薄暗い部屋、その部屋の一角に設置されているベッドでラピスが寝かされていた。
「う……」
不意にラピスの瞼が動く。閉ざされていた目が開かれ、その黄金の瞳が姿を現す。
目覚めたラピスは、気だるげに上体だけを起こし、周囲を見渡す。
狭い部屋だった。薄暗い室内、ベッドが置かれている壁の反対側に扉が一つ、そしてそれ以外はただ壁だけが見える、どうやら部屋には今身体を預けているこのベッド以外に何もないようだ。
「ここ……は?」
なぜこんな場所にいるのだろうか?
ベッドから起き上がろうと、身体を捻る。
すると、腹部に鈍い痛みが走る。
なぜ?
気を失う前は――
急速に覚醒する意識と共に脳裏に浮かび上がる、ルリ、自分達を襲った二人組みの男たち。
「姉さん――姉さん!」
他に誰もいない、ほんの僅かに顔を動かすだけで部屋全体を見渡すことが出来るのだ、そんなことはすぐに分かった。
《姉さん! 姉さん!》》
ならばとリンクで声をかける、だが返事はない。
不安で思わず涙が出そうになる。
「……アキト」
頭で考えなくても、無意識に口が紡いでいた名前。
ラピスは思い出す、自分と姉を守ってくれる大切な人のことを――
《アキト!》
ホテル「デュラシス」の爆発事件から五時間後。
すっかり夜の闇に街全体が包まれ、いまだ繁華街では楽しげな喧騒があちらこちらから聞こえる。
だが、それとは真逆の状況に晒されている者たちも存在した。
この都市「ティラン」にあるホテルの一室。現在そこにアキト、ジェイク、ジュリスの三人は身を寄せていた。
ホテルの室内はそれなりの広さ、内装は決して豪華なものではない。
その片隅にて、周りに幾つかのモニタを浮かべ、端末を操作するアキト、ジェイク、ジュリスの姿があり、さらに三人の頭上には他より幾分大きなモニタが浮かんでいる。
その頭上のモニタには探索中と、大きな文字で書かれていた。このモニタはダッシュがその意思を表すために使用しているものだ。
五時間前と今とで、ラード兄妹の服装は変わっていないが、アキトは違った。
かつて感覚補助用にも使用されていた、身体に密着するつくりの戦闘服を着込んでいる。バイザーと黒外套こそ着けていないが、まるでこれから戦いに赴くかのような姿であった。
恐ろしく真剣な目で、周囲のモニタに表示される情報を読み取りながらも、アキトの脳裏に今までの経緯が浮かぶ。
あの後、「デュラシス」内部を懸命に捜索したが、二人の姿はどこにもなかった。
二人からのリンクが途絶える直前に伝えられた内容によると、二人組みの男たちに襲われているとのことだった。
攫われたのか、あるいは……。
頭に浮かんだ最悪な考えを振り払おうと、アキトは大きく頭を振る。
そんなことはない、二人はきっと生きている。
自身に言い聞かせ、現在の状況を確認する。
先ほど、一度屋敷に戻っていたジュリスが帰ってきた。
二人がどこにいるかわかれば、すぐさまジャンプによって救出に向かう。そしてその場で戦闘になる可能性も高い。
そのためアキトが頼み、黒衣の戦闘服と、CCを持ってきてもらったのだ。そしてジュリスはさらにネットワークでの探索のサポートにと、今では屋敷の制御AIを務めていたダッシュも連れてきていた。
しかしダッシュを伴った情報収集を行っても、今だ二人が居場所は特定できていなかった。これは、アキトたちでは例えダッシュをサポートにつけても、電子戦能力ではルリやラピスに遠く及ばないことも一つの要因ではあった。企業などが誇る高ランクの機密情報を守るための、厳重なセキュリティを突破することは敵わないのだ。
ジェイクによると二人を攫った連中は、陸路を使っただろうとのことだ。
ボソンゲートは使わないのかと尋ねると、
「ボソンゲートがあれほど小型なのは、ジャンプのための制御を全て他に任せるからだ。もしネットワークに繋がってないゲートを使うなら、それ自体が制御装置も持ってなければいけない。だが制御装置自体は馬鹿でかい。他の大陸の連中が密かに作るのは難しいだろう。それに制御装置に使われる機材は特殊なものが多い、そんなものが自分たちの庭で流されていたらまずグラウンが気づく」
それなら二人を攫ったのはグラウンかと続けると、
「さっき入ってきた情報だが、あの爆発が起こったレストランにグラウンの重役であるディランの都市長がいたらしい。何でも娘の誕生日だとかで仕事も休んで家族サービスに勤しんでいたところにあの爆発ってわけだ。恐らくあの爆発はその都市長を狙ってのことだろう。やり方が荒っぽすぎるがな。仮にグラウン内部の犯行だとして、自分たちの都市であれほどの惨事を引き起こすとは考えにくい」
さらにジュリスがティングルから聞いた情報では、爆発が起こってから今に至るまで不審な飛行物体は確認されていないらしい。
またこの「ディラン」は内陸部に位置するため、海路が使われることはない。
それらの情報から、二人を攫った連中は車かなにかで移動しているのではないかと、ジェイクは結論付けた。
そして、もし車で移動しているなら発見は難しい。
車などどこにでも走っているうえ、外見から二人を乗せているかどうかなどわかるはずがない。
「くそっ」
苛立ち、傍にあったテーブルに腕を振り下ろす。
殴りつけられたテーブルはその力に耐え切れず、二つに割れる。
だがそんなことをしても、気がはれることもなく、ただ焦りだけが募る。
だが、そこで突如ラピスからのリンクが届く。
