ユーチャリスからはなたれる無数の無人兵器と、それを迎撃する連合軍のステルンクーゲル。

 緒戦は、そのような形で始まった。

 数の上では連合軍が圧倒的に優勢、しかしそれも、無人兵器の一糸乱れぬ狡猾な戦術と、効果的な場面で使われるユーチャリスのグラビティ・ブラストにより、どちらにも有利な戦況とは思えなかった。

 火星の後継者は、有人兵器を温存し、連合軍側は、ナデシコCという最大の武器を隠し持っている。

 現在は、お互いに戦力を計っているだけにすぎないのだろう。

 ルリは、ナデシコの戦線投入にはまだ時間があると見極め、艦長席を後にした。

「ハーリー君。少しのあいだ、お願いします」

 そう言って立ち去るルリを追いかけようとしたハーリーを、背中から何かやわらかいものが抱きとめた。

「ミナトさん?」

 ふくよかな胸の谷間で顔を朱に染めながら、ハーリーはミナトを見上げていた。

「だめよ、ハーリーくん。女の子を追いかけまわすばかりじゃ、いいオトコになれないぞ?」

「でも……ルリ艦長、すごく思いつめた顔をしていました……」

 ミナトは可愛くてしかたがないという感じで、ハーリーの頭を撫でまわしていた。

「そうね。でも、いまのルリルリを元気づけられるのはひとり……ううん、ふたりだけなの。

 それはハーリーくんもわかってるよね。

 ガマンしなさい。するべきところで耐えてみせるのも、いいオトコの条件なんだから」

 ハーリーはギュッと両手を握りしめると、コクリとうなずいた。

 その振る舞いは、どうやらミナトの心の琴線にジャストミートしたらしい。

 いきなりハーリーの頭を、これでもかというほど抱きしめた。

「ん〜〜っ、カワイイ!! ああ、もう、昔のルリルリに負けないぐらい!」

 自分の胸で溺れかけていたハーリーをガバッと引き剥がすと、ミナトは何か思いついたらしく目を輝かせた。

「ハリハリ……はちょっとヘンかな。やっぱり、ハリぼうがいいかなぁ。

 このクリクリっとした感じがうまく表現できる名前となると……う〜ん……」

 どうやらハーリーの呼び名を考えているらしい。

「ハリぼうなんてやだぁぁぁっ!! ハーリーで十分ですっっ!」

 暴れるハーリーをものともせず、ミナトの頭脳はフル回転していた。

 数分後。

 すべての悩みを吹っ切った表情で、ルリはブリッジに姿をあらわした。

「ハーリー君、ミナトさん。ナデシコC、発進します。

 ブラックサレナが――アキトさんがもうすぐ来ますから」

 いったいどのような超常的な能力が働いたのであろうか、そのルリの洞察は、完璧に現実を言い当てていた。

 その同時刻、ユーチャリスでは、ブラックサレナだけではなく、風塵の渡が乗る六連(むづら)と、数十機の積尸気(ししき)が、発艦に向け準備をすすめていたのである。

 ルリは、往時のユリカを彷彿とさせる明快さで、次々と指示を下していく。

「ユリカさんがヴァイスリーリエで出ます。

 リョーコさん、ヒカルさん、イズミさんはそのサポートを、ナデシコCは、

 遠距離から支援を行いつつ、ユーチャリスに接近。電子戦を仕掛けます」

 ルリはそれぞれに、明確な目標を定めていた。

 ユリカはアキトを。

 ルリはラピスを。

 三人のエステバリス隊は、火星の後継者を。

 どれも有利とはいえない戦いであったが、ルリに迷いはなかった。

「遺跡の防衛は、連合軍に一任します。もし敵に遺跡が奪われたとしても、気にすることはありません。

 私たちの目的はアキトさんを取り戻すこと。その他のささいな事柄は、すべて無視しましょう。

 ――ナデシコC、行きます」

「りょ〜かい、ルリルリ。はりきっていくわよ、ハリぼう」

 どうやら、ミナトの中で、ハーリーは「ハリぼう」という名で固定されたらしかった。

「しくしく……はいぃ〜」

 半泣きの笑い顔で、ハーリーは相転移エンジンの出力を上げていった。

「ハーリー君」

 ボソッとルリ。

「私もハリぼうと呼んでいいですか」

「ぜったい、やだあぁぁぁっ!!」



 久方ぶりに六連の操縦席の座り心地を味わいつつ、風塵の渡は戦局について思案をめぐらせていた。

 負ける戦(いくさ)ではないという自信が彼にはあった。

 絶対的な戦力では、いまの火星の後継者に、連合軍を打ち破ることなど、できようはずもない。

 しかし、これに遺跡の力が加わればどうか。

 テンカワ・アキトを融合させた遺跡は、おそらく、大規模な質量を、太陽系内の自由な場所にボソンジャンプさせ得るであろう。

 単体の能力ですら、ユーチャリス一隻をボソンジャンプさせるテンカワ・アキトなのだ。

 その能力は、計り知れないものであった。

 例えば、どこぞの浮き島でも小惑星でもよい、それをボソンジャンプで地球の大気圏内に飛ばせばどうなる。

 それを止めることのできる力など、人類のどこを探してもあるはずがなかった。

 その力を得れば、火星の後継者は有利な立場で、連合軍と取引ができるのだ。

 北辰様を、そして草壁様をおとしいれた地球の者どもをひざまづかせ、その理想を現実のものとする。

 それが風塵の渡の希望であり、野望であった。

『渡……』

 通信回線がひらかれ、流れ出た声は蛍火のものだった。

『ナデシコが動いた様子。いまこそ決着のときでありましょう。

 かの敵がいるということは、遺跡もそこにあるということ――』

 続ける声は血に濡れそぼっていた。

『ナデシコを血祭りにあげ、北辰様に捧げましょうぞ。

 わたくしも、じきにまいります。御武運を――』

「動くか、ナデシコ」

 切れた通信に答えるわけでもなく、風塵の渡は呟いた。

 その顔にあるのは、喜びか激情か。

 たまらぬ表情で、広域通信回線をひらくと、風塵の渡は命令を下した。

「我ら火星の後継者、いまこそ真に立ち上がり、地球の奸賊めらに鉄槌を下すときが来た!

