私はユーチャリスの艦長席に座りながら状況を見つめていた。
圧倒的な破壊力を持つグラビティブラストと、
多少の集中砲火ではびくともしないディストーションフィールド。
この二つを備えたユーチャリスという船は、まさに鉄壁だった。
オモイカネ級コンピューターがオミットされ、
一人のオペレーターを介して動くという特性がなくなり、
一般的な連合軍の艦と同じ操作系統になって、性能は低下したそうだが…。
これの船は、サイズこそ巡洋艦ではあるものの、
標準クラスの戦艦のビーム主砲どころか、
特別に建造された特級艦すらも凌駕する必殺兵器を備えている。
現在はPMCマルスから貸し出されて連合軍の傘下にあるこの船…。
まさか佐世保のチューリップと相打ちになったパンジーから、
手の空いた私たちが、佐世保で戦線を共にした英雄の船を預かれるなど、
冗談としか思いようがなかった。
一時的とはいえ、私がこの船の艦長になれるとはな。
──月の攻略に入ってすでに一ヶ月以上が経過している。
経過は順調そのものだった。
まだ敵勢力は、三割程度しか蹴散らせてはいないが…。
チューリップの三割が消え去ったというのはかなり大きな戦果だった。
矢面に立つこのユーチャリスが広域放射で敵のフィールドを削り、
続く集中砲火で艦隊の連打が決まる…。
本来的にはグラビティブラストの収束率を高めた一撃がいいのだが、
敵の数があまりに多いのでそれではユーチャリスと言えど危険が生じる。
グラビティブラスト搭載艦がたくさんあればいいんだが…。
「艦長、グラビティブラストチャージ完了です!」
強烈なエネルギーの奔流が、バッタクラスの敵を蹴散らし、
敵駆逐艦クラスのフィールドをはぎ取った。
このレベルまで減衰したディストーションフィールドは、ないに等しい。
これくらいになれば、遅延信管のネルガル製ミサイルよりも、
ビームのほうが有効打になり得る。
…まさかグラビティブラストひとつでここまで状況が好転するとは思わなんだ。
「戦闘終了。
敵戦力、残敵2割。
敵も不利と見えて、逃げていきます」
『艦長、チューリップは撃破した。
やつらも母艦なしには長くはもつまい。
深追いはしないでいいだろう』
「は。
では各装備のチェックを行い、補給のために一時撤退致します」
『うむ、頼んだ』
司令官との通信が終わり、私達は一息ついた。
…月攻略にかかわる、第三宇宙艦隊を預かる司令官はバール少将だ。
彼には黒いうわさが絶えない。
元々アフリカ方面軍の中でもかなりあくどいことをしてきたということだったが、
極めつけは親戚の極東方面軍の少佐を暗殺したという一件だ。
PMCマルスの襲撃事件を企てた少佐をそそのかしたのはバール少将である、
と連合軍は疑いをもって、一時的にこの激戦区に更迭された。
これについては状況証拠すらも少なく、
無実が証明されたミスマル中将の代わりに、
一時的に少佐と関係のあるバール少将に擦り付けた、といういわくつきの事件だ。
…この事件のこともあって、バール少将はおとなしく艦隊の司令官を務めている。
過去のような危険な作戦や、目立った賄賂や不正などはしなくなった。
だが、第三宇宙艦隊に私たちとユーチャリスが赴任して、戦況はすでに一変しつつある。
下手をすればこの危険な男がこの戦果によって昇進してしまう可能性すらある。
…個人的には阻止したいと思うが、そんな資格がない。
私はいっぱしの将校にすぎないのだから…。
そして技術的な拠点であり、まだ人が取り残されている月を、
個人的な理由で放棄するわけにはいかない。
この月が取り戻せれば、ナデシコ級戦艦、グラビティブラスト搭載艦の建造が容易になる。
現在の戦艦に取り付けることのできる相転移エンジンすらも準備できる。
月の攻略はそれほどの価値があることなんだ。
「…艦長、入れ替わりで入るムネタケ提督におとなしく艦長の座を渡すんですか?
これほどの艦を…」
一人のオペレーターが私に問いかけた。
もしかしなくても、私が艦長の座を追われるのを案じてくれているんだろう。
ムネタケ提督は不正こそしないが、能力や命令に疑問符が付くことの多い人物だ。
そんなムネタケ提督にとってかわられることに不満を持っているんだろう。
…やれやれ、若いな。
「私の役割は中継ぎにすぎんよ。
それにこの戦果はユーチャリスという優れた船あってのことだ。
私の実力じゃない」
「ムネタケ提督がこの船の真価を発揮できないような男なら、
PMCマルスだって外すことだろう。
クルーの命を軽視するような会社じゃないことはよくわかってるだろう?
私は副長として彼をサポートする役割を請け負った。
何かあれば私がまた艦をあずかることになる。
それでいいだろう?
それに…」
「…それに?」
「グラビティブラスト搭載艦が普通になってしまう時代は、もうすぐ来る。
それまで私は艦長ではいられない。
もう何年も戦えないだろう。フクベのように引退するのがよい。
私は十分戦った。
そしてこの身にあまる、素晴らしい船を預かれた。
君のような優しい若者と戦うことができた。
それだけで、私はとても幸せ者だと思うよ」
「…」
「あとはこれから戦える艦長にすべてを授けるつもりだ。
…だから君も、私でないと嫌だなんて思わずに、
地球のためにこれからも戦っておくれ」
オペレーターは立ち上がり敬礼をすると、再び席に座った。
今度は怒りや迷いのない表情で…。
ふう、若者とのやりとりもやはりこの年では疲れるものだな。
…ムネタケ提督に後を頼んで悠々自適の老後と行きたいところだな…。
「エステバリス隊、出撃。
各個撃破しつつ、敵をうまく誘導してグラビティブラストの範囲内におびき寄せて下さい」
「ラピス、敵の数の増大は認められますか?」
「大丈夫。
だけどユリ、小型のチューリップが遠方より接近中。
こっち撃破はどうする?」
「そちらが接近しきる前に現状の敵を蹴散らします。
どのみちグラビティブラストの範囲外です」
「おっけ。
グラビティブラスト、チャージ開始。
広域放射でスタンバイ」
私たちはPMCマルスの初期パイロット12名、そしてユーチャリスの新スタッフと共に、
PMCマルスの敷地内に作られた特別訓練施設で訓練を行っています。
ナデシコクルーでも二か月の慣熟航行を必要とするので、みっちりとこの地で先んじて訓練をしています。
ユーチャリスが返ってくる来年一月にむけて、すでに一ヶ月半程度の訓練が進んでいます。
なかなか練度が高く、残り一ヶ月半の訓練を行えばナデシコクルーに準ずる能力を得ることでしょう。
一流とはいきませんが、なかなか頼りになります。
「…なかなか見事なもんだな」
「あら、ヤガミ。
あんたも分かる?」
「そりゃそうですよ、提督。
素人目にも、ナデシコ並とは言いませんがかなりきびきびしてます」
「ナデシコのクルーもマイペースな人達だけど、
動きが軍人のそれ以上なのよね…。
おちゃらけた態度に惑わされるとあっさり負けるわ、あれは」
「まあ、こっちは女の子ばっかりですごい騒がしいのはありますが」
ムネタケ提督が想像以上に加療が進んだようで、訓練でも中々いい指示をしてくれます。
私に戦術上のアドバイスまでしてくれるようになり、その本来の実力の片鱗が目に見えてきました。
例のシミュレーションゲームでも私やアオイさんでも負け越すほどです。
ユリカさんにはまだ勝てていないですが、地の実力に加え、経験と蓄積が生きて居るようです。
それ以上に驚いたのが、意外と女性スタッフに受けがいいということです。
元々ナデシコでも戦闘指揮や責任が伴わない時はそれなりにコミュニケーションできる人ではありましたが、
そんなものじゃなく、業務上の問題点を相談されて、私と話し合ってその解決に当たったり、
生活班との連携、こまめな休憩の指示、トラブルの解消など、売店と戦闘以外の業務がないことで、
かなりの時間を対人関係に充てています。
こういうポジションの人は眼上マネージャーが居なくなってから不足して久しいのですが…。
フクベ提督ともども、頼れる上司、業務のまとめ役、中間管理職になりつつあります。
…ぶっちゃけ、連合軍からPMCマルスに引き抜きたいってちょっとマジに思っちゃってます。
・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。
「敵全滅。
戦闘終了だね、ユリ」
「索敵、ディストーションフィールドを強くして移動開始。
…皆さん、戦闘終了です。
各自、戦闘配置を解除して──」
そして戦闘訓練が一段落して、私たちはお昼に入るつもりでした。
しかし…。
直後に鳴り響いた警報が、私たちの動きを止めました。
この警報は侵入者あり、と警告しています。
とはいえ、ありえないことです。
訓練中に侵入者が入るという余地はありません。
しかし登録されていない人間が立ち入っているという事実があります。
確認をしなければ判断しようがありません。
「ダッシュ、だれが入ってきたの!?」
『ラピス、見たことのない三人組だ!!