《アキト!》
《――ラピス! ラピスなのか!?》
《アキト、アキト、アキト!》
《落ち着け。身体に異常はないか? 何かされたか? 今どこにいるかわかるか?》
だがそういうアキトも落ち着きがなく、勢い込んで矢継ぎ早に質問する。
《わからない、さっき目が覚めた。起きたら狭い部屋に寝かされてた。でもいま確かめたら扉に鍵が掛かってて開かない……アキト、姉さんがいない》
最後のルリがいないと言ったラピスの心の声は、泣いているかのように弱弱しい響きをもっていた。
《ルリちゃんは一緒じゃないのか……》
それはアキトにも更なる不安を呼び起こす。だが今は少しでも情報が必要であるため、さらにラピスに尋ねる。
《ラピス、お前とルリちゃんを襲った連中のことで何か分かることはないか?》
そうアキトが尋ねると、ラピスからの返事はすぐには返ってこず、思い出すためにか間が開く。
数秒そのままで返事はなかったが、やがて再びラピスからの声が伝わる。
《私たちのことを、カラムの実験体か、と言ってた》
《カラムの実験体? 他にはないか?》
《それ以外には特になかったと思う》
《そうか……》
新たに得られた情報。これが二人の居場所を特定できるかわ分からない。
だが今、ラピスを不安にするようなことを言うわけにはいかない。だから安心させるように、穏やかな声で伝える。
――必ず助ける、と。
《うん、アキトを信じてる》
《ああ》
それを最後にリンクによる会話を終える。
今のリンクの内容をジェイクとジュリスにも伝えると、二人は難しそうな顔をした。
妹の代わりにジェイクが説明する。
仮にその襲った連中がカラム以外の者だったとして、グラウンも除いたとしても、カラムに敵対する勢力のどこかとなる。
大きな勢力は、無論残りの二つの企業であるテラーとサイジン。それ以外にも敵対している組織はあるだろうから、候補を挙げたらきりがない。
それはアキトにも分かっていた。
だが今ラピスはどこかの建物内に監禁されているという状況も、その場所を特定するヒントになる、と二人に話す。
つまりここディランから、恐らく車で五時間以内の範囲にある建造物にラピス、そしてルリもまた囚われているのだろう。
それには兄妹も頷くが、しかしそれでもやはり候補地がありすぎる。
だがそれでも先ほどまでのように何の指標もなく調査を続けていた状況よりはマシである。
「そういうことだダッシュ、ディランから五時間以内の範囲で、秘密裏に何かできそうな建物を探してくれ」
三人の会話の間も黙々と作業を実行していたダッシュに声をかける。
声をかけられたダッシュは一旦作業を止め、疲れたような顔文字をモニタに表示する。
『OK,やってみるよ』
それでも再び作業に戻る。ダッシュも攫われた二人を助けるためなら惜しむことなく、全ての力を出し尽くしていた。
そして三人もまた、それぞれ端末に向かった。
《姉さん! 姉さん!》
アキトとのリンクのあと、ラピスは再びルリに呼びかけ続けていた。だが何の返事も返ってこない。
それでも諦めず、繰り返し呼び続けていると、
ズゥウウウウウウウウン!
突如、遠くから轟音が木霊し、部屋が大きく揺れた。
部屋、いやこの建物全体が揺れているような振動、遠くから聞こえてくる轟音、
何かあった? わからない、だけどもしホテルのように爆発などが起こっていたら。
バンッ バンッ
「開けて! 何があったの! ここを開けて!」
両手を振りかぶり、力一杯扉を叩く、鍵がかけられているのはとっくに確認している、だから外に伝えるため声を張り上げ、扉を叩く。
ラピスの心を暗く不安が襲う。ルリの身に何か起こっていないか 自分がここにいるなら、同じようにこの建物に連れてこられている可能性が高い。他の部屋に入れられているのかも知れない。
バンッ バンッ バンッ
「出して! ここから出して! この扉を開けて!」
手が痛む、だがそんなものは気にせず、力の限り扉を叩く、声を張る。
だが扉は開かない、こんなことをしても無駄だろう、捕らえた者が出せと言って、誰が開けてくれるのだろう。
「開けて! お願い出して……姉さん」
タンッ
力なく腕が振り下ろされる、痺れが走る手からは血が流れ、俯く顔、瞳から涙が零れ落ちる。
「お願い……」
その言葉を最後に、扉の前に崩れ落ちる。
誰か助けて――アキト
シュ
軽い空気音と共に、ラピスを閉じ込めていた扉が開かれる。
「え?」
床にへたり込んだまま見上げるその視界に、こちらを見下ろす一人の女性の姿があった。
燃えるような赤毛を短く切り、その瞳は橙、顔は美人といえるほどではないが、どことなく暖かなものを感じさせる魅力的なつくり、長身で女性にしてはがっしりした体格を身体にフィットした黒い戦闘服で包んでいる。
いまその女性は扉の前に立ち、驚いたような顔でラピスを見詰めていた。
ラピスの方も突然現れた女性に驚き、何も行動を起こせずにいると、不意に女性が懐から何かを取り出す。
取り出したそれ、小型の通信機からくぐもった声が聞こえる。
【どうした? 何かあったのか?】
「――いや、なんでもない」
【そうか、なら早くシステムを】
「了解」
通信機を収め、女性は再びラピスを見下ろす。その顔には迷いに似たものが浮かんでいた。
「助けて」
驚き固まっていたラピスだが、それが解けた瞬間、必死に助けを求めていた。
その言葉を聞き、女性は思わず前に一歩足を踏み出す。
