目が覚めると、カヲリ君の心配げな顔があった。
時計を見ると午後1時。どうやら丸一日気絶していたらしい。
『美少女に傅かれての目覚め』と言えば、その手の趣味の人間にとっては夢の様な話かも知れないが、
戦う事を本分とする現役の軍人にとっては、屈辱以外の何物でもない。
しかも、これで二日連続だ。
己の不覚を深く恥じつつ、俺は、自分が倒れた後の事情を尋ねた。
カチャ、(ズズ〜ッ) カチャ、(ズズ〜ッ)………
カヲリ君が用意してくれたオートミール(勿論、まともな物)を胃に納めつつ話を聞く。
ベットの上で胃に優しい食事などを摂っていると、なんだか自分が重病人に成った様な気がしてくるが、
まだ足腰に力が入らないので仕方が無い。
正直、今思い返しても震えがくる。
あれはもう、ナデシコが誇る三人の鉄人にも匹敵しうる、イタリアンのシェフ級の技と言うべきだろう。
だが、殺人パイの効能はそれだけに留まらず、中将のハートへの破壊力も抜群だった。
彼女の話を総合すると『カヲリ君の複雑な立場を説明し、中将に助力を求める』という
本来行われる筈だったプロセスを吹っ飛ばして、後見人どころか養子縁組の申請が今日受理されたらしい。
つまり、ホシノ君に頼むまでも無く、既に彼女は、2198年の住人と成っていたのだ。
しかし、昨日の今日で養子縁組の手続きが出来るんだろうか?
夫の欄に両方とも同じ名前の記載された婚姻届を用意した事といい、意外と謎の人物だよな中将って。
いや、区役所等の手続きは、西欧州司令官の権限を利用すればなんとか成るかも知れんが、親戚筋を如何やって納得させているんだろう?
中将程の大物ともなれば、財産権とか遺産とかの問題は結構切実な筈だ。
金銭感覚ゼロのアキトの影響か、ハーデット姉妹もその手の事には無頓着だが、周りの人間までが、金に興味が無いとは思えない。
一度、中将の親戚筋のプロフィールを調べておいた方が良かもしれないな。
そんな事をつらつら考えている最中、ノックと共にサラ君とアリサ君が入ってきた。
「良かった。もう起きられるんですね提督。御気分は如何です?」
ふっ、君らがそれを言うかね。
「ごきげんよう、お姉様方。今丁度、前後の事情の説明が終った所なんですよ」
「ははっ、お姉様か。まだ少し変な感じもするけど、宜しくねカヲリ」
「イキナリな話で、御互い色々戸惑う事もあるでしょうけど、仲良くしましょうね」
「此方こそ。不束者ですが、どうか宜しく御願いします」
目の前で繰り広げられる初々しい姉妹の会話も、今の荒んだ俺の心を癒すには到らない。
そう。イジメとか裏切りとかってのは、やった方は直ぐ忘れても、やられた方は忘れないものなのだ。
万感の怨嗟を込め、俺はボソッと呟いた。
「裏切り者」
「再来年辺りには、お兄様が出来る事になると思うけど、あんまり甘えちゃ嫌よ」
「ちょ…ちょっと待ってよ姉さん。それは私のセリフでしょ」
「裏切り者」
「もう、お姉様方ったら。只でさえ厳しい恋路でしょうに、内輪揉めなど為さるなんて」
「そうね。先ずはライバル達に勝たないと。姉妹対決は、それからにしましょう」
お〜い、無視するな。とゆ〜か、どんどん話がキナ臭くなっていくのは何故だ。
ちょっと前までの爽やかな感じは何処行った。
内心の動揺を抑えつつ、俺は抗議の呟きを続ける。
「それはその……(ポッ)私にも好きな人がいますから」
「う…裏切っちゃってる、それとも」
「まあ。それで、その御相手は誰なのかしら?」
「やっぱり、例のシンジって子なの?」
「もう、お姉様方の意地悪。
まだ出会ってもいない相手について何を話せと言うんです」
「あっ、そう言えばそうだったわね」
