葉に、プロスペクターは呑気に眼鏡を押し上げる

「なぜって・・・」

思わず言葉に詰まった。この男に限って、先程のメグミ達の発言の意味がわかっていないはずがない

なのになぜ、これほど悠長にしているのか

「現に木星の隠匿していた事実が世間に明らかにされているのですよ! これでは地球は、いえ、世界は!」

「まあ落ち着いて下さいゴートさん、アナタらしくないですよ」

「そんな悠長なことを言っている場合ですか!」

『以上が、三年前の戦争と、そして四ヶ月前の火星の後継者事件と、そして今皆さんの身に起こっている、クーデターと・・・・』

メグミ達の声が聞こえてくる

『地球と・・・・・木星の、真実です』

ウインドウの中の彼女達は、頭を下げた

『ご静聴・・・・ありがとうございました』

たったそれだけの言葉を残して、ウインドウが消えた

後に残されたのは、痛いほどの沈黙のみ

ゴートはどうして良いかわからず、ただ視線を目の前の男に注ぐだけだった

いつも寡黙で冷静なゴートがここまで取り乱すほど、メグミ達の発言は衝撃的だった

今この瞬間、おそらく世界は、破滅への一歩を踏み出している

なのにこのプロスペクターの余りに落ち着き払った態度が、ゴートには全く理解出来なかった

「状況を整理してみましょうか」

それはゴートの、望むところだった

「つい先程、メグミさん達はこのクーデターの首謀者と、そして全容を挙げました。そしてついでに、木連側が和平条約の最重要項目である古代火星技術の全てを地球側に公開していなかったことも、彼女達はこれ以上無い程の証拠を積み立て、世間に知らしめた」

