翌日、日曜日でルリが休みのため、
アキトとルリは、今後の活動について意見をかわしていた。
ランダムジャンプに巻き込まれた人間は、7人。
アキト、ルリ、ラピス、アカツキ、エリナ、イネス、ヤマサキ、そして草壁。
しかし、そのうちジャンパー体質だったのはアキト、ルリ、ラピス、イネスのみ。
考えられる逆行者は、この4人だけだった。
「…ラピスがどうなったのか、まだ不透明だ」
「ええ…。
私はラピスの体に意識を移したアキトさんを抱きしめていたはずなんです。
でも、アキトさんとともにこの時代に来ています」
「体の事もだけど、どうしてこうなったのかは分からない。
ラピスが無事でいてくれないと…」
「ラピスを…見つけたら、どうしますか?」
ルリは、アキトを見つめた。
彼女はラピスの事は詳しくなかったが、ラピスなしにアキトは戦えず、
また、ルリ自身を助けることもできなかった。
「…ラピスには、世話になったという言葉では足りない。
俺の為に、体も、人生も、賭けさせてしまった。
…こんなことでは、足りないんだろうけど、
せめて娘として迎え入れて普通の暮らしを送らせてあげたいんだ…」
「…ラピスも、きっと喜ぶと思います…」
ルリは、言おうとしたことをひっこめた。
ラピスは、きっと過去の自分と同じ状況になる。
その愛が届かぬと知りながら、一緒に暮らすのは、辛い。
だが、その人と一緒に居られないのは、もっと辛い。
それを知っているからこそ、ルリは意見を挟むことはできなかった。
ルリは、いたたまれなさから、別の話題を探した。
「ボソンジャンプの事については、
イネスさんにせつ…意見を聞かないと何ともできないかもしれないですね」
「…イネスさんは、戻っているだろうか?」
「…分かりません。
とにかく火星にたどり着かないと」
「うん。
絶対にナデシコで、火星まで行こう」
「私達の、家ですからね。
…でも、偶然を装ったり、正攻法では危険が伴うと思います」
ルリは過去のアキトの乗船方法は使えず、
現在のネルガルとの接触を避けるべきであるとルリは思っていた。
「プロスさんからの接触はともかく、
この時期はこちらから接触を計るのはあまり得策ではないはずです」
「なんで?別に問題はないとおもうけど…」
「スキャパレリプロジェクトは、
出港2か月前に人集めを開始したプロジェクトです。
先代会長から計画自体は練られてましたし、
ナデシコ自体もかなり前から建造は始まっていましたが、
現段階では、まだアカツキさんも会長職に不慣れな可能性もあります」
「あ…」
アキトは納得せざるを得なかった。
アカツキが会長職についたのは、
兄の死亡が原因で大学中退して無理やり就任した経緯がある。
ともするとナデシコ出向の1年前の現在では、
まだ会長職についていない可能性すらあった。
「少なくとも現段階での積極的な接触は避けた方がいいでしょう。
…アカツキさん個人はともかく、
ネルガルの社長派以下の幹部には因縁があるでしょう?」
「…うん」
アカツキの父が会長だったころ、アキトの両親を殺害するように命令した。
それはチューリップクリスタルの独占が目的だったと判明している。
当時の会長の部下たちは、重役になっている可能性がある。
アカツキの影響力がない状態で、ネルガルに接触すれば、
テンカワアキトでなくなった状態でも、危険は少なくないといえた。
しかし、ナデシコに乗り込むためにはいろんなものが二人には足りなかった。
テンカワアキトは、たまたまプロスに接触する機会があった事と、
「たまたま不足していたコック業で、ユリカと知り合いの可能性がある」
という条件があったから乗り込めたに過ぎない。
「性格に問題があっても能力は一流」という方針に合致していなければならない。
…そもそも「スカウトに来てもらわなければナデシコには乗れない」のだ。
今現在のホシノアキト、ホシノユリには…。
…。
経験値、素質があろうと、
大それた行動が取れないのは確実だった。
「…アキトさん、マシンチャイルドのふりできませんか?」
「…それこそ経験がないよ」
二人はそろって盛大にため息をついた。
ホシノアキトの出自があまり分からないという点についても問題が多かった。
