機動戦艦ナデシコ
Phantom of MARS
第一話 『男らしく』を演じよう!
「スキャパレリ=プロジェクト、聞いたことがあるね?」
「我々の中でも、従軍経験がある君を推薦するものが多くてね。」
巨大な映像スクリーンを背に重役たちが言ってくる。ネルガル本社にある会議室、そこでこの会議が行われていた。
第一次火星会戦敗退から八ヶ月がたち、月も敵の制圧下に入り連合軍は地球にのみ防衛線を引いた。つい先日、地球本星を中心とした防衛網の構築と長期戦による戦力の建て直しを目的とした法案を地球連合議会は成立させたのだ。事実上、月及び火星の切り捨てだった。
本題に入る前に示されたそんな事実を頭の中で並べながら、ゴート=ホーリーは重役たちの声を聞いていた。
「私が? それは軍需計画なんですか?」
「まぁ、それはともかく今度の職場はオナゴが多いよ」
「は?」
ゴートの質問には答えはなく、全く関係のないことをとなりに座っているめがねをかけた男が言ってくる。その男のことはゴートはよく知っていた。ネルガルの中でも切れ者で有名だったはずだ。
「で、ボーナスも出る……ひぃふぅみで、これくらい!」
ゴートの疑問には答えず、男は電卓を打っている。
つまりは簡単なことだ。自分には拒否権はなく、この男の采配に従え、と。それだけのことだ。だからゴートは、ただ一つだけ現時点で最も重要と思われる質問をすることにした。
すなわち、男の示す電卓を見ながら、無表情で……。
「それって税抜きですか?」
「ま、それはともかくとして、まずは人材が必要だねぇ」
男──このプロジェクト中はプロスペクターを名乗ることになっている──はあくまで気楽そうに言ってくる。大柄なゴートの前を、彼は軽快に歩いていた。
「人材?」
「そう、人材! 最高の! 多少人格に問題があってもね……」
これが、ナデシコの始まりだった。
***
2196年、秋。サセボ=シティーにある小さな食堂、テンカワ=アキトはコック見習いとしてそこで働いていた。
「雪谷食堂」という名のその小さな食堂は、店主であるサイゾウの腕がいいこともあって、昼の混雑時を少し回っているにもかかわらず、客で賑わいをみせている。
「ねぇ、八宝菜まだ?」
「おい……なんだまたかよ」
客の注文を厨房にいる見習いに伝えようとしたサイゾウは、その見習い──テンカワ=アキトの様子を見て嘆息した。
外では遠目に地球連合軍と木星蜥蜴と呼称される無人兵器群との空中戦が行われている。食堂のあるこの場所には、爆発音がかすかに聞こえてくるだけだ。連合軍が多少押され気味とはいえ、木星蜥蜴が地球本星に侵攻し始めてから6ヶ月もたちすでに戦闘も日常になっている。食堂の客たちも緊張感なく店から顔を出してのんきに観戦していた。
と、客の一人が厨房内の様子に気づいた。
「何やってるの、あのあんちゃん?」
アキトは厨房で震えていた。呼吸は荒いものとなり、手は震え顔をうつむかせている。炒め物の途中なのか手に持っている中華鍋も小さくに震えている。
「怖いんだとよ」
「何が?」
「あいつらが」
サイゾウの答えに客は不思議そうな顔をする。真上での戦闘ならともかく、遠目の戦闘でここまで怖がる人など今時いない。それほどこの戦争は日常になっている。
「うわああああああーーー!!」
絶叫。
突然のアキトの悲鳴に、戦いを見学していた他の客も厨房をのぞき込む。そこには恐怖のあまり硬直しているアキトがいた。彼の手にある中華鍋からは煙が立っている。
「あっ、火消さなきゃ」
突然我に返ったアキトに客は呆れかえる。鍋の中の八宝菜はすでに客に出せるものではなくなっていた。サイゾウがこの臆病な見習いの頭をハタキにいったとき、すでに外では戦闘が終わっていた。
「とりあえず今日までの給料だ」
店を閉めた後、サイゾウのこの台詞と差し出された給料用のカードとの意味をアキトは諒解する。
「くび……スか……」
