〇地球・東京都・テレビ局・スタジオ──ホシノアキト
「えーそれでは、
ホシノアキトさんのシークレットラーメン屋台についての話題を、
直接お聞きしようと思います。
今日はよろしくお願いします、ホシノアキトさん」
「ど、どもっす」
俺は久しぶりに芸能界に戻ることになった。
色んなメディアで『トカゲ戦争の英雄、華々しく復帰!』とすごーく大げさに書かれてしまった。
ナデシコで地球に戻ってからも芸能界に顔を出さざるを得なくなっていたってのに。
結局こういう扱いだよ、とほほ…。
…ラピスの計画のために、俺が完全に引退するまでに下地を作らないといけないので、
俺はこの半年、必死に芸能活動に励まないといけない。
くぅっ、みんなのためもあるとはいえ、しんどいぞ。
火星に行ってる間みたいに、ずっと特訓してる方がよっぽどマシなんだよ…。
それに結局店を持ってからもだいぶ芸能界からのフェードアウトは時間がかかるし…うう…。
ちゃんとコックで居られる時間があるだけ救いだけどさ…。
と、俺が愚痴っぽい思考を打ち切ると、司会者が俺にいろんな質問をしてきた。
来店した人に一緒に撮った写真をプレゼントしたことや、
働いていたけどいい休暇になって楽しかったとか話して…。
それから佐世保の夏祭りでも使ったラーメン調理器具を持ち込んで、ラーメンを振舞う場面もあった。
これは収録が終わってからも次から次へとみんな食べに来てしまい、
結局、このあと入る予定の食堂の仕事に参加できなかった…というか食堂の仕事を奪っていた。
ま、まあみんな本当に満足してくれてるからいいか…。
それから俺はラピスと眼上さんとテレビ局を後にした。
ナオさんが運転してくれる車で、移動しながら今後のことを話し合ったけど…。
「それじゃ、これからはユリさんとラピスちゃん、
どちらからがマネージャーすることになったの?」
「うん、お父様を抑える意味もあってね。
一日ごとに親孝行する約束なの。
ユリカも、そうしたいって」
俺はラピスの悪夢の件が落ち着くまで、アカツキに準備してもらった隠れ家で、
あのバーチャルシステムを利用した精神の治療をすることになった。
とはいえ、これはどれくらい期間が続くか分からない。
だからラピスの提案で、一日置きにユリちゃんとのシャッフルで、
「ユリちゃんと夫婦生活はしつつ、ラピスと治療も行う」形になった。
…言うまでもなくとっかえひっかえ毎日二人と付き合うってことだ。
もう諦めてるし、俺自身も幸せだし、いいんだけど…いいんだけど…。
これは週四芸能界に行ってる間の話であって、残りの三日は三人で佐世保に帰って過ごすことになってる。
…その三日も、半日くらいは未来に向けた準備に使わないといけないので、きついけどね。
・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。
その後、ナオさんがうまくマスコミを撒いて、
俺たちはいくつもある隠れ家の一つにたどり着いた。
車からバーチャルシステムの機材を降ろして持ち込んで、ナオさんと眼上さんは帰っていった。
今後、眼上さんはナオさんに護衛を続けてもらいつつ、テレビ局での渉外をしてもらうことになった。
何しろ、ユリちゃんもラピスも一日おきに仕事を外れてしまうので、細かい交渉をするのに向いてない。
それに俺の立場上、眼上さんが交渉に出てくれないと調整がうまくいかない。時間がかかりすぎる。
…ああ、本当に迷惑かけてるよな、俺たちって。
眼上さんは俺が芸能界に居続けると決定したので、逆に喜んでくれては居たけどね
「アキト、今日はようやく私の番なんだから。
ちゃんと最後までエスコートしてよ?
…。
そうだよ、アキト。
ちゃんとしないと許さないんだから」
「う…分かってるけど…罪悪感が…」
「バーチャル空間の中の話なんだからマシでしょ?
少なくとも現実では手を出してないんだからセーフセーフ」
……そして俺はラピスとバーチャルシステムでデートをする羽目になっていた。
埋め合わせはするつもりではあったものの、まさかこんなことになるなんて…。
ユリカは、ラピスも自分と同じように取り扱うように要求した。
ユリカの悪夢を引き受け、一ヶ月も常時悪夢にとらわれたラピス。
普通なら発狂してもおかしくない、ひどい仕打ちを受けた。
そうなるとユリカと同じような治療が必要だろうと、アイちゃんにも釘を刺されていた。
さすがに精神年齢で12歳のラピスに、
バーチャルシステムとはいえマジに最後までデートするのはどうかとも思ったが…。
俺はその提案にうなづくことしかできなかった。
ほぼ一心同体のユリカとラピスを平等にするしかない状況だし、
俺たちって…もう実年齢とか精神年齢とか考えるだけ無駄だしな…。
…とはいえ入力されてるデータは『ユリカ用』なので、
ラピスが使う場合でも、バーチャルシステム内ではユリカの姿になる。
色だけ調整してあって、ピンク色の髪で金色の瞳に設定してある…。
そもそもラピスは遺伝子的にはユリカと同じなので、
言ってしまえば顔以外はほぼ成人したラピスだ。
別人になることはシステム上可能だけど、色んな所の電気信号のデータが合わないし、
アイちゃんは「もうこれ以上は無理!過労死するから!」って、拒否してしまった。
弊害はないから何も問題はないんだろうけど…。
ああ。
ここまで、こうしなければたどり着けなかったとはいえ。
ラピスに数限りない貸し、償いきれないくらいの仕打ちをしてしまったとはいえ。
ラピスが望む通りにできればいいとは思っていたとはいえ。
もう、真っ向から三股すると決めてしまったとはいえ。
この行為に、とんでもなく罪悪感を覚えていた。
……って、振り返ってみると俺はどんだけろくでなしなんだ。
「アキトー。
バーチャルシステム始める前に、お風呂くらいは一緒に入ろうよー」
「…ああ、分かってるよ」
両手骨折の介助のために入浴も補助してた身だ。
これくらい、もはや何も言うまい…。
〇地球・東京都・立川市・ミスマル邸・居間──ミスマル提督
「…お父さん、何を心配してるんですか」
「い、いや、何も…」
…私はユリが作ってくれた夕食を食べながら、つい落ち着かないままでいた。
娘にこんなうまい食事を作ってもらえるという、
この上ない幸せな状態であるというのに何を気にしているのかと言えば…。
アキト君がラピスと外泊してることについてだ。
確かに例の治療についても納得しているし、その内容について聞かされても許可するつもりでいる。
だが……何かのはずみで、現実のほうでラピスと関係を持とうとしてしまうのではないか…。
そしてパパラッチに見つかってしまうんじゃないか、と悶々と考えてしまっていた。
「アキトさんは大丈夫ですよ。
そういうところよっぽどのことがないと踏みださないですし。
私、アキトさんに中々手を出してもらえなかったんで」
「そ、そ、それはそうかもしれないが…」
「信頼してあげればいいじゃないですか。
私とラピスが一日ごとにアキトさんの隣にいて、
代わりにアキトさんの隣に居ない日は、お父さんと過ごす約束なんですから」
「む、むうぅ…」
…実はそういうことになっていた。
ユリもラピスも、ラピスの中のユリカでさえも、私と過ごす時間をもっと増やしたいということで、
この半年の間は二人が代わる代わる一緒に暮らしてくれることになっていた。
…正直、ユリカがこの家から居なくなってしまって、
本当に寂しい想いをしていた私にはこれ以上ない嬉しいことだった。
しかも二人…いや三人が私と、過ごしたいと本心から言ってくれて、だ。
こんなに父冥利に尽きることなどそうはあるまい…!
「それより、この後どうします?
大浴場でお背中でも流しましょうか?
肩でも揉みましょうか?
あ、明日はお弁当を作ってあげますよ」
「お、お、おおう…そ、そこまでしてくれるのか…」
「はい。
今までとれなかった、親子の時間が欲しいんで。
ラピスもそう思ってるはずです」
私はついユリの言葉一つ一つに感動して、滝のような涙を流していた。
諸事情が落ち着くまでアキト君が店を持てないので、こういうことになった部分もあるが…。
こんなことになるとは、想像もできなかった。
……何しろユリカは数々の作法を身に着けたのに、料理は壊滅的だった。
ユリカじゃこうはいかないからなぁ…。
「それに生きている間に親孝行できないなんて、嫌です。
そんなの二度と…」
「ユリ…」
そういえば、そうだった…。
ユリは、未来のルリ君であり、この世界で生まれ変わったそうだが…。
…この世界の育ての親を失った時に、ひどく後悔したんだろう。
「…ユリ、親への一番の親孝行は、
子供が幸せになってくれることだ。
親より早く死なれるのが一番辛いんだ」
「…はい。
ラピスのことも、受け止めてあげて下さいね…」
「…ああ」
未来の惨劇…ユリカが苦しむはずだった、いや苦しんだ、あの出来事が…。
ラピスは…未来のユリカは…私に対しても負い目を感じていた…。
幸せになれなかったことを、未来での罪を、私を悲しませたことを…。
…私は何をまた愚かしい心配をしていたんだ。
そんな辛い未来を忘れられるように、幸せになれるように私は願った。
アキト君にどんな方法でもユリを、ラピスを、ラピスの中にいるユリカを、幸せにしてほしいと頼んだ。
アキト君だって、ラピスとの関係を真剣に、慎重に考えていたはずだ。
私への頼み方は言い訳できんくらい下手だったが…自分の欲求のために暴走はしないだろう。
ここまで協力してるのに制御できないのは、さすがに義父として許せんからな…。
〇地球・東京都・隠れ家──ユリ
ラピスと入れ替わりで、私はアキトさんと合流してマネージャーとして立ち回ることになりました。
こういうのも久しぶりですが、もはや私とアキトさんの間には何にも障害はありません。
まだお邪魔虫はたくさんいますけど、
ラピスとユリカさんとの関係が早めに清算できたのはぶっちゃけ助かりました。
…ラピスとの事はずぅっと気を揉むことになりそうだと思ってました。
心境的に複雑なところはありますが、逆にもう楽です。
ユリカさんとラピスがひどい目に遭った分、報われて居るのも嬉しいです。
嫉妬心はないことないですけど、アキトさんに一人で付き合ってると早死にしそうですから。
今日だって…。
「ユリちゃん…好きだ……」
「ぅ…はぁ…ふぅ…あぅぅ…」
…私は、もうおなか一杯っていうか…悶えてます。
今日は激しいっていうより、溺れるくらい愛情表現されて…。
今までもすごかったですけど、ユリカさんの一件からそれが加速してます。
この子供っぽい無限の愛情をぶつけられて、私は幸福感に満たされて溺れさせられてます。
…こんなアキトさん相手じゃ毎晩は体が持ちませんから、逆に助かってるんですけどね…。
たぶん、アキトさんの体の中のナノマシンをデザインしたのは遺跡ユリカさんです。
さすがに直接操作することはできないでしょうから、因子のコントロールでそうなるようにしたんでしょう。
この状況を見越したのか、それとも単に強くし過ぎたのかはしりませんが…。
私はまどろみながら、アキトさんに頭を撫でられていましたが、
伝えなきゃいけないこともあったので、話をしようと思いました。
昨日、実家でお父さんを待つ間、私に割り当ててくれた部屋で連絡を取り合って、
色々とまとめていたのでその報告をしないといけないと言いかけたところで、
アキトさんは疲れてるなら明日にしようということになりました。
…疲れさせた人の発言じゃない気もしますけど。
──翌朝、私達はアキトさんの作った朝食を食べ終わってから話し始めました。
「…そっか、みんな協力してくれるって。
ライザさんも…」
「はい。
彼女も味方で居続けてくれるかは未知数ですが、
生活の保障や、安全の事も考えると妥当だろうと頷いてくれました」
私達の詳しい事情を聞いた人たちはことごとく協力を表明してくれました。
今後、戦争終結までの間におこる危機の回避のためのラピスの計画がまたぶっ飛んでるので、
ライザさんは頷いてくれるかは未知数でしたが…。
それくらいのことは必要だろうと判断してくれたこと、
また私達への借りを返すつもりでいることから、協力すると頷いてくれました。
そうしないと命がいくつあっても足りない立場ではありますし…。
変装とガードの必要こそあるものの、自由に生活していいという条件は魅力的だったようです。
「そういえばカタオカテツヤってあの人。
…やっぱり伝説の始末屋だったんですね」
「…ごめん、捕まえないまでもちょっと文句くらい言っておけばよかったね」
「いえ、あの様子じゃもう足りてそうです。
アキトさんがバカすぎて呆れて腰抜かしてましたし」
「は、はは…」
協力表明をしてくれたライザさんに、ラーメン屋台の隠しカメラで撮った男…。
例のカタオカテツヤって記者が、やっぱりライザさんをかつて助けた事のある人で、
裏の仕事の元上司だったと判明しました。
ちょっと惜しいことをしましたね…アキトさんをけしかけて捕まえさせるべきでしたか。
…まあそんなことをしてもアキトさんに怒られるだけですから意味ないですけど。
「オモイカネ兄弟に敵の場所を探らせてるのは、まだかかりそう?」
「ちょっと難しそうです。
手の空いてるルリがクリムゾンの回線を当たってますが、
シークレット回線の作り方が敵ながらあっぱれな作り方です。
多重踏み台で分断しているのはもちろんですけど、
インターネットの回線のようにサーバーが海中深く沈められてるっていう噂もあって…」
「…さすがにオモイカネが強いって言っても無理か」
「というより、全てのネット上のIPアドレスを調査するっていうのが無理難題なんです。
こちらも居場所をつかまれてはいけないので多重踏み台してますし速度が出せないんです。
そうしていなければ一年以内に見つけることも可能でしょうけど…」
「それでも一年かぁ…。
いっそクリムゾンのところに盗聴器でも仕掛けられればいいんだろうけど…」
「さすがに無理でしょうね。
結局電波が出ちゃいますし、アカツキさんの会長室でもそれはバレるそうですし」
IPアドレスを総当たりするような真似をしてますし、
本丸かどうかの確認のためにコンピューター内部の捜索もありますし、とにかく時間がかかります。
敵もこちらも尻尾はつかまないように工夫はして居る状況ですし。
ニッチもサッチもってやつです。
「私達のスケジュールにばっちりあってくれるといいんですけど、
そうできなかった時は第二プランで引っ込んでおくしかないですね」
「猶予はあと四年ないくらいだもんね…。
そこまでは俺も常時コックってわけにはいかないだろうから」
「それはたぶん一生無理です」
「うう…あんまりだ…」
「味覚無くなるとか外道に成り果てるとか、
そういう人生じゃなくなっただけでも儲けものです。
挙句に三股して、とっとと戦争から降りてんですから贅沢言わないで下さい」
「そ、そうだよね…。
やりたい放題してるよね、俺…」
アキトさんはげんなりとした様子でうなだれました。
…アキトさんは未だにコック専業を夢見てますけど、
どんなに頑張っても週一回くらいは芸能界出ないといけないでしょう。
たぶん一生。
そうじゃなくても影響力をある程度残しておかないと後が怖いですから…。
…しかし、またラピスは趣味全開のやり方を考えましたね…。
〇地球・東京都・立川市・連合軍基地・指令執務室──サラ
私とアリサは二人で日本にやってきた。
わざわざ通信じゃなくて呼び出すってことは何か重大な用ってことだろうけど…。
私は詳しいことを聞かずに、アリサとともに『翼の龍王騎士』で日本に向かった。
…っていうか『ダイヤモンドプリンセス外伝・プラチナナイト』のアンソロジーコミックがことのほか面白くて、
思いっきり夜更かししてしまって、ボケボケしたまま乗り込んじゃったのよね。
アリサには『出撃一時凍結で休暇だからってスクランブルがかかることもあるのに、油断しすぎ』って怒られちゃった。
だって久々の長期お休みなんだもの…。
「でもおじい様が私達をミスマル提督のところに寄越すの、
よく許可したわよねぇ」
「姉さん聞いてないの?