IDが存在するということは、どこかでまっとうに育ったか、
誰かが偽造した経歴が存在するということだ。
ツテどころか、持っている携帯電話すら、お互いの電話番号しか入っていない。
どんな生活を、このホシノ夫妻がしていたのかすらわからなかった。
「…アキトさん、不毛な事を言ってもいいですか?」
「え?どうしたの」
ルリはうつむいた。
「もし…ラピスを助け出す事ができたら…。
ナデシコに乗らずに、ここでひっそりと…一生を終えても、
いいんじゃないですか…?」
「ルリちゃん、何を─」
アキトは悪い冗談だと言いたかったが、
ルリは、アキトの目を見ずにつづけた。
「アキトさん、その体じゃ戦えないかもしれません…」
「それは、そうだけど…」
「だって私達、
もう『テンカワアキト』と『ホシノルリ』じゃないんですよ…?」
アキトは息を飲んだ。
ルリの言わんとするところが分かった。
自分たちはもう「本人」ではない。
家族も、居ないかもしれない。
ただの根無し草としか、表現できない。
ナデシコには、縁もゆかりもない。能力も、足りないかもしれない。
そんな自分たちが、本当にナデシコに乗り込めるのだろうか。
自分の存在価値であるIFS強化体質を失くしたルリにとっては不安が多すぎた。
彼女の不安の吐露は、当然だった。
「もう、何もかも忘れて、
ゼロから新しい人生を始めたって、誰も文句を言いません。
自分の夢を叶えたって…いいはずですよ…」
「…うん、そうだね。
夢に向かって頑張って、君を愛する…。
それだけの人生も、きっと幸せだよ…。
…戦争がない世界だったら…それを選んでみたいと思う」
「…ごめんなさい、弱音を言ってしまいました…」
ルリは後悔すらしていた。
見捨てられない人が居ると知って居ながら、こんなことを言ってしまった。
「いいんだよ、ルリちゃん…」
アキトは責めるつもりはなかった。
ルリに弱音を言ってもらえるだけ良いと思った。
本当はナデシコを見捨てる選択など、ルリにはできないのもわかっていた。
ルリは目をこすると、アキトを見つめた。
アキトもルリの目をまっすぐ見つめた。
「昔…メグミちゃんにも同じような事を言われたよ。
『一人の女の子を守るのも立派な戦い』だって…。
あの時は分からなかったけど…今ならわかる。
人生にはいろいろな形があって、
メグミちゃんが言うように別の生き方だって、本当は出来たはずなんだ」
「ええ…でも、ナデシコを降ろされた時、
それすら欺瞞だったと思い知らされたのは、辛かったですが…」
二人はあの時の選択は、間違っていなかったと思うが、
選べる選択肢があまりに少なすぎた。
戦争が終わるまで監視されるながら普段通りを演じるか、反抗してナデシコを奪うか。
どちらの選択も、覚悟が必要だった。
「…今度も、夢を捨てなければならないかもしれません。
でも、それでも死んでほしくない人が、悲しんでほしくない人がいる。
あのままの歴史で進むということは…。
ナデシコを、死なせることになる…と思うんです…」
アキトは頷いた。
そのまま、視線が下に落ちた。
「とはいっても、俺達には武器がない。
…本来得意な事を、潰されてしまっているんだ…」
二人の間に沈黙が訪れる。
自分たちの、本来得意なことができない。
それは自分の名前を、立場を失った彼らにとって、
存在意義そのものを失ったようにすら感じさせた。
重苦しい空気の中、ルリは控えめに声を発した。
「…一つ、アイディアがあるんですが…」
「何?」
「連合宇宙軍に所属していた時に、協力を得た組織があるんです。
PMC…という業態の、組織でした。
この会社を立ち上げるというのはどうでしょう」
「PMC?」
ルリは、PMCが「傭兵や軍隊、民間人に属さない」職業であることを伝えた。
ただ、意味が広く、民間の警備業から傭兵家業に近くなるところまでを含むとも言った。
ナデシコに乗る場合、能力を示す必要があれば、
自分たちの経験から言えば軍に入ることが避けられない。
しかし、残り10ヶ月足らずでは士官学校も訓練期間も終えることができない。
結果を残すことなどできないだろう。
そうなれば、独自に組織を立ち上げ、戦って結果を残すしかない。
