現在、地球には2600個以上のチューリップが存在している。その中には活動を停止しているチューリップもいくつかある。
テニシアン島付近の海域に落ちたチューリップもその1つである。ここ数ヶ月、戦艦はおろかバッタすらそのチューリップから出てきていなかった。
が、ある日テニシアン島に新型と思われるチューリップが落ちた。その日、そのチューリップは数ヶ月ぶりに活動を再開した。



大きな口を開けるチューリップ。その中から出てきたのは巨大な顔である。その顔の周りにはディストーション・フィールドが張られている。
が、チューリップから出た途端にフィールドが消えた。そして、少しずつ巨大な顔は海の底へと沈んでいく。
巨大な顔が海の底に沈みきると、ディストーション・フィールドとは違うオレンジ色の光に包まれ、巨大な顔は少しずつ上昇していく。
上昇していった巨大な顔は、一番近くの島──テニシアン島──へと向かって飛んで行き、島の砂浜に大きな音を立てて着陸した。
巨大な顔が着陸すると、顔を包んでいたオレンジ色の光が消えた。そして、顔の一部が開き、中から1人の少女が出てきた。
黒い瞳に黒い髪、肌の色は黒や白ではなく肌色で、どこにでもいそうな顔立ちをしている。が、それはここが日本の場合である。
赤道直下の島であるこのテニシアン島では、その肌や顔立ちは少し違和感を感じさせる。

……レリエル

少女は懐から紅い玉を取り出し、それを巨大な顔に向けて放ると小さな声でつぶやいた。
放られた紅玉は巨大な顔の近くに落ち、少女の声に反応するように紅い光を放ち始める。
光はだんだんと強くなっていく。と同時に、巨大な顔の下に巨大な影──ディラックの海──が生まれた。
巨大な顔は沼地に沈んでいくようにディラックの海に飲み込まれていき、1分と経たない内に完全に飲み込まれた。

「生体跳躍の実験は……一応成功なのかな? でも、跳んだ後のことを考えると……」

チューリップから出た途端にフィールドが消え、海の底に沈んでいったことを思い出して少女はつぶやく。
自分じゃなかったら巨大な顔は海の底に沈んだままで、酸素が無くなって死んでしまっていた可能性は高い。
もしかして、初めから殺すつもりだったのではないか、という考えが頭の中を過ぎった。
自分が乗ってきたのはまだ完成していない兵器の頭部パーツだ。実験と称して、素性の怪しい自分を消そうとしたのではないか。
そこまで考えて笑う。そんなこと、いくら考えても分かるわけがない。

「いつまで考えてても仕方ないよね。まあ、戻って聞けば分かることだ……し?」

少女は身体の感覚がおかしいことに気づいて視線を下に向ける。と、表情を歪めた。眉を寄せ、奥歯を強く噛み締める。
視線の先──少女の足元には腕が落ちていた。他の誰の物でもない少女自身の腕が。見ると、右腕の肘から先がなくなっていた。
少女は左手で自分の腕を拾い上げた。が、拾った右腕はパシャっと水が弾ける様な音を立てて赤い液体へと変わる。

「この世界に覚醒したリリン──しかも私と似た波動を持つのがいるなんて面白いと思ったけど……」

濡れた左手を振る。手に溜まっていた赤い液体が浜辺の砂に染み込んでいく。

「まさか、アイツだったとはね」

忌々しげに少女は吐き捨てる。あの時、アイツを見ておもしろそうと言っていた自分が苛立たしい。
あの時には分からなかったことが、今では分かる。分かるようになったからといって、別に嬉しくはなかったが。
少女は肘から先のなくなった右腕に目をやる。肘の先から、ポタポタと赤い雫が滴っている。

「たまにフィールドが安定しなくなるのも、アイツが原因か」

既に自分の身体に影響が出始めているのに気づき、少女は歯噛みする。
何故こんな目に会わなければならないのか、と怒鳴り散らしたくなるが、そんなことをしても意味がない。

(今なら、まだアイツを殺す事も出来る……)

右肩を左手で押えながら、声には出さずつぶやく。左手に染み込んだ血の匂いが鼻を付き、眉を顰める。

「でも、アイツのコアを奪うか、身体ごと取り込むのが一番良いんだけどね」

今度は声に出してつぶやく。そうしないと、どうにかなってしまいそうだった。
このままアイツを殺さず、コアを奪う事も出来なかった場合に訪れる未来。
考えないようにしようと思うが、どうしても考えてしまう。自分が消えてなくなる未来を──。

「私は、絶対に消えてなくなったりはしない……っ!」

自分に言い聞かせるように叫ぶと、少女は目を瞑り、左手を握り締めた。そして、左手の内に意識を集中させる。
身体の中にある力が左手に集まっていく。左手が熱くなっていくのを感じ、汗が滲んできた。
それから数分程して少女は目を開く。次いで左手を。開いた手のひらには紅玉が3個出来上がっていた。

「前は一度にもっと造れたのにね……」

少女はつぶやくと1個だけ残して、残りの紅玉を懐にしまう。
左手に持った紅玉を右の肘に当てる。と、息を大きく吸い込み、一気に紅玉をめり込ませた。
激痛が走ったが声を漏らさないように唇を噛む。あまりの痛みに目の端には涙が浮かび、切れた唇から血が流れた。
紅玉が完全に肘の中に埋まると、耐え切れなくなったのか少女は仰向けになって倒れた。

「はぁ、はぁ、はぁ……何度見ても思うけど、気持ち悪いね……コレ」

少女は自分の右腕の方に視線を遣る。少女の視線の先には赤ん坊程の小さな手が生えていた。さっきまで何も無かった右肘から。
そして、その小さな手はどんどん成長していく──まるで、ビデオの早送りの様に。
数秒と経たない内に完全に再生された右腕。少女は再生された右腕の感触を確かめるように軽く動かしてみる。
問題ないことを確認すると、今度は懐に手を入れて中に入っている物を取り出す。

「今造ったのと合わせて合計7個か……。これなら大丈夫かな?」

そう言ってジャングルの方へと視線を向ける。その先には呆然とした様子で立ち尽くしている男がいた。
砂浜で起こった音の正体を確かめるために来たのだろう。てっきり無人島だと思っていた少女は人がいたことに少し驚いていた。
少女は確かに驚いていたが、その表情にはそんな様子は欠片も窺えない。それどころか、少女は笑みを浮かべている。

「あんな所を見られたら、どちらにしろ消すしかないんだけど……」

左手に持った紅玉を弄びながら少女は男に近づいていく。
男の脳裏にはさきほどの光景が浮かんでいるのか、自分より明らかに年下の少女に男は恐怖を感じていた。
逃げようと男は必死になって足を動かす。しかし、上手く動かすことが出来ない。まるで、自分の足ではないかのように。

「試したいことがあるから、付き合ってくれる?」

痛みはないから大丈夫、そう言って笑いながら紅玉を男に向ける。
紅玉を向けられた途端に身体から力が抜けていくような感覚を男は感じた。
魂というものが存在するならば、まるでそれが抜かれていくような不思議な感覚。


「ああああああああっ!」


男は叫び声を上げると懐に手を入れ、黒光りする物を取り出し少女に向けた。
男が少女に向けている物は拳銃。少女との距離は数メートルと離れていない。引き金を引けば間違いなく当てられる距離である。
しかし、それでも少女は笑みを絶やさないまま男に近づく。その顔にはやはり恐怖はない。男は耐え切れず、叫びながら引き金を引いた。

