彼女の訓練が始まる。

「シークレットサービスになったら、アキトのお手伝いができるよ」

そう言って彼女は待ち遠しそうに笑う。

だが、訓練開始からしばらくすると、彼女の顔から笑顔が消えた。

彼女は何も知らなかったのだ。






そろそろ今日のトレーニングが終わっていてもいい時間だ。

いつものようにラピス・ラズリは、

あの人が戻っているはずの部屋の前に来ていた。

ラピスは躊躇いがちに扉をノックしてみたが、返事はない。

これは彼女の予想通りの反応である。

構わず扉を開けると、部屋の主はベッドの上でうつ伏せになっていた。

これも彼女の予想通りだった。

「大丈夫?」

ラピスはそっとベッドの縁に腰を下ろすと、

そこに突っ伏していたユリカに声をかけた。

「んー・・・大丈夫だよ。

 ちゃっと疲れてるだけ・・・」

ユリカは布団に埋めたままの首を横に振った。

怠慢な動作と声色が彼女の疲労を物語っている。

「嘘つき」

ラピスは心の中でそう呟き、ユリカの肌に目を落とした。

日を追って生傷が増えていく彼女の身体を見れば、

彼女の言葉など強がりにしか聞こえない。

ラピスは昨日は無かった目新しい傷を見つけて眉をひそめた。

「月臣さんもゴートさんも容赦なくてさ。

 まあ、もともと私が頼んだことなんだけどね・・・はは」

黙り込んだラピスの心配を汲んで、ユリカは努めて明るく言った。

今、彼女は月臣とゴートに師事している。

戦略、戦術などの知識の類は彼女の得意分野なのだが、

実際に体を動かすとなると上手くいかない。

慣れない動作や厳しいトレーニングのおかげで、

満身創痍というのが正直なところだった。

「ユリカ・・・無茶しすぎじゃない?

 もう少し休んだ方が・・・」

「平気、平気。

 これくらいでへばってなんかいられないよ。

 もっともっとがんばらなきゃいけないんだから・・・」

気遣うラピスに対して、いつもユリカは大丈夫の一点張りである。

ラピスは近頃のユリカがなんだか苦手だった。

暇さえあればアキトを追いかけていた彼女は、

必要な時しか彼と顔を合わせないようになった。

優しくて、子供っぽいところが抜け切らないのは変わらない。

だが、訓練の時の鬼気迫る彼女は、まるで別人のように見える。

ラピスはそんなユリカがなんだか苦手だった。

「ねえ・・・もしかして、私が・・・」

「違う、違う。

 私がラピスちゃんに無理言ったんだから、

 ラピスちゃんは何にも気にしなくていいよ」

「でも・・・」

「ごめん・・・眠くなってきちゃった・・・。

 少し眠るね・・・」

ユリカは本当に眠気が襲ってきたこともあり、

少々強引にラピスの話を遮った。

消え入るような「おやすみ」という声がラピスの耳に届く。

そして、すぐに小さな寝息が聞こえ始めた。

ラピスはしばらく心配そうにユリカの寝顔を眺めてから、

そっと掛け布団を手繰り寄せて彼女に被せた。

「おやすみ・・・ユリカ」




ガゥンッ!ガゥンッ!ガゥンッ!

耳を劈かんばかりの銃声が轟く。

そこは一面をコンクリートで覆った無機質な空間だった。

「ここにいたのね」

白衣を纏った科学者体の女性、イネス・フレサンジュが、

防音処理の施された扉を開けて入ってきた。


ガゥンッ!ガゥンッ!ガゥンッ!


だが、銃を構えていたユリカは訪問者に気付かず、

無心で引き金を引き続けていた。

イネスはやれやれと言う風に肩をすくめる。

無視されたのではないと解っていたので、

特に気を悪くするとこともなく、

彼女が手を休めるのを待つことにした。

やがて、オートマチックの銃のスライドが

引かれた状態で停止し、弾切れであることを知らせる。

キン、キキンッ。

銃声の余韻がこだまする中、薬莢が乾いた音を立てて床をはねる。

「それくらいにしておきなさい。

 もう手が痺れてるんでしょう?震えてるわよ」

イネスが新しいマガジンを手に取ったユリカを見かねて声をかけた。

「イネスさん、ですか・・・。

 心配してくださってありがとうございます。

 でも、問題ありませんから」

ユリカはちらりとイネスを見ただけで、

すぐに視線を戻して銃のマガジンを入れ替えた。

「何か用があったんじゃないんですか?