おじい様は「あの」ホシノアキト直々にDFSの使い方を教えてほしいと頭を下げたと、
ほくほく顔で自慢してたけど」
……それが本当に理由かしらね。嘘も方便の類な気がするけど…。
真の用事は分かんないけど、戦いの栄誉にこだわらないホシノアキトさんらしいわよね。
とにかく、私達はミスマル提督の部屋に入った…ら。
「「あ、あのミスマル提督…食事中に失礼しました」」
「うん?
ああ、すまんな、アリサ中尉、サラ伍長。
こちらこそ、時間が過ぎてしまっていたか。
すぐに食べてしまうから待っていてくれたまえ」
ミスマル提督はお弁当箱に入ったチャーハンをかっこむと、すぐに私達に話を始めた。
…けど、食べていたチャーハンについての話が始まった。
「いやラピスがお弁当にチャーハンを作ってくれてな。
これがなかなか…アキト君と店を持ちたいと特訓していたようでなぁ。
まだチャーハンしか作れないからと申し訳なさそうにしている姿がまた愛らしくてな…」
「「は、はぁ…」」
……妙に熱のこもった様子で、養女として向かえたラピスちゃんのことを語って、十分余り。
私達は時間通りにここに訪れたことを盛大に後悔しながらも、すべて拝聴した。
そして、ようやく本題に入った。
「…『翼の龍王騎士』を完封するレベルの敵が出てきていることは聞いている。
連合軍内でも疑問に思っているが、私と娘たちはそれが時間稼ぎだと推察している」
「時間稼ぎ?
なんのためです?」
「それはわからん…が。
敵は君たちを完封するだけで倒しきらない。
しかも『ヤマタノコクリュウオウ』の量産は行わない。
となると、君たちが規格外の戦闘をできることが大きな理由になるだろう。
考えられるのは、ヤマサキ博士が「君たちが居ない状態での」戦争継続を望んでいることだ。
それも君たちを殺さぬままにな」
「「な!?」」
「君たちの『翼の龍王騎士』の戦いぶりは常軌を逸している。
ヤマサキ博士は…君たちとDFSの組み合わせに、
かつての核兵器のような畏怖を覚えているのかもいるかもしれん」
…そういえば私達は自分たちの家族を守れる、戦果を挙げられるということに酔いしれて、
自分たちのしていることの危険さについて無頓着だった気がする。
アリサがパイロットを始めることに反対していた私や両親でさえも。
私達はシミュレーターでどこまでやれるか、限界を計ったことがある。
結果は…連合軍艦隊全戦力をもってしても、私達には勝てないと判明してしまった。
ホシノアキトさんたちやナデシコ級が集まった場合や、私達の消耗を狙った波状攻撃だったら分からないけど…。
戦力がなまじ、まとまっている状態だった場合、紙風船のように吹っ飛ばせてしまう。
DFS、ディストーションフィールド収束装置を自在に扱えるというアドバンテージは恐ろしいものだった。
このシミュレーターの結果は、外部に出すわけにはいかないってことでサラとデータ消去したけど…。
…今の戦果でさえも、危険視されるには十分だった。
いいえ、違うわ。
もう私達は『ホシノアキトさんに並ぶ英雄』、
しかも『ホシノアキトさんの後を継ぐ英雄』として期待されている。
エステバリスを広め、和平のきっかけを作ったホシノアキトさんは、間違いなくこの戦争の立役者。
今でこそ私達やテンカワさんという対抗馬になりえる存在がいるけど、当時は最強だった。
まさに英雄と呼ばれるにふさわしい活躍をしてきた。
でも、私達はそのホシノアキトさん専用機『翼の龍王騎士』をホシノアキトさん以上に扱える。
装飾や色、OSのタイプ以外は全く同一の『ブローディア』でさえ、
ホシノアキトさんとテンカワさんが操ったところで私達に遠く及ばない。
間違いなく戦いから降りたホシノアキトさんの後を継ぐ存在だと、私達はもてはやされた。
西欧もそれで希望に満たされ、勇気づけられたと思っていたけど…。
でも、確かに戦争が終わったら私達はどうなってしまうのか…。
確かにそれを考えたら、『翼の龍王騎士』と引き離されて、
危険視されたり、もしかしたら暗殺されたり、
手籠めにされていいなりにさせられたりもあったかも…。
…!?
ちょっと待って、それじゃまるで…!
アリサは叫んだ。
私が考えていることと全く同じことを…。
…確かにそうとしか思えないわ。
私達に気遣っていないのであれば、さっさと殺しているはず。
ヤマタノコクリュウオウが二機居たら、手も足も出せずに私達は…。
そうしないってことは、私達を殺すつもりもない、どころか助けるつもりがあるってことになる。
「…そこまでは言わんよ。
だが、こんな事態になってしまっているのも、また事実だ。
時間稼ぎを考えているのは間違いないだろう」
時間稼ぎ…推測とはいえ、反論する根拠もない。
…でもミスマル提督は「ヤマサキ博士が地球と私達を気遣っている可能性」も否定しなかった。
ヤマサキ博士の考えてることは分からないけど…。
とにかく戦争を長引かせるつもりなのは確かで、
しかも戦い方をみるとかなり限定的な戦争をするつもりなのが分かる。
「君たちも『翼の龍王騎士』で出撃しなければ敵には気づかれないかもしれんが、
DFSを使っての戦闘をすれば、気づかれる可能性が出てくる。
君たちが一時的に戦線離脱せざるを得ない状況になった以上、
そして敵が戦場をかなり限定して来ると分かった以上、
君たちを戦場に縛り付ける必要もなくなった。
そこでDFSオペレーターの発掘と指導の任に当たってほしいということになった。
これはグラシス中将にも許可を取ってある。
日本という地が、アキト君の生まれた国であることから、
かなりIFSの導入が多かったからな。
君たちに協力してほしいのだ」
「「発掘と指導ですか…」」
「これは連合軍とPMCマルスが協力して行うことになった。
だが、これもまた訓練のノウハウがないに等しい。
DFSの達人と言える君たちの協力が必要なのだ」
それは休暇の終わりを告げる言葉だった。
確かにDFSの量産が決定した今、できるだけ扱える人間を増やさないといけない。
一長一短には習得できない類のものだから、向き不向きの選別だけでも大変そうね…。
もっとも、DFSオペレーターはDFSのコントロールと集中力、適正の方が必要だから、
素質がなければすぐに弾けるし、訓練というほどのこともしなくてもいい。
なるほど、人数を見る必要はあるかもしれないけど、これはかなり効率のいい方法かもしれないわね。
私達はアリサのエステバリスパイロット訓練の古巣、PMCマルスに向かうことが決定した。
ホシノアキトさんは週の半分以上東京で滞在しているそうだからそうそう顔を合わせることもないでしょうけど。
そういえば、関係ないけど…。
…なんでか分からないけど、私、パイロットの訓練は受けてないのに、
試しにパイロット適性を調べたらアリサとほとんど変わらないスコアを出せたのよね。
アリサは「姉さんのいつもの天才肌だ」って騒いでたけど…。
うーん、DFSの一件以上にうまくいきすぎてる気がしてて、なんか疑問なのよね。
アリサの操縦を一番近くで見てるというのはあるけど…ほかに何か原因があるのかもしれないけど…。
〇東京都・ネルガル付属病院・診察室──ホシノアキト
俺はアイちゃんに呼ばれて、健康診断に来ていた。
今日は隠れ家で料理の勉強を、珍しく座学でやっていた。
ちょっと知識面が弱すぎるし、ぼうっとしてるところがあるのでたまにはと。
ユリちゃんたちが女同士で出かけたいなんて言うもんだから、完全オフだ。
午後はアイちゃんに健康診断を受けないといけないし、終わったらユリちゃんたちを迎えに行くから、
完全オフとは言っても五時間もないくらいなんだけど…すごくゆったり過ごせた。
こんな風に過ごせる時は、この五年はそうそうないだろうからな…。
で、ひとまずアイちゃんに精密検査、そして健康診断をすべてやってもらった。
一応、火星の帰りに体は大丈夫だと太鼓判を押してもらったが、
計画のためにも、そして俺のこの特異な体についても詳しく調べるのは続行しないといけない。
……まあ、一時は丸裸に剥かれた時だけは閉口したけどな。
『黒い皇子』時代も何度かやられた。
そのままベタベタ触診されるもんだから、俺は顔を真っ赤にして黙ってることしかできない。
必要があることだと分かってても、こいつは慣れん…。
「はい、OK。
お兄ちゃんはもうメンテは半年に一回くらいでも平気なくらいよ」
「ありがとう、アイちゃん」
「何てことないわ。
目の保養もさせてもらっちゃったし~♪」
……な、なんかオバサン度が上がったかな?
イネスさん時代とは種類が違うけど。
うう…色々と身体機能を確認しないといけない境遇とはいえ、本当に勘弁してくれ…。
…そういえばユリちゃんとラピスもここまでされてるのか?
いや…たぶんしないだろうな…くぅ…。
「ま、とにかく。
計画のためにも必要なことがいっぱいあったけど、
そっちは大丈夫そうだから安心していいわよ」
「そっか…」
…げんなりするくらい濃く描かれた未来予想図、ラピスの計画。
あれはホントにできれば避けたいことも、もっとゆったり決めたいことも含まれてる。
とんでもない計画だからな…。
「私も社検ばっちりとったし、
準備万端!
お兄ちゃんのナノマシンの論文も、学会と世間に大うけ!
