チューリップを通って火星からの脱出を果たしたナデシコ。
どれだけの時間が経ったのかは分からないが、ナデシコは通常空間へと復帰した。
「おーい、やっほー」
照明が落ちた薄暗いブリッジに静かな声が響く。その声の主はルリだ。
チューリップを抜けた影響からか、ナデシコのクルーは皆、意識を失っていた。
一番最初に意識を取り戻したルリは、さきほどからクルーを起こそうと呼びかけ続けていた。
「皆さん、起きてください」
だがその声で起きる者は誰もいない。ルリの声量があまりにも小さいためだ。
ルリは艦長であるユリカだけでも起こさなければと思ったのだが、そのユリカはブリッジにいなかった。
「オモイカネ、艦長はどこ?」
その声に反応して、ルリの前に《捜索中……》という文字が現れる。
1分もかからない内にユリカは見つかり、ユリカの様子がウィンドウに映し出された。
その映像を見てルリの表情が僅かに変わる。どうしてそんな所にいるのかと、ルリは不思議に思ったのだ。
とにかくユリカを起こそうと、ルリは通信を送った──ユリカのいる展望室へと。
★
「う、ううん……うわぁっ!?」
展望室で意識を失っていたユリカは、何度も自分を呼ぶルリの声で目を覚まし、驚きの声をあげた。
ユリカが驚いたのは、ルリがあっかんべーをしている様子が大画面で映し出されていたためだ。
目を覚ましたユリカに、ルリは不思議そうな顔をして尋ねた。
『艦長、どうしてそこにいるんです? それも、碇さん達と一緒に……』
「え? だ、だめぇっ!」
ユリカの隣では、アキトとシンジがイネスを挟むようにして横になっていた。
それを見たユリカは慌ててアキトの身体を動かした。アキトとイネスが手を重ね合わせていたのだ。
突然身体を動かされたアキトは奇妙な声を上げて目を覚まし、ユリカの声でシンジも目を覚ました。
アキトは身体を起こすと、頭に残ったぼんやりとした感じを振り払う様に頭を何度も振る。
「……なんで俺はここにいるんだ?」
自分が展望室にいることに気づいたアキトは頭に疑問符を浮かべる。
シンジもアキトと同じらしく、不思議そうな顔をして自分の周りを見まわしていた。
が、自分の隣にイネスが横になっているのに気づくと、「うわぁっ!?」と声を上げて距離をとった。
イネスに薬を打たれたことで、シンジはイネスのことが少し苦手になってしまったようである。
「ルリちゃん、外の様子を見せてくれる?」
ユリカはそんな2人の様子を視界の端におさめながら口を開く。
ルリはユリカに言われた通り、展望室のスクリーンに外の様子を映し出した。
「えぇぇぇぇぇぇっ!?」
スクリーンにバッタの赤い瞳がアップで映し出される。
その後方には、戦艦が主砲を撃ち合っている様子も映っていた。
映像を見たユリカは叫び声を上げると、矢継ぎ早にルリへと指示を出した。
「グラビティ・ブラストを広域放射! 直後にフィールドを張って後退!!」
ユリカの指示通りに発射されるナデシコのグラビティ・ブラスト。
その砲撃は直撃こそしなかったが、戦場から離れるのに十分な効果を発揮することができた。
『なぁにを考えてるんだーっ! 貴様らぁぁ!!』
だがナデシコのグラビティ・ブラストは、木星蜥蜴と戦っていた連合軍にも掠めてしまっていた。
幸いなことに連合軍に死傷者は出ず、大した怪我人も出なかったのだが、文句の1つでも言わなければ気がすまないのだろう。
ひび割れたサングラスを掛けた軍人が、艦長であるユリカに対して先ほどから声を荒げていた。
『そちらがこれ以上攻撃を続けるなら、第2艦隊の名誉にかけて迎撃する! 以上!!』
うな垂れて何も返せないでいるユリカに言いたいことだけ言うと、相手は一方的に通信を切った。
相手からの通信が切れると、ユリカは「はあぁ」と深いため息を吐いた。
「だから……誤解なのに」
小さな声でユリカはつぶやくと、もう一度ため息を吐いた。
ユリカにとっては独り言だったのだが、隣にいたジュンには確りと聞こえていた。
「誤解ですむなら戦争も楽だよ……」
さすがのジュンも呆れたような視線をユリカに送る。
(全く持ってその通りだ)
その言葉にイロウルがジュンの足元で同意するように頷く。
ネコがいれば目立つのだが、誰もイロウルに気づいている様子はない。
(この男はこの艦の中では比較的まともなようだな……。確か名前は……)
そこで思考が止まるイロウル。思い出そうとしても何故か名前が思い出せない。
そもそもこんな人物はこの艦にいただろうか、という考えが頭に浮かんでくる。