「助けて……お願い」
再び、ラピスは懇願するように声を絞り出す。
女性は何かを吹っ切るかのように一度目を閉ざし、次に開けたとき、その顔に迷いはもうなかった。
「一緒にくるかい?」
手を差し伸べながらラピスにそう問いかける。
それはかつてのアキトとの出会いをラピスに思い起こさせた。
だから、迷いも恐れも忘れその手を取っていた。
「ああ、私のことはレッドと呼んどくれ」
レッドは優しげにラピスに笑いかける。そして目で尋ねる、お前は誰だい? と。
それはかつてと決定的に違うところ。
「ラピス、ラピス・ラズリ」
今は自らが誰かをラピスは知っていた。
「ディラン」にあるホテルの一室、ダッシュによるサポートを受けつつ、アキトら三人はルリとラピスが攫われた場所を特定しようとネットワーク上での情報収集を続けていた。
繰り返された探索のすえ幾つかの候補地に絞り込めたが、そこまで止まりで、そこからさらに一つに特定することは出来なかった。
「くそっ」
アキトは探索が手詰まりに陥ったことに苛立ち、はき捨てるように罵る。
このままではルリとラピスは――そのことがアキトの顔に焦燥を浮かばせ、傍目にも悲壮な雰囲気が感じ取れる。
「アキト、少しは落ち着け」
傍らのジェイクは作業を続けながらも、アキトの様子に見かねて声をかける。
だがアキトはそんなジェイクの言葉にも構わず、再び端末に向き合う。
だが、そこに突如ラピスからのリンクによる通信が入る。
《アキト、ここはディラン郊外のテラーの研究所》
《なに!? ディラン郊外のテラー研究所!? ――どうやってそれを知ったんだ!?》
《レッドが教えてくれた》
《レッド?》
《私を助けてくれた人。今から姉さんも助けに行く》
は? と訳が分からず、アキトは唖然とする。
そのまましばらく声を返せずにいたら、いつの間にかリンクが途絶えていた。
《おいラピス! ラピス! ――もしもーし!?》
だが呼びかけても返事は返ってこず、アキトは呆然と立ち尽くす。
「……いったい何なんだ?」
と、そんなアキトは置いといて、ダッシュが即座に目的の場所をモニタに表示する。
新たに中空に浮かび上がるモニタ、そこには上空からの視点で、かなりの規模の白い建造物が映し出されていた。荒野に建つ研究所の周囲に他の建物はなく、これなら周りを気にすることなく実験も行えるだろう。
とにかく気を取り直し、アキトはその映像を目に焼き付けるかのように凝視する。
この画像はリアルタイムな今現在のものではないが、最近に更新されたもののため、ジャンプの跳躍場所を指定するイメージングに使っても問題はないだろう。
「うん? 俺、リンクの内容教えたか?」
とりあえず映像を脳裏に焼き付けた後、ふと気づく。なぜ自分が教える前に検索できていたのだろう?
だがそんなアキトの疑問にジェイクは呆れたように答える。
「お前……口に出てたぞ。リンクで、もしもしってのもなー」
傍らのジュリスも、けらけら笑い声を上げる。
「……ほっとけ」
憮然としたそっぽを向くが、バイザーをしていないため顔が赤くなっているのがバレバレだった。
「あはは、でも良かったかもね。さっきまでのアキトは焦ってて、思いつめすぎてるみたいに思えたし」
浮かんでいた涙を指で拭いながら、ジュリスは自分の感じていた不安を口にする。
ジュリスに言われ、アキトも先ほどまでの自分の状態を思い浮かべた。
「――確かに、焦るばかりで周りを見る余裕すらなかったな」
やれやれと、アキトは自分の馬鹿さ加減を笑う。どうやらラピスのおかげで良い具合に気が抜けたようだ。
真剣に事態に挑むのと、思いつめて焦るのでは全く違う。先ほどまでの精神状態では、満足に能力を発揮することもできなかっただろう。
「まあ、あの二人が心配なのは分かるが、少しは余裕を持てよ」
ジェイクも妹と同じことを感じていたのか、軽い口調でアキトを諭す。
「ああ」
アキトは、そんな風に心配してくれている兄妹に、礼の代わりに軽く笑みを向けた。
黒外套を纏い、バイザーを着ける。
ジャンプ先はディラン郊外のテラー研究所。他に当てもなく、今はラピスの言葉を信じるしかない。
精神を整え、ジャンプのイメージに備える。
「アキト、気をつけろ。二人を助けるのはもちろんだが、ジャンプのことも知られるな」
CCを取り出し、ジャンプの体勢に入ったアキトに、ジェイクは忠告する。
「ああ、わかっている」
もし、単独でジャンプが行えるA級ジャンパーだと知られたら、この世界においてもかつてと同じことが繰り返されるだろう。そのため決して知られるわけにはいかない。
そのことを改めて己に確認し、ジャンプのためのイメージングを開始する。
「しっかりな」
「必ず三人で帰ってきてね」
『頑張れ』
兄妹とダッシュに見送られ、アキトは光と共に姿を消した。
意識が浮上していく。
声が聞こえる。その声は大切な、大切な妹のように思っている一人の少女のものに似ているように思う。
閉ざしていた目を開ける。真っ黒だった視界に光が入り込む、目を開けてすぐ桃銀の髪を持つ少女が涙を浮かべているのが見えた。
「――ラピス、大丈夫ですよ」
なぜ涙を浮かべているのかわからない。だが少女は大切な妹だった。だから安心させようとそう口にしていた。
と、そこでなぜ自分が意識を失っていたのか、意識を失う前に起こったこと、それらが脳裏に蘇ってきた。
――ラピス!?