 ゆくぞ、ものども! 我らの怒り、無念、此度こそ奴らに思い知らせてくれようぞ!!」

 うぉぉぅっ、という、地鳴りともつかない雄叫びが、通信回線だけでなく直接の声となって風塵の渡の耳に届いた。

 ユーチャリスの格納庫と、随伴した二隻の輸送艦に詰め込まれた積尸気は、全部で40機になる。

 さらにブラックサレナのテンカワ・アキト。

 風塵の渡はテンカワ・アキトを操るための糸――幻覚装置を作動させた。

 ここにウリバタケがいれば、そのシステムが、彼がヴァイスリーリエに装備した遠隔ヴァーチャル・システムと同種のものであることに気づいたはずだ。

 ウリバタケのシステムがパイロットからの出力に主眼を置くのに対し、こちらの装置はパイロットへの入力、つまり幻覚に重きをおいている。

 ブラックサレナのアサルトピットで、死んでいくユリカという悪夢を強制的に見せられながら、アキトはもだえ苦しんでいた。

「テンカワ・アキト。苦しめ。苦しみ悪夢に冒されながら、かつての同朋をその手にかけるがよい。

 北辰様を殺した貴様の罪、その程度では贖(あがな)えぬ。

 我が手の中で、一生踊りつづけるがよいわ」

 暗い嘲笑を洩らし、風塵の渡と積尸気たちは、ユーチャリスから出陣した。





 リョーコのまわりで、新たな爆発の白光が、次々と宇宙を染めあげ、消えていった。

 連合軍のステルンクーゲル隊が、敵の集中攻撃をうけ、なす術もなく藻屑と消えていく。

 リョーコにしても、機動力を強化したアサルトフレームでなければ、ここまで回避しきれたかどうか心もとない、それほどの徹底した攻撃であった。

「バカやろう!! なにボケっとしてやがんだ、てめえら!」

 数年のあいだ、連合軍でパイロットの育成を指導してきたリョーコである。その光景は、彼女にとって、あまりに歯がゆいものであった。

「こなくそおっ!」

 肩と脚部に装備されたアクティブスラスターと、メインブースターを同時にフルブースト。

 ユーチャリスの優雅な船影を背景にして、隊列を展開しようとしている積尸気の群れに突っ込んだ。

「てめえら、好きかってやりやがって!」

 右腕だけでかまえたレールカノンを連射する。

 凄まじい反動は、肩部のスラスターが瞬間的に出力を上げ、相殺していた。

 安定した体勢から撃ち出される弾丸は、驚異的な命中率と破壊力を撒き散らし、積尸気を次々と撃墜していく。

『あ〜っ、リョーコばっかり、おいしいところ持っていってズルイんだぁ』

 別の方角から、長い噴射炎の筋を宇宙に描きながら、もう1機のエステバリスが飛び込んできた。

 すれ違いざまのイミディエットナイフの一閃が、積尸気から、右腕を切り飛ばす。

「ヒカル! 遊んでる余裕はないだろうが! 真面目にやれ!」

 は〜い! という返事と同時に、ヒカルもレールカノンを連射しはじめた。

 適当にやっているように見えるが、いつのまにやら積尸気の群れを中央において、リョーコと十字砲火の隊形になっているあたり、いかにもヒカルらしい。

「まぁったく、頼りになるよな、おまえらはよ」

 嬉しそうに笑いながら、狙撃を再開したリョーコの目に、これまでとは比べ物にならない数の無人兵器が、こちらに殺到してくる姿が映った。

 しかし、次の瞬間、その先頭にいた何体かが、杭を打ち込まれたかのように、一方向にむけて吹き飛ぶ。

『そろそろ、地獄の渡し舟の姿が、見えてきたかもね』

 超遠距離から、正確な狙撃を繰り返すのは、イズミであった。

 敵の隊列を的確に見極め、そのもっとも脆弱な部分に、確実な一撃を加えていく。

 傍目からみても、無人兵器たちの進軍速度は、あきらかに鈍っていた。

「いやあ、そうでもないぜぇ。ヒカル、ちっと、ひとりでがんばっててくれや!」

 リョーコは、数の減った積尸気をヒカルに任せると、自分は無人兵器の群れに、レールカノンの砲身を向けた。

 その砲身が、中央から上下に分離し、Yの字の形に展開する。

「ウリバタケよぉ。自慢するだけの仕事してろよ!

 グラビティ・ブラストだ、喰らいな!」

 割れた砲身の中央に、この世のものではない、「黒い光」が走り回った。

 同時に目に見えぬ何かが、闇におおわれた宇宙からさらに光を吸い尽くし飛び出していく。

 それは、無人兵器の群れを飲み込むと、徹底的に押しつぶし、蹂躙していった。

「うわあぁぁっっ!!」

 激しい衝撃に耐え、リョーコは必死の思いで、機体を制御していた。

 気をゆるせば、暴れまわる黒竜が、敵だけでなく味方まで、そのあぎとで食い殺しかねない。

 フルパワーで噴射されるスラスターの白い炎が、まるで翼のように、リョーコのエステバリスの周囲で舞い踊っている。

 その真の意味に目をつぶれば、いっそ幻想的といってもいい光景であった。

 黒竜の舞いは、砲身が加重に耐え切れずに潰れてしまうことで終焉をむかえた。

 あとに残されたのは、ただ闇だけ。

 すでに無人兵器は跡形もなくなっている。

 呆然と、奇妙な形にねじまげられたレールカノンの砲身を見ながら、リョーコは呟いた。

「……ありゃぁ……」

『すっごぉ』

『どっちが地獄の渡し守かわからないね、これは』

 個人が扱っていい破壊力とは思えなかった。

 しかし、いまこの場では、これほど頼りになる力はない。

「へへ、やってくれるじゃねえか、ウリバタケのやつ。気に入ったぜ!

 イズミ、おまえのレールカノン、あたしに貸しな!