女の子の夢を叶えるナノマシンだもの!」
「…そ、そっか」
結局、アイちゃんは社検…社会人検定をナノマシンの分野で取得したらしい。
基礎の部分は当然のように満点、論文についてはフレサンジュ博士と一緒に研究、
俺の体内ナノマシンのサンプルを投入したラットがの細胞分裂が四分の一まで遅くなり、
身体能力はそのままに、事実上「四年に一回しか歳をとらない」ナノマシンが発見されたことになった。
これでアイちゃんは無事社検に受かり、さらに上を目指そうとしているらしい。
認可はまだ数年以上先になるだろうが、より慎重な研究を重ねた上で、本人の承諾必須で使用されることになった。
パッチテストの方法もかなり先進的なものになって、安全性が極めて高いものになった。
そしてこのナノマシンに名付けられた名前は『AH型うるう年ナノマシン』。
AHは言うまでもなく、アキト・ホシノ、そして四年に一回しか歳をとらないことからうるう年。
スポーツの祭典の名前を付ける案もあったが、アイちゃんがこだわらなかったことと、
名前の使用権を考えるとめんどくさいということ、名前の魅惑度が高いからうるう年の方を採用したとか…。
俺に投与された他のナノマシンの研究もまだ継続している。
本当にこのナノマシンを放っておいていいかどうかも分からないし、
そうじゃなくてもラピスの計画には、俺のナノマシンの解析は必須だった。
本当は気が引けるが、これも必要なことだ…。
「それと、テンカワお兄ちゃんが急に強くなったことについてなんだけど…」
「あ、分かったの?」
「実は、タンデムアサルトピットが原因みたいなの」
「え?」
アイちゃんは詳しいことを話した。
通常、IFSはタンデムで同時に操作すると、干渉しあう可能性があるらしい。
普通だったらIFSの操作混線で動作が遅くなったりするだけなんだが…。
俺とテンカワのように遺伝子の酷似した人間が操作すると混線はおこらなくなる。
それどころかIFSを操る時の電気信号が直接本人に伝わってしまう。
IFSを処理するコンピューターが、操作用の軽いフィードバックを与えるための軽い電気信号の返信を、
両者に与えてしまうのが原因だったそうだ。
結果として、操作経験や、運動神経の経験部分が共有されてしまうっていう現象が起こるらしい。
つまり、俺とテンカワ、天龍くん、地龍くん兄弟、北斗と枝織ちゃん、アリサちゃんとサラさんのような、
オリジナルとクローン、双子だとこの操作・運動の経験の共有は起こりやすいらしい。
そうなるとユリカ義姉さんもIFSを入れるとラピスと共有が起こると。
……まさか新型IFSのせいで起こった、ブラックサレナに俺の経験がコピーされた事件のようなことが、
タンデムアサルトピットが原因でそんなことが起こるなんて…。
「この現象を『ドリフト』って呼ぶことにしたの」
「……どっかで聞いたような」
…いやそんなことはどうでもいい。
素質があるとはいえ、確かにあんなに早くテンカワが習得できる訳がないとは思ったが…。
特にテンカワとは、月でのブラックサレナでの激戦で長時間タンデムしていたし、ラピスを助けに行った時も…。
……そりゃ、急激に成長するわけだ。
どっと来るな…苦労したものをかすめ取られたような気持ちだ。
ユリカ義姉さんを守るためだからいいんだけど…いいんだけど…。
「じゃ、私はこれからお仕事あるから」
「え?
そろそろ退勤時間じゃないの?」
「テレビ局のお仕事入っちゃってるの。
眼上さんにスカウトされちゃった♪」
…どうやら事情説明の時の「なぜなにナデシコ」の完成度に感心して、
アイちゃんにテレビ番組を持ってもらう事になったらしい。
ルリちゃんと同じく天才少女というジャンルに属している。
火星では幼いながらにフレサンジュ博士の助手をしていたということになっていて、
さらに社検の論文で、俺のナノマシンを研究しているということもあって世間の注目度は抜群。
博士号の取得も確実といわれてるので、話題性もあるっていうことで…。
それで科学系の番組を持つことになってしまったらしい。
…イネスさん時代からそういう番組作りたさそうな気はしてたけど、
やっぱりこういうことになるわけか…。
「初回はお兄ちゃんたちもアシスタントしてね♪」
…勘弁してくれ。
〇東京都・池袋・ムーンライト90──北斗
俺と枝織はホシノとテンカワの依頼で、ミスマル四姉妹の護衛を引き受けていた。
なんでも地球を出る前に約束したらしい。
たまには女の子同士で出かけようという話をしていたとかで…。
死地に出る前になんとも暢気なものだと思ったもんだが。
そうなると普段この四人の護衛をするホシノ・テンカワ・ヤガミの三人は不向きだった。
当人たちは本当は護衛もなしに出掛けたかったようだが諸事情を鑑みて無理、
ということで俺と枝織が護衛をすることになった。
かなり不本意だが、仕事を一切せずに給料だけもらうのも気が引けたので引き受けた。
草壁閣下は俺たちがまたこういう仕事をするのを渋っていたが、
結局俺たちがまっとうな仕事に就くというのはそれなりに難しいので、
ホシノアキトを見習って、段階的にシフトするためにも今まで通りの仕事をしていいと言ってくれた。
…地球にいる俺達に干渉するのもそれはそれでよくないと思ってくれたらしい。
もっとも、俺たちや親父があまり目立つのは危険ではあったが…。
それも含んで、なんとかするつもりらしい…めんどくさいが仕方ないだろう。
普通に生きるのが土台無理な話なんだからな…。
「「おいしーーーっ!」」
「「たまにはいいですね、こういうの」」
フルーツパーラーでパフェを楽しんでいる、
ミスマルユリカとホシノユリ、ルリ、ラピスラズリ…テンションが二組それぞれ同じだ。
無作為跳躍によってこの世界に現れた同一人物とは聞いていたが…。
「北ちゃんも食べないのー?
おいしいよー?」
「苦手なんだよ、甘ったるいのは。
そもそも警護中に甘味を楽しむ奴があるか」
「私はー、付き添いとか接待とかすることがあったりするからふつーだよ?」
枝織は護衛中にもかかわらず、パフェを思いっきりほおばってる。
俺は珈琲だけ単品で頼んでいた。
暗殺の仕事がメインだった枝織…そういえば色香を使って暗殺するのが得意だったか…。
俺と同じに考えたのが間違いだったか…。
「それより枝織。
お前、何人倒した?」
「12人くらいかなー。
一応、オーダー通りに気絶くらいにしてあるけど」
「俺が少し負けてるな。
9人だ」
「北ちゃん飛び道具嫌ってるし仕方ないよ」
枝織は手の中の大豆より少し大きい金属球を転がして、数を数えた。
これはホシノアキトから持たされたものだ。
女性が持ち歩いても凶器として扱われないし、健康用品だとか占い用だとか色々言い訳しやすいからと。
昴氣をまとわせて指弾として撃ちだせば、拳銃弾並みの威力になる。
狙撃手をこの金属球で倒しているようだが…枝織は厳密に依頼を遵守しているらしい。
真球で、空気抵抗に影響を受けやすいので距離が離れれば致命には至らんだろう。
…こいつのことだから後遺症が残るような倒し方をしてるかもしれんが。
俺は金属球は少しだけ持って、
枝織たちから少し離れて直接刃物で暗殺を狙うやつを、
昴氣を注ぎ込んで昏倒させて倒していた。
それでもこれだけ引っ掛かるとはな…。
街中で狙ってくる奴がいるとはな…やはり敵も焦っているようだな。
いや、女だけで出かけてるってことでかなり舐めてるってことだろう。
ホシノたちが護衛してる時はほぼ手を出してこないらしいしな。
・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。
日が暮れて、ミスマル四姉妹の外出が終わろうとした頃…。
車で迎えに来たホシノとテンカワの二人の他に、もう一人…夏樹がついてきていた。
「夏樹、どうした?」
「…話があるの」
ラピスラズリの方を見て、夏樹はボソッと小さく話しかけた。
ホシノも何かに気付いた様子だったが、ラピスラズリがすっと手で制した。
「…アキト、みんな。
ちょっとだけ待ってて。
…私、夏樹さんと話してくるから」
「だったら、俺も…」
「いいの、女同士じゃないと話しづらいことだから」
…そして結局、俺と夏樹、ラピスラズリの三人で公園に出てきた。
立地的に狙撃しやすいポイントもなく、その割に見晴らしがいいから幾分かましだろう。
さすがに奴らも懲りたのか、殺気もない。
少し話し合うくらいなら問題はないだろう。
「……あなたが考えてる方法、あんまりバカらしくて、
許すのがバカバカしいって思い始めてるの」
「…ごめんなさい」
「…あなたに謝ってもらっても仕方ないわ。
私は、この計画の首謀者のラピスラズリに言ってるの」
すぐに謝ったラピスの態度を見て、夏樹はラピスの中にいる例の『テンカワユリカ』だと察したのか、
ラピスラズリ本人を呼び出すとむっとした顔になり人格が入れ替わった。
…奇妙な奴。
「…。
しょうがないじゃない、そうしないと助からないんだから」
「…ヨシオさんのことを考えなさいよ。
不真面目すぎるって言ってんの。
ヨシオさんがどんな気持ちであんな事したのか、分からないの」
「ヤマサキだって悪ふざけみたいじゃない、あんなの。
方法とか気持ちとか、そういうの考える方が馬鹿らしいよ。
ふざけてたって、誰も死なない方法をとれるほうがいいに決まってるよ。
…真面目そうな顔して『正義の戦争』なんて一番あり得ないお題目をつけて、
利益のための愚かな殺し合いしてるほうがよっぽど不真面目じゃない。
だから私達はヤマサキに調子を合わせて…。
ううん、協力して戦争を終わらせるの」
……容赦ないな、ラピスラズリ。
夏樹は反論の余地がなくて、でも感情的になんとか押し返そうとしているようだが…。
ラピスの計画を否定することがヤマサキの計画を否定することだと、
頭で分かってしまっているから黙り込むしかないんだろう。
「…ラピスちゃんの言ってる事、私も正しいと思う。
でも、どんなに間違ってることでも、
大事な人を取り戻したい気持ちもすごくわかるの…。
…同情してるって思うかもしれないけど。
だから、夏樹さん…私達は協力できることはしたいと…」
「…手を貸してくれるっていうわけ?
あんた達の手を借りるなんて、死んだって…」
「強がるのはやめておけ、夏樹。
今のお前がどう努力してもこのままじゃ木星に向かうのは無理だろ。
…どんな手を使ってでもたどり着こうとする意志がなければ、結果は見えている」
見えては居ないが、夏樹は俺の方を睨んだだろう。
だが事実を言われて、また言葉が出てこなかったようだ。
夏樹に素質が全くないとは言わんが…少なくとも操縦者向けだ。
そして夏樹が個人で操縦者に応募したところで火星に行けるか怪しい。
「……本当に、ヨシオさんのところにたどり着けるの?」
「…約束はできません。
でも出来る限り、手を尽くします。
あとは…」
「…私次第ってことね」
夏樹は察したようだ。
恐らく、ヤマサキ討伐の命令は地球上の艦隊の半数以上で向かうことになるだろう。
それが果たして何年後になるのかは分からん。
だがその艦隊に入り込むには、並みのパイロットでは務まらんだろうし…。
いくらミスマル提督のコネがあっても、実力がなければ間に合わないだろう。
ヤマサキを説得するというのも、大々的に説得役として前は出れない。
──つまり、本当に実力をつけて艦隊に入れたとしても、確実に会えるとは言えない。
それでも夏樹は、ここで退くことはできないだろうな。
「分かったわ。
あんた達の力を存分に借りることにする。
…全部ご破算ってわけにはいかないけど、それくらいの権利はあるわよね」
「ありがとう、夏樹さん」
「…ったく、調子狂うわよね。
リセットされる前の世界で、私を殺した相手に…。
ヨシオさんを悪人にしたような人に助けられるなんて」
「ごめんなさ…」
「謝ってんじゃないわよ。
…分かってるの。
未来の出来事は私にはどうしようもできないことだし、
あなた達とヨシオさんの確執にも、口を出せないのも。
そもそも私を置いてったのはヨシオさんの判断。
あなたのせいじゃないわ。
…でも、これだけは聞かせて。
あなたは…ヨシオさんを、恨んでない…?」
「…夏樹さんと同じです。
ちっとも恨んでないっていうと嘘になっちゃうけど…。
大切な人を愛することができる、優しい人だって分かっちゃうと二度と撃てません…」
「…そう」
「…遺跡の、私が言ってたんだって。
アキトは何度も繰り返した歴史の中で…。
私を助けたら、一人で背負ってどこかに行っちゃうんだって。
ひどいよね…」
「ヤマサキさんも、同じことしてるのね…」
「うん、私もルリちゃんも置いて、ラピスちゃんとどっか行っちゃうの。
ひどいよね、ホントに」
「くすっ、ホントにひどいわね、それ」
「でしょ?