「う〜ん。考えてみるとシュールな関係よね」
ふっ、所詮口では女に勝てんか。『女三人、姦しい』って言うしな。
敗北を悟った俺は、ささやかな復讐を諦め、改めて彼女達に話し掛けた。
「判った、俺の負けだ。昨日の事は忘れるから、チャンと話を聞いてくれ。
でないと、俺は今度こそ天に召されるかもしれん」
そう、時刻は既に2時15分。このままでは昨日の二の舞に成ってしまう。
如何にか体も動く様に成った事だし、早々に御暇したい所だ。
かくて、何やら物言いたげな中将の視線を敢えて黙殺し、俺は新結成された三人娘を急かして火星への帰路へとついた。
火星到着後、済崩しの認知を狙って整備班の所へ向かう。
だが、途中でエリナ女史に捕まり、今回の独断先行に付いての説教を受けた。
彼女の言い分はもっともな物であり、俺としては只々頭を下げるしかない。
病み上がりの身には正直厳しかったが、ハーデット三姉妹も一緒に謝ってくれたし、なにより、本気で心配してくれるエリナ女史の心が素直に嬉しい。
それだけに、己の所業に胸が痛む。
カヲリ君の養子縁組問題に対し、翻意を促すエリナ女史に敢然と反論するハーデット姉妹の姿が、一寸眩しかった。
二時間後。漸く溜飲が下がったのか、エリナ女史は、話をカヲリ君を受け入れる方向で進め出した。
その手際は、予め用意して在ったとしか思えない位そつが無く、カヲリ君の住居の手配から、反対派への事情説明まで、総てが恙無く進んでいく。
流石にアークに関する事は想像すらしていないだろうが、どうも俺の手の内は完全に読まれていた様だ。
にも関わらず、エリナ女史は、俺の不実を追及する所か、至らぬ部分を補ってくれている。
人間、こうやってチヤホヤして貰えるうちが華だろうな。
信頼という名の負債が、両肩にズッシリと圧し掛かってくるが、今は黙って耐えるしかない。
ハーデット姉妹と談笑するエリナ女史の後姿を頼もしく感じつつも、俺の足は鉛の如く重かった。
〜 午後7時 日々平穏店内 〜
いよいよ本日のメインイベント。全クルーへのカヲリ君の紹介が行われる。
と言っても、既に根回しは済んでいるので、単に自己紹介をするだけであり、彼女がナデシコの仲間と成る為の通過儀礼でしかない。
カヲリ君の協力により、寄宿舎生活中のハーリー君を除く地球在住メンバーにも来てもらっている中、俺は、台本通りに彼女の経歴を読み上げた。
「………というような経緯で、彼女はグラシス中将の『義理の娘』と成った。
戸籍上は、ハーデット姉妹にとって『義理の叔母』にあたる訳なんだか、外見年齢的には二人の妹といった感じだし、
彼女自身もそう扱われる事を望んでいるので、そのつもりで対応してくれ」
そう。ハーデット姉妹の両親が既に亡くなっている以上、彼女の養子縁組は、実はこのパターンしかあり得ないのだ。
いや正確に言えば、勿論結構な数があるんだろうが、ノーマルライフをエンジョイしているであろう親戚筋の誰かに、
『何も言わず、この子を娘にしてくれ』ってのは、如何考えても無理だろうし。
とゆ〜かこの場合、まだ中将に婚姻届を出さない程度の良識が残っていた事を喜ぶべきなのかも知れないな。
既に此方に届いていている、カヲリ君の帰還を催促するメールが、ちょっと怖い。
なにしろ、地球からの通信のタイムラグを逆算すると、向こうを発ってから1時間と経っていない計算になるのだ。
そんな事もあって、絶句するハーデット姉妹を尻目に、エリナ女史とカヲリ君が話し合った結果、
彼女には暫く、このまま中将の元で生活して貰う事となった。
それにしても、本当に『暫く』で済むんだろうか?
いやそれ以前に、中将が2015年への移住を認めるだろうか?