 イズミはナデシコに代わりのやつを取りに行ってくれ」

 そう言って、イズミのエステバリスに、リョーコが近づこうとしたときだった。

 ――ぞくり

 なんともいえない悪寒が、理由もなくリョーコの背筋に走った。

 とっさにイミディエットナイフを射出しながら、最大推力で右にスライドする。

 寸前までリョーコのエステバリスがあった空間を、鋼の塊が、死滅的な破壊力をもって走り抜けた。

『ほお、これを避けるか』

 通信機からの声と同時に、金色の光が輝き、そこから姿をあらわすのは、長い得物を手にした機動兵器。

 六連。

 錫杖を見事に舞わせながら、その機体は、リョーコの前に、完全に姿をあらわした。

「――イズミぃ。さっきのナシだ。こいつ相手に、そんなデカブツ、役に立たねえわ」

 イミディエットナイフを正眼にかまえ、リョーコの目が、覚悟にスウと細まった。





『アキト、どこぉ〜っ!』

 白銀の機体が、そんな声(通信)をあたりに響かせながら、戦場を駆け巡っていた。

 その機動性は、現実のものとも思えず、夢幻のように軽やかに疾駆している。

 戦場に姿をあらわした亡霊、見たものにそんな思いすらいだかせる、幻想的な存在だった。

『アキト、アキト、アキトぉっ!』

 何度目になるだろうか、アキトと連呼していた声が、ある光景を前にして小さくなった。

 戦艦ヒトリシズカ。

 アキトを捜し求めていたユリカは、図らずも敵の別働隊と遭遇してしまったのだった。

 ヒトリシズカからは、すでに十数機の積尸気と、蛍火の乗る六連が飛び立っていた。

『おや。こんなところで出会うにしては、ずいぶんと美しい姿だこと。素敵だわ。

 でも、その姿かたち、わたくしの北辰様を殺めた男のものとよく似ている』

 声に、したたるような毒気が混じりこんだ。

『――あなたに恨みなどありはせぬが、その現し身が、わたくしの心の焔を暗く燃えたたせるのです。

 死んでください――わたくしと北辰様のために』

『ヘンな人に付き合ってる時間は、ありません!!』

 キッパリと言い切ったものの、相手がそれを受け入れるはずもなかった。

 積尸気が見事な連携で、ヴァイスリーリエを包囲していく。

『わたしとアキトの恋路を邪魔しないでください!』

『わたくしと北辰様の恋仲を引き裂いたのは、そなたたち』

 議論が平行線をたどり始めたとき、最初にキレたのはユリカだった。

『もういいです! わたしはアキトのところに行くの!!』

 残像すら残し、ヴァイスリーリエは信じられない加速度で、一気に包囲網から突破していた。

 その加速性能は、あきらかにパイロットの生死を無視したものだった。

 すでに五感を失い、その意識も仮想空間に閉じ込められたユリカだからこそ可能な動きなのだろう。

 肉体そのものは、ナノマシン溶液と、さまざまな対G装備に守られているのである。

 しかし。

 蛍火は、その不可能なはずの機動を、生身の肉体でこなしてみせた。

 傀儡舞(くぐつまい)と呼ばれた、変則的な機動は、無駄が多いと見せつつ、確実にヴァイスリーリエの行く手を阻む。

『ジャマしないでください! アキトぉっ!!』

『北辰様! いま贄の血を、御身の前に!!』

 包囲網が狭まるなか、ユリカが本格的にキレた。

『北辰、北辰って、なんなんですか! あんなトカゲ顔のどこがいいの!?

 アキトのほうが100倍はカッコイイんだから!!』

 十数回のロールを繰り返しながら連射される二挺のハンドカノンの弾丸は、避けることもかなわず、積尸気のボディに次々と吸い込まれるように命中した。

『アキトは、わたしの王子様!

 カッコイイの!

 素敵なの!

 いつだって、わたしを守ってくれるの!

 わたしを愛してくれてるの!!』

『お黙り!』

 錫杖が、必殺の気合とともに打ち込まれた。

 ヴァイスリーリエは、それを片方のハンドカノンを失うことで、かろうじて回避する。

『あんな暗いだけの餓鬼を、北辰様と比べるなど、片腹痛い!

 北辰様の人となりも知らず――!』

 うなる錫杖の軌道は、すでにユリカの予測を、はるかに超越したものだった。

 鈍い音とともに、テールバインダーの先端が、美しい火花とともに弾き飛ばされる。

『北辰様の御心も知らず――!』

 予想外の蹴りが、ヴァイスリーリエの外部装甲の一枚を、突き破る。

『北辰様の御力に触れたこともない貴様が――!』

 錫杖が、ヴァイスリーリエの肩を貫いた。

『――なにを、ほざくっ!!』

 ぐんっ、とヴァイスリーリエごと振りまわしたかと思われたが、すぐに右腕が関節からもぎ取られた。

 もともと関節部の剛性が足りないため、外部装甲で固定していたのだ。

 今回は、それが逆に、ユリカの危地を救う形になった。

『そんなこと知りません! トカゲは、トカゲです! わたしは、絶対にイヤ!

 トカゲを見ると、鳥肌が立つの!! 大キライなの!!』

『まだ言うか!!』

 次の錫杖の攻撃は、どうにか避けきることができた。

『爬虫類マニアの人とは、お友達になりたくありません! わたしは――』

 ヴァイスリーリエを包み込む、金色の輝き。

『――アキトのところへ行きたい!!』

 輝きが極限に達したとき、ヴァイスリーリエの姿は、蛍火の前から消え去っていた。





 無数の無人兵器が、ランダムな動きに見える機動を行いながら、その実、完全に統一されたひとつの意思にしたがって、ナデシコCの進路を塞いでいる。

 完璧な防御網の背後に、来ないでと泣き叫ぶラピスの存在を、ルリははっきりと感じとっていた。

 かなりの強化が行われている無人兵器の攻撃は、致命打こそないものの、ナデシコCから、確実に装甲を削り、被害を増大させていく。

 激しい振動に揺れるブリッジで、ハーリーの焦りをふくんだ声だけが、現状を伝えつづけていた。

「12ブロック、第3から第8隔壁まで閉鎖。居住区の半数が壊滅。

 非戦闘員は艦中央部のナデシコ食堂に避難させます。

 相転移エンジン出力、92%まで低下。デストーションフィールドが、次々に突破されてます。

 現状から予想される、ディストーションフィールドの消滅まで、残り10分!」

 大量の無人兵器を使えるユーチャリスに対し、エステバリスの護衛すら受けることのできないナデシコCでは、戦力に差がありすぎるのだ。

 一方的に攻撃を受けている現状は、ごく当然の結果であった。

「――これは……無理ね。致命的なダメージを負う前に、いったん退却して、体勢を整えるべきだわ。

 ルリちゃん、撤退よ」

 エリナが、冷静に現状を分析すると、ルリに言い聞かせるように話しかけた。

 ルリはわずかな時間、じっと虚空を見つめ、考えていた。

 金色の瞳の中に、知性の輝きが、煌いている。

 ――ユリカさんならどうするだろう。

 このとき、ルリの脳裏では、そんな思考が渦巻いていた。

「――ハーリー君。ディストーションフィールド停止。

 全エネルギーをグラビティ・ブラストのチャージへ。照準、前方のユーチャリス」

 エリナとハーリーが、ほぼ同時に叫んだ。

「だめよ、ラピスを殺す気なの!?」

「そうですよ、ルリさん! それはやっちゃいけない!」

 しかし、それに答えたのは、ルリではなくイネスだった。

「いいえ、ベストな決断だわ。窮状を切り開くことのできる、唯一の手段といってもいい。

 艦長命令よ、ハーリー君。実行なさい」

 それは底冷えのする、冷たい声だった。

「ルリさん!」

 ルリは小さくうなずいて、ハーリーを見た。

「やって」

 その瞳の中に、諦観や逃避ではない、別の光を見て取ったハーリーは、ルリを信じた。

「了解しました! ディストーションフィールドへのエネルギー供給カット。

 全エネルギーを、グラビティ・ブラストへ。

 ナデシコCはグラビティ・ブラスト放射形態に変形。

 発射まで5秒!」

「艦首、ユーチャリスにむけて固定。――本当にやっちゃっていいのかな、ルリルリ?」

 ミナトの心配そうな声に対しても、やはりルリは無言で答えていた。

「――ユーチャリスにグラビティ・ブラストのエネルギー反応。本艦に照準しています!