ジュンの名前を思い出そうとイロウルが頭を捻っている間に、ナデシコは迎撃戦へと移っていた。
★
敵の第2陣が現れ、パイロット達がナデシコから出撃していく。
ナデシコから出撃したのは5機のエステ。0G戦フレームが足りないのでシンジは待機である。
「いっただき〜!」
「いっただきぃ……。山の山頂……それは頂……。クク、クハハ……!」
ヒカルとイズミのエステがラピッド・ライフルでバッタに攻撃を仕掛ける。
パイロットとしての腕は2人とも高い。2人の撃った弾は全弾バッタに命中した。
「ええ〜っ!? 3機だけ〜!?」
「バッタ君達……フィールドが強化されてるみたいね」
ほとんどのバッタに弾は当たったはずなのだが、破壊できたのはその内の3機だけだった。
今までのバッタならば、今の攻撃で大分数を減らすことが出来ていたのにである。
「進化するメカか……。その方が燃えてくるぜ!」
「どつき合いならこっちのもんだ!」
遠距離中心で戦っているヒカルとイズミに対し、リョーコとガイは接近戦を中心にして戦っていた。
リョーコとガイの周りには、エステの拳で破壊されたバッタの残骸が幾つも漂っている。
「はぁ、はぁ、はぁ……クソッ!」
ピンクのエステに迫る多数のミサイル。それから逃れるためにアキトはスラスターを噴かした。
リョーコ達が確実に敵の数を減らしている一方で、アキトは敵から逃げ続けていた。
今のアキトはいつもと様子が違っていた。呼吸も荒く、さきほどから落ち着きなく周囲を見まわしているばかりだ。
アキトの様子がおかしいことに気づいたリョーコ達は、何度も声をかけるがまるで聞こえていない。
「こ、怖くない……。怖くなくなったはずなんだ……っ!」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、持っていたライフルで敵に攻撃する。
射撃が得意というわけではないが、明らかにいつもよりその命中率は下がっている。
撃った弾はほとんどはずれ、当たった弾も強化されたバッタのフィールドに弾かれてしまう。
「い、一体……どうしちまったんだよ、俺」
バッタに囲まれ、凍りついた様にアキトの身体は動かなくなってしまった。
エステの周りを威嚇するように動き回るバッタ。アキトの動悸は激しくなり、嫌な汗が身体全体に浮かぶ。
克服したと思っていた恐怖症。それが今、よりにもよって戦闘中に起こってしまった。
ナデシコのフィールドに押しつぶされた火星の人々
クロッカスと共に散ったフクベ
そして、火星のシェルターにいた小さな女の子
過去の辛い出来事が、走馬灯の様にアキトの脳裏に過ぎる。忘れたくても忘れられない光景。
蘇ったその光景を忘れようと、アキトは何度も頭を振るが、その光景は頭に焼き付いて離れない。
アキトの目は見開かれ、動悸と呼吸はさらに激しくなる。そして、それはピークに達した。
「っあああああああああああ!」
アキトはその場で頭を抱え、何度も何度も叫び声を上げ続けた。
「アキトさん……」
そんなアキトの様子を、シンジはブリッジのモニターで見ていた。モニターを見ているシンジの表情は暗い。
シンジの右手は自然といつもの癖を行っていた。何も出来ない自分が、シンジは酷く苛立たしかった。
赤い世界から送られし者
第九話『コスモスから来た男』
「イロウル……やっぱり暇人(?)だったんだね……」
「チューリップを通り抜ければ瞬間移動する……とは限らないようね」
ブリッジにてイネスの説明を聞いているメインクルー。その中には見慣れない男性もいた。
その男性の名前は『アカツキ・ナガレ』──動けなくなったアキトを助けた新しいパイロットである。
「少なくとも、火星で戦ってから地球時間で8カ月経過している。私の見解では……」
説明を続けるイネス。そのイネスの表情は例えようもなく嬉しそうである。
それに対して、イネスの長い説明を聞いている者達の中には疲れた表情をしている者もいる。
「まるで浦島太郎だね〜」
長い説明が終わり、ヒカルが思ったことを口に出す。ヒカルのそれは的を得た例えであった。
ナデシコが消えた8カ月の間に、ネルガルと連合軍は和解。さらに月面を奪還していた。
今ナデシコが収容されている『ナデシコ2番艦 コスモス』も、この8カ月間で新しく建造されたものだ。
ナデシコのクルーにしてみれば、竜宮城から帰ってきた浦島太郎のような気分だろう。
「和解に伴い、ネルガルは連合軍と共同戦線を取ることになりまして……ねぇ、艦長?」