そこまでわかっていて何故焦らないのだとゴートは怒鳴りつけたくなる

だが、次の言葉に、思わず二の句が告げられなくなった

プロスペクターは平然と、いつもの態度でいつものように、能天気にゴートを見上げたのだ

「それがどうしたんですか?」





「ふむ」

呆然とした一同、つい今しがた突きつけられた事実に、理解が追いついていない人間達の中で、アララギは息を漏らした

「中々思い切ったことをするものだなあ」

物音一つしない彼らの間に、アララギの声は十分すぎるほどの声量で響き渡る

そしてその言葉に、スイッチがオンになったように、その場にいた全ての者達の意識が、ハッキリと元に戻った

「動くなあ!!」

怒鳴り声が響く、その方向に顔を向けると、先程までアララギの眉間に拳銃を突きつけていた男が、立っていた

いつの間に距離を離したのか、警戒するように銃を構え、怒りと混乱に満ちた視線を、アララギへと注いでくる

「・・・・騙していたのか!」

振り絞るような怒りの声に、アララギは眉を寄せる

「戦後三年間! 貴様ら木星人は我々をずっと騙していたのか!?」

その男の言葉に、アララギは息をつく。おそらく、今世界中で、これと同じようなことが起こっているのだろう

それこそ自分達のような軍人同士の間での話から、民間人レベルまでで、だ

急がねば、と思う

このままでは全て手遅れになる、と

そう思い、アララギは一歩を踏み出した。男に向かって

「動くなあ!」

三メートルほど先の彼は、まるでなにかに脅えるように腕を震わせている

なにが怖いのかは、おそらく本人にもわかっていない

ただ漠然とした、恐怖感と危機感だけが、そこにあった

「・・・・何故だろうね」

一歩を踏み出しながら、アララギは笑った

「動くなと言っている!」

「何故こうも人間というものは、わかりきった答えを見つけられないのか」

「黙れ!」

言葉と共に、発砲音が響いた

そしてその音に一拍遅れ、右膝から血を流し、崩れ落ちるアララギ

「司令!」

背後で、アララギの部下達が悲鳴を上げる

撃った男も、まるで発砲が自分の意志ではなかったとでも言うように、信じられないような物を見る目で、己の手の中にある拳銃と、膝を折ったアララギを交互に見つめる

だが、その中で

「痛いね。本当に・・・・痛い」

血が吹き出るのにも構わず、アララギは拘束された両手を不便そうに揺すると、右足を庇いながら、立ち上がった

そして、ズルズルと動かない右足を引き摺りながら、歩みを再会する

「う、動くな!」

「・・・・先程、君は言ったね」

俯き気味のアララギの表情は、髪に隠されて見えない

だが、その影から僅かに覗いている口元が、笑っているのが、見える

「我々を、騙していたのか、と」

「動くなといってるんだ!」

男は、右足を引き摺りながら、それでも笑いながら歩み寄ってくるアララギに、恐怖を感じ始めていた

「我々とは・・・なにを指すのかね?」

「・・・・きっ、決まっている! 我々だ!今この場にいる、火星の後継者だ!」

「ほう・・・・それは、おかしなことだ」

さらに一歩を踏み出した。もう両者の距離は、二メートルを切っていた、手を伸ばせば触れられるほどの距離で、アララギは男と対峙する

「君達の中にも、木連出身者はいるはずだがね」

「っ、それは」

「その彼らも、撃つのかね? 俺にやったことと同じように、騙していたなと叫びながら、今まで君が彼らと積み重ねてきた時間全てを否定して、撃つのかね?」

男の目が、迷うように泳ぐ

そしてそのとき初めて、アララギは顔を僅かに上げた

髪に隠されていた視線が、男のそれと重なった

両者の距離は、すでに一メートルを切っている

「・・・・出来ないだろう?」

アララギの決定的な言葉に、思わず身を引く

だが、その退いた距離だけ、アララギが前進する。足を引き摺りながら

「出来なくて、当然なのだよ。人間とは、きっとそういう物だ。騙されていたからといって、今までの記憶が消せるわけではない、簡単に嫌いになれるわけでもない」

不便な物だ、心からそう思い、アララギは笑みを濃くした

「君の選択は、二つだ。全てを否定し、君の言うところの全ての木星人に刃を突き立てるか、それとも、だからどうしたと、笑い飛ばすか」

「そ、そんな―――」

「―――やるんだよ」

一瞬、その言葉がアララギの物だとは、わからなかった

怒っているのか、それとも悲しんでいるのか、よくわからない声色で、アララギは告げた

勢い良く身を乗り出し、男との距離をゼロにして、息が掛かるほど顔面を近づけ、アララギは睨みつけた

「逃げるな。この事態を招いたことには、君達の責任もある」

「なっ」

「確かに引き金を引いたのは彼女達だ。だが、そこに弾丸を込め、その引き金を引かざるを得ないようにしたのは、他ならぬ、君達自身だ」

無茶苦茶な、言いがかりだった。確かに言っていることに一応の筋は通っているのかも知れないが、それにしても余りに無茶苦茶過ぎる

相手がどの武器の引き金を引くかということにまで、責任が取れるはずがない。戦争していた相手国が核を撃ったからといって、その戦争をしていたもう片方の国にまで責任が生じないのと同じことだ

