夜の帳に包まれるジュエルシティ。


都市部の一角を占める巨大なグラウン支部、その最上階にある会長が滞在するように造られた特別室にて、現在ディオスとカザハ、フウカは穏やかなひと時を過ごしていた。


「フウカ、良かったわね」


妹のフウカが初めて出来た友だちであるラピスのことを嬉しげに話す様子に、カザハはそっと頭を撫でてやる。


その撫でられる感触が心地よくフウカは目を細める。


傍目にも仲が良いことが窺える姉妹、今は室内用の服装に着替え、フウカは一本に束ねていた髪を流している。


そして、昼と違うところは他にもあった。


カザハとフウカ、昼は確かに青かった二人の瞳は、今は輝く黄金色に変化している。


外に出るときは常にカラーコンタクトで瞳の色を隠している二人。身内しかいない今だけは、その本来の美しい色を取り戻していた。




ディオスが静かに見詰める中、フウカが話し、カザハはそれに相槌を打つ。


そんな姉妹の語り合う様子を眺めながら、ディオスは二人に出会った当時のことに思いを馳せていた。

























数年前。


ボソンゲートの事故があった。


本来ならディオスもこの事故に巻き込まれていただろう。


だが急を要する仕事が入り、結果、妻であるシルヴィアと一人娘のシリアだけがその事故によって帰らぬ人となった。





突然の愛する妻子の死、


それはディオスを、悲しみのどん底へと突き落とすのには十分過ぎた。


しばらくは何も手に着かず、無気力に過ごす日々が続いた。


だが、すでに会長職を父であるダイオスから引き継いでいたディオスに、いつまでも悲しみに暮れることは許されなかった。


心に開いた、がらんどうな隙間。


酷く世界が色あせて見え、ただ空虚さだけがあった。


それを紛らわそうと、ディオスは次第に盲目的に仕事に打ち込むようになっていった。










そんな日々の中、


届けられた一通の報告書が、新たな出会いを生むことになる。

























グラウン某研究施設。


その施設内の一角にある一室。


薄暗いその部屋に設置された大きなベッドの傍らで、二人の少女が手を取り合い、床に足を投げだし座り込んでいる。その二人が触れ合わせる手と反対の腕には鎖が繋がれ、いかなる理由か傍にあるベッドにその身を囚われているようだ。


少女たちの年は少し離れている、一人は十代中ごろ、もう一人は十に届かないほどの幼さ。


そして美しい、ため息さえ漏れるほど完璧な美しさをもった少女たちだった。


長く艶やかな乳白色の髪、普通ではありえない黄金の瞳、容姿は完璧なまでに整い、華奢な身体、それらが儚い、まるで現実に存在していないかのような印象を与える。


その少女たちは、鎖で囚われているというのにまるで気にすることもなく、ただ互いの手を握り締め、虚ろに壁を眺めていた。


二人は口を閉ざし、他に音を発する物もない部屋は、ただ無機質な静寂のみが支配していた。


と、暫くすると、唐突に扉が開く音が部屋に響いた。


開かれる扉、そこから一人の男が入ってくる。


部屋が薄暗く顔が良く見えないが、少女たちはその男を知っていた。


自分たちの生みの親、と。





男は科学者だった。それも間違いなく天才と称されるほどの。


そして男が幾つも抱えている研究の一つ、前大戦時に遺跡から発見された特殊なウイルスの研究というものがあった。このウイルスは機械類に感染し、誤作動を引き起こす。内部構造にもプログラムにも異常がないにも関わらずだ。


前大戦時には一時期兵器としても使われたが、効果を発揮しないことも良くあり、それほど有用では無いと判断され運用は中止された。


男はこのウイルスの性質に興味を引かれ、研究を進めていくうちにある程度だがウイルスの性質が分かってきた。


解明が進んでわかったことだが、このウイルスはプログラムのようなもので、外部からの命令を受け、その通りの効果を発現するだけのものだった。あまり効果を発揮しなかったのは命令が与えられていなかったためで、誤作動を引き起こしたのは、命令を受けたとウイルスが誤認識して発現していたためだ。


この結果から男はこのウイルスがナノマシンの一種なのだと理解した。現状の人々が使っているものとは違うが、命令を実行する超々小型の機械であることにはかわらない。


ふと、男は面白いことを思いついた。もしこの特殊なナノマシンを人が自分の意思で操れたら、IFSインターフェースを持たない機械も自在に操れ、プログラム的な障壁を無視することも出来る。


丁度、他の研究で使う予定の実験体があった。それらは予定を変えてこのナノマシン用に使用された。


多数の失敗作を生んだが、実験は成功した。自在とはいえないが、ある程度の命令は操れる程度にナノマシンの制御を行える実験体が二人。


それが、今囚われている彼女たちだった。





入ってきた男に、


少女たちは、いつものように仕事かと気だるげに男の方へ顔を向ける。





だが、その振り向いた二人の視界には、鈍く光を反射する拳銃が向けられていた。






なぜ?