「それに伴いナデシコは、地球連合海軍 極東方面に編入されます」
プロスに促され、ユリカが今後のナデシコの方針をクルー達に発表する。
軍に編入されると言われ、誰もが不満そうな顔をしている。中でも、アキトが一番不満そうであった。
「私達に軍人になれって言うの!?」
「そうじゃないよ。ただ一時的に協力するだけ」
ユリカに尋ねたミナトに、横からアカツキが口を挟んだ──さりげなく手を握りながら。
ミナトは手を握ってきた相手を見て、怪訝な表情をする。彼が誰なのか分からなかったのである。
パイロットや整備班は顔を見ていたが、ブリッジにいた者達は声しか聞いていなかった。
「誰、アンタ?」
「アカツキ・ナガレ……。助っ人さ」
改めて自己紹介をするアカツキ。未だに手を握っていたのでミナトはそれを払う。
アカツキはそれに苦笑すると、プロス達の方に身体を向き直して論議に耳を傾ける。
だがナデシコが軍に編入されること、火星は諦めることというのを除けば大した話はなく、すぐに解散となった。
「あ、そうだシンジ!」
自室に戻ろうとしたシンジをウリバタケが呼び止めた。
立ち止まったシンジに近づくと、ウリバタケがシンジに尋ねた。
「お前のエステなんだが、色は何色にしたい?」
「エステの色……ですか?」
何を言っているのか分からないシンジは、不思議そうな顔をして尋ね返した。
ウリバタケは「そうだ」と言って頷き、コスモスから0G戦フレームが補給されたことを話した。
それを聞いたシンジの表情が輝く。これで、自分も一緒に戦うことが──守ることができると。
「すぐには無理だが、一応要望を聞いておこうと思ってな」
何色がいいかとシンジは考える。すぐ頭に浮かんだのは5色だ。
(青……はもう使われてるんだっけ)
自分のプラグスーツの色を思い出し、青がいいかともシンジは思った。
だが既に3機のエステに青系の色が使われている。ガイの青にイズミの水色、そしてアカツキの蒼だ。
(赤……も同じ。それに、赤色にはあまり良い思い出がないし)
赤は既にリョーコのエステに使われている。それに嫌なことばかり思い出す。
サードインパクトが起こった後の赤い世界、自分が守れなかった赤い少女。
だから、シンジにとって赤だけは絶対に避けておきたい色であった。
(白……。これも何か嫌だな)
白で思い出すのはやはり量産機である。これもあまり選びたい色ではない。
(黒も……ちょっとね)
黒は参号機──トウジが搭乗していたエヴァの色だ。
これも辛いことを思い出す。そもそも宇宙では見えずらい色である。
(やっぱり、あの色が一番マシかな)
そう思ってシンジは首から提げているロザリオに手をやる。
いい思い出があったというわけではない。むしろ、辛いことの方が多かった。
しかし、それでもその色が一番自分に合っている様な気がするともシンジは思う。
だからシンジは、自分のエステの色はその色にして下さいとウリバタケにお願いした。
★
「やあ」
右手を上げてシンジに声をかけてきたのはアカツキである。
彼はシンジの部屋の正面の壁に背を預け、シンジが来るのを待っていたようだった。
「あの……何か用ですか?」
そう尋ねるシンジの口調は少し固い。シンジは基本的に人見知りをする方なのだ。
サイゾウの店で働いていたため少しはマシになったが、根本的な所はあまり変わっていなかった。
「コック兼パイロットがいると聞いてね。話をしてみたかったんだ」
「それならアキトさんも僕と同じですよ?」
「ああ、彼とならさっき話してきたよ」
なかなかおもしろいね、と言いながらアカツキは笑っている。
アキトの話が出てシンジの気持ちも少し軽くなる。ほとんど初対面の相手と共通の話題が出たからだ。
シンジもアカツキと同じように笑みを浮かべ、アキトのことについてアカツキと話す。
『敵艦隊接近中! エステバリス隊は迎撃用意!』
しばらく話していると、警報が鳴り響きジュンの声が放送で流れた。
その放送を聞いたシンジとアカツキは、格納庫に向かって走っていった。
「胡散臭い奴だな……」
アカツキの背中を見ながらイロウルがつぶやく。
イロウルには親しい者を話題にすることで、警戒心を和らげているように感じた。
そうして、アキトについての情報をシンジから聞きだしているように見えたのである。
「調べてみた方がいいかもしれないな……。オモイカネに協力を頼んでみるか?」
かつてコンピュータと共生していたイロウルは、この世界のコンピュータに興味を持っていた。