独自にエステバリスを手に入れ、民間人に被害が及ばないように迎撃、
その戦果でナデシコにスカウトされるという方法だった。
「だけど…俺が戦っても、良いの?」
アキトは、現在の体力の事もあるが、
まだ身体の事が不明なところが多すぎた。
リハビリとトレーニングがある程度進まなければどうしようもない。
「…そうしてほしくはないので、
この時代のアキトさんを引き入れるつもりです」
「…?!」
アキトは驚いた。
積極的に『この時代のアキト』を引き入れるという発想がなかった。
「アキトさんの体が戦っても大丈夫なのかどうかはやらないと分かりません。
…でもアキトさんには、エステバリス操縦の素質があるのが確かです。
今のアキトさんがこの時代のアキトさんを鍛えれば、
きっと戦えるようになれるはずです」
アキトはそれは保障できるな、と考えたが、別の懸念もあった。
「この時点のテンカワアキトがパイロットになってしまったら、
歴史が変わってしまう…けど…」
「…歴史を変えたくなければ、
私達が首を吊るしかありませんよ?」
二人の間に再び沈黙が訪れる。
様々なSF作品で描かれたように、未来を変えたらどうなるかは誰にもわからない。
それでもルリは歴史を変えられずにはいられないと思っていた。
ただ、それでも一切変えてはいけないとすれば──二人はそもそも存在してはならない。
アキトは小さく首を横に振った。
「…俺は死にたくない。
ルリちゃんも、死なせたくない」
ルリは深くうなずいた。
「それに…死ぬ運命の人を、
アキトさんが助けずに居られるとは到底思えません」
「…わかった。馬鹿なことを言った。
ごめん」
「…いえ、私こそ」
ルリは少し辛辣に言い過ぎた事を反省した。
ルリは、気を取り直して、その場合に必要なものを説明した。
機体、格納庫、整備士、運搬など…。
PMCを独自に立ち上げるのに、高いハードルがあった。
とはいえ─もっと高いハードルも存在した。
「お金がありません」
「ない袖はふれないね…」
そもそも資金難だった。
二人は現在の自分たちの経歴を確認するも、これといった特徴はない。
そして、手持ちの貯金は200万円を切っている程度だった。
若い割には持っているが、起業資金としては不足している。
「これくらいの額だと、一回勝負に出てミスるとおじゃんです。
『犬も歩けば棒にあたる』といいますし、
いろんな情報を集めつつ働いて、少しでも足しにしましょう」
「それしかないか…」
「組織に属して行くのも、フリーランスも厳しいものです」
「…せめてラピスの能力が残っていれば」
「ラピスが見つかってない以上、それも望み薄です」
二人は再び、盛大にため息を吐いた。
「…前途多難だね」
「マシンチャイルドでなくなるだけで、
こんなに無力だなんて、思いませんでした…」
「…いいんじゃないかな。
力がないならないで一生懸命、頑張ろう。
それでもなんとかならなかったら…。
諦めがつくよ…」
「…アキトさん」
ルリは、アキトの言葉に、少しのためらいと、
自分の弱音と同質の意味が含まれているように思った。
二人の間に、少し無言の間が、漂った。
「…ルリちゃん、一緒に出掛けないか?
これから頑張らなきゃいけないんだから、
一日くらい思いっきり遊びに行こう」
「えっ?」
脈絡なく、唐突にアキトから出てきた言葉に、
ルリは驚いた。
アキトから誘ってもらえた。
ルリは嬉しい反面、アキトが無理をしているんじゃないかと思ったが、
空元気でも出さないよりはマシだとも思った。
「…はい!」
ルリも振り切ろうと大きな返事をした。
二人は、次に進むために歩き出した…。
「あー面白かったー。
アクション映画だったけど大丈夫だった?」
「私も恋愛映画そんなに得意じゃないんでいいです。
ちゃんと面白かったですよ」
「よかった」
「アキトさん、本当に楽しかったんですね」
「うん。視覚と聴覚が刺激されて幸せだった」
「…話はどうでもいいんですか?」
「あの部屋、服があまりないのでまとめて揃えましょう」
「そんなにこだわらなくても、適当でいいよ」
大量の荷物を持たされつつ、アキトは歩いている。
「パジャマも着回しもないのに、裸で過ごす気ですか?