「このご時世だ。臆病者のパイロット雇ってるなんて噂立っちゃ、こっちも……な」
「こ、これは、だから違うって。オレ、なんも憶えてないけどパイロットなんてやったことないし、サイゾウさんもオレの経歴見たでしょ」
「世間はそう見ちゃくれねぇよ。いくら何でも異常だよ、おまえの恐がり方は」
アキトが手の甲のタトゥーを見せて抗弁するもサイゾウは取り合わない。手の甲のタトゥーはイメージフィードバックシステム(IFS)用のナノマシン処理を受けている証だ。火星でこそ自動車免許と同等に普及していたが、地球では未だ一部のパイロットがつけているのみだ。つまり、地球ではナノマシーン処理はパイロットを意味している。
しかし、それはアキトにとって邪魔でしかない。だから……。
「でもオレ、コックになるしか。オレほかには何もないんス」
「おまえ今のままじゃなんにもなれはしないぜ。逃げてるうちはよぉ」
サイゾウの言葉は重かった。それを聞いて、無意識のうちに握っていた手を開きながら、アキトは顔をうつむかせた。
「ちくしょう。逃げてて悪いのかよ。良いじゃないかよ。怖いものは怖いんだ」
アキトは叫びながら坂道を自転車で駆け上がっていた。夜も更け、戦禍の痕を残した商店街も今は静寂が支配している。ただアキトを除いて。
「オレだって何とかしたいと思ってるよ! でも体が……。体が、体が、体が……」
一年前に地球で気がついた時、彼は記憶をなくしていた。おぼえている記憶は僅かだ。炎上する空港、目の前で殺される両親、そして銃を構えた男たち、そんな悪夢で終わる八歳までの記憶。そして、空白の九年間の最後に見たあの地獄。空白の九年間の中で唯一残っている夢のような幻のような記憶。赤いカメラアイ、黄色いボディー、逃げ出す人たち、爆発、瓦礫に埋まる人たち、守りたかった女の子、守れなかった自分。木星蜥蜴が赤いカメラアイをこちらに向ける。女の子一人守れなかった自分を殺すために。赤い光がどんどん増えていく。そして──。
無意識のうちに力が入ったアキトは、軽く腰を上げ力を込めて自転車のペダルをこぎ始めていた。中華鍋をはじめとした彼の全財産が入った背中のリュックが上下に揺れる。
と。
「え? うわっ!」
突然、後ろから車が通り抜ける。後部座席からトランクまでぎっしり荷物を詰め込んだその車は、猛スピードでアキトの横を掠めるように通りすぎていった。
「こ、こらあ! 商店街は自動車の乗り入れ禁止だぞー」
その声に反応したわけでもないだろうが、大量の荷物のために閉め切れずロープで止めていたトランクからそのロープがほどけて鞄が落ちてくる。
「へ?」
すぐにハンドルを切って避けようとするが間に合わない。鞄が顔に直撃し、衝撃でアキトのバランスが崩れてしまう。とっさに自転車を倒しその反動で体勢を立て直そうとする。が、次の瞬間二個目の鞄がアキトに直撃した。
「もうイヤだ……。何でオレだけ……」
「すみません、すみません」
「え?」
派手に転んだアキトが顔を上げると、白いどこかの制服を着た二十歳ぐらいの女性が頭を下げて謝っていた。その後ろでは同じような制服を着た女性と同年代の男性が頭を何度も下げている。
「本当にすみません。申し訳ありませんでした。痛い所、ありませんか?」
本気で申し訳なさそうな顔に、アキトも怒るわけにはいかず、女性が荷物を拾うのを手伝うことにした。鞄の口は完全に開いてしまっていて、荷物はあたりに散乱していたのだ。
車の方では男性の方がトランクを閉めようと悪戦苦闘している。
「おーい、ユリカぁ。今更だけど荷物減らそーよぉ」
「だめ! ユリカが一週間かけて選んだお気に入りグッズばかりなのよ。全部持っていくの!」
「はい、はい」
ユリカと呼ばれた女性は、アキトの方を振り向くと、またすまなそうな顔をした。
「ホントにすみません。手伝いまで……」
