木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星国家間反地球共同連合体――通称「木連」。

 ガニメデの衛星軌道に乗る移民船バロウズは木連の中枢として機能し、発見された唯一の古代プラントとドッキングした木連の生命線でもあった。

 しかしその外見はひどくみすぼらしく、ガラクタを寄せ集めただけの瓦礫の山にしか見えない。

 火星の古代遺跡からサルベージされた相転移エンジンを維ぎ合わせただけの姿は、当時の植民者がどれほど地球から迫害されギリギリの死の瀬戸際から脱出してきたのかを克明に語っているようだった。

 そのバロウズ内の一室に、木連の実質的なリーダーの一人と目されている高月真央(たかつき まお)中将の執務室がある。

 質素な室内は最低限にまで照明が落とされ、天井ギリギリに拡大されたウィンドウに地上のどこかで行われたらしい艦隊戦の空撮映像が映し出されていた。

 艦隊戦といっても、まともな戦力を展開しているのは一方の側だけで、もう一方はほとんど統率も取れていない小数の迎撃部隊でしかなかった。

「この時点までは当初の予想通り、地球側の抵抗はごく微小なもので、
 作戦目標への急襲はほぼ成功していたと思われます」

 作戦部作戦課付け将官のキザキ大佐はよどみのない口調で、執務机に座している女性に報告していた。

 その女性がこの部屋の主人、高月真央中将その人であった。

 異相、と評すべきだろうか。

 モンゴロイド系の特徴を色濃く残しながら、色素の抜け落ちたような頭髪と肌の色は病的とさえ言えた。

 何よりもその瞳の色が人に大きな違和感を与える。

 紅い――

 それは血の色であった。

 完全に色素を失った眼球に血管が透けて見えているのであろう。

 なんらかの先天的な疾患を患っているのは間違いなかった。

 年の頃は三十台半ば。

 意志の強い眼光と整った面立ちは、その異相さえなければ相当な美貌の持ち主であったはずだ。

 さらにこの年齢で木連の若きリーダーとして立っているのだ、その才気も尋常のものではありえなかった。

 現在の木連で彼女に対抗しうるのは、草壁春樹中将以外にいないというのが大方の見かたである。

「――この状況から、我々の艦隊はほぼ全滅したという報告だったな。
 考えられるのは一つ。……ナデシコが完成していたのだな?」

 ナデシコという単語の発音に独特の湿度が感じられる。

 真央は細めた眼から血のような眼光をキザキ大佐に送っていた。

 キザキ大佐はわずかに息を飲みながらも、態度を崩すことなくそれを否定した。

「判断しかねております。
 敵性の新式戦艦が出現したことは確かですが、
 それが中将より報告を受けていたナデシコと呼ばれる戦艦であるかどうか……」

「ナデシコ以外の相転移炉搭載艦は、まだ地球には無いはず。
 あれだけの数の艦隊を全滅させ得るのはナデシコしか考えられないだろう」

「それをご確認いただきたく、参上いたしました。
 もとよりこの作戦は高月中将の発案により遂行されたもの。
 ナデシコという相転移炉艦が建造されているという情報すら掴めていなかった我々には、
 確認のいたしようがありません」

 その言葉には作戦部を出し抜いた真央に対する牽制が含まれていた。

 自分たちを無視して事を進めるのであれば後始末も自分でしろ――はっきりと口にこそしなかったが、そういった意味を言外に含ませている。

 真央はそれを汲み取り、あっさりと否を詫びた。

「今回の件はすまなかった。なにも君たちを邪険に扱おうというのではない。
 ただこの情報の出所がかなり特殊でね、君たちにそれを探らせるわけにはいかなかったのだ。
 情報は出来うる範囲で提供する。それで許してはくれないか?」