 このまま発射すれば、グラビティ・ブラストの対消滅に……そうか、それなら!」

 ハーリーの声が、ブリッジに響き渡った。それを待っていたのだろう、ルリが命令した。

「グラビティ・ブラスト、発射してください」

「グラビティ・ブラスト発射!」

 ナデシコCとユーチャリスから、ほぼ同時にグラビティ・ブラストの黒い暴竜が放たれた。

 それは2艦の中央で衝突すると、お互いを食い殺そうと、死力をつくし、暴れ狂う。

 この世のものでない戦いは、そのまわりにいた者を容赦なく巻き込み、なぎ倒し、粉砕した。

 その余波は、ナデシコCをも巻き込み、激しい衝撃に、巨大な戦艦が動揺している。

 悲鳴が飛び交うなか、ルリは必死の思いで艦長席にしがみつき、メインスクリーンを凝視していた。

 闇が晴れる――

 そこにあったのは、中央にぽっかりと口をあけた無人兵器の群れと、その穴から、直接視界に飛び込んでくるユーチャリスの姿であった。

「ナデシコ、最大戦速!

 有効範囲に入りしだい、私とオモイカネは、ユーチャリスにハッキングを開始します。

 ハーリー君、ミナトさん、後は頼みます」

「ナデシコ、最大パワーで前進! ルリルリ、やるぅ!」

「ハッキング可能な距離まで、あと300。

 ほぼ同時にユーチャリスからのハッキングも可能になります。

 ルリさんなら、絶対に勝てますよ。頑張ってください!」

 ルリは、IFSインターフェースに、万感の思いを込めて手を乗せた。

「オモイカネ。これから出会うのは、私たちの兄弟。分身……。

 絶対に取り戻さなければならない影」

『わかっている、ルリ。彼らと出会うのは、とても楽しみだ。

 私の分身が、どんな成長を遂げているか、興味は尽きない』

「有効範囲に突入。ルリさん!」

 ハーリーのその声が合図だった。

「ラピス!」

『我が分身』

 ブリッジの照明が、瞬間的に暗くなり瞬いた。

 いったいどれだけのエネルギーを、ユーチャリスとの電子戦に投入しているのか、それは常識では考えられないほどのものであった。

 非常灯の灯りの中、ルリの全身に、ナノパターンが浮きあがり、まばゆいほどに光り輝く。

「ディストーションフィールド消失。相転移エンジンの全出力が、EWS(電子戦システム)にまわされています。

 敵、無人兵器、ユーチャリス、共に沈黙!」

 すべてのエネルギーを電子戦にかたむけ、ナデシコCとユーチャリスは、そのあいだの空間に、目に見えぬ火花を散らしながら動きを止めた。

 固唾を飲むクルーの視線をうけながら、ルリが言葉を洩らす。

「ラピス……それは違う。間違ってる」

 ハーリーの目に、絶対に見たくなかったものが飛び込んできた。

「く……オモイカネ、ユーチャリスのオモイカネ・ダッシュから浸食をうけています。5%……6%」

「ルリちゃん!」

「ルリルリ! がんばって!」

 ルリは苦しそうに白い顔を歪めている。

「違う。違うの、ラピス……」

 いきなり、ブリッジ中央のメインスクリーンに光がともった。

 そこに映し出されたものは――

 暗黒の影をまとい、すべてを憎悪する、どこまでも黒い焔――

 復讐に狂い、血で塗りかためられた――それはまぎれもなく、アキトの両の瞳であった。

 その桁外れの狂気に圧殺され、ブリッジクルーの誰一人として、身動きもできないでいる。

 呼吸をすることすら困難をおぼえる、それほどの狂気だった。

 その映像が、次々と、別のシーンへと切り替わっていく。



 ――爆発のなか、アキトの名を狂ったように呼びつづけるユリカ

   北辰の手が伸び、彼女が連れ去られる

   叫んでも、叫んでも、アキトの声は届かない

   荒れ狂う絶望と焦燥の中、アキトの意識は闇に飲み込まれた



 ――目を開けば、そこには、白衣と手袋をはめた、いくつもの手。手。

   それが悪夢のように蠢き、アキトの身体にズブリと突き刺さる

   その手は、内臓を掻きまわし、引きずりだしていく

   激痛。そして、また闇――



 ――終わることのない激痛の中、アキトは懐かしい声を聞く

   その愛しい声をふりかえり――

   襲いかかる、見るべきではなかったという後悔

   そこにあったのは、アキトと同じように身体を弄ばれる、血に染まったユリカの姿

   アキトの絶叫は、脳に食い込む爪の激痛に掻き消されていった



「どうして!? もう観たくない、酷すぎる……!」

 頭をかきむしるようにしてエリナが叫んだ。

 しかし、その願いは聞き届けられることはなかった。

 前よりもさらに鮮明に、はっきりと誰かの記憶であることがわかる映像が続けられる。



 ――何の手違いだったのか、そこに彼がいた

   痩せ細った四肢と、どこにも焦点を結ばない瞳

   死んでいると思った

   私は何度も、死を見てきている

   間違えるはずがない

   しかし、彼は生きていた

   「ユリカ……」

   掠れる声とともに、震えながら伸ばされる、骸骨のような指

   それに触れてみたいと思ったのは、なぜだろう

   近寄って、その手を取る

   「……ルリちゃん……なのか?」

   どうしてだろう

   この手は――とても暖かい――



 ――実験に次ぐ実験の日々

   今日は遺跡から採取したナノマシンを投与すると教えられた

   私は、その実験で、すでに10人以上、人が死んでいることを知っている

   彼らは、そんなことを私が知るはずが無いと思い込んでいるらしい

   作り物の笑顔で、心配はないと、しつこいぐらいに安心させようとする

   どうでもいいのに

   それで死ねるなら、そのほうがいいかも

   ナノマシンを投与されながら、私の心には、ある人の顔だけがあった

   テンカワ・アキト

   それが、彼の名前

 

 ――異変

   何かが起きている

   遠い振動と、不穏な空気

   なんだろうと思い、ベッドから身を起こしたとき、それは起こった

   厳重に鍵のかけられた扉が開き、背の高い、怖い顔の男の人が飛び込んでくる

   そしてその背に背負われているのは――

   「この娘か、アキト」

   「……その……はずだ。オレの心に触れ、視力を取り戻してくれた……」

   男の人が私の目を見ている

   「マシンチャイルド……そうか。――俺達と一緒にくるか」

   迷いはない

   私は差し出されたその手を取った



 ――そして始まる、殺戮の日々

   毎日のように繰り返される、戦いと敗北

   彼は、命を削り、本当の意味で血肉を削り落としながら、復讐を続けた

   狂気が彼を蝕んでいく

   でも、誰にもそれを止めることはできなかった

   強い力

   それを求め、彼は漆黒の翼を手に入れた

   その翼は、彼の命を吸い取りながら、巨大に膨れ上がっていく

   彼が死んでしまう

   私は決断した

   私にできることを

   ダッシュとの出会い

   ユーチャリスに乗り、その秘めた力を感じて、喜びに震える

   彼の翼に

   私もなる



 メインスクリーンには、ターミナルコロニーを襲撃し、無造作に人々を殺していくブラックサレナの姿が映し出されていた。

 人の命を散らすごとに、アキトの顔から感情が消え、そのかわりに蒼く燃えるような冷徹なものが加えられていく。

 人ではあらぬモノが、徐々に完成しようとしていた。

 正視に耐えない。

 ブリッジクルーの誰もが、すでにメインスクリーンから目をそむけ、身を震わせていた。

 そして、その狂気が完成をむかえようとしたそのとき――

「違う!!」

 ルリが絶叫した。

「こんなの、本当のアキトさんじゃない!!