微かに驚きを浮かべ男に視線で尋ねる。


それに男は軽く肩をすくめ、面倒くさそうに答える。


「どうやらグラウンに私のことを知られてね。前々から決めていたように、そろそろ、グラウンからオサラバしようというわけだ」


それでな、と男は続ける。


「もうすぐグラウンの部隊がここに来る。私もすぐに逃げないとならないのだが……あいにくお前たちまで連れて行く余裕がなくてな」


ここでお別れだ。


そう軽く笑いかける。


だが、二人はそんな言葉が聞こえていないかのように拳銃に意識を囚われている。


それには男はつまらなそうにもう一度肩をすくめた。


(もう始末してしまうか)


そう考え、引き金にかけた指に力を篭めようとする。


だが、いざ最後の一押しをしようとしたとき、男に微かな未練が生まれた。


この二人は、今まで幾度となく重ねた実験の唯一の成功作だ。


データは既に確保してあるが、自分がその持てる力を結集して作り出した作品だ。


それを壊すのが――急に惜しくなった。


(そうだな、この二人は私の娘同然。なら少しは親としてチャンスを与えてやるか)


うんうんと自分に頷き、さらに男は二人に語りかける。


「お前たちに生きるチャンスをあげよう」


そう言って、銃口をわざと急所から外す。


「もしグラウンの部隊が来るまで生きていられたら、お前たちは自由だ。その後は好きに生きると良い」


これが私の親心だよ、とばかりに微笑む。


「あのお優しい会長殿なら、可哀想な実験体のお前たちは、きちんと保護してもらえるさ」


再び引き金に力を篭める。


「ああそうそう、お前たちのやったことは会長殿に言わないほうが良いぞ」


最後の忠告を与えた後、


部屋に銃声が二つ響き渡った。







銃弾を受け、少女たちは微かなうめき声と共に、腹部から血を流し崩れ落ちる。


その様子を面白そうに眺めていた男の背後より、新たに黒服の男が現れた。


「そろそろ時間です。急いでください」


「ああ、すまないね。もうやることは済んだ、行くとしよう」


部屋から黒服に続いて出る、


その前にもう一度だけ、男は少女たちを一瞥し、乾いた音と共に扉は閉ざされた。

























研究所に幾人もの武装した人間が突入する。


だが内部に人の姿は見当たらず、ガランとした空間には、あちこちに紙の書類や、データディスクなどが散乱している。


その状況から目的の人物がとうに逃げた後だと知り、部隊の指揮官は口惜しそうに顔を歪めた。


それでも施設内の調査を行わせるため、部下に指示を出そうとしたとき、


若々しい男の声が響き渡った。


「まだ人の気配がある、だが酷く弱弱しい。調査は後で良い、そちらに向かうぞ」


その声の主が誰であるかを知っている隊長は、即座に命令を部下にも伝え実行に移していく。


現れた人物、


名をディオス・グラウン。


彼らの頂点に立つ、グラウン会長であった。















(この部屋か)


ディオスが辿ってきた二つの気配、それは今、目の前にある扉の奥から感じ取れる。


扉はロックされておらず、まるで誘っているかのようだ。


何か罠が仕掛けてある可能性がある、と部隊の隊員が忠告するが、今に至るまで罠などその痕跡さえなかった。


だからディオスは、そのまま躊躇うことなく扉を開け中に入る。










部屋に入ったディオスは、その眼前にて、手を取り合い倒れ伏す二人の少女に思わず息を呑む。


少女たちは自らから流れる血の池に浸り、顔にも生気がなかった。


だがそれでも、血で汚れていようとも、その少女たちは思わず意識を囚われるほど美しかった。


(――っ、 何をしているんだ!)


一瞬、気をやっていた自分を叱咤し、少女たちに駆け寄る。


既に少女たちに意識はなく、肌からは完全に血の気が失われている。


呼吸は殆ど停止し、脈拍は弱く、体温も失われていた。


そのまま血に汚れるのも構わず少女たちの容態を確かめていたディオスが、もう一度その顔を窺うと、


不意に、少女たちのその閉じられている目から涙が零れ落ちた。


「…………………………」


それが、


酷く哀しく思えた。

























「う……」


白く清潔な病室、そこのベッドに寝かされている二人の紫銀の髪をもつ少女たち。


その内の年上の少女が、意識を取り戻す。


(……ここは? ――フウカ!)


ガバッと勢いよく身体を起こし辺りを見回すと、隣のベッドで幼い少女が眠っているのが分かった。


大切な妹の姿を確認できホッと一息ついた少女は、さらに自分たちの置かれている状況を把握しようと、もう一度部屋を見渡す。


(ここは……病院?)