 キザキ大佐は一瞬だけためらった。

「――感謝いたします。それでは、よろしければ続きをご確認ください」

 真央は目線だけで了承の合図をする。

 この話はここまでだ。

 キザキ大佐が納得しないまでもこちらの事情を優先してくれたのは感謝すべきことだった。

 今回の件の真実を告げることは出来ないが、それ以外の部分では出来る限りの融通を利かせてあげたいと思う。優秀で信頼のおける部下は本当に得がたい。

「この後です。まず敵性の小型機動兵器らしきものが先遣隊に攻撃を仕掛けました」

「小型の機動兵器? エステバリスではないのか。そちらに渡した資料に、それも含めておいたはずだが」

「いえ、外見的特長も性能的な面でも――あ、この機体です」

 ウィンドウの映像が、黒い機動兵器を中央に納めて停止した。

 あまりの機動性に画像がぶれている。

 これなら動いていたほうが視認しやすそうだった。

 映像がコマ送りで進んでいく。

 その動きから、どうにか黒い機動兵器の外見が掴めそうだ。

「現在、画像処理班が立体像の作成を進めていますが――
 この画像だけでもエステバリスという機動兵器とは差異が目立ちます」

 目を細めて食い入るように画像を見つめていた真央が、ふいに何かに思い当たったかのように驚愕の表情を浮かべた。

「ブラック――サレナ。まさか」

 しかしその表情はすぐに強靭な意志の下に消えていった。

「……続きを見せてほしい。問題の戦艦を出してくれ」

 キザキ大佐は顔の前に浮かんでいたウィンドウに手を伸ばした。

 映像が飛ぶ。

 次に映し出されたのは、海を割って出現した流線型の戦艦――ユーチャリスの姿だった。

「なんてこと。これはシラユキ・・・・――」

 真央は呆然とした態でその映像を凝視していた。

「高月中将――なにかお心当たりでも」

「ある。すまないが、少し時間がほしい。
 この機動兵器と戦艦については別途情報をまとめて、そちらに回そう。それでいいな」

「はっ!」

 キザキ大佐は敬礼をすると執務室から退去しようとした。

 その背に向けて、

「これだけは言っておく。ブラックサレナとシラユキ・・・・。この二つは木連にとっては最大の敵になる。憶えておいてくれ」

 キザキ大佐は不審な表情を浮かべながら退室していった。

 真央は幅広のミラーグラスを執務机の上から取り上げると顔にかけた。

 それを待っていたかのように、部屋の照明が明るくなっていく。

 彼女は疲れたように深い溜息を吐き出していた。

「ブラックサレナとシラユキ・・・・。それならばテンカワ・アキト――闇の皇子がいるのね。
 オペレーターは電子の妖精のどちらか? いえ、その両方かもしれない」

 ガリッ、という大きな音が部屋の中に響き渡った。

 唇を咬み破ったのだろう、真央の口元に紅い血が広がっていく。

 白で構成された美麗な顔に滲んでいく血の色は、背筋が氷りつくほどに凄愴なものだった。

「私の思い通りにはさせない、そういうことか。まさかこんな手を使うとは想像もしなかったよ。
 意外と人間臭いじゃないか――」

 舌先が紅い液体を舐め取り、人外の笑みを作り上げた。

「でも私はもう二度と負けない――」



 消え入るような呪詛の言葉。





「――――もう二度と――失わない――――」

















 


機動戦艦ナデシコ 『楔 kusabi』

prologue 4 : 最後の奥義







◆◇◆

 中華鍋をかえす。

 塊になったライスがぼそぼそと宙を舞った。

 明人は背中に注がれる何種類かの視線に怯えながら「困ったことになった」と冷や汗を浮かべていた。

「天河さん、お上手です」

 上機嫌のこの声は、道端に転がっていた明人を拾ってくれた、ホシノ・ルリという少女の声だ。

 これは問題ない。

 誉められて悪い気はしないし、なによりカワイイ女の子の前で特技を披露するのは気分がいい。

「うん。美味しそう。若いっていいよねぇ」

 なんだか微妙な発言をしているのは、ルリの同居人兼、保護者であり母親であり姉でありライバルでもあるというミスマル・ユリカという女性だった。

 言動に天然系の危険な臭いを感じたが、概ね好意的に明人を迎え入れてくれているし、なによりこの集団の中での発言力はかなり上位にあるようだ。

 味方にしておいて損はなさそうだった。

「…………」

 もう一人、無言で鼻を鳴らしながら、中華鍋から漂う香りを楽しんでいるらしい薄桃色の髪の少女。

 明人のまわりを待ちきれないようにウロウロとしている姿は、可愛さを通り越して哀れですらあった。

 もともと、招かれた先で料理をする羽目になったのも、このラピス・ラズリという少女とマキビ・ハリ――どうやらハーリーという愛称が定着しているようだが――の粗食ぶりを見てしまったからだ。

 不味そうにカップラーメンを啜る二人の一日の食事がそれだけと知っては、そのまま見過ごせるはずがない。

 事情を聞くと、保護者であるはずの二人が、片方は事故により味覚を失ったため、もう片方は生まれたときからすでに味覚が崩壊していたために、まともな料理が出来ないということらしかった。

 それならば年長のルリが、と思ったが、どうやらその結果が毎日のカップラーメンであったらしい。

 トッピングは青ネギと卵、シナチクなどを好みに合わせて。

 本人はそれに加えてポテトチップなどのスナックがあれば満足しているようなので、明人は「ジャンクフード娘」という称号を心の中でルリに与えていた。

「もう少しで出来上がるから、ちょっと待っててな」

 最大の被害者二人に向けて声をかける。

 ハーリーは明人に対して敵対的な態度だったが、目の前にぶら下げられた魅惑的な餌にそのスタンスが早くも崩れ始めていた。

「うるるるぅ〜〜〜……」

 不機嫌でありながら、しかしまともな食事にはありつきたい。

 噛み付くべきかどうか悩んでいる捨て犬のような声で唸りながら、ハーリーはテーブルに着いて明人の背中を睨みつけていた。

「はは……」

 明人は苦笑を洩らした。

 まあ、これは構わない。

 どうやらハーリーはルリに対して特別な感情を抱いているらしく、ルリの好意が向くものに無差別に攻撃を仕掛けているようなのだ。

 ルリがなぜ自分に好意を向けるのかがよくわからなかったが、そこから来るハーリーの態度は好ましくもあった。

 問題は最後の一人である。

 ミスマル・カイト。

 この家庭の家長らしいその男は、はっきり言って恐かった。

 殺意というものが本当に存在するのならば、いま渦巻いているものこそがそれだ。

 明人はキッチンに、カイトはリビングに、壁一枚を隔てていながら、なぜここまで恐怖を感じるのか。

 殺される。

 一般の御家庭ではまずお目にかかれない感覚に震えながら、明人は調理を進めていた。

「恐えぇよぉ〜……」

 半泣きの明人であった。









◆◇◆

 とにかく、あのひとことにやられたのだ。

『――それなら、私の家に来ませんか?』

 同年代の女の子――それもすこぶる付きの美少女にこんなことを言われれば、それを断れるはずがないではないか。

 少なくとも、まっとうな男の子である天河明人には無理だった。

 それに現実問題として、今夜の宿にも不自由していたのだ。

 そこにこの提案。

 飛びつかないほうがどうかしている。

 ――――。

 いや。

 実は、普段の自分であれば、おそらく断っていただろうと思う。

 ではなぜ承諾してしまったのか。

 情けない話だが、ホシノ・ルリという少女のあまりの可愛さに思考力の九割方が麻痺していたようだ。

 俗に言う、「舞い上がっていた」というやつだ。

 逢って間もないというのに自分の身の上話をグチ交じりにしてしまったのもおかしいが、それを親身な態度で最後まで聞いてくれたルリという少女も少しヘンだと思う。

 その上、見ず知らずの男を自分の家へと誘ったのだ。それは献身的という域を超えているではないか。

 そのことに頭が回らず、ふらふらと後をついていってしまった自分が、どれほど平常心を失っていたか、いまははっきりと理解していた。

 ――でもなぁ……

 テーブルの向こうで野菜炒めを口に運んでいるルリの顔を盗み見る。

 彼女はそれに気づいて箸を唇に当てたまま、ニコリと極上の微笑みを浮かべた。

「とっても美味しいです」

 ――うわぁっ!