けど妙だよ!?』
「妙って何が!?」
『一人だけ重力波反応がある!!
まるで相転移エンジンでも積んでいるみたいだよ!!』
そ、相転移エンジンを携行しているんですか!?
まさか、この場で自爆覚悟の攻撃を仕掛けるつもりですか!?
バッタにも小型の相転移エンジンが入ってますし、人間サイズの相転移エンジンは理論上作れなくはありませんが…。
ただ出力の調整が難しくて、実用的じゃありません。
…どうなってるんですか!?
「せ、戦闘配置のままでお願いします!
廊下に出ないように!」
…私は心臓が嫌な高鳴り方をしているのを自覚しました。
これは私がホシノルリだった頃…この世界に来るきっかけになった出来事に近いです。
北斗という人が、ナデシコCをたった一人で制圧した、あの時の事を思い出しています。
足が震えてます…。
アキトさんと互角以上に戦えるナオさんが居ても、不安がぬぐい切れません。
どうして…!?こんな時に、どうして!?
アキトさん…!早く戻ってきて…!!
俺とD、そしてエルは通路を走っていた。
さすがに俺たちに感づいているらしく、通路には人影がない。
ここは巡洋艦の中ではなく、巡洋艦を模した施設なのでセキュリティはそれほど厳しくない。
機密が厳しいエリアもあるにはあるだろうが、隔壁などの侵入を防止するような施設装備はない。
エステバリスのある格納庫エリアはともかく、
普通に機材搬入・食材搬入などをするこの施設内は、無防備と言って差し支えなかった。
ブリッジの位置が近づくが、警報は鳴るものの一向に戦闘員が出てこない。
先行調査通り、パイロット兼保安部の三名はパイロット配置なので出てこない。
…そうなると、戦闘員は社長と会長秘書の二人を守るヤガミナオだけだ。
ブリッジで俺たちを待ってくれてるわけだ!!
「カエン、焦るな。
身体の機械の比率が低いお前たちは体力の消耗が命取りだ」
「ンなこた分かってるぜ。
…確かなんだな、ここにヤガミナオがいるってのは?」
「ええ、この間の報道通りよ。
…まさかとは思ったけど敵に回ってるとは思わなかったわ」
「だったら話が早い。
あいつも弄られてるだけあって、なかなかだったが、
今度が年貢の納め時だ!!」
俺のはやる気持ちを抑えようとしてDは注意をしてくれたが、そんなもんじゃ俺の怒りの炎は消えねぇ。
…たった一人だけ五体満足で研究所を抜け出したあいつは絶対に許せねぇんだよ!!
そして俺たちはブリッジに到着した。
だが、その場で待ち受けていた連中は、全員銃を構えていた。
っとぉ!
俺たちはDの後ろに体を隠した。
Dは顔を両手で隠すと、仁王立ちして俺たちの盾になってくれた。
Dの十分な改造を施された身体なら、銃弾ごときよけるまでもないからな。
「…ゴム弾か、舐められたものだ」
「はン!
人間相手じゃ殺す気じゃこれねぇってかァ!?
ずいぶんお優しいじゃねぇか!!
なぁ、PMCマルスのお嬢さん方よぉ!!」
「ちッ!!これだけ浴びせてもびくともしないのかよ!?
ユリさん、ラピスちゃん、提督!!
下がっててくれ!!
こいつら武器は持っちゃいないがただもんじゃない!!」
思った通りだ、ナオが前に出やがった!
絶好のチャンスだ!!
「…カエン、分かってるな。
時間をかけられないぞ」
そのなめ腐った、自信たっぷりな顔をしてられるのも今の内だぜ、ナオ!
鼻っ柱を叩き折ってやらぁッ!!
ナオさんと、カエンと言われた侵入者の人との戦いが始まって何分経ったでしょうか…。
私とラピスはこの二人の死闘を前に、動くことが出来ませんでした。
アキトさんに連絡をしないといけないのに、声が出ません。手も動きません。
うかつに動いたら何をされるかわからないというのもありますが、
この緊張状態、そして窮地に陥ったこのブリッジ…気絶しないで耐えているのが精一杯です。
最悪の事態が、どんどん近づいているのが分かります。
ナオさんとカエンの、二人の間には打ち付ける拳と脚が交錯し、鈍い音が連続しています。
しかしどちらかというと明らかにナオさんの方が消耗しています。
カエンは、疲労こそしていますがダメージがあまり通っていないようです。
ムネタケ提督はかろうじて銃を手に射撃姿勢を崩していませんが、
暴徒鎮圧用のゴム弾が全く効いてくれないとあって、効果が薄いと分かっているだけに歯噛みをしています。
Dとエルは、どこかリラックスすらしています。
ナオさんとカエンさんの戦いを、ちょっとした試合でも見るかのような印象です。
殺し合いを想定していないような二人の表情。
それでも私の額には脂汗が浮かんでいます。
あの北斗も私たちを殺す気はなかったですが、同行者が殺意がないとは限らないのですから…。
!
ナオさんが打ち負けた!?
「な…ナオさんっ!!」
「ぐ…大丈夫だ、まだやられてない!