 わざわざこんなところまでやって来て」

ユリカはイネスに話しかけながら銃のスライドを引いた。

時間が惜しいとでも言うような彼女の態度に、

イネスの口から小さい溜息が漏れる。

「頑張り屋さんのあなたにプレゼントよ」

イネスはユリカに歩み寄りながら、

ポケットに入れていたものを彼女に見せた。

「何ですか?それ?」

「知らないの?ブローチよ」

「いや、そういうことじゃなくて・・・。

 別にアクセサリーなんて要らないんですけど」

「まあ、最後まで話を聞きなさい。

 ただのブローチにしか見えないだろうけど、

 これはボソンジャンプの為の道具よ。

 チューリップクリスタルの組成と特性を解析して、

 そのデータを基に開発した、ボソンジャンプ用の人工的媒体なの」

ユリカはイネスからブローチを受け取ると、

不思議な輝きをするそれを物珍しそうに観察した。

「つまり、これがあれば自由にボソンジャンプが?」

「そっ。

 見たところ、あなたは白兵戦も射撃も

 得意じゃなさそうだから・・・」

その何気ないイネスの一言に、ユリカの眉がぴくっとつり上がった。

「言われなくたってそんなこと分かってます・・・!!

 だから、こうして練習してるんじゃないですか!!」


ユリカは声を張り上げ、険しい表情でイネスを睨みつけた。

今までに彼女がそんな態度を見せたことは一度もない。

平素の朗らかな彼女を知る者にとって、

その凄みは怯むには十分すぎるほど迫力のあるものだった。

だが、イネスは動じなかった。

否、動じる前にユリカの醸し出す雰囲気に違和感を感じた。

欠点を指摘されて怒ったのではなく、

何かに駆り立てられるように必死になっている。

そんな印象を受けた。

その余裕のない懸命さが言い知れない不安を掻きたてるので、

イネスは何と言葉を返すべきか分からず立ち竦んでいた。

「あ・・・ご、ごめんなさいっ!