意識が急速に覚醒していく。
確か二人組みの男に襲われて――
「ラピス、無事ですか! ケガはありませんか!?」
ガバッ、とラピスの肩を掴み口早に確認する。
だがラピスはキョトンとした顔をし、しばらくして言い返してきた。
「それはこっちが聞きたい」
「え?」
状況が飲み込めず、ポカンとしていると。さらに別の声が聞こえる。
「ラピス、すまないが早くお姉さんにちゃんと目を覚ましてもらっておくれ。また敵が来たら面倒だ」
その声の方向を見ると、燃えるような赤毛を持ち、黒い戦闘服を身に纏った女性が、楽しげな笑みを浮かべていた。
「え、と――誰ですか?」
とりあえずラピスにそう尋ねる。
「レッド。私を助けてくれた人」
そう答え、とにかく私に起きるよう言い、手を差し伸べてきた。
手を貸してもらい、ベッドから起きる。ラピスの説明ではよく分からないため、そのレッドという女性に聞くことにする。
「ありがとうございます。ラピスを助けてくださったそうで――それで、あなたは誰なんです?」
頭を下げ、助けてもらった礼を言う。そしてその次に肝心の女性の正体について尋ねる。
すると女性は笑みを深くし、くつくつ、と喉の奥で笑う。
「いや妹さんも変わってるが、お姉さんも変わっているねえ」
「そうですか?」
すると女性はさらに可笑しそうに笑う。
「ははは、まあ良いか。私のことはレッドと呼んどくれ。私はあんた達を攫った連中と敵対する組織の者さ。任務でこの施設に潜入してて妹さんを見つけ、それでそのままあんたも助けに来たって状況だね」
「――でもなぜ?」
レッドというのは偽名なのだろう。だがとりあえず気にせず、なぜ助けてくれたのか、それを聞き返す。
「――気まぐれだね」
しかしその笑顔に僅かな陰りが生まれたように思えた。
本心を話しているように思えず、さらに質問しようとしたが、女性は口早に話を続けてきた。
「とにかく今は私たちの部隊がここを襲撃していて、その襲撃の成功のため私は任務を果たさなければいけない。ラピスから聞いたが、あんたたちにも助けの当てがあるらしいね。だがこのままここにいたらその助けが来る前に捕まるか、殺される可能性が高い。だから今は私と一緒に来な」
助けの当て――
それに思い当たり、すぐにリンクで呼びかける。
《アキトさん》
《ルリちゃんか? さっきラピスから見つけたと知らせがきたが、無事でよかった》
《ラピスからですか?》
《ああ、ルリちゃんを見つけたが意識がないと騒いでいた》
《アキトさんは、ラピスを助けてくれたレッドという女性について聞いてますか?》
《聞いている、最初は訳がわからなかったがな。何か思惑があるのかはわからないが、その研究所の連中に捕まっているよりはマシだろう。今は彼女と行動を共にした方が良い。俺もすぐに行く》
《――わかりました。アキトさんは今どこに?》
《その建物の外だ。どうにも防衛のためか戦闘用の無人機の数が凄くてな、中々潜入路が見つからない。ただ殆どの奴らは、レッドという女性の仲間の部隊とやらとやり合っているから、何とか忍び込めるだろう。あと少し待ってくれ》
《はい、気をつけて》
その言葉を最後にリンクは途絶えた。
とにかく大体の状況はわかった。もしこのままこの部屋にいてもアキトが来る前に再び捕らえられるか殺されるだろう。そして自分達だけでは敵が現れても対抗できない。
深く息を吸う。
息を吐く、そして覚悟を決める。
レッドの方へ顔を向け、何か秘めた企みはあるか、それを見極めようと表情を窺う。
「お願いします」
「OK。じゃあ行こうか」
レッドは再び軽く笑う。その目に曇りはなく、悪意があるようには思えなかった。だから、とりあえず信用することにしよう。
扉に素早く駆け寄ったレッドは、顔だけ出して外を確認する。
その間に身体の調子を確かめる。動くと殴られた腹部に鈍痛が走るが、それ以外は特に問題ないようだ。
と、いつの間にかラピスがこちらを見上げていた。
「どうしました?」
するとラピスはニッコリと笑い、
「ん、姉さんが無事で良かった」
本当に嬉しそうに言ってきた。
だから私も、
「ラピスが無事で良かった」
笑顔でそう返した。
ルリの救出後、レッドと共にルリとラピスは研究所の内部を駆けていた。
レッドの目的はこの研究所の防衛システムを停止させること、そのため直接メインシステムに繋がる端末のある部屋を目指していた。
と、前方にT字路、道が真っ直ぐと、右に分かれており、そのまま直線方向には何もなく奥まで通路が続いている。
レッドは手振りで二人に止まるように指示し、自らは曲がり角手前まで進む。そのまま壁に身体を寄せ、何かを待つように身構える。
そしてそのまま数秒が経過。
突如、レッドは半身を右通路へ滑り込ませ銃を二連射、轟く銃声に混ざりうめき声が上がる。
レッドは二人に振り向く、それと同時に、ドサッ、と重い何かが倒れる音が聞こえる。
「さあ行くよ」
レッドは腕を軽く前に振りつつ、二人に声をかける。
三人はその右通路を再び駆け出した。
先ほどのようなことは今までに数度あったが、ルリとラピスというお荷物を抱えながらも、全て先制の一撃で終わらせてきた。そのことからも、レッドの技量の高さが窺える。
三人は現在、他より幾分大きな部屋の前に到着していた。
レッドが何やら操作すると、シュッ、という軽い音と共に扉が横にスライドし、三人を中へと招き入れる。
部屋は広く、三人が入ってきた扉から右側、この部屋の奥にあたる場所に大型の装置や幾つもの端末が設置されている。ただその端末がある辺り以外は、無駄にさえ思えるほど広々とした空間が広がっていた。さらに見渡せばこの部屋には今三人が入ってきたものの他にも二つ扉があることがわかった。
一般の研究員は既に退避しているのか、中に人影は見当たらない。
