「The map of a blank paper」

第9話

 

 

正規に申請した実験航海計画書に従い、事務的な報告をするだけで何の障害も無くナデシコBは地球重力圏を離脱していく。

 

しかし、外から見れば悠々と航行しているように見えるナデシコBも、その艦内では修羅場が繰り広げられていた。

「何でもかんでも積めばいいってもんじゃ無いわよ!衣料品、部品、食料全部混ざっちゃってるじゃない!ほら、そこ!そっちじゃ無い、それは居住区のBブロック!あ〜〜!もう、誰がこんなに頼んだのよ!!」

ハンガーデッキの真ん中に陣取ったエリナが、目を吊り上げながら髪を振り乱し、鬼のような檄を飛ばす。

機関部に最低限必要なウリバタケ他数名の整備員を除き、残りの人々を総動員してエリナの指揮により艦内大倉庫番が行われていた。

荷物運びを考慮して、艦内重力を無重力や低重力に設定している為、移動は楽だが、何しろ量が膨大である。

リョーコやイズミまで駆り出され目の回るような忙しさであった。

 

ヒカルはといえば・・・コミュニケで呼び出しを行おうとしても、全く応答が無い。

仕方なく整備班の一人が部屋に直接呼びに行ったが、そのまま中に呑み込まれてしまい、中の様子は全く判らなかった。

当然最初の犠牲者であるサブロウタも出てくる筈が無く・・・・リョーコから事情を聞かされ、早々と『地獄の一丁目』等と不名誉な命名をされたその区画は、付近一帯ごと危険地域に指定され、以後近づく者もいない絶対領域と化していた。

 

艦内中が慌ただしく動く中、その喧騒から最も遠い場所、艦橋。

その艦橋では艦長席にルリが座り、他人事の様に艦内モニタで忙しそうな様子を見ていた。

操艦とオペレーションの為、長時間艦橋を離れる訳にはいかないルリであったが、周回、及び静止軌道上に擬似的に設定された回廊コリドーを抜けるまでは、一度軌道にのってしまえば、突発的な事が無い限り、特にすることは無い。

ウィンドウボールを開くまでもない状況なので、通常位置で操艦を行っている。

「やっぱ艦内容積ギリギリまで計算して発注したのはまずかったですかね?ポリポリ」

ルリがちょっと小首を傾げて独り言を呟く。

全ての操作をIFSで行うよう改装された艦長席では、周りのコンソールは只の飾りと化している。

それを良い事に、コンソール上はお菓子やらシリアルやら、様々な食べ物、飲み物で埋め尽くされていた。

「大変そうですね。でも私はここから動けませんし・・・ポリポリ」

艦内各所を映すモニタの中では、皆が働きアリのように駆け回っている。

「ま、エリナさんに頑張って貰いましょう。ポリポリ」

エリナが獅子奮迅する事となった元凶は、暢気にプリッツなど頬張りながら高見の見物を決め込んでいた。

 

 

相転移炉を中心とする機関部を統括する男、ウリバタケもまた、混乱の極みにあった。

エリナにほとんどの人員を取られて各自が行う仕事が格段に増えている事もあるが、失敗の許されない作業ばかりだったからだ。

先の改装により、各部品のロングライフ化を進めたとはいえ、基本的に戦艦は定期的なメンテナンスを必要とする物である。

それを必要最低限すら割り込んだ人数で長期運用しようというのだから、無茶を通り越して無謀としか言いようのない状態なのだ。

しかし、厳しい条件を突きつけられれば余計に燃える男、それがウリバタケであった。

「よぉし!増設したバイパス回路の動作試験始めるぞ。地上でも何度か試験はしたが、相転移炉系統はどうしてもチェック出来ない部分が有るからな。非常用も含めて合計5系統、それぞれの接続方法を変えて32通りの検証作業だ。グズグズしてる暇はねぇぞ!」

ウリバタケの声に、オオッと野太い声を張り上げて整備班の人員が各部に散った。

長期航海の要であるメンテナンスロボットの作業規格に合わせて機関部各部も造り替えられている為、人が作業するには決してやりやすいとは言えない環境だが、そんなことは歯牙にもかけず、手際よく作業が進行してゆく。