 驚異の破壊力。

 「こ、これは逆らえないだろ……」

 慌てて視線を外らした明人は、黒いバイザーに映る自分の姿を見つけていた。

「げ。」

 ミスマル・カイトが何も言わずにこちらを見ている。

 なんだって食事中にまで黒いバイザーを着けたままなのだろうか。

 味噌汁を口にするときにバイザーが白く曇るのが妙に気になってしまう。

 それに左肩から脇腹にかけて包帯と硬化剤でガチガチに固めてある。

 服からはみ出た部分には痣や切り傷がいたるところに散見していた。

 ――もしかして、でいり・・・ですか?

 常識で考えればチューリップの落下で負った傷なのだろうが、男の雰囲気からは“ぼーりょく関係のおひと”というイメージしか湧かない。

 あの左腕の包帯の下に桜吹雪が舞っていても何の不思議もなかった。

 とにかく男の周りにはどろどろとしたオーラのようなものが漂っているのだ。

 やばい。

 むやみな行動は寿命を縮める結果になりそうだ。

 いまはおとなしく給仕に徹していよう。

「……もっと」

 ラピスが平皿を突き出して、三杯目のチャーハンのおかわりを要求した。

「たくさん食べるんだな、ラピスちゃんは」

 もしかして冬眠の用意でもしているのだろうか。

 まあ料理をした者としては、食べてくれるのは嬉しいことだ。

 これで自分の分が失くなってしまったが、最後のチャーハンを大盛りにして返す。

 きらきらと瞳だけを輝かせながら、ラピスはそれを受け取った。

 あまり感情を顔に出さない娘らしい。

 ――でもシッポがあればわかりやすそうだよなぁ

 その想像に危うく吹き出しかけた自分を必死で抑える。

 もう一方の欠食児童であるハーリーは、ころころと表情を変えながら明人の用意した食事を口にしていた。



  これを作った奴は絶対に気に入らない。

  あぁ、でも美味そうな匂いが。

  ちょっとだけ――ちょっとだけなら……。

  ――――。

  うぅ、こりゃあ絶品!

  いや、ダメだ! ここで負けちゃダメなんだ。

  ボクにだってプライドはあるんだから。

  そうさ、あんな奴の作った料理なんて!

  あぁうぅ、でもでも――



 解説するとこんな感じの葛藤を繰り返しながら、ハーリーはなんだかんだとチャーハンを平らげようとしていた。

「……わかりやすい奴」

 笑っちゃ悪いが、どうしても笑みが溢れてしまう。

 あまり敵視されても困るので、笑いを堪えながら最後の一人に目をやった。

 その結果――――チャーハンの色が赤かった……。

 鼻歌まじりに大量のタバスコをブッかけたそれを、ミスマル・ユリカは口に運んでいた。

 ぜんぜん辛くないのか、ニコニコと笑いながら「美味しいねぇ〜」などとルリに話し掛けている。

 絶対に違う。

 自分が食べて欲しかったものは、断じてそんな物体ではなかったはずだ。

 文句を言いたいが、自分の立場を考えるとそうもいかない。

 ――この人のことは忘れよう

 そう決心した。

「さてと――」

 口元を拭きながら、態度を改めたユリカが口を開く。

「では、そろそろ家族会議を開きたいと思います。
 今日の議題はこちらの少年――」

 しゃちほこばっている明人を指し示す。

「天河明人くんの処遇についてでぇす。楽しいねぇ〜」

 遊ばれてんなオレ、と思いつつ、なにも言わないでおく。

「ええと、現在判明している事情を述べますと、天河明人くんは先日まで臨海公園前の中華料理屋に
 住み込みで働いていたということです。
 『中華飯店サイゾウ』は皆さんよくご存知ですね? はい、それでは先に進みましょう。
 ところがチューリップの落下により店が半壊、やむなく休業と相成ってしまいました。
 その結果、店を追い出された天涯孤独の身である明人くんは途方にくれていたそうです。
 しかし!
 そこに登場したのが我らがルリちゃんなの!
 では、そのときの様子をルリちゃん本人から語っていただきましょう、どうぞぉ〜!」

 ナデシコ時代の天井知らずなノリを取り戻したユリカが、ハイテンションでまくし立てた。

 突然そのノリを振られてしまったルリが慌てている。

「えっと、その、あの……とっても可哀想だと思いました」

「はい、率直な感想ありがとう、ルリちゃん!
 そしてそのまま明人くんを保護したルリちゃんは、家につれて帰ったというわけです。
 う〜ん、明人くんの料理、美味しかったねぇ! ルリちゃん、よくやりました!」

 パチパチパチ!