今までに実際に見たことなどなかったが、少女に与えられた知識は、この場所を病院にある一室だと教える。


なぜこんな場所にいるのか――それを思い出そうとして勝手に体が震えた。


そして、脳裏に次々と意識を前のことが浮かび上がる。


銃口、


男の見下したような笑み、


銃弾が体を貫く焼け付くような激痛、


握り締めた妹の手から力が失われていく、


次第に意識が黒く染まっていく、


消えていく意識で救いを求めた……、


助けて欲しかった、


でもそんなものが与えられるはずがなく、どうしようもなく悲しかった、


そのまま意識を失ったのだろう。















(でもなに? 何か暖かなものが触れたように思えた)


意識がなかったはずなのに、何かが心に残っているように感じる。


だがそれが何か分からない。


(……そんなことより、これからどうなるのかしらね)


いくら考えても分からないため、とりあえず意識を現実に引き戻す。


助かったということは、男が言っていたようにグラウンの部隊に救出されたのだろう。


なら、これから自分たちはどうなるか……。


そこまで考えて、不意に少女の唇に自嘲気な笑みが浮かぶ。


(考えても仕方ないか。どうせ向こうの言うことに従うだけ……今までと何も変わらない)


これまで生きてきて、何かを決める権利など与えられなかった。


そして、それがこれからも続くだけ……。


諦めの境地で、少女はそれ以上思考することを止めた。


視線を傍らの妹へと向ける。


その後は、


少女の目覚めを知り担当の看護士がやってくるまで、ただ静かに眠る妹を見詰めていた。














翌日。


事前に告げられていたように、グラウンの会長が病室を訪れた。


扉を開け入ってくるその姿は、二人が想像していたものとは違って、若々しい青年のものだった。


だが例え若くても、彼こそがこの後の自分たちの行く末を決めるのだと、微かに体を緊張で強張らせる。


しかしそれは少女たちの顔に表れることはなく、傍目には感情がないかのような無表情を保っていた。






「僕の名前はディオス、ディオス・グラウン。グラウンの会長を務めている」


そう青年が二人に自己紹介をする。


「君たちの名前は?」


続いてディオスが、二人の名前を尋ねる。


それに年上の少女はしばし逡巡したが、感情の篭ってない声で答えた。


「私はカザハ、この子はフウカです」


「そうか……それは君たちを生み出した男が名づけたのか?」


逃げた男に関する報告書からは、そのようなことをする人間には思えなかったので、そのことを尋ねる。


それにはカザハは傍目には分からないほど微かに眉を顰め、先ほどよりさらに、冷ややかに響く声で答えた。


「自分たちでつけたんです……いけませんか? せめて名前だけでも、と望むのは」


他には何もなかった。


言葉にされなかったが、確かにそれはディオスに伝わった。


「……すまない」


だから謝罪する。その哀しい少女たちに、心を痛め。


だがそんなディオスの態度に、カザハもフウカもまごついたように顔を見合わせる。


まさか謝られるとは思わなかった……それも本当に心苦しそうにして。


「……いえ、構いません」


どうすれば良いのか分からなかったカザハは、とりあえずそう返しておいた。


そんな風に戸惑ったような少女たちに、ディオスは軽く微笑む。


だが、まだ尋ねなければならないことはあるため、再び表情を引き締め質問を繰り出す。


「……それで、逃げた君たちの生みの親。セキカワ・ヒデオの行方について何か知っていることはないか?」


それは何よりもディオスが知りたいこと。


しかし、カザハは顔を横に振り、


「申し訳ありませんが、私たちは知りません。あの男にとって私たちは道具でしかなく、大したことは教えられませんでしたから」


自分たちは何も知らないとディオスに伝えた。


(……何も知らないわけではない。けれど、それを……告げるわけにはいかない)


胸に重いものを抱え込んだような苦しさを感じながらも、それは表情に出さずに押し込める。


そんなカザハと、姉を心配そうに見詰めているフウカの様子を観察していたディオスは、微かにため息を吐き心に渦巻くものを掻き消し、さらに二人に語りかける。今度は柔らかな笑みと共に。


「……分かった。どうやら君たちは何も知らないようだ。それはもう良い。じゃあ次はこれからの君たちの身の振り方についてだが」


(いよいよ、か)