「そ、そんなことにまで責任が持てるか!」

「いいや、持たねばならない。なに、君達だけに押し付けたりはしないよ。我々にも責任があるのは確かだ・・・だから」

ニヤリと笑う

「一緒に、責任を果たそうじゃないか。ん?」

そのアララギの目を見て、男は背筋が冷たくなるのを感じた

この男は、本気だ。本気でこんなことを言っている。理屈も理論もかなぐり捨てて、自分達を道連れに後戻りの出来ないどこかに連れて行こうとしているのだ

「つ、付き合いきれるか!!」

混乱し、自分でも情けないと自覚できるような声を上げ、男は手に持った拳銃でアララギを殴りつけた

だが

「付き合ってもらうさ」

殴られた頬を腫らし、それでもアララギは相変わらず笑いながら、顔を向けてくる

「わ、我々に責任などない! これは貴様らが自分自身の手で招いた事態だろう!」

「・・・・理解出来ていなかったか」

冷たい言葉に身を硬くした瞬間、その衝撃は来た

脳天を貫くほどの大打撃、衝撃が突き抜け、視界がグラグラと揺らいだ

それが、アララギの頭突きによる物だと理解するまで、数瞬程の時間を要した

崩れ落ちる男の顔面に再びアララギは顔を近づけ、そして告げた

「責任だとかどうとか、もうそんなことは問題ではないと言っているんだ」

「ふ、ふざけるな! そんな責任逃れなど」

「状況を見て言ったらどうだ。責任云々の話をするのなら、今この瞬間、誰よりもなんの関係もないにも関わらず、誰よりも深刻な状況を追い遣られているのは誰だ」

「そ、それは」

それは間違いなく、今も普通に生活を営んでいる。一般人と呼ばれる人間達だ

そう、彼らはいつも悪くない。ただ目の前にある幸せや苦労を、精一杯生きているだけなのだ。なのに様々な戦争や革命家の戯言で対象にされるのは、いつも決まって、彼ら自身

事態の深刻さに気付きもせず、緩慢にただ平和を貪るだけと、そんなお決まりの文句で、理不尽に平和を奪い取られるのは、いつも決まって彼らだった

そして、今もまた

「先程君に問うた選択が、今世界中の人間達に突きつけられているのだ・・・・この上、一番当事者に近い我々が背を向けオズオズと逃げるなど、許されない」

男が、脅えたようにアララギから目を逸らす

「逃げるな」

しかしその動きも、アララギの言葉に身を僅かに震わせ、恐々と視線を戻した

「この選択、誰かが選べばそれが真実になる。誰かが怒りに震え隣人を撃てば、世界中で同じことが起こる。そうすれば蜥蜴戦争など赤子の如き戦いの幕開けだ。二年や三年では終わらないぞ。最後の一人を、最後の欠片をどちらかが焼き尽くすまで、その戦いは続く」

アララギは続けて言った

「もう猶予は無いぞ。選びたまえ、全てを捨てて全てが滅ぶ道を選択するか、過去を鼻で笑い未来を見据えて突き進むか」

顔をさらに突きつけた。後ろ手で縛られている両手を握り締め、アララギはその目に揺らぐことの無い感情を乗せ、最後の言葉を告げた

「これから生まれる子供がアホ面ぶらさげて『平和ってなに?』と尋ねる世の中か、それとも鼻水ぶらさげて『戦争ってなに?』と聞ける世の中か」

それは間違いなく、今アララギの目の前にいる男に委ねられた選択だった。両手を縛られもはやなにも出来ないアララギ達の代わりに選ぶ彼の選択が、下手をすると何千何億の人間の命を左右することになる

その事実を相手が理解するのを待った。そしてその瞬間浮かんだ、余りの重圧に押し潰されそうな男に向かって、アララギは微笑んだ

そして、さらに冷淡に、告げた

「さあ・・・・選びたまえ」





「くく・・・・ははは・・・・はーっはっはっはっはっ!」

沈黙を破ったのは、彼らの司令官の、枷が外れたようなバカ笑いだった

月面基地に展開する艦隊、その旗艦の中で、アズマは可笑しくてしょうがないと言った様子で笑い狂う

先程行われた通信、その内容のあんまりな事実に呆然としていた面々は、同じく呆然とした顔で、アズマを見つめる

もはや艦隊の動きは、完全に停止していた。そしてその眼前に、北辰の操る夜天光が浮かんでいる

アズマの前で展開しているウインドウの中、北辰は僅かに不快気に、その眉を潜めた

『・・・なにが可笑しい』

「くく・・・なにが可笑しい? なにが可笑しいだと? これが笑わずにいられるか? あ?」

アズマは笑いながら、先程の通信のことを思い返す

「貴様が散々勿体ぶって言おうとしていたこととは、まさか先程の通信の内容と同じことか?」

そのアズマの言葉に、北辰が僅かに口元に力を入れた

『だったら、どうだ』

「そうかそうか、そうなのか・・・全く、貴様といい火星の後継者と言い、そしてクサカベといい、間抜けにも程がある」

アズマは、今彼がいるブリッジを見回す。こちらに視線を向けてくる、自分の部下達へと

「あんな通信如きで、世界がどうこうなると、本気で思っているのか?」

その言葉に、北辰が嘲りの表情を浮かべた

『どうやら貴様を評価していた我の目は、節穴だったようだな』

「ほう」

『現状を理解していないようだな。教えてやる。貴様が思うよりも遥かに、人類は愚かだ。先程の通信は、むしろ我にとって好都合』

ウインドウの中で、北辰は両手を広げた

『始まるぞ、世紀の大戦争が。もはや止める術などない。後数日、ひょっとすると数時間後には、人類史上最大最悪の闘争の幕が上がるのだ。地球と木星、もはやなんの止め金も障害もない、大戦争が』

