「…ユリちゃんはミスマル提督の実子だと!?」
俺はエリナの言葉に衝撃を受けた。
確かにあれだけ似た顔立ちをしているのだから、
何か関係があってもおかしくはないが…まさか実子とは。
「ええ…ミスマル夫人は、
どうやら排卵は問題なくできたけど、妊娠能力に問題があったみたい。
受精卵を預けた先でテロリストに襲撃に遭い、
ネルガルの研究所に流れ着いたそうね」
「ルリちゃんと同じような人生を歩んだ、
ユリカの姉妹ということか…」
これも何かしらの干渉があったということだろう。
分からないでもないが…とはいえボソンジャンプで、
新しい人間が自然に生まれるものだろうか?
生まれてしまっている事実は覆せないが…。
「ホシノルリとはいくつか違うことがあるわ。
ユリという人間は人工授精によって生まれたけど、
その受精卵は、別の女性の胎内に移植された。
この女性はミスマル婦人とは逆に、妊娠能力があるけど排卵能力がなかったそうよ。
そのまま生んだ子を、育て続けた…言ってみれば、人工の托卵ね」
「托卵…別の仮親に子を育てさせる、か…」
「ただ通常の托卵とは異なり、どうしても子を授かりたかった夫婦が、
違法な手段とは知りながら研究所の提案を飲んで子を育てた。
自分の意思で、代理出産と子育てを行ったのよ。
…結構、大事に育ててたようね。
ユリが16歳になった時、ネルガルに引き取られるのを拒んで、
その両親は殺されたのよ」
「…ネルガルの悪事も、筋金入りだな」
今度は俺の生い立ちに近いものを感じた。
両親が死んでからの俺はみじめだったが…16歳になってからだったら、
俺の人生もだいぶ変わっただろう。
4歳の俺が両親を失った時、遺産をかすめ取った親戚が居たことは成人してから知った。
とはいえタイミングは関係ない。
両親を殺されたという事実は、重くのしかかる。
一部の鳥類にはそういった習性があるというが、人間でそれをやるとは…。
ネルガルの暗部の容赦のないやり方については分かっていたが、ここまでやるか。
「…ホシノユリという人間が救われないのは、
その両親の死も無駄死にで終わってしまったことなの」
「どういうことだ?」
「研究所がホシノユリという人間を準備したのは…。
後天的にマシンチャイルド…IFS強化体質者を生み出せるかどうかの実験のため。
でもホシノユリへの実験はことごとく失敗した」
「…何故だ?」
IFS強化体質への改造──本来は本人の能力を上げる遺伝子操作と共に受精卵の時点で行うものだ。
厳密にはIFSの導入は生後になるものの、より効率の良いIFSを導入できる体質に変化させる。
逆に言えば遺伝子操作をされていない常人でも、体質さえあっていれば高性能IFSの導入は不可能ではない。
だがどんなに体質が合っていない場合でも導入がそもそも出来ないということはあり得ない。
IFSを導入してもうまく操れないというだけで、導入できるはずだ。
「彼女はIFSの実験の最中、半端にイメージを伝達する機能を獲得した。
結果、彼女は実験を拒絶する意識をナノマシンに伝達させ…。
自分が望まないナノマシンを受け付けない体質を獲得したのよ」
「ということは、彼女が望まない限りはIFSすら使えない?」
確かにユリちゃんの手にはIFSの紋章がなかった。
俺は通常と少し違うタイプの紋章があるが…。
「ええ」
「…ネルガルの対応が、逆効果に終わったのか」
何ともやりきれない話だ。
育ての両親を殺さずにユリちゃんを連れてきていれば、
実験体としてのホシノユリが生まれることになった。
そうならなかったのは、彼女にとっては不幸だったことだろう。
命を賭けてユリちゃんを守ろうとするような親を失う。
血縁があろうとなかろうと、辛いことだ…。
「そうね。
その後、彼女は処分される可能性があったけど、
研究所の雑用として…主にマシンチャイルド実験体の世話係として、
生き残ることが許されたのよ」
「何?」
「ユリは、ホシノアキトを世話してきた。
そして実験体として用済みになった後…。
処分されそうになったホシノアキトを死なせないためだけに、
保護するために婚姻を結んで、
研究所から逃れたのよ」
「なんだと!?」
ホシノアキトを逃れさせるためだけに婚姻を結んだだと?