…いえ、それはそれで…」
「…ごめん、ちゃんと買うから勘弁して」
「はい。
私のも、選んでくださいね?」
結局、この荷物は持ちきれないので後日配送してもらうことにした。
アキトの目の前に、ラーメンどんぶりがすでに3つ並んでいた。
「替え玉、もう一つお願いします」
「あ、アキトさんまだ食べるんですか!?」
「ごめん、なんかお腹へっちゃって」
「…味覚が良くなったせい…ってわけでもなさそうですね」
ルリはマシンチャイルド化の影響ではないか、と思った。
「エステバリスのゲームってこの頃からあったんだ?」
「最初はゲームとして出して、
適性の有る人をスカウトする為に作ったらしいですね」
「ちょっとこれで調子を見ておこうか。
こっちで乗り込めるかもしれないし」
しかし、アキトはマニュアル操作があまり得意ではなかったらしく、
中盤くらいで撃墜されてしまう。
「う~~~ん、まとめて買うにも限度があるなぁ…。
一般家庭のガスコンロでは中華鍋も生かしきれないし…」
「でも一個くらいもっておきたいんでしょ?」
「うん、俺の夢だから…」
「使えそうなものを買って、また選びにきましょう」
結局アキトは中華鍋とお玉だけ買った。
「ルリちゃん、今夜はチキンライスでいい?」
「餃子も付けて下さい」
「はいよっと。
けど、まだ味覚になれてないからレシピを厳密にしないと失敗するな…」
「味見、しますよ。
…ホントはラーメンをお願いしたいんですが、
さっき食べちゃいましたし」
「ラーメンは今はちょっと…やれる自信がない」
「慣れてきたら作って下さいね」
「…うん、必ず」
二人は、歩き疲れてコーヒーショップに立ち寄っていた。
他愛ないデートコースだったが、
久々に緊張の糸が切れたのか、二人はとても楽しんでいた。
「…すみません、気を遣わせてしまいました」
「…そんなんじゃないよ」
アキトは飲んでいたホットコーヒーに、
砂糖とミルクを入れてかき混ぜ始めた。
「俺は俺なりに、ルリちゃんと付き合っていけるか、
悩んでいたんだ」
「…」
ルリは、手をぎゅっと握った。
アキトに振られるようなことは決してしていない。
でも退屈な子だと思われなかっただろうか。
ピースランドの時も、一方的に守られてしまっていた。
あれはデートとは呼べなかっただろう。
「…ごめん、試したとかそういうことじゃないんだ」
「…はい」
「でも、楽しかったよ」
アキトはコーヒーを一口飲むと、微笑んだ。
「昔、アカツキに恋愛関係に鈍いってよく言われた。
でも、俺はそれでいいって思ってた。
だけど…いつも戦っていたり、コックの修行してたり、借金に追われたり…。
ユリカとちゃんと付き合えていたのか、今考えると分からないんだ」
「…ユリカさんは、あれで十分楽しんでましたよ」
「ルリちゃんも、そう思う?
俺もそう思う。
でも…まっとうな男女関係って、真剣に考えたことなくてさ。
一般的過ぎるかもしれない、そんなデートが楽しいのかすら、
想定外だった」
「…」
「でも、分かったよ。
ルリちゃんと居るだけででユリカと居る時と同じように、
心が軽くなるんだ」
「それって…」
「自分でも、本当に言葉にできない部分で…。
君を好きになって来ているって…思うんだ…」
「…っ」
ルリは、顔を伏せて泣いてしまう。
妹としてではなく、女性として見てもらえている。
ルリはその言葉を聞けただけでも、嬉しかった。
「あ、ご、ごめん」
アキトはうろたえる。
ルリは首を振る。
「うれ、し…い…です…」
「…」
「ひょっとしたら、
相性が悪いって言われてしまうかと思っていて…」
アキトも首を横に振る。
「俺も、ルリちゃんが娘のように思えてしまうかも知れない、
ユリカと重ねて君を見てしまうかもしれないって、悩んでた。
それは大丈夫そうなんだけど…でも…ごめん。
ちゃんとまだ好きって言えないや…」
「いえ…いいです…それでいいです…。
まだ急な事ですし…。
私もユリカさんの事は、まだ振り切れてないですから」
「…二人でユリカの事ばっかり考えてるね」
「…いいじゃないですか、大切な人なんですから」
二人は照れくさそうに小さく笑った。
ルリはほんの少しだが確実に、
アキトが自分を見てくれていることが嬉しかった。
「帰ろうか?」
「ええ、またお腹が空いてきちゃいました」
二人は、喫茶店を後にした。