恐らくは今までと同じく、次はグラウンの元で道具として扱われるのだろうと、二人は諦観と共に受け入れる覚悟を決めた。


姉妹の顔には諦めが暗い影を落とし、虚ろな目をディオスに向ける。


そんな二人の様子にディオスは心苦しいものを感じたが、顔には出さず言葉を続ける。


「――君たちに決めてもらいたい」


「え?」


何を言われたのか分からず、カザハもフウカも呆気に取られたような声を洩らす。


「な、にを言ってるんです? 私たちを利用しないんですか?」


今までの完全な無表情が微かに崩れ、カザハは驚いたように聞き返す。


「君たちが自分の力を生かしたいならグラウンがその場を用意する。だがそれが嫌なら、君たちの望むようにしたら良い。ああそうだね、君たちの年齢なら同じ年頃の子はまだ学生だ。なんなら学校に行ってみるのも良いだろう。ちゃんと戸籍だって用意させてもらう」


いずれにせよ決めるのは君たちだ、とディオスは締めくくる。






自分たちで決める。


それまで一度としてすることがなかったことを許され、二人は互いに戸惑いを浮かべ顔を見合わせた。


(私がしたいこと……)


(何をしたいの?)


カザハ、フウカは今まで考えもしなかった自分の望みを探そうと、自身の心に問いかける。


だが……


(……わたしは何をしたいの?)


(……分からない)


分からなかった。


今まで希望さえ抱いたことはなく、自分の望みなど探しても見つからなかったのだ。


「くすっ」


思わずカザハから微かな笑いが漏れた。


(滑稽ね……決める権利など、あってもなくても同じだったということ、か)


フウカはどうなのだろう、と傍らの妹に視線を向ける。


だが同じだった。


幾ら探しても自分の望みなど見つからず、動揺したように目をキョトキョトさせている。


そしてカザハが見ていることを知ると、縋りつくように尋ねた。


「……姉さん……分からない。――見つからない……何も……ない……」


しかしカザハも何を言えば良いのか分からず、力なくその幼い体を抱きしめることしか出来なかった。















重い沈黙が部屋を支配していた。


カザハもフウカも、自身の望みというものがないことを思い知らされ、絶望したように互いに寄り添っている。


まるでそうしなければ崩れてしまうかのように、ディオスには思えた。


一切の、希望すら持つことが許されなかった姉妹に、ディオスの拳が震え、顔には怒りと哀しみをない交ぜにしたようなものが浮かんでいる。


(セキカワ……)


少女たちをこのような状態に追いやり、自身にとっても憎むべき男に対する憎悪で身が焦がされるようだ。


そのまま、さらに時計の針が数周するほどの時間が流れたころ、再びカザハが閉ざされていた口を開いた。


「……私たちには、何も望むことはありません。ですから、そちらで決めてください」


それまでの希望を抱かないようにしていた諦めとも違う、空虚なまでに乾いた声がディオスの耳に届けられる。


「……それで良いのか?」


感情を押し殺したゆえの、重い声でディオスが聞き返す。


「はい。私たちには何もありませんから」


何もない。


かつては与えられなかったために使われた言葉。


そして今は、何も手にすることがないと、絶望によって口に出された。


だが……


「それで……良いわけがあるか!」


そんなことを許せるはずがない。


放たれる大喝、それに姉妹は驚き体を跳ねさせる。


しかし、それに構わずディオスは続ける。


「良いか!? 今まで君たちが置かれていた状況がそんな状態を生んでしまったんだ。……だが、これからは違う。もう君たちは解き放たれている。だから今から考えれば良い。すぐではないかもしれないが、きっと見つかるはずだ。そのための時間だって幾らでもある」


最初の方は声を荒げていたが、次第に高ぶりを押さえ、再び落ち着いた声でそう諭す。


伝えられた言葉、


それにはいきなり叱られ驚きを浮かべていた二人も、再び考え込む。


今ではなくとも、いつかは見つかる。


そうなのだろうか……でも、そう考えると僅かに心が軽くなった。


少なくとも、絶望は薄れていく。


「どうせ、君たちは当分入院生活なんだ。その間に色々考えれば良い」


あるいは軽い冗談だったのかもしれないが、ディオスの言うとおり、二人は長期の入院を余儀なくされている。


時間があるのは確かだろう。


「……そうですね。ゆっくり考えることにします」


「……考えてみます」


だから、ディオスに向き合い、再び希望を持つことを伝える。


その言葉に絶望から脱してくれたのが分かり、それが嬉しくて、ディオスは二人に優しげな笑みを向けた。


トクン


不意にカザハとフウカの胸が高鳴る。


(なに?)


急に速くなった鼓動に驚き、二人は殆ど同時に胸に手を当てる。


と、その動作から自分だけの症状ではないと知り、二人は顔を見合わせた。


(どうしたの?)