ウリバタケもスパナを手に取り、自分の作業に取り掛かった。

「しっかし・・・ユーチャリスのオートメンテナンスシステムが、追いかける側で役に立つとはなぁ・・・・」

戦艦と言えば聞こえはいいが、その実、中身は規格外の物ばかりで実験艦の意味合いが強かったユーチャリス。

ワンマンシップオペレーション、大型艦用ジャンプフィールド、乗員は二人だけという常識外の運用から生み出されたオートメンテナンスシステム・・・・

そのまま闇へと消えてゆく技術かと思われていたものが、再び日の目を見たのが捕まえる側だったとは、皮肉以外の何物でもないだろう。

 

 

所変わって、医務室でユリカの容態を看ているイネスはと言えば・・・・

ベッドで寝ているユリカとイネスしか居ない筈の医務室から、何故か話し声が聞こえてくる。

イネス、ユリカ以外にもう一人、人が居るようだが、全く覇気の無い声で会話内容が良く聞き取れない。

「だから、もっと自分をアピールしなさい。貴方はやれば出来る筈よ」

どうやら叱咤激励をしているようだが、相手の反応はすこぶる悪い。

「大丈夫よ。ずっと一人でオペレーションし続ける訳には行かないんだから、いずれ貴方の出番が来るわ。ルリちゃんにデキる所を見せるチャンスよ」

力強く言葉をかけるイネスに対し、その相手は相反するように沈み込んでゆく。

グシュグシュと何かを啜るような音と共に、ボソボソと声が聞こえてくるが、覇気が無いため全く聞き取れない。

「何度も言ってるけど、無理を言わないの。最後のコロニーから離れるまでは待ちなさい。貴方だって降ろされたくはないでしょう?」

同じような会話を繰り返していることに苛立ってきたのか、イネスの言葉が少しきつい口調になってくる。

「ほら、もう、ウジウジしない。・・・あっっ・・こら、待ちなさい!」

何かが蹴り倒されるような音に続いて、ドタバタとした足音が扉の近くまで来た途端、フッと突然音が消えた。

一瞬の静寂の後、ドサリと何かが崩れ落ちるような音が響く。

「ふぅ、さすが私が作った即効性。エリナで効果を試しといて良かったわ」

イネスのハイヒールが立てる音が響き渡り、扉の近くで立ち止まると、今度はズルズルと何かを引きずるような音がする。

「今出て行っちゃダメだって言ったでしょう。大人しくしておきなさい」

イネスの言葉に、引きずられる物体からの返答は無い。

「大丈夫よ。ちょっと体の自由が利かなくなるけど、数時間で元に戻るし。その時には気分爽快、体調は万全になってるわ」

説明をしながらベッドの方へと引っ張っていたイネスが、何気なく机の上に視線を走らせると・・・・そこに何か引っかかる物がある。

その物体を確かめる為に手を離したイネスの足下で、ゴトンと鈍い音が響いた。

「あら?注射アンプルが違うわね・・あれがエリナに使ったやつで、こっちが今・・・・・・・・」

視線を動かして確認するイネスだったが、物体の首筋に突き立った圧搾注射薬剤カートリッジに貼られたラベルは、机の上にある物と明らかに異なっていた。

「あ、調整前の濃縮アンプルだわ・・・さすがに分量が多かった・・かしら?・・・・・・・・・・・・・・・・・ま、まぁ・・大丈夫よね。誤差の範囲だわ・・・そう、気のせいよ。気のせい」

自らに言い聞かせるように独り言を呟くイネスの足下に、なにやらピクピクと蠢く物体がチラリと見える。

何かを誤魔化すかのようにしばらく視線を彷徨わせ、眉間にシワを寄せて考え込むが、そんな態度も長くは続かず、

「科学に犠牲は付き物。ん〜〜イイ言葉だわ」

先程までの沈痛な表情など何処へやら、科学者共通の言い訳おまじないを唱えた途端、普段と変わらぬ態度へと変わる。

イネスは、床に落ちている毛布を拾うが如く無造作に掴むと、一番奥のベッドに放り込みカーテンを閉めて、『無かったこと』にした。

「さて、整備班に配る栄養剤でも調合しようかしら」

スパッと思考を切り替えて、イネスは自分の職務に戻る。

すでに人としても見てもらえていない誰かさんは、無駄にベッドを暖め枕を濡らす物体と化し、部屋の主にすら忘れられてしまうのであった。

 