だが、彼女が考えたことも少しは分かる。
ホシノアキトは、自分の有り得た未来のユリの姿だ。
もしナノマシン拒絶体質にならなかったら、同じ結末を辿っていた。
他人ごとに思えなかったのだろうが…そこまでするのか…。
「…めちゃくちゃでしょう?
でも、そうするしか方法がなかった。
同い年の人間を養子にするわけにはいかないし、成人もしていないんだから」
「とはいえ、未成年なら婚姻には保護者が必要だろう。
それはどうしたんだ?」
「あなたの保護者はホシノルリと同一。
ユリの方は…両親の死を隠蔽していたら、どうかしら?」
「まさか…生きている事になっているのか!?」
「そうよ。
ホシノユリの育ての親は、死後、冷凍保存されて死亡届も出ていないの」
俺は歯噛みした。
ネルガルはマシンチャイルドには仮にも里親を作っておく。
そうすれば実験体であったことを伏せておけば、多少のコストはかかっても処分には困らない。
ただ「子供が死んだ事」にすることができる。
非合法な死体処理を行う場合、人間一人を溶解させる薬品の準備は可能だが、薬品は証拠を残しやすい。
強力な薬品は下水に影響を与えて、即座にバレる。
火葬はもっと目立つ。焼却施設の準備は施設そのものが発見されやすくなる。
そうなると、逆に正面から堂々と「死んだ子供」に仕立て上げてしまった方が良いのだろう。
ホシノアキトも、ユリが身元を引き受けるのは死体処理の観点からも手間が少なくて良いということか。
利用価値が十分認められれば、ネルガルの所有物のまま社会に出す事も出来るわけだ…。
だが…。
「…馬鹿げてる。
こんな歪な方法をとるなんて…」
「…歪な方法しかとっていないから、こうなるのも当然よね。
これがホシノアキトとホシノユリの人生の顛末。
何か思い出せたかしら?」
「…いや、まだ実感がないな。
ホシノアキトにテンカワアキトの人格が上書きされたからなのか…。
だが俺自身もホシノアキトと混ざっているせいか、少し性格が変わったみたいなんだ」
聞いた内容をまだ思い出すということがない。
あくまで俺の記憶は「テンカワアキト」だ。
性格は変わった気がするが…。
「そうねぇ。
昔のアキト君とはなんか違うわよね、あなた。
例えば…ユリカさんの事はもういいの?」
「…まだ引きずってはいるよ。
けど、なんていうか…。
もう霧散した未来の事にこだわるのはやめようって…」
「…悲しいわね。
あれだけ求めたのに」
エリナは寂しそうな声で俺に問いかける。
だが…それでも俺は…。
「あれだけ求めて、あれだけ戦ったから…。
ヤマサキを撃ち、草壁をボソンジャンプで吹き飛ばした時に、
気持ちが落ち着いたんだ」
「でも、彼らもこの時代に来ているはず。
…あなたはどうするの?」
「…殺さずに済むなら、そうしたいとは思っている」
「意外ね」
「俺は…もうあの頃に戻りたくないんだ…」
かつて『黒の皇子』と揶揄された俺には戻りたくない。
あの頃の俺は、どんな綺麗事を並べようと北辰の同類だった。
自分の目的の為に手段を選ばず、敵をいたぶることでしか満たされぬ自分を誤魔化せない。
…だから帰れなかったんだ。ユリカとルリちゃんの元に…。
そんな頃には、もう戻りたいとは思わない。
誰かを憎しみで殺す──そうすればきっと昔に逆戻りしてしまう。
ユリちゃんはそれを見抜いて俺に殺させない約束をした。
…戻ってたまるか…。
「…あなたは本当はそういう人だものね。
いいんじゃない?