ちぃ、なんて奴だよ!?
技量はてんで低いくせに、なんつう身体能力だ!!」
私がかろうじて声を上げると、ナオさんは不利を承知で再び構えました。
…不利なのは身体能力の差だけではありません。
私達を守るために、ナオさんは動きがかなり制限されてます。
退けない位置関係に来た時に、あえて攻撃を受けて立ち位置を切り替えてはいますが、
そのせいでダメージの蓄積が早まっています。
でもナオさんはアキトさんが戻るまでの時間を稼ごうとしているようですね…。
アキトさんと、一緒に表彰式に出ているアカツキさんがそろえば、
かろうじて戦えないことはないかもしれませんが…。
アキトさんと互角のナオさんですらも、この苦戦では…!
「は…弱音を吐く余裕があるのか。
だったらもう一段階上げてやる!
D!!」
「…ああ」
Dが返事をすると、カエンの手に炎が灯りました。
これは…!?
カエンが腕を一振りすると、ナオさんの眼前に炎がかすめます。
ナオさんは私達をかばうように一歩も退かず、ガードをしながら目を細めています。
…カエンの背中をよく見ると、バックパックのような装置を背負っています。
そしてその装置は直に首と左肩の間に、直に肌に刺さっています。
恐らく、あれがエネルギーを供給するための装置…。
そしてあの大柄なDが、相転移エンジンを持っている…。
「改造人間とはまた古風だな!」
…ある意味、私達と同じ境遇を持った人たちのようですね。
戦争のために作られた、改造人間という点には違いがありません。
直接的な戦いに向けて造られたという点は違いますが…。
「そこのお嬢さんを黒焦げになっても守って見せるかぁ?」
ナオさんは再び、カエンの炎をかいくぐりながら突撃していきました。
アキトさん、早く……!!
…ゴングの音が鳴り響いて、俺とジュンはコーナーポストに戻った。
俺は辛うじて打ち負けないで居られてはいるが…ジュンの堅実な戦術に、なかなか手が出せない。
ホシノに戦い方の基礎くらいは教わってるが、連合軍の訓練課程をクリアしているジュンは強い。
かろうじて体格、体力で勝っている俺はやや有利だが、戦術や技量の側面で負けてる。
と、なると…あの技を使うしかないんだろう。
だが、使わせてもらえるだろうか…。
「あ、アキトー!がんばってー!」
「テンカワさーん、大けがしないで下さいねー」
実況席の隣で、ユリカとルリちゃんが俺を応援してくれてる。
…しかしユリカはこの試合の中心人物だろうに、なんで遠目に応援してるんだ。
俺はセコンドのあずき色のジャージ姿のミナトさんに水を貰って、口の中をすすいだ。
…なんでボクシングなんだ、今日の試合は。
「テンカワ君、アオイ君は足に来てるわ。
ガードを固めて堅実に隙を見つけるのよ」
「は、はいっす…」
妙に的確なアドバイスをしてくれて、次の戦術について考えた。
あの一撃さえ繰り出せれば、勝てる。
…でもなんで俺がこんな風に戦わなきゃいけないのかが全く分からん。
どうしてこうなったんだよ…。
「アオイさん、打ち負けてますよ!
もっと頑張って下さいよ!!」
「う、うん…」
メグミちゃんがアオイを励ましてる。
…でも余裕はなさそうだ。
しかし俺も余裕はあまりない。
リードしているとはいってもほんの少しだけだ。
油断しているとカウンターでやられる…。
俺の叫びもむなしく…ブーイングは何故か起こらず、全員が頷いている。
…どこから漏れてるんだ、あの時の事。
ユリカは言いふらしたり愚痴ったりはしなさそうだし…うーん。
「…え、なんでジュン君が私とアキトの事に文句言ってるの?」
「…ユリカさん、それ本気で言ってます?」
……ルリちゃん、ユリカは昔っからそういうやつなんだよ。
事の起こりは──日本に戻る前のブリッジでの出来事だ…。
ユリカは俺に会いに行くのにジュンを代行にしようとした。
そこでジュンはついにキレたらしい。
俺もジュンがユリカを好きだというのはなんとなくわかっていたが…。
あまりに無関心すぎて、俺と会うために仕事を押し付けるユリカにキレたらしい。
が、ジュンは相変わらず人が良すぎて、嫉妬心がうまく表現できず…。
ユリカは俺のところに行くのは我慢したが、首を傾げている始末だったらしい。
…で、ついに俺の方に直接挑んできたらしい。
そしてウリバタケさんを筆頭とする整備班が、ノリノリでどこからともなくリングの資材を持ってきて、
『こんなこともあろうかと!』の大合唱とともに、ものの30分ほどで立派なリングが出来ちゃったわけで…。
俺とジュンは、ユリカを巡って最終戦を行ってるわけだ。
…ちなみにジュンが勝とうと負けようと別にユリカはジュンになびかないだろうとメグミちゃんに注意されても、
それでも意固地になって俺に挑んできた。
八つ当たりにしてももう少し方法があったろ!?
どうしてそうなるんだよ!?
…ミナトさんのお気楽気味な応援に励まされて、俺はしっかりガードを固めて前に出た。
しかし…。
「ッ!?」
「打ってこいよ…テンカワッ!!」
ジュンはだらりと腕を前に垂らして、ノーガードの構えを取った。
「ジュンがノーガードだ!?」
「試合を投げたのか!?」
「いや、これは背水の陣だ!
カウンターにすべてをかけたぞ!!」
整備員のみんなが言う通り、ジュンはカウンターで俺を追い詰めるつもりだ。
俺はガードを固めて隙を見るつもりだったが、ノーガードで来られると俺も手が出しづらい。
どうやってもカウンターで返してくるつもりだろう。
「どうした…打てないのか?」
「やりづらいっての…」
形はどうあれ、無防備な相手を殴るのはちょっと気が引けるな。
もっとも打ち返す前提の無防備だが…。
だったら…!
「…なんの真似だ、テンカワ」
「…」
俺はジュンのみぞおちから少しだけ浮かせた位置に、ゆっくり拳を置いた。
ジュンはあまりにスローモーな俺の動きに反撃して来なかった。
カウンターは、相手の呼吸に合わせて、無防備な状態を打つ必要がある。
そうでないとダメージがほとんど通らない。
アドレナリンで興奮状態になっているファイターをダウンさせられないんだ…そうだ。
これはカウンター技が十八番のホシノの受け売りだ。
そしてこれは──!
「驚くなよ、ジュン」
「なにが──っ」
俺はジュンのみぞおちを押し込むと、ジュンは派手に吹っ飛ばされた。
ジュンは何が起きているかも分からずロープにぶっとんでダウンした。
「ワンインチ!?」
「ワンインチパンチだと!?