「ま、まあな……。大体あんたら荷物の積み方下手なんだよ。小さくまとめられるものは小さくして、衣服類をパッキング材の変わりにしてだな──ん?」
ふと見ると、ユリカがアキトをじっと見つめていた。
「? なんすか?」
「あの……。不躾な質問で申し訳ありませんが……」
「は?」
「あなた……何処かでお会いしました?」
「へ?」
「何かそんな気がするんですけど」
まっすぐのぞき込んでくるユリカに、アキトは思わず顔を赤くした目を逸らしながら答えた。
「さ、さあ……。オレはそんな気しないけど」
「そーですか」
何処か残念そうに言うと鞄の口を締めた。そこに男性の急かす声が聞こえた。
「ゆりかぁ」
「はーい」
立ち上がって返事をすると、ユリカはアキトに向かって略式の敬礼をしてきた。
「ご協力、感謝します。では!」
そしてそのまま車に乗って走っていった。呆然と見送るアキト。ふっと手元を見ると、写真立てが一つ落ちていた。
「また落として行きやがったよ……」
何気ない動作。ただ写真立てを拾い、何が写っているのか見ただけ。
「え!? これ……オレじゃねえか!?」
八歳ぐらいのアキトと少し年上の少女。
「何でオレが……」
記憶喪失の自分が辛うじて残している思い出。
「何であの女……」
その頃には確かいつも側には……。
「ああっ!!」
ユリカがいたんだ!
なら──。
「確かめなきゃ!」
アキトは写真立てをリュックに入れると、急いで自転車を起こすと彼女を追いかけ始めた。
「ユリカ、ミスマル=ユリカ」
彼女が火星から地球に引っ越した日、自分は記憶を失った。父さんと母さんが死んだ。クーデターが起きた。
「オレはおまえを知ってるぞ!」
だから確かめなきゃいけない。ユリカと軍人だった彼女の父親はきっと何かを知っている。偶然のはずはない。だから……。
「確かめなきゃ、確かめなきゃ」
そう唱えながらアキトはユリカの後を追った。
「待ってろ、ユリカーっ!」
「というわけで入り口前で大暴れしていた自転車男を保護しました」
プロスペクターが取調室に入ってきた時、アキトは手錠をかけられパイプ椅子に座らされていた。うつむいていて表情はよくわからないが、今は落ち着いている。
「ほう、パイロットかね?」
「違うよ、オレはコックだ!」
右手のIFSを見て言ってくるプロスペクターに、アキトは思わず声を上げた。
「と、このように先程からオレはコックだ、ユリカに逢わせろなどと訳のわからないことを言って……」
「フム……」
警備員の報告を聞いてプロスペクターは少し考え込む素振りを見せてから、小型の機械を取り出してきた。端末をアキトの舌に押しつける。
「てっ」
「あなたのお名前探しましょ。ほら出た」
「遺伝子データ?」
アキトの問いには答えず、プロスペクターは意外そうな声を上げた。
「テンカワ……」
「はぁ……」
「おや? 86年から95年までの経歴が空白ですね? なにかあったんですか?」
「わからない……。その間の記憶はないんです。一年前、気がついたら地球にいた。それで、地球で身元の証明のために遺伝子データの照会をしてもらったら、オレは死んだことになってたんだ」
「ユリカさんとはお知り合いで?」
「火星のコロニーで……。あいつとあいつの家族はオレの両親がなぜ死んだのか知ってるはずなんだ。それにオレの記憶はあいつが火星から引っ越した日から無くなってる。何か関係があるはずなんだ」
「そうですか。あなたも大変ですねぇ」
「……うん」
プロスペクターは改めてこの顔をうつむかせている少年を見た。一見不審人物であり、遺伝子データを見ても不審人物である。 2178年生まれの18歳、火星ユートピアコロニー出身、2186年死亡、ただし2195年本人申告により死亡という項目は取り消されている。その間の9年間は経歴不明。そのくらいしか出てこない。それに……。
それでもプロスペクターは結論を出した。
「コックさんでしたね?」
「は?」
「よろしい! あなたこれからナデシコのコックです。しっかり働いてくださいよ」