新しい人生を幸せに生きてみれば。
ラピスが目覚めたら引き取って、
ユリと三人で平和に暮らしてもいい。
芸能界続けてもいいし、町食堂を始めてもいい。
あなたはあなたの人生を選ぶ権利があるわ。
流されっぱなしの人生じゃなく、あなたの選びたい事を選んでいい。
──あなたはもう、テンカワアキトがしばられた呪縛の外にいるのよ」
「…俺はテンカワアキトじゃ、ないもんな。
でも──」
テンカワアキトではないという事実が、重い。
それが俺を自由にしてくれるとは知っている。
だが草壁が戻ってくる以上、戦わないわけにはいかないだろう。
「…この時代のアキト君もユリカさんも、ホシノルリも…。
助けたいのね?」
「ああ…」
彼らを身代わりにすれば、俺達は助かる。
もしかしたら戦争が終わったら、自由になれるかもしれない。
…だがそれだけはやっちゃいけない。
俺が受けた以上の悲劇が待っているかもしれないのに、
黙ってみていたら、俺は本当に俺ではなくなる。
「…そうなると、アカツキ君と戦うことになるわよ」
「何?」
「…アキト君、よく聞いて。
アカツキ君は…今、木連を滅ぼす気でいるわ」
「嘘だろ…」
意外な言葉が俺を揺さぶった。
アカツキが、木連を滅ぼすだと?
「…残念ながら、本当よ。
撃たれて死んだら、そう思っても仕方ないわ」
「だが!」
「気持ちが分からないとは、言わせないわよ」
声を荒げる俺を、エリナの冷ややかな視線が制した。
どんなに優しい人間でも被害者になった瞬間、誰でも笑ってはいられない。
すべてを奪われた人間は復讐と逆襲することしか頭に残らない。
俺が誰より知っていることだ…。
「…私も戦わないで何とかなるならそうしたい。
でもね、だからといってアカツキ君が木連を滅ぼす準備に、
手を貸さないと誓えるほどお人よしでもないのよ」
エリナの瞳は、怒りと憎悪に燃えていた。
もし草壁たちが逆行してさえいなければ、先読みして彼らの野望を砕くだけで良い。
だが、草壁がこちらに居るならそうもいかない。
何しろ草壁主導の統合軍の政治的な制圧は完璧だった。
ほぼすべての場所に彼らの手は入っていた。
そう考えると、「木連そのもの」を完全に消滅させない限り、
彼らは地球の勢力そのものに食い込んでくる可能性が高いともいえる。
アカツキの発想は馬鹿げているとは言い切れない。
だが木連そのものを消滅させるのは非戦闘員を虐殺することと同義だ。
放ってはおけない…だが…。
「…分かった。
俺も少し時間がほしい。
アカツキとは少し話す必要があるだろうが…今は無理だ。
俺もユリちゃんも自分の事でだいぶ戸惑ってる。
…だがナデシコが出航するまでは、動かないんだろう?」
俺も揺らいでいた。
木連をどうするか…それは考えられていない。
草壁たちが逆行していたらと考えなかった訳ではないが、
その可能性を捨てなければ行動指針すらまともに定まらなかった。
逆行しているとなれば、もう一度詳しくユリちゃんと話す必要がある。
「ええ、さすがにそこまでは急に動けないから。
それより、PMCマルスは…本当にやるつもりなの?」
「ああ。
最初はアカツキがこちらの世界に逆行してないかと思って、
ナデシコに乗るためのアピールとして始めたが、
アカツキの方針いかんでは乗らない選択も必要になる。
ナデシコに乗らない場合は俺達も自分の身を護れるように…。
俺のリハビリもまだ半分もできてないし、
テンカワアキトも鍛えておこうと思っている。
今はそういう場所がないと、どうしようもない。
…アカツキと組む気がない以上、自分で状況を整える気概は必要だ」
「確かに敵対するつもりがなければ、
アカツキ君もエステバリスを売るのを嫌がらないでしょうけど、
断られたらどうするのよ」
「あいつは断らないさ。
ビジネスに私情を持ち込むタイプじゃない」
「…ま、いいわ」
アカツキはこういうところで卑怯にはならない。
あいつはこういう時、
「テンカワ君の事だから、
僕に敵対はしないだろうから塩くらいは送っておいて恩は売ろうじゃん?」
とへらへらしながら友情に厚いんだか、
利益を優先したいんだかわからない事を言いだすからな。
