命令を受けてから三日後、地球連合軍
佐世保基地。ナデシコC整備基地。
軍服を着たルリは高い位置に設置された士官用の通路に立っ
て、ナデシコCと忙しく動き回る整備士達を眺めていた。
四日後の発進へ向けて軍とネルガルの整備士達が艦の最終チ
ェックに入っていた。チェック、といっても整備や補給などは
既に終了している。今やっているのは火を入れるのへ向けた慣
らし運転の繰り返し、というところで彼等にとっては自分の仕
事の成果を直に見られる、という点で一番楽しい作業である。
換気の為、外に通じる整備基地の巨大な正面扉や窓などはそ
のほとんどが開け放たれたままになっている。
ルリはポケットの中に入っている一枚の紙にそっと指先で触
れた。
目で見なくともその紙が調理油で炙れて、しわしわになって
いるのが分かる。
その紙は、あの時渡されたテンカワ特製ラーメンのレシピだ
。
暖かい日光と涼しげな風が辺りを通り過ぎていく。
「ナデシコC・・・か・・・」
ルリは流される髪を手で押さえながらぽつりと呟く。
その青と白で構成された流線状のフォルムの戦艦を間近に見
るのは実に一年振りになる・・・。
「よっ、ルリルリ」
いきなり背中越しに声を掛けられてルリは文字通り飛び上が
って驚き、振り向く。
そこにはつなぎの作業着にスパナで肩を叩く男がいた。
「セ、セイヤさん!?」
「意外、ってツラしてるな。久々だが元気そうで何よりだ」
言いながらルリの横に立ってナデシコCを見下ろす。
「どうしてここに?」
ウリバタケは自慢げに胸を張って答える。
「こんなこともあろうかと、ってな」
「で、でも」
ルリは整備士達はともかくとして、作戦自体は軍の人間だけ
で行われるのだろうと思っていたのだ。
今回の作戦は直接の関係者だけではなく、軍にとっても重要
な意味を持つものなのだから。
「冗談だよ。冗談。今回はネルガルから正規の依頼ってことだ
ったから、ちゃんと承諾はとってある」
「そう、なんですか・・・」
そういえば乗組員は追って通達するとか何とか言っていたよ
うな・・・。
軍人と民間人、合同の作戦なのだろうか・・・?
「呼ばれた奴、呼ばれなかった奴はそれぞれみたいだけどな。
後から合流する奴もいるらしいぜ」
「まだ通達がきていないんですけど・・・」
「?そうなのか?その内来るんじゃねえの?」
セイヤは軽く答える。
そこで下で作業中の整備員からセイヤへ声が届く。何だか手
順で分からないのがあるとかなんとか言っている。
「あー、わーったよ!!今行くから適当なとこ触んじゃねーぞ
!!」
昔と変わらぬ大声で言い返してルリに振り返る。
「わりぃな。ちょっと行ってくらあ。・・・っと」
ウリバタケは一旦歩き出そうとして何かを思い出したように
振り向いた。
「そうそう渡すもんがあったんだ」
「?」
ウリバタケはごそごそと胸ポケットに手を突っ込み、一通の
便箋を取り出した。
ルリはそれを受け取って差出人名を見る。
「あ、ハーリー君からですね」
「おう。一度は東京に着いたらしいんだがルリちゃんがいなか
ったってんで俺が受け取ってきたんだ。それだけ渡しておこう
と思ってな。じゃっ」
しゅっ、と手を上げてウリバタケは去って行く。
ルリはハーリーからの手紙を手にその背中を見送りながら思
った。
ウリバタケ・セイヤ。
一民間人でありながら地球と木連の戦争に深く関わりを持ち
、前クーデターにおいてもその驚くべき技術力を発揮した。
そうしてまた平穏な日々に戻り、昨年には三児の父になった
。
なのにつなぎを着て軽快に歩くその背中は、新しいおもちゃ