レッドは内部を注意深く見渡し、隠れているものがいないと判断すると端末へ足を向けた。ルリとラピスもそれに続く。
「ここからなら、メインのシステムに繋がっているはずだ」
端末の前まで来たレッドは、そう言って懐から小さなチップを取り出すと、そのチップを軽く自らの甲に押し当てる。
するとチップから僅かに出ていた端子が皮膚と同化する。
これは生体端子によって接続し、チップに収められたプログラムをIFSを通じて実行するためのものだ。
チップが甲に繋がったことを確認すると、すぐさま端末のIFSインターフェースに手をかざす。
手にナノマシンの輝きが走り、チップに収められていた、この場合はウイルスが端末より流される。
ウイルスは与えられた役割を果たそうと電脳空間を進み研究所のメインシステムに侵入する。
自己を増殖し、システムを破壊尽くそうと与えられた命令を次々と実行していく。
だが、ある程度命令をこなし、システムの書き換えを行おうとしたとき、突如システム側にウイルスの侵入が察知された。
システムは自らに侵入した異物を排除しようと、すぐさまウイルスに攻撃を開始する。
即座にウイルスの構成を解読し、それに合わせたワクチンを生成。
そうなってはもうなす術はなかった。ウイルスは僅かな抵抗の末に完全に駆逐された。
「そんな――ウイルスが通じない? 情報と違う!」
予想に反し効果を発揮しなかったウイルスに、レッドは愕然と立ち尽くす。
だが、呆然とする間もなく突如三人が入ってきた方と反対の扉が開かれる。
扉の向こうより、二メートル強ほどの人型機動兵器に似た物体が室内に進み出てきた。
「っ!」
機装兵、高い戦闘力を発揮するために開発されたパワードスーツを着用した兵士である。
その機装兵は、白い装甲が全身を覆い、右腕にマシンガンを装着し、左腕には近接戦闘用のブレードを携えていた。
敵を確認しざま、レッドは銃を発砲する。
だが機装兵の装甲はそんなものは意にも介さずはじき返す。
そして、お返しとばかりに右手を上げ、その腕のマシンガンから弾を前方にばら撒く。
レッドは咄嗟にそれに反応し、回避行動を取ろうとして気づく、自分の後ろにルリとラピスがいる。もしこのまま避ければ二人は――
刹那の思考、いや考えて行動したわけではない。ただ、身体がそう動いた。
身体を開き、二人を守ろうと立ちふさがり、次の瞬間には全身で銃弾を受ける。体中が凄まじい激痛を訴える。即死していないのが奇跡のようなものだ。
血飛沫を撒き散らし、背中から床に叩きつけられる。
「ごふっ」
レッドの口から大量の血が吐き出される。
「レッド!」
ラピスが、僅かに遅れルリが駆け寄る。
「しっかり、しっかりして!」
ラピスはレッドの顔を覗き込み、必死に呼びかける。
「ごほっ……逃げ――」
ズシャ
そのレッドの残りの力を振り絞り出した声を掻き消そうかと、機装兵の重い足音が響き渡る。
マシンガンを装着した腕は向けられておらず、捕獲するつもりなのかゆっくりと迫ってくる。
「くっ」
ルリはラピスと倒れたレッドを庇おうと二人の前に進み出て、ラピスもレッドを隠すように覆いかぶさる。
だが、そんなものは何の抵抗にもなりはしない。機装兵の速度に僅かな変化もなく、獲物を追い詰めるように確実に距離を詰めてくる。
ズシャ
ズシャ
一歩、また一歩と三人との距離がなくなる。
後もう十メートルもない。
ズシャ
ズシャ
残り八メートル。
ズシャ
ズシャ
恐怖と威圧感ゆえ、その姿はルリとラピスには本来の大きさを遥かに超え、視界全てを覆い尽くすようにさえ思えた。
悔しかった。何もできない自分に憎しみさえ覚えた。後ろにいる妹も守れず、身体を張って守ってくれた人も助けられない。我知らずかみ締めていた唇からは血が流れていた。
怖かった。悲しかった。そして悔しかった。自分の前で姉が必死に立ちふさがっている。命を懸けてまで守ってくれた人が苦しんでいる。その人の命が消えようとしている。でも自分では助けられない。迫る敵から守ることも出来ない。身体が震える。それは恐怖からか、それとも怒りのためか自分にも分からなかった。
二人に出来ることは何もなく。ただ、心で叫んだ。自分達を守ってくれる、大切な人へ。
《《アキト》さん》
突然の銃声。
機装兵の装甲が弾丸を弾き、火花が散る。
放たれた銃撃に反応し、すぐさま機装兵は弾丸が飛んできた方向へ身体を向ける。
その移動した視界には、顔を黒いバイザーで覆い、黒衣を纏った男が猛然と疾走してくる光景が映し出されていた。
黒衣の男、テンカワ・アキトはその右腕に携えた銃を再び放つ。
響く銃声、放たれた弾丸は外れることなく機装兵の胴体部に命中。
だが、いくら大口径とはいえ拳銃では機装兵の装甲を突破することは適わない。
効果なく弾かれる弾丸に、アキトは舌打ちする。
機装兵の方も一方的に撃たれることを良しとせず、反撃を開始する。
右腕に装着されたマシンガンをアキトへ向け、残弾など計算に入れていないかのように撃ちまくる。
さすがにこれだけの弾を、射線を読むことで避けるのは無理と判断し、アキトは大きく左に飛ぶことで回避する。一瞬後、先ほどまでアキトがいた地点に無数の弾痕が刻みこまれる。
機装兵はそのまま射撃を止めずに腕を動かしアキトを追い詰める。
回り込むように駆けるアキトの後ろに銃火が迫る。
後方より追いすがる銃火、だがアキトは突如その進路を変え機装兵へ直進する。
猛進するアキト、その進路に射線が重なる――
その直前、アキトは駆けながら向けられる機装兵の腕に残りの残弾を撃ちつくす四連射。
一発は外れ、胴体部に弾かれたが、残りの三発は全て機装兵の右腕に命中、その衝撃で機装兵の腕が弾かれ、見当違いな方向へ弾が撃ち出される。
そしてアキトは機装兵が再び腕を向けなおす僅かな間に、その距離を詰めていた。
目前に迫るアキトに、あまりに距離が近すぎたため射撃を諦め、左腕のブレードを振り下ろす。