(分からない)


視線だけで意思のやり取りを行う姉妹。


だがお互い答えを持っておらず、今の状態が何なのかは不明なままだった。


「じゃあ、そろそろ失礼するよ」


と、突如ディオスが退室を二人に告げる。


それが寂しさを呼び、カザハは思わず声をかけていた。


「あの……」


「ん?」


声をかけたは良いが、何を言いたいのか分からず後が続かない。


それでも、迷った末にようやく言葉を継ぎ足す。


「なぜ、私たちをそこまで気にかけてくれるんですか?」


そう、なぜこれほどまでに親身に接してくれているのかが分からない。


それが聞きたかったのだろうと自分の心を納得させる。


一方、尋ねられたディオスは困ったように、視線を彷徨わせている。


はっきりした答えは、彼の中にもなかった。


ただ、放っておけなかったのだ。


それは、二人を助けたときに流された涙ゆえだろうか。


先ほどまでに接した時間ゆえだろうか。


どうなのかはディオスにも分からない。


それでも、二人に何かしてやりたかった。


(おまけに、聞くべきことを聞かずじまいだしな)











「……上手く言えない。ただ、君たちに何かしてやりたいと思った」


結局は、心のままを話すことにした。


だがそれは二人に新たな衝撃を与えた。


自分たちを利用するなど考えず、ただ純粋に気遣ってくれている。


そんなことをされたのは初めてで、今まで感じたことのない暖かなものが心に宿ったように思えた。


「……もう行くことにする」


驚いている姉妹を尻目に、ディオスは扉へと歩き出す。


離れていくディオス、


もう会うことはないのだろうか。


そう思い当たったとき、不意に引き止めたくなった。


しかし、カザハはその思いを押し殺す。


(そんなことしても仕方ないでしょう)


引き止めてもどうなるわけでもなく、諦めたように俯く。


だがいよいよディオスが扉に手をかけようとしたとき、不意に幼い声が聞こえた。


「待って」


その声に呼び止められ、ディオスは振り向く。


そんな彼をじっと見詰め、フウカが言葉を続ける。


「あの、……また、来てくれますか?」


伝えられた願い、それにディオスは微かに驚きを浮かべる。


「フウカ」


そんな妹の行為を咎めるように、カザハが名を呼ぶが、


そこでディオスからの答えが返された。


「ああ、また来るよ」


(え?)


まさかそんな答えが返ってくるとは思わず、カザハは驚きで硬直する。


だがフウカはそんな姉を尻目に、僅かに声を弾ませ、ディオスに確認を入れる。


「きっとね」


「ああ、きっとだ」


ニッコリとフウカに笑いかけ、さらに硬直するカザハにも微笑んだ後、ディオスは病室を後にした。











ディオスが帰った後、しばらくはお互い黙り込んでいたが、不意にフウカが口を開く。


「姉さん、何か胸が暖かいよ」


そう不思議そうに、カザハに自分の状態を話す。


そして、それはカザハも同じだった。


今まで感じたことのない感覚。


(何だろう、嬉しく思った……嬉しい?)


不意に頭に浮かんだ言葉、知ってはいても、一度も使われることのなかったそれが、今の二人の状態を表すものだろう。


今まで、決して味わうことのなかった感覚ゆえに分からなかったのだ。


(嬉しい、か)


暖かさの正体が分かり、それをもっと感じようかというように胸にそっと手を当てる。


トクン、トクン、


手に伝わる鼓動。


先ほどまでの不規則なものと違い、落ち着きを取り戻していた。





そのまましばらく、じっと暖かな心地よさに身を任せていたが、不意に自分たちのしたことが思い起こされた。


(……私たちのしたことを知られたら、きっと許されない)


ディオスに告げずに隠したこと、それが深い罪悪感と、恐れを生む。


今までの暖かさが嘘のように急速に薄れ、後にはただ、寒々とした悲しさだけが残った。


(……でも)