アキトは帰ってから、さっそくチキンライスを作り始めた。
しかし…。
チキンライスをほおばったルリの表情は優れなかった。
落胆するアキト。
「…ごめんね、ルリちゃん。
やっぱり、もう少し練習しないと…」
「いえ…まずくはないですから…」
アキトの味覚はまだずれており、料理の腕は錆びきっていた。
申し訳なさそうなアキトを、ルリは励ました。
「…アキトさんが料理を作ってくれただけで、嬉しいです…。
もう二度とこんな事、ないと思ってましたから…」
「うん…もっと頑張るね」
「落ち込まないでください。
ブランクを埋めるのはたやすくないはずです」
アキトは、自分の知識と感覚のズレに悩んでいた。
このズレは決して小さくなかった。
レシピ、調理タイミング、味。
すべて記憶していても、体がまったくついていかなかった。
アキトは歯噛みする。
「…ごちそうさまです」
「…お粗末様です」
二人は、食事を終えて少し落ち着くと、就寝の準備を始めた。
(…そういえば、アキトさんは結局お布団は買わなかったから…)
ルリは、アキトと布団を敷きながら思う。
アキトが自分を少しずつ受け入れているのが感じられた。
「おやすみ、ルリちゃん」
「おやすみなさい、アキトさん」
蛍光灯が切れる。
ルリはすぐに寝てしまった。
アキトはルリを見る。見つめる。
目を離せない。目を瞑れない。
(かわいい…)
アキトは自分の理性と本能の間で戦っていた。
今のルリは、ユリカとルリのいいとこどりの顔立ち、スタイルだった。
可愛さも、美人さも、豊満さも、痩せているところも両立している。
通常の男ならば、ルリの最初の言葉だけで襲い掛かるだろう。
しかし、アキトはルリと関係が深い。
そしてアキトは堅物すぎた。
アキトは恋愛関係を通さずに、
男女の関係をもつのはユリカに申し訳がないだけではなく、
ルリの男性観を歪める恐れがあると思った。
いろいろ理由はあれど─。
結論から言えば、アキトは手をだす事が出来なかったのだ。
翌日、アキトは寝不足のまま、就職先を求めて就活を始めていた。
しかし、就活は困難を極めていた。
アキトの容姿を見つめて、顔をしかめるラーメン店店主。
「…君、髪染めてくるとかできないの?
カラーコンタクトしてるし…やる気、ないんじゃない?」
「これ、染めてもダメなんす…。
この目も自前で…カラコンも目がゴロゴロしちゃって…」
アキトも、何も努力をしなかったわけではなかった。
飲食を営む者は、清潔感と第一印象が重要。
この点については、サイゾウ、ホウメイの教えのみならずアキト自身も理解していた。
アキトの見た目はマシンチャイルドというよりは、
完全にビジュアルバンドのメンバーとしか見えない。
そのため、髪を染めようとしたが、全く薬剤が浸透せず、
買ってきたカラーコンタクトも目に合わず。
結局素の状態で出てくるしかなかった。
「あーダメダメ。そんなじゃ困るよ。
不採用!
IFSつけてるんだしパイロットした方がいいんじゃないかな」
「体弱いんす…」
アキトはしょぼくれながらも話を続けようとするが、
不採用は覆らなかった。
店を後にするアキト。
──朝早くに履歴書を書きまくって、すでに10連敗である。
すでに夕日が沈みかかっている中─。
アキトは公園で缶ジュース片手に頭を抱えていた。
「仕事、決まらないもんだな…やっぱし…」
自分の調理の勘を取り戻す目的も兼ねているため、
どうしても飲食での就職を目指したかったが、
IFSがあることと容姿がたたってまたもや飲食では就職難である。
また体のこともあり、極端な肉体労働や危険の伴う仕事もできず、
パイロットやボディーガードも不可能であった。
「…俺ってこんな時でも中途半端なのな…とほほ」
一人でラーメン屋台を再開してもよいが、準備資金がかかりすぎる。
ホシノ夫妻としての貯金は、
PMCの準備資金・資本金がゼロであってはならないので手を付けられない。
サイゾウさんの食堂であれば雇ってもらえなくもかもしれないが、
アキトが居る上に、居ても大丈夫だったとしても、人数を二人以上は雇う余裕がない。
「こ、このままでは情けないヒモ亭主になっちまう…」
ルリはそれでも笑って許してくれるだろう。
だが短い準備期間の間に何もできないというのは、純粋に足を引っ張ることになってしまう。
情けない、情けないぞアキト!