そのため、ナデシコに乗ってから幾度となくオモイカネと話しをしたりしていたのである。
イロウルにとっては、人工知能を持つオモイカネは友達のようなものであった。
「調べてみても損はないだろう……。……何もやることがないしな」
アカツキを調べてみようと思った一番の理由は、実は暇だからである。
この世界に送られてきたイロウルだが、レイには明確な目的を教えられていなかった。
しかもネコの姿であるため、話し相手がシンジとオモイカネしかいなかったのだ。
とりあえずオモイカネに話してみよう、とイロウルはシンジの部屋へと入っていった。
そんなイロウルの後ろ姿は、暇潰しが見つけられて少し楽しそうであった。
★
敵艦隊が近づき、再び迎撃戦が始まった。ただ、コスモスに収容されているためナデシコは参加しない。
ナデシコからはアカツキとシンジのエステを加えて、計7機のエステが出撃していた。
リョーコとガイはさっきと同様に近接戦闘を仕掛け、ヒカルとイズミはそれを援護するようにライフルを撃っている。
新しいパイロットであるアカツキは、状況に応じて射撃と近接戦闘を使い分けて戦っていた。
順調に敵の数を減らしていくリョーコ達。そんなリョーコ達から少し離れたところで、1機のエステがぽつんと漂っていた。
「や、やっぱり……いきなり宇宙で戦闘なんて無謀だったかな」
まだ色が塗られていないグレーのエステに乗っているのはシンジ。
シンジのエステは右手にイミディエット・ナイフを構えているが、その動きは危なっかしい。
空戦や0G戦フレームで行なうスラスター移動の練習を、今まで夢の中で行なってきたシンジ。
だが最近はおかしな夢をみるばかりで、スラスター移動の練習どころか修行すらまともにしていない。
そもそも、スラスター移動を現実世界で行なうのは、今回のを入れて2回目なのである。
はっきりいって、上手に戦うことができる自信などシンジには欠片もなかった。
「自信なんて全くといってないけど……」
そう言いながら、シンジは1機のバッタに目標を定める。
そして、少しでも上手く動けるようにとスラスターの動きに意識を集中する。
「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!」
自身を鼓舞するようにいつもの言葉を叫ぶと、シンジはエステのスラスターを思いっきり噴かした。
右手に持ったナイフを前方に突き出すように構え、目標にしたバッタへと向かっていく。
だんだんと縮まっていくエステとバッタの距離。近づきながら、シンジはエステとバッタの誤差を修正していく。
「あ、当たれぇーっ!」
エステとバッタの距離は0になり、ナイフの先端とバッタのフィールドが接触した。
ナイフがフィールドに触れると僅かな抵抗が感じられたが、気にせずスラスターを噴かし続けるシンジ。
バッタのフィールドの抵抗はすぐになくなり、攻撃の負荷に耐えられなかったバッタは爆発を起こした。
「う、うわぁ!?」
バッタを破壊したのはいいのだが、シンジのエステはなかなか止まらなかった。
攻撃をするのにスラスターを勢いよく噴かしすぎてしまったのである。
慌ててエステを止めようとしたが、エステが止まったのはリョーコ達から随分と離れたところだった。
「な、なんとか止まった……。敵を1機倒すのに大分時間をかけちゃったな……っ!?」
ようやくエステが止まって安心したシンジは、ナデシコの方へと視線を向けた。
その視線の先には、バッタに囲まれているアキトのエステがあった。
「ア、アキトさん!!」
シンジはアキトの名を叫ぶと、再びスラスターを噴かしてアキトの所へと向かった。
★
「く、くそぉっ!」
体当たりを仕掛けてくるバッタをかろうじて避けるアキト。
さきほどの戦闘よりは大分動けるようになっていたが、それでもいつもより動きが固い。
必死になって敵の攻撃を避けているアキトに、アカツキから通信が送られてくる。
『実に安全でいい戦い方じゃないか、テンカワ君』
「う、うるさい!」
『君はナデシコが軍に協力するのは不満なようだが、ならどうして君はナデシコに乗って戦っている?』
「戦う……理由? う、うあああっ!?」
なぜナデシコに乗って戦っているのか、と問われてアキトの動きが僅かに鈍ってしまった。
その隙をバッタに狙われ、アキトはバッタの体当たりを受けて吹き飛ばされた。
「戦う理由……。俺の戦う理由は……」
俺は火星のみんなとナデシコを守るために戦う……。俺はそのために変わらなくちゃいけないんだ!