……………………………………………………………

…………………………………………………

………………………………………

……………………………

男が叫び声を上げた後は静かだった。聞こえてくるのは風に揺れる葉の音と波の音だけ。
少女は砂浜に寝転がりながら星を眺めていた。服に砂が付いてしまったが気にしない。腕を再生させた時に倒れたので既に汚れていた。
星空を眺めるのに飽きた少女は首を動かして視線を移す。視線を移した先には湿った服が落ちている。さっきまで男が着ていたものだ。
少女はその服を何とはなしに眺めていたが、すぐにまた空へと視線を戻した。

「初めてやってみたけど……気のせいかな? 少し、色が変わった気がする」

左手を顔の前へともってくる。その左手には紅玉が握られている。
僅かに色の変わった紅玉。その色は少女が造りだした時よりもさらに紅い。玉の色はより血の色へと近づいていた。
血──通常、あまり良いイメージのないものである。少女にとってもそうだった。少女は僅かに表情を歪める。
血の紅い色、そして匂い。どれをとっても嫌なことばかり頭に浮かぶ。聞こえてくる波の音がそれに拍車をかけた。



──────……キモチワルイ



脳裏を過ぎった赤い少女の最後の言葉。そして、手に蘇った感触──。

「最悪、あの時のことを思い出すなんて……」

少女はつぶやくと勢いよく身体を起こして立ち上がる。服についた砂を適当に払い落とし、目の前に広がる海へと目を向ける。

「逃げ出したアイツはあの時のことを覚えてはいないだろうけど……」

そう言って少女は後ろを振り返り、顔を少し上げた。その先にあるものは新型のチューリップ。
ジャングルの中にそびえ立つチューリップを見上げると、少女は口の端を吊り上げて笑みを浮かべる。
そして、少女は左手に持った紅玉を弄びながらジャングルに向かって静かに歩き出した。















赤い世界から送られし者


第十一話『南の島の自殺願望少女』

「人の身体は水に浮くようには出来てないんだよっ!」












「シンジ君」

自分の名を呼ぶ声にシンジは振り返る。と、そこには両腕を広げた少年が満面の笑みで立っていた。
少年の姿を認めるとシンジは困惑の表情を浮かべて少年から距離をとった。
シンジが離れたのを見て少年は不思議そうに首を傾げるが、少年は気にせずシンジが離れた分だけ距離を詰める。
シンジの目の前に立つ少年──渚カヲル。そのカヲルの紅い瞳と目が合いシンジは目を逸らした。

「カヲル君、どうして……」

そんな笑顔でいられるの? 君を殺してしまったのは僕なのに、と普段のシンジなら尋ねていただろう。
だが、シンジがカヲルに尋ねたかったのはそんなことではなかった。どうしてここにいるのか、ということでもない。
カヲルがここにいる理由をシンジはカヲルに尋ねるまでもなく勝手に結論付けていた──これは夢なんだ、と。

(そう、これはただの夢なんだ。だから、カヲル君が出てきたとしても不思議じゃない……)

だけど、とシンジは逸らしていた目をカヲルへと向ける。カヲルは相変わらず満面の笑顔でシンジのことを見ている。
灰銀の髪、紅い瞳、色素の薄い白い肌。そして、纏っている雰囲気もシンジの知っているカヲルのままだ。
ただ、着ているものが違う。中学校の制服でもなければ、プラグスーツでもない。シンジが尋ねたかったのは正にそのことだった。

(何で葉っぱっ!? どうして服を着てないの!?)

両手を広げてシンジの正面に立つカヲル。その身体を覆うのは葉っぱ1枚のみ。シンジが戸惑うのも無理はなかった。
しかし、シンジはそれを口にして聞くようなことはしなかった。嫌な予感をひしひしと感じていたからである。
嫌な予感ほど当たるということは今までの経験から分かっていた。だから、カヲルだからと気を抜くような真似をシンジはしなかった。



シンジが何か言うのを待っているカヲル。そして、カヲルを警戒して言葉を発しないシンジ。
この場にいるのは2人だけなので自然と沈黙が辺りを支配する。物音もなければ風の音もない。完全な無音の空間が形成されていた。
2人が沈黙してから数分。が、シンジにはこの沈黙が何時間にも感じられた。何度か沈黙を破ろうと試みたが、何も言葉を発せられない。
再度シンジが沈黙を破ろうと口を開きかけた時、先にカヲルが口を開いた。

「僕と1つにならないかい? それは、とてもとても気持ちの良いことだよ……」

「……はい?」

「『はい』……つまりイエスだね、シンジ君? 君ならそう言うと思っていたよ」

「カ、カヲル君? 君が何を言っているのか分からないよ……」

より一層笑みを深め近づいてくるカヲル。
言っていることの意味が分からなくとも、嫌な予感が当たったことだけは理解出来たシンジ。
カヲルと距離をとろうと後退るシンジだったが、カヲルから得も知れぬ恐怖を感じとり思うように足が動かない。

(助けて……誰か助けてよ! こんなの、こんなの僕の知っているカヲル君じゃないよっ!?)

必死になって胸の内で叫ぶシンジ。1歩、また1歩とシンジに近づいていくカヲル。
カヲルの手がシンジの肩にかかる。と、満面の笑顔だったカヲルの表情が変わる。険しい表情へと。

「このプレッシャーは……彼女かっ!」

叫ぶと同時にカヲルは跳んだ。数メートル程離れた所にカヲルは着地する。
カヲルの突然の行動に呆気に取られるシンジ。と、シンジは自分の顔の近くを何かが通り過ぎたのを感じ取った。
そして、理解した。カヲルはこれを避けるために距離をとったのだと。この毛で覆われた球形の物体を避けるために──。
その毛で覆われた球形の物体は、シンジとカヲルの丁度中間の位置に落ちた。すると、小さな手と足がその球形の物体から突如生えた。

「……手足が生えたことで前よりも不気味さが増してる」

「前というのがどういう状態だったのかは分からないけど、不気味なのは確かだねぇ」

生えた手でサングラスを押し上げている球形の物体──カミカゼボール(髭)を眺めながら2人はつぶやく。
サングラスの位置がしっくりきたのか、ボール(髭)はサングラスを押し上げるのを止めて腕を組む。筋肉が付き、意外と逞しい腕が尚更不気味だ。
ボール(髭)はテクテクとその不気味な姿には似合わない足音を立てながらカヲルへと近づく。と、シンジには聞こえない様に小さな声で、


『タブリス、無駄に力を付けたな。レイが、戻ったら覚えていろだそうだ』


と、口の端を歪めながら告げた。それを聞いたカヲルが表情を引き攣らせた。
ボール(髭)はゆっくりとシンジの方へと方向転換すると、またテクテクと足音を立てながらシンジへと向かう。
足首しかないので歩き辛いのか、一生懸命腕を振りながら歩いている。
姿によっては可愛らしいその行動も、ボール(髭)がやると不気味さを掻き立てる要素にしかならない。
ふと、ボール(髭)の不気味さに頬を引き攣らせていたシンジは眉を顰めた。何かを忘れている、と──。

(何だっけ?)