…。
まあ、私はそれでも一向にかまわなかったんだけどね」
夏樹とラピスの言葉が、だんだんと柔らかいものに変わって行く…笑いすら含んでいる。
似た者同士、いや似たもの夫婦が二組居たと、同じ人間同士だと認め合うように。
…分かり合った、のか。
なんとも俺には理解しがたい女二人の会話だがな。
──それから、俺たちは佐世保に戻った。
夏樹は戻ってからすぐに稽古をつけろと言い出した。
昨日までは夏樹は鬱屈とした想いを抱えて特訓に臨んでいたが…。
帰ってから少し見てやったが、だいぶマシな顔になったな。
精神が集中しきれていなかった夏樹の姿はもうない。
…憎しみで強くなれる奴じゃないからな、夏樹は。
一段落すると、夏樹は汗をぬぐいながら、俺の方を見た。
「……ヨシオさんは、
私に新しい恋を探してほしいって手紙に書いていたの。
あんな別れ方したら、そんなの無理なのにね」
「…そうか」
「だから私、絶対あきらめてあげない。
ううん、ヨシオさんが死んだって私、誰にもついてかないの。
…一生、ずっとヨシオさんの思い出を胸に抱いて生きていくつもり。
私にとっては、ヨシオさんが一番の英雄。
誰がなんて言っても、世界最悪の悪人だって全世界の人が言うようになったとしても。
ホシノアキトなんか目じゃないくらいの、木連を救った最高の英雄なの。
そんな人を、誰よりも大切な人を諦めてしまうなんて出来るわけないじゃない…」
……夏樹はただ、一筋の涙をこぼして、すぐにぬぐった。
ヤマサキに会う時まで、二度と涙をこぼさないと誓うように、俺を見た。
まだ戦士の目ではなかったが、か弱い女の目でもない。
なら…。
「もう手加減は要らんようだな。
…行くぞ」
「ええ」
俺は夏樹に容赦のない殺気を向けた。
夏樹がめまいを起こしそうになりながら、震えながらも倒れずに耐えるのを見て、
これからまでとは比べ物にならない、危険な鍛錬に間違いなくついて来れるのを確信した。
自棄で強くなれるほど、武は容易くない。
今まで通りの取り組み方だったら、適当なところでけがをさせて退場させるつもりだったが…。
ここまで精神が研がれれば、素質以上のものを手に入れることが出来る。
DFSという武器を扱えるようになるだけなら、想像力と精神力を鍛えればいい。
「倒れるなよ。
受けて立ち続けろ」
俺は手のひらで夏樹の腹に触れた。
殺気を混ぜた昴氣をぶつけて、夏樹に致命傷を受ける感覚を与えた。
通常の電気信号にすぎない触覚、痛覚を乗り越えてくる痛み。
物理的な強化や破壊力の倍増に使える昴氣だが、人体相手だとこういう方法も取れる。
DFSと昴氣は表裏一体。
両方とも意識、想像力を必要とするが…。
特に昴氣は人間の身体能力を高める。
身体能力は、感覚を鋭くする、察知能力を上げるということも含まれている。
それを応用すれば、俺が想像した感覚…俺が訓練のために受けた刺し傷の経験を、
直接昴氣を介して夏樹に与えることすらも可能だということだった。
あまりにも現実的な刺し傷の痛みに、悶絶する夏樹。
だが俺が言うまでもなく、両足を踏ん張って倒れなかった。
「現実の痛みじゃない痛み…昴氣の痛みはどうだ?
これを自分の意識の操作で消し去ることが出来れば、
お前はDFSの操作をも容易くできるようになる。
想像しろ。
刃を押し返せ!」
「手で俺の手を外そうとしてどうする。
あくまで気を押し返すんだ。
痛みに耐えながらではうまくいかんだろうが、
今は昴氣が体内にある感覚になれろ」
夏樹は激痛で半狂乱になりながらも声は何とか届いているようで、俺の手を外そうとしているのはやめた。
それでも腹から手を外すことはできず、刃を抜く動きをしているが、当然そんなものは意味がない。
…だが、ほんの少しだけ押し返している感覚がある。
思ったよりずいぶん素質があるようだな。
「いいぞ、夏樹。
弱々しいが、わずかに押し返せているぞ。
夏樹は脂汗を全身に浮かべながら、悶え狂いながらも一歩も動かずにいた。
一歩離れるだけでも、逃れられる。
俺は少し逃げたところで責めないつもりだったが、こいつは中々…。
──それから五分ほどが経過した。
夏樹は幻影の痛みに耐えながら俺の昴氣に対抗したが、
やはり最初から押し返すことなどは不可能だった。
「あぁ……ぅ…」
つい、夏樹は痛みで気絶してしまった。
俺は頭を打たないようにだけ支えて、横たえてやった。
鼻血が出ているし、口からは泡を出している…失禁もしてるな。
脈拍は早いが安定しているし、呼吸も十分だ。
命に別状はないだろうが、三日は立てないだろう。
……こいつは想像以上だな。
夏樹も木連婦女子の訓練はしていただろうが、
戦闘に不向きで戦闘強度の低い訓練を受けていたはずなのに、ここまで耐えられたか。
急所を打っていないし、前置きありで始めたとはいえだ。
これはミスマル四姉妹を護衛している最中に、
襲撃者の連中に打ち込んだものと同じくらいの威力がある。
それを夏樹がわずかとはいえ抵抗し、五分も耐えた。
覚悟が並みでなかったこと…そして素質が並みじゃないのが良く分かった。
「有望だぞ、夏樹」
夏樹は聞こえては居ないだろうが、俺は感嘆の声をこぼすほど感心していた。
俺は意識を失った夏樹を担いで、医務室に向かった。
…。
夏樹はその後、DFSオペレーターの選抜会に参加することになり、
俺と枝織の鍛錬の元、木星を目指すことになった。
体術もそこそこ教えてやる必要があったが、体術はそこそこでも、あの素質だ。
夏樹はそのうち昴氣を、俺たちほどじゃないが使えるようになるかもしれん。
武を極めていない者が身に着けたところで、最低限身を守る程度でしか扱えないだろうが、
それだけあれば素手の戦いでなければ間に合う。
足りない部分を補うのには十分だ。
…さて、どこまで仕上がるかな?
〇地球・佐世保市・PMCマルス本社・アキトとユリの部屋──ルリ
私達は久しぶりに四人そろって集まることができました。
週の半分はユリカ姉さんと私はユーチャリス訓練施設に、ユリ姉さんとラピスはほとんど東京です。
週末は佐世保に戻ってきて食事くらいは一緒にとりますが、
そのほか未来の準備のこともあって、プライベートでのんびり出かけるなんて中々できません。
北斗さんと枝織さんについてきてもらって、久しぶりに羽根を伸ばすことが出来ました。
普通の女の子らしく出かけられるなんて、あんまり趣味じゃないですけど嬉しいものですね。
…っていうかあの場でホシノ兄さんとテンカワ兄さんが居ると、
私だけぽつんとあぶれるんで寂しいんです。
そういえば、夏樹さんは何か思い詰めた顔をしてましたけど…。
戻ってきたラピスは浮かない顔はしてなかったんで大丈夫でしょう、たぶん。
で、今は何をしてるかっていうと、おにーさん二人を追い出して、女の子で集まって寝てます。
「たまには一日中、女の子同士、仲良し姉妹で一緒にいよう!」ってユリカ姉さんの提案です。
ホシノ兄さんもたまには羽根を伸ばしていいでしょうしね。
今後の人生、プライベート時間をユリ姉さんとラピスに完全差し押さえが決まってますし。
とはいっても、どこいっても目立つから、
健康診断の時間まで隠れ家で料理研究に明け暮れてたみたいですけどね。
しかも私達を佐世保に送ったら、再びとんぼ返りで東京に戻りました。
私達が集まるって言ったら、寂しいのかアカツキさんのところに向かったようです。
「えへへ~。
うれし~な~たのし~な~♪」
「…ユリカ姉さん、ぶっちぎりで楽しんでますね。
私もですけど」
私はユリカ姉さんの隣、ユリ姉さんとラピスが隣同士です。
それでも四畳半でちょっと狭いので結構ぎゅうぎゅうです。
修学旅行みたい、とつぶやいてる様子もありましたけど、私達は学校に通ったことがないので、
このあたりの感覚は分かりませんが、楽しいのは分かります。
「…私、こんな幸せを捨てようとしてたんだね…いたっ!?」
ぼそっとラピス…の中の未来のユリカ姉さんがつぶやきました。
あ、ユリ姉さんが軽くデコピンしてます。
「まったく、しつこいです。
アキトさんの根暗な部分をもらったからってそんなにいじけないで下さいよ。
…めいっぱい幸せにしてもらってんですから、笑ってほしいです。
それとも、落ち着かないならアキトさん呼びましょうか?」
「…んーん。
もうあれから悪夢一回も見てないから大丈夫。
そ、それに…こんなにいっぱいみんなで、姉妹になれるなんて思ってなかったし…。
こんなに幸せだと、もう泣いちゃいそう…」
「ラピス…」
…そういえば、ユリカ姉さんも一人っ子でしたよね。
お母さんを早くに亡くして、ミスマルお父さんに愛されていたとはいえ、
寂しかったんでしょうね…一緒に育ての両親と暮らしてても、愛情がないと孤独感すごいですけど。
……私達、同一人物が二組もいるのに、
なんか全然違う生い立ちを持ってるせいで、そんな気がしないんですけどね…。
「…いっぱい私達助けてもらったよね。
改めてお礼を言いたかったの。
ありがとね、ラピスちゃん…それと、未来の私も。
私、未来のこと聞いて、すごく怖くなった…。
でもアキト君とユリちゃん、ラピスちゃんが私たちのことを助けてくれたから、
今、こんなに幸せなんだなって、泣いちゃいそうなの…」
「うん、良かった。
みんなの幸せがアキトのためだし、
幸せだってみんなが言ってくれるなら頑張った甲斐があるよ。
私もホントはしてもらえないことを一杯してもらえたもん♪」
「…相変わらずですね、ラピスは」
…ラピス本人は『私なんて元々じゃルリより分かりづらい子で、根暗なんだから』と言ってましたが、
今じゃホシノ兄さんも私達ものできないことを肩代わりしてますよね。
それに、とっても現金っていうかストレートっていうか…。
これも未来のユリカ姉さんの脳髄の影響らしいんですけどね。
「…でもユリカ、これからはいっぱい頼らせてもらうからね。
あのストックホルムでの戦いで、ひとまずは私達がたどるはずだった運命は前倒しで消化できた。
だから基本的には逃げ切ったって言っても過言じゃないんだけど…。
逆に言うとこれからの出来事も運命も、全く読めなくなる。
これからの私たちの戦いは、16216回繰り返しの先に進むの。
…だからこそ、主導権は絶対に周りに持たせちゃダメなの。
そうなったら重子の占いでも先回りが困難になるし、意味が無くなる」
「…うん、分かってる」
ラピスの立てた計画は、かなり攻撃的です。
敵に攻撃される前に、こちらから攻撃を始める…。
でも表立って彼らに攻撃しているようには見えてはいけない。
そんな無理難題を通すために、私達は生活すらもその計画に組み込みます。
それどころか、この計画に自分たちの人生設計すらも組み込んでしまう必要があるんです。
五年は好きな方向に身動きがとれないのは決定してしまっている。
とはいえ不本意なことをたくさんする生活ではあれど、幸せなので別に不満はないですけどね。
「…あのね、これはあんまり確定的には言えないんだけど…。
アキトに聞かせたくないけど、みんなには言っておかないといけないことがあるの」
「「「?」」」
「…ヤマサキさん、たぶん遺跡ユリカがバックについてるよ。
そうじゃないと説明つかないことが多いもん」
私達は驚きのあまり、ばっと布団を跳ね上げて起き上がりました。
それは想定してませんでした。
…言われてみれば、一人じゃできないことが多そうな気はしてましたけど。
ユリカ姉さんだけは静かに体を起こしてラピスの方をじっとみていました。
「ここまでの敵の攻撃なんだけど…。
私の覚えてる木星との戦争中の攻撃内容、戦地のチューリップの配分、
攻撃時間まで寸分たがわずに行われていた。
ラピスちゃんとして眠りから目覚めてから見た世界の戦況が、
私の知っているものとほぼ同一だった。
確かに攻撃計画書があればうまくできるだろうけど、
でも戦況を見ながら変えていった部分もたくさんあったはずなのに。
当然、ヤマサキさんは当時軍の攻撃計画について詳しくなかっただろうし、
攻撃計画書が残っていたとしても、ずぶの素人じゃ無理。
挙句の果てに、新型機を開発しながら、
たった一人で攻撃を続けて戦況を見続けるなんてもっと無理だよ?