あの時の言葉がアキトの脳裏に蘇る。
サツキミドリ2号が爆発し、戦うことに不安を抱えていた自分。
そのことを話すと、戦うには覚悟が必要だとシンジに言われた。
そしてアキトは誓った。自分は火星のみんなとナデシコを守るために戦うと……。
「そうだ、俺は決めたんだ……。守るって決めたんだっ!」
コントローラーパネルに手を添えた右手に力を込める。
手の甲に刻まれたIFSが、アキトの意思に答えるように強く光を放つ。
「だああああぁぁっ!」
フィールドを集中させた拳を前方に突き出し、スラスターを噴かして突撃していくエステ。
アキトの攻撃を受けたバッタが、エステが通った後を追うように次々と爆発していく。
「おお〜」
それを見て感嘆の声を漏らすヒカル。
「やるじゃないか、テンカワ君」
唇の端を僅かに上げて笑みを浮かべるアカツキ。
「あいつらしいっちゃらしい攻撃だな」
突然バッタに突っ込んでいった時には驚いてしまったリョーコ。
だが、さっきまでとは確実に違うアキトの動きに、今は安堵の表情を浮かべている。
「あいつは物事に詳しいらしい……。通らしい……。あいつ通らしい……。あいつらしい……まだまだね」
何故かダジャレを言うイズミ。フッと微笑している表情からは何を考えているのか窺い知れない。
イズミの言うまだまだというのは、自分のダジャレについてか、それともアキトの動きについてなのか。
「守るために戦う……! アキト、それこそ男だ! それこそがゲキガンガーだぁっ!!」
パイロット達の中でも、一番アキトの行動に反応を示していたのはガイである。
涙をまるで滝の様に流しながら叫び、ガイはアキトのエステの横につく。
「燃えたぜお前の言葉、男の戦いはこうでなくっちゃな! 合わせろアキト…… ダブル・ゲキガンフレアだ!!」
「お、おう!」
異様に高まっているガイのテンションに、アキトは戸惑いながらも頷く。
いくぞ、とガイはアキトに声をかけるとスラスターを噴かし、フィールドの出力を上げる。
敵に向かって先ほどのアキトの様に突撃するガイ。横に並んで同じくフィールドの出力を上げたアキト。
「「ダブル・ゲキガンフレアァァァーっ!!」」
技の名前を叫びながら、バッタ達の中を突破していく2機のエステ。
初めは戸惑っていたアキトだが、やはりこういうノリが好きなのかガイと一緒に叫んでいる。
『ダブル・ゲキガンフレア』と叫んでいるが、要はディストーション・フィールドを纏わせた2機同時の体当たりである。
「……」
アキトとガイが次々と敵を倒していく様子を、呆然とした様子で眺めているシンジ。
バッタに囲まれているアキトのエステを見たシンジは、慌てて戻ってきたのである。
だが、戻ってきた時には既にアキトは立ち直り、バッタを倒し始めていた。
『ゲキガン・シュート!』
アキトが立ち直ったところまではよかったのだ。
だが、その後の展開にシンジはついていくことが全く出来なかった。
『ゲキガン・パンチ!』
今アキトとガイは、ことあるごとに『ゲキガン〜』と叫びながら戦っている。
ガイはともかくとして、今のアキトとさっきのアキトのあまりの違いにシンジは動けなくなっていた。
『シ、シンジ君! 後ろ〜!!』
「え? ゴフゥゥーッ!?」
戦闘中であるにも関わらず、ボーっとしていたシンジに慌てて声をかけたヒカル。
ヒカルの声に反応してシンジは後ろを振り返った。その先にいたのは1機のバッタ。
バッタは隙だらけなシンジ目掛けて体当たりを仕掛けてきたのだ。そして、その攻撃は見事エステの腹部に決まる。
(ま、まずい……。しゅ、集中できない……)
その攻撃は、人で言うところの鳩尾にきまっていた。鈍い痛みがシンクロしているシンジにも伝わる。
幸いエステに大した損傷は見られなかったが、エステとシンクロしているシンジの集中力を奪うには十分だった。
集中力が乱れてエステの動きが安定しなくなる。そして、デルフィニウムの時のように、スラスターの制御ができなくなってしまった。
「うわぁっ……ってシンジ君!? ま、またなのかーっ!?」
目の前を通り過ぎていったシンジのエステを見て、アキトが声をあげる。
実際は前回よりも悪い状況にある。今回は痛みによって集中できないのである。
使徒の力を使うには集中力が必要不可欠なのだ。そのため、今回はタブリスの力で飛ぶこともできない。結果……
『碇機、月の影に入ります……』
完全に視認できなくなってしまったシンジのエステ。
そして、ルリの報告がパイロット達のもとに届いた。
『ねぇ、それって……』
ルリの報告にヒカルがまず口を開く。
『あ、ああ……』
搾り出すように声を出すリョーコ。