ブルース・リーじゃあるまいし!!」
みんながざわつく中、俺は安堵のため息を吐いた。
ジュンは至近距離でのんきに話していたせいもあって、
呼吸のタイミングでみぞおちに一撃を食らって、まったく動けなくなっている。
…勝負あったな、これは。
「ご…は……」
「悪いな、ジュン。
だまし討ちみたいなやり方だけど、俺も限界なんだ」
「……ぐ……ぐぞ…っ」
レフェリーをしているウリバタケさんのカウントが進み…。
かろうじて立ち上がろうとしたジュンも片膝をついて、ついに立てなかった。
「テンカワさん、こういう抱擁はうけないとダメですよ」
…ユリカのせいだってーの。
俺が拳を高く掲げるとユリカは抱き着いてきて俺を倒した。
…なんて突進力だよこいつ。
疲れてるとはいえ俺、軽くはないんだぞ…。
「ジュンさん、大丈夫ですか?
ほら酸素酸素…」
「ぐぅ…ご、ごめ…こんなことに…ふぅ…つきあわせて…」
「けが人は黙って治療を受けて下さい。
…諦めはつきました?」
「…うん」
…なんだ、ジュンもいい雰囲気じゃんか。
メグミちゃんと付き合ってるって噂、本当だったんだな。
じゃあなんで俺に八つ当たりしてんだか…はは、丸く収まったからいいかな。
それにしてもユリカ、もう少しジュンの方も気にしてやればいいのにな…。
「…でもアキト、あんな必殺パンチどこで覚えたの?」
「ああ、あれ?
あれはユリさんが教えてくれたんだよ」
ユリカとルリちゃんは二人そろって意外過ぎる人物の名前に驚いた様子だった。
そう…あれは二週間前、ホシノと組み手の練習をしていた時の事だった…。
・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。
「テンカワ、お前ちょっと意識が散漫だぞ。
これじゃ護身技の一つも教えられないだろ」
「けど基本が出来てないうちにやってもしょうがないだろ?」
「それでも今のうちから一個くらい護身技持ってないと困るぞ。
この間もピースランドでも危なかったんだからな」
「う…」
俺はホシノがユリカを守ったように戦えない自分が居たらと考えた時、
真剣さが足りていない自分の危うさに少し揺れた。
「護身技ならいいのがありますよ」
「ユリちゃん?」
「私も一個だけ、護身用のカンフー技知ってます。
もっとも、これ以外はからっきしできませんけど」
…そういえばユリさんは育ての親が中国系だったらしいな。
身を守る目的で一個だけ身に着けた技があるって…?
「ミット、持ってください。
…行きますよ」
「うっ!?」
俺はユリさんの一撃で体ごと吹っ飛ばされた。
まるで体当たりの重みを、拳の面積で受けたかのような強烈な一撃だ。
「ワンインチ・ブロー。
腕を伸ばし切って、強烈な震脚で自重を丸々打ち込む技です。
一朝一夕にできるほど簡単じゃありませんけど、相手を油断させて撃ち込む技ですから、
ちょうどいいと思います」
「なるほど、この原理か」
「…アキトさん、一目でマスターできるんですね」
俺が呼吸を整える間、ホシノはさっさとワンインチブローを覚えてしまった。
…なんて奴だよ、相変わらず。
下地があるせいもあるとはいえ、相変わらずの天才肌だ…。
「け、けほっ…な、なるほど…。
練習する価値あるかもね…。
戦意を喪失させる効果もありそうだ…」
「ええ。
もっとも、立ってる状態で、大きく足を開ける状態じゃないと出せないのは欠点です。
…靴脱いでおけば良かったです、ヒールがぶっ壊れちゃいました」
「元々靴がくたびれてたんだよ。
ちょっと買い物でも行こうか」
・・・・・。
「っていうことがあったんだ。
実はあれでも俺のはユリさんの半分ぐらいの威力しかないんだ」
「…使える状況が限定的とはいえ、恐ろしい技を持ってますね。
ユリ姉さんは…」
私は立ち尽くすことしかできませんでした。
ナオさんとカエンの死闘は、終わりが近づいています…それも最悪の形で…。
「ぐぅっ!!」
「ほぉれ!消し炭になっちまうぞぉ!」
ナオさんはカエンさんの炎に体をあぶられ、かなりやけどを負っています。
痛みで動きも制限され、追い詰められています。
かろうじて打撃を当てることもありますが、やはり効果が薄いです。
それ以上にナオさんを苦しめているのは『酸欠』でした。
私たちも熱と息苦しさに苦しんでいます。
条件はカエンも同じですが、ナオさんは避けるために精一杯動いているため、
カエンに比べると圧倒的に運動量が多いです。
もはやカエンはナオさんをいたぶる目的で攻撃しているにすぎません。
「カエン、そろそろ終わりにしなさいよ」
「ちぇっ、まだ物足りねぇぜ」
「性能差を見せつけるのはもう十分でしょう。
それにこれ以上は…」
意識をそらしたカエンにナオさんが突撃しました。
カエンは油断した、とばかりに構え直しますが、間に合いません。
倒れて…!!
「ぐあっ…」
しかし私の祈りもむなしく、ナオさんはDの一撃に倒れました。
気絶してしまったようです…。
「お前の勝ちだ、カエン。
どのみち、ナオはお前を倒しきれる体力じゃなかった。
ナオが一撃したところで、お前は反撃でこいつを殺すところだったろう。
…殺していいのはホシノアキトだけだ。
それも、この後状況を整えてからだ」
「ち…。
我慢してやるよ。
命拾いしたな、ナオ」
「ぐふっ…」
ナオさんは倒れている横っ腹を蹴り上げられ、苦悶の声を上げました。
それでも意識が戻らないほど…傷ついてしまってます。
…エルはナオさんの手をワイヤーで縛りつけると、私の前に立ちました。
「さて、お話しましょうか?社長さん?」
「…何の用ですか」
「なんてことないわよ。
ホシノアキトを呼び出すエサになってほしいのよ。
あなたの命がかかっているとなれば、必死においかけてくれるでしょう?」
「…あなた達の目的は、やはりアキトさんの命ですか!?」
「そうだ。
それに加えて、あいつのスナッフフィルムを撮影するのが目的ってところだな。
英雄の最後を記した映画、大ヒット間違いなしだぜ?」
…カエンは皮肉っぽく、どこか冗談のように話しています。
しかしそれは冗談には思えないところがあるようにも思います…。
ムネタケ提督は私とエルの間に割って入って、銃を突きつけます。
エルはそっと後ろに下がると、Dの後ろに隠れました。
「…撃てるのか、お前に」
「撃てるわよ!!舐めてんじゃないわ!!」
「そうかな」
「ッ!!」
「提督やめてくだ…」
ムネタケ提督の銃撃がDの眉間に直撃しました…。
が、目を疑う光景がそこにありました。
Dの眉間には傷と血が少しあるだけで、わずかにみえる金属の板が、
普通の人間だったら、脳を直撃して脳漿をばらまくはずだった弾丸をブロックしていました…!