顎に手を当ててシンジが考え込んでいる間に、ボール(髭)はシンジの足元にまで来ていた。
腕を動かして疲れたのか大量の汗を掻いている。髭が蒸れて不気味というだけでなく気持ち悪くも感じる。
ボール(髭)は呼吸を整えると、サングラスを指で押し上げて口を開いた。

『シンジ、以前は兄がお世話になったな』

「……兄?」

『カミカゼボール(髭)3号のことだ』

あれが兄なら綾波はお母さん、それともママとでも呼ぶのだろうか、とくだらないことを考えるシンジ。
複数のボール(髭)がレイをママと呼んでいる姿を想像し、シンジは気分が悪くなった。
顔色を青くしたシンジを見上げているボール(髭)。サングラスの奥に隠された瞳は、まるで仇のようにシンジを睨みつけている。
いや、『まるで』ではない。本当に仇だと思っているのだ──ボール(髭)は。ボール(髭)にとってシンジは兄の仇だったのである。
実際にカミカゼボール(髭)3号を投げたのはレイなので、シンジを仇として見るのは間違いだと思われるが、ボール(髭)には関係ない。

『碇シンジ……兄の仇だ!』

その逞しい腕を地面に叩きつけ、反動を利用して跳び上がるボール(髭)。
ボール(髭)はシンジの顔の高さまで跳び上がると力の限り抱きついた。
普段のシンジだったらその程度の動きを見切るのは簡単だっただろう。しかし、突然「兄の仇」などと呼ばれてシンジは混乱していた。
ボール(髭)が目の前にまで跳び上がるのを訳も分からず眺めていたシンジは、思いっきり抱きしめられた。


(髭が蒸れてて気持ち悪いぃぃぃっ!?)


ボール(髭)の抱きつきはシンジに多大なダメージを与えた。
まず、サングラスが当たって痛い。
だんだんと締め付ける力が増しているため、なお痛い。

それだけなら良かった。肉体的なダメージはレイによって慣れているのだから。
だが、ボール(髭)の抱きつきによってもたらされた効果は、肉体的ダメージには留まらなかった。

思いっきり密着しているため呼吸がしづらい。
何とか鼻で息を吸えば酸っぱい匂いがして気持ち悪い。
かといって、口で息をしようものなら髭が口の中に入って来る。
ボール(髭)の体温がどんどん上昇しているため暑苦しい。
汗がさらに滲んできているのも辛い──というよりも気持ちが悪い。

唇と唇が触れていないのが唯一の救いだが、肉体的にも精神的にも辛いことには変わりない。
が、ボール(髭)は抱きついているだけだ。頭突きをしてきたり、噛んだり(かなり嫌だが)してこない。
抱きついているだけで攻撃してこないボール(髭)を不思議に思うが、同時に前にもこんなことがあったような、と思う。


──レイ様ァァァ!!


脳裏に蘇った言葉は一体誰のものか。ナデシコに乗ってからの出来事(主にお仕置き)を思い浮かべ、シンジはすぐに思い出した。

エステのワイヤードフィストの様に飛来する左腕。
右腕に装着されていたのは全てを貫かんとするドリル。
お約束と言って最後に自爆し、レイの名を叫びながら閃光と共に消えた。

ウリバタケが製作し、お仕置きと称してレイが力を与えた少女型ロボット──その名は『リリー』。
ボール(髭)の行動はリリーのそれと一致している。そして、シンジは何を忘れていたのか思い出した。

(カミカゼボールって当たったら爆発するんじゃなかったのか?)

実際、レイの投げたカミカゼボール(髭)3号は地面に落ちて爆発した。
しかし、このボール(髭)は登場時に地面に落ちたというのに爆発していない。
登場してから当たり前の様に行動していたので、シンジはそのことをすっかり失念していた。

『我が名はカミカゼボール 髭ンドウ MK−Uっ! 碇シンジ、我が唯一にして最強の技を喰らうがいい!』

叫ぶボール(髭)。暑苦しい息がかかり、シンジは意識を手放しそうになる。
ボール(髭)の体温はさらに上昇し、それに伴って汗も滲み、髭も蒸れる。
至近距離で自爆されるのを恐れたシンジは引き剥がそうとするが、汗で滑って掴みづらいうえ、気持ちが悪くて力が入らない。

『自爆は素晴らしい。己が身を武器へと、爆弾へと変え、肉片を撒き散らす。
 その姿は夏の夜空に咲く花火の様に美しい……。さあ、碇シンジ! 我が自爆を間近で見れること、光栄に思うがいいっ!』


再び叫ぶと、ボール(髭)はカウントダウンを始めた。
気持ちが悪いのを我慢して、シンジはボール(髭)の髭を思いっきり掴む。
鳥肌が立つのを感じたが気にしていられない。今度こそ、と思いっきり力を入れて引き剥がしにかかる。

『20……19……18……ぬぅ、シンジの癖に小癪な』

負けじとボール(髭)も腕に力を込める、と……















ブチ









抜けた。髭がごっそりと。それはもう、容赦なく──。
一瞬、時が止まったようにシンジは感じた。
シンジの瞳とボール(髭)の見開かれた瞳が合う。
恐る恐るシンジは拳を開く。その中からパラパラと落ちていく大量の髭。


『ふおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!』


滝の様な涙を流し、ボール(髭)は咆える。パリン、と乾いた音を立ててひび割れるサングラス。
その大音声に眉を顰めるシンジ。幸い、ボール(髭)の腕で耳は覆われていた。
もしそれがなかったら、カヲルの様に地面をのたうちまわっていただろう。


そして、10秒近くのカウントを残していたというのに大爆発。
髭を抜くのはやはりまずかったのだろうか、と閃光に包まれながらシンジは考えていた。







「……夢か。まあ、何となく分かってたけど。あんなのカヲル君じゃないし」


『夢』──さっきまでの出来事を一言で言ってしまえばそれだけだった。

微妙に血走った目でシンジを見るカヲル。

兄の仇とシンジに飛びかかったボール(髭)。

そして、容赦なく抜いてしまった大量の髭。

それらの全ては夢だった。目を覚ませばそこは見慣れたいつもの場所。
男にしては綺麗に片付けられた部屋。荷物が少ないせいか、少し殺風景に感じられる。
いつもならシンジの上で丸くなっているイロウルはいなかったが、そこはナデシコの自室だった。

「いま、何時だろ?」

変な夢を見たために、おかしな時間に目覚めてしまった。
枕もとに置いてあったコミュニケでシンジは時刻を確認する。
見ると深夜の2時だった。いつもだったら、まだ眠っている時間だ。

「レクリエーションルームにでも行こうかな」

言って立ち上がり、コミュニケを付けてシンジは部屋を出る。
深夜の2時ならまだ寝直すことも出来る。そうしないと寝不足などで仕事に支障が出るかもしれない。だが、シンジは寝直さなかった。
中途半端であるとはいえ、使徒であるシンジには当然コアがある。そのため、2、3日程度なら寝なくても平気なのだ。
だから、今日の仕事に支障がでることもない──というのもあるが、本音を言えば、見ていた夢が嫌過ぎてもう一度寝る気にはなれなかったのだ。

「今日こそヒカルさんを抜いて1位に……。それが無理でも、せめて2位にはなって見せるぞ」

グッと握りこぶしを作って気合を入れるシンジ。シンジが言っているのは、ゲームの話だ。
今まであまりゲームをしてこなかったシンジだが、唯一嵌っているゲームがある。それは『新世紀ロボット大戦』という対戦ゲームだ。
このゲームはシンジのいた世界が舞台となっており、エヴァ、もしくは使徒を使ってゲームを進めていく。

シンジの使っている機体は『暴走』や『覚醒』と不確定要素が高いエヴァ初号機である。
前の世界でも搭乗していた初号機はやはり愛着がある。初号機を使ったシンジは、現在スコアランキング第3位である。

ランキング第1位はシンジが言っていたようにヒカルである。
エヴァの中で唯一S2機関が搭載されているエヴァ量産機をヒカルは使っている。
何度か対戦したことがあるのだが、シンジは未だに量産機を使ったヒカルに勝ったことがない。

そして、ランキング第2位は意外なことにイロウルである。
いつゲームをやっているのかは分からないが、能力を人並みに落としてプレイしているらしい。
シンジはその手でどうやってゲームをしているのかと尋ねたことがあるが、イロウルは何も答えなかった。ちなみに、エヴァ零号機・改を使っている。