「最後に…アキト君、あなたたちはA級ジャンパーじゃないわ」
「え…?」
「考えもしなかったみたいね。
ホシノアキトは火星育ちじゃないから…成長過程で得られる体内ナノマシンの改造が未発達なの。
この点については受精卵の段階で地球の施設に送られたホシノユリもそう。
当然、ラピスもね。
うっかりボソンジャンプしようとしたら、死ぬからね」
「そう…か…」
そうか…俺は本当にテンカワアキトの背負ったボソンジャンプの呪縛から逃れられるのか…。
嬉しいが…テンカワアキトを助けようと思ったら、無関係ではある。
結局厄介ごとに巻き込まれるのは変わらない。ジャンプが自由にできないだけ不利かもしれない。
…この点も考えなきゃいけないな。
「…エリナ、ありがとう。
いろいろと参考になった。
ラピスの事を、しばらく頼む」
「アキト君」
俺が立ち上がって帰ろうとした時、エリナは声を発した。
一瞬、エリナの緊張が抜けたように思えた。
「あなたは…今の生き方で満足できそう?」
エリナは俺に問いかけた。
既に戻らない未来の世界の出来事を乗り越えようとしている俺に。
もう何も後悔はないのか、と言いたそうに…。
「まだわからないけど…。
でも…。
俺は五感を取り戻して心から泣いて…。
ユリちゃんを好きになって…。
自分の夢をもう一度見てもいいんじゃないかって思えて…。
俺の…欠けた部分は治ってないけど…。
とても幸せだよ……」
「……そう」
そっけなく聞こえる彼女の声に、どこか安堵を感じる。
俺がテンカワアキトじゃなくなりつつあることに、失望しているようにも聞こえる。
それでも、エリナは俺を見続けた。
「多分だけど…ホシノルリなら、ユリカさんは許してくれるわよ…」
「…ああ、そう思うよ」
エリナは多分と言いながら確信を持っているようだった。
俺もそれきり、エリナのほうを見ないでドアを開けた。
「あなたはもう、戦うべき人じゃないのかもね…」
エリナが聞こえるか聞こえないかの小さな声で俺にかけた言葉。
俺はそれに返事をできなかった。
俺は誰もいない裏路地で一人、ただ物思いにふけった。
…アカツキを止め、草壁もヤマサキも殺さずに何とか出来るだろうか。
ボソンジャンプができるなら暗殺も考えなければならなかったかもしれない。
そんなことはしてはいけないと分かっているが…それですべてが片付くなら、と考えている自分が居る。
だが、それ以上に俺の心を揺さぶっていたのは…。
「俺は…クローンか…は……ははは……」
俺はクローン。
それもテンカワアキトであった、俺自身のクローン…。
この事実は俺をボソンジャンプの呪縛から解き放つが、
同時にこの世界の俺が本当に根無し草だと決定づける。
…吹けば倒れるような、頼りない俺の生命。
テンカワアキトとしてだって、自分の出生に誇りを持てた事など一度もないが…。
想像以上に空虚だ…。
悪い冗談だと思いたい。
俺を俺として立たせているのは、テンカワアキトの記憶。
霧散した未来の記憶だけだ…。
──俺は両親が死んで孤児になった時以来の感情に、震えるしかなかった。
私はあの衝撃から何とか立ち直って、ミスマル提督のお話を辛うじて聞いていました。
冷めきったコーヒーを淹れ直してもらって…詳しいことをなんとか聞いていました。
「…私は本来はユリカさんの『姉』なんですか?」
「そうだな…だが生まれた時期が少し後になっているから、
ユリカの妹…ということになるだろう」
ユリカさんの妹。
それも、実の妹。
その事実は、私にとってはこれ以上ないくらい嬉しい事でした。
ただ、はしゃげるような状態ではないんですけどね…。
「…妻は君が受精卵のまま消えてしまったことにひどく落ち込んだのだよ。
そのために無理を押して自分の体で出産することを選んだ。
不妊治療は困難を極めたがその甲斐あって成功したが…。
ユリカの出産の時の無理が祟って、妻は数年後、他界した。
私はユリカを妻と君の分まで愛してきたつもりだった…。
だが、ユリ。
君が生きていたのなら、ぜひ娘として戻ってきてほしい。
頼む…!」
ミスマル提督が、私にこれ以上なく深く頭を下げている。
けど…けど…。
私は……!
「ご…。
ごめんなさいッ!」
「ユリ!?