 ――なんかヘンだぞ、この人たち

 照れて頬を染めているルリを見て、明人は不安をつのらせていた。

「さて、問題はこれからです。
 明人くんは現在宿無しの身。
 私たちはこの部屋に越してきたばかりですが、実はちょっと奮発して広めの部屋を借りたため、
 もう一人ぐらいなら同居できそうな感じです。
 さて、そこから導かれる答えはなんでしょう?」

「出ていけ」

「ちなみに、今日は明人くんの料理のおかげで、ラピちゃんとハーリーくんの食生活に問題があることも判明しました。
 これを解決する最善の方法がひとつだけあります。
 さあ、それはなに?」

「出てけっての」

「それにルリちゃんをご覧下さい。
 とっても明人くんが気に入った御様子。
 これを無理に引き離すのは良心が痛むとは思いませんか?」

「だから危ないんだよ。出てけって」

 ユリカが頬を膨らませてミスマル・カイトを見た。

「さっきからひどいよ、アキ――じゃない。カイト。なにが気に入らないの?」

「その名前だ。なんで俺が犬にされなきゃならん」

「だって、突然だったから。ほかに思いつかなかったんだもん」

 ちなみに、カイトとはユリカが昔飼っていた犬の名前だった。

「義父さんに写真を見せてもらったことがあるがな、寝てばっかりだったぞ。
 駄犬じゃないか」

「ひどぉい! すごく素直でいい子だったんだからね!
 それに勇気もあったもん。
 泥棒が入っても寝てるぐらい度胸の据わった子だったんだから!」

「やっぱり駄犬だろ、それ」

 ユリカが本気でムクれた。

「アキトのバカァっ!!」

 オレ? と明人が自分を指差してルリを見る。

 ルリは場を取り繕おうと必死で声を出した。

「あの、皆さん! ここは多数決で決めませんか。
 いえ、勝手な言い分だとは思ってますけど、天河さんをこのまま追い出すなんて私には出来ないです。
 アキ――ではなくて、カイトさん、どうかお願いします」

 真摯な眼でミスマル・カイトを見つめている。

 明人は自分のことで必死になってくれるルリに違和感を感じていた。

 嬉しいはずなのに、奇妙さが先に立ってしまう。

 本当に自分たちは、今日が初対面なのだろうか?

「ルリちゃんに頼まれると、断れないよな。いいさ。俺は断固反対に一票だ」

「私は絶対賛成! 明人くんの手料理、もっといっぱい食べたい!」

「あの……私も賛成です。ごめんなさい、カイトさん」

「ボクはイヤです! こんな人とひとつ屋根の下だなんて危険すぎる! 絶対反対です!」

 カイト、ユリカ、ルリ、ハーリーの順に票が投じられた。

 ちなみにハーリーは半分泣きそうな顔だった。

 プライドと食欲の板ばさみで、かなり悩んだらしい。

 賛成二票、反対二票のイーブン。

 残る一票はラピス。

 つまり、明人の命運はラピスに握られていた。

「ラピス! 天河さんがいれば、毎日、美味しいご飯が食べらるんですよ」

「そうよ、ラピちゃん! カイトなんて、ワガママ言ってるだけなんだから、気にしちゃダメ!
 それにこっちだって一応アキトなんだから、なんの問題もないんだよ?
 若くてピチピチだよ?」

「ラピスさん! ダメです、騙されないで下さい! 別人なんですよ!? 違う人なんです。
 恩を徒で返すんですか?」

「ラピス。リンク切るぞ」

 最後にボソッと脅し文句が混じっていたが、ラピスはそれでも迷っていた。

 チャーハンの平皿で口元を隠しながら、視線をきょろきょろとカイトと明人の間で彷徨わせている。

 そして――

 チャーハンの平皿は明人の手に渡された。









◆◇◆

 それは深夜だった。

 皆が寝静まった中、ルリだけがキッチンのテーブルでキーボードタイプの旧式な端末をいじっている。

 スクリーンの中にダッシュからのさまざまなメッセージが踊っている所を見ると、メインフレームはユーチャリスのダッシュそのもののようだった。

 傍らにはコンソメ味のポテトチップと、グレープジュース。

 ときおりそれらをつまみながら、ルリは端末に流れる情報を食い入るように見つめていた。

「どんな感じなんだ?」

 背後から声をかけたのはアキトだった。

 手にしたコーヒーカップから湯気が立ち昇っている。

 味覚を失いながらも、わずかばかりの嗅覚を維持していたアキトは、食べ物も飲み物も香りの強いものを好む傾向があった。

「思った以上に良くないです。――あの、アキトさん」

 なに? と言いながら、ルリの隣の椅子に腰を下ろす。

「あの、今日は天河さんのこと、すみませんでした。
 アキトさんにとって、あの人を見ているのは辛いことかもしれないってわかっていたのに……」

 アキトは立ち昇る湯気を顎にあてながら、優しい声で答えた。

「気にしちゃいないよ。もうとっくに吹っ切ってるしね。
 俺、何度かあいつの顔を覗きに行ってたんだぜ? 知らなかったろ」

 ルリは驚いてアキトに向かい合った。

「本当ですか? 全然そんなそぶりはなかったのに」

「まあね。隠してたから。だから今日ショックだったのは、ラピスに嫌われたことぐらいだよ」

 アキトは屈託なく笑う。

 ここまで感情を整理するのにアキトがどれだけの苦悩を乗り越えてきたのか。ルリは自分がそのことに気がつかなかったことを激しく後悔していた。

「本当に……ごめんなさい」

「いいからさ。それにあんな態度はとったけど、俺だってあいつを本気で追い出すつもりはなかったんだ。
 仮にも自分の事だしな。
 それに、あいつをこの家に置かなけりゃならない理由もある」