レクリエーションルームに向かって歩いていると、通路の先にメグミとユリカが見えた。
ジョッキを持っているメグミと蓋の被せられた皿を持っているユリカが、何やら言い争っている。
こんな時間に2人がいるのを何となく不思議に思ったが、シンジは2人に声をかけた。

「艦長にメグミさん、2人ともどうしたんですか? こんな時間に……」

「あ、シンジ君。えっと、アキトがトレーニングルームにいるから夜食を持っていこうと思って」

シンジに気づいたユリカは持っていた皿を指さして答える。
アキトがトレーニングルームにいると聞き、シンジはイロウルがいなかった理由が分かった。
ここの所イロウルは、オモイカネのフリをしてアキトと模擬戦を行なっている。
イロウルにとってアキトとの模擬戦は格好の暇潰しらしい。今もアキトの所にいるのだろう。

「じゃあ、メグミさんもアキトさんに?」

と、シンジはメグミにも尋ねる。

「うん。私はアキトさんにスタミナジュースを持っていこうと思って」

答えてジョッキを見せるメグミ。それを見たシンジは思わず頬を引き攣らせる。
ソレの状態を一言であらわすならドロリ。スタミナドリンクというよりも、魔女の作った激薬と言ったほうが適切に思える。
まず、飲めるのかどうか疑わしい。色は深緑で青汁の様にも見えるが、ドロリとしていてヘドロの様にも見える。
ソレは出来たばかりなのか湯気が立ち上っている。時折、粘着性のある気泡が浮かび上がり、大きく、そしてゆっくりと膨らんで消える。

「…………………………艦長は何を作ったんですか?」

長い沈黙を経て、ようやくシンジは口を開いた。どうやら、何も見なかったことにしたらしい。
どことなく作り物めいた笑みを浮かべたシンジは、なるべくメグミの持つジョッキを視界に入れないようにしながらユリカに尋ねる。

「えっとねぇ……」

満面の笑顔で蓋を取るユリカ。
そして、笑顔のまま固まるシンジ。
その顔にはびっしりと汗が浮かんでいる。
ユリカが料理について話しているがシンジには聞こえていない。

(ま、また緑だ……)

白いご飯の上に、薄緑色の液体がたっぷりとかけられている。
歪な形をした人参やジャガイモが見え、色を除けばカレーの様にも見える。
『カレー』でかつての同居人を思い出し、シンジの顔色は更に悪くなった。

(見た目が普通で味が壊滅的なのと、見た目からして壊滅的なのとではどっちがマシなんだろう……?)

同居人の作ったカレーとユリカの料理を比べながら、アキトにこれを食べさせても大丈夫なのだろうか、と一抹の不安を覚えるシンジ。
見た目はアレでも、もしかしたら割と普通の味なのかもしれない。食べさせようとしているのだから味見ぐらいはしているだろう。
そう思ってシンジは2人に尋ねた。味見はしているのかと……。

「してないよ」

「してないですよ」

答えは非常なものだった。シンジは頭の中で即座に2人の持つ物体を危険物に指定した。
アキトに食べさせるのは危険だと判断したシンジは、何とかして2人を止めなくてはと考える。
が、良い案が思い浮かばない。仕方なくシンジは、味見の大切さを一生懸命に話して味見をするようにと説得を試みた。

「──というわけで、味見は料理を食べてもらう相手に対する最低限の礼儀なんですっ!」

途中、自分でも何を言っているのか分からなくなってきたものの、味見の大切さを2人に話し終えたシンジ。
どれだけ真剣に話していたのかは、シンジの呼吸の荒さと額に滲んだ汗の量から窺い知る事が出来る。

「味見って大切な事なんですね」

真面目な顔でうんうんと頷くメグミ。ユリカの方を見ると、こちらも同じく真面目な表情で自分の料理を見下ろしていた。
これでアキトが危険な目にあうこともないだろう。シンジは2人を見て安堵の息を漏らす。
見た目がアレでも、味がまともなら食べさせても大丈夫だろうし、食べてまずかったらアキトに食べさせる事もないはずだ。
何となく達成感を感じながら、シンジはレクリエーションルームに向かおうとした。が、それは出来なかった。

「えっと……何ですか、艦長?」

ユリカがシンジの肩を掴んでいた。首だけ動かして後ろを見ると、ユリカと目が合った。

「シンジ君……。私の料理の味見……してくれないかな?」

「ド、ドウシテボクガ……?」

とりあえず肩を離してもらい、ユリカの方に身体を向き直して尋ねる。
さっきまでの達成感はどこへやら。今シンジの心を占めているのは、6割の後悔と4割の恐怖心だった。

「ほら、シンジ君ってアキトと同じコックさんだし」

「そういえば、シンジ君ってナデシコに乗る前からアキトさんと一緒だったんですよね?
 それなら、アキトさんの好みとかも知ってますよね……」

ユリカの言葉に同意するようにメグミがつぶやく。
左手にはジョッキ。そして、いつの間にかに右手にはコップを持っている。
コップの中身は言うまでもなく深緑色の液体。シンジが味見をするのはもう決まっているようだった。

「はい、シンジ君」

差し出されたコップを反射的に受け取ってしまったシンジ。
こうなると断るのも難しくなってくる。他に誰か来ないかと期待してみるが、時間的にその可能性は低そうだ。
改めてコップの中身を見てみると、コップを持つ手に自然と力が篭もる。

「い、逝きますっ」

覚悟を決めてシンジはコップに口を付ける。
スタミナジュースのドロリとした感触に吐き気を覚えながらも、一気に飲み干していく。

「ご、ごちそうさま……でし……た」

唇に付着している深緑色の液体を手の甲で拭い、コップをメグミに返す。
メグミがジュースの感想を求めているが、それに答える余裕をシンジは持ち合わせていなかった。
スタミナジュースを飲み干したシンジの顔色が赤くなった。かと思えば、今度は青色に変わる。

(ア、アキトさん逃げて…くださ……い)

アキトの無事を願いながら、シンジの意識は遠のいていった。
その後、目が覚めた医務室には似た様な理由で運ばれたジュンがいた。
何となく親近感を感じたシンジとジュンの仲が良くなったのは、全くの余談である。








テニシアン島に辿り着いたナデシコ。
クルー達はイルカの浮き輪やビーチボールなど、様々な遊び道具を持って砂浜に駆け出していく。
アカツキ、リョーコ、ヒカル、イズミの4人はそれぞれペアを組んでビーチバレーを始める。
ガイは叫び声を上げながら凄い勢いで海を泳ぎ、ゴートとプロスはパラソルの下で将棋を指し始める。
他にも肌を焼いたり、何故か浜茶屋を開いたりとほとんどの者が遊んでいる。

「僕達って新型チューリップの調査に来たはずだったような……」

パラソルの下に腰を降ろしたシンジが、遊んでいるクルー達に目を向けながらつぶやく。
ナデシコがテニシアン島に来た目的は新型チューリップの調査だ。そのためのエステも砂浜に配置されている。
しかし、遊んでいるクルー達を見ていると、新型チューリップの調査が目的であるようには全く見えない。
むしろ遊びの方がメインで、チューリップの調査の方がついでのように見えてくる。

「ルリちゃんは何してるの?」

先ほどからノートパソコンをいじっているルリに声をかける。
ルリはパソコンをいじる手を止めないまま、答える。

「この島のことについて調べてるんです」

パソコンの画面には、この島の地図などの様々なデータが映し出されている。
ルリちゃんが一番しっかりしてるんじゃないだろうか、と思いながらまた尋ねる。

「泳がないの?」

「碇さんこそ、泳がないんですか?」

尋ね返されたシンジの肩が動く。その動きに言葉を当てるならば、ギクッだろうか。
シンジは人差し指で頬を掻きながら、右に左にと目を泳がせる。
そんなシンジの反応を不審に思ったのか、ルリはパソコンを動かす手を止め、半信半疑といった様子で口を開いた。