スーツにより増幅された力と速度を持って放たれた斬撃は、音速さえ超えていた。
その恐るべき破壊力を持った斬り降ろしが、アキトに命中する――
そう機装兵は確信した、だがその腕には何の手応えもなく、アキトの身体を突き抜ける。
次の瞬間には、両断したはずのアキトの姿は掻き消え、そのまま勢いを失わないブレードが轟音と共に床に大穴を空ける。
残像を残し、機装兵の斬撃をなお踏み込むことで避けたアキトは、その左側面に回りこんでいた。
右半身に構え、右掌を機装兵の胴体部に当てる。
瞬間、鋭い呼気と共に床が足の形に陥没するほどの踏み込み。
駆け上がる爆発的な力はさらに体捻により増幅され右掌に伝わる。
その右掌よりの一撃は、機装兵の強固な装甲を無視し、直接内部に浸透。
装甲を貫通した凄まじい衝撃は、スーツ内部の兵士の肉体、制御用の脆い電子回路を破壊し、その活動を停止させる。
必殺の一撃を放ったアキトが、その身体を離したと同時、機装兵の巨体が糸を切ったかのように膝から崩れ落ちた。
「――アキトさん」
「――アキト」
窮地に現れ、自分達を救ってくれたアキト、二人は喜びと共にその名を呼ぶ。
「大丈夫か?」
二人の元へ駆け寄ったアキトは、無事を確認する。
だが喜びから一転、二人は顔を曇らせる。
「はい……ですが――」
そう言って、ルリは後ろのレッドへ顔を向け、ラピスは力なく顔を俯かせる。
アキトも床に倒れ付すレッドの状態を確認し、顔をしかめる。
頭部への被弾は免れたものの、二人を庇い幾つもの銃弾を受け、最早助かるような状態ではなかった。
突如、雑音交じりの音声が発生する。その声はレッドの懐から漏れていた。
「はあ、くっ……」
レッドが震える手で懐から通信機を取り出す。銃弾を受け、誤作動したのか何の操作もしていないのに向こうの声を伝えてくる。
【レ――ザザッ、か? 敵の数、ザザッ、より多く、危機的状況、ザザッ、システムを――】
伝えられる状況は芳しくなく、このままでは仲間は壊滅に追い込まれることになる。
それを理解しているレッドは、残り微かな力をかき集め身体を起こそうとする。
「だめっ、レッド」
だが、ラピスがそれを阻むように身体を押さえつける。レッドの顔を覗き込み、涙を浮かべ、頭を振る。
「ラピス、ごほっ、邪魔を、しないでくれ」
「だめっ! 死んじゃう……」
「私はもう、助からない。でも、役割を、成し遂げたい。だから……」
ウイルスが効かなかった段階でレッドに打つ手はなかった。それでもせめて死ぬ前に最後の悪足掻きはしてやろうと説得を続ける。
「だから、頼む」
顔には死相が浮かび、声も弱弱しい、それでもなお瞳には強い意志が宿っていた。
「………………………………わかった」
「ありがとうラピ――」
自分の願いを聞き届けてくれた少女に礼を言おうとしたが、続く言葉がそれを覆す。
「私がレッドの代わりをする」
「な、に?」
何を言っているのか分からず、呆然と聞き返す。
だがラピスはそれに答えず、レッドの元を離れ、端末へ向かう。
機装兵の銃撃により半数近くが破壊されていたが、まだ機能を維持している端末の一つに駆け寄り、IFSインターフェースにその手をかざす。
と、新たに隣に近づく人の気配。
隣に視線を向けると、そこにはルリが微笑みを浮かべ、同じように手をかざしていた。
二人は僅かに頷きあい、同時に目を瞑る。
次の瞬間には、二人の周囲に無数の燐光が生まれた。
淡い燐光が二人の周囲を舞う
侵入、研究所のシステムもそれを察知し抵抗す――
僅か一瞬
次の瞬間には、システムは自らを二人の電子の支配者に委ねていた。
通信機から声が聞こえる
【良くやった、ザザッ、すぐに脱出しろ、このまま、ザザッ、を進める】
「あんたたちは、いったい……」
レッドは呆然と呟く。
ラピスはすぐさまレッドに駆け寄るが、ルリはそのままで自分たちのデータを消去していく。
「頑張って、死んだらダメ」
必死に、涙も浮かべラピスは、レッドに語りかける。
そんなラピスに、レッドからは笑みが零れる。
「ふ、ふふ、まあ良いか、あんたたち、はやく、逃げるんだ、ここはもうすぐ爆破される」
「レッドも一緒に!」
頭を振り、レッドの手を両掌で包み込みながら、ラピスは叫ぶ。
「私は、もう無理だ、治療も、間に合わない、例え今すぐ、でもね。それに、私が一緒に行けば、足手まといになる」
ごほっ、口から血を吐く、飛び散った吐血がラピスの顔にかかる。
だがラピスはそんなもの気にもせず、尚もレッドへ語りかける。
「違う、一緒に行ける。アキトが、アキトがいるから」
「はは、まだ何か、魔法があるみたい、だね。だけど、もう……」
荒く、弱弱しくなっていく呼吸で、レッドは言葉を続ける。
「もっと良く、顔を見せて、くれないか?」
それに黙って従い、顔を近づける。
「似てないん、だけどね……」
「え?」
何を言っているのかわからず、反射的に聞き返していた。
訳が分からず困ったような顔をするラピスに、レッドは可笑しそうに笑う。
「何で、お前さんを、助けたか……私にも、昔、妹がいてね、なんだか……重なっちま……ほっとけなか…………ピス、幸せ………」
その声から次第に力が失われていく、最後の方はもう顔を近づけているラピスさえ聞き取れないほどに。
「レッド、レッド!」
レッドの全身から生気というべきものが消えていく。
涙を流していることにも気づかず、必死に呼びかける。だがもう返事は返ってこない。
「レッド! レッド! ――ぅううああああああ……!」
レッドの身体を力の限り抱きしめ、声も枯れよと泣き叫ぶ。
室内にラピスの泣き声が木霊する。だが現在彼女たちが置かれている状況は、そのまま悲しみに暮れることを許してはくれなかった。
「ラピス、ここに居ては危険だ。すぐに脱出する」