 

場所を戻して、艦橋の様子を見てみると、先程までのだらけた空気とはうってかわり、艦橋の中を光が乱舞していた。

「暇ですね」

忙しそうにIFSで操作しながら言う台詞では無い。

艦橋中央に迫り出した艦長席の周囲を光が取り巻く。

ウィンドウボールに展開された多数のウィンドウには・・・・・むさ苦しい野郎達の顔が映っていた。

今回の航海はネルガルの実験航海として申請されているが、極秘任務という訳では無い為に、通信管制は行われていない。

重力圏を突破するまでは、航行の安全を確保する意味でも無意味な通信は行われていなかったが、警戒域を超えた途端、地球周辺に展開する宇宙軍、統合軍を問わず、砂糖に群がるアリが如く、艦船は言うに及ばす、周回軌道、ラグランジュポイントにあるコロニーや基地から一斉に『航海の無事を祈る』旨の通信が入ってきた。

もちろん、全員のお目当てはルリの画像を録る事、である。

あくまでも返礼としての姿であっても、自分の通信に対してルリ本人が応えてくれる。

その貴重な機会を逃すものかと、怒濤のように通信が入ってきていた。

宇宙軍、統合軍所属艦艇からのコールを無下にあしらう訳にもいかず、最後だからと律儀に返礼を返したのが事の発端であった。

ルリも、最初の2隻は直接対応したが、秒単位で増えてゆく要請にうんざりしたのか、オモイカネの画像ライブラリからルリダミーを作り、各艦の返礼に使う事を思いつく。

とはいえ、対応しながらの短い時間に即席で作った物故に、人工知能機能までは付随させる事が出来ず、オモイカネがシミュレートした動画画像にルリがリアルタイムでオペレートして、動きと言葉を合成させていた。

オモイカネと連携しつつも、ルリダミープログラムのバージョンアップを平行して行い、自然な動作、表情へと改変してゆく。

ある程度のパターンデータの蓄積が重なる毎に、直接オペレートで対応する必要も少なくなり、自動対応への移行も進むが、それを上回る数のリクエストが入って、戦闘時でもないのにウィンドウボールを展開する羽目になっている。

10数隻同時に仮想対応を行い、次々と捌いているにもかかわらず、何故か数が一向に減らない。

「これは・・・・私に対する挑戦ですね。フフフ・・」

火星の後継者の乱鎮圧で艦隊掌握のオペレーションを行って以来、久しぶりにルリが全力で挑まなければならない程の高難易度オペレーションに、ちょっと火がついてしまう。

もっとも、効率よく捌いているが故に、通信が繋がりやすいという噂があっという間に広がり、それが余計に事態の悪化を招いている事に、ルリは全く気が付いていなかった。

 

 

リクリエーションルームでは、搬送作業から解放されたパイロットの面々と、渋々ながらヒカル、サブロウタが揃っていた。

目的は訓練。

資材の移動は続いていたが、いざという時にパイロットが潰れていたのでは話にならない。

また、久々の搭乗となるヒカル、イズミ両名も、リハビリ無しでいきなりの実戦投入など出来よう筈もない。

その為に、作業の目処がたった所でエリナから解放されていた。

少しの休憩を挟んで、訓練が開始される。

とは言っても、ずっと実戦を行っていたリョーコ、サブロウタにはかなわないまでも、元々優秀なエステバリスライダーの二人が、勘を取り戻すのにさほど時間を必要とはしなかった。