それが出来る人物、そしてそれを覚えている可能性がある人物は…。
私の記憶を持っていて、
しかも木星大戦中のボソンジャンプのログデータを持ってる可能性のある、
遺跡ユリカ、ただ一人だと思うの」
「…だよね。
時間稼ぎにしたってちょっと妙な戦い方してるし…。
ここまでの戦いって、戦術的に下手なところは多いけど、
ちゃんと兵法に沿ってるものだった。
一人で管理してたらそんなことできっこないもん」
「そ、それじゃあ…」
「…うん、遺跡ユリカは嘘をついたの。
自分から人間に干渉することはできない、
戦争に直接手を下すことはできないっていうのは嘘。
16216回の繰り返しの最中ではどうだったかは分からないけど、
今回は間違いなく手を出してる。
でも、干渉できないことにしないと、
アキトは気にしちゃうと思って、あえて黙っていたの。
…結局『アキトを想うユリカの気持ちが戦争をゆがめた』って気にしちゃうから」
それは十分あり得ますね。
ホシノ兄さんは元々そういうところは潔癖らしいですし。
テンカワさん時代、『黒い皇子』時代は本当に融通が利かないタイプだったとかで。
遺跡ユリカさんが噛んでいるということは…遺跡ユリカ君さんの力があれば…。
その気になれば戦争そのものをなかったことに出来る可能性が出てきます。
ボソンジャンプの演算ユニットを破壊すればボソンジャンプのない世界が作れるという仮説通り、
ボソンジャンプが初めて起こった時までさかのぼり、
そこからボソンジャンプを止めてしまえばすべての戦争はチャラにできる。
でも、そうしなかった。
考えられる理由は…。
この戦争を通じて、戦争というものを人々に捨てさせるため?
でもそんな大層なことを考えてるとは思えません。
木連の人たちを救うため?
…火星の人たちを死なせてまでやるとは考えづらいです。
一番、妥当で、考えられるとすれば…。
ボソンジャンプがない世界になったら、永久に再会せず、すれ違うはずだった…。
テンカワ兄さんとユリカ姉さんが無事に結ばれる瞬間を作る。
その経過をホシノ兄さんとユリ姉さん、ラピスに作ってもらう、ということでしょう。
そんなことを聞いたら、ホシノ兄さんはさすがに気負うでしょうね…。
いえ、ユリカ姉さんとユリ姉さんだって…。
「…私ってとんでもない悪い子なんだね。
自分の思うとおりにそんなことを…」
「だよね…」
…ユリカ姉さんとラピスはうつむいてしまいました。
止められた戦争…死んだ火星の人たち、戦争で死んだ人達の人生は…。
…私達と同じ重さを持ってるはずだったのに、遺跡ユリカさんはそれを止めなかった。
そんな罪深い私達が幸せになる資格があるのかを…私も、考え始めてしまいました。
と、思ったらラピスはため息を吐きました。
「なに勝手に背負ってんの、ユリカ達は。
遺跡ユリカがそう判断したのは、因果律の方が絡んでるからじゃないの?
考えても見てよ、私達の運命が大幅に変わっただけでこれだけ世界の動きが変わっちゃったんだよ?
戦争なんてでっかい出来事を完全になかったことにして覆したら、
世界が崩壊するからじゃない?
演算ユニットを破壊しようとしたらボソンジャンプのリセットが起こるって予想されたけど…。
もしかしたら世界の因果律そのものが激変して、
宇宙まるごと崩壊してたかもしれないって、イネスだって言ってたよ。
あと、それに関与することは人間にはどうしようもないって。
自分たちの観測できない、科学的とはとても言えない因果律なんてお手上げだってさ。
因果律っていう私達の操れない…。
遺跡ユリカでさえ完全には操れないかもしれない、
運命をつかさどる世界の歯車。
16216回もリセットを繰り返したっていうのが嘘じゃなければ、
きっと繰り返した理由はそこにあるんだよ。
直接手を出してもなんともできないと思ったから、
せめて自分変えようとリセットを繰り返して来たって考えた方が自然だよ。
この回だけ、戦争があるっていう前提が崩れない形で…。
ううん、歴史を崩さないようにするために、
『戦争を成立させるためにヤマサキに手を貸した』って考えた方が自然なんじゃない?」
「「「あ…」」」
ラピスの言葉に私達は呆気にとられてしまいました。
言ってる事は根拠がないですけど…ラピスの人を見る目は正確です。
他人を動かすのも得意で、状況づくりすらやります。
そのラピスの人物眼を持って、ユリカ姉さんという人間を分析して、遺跡ユリカさんの考えを見抜いてしまいました。
もう、反論すらする余地がありません。
ユリカ姉さんは自分勝手に何かを進めるタイプではありません。
たまに強引で、マイペースなところはありますけど、
不正行為や理不尽に対抗するための強行策や無茶はやらかしますが、
自分のエゴを通すために人を踏みにじるということをしません。
あれだけ追い込まれて非道な手段に走ろうとしたラピスの中のユリカ姉さんでさえも、
巻き込んだ人たちを気遣い、退く選択肢を提示するということを忘れていませんでした。
地は意外と臆病で、自由に見えて王道を外さないタイプなんです。
そんなユリカ姉さんの人格が、遺跡にコピーされたとして…。
自分勝手にリセットはしても、自分勝手に世界そのものを操作するようなことは避けるということでしょう。
そもそも最初からそこまでするつもりがあったら、何度もリセットしないで、
思いっきり最初っから都合よく歴史を変えてしまうでしょう、自分の手で。
そうしなかったのは、やっぱり世界の崩壊を避けなければいけないから。
だったら納得できます。
だから手心を加えるのは、最低限度に抑える…。
そのためにも、ヤマサキ博士に手を貸さないといけなかった。
助かる人間、参加する人間は違えど、歴史上の流れを大幅に変えないようにしないといけない。
ボソンジャンプのログを押さえているからこそ、
ヤマサキ博士ひとりでは不可能な、『歴史通りの戦争』をしないといけないと。
そして、火星の初戦、そして地球での長い戦いを経て、大きな戦争という流れは完全に終わります。
ぶっちゃけて言えば、ここが終わったらあとは些細なことなんです。
ホシノ兄さんの『黒い皇子』として起こしたことは世間の幅で言えば大事ですし、
『火星の後継者』とそれにかかわる者たちにとっても人生を賭けた大事なことです。
でも、未来を知るみんなが語った、ユリカ姉さん救出のための、
あの一連の出来事は『事件』。
死者数で言ってもせいぜい千人も出ておらず、損害はコロニー五つ。
ぶっちゃけて言えば『地球を巻き込んだ戦争』や『火星の全滅』に比べれば些細な事なんです。
歴史というマクロな観点での話ではありますけど。
とはいえそれは、ホシノ兄さんたちにとって、
つまり未来の私達にとっては本当に絶望を覚えることで…。
防がないといけないですけど、
マクロな視点に立つと、個人なんて木の葉同然です。
だから戦争という大きな流れは止めず、
ヤマサキ博士と一緒に『16216回の繰り返しに準拠した』戦争を目論んだ。
その中で私達が抵抗できるように仕組んだ。
つまり、因果律という大きな河の流れに抵抗するのは遺跡ユリカさんでも無理。
因果律の前では『木の葉にすぎない私達』を助けようとして河を止めてしまえばもっとひどいことになる。
だから河の流れを止めない程度の小さな木を投げ込んで、そこに私達を引っかける形にしたわけですね。
…なるほど、それなら無理がなく私達を救えるわけですね。
遺跡ユリカさんなら自在に戦争を防げるはず、というのもちょっと無理があるみたいですね。
「…そっか、ヤマサキさんがなんで時間稼ぎを考えてたのか分かった気がする。
因果律の支配が続くのは…この五年だけなんだ。
火星の後継者の蜂起、そして鎮圧が終わる瞬間までの期間…。
そこを超えたら、きっと因果律から私達は解放される。
16216回の繰り返しから解放されるには、
その時まで全員が無事でいる必要があるんだよ、きっと。
ラピスちゃんの言う通りに、前倒しが起こっちゃったし、
運命が読めなくなってる可能性もあるし、五年後にも因果律は続いちゃうかもしれないし、
まだまだ全然確定的なことって言えないけれど…。
ヤマサキさんが時間稼ぎを考えてる可能性が高いっていうなら、
遺跡ユリカは少なくとも五年後まで…。
私達が無事に居られるように準備する時間をくれたんじゃないかな?」
ラピスの中のユリカ姉さんの言葉に、私達は深く頷きました。
ラピスが敵のあぶり出ししようとしているように、戦争が続くのとは別の戦いこそ始まりますが…。
戦争しながらそっちと戦い続けるのは難しいです。
かといって戦後まで彼らを放置してしまっては、どこに敵がいるか分からない状態になってしまいます。
アングラで動く敵を追いかけるには、自分たちもアングラに落ちなければ探せません。
相手を追い詰めて殺すところまで行かないと解決できない問題になるかもしれません…。
でも、ラピスの考えた方法なら、比較的穏便に相手を止められる可能性があります。
相手が納得してくれるかどうかは分かりませんけど…。
そうなると限定的な戦争を、連合軍だけでも勝てるような戦いを続ける意義は見えてきます。
そのための時間をくれたと…考えれば納得がいくところも多いですね。
「長い戦いになるよね…」
「もう慣れっこです。
ナデシコで戦ってても、楽しいことはいっぱいありました。
大変かもしれないですけど、幸せな日々、大事な日々がありました。
ルリだった頃の私にとってのかけがえのない場所は、
戦艦だったナデシコだったんです。
戦艦だって、大切な人が居る場所、温かさを覚える場所になれる…。
私の心のよりどころになる場所だったんです。
…今は、このPMCマルスと、ミスマル家、ユーチャリスもそうですし。
アキトさんの隣も…」
「そうですね…。
そういう意味じゃ、あんまり気にすることないかもしれないですね。
…私達は家族を、仲間を失うこと以外は、もう怖くはないです。
ホシノ兄さんの芸能活動じゃないですけど、
一生この辺は落ち着かないかもしれないかもしれませんけど、
それ以外は不満ないですし、別にいいです」
「ま、アキト達以外にも頼りになるガードがたくさんいるし?
動かないといけないことたくさんあるけど、
びくびくしなくてもそうそうやられないって。
…あ、でも北辰だけはやめてね、私とユリカ、まだ慣れないんだもん。
久しぶりに見たらチビっちゃったよ…。
…。
うん…。
いい人だってわかってるんだけど、北辰さんだけはちょっと…」
……怖いもの知らずのラピスでも北辰さんだけはダメなんですね。
そういえばヘビ系がひどく苦手だって話はしてましたね…。
「ま、そんなことはどうでもいいけど。
あと、これからいろんなこと起こるけど、気にしなくていいと思うよ。
だってどうやったって私達って『極悪非道になる』か『目立ち続ける』かでしか生き残れないんだもん。
せいぜい、自分たちの価値観に沿って、矛盾なく突っ走ってやろうじゃない。
普通のコックに憧れてるアキト達には悪いけどね」
ラピスは悪いけど、と言いながらも極めて悪びれてない態度で笑いました。
そうですね。
結局、本当に生まれ変わるくらいしか今の状況を覆すことはできません。
「…私は今の関係、すごく好きです。
ミスマル家も、ピースランドの家族も、ナデシコもみんな大事で…。
ユリ姉さんの歩んだ道の大変さを知ってると、
申し訳ない気持ちもありましたけど…本当に幸せだなって思うんです。
でも、ユリ姉さんもいっぱい幸せなんだって、見てて分かります。
あったかい家庭で育てた人生も、ユリカ姉さんと実の姉妹になれたことも、
本当にうらやましくてしょうがないです」
「ルリ…」
「いいんです、私も幸せだってこんなに堂々と言える人生をもらえましたから」
ユリ姉さんは、どこか申し訳なさそうにしていましたが、
これまで生きた分、本来得るはずの分以上に嬉しいことがあったと思えるくらい、
私も本当に幸せ者だって、思えたんです…。
「だからみんなで、この幸せを護るんです。
そのために、何年だって付き合いますよ」
「…ありがと、ルリ。
でも一個だけ…どうしてもやらないといけないことがあるの。
ユリカとも相談したんだけど、計画に盛り込まないといけないことが」
・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。
私達は、ラピスの話したことに驚きながらも、全員が頷きました。
それはある意味では私達が最後に背負うべき『罪』の清算です。
しかし実行するとなると、かなり仕込みを厳密にしないといけません。
ただでさえアドリブ厳禁な計画だというのに。
これはある意味では敵の警戒を分散することもできるので、全員が頷くしかありませんでしたが。
「…だからユリちゃん、アキトをうまく説得しないといけないの。
準備のためにもね」
「…分かりました。
このバカげた戦争の締めくくりにはふさわしいことですし、
意趣返しも込みで、二人の持っている因子を考えれば当然のことです。
責任を持って受けます」
「私もです。
それくらいお安い御用です」
「…ありがと。
それに、ユリもその期間くらいは…」
「…気遣いし過ぎです、バカ」
「あはは、オッケーオッケー」
…話はまとまりました。
結局、ちゃんとそのようになるかはわかりませんが…。
条件が整いきらなかったら却下される案です。
しっかり頭に入れておくべきことでしょうね。
「…でもユリちゃん、本当に私、
全部落ち着いたらアキトと結婚していいの?」
「何度言わせるんですか。
一年おきの離婚と結婚の約束ですよ。
もうああいう救出劇は二度とごめんですし、
ちゃんと受け取れるものを受け取って下さいって」
「…うん」
ラピスはどこか後ろめたそうにうつむいた。
ラピスはノリノリですが、ラピスの中のユリカ姉さんはかなり気にしているんですよね。
ホシノ兄さんとの結婚…。
本心では浮気で十分とはとても言えない、結婚したいのも本音で、
ユリ姉さんとの完璧な「地上最強夫婦」を崩したくないというのも本当で…。
それにこの場でたった今約束したことも、気がかりなんでしょう。
計画に含まれてる事を考えると…。
ラピスの中のユリカ姉さんはホシノ兄さんとユリ姉さんの将来設計に響くことを懸念して…。
…まあ、バツイチになるどころか、バツ四十とか五十とか行くかもしれないんで、
今さらな気もしないでもないですけどね。
あ…ユリ姉さんが、ラピスに近づいて…。
いえ、なんか近いですね。
「…え?どうしたの?」
「…ユリカさん、ラピス。
私のこと、好きですか?」
「え、何?