今だレッドにしがみ付き、涙を流し続けているラピスの肩に手を置き、アキトは声をかける。
ルリも悲しげな顔で、背後からそっとラピスの身体に腕を回し抱きしめる。
ラピスはまだしばらくは、そのまま泣き続けていたが、やがて泣くのを止め、ポツリと返事をした。
「レッドも一緒に連れてって」
それにアキトは頷き、ルリの肩にも手をかけ、ジャンプの体勢に入る。
光と共に四人の姿が消える。
それから数十分後、研究所は爆破され、夜の闇を赤く染め上げた。
テラー本社:会長室
巨大な室内、だが内装はシンプルで、部屋の中央に大きな執務机がある以外、これといった調度品の類も見当たらない。
今その執務机に男が腰掛け、部下から報告を受けていた。
その男の名は、ローグ・テラー
現在、テラーのトップに立つ人物である。
長めの銀髪を後ろで縛り、切れ長の瞳の色は左右別々、右眼は黒、左眼は銀のオッドアイ、刃物のような鋭利に整った顔、体格は細身だが長身で、黒のスーツで身を固めている。
まだ二十代後半といった若さだが、その瞳に殆ど感情はなく、人間らしい温かみが感じられない。
「グラウンにおける研究所の一つがテロ組織に爆破されました。そのことに関してはグラウン側に抗議を行っています」
「――そうか、まったく忌々しい連中だ」
「それで、研究所が襲撃される直前に二人の黄金の瞳の女を捕獲したとの通信がありました」
「なに――もしやカラムに潜入している部隊から報告にあった実験体か?」
「いえ、そこまではわかりません。女二人を収容してすぐにテロ部隊の襲撃があり、その後研究所も爆破されたため恐らくは」
「死んだか――あるいはテロ組織が確保したかもしれんがな」
「はい、ですがテロ部隊が実験体を保護するとは思えません」
「そうだな――だがその二人の女を収容してすぐに襲撃か、あるいは襲撃した部隊の裏にはカラムが?」
「可能性はありますが、それでもあまりにも襲撃までが短すぎます。やはりその女たちには関係ないと思われます」
「ふむ、だがカラムの実験体の可能性のある者がいたか――カラムに何か動きがあるのかもしれん、今後の動向にはより注意を払ってくれ」
「わかりました、では次の案件ですが――」
あの後、ジェイクたちが待つホテルの部屋にジャンプアウトしたアキトたちを、ジェイク、ジュリス、ダッシュは喜びと共に迎えた。
だが、アキトたち三人の他に、見知らぬ女性の遺体も姿を現したことに驚き、またその女性の遺体にしがみ付いて泣いているラピスを見ると、戸惑いの表情でアキトに説明を求めた。
アキトにより事情を説明され、何が起こったかを知ったジェイクたちは、それぞれのやり方でラピスを慰めた。
ジェイクは軽い口調で、だが優しくに労わるように話しかけ、ジュリスはいつもの喧しさと裏腹に、静かに手を握り締め、ダッシュは知りうる慰めの方法を幾つも試した。
だが、それでもラピスの悲しみが癒されることはなかった。
しかし、いつまでもそのままでいることも出来ず、後のことをジェイクに頼み、アキトたちは一足早くジャンプにより屋敷へと戻った。
レッドの遺体は身元不明なため、遺族が居たかどうかも分からず、そのまま共同墓地に埋葬された。
埋められるレッドの姿に、ラピスはルリに抱きつき、声を上げ泣いた。
そして、事件から三日後。
ダイオスの屋敷:ラピスの部屋。
部屋にある大きなベッド、そこでラピスは涙を流し、傍らにはルリがそっと寄り添っていた。
ラピスにとって、僅かな期間とはいえ共に行動し、心を許した相手の初めての死。
特殊な環境に生まれ、まともな人扱いをされずに育てられた。
だがそれゆえ、身近に接した人間を失うことを経験していないラピスは、その悲しみから立ち直れずにいた。
そして悲しみに暮れるラピスに、ルリもまた心を痛めていた。
かつてルリの元からアキトとユリカが消えたとき、目の前のラピスのように嘆き悲しんだ。
周りの人々はそんなルリを慰めようと様々な手を尽くしたが、それでも再び立ち直るまでに長い時が必要だった。
ラピスはどうだろう? 同じように時が癒してくれるまでこのままなのだろうか。
ルリは自分の力でラピスを救えないことを悔しく思い。
だが同時に、ルリの時にはいなかった、自分たちが心から求める人物ならラピスを悲しみから救い出してくれるのではないかとも期待していた。
不意にノック音が聞こえる。
声を返せずにいると、中の人間の返事も待たずに扉を開け、アキトが入ってきた。
その姿はもう戦装束ではなく、いつも屋敷で着ているような軽い服装。
部屋に入るなり、アキトは二人の元へ歩み寄る。
そしてベッドに座るラピスと目線を合わせるようにしゃがみ込む。
「ラピス」
アキトは穏やかな、だが力強い声で呼びかける。
ラピスもそのアキトの声に、泣くのを止め顔を上げる。
そんなラピスに優しげな目を向け、アキトは語りかける。
「ラピス、悲しむのは悪いことじゃない、それはきっとラピスが彼女のことを大切に思っていたからだろう」
そこで一度言葉を止める。
今まで向けていた優しげな雰囲気から一転、厳しく諭すように言葉を続ける。
「だが、悲しむだけで終わりにしてはダメだ。もし死んだ者を大切に思うなら、その人のことを心に秘めて次の足を踏み出すんだ」
慰めではない。
「ラピスがその人により変わり、そのラピスがすることが他の誰かを変えていく、そうやって人の生きた証は受け継がれていく」
いつまでも塞ぎ込んでいるな、とまるで叱るかのようにアキトは語る。
「だから、今何をするべきか良く考えろ。命をかけて守ってくれた人に恥じないように」
最後まで語り終えた後、アキトは黙ってラピスを見る。
そんなアキトを呆然と見返していたラピスだが、言われた言葉を反芻し、物思いに沈む。
そのラピスの様子を確認し、アキトは扉へと歩き出す。
と、アキトが扉を開こうと手を伸ばしたあたりで、突如ルリがその背中に声をかける。