それでも、また会いに来て欲しい。


それは自分のために何も望むことがなかった少女の、初めての願いだった。













一週間後。


約束どおり、再びディオスは姉妹の元を訪れていた。


とりあえず、挨拶や二人の容態を聞いたりと、話は続いている。


「それでどうだい。何か希望は出来たかな?」


以前訪れたときから今までで、何か答えが見つかったのかを尋ねる。


だがそれには、カザハは顔を横に振り、フウカは俯いてしまう。


今に至るまで自分の望みなど考えたことがなかったのだ、一週間程度に変わるはずがない。





今の二人状態なら、もしディオスがグラウンに来いと言えば、彼女たちはその通りにしただろう。


だがそれでは結局、自分の意思を持たず、ただ従うだけだったころと何も変わらない。


通常、人間にはどんなに些細なものであったとしても望み――欲望がある。


欲望といっても、裕福な暮らしをしたい、異性にモテたいといったような自分のためのものから、誰かのために何かしたいという献身的なものまである。


いずれにせよ、この欲望こそが人に活力を与える。そして、それこそが人間らしさを生むのではないだろうか。


二人にはそれが欠けているため、誰かに従うことでしか生きることが出来なくなっている。


だからこそ、何か自分を支えるものを見つける必要があった。真に自分の意思で生きていくために。





「大丈夫だよ。今までが今までだ。そんなにすぐに変われるものじゃない。ゆっくりと探していけば良いさ」


姉妹が落ち込んでいるように思えたディオスは、そう言って励ます。


ディオスとしても、一週間やそこらでどうなるものでもないことは分かっていた。


だがそうやって尋ねることで、彼女たちが自己を見詰める刺激になれば、と考えてのことだ。


「はい」


そんなディオスの気遣いに、二人は感謝したように頷きを返す。


それからは、しばらく他愛もないことを語り合い、ディオスが帰るとき再び約束が交わされた。


また来る、と。







その後は、大体週に一、多くて二度ほどのペースでディオスは病室を訪れるようになっていった。


会長として激務をこなしているディオスが、なぜこれほど二人の元を訪れているのか本人にも分からない。


だがいつしかディオスも、この姉妹と過ごす時間が心安らぐものになっていた。


二人が特に何かしたわけではない。


ただ、ディオスが病室を訪れると、表情は相変わらず殆ど無表情だが、どことなく嬉しそうな雰囲気を感じさせる。


そしてディオスが語りかけ、姉妹はポツリポツリと言葉を返す。


ディオスが何も話さないと、極稀に二人からも話しかけてくるが、それ以外は静かなときが流れた。


これは気まずい沈黙ではなく、相手がそこにいることを望み、互いを受け入れあっているがゆえの、心地よい静けさだ。


時間が来るとディオスは、また来る、と約束を残して退室する。そのときだけは、姉妹はどことなく寂しげな空気を纏っていたが、概ね穏やかなときが過ぎていった。








そんな今まで味わうことのなかった安らげる日々。


それが姉妹の傷つき、凍りついていた心を癒していく。


そして次第に、彼女たちはディオスに惹かれていった。







だが、同時に抱え込む秘密が彼女たちを攻め立てる。



「何か顔色が良くないけど、具合が悪いのか?」


「……いえ」



罪悪感が胸を締め付け、心に刺すような痛みが走る。


それは、彼に惹かれれば惹かれるほど重くなっていった。







「姉さん――隠しているのが苦しいよ……」


「……でも……それは……」


恐ろしい。


きっと許されないだろうと。


でも、もう無理だった。


少女たちは、ディオスに全てを告げる決意をする。たとえそれによって、自分たちがどうなろうとも。


これ以上、黙っていることには耐えられなかった。

























「……どうかしたのか?」


その日も姉妹の病室へやって来ていたディオスは、二人の様子がおかしいことに気づき尋ねる。


しかし二人は返事もせず、思いつめたように俯いたままだ。


「何かあったのかい?」


その二人の態度にディオスは再び尋ねる。少女たちを安心させるように、優しげな声で。


そのままディオスは、二人が話してくれるのを待つように黙り込む。


しばらくは誰も口を開かず、病室は不透明な静けさに包まれた。


「……お話したいことがあります」


長い沈黙のすえ、カザハが重く閉ざされていた口を開き、話し始めた。


ディオスはそれに黙って耳を傾ける。


「……以前、ボソンゲートの事故であなたの奥様とお子様が亡くなられましたよね」


カザハの口から紡がれる声は震えており、表情には暗く影が落とされている。


同じく俯いていたフウカがそっと姉の手を握り締める。


伝わる妹の暖かに勇気を貰い、揺れていた決意を再び固めたカザハは、ディオスの目をしっかり見詰め今まで隠していた秘密を語る。


「――あの事故は、私たちが行ったことです。私たちが誤作動を引き起こすように仕向けたんです」


それ以上はディオスの顔を見ていることは出来ず、力尽きたように再び顔を俯かせる。


それから、長い沈黙が続いた。


姉妹にはもう何も話すことはなかった。


後は、ディオスの審判を待つばかり。


恐らくは、かつてのように道具として使われる、もしくは処理されることになるだろう。


もう、自由などは決して得られない。