「それって……」

「それより先に、ルリちゃんのほうの話をしてくれないか?」

 アキトは端末のスクリーンを指先で叩きながらルリを促した。

「あ、はい、それなら……。
 ここしばらく、連合軍情報部門の動きは非常に活発化しています。
 間違いなく、この間のユーチャリスの件だと思います」

「まあ、そうだろうな。あんなものを見せられちゃ、嫌でも動かざるをえないだろうし。
 で、どこまで探られたんだ」

「かなり、です。優秀ですよ、連合軍の情報部門は。
 この短期間で、私たちのでっち上げたパーソナルデータの近くまで辿り着いていました。
 それともうひとつ、こっちにも動きがあります」

 ルリは別のスクリーンに、アキトにはよく理解できない文字列を表示した。

「なにこれ」

「ネルガルシークレットサービスです。あそこにも非合法すれすれの情報部門がありますから」

「ああ、そういえば。もともとハーリーはそこに配属される予定だったんだっけ。
 それをルリちゃんが横から掠っていったとか、ゴートさんから聞いたことがあったな」

「ええ。だから注意はしていたのですが、やはり動いていました。
 あそこは実働部隊が強力ですから、敵に回すと厄介です」

「ふーん。元気だね、アカツキは」

 アキトはコーヒーを一口飲みながら、ノンキな口調で言う。

 どうせ、この手の世界では自分の出番はないと割り切っているようだ。

「どちらかといえばネルガルのほうが危険ですね。やるとなれば徹底的に動くでしょうから。
 ただ、逆に取引の余地もありますから、いざとなればネルガルに飛び込むという手もあります」

「だな。アカツキが相手なら、俺もやりやすい。
 他に問題は? クリムゾン・グループも動いているはずだと思うけど」

「動いてはいるのですが……思ったより動きが鈍いですね。
 たぶんネルガルが押さえ込んでいるんじゃないでしょうか」

「なぜ?」

「この時期ならナデシコの建造に関して激しい情報戦が行われているはずですから。
 私たちの世界でも、クリムゾンは相転移炉艦の開発で完全にネルガルに出し抜かれていました。
 ユーチャリスを見たネルガルが、慌ててクリムゾンの動きを抑えるのは必然です」

「はあ、なるほどね。いろいろと水面下が荒れてるんだな。
 俺たちがその荒波に巻き込まれないなら、好きにしてくれと言いたいけどさ」

「そうですね。今回はなんとか大丈夫だと思います。以前ばら撒いたデコイが役に立ってくれていますから。
 それとさっき、私たちに関するデータをいくつかネット上にリークしておきました」

「いちいちプロのルリちゃんに楯突く気はないんだけど……なんでまた、そんなことを」

「なにかの偶然で誰かが真実に行き着いたときに、その信憑性の度合いを落としておくためです。
 あらかじめ根も葉もない噂話として流しておけば、それが真実だと確信するまでの時間が稼げます。
 それに噂そのものがプローブとして機能しますから。
 だれかがその噂の出所を探り始めれば、それが危険信号になります」

 ルリは自信ありげに笑顔を浮かべた。

「わかりやすいところではそんな感じです。他にもいろいろと根回しはしているんですよ。聞きたいですか?」

「いい。話すなら、布団に入ってからにしてくれ。よく眠れそうだ」

 そうします、とルリ。なぜか喜んでいるようだが、本気で寝物語として話して聴かせるつもりなのかもしれない。

 ルリが「でも……」と続けた。

「もう一度ユーチャリスを出せば、危ないかもしれません。次はむこうも待ち構えているでしょうから」

「ああ、そうだな。覚悟はしておくべきかもしれない」

 アキトもルリもそうならないことを心から願っていた。

「そうだ。ブラックサレナがエステの増加装甲だってのは気づかれたと思うか?」

「いえ、大丈夫だと思います。私たちの世界でも、最後まで気づかれませんでしたし。
 ただ、装甲が剥げるようなことがあれば危険です。ネルガルが何か感づいてしまうかもしれません」

「だよな。思い切りエステバリスだもんな。
 ――ユーチャリスの倉庫に、ナデシコCから持ってきたアルストロメリアがあったな。
 もし次があるなら、あれを使うことにするよ」

「あれは、私がナデシコCを奪うと決めたときにアカツキさんが餞別にくれたものです。
 でもブラックサレナよりは性能が落ちますよ?」

「いや、汎用性はアルストロメリアのほうが高い。
 もともとブラックサレナの稼動データを反映して設計された機体だしな。
 拠点攻撃にはサレナのほうが向いているけど、それ以外ならアルストロメリアのほうが融通が利くと思う。
 ――それにしてもアカツキの奴。別れの挨拶に花を送るっていうのは正しい作法なのかな」

「アルストロメリア――百合水仙ですね。花言葉はエキゾチック、援助、持続。なんとなくアカツキさんらしいです」

「そう……かもな」

 しんみりとしてしまった空気を打ち払うようにルリが話題を変えた。

「さあ、次はアキトさんの番ですよ。天河さんを家に置く理由ってなんなんですか」

 アキトは最後に残ったコーヒーを一気に飲み干した。

「この前のチューリップだけどな、あいつらが狙っていたのはナデシコだったと思わないか」

 ルリはうなずいた。

 連合軍情報部もネルガルのサセボドックにちょっかいを出しているようだ。

 彼らもサセボドックに何かあるという結論に達した証拠だった。

「俺たちの世界では、あんなことは起きなかったよな。
 ナデシコの出航直前に偵察レベルの攻撃があっただけだ。おかしいと思わないか」

「おかしいといっても……どうやってナデシコのことを木連が知るんですか? そんなの無理です」

「そうは思うけど、実際にはっきりとした攻撃があったんだ、また同じことが起こると思ったほうがいい。
 ナデシコは俺たちのときと違って、火星に辿り着くのにかなりの苦労をすることになるんじゃないかな」