その意外な提案に驚き、アキトは顔を上げた。。
「……ナデシコ?」
「そう、ナデシコです」
そう言うと、プロスペクターは裏の読めない営業スマイルを浮かべた。
アキトは今ナデシコの格納庫に来ていた。
先程ナデシコに案内された時、アキトはその艦を変な形だと思った。取調室からドックに案内される途中、ナデシコについて一通りの説明は受けていた。ネルガル重工が総力を挙げて建造した最新鋭戦艦。今まで木星蜥蜴しか持っていなかったオーバーテクノロジーを随所に採用した地球唯一の船。木星蜥蜴との戦艦と同じように主砲はグラビティ・ブラストを装備し、両舷側から出ている二つのブレードは──アキトはこれを見て変な形と表したが──ディストーションフィールドというバリアを発生させることができる。
就航はまだ先とのことなので、アキトは自転車と荷物を割り当てられた部屋において、艦内を見学していたのだ。因みに、割り当てられた部屋は二人部屋であり、同居人の荷物は封が解かれてはなかったがすでに運び込まれていた。アキトも取り敢えず荷物の整理を後回しにして、ユリカの写真を持って出てきていた。見学のついでにここの関係者であるらしいユリカを探すつもりだった。
そして、なにやら騒がしい叫び声が聞こえたので、思わずその声のした方へと言ってみるとそこが格納庫だったというわけだ。
「レッツゴオオォォ、ゲキガンガアアァァ!! 飛べー、ゲキガンガアアァァ!! 走れー、ゲキガンガアアァァ!! とどめは必殺、ゲキガンブレエエェェドオォ!!」
格納庫ではロボットが暴れていた。片足で立ったり、両手を振り回したりと、なにやら珍妙な踊りを踊っている。
「ちょっと、ちょっと、あんたー! なんなんだよ。パイロットは三日後に乗艦だろ」
そのロボットに向かって、つなぎを着た三十歳ぐらいの男が拡声器で怒鳴っている。全長が六メートルを越えるロボットがそれを聞いて照れたような仕草をする。
「いやー、本物のロボットに乗れるって聞かされたらもー、一足先に来ちまいました。イヤン、バカン、ドッカーン」
やけに浮かれた声と共に一発芸をするロボット。たまらずつなぎの男が怒声をあげる。
「馬鹿ヤロー! エステバリスは玩具じゃねえんだぞ。とっとと降りてこーい」
「フッフッフッ。諸君だけにお見せしよう。このガイ様の超スーパーウルトラグレート必殺技!」
全く話を聞いてないのか、ロボットは何かの構えを取る。
「なんだ、なんだ、なんのマネだーっ?」
「人よんでぇ、ガアァイスウゥプアァアッパアァ!!」
大袈裟な動作と危なっかしいバランスでアッパーを突き上げる。結果、一Gの重力下では使えない必殺技だと言うことが証明された。ロボット──エステバリスというらしい──が豪快に倒れる音が格納庫に響き渡る。
「あーあ、やっちまったよ。おい、サイトウあの馬鹿とっとと引きずり出せ」
つなぎの男が怒鳴っているのを、アキトは格納庫の二階部分で聞いていた。
「ゲキ・ガンガーか」
それは子供向けのロボットアニメの題名だ。アキトも子供の時に見たことがある。もっともあらすじは殆ど忘れてしまっているが。それでも、殆どの記憶を忘れてしまっているアキトにとっては、断片的とはいえ覚えているということは嬉しいものだ。それ故の呟きと苦笑だった。
そんなアキトを気にする風でもなく、漫才は続いていた。
「ガァーーハッハッハッ。すげーよなぁ。ロボットだぜぇ。手があって足があって思った通りに動くなんて、なんか凄すぎってかよぉ」
「最新のイメージフィードバックだからさ。これさえあれば子供だって動かせるけどね」
「ふっ……。俺はガイ! ダイゴウジ=ガイ。まっ、ガイと呼んでくれ!」
エステバリスから出てくるなり自己紹介してきたのは、アキトと同い年ぐらいの暑苦しい男だった。嫌みは完全に耳に入っていない。だが、サイトウと呼ばれた男が、携帯端末を見て疑問の声を上げた。