待ってくれ、ユリ!!」
「時間を、時間を下さい!」
私は、あふれ出る感情に耐えかねて連合軍基地を飛び出してしまいました。
嬉しい。
本当に嬉しい。
ミスマル提督の実の娘になれる。
あのユリカさんの実の妹になれる。
なんて誇らしい父親と姉が、得られるのだろう。
だけど、私にはそんな資格がない。
この世界では自分の生まれや育ちをいまだに知らず、
未来で仕方なかったとはいえユリカさんを殺し、ユリカさんの伴侶を奪った私。
そんな私が、あなたの子でいいはずがない。
あなたが許しても私が許せません…。
私は帰ってから、アキトさんにすべてを話すしか…ないんでしょうけど。
気が重いです…。
私は帰ってからずっと座り込んで物思いにふけっていました。
あの頃…アキトさんとユリカさんが亡くなったと思っていた頃…。
私はミスマル提督に保護されて、過ごしたことがあります。
…気落ちする私を、それ以上に傷ついているであろうミスマル提督が慰めてくれました。
そして何かと言うと『悩み事があるならミスマル父さんが聞いてあげよう』と、励ましてくれました。
あれから、立ち直るのにすごい時間を要しましたけど…それがどれだけ私を救ってくれたか分かりません…。
そんな…そんな人が本当に父親になってくれるなんて…。
ピースランドのかつての父と母には申し訳ないけど…こんなに幸せな事はありません…。
ずっと…涙が止まりません…。
「ただいま…」
「おかえりなさい…」
アキトさんが帰ってきてくれた。
話さなくてはいけない…。
でも…。
「…ユリちゃん、ユリカの妹なんだね」
私が言いかけたところで、アキトさんは先んじて私の事を話してくれました。
「どうして…」
「エリナが教えてくれたんだ」
私は状況があまりに不自然であることを訴えました。
私の─ホシノルリとしての経歴に近い条件で、ミスマル家の娘になっていた…。
ボソンジャンプの影響にしても、異常です。
ミスマル提督が私を娘として迎えてくれると言ってくれた事も、伝えました。
でも、アキトさんはそんなことを気にしている様子はありません。
「…ユリちゃんはミスマル家が嫌なのかい?」
「そんなわけありません!」
私は首を横に振りました。そんなことはあり得ません。
もし、最初から娘であったらどれだけ幸福だったかわかりません。
ユリカさんと、幸せな姉妹としての生活が送れたら…。
今から娘になることだって、とても嬉しい…だけど。
「…ユリちゃん。
もうその事は気にしない約束だよ?」
「…ッ」
アキトさんは、ただ静かに私を…私のしたことではなく、
私が自分を卑下したことを注意しました。
そう…この話題を蒸し返すのは、アキトさんの罪を蒸し返すことになります。
未来の罪を忘れない。でもそれに引きずられて幸せを諦めない。
私達はそうするしかないと、知っていたはずなのに…。
「…ごめんなさい」
「うん、大丈夫。
ユリちゃんは…ミスマル提督…義父さんは、好きかい?」
「…はい!」
「ユリカをお姉さんと呼びたいかい?」
「はい!」
「だったら、応えようよ。
喜んでもらえるよ…きっと」
「はい…」
私はまた泣いてしまいました…こんなに自分が泣き虫なんて知りませんでした。
でも、こんな涙ならいくらでも流していいと思います。
泣いてても、こんなに心があったかいんですから…。
「ユリちゃん…」
アキトさんは私をぎゅっと抱きしめてくれました。
だけど…アキトさんは少し表情が暗いです。
どことなく腕の力も、抜けて居るように思います…。
どうしたんでしょう。
「アキト…さん?なにかあったんですか…」
見上げたアキトさんの瞳は、悲しみに染まっているように思えました。
私を励ましてくれたのとは裏腹に…寂しそうです。
「たい…したことじゃないよ…。
俺はテンカワアキトのクローンだったってだけで…」
「!?」
アキトさんは小さく震えて…心ここにあらずという表情で、今にも泣きそうでした。
アキトさんのこんな顔は初めて見たかもしれません。
そのままアキトさんはエリナさんから聞いた事を話してくれました。
この世界ではホシノアキトはテンカワアキトのクローンで、ラピスはユリカさんのクローンであるという事。
私がマシンチャイルドを後天的に作る実験のために生まれた事…。
私の育ての親が、ミスマル夫妻の受精卵を、代理出産した事…。
育ての親は私を命を賭けて守ろうとした事…。
その影響でナノマシン拒絶体質になっていた事…。