 イネスさんの言うことはもっともだし、自分でもそう思います。

 ただ・・・その・・・」

ユリカはイネスが気を悪くして黙り込んだのだと思い、

慌ててその場を言い繕った。

「あなた・・何でそんなに思いつめているの?」

イネスは喉まで出かかったその言葉を飲み込んだ。

彼女が何を思い、何が彼女を深刻にさせているのか。

イネスには分からなかったが、

それは自分が聞くべきことではない気がした。

だから、イネスはユリカに話を合わせ、

「わ、私も無神経だったわ。ごめんなさいね」

と、当たり障りのない返事を選んだ。

「いえ・・・私の方こそすみませんでした」

「がんばるのもいいけど、あまり無理しちゃ駄目よ。

 私は医者の経験もあるし、

 何かあったらいつでもいらっしゃい」

イネスはいつでも相談に乗るわよと仄めかしてみたが、

ユリカは押し黙ったまま首を縦に振っただけだった。

彼女は一人で抱え込むつもりかもしれない。

イネスは一抹の不安とやるせなさを覚えつつ踵を返した。

「ありがとうございます」

後ろからそう囁くのが聞こえたのは、

ドアのノブに手をかけた時だった。

ノブを回す手が一瞬止まる。

が、イネスは彼女の言葉に気付かない振りをして射撃室を後にした。

「よく分からないけど・・・

 あの娘なら何とかするわね、きっと」

科学者らしくもない、信頼にも似た楽観的思考が働いた。





『ブラックサレナ』。

それはかつて救出と復讐という

相反する目的の為に用いられた機動兵器であり、

戦闘で損傷するたびに改修と改良を重ねた、

半ば行き当たりばったりな機体だった。

にも関わらず、その戦闘能力は軍の導入した新鋭機を遥かに凌駕している。

今、その漆黒のマシンは自慢の機動力を見せ付けるように、

とある宙域を高速で駆け抜けていた。

それを追いかけるのは『アルストロメリア』。

ネルガルが開発した最新鋭機であるそれは、

小柄なボディでありながらもディストーションフィールドと

ボソンジャンプを可能にしている高性能機だ。

本来、接近戦用のクローしか武器を持たない同機だが、

汎用性を追求してエステバリス用のラピッドライフルを携行していた。

その黒く塗装されたアルストロメリアが、

先を行くブラックサレナ目掛けてラピッドライフルを連射する。

「なかなかやるな」

ブラックサレナのパイロット、テンカワ・アキトは、

的確に装甲の薄い関節部を狙ってくる銃撃に感嘆の声を漏らした。

それでも、そう易々と被弾を許す彼ではない。

ブラックサレナを左へ右へと泳がせ、時には機体のロールも駆使し、

華麗な回避運動を披露する。

「ッ?!」

不意に、ブラックサレナのレーダーからアルストロメリアの反応が消えた。

後ろから追ってきていた赤い点がモニターに映っていない。

が、どこへ行った?と思う間もなく、再び赤い点が表示された。

『ボース粒子の増大反応』

という警告と同時に。

「ボソンジャンプ・・・!前かっ!!」

アキトの注意が前方に向いた頃には、

アルストロメリアがブラックサレナの進路上で銃を構えていた。

ラピッドライフルの銃口から火が噴く。

相対速度で威力の上がった弾丸が、ブラックサレナに襲い掛かった。

「これぐらいなら・・・!」

アキトは構わず機体を加速させた。

多少の被弾を覚悟の上。

ブラックサレナは射線から逃れるように

バレルロールの要領でアルストロメリアに迫る。

やはり全弾回避とはいかなかった。

それでもかすり傷程度の損傷で済んでいることが、

アキトの操作技術の高さを物語っている。

それに驚いたのはアルストロメリアの方だ。

まさかそのまま突撃してくるとは思っていなかったらしく、

アルストロメリアは慌てて間合いを取ろうとした。

「遅いッ!」

アキトはその隙を逃さず、アルストロメリアに体当たりした。

つもりだったが、直前でまた相手を見失い、

ブラックサレナは闘牛の牛のごとく何もない空間を突き抜けた。

「なかなかいいタイミングでジャンプするじゃないか」

アキトはまた感心したように呟くと、

ブラックサレナに制動をかけて停止させた。

センサーと自分の勘を頼りに、相手が得意とする奇襲に警戒する。

警告を促す電子音がコックピットに響く。

『ボース粒子増大』

「今度は後ろか・・・!」

アキトは考えるよりも速く機体を急旋回させ、

ハンドカノンを構えた。

が、彼の目に映ったのは・・・。

「ライフル・・・だけ?」

一瞬呆気にとられたが、すぐにはっとした。

「フェイク・・・?!」

『ボース粒子増大』

アキトが叫んだのと警告が表示されたのは同時だった。

ブラックサレナは再び180度機体の向きを変えると、

間髪いれずにハンドカノンのトリガーを引いた。

「今度は、腕だけ?!」

アキトは目を瞠った。

牽制目的で弾丸を叩き込んだのは、

アルストロメリアのパージした左腕だけだった。

『ボース粒子増大』

三度目の正直。

アルストロメリアがブラックサレナの頭上に現れた。

「やられた・・・!」

アキトは舌打ちをした。

もうアルストロメリアはクローの展開した右腕を振り上げている。

ブラックサレナの体中にある全てのノズルが展開し、一斉に火を噴いた。

逃がしはしないと言うように、

アルストロメリアがブラックサレナの頭部を狙って鋭利な爪を振り下ろす。

だが、速かったのはブラックサレナの方だった。

頭部に振り下ろされる爪を、ぎりぎりで上体をひいてかわし、

そのまま体を後方に回転させて相手の胴部を蹴り上げた。

いわゆるサマーソルトキックである。

さらに尻尾のごとく背部からのびるテールバインダーが、

鞭のようにアルストロメリアを打ちつけた。

急激な加速にのせた蹴りと尻尾による追い討ちをまともにくらい、

アリストロメリアが大きく吹っ飛ぶ。

そのまま相手の機体が動かなくなった瞬間、

アキトはしまった!と我に返った。

互いにディストーションフィールドの使用を

禁止していたことも失念していた。

「おいっ!大丈夫か?!」

操縦者の心理を表すように、

ブラックサレナが不安定な挙動でアルストロメリアに接近した。

通信機器は生きているようだ。

向こうから微かにうめき声のようなものが聞こえてくる。

「すまんっ!つい加減するのを忘れた!

 大丈夫か?!おい!

 ユリカッ!」

アキトは通信機に叫びながら、

ブラックサレナでアルストロメリアを軽くこづく。

しばらくすると、ユリカの弱々しい声が返ってきた。

「や、やっぱり・・・アキトは強いね。

 敵わないや・・・」

「いや、俺もあそこまで追い込まれるとは思ってなかった。

 それより、怪我はしてないか?