「あれ? ウリバタケ班長、こいつの名前ヤマダ=ジロウになってますけど?」
「ああ?」
「それは仮の名前……。ダイゴウジ=ガイは魂の名前、真実の名前なのさ」
ジロウはコックピットから立ち上がり、ポーズを決めた。
「木星人め来るなら来い! あれ?」
そして突然体を傾けさせる。
「どーしたの?」
「イヤ、その、足がね、痛かったりするんだなぁこれが」
「ああー。オタク折れてるよ、これ」
つなぎの男──ウリバタケと呼ばれていた──はジロウの足を指さして冷たい指摘をする。
「なんだとぉぉ。いたたた。おーい、そこの少年」
「え?」
いきなり話を振られたアキトは、思わず身を乗り出す。
「あのロボットのコックピットに、俺の大切なものがあるんだ。スマーン! 取ってきてくれ!」
そしてタンカーで運ばれていくジロウ。
アキトは取り敢えず言われた通りにコックピットに宝物とやらを取りに行った。
「宝物ってゲキ・ガンガーの人形かよ。いくつだあいつ……」
そのときだった……。
突然の爆発音と振動。
「わ?」
そして鳴り響く警報。
「な、なんだ?」
『現在、敵機動兵器と地上軍が交戦中。ブリッジ要員は直ちに戦闘艦橋に集合せよ! 繰り返す。ブリッジ要員は直ちに戦闘艦橋に集合せよ!』
艦内放送は、むしろ冷静なものだった。だが……。
「奴らだ……。奴らが……来た……」
地下。爆発音。振動。そして木星蜥蜴。それはまるであの時の再現。断片的なイメージでしか覚えていない惨劇。だが、あの時の悔しさ、怒り、そして恐怖は……。
だから……アキトは逃げることにした。
「敵の攻撃はナデシコの頭上に集中している」
「敵の目的はナデシコか」
ゴートの言葉にフクベ提督は半ば確信に近い推測を述べる。艦橋では、ブリッジ要員たちが集まって作戦会議をしていた。参加しているのは、提督のフクベ=ジン、戦闘補佐のゴート=ホーリー、監査役のプロスペクター、艦長のミスマル=ユリカ、副艦長のアオイ=ジュン、メインコンピューターのオペレーターのホシノ=ルリ、操舵手のハルカ=ミナト、通信士のメグミ=レイナード、パイロットのヤマダ=ジロウ、骨折しているジロウを支えている整備班班長のウリバタケ=セイヤ、反対側を支えている整備班のサイトウ=タダシ、そして呼ばれてもいないのに副提督ヅラして乗り込んでいるムネタケ=サダアキであった。サダアキは元々フクベ提督の副官であり、フクベ提督がナデシコにスカウトされた時に、一緒に乗り込んできたのだ。
「そうとわかれば反撃よ!」
本来なら部外者であり発言権のないはずのサダアキが喚き立てる。
「どうやって?」
「ナデシコの対空砲火を真上に向けて、敵を下から焼き払うのよ」
ゴートの問いかけに対してサダアキが出した答えに、他のメンバーが呆れた目を彼に向ける。
「上にいる軍人さんとか吹っ飛ばすわけ?」
「ど、どうせ全滅しているわよ」
「それって、非人道的って言いません?」
「な、なんですってえぇ」
発言するたびに品性を落としていくサダアキ。ミナトとメグミの指摘にヒステリーを起こす。とそこに、フクベ提督が割ってはいる。
「艦長は何か意見はあるかね?」
「海底ゲートを抜けて一端海中へ。その後浮上して背後より敵を殲滅します!」
サダアキの出したものよりも遙かにマシな作戦に、艦橋にいる全員が──サダアキは除いて──感心した顔をする。プロスペクターも内心ほっとしていた。初日から遅刻をしていたため、いまいち能力に不安があったが、どうやら連合大学在学中統合的戦略シミュレーションで無敗を誇ったというのは伊達ではないらしい。
「そこで俺の出番さぁ。俺のロボットが地上に出て囮となって敵を引きつける。その間にナデシコは発進! くうぅ、燃えるシチュエーションだあぁ!」
「オタク骨折中だろ」
「しまったあぁ」
艦長の作戦に熱血したジロウが気勢を上げるが、セイヤの指摘に一転後悔の叫びに変わる。
と。