IFSの実験ができなくなった私が、マシンチャイルドの世話係として生きてきた事…。
そしてホシノアキトを護る為に、婚姻を結ぶ事で保護した事…。
アカツキさんが木連を滅ぼす計画を立て始めている事…。
私たちがA級ジャンパーではない事…。
…どれも、歪なことばかり。
そしてどれも私を驚かせるのには十分すぎる内容ばかりです。
これから対応が必要なことも多々あります。
アカツキさんを止めないといけないと思う一方、本当に止めてもいいのか迷ってしまう自分が居ます。
木連の側にも護りたい人はいますが…身近な人を失うことに耐えられるか…。
…まだ結論はでません。
でも、それでも何とかあがいてみるしかないでしょう。
アカツキさんの思惑に乗るのは最後の手段です。
私にとって少しだけ救いだったのはホシノユリの生い立ちです。
ホシノルリの人生よりはよっぽどマシな育ち方をできていた…。
思い出せないけれど、ほんの少しだけ心が軽くなった気がします。
けど…ホシノユリは、何か無理をしてホシノアキトを引き取ったような気がしています。
これも思い出す必要があることですが…。
でも…それ以上にアキトさんのほうが深刻です。
私とは逆に空っぽの過去を背負っているのですから…。
「…俺にはもう親もない、ただのテンカワアキトの複製品なんだよ…。
過去も、ほとんど空白の…。
火星の後継者とはほぼ無関係に作られた、クローン…。
俺はどこに消えたって誰も悲しまない…人形同然なんだ…」
アキトさんが…変えようのないこの世界の自分の過去に、打ちひしがれている…。
私がかつてピースランドで知った過去に、打ちひしがれたように…。
いえ…それ以上かもしれません。
私が実の両親を好めなかったのは、ピースランドという国のせい。
彼らの生き方には…なんというか現実的な生き方を感じ得なかったからです。
気に入らなければ拒絶することが出来ます。
育ての親も同様です。
けど、ホシノアキトには実の両親も育ての親すら居ない…選択の余地もありません。
研究所で私が受けたものより数段劣る教育を受けていたんでしょう。
恐らく、ホシノ家の人間も名義上の親でしかないと思います。
世話をしてくれる人はいても親は居ない。
この世界で新しい人生に充実を覚えていたアキトさんが、
自分の存在に悩むなんて思いもしませんでした…。
私はミスマル提督の娘になれるという恵まれた環境に置かれたまま、
無神経にアキトさんを傷つけていたんですね…。
ごめんなさい。
でも、私の決意はもう揺らがない。
…アキトさんが好きで、アキトさんと一緒に居たいんです。
「アキトさん…。
私は、アキトさんが好きです。
この時代のテンカワアキトじゃ嫌です。
ちょっとぼうっとしているけど、
私を好きと言ってくれた、
一生懸命なあなたじゃないと嫌なんです。
今のあなたがクローンと知ったからといって心変わりしませんよ。
どこにも、消えないで下さい。
一緒に生きてくれるんでしょう?
守ってくれるんでしょう?
あなたは、私のアキトさんです。
誰が何と言おうと離しません。
あなたは私のすべてなんですよ…」
私はあの時アキトさんに繋ぎ止めてもらいました。
傷ついた私を憐れむでもなく…ただ温かく見つめてくれた事を覚えています。
人間として…帰る場所があると、思い直すことが出来ました。
もしできなければピースランドで、
それこそ人形のように退屈に一生を終えることを選んだかもしれません。
思えばあの時がアキトさんを本当に好きになった時なのかもしれません。
今度は、私がアキトさんを繋ぎ止めたい。
私はそれができる。私しかできない。どうしてもそうしたい。
クローンでも、試験管ベイビーでも、遺伝子操作を行われても…人間です。
それを教えてくれたのは、アキトさんなんですよ?
「うぐっ…うぅぅ…っ」
アキトさんは私を力なく抱きしめて、嗚咽を零しています。
私もアキトさんを抱きしめました。
「アキトさん、あなたの心は私が護ります。
一緒に戦いましょう」
「そう…だね…」
アキトさんは安心したのか、微笑んでくれました。
こんな風にちゃんと励ますことができるのは、嬉しいですね。
昔の私は良くも悪くも、ただの子供でしたから何もできなかった…。
──けど私のそんな考えはすぐに吹き飛んでしまいました。
アキトさんは震えていました。
額に脂汗を浮かべて、顔色が青くなって…。
病気?