 かなり強く蹴ったからな・・・」

「うん・・・大丈夫・・・じゃないかも。

 頭から血が出て、なんだかふらふらする・・・」

「バカッ!そういうことは早く言えって!

 まだ動くか?こいつに掴まれ」

アキトは慌ててブラックサレナの左腕を差し出した。

ユリカもそれに応えてアルストロメリアの右腕を伸ばす。

「でも、こっちの方が速いよ・・・」

ブラックサレナが動き出す前に、

アルストロメリアがその左腕を軽く引っ張る。

語気の弱くなってきたユリカが何を言おうとしているのか、

アキトはすぐに理解した。

「バカッ!そんな体で無理するな!

 ボソンジャンプは体に負担がかかるんだぞ!」

「バカバカ言わないでよ、アキト。

 大丈夫・・・心配しないで。

 私は強くなるから・・・強くないといけないから・・・」

「ユリカ?・・・何を言って」

「ジャンプ・・・」

宇宙に溶け込むようなカラーリングの2機は、

光に飲み込まれて本当にその姿を消した。

 

「・・・うぅ・・ん・・・」

「気がついたか?ユリカ」

「アキト・・・ここは?」

「見ての通り医務室だ。

 お前はジャンプアウトするなり気を失ったんだよ」

アキトは少し不機嫌そうに言った。

一方、ユリカはきょとん顔で自分の頭に巻かれた包帯を撫でる。

「・・・全然覚えてないや」

「だから、気を失ってたって言っただろ。

 まったく・・・心配させるなよな」

「ごめん・・・」

アキトに刺々しく言われて、ユリカはしょぼんと肩を落とした。

彼の制止を振り切ってまでジャンプを敢行したのに、

自分がダウンしてしまっては面目が立たない。

「どうしてあんな無茶をしたんだ?

 今日だけじゃない。

 最近、無理しすぎだぞ、お前」

アキトが問い詰めるような視線を向けると、

ユリカはそれから逃れるように寝返りを打って背中を向けた。

「だって・・・強くなりたいんだもん。

 アキトを助ける為にも・・・」

「それは訓練が始まる時に聞いたよ。

 いくらなんでもそれだけじゃないだろ?

 お前らしくないというか・・・焦ってるというか・・・。

 お前、何をそんなに思いつめてるんだよ?」

アキトは今までずっと感じていたことをユリカにぶつけた。

自分の知っている彼女は、どんな窮地だって笑って切り抜けてきた。

それなのに、今の彼女にそんな余裕は微塵もない。

何がそこまで彼女を追い詰めたのか、アキトには見当もつかなかった。

当人のユリカは黙り込んでしまって、こちらを向く気配もない。

アキトは途方にくれて頭を掻いた。

「ごめん・・・」

ふとユリカが呟くように謝った。

「は?何のことだ?」

不意打ちをくらったアキトは、なにがなんだか分からず目を瞬かせる。

ユリカは後ろめたさのせいで、ぼそぼそとしか喋れなかった。

「私ね・・・ラピスちゃんに教えてもらったの」

「何を?」

「・・・私が眠っている間に、アキトが何をしていたか」

「ッ!!!」

アキトは息を呑んだ。

突然の告白に言葉を失い、

信じられないと言うような表情でユリカの背中を見つめる。

別に彼女に隠していた訳じゃない。

いちいち詳しく教える必要がないから言わなかっただけだ。

復讐と彼女を助ける為に払った犠牲のツケは全て自分のものであり、

自分の問題に彼女を巻き込むようなことはしたくなかった。

「ど、どうして・・・そんなこと・・・!」

アキトは頭の中がぐちゃぐちゃで、上手く喋ることができなかった。

勝手に暴かれたことに対する怒りや、

知ってほしくなった人に知られた戸惑いなど、

様々な感情がアキトの心を波立たせる。

「ごめんなさい・・・!!」

突然ユリカは体を起こし、頭を垂れた。

叫び声のような悲痛な声が医務室に響く。

「勝手に話を聞き出したりして、ごめんなさい」

彼女はそう言っているんだと、アキトは思った。

だが、そうではなかった。

「全部私が悪いの!アキトは何も悪くないっ!!」

ユリカは弾かれたようにアキトの方を向き、声を張り上げて訴えた。

彼女の必死さを見れば、その台詞が同情によるものとは思えない。

予想外の彼女の言葉に、アキトは一気に冷静さを取り戻した。

「お、落ち着けって。

 言ってること無茶苦茶だぞ?