「もしかして……カナヅチ、なんですか?」

ルリのその言葉に、シンジは大きくため息を吐いて項垂れる。
そして、元の位置に頭を戻すと苦笑して頷き、シンジは答える。

「は、はは……実は、ね」

別に隠すような事でもないので、正直に答える。
シンジの運動能力はヒトと比べて格段に高いが、それは別に驚くような事でもない。
中途半端であるとはいえ使徒であるし、3年間レイと修行を続けてきたのだから当たり前の事だ。
しかし、カナヅチだけは相変わらずだった。泳ぐ練習をしていなかったのだから、それもまた当然である。

(別にカナヅチでも構わなかったっていうのもあるけど、それよりも泳ぐ場所がなぁ……)

シンジがカナヅチを克服するのに積極的でなかったのもあるが、一番の問題は泳ぐ場所だった。
レイと修行をしていた火星には泳ぐ場所がなかった。レイなら造れたかもしれないが、面倒臭いの一言で断られるのは目に見えていた。
レリエルの力を使えば何とか地球に行くことも出来たかもしれないが、あの世界の地球の海はLCLである。
流石に血の匂いと味のする海で泳ぐ練習をする気にはなれない。そもそも、LCLの中では呼吸が出来るので練習になるのかも微妙だ。

ガシッ!

「……へ?」

そんな風に自分が泳げない理由を考えていると誰かに肩を掴まれた。
シンジは少し間の抜けた声を上げて首を動かす。肩を掴んでいたのはさっきまで海で泳いでいたガイだ。

「シンジ、暇か?」

「まあ、暇といえば暇ですけど」

「そうか、じゃあ丁度いい。勝負しようぜ!」

ガイはシンジの腕を引っ張って立たせると海の方へと歩いていく。
勝負の意味が理解出来たので断ろうとしたが、ガイは問答無用で引っ張っていく。
海の中に入った後も抵抗するシンジ。それがじれったくなったのか、ガイはシンジを抱え海に放り投げる。
シンジの背は大きくもないが決して小さくもない。海の中でシンジを放り投げるにはかなりの力が必要なはずだ。
どうやら無理をしたらしく、シンジを放り投げた後、ガイはぜえはあと肩で大きく息をしていた。

「はあ」

シンジが海に放り投げられたのを見届けたルリは、何となくため息を吐いてパソコンに目を戻す。
テニシアン島の調査を再開しようとキーを叩こうとした所で、ルリはまた声をかけられた。

「あれ、ルリちゃんは泳がないの?」

声の主はアキトだ。
計らずともシンジと同じことを尋ねてきたアキトに、ルリはさっきと同じ言葉を返す。
へえ、と感心したような声を上げるとアキトは辺りを見回す。誰かを探しているようだ。

「テンカワさん、誰か探してるんですか?」

「ああ、うん。シンジ君ってこっちに来てる?」

「碇さんならさっきまでここにいましたよ。今は……」

言ってルリは視線を海の方へと向ける。
その視線の先を追うアキト。見るとガイ達パイロットが何やら騒いでいる。
どうやら、シンジが溺れてしまったらしい。リョーコとガイがシンジを海から引き上げていた。

「水を……でるわ……工呼……が必……ね」

「誰……す……? ……呼吸」

「ここは原因……作った……君が……じゃないか?」


上からイズミ、ヒカル、アカツキである。
アカツキの言葉を聞いたイズミ、ヒカル、リョーコの視線がガイに向けられる。
距離が離れているうえに小声で話しているため、何を言っているのかアキトにはよく聞き取れない。

「わかった! 俺がやる! やればいいんだろ!」

4人の視線に耐えられなくなったガイが声を荒げる。
ガイはシンジの側に近づき、顎を上向かせ顔を近づけていく。
その様子をリョーコは僅かに顔を赤らめ、ヒカルとイズミは怪しげな笑みを浮かべて見守る。アカツキはノーリアクションだ。
ガイとシンジの距離が零になる──寸前にシンジが意識を取り戻した。ガイとシンジの目が合う。

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…………………………

……………………

「ゼ、ゼルエルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」



叫ぶシンジ。同時に、右の拳に力を集中させる。
そして、シンジの光り輝く右アッパーがガイの顎を捉える。



「ごぶぉほぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」



盛大な声を上げて殴り飛ばされたガイは海へと落ちる。
その見事なまでの右アッパーに、リョーコ達は思わず感嘆の息を漏らした。
殴り飛ばしたシンジはというと、自分の拳とガイの落下地点に視線を彷徨わせておろおろしている。

「あ、あ、え、ええと……」

シンジは何か言おうとするが混乱しているのか言葉にならない。
それでも何か言おうと口を開きかけたが、結局何も言葉を発する事が出来ず口を閉じた。
しばらく同じことを繰り返していたが、居た堪れなくなったのか、シンジはその場から走り去ってしまった。



担架でガイが運ばれて行く。その様子を目で追いながら、アキトは尋ねる。

「ルリちゃん。シンジ君ってずっとここにいた?」

「ええ、ずっといましたけど」

頷いて答えたルリは怪訝な表情を浮かべた。何故そんなことを尋ねるのか、と。
見るとルリの言葉を聞いたアキトも、眉根を寄せてルリと同様に怪訝な表情を作っていた。
おかしいな、と小さな声でつぶやくとアキトは口を開いた。

「俺、ここに来る途中、艦の中でシンジ君を見た気がするんだ」

「気のせいじゃないですか? 碇さんはテンカワさんより先に出てましたよ」

「やっぱりそうだったのかなぁ? そういえば、髪が黒かった気もするし……」

「髪が黒かったって……。それじゃあ碇さんとは全くの別人じゃないですか」

シンジの髪はルリと同じ白銀髪だ。どう見ても黒には見えない。アキトの言う通りならば、明らかに別人だ。
ルリは一度ため息を吐くと、パソコンに向き直って島の調査を再開する。
近くにいては邪魔になるかもしれない、とアキトはルリから離れ、ウリバタケの開いた浜茶屋へと足を向ける。

「ルリちゃんの言う通りだよな。でも、だったら何でシンジ君を見たなんて勘違いしたんだ?」

一度足を止め、アキトはナデシコの方へと目を向けてみるが、分かるはずもない。
きっと疲れてるんだろうな、と胸の内でつぶやき、再び浜茶屋へと向かう足を動かした。








ガイを見事なアッパーで殴り飛ばしたシンジは、ジャングルの中を歩いていた。
何故か? それは、呼ばれた様な気がしたからだ。一体何に呼ばれたのか、それはシンジ自身にも分からない。
それでもシンジは歩く。初めて歩くジャングル。それなのに迷いなくシンジは歩いていく。
不可視のATフィールドを限界まで広げながら、ある一点を目指して歩いていく──。

(一体、何があるんだろう……? 空白の場所に……)

『空白の場所』──それは文字通りの意味であるが、シンジの感覚の上での話である。
限界まで広げた不可視のATフィールド。シンジはその範囲内に何があるのか感じ取る事が出来る。
木や鳥、島にある立派な建物。そして、そこに人が住んでいるという事もはっきりと感じ取れる。

(空白……そこに何もないってことはあり得ない。ということは、僕のフィールドが中和されてるってことだ)