勢い、訓練メニューを飛び越えて実戦形式の模擬戦へと移行してゆく。

何度目かの対戦の後、リョーコが悪戯心でブラックサレナの機体データを引っ張り出してきた。

「ちょちょっと、リョーコ、それ、速すぎ〜!!」

「へっっ!てめえが遅いんだよ。そんなんじゃ5分と保たねぇぞ?いや、3分か?」

ちょっとサディスティックな笑みを浮かべたリョーコが、ヒカルを容赦なく追いつめていく。

リョーコが操れる程度にスペックを落としてはあるが、元々機動性が飛び抜けた機体故に、ヒカルの攻撃はディスト−ションフィールドを掠めることすら出来ない。

後方ではイズミが遠距離戦の体勢を取るが、照準の中からあっという間に消えてゆく機体に有効な攻撃など出来よう筈も無い。

「当たらない?・・・・・リョーコの作った食事なら100%アタるのに・・・」

「・・・・・・イズミぃ、てめぇ喧嘩売ってんのか?そんなに沈めて欲しいならそう言いやがれ」

イズミの言葉にウィンドウの中で吹き出すヒカルを横目で見ながら、リョーコがピキっと血管を浮き上がらせる。

言葉の掛け合いをしながらも、激しい攻防を繰り返す3機と、傍観する1機。

「あ〜〜、もしもし、皆さん?訓練だからね?リハビリ目的だよねぇ?」

今更何を言っても無駄だろうなぁという雰囲気を漂わせながら言うサブロウタであったが、当然周囲にそんなことを聞く奴は居なかった。

「知ったことか!サブ、手伝え。あいつらギッタンギッタンにのしてやる!!」

「・・ハイハイ、でもさぁ、その機体じゃハンデありすぎじゃないかな?」

イズミとヒカルの訓練が目的であれば、同程度のスペックの機体を使うのが正解だろう。

「そうだそうだ!卑怯だぞ〜リョーコちん!」

「進め川口弘探検隊〜頭の上から蛇が降る〜そりゃ秘境〜・・・フフフ・・・」

しかし、すでに当初の目的などすっかり頭の中から消えてしまっているリョーコに、何を言っても無駄だった。

問答無用で機体性能の利を生かし、プレッシャーをかけてゆく。

それでも、コクピット内でギャーギャーと文句を言い続ける二人のウィンドウを無視し続けるのにも限界がある。

強制的に回線を切ろうかと考えたリョーコは、コミュニケに手を伸ばし・・・切る寸前で手を止めた。

文句を言うのに気をとられていた二人は気がつかなかったが、リョーコの目に不穏な光が宿る。

「くくく、次はお前らにもこの機体を使わせてやるさ。(ただし、リミッター無しでな)」

悪巧みの嫌らしい笑みを浮かべたリョーコが、機体を加速させる。

「ええ?いいのぉ?手加減しないよぉ?」

リョーコが扱えるなら自分でも何とかなると高を括ったイズミだったが、笑っていられるのもこの時までだった。

さっさと決着をつけにかかったリョーコは、まずイズミに狙いを定めた。

距離を取ろうとするイズミの機動を、圧倒的な機体性能を見せつけるが如く、無駄だと言わんばかりにあっというまに接近していく。

「やれやれ、大丈夫かな〜?」

リョーコの黒い笑いに、何を企んでいるか分かってしまったサブロウタは、近い未来の惨状を頭の中に思い描いて、つい深い溜息を吐いてしまう。

先行するリョーコの攻撃がイズミを捉え、機体が爆散した。

「や・ら・れ・た〜」

振動するコクピットの中で自ら首を絞め、悶えるイズミを見ながら、その余裕が何時まで続く事やらと手を合わせる。

イズミを屠ったリョーコが機体を反転させると、今度はヒカルにトドメを刺すべく急加速してゆく。

続く地獄を少しでも軽減するべく、イネスにリクリエーションルームまで来て貰えるよう手筈を整えるサブロウタであった。

 

 

 

怒濤のような通信合戦が過ぎ、艦橋には静けさが戻っていた。

通常航行を行う程度であれば、ルリには片手間仕事である。

提出してある計画書通りに定時連絡を行う以外、ルリにやることは無い。

しかも、その定時連絡でさえ、

「自分で言うのも何ですが、あんな短時間に作った割にはこのプログラム良く出来てます。通信上での解像度なら充分に誤魔化せますね」

と、ついさっき作ったプログラムが便利なことに気が付き、各コロニー管制官とのやりとりさえ代行させてしまう始末だった。

さりとて、商業航路にも近い地球近傍空間では監視の為にも長時間艦橋から離れる訳にも行かず、オモイカネ相手に話しをしたりして時間をつぶしていたが、それも限界に達しているようだ。