す、好きだよ…?
…。
う、うん…、そ、それなりに?」
「じゃ、いいですよね」
私とユリカ姉さんは呆気に取られて声を上げてしまいました。
ユリ姉さんが、ラピスにキスをして…!?
しかも結構長いし、本気みたいな…!
「ううぅ!?
むぅう~~~~~っ!?」
「ん…ちゅっ…」
ラピスの顔がとろけてるような、心地よさを覚えているような、そんな顔に…。
ユリ姉さんはラピスを本当に愛おしそうに抱きしめて…。
あ、ようやく終わった…。
「…!?」
ま、まさかユリ姉さんはラピスと、女同士で…。
それどころか遺伝子上では姉妹にもかかわらず、浮気するつもりですか!?
ラピスはパニックを起こして、悶えてました。
ユリ姉さんの追撃でさらに顔を真っ赤にして、枕を抱きしめて、
心臓の高鳴りを抑えようとしているようですが、まったく収まっていない様子です。
…でも、決して嫌がっていない、どころか嬉しそうにすらも見えますね。
「だ、だ、だ、だって…だって…だって…」
「ラピスは、どう思います?」
「…い、い、嫌じゃなかった、結構、良かった…。
す、好きになっちゃうかも…」
「ユリカさんは?」
「え、えっと、えっと…」
「はわわ…。
ユリちゃんって強烈…」
「…強烈で済みますか、これ」
ラピスはすぐに自分の気持ちを言いましたが…。
ラピス…の中のユリカ姉さんは迷っているというよりは、落ち着けなくて言葉が出ないだけですね、これは。
目を白黒させているっていうか、完全にときめいちゃってます、これは。
恋愛疎い私でも分かるくらい。
…っていうか、ユリ姉さんのこのあたりの愛情って見えづらいですけどすごい重さを秘めてたんですね。
ホシノ兄さんにデレデレしてる姿はあんまり見ないですけど、本当に仲いいですし…。
…なんか、姉妹愛的な愛しさが、時間が経ちすぎてヘンな形で発酵しちゃったみたいですね。
変に気を遣われて離れられるくらいなら、愛情で埋め尽くして身動きできないくらいにするって…。
…ユリカ姉さんだって愛情深いっていってもこんなことはしませんよ!?
「私のこと、そんなに嫌いですか…?
私達のこと、大好きって言ってくれたのに…」
「ち、違うの!
わ、私…ユリちゃんにいっぱい迷惑かけてきたのに!
あんなにボロボロになっても助けてくれて、アキトとの事だって許してくれて!
そ、それなのに…こんなに好きで居てくれるなんて、嬉しい、よ…。
今も…アキトにキスされた時と同じくらい嬉しくて、気持ち良くて…」
「また気にしてるんですか?
こんな自分が愛されちゃいけない、
幸せになっちゃいけないって言ってるみたいじゃないですか」
「ち、違うよ、ちがうのっ!
う、うぅぅうう…」
「ゆ、ユリ姉さん、落ち着いて…。
急にそんなことされたら混乱しちゃいますよ」
「そ、そうだよぅ、ユリちゃん!
し、姉妹同士でこんなことしちゃ…」
「…あ、ごめんなさい。
ちょっと止まれなくって…。
……アキトさんのが移っちゃったみたいですね」
「うぅぅ…ううぅぅ…」
ユリ姉さんはようやく少し落ち着いたみたいで、ラピスを抱きしめて背中をさすってます。
ラピスは顔中ぐしゃぐしゃで嗚咽に震えてます。
本当に…バカですね…。
……私って、こうなる可能性あるんですかね。
ユリカ姉さんの因子がなければならない気はしますけど…。
恋って…訳わかりません…。
「ひぐっ…ひぐっ…。
「…嬉しいです」
「ううん…。
私…ホントに惚れちゃった…!
「私も好きです…」
「どうしよう、ユリ…。
癖になっちゃいそう…」
………たぶん、隣に居るユリカ姉さんも同じこと考えてます。
法律上重婚は無理ですし、そもそも日本だと同性婚できないですし、
っていうか養子扱いにはなってますけど姉妹が結婚って聞いたことないですし…。
そうはならないとは思うんですが。
…まあ、そんなことはもはや些細なことでしょう。
ラピスはキスの雨あられをユリ姉さんにお見舞いしてますし、
ユリ姉さんも嫌がるどころか嬉しそうにキスを受け止めて、抱きしめてますし…。
…もはや私達からはギャグの領域にしか見えませんが、
そこらのノーマルカップルじゃ絶対追いつけないくらい深い深い関係になっちゃったんでしょう。
アブノーマルすぎますけどね…。
私とユリカ姉さんは無言で顔を合わせて、もう一人の自分たちに困惑するしかありませんでした。
はぁ…。
〇木星・都市・プラント制御室──ヤマサキ
僕たちはアルストロメリアに対抗できる新型機の開発に取り掛かっていた。
遺跡ユリカ君も、遺跡の技術については知っているけど専門がボソンジャンプだから、
地球側の解析はともかく、圧倒する性能を持たせるのは難しいんだよねぇ。
ヤマタノコクリュウオウも、ディストーションフィールドキャンセラー以外は、
ぶっちゃけ『翼の龍王騎士』のデッドコピーだからねぇ。
あちらさんもそれには気づいてるだろうけど…。
こっそり忍ばせた特製ヤドカリで内部構造をスキャン、データをもらって仕上げたから。
あれは遺跡ユリカ君が直々にコントロールして、
適切に互角に戦い、その上で負けてくれている。
こちらの戦闘技術もそれほどないけど、あちらの有人機の動きをうまく真似している。
認識速度、計算速度、反応速度は人間を圧倒的に凌駕しているから、それでも間に合うっていう寸法。
まあ、遺跡ユリカ君が一機しか操れないのもあって、
ホシノアキト君たちが本気になったら敵わないんだけどね~。
こっちもヘボなCPUと機械制御しかないもんだから、量産しても意味がないし。
とはいえ、あちらさんが深読みして予定通り『翼の龍王騎士』は引っ込んだし、
ミスマルユリカ嬢の方も、僕らの意図を察してくれたようで、万々歳だけどね。
「さて…。
あーーーー。
行き詰ったし今日は寝ようかなぁ…」
「ヤマサキさん、とりあえずユリちゃんたちの方は大丈夫そうだよ。
こっちの意図を汲んでくれたみたい。
それにちょっと外してるけど因果律の話も理解してるから、
おおむね大丈夫そうだよ」
「そりゃよかった。
…それにしても、ある意味じゃ救いのない話だよね。
アキト君とユリカ君を本当に救おうとする場合…戦争の内容をどうこうするとかよりも、
『たった一日、本来の結婚式の日取りをずらせれば因果律が変化してくれる』なんてね…」
「…うん、ホントに嫌になっちゃうよね。
本人たちに言っちゃうと無効になるのも厄介だし…」
──これは、実は僕が聞かされている、内部事情の話。
木星戦争そのものは、ほぼ予定通りに行わないと因果律の崩壊が起こる可能性がある。
だが、言ってしまえばそれさえできれば因果律は安定する。
個人の因果律を変えることは、因子と彼らの行動の積み重ねによって、少しずつ出来る。
しかし、アキト君とユリカ君という男女の因果律を決定的に変える方法は…。
それはミスマルユリカの相転移砲による虐殺を防ぎ、
『黒い皇子』の誕生のきっかけであるあの誘拐事件を封ずること。
前者はすでに起こりようもない状態になっているから問題ない。
後者は、結婚式の日取りをずらすことによって成立する。
今のテンカワ君にとっては誘拐を自力で防ぐことすらできるかもしれないけど、
お義父さんが誘拐を指示しなかった代わりに、地球の勢力が目論む可能性はまだ残っている。
ラピス君の誘拐が成功したように、これを防げない可能性があるということだ。
──それを完璧に防ぐなら、結婚式の日取りをずらすだけで成立する。
この因果律だけはすさまじく強力だった。
何しろ、ここがアキト君、ユリカ君、ルリ君という三人の人間のターニングポイントだった。
これによって三人の人生はすべて激変し、破滅に導くものだ。
しかもそれは16216回も繰り返されてしまった。
ここを防げない限り、ルートは違えど破滅は免れない。
僕ら、火星の後継者もかなり協力者に無理を言ってあの二人を誘拐した。
これは他の勢力からも恨みを買っていた二人だったからできたことではあるけど…。
そもそも問題として、あのシャトルに誘拐する予定のA級ジャンパーを集めること自体が無理難題だった。
かなり段取りを踏んで、事故に見せかけられる条件を整えるだけで何ヶ月も調整に調整を重ねていた。
もし、あの二人が別の日取りでシャトルを予約してしまったらずらす方法がない。
恨みはあると言ってもたった二人のためにそこまでの予算と人員、時間を割けない。
だからあの二人を巻き込めないと決まってしまったら、そのまま進めるしかなかった…。
もっとも、あの二人が居なかったらボソンジャンプの研究は大失敗するところだったから、
ぶっちゃけ綱渡りだったよねぇ、あの時も。
まあ、本人に言っちゃうとまた因果律が変化しちゃうから、無効になっちゃうらしいのが厳しい。
……もっとも、ホシノアキト君たちが居ることでそれもまた変化する見込みだけどね。
とはいえ、結婚式の日取りをずらせば助かるなんて、拍子抜けもいいところだよねぇ、まったく。
「あと…。
…夏樹さんは追っかけてくるって。
木星までたどり着くために、必死に特訓してる。
それでも、ヤマサキさんは彼女を呼ばないの?」
「ああ、呼ばないよ」
「…一生、ヤマサキさんの思い出を抱いて生きていくって言ってたよ?」
「誰のところにも嫁がないって?