を見つけて喜ぶ子供のようでルリは思わず苦笑してしまった。
Fantasia 第三話 イメージフィードバック
システム
その日の夜。
整備基地には静寂と薄闇が落ち、辺りは昼間のそれが嘘であ
ったかのように静まり返っている。
そんな中、ナデシコCメインブリッジの艦長席に軍服姿のル
リが目を閉じて一人座っている。ブリッジも辺りと同様に静か
で、正面扉から差し込む月の青白い光だけが薄闇の中に漂って
いる。
操縦席に付けられた操作球に乗せた手の甲が静かに瞬き始め
、やがてそれが腕、胴、顔、左右に束ねられた髪の先にまで至
る。
その燐光はしばらく鼓動のように静かな明滅を繰り返し、や
がてルリは目を閉じたままぽつり、と呟くように言った。
「オモイカネ、インターネット接続。検索開始」
すると彼女の周りに円状に数多くのウィンドウが開き、その
中を無数とも言えそうなほど大量の文字や数字、つまりはネッ
ト上の情報が流れて行く。
ルリは続けて指示する。
「イメージフィードバック。レベル3へ」
手の甲の輝きが強まった。
ルリの思い浮かべるイメージは水の流れ。水の音。水の色。
それはイメージフィードバックシステムによってオモイカネ
へ伝達され、ただ流れ行くだけだった文字や数字は水の流れに
画像変換されて、リングボールの外観は一滴の雫のそれに変わ
る。
するとその中にいるルリの視覚、聴覚はそれを水の青、川の
それと受け取る。いや、ネット上にある大量の情報を処理して
投影しているのだからそれは海のそれに近いのかもしれない。
その感覚は大海を泳ぐ魚のようで、不思議な浮遊感と爽快感
がある。
検索キーワードはいつもの通り次の三つ。
ユーチャリス、ラピス・ラズリ、そして、テンカワ・アキト
。
戦艦、ユーチャリスに関する情報はよく検索に引っ掛かるが
、そのほとんどは既に知られているものが多く、その分はオモ
イカネが自動的に保存・削除する。
だが、ラピス・ラズリとテンカワ・アキトに関しては別だ。
ラピス・ラズリに関した情報は軍とネルガルが情報交換、一
般公開した分を出るものはなく、テンカワ・アキトに至っては
既に社会的に死亡とされているので全くと言っていいほど存在
しない。
「―――――――」
ルリは目を閉じたまま、シートのリクライニングに背を預け
る。
一日の仕事を終え、食事を摂った後、眠る前に情報の海へ潜
って『彼等』の情報を探すのは一年前からのルリの日課だった
。
成果らしい成果こそないが、イメージフィードバックシステ
ムの引き起こすこの不思議な浮遊感にルリはどこか自分自身に
近いものを感じていて、苦痛な作業というわけではなかった。
寧ろ、安らかな時間だったと言ってもいいかもしれない。
この一年の戦後処理の中、心を押し潰し、突き刺すような痛
ましい事実や事件が何度もルリ達を襲った。
数知れない苦しみ、憎しみ、足掻き、嘆き、悲しみ。
それらすら押し流そうとする時を少しだけ止めて、静かに何
かを顧みる。
毎日のその営みは時に孤独を、そして時には慰めをルリにも
たらしていた。
「ふう・・・」
小さく息を吐いて体の力を抜く。
いつもならホウメイ宅か連合の日本支部のコンピュータから
アクセスしてこの作業を行うのだが、さすがにナデシコCのオ
モイカネは処理速度が段違いだ。
人類の進出した太陽系惑星や星間に張り巡らされたネットを
検索するのにいつもは大体一時間位かかるのだが、ルリとナデ
シコCのオモイカネならものの十五分で終わりそうだ。
「・・・?」
その時、ネットの海にちょっとした異変が起きた。
ルリの進む先に小さな黒い渦が見える。
ウイルスか何かだろうか・・・?