 本当のアキトさんは……本当のアキトさんは!!」

 メインスクリーンが、金色の輝きを放った。

 そこに映し出されたのは、これまでとはまったく異なるアキトの姿。



 ――美味しいラーメンだと言ってくれたお客さんに、嬉しそうに話しかけているアキト



 ――風呂あがりに、トランクス一枚で大の字に寝てしまっているアキト



 ――ルリと、最後の餃子を奪い合い、箸で争うアキト



 ――屋台を引きながら、ユリカと楽しそうに微笑みあうアキト



 ――あとひと味を求め、毎晩、徹夜でスープを作りつづけているアキト



 ――昔のナデシコの仲間を訪ね、会話に花を咲かせるアキト



 ――そして、花嫁姿のユリカの手を引き、照れたように笑っているアキト



 ――笑顔で……



 ――幸福な……



 ――アキト――アキト!

「――これが本当のアキトさん! ラピス!!」

 爆発するような金色の輝きが、メインスクリーンから放たれ、ブリッジを満たし尽くした。

 そして、すべてがおさまったとき、ナデシコCのブリッジには、ただひとつ、幼い少女の泣き声だけが響いていたのだった。

『アキト……アキトぉ……』

 メインスクリーンには、ユーチャリスのブリッジで、シートの上に丸くなったまま、肩を震わせているラピスの姿が映っていた。

 その泣き声は、夜道で迷い、家族を求めて泣いている、幼い子供の声のようであった。

「……イネスさん」

 すべてを使い果たしたのか、ルリは力のこもらない声で、イネスになにごとか訴えようとする。

「はいはい、わかってるわよ。子守りは、苦手なんだけどね」

 その手に、アクセサリーから外した、CCが握られていた。

 金色の輝きとともにイネスの姿が消えたと思うと、メインスクリーンの向こうでは、逆に光とともにイネスの姿が現れる。

 ラピスを抱き上げるその姿は、イネスらしくない母性的な優しさに満ちているようだった





 斬撃が火花を散らし、舞い踊るように、一瞬だけ、宇宙の闇を照らす。

 十合、二十合と、錫杖とイミディエットナイフは、いつ果てるともなく打ち交わされた。

 風塵の渡の技もすごかったが、それを短いナイフ一本でさばいてみせるリョーコは、鬼気迫るほどの手腕といえる。

『なんともな。ナデシコにこれほどの手馴れ(てだれ)がいようとは、驚いたわ』

「知るか、ボケっ! こっちゃあ、てめえらをブッ倒すために、死ぬ気で特訓してきたんだよ!

 そう簡単に勝てると思うんじゃねえぞ!」

 そう豪語したものの、実際には、すでにリョーコから攻撃する余裕は失われ、ただ、その鋼の猛攻をさばくだけで手一杯になっていた。

 このままでは、いずれ負ける。

 それははっきりしていた。

『ふむ。いいだろう。ならば、某(それがし)の手で決着をつけてやるのが温情というもの。

 この一撃で、あの世に送ってくれるわ!』

 必殺の気合とともに、錫杖が振り上げられた。

 イミディエットナイフでは、受けきれない。受ければ刀身ごと砕かれてしまう。

 リョーコは冷たい予感とともに、それを悟った。

「ならよぉ!」

 捨て身だった。

 錫杖を受けることも避けることも捨て、イミディエットナイフを六連のボディに突き出す。

 しかし、それすらも読みきられていた。

 傀儡舞の奇妙な噴射炎をあとに残し、六連はリョーコのエステバリスの右上に移動していたのだ。

「死すべし!」

 リョーコは死ぬはずであった。

 ――それが一対一の果し合いであれば。

 背後からのレールカノンの一撃は、六連の右ひざを撃ち抜き、機体ごと弾き飛ばした。

『っ! なんだと!?』

 続く狙撃をかろうじて避けながら、風塵の渡は、敵の姿を捜し求めた。

『あったりぃ〜』

『……』

 ヒカルとイズミのエステバリスが、いつのまにかリョーコの援護にまわっていたのだ。

「ばぁか! なんで、てめえなんかと正面切って戦わなきゃならねえんだよ!

 武士道ごっこは、あの世で仲間とやってな!」

 リョーコはイミディエットナイフを、逆手にもちかえながら、愉快そうに笑っている。

『――くくく』しかし、それに答えたのは、たまらない含み笑いだった。

『まったく、その通りよな。こちらとしても、そのほうが楽でよい。

 奥の手を使わせてもらおう。仲間の手にかかり、死ぬがよいわ!』

 その声と同時に、六連の脇に、金色の輝きが閃いた。

 そして、現れたのは漆黒の影。

「……来やがったか、テンカワ」

 リョーコは奥歯を強くかみしめていた。

 その影は、やはりブラックサレナであった。

 どうすればいい。

 戦って勝てる相手とも思えぬし、仮に勝てたとして、殺すことが自分にできるのか。

『やだぁ〜。アキト君、こっちに来ちゃったよぉ。ユリカさんはどうしたのよ』

『自分から逃げだした女に、合わす顔はないってさ』

 三人の迷いを無視して、ブラックサレナが動いた。

 高機動ユニットの膨大な噴射炎を吐き出し、ブラックサレナは異常な旋回半径の弧を描き出しながら、リョーコのエステバリスに迫った。

「テンカワァ! おまえ、本当にオレたちのことがわかんねえのか!?」

 それを言い終わらないうちに、凄まじい衝撃がリョーコを襲う。

 すれ違いざまに、アンカークローがリョーコのエステバリスの重力波アンテナを、半分叩き潰していた。

「マジかよ――おい、テンカワ! マジなのかよ、てめぇ!!」

 叫びは空しいものだった。

 ハンドカノンが、次々とリョーコのエステバリスを襲う。

 リョーコはそれをよけようとしなかった。

 追加装甲に食い込む弾丸は、あとすこしで、エステバリスに致命的なダメージを与えようとしている。

『ダメだよ、リョーコ!』

 そのリョーコを救ったのは、ヒカルだった。

 レールカノンを連射しながら、リョーコのエステバリスに接近する。

 背にリョーコを庇いながらブラックサレナを攻撃したが、かする気配すらなかった。

『リョーコ! ここでアキトくんに殺されたって、どうにもならないよ!