『……』
流石にダジャレを言うつもりはないのか、沈黙しているイズミ。
『説明するまでもないわね……。シンジ君は遭難したのよ』
「シ、シンジ君〜〜〜〜〜〜っ!」
あまりのことに呆然としていたアキト。イネスの言葉を聞いて状況を理解するとシンジの名を大声で叫んだ。
突然のことに何も喋れなくなっていたクルー達は、その声をきっかけにして騒然となり始める。
コック兼パイロットである碇シンジは、迎撃戦にて遭難してしまった。
★
現在ブリッジでは、メインクルーが集まり話し合いが行なわれていた。
迎撃戦にて遭難してしまったシンジのことについてである。
「何とか自力で戻って来られないのか?」
「無理です」
自力での生還が可能かを尋ねるゴートにルリが答えた。
ルリの隣に立っていたウリバタケも頷き、スパナで頭を掻きながら説明を加える。
「ナデシコの重力波ビームが切れるってことは、補助バッテリーで飛ぶしかないってことだ。
補助バッテリーだけで飛ぶんじゃ……5分が限界だな」
それを聞いたクルー達の表情が沈む。特に酷いのはアキトである。
アキトは一番シンジと付き合いが長い。それも仕方のないことであった。
「こっちから少しでも近づければ、帰艦の可能性は大ね」
「ナデシコが修理中なのにどうやって?」
イネスの言葉に、ブリッジに入ってきた人物が尋ね返した。
その声に全員の視線がブリッジの入り口へと集まる。
「何でアンタがここにいるんだ!?」
ブリッジに入ってきた人物を指さしながら声を荒げるガイ。
ガイが指さした先には、軍服を着た男と白い制服を着ている女性が立っていた。
女性の方に面識はなかったが、男の方は途中で合流したリョーコ達以外には見覚えがあった。
「後でご紹介する予定だったんですが、御二人は今日から我が艦に派遣されることになりました……」
そのまま2人を紹介しようとしたプロスだったが、男の方が1歩前に踏み出したため途中で止まった。
特徴的な髪型をしたその男は、口元を隠していた扇子を閉じると口を開いた。
「ムネタケ・サダアキよ。今日からナデシコの提督になるわ」
簡単に紹介を終えると、元の位置に戻って再び扇子で口元を隠す。
ムネタケ・サダアキ──かつてナデシコで叛乱を起こした張本人である。
「私はエリナ・キンジョウ・ウォン。今日付けでナデシコの副操舵士として配属されました」
エリナもムネタケのように前に1歩出て紹介するが、周りの反応は薄い。
ムネタケというあまりに意外な人物との再会が、酷く衝撃的であったためである。
クルー達が再起動したのは、それからしばらく時間が経ってからであった。
★
「電車の……中?」
周囲を見回しながらつぶやくシンジ。
夕暮れの中を走る電車の中──シンジにとっては見慣れた光景である。
「僕がここにいるってことは……」
『そう、君は今夢の中にいるのさ』
そう声が響くと、正面の座席に子供が現れる。
シンジの面影を残した子供──もう1人の碇シンジ。
『宇宙で遭難したって言うのに、よく眠れるね……』
その声にはどこか呆れたような響きがある。実際呆れているのだろう。
呆れられているのを感じたシンジは、頬を掻きながら苦笑する。
自分でもよく寝ていられるもんだ、と思ったからだ。
「君が来るとは思わなかったな。てっきり、綾波が来ると思ったんだけど……」
スラスターの制御が出来なかったのは今回で2度目。
今までの経験上、必ず何かしらの罰が与えられると思っていた。
そう尋ねられ、今度はもう1人のシンジの方が頬を掻いて苦笑した。
『その筈だったんだけどね……。彼女も忙しいんだよ』
いろいろとね、という最後のつぶやきはシンジには届かなかった。
「じゃあ、何で出てきたの?」
今までもう1人の自分が出てきた時は、何かしら用件があった。
ただ暇だから来たというわけではないだろう。不思議に思いシンジは尋ねた。
『何でとは酷いな。君の助かる可能性を上げるためにきたのに……』
「可能性を上げるため……?」
『うん……と言っても大したことじゃないけどね』
そう前置きしてからもう1人のシンジは、その可能性を上げる方法を話す。
内容は本当に大したことはなかった。ただ単に、エステのフレームを切り離すというものだ。
そうすれば、反作用でエステは移動していく。だが、それでもナデシコに到達するとは限らない。
到達しない可能性の方が未だに高いかもしれない。なのに、シンジの表情には死に対する恐怖は感じられない。
『死ぬかもしれないのに……恐いって顔しないんだね』
「うん、そんなに恐く感じないんだ……。前はあんなに恐かったのに……」