 なんでお前のせいになるんだ?」

「ラピスちゃんが言ってた・・・。

 復讐もあるけど、私を助ける為でもあったって。

 じゃあ、アキトをそうさせたのは私・・・。

 でも、アキトが頑張ってくれたおかげで今の私がある。

 だったら・・・アキトの罪は私の罪だよ」

一呼吸置いて、ユリカは悲愴な面持ちで話を続けた。

「私・・・よく考えたら何も知らなかった。

 私はバカだから・・・アキトは何も言ってくれないから・・・。

 アキトが自分の五感を失って苦しんでたなんて!

 それでも独りで闘い続けてたなんて知らなかった!!」

ユリカは感情に任せてヒステリックに叫んだ。

なんで彼だけ苦しむのか。

なんで自分は助けてやれなかったのか。

それがどうしようもなかったことだったとしても、

ユリカはやり場のない怒りと悔しさに顔を歪める。

ラピスから全ての話を聞き終えた時など、

自分で自分を力一杯ぶん殴りたくなった。

ただアキトと一緒にいられたらいいやと思っていたことが、

いかに独り善がりな考えだったか思い知った瞬間だった。

必死に自分を助け出してくれたアキトは

――自分にとってかけがえのない人は今も重荷を背負っている。

それを知った時、ユリカは今の自分では駄目だと考えたのだった。

「もうアキトは何もしなくていいよ・・・!

 闘わなくてもいい!苦しまなくてもいいっ!

 今度は私がアキトを守るから!

 アキトの分も皆を守るから・・・!!」

ユリカは瞳に涙を溜めて、真っ直ぐアキトを見つめた。

アキトも目を逸らさず、しっかりと彼女の意志を受け止める。

実のところ、地道な検査と治療を重ねてきた結果、

彼の五感は少しずつ回復してきていた。

いずれはラピスのサポートも必要なくなるだろうと目されている。

きっとユリカはそのことも知っているのだろう。

それでも彼女は「治るんだからそれで良し」とはしせず、

わざわざ責任と重荷を背負おうとしている。

「それで・・・あんな我武者羅になって訓練を受けていたのか?」

アキトが神妙な面持ちで尋ねる。

ユリカは無言で頷いた。

「やっぱりバカだよ、お前は」

そう言ってアキトはふっと笑った。

「そんなことしなくたって、お前は十分強いのに、

 お前はそのことに気が付いていないんだ」

アキトが子供をあやすようにユリカを諭す。

だが、納得できないユリカは首を横に振った。

「私は強くなんかないよっ。

 私が強かったら、アキトを守る事だってできたはずだもん」

「そういうことを言ってるんじゃないさ。

 お前の強さはもっと別の・・・。

 そうだな・・・心の強さ、みたいなものかな」

「心の?」

「ああ。

 自分では気付いてないかもしれないけど、

 昔からお前は誰よりも真っ直ぐ物事を見つめていたよ。

 それがお前らしいところだと思うし、

 他人が簡単には真似できないお前の強さだと思うぞ」

ユリカは面食らって言葉を詰まらせたが、

「分からないよ、そんなの・・・」

と、すぐに不服そうに呟いた。

アキトに褒められたのだから、

いつもなら跳び上がって喜んでいるところだが、

今の彼女の気持ちは複雑である。

アキトの言うような自分の強さが一体なんの役に立つのか。

ユリカは何の力にもならないだろうと思った。

気持ちだけではどうにもできないことだってある。

そんなことはもう嫌というほど味わっていた。

「そんな・・・そんなモノじゃアキトを守れるとは思えないよ・・・」

「そうだな。

 でも・・・導くことはできる」

「え?」

「ナデシコに乗っていた頃を思い出せよ。

 お前は皆を引っ張っていたじゃないか。

 『自分らしく』って言ってさ」

ユリカの脳裏に懐かしい記憶が蘇る。

『私が私であれる場所』。

自分は確かにそう言っていた。

だからあの時、自分は間違いなく自分らしく決断し、

また自分らしく行動していたはずだ。

アキトは穏やかな口調でユリカを励ますように言った。

「今度はそうやって俺達を導いてくれ。

 また俺は感情に支配されて自分を見失うかもしれない。

 そんな時は、お前が俺を照らしてくれ。

 もう二度と道を踏み外さないように」

ユリカは驚いたように目を見開いた。

彼女の心にすうっとアキトの言葉が染み込んでくる。

ずっと重苦しい雲に覆われていた空が、

一気に晴れ渡っていくような気分だった。

「私らしく・・・」

ユリカが噛み締めるように、その言葉を繰り返した。

無理に背伸びをしなくても、いつもの自分がアキトの力になれる。

そう思うと、ユリカの迷いは完全に吹っ切れた。

ただ、全てをいつも通りとするつもりはなかった。

「でも、やっぱり訓練は続けるね。

 アキトと一緒の道を歩く為にも・・・」

凛とした面持ちでユリカが言うと、

もう彼女のことは心配ないと判断したアキトは、

あっけらかんと即答した。

「別にいいんじゃないか?