「なら私たちが力を――」

「俺たちはもう十分すぎるほど犠牲を払ったじゃないか。
 俺はもう御免だ。ここにいる家族に対する責任だけで必死だよ。
 俺たちの戦争はもう終わったんだ」

「私たちの戦争が――」

 ルリは呆然としたようにその言葉を噛みしめた。

「でもさ、だからといってナデシコが沈んでしまうのもイヤなんだよ。ただのエゴなんだろうけどね」

「私だって、そんなの絶対にイヤです!」

「だろ? だから俺はもう一人の俺にその責任を背負わせようと思ってる。それが正しい順序だからね。
 明日からあいつをいろいろと鍛えていくつもりだ。
 それに、俺たちの正体もすこしづつバラしていこうと思う」

「信じてくれると……思いますか」

 アキトは小さく笑った。

「それはどうでもいいんだ。知っていることが重要なんだよ。
 知識と力があわされば、大抵のことは切り抜けることが出来る。
 自分がそこまで役立たずだとは思いたくないしね」

「そうですか。そこまで考えてらしたんですね。――そのことはユリカさんは?」

「知ってる。というより、ほとんどユリカが考えたことだ」

 そう……ですか、と寂しそうに呟くルリ。

「だから、あいつを家に置くことに反対はしない。
 でもね、ルリちゃん。あまりあいつには関わらないほうがいい。
 一年後には、あいつはナデシコに乗らなきゃならない。そうなったら――」

「――つらい、ですよね」

 ルリは静かに言葉を引き取った。

「でも――私、二度も負けるほど馬鹿じゃありません」

 その言葉には強い意思が含まれていた。

「負けたらどれだけ悔しいか知っていますから。
 だからもう負けません。
 相手が誰であっても絶対に引き下がりません。
 それがたとえ――ユリカさんでも」

 アキトはルリの真っ直ぐな視線を受け止めることが出来なかった。

 アキトが知っていた幼いルリとは違う。

 そこにいるのは――――

 ルリははっきりとした声で言った。

「――――いつまでも少女のままではいられませんから」









◆◇◆

 季節は秋も終わりを迎えようとしていた。

 ナデシコの出航までもう幾日も残されていないその日、サセボの街は例年より早い寒波に襲われ、急激に気温を落としていた。

 日暮れも近くなると、どの家も戸を閉ざし冬の到来を一秒でも遅らせようとしている。

 ユリカは窓の外の鋭利に研ぎ澄まされた空気をしばらく眺め、ガラスに白い吐息を残しカーテンを引いた。

「帰りましたぁ!」

 玄関から少年の元気な声が届いた。

 ハーリーの声だ。

 ハーリーとラピスの二人は、半年前から近くの中学校に通っていた。

 二人ともそれに反対したのだが、ユリカが有無を言わせずに編入手続きを済ませてしまったのだ。

 文句ばかり言っていたハーリーも、最近では楽しそうに通学している。

 ラピスのほうは表面上相変わらずではあったが、アキトから言わせれば「ずいぶん変わった」らしい。

 特殊な二人だからこそ楽しいことばかりではないのだろうが、それでも二人は元気だった。

 台所への襖を開けてラピスが和室に顔を覗かせた。

 モコモコの手袋とマフラーで重装備したまま、コタツに向ってまっしぐらに突進する。

「ラピスさん、ウガイしたんですか?
 風邪が流行ってるんですから――ああっ、またそんな格好でコタツに入ってる!
 いいかげんにしてくださいよ、まったく」

「……ぬくぬく」

 コップ片手のハーリーが、背を丸めたままコタツにかぶりついているラピスを見て声を張り上げた。

「手袋ぐらいちゃんと外してください! マフラーとコートも!
 幸せそうな顔して寝てもダメです。騙されませんからね、ボクは!」

「……うぅ……ハーリーがうるさい」

 コタツにぺたりと頬を乗せたまま、微妙に恨めしそうな表情でハーリーを見る。

 まだまだ人形のような印象を拭うことは出来なかったが、それでもこういった表情を見せるようになったのは大きな進歩だった。

「ラピスさんがちゃんとしないからです。ボクだって、こんなお節介したくないんですからね!
 ボクより年上なんですから、しっかりしてくださいよ、もう」

「……わたし……しっかり者」

「ぜんっっぜん違います! そう思うなら、まずウガイ!
 それからマフラーとコートは玄関の横にかける!
 手袋は失くならないように、両手を一緒にしておくこと!
 いいですね」

「……ぬくぬく……だったのに」

 とぼとぼとラピスは居間から出て行った。

 その様子をニコニコしながら見ていたユリカが、

「ハーリーくんって、ホント世話女房だよねぇ」

 などと言ったのを聞いて、ウガイをしていたハーリーはゴクリとのどを鳴らした。

「……飲んじゃったじゃないですか」

 ラピスなど問題にならない、完璧に恨めしそうな表情。

「ハーリーくんをお婿さんにする人って幸せ者だよ。頭もいいし、将来性バッチリ。
 料理も上手くなったよねえ」

 料理の練習をしていたのは、明人がナデシコに乗った後にカップラーメン生活に戻るのが恐ろしかったからだ。

 はっきり言って死活問題だった。それは上手くもなろうというものだ。

「他に資格もいっぱい持ってたよね。第一種航宙免許とか、医師免許とか」

「そりゃあワンマンオペレート艦に乗るからには、一通りは持ってますけど。
 ルリさんなんて、もっとすごいですよ。
 それに医師免許なんて戦時特例の4級免許ですから、知識だけで何の役にも立ちませんし」