前というのは、ディラックの海に飲み込まれたときのことである。
あの時は、あまりの恐怖に最後は恐慌状態に陥ってしまった。
あの時と比べると、シンジは落ち着いていた。
『それは、君の心が成長──強くなったってことだよ。その証拠に僕は成長している』
確かにもう1人のシンジの身体は大きくなっていた。今のもう1人のシンジの姿は小学1年生ぐらいである。
もう1人のシンジは、シンジの心の状態によって見え方が変わる──ともう1人のシンジに教えられた。
もう1人のシンジが成長したということは、シンジの心が成長したということなのだろう。
「そうかもしれない……。でも、たまに思うんだ。あまり恐く感じなくなったのは……」
『ヒトじゃなくなったから……って思ってるんでしょ?』
その言葉に、ビクッっと肩を震わせ、無言で頷くシンジ。
それを見たもう1人のシンジは、呆れた様子でため息を吐いた。
『君は相変わらずマイナス思考だね……。確かに君は使徒に近い存在になった……厳密に言えばヒトじゃない。
でも、それが何だって言うのさ? 君がヒトであろうと使徒であろうと関係ない……。
君は碇シンジだ。それ以外の何者でもない……。例え、ヒトや使徒以外の存在になったとしてもね……』
「随分とプラス思考なんだね」
『マイナス思考よりはマシさ。君も僕を見習った方がいいと思うよ?』
シンジならばそんな考え方は浮かんでこない。シンジならば、ヒトでなくなったことを悲観的に考えてしまう。
だが、もう1人のシンジはそれを楽観的に考えている。もう1人の自分の筈なのに、考え方が随分シンジと違っている。
そのことを不思議に思うが、もう1人のシンジの話を聞いてシンジは少し気持ちが楽になった。
(今の話だけで気持ちが楽になるなんてね……。僕も少しは変わったってことなのかな)
そこまで話すと、周りの景色がだんだんとぼやけてきた。いつの間にか電車も停まっている。
もうすぐ夢から覚めるのだろう。もう1人のシンジの姿もはっきりと見えなくなってくる。
もう1人のシンジは座席から立ち上がると、開いた扉へと向かっていく。
『まあ、あまり恐く感じなくなったっていうのは……信頼できる仲間ができたってことでいいんじゃないかな?』
電車を降りる間際に、もう1人のシンジは振り返って言った。
そう言った後「ちょっとクサかったかな? ヤマダ・ジロウの影響かも」と苦笑しながら電車を降りた。
「信頼できる仲間……か」
目を閉じながら、もう1人のシンジが言っていたことを考える。
目を閉じているとナデシコクルーの顔が頭に浮かんでくる。
そうしてナデシコのことを考えていると、暖かい何かに包まれるような気分になる。
「……そうかもしれない」
白い光に包まれ、シンジは意識が覚醒していくのを感じた。
★
薄暗い部屋に、新しいパイロットであるアカツキと、新しい副操舵士のエリナがいた。
部屋の中にはいくつものモニターがあり、そのモニターにはアキトが映されている。
「まさか、修理中のナデシコを動かすとはね」
「まあ、テンカワ君ならそう言うと思ったけど……まさか、アオイ君まで言うとは思わなかったよ」
宇宙で遭難してしまったシンジだったが、修理中のナデシコを動かすことで助けることができた。
その際、ナデシコを動かしてもらうように願い出たのが、アキトとジュンだったのである。
「彼もナデシコのクルーだからね、助けに行くのは当然だろ?」
というのは、不思議に思ったアキトがジュンに理由を尋ねたときの言葉である。
これと似たような言葉を、デルフィニウム戦のときにアキトがジュンに言っている。
これが軍艦だったらどうなっていたか分からないが、ユリカがそれに賛同しナデシコを動かしたのだ。
「そんなことより、どうだった?」
「これは、火星からボソンジャンプするときのテンカワ・アキトの映像」
モニターにアキトが自室でテレビを見ている様子が映っている。
が、少しするとアキトは光に包まれ展望室へと移動していた。
それを見たアカツキとエリナは、嬉しそうに笑う。
「おやおや、プロス君から聞いたときに、もしやと思っていたけど……」
「それと……これもボソンジャンプ時の映像よ」
そう言って映されたのは、自室で蒲団に入っているシンジの映像。
シンジもアキトと同じように、少しすると光に包まれ展望室に移動していた。
「彼と話したんでしょ?」
「彼もとはね……。話したといっても、テンカワ君のことしか聞いてないよ」
と、肩を竦めて答えるアカツキに、エリナは「そう……」と言ってため息を吐く。
そんなエリナの様子を視界の端におさめると、アカツキは光に包まれるシンジの映像に目を戻した。