いえ、何かにおびえているような表情です。
さっきまでの不安と悲しみとは違う…どうしたんでしょう…。
「あ、アキトさん!?」
「アキトさん!アキトさん!落ち着いて…!」
アキトさんは私に抱きしめられたまま、大声を上げて悶えて…。
涙を流しながら、力なく震えています。
私がうろたえているうちに、だんだんとアキトさんは落ち着いてきたようで…。
良かった…。
「う…う…だ、大丈夫だよ…。
ユリさん…」
「え…」
アキトさんの様子がおかしい。
いえ…この様子は…。
「…この間の事まだ怒ってるよね。
ごめんなさい…」
「ちょ、ちょっと…どうしたんです?」
「ユリさん…?
どうしたの?」
これは…アキトさんが、ホシノアキトの人格と入れ替わった…?
キョトンとした表情に、頼りない口調…。そうとしか考えられない。
でも、どうして…。
「どうして…消えちゃうんですか…。
またですか…もう…」
「あ、あの…ユリさん、泣かないでよ…。
もうしないから…」
私の言っていることを理解できず、ただうろたえるアキトさん…いえ「ホシノアキト」。
アキトさんから聞いたホシノアキトの過去。
それから推測できる、ホシノアキトの人格。
生まれてからの大半の時間を研究所から出ることなく過ごした、子供のような未熟な人格が発露している…。
まだアキトさんが消えたとは限らないけど…でも…。
アキトさんにはもう会えないかもしれないって考えたら、私は…。
「大丈夫…ちょっと、悲しいことを思い出しただけですから…」
「ならよかったけど…」
私はかろうじて気力を奮い起こして、アキトさんに向き合いました。
ホシノアキト…「アキトさん」ではなく「アキト」に調子を合わせて、
話をすることにしました。
心細いのはありますが、落ち込んでいても事態が好転するわけではありません。
私が記憶障害であるフリをしてでも、情報を得る必要があります。
「…本当になにも覚えていないんだね、ユリさん」
アキトにいろんな事を問いかけてみると、落胆したように呟きました。
…落ち込みたいのは私も同じですけど。
「…ごめんなさい。
でも、あなたの事を好きな事には変わりないと思いますよ」
「す、好きだなんてそんな…」
アキトは、顔を赤くしてうつむいています。
…このアキトが世間知らずであるのは想定の範囲内ですが、
ホシノユリは気負わせないために婚姻について話していないみたいですね。
歪な方法すぎて、いつボロが出るか知れたものじゃないですけど…。
「アキト、私が忘れたことを色々聞かせてくれますか?」
「う、うん…」
アキトは年相応ではない、幼い言葉で自分と私の事を話してくれました。
もっとも、アキトさんが語った内容の繰り返しに過ぎないところも多いのですが…。
新しい事実はあまりありませんでしたが、詳しく知れたのは良かったです。
段々とホシノユリとして知るべきことが分かってきた気がします。
そしてわかったことがあります。
このアキトの性格がアキトさんにうまくブレンドされたせいで、
少しぼうっとした性格で、昔より素直で正直な性格になっていたんですね。
それだけではまだ説明がつかないところもありますが…納得が行きます。
「でも…今まで僕も記憶障害で何か月か過ごしたの?」
「そうです。
…ちょっとその間にずいぶん有名人になってしまったので、
外では気を付けてもらえますか?」
「ええ?」
アキトは、アキトさんが芸能人として働いていた頃のビデオや雑誌を見せると、
驚いた様子でじっと見ていました。
「僕ってこんなにできる子だったんだ…」
「研究所住まいで知らないことが多いかもしれないですけど、
訓練次第で人間はいろんなことができるんですよ」
「…悔しいな。
今はできる気がしないや…。
ユリさんにきっともっと楽をさせてあげられたのに…」
アキトは自分がユリの人生を食いつぶしていることを気に病んでいたみたいですね。
子供に近い状態だったとして…いえ子供だからこそそういうところは敏感になるんでしょう。
それでも、アキトを死なせたくないと思った彼女…。
どんな人なんでしょう、ホシノユリは。
…とはいえ、アキトさんと仕事の事で動く予定になっていたのを、
すべてキャンセルする必要があります。
「ちょっと電話しますね」
「はーい」
アキトは再び自分のビデオをじっと見て、待っていてくれるようです。
…この件について、PMCマルスの準備を手伝ってくれている眼上さんには、先んじて話しておかないと。
エリナさんには…少し待ってもらった方がいいかもしれません。
眼上さんは事情を話すと、滞在しているホテルから飛んできてくれました。
「おばさん、だれ?」
「…ホントにまるで別人じゃないの」
眼上さんは呆れたように、しかし少し興味深そうにアキトを観察しました。
この世界でのアキトさんはぼうっとしているように見えて、
少なくともナデシコ時代と差はあまり感じないくらいの様子でした。
けど、放つ空気や言葉遣いが別人そのものなので、眼上さんも驚いているようです。
アキトはアキトさんと比べれば年相応と言い難いですからね…。
「はじめまして、ホシノアキトです」
「どうも、眼上よ。
…本当に私を覚えていないの?」
「ごめんなさい…」
頭を深々と下げるアキトに、
眼上さんは少し頭を押さえてため息を吐きました。
「…どうするの、ユリさん。
これじゃとてもじゃないけど、PMCマルスの準備なんてできないわよ」
「しばらく様子を見ていいですか?