ルリは今この時に事件以来、心に秘めていた考えをアキトに打ち明けようと決めた。
「アキトさん、私に戦い方を教えてくれませんか?」
「なに?」
予想もしていなかったその内容に、慌てて振り向く。
「私はあの事件のとき、迫る暴力に何の抵抗も出来ませんでした。でも次にこんなことが起こったときに、せめてラピスだけでも守れるだけの力が欲しいんです」
アキトを見据え、静かな、だが確かな力が篭った声で話す。
「もう、何も出来ないのは嫌なんです。せめてラピスだけでも逃がしたかった――でもそれさえ私には出来ませんでした。だからお願いします。私に守る術を教えてください」
「……俺が二人を守る、だからそんなことを覚える必要はない」
ルリの瞳を見続けることが出来ず、視線を逸らしながらもアキトはルリの願いを拒否する。
アキトは後悔していた。自分が油断さえしていなければ二人が攫われることもなかっただろう、と。だからもう二度とこんなことは起こさせないと心に誓っていた。
だから、そんなことをルリにさせるのは、感情的に納得出来ない。
だが、そんなものがルリの願いを止める理由になるはずがないから、耐え切れず目を逸らす。
アキトとルリ、二人の間に沈黙が落ちる。
だがこの場にいるもう一人が、その沈黙を打ち破る。
「アキト、私にも教えて」
「なっ」
そのラピスの言葉に、アキトは思わず身体ごとラピスの方へ向きかえる。
「何を言っているんだ? ラピスがそんなことをする必要はない」
だがラピスは、アキトに否定されたにも関わらず、先ほどのルリと同じようにアキトの目を真摯に見詰め、心の内にある思いを口にする。
「私もルリ姉さんと同じ、何も出来ないのはもう嫌。守られるだけなのはもう嫌。命を懸けてまで庇ってくれたレッドみたいに、アキトや姉さんを守りたい。だからお願いアキト」
「だ――」
「アキトはさっき言った。レッドのことを思って、そしてすることを考えろと。だから私は考えた」
「……………………………………」
だめだ、そう言おうとしたが、続くラピスの言葉に阻まれ口を閉ざす。
ラピスがアキトの言うことに従わなかったのは初めてのことだ。先ほど伝えた言葉、それに自分なりの答えを見つけたのだろう。
向けられるまなざしには、強い意志が篭められている。自分の言葉に逆らうのも、これほどの意思を見せるのも初めてのことだ。
ラピスの願いもルリと同じ、ただ大切な者を守りたいという、それだけの、だが心からの想い。
その純粋で強い願いを――阻むことはできなかった。
「――わかった」
ポツリと呟かれた、二人の願いを認める、と。
「ありがとうございます」
「ありがとう」
それに礼を言う二人を尻目に、思わずアキトからため息が漏れる。
何でこんなことになるんだ?
なぜか当初予定していた結果から大きく外れてしまい、不満が残る。
そんな風にアキトが内心で愚痴を溢していると、扉をノックする音が聞こえる。
部屋の住人からの返事がないのに、扉が開かれラード兄妹が入ってくる。
いつも通りだるそうな雰囲気を周囲にばら撒きながら、ジェイクが、同じくいつも通り傍目にも分かるほどの元気さでジュリスが三人に近づいてくる。
「おっ、ラピス。泣くのは止めたみたいだな」
軽く手を挙げ、ジェイクはそう話しかける。
「ラピス、元気出してね」
ジュリスも明るく声をかける。
兄妹は部屋に入ったとき、ラピスの様子が先ほどまでと違うことを感じ取り、それならと普段のように接することにしたのだ。
「はいアキト、持って来たよ」
そう言ってジュリスは、懐から何か取り出す。
一つは虹色に輝く貝の髪飾り。
そしてもう一つは、コンパクトミラー。
あの事件で失われた、アキトから二人への贈り物。
ジュリスから受け取ったそれらのうち、髪飾りをルリへ渡す。
ルリは嬉しそうにそれを受け取り、笑顔で、ありがとうございます、と礼を言う。
そして残りのコンパクトミラー、それをラピスへと手渡す。
「――アキト」
ラピスはミラーを受け取りつつ、どこか戸惑ったように上目遣いにアキトを見上げる。
そんな風に見られ、アキトは少し恥ずかしそうに頬を掻く。
「その……な。さっきはきつく言ったけど、そのなんだ……元気出せ」
とにかくそう言うなり、ラピスの頭を撫でる。
そのアキトにルリは軽く微笑しつつ、少し強めに、キュッ、とラピスを抱きしめる。
そんな心温まる光景を横目に、ジェイクがいらんことを口にする。
「アキトが考えたアメとムチ作――」
その言葉を言い終わる前に、ジュリスにより床に沈められる。
クスッ
周りの人々の深い思いやりが、ラピスに失われていた笑顔を取り戻させる。
「おっ、見ろ見ろ、ラピスが笑ったぞ。俺の考えた作戦は見事に成功したようだな」
床に這い蹲りつつ、顔だけ上げてラピスの様子を確認していたジェイクは、そんなことをのたまう。
そんな兄に妹は白けた目を向け、ルリは相変わらずの兄妹に苦笑を浮かべる。
そして、
アキトは、ラピスに穏やかに尋ねる。
「元気出たか?」
それにラピスは、
「うん」
満面の笑みで答えた。
あとがき
とにかく今回の話はラピスがメインでした。
最後に方でルリとラピスが鍛えて欲しいと言ってますが、本人達もアキトや北辰みたいな超人クラスを目指しているわけではなく、自分たちの身を守れる、襲われても逃げられる、というレベルを目標としています。
次の話はどうしようかな……。
まだ決まってないので遅れるかもしれません。最後の方とかは決まってるんですけど、間がスカスカ……。
ちなみにルリの髪飾りですが、買った後着けてて、襲われたときに失くしたというつもりが、書き忘れてました……ごめんなさい(死)
代理人の感想
ラピス成長の話ですな。
最初から最後まで、かなり綺麗に纏まってると思います。
後はまぁ、文章で緊張感が出せれば。