「囮なら出てるわ」
「え?」
戦艦には場違いな十歳前後の少女──オペレーターのホシノ=ルリだ──が、突然言ってきた。
「エレベーターにロボットが」
アキトは逃げていた。IFSがあればエステバリスだって操縦できる。とにかく外に出たい。この場から逃げ出したい。
「もう閉じこめられるのはごめんだ……。オレは戦いなんて……戦いで死ぬなんてごめんだ……」
『誰だ君は?』
「ヒッ!」
『パイロットか?』
突然何もない空間上に現れた映像ウィンドウに驚いて、アキトは素っ頓狂な声を出した。そこには髭を生やした老人が写っている。どことなく威厳を感じさせる詰問に、取り敢えず何かを言おうとしたが、そこに割り込んできたウィンドウがあった。
『ああ! おまえ、俺のゲキ・ガンガーを!!』
そこには格納庫で骨折していた熱血男がいた。そう言えばこの人形を取りに行った時に敵襲があったため、そのまま懐に入れてしまっている。
まだ騒いでいる熱血男を無視して、老人の方が再度質問してきた。
『所属と名前を言いたまえ』
「テンカワ=アキト、コックです」
『何いぃ。何でコックがIFSコネクター付けてんだよ?』
『彼は火星出身でね。先程コックで採用した』
今度割り込んできたのは取調室であった男だった。確か、プロスペクターと言ったか。熱血男はなおも食い下がろうとした。
『だから、何でコックがエステバリスを』
あまりの五月蠅さに、コックピットの中でアキトは切れる寸前になる。と、混乱を極めるコックピットを制したのはこの一声だった。
『アキトォ! アキトだぁー』
「え?」
不意の大声に驚くアキト。
『なつかしー。そっかアキトかー。なーんでさっき知らんぷりしてたの? そーかー、相変わらず照れ屋さんだね』
「ユ、ユリカ? ちょ、ちょ、ちょと待て! なんだよおまえは……そこで何やってるんだよ?」
『彼女はこのナデシコの艦長です』
「ええー!?」
プロスペクターの補足にアキトは心底驚いた。
『そうだよ。ユリカはナデシコの艦長さんなんだぞ。えっへん』
この無邪気な仕草からも、思い出の中のユリカからも、彼女が戦艦の艦長であるというイメージは出てこない。
『ちょっとユリカ。あいつ誰なの』
後ろにいた線の細い男がユリカにアキトとの関係を聞いている。
『うん。わたしの王子様! ユリカがピンチの時いつも駆けつけてくれるのよ』
「ちょっと待ってコラーッ!」
すっかりその気になっているユリカに焦るアキト。大体ピンチにいつも駆けつけたと言うよりも、いつもピンチをユリカに押しつけられていたような記憶しかない。
『でもアキトを囮になんてできない。危険すぎる……』
「おい、なんだよ囮って」
『わかっているわ、アキトの決意の固さ。女の勝手でどうこうできないわよね』
「おい、ちょっと」
『わかった。ナデシコと私たちの命……あなたに預ける。必ず、生きて……帰ってきてね』
「こらっ、待て、テメー。せめて会話していけぇ」
あまりに一方的な会話にアキトは思わず絶叫していた。
と。
『エレベーター停止。地上に出ます』
「え? ちょっと」
新しく開いたウインドウに映っていたのは、薄く青のかかった銀髪に金色の目をした十歳ぐらいの少女だった。その戦艦にはあまりにも不釣り合いな少女の声でアキトは我に返った。
『頑張ってください』
「ええ?」
少し残っているそばかすと三つ編みが可愛い女の子の激励と。
『俺のゲキ・ガンガー返せよな』
「うるせー!!」
熱血男の言いぐさに一端感情を爆発させると、改めて周りを見てみた。
そこには。
赤い胴体のジョロと呼ばれている無人兵器が、アキトの周りを取り囲んでいた。とたんによみがえる恐怖。
『作戦は十分間。とにかく敵を引きつけろ。健闘を祈る』
ゴートの通信を最後に、アキトは一人になった。
ジョロの囲みから取り敢えず脱出したエステバリスは、ただひたすらに逃げ回っていた。艦橋ではその様子がスクリーンに映し出されている。