さすがにこのままで動くわけにはいきませんし、
予定のキャンセルを…」
「…ごめんなさい。
僕がこんなだから…」
アキトは自分のビデオを見て、
何もできない今の自分にひどく落ち込んでいる様子です。
…無力な自分に嫌気がさす気持ちはわかります。
「アキト、気にしないで下さい。
どうしてもダメな時でも、何とかできますから」
「ユリさん…」
「私も食べていけるくらいの仕事ができますし、
あなた一人くらいは何とかできます。
落ち着いて」
「ごめんなさい…」
アキトは涙を零して、ただ謝っています。
…とはいえ、どうするべきか悩みますね…。
もし「アキトさん」に戻れないとしたら、
PMCマルスの件はひとまずおしまいにしておかなければ行けないですし。
でも、そんなことは認めたくないです…それが傲慢な願いだとは知っていても…。
私達はここに居ないはずの人間です。
この世界のホシノアキトとホシノユリに戻ってしまうのが、正しいんです。
人格が、存在が消えるというのはどうなるか分かりませんし、怖いものです…。
だけどホシノアキトの人格が消えていなかったように、
アキトさんの人格が消え去っているとは考えづらい。
今、信じられる希望はそれだけです。
アキトさんが戻ってくるのを信じるしかありません。
「それじゃ、私が予定のキャンセルはしておくから、
ユリさんはアキト君と一緒に居てあげなさい。
またいろいろ思い出せるかもしれないし」
「はい…」
私も不安でいっぱいです。
このアキトはやっぱりアキトさんとは別人です。
アキトを辛うじて安心させることをするくらいしかできませんし…。
一緒に居たいと心の底から思えません。
けど…何とかしなきゃ…。
…アキトさん、きっとまた会えますよね…?
どうもこんばんわ、武説草です。
今回、タイトルの一つ目の『D』が明らかになりました。
Duplication(複製)。
様々なDが今後も明らかになってまいりますが、改めまして乞うご期待!
そしてテンカワアキトの意識は追いやられ、今はホシノアキト。
果たしてテンカワアキトの人格は戻って来れるのか!?
そんなわけで次回へ~~~ッ!
>無茶な設定ぶっ込んでくるなあw
今回の話のキーの一つではあるので、追々明らかにしていきたいところです。
ただ、説明でちょっと齟齬のある書き方をしてたみたいですね…すみません。
この話でフォローできてればいいなぁ…。(説明多くなっちゃったけど)
複製された英雄、アキト。新生したユリカの妹、ユリ。
ナデシコ世界に降り立った二人は、過去の自分と無関係ではなかった。
かつての自分。かつての姉。彼らと向かい合う時、アキトとユリはどんな表情を見せる?
二人が行く先はどこか!?
ホシノアキトの中から消えゆくテンカワアキトは果たして、ユリの元に再び姿を見せるのか!?
それでも自分の居場所も存在価値もなくせない!自分を、自分たちの未来を守るために!
メタルギアソリッドシリーズがやたら好きな作者が送る、
まだだ!ナデシコはまだ終わってなぁ~~~いッ!(CV:銀河万丈)なナデシコ二次創作、
をみんなで見よう!
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代理人の感想
うわー・・・この展開はさすがに想定してなかった。
どう転がすつもりだここからw
>受精卵
なるほど、そう言うことか。
あいしーあいしーハイシーオレンジ(古)
>「D]
“D”は『デザイナーズチルドレン』のD… “D”は『Dolem』のD…そして…『できそこない』のD…(ぉ
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