得意気に語る北辰。そしてその言葉に青ざめる他の兵士達の中で

アズマは、それでも笑った

「本当に・・・本当に、貴様はどうしようもない大呆けだな」

『・・・・なに?』

半ば以上北辰の言葉に頷きかけていた部下達が、目を向ける。その中でアズマは、心底面白そうに言った

「木星が地球に技術を隠匿していた? だからなんだ。戦争になる? 本気でそう思っているのか?」

そこまで言って、アズマは唐突に、その表情を変貌させた

「我々を舐めるのも大概にしろ! この時代錯誤の大馬鹿者が!!」

余りの声量に首を竦める部下達に構わず、北辰へとアズマは怒鳴る

「教えてやろう。ここにいる連中は様々だ、木連出身の者もいる、地球出身の者もいる。そしてこいつらは全員・・・・ワシの部下だ!」

すでに何度も叩きつけられ、それでも揺らぐことのない指揮卓に再び拳をぶつけ、アズマは声を荒げる

「同じ釜の飯を食った! 寝床を共にした! 言葉を交わした! 握手を交わした! 同じ物の為に戦った!!」

アズマを見つめていた部下達が、目を見開いた

「それ以上なにが必要だ!? 言ってみろ! なにが必要だ!! 青臭いと笑うが良い! だがな! こいつらはワシの部下だ! そして同志だ! 同じ物を見、同じことを考え、そして語り合った友だ!!」

アズマの原動力は、怒りではなかった

「それがたったあれっぽっちの通信で全てぶち壊せると本気で思ったか!? だったら出直して来い! 人間のこともロクにわかっていないような糞に滅ぼせるほど世の中はヤワには出来とらん!!」