「そこの兄さん、大学生?
就活かい?」
茶髪の、少し洒落っ気のある格好の男が、話しかけてきた。
むっとした目で睨むが、男はアキトの白い髪と金色の瞳に珍しさを感じたらしい。
アキトとしてはあっちいけと言いたかったが、
なんとなく憎めない感じがして普通に応答した。
「いや…就職先は決まってるんだが、
それまで時間が何か月か間があいてて困ってて…」
「なら、いいバイトがあるよぉ!
これ見てくれ」
「…コスプレ喫茶?」
男が渡したのはコスプレ喫茶のバイト募集のチラシだった。
ついでに男の名刺も渡された。
「その髪と目の色、顔立ちも童顔っぽくていいねぇ。
どうだい、可愛い女の子の接客だし、
シフトは1時間からでいいし、
時給も弾むよ」
「…キッチン側のバイトでもいいんだけど」
アキトは目立ちすぎる仕事を避けたかった。
「キッチン側もやってもらいたいけど人不足なんだ。
両方やってくれるかな?」
「…」
アキトは真剣に考えている。
こういう場所で働くのは働かないよりもルリに怒られるのではないだろうか。
水商売にちかいコスプレ喫茶でそもそも働いていけるのだろうか、と。
アキトは熟考の末、バイトを引き受けた。
通常の飲食ではないが、飲食業の延長線上にあることには違いがない。
そこを譲ることはしたくなかった。
不本意ではあるが、それなりに収入がなければナデシコを助ける準備ができない。
アキトはかつて背負った借金の事から、
余裕がある収入なしに事が進まないということを学んでいた。
帰宅後、ルリにそのことを報告するも、
「もう少し…なにかなかったんですか?」
「ごめん…このカッコだと飲食は全滅なんだ…」
当然、ルリには渋い顔をされた。
というか呆れていた。
アキトは平謝りしていた。
「でも働かないと、どうしようも…」
「甲斐性なしのろくでなしですね」
「うぐっ…そこにグズとウスノロをつけてもいいよ…。
この場合、言い訳のしようがないから…」
アキトはやや冷ややかなルリの視線に、いたたまれない。
それでも、「ヒモ亭主」になるのだけは避けたかった。
というか足を引っ張りたくなかった。
ルリは、くすっと笑った。
「それじゃ、
働きすぎず身体を大事にすることと、
週に1度は必ずデートすること、
約束して下さいね」
「そ、それくらいなら…」
「分かってます。
パイロット稼業はできませんもんね」
「…ごめん、ルリちゃん」
「本当は、いいんです。
アキトさんが無理をしないなら…どんな仕事でも」
ルリの偽らざる本音だった。
本当はパイロットもしてほしくない。
アキトもパイロットをしないでいいならやりたくない。
とはいえ、戦わないという選択肢はない。
それならせめて、今くらいは危険のない仕事で居てほしいと思っていた。
ルリは、いつものように出社した。
毎日のように、出社直後に業務が集中砲火されるのを警戒しつつ、
自席に着席する。
「ホシノさん、ちょっといいかな?」
「はい?」
業務の集中砲火のためにルリを囲おうとした社員たちは、
社長が割り込むとすごすごと立ち去った。
社長に連れられ、応接室のソファに座る。
「…いや、本当に助かっているんだ、ホシノさん。
何しろ、外注ばかりしていたツケが回って仕事が進まなくて」
「それは何よりです。
それで、なんでしょう」
「そろそろ試用期間も終わるし…。
課長待遇で、本採用させてくれないかな」
ルリは、はあ、と気の抜けた返事をするだけだった。
社長はいいリアクションではなかったので、困ったような顔をしている。
事実、彼はルリの実力の底知れなさに驚いていた。
若輩者であり、何年か鍛えるつもりで雇ったにもかかわらず、
わずか一週間ですべての社員をごぼう抜きにして、
小さな会社であるとはいえ、プログラミング業務の9割を一人でこなしてしまう。
──そう、ルリが言う常人のレベルというのは、
あくまでハッカーの中では上の下のレベルだった。
彼女はマシンチャイルドの頃の十分の一以下くらいの実力しかないと自認していた。
だが、その効率は常人の日本の一般企業のプログラマーと比べれば五十倍強い。