「悪いな、俺は体の八割程度が機械なんだ。
頭蓋骨も特別製の金属にとりかえてある」
「誉め言葉だと思っておこうか」
ムネタケ提督もDにみぞおちに一撃されて、膝を床について悶絶しています。
加減こそしていますが、これは警告にすぎません。
私達に戦力差を見せつけて要求をのませるための…。
…その気になったら、私達はあっさり惨殺されるはずです。
こんな戦力差じゃ、アキトさんが居てもなんともならなかったかもしれません…。
「大人しくしてなさい。
条件を飲めば、私達も一時退散するわ」
「…どんな条件ですか?」
「この爆弾付きの首輪をつけてもらうだけよ。
爆発の期限は今夜の12時。
あと9時間程度…。
専用の解除器で解除しないと、ドカン」
「…悪趣味ですね」
エルが飄々とした表情で私の前に細くて小さな黒い首輪を見せつけました。
…この爆弾を解除する装置をアキトさんに取りに行かせる心づもりですか。
悪趣味です。
「これを付けたら私達はお暇させてもらうわ。
ホシノアキトが戻り次第、解除器の場所を教えてあげる。
…もっとも、そこまでたどり着けるかどうかは保証しないけどね」
「断ったら?」
「それならしょうがないわ。
あんたたちをバラバラにして殺して届けるか、焼死体になる姿を撮影してテープを届けてあげるわよ。
もちろん、PMCマルスの社員も同じ目に遭わせてあげる。
…どうかしら?」
「…選択の余地なんてないじゃないですか」
分かってはいましたが、悪趣味かつ悪質ですね。
不思議なのは、これほどの戦闘能力を持っている三人がいきなりアキトさんを襲わなかったことです。
…あまり考えたくないことですが、カエン一人でも恐らくアキトさんにはかなり厳しい戦いになるはずです。
何かしらの意図はあるにしても、私達を殺さずにいる理由がないと思いますが…。
「自分たちの命も、社員のみんなの命も守れるとあっては断れません。
好きにしなさい」
「それじゃ…」
私は後ろ髪を上げて、首輪をつけやすいようにして前に出ました。
エルは小さく笑って私の首に手を触れようとしました。
…が。
私は突如、首の後ろに走った電撃に体を震わせて崩れ落ちました。
な、何が起こったんですか!?
電撃!?スタンガンを使われた!?
でも侵入してきた三人は目の前…私の後ろに居るのは…。
「ごめんね、ユリ。
でもあんただけは死んじゃダメ。
一番死んじゃいけない人が前に出ちゃだめだよ」
ラピス!?
どうして!?
「エル、よく聞いて。
私とユリの命は等価。
私でもアキトは呼び寄せられるよ。
…結果が変わらないなら、いいでしょ?」
「ずいぶんお姉さん想いね、ラピスラズリ」
「そうかな?
私、お姫様役を代わってほしいだけなんだけどね」
「ま…まちな…さ…」
「ユリ、黙ってなよ。
命の危険はないけど、女の子には結構きつい電圧なんだから」
「はい、終わり。
これであなたはシンデレラってわけね。
今夜の12時にホシノアキトが『世界一の王子様』でもなんでもない、
普通の人間だって魔法が解けてバレるまでは、助けを求めるお姫様で居られるわよ」
「あっそ」
「可愛げないわね、ちょっとくらい怖がったらどうなの?」
「アキトが生きてない世界になんて未練ないよ。
アキトが死ぬようなことがあったら派手に散ってやるんだから」
「中々度胸が据わってるわね」
「エル、カエン、引くぞ。
目的は達成した。
あとは手はず通りに動くだけだ」
「分かったわ」
「私は連れてかないの?」
「へっ、爆発に巻き込まれちゃ迷惑だからよ。
寿命が九時間伸びただけだろうけどな。
子供だからって助けてもらえるとは思うなよ」
「分かってるよ。
…警察に助けを求めたりしてもダメなんでしょ、当たり前だけど」
「もちろんだ。
軍でもダメだが、当然エステバリス持ち出すのもなしだ。
お嬢ちゃんよ、命を握られてるのを忘れんなよ。
もっとも向かってくるホシノアキトが武装するのは勝手だがな。
そこに転がってるナオなり、助っ人の数人も連れてきてもかまわねえが、
不自然に多かったら爆弾を爆発させてやるからな。
…ほれ、端末だ。
こいつで詳しい場所を教えてやる。
さしあたってはホシノアキトの帰りを待ちな」
「うん、わかった。
…私達だってただじゃすまさないんだから」
「楽しみにしてるわよ」
ドアの空気の圧搾音とともに、三人は出ていきました…。
ぐ…ようやく体が動くようになってきました…。
「けほっ…なんてことするんですか、ラピス…」
「あの三人に言った通りだよ、ユリ。
私とユリ、どっちが死んだらアキトが立ち直れなくなるか分かってるからこうしたまでだよ」
「分かってないのはユリだよ。
…ユリが死んだら私、アキトを狙うチャンスなんだよ?
それでも、どうして身代わりになったと思う?
確かにお姫様役やりたかったのは確かにあるけど…。
……私じゃ傷ついたアキトを体で受け止められないもん」
ラピスはいつも通り、クールにふるまってはいますが、内心少しは怖がってます。
ただ…ラピスは、アキトさんのためならほぼためらいなく命を投げ出す覚悟があります。
しかしそれはあくまで『黒い皇子』を支えるラピスがしていた覚悟であって、
この世界ではあってはいけない覚悟です。
そうする必要がないなら、してはいけない覚悟です。
…少なくとも、仮にも姉妹関係を持っている私が危険を背負うべきです。そうするべきです。
「お説教は後で聞くよ。
時間ないから手短にだけど。
それより早く二人を介抱してあげないと可哀想だよ。
ナオはかなり重症なんだから」
「く…みんなを呼び出します。
…医療班、ナオさんが重症です。
やけどと打撲の応急処置と、救急車をお願いします。
ムネタケ提督は…」
私はコミュニケで医療班を呼び出すと、ムネタケ提督の状態も確認しますが、
かろうじてムネタケ提督は立ち上がって背筋を伸ばしました。
「ぐ、大丈夫よ…。
強烈だったけど、ナオに比べりゃね…。
医務室で横になってりゃ勝手に治るわよ…」
「…良かった。
実弾まで撃たせてしまってすみません…。
身を挺して助けようとしてくれてありがとうございます…」
「それくらい構わないわよ。
私も男で、連合軍士官の端くれなんだから…全く歯が立たなかったのは悔しいけど、
ナオがこの調子なのに私がそんなことをいうのはうぬぼれよね。
はぁ、勝てない戦いはしたくないものね」
「…全く同感です」
勝てる可能性がある戦いはともかく、全く勝てないならさっさと逃げ出したいです、本当に。
はぁ、ラピスが無理をしたせいでさすがに心配で心臓がバクバク言ってます。
自分に爆弾が取り付けられてたらもっと冷静になれなかったとは思いますけど…。
「ユリ、アキトに連絡してよ。
一刻を争うんだから」
…いけません、ラピスの方がよっぽど冷静じゃないですか。
で、ラピスは何をしてるんでしょうか。
「あ、食堂班?
ちょっとね、長期戦になりそうだから今のうちに食事持ってきてくれる?