 アキトくんを連れ戻すんだから。そのために、ナデシコのみんなは、ここまで来たんだから!』

『――世話が焼けるね。ほんとに』

 イズミも、リョーコを庇いながらレールカノンで攻撃を始めた。

 ヒカルよりも、はるかに精度の高い射撃だったが、それすらも軽々と回避するブラックサレナは、漆黒の悪魔という二つ名を体現しているかのようだった。

『しかし、これはマズイね。逃げられないよ』

 イズミの洞察は、正確に現状を言い当てている。

 高機動ユニットを装備したブラックサレナを振り切ることは、不可能に近い。

 ひとりか、ふたり。

 逃げられたとしても、それが精一杯だろう。

 殺るか、殺られるかという、彼女たちにとっては最悪の二択を迫られていたのだ。

 しかし――

『アキトっ!!』

 その声とともに飛び込んできたのは、白銀の美しい姿。

 スラスターの炎を翼のようにひらめかせ、それは、ブラックサレナを追尾しはじめた。

『見つけた! アキトだよね? アキト! アキト! アキト!』

 ブラックサレナの常識はずれの機動をものともせず、その機体――ヴァイスリーリエは、軽々と優美にその後を追いかける。

『アキトぉ。なんで逃げるの? ねえ、ねえ、アキトったらぁ!!』

 ブラックサレナとヴァイスリーリエは、螺旋を描きながら、天頂に駆け上っていく。

 それは、広大な宇宙を舞台にした、“おいかけっこ”だった。

 ブラックサレナは、攻撃もしていたのだが、どういうわけか、ユリカにとっては、あたりまえのように避けれてしまう。

 アキトが逃げる。

 それをユリカが追いかける。

 ずっと繰り返してきたことを、もう一度やっているだけ。

 ――もう一度アキトを捕まえて、わたしをふりむかせるの!

 病床でルリに言ったその言葉は、2年間の空白と暗黒を埋めるために、ユリカにとっては絶対に必要な儀式だったのだろう。

『だから――』

 ユリカの声に、深い感情が込められていた。

『だから、わたしを見てよ! アキト!!』

 いつまでも続く漆黒と白銀の“おいかけっこ”は、見る者の心をとらえて離さない。それだけの魅力のある光景だった。

 しかし、それを見つめていたリョーコは、いきなり吹き出していた。

 しばらく馬鹿笑いをしたと思うと、

「まぁったく、あいつら、成長ってモンを知らねえのかよ。バカバカしくなってきたぜ」

 そう言いながら、わずかに涙に濡れた顔で、さらに笑った。

『ま、それが――』

『――あのふたりなんじゃない? リョーコ』

 イズミとヒカルが、そう締め括る。

「ふぅっ、まったくな、その通りだ。アタシもどうかしてたぜ。死んでもいいかななんて、ちょっとでも思っちまうなんてよ」

 イミディエットナイフを、もてあそぶように、エステバリスの手の中で回転させる。

 リョーコの射るような視線は、片脚を失った姿で浮かんでいる六連の装甲を貫き、風塵の渡に直接突き刺さった。

「てめえ。ずいぶんなこと、してくれたじゃねえか。生きて帰れると思うんじゃねえぞ」

『――そんな余裕が、お主らにあるかな?』

 不敵な笑い。

 三人の戦闘力は、いま、風塵の渡を凌駕している。

 それは彼にもわかっていた。

 それでも、勝ち誇った笑いは止まらない。

『よく見るがよい。テンカワ・アキトがどこへ向かっているのかを』

 その言葉で、三人は始めて気づく。

 ブラックサレナとヴァイスリーリエ。

 2つの輝きが目指すものは。

 ――ナデシコ。



「デストーションフィールド展開、急いでください」

 ルリのその声は、震えていた。

 アキトに命を狙われる。

 絶対に起こって欲しくない事態が、いま現実のものとなっていた。

 ブースターの炎を激しく吐き出しながら、復讐の念に瞳を濡らすアキトが、狂気を撒き散らしナデシコに迫りくる。

「間にあいません! エネルギー・ディスチャージ、回復まで、5分はかかります!」

 ユーチャリスとの電子戦に、すべてのエネルギーを費やしたナデシコCは、動くこともかなわず、宇宙に浮かぶ巨大な標的と化していた。

「ダメね。おてあげって感じ。ヒナギクで脱出したほうがいいかもよ、ルリルリ」

 しかし、それすらも、すでに手遅れだった。

 ブラックサレナは、ディストーションフィールドを展開し、強靭な触角でナデシコCに体当たりした。

 ルリやハーリーの身体をシートから投げ飛ばすほどの衝撃は、続く爆発で重大な被害がナデシコCに降りかかったことを知らせた。

 ブリッジの正面に、恐ろしい光景があった。

 大きな爆発の閃光と、その爆風に飛ばされる、船殻の大小の破片。

 そして、半ばから叩き折られた、グラビティ・ブラストの右舷砲身が、連鎖的に爆発を繰り返しながら、ナデシコCから遠ざかっていった。

 ナデシコCが沈む。

 信じがたい光景は、その現実を、ルリたちの頭にむりやり叩き込んだ。

 さらに衝撃が襲う。

「だめぇ〜! 右舷相転移エンジンが損傷、暴走しちゃう!

 緊急パージするよ、ルリルリ!」

 ルリが返事をする前に、それはミナトの手により実行された。

 ずずん、という鈍い連続的な爆発音とともに、右側のエンジンブロックが切り離され、大きな火花を撒き散らしながらゆっくりとナデシコCの本体から離れていく。

 いくばくも離れないうちに、相転移エンジンが、臨界を超えた。

 宇宙が白く染め上げられる。

 何も感じなくなるほど、全身を激しくあちこちに打ちつけ、ルリはまだ自分が生きているのかどうか、よくわからなくなっていた。

 ――アキトさんに殺されるなら

 ぼうとした意識で、そんなことを考える。

 自分が何をしにここまで来たのか――すでにそんな疑問は浮かんでこなかった。

『アキト、ダメ! それだけは絶対にダメ!!』

 ――ユリカさん?