ルリは業務の効率化のために欠けた能力の分をプログラムで補っている。
企業としてはのどから手が出るレベルの天才プログラマーである。
社長は額に脂汗を浮かべていた。
彼女が抜けた場合、倒産すらあり得るとすら、考え始めていた。
そのため社長は18歳で課長待遇という、
破格の昇進を持ち出せば逃げ出さないだろうと思っていた。
しかし、ルリのリアクションは芳しくない。
「社長、私はあと三ヶ月もしないうちに辞めます」
「なにっ!?」
「夫も昏睡から目覚めましたし、独立しようかと」
社長に、二重の衝撃が走る。
ルリは入社時、確かに「昏睡状態の夫が目覚めたらやめるかもしれない」とは言っていた。
しかし、それ以上に三ヶ月というあまりに差し迫った現実的な期間。
そして、「独立」という言葉。
このソフトウェア会社は、従業員三十人にも満たない零細企業であり、
所属する十数名のプログラム担当より、本当に百人力で働くルリが、独立する。
それは、この会社で受けてきた仕事を九割奪われることとイコールである。
「そ、そ、そ、そんなこと許され──」
「企業は退職届けを出したら受理を拒めません。
お分かりですよね?
それどころか、私は試用期間ですよ?
業務のほとんどを担当していようと、変わりはありません」
社長はとどめをさされた心境だった。
十八歳という世間知らずでもおかしくない年齢で、
法律的な知識をすらっと出されてしまい、たじろぐ。
ルリは──ナデシコに乗船していた頃から、
自分の処遇について何とかできないかと法律を調べ続けた事がある。
労働や未成年就労については一通り知っているが、
二十二世紀の現在では、未成年就労についてはクリアする法律があるため、
その点では攻めようがなかった。
しかし、実際のところ後ろ盾なしにナデシコを降りるのは、
別の研究所に誘拐されモルモットになる可能性が高かったので、
どちらにせよ選択肢は少なかった。
また世間を知らない自分もわかっていたので辞職を考えたことはなかった。
現在のルリは後ろ盾こそないが、そもそも後ろ盾が必要なIFS強化体質者ではない。
自分の実力であればどこでも食べていける自信があり、
そもそもナデシコ乗船のためやるべきことがあまりに多いので、
辞めないという選択がなかった。
─社長は、それでも食い下がりたかった。
「な、なにが不満だったんだ!?」
「不満?
不満しかありませんよ?
せっかく夫が目覚めたのに毎日三時間近い残業まだありますし、
業務をどれだけこなしても昇給には限りがありますし、
週休は完全二日じゃありませんし、
昼ご飯を食べ損ねる日も多いですし、
みんな新入社員に頼りきりなのを疑問に思っていませんし、
パソコンのスペックは過剰に低いですし、
長所は通勤時間が短いことくらいです。
…どこに私へのメリットがあるんですか?」
「ぐ、ぐうううっ」
社長、ぐうの音は出るようだが、どうしようもなく頭を抱える。
ルリはこの社長の評価は罵詈雑言が出ないだけマシな人だとは思っていた。
もともと人がいいのだろうが、そのせいで取引先にいい顔をしすぎているタイプのようである。
「…安心してください、独立先はプログラミング関係じゃありません」
「…それでも会社が倒産するかもしれん。
君をあてにしすぎて仕事を受けすぎてしまった…」
ルリはため息を吐いた。
自分の実力を低く見積もりすぎたことを反省した。
そのうえで、会社をやめるための妥協案を考えた。
「わかりました。
残りの三ヶ月で開発用のツールを作ります。
それを使えば私が居なくてもある程度やっていけるようになると思います」
「…た、頼むよ」
「…とはいえ、時間稼ぎにしかならないでしょうから、
給料をあげて人を集めて下さい。
機材投資もしてあげて下さい。
それだけで大分良くなると思います」
「それはしたくない…んだが」
「それでは会社がなくなりますね」
「う、うおぉあああ…」
「時間はまだありますし、早く決めておいてください。
それでは業務に戻ります」
ルリは応接室を後にした。
…しかし、その後、ただでさえ業務が過剰な状態で、
開発用ツールの準備をしようとなると、