ATフィールドを破壊、破ることはヒトでも可能だ。フィールドが耐えられない負荷を与えればいい。
しかし、中和することはヒトには出来ない。ヒトは自分の身体を保つことにしかATフィールドを使えないのだ。
不可視のATフィールド内に空白が生まれた。それは、そこに使徒かエヴァの様な物がいるということになる。

(もしくは、僕みたいな中途半端な存在がいるってことだ……)

シンジには1つだけ心当たりがあった。それはナデシコが出航した日のこと。
空から降ってきた紅い玉──コア。レイが言っていたコアもどきを造り出した存在がこの世界にはいるのだ。

(何があるのかは分からないけど、それが僕を呼んでいるのは間違いない)

…………………………

…………………

……………

………

ジャングルの更に奥へと踏み入っていく。と、少し拓けた場所に出た。
そここそが、シンジが『空白』と感じた場所だった。そこに辿り着いた途端、シンジは何となく嫌な感じを覚えた。
そこには少女が立っていた。黒い髪に日本人独特の肌をした少女が──。この島に人がいるのは分かっていたから驚くようなことでもない。
しかし、その少女の顔を見たシンジの表情が一変する。驚愕の表情へと。少女はシンジと目を合わせると、唇の端を吊り上げて笑みを作る。

「久しぶり……と言ってもアンタは覚えてないよね? 碇シンジ」

「僕!? でも、女の子……?」

シンジと顔を合わせた少女の瞳に昏い色が宿る。
その少女の顔は、容姿が変わる以前のシンジの顔そのものだった。








「どこ行ったんだ、シンジ君?」

ジャングルの中を歩くアキト。シンジがなかなか戻って来ないので探しに来たのだ。
しかし、一向に見つかる気配がない。これ以上奥に進むと迷いそうなので、仕方なくアキトは戻ることにした。
もしかしたらと思い、シンジがいないかと辺りを見回しながら、歩いてきた道を戻る。と──

「うわっ!?」

「きゃっ!?」

前を見ないで周りに意識を向けていたためか、誰かとぶつかってしまった。
アキトは何ともなかったが、相手はバランスを崩して倒れそうになる。
それを見たアキトは慌てて肩を抱きとめる。相手が倒れなかったことに、アキトは安堵の息を漏らす。

「あ、ごめんっ!」

相手の顔を見たアキトは慌てて身を離した。抱き止めた相手が女の子だったのだ。
しかし、アキトの姿を認めたその少女は満面の笑みを浮かべてアキトに抱きついた──

「見つけた! 私の王子様!」

と、嬉しそうな声を上げて。

(な、なんなんだ? この娘は……)

突然自分に抱きついてきた少女。
そんな彼女に対してアキトは、何も出来ずにただ呆然と立ち尽くしていた。








自分と同じ顔立ちをした少女。シンジはその少女から、今でははっきりと嫌なものを感じ取っていた。
今すぐにこの場から立ち去りたいという思いに駆られる。しかし、足が思うように動かない。
彼女から感じるものは何なのか。シンジは漠然と理解していた。それは、恐怖ではない。拒絶だ。
心と身体の両方が、目の前にいる少女を拒絶している。

(一体どうしたっていうんだ、僕は……)

そして、同時に感じる不安。少女を見ていると、自分が自分でなくなってしまうような気がするのだ。
何故かは分からない。だから、なおさら不安になる。辺りを支配する沈黙がそれに拍車をかけた。
さきほどから、お互い口を開かないのだ。聞こえるのは風に揺れる葉の音と波の音だけ。
シンジはさっきから感じている不安に戸惑い、少女は瞳に憎しみの色を宿してシンジを睨み続けている。

「あの、君は一体……」

沈黙に耐え切れず、シンジはおずおずと口を開く。
少女が行動を起こしたのはそれと同時だった。右手を胸に当て、左手を正面に構える。
そして、小さく口を開いて静かにつぶやく。

「……アルミサエル」

シンジは少女が右手を当てた懐から力を感じ取った。ヒトには決して使うことの出来ない力を──。
正面に構えた左の手の平から光の筋が伸びる。シンジは、自分に向かって伸びてくるそれを横に跳んで避ける。
しかし、光の筋はシンジが避けた方向に向かって更に伸びる。地面に足が着いたタイミングを狙われ、避けることが出来ない。

「くっ!」

避けられないと判断したシンジは、咄嗟にATフィールドを展開する。
オレンジ色に輝く『壁』とシンジを狙って伸びる光の筋が衝突し、甲高い音を立てる。
光の筋を防ぎ、少し余裕の出来たシンジは突然襲ってきた少女を見る。と、少女は笑っていた。

「それぐらいで防げるとでも思ってるの? だとしたら、甘いわねっ!」

言うと同時に、無理矢理フィールドを破ろうとしていた光の筋に変化が生じる。
光の筋は、まるで草が地面に根を張る様にフィールドに張り付いたのだ。
その様子を見て驚いたシンジは声を上げた──いや、上げようとした。

「はあ、はあ、はあ、はあ」

胸を抑えてシンジはうずくまる。胸が苦しく、荒く息をつくことしか出来ない。
正確には胸が苦しいのではなく、心が苦しかった。まるで、心が犯されているような感覚──。
展開していたフィールドが消える。フィールドが消えた途端、光の筋はシンジの身体を目指して勢いよく伸びる。

(……意外と楽だったね)

少女が胸の内でつぶやいた直後、新たなATフィールドがシンジを護る様に展開された。
光の筋がそのフィールドに触れると、光の筋はフィールドに弾かれて消滅した。
パリンとガラスの割れるような音が響く。少女は懐に手を入れると何かを取り出す。
少女が取り出したのは紅玉──いや、紅玉だった物だ。取り出した紅玉は縦に割れ、色を失って黒くなっていた。

「はあ、はあ、はあ……イ、イロウル?」

呼吸を整えながら立ち上がり、シンジは後ろを振り向いた。
シンジが見た先にいたのは一匹の黒猫──イロウル。イロウルは訝しげに少女を睨みつけている。
イロウルはゆっくりとシンジに近づいていく。その間もイロウルは油断なく少女に注意を向けて隙を見せない。

「シンジ、何をやっている? ナデシコは今戦闘中だぞ」

そう言って、新型のチューリップにバリアが張られていたこと。
そのバリアが消えてチューリップの中から敵が現れたことなどを簡単に説明する。
少女に襲われている間に事態が進んでいることを聞き、シンジは驚く。

「この女の相手は私がしてやる。お前はここに来る途中にあった建物に向かえ」

「な、何で? 戦闘が始まったんならナデシコに戻らないと」

「その建物にテンカワ・アキトがいる。その家の主と一緒にな。このままだと巻き込まれる」

「わ、わかった。ありがとう、イロウルっ!」

イロウルに礼を言って、ここに来る時に通った道に戻る。

「っ!? させない! シャムシエル!