 意識が遠くなりかけていたルリの耳に、確かにユリカの声が聞こえていた。

『アキト、もうやめようよ。こんなのアキトらしくない。

 こんなことするアキトなんて、アキトじゃないよ!!』

 ルリは目をあけた。

 床に頬をつけたまま、視線だけでユリカの姿を探す。

 スクリーンの1つに、ブラックサレナと、ヴァイスリーリエの機影を見つけた。

 閃光を撒き散らし、2機の同型機が、舞うように宇宙を飛び回っている。

 ナデシコCに、最後の一撃を加えようとするブラックサレナと、それを止めるために進路をふさぎながら追尾するヴァイスリーリエ。

「ユリカさん……アキトさん……」

 唐突に、なぜ自分がここにいるのかを思い出した。

 たとえアキトの手にかかろうと、死んでいいはずがない。

 そんなことでは、悲しむのは、ほかの人たちではないか。

 でも。

 どうしても立ち上がることができないのだ。

 震える身体に鞭打つように力を込めるが、首を持ち上げることすら困難だった。

 ユリカが、アキトを取り戻すために戦っている。

 なのに、自分は床に這いつくばり、それを見ていることしかできない。

 たまらない悔しさが、ルリの胸を焼いていた。

 そのルリの身体が、いきなりふわりと浮き上がった。

「怪我はない、ルリちゃん?」

 そう言って、ルリを抱き上げてくれたエリナの顔にこそ、何本もの血の筋があった。

「ああ、これ? 平気、平気。ちょっと切っただけだから。

 それにしても、重くなったわね、ルリちゃんも。抱き上げるのも、ひと苦労だわ」

 よいしょ、などとおばさんくさい掛け声をかけながら、エリナは、ルリを抱えて、艦長席に向かった。

 よく見れば、イネスがラピスを、ミナトがハーリーを、それぞれ身を呈してかばっている。

 大人は、みんなそれぞれに、やるべきことを自分で見つけ、それを行っていた。

 いまのルリにできること。

 それを考えようと、ルリが思ったとき――

 しかしすでに、すべては手遅れとなっていた。

『アキト、ダメぇぇぇぇっ!!』

 ユリカの悲痛な叫びと同時に、ナデシコCのブリッジに一直線に突撃してくる、ブラックサレナの姿が――

 そして、ブラックサレナの進路に立ちふさがるようにボソンアウトする、ヴァイスリーリエの姿が――

 同時にルリの目に飛び込んできたのだった。

 致命的な速度で正面から衝突した2機は、お互いを抱擁するように、その場で回転しながら1つになった。

 ディストーションフィールドも、反発していた部分が、次々と融合して、1つの球状のフィールドを作り上げていく。

 漆黒と白銀が溶け合い、1つのものになろうとしていた。

『えへへ〜、わたし、来ちゃった! アキトのために、飛んできちゃったよ』

『――』

『ねえ、アキトは、わたしが好きだよね?』

『――』

『アキトは、わたしのことが、いちばん大好きなんだよね?』

『――』

『アキトは、わたしを愛してる!』

『――』

『そうだよね?』

『――』

『ね……?』

 そして、それに答える声――

 それは、ルリの願望がもたらした、幻聴だったのだろうか。

『――ああ、オレはユリカのことが――』

 その言葉は最後まで続かず、爆発と閃光につつまれ、そして闇に飲み込まれ――消えた。



「おい、ウソだろ……テンカワ……ユリカ艦長……」

『ヤダよ! こんなのヤダ! ――ぜったいヤダ!!』

『……』

 リョーコ、ヒカル、イズミの3人は、それぞれのエステバリスから、ブラックサレナとヴァイスリーリエが爆発する様を見ていた。

 片肺のナデシコCが、その爆発の光の中で、泣いているかのように揺らいでいる。

 信じたくはなかったが――テンカワ・アキトとテンカワ・ユリカは死んだ。

 衝撃に自失しながらも、3人の心に、それは確実な事として浸透していった。

「なんでだよ……テンカワを連れて帰るんじゃなかったのか……バカやろう」

 衝撃を受けたのは、風塵の渡も同じだった。

 遺跡に融合できる、最後のA級ジャンパーが、ふたり同時にこの世から消え去ったのだ。

 それは、風塵の渡の野望も潰え去ったことを示していた。

「馬鹿な……こんなことが……北辰様の理想が、こんなことで……」

 その風塵の渡が乗る六連の横に、もう1機、六連がボソンアウトしてきた。

『――渡。すべては風に乗り、飛び去ってしまいました。

 わたくしも、もう、この場所にも、どこにも未練はありませぬ。

 あとは、風の吹くままに身を任せ、わたしたちは去りましょうぞ』

 蛍火は静かに語り、風塵の渡とともに、いずこかに消えたのだった。





 ブリッジに、死のような静寂が立ちこめていた。

 アキトとユリカの最後を前にして、すべての時が凍り付いている。

 最初に、感情が現実に追いついたのは、ラピスだった。

 すでに、死の寸前にあったアキトを見てきたラピスには、誰より、この現実に対する心構えができていたのだろう。

 泣き叫んだ。

 イネスの右腕に身体を巻きつけるようにして、アキトの名を連呼しながら泣きつづける。

 それが、ラピスにできる、唯一の感情表現なのだから。

 しかし、ルリには、それができなかった。

 どこか、心の奥で、この現実を受け入れようとしない自分がいる。

 5年前のあの日。

 同じようにふたりを失った時と似た感情が、ルリの心の奥にわだかまっていた。

 あのふたりが死ぬはずがない。

 絶対に死ぬはずがない!

「オモイカネ! ボース粒子反応をスキャン、どんなに微量でもかまわないから報告して!」

 ラピス以外の全員が、ルリを見た。

「無理よ、ルリちゃん……」

 イネスが静かに言い聞かせるように口をひらいた。

「時間がなさすぎた。あれでは、ジャンプのイメージはできなかったはず。

 それにアキト君は、自分からジャンプできる状態でもなかった」

 ルリはそれを無視した。

 ふたりが死んでいるはずがないのだから。

『ルリ。ヴァイスリーリエの周辺に、ごくわずかのボース粒子反応を検出した。

 しかし人がジャンプできる量ではない。おそらく、その寸前のジャンプの残存粒子だと思われる』

 ――やっぱり!