シンジと話してアカツキが感じたのは、至って普通の少年ということだ。
確かにマシンチャイルド特有の容姿ではあった。が、それ以上変わっている点は感じられなかった。
強いて言うなら、18歳と資料に書かれていたが、中学生としか思えなかったぐらいである。
(テンカワ君にシンジ君か……。2人とも、興味をそそられる対象であることは間違いないね)
アカツキは心の中でつぶやくと、今日は特に話すこともないので自室へと戻っていった。
自室へと戻るアカツキの顔には、どことなく楽しそうな笑みが浮かべられていた。
★
コタツの上に置かれたミカンを手に取ると、丁寧に皮を剥いていくレイ。
場所はいつもの広い和室で、時刻は草木も眠る丑三つ時──普通なら寝ている時間である。
といっても、完全な使徒であり、神でもある彼女に睡眠は必ずしも必要というわけではない。
「リリスゥゥ〜」
地の底から響いてくるような声を出しながら、和室に入ってきたのは渚カヲル。
だが、その姿はどこか薄汚れており、S2機関があるにも関わらず疲れているように見える。
自分のことを呼ばれ、レイは口にミカンを頬張りながらカヲルの方へと身体を向ける。
「今までどこに行っていたーっ!」
「……地球よ」
レイは今まで地球に行っていた。LCLの海から還ってきた者がいないかと見に行っていたのである。
そのために、彼女はカヲルが起きる前から出かけていたのだが、還ってきている者は1人もいなかった。
レイの話しを聞いたカヲルの眉がピクリと動く。こめかみには青筋まで立てているのでかなり怒っているようだ。
「なぜだ! なぜ今日なんだ!! 今日はシンジ君が帰ってくる日じゃなかったのか!!」
ナデシコが火星のチューリップに突入してから8ヶ月。
カヲルは今日という日をずっと楽しみにしていたのである。
しかし、シンジを観るために遺跡に備え付けられたテレビは、レイでなくては付けられない。
レイがいないことに気づいたカヲルは、今まで火星中を探し回っていたのである。
「そういえば今日だったわね……」
カヲルに言われ、たった今思い出したように言うレイ。
だが、唇の端を上げてニヤリと笑っているためかなり疑わしい。
「リリス……君とは一度じっくりと話し合う必要があるようだね!!」
ニヤリと笑うレイを見たカヲルは、ATフィールドを集中させて武器を造り出す。
以前造り出したのと同じビームサーベルを右手に構え、カヲルはレイに向かって走り出す。
目を血走らせながら向かってくるカヲルを見たレイは立ち上がり、ため息を吐いて力を集中させる。
「……サハクィエル」
レイがつぶやくのと同時に、走っていたカヲルがうつ伏せになって倒れる。
第十使徒サハクィエル──この力は重力を自在に操る。今のはカヲルの周りの重力を上げたのである。
何とか身体を動かそうとしているカヲルだが、重すぎるのか全く動かない。最後には力尽き、カヲルは意識を手放した。
レイはついでとばかりに巨大な十字架を造りだし、その巨大な十字架に意識を失ったカヲルを縛り付ける。
「……罰当たりかしら?」
十字架に磔にされているカヲルを眺めながらレイはつぶやく。
だが、そんなことにはすぐ興味を失い、レイはコタツに戻って新しいミカンに手を伸ばした。
「ま、まさか……僕の出番はこれで終わりなのかい……?」
数分後、意識を取り戻した銀髪の少年のつぶやきが空洞の中に響いたが、その問に答える者は誰もいなかった。
つづく
あとがき
こんにちわ、アンタレスです。
火星から戻ったらシンジをギャグ(不幸)キャラに戻す予定だったのですが……戻ってないかもしれません。
その代わり、何故かカヲルがギャグ(不幸)キャラ一直線状態になっています。
今回出てきたもう1人のシンジですが、何と言うか……すみません。こんな感じのしか思いつきませんでした。
いつものように変なあとがきになってしまいましたが、代理人様感想よろしくお願いします。
代理人の感想
使徒・・・それも情報処理において卓越しているイロウルにまで名前を忘れられるほど、こいつの存在感は薄いのか!(笑)
まぁそれはこっちにおいといて。
遭難者がアキトからシンジになっただけで、今回も話の筋は殆ど変わってませんね。
このままナデシコ世界に何の影響も与えずに最終回を迎えるというのも、それはそれで新しいかも(爆)。
ただちょっと気になったのは「もう一人のシンジ」ですね。
あれって、シンジの内面的人格じゃなくて、独立した一個の存在なのかな?
それとも綾波が刺激を与えて目覚めさせたのを「来させた」と表現したんだろうか。
まぁ割とどうでもよさそうなことではありますが。