それでも、二人はディオスに隠しておくことができなかった。


「……そうか」


重苦しい静寂を破り、ディオスの低く抑えられた声が口に出された。


その声を恐れるかのように、姉妹は今だ繋がりあっていた手に強く力を篭める。


そして、次には如何なる罵声を浴びせられるのかと、華奢な体を強張らせる。


だが少女たちが予想したのとは裏腹に、そのようなものはいつになっても来なかった。


ディオスがどんな状態か知るために、恐る恐る顔を上げる。


そこでは、ディオスが哀しげに二人を見詰めていた。


それがむしろ罵倒されるより、尚、二人の心を痛めつける。


「あ……」


思わず声が漏れる、


そして、視界が滲んで、ディオスの顔が良く見えなくなっていく。


二人は自分でそれと気づかないまま、涙を流していた。


自分たちの行ったことが、償うことさえ出来ないほど、罪深いことであると思い知らされて。


もう言葉を発することも出来ず、姉妹はただ涙を流し、ディオスに頭を下げる。


決してディオスは自分たちを許さないだろうと、心が砕けるような苦しさを感じながら。


だが、


「……知ってたよ」


ポツリ、とディオスが洩らす。


それが意味することが分からず、驚愕を浮かべ二人は顔を上げる。


驚きのあまり声も出すことが出来ない少女たちに、ディオスはゆっくりと語りかける。


「俺に報告された情報には、セキカワがあの事故を仕組んだとあった。――そして、セキカワが命令し、君たちに行わせたのだとも予想がついた」


「……なぜ? ……知っていたのに、なぜ私たちを責めることをしなかったんですか?」


かすれた声で、カザハが問いただす。


「セキカワに命令されて、そうするしかなかったんだろう?」


「……そうです」


その通りだった。


命令に従わなければ、拷問されるか、薬で意思を奪われる、最悪は処分されていただろう。


だから出来たのは、逆らうこともせず、心を凍てつかせ従うことだけだった。


「……それでも、私たちが実際に手を下したんです。私たちが憎くないんですか?」


(憎い、か)


ディオスはまるで内にある激情を抑えるように、両手を硬く握り合わせる。


心の内に、黒い憎しみが渦巻く。


だが……それを彼女たちに向けるなど、絶対に間違っている。


これほどまでに心優しい少女たちを苦しめ、そして愛する妻子を奪ったのは、


真にこの身を焦がす憎悪を受けるのは――


(セキカワ……貴様だ)









ディオスは高ぶった感情を抑えるために、数回ゆっくりと深呼吸を繰り返す。


そう、この少女たちは只の被害者だ。


ディオスの脳裏にいくつもの光景が浮かぶ。


研究所で涙を流していた彼女たち、


初めて病室を訪れたときの感情を失くした様な無表情、


去り際に、垣間見えた寂しそうな姿。


「俺は、君たちを憎むことは出来ない。君たちがどれほど傷ついているか知っている」


ディオスが、カザハとフウカの繋がれた手に、自分の手も重ねる。


初めて触れ合った手から伝わる暖かさ、それが心を癒してくれているように思えた。


「だから君たちを助けたい。苦しみから開放してやりたい」


そう言い、静かに微笑む。










「……ぅ、ぁあああああ……」


再び、二人頬を涙が流れ落ちる。


しかし今度は、哀しみからではない、罪の意識からではない、


自分たちの罪を知ってなお受け入れてくれたことへの、どうしようもない喜びが抑えきれずに涙となって零れていく。


ディオスはそっと、二人の華奢な肩を包み込むように抱きしめる。


その後病室には、姉妹の感極まった嗚咽だけが、いつまでも聞こえていた。










「じゃあ、また来るよ」


どれほど経ったか、


ようやく泣き止んだ姉妹に、ディオスはいつものように別れを告げる。


それに二人は、目を赤くしながらも頷いて、同じように別れの挨拶をする。


部屋から出て行くディオス、


その背中を見詰める姉妹の瞳には、何か決意のようなものが宿っていた。








その夜、


静かな暗闇に包まれた病室にて、少女たちはお互いの意思を確認しあう。


「姉さん……私、やりたいこと見つけた」


「――同じね。私もよ」












五日後。


病室を訪れたディオスは驚いた。


どうしてかというと、カザハとフウカ、神秘的な白髪であった二人の髪が黒く変わり、黄金だった瞳は青くなっていたのだ。


「一体、どうしたんだ?」


驚いたディオスが聞くと、二人は染めたのだと言う。


そして今度は、どういうわけで染める必要があったのかを尋ねると。


二人は一瞬視線を交わしあい、カザハが代表して口を開く。


「私たちを傍に置いてもらえませんか? 今は髪だけですが、いずれ顔も変えます。ですからお願いします」


「なに?」


「私たちはあなたの力になりたい。ですが私たちが傍にいるのをセキカワに知られたら不味いでしょう。だからそれが分からないよう、姿を変えます。――ですからお願いします」


そう言って、深々と頭を下げる。


そしてカザハが頭を下げるのに続いて、フウカもまた頭を下げる。


「………………………………」


そんな二人に、ディオスは言葉もなかった。


二人の覚悟は本物だろう。


そして本心から、自分の傍にいたいと望んでくれている。


そんな二人の想いに、ディオスの心は揺れ動かされた。






一度、ディオスは深々とため息をつく。


(ダメなの?)