…いや、大丈夫さ。
草壁閣下だって、彼女の幸せを願ってる。
いつか、彼女の心の傷を癒す人が出てきてくれるって」
…実を言うと、僕は本心じゃそうは思ってない。
戦うなんて柄じゃなかった夏樹がそこまでするっていうからには、
本当にかなり固い決意をしているはずだから…。
…でも、戦争の業を、ボソンジャンプの業を、夏樹に背負ってほしくない。
僕だけで十分だ。
恐らく、墓も作られないだろう僕のことなどに構って欲しくはない…。
「…せめて、一緒に地球に帰ってあげてもいいんじゃない?」
「馬鹿なこと言わないでくれよ、遺跡ユリカ君。
取り調べが始まったら、一人で出来ることじゃないってばれてしまうよ。
だからここで死ぬ約束だったろ?」
「…ごめんなさい、ヤマサキさん」
「いいって」
遺跡ユリカ君は申し訳なさそうに、頭を下げた。
彼女は、僕を名字で呼ぶ。
僕がそうするように頼んだからだ。
夏樹にだけ…そう呼ぶ権利を残したかった。
遺跡ユリカ君との、こんな爛れた関係を断りきれなかった僕に、
そんなこだわりなんて意味はないんだろうけどね。
「…ん」
遺跡ユリカ君は、僕の悲しみに気付いてくれたのか、唇を重ねてきた。
ユリカという女性と同じ姿をしながら、
陶磁器のような色の肌、人間らしさを感じない美しい姿。
それでも温かさと彼女の香りは、僕に一時の安らぎをくれる。
彼女の真心の半分は、罪滅ぼしでしかないと分かっていながらも…。
僕もそれに甘んじて、彼女を抱きしめた。
恋というにはあまりにも苦い、この情にしか僕はしがみつけない…。
〇地球・佐世保市・佐世保シーサイドホール──ユリ
あれから時が半年程度経過しました。
戦争はゆっくり進んでますが、チューリップは順調に減ってます。
最初の想定通り、あと四年以上はかかる計算になり、生活圏すでに取り戻している事もあり、
地球はほぼ完全に市民生活を取り戻しています。
IFSオペレーターの選別はかなり大変ですが、ぼちぼち十分な数がそろったので、
パイロット志望の人とペアを組んでの訓練も始まってます。
そんな中、今日はアキトさんと私、そしてユリカさんで何をしてるかというと…。
「もう、お父様ったら会場までついて来ないで下さいよぅ」
「そうです、私達もう子供じゃないんですから」
「そんなことを言ってくれるなぁ…。
何しろユリカは去年成人式に出れなくて残念だったんだからなぁ…」
そう、去年ナデシコが一月に出航してしまった都合上、
ユリカさんは成人式に出られませんでした。
しかし、それではちょっと寂しいと思って、特別にナデシコに乗っていた人たちは、
佐世保で一年遅れの成人式への参加を認められました。
これは佐世保市長の鶴の一声で決まりました。
アキトさんの人気に便乗して、懐の広さをアピールして次回の選挙に弾みをつけるつもりでしょうが…。
…ま、これはこれで、良いことでしょう。
ユリカさんと着物着れるなんてめっちゃ嬉しいですし。
…まあ当然、二人して振袖は着ないんですけど。
で、例によって例のごとく…。
…アキトさんは式典でのスピーチを任されたりしつつ、
相変わらずファンの子に追いかけられてます。
びょんびょん飛んだり壁を走ったりして逃げ回っているものの、
それにすらついて来れる超人的な火事場のバカ力を発揮してる子もいますし…。
アキトさんはちょっと似合わない紋付袴を着せられてるのが面白いですけど。
当然、いつもは荒れた新成人を取りに来ているマスコミさん達も、
アキトさんの姿を撮影しにカメラを持って大立ち回りです。
そんなこともあって、実はテンカワさんとナオさん、北斗さんと枝織さんまで総動員です。
…でもテンカワさんも追い回されて、事実上三人護衛です。
意外と人気が出ちゃってるんですが、まだユリカさんとの熱愛報道は出てないので、
もしかしてワンチャンスを狙う人たちがかなりいるようですね…。
北辰さんはラピスに嫌がられながらも、
同じ部屋にいなければという条件付きでラピスとルリの護衛をしてます。
「…ゆ、ユリカ…綺麗だ…」
……アオイさん、居たんですか。
そんなこと言ってるとメグミさんにチクりますよ。
それで、成人式は滞りなく…は済まず。
アキトさんを狙ってバカな新成人五十人が挑みに来るという珍事が起こり、
それを想定して、外にリングを準備して(当然、ウリバタケさんとPMCマルスメカニックで)、
一人一人丁寧にぶちのめして、五分くらいで戻ってきてのスピーチと相成りました。
…はぁ、ホントに怖いもの知らずっているんですね。
まあ…この後起こる、ちょっとした事件よりはマシなんですけど。
〇地球・佐世保市・???──さつき
私達は昨日、地元に戻って成人式に出てから一夜──。
ラピスちゃんに呼び出されて、助けてもらったお礼をついに返してくれると言われた。
ここまでの半年、DFSオペレーターの選別会と、数年後に向けた特訓、
それで昨日は成人式と同窓会で疲れ切ってみんなで寝てたんだけど…。
夕方になって、ぼけぼけと軽い食事を取り始めたころに、呼び出しがかかった。
でもなんでこの日取り…?
私達は疑問なまま、なぜか妙にキラキラなドレスでおしゃれをさせられて、
プロのメイクさんに妙に気合の入ったメイクをされて、アイマスクだけされて拉致同然に連行されていた。
「ら、ラピスちゃん、怖いよぅ…」
「いーからいーから。
一生忘れらんない思い出作ってあげるんだから」
い、一生忘れられない思い出?
ど、どんなことされちゃうんだろ…さすがにエッチなことはしないだろうけど…。
・・・・・。
・・・・。
・・・。
・・。
・。
それからたぶん、十分くらいかな。
そんなに離れてない佐世保市内だろうけど、車から降ろされて、
階段を上って…どこかのお店にはいったっぽいけど…。
「はい、いいよ。
アイマスク外すよー」
私達はアイマスクを外されてようやく視界が確保されて周りを見ると…。
そこは何と、妙にきらびやかな、豪奢な部屋が広がっていた。
こ、これはホストクラブじゃないの!?
「みんな、いらっしゃい」
アキト様がビシッとしたスーツをラフに着こなした姿で現れた。
うわっ、かっこいい…惚れ直しちゃう…。
で、でもこれって…!?
「みんなが喜ぶお礼って中々難しかったんで…ラピスに提案されたんだけど。
一晩、ホストみたいにもてなすのはどうかって言われてね…。
俺、ちゃんと一ヶ月くらいだけど修行してきたんだよ」
「「「「「うそっ!?」」」」」
「ホントだよー。
ほら、ちょうどオンエアしてるこの番組ね」
ラピスちゃんがテレビをつけると、そこには都内のホストクラブで働くアキト様の姿が…。
『実録!ホシノアキトがホストクラブで接客体験!』なんてタイトルで。
…そういえばアキト様ってコスプレ喫茶はやってたことあるけどホストクラブはなかったのよね。
も、もしかしなくても…。
「そうなの、アキト君はあなた達のために一ヶ月もしっかり修行してきたのよ。
…世界一の王子様にそこまでしてもらえるなんて、良かったわね」
すっと横から眼上さんが現れて、事情を説明してくれた。
わざわざ歌舞伎町のホストクラブの中でも暴力団とのかかわりがないお店を探してきて、
そこで一ヶ月も…ただでさえ、芸能界、食堂の手伝いとハードワークが続いているにもかかわらず。
私達だけのために時間を割いてくれたなんて…!
ちなみにここは本当はホストクラブではなくキャバレークラブで、
眼上さんが初めてアキト様を個人的に呼び出した時に使ったらしいの。
「わ、私たちのためにそこまでしてくれたんですか!?」
「…うん、俺もホストの真似事なんてためらったんだけど…。
ユリちゃんもラピスも『本当に感謝してるならそれくらいしないと』ってさ。
きっと喜んでくれるって…。
…ユリちゃんとラピスが助からなかったら、俺も死んだも同然だったわけだし…。
ちゃんと、見合ったお礼を出来るならそうしたいなって…。
そ、それとも、別の…」
私達の一糸乱れぬ返事に、アキト様は頬を赤らめて、黙ってうなずいた。
…だから半年後ってラピスちゃんは…成人式の後の日取りでこんなすごいことを…!
こ、こんなことしてもらえるのって、本当に世界で何人もいないわよ…!
テレビ企画で来店した人、相当ラッキーよねぇ…。
ラーメン屋台の時もだけど、よく秘密が守れたわよね。
「じゃ、じゃあ乾杯と行こうか!」
アキト様はそう言って、見事に積みあがった五段のグラスタワーにシャンパンを注ぎ始めた。
こ、これが伝説のシャンパンタワー!
なかなか漫画くらいでしかお目にかかれないわ…!
「みんな、ありがとう!
これからもよろしくね!
アキト様は恥ずかしそうにグラスを掲げて乾杯した。
…それから私達は夢のような時間を過ごした。
ゆったりと思い出話から始まって…。
アキト様にお酌してもらったり、
コスプレ喫茶時代の衣装や、映画の衣装に
王様ゲームしたり…一応王様ゲームっていっても形だけで、
ラピスちゃんが準備してくれたくじのお題どおりにするだけだけど…。
うう、『キス』でほっぺをゲットしたレオナが羨ましい。
これは朝まで続いて…。
全員がぐでんぐでんに酔いつぶれて、アキト様にお姫様だっこで車まで連れてかれちゃった…。
この宴会の録画データまでくれるっていうんだから、もういたせりつくせり…。
『世界一の王子様』にもてなしてもらうなんて、ホント…生きててよかったわ…。
ファンとして、一線を引いた付き合いを続けてきた私達。
それを明らかに超えた、こんな宴会…。
本当に、一生忘れられない思い出が出来ちゃった…。
ちなみに終始、ユリさんとラピスちゃんも、
ホステスっていうかオーナーみたいな恰好で、宴会の様子を横目で見ていた。
やりすぎたらストップをかけるつもりだったみたいだけど、結局最後までストップは入らなかった。
…ただ、やたら入れあげてた青葉だけはホストクラブに通う癖がつかないかどうか不安よね…。
青葉って悪い男の人、大好きだし…。
〇地球・佐世保市・PMCマルス本社・アキトとユリの部屋──ホシノアキト
俺は、さつきちゃんたちを一人一人自室に送っていって…。
……絶対に誰にも見られないように本当に気を遣いながら、寝かせて出ていった。
ああ……俺ってやつは…相変わらず流されやすいし、ダメな奴だ…。
うう、きっとこれ外部に流出したら『ホシノアキト、酒池肉林の宴』とか週刊誌に出ちゃうんだよ…。
何一つ間違っちゃいないんだけど…だけど…。
で…。
「…二人とも、俺を待たなくてもいいのに」
「なに、言ってんですか…。
三股するような夫を、そのまま放っておけますか」
「ふふ、ユリったら、相変わらず強がって。
…。
だぁって、一緒に寝たかったんだもん…」
……嬉しいやら、恥ずかしいやら。
最愛の人が…こうして、俺を待ってくれているということが嬉しかった。
だから俺は…部屋のカギをかけて、カーテンを閉め切って…。
実体としては二人…本当は三人を、まとめて抱きしめた。
俺を支えてくれた、かけがえのない、最愛の三人。
そんなことを口に出したら誰にだって『ろくでなし』だと怒られることだろう。
仮にそう呼ばれるとしても二度と離れるつもりはない。
最低の男だと呼ばれても、開き直ってやる。
相変わらず恥ずかしがりで、すぐに情けない気持ちになる俺。
でも、三人と離れるつもりはない。
わがままに、自分の願いをかなえるために生きて見せる…そう決めたんだ!
「…言い訳するつもりはないよ。
ごめん。
二人の目の前で、あんな事をして…」
「…分かってますって。
というか予定通りのことなんですから許してますよ。
まあ、嫉妬したのは認めますけど」
「ね。
アキトはさ、私の成人式の時もああしてくれる?」
「私にもしてくれます?」
「もちろん」
「…わ、私も…」
「…当たり前だ」
三者三様に、俺に問いかける。
…とはいえ、全員にその先をやってるからいまさらな気もするが。
いや、してほしいというなら応えよう。
…照れちゃいそうだけど、そうしてあげたい。
それくらい、してあげなきゃな…。
「…アキト、ついに来月だね。
おめでとう…」
「…ああ」
ラピスが、俺を祝ってくれた。
めいっぱい、無理をしてここまでたどり着いた。
俺は来月…店を持つことになった。
念願かなって、調理師免許も取った。
そしてかなり厳しい条件はまだ付いているが、ようやく店を持つ目途が立った。
最終的には佐世保に店を設けるつもりだが、芸能界の仕事の関係でテレビ局の近くに。
もちろん芸能界も続けないといけないし、週の半分も営業できないかもしれない。
…そもそもまだ戦いは続いている。
それでも、ついに夢をつかもうというところまでたどり着けて…。
俺は…。
「…アキト」
「アキトさん…」
熱い涙が頬を伝ったのが分かった。
絶対に叶うはずの無かった、それこそ途方もないリセットの回数分だけ潰えた、俺の夢。
味覚を失った時。
人を殺した時。
テロリストとして世間に知られた時。
何度となく諦めた、コックになるという夢が叶う。
テンカワたちは、まだナデシコで戦い続けてくれて…。
俺が二度と戦地に立たなくていいように、みんなが努力してくれている。
そして俺が作る料理を待ってくれる人が、食べてくれる人が数限りなくいる…。
……こんな、こんなに幸せな人生を、俺が歩んでいいのか!?
『黒い皇子』の俺が、そう叫ぶ。
歩んでいいんだって、みんなの願いなんだから。
でも『ホシノアキト』の俺がそう言ってくれる。
言ってしまえば単なる自己弁護にすぎないだろう。
戦いを誰かに押し付けて、死んだ婚約者が居ると嘘をついて、
ユリちゃんがいる身でありながら、ラピスを、ラピスの中にいるユリカを、黙って抱きしめて…。
そうだけど…それでも…。
「誰も、俺に戦えと言わない…。
誰も、コックになるなと言わない…。
こんな、コックとしても芸能人としても、
半端な生き方してるのは変わらないのに、
誰も俺を半端ものとは呼ばない…。
まだ戦争は続いているのに、こうしてコックになれて…。
お、おれ…。
幸せだ…」
「…アキトさんはそれだけ頑張ったんです。
自分がやりたくないことを、
昔は半分逃げてたことを、一生懸命頑張って…。
戦うのも、誰かが死ぬのも、戦争が続くのも嫌だって喚くことしかできなかった普通の少年が、
必死に何とかしようと努力して、本当に現実にして見せたんです。
…誰だって、認めるしかありませんよ。
未来を知ってるし、完成された技術を持ち込んできたっていうのはズルですし、
流れやすいところは、あんまり変わってないけど…。
でも、幸せになる資格が十分にあるって、仲間だけじゃなく、
世界中が思ってくれるくらい立派になれたんです。
私も幸せですよ、アキトさん。
胸を張って幸せになって下さい。
私もアキトさんを幸せにできるように頑張ります」
「俺…苦労かけた、よね」
「ええ、大変でした。
…でも、どっかに行っちゃうよりはずっと楽です。
アキトさんも私に苦労かけた分くらい、しっかり幸せにしようとしてくれましたし。
今はユリカさんも、ラピスも一緒に居てくれますし。
ね?」
「うんっ!