「こらー、逃げずに戦えー。卑怯者ー」
そのジロウの声に答えたのは、エステバリスに乗っているアキトではなく、サダアキだった。
「無理よ、コックに戦えるわけないわ。あーんな下手くそな操縦じゃ、すぐにやられてしまうわ。今すぐ対空砲火よ」
「彼はよくやってます」
「立派な囮ぶりだ」
それに反論したのは、プロスペクターとゴートだった。二人にはわかったが、実際アキトはよくやっていた。むしろよくやりすぎていた。
アキトのエステバリスの操縦は誰が見ても素人だ。機能の大半を使いこなせていない。それはコックだから当然だ。しかしそれなのに、アキトはまだ一発も被弾していないのだ。
ジョロはアキトが囲いを突破した時点で黄色い胴体のバッタと合体して、空からの攻撃も仕掛けていた。アキトも我慢できなかったのか反撃をしている。
「あのコック、戦い慣れているな」
「ええ。エステの操縦は間違いなく素人のようですが」
アキトの間違いなく戦いの呼吸を知っている様子に、警戒心をあらわにする二人。だが、サウンドオンリーで聞こえてくるアキトの様子は、間違いなく戦いに不慣れな者に特有なものであった。
「どうやら記憶喪失というのは本当のようですな」
そうしてるうちに、準備は整った。
「注水八割方終了。ゲート開く」
「エンジン良いわよん」
ルリとミナトの報告に頷くユリカ。
「ナデシコ、発進です」
「ナデシコ……発進……」
ユリカの号令に答えて、ルリの両手のIFSコネクターが煌めく。
そして、機動戦艦ナデシコは発進した。
アキトは逃げていた。さっきまでとは違うのは、今度は逃げる先にナデシコがいると言うことだ。彼は自分の技能を自覚していない。囮という、プロでも難しい行為を無傷でこなしてると言うことがどんなに大変かわかってない。
「畜生、海じゃないか。指示通りに来たのに」
艦橋からの合流地点の指示通りに動いていたアキトは、追いつめられていた。後ろには雲霞のごときバッタやジョロ。そして前には海が広がっている。
『アキト、そのまま真っ直ぐ進んで』
「真っ直ぐって言ったって前は海だぞ」
『大丈夫だよ、アキト。今わたしが行くから』
「だけど……」
それでも、覚悟を決めなくてはならない時はある。後ろには木星蜥蜴が迫っている。アキトはそのまま止まらずに海へと突っ込んでいった。
『ナデシコ、浮上します』
そこにタイミングよくナデシコが浮上してきて、エステバリスを受け止めた。
『お待たせアキト』
「お待たせったって、まだ十分たってないぞ」
『あなたのために急いできたの』
そう言うとユリカはにっこりと微笑んだ。
「敵残存兵器有効射程内に殆ど入ってる」
ルリの報告にユリカは頷いた。
「目標、敵まとめてぜーんぶ……てええぇぇ!!」
そして放たれたグラビティ・ブラストは、圧倒的な威力で木星蜥蜴を飲み込んで、破壊し尽くした。
「戦況を報告せよ」
「バッタジョロ共に残存ゼロ。地上軍の被害は甚大だが、戦死者数は五」
ルリの報告に満足げなフクベ提督。ただ、サダアキだけが現実を認めていなかった。
「そんな……。偶然よ。偶然だわ」
「認めざるを得まい。よくやった、艦長」
「まさに、逸材」
だがユリカはそんな提督やプロスペクターの賞賛を聞き流し、ただアキトだけを見ていた。
「アキト! スゴイ、スゴイ、サッスガー!」
『か、勘違いするな! オレは別におまえを助けに来た訳じゃなくて、その、お前に会って……』
「え、会いに来てくれたの」
『ちがーう』
ユリカの怒濤の台詞を皮切りに、艦橋が騒がしくなる。誰もが自分勝手なことを言って騒いでいる。
「馬鹿ばっか」
ただ一人、ホシノ=ルリだけが冷静かつ客観的にその様子を観察していた。
『オレの話を聞けええぇぇ』
アキトの叫びがただ虚しく響いたナデシコの出発であった。
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