肩を怒らせそう叫ぶアズマ

だが、その顔に不意に笑みを浮かべると、挑戦的に告げる

「文句があるか?」

それを聞いた北辰の顔からは、いつの間にかあの狂気じみた笑みが消えていた

無表情に、アズマを見つめる

『・・・なるほどな』

その顔に再び笑みを貼り付けながら、北辰は呟いた

『だがもしそれでも、世界がそんな戦争になったら、どうする?』

「ぶん殴って正気に戻すさ」

『同じことが繰り返されるかもしれんぞ?』

「簡単だ。何度でもぶん殴ってやるよ。もうやめて下さいと向こうが土下座するまでな」

『・・・出来ると思うか?』

「やるさ」

『誰もお前について来なくなってもか?』

「貫くだけだ。ワシの正義をな」

『一人きりになってもか?』

「死んでもやってやるさ」

『くく・・・・死んでもか?』

「ああ、死んでもだ」

言葉の交換は、ひとますそれで終わった

薄ら笑いを浮かべる北辰と、不敵な笑みを浮かべるアズマ

『その言葉、いずれ実現せねばならなくなる日が来るかもしれんぞ?』

「そのときが来れば、そうするだけだ」

そのアズマの言葉に満足したのか、北辰は初めてその顔に、満足そうな笑みを浮かべた

それに答えるように、アズマもまた笑う

『クク・・・・』

「くく・・・・」

そしてどちらともなく、心底面白そうに、笑い出した

初めは小さな漏れ声のようなものだった、だがそれは、互いに感化するように次第に大きくなる

『ハハハ・・・』

「ははは・・・」

そして

解き放たれたように、お互い、狂ったような声と笑みを浮かべた

「・・・行け」

ひとしきり笑うと、アズマもまた満足そうに笑いながら、ある一点を指差した

そこには、先程の爆発の余波で月面に突き刺さっている、チューリップがある

殺したくて堪らないといった凄絶な笑みを互いに浮かべたまま、アズマはゆっくりと告げた

「行くが良い。貴様が望む場所に・・・・そして負けろ。ズタボロに、ボロ雑巾のようにグシャグシャに、紅葉おろしのようにグチャグチャにすり潰れろ」

『クク、それも良いかも知れんな』

だが、と呟き、北辰は挑戦的に喋る

『貴様らを葬ってからでも・・・・我は構わんぞ?』

「やれる物ならやってみろ。たかが六隻の戦艦を潰したくらいで、なにを粋がる?」

今度はアズマが、両手を広げた

「来るのなら来い。敵討ちだ。そして貴様がもしそれを心底望むのなら―――」

答えるように、アズマの周りを無数のウインドウが囲んだ

数えるのも面倒な程の膨大な数のウインドウの光に照らされ、アズマは高らかに告げた

「残りの、我ら月面艦隊全39隻。その全てがことごとく灰になり宇宙の塵屑になるまで、お相手しよう」

そのアズマの宣言に、北辰は口元を歪めたまま、目を細めた

両者の間を、沈黙が支配する

だが、それも一瞬のことだった

アズマの眼に浮かぶ本気の色と、そしてそれを囲む彼らの眼が同じことを悟ると、北辰はゆっくりと夜天光を旋回させた

『それも魅力的な提案だが、やめておこう・・・・生憎と先約があってな』

「そうかそうか、ならば行け。そして死ね」

『クク・・・』

そのアズマの言葉に、笑うと、夜天光はチューリップへと歩を進めた

その口が開く、そこから漏れ出る光に眼を細めながら、北辰は最後の質問を口にした

『最後に尋ねる』

「遺言か? ならば破り捨ててやるが?」

『人間という生き物は、真なる意味で、分かり合えると思うか?』

光が満ちる

『水と油の如き互いに決して交われぬ出来損ないが、真に分かり合えると思うか?』

その質問に、アズマは口元を歪めた

「無理だな」

『クク・・・・そうか』

「だが」

アズマは、笑った。ウインドウの中にいる北辰と、全く同じ、獰猛で猛り狂った、飢えた獣のような笑顔で

しかし、それを人間の物に変えながら

「例え決して交わらぬとも、決して理解できずとも」

興味深そうに目を向ける北辰に、アズマはゆっくりと告げた

「同じ器に入る。ワシにはそれだけで、十分だ」

『・・・・ふっ』

その直後、視界の中で、夜天光がチューリップの中へと溶け込んで行き

そして、消えた

「・・・・さあ、ワシらも行くぞ」

それを見届けると、アズマは顔を向けた。ブリッジのスクリーンにデカデカと映る、地球へと

「針路変更! 地球!」

「了解!」

その言葉の直後、一糸乱れぬ艦隊編成で、彼らはその艦首を地球へと向けた

アズマは艦長席に身を沈めると、未だ浮かんだままの笑顔で、地球を仰ぎ見る

「さあ・・・地球よ。ここが正念場だぞ」

心底面白そうに、アズマは告げた

「ワシにぶん殴られるか、それとも狂人に滅ぼされるか、それとも・・・・」

浮かぶ笑みは、凄絶

どちらに転んでも構わないとすら取れるような傲慢で尊大な態度で

アズマは口を開いた

「それとも鼻息で過去を笑い飛ばすか・・・・笑い飛ばせるか」

指揮卓に手を置き、アズマは試すような笑みを浮かべた

「根性・・・・見せてみろ」










あとがき



・・・主人公は誰だ



こんにちは、白鴉です



大攻勢と言った矢先に想像以上の量になってしまったため、今回はここで一区切りとさせて頂きます

秘密をぶちまけて驚いて、さらに驚いて、それを吹き飛ばして、さらに笑い飛ばした回でした

今回出てきた人達は、もうなにが起こってもゴーイングマイウェイなのだなあと、作者がビックリする始末です

少しは驚いてくれよ・・・

さて、次回もまた爺さんとオッサンの話という、ムサイ内容になりそうです

・・・・これはナデシコの二次小説です

いえ、一応・・・・念のために





それでは次回で