私もみんなに幸せにしてもらっちゃったもん!
これからはアキトとユリちゃんに助けてもらった分、ラピスちゃんと一緒に頑張るよ!
みんなで幸せにならなきゃ!
…。
私も異論なし、生きてた中で一番幸せだよ。
まあユリカ、頑張るのはそこそこにね。
ユリカが張り切ると失敗する可能性の方が高いし。
…。
ラピスちゃん、ひどいよぅっ!」
「ゆ、ユリカ?
お前、悪夢は見なくなったみたいだけど、
それとは別にいいことあったか?
ここのところ、昔と同じくらい明るいけど」
「えへへ~~~~!
ひーみーつっ!
ねー!ユリちゃーん!」
「…ええ。
いいじゃないですか、明るくなったなら」
……な、なんか含みがあるような。
前にも増して二人とも仲が良いし…。
ま、まあいいや…。
ユリカが立ち直ったなら、俺たちも頑張った甲斐がある。
それに…。
…もう、俺たちに後悔も、何もないってことだから。
なんのしがらみもなく幸せな生活をしていいってことだ。
「…そうだ、半年前に決めてたことなんだけど…。
アキトの道がようやく決まったところで、話さないといけない大事なことがあるの」
「ん?」
「実は…」
ラピスは…少しずつ、俺に話した。
だが、俺はそれにすぐ頷けなかった。
「待て、ユリカ…それは!」
「ダメだよ、アキト。
夏樹のことだけは、私達が何とかしてあげないとダメ。
…一個だけ残った最後の罪。
これを、アキトの代わりに清算してきてあげるから」
「だ、だけどラピス!」
「…アキトさん、止めちゃダメです」
「ユリちゃんまで!?」
ユリカとラピスが語ったこと。
夏樹さんとともに木星に向かって、戦争を終わらせるということ。
そう──俺たちの最後の罪、それはヤマサキにすべての罪を押し付けて戦争を終わらせることを目論んだこと。
今の状況は、ある意味では俺たちはヤマサキと協力し合っていることになっているが…。
だが…たった一人だけ、間違いなく不幸になる人が生まれる。
夏樹さんはヤマサキを失う。
夏樹さんとやり直すチャンスを投げ捨てて、地球と木連に平和をもたらすことを選んだヤマサキ。
…これはすべての遺恨を投げ捨て、俺たちが、人類が前に進むための条件だった。
ヤマサキが木連の罪をすべて被れば、地球と木連は完全に和解できる。
戦争そのものも、限定的な戦闘が残るのみ。
これからは人は死なないだろう。
…奴はこんな風に好き放題してる俺なんかより、ずっと立派なのかもしれないな。
だが…。
…ラピスは夏樹さんを、木星まで連れていくためにナデシコCを建造して向かうというんだ。
かつてナデシコB、ナデシコCに艦長として乗り込んだルリちゃんの代わりに…。
そうしなければ、俺たちは夏樹さんに対して不誠実で残酷な仕打ちをしたことになると。
理屈は分かるがラピスが俺の元からいなくなるということに耐えられなかった。
また、ラピスを…そしてユリカを失うかもしれない。
それは今の、心根の強くない俺には耐えがたい苦しさだった。
「…アキト、少なくとも四年か五年も先の話だよ?
確かにそれから一年くらいは戻れないけど。
でもアキトとユリちゃんの二人っきりの時間を過ごしてほしいの」
「け、けど俺はっ!」
「アキトさん」
ユリちゃんの言葉がぴしゃりと俺の耳を打った。
言い聞かせる時のユリちゃんの言葉に、俺は逆らえないんだ…。
…ホシノアキトとしての人生のせいで。
俺は黙ってラピスを見続けることしかできなかった。
「あのね、アキト。
アキトは16216回、私達を置いてったの。
だから今回は、私がアキトを置いて行くの。
アキトの因子を持った私が、
ルリちゃんの因子を持ったアキトと、私の因子をもったユリちゃんを置いていくの。
…一個だけ違うのは、私がちゃんと帰ってくるつもりがあるってことだけ。
アキトはひどい人だもん、たまには痛い目を見ないと」
「あ…う…」
俺は反論できなかった。
帰ってくるつもりがあるだけ救いがあるけど…それでも危険には変わりない。
だが、それを止める権利は、俺にはまったくない…そんな資格は、本当にない。
そして、ユリカもユリちゃんも、俺という人間がどこかに居なくなったら追いかけるだろう。
だから夏樹さんの気持ちが分かる…ってこと、だよな…。
「だから約束して。
計画通り、準備が出来たら…。
私が木星に出発する頃に、アキトはユリちゃんと子供を作るの。
ユリちゃんは子供が居たら別れてもアキトと関係が切れない。
約束通り、私がアキトと結婚できるように、ちゃんと準備してほしいの。
もちろん、私も子育ては手伝うよ。
ユリちゃんが楽できるようにちゃんとするから。
…。
そーいうわけで、アキトは平和を享受しててね。
置いていかれる側の気持ちも、たまには覚えなきゃね。
でもユリ、出発する前に一回くらいエッチしていい?」
「ダメです。
そのころでも17歳でしょう、体に悪いです。
せめて私と同じ18歳になるまでは我慢してください。
そうでもしないとちゃんと帰ってこないかもしれないじゃないですか。
危なくなった時、自棄になられても死なれても困ります。
帰ってきてからにして下さい。
…っていうかバーチャルシステムでさんざっぱら関係を持って、
それ以上求めるのはどうなんです」
「ちぇー、ユリのけちんぼ。
…でも結婚式の後、ロマンチックに抱かれるほうがそりゃいいか。
ハネムーンはユリカの要望でしない予定だし、それくらい楽しみにとっとこうかな。
…。
そういうわけで、五年後、行ってくるから。
アキトは五年後の話より、近々のユリちゃんとの結婚式挙げる日取りを考えた方がいいんじゃない?」
「う…そういえばそうだった…。
…分かった、その件に関しては俺が我慢しないとだな…。
好き放題してるんだから、これくらいは…」
俺はもう、この件に対して抵抗するのを諦めた。
ラピスを放したくないというわがままを通せないのは重々分かった。
それにテンカワとユリカ義姉さんと、ピースランドでダブル結婚式をするって話もまとまってないんだったか…。
「…日取りについてなんですけど、ナデシコ…ナデシコAも、まだ戦い続けてますし、
もうちょっとかかりますし…せっかくですから、未来での日付よりは後ろに一日ずらしませんか?
ハネムーンはピースランド内にすれば安全でしょうけど、ちょっと怖いんですよね…」
「…それもそうだね」
「…賛成だ」
不吉だからな、何かと…。
出来れば三日前には先乗りして、警護体制についても話し合って完璧にしたいし…。
それだけ決まってれば、あとはテンカワとユリカ義姉さんとも話し合うだけか。
…じゃなくて。
「…話を戻すけど。
俺、最高に幸せになれたからさ。
これからもいっぱい苦労を掛けるだろうけど…。
ユリカもユリちゃんも、ラピスも、いっぱい幸せにできるように頑張るよ。
五年後も、六年後も、十年後も、五十年後も、幸せだって言えるようにさ。
お互いに、わがままを叶え合っていこうな」
「アキト、珍しくいいこと言うね。
そうだよねぇ、幸せになるってわがまま言えるかどうかだもんねぇ」
「…わがまま言えない、生活を維持するので精一杯な生活って辛いんですよね。
ああ、あの二年は本当に辛かった…」
「う、ゆ、ユリちゃん…。
今日は、午後から、デートでもしようか…」
「全部アキトさんのオゴりでお願いします」
「…はい」
……ガキのホシノアキトとして何もできなかった頃の苦労分、本当に返せるだろうか。
で、できるだけ返さないとな…。
俺たちは、大切なことを話したので、脱力して…布団にぶっ倒れた。
今は午前の六時…ほぼ完徹なので、今からでも無理矢理寝ておかないと、
今日は何もできなくなってしまうからな…。
俺は二人に両脇をがっちりつかまれてしまい、身動きできないまま、まどろんでいた。
そして、眠りに落ちようとしていた時、ラピスが俺にささやいた。
「アキト、五年後だけど…。
もし木星から帰ってこれないようなことがあったら、迎えに来てね…」
眠気に襲われていた俺は、ラピスなのか、ユリカなのは分からなかったが、
その弱気な問いに、微笑んでしまった。
ああ。
俺もあの時、こんな風に言えたらどんなに良かっただろう。
状況が違い過ぎるとはいえ、そんなことを考えずにはいられなかった。
そして、俺は答えた。
「ああ、もし帰ってこなかったら追っかけるさ…。
ユリちゃんと一緒にな。
…ユリカも、ラピスも…。
〇作者あとがき
どうもこんばんわ、武説草です。
前回に引き続き、ナデD版b3y編のついに完結編です。
今回でこの章は終わり、新章突入、
『火星航路&黒百合編』が終了して『遺跡との決着編』がはじまりはじまり。
だいぶ時間がすっ飛びます。
今回は、ここまでで登場人物たちの約束を果たしたり、後悔を清算したり、
未来に向けた準備や、準備に対しての疑問を彼らが納得するための回と相成りました。
そしてホシノアキトも、ラピスの中のユリカも、
ようやく完全に未来の闇から解放されることになりました。
めでたしめでたし。
ホシノアキトは先んじて、勝手にゴールインしてしまいます。結婚式もまだなのに。
そして結局、ラピスの中のユリカを進ませるのはユリしかいなかったようです。
廃墟ビルから助け出したとき同様ですね。
脚本とお話づくりの基本は天丼にあり。
でも戦争の決着をちゃんとつけるまでは描く予定です。
このあたりもまとめるのにだいぶかかっちゃいました(週一が理想なのに二週間かかった)。
ちょっと長くてぐだりつつも、説明はほぼ出し切ったので、
時間がぐっとすすんでナデD・劇場版時空に突入です。
五年という月日で色々変わってるのも描きつつ、
出来れば十話以内に収めたいけど、中身の長短とかあるからどうなるかなと。
あと、前回のあとがきで、
消し忘れてた『結婚式を一日ずらすだけでも因果律が決定的に変わる』、をちゃんと入れて解説しました。
いやあ、焦りました…本当は一個前の話で語ろうとして入れ忘れてたんです。
ってなわけで次回へ~~~~~~~~!!
〇代理人様への返信
>黄金聖闘士ばろすwww
>いやまちがってはいないがw
彼女たちの設定は十分に生かされないままなので、
そろそろさつきたち四人以外のメンバーも少しは目立てるようにしてあげようかなとか。
いや、それよりもナデシコ&時ナデキャラの方が優先ですけどw
まあ、今回のことでかなり報われてるので、もう退場でもいいくらいですけどね(ひどい
>テツヤそっちいったかー。
>まあそっちのほうが「らしい」キャラではあるわな。
テツヤって、生のアキトに出会うとこういう感想を抱く気がしたんですよねー。
ホシノアキトの場合は通常の黒アキトより二面性が強く、その割に狂気性が低いので、
人間の心理を熟知している人間がまともに向き合うと逆に発狂しかねない。
すごい厄介なキャラですね。
しかしテツヤはホシノアキトという英雄が導く世界が、
将来的には救いがたい混沌とするのを見抜いていて懸念している、
それを防ぎたい歪んだ『正義漢』な部分があるように感じたのでこういう書き方になりました。
父という英雄に憧れて、不正を暴くことに憧れたように。
なんかテレビ版でムネタケがノイローゼになってたシーンを思い出しますね。
まあムネタケと違ってかなり実効性があることが出来て、
その程度じゃ狂えないくらいドス黒い世界で生き抜いて性格が歪んでしまったから、
それどころじゃなくなるのは必至なんですが。
~次回予告~
ライザよ。
まあ、騒がしい連中にもまれてそこそこ楽しくやってるわ。
リハビリも終わったし、仕事しなきゃ。
あ、次回なんだけど…。
五年後、私達の状況がまた大きく変わってるもんだから、
そのために色々まとめていく感じ。
え?何のためにやってるのかって?
習慣が抜けきってないからやってるだけなんだけど。
…まあ、どんなこと書いてるかなんてあの子にはバレバレだろうけどね。
実写化作品を見る度、アレンジが効きすぎてると難色を示しながらも、
二次創作をしていると「……それ、私が言えた義理か?」と思い返して冷や汗を流す作者が贈る、
再構成、再々構成でお送りするやたら長い系ナデシコ二次創作、
を、みんなで見なさいね?
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代理人の感想
うーむ、まさか夏樹がここまでの重要キャラになるとはこのリハクの目をもってしても(ry
いやほんと、ただの毛の生えたモブだと思ってたのにw
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