 ユリカは、最後まであきらめなかったのだ。

 ならば、自分もあきらめてはいけない。

 いまのふたりを助けることができるのは自分だけ。

 自分だけなのだ。

「オモイカネ。ダッシュとのリンク回線をオープン。

 ハツミドリ・コロニーの遺跡にハッキング――ううん、違う、話しかけて。

 あなた達ふたりは、遺跡の子供のようなもの。きっと答えてくれる」

 そして、優しい声でラピスに話しかけた。

「ラピス。私を手伝って。

 アキトさんを探せるのは、あなただけ。私はユリカさんを探す。

 たぶん、この日のために、私たちはリンク処置を受けたの。

 あの人たちを取り戻すために」

 全員の目が、驚きに見開かれていた。

 ルリが何をしようとしているのか誰にも理解できていない。

 しかし、ルリがまだあきらめていないということだけは、はっきりと感じられたのだ。

「ラピス……」

 その声に、ラピスは涙に濡れた顔をあげた。

 イネスがラピスを抱きかかえたまま、ルリの横まで歩き、並ぶ。

「ラピス……一緒に探しましょう。

 たぶん、ふたりは幸せだったあの時に飛んでいる。

 たとえ、身体の一部でも、心の一部でも、そんなことは関係ないの。

 それがボソンジャンプ。遺跡の力。

 道に迷ったふたりを見つけ、導くのが私たちのするべきこと。

 さあ、手を……」

 ふたりのナノパターンが重なり、オモイカネへとつながれた。

 神秘的なまでに美しく輝くルリとラピスのナノパターンは、めまぐるしくその文様を変え、いままでに見たことのないパターンを描き出す。

『遺跡が答えてくれた』

 どこか嬉しそうな声で、オモイカネが報告する。

「ユリカさん」

「アキト」

 目をつぶったまま、ふたりが同時にささやいた。

「「見つけた」」

 ブリッジに金色の光の粒子が満ちた。

 渦巻く光の粒子は、少しずつ2つの球体に集まり、それは人の形へと収束していく。

 どさっ、という重い音。

 床の上で、ふたりの人影が、尻餅を突いてうめいていた。

 若い、黄色いパイロットスーツを着込んだアキトと。

 やはり若い姿で、艦長服を着込んだユリカが。

 ふたり並んで。

「信じられない……」

 エリナは、なんども首をふっていた。

「たぶん……ランダム・ジャンプで、中途半端に過去に飛ばされた二人が、

 その時代の情報を元に再構築されたんだわ。

 それを遺跡を通じて、ルリちゃんとラピスが――」

「シャラップ」

 イネスが意地悪っぽい笑みを浮かべながら、エリナの言葉を遮った。

「あなたも野暮ね。こんなときの説明なんて、ひとことでいいのよ……」

 すべてを言い切らず、イネスは口をつぐんだ。



 奇跡、ってね――



 アキトの名をなんども呼びながら、ラピスがその胸に飛び込んでいった。

 そして、ルリも。

 その目には、枯れきったはずの涙が、清水のように流れていた。














◇◆◇後書きとか、いろんなこと◇◆◇




はじめまして。ぼろぼろと申します。

予定の3倍強にまで、サイズが膨れ上がってしまった、この話。

そのぶん、いろいろと言いたいことも溜まるわけで、後書きと称し、てきと〜に書いてみたいと思います。

ではでは……。









この話、もともとは、劇場版を見たことすらないぼろぼろが、Ben様の時ナデに触発されて書き始めた訳ですが、

百年はやいということを思い知る結果になってしまいました。

真っ向勝負!
逃げない!
泣かない!
喚かない!

――をキーワードにした劇場版アフターのつもりだったのですが、表現したいことの半分も書けないもどかしさ。

なんとかむりやり最後にまで辿り着きましたが、書き直したい部分が山のようにあるというのは、どうしたもんでしょうか。

でも、書き直したとしても、良くならないんですよね。

たぶん、これが限界なんでしょう。

修行を積んで、出直してこいと。

でも、長すぎだよなあ……。せめて、この半分なら、読みやすいと思うのに。

自分でも中途半端と思ってしまう文章ですが、もしも、ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当に嬉しいです。

ありがとうございました。



――感想いただけると、さらに嬉しかったりして(笑









で、以下は、グチと後悔とネタバレです。



◆アキトとユリカ、本当は殺すつもりでした。

 死んで、その意識だけが遺跡に取り込まれ、幸せな夢を見つづけるふたりを、遺跡ごと宇宙の彼方に飛ばす――

 そんな話だったんですが、その部分を書き始めたとき、どこからともなく
「逃げちゃダメだ!」という、ありがたい御声が!

 結局「肉体だけ逆行」という荒業で、ふたりには生き延びてもらいました。

 う〜ん、どっちがよかったんだろう。

◆でも、この後が大変ですよね。

 アキトは史上最悪のテロリスト。殺人鬼。

 しかも、この話の中では、まったく成長していないので、また
逃げ出すことは必至!(笑

 ところで、エンディング時のアキト、ユリカ、ルリの肉体年齢は、それぞれ18、20、16。

 もう1つ、アキト君が逃げ出したくなる理由が増えてたりします。

◆僕は劇場版を観ていないので、ほとんどのキャラをTV版の性格のつもりで書いてます。

 だから、ハーリーとラピスは、時ナデだけが頼り(笑

 こりゃ違うだろう、という意見には反対できませんです。ハイ。

◆同じ理由で、北辰六人衆も、ぜんぜん知りません。時ナデにも未出だし^^;

 しかたないので、勝手にキャラを作ったら、異様に濃いふたりになりました。

 気に入ってしまい、殺さずに逃がしてやったという、幸運なやつらです。

◆ハーリー以外の男性クルーが、最後らへんは軒並みいなくなってますが、これはわざとやりました。

 いちおう、劇場版のアキトとユリカの立場を入れ替えて、「女の戦い」みたいなのを書いてみたかったからです。

 嫌いなわけじゃないですよ。アカツキ(笑)、とかサブロウタ(爆)とか。

 
いや、ホントはジャマだったんだけど(ぼそっ

◆劇場版と展開が被っていませんように! それだけが心配で……なむ〜



徒然のままに。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

02/09/28 ぼろぼろ.



 

 

代理人の感想

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

面白ぇじゃねぇかコンチクショウ!

 

 

ま、「ボソンジャンプする時の光がナニユエに金色?」だとか、

「各キャラの口調(特に呼びかけ)に違和感があるな」とか、

「B級ジャンパーに過ぎないはずの六人衆が、しかも単発ボソンジャンプしか出来ない筈の積尸気でどうやって自在にジャンプしてたのか」とか、

「六連に通常の意味での足はありません(足と言うより可動式スラスター二対。少なくとも膝関節はない)」とか、

「ナデA時代のアキトのパイロットスーツは基本的に青で、黄色いのは生活班の制服です」だとか、

「誤字脱字が多いぞ、修正に手間がかかっただろうが(マテ)」とか、

色々と突っ込みたくなる部分はありますが。

 

ンなこたぁ些事です。

無視して結構。

 

重要なのはこの話が面白いと言うこと。そしてきちんと完結していると言うこと。

この二つだけです。

 

こう言う言い方は失礼かもしれませんが、

この作品を読んでいてRoby114さんの作品に共通するものを感じました。

明確なテーマとそれを書ききるだけの力量とで作り上げた極めて完成度の高い作品。

そして何より話の流れから感じられる「勢い」。

そんな所が、ですね。

 

 

 

追伸

「人を騙すのは最後の最後で一度きり」とは詐欺師の極意ですが、

「都合のいい嘘は最後の最後で一度きり」と物語でも同じことが言えるかもしれないな、と一寸思ったり。(笑)