そんな時、ふと何気なく後ろを振り返った拍子に、斜め後ろの副長席が目に入る。

副長席を見たルリの頭の片隅に、何かが引っかかった。

何かを忘れているような・・・・・そんな朧気な思考が頭の中を駆けめぐるが、ルリには珍しく、なかなか焦点を結ばない。

「・・・・そういえば・・・サブロウタさんの乗艦理由を聞いてませんでした。ちょっと様子でも見てみましょうか」

今まですっかり忘れていたが、出航直後にヒカルに攫われてしまった哀れな子羊の事を思い出し、暇つぶしになるかとコミュニケを開いた。

呼び出し不可になっているヒカルの部屋だったが、艦長の上位権限を使って無理矢理回線をこじ開ける。

 

程なく、コミュニケのウィンドウが繋がった。

『おや?艦長、何ですか?』

開いたコミュニケの画面の中では、ハチマキを締めドテラを羽織ったサブロウタが木箱にかじりついてる。

ご丁寧に『温州ミカン』のロゴ入りだ。

その異様な光景に、ルリが一瞬言葉を無くした。

「・・・・・・何ですか?それ?」

『いや、なんか机が無い時の正しいアシスタントとはこういうものだって・・・』

一応軍艦として作られたナデシコの部屋に、余分な家具は存在しない。

特に今回は時間が無かったこともあり、臨時参加組の余分な荷物の搬入は極力抑えられていた。

よって、ヒカルの手伝いをしているサブロウタは何かを代用品として使う必要があったのだが、部屋に色々と散乱する道具は、誰かしらをこき使うつもりだったヒカルの手によって運び込まれた物らしい。

墨汁や製図用インク、羽箒にコインを貼った定規、ホワイト・・・・・等々、様々な道具が揃えられている。

「ミカン木箱なんて何処から?」

『代々伝わる伝統道具らしいです。』

代々って何?、とか、伝統道具って?とか、謎な単語ばかりだが何となく聞くのは躊躇らわれる雰囲気だ。

『ヒカルが言うには、お約束、というやつらしいです』

「はぁ・・・そうですか。」

『こらぁ!サブちん、手が止まってるよ!!例え死んでも手は動かせぇ・・・・・ウップ・・・・』

ウィンドウの向こうから聞こえてくるヒカルの声。

しかし、語尾に何となく力が無い。

「失礼しました」

余りにも似合わない格好に突っ込む気力も失せたのか、手をヒラヒラと動かすとウィンドウを閉じる。

『あ、艦長、一体何の用・・・』

サブロウタの言葉は途中までしか届かず、無情にもウィンドウは閉じられた。

「解ってはいましたが・・・・ナデシコって、妙にディテールとか雰囲気とかにこだわる人が多い気がします・・」

性格に難はあっても腕は一流。

自分もそのナデシコの一員だと言う事を棚に上げ、やれやれと首を振るルリであった。

 

 

地球重力圏を離脱して、コロニーを経由し、様々な用事をこなしながらも最後のコロニーを離れたナデシコBは、後は目標宙域への通常航路のみとなって少し時間の空いたルリは、