走り始めたシンジを見て、初めて少女は焦った表情を浮かべた。
懐から割れてしまった紅玉とは別の紅玉を取り出して叫ぶ。
少女の声に答えるように淡く光を放ち、紅玉は光の鞭へとその姿を変える。

「させない、か……。それは私の台詞だ」

前足にフィールドを纏わせたイロウルが鞭を弾く。
その隙に、シンジはゼルエルで身体能力を高め、一気にその場から離れていった。
シンジが大分離れたのを不可視のATフィールドで感じ取ると、イロウルは改めて少女に向き直る。

「1つ、お前に聞きたいことがある……」

前足と後足にフィールドを纏わせ、いつでも動けるようにしながら尋ねる。

「お前は一体……何なんだ?」

何者かではなく、何なんだと尋ねられた少女の眉が僅かに動く。
少女には、イロウルが何を言っているのか理解できたからだ。しかし、少女は答えない。
イロウルも少女が素直に答えるとは初めから考えていなかったのか、構わず続ける。

「お前はシンジと同じだ。ヒトであり使徒であり、またそのどちらでもない。ひどく中途半端な存在……」

シンジの様な存在は、本来ありえないのだ。しかし、そのありえない存在はサードインパクトによって生まれた。
そんな異端な存在がこの世界にはもう1人いた。目の前にいる少女。彼女もシンジと同じ異端者であることをイロウルは感じ取っていた。
この世界ではサードインパクトはおろか、セカンドインパクトすら起こっていない。だというのに、何故彼女のような存在がこの世界にいるのか。

「私には解らない……。何故お前の様な存在がこの世界にいるのか。最初は平行世界から来たとも考えていたが……」

平行世界。シンジのいた世界と似た別の世界。そこから来たのならば、サードインパクトを経験しているかもしれない。
しかし、それは違う、と自分で立てた考えをイロウルは否定した。少女を見る眼を細めながら続ける。

「力の波動があまりにもシンジと似すぎている。力の波動はそれこそ千差万別だ。ATフィールドは心の力なんだからな……。
 それは平行世界から来た者も同じこと。それが私達と似た世界から来たなら尚更だ」

だから、解らない。彼女が一体何なのか。使徒はその者の姿には頓着しない。
心や魂に興味を惹かれるのだ。シンジがカヲルに好意を寄せるのも、姿からではなく、その心の在り方からだ。
シンジと同じ中途半端な存在。そして、力の波動まであまりにも似通っている。イロウルが少女に興味を持つのは、当然のことだった。
お前は何なんだ、ともう一度尋ねようとしたその時、イロウルの注意が少女からそれた。

「ATフィールド……? だが、一体誰のだ?」

新たなATフィールドの存在を感じ取ったのだ。シンジのものとも、少女のものとも違う。無論、イロウルのものでもない。
しかし、その力はそこまで強力なものではなかった。シンジと比べても、新たに現れた力はあまりにも弱い。
少女もその力を感じ取ったのだろう。表情が変わる。嬉しそうなものへと──。

「ATフィールドを張れたってことは、成功ね」

「成功? 一体何の話だ?」

「あなたなら、少し調べればすぐに解ると思うけど?」

言い終えると同時に「レリエル」と小さくつぶやく。
少女の胸の辺りから力を感じる。感じた時には、既に少女の身体はほどんど影に飲み込まれていた。
逃げられたことに舌打ちをするイロウルだったが、少女のことはひとまず忘れ、新たに現れた力について調べる。

イロウルはオモイカネに意識を繋げ、力を感じた島の座標を送る。
座標を送ると、ちょうどその辺りでエステが戦闘を行っていたのか、頭の中に映像が送られてくる。

「ATフィールドを張っていたのはコイツか……。まあ、この程度の力なら、フィールドを中和する必要もないな」

送られてきた映像を見ながらつぶやくイロウル。
映像には、微弱なATフィールドを張ったジョロと戦うエステの姿が映っていた。








「何だコイツ!? ライフルが効かねぇっ!」

ラピッド・ライフルで攻撃を仕掛けていたリョーコが吐き捨てる。
言う通り、撃ったライフルは展開されていたフィールドにほとんど弾かれていた。
偶にフィールドを貫通したライフルは、いつもより厚い装甲のジョロにはさほどダメージを与えていない。

「サイズがでかい分、装甲も厚いんだろうね……くっ!」

上空から攻撃を仕掛けていたアカツキに向け、ジョロがミサイルを放つ。
そのミサイルの数は、いつも戦っているジョロが放つミサイルよりも、やはり多い。

「装甲が厚いのもあるけど、何かこのジャイアント・ジョロのフィールドが、やけに固い気がするんだよねぇ」

リョーコに合わせて射撃を行なっていたヒカルが言う。
それはヒカルだけでなく、他のパイロット達も感じていた。
リョーコとヒカルが同時に射撃を仕掛けても、ほとんど弾かれてしまっているのだ。

「行け、ロボ……。ふふ、それはジャイアント・ロ……」

「言ってる場合かイズミ!」

まだ余裕があるらしいイズミに突っ込むリョーコ。
その間も、ジャイアント・ジョロの攻撃はしっかりと避けている。

「たくっ! テンカワと碇の奴はどうしたんだ? 戦闘が始まってるってのにっ!」

フィールドの固さに苛立ち、リョーコはこの場にいない2人に愚痴を漏らす。
と、ウィンドウにアキトが映し出される。少女に抱きとめられたアキトが──。

「なっ!?」

思わず言葉を詰まらせる。アキトがいるのは島に建てられた豪華な家だ。
ジャイアント・ジョロが向かっている先にその家はある。何故アキトがそんな所にいるのか分からない。
分からないが、このままではアキトが危険なのは確かだ。早く倒さなければ、と焦りが生まれる。

『ふ、俺の出番だな!』

突然送られてきた通信。送ってきたのはガイ。その姿を見て、驚くリョーコ。

「な、何でヤマダがいるんだ!? お前、医務室にいたはずだろっ!?」

シンジのアッパーで海に沈められたガイ。担架で医務室に運ばれ安静にしているはずだった。
思いの他強烈な一撃だったらしく、痛み止めとイネス特製の薬を打たれ、今回の戦闘には参加できないと聞かされていた。
しかし、ウィンドウに映るガイは健康そのもの。殴られた後すら残っていない。

『ダイゴウジ・ガイだ! いい加減に覚えろよな!? まあ、それはともかくとして……』

ごほんと咳払いをして声の調子を整える。

『あいつにライフルは効かないんだろう? だったら、接近戦を仕掛けりゃいい!』

言って、ガイはイミディエット・ナイフを構える。
ジャイアント・ジョロがガイのエステに狙いを定め、ミサイルを放つ。
それを上手く避けると、ガイは続ける。

『俺が囮となってアイツに突っ込む! その間に他の奴が死角から攻撃を仕掛けろ!』

言うや否や、ガイはスラスターを噴かしてジャイアント・ジョロに突っ込んでいく。
近づいてきたガイのエステの方へと、ジャイアント・ジョロが方向転換をする。
いつでも方向転換出来るように神経を集中させながら、ガイはナイフを前方に突き出す。

『うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!』

ジャイアント・ジョロの背中が開く。が、ミサイルは発射されなかった。

『……へ?』

ナイフがジャイアント・ジョロの頭部に突き刺さる。
死角に回っていたリョーコとアカツキも呆気に取られている。

「……弾切れ?」

イズミがつぶやくと、ジャイアント・ジョロは十字架の炎を上げて爆発した。








──ジャイアント・ジョロが爆発する少し前


(何でこんなことに……)

シンジを探すためにジャングルの中を歩いていたアキト。
そのジャングルで偶然出会った少女──アクアの家にアキトは招かれた。
人を探しているからと断ったものの、もしかしたら家の近くを通るかもしれないと言われ、結局ついていくことにした。

(そこまでは別によかったんだ)

アキトはかろうじて動く首を動かして横を見る。
視線の先にあるのは豪華なテーブル。そのテーブルには同じく豪華な料理が並んでいる。
アクアの手料理だ。長い間ジャングルを歩き、お腹を空かせたアキトに作ってくれたのである。

(……おいしかったなぁ)

もしかしたら自分のより上手いかもしれない。そう思ったが、アキトは別に気にしなかった。
アクアの料理よりもおいしいものが作れるように、もっと努力すればいいのだ、と。
エステの操縦もそうだ。暇な時間を見つけては、少しでも力をつけるためにシミュレーターで訓練をしている。

「何でこんなことに……」

「ふふふ……。もうすぐ私の願いが叶うのね」

声に出してつぶやき、頭を動かして上を見る。
顔を赤く染め、恍惚とした表情でつぶやくアクアが見える。
アキトは今、アクアに抱きしめられていた。抵抗はしていない──というより出来なかった。


何故?