とりあえず十人前くらい適当に見繕って。ユリと食べるし。
それと甘いものとかたくさん。
アキトも戻ってくるかもだからおにぎりとかもあると嬉しいな。
うん、死ぬ前の食事になっちゃうかもだから、それなりに気合入れて作ってね」
ラピスは腹が減っては戦が出来ぬとばかりに食堂に
………ラピス、あなたはどこまで図太いんですか。
あのユリカさんだってそこまでは図太くなかったと思いますよ。
私達はテンカワさんとアオイさんの痴話げんか…もとい決闘ごっこに付き合わされて、
艦内の空気がずいぶんあったまったままなので、ちょっとうんざりしてます。
アオイさんはこの期に及んでユリカさんになにも言いませんし、医務室でいちゃついてることでしょう。
はぁ、バカばっか。
「ねえルリルリ、メグミちゃんの代わりまでして大変じゃないの?」
「だいじょぶです。
オモイカネのサポートがあるので、そんなに大変じゃありません。
…でもちょっと連合軍の人とかあんまり話すの得意じゃないんで、それは嫌なんですけど」
「でも艦長とアオイ君まで離れてるわよ?」
「いいんじゃないですか?
フクベ提督は居ますし、私もユリカさんとユリ姉さんに鍛えられてます。
ゲームですけど」
「そうなの?
…でも鍛えてるっていってもゲームってところだけは不安だけど」
「ゲームはゲームでも連合軍極東方面軍ミスマル提督のお墨付きです。
私、結構強いんですよ」
…どういうわけか私達ミスマル家の姉妹の間ではあの『ラインハルトの野望』での対戦が流行ってます。
私はドベですけど。
しかもナデシコ内でもにわかにブームになってて、フクベ提督やムネタケ提督までやってるくらいです。
とはいえ、連合軍に在籍してたことのある人にはとても歯が立たないんですけど。
『ルリ、ラピスから緊急メールだよ』
「緊急ですか?
今日はアキト兄さんも佐世保にいるはずですし、
トラブルなんてそうそう起こらないのに…」
オモイカネが私への個人メール、それもラピスの緊急メールを受信したって伝えてきました。
そんなことそうそうないかと思ったんですが…これは!?
「ちょ、ちょっとルリルリ?!
艦長命令でもなしにそんなことしていいの!?」
「ユリカさんもアオイさんもここにいないんですから仕方ありません!
一刻を争います!
フクベ提督、いいですか!?」
「む、ラピス君からのメールで緊急か。
急いでやるといい、君たちは頭のいい子だからな。
いたずらでこんなことはしまいよ。
艦長は後でなだめてやるとしよう」
「ありがとうございます!!
オモイカネ、お願い!!」
『OK!』
はぁ…アキト、だんだん強くなって、さらにカッコよくなっちゃったなぁ…。
でもアキトは私の王子様!もう誰にも渡さないもん!
お父様だって、まだアキトの事は認めてないけど、
ユリちゃんとアキト君がなだめてくれてて交際自体は許してくれてるし。
でもそれでもあのお父様が、そこまで許してくれるのは意外だったけどね。
だったら、めいっぱいアキトと恋人らしく過ごしちゃうんだもん、うへへへへ…。
「ゆ、ユリカ?
あらぬ方向をみてニヤニヤしてどうした?」
「あ、ああ…」
…いけない!
恋が成就したからってこんなことしてると嫌われちゃうよね!
しゃきっとしないと!
あ、そうだ。
救急箱持ってきたんだった、アキトの手当をしてあげないと…。
「アキト、傷大丈夫?
消毒とばんそうこうくらいはした方がいいよね」
「あ、ありがとう。
救急箱、貸してくれるか?」
「私がするよぅ!
どこすりむいちゃった?」
「あ、わ、わるいな…。
ちょっと頬を…」
「うん!任せて!」
私は脱脂綿に消毒液をしみこませて、アキトの頬をぽんぽんと撫でた。
「いちち、さすがにしみちゃうな」
「我慢してね、かっこいい顔が台無しになっちゃうよ」
アキトは顔を真っ赤にして、私からそっぽを向いている。
…でも、嬉しい。
私を全然避けなくなったんだもん…。
ほんのちょっと前までちょっと遠慮がちだったのに、全然違う…。
「あ、あのねアキト、私──」
私がアキトと話そうとしたところで、突然強力なGが横に走った。
重力制御が利かないほど急に動いたんだ。でもなんで!?
『あ、ごめんなさいユリカさん。
ちょっとラピスが緊急呼び出ししてて、佐世保に急いでます。
…テンカワさん大丈夫ですか?』
悶絶するアキトと、おろおろするしかない私をしり目に、
ルリちゃんはアキトを気遣う…でもアキトはそれどころじゃないみたい。
『…ごめんなさい、ちょっとただ事じゃないみたいなんです』
「る、る、る…。
私とラピスは食事をとりながら言い合いを続けてます。
こんな姉妹喧嘩なんて見せられないので、二人きりでブリッジにいます。
…本当は行儀が悪いんで避けたいんですが、一刻を争う状況ですし、仕方ありません。
それで食堂班のみんなが、食材が許す限り、できる限りのごちそうをもってきました。
ラピスが命の危険ということで、何はともあれスタミナをつけてほしいと。
…しかしこれ十人前どころじゃないんじゃないですか?