「では、オモイカネ、少しヨロシク」

『了解』

『まかせて』

『大丈夫!』

様々なウィンドウを開いて挨拶するオモイカネに後を任せ、ルリが艦橋を後にした。

目的地はイネスのいる医務室である。

何か考えることがあるのか、少し緊張した面持ちで医務室の前にルリが立つと、扉が・・・開かなかった。

「?ロックされてる・・・」

通常であれば、何時誰が来るかも分からない医務室の扉がロックされることは無い。

「オモイカネ?」

ルリが言葉を発したと同時に、ウィンドウが開いた。

『イネス女史の指示で現在施錠中』

『解錠問い合わせ・・・・確認』

どこかの宝箱を開けたような軽快な音と共に、目の前の扉のロックが解かれる。

「イネスさん、入っていいですか?」

『あら、ルリちゃん。・・ちょっとまってね』

何か作業でもしていたのか、30秒ほどの時間を置いて扉が開く。

イネスが室内へルリを招いた。

「どうぞ。何かあったのかしら?」

「ちょっとユリカさんの様子を見に」

「今は薬で寝てるわ。時間には起きるから心配しないで」

イネスの言葉に、ルリがカーテンで囲まれたベッドの中に横たわるユリカへ視線を向ける。

マグカップを片手にカルテを見ていたイネスだが、ベッドを見たまま動かないルリに気づくと、カルテを机の上に放り出し、ルリの方へ椅子を回した。

「何か聞きたいことでもあるの?」

イネスの問いかけに、ルリはベッドを向いたまま言葉を紡ぐ。

「どうなんですか?」

短い言葉だが、イネスにはそれだけで十分だった。

病院から自宅、艦内まで移送する間も寝たまま、今もなお寝ているとあれば心配するのが当然だろう。

今まで誰にも伝えていなかった・・・・否、伝えられなかった事・・・・

イネスには、ルリにこの計画を持ちかける前から分かっていた事ではあったが、話す事が出来ずにいた。

ルリの方も、イネスがこの話を避けていたのを理解していたから今まで聞かなかったが、もう知らずにいられる状況ではない。

一瞬の沈黙の後、イネスは観念したかのように目を瞑ると、フッと息を漏らす。

「・・・・今更隠しても無意味だから言うけど・・・・・ハッキリ言って、良く保ってる方ね」

「・・回復の見込みは?」

ルリの言葉にイネスはゆっくりと横に首を振った。

「遺跡から回収したナノマシンを注入されたアキト君があんな事になったのよ?直接接続されて、今生きてることでさえ奇跡に思えるわ」

イネスはルリから視線を外したまま、話を続ける。

「現状は微妙なバランスを保ってるだけね。体内のナノマシン群がどういう状況でどういう動きをするか、全く予測不可能なのよ。ミスマル提督に伝えた退院の事だって、対処療法しか取れず、病院でも自宅でも出来る診療レベルに差が無いから帰宅させるって話だし。提督には気休めでも回復してると伝えはしたけど・・・・宿主を生かそうとする働きもあるのだけれど、衰弱する方の進行が早くて・・このままだと静かに死に向かっていくだけ・・」

医務室に入る前からある程度覚悟はしていたのか、ルリの表情に変化は見られないが、すぐに言葉が出ない事が動揺している証だった。

30秒か、一分か・・・・長く感じられる沈黙を破って、ルリが言葉を絞り出す。

「・・・・アキトさんの治療もしたんでしょう?何とかならないんですか!?」

しかし、口にしたルリ本人も、それが八つ当たりに近い言葉だとは気が付いていた。

ヤマザキ達にナノマシンの実験台として使われた為に、五感を奪われたアキト。

アキトの治療に携わっていたイネスは、ナノマシンの制御、治療に関して、特に遺跡がらみでは最適の人材と言ってもいい。

そのイネスが首を横に振る。

一番無力を感じているのはイネス本人の筈なのに。

「アキト君の場合は、同じ遺跡のナノマシンとはいえ、種類を選別してから体内に入れられていたから、副作用の心配はあったけど治療の手もあったし、現状維持、もしくは少しでも回復する事が出来たわ・・・・・だけど、直接接続されて遺跡全てのナノマシンが体内に入ってしまっているユリカでは状況が違いすぎるのよ」

何も出来ないが故に説明する事も無い。

イネスが感じている無力さが伝わってくる言葉に、ルリは頭を下げた。

「ごめんなさい」

今まで視線を外していたイネスが、謝るルリを見て立ち上がる。

「謝る必要は無いわ。私が無力なのは本当の事だから」

俯くルリをそっと抱きしめ、己の不甲斐なさを悔いるイネス。

「・・・・みんなには・・・どう言えばいいんですか?」

「何も言わなくていいわ。私達に出来るのは、一刻でも早くアキト君と会わせてあげる事だけよ」

 

命のあるうちに・・・・あえて言わずとも解るその一言を言外に含ませて。

 

 

 

最初の時間を遡るジャンプについてイネスとルリが話し合ったが、イネスをもってしても時間跳躍により引き起こされる周辺への影響範囲が絞りきれず、ある程度の広大な空間が必要と判断した。

イネスへのメールにその事が書いていなかったのかとルリが聞いた所、

「簡単な経緯とジャンプに必要な計算式のヒントしか書いてなかったのよ。それでも解析にちょっと時間がかかったけどね・・・手がかりは渡すけど後は自分で考えろって事でしょう。さすが私よね」