身体が動かないからだ


何故?


料理に痺れ薬を盛られたからだ


誰に?


目の前で恍惚とした表情をしている少女──アクアにだ


「どうしてこんなことに……」

とつぶやいて、また同じ自問自答を繰り返すアキト。
そうしていないと耐えられそうになかった。すぐ目の前に迫る死という現実に──。
新型のチューリップから現れた巨大なジョロ。それがすぐ近くに迫っている。
それなのに、逃げることが出来ない。アクアがそれを許さない。

「戦火に巻き込まれ、恋人と共に散る……。ふふふ、美しいわぁ」

陶酔した表情を浮かべ、アキトを更に強く抱きしめる。
普段なら背中に当たる柔らかい感触に赤くなるところだが、流石に今はそんな気分になれない。

「アキトさん! 大丈夫ですかっ!?」

アキトが4度目のループに入ろうとした時、テラスにシンジの声が響いた。
シンジは急いでアキトとアクアに近寄ると、「早く逃げないとっ!」と焦った口調で2人に言う。
そんなシンジにアクアは鋭い視線を向ける。その目は邪魔をしないで、とシンジに告げていた。

「私達はここで死ぬんです」

「え?」

彼女が何を言っているのか分からず、シンジは目を丸くする。
アキトが勢いよく首を振っているが、そんなアキトのことなどアクアは欠片も気にかけなかった。
アクアは巨大ジョロに目を向けると陶酔した表情を浮かべ、口を開く。

「幼い頃から欲しい物は何だって手に入った。人はそれを幸福と言うけれど、私にとってそれは決して幸せだとは言えなかった……」

何かにとり憑かれた様に、突然言葉を紡ぎ出すアクア。
アキトを放り、彼女は手すりへと向かう。
痺れて動けないアキトを抱き上げ、シンジはアクアを見つめる。

「幸せすぎたのが私の不幸……。だから、私は美しく死ぬの! あのチューリップは不幸な私への神様からの贈り物なのよ!」

両手を広げて満面の笑みを浮かべるアクア。
シンジは顔を俯かせ、ゆっくりとアキトを床に降ろす。

「……シンジ君?」

アキトが声をかけるが、シンジは何も答えずアクアに近づいていく。
アクアの前まで来ると、シンジはキッとアクアを睨みつけて手を上げる。
パンッと乾いた音が響き、アクアは倒れる。シンジがアクアの頬に平手を見舞ったのだ。

「そんな……そんな理由で……っ!」

震えた声で言うシンジ。右手が強く握り締められている。アクアを殴ったその手はワナワナと震えていた。
アキトには分かる。シンジが怒っていると。そして、そこまで感情を露にしているシンジを見て驚く。
頬を抑え、呆然としているアクアの襟元をシンジは掴んで締め上げる。

「痛いですか? けど、死ぬのはもっと痛いんですよ? なのに……なのに、何でそんな理由で死のうとするんですか! あなたはっ!!」


シンジに、人類に未来を与えるために命を散らせたカヲル。


サードインパクトを防ぐため、身をもってシンジを守り、死んだミサト。


ナデシコを火星から逃がすために。そして、自分の大切なもののために消えたフクベ。



誰かを守るために死んだ人達。そんな人達を知っているシンジは許せなかった。
そんな理由で死のうとする彼女を──。他人を巻き込んで死のうとする彼女を、シンジは許せなかった。
怒りに震えるシンジ。そんなシンジを床に倒れたまま見ているアキトは、何も声をかけることが出来なかった。








テニシアン島に落下したチューリップは、巨大ジョロを運搬するための物だった。
その中身である巨大ジョロを倒し任務を終えたナデシコは、テニシアン島を離れ、海の上を飛んでいる。

(何だったんだろう、あの娘は……)

眠る気のしなかったシンジは、休憩室に設置された座席に腰かけながら考える。
自分と同じ顔立ちをし、自分に憎しみの目を向けていた少女のことを──。
ジャングルの中で出会った少女のことを思い出すと、今でも胸が、心が苦しくなる。

(何で、僕はこんなにまであの娘を拒絶してるんだろう……)

彼女は久しぶりだと言っていた。そして、シンジは覚えていないだろうとも。
何故彼女は自分のことを知っているのか。何故自分は彼女のことを覚えていないのか。
ATフィールドを張っていた巨大なジョロ。問題は山積みだった。

「はあ……」

思わずため息が漏れる。と、シンジの前にジュースの缶が差し出された。
ジュースを反射的に受け取ったシンジは顔を上げる。そこには缶に口を付けたジュン。
どこか疲れているように見えるのは、今まで仕事をしていたからだろうか。

「悩み事かい? シンジ君」

「……ジュンさん」

「もしそうなら、相談に乗るよ? 同じナデシコのクルー何だからね」

「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」

そう言って微笑むシンジ。誰かにそう言ってもらえると、少し気分が楽になるから不思議だった。
シンジは隣に腰掛けたジュンと他愛もない話をする。昨日まではなかった光景だ。
相変わらず人見知りするシンジだが、こうして少しずつ、気楽に話せる人が増えてきている。

(やっぱり、ナデシコは暖かい感じがする)

漠然と感じていたものを、こういう時にシンジは自覚する。
ジュンと話したことで、シンジは少し気が楽になった。これなら眠れる、と座席から立ち上がる。と──

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

通路に響くアキトの叫び声。ドタドタという足音を立て、目の前を走り去っていく。
少し遅れてその後を追うユリカ、メグミ、リョーコ。それぞれが、手作りであろう料理を持っている。
ユリカ達が手にした料理を見て顔色を青くするシンジ。対して、落胆した様子で肩を落とすジュン。

「あの、ジュンさん? よかったら、僕が夜食作りましょうか?」

そんなジュンに声をかけるシンジ。
シンジの言葉にありがとう、と返すジュン。

「じゃあ、俺も頼むわ」

「ついでに僕も」

いつの間にかにいたウリバタケとアカツキ。
気配を感じなかったので驚いたが、シンジは「はい」と答えて頷いた。
遠くでアキトの絶叫が聞こえてくる。その声を尻目に、4人は食堂へと歩いていった。








つづく
































あとがき

前回の更新からかなり間が空いてしまいました。アンタレスです。
今回、ようやく第二話に登場した謎の少女(といってもシンジですが)が再び出てきました。
今までで一番長くなった今回の話。はっきり言って、暴走しました。特に最初の夢がです。
何故かパワーアップして再登場したボール(髭)と、同じくパワーアップして夢への干渉を可能にしたカヲル。
このままでは、ナデシコ世界に来てしまいそうです。(その場合、戦闘にはほとんど参加せず、ギャグ要員になりそうですが)
未だに今回出てきた少女の名前が決まっていなかったり、結局原作と変わっていなかったりと、問題山積みですが、早く更新できる様努力します。
長くなりましたが代理人様、感想よろしくお願いします。








感想代理人プロフィール

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代理人の感想

・・・・・・おー、なんかシリアス。

まるで別のSSみたいだ(爆)。

後、「原作と変わらない」のは原作のストーリーを元に話を考えているからです。

キャラクターを中心に考えて、「このキャラクターならここではどう動くか」と考えれば自然にズレてくもんですよ。

 

後、「名前が決まっていない」などの裏話はあまりバラさないほうがよろしいかと。

言う必要がないなら、都合が悪いことは黙っているに限ります(爆)。

(ほら、人間同士の良好な関係って好意的誤解が支えているところがあるしぃ)