「オモイカネ。防壁展開」
そう言うと『了解』というメッセージウィンドウが表示され
る。
クーデター後、様々な情報が錯綜していた頃には軍やネルガ
ルへのハッキング、クラッキングはそれこそ日常茶飯事であっ
た。
だが、そのほとんどは軍やネルガルの職人達から見れば、所
詮アマチュアのそれと変わりない。特別に組み上げられたアン
チウイルスや防壁プログラムに阻まれ、重大な情報漏洩などは
なかった。
なかった、のだが。
今回は違った。
リングボールのウィンドウに表示されたのはいつもの『防衛
完了』ではなく『要・緊急警戒』であった。
小さく見えていた黒い渦がリングボールを侵食するように広
がり、深みを増していく。
・・・心臓の鼓動が少しずつ高ぶって来た。
『どうしますか?』
オモイカネから指示を仰ぐウィンドウが開かれた。
おそらくこれはウイルスなどの類のものではない。
ネット上の誰かからの明らかなハッキングだ。
それも軍の防壁プログラムを、そしてナデシコCにのみイン
ストールされているルリ&ハーリー特製防衛システムを抜けら
れるほどの誰かからの。
「オモイカネ。イメージフィードバックをレベル5へ移行」
ルリは指示を送りながら一旦操作球から手を離す。
目を閉じて、白い手袋の裾を引っ張る。
そして手応えを確かめるかのように何度か指を動かした。
大きく息を二度吸い、吐く。
吸って吸って、吐く。
そして再び操作球へ手を乗せる。
手の甲の輝きが活性化するかのように増していく。
「検索作業解除。ダミー情報をバイパスへ」
オモイカネから警告メッセージが表示される。
『緊急警告。機密情報漏洩の可能性あり。この操作を続けます
か?』
「構いません」
吸って吸って、吐く。
何度かそれを繰り返していると体の内から静かな震えの緊張
感が満ちてきた。周囲の空気が緊迫感に湧き出す。
やがてルリは閉じていた目を開いた。
「売られたケンカです。買いましょう」
『了解』
その表示と共にオモイカネ及びナデシコCのシステムが一斉
に機動する。
眼前の渦に対してナデシコCの全てのパフォーマンスが解凍
、開放され、まるで無秩序な濁流のように襲いかかる。
リングボール上の大海が、少女を中心に大渦と激流によって
荒れ狂う。
その流れは時に直流し、並行し、逆流し、ぶつかって互いを
砕き合う。
流れとは情報で、ネット上のそれは記号の螺旋だ。ルリとオ
モイカネはそれこそ天文学的な量の記号情報を放出し、渦を巻
く侵入者を欺き続ける。
だがそこは侵入者もさるものだ。まるで無尽蔵に情報を飲み
込み、渦は侵食速度を速め、黒ずんだ深みを増していく。
オモイカネのシステムが書き換えられていく。
「っく」
下唇を噛む。相手の処理はルリの想像以上に速い。
視覚に惑わされていたら相手の速さについていけなくなる。
目を閉じて、口早に指示する。
「イメージフィードバックレベル10。バイパスへのダミー情報
カット。ナデシコCのシステム開放プログラム構築を最優先に
」
相手の技量は今まで見てきたハッカー達とは段違いだ。
思考力を絞って情報処理一点に集中しなければ。
ここまで来ればもう力も技も速度の前後も関係ない。
持てる能力の全てを先に出し切った方の勝ちだ。どちらが先
に事切れるか。
ルリはひたすらに情報を放出し、侵入者はそれを飲み込み続
ける。
「!!」
やがて渦が宙に巻き上がり、一本の巨大な黒ずんだ竜巻へ変
化する。
その竜巻はぐにゃりと鎌首をもたげ、やがてルリを目標に定
めたかのように彼女のいる場所へゆっくりと向く。
そしてそれは何度か脈動し、まるで何かの弾みのような根拠
のなさを感じさせる動作で一気にルリへ襲いかかった。
だが、その尖端が彼女の眉間に突き刺さろうという一瞬前に
、ルリは閉じていた目を開いた。
そして宣言する。
「イメージフィードバックレベル最大。オールシステム解除。
開放」
するとリングボールの全ての海流が一斉に舞い上がり、更に
ルリという源泉を元に膨大な水流が発生して、黒ずんだ竜巻に
容赦なく絡み付き、やがてそれを飲み込んでいく。
そして、最後の水流が渦もろとも竜巻を飲み尽くすと雨のよ
うに無数の水滴を弾けさせ、やがてリングボールは凪いだ海の
ような静けさを取り戻した。
「・・・、ふう・・・・・・」