等と自画自賛?していたが、肝心の問題点は全く解決しない。

結局、統合軍、宇宙軍からの無用な干渉を避けるのと、周囲への影響を最小限に留める為、艦隊が集結しているのを逆手に取って火星黄道面の反対側、現在最も監視が手薄な所を最終目標地点と定めて航行を続けている。

 

 

ジャンプフィールドを備えた現在の装備であれば、イネスのオペレートで直接跳ぶ事も出来なくは無いが、本来ジャンプフィールド装備艦では無いナデシコBがいきなりジャンプしたのでは逆に注意を引き、また、ネルガルに要らぬ疑いをかける事にもなってしまう。

その為、時間はかかるがいくつかのコロニーを経由して通常航行で目標地点へと向かっていた。

その間3日と短い日程ではあったが、人数の限られた状況で各々が普段以上の力を発揮し、様々な問題を次々と片づけていく。

その作業の中でも最も大変だった荷物の再配置は、エリナと全員の協力により何とか終了し、働き詰めだったクルー達は一時の休息を貪っていた。

訓練時以外は部屋に缶詰のヒカルはといえば、確保していた奴隷のサブロウタと他1名が力尽きて倒れ、やむなく作業継続を断念して自らも夢の世界へと旅立って行く。

 

「イネスさんに八つ当たり・・・駄目ですね」

先ほどまでのイネスとの会話を思い返していたのか、視点の定まらない目で艦長席に座っている。

一人艦橋にいるルリも、短い仮眠を挟みながらとはいえ艦橋へ3日連続拘束ともなると疲れが溜まってきたのか、小さなアクビを繰り返していた。

「ふ・・わぁ・・・・さすがに限界です・・」

涙目になり、フラフラと頭が揺れる。それに合わせて長い髪も揺れる。

艦長席の周りにはお菓子等に紛れて各種ドリンク剤の空き瓶が散乱しているが、疲労の蓄積により、すでに効く状態ではない。

ルリはイネスに5日程寝なくても済むようなアンプルを請求したが、

「駄目」

と一言の元にあっさりと断られていた。

イネスにかかればその程度の薬を作る事など朝飯前だが、強力な薬であればある程、反動や副作用も大きい。

いざというときルリが役に立たないのでは困るので、イネスも無茶な薬を渡す訳にはいかなかったのだ。

もっとも、整備班の男達からの要求であれば嬉々として渡しただろうが。

「静かです・・・本当なら交代要員が必要ですが・・ま、仕方ないですね」

動きの無い艦内モニタを見ていたルリの視界がふらりと揺れる。

限界と感じ取ったルリは艦長席に身を任せ、オモイカネに後を託した。

「ん・・・オモイカネ、少しお願い・・・・・」

『了解。ルリ』

「く〜・・・・」

オモイカネの返事を見る間もなく小さな寝息を立てて寝てしまう。

オモイカネは、艦橋の温度を調整し、しばしの休息を守る為周辺の監視レベルを上げるのであった。

 

 

 

 

淡々と目的地へ向かうナデシコB。

その艦内は静けさに包まれている。

日頃訓練で鍛えられているリョーコ達パイロットでさえ、ハードな作業と、合間に入る訓練による疲労で死んだように眠っていた。

 

 

 

「ん・・・あれ?・・ああ、ナデシコか・・・・」

リョーコは見慣れてきたナデシコBのベッドの中で目を覚ました。

日頃から鍛えられている為か、他のクルーに比べ回復は早いようだ。

コミュニケを使って艦内状況を確認するが、オモイカネから特に警告は出ていない。

着の身着のままで寝てしまい、汗で張り付いて不快な服を脱ぎ捨てるとシャワーを浴びて目を覚ます。

イズミを起こして、さて食事でもと外へ出たところで、丁度部屋から出てきたヒカル、サブロウタと合流した。

4人で食堂へ行き、軽い食事と水分補給を済ませると、現状を知る為に艦橋へと向かった。

 

 

『静かに』 『大声禁止』 『足音に注意』・・・等々・・・

艦橋へ入った途端、目の前にオモイカネのウィンドウが乱舞する。

「な、なんだ?」

状況が掴めないリョーコが困ったようにサブロウタを振り返ってみると、前方を指差しながらもう片方の手で口元に指を立て、『静かに』とジェスチャーをしていた。

ほんの少しの間を置いて、リョーコにもその理由が頭に浮かぶ。

それを知らせようと入り口に居るはずの二人に振り向くが・・・・・・誰もいない。

姿が見えない事を不思議に思いつつも、視線を前に戻すと、

「な・・」

危うく大声を上げそうになった口を、自らの手で塞いで押しとどめる。

 