ステーキだの、かつ丼だのうな重だの…。
最後の食事になるかもしれないってことで、結構気合を入れて作ってくれましたね。
私もやけ食い気味においしくいただいてますけど…。
でもそれどころじゃありません。
…分かりたくありません。
どんな理由があっても、保護者として姉として、
ラピスを守ることが出来なかったとあっては、私は納得できないです。
「ユリ…あんまり言いたくないけど、
二人のうち一人しか選ばれない状況ってあるでしょ…」
「──」
私は二の句が継げませんでした。
これは今回の状況に限ったことではなく、
アキトさんは現在私を妻として認めてくれてます。
夫婦になったのは状況的になし崩し的であってもなんでも。
そうして居る限り、ラピスは絶対にアキトさんと結ばれることはありません。
…本当は私が死んでしまった方がラピスには都合がいいはずです。
でもそうなった先のアキトさんの事は…。
……ラピスが死んでも同じことにはなってしまいそうですけど、
どのみちアキトさんが戦いに勝てなければ意味がないことです。
それもかなり危うい道になりそうですが…。
「…私、エリナほどは好きじゃないけどユリはちゃんとお姉さんだと思ってるよ。
だから死んでほしくない。
…そういうわがまま、やっぱ言っちゃダメだったかな」
「…ずるいですよ、そういう言い方しちゃ。
でも嬉しいです。
こんな風に話す機会、あんまりありませんでしたから…」
「あ、そ、そうだよね。
ちょっと卑怯だったかな…」
ラピスはちょっと照れくさそうに目を背けました。
いつもの明るくて活発な印象とは違って、どこか自信なさげな…。
年相応の女の子の、弱いところを見た気がします。
「…分かりました、もうこの点は責めません。
許します。
でも次があったら…ちゃんと私が危ない役は引き受けます。
いいですか?」
「…うん」
……まだちょっと不安ですが、頷いてくれたからいいでしょう。
「…でも私、やっぱりアキトの事しか考えてないのかもしれない。
この場合、私が死んだ方がまだマシだとか、アキトのためにはユリが必要とか…。
PMCマルスが生き残るにはユリが居ないとどうしようもなくなっちゃうだとか…。
そんな風にしか考えられないんだ…」
…いえ、やっぱりこの辺の問題は根深そうです。
ラピスも頭では分かってるんです、自分の考え方が良くないことだと。
命を捨ててでもアキトさんのためになることを選ぶ…。
すべての優先順位が『アキトさん』『アキトさんの夢』が中心になっているんです。
私たちをかけがえのない存在だと思ってるけど…最優先はアキトさんです。
そして自分の命の優先順位があまりに低い。アキトさんが生きるならいくらでも投げ捨てる。
そうすることでしか自分の存在に価値を求められなかったんでしょうけど…。
…私も、分かります。
そこまで極端じゃなかったけど…アキトさんとユリカさんが、本当に大事だったから。
前の世界ではピースランドで自分の価値が感じられなくて悲しくなっちゃったから…。
だからこそ…。
「…ラピス。
ピースランドでルリが研究員に言った言葉を覚えてますか?」
「え?」
「『どんな才能のない子供でも、
苦労ばかりかけて仕方ない子供でも、
生まれた子供の代わりはいないんです』
…そう言ってましたよね。
あなたが死んだら、アキトさんだけじゃなくて、みんな悲しませるんですよ。
私も、ユリカお姉さんも、ルリも、ミスマル父さんも、エリナさんもアカツキさんも。
一生、ずっと悲しみます。
自分が助けられなかったとなれば、消しようがありません。
ずっと、ずーーーっと悲しみます。
絶対に消えません。
あなたの代わりは誰もいない。
私はどこまでいってもユリカさんの代わりになれないように…。
誰もラピスの代わりにはなれないんですよ?」
「あ…」
…ようやく、ラピスは自分の考えのまずさに気づいたようです。
ラピスは動いている人間の思考を読むのは得意です。
本当に心でも読んでるんじゃないかってくらい的確に読んできます。
でも、大切な人を永遠に失った時の人の心は計算できないようです。
…まだラピスは誰も失ったことがない、その悲しさと空虚を長く味わったことがない。
だから想像の範囲外なんでしょう。
誰かを失った悲しみは完全には消えないんです。
私があの時アキトさんを必死に追いかけたのは…それが取り戻せるかもしれないと思ったから。
もしかしたら、ひょっとしたら…危険があるかもしれないのに、追いかけることをやめられなかったんです。
ミスマル父さんも、何年も悲しみ続けて…。
それほどまでに、大切な人の死は…特に自分の守るべき相手が亡くなった時の悲しみは、深いんです。
…ラピスの瞳から涙がこぼれました。
「うっ…うぅ…」
「ラピス…」
「み、みんなを悲しませるのが、分かってなかったわけじゃないの…。
それでも、いつか乗り越えてくれるって、信じてた…。
一生悲しんでる人なんていないって、思ってた…。
でも、違うんだね…ユリ。
みんな大切な人を失った悲しみを押し殺して生きてるんだ…。
なんで、そんなことにも気が付かなかったの……私のバカ…」
「…昔のアキトさんに似てきましたね、ラピス。
でもアキトさんはもうそんな考え方は間違ってるって、思ってるんです。
だから…落ち着いて対策を考えましょう?」
…仕方のないことです。
直接的に影響を受けたのは昔のアキトさん…『黒い皇子』のほうです。
それに、この世界に来てからアキトさんの感情を読めなくなったのが災いしたみたいです。
何しろラピスは『眠っている間、アキトさんの視覚と聴覚を見ることが出来る』だけです。
長いことアキトさんの声のトーンでしかアキトさんの感情を察することが出来なくなってました。
それだけじゃなく、私と居ることで、ユリカさんと居ることで、
あの未来のユリカさんに起こった出来事の悲しみを、ほんの少し隠しやすくなっただけなんです。
…私はユリカさんの代わりに、なれたらいいとは思いますがたぶん一生無理です。
アキトさんが心から愛してくれているのは事実ですが、失った分は取り戻せません。
「…ぐずっ。
ちょっと放っといて…。
バカすぎて、自信なくしちゃったよ…」
「ダメですよ、ラピス…。
時間がないんですから…」
い、いけない…言い過ぎました…。
…今すぐに言わないと、ラピスが自分の命を軽視してしまうと思って言ったことですが、
ラピスの自尊心をここまで傷つけてしまうとは…。
普段のラピスの強さをあてにしすぎてしまったみたいです。
…私もまだ大人にはなり切れてないみたいですね。
けど、本当にこれはまずいです。
これじゃラピスが立ち直るのに、たぶん二時間は必要です。
この状況で二時間は致命傷になりかねません。
それだけじゃありません、自尊心を欠いた状態でこれから起こるであろうトラブルには向かっていけません。
自分の存在を肯定することが出来ないまま、戦えるような生半可な相手じゃありませんし…。
…これで色んな判断が遅れて、爆発の時間にラピスが助からなかったら私が殺したも同然です。
言わなかったら言わなかったで危なかったとは思いますけど…。
…こうなったら、これだけは使いたくなかったですけど、やるしかありません。
私も覚悟を決めないといけません。
「…ラピス」
私はもがくラピスを無視して、強く強くラピスを抱きしめました。
愛情深いというよりは、ただわがままに離したくないと子供のような抱きしめ方で…。
「ラピス。
あなたは何回私達の命を助けました?」
「え…?」
「…昔アキトさんを何度も助けましたよね。
五感だって与えてくれましたし。
この世界に来る前の最後の最後で自分の命を投げ出して、私を助けてくれました。
アキトさんの心を救ってくれました…」
「そうです、もう二度とそんなことはさせません。
でも…。
この世界に来てから、アキトさんとナオさんの試合の時も、助けてくれたんですよね?
ミスマル父さんが窮地に陥った時も…あれが無かったらどうなってたか…。
アカツキさんとの決闘の時だってそうです。
アキトさんとアカツキさん、私とエリナさんをいっぺんに救ったんですよ?