それに怯えたように、二人は焦りを浮かべ顔を上げる。


だが慌てて顔を上げる二人の視界には、柔らかく微笑むディオスがいた。


「――分かった。君たちには俺の傍で働いてもらう。――だが、髪を染めてしまったのは仕方ないが、顔を変える必要はない。セキカワに知られてもかまわない。いや、むしろ教えてやれ。それで仕掛けてきたら、こっちが逆に尻尾を捕まえてやるさ」


それに、と軽く片目を瞑り続ける。


「なにより君たちの場合、どこを変えて良いのか医者が分からない。手を加えるべき箇所がないと、まともな美意識をもっているなら断るだろうさ」


ディオスのの冗談には、カザハもフウカも顔を赤く染め、恥ずかしそうに俯いてしまう。


真っ赤になる二人に、ディオスは思わず声をあげ笑い出す。


「むっ」


笑われているのが納得出来ないのか、カザハは冷ややかな目を向け、フウカは涙を滲まし、睨む。


「ははは、すまない。――ああ、これからよろしくな」


そう言って二人へそれぞれ手が差し出される。


両手を伸ばしている姿は何か滑稽にも思えるが、二人はそんなことはどうでも良かった。


極自然にその手を取る。


溶け合う互いの熱に心まで温かさに包まれるように思えた。


「よろしくお願いします」


「……お願いします」


その二人の顔にはかつて決して作られる事がなかった、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

















「ディオス様――ディオス様!」


「――えっ? ……ああ、なんだい?」


過去の情景に意識を沈めていたディオスは、自分を呼ぶ声に現実へと引き戻される。


「どうされました? 声をかけても返事もなさってくれませんでしたが」


相変わらずの無表情だが、それでもディオスには少し不機嫌になっていることが分かった。


「――ああ、すまない。少しボーとしていてね」


とりあえず、フォローを入れる。


「そうですか。実はそろそろフウカを寝かそうと思い、その挨拶をしても聞いておられないようでしたので」


殆ど表情が動いていないが、機嫌が直ってないことは良く分かった。


「いや本当にすまない」


それには慌てて頭を下げる。


「……フウカも、こうしてディオス様が謝ってくださっているから、もう良いわね?」


「私は別に怒ってないよ」


「ありがとうフウカ。それでもう寝るんだって?」


姉と違い表情を色々変えるようになった少女は、嬉しそうに微笑む。


「はい。だって明日はラピスとまた会えるから、もう寝ることにしたの」


「そうか。そうだな、明日が楽しみだな」


ディオスもそんなフウカに柔らかい笑みを向ける。


その心には、かつてと違い次第に笑うときが増えてきた姉妹に対する喜び、今も自分の傍にいてくれることへの感謝があった。





そして、寝室へと向かうカザハとフウカを見送ったディオスは、彼女たちを苦しめ、そして自らの妻子を奪った男に対する憎しみをその心に浮かび上がらせる。


その表情には、苛烈なまでの怒り。


(セキカワ……)


必ず報いを与えてやる、と誓いを新たに、ディオスもまた部屋を後にした。














あとがき


今回はアキトたちが全く登場せず、ディオス、カザハ、フウカの紹介の話でした。ああ、次からはまたアキトたちメインです……たぶん。



えー本編について、新登場のセキカワ・ヒデオ、この人は明らかな敵役で、ヤマザキさん系の科学者(マッド)、名前も山の反対? の川です。


この人は自分の都合を最優先しますから、一度口にしたことでも、あっさりひるがえします。凄く自分に正直な人ですね。


カザハとフウカは、ルリとラピスが電子的なのに対して、物理的なハッカーです。


あとカザハとフウカが髪を染めたままにしているのは、元の髪色だと目立つのが嫌で、別に元に戻さなくても良いか、と考えているからです。――しかしこの理屈でいくと、ルリとラピスは目立ちたがりになるような……。



文章については、この話から登場人物の心の中は、他でも良くやられている ”(なんとかかんとか)”で書いていきます。


ついでに今回は出てこなかったですが『モニタ』→『ウインドウ』に変更します。二話書いてるあたりでナデシコ本編ではウインドウだなと気づいていながら使ってきましたが、気づくとどうしても気になるもので、やはり変えることにしました。


いちいち仕様が変わって申し訳ありません。






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代理人の感想

うーん・・・・・・・・ちょっと大げさすぎというか、いちいちどうでもいい事まで大仰に描写するのでちょっと油ぎって胃にもたれるというか。

一言で言えば「くどい」です。

 

>モニタとウィンドウ

モニタとウィンドウは全く別の物を指す言葉だと思います。

ナデシコでウィンドウと呼ばれていたのは空に浮かぶ「窓」で、モニタってのはそれを映すプロジェクターでしょう。

仕様と言うより誤用なので、本当にモニタでいいのかウィンドウでいいのかちょっと考えてみてください。

読んでる方にはなかなか分かりませんので。