大きく息を吐き、肩の力を抜く。
しばらくしてオモイカネからメッセージが表示された。
『防衛完了。オペレーションシステム、異常なし』
かなり際どいタイミングではあったが、どうやら撃退できた
ようだ。
ルリは深呼吸を繰り返して身体と精神の緊張を和らげる。
『ごくろうさまです』
「うん。オモイカネもごくろうさま」
ルリも答える。
しかし、撃退できた今ですら、脅威を感じずにはいられなか
った。
緊張を解こうとしてもなかなか興奮が冷めやらない。
今のハッキングは一体何者からだったのだろう?あれだけの
技量を持っているのだから何か意図があったのだろうが・・・
。
『インターネット接続を切ります。今晩はもうお休みください
』
「ん・・・」
そんな疑問を抱きつつもオモイカネからの表示にルリは頷き
、シートから腰を上げようとした。
だが、はっと走った閃きに目を見開いた。
「待って。オモイカネ、今のハッカーのアクセス元を解析でき
る?」
『危険が伴いますが』
「それは構わないから。できそう?」
『可能です。しばらく時間を頂けますか?』
「分かりました。できるだけ急いで」
『了解。アクセス解析を開始します』
ルリはその表示を確認してリングボールを解除する。
そして考えた。
たった今ハッキングを仕掛けてきた人物について。
軍の防壁プログラムとルリ&ハーリー特製の防衛システムを
突破し、そしてルリとオモイカネとも互角の情報戦をやっての
ける。
そんなことが可能な人物について―――――。
あとがき
ども、CROWです。
読んでくださってありがとうございます。
>全体を通しての構成を考えればいいだけの書き下ろしとは、
ある意味別物なのです。
一度自分の書いたものを最初から全部読んでみて、ほんとうに
そうだと思いました。
話がぶつ切りになっているように感じています。
身に沁みました・・・。
>連載と一気掲載では書き方が変わります。
>同じミスを犯しているような感じがします。
いっそ一話から三話までで一つとした方がよ
かったと自分でも感じました。
連載と一気掲載って全然違うんですね・・・。
>短編一回分の話をもったいぶって連載しているだけのような
気も。
このままだと本当にそうなってしまいそうな
ので、全部で八話だったのを五話にまとめ直しました。
はっきりと自信を持って言
えるわけじゃないんですけど、この方がバランスも取
れているんじゃないかな・・・と思います。
ゴールドアームさん、掲示板で感想を書いて
くださった皆さん、ここまで読んでくれている方に感謝です。
「Fantasia」はこの方がきっといい形になるような気がします
。
でわ、また。CROWでした。
ゴールドアームの感想
ネットワークウォーですね、今回は。
この手の物はロジックで押すか、雰囲気で押すかのどちらかにしてしまうのが常套手段ですが、CROWさんは雰囲気押しを選択したようで。
それ自体はうまくいっていると思います。緊迫感は出ていましたし。
ただ、ある意味それだけで終わってしまったが故に、ちょっと物足りない感じは受けてしまいました。
まあ、この辺は今更なので仕方ありませんが。今回の話に関してはある程度開き直ってしまって、このお話が完結した後、次の話に今回の経験を生かすようにした方がいいと思います。
ある程度完成している話は、あまり弄りすぎると返って流れを損ないますので。
前二回の感想に書いた、思うところは無事伝わったようで重畳。
連載作品は、例え話が短くとも、その中に『山』と『谷』を上手く作るのがコツの一つです。
それともう一つ、完結までの間、一話に一つ、ささやかでも謎を残して引きを作るのも定石の一つです。今回はそれも入っていましたね。
ちなみに謎といっても、ミステリーみたいな本格的な物である必要性はありません。
物語のラストに登場してくる正体不明の人物、なんて言う程度で十分です。
(30台以上の方は、『車田シルエット』といわれている某漫画の演出技法を思い出していただけるといいかとw)
例えその程度であっても、読者に次の話を期待させるエッセンスになります。
もっとも、あんまりありきたりだったり、奇をてらいすぎたり、脈絡がなかったりすると逆効果ですが。
では、ラストまで頑張ってください。ゴールドアームでした。