「うぅん、すごいってば――――ラピちゃんを幸せにしてあげてね、ハーリーくん」

 ガラガラガラ……ごっくん。

「……うぇぇ……」

 半泣きの眼でハーリーはユリカを見た。

 その眼が「な ん で ボ ク が」と訴えている。

「う〜んと、最近はルリちゃんも明人くんをかまってばかりだし、ハーリーくんも寂しいかなって思って」

「だからってなんでラピスさんなんですか。これでもボク、学校では結構モテるんですからね!
 来年のバレンタインは期待しててくださいよ、サブロウタさんなんて、目じゃありません!」

 少し頬を紅くしているハーリーは歳相応の少年に見えた。

「もう。ラピちゃんがいいのに。
 なんていうかなぁ――そう、足りないところを補い合うベストカップル! みたいな」

「足りないのは一方的にラピスさんのほうばっかりじゃないですか」

 ぽかっ、とハーリーの後ろ頭をなにかが殴りつけた。

 振り返ると、スリッパを片手に持ったラピスが無表情に立っている。

「……足りなく……ないもん」

「ホントのことを言ったまでです。
 悔しかったら、朝ぐらい自分で起きてください。
 それにお弁当忘れたからって、ボクのを盗んでいくのももうやめてください!」

「……気づかれた」

「はじめっからわかってました! バカにしてるんですか!?」

「ほら、やっぱり仲良しさん」

 ユリカがぽんっとハーリーの肩に手を置く。

 そのユリカを睨みつけるハーリーの顔は、かなりムクれていた。

「……それ……なに?」

 ラピスなりにマズイと感じたらしい。いきなり話をずらして、コタツの上に広げられていた色紙の束を指差した。

 他にハサミや半紙、様々な色のリボンもある。

 そしてその中に、綺麗に重ねられた蒼い花弁が数枚置かれていた。

 ユリカがわずかに悲哀のこもった視線をそれに向けた。

「えへへ……今日は寒かったからね。せっかく咲いた撫子の花が散っちゃったの。
 だから押し花にして、栞(しおり)とか作ってみようかな、なんてね」

「あ……散っちゃったんですね。ルリさんも残念がるだろうな」

 ルリとユリカの二人が、どれだけ丹精をこめてその花の世話をしていたか、ハーリーもよく知っていた。

 夏の終わりにつぼみが開いたときには、大喜びしたユリカが近所中に見せて回り、危険人物としてマークされたほどだ。

 その花が散ってしまった。

 また来年になれば開くのだろうが、それは別の花でしかない。

 今年咲かせた花はそれらとは違って、はるかに重い意味を持っていたのだ。

「そうですか……あの、ボクも手伝わせてもらっていいですか?」

「うん。全員分の花びらは摘んでおいたから。ラピちゃんも、ね?」

 ラピスは小さくうなずいた。

「あ〜、疲れた。帰ったぞぉ、ユリカぁ」

 そこにオヤジくさい台詞を吐きながらアキトが帰宅した。

 居間に現れた姿は、青いとっくり・・・・にやたら幅のある作業ズボン、そして腹巻と決め手の地下足袋。

 いわゆる「土方ファッション」というやつだった。

 アキトは働き口に日雇いの建築作業――つまり土方を選んでいたのだ。

 他に道がなかったわけではない。

 自分の住む街を自分の力で復興させていく感覚を味わいたい――

 それが理由だった。

 火星の故郷で失ってしまったものを、このサセボで取り返す。

 アキトにとって、それは心に負った傷を埋めていく作業でもあった。

 そのかたわらで、もう一人の自分に格闘の技術や機動兵器の操縦をみっちりと教え込んでもいた。

 正体を明かしてからは、料理に関してもいくらかの指導をしている。

 しかしそれももうすぐ終わる。

 ナデシコが出航するからだ。

 それを見届けた後、アキトは新たな身の振り方を考えるつもりだった。

「なにしてんだ?」

 そのアキトの問いに、ユリカがさっきと同じ答えを返す。

 アキトは「そうか……」と呟くと、風呂場へと向った。

「俺も作るからさ、ちょっと待っててくれ」

 そんな答えが、シャワーの音とともに帰ってきた。

 アキトが風呂からあがると、四人はコタツを囲んで、押し花の製作に取り掛かった。

 話題は自然とナデシコの想い出へと向う。

 この花が持つ意味を考えればしかたのないことなのだろう。

 アキトとユリカが主にナデシコA時代の話題に嵩じる一方、ナデシコB、Cを知るハーリーは「ああ、あれってそういう事だったんですね!」などと、ナデシコAから持ち込まれた共通点を見つけて話に加わっていった。