艦橋に入った途端、状況を察知した二人は静かに艦長席に躙り寄っていた。

オモイカネが出していた警告。その理由である艦長席で眠るルリの寝顔を見る為だ。

リョーコは今更走って追いつく訳にも行かず、さりとて二人が無粋な真似をする筈も無いと判断すると、二人から遅れながらも抜き足差し足、静かに艦長席へと近づいて行った。

サブロウタはというと・・・・艦橋後方に立ったまま、その光景を見ている。

親密な間柄の女性の寝顔を二人っきりの場所で拝見するのはやぶさかではないサブロウタであったが、ルリに対し同じ事が出来よう筈もない。

ルリの事は女性に任せて、闖入者阻止の為コミュニケを使ってオモイカネに艦橋の扉をロックするよう指示していた。

 

ヒカルとイズミが艦長席を左右から挟み込むように忍び寄ってゆく。

音を立てないようにそっと二人がのぞき込むと、艦長席にもたれかかったまま首を傾けて眠るルリの姿があった。

長い髪をなびかせて眠る少女・・・・殺人的に可愛い寝姿である。

二人共、忍び寄っているところまでは、ルリの睡眠を邪魔するつもりなど全く無かったに違いない。

しかし、ルリの姿を見てからは、表情は変わらないが優しい目線を送るイズミに対し、ルリの可愛い姿にヒカルが目を輝かせ、眠りこけるルリの頬にプルプルと震える右手の指先を近づけて悪戯しようとする。

ヒカルにも多少の躊躇いがあるのか、煩悩を振り払うように仰け反ったり左手で右腕を掴んで止めるような素振りを見せるが、その指先は着実に接近していく。

ジリジリと近づき、指先がルリまで後2センチ、という所で・・・・・イズミが腕を掴んで止めた。

(うう・・・・プニプニさせて〜〜!!)

(気持ちは解るけど止めなさい)

目線と首振りでコミュニケーションを取る二人。

どうしても我慢できないヒカルが、悶えながらも力を込めてイズミの制止を振り切ろうとした時、ヒカルの後頭部にリョーコの鉄拳が振り下ろされた。

鈍い音と共に無念そうな表情をしながら床に沈むヒカルを脇に追いやり、イズミにルリの睡眠を邪魔せず撤退するよう目線で伝える。

しかし、艦長席に背を向けヒカルを引きずって行こうとした所で、周囲で動く人の気配にルリが目を覚ましてしまった。

「・・・・・ン・・」

こうして、ルリの短い睡眠時間は幕を閉じたのだった。

 

 

「起こしちまって悪かった」

「いえ・・どうせ起きる時間でしたし・・・大丈夫・・です・・・」

寝ぼけた顔でそう言われても納得できる人はいないだろう。

焦点の合っていない目で、気まずそうにしているリョーコとイズミ、首が変な方向を向いたまま床で寝ているヒカルと見やり、一言。

「・・・ヒカルさん、床、気持ちいいですか?」

まだ頭は寝てるようだ。

 

 

 

こうして些細(?)な事がありながらも順調に航海を続け、ターミナルコロニーを経由して

ジャンプ事故のあった空域の軌道面反対側、宇宙軍、統合軍の艦隊集結地点から最も遠い地点を目指して航海を続ける。

そんな、忙しいながらも充実した時間は、唐突に終わりを迎えた。

 

 

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え〜年単位で空いてしまって、読んでくれた方にはもう平謝りするしか有りません。

 

書いてはいるのですよ書いては。

ただまぁ、なんというか、まとまらないというか、読みにくいというか、つながってないというか・・・・・・・・

自分の才の無さを恥じるばかりであります。

 

こんな駄文ですが、感想など頂けたら幸いです。

 

 

 

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代理人の感想

ハーリー哀れ。

っつーか、交代要員が必要な状況になっても思い出さないなんて、その時点でルリの頭が寝てるんじゃないかなー(笑)。