ルリでも相当の負担を強いられることになってしまった。
ルリは残業し、一人きりでパソコンに向かいながらため息を吐いた。
すでに時刻は二十三時を超えようとしていた。
「…どうしよう、この調子だと日付変わっちゃいます。
アキトさんに連絡しなきゃ…」
ルリは栄養ドリンクを飲みながら、開発ツールの仕様書を書き進めていた。
属人化しすぎた業務を分割し、
使うプログラミングスキルのない人間にプログラムを覚えさせるようなツール。
それは開発ツールというよりは教育ツールの要素を含みすぎているように思えた。
ルリと言えどこの内容で作り切るのは難しいものがある。
退職しなければいけないとはいえ、サービスしすぎかと思い返す。
「…勘弁して」
…前途多難だった。
アキトも就業前の研修が終わりつつあった。
しかし、
「き、君の知っているホシノアキトはしんだー」
「ほらほら、もっと格好良く渋く決めるんだよォ~~~!」
店長は、アキトの演技に不満の様子だった。
「…すみません、せめてキャラ付け変えてもらえませんか?」
「だ~~~~~めだね!
複数キャラをもってもらわなきゃ困るんだよぉ!
ウチ人数少ないんだからさあ!」
「そんなむちゃな…」
アキトは週5の勤務ですべて違うキャラを演じなければならなくなった。
情けないサラリーマン、
借金取りに追われるダーティなアウトロー、
完璧すぎる執事、
ツンデレ中国拳法家、
…と、ここまでは何とかこなしてきたものの、
最後の最後でまさかの「過去の自分」が飛び込んできたのだった。
「……おれのキャラってそんなにありがちだったのか?」
どうもこんばんわ。武説草です。
アキトとルリは仮にも夫婦になってしまったということで、
二人三脚でずんずん進んでいきます。
時に頼り合い、時にブレーキを掛け、時にちょっといじりながら。
しかし、そうはいってもカップル的に考えてもまだ(アキトのせいで)進展が、ないッ!
ほとんどいつものナデシコTV版アキト!…闇の王子の姿はいずこへ?
そんなところもコミコミで、次回へ、つづくぅう~~~ッ!
・時の流れに・reload最終話感想より
>放置していたSSを十年以上も経ってから、形だけでもちゃんと締める。
>勇気の要ることだったと思います。
>その勇気溢れる行動に敬意を。
ありがとうございます!
力み過ぎず、できる限り書いていきます。
改めてよろしくお願いします。
・時の流れに・reload最終話感想より
>「当時登録した辞書がまだ生きており、
>「むせっそうよしお」とタイプしたら「武説草良雄」と一発で変換できました。
>やって来た事の痕跡はどこかに残るのだなあ、と感慨深かったことです。」
自分のやってることに責任をもつ、というのとは別に、
やったことには何か結果が常に残るし、痕跡も残るんですねえ…しみじみ。
・一話感想より
>「ふーむ・・・何か凄く懐かしいノリだw」
なんかこう、アニメのリバイバル、ゲームのミニシリーズでのリバイバルを体験後、
ActionナデシコSSを読んでた頃に読んでた「バキ死刑囚編」のアニメが始まって、
精神テンションが連載時代に戻ってしまった戻ってしまったようです。
かつてランボーは戦後に役立たずになるの兵士の悲しみを叫んだ。
かつてアキトは戦火に巻き込まれても自分の夢を諦めなかった。
新しい人生でアキトとルリは自分の能力に悩み、世知辛い世間に自分を消耗させる。
二人は果たして自分達の新しい夢を見出すことはできるのか!?
または消耗品として世間に漂って生きることしかできないのか!?
趣味を、創作を、職を転々としながらもそれなりにやっていけるようになっても、
「世知辛いのじゃー」とつぶやく作者が送るナデシコ二次創作、
をみんなで見よう!
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代理人の感想
>きみのしっているほしのあきとはしんだー
(大爆笑)
いかん、それまでの展開が丸々頭からふっとんだw
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