 ナデシコB、Cは、ただの後継艦というだけでなく、ルリを艦長とすることで、ナデシコAから様々な想い出を引き継いでいたのだろう。

 ただ独り、ラピスだけがその輪に加わることが出来ないでいる。

 他の三人の話が弾むほど、ラピスの疎外感は強くなっていた。

 これが始めてではなかった。

 これまでにも何度か同じ疎外感を感じたことがある。

 そのたびに、ラピスの中である願望が少しずつ大きくなっていた。

 いままでそれがなんなのかはっきりしなかったが、ナデシコの出航を間近に控えた今日になって、ついにラピスはその正体に気づくことができた。

「……アキト……ナデシコって……どんなとこ?」

 危うく聞き逃してしまいそうな小さな声に、アキトはラピスを見た。

 ラピスは撫子の蒼い花弁を見つめている。

「……どんなとこ?」

 様子がいつもと違う。

 アキトはラピスがなにを思っているのか推察しながら、次の言葉を選んでいた。

 しかしそれよりも早く、ラピスはポツリと言葉を洩らした。

「……わたしも……ナデシコに……乗りたい」

 それがラピスの示す、はじめてのワガママだったのかもしれない。









◆◇◆

「お世話になりました」

 明人はそう言って深く頭を下げた。

 背には大量の荷物が詰まったリュック。

 自転車もチェーンが交換され、その雄姿を取り戻している。

 秋の高い空の下、ルリを除くテンカワ家の一同がアパート前の私道に集まっていた。

 明人の横に小さなカバンを背負った姿のラピスがいる。

 その瞳は真っ直ぐにアキトを見つめていた。

「もう、ルリちゃんなにやってんだろ。
 明人くんとラピちゃんが行っちゃうのに……ちょっと呼んでくるよ」

 そう言ってアパートの中に戻ろうとしたユリカを明人が呼び止めた。

「いいんです。お別れなら昨日のうちに済ませましたから」

 へぇ、とユリカ。

「で、ちなみにどんなお別れを済ませちゃったのかなぁ? ユリカ、すっごく知りた〜い」

 ハートマークを散りばめた笑顔の下に、有無を言わせぬ強制力があった。

 立派なオバサン予備軍かもしれない。

「〜〜っ! やましいことなんかひとつもしてませんよ!
 そりゃちょっとくらいはその……あれですけど……」

「ほぉ――――ちょっとだけ何をした、貴様」

 ビクリと明人の背が跳ねた。

 オドオドとした視線を横にずらしていくと、そこにナノマシンの文様を全身に浮き上がらせたアキトが仁王立ちになっている。

 恐いなんてものではない。

 はっきりと生命の危機を感じた。

「してません、なんにも! 誓ってオレからは何もしませんでした! ホントです!!」

 すでにルリがした事をバラしたようなものだ。

「ル、ルリさんのバカァっ!! うわああぁぁあああぁぁ――――んっっ!!」

 子供泣きに泣きながら走り去ったのはハーリーだった。

 よほどショックだったのだろう。

 幼児退行してしまっている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「うわああぁぁあああぁぁ〜〜〜んっ!!」・・・・・・・・・・・・。

 遠ざかっていくその声を背に、アキトは臨戦体制を解除していった。

 殺気が薄れていく。

「――それぐらいなら許してやる。ルリちゃんの勇気に免じてな」

 明人は今になって、背に大量の汗が浮かんできているのを感じた。

 いまのはかなりヤバかった。

「あの、オレ信じてるわけじゃありませんよ、アキト……さん」

 自分の名を「さん」づけで呼ぶことにまだ違和感を感じながら、明人は姿勢を正してアキトに向き直った。

「そりゃあ証拠もたくさん見せてもらったけど、信じてはいないです。
 だからこうやって別れなくちゃいけないことにも納得していません」

 アキトたちが自分の過去を明人に語ったのはごく最近のことだった。

 しかし普通の家族でないことは、とうにわかっていたのだ。

 ユーチャリスやブラックサレナを見せられた。

 戦技シミュレータではテンカワ・アキトの人間離れした戦闘能力を実感した。

 そしてボソンジャンプの原理と、その能力を明人自身が持っていることも知らされた。

 さらに同姓同名の、自分とよく似たもう一人の存在――

 そういったことから、明人もこの奇妙な家族の正体を漠然と想像はしていたのだ。

 ただ、その想像はあまりに荒唐無稽だった。

 そして本人たちの口からその想像を事実と認められたあとも、やはり信じることを拒絶してきた。

 その原因はルリにあったかもしれない。

 彼らの正体を認めることで、ルリが遠い存在になってしまうような、そんな不安があったのだ。

「もし……もしナデシコなんて戦艦が無ければ――――オレ、ここに戻ってきてもいいですか」

 ナデシコは――ある。

 心のどこかで、明人はそう確信していた。

 しかしそれでも一縷の望みが明人にそう言わせたのだ。

「帰ってきたければな。ルリちゃんも喜ぶよ。
 居場所だけはいつでも残しておくから、帰ってくればいい」

 はい! と答え、明人は背を向けようとした。

「待った。これは餞別だ、持ってけ」

 一枚の紙切れが手渡された。

 ――アキトから明人に。

 それはなにかの料理のレシピだった。

「最後の奥義ってとこだ。それを完成させられたら免許皆伝だな。
 ――まあなんだ……頑張れ」

 明人はその一枚の紙切れをじっと見つめ、深く礼をした。

「……アキト」

 ラピスがアキトの腰に抱きつく。

 しかしそれも長くはなく、自分から身を離した。

「……いってくる」

「ああ」

 ラピスの頭に乗せたアキトの右の手のひら――

 それだけが二人の別れの挨拶だった。









あとがき

やっとナデシコ出航! プロローグが終了しました!
えっ、「プロローグってなんのこと?」ですって? そんな方はサブタイトルのところを読んでみてください。
ほら、プロローグだったでしょ(笑

しかしナデシコメンバーを出すと、いままでの雰囲気ぶち壊しになると思うんですがどうでしょう。
とくにシリアス回路がショートしてるあいつと、あいつ!
……瞬殺だな。

ではでは〜。

 

 

管理人の感想

ぼろぼろさんからの投稿です。

やっぱり拾いました、飼い馴らしました、捨て犬アキト(爆)

ラピスも自分の意思でナデシコに乗りますしね。

そして、意外な事に木連にも逆行者らしき人物も居ます。

この先、どんなちょっかいを出してくるでしょうか?

次の話が楽しみですね。

 

 

 

・・・シリアス回路のショートしてる人物・・・アレとアレ、ですか?(汗)