 お前がそうしたいって思うんならさ。

 でも・・・」

「無理はするな、でしょ?」

アキトが言おうとしたことを、ユリカが一足速く口にした。

ユリカが分かってるよと言うように微笑む。

アキトも笑みをこぼし、満足げに頷いた。

蟠りもすっかり消えてなくなり、これでようやく一件落着。

となるのは少し早いようだ。

突然、医務室の扉が勢いよく開けられた。

「ユリカ!大丈夫?!

 頭から血が出たって、イネスが・・・!

よほど急いで駆けつけてくれたのだろう。

珍しく息を切らしたラピスが、

びっくりして目をまん丸にしたユリカのもとに駆け寄ってくる。

アキトとユリカは呆気に取らて、

うろたえた様子のラピスを静観していた。

「ユリカ?」

ユリカが何の反応も示してくれないので、

ラピスはきょとんとして彼女を見上げる。

ユリカの目は確かに自分を見ているのに、

それが自分だと認識されていない気がした。

ラピスの顔が青ざめる。

ただユリカはぼんやりしていただけなのに、

それに気付かないラピスは、自分の考えうる最悪の事態を想定した。

「も、もしかして・・・記憶喪失?」

「「へ?」」

間の抜けた声を上げたのは呆然としていた二人だった。

アキトとユリカは互いに顔を見合わせると、


「「ぷっ・・・あははは!」」


と、同時に吹き出してしまった。

普段は冷静沈着なラピスの見当違いな発言が相当面白かったらしく、

アキトもユリカも腹を抱えて笑い転げていた。

今度はラピスが呆気に取られる番だった。

何がそんなに面白いのか理解できず、

次第に笑われていることに腹が立ってくる

「なんで笑うの?!」

柄にもなくラピスは頬を赤らめて声を荒げた。

ユリカは息も絶え絶えに、苦しそうに言葉を搾り出した。

「は、はは・・・ご、ごめん。

 大丈夫、私は、記憶喪失でもなんでもな・・・。

 くくっ・・・あははは」

堪らずユリカはまた笑い出してしまう。

呆気にとられていた時のラピスの様子が、

また彼女の笑いを誘発しているらしい。

アキトは落ち着きを取り戻してきているものの、

時々くっくと笑い声をもらしている。

「だから、なんで笑うの?!

 もう!笑うのやめてっ!」

ラピスはむきになって声を張り上げ、

笑い続けるユリカの体をゆする。

だがこの時、もうラピスは気付いていた。

今度の「大丈夫」は本当に大丈夫なんだということにも、

ユリカが自分の好きなユリカに戻っていることにも気付いていた。

ただ、訳も分からず笑われているという気恥ずかしさのせいで、

今はそのことを手放し喜ぶことはできない。

ラピスはお腹一杯に空気を吸い込んだ。

「ユリカのバカァーーー!!」












<あとがき>

いつものことですが、

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

いつぞや原作のキャラを大切にしたいと書いた覚えがありますが、

すみません、完璧に別人と化しています・・・。

話の時期に関して他の作品とつじつまが合わなかったり、

ボソンジャンプの使い方に無茶があるかもしれませんが、

大目に見てやってください。

アキトとユリカをいちゃつかせないようにしたつもりです。

そうは見えないかもしれませんが。

ラブラブな二人はあまり想像ができないし、

そういう表現が苦手(上手く書けない)だったりします。

勿論、ルリやラピスが話にからむ場合も然り。

自分の書きたいことを無理矢理詰め込んだ、

相変わらず自己満足な作品ですが、

皆さんの目に入れていただけたのなら幸いです。

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

感想代理人プロフィール

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代理人の感想

いやじゅーぶんにラブラブですから。

もうちょっと客観的に時分を見ましょうよ、ね?(爆)

 

それはともかく、劇場版アフターのアキトとユリカとしては中々いいと思います。

アキトがこうありたいと望んで、ユリカがそれに追随し、新しい二人の関係を築く。

その築き方と落としどころが個人的には結構高得点です。

ナイス!