それにルリだって、人生そのものが変わっちゃうくらいの奇跡を起こしました。
…とにかく、ラピスにはたくさんたくさん返せないくらいの借りがあります」
「…だから、なによ」
「二度と自分の命を軽率に扱いませんか?」
「しないってば」
「今回の事件も、絶対に生き残るために、自分のために戦えますか?」
「あったりまえじゃない」
「約束できますか?」
「…うん」
ラピスの瞳を見て、私は眼を一度伏せ…。
…息を吐いて吸い込んで…意を決しました。
「だったらいいです。
約束してくれましたね…だったら…許します。
ラピスは私の発言に、耳を疑っています。
私はこんなことを許すキャラじゃないのはラピスが一番よく知ってます。
でも、この場合、これくらいしないとラピスはいざって時にまた死ぬのを選びかねないです。
最後の最後で、選択を誤ってしまいます、きっと。
でも、この約束を、私からすれば絶対に生き残ろうとしてくれます。
あるか分からない、できるかどうかわからない、アキトさんとの不倫。
いえ、このままの関係だったらきっとアキトさんはしないでしょう。何があっても。
しかしラピスの性格から言って絶対にかなわないはずの不倫を確約させたら、死ぬ選択を取れるはずがありません。
ほら案の定、驚きの顔がだんだんと笑顔になっちゃってますよ。
さっきまでのいじけていた、悲しみに暮れていた顔が嘘のようです。
もう一息、ダメ押しです。
「わわっ、ラピス!?」
ラピスは私に思い切り抱きしめ返しました。
げ、現金…。
で、でもこれでひとまず、大丈夫です。
自分の命を捨ててでもアキトさんを助けるというのは、
ラピスの信念ですがどちらかというと消極的な選択です。
実をいえば、私に成り代わって妻になるのがベストだとも思ってますが、
それが叶わないなら不倫、それもダメならアキトさんを守る…とだんだん妥協点が下がってきます。
アキトさん主体の考え方というのは同じですが、ラピスが『叶えたい方向』に向きました。
外発的な動機が、内発的な動機に切り替わりました。これだけでかなり生存確率が上がったと思います。
…生存本能が発揮されて頭が回り、さらに子孫を残すって方向性で脳の回転も上がりそうですしね。
「…ホントは結構怖かったの。
アキトともっと色んな思い出を作って…それが出来なくなったら、
って思ったら…」
「バカですね、わかってるならやめとけばいいのに」
「意地悪言わないでよぅ、自信もって私は人質役を引き受けたんだから。
…私、実を言うとユリが同情してるだけなら断りたいって思ったの。
でもね、絶対叶わない恋を叶えてくれるって…。
誰にもかなわないくらい、心強い味方だって思ったらそんなことどうでもよくなっちゃった…」
「…ええ、本当はちょっと嫌です。
でも、アキトさんが悲しまないようにするには、
ラピスにはこうしてでも生き残ってもらわないと困ります」
「ユリってば、私とそんなに変わんないじゃん。
自分よりアキトが大事なんじゃない」
「私はいいんです。
アキトさんの妻ですから」
「あーっ、ずるーい!」
私たちは顔を見合わせてクスクスわらってしまいました。
…二人してアキトさんにぞっこんですから、このあたりの事はいくら言い合っても仕方ないんでしょうね。
「…とりあえず、みんなで生き残りましょう。
話はそれからです」
「うん、おっけおっけ。
泣いたらおなか減ってきた。
腹ごしらえ再開しよーっと」
「…そうですね。
今日は私も食べといた方がよさそうです」
「ん、太るよ?」
「…余計なお世話です。
私もオペレーターやるとおなかすくんです。
今回は必要そうでしょう?」
やれやれ、やっぱりユリカさん似ですよ、ラピスは。
頭の切り替えが本当に早いです。
…しかし命の危険があるのにラピスにあんな説教して、落ち込ませて、
挙句の果てに、なんとか生きてもらおうとしてあんな約束するなんて我ながら最低です。
自己嫌悪の極みです。
ああ、ユリカさん…ごめんなさい。
私は悪い子です…。
「ん、どうしたホシノ君。
武者震いか?」
「……。
いや…なんかちょっと嫌な予感がしたもんだから」
「今回の敵に対してかい?」
「…なんていうか、たぶん女性関係?」
「…君、女性鈍いと思ってたけどやっぱちょっと変わったか?」
「…ほっとけ」
『──そういうわけだ、アクア。
計画は順調、ホシノアキトのPMCマルス到着を待ってるところだぜ』
「結構ですわ。
心配しないで済みそうです。
…エルさん、例の物は手に入りました?」
『ええ。
油断させてうまく奪ってきたわよ』
「万全ですね。うふふ…」
私は端末でカエンさんたちの報告を聞いて、つい嬉しくて笑ってしまいました。
ふふ、どうやら私のシナリオ通りに進んでくれているみたいですわね。
首輪をつける対象が変わってしまったのは想定外だったけど、
カエンさんが乗り気だったおかげで、かなりいいアクションが取れたみたいです。
Dさんの服に隠した、ウェアラブルカメラの映像をみて終始ニヤニヤ笑ってしまいましたわ。
自分から人質になる少女・ラピスラズリ…ああん、代わってほしいくらいです。うふふ。
…でーも。
「しかし…あんたもやっぱ変わり者だよ。
命がけでホシノアキトをしとめるつもりとはいえ、
そこまでするか?」
「アキト様が私を助けてくれるかちょっと試したかったんですもの♪」
『…ついてけねぇな、この変態には』
『カエンに言われちゃおしまいよね』
『どういう意味だ?!』
…うふふ、この人達、うらやましい境遇で雇ってみたけど、キャラ立ちがいい。
失敗した時、とってもいい映画が撮れそう。
でも…。
やっぱりアキト様との心中コース、捨てがたいですぅ!
「じゃ、あとは手筈通り。
こちらに追い込んでくださいな♪」
『へーへー。
うまくいくのを祈っておきな。
うまくいってバラバラになったら花くらい持ってきてやるぜ』
「あら、ありがとう。
カエンさんったら律儀ですね。
…じゃ、お墓候補地でお待ちしてますわ!」
私は通話を切ると、自動車に乗って目的の場所に向かいます。
私は自分の首についているラピスラズリが付けたのと同じ首輪を撫でて、
くすくすと笑って、到着を待ちました…。
ああ──こんなにドキドキしたの、生まれて初めてかもしれません。
うふふ、楽しみ。
「早く来て…アキト様…」
重傷を負ったナオ!
危機に陥ったラピス!
無鉄砲な約束をしたユリ!
相変わらずのナデシコ!
そしてこれから何をするつもりだブーステッドマンズ&アクア!な展開でお送りしました。
みんなそれぞれ好き勝手にやらかして、色々大変な目に遭っております。
早く来てくれ、アキトーーーーッ!
頭悪い展開か!?と思いつつもノリノリで書いてたら投稿が早まってしまいました。
ってなわけで次回へ~~~~~~~~!!
※次回返信予定です。
エルよ。
…はぁ、どうやっても私達ってヒールにならざるを得ない境遇なのよね。
Dがまさかこんなことに乗っかってくるとは思わなかったけど、
意外といい思い出にはなるんじゃないかしらね、成功しようがしまいが。
…ちょっとホシノアキトがむかつくってのもあるし、ね。
それにしてもアクアって、あんなに頭おかしいの?
思い込みが激しいってレベルじゃないわよ、もう。
まあ付き合っちゃう私たちも結局同レベルなんだけどね…。
勢いで書きだしたら四十話突破!!どこまで行くんだこの作品は!!
一年番組もびっくりな長期連載になっちまった系ナデシコ二次創作、
をみんなで見なさいね。
感想代理人プロフィール
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代理人の感想
頭悪いよ(真顔)
>ボクシング
ノーガード戦法(爆笑)
捨て身だなあw
その前のナオさんVSブーステッドマンの緊張が綺麗に吹き飛んだわwwww
まあナデシコだよなw
つうか教えただけで寸剄打てるとか、実は才能あるのかお前w
>隠居したい
あれ、バールきれいになってんの?
なにがあったんだw
>目に消毒液が
本日の爆笑ポイントその2w
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