そんな根源的な疑問が残ったが、怖くて口には出来なかった。
まっ、アキトが帰ってくれば、きっと何とかなるだろう。
この件とは全然関係ない気もするが、そうに決まった。
かくて、内心の苦悩をひた隠しにしつつ、俺は半分自棄気味に声を張り上げ、カヲリ君に登場を促した。
「それでは改めて紹介しよう。彼女が俺達の新しい仲間だ」
ピラリ
ギリギリまで垂れ幕で隠して狙った演出効果は絶大だった。
左右にハーデット姉妹を伴ったカヲリ君が現れた瞬間、場が静寂に包まれる。
無理も無い。まさか本当に姉妹に見える外見とは思っていなかっただろうからな。
サラ君にメイクを頼んだ御蔭か、これまでより三割増で二人に似ているんで、予備知識のある俺でさえ、ちょっと驚いた程だ。
「初めまして、カヲリ=ファー=ハーデットです」
場の雰囲気に頓着する事無く、優雅に挨拶するカヲリ君。
それを合図にしたかの様に、某組織の面々の間から歓声が巻き起こった。
「いい!」
「凄いぞ! これまでには無かったタイプの娘だ」
「遂にノーブルな香の漂うハイソ系美少女までが参戦か!
く〜〜っ、最早ナデシコブランドだけで、全ての美女&美少女をコンプリートするのも夢じゃないな」
「やりましたね班長! 俺達は、又一歩野望に近づいたんスね!!」
「おうよ! だが、まだまだこれからだ。まだ見ぬ美女&美少女が俺達を待って………」
ボク、ボク、ボク………
「「「いるわけ無いでしょ!!」」」
ハーデット姉妹+同盟メンバーにボコられる某組織メンバー達。
もっとも、アキトが絡まないネタの所為か、じゃれ合いに近い物でしかない。
珍しく微笑ましいと言って良いレベルだ。
「だいたい何よ、そのハイソ系とかいうのは。まるでブランド品みたいな言い方、やめて欲しいわね」
珍しく乱闘に加わった上に、一人本気で怒っているハルカ君。
その外見から、色眼鏡で見られた経験が豊富なだけに、その辺りの事が許し難いらしい。
此処で、『萌えとは、そうした特定分野への嗜好から始まるものだ』なんて正論を言ったら、俺まで殴られそうだから止めておこう。
「そうですよ。第一、身分云々を持ち出すなら、ルリちゃんが一番高い筈でしょ?」
ややピントのズレた発言をする艦長。
場の雰囲気が緩み、ハルカ君もまた、毒気を抜かれた様だ。
こういうのが計算して出来る様になれば、彼女は管理職としても一流と言って良いだろう。
今はまだ天然なので、裏目に出る事の方が多いけど。(笑)
「チッ、チッ、チッ。実在のお嬢様とお嬢様キャラは似て非なるもの。実際の身分や資産なんて関係ないね。
見る者が思わず崇めたくなる様な、絶対的優位に裏打ちされた強者の余裕が産み出す、気高きオーラこそが重要なんだよ。
しかも、それがイヤミに成っちゃいけねえ。
一点の曇りも無き幼女の笑顔から、気怠げなを雰囲気を漂わせた有閑マダムの琥惑の微笑みまで、
該当するものは多々あれど、実際にその条件を満たす者が少ないのが、このキャラの奥深い所だ。
しかも、後者の場合は『奥様』もしくは『マダム』キャラと分類されるケースも多く……」
班長が、イネス女史張りに訥々と薀蓄を語っているが、もはや誰もそれを聞いてはいない。
パシャ、パシャ、パシャ…、
そう。事態は、既に次の段階へと移っていた。
「こ〜〜〜ら!! お前ら、誰に断って撮影会なんて開いてやがる。
それも、いきなり三人に決めポーズなんてさせる奴があるか!
こういうのはまず、ピンのバストショットかメンバーの集合写真風の物から始めるのがセオリーってもんだろうが!」
う〜ん。いきなりナデシコの洗礼を浴びてるなあ。
使徒に関するロクでもない予備知識も、彼らの情熱を寸毫も鈍らせなかったみたいだ。
とは言え、好き勝手に生きている様に見える北斗にも木連の守護神たる責務がある様に、彼女にも使徒としての立場があるのも、また確かな事。
仲良くなるのは結構だが、その辺をナアナアにしておく訳にはいかない。
「なあ班長。そのなんだ…歓迎してくれるのは嬉しいんだが、彼女が元使徒って事を忘れてないか?」
「おいおいシュンさんよ。今更そんなモンに拘る様な奴がウチに居るわけ無いだろ」
「悪いな。それでも俺は言っておかなければ成らない。
彼女は本来、人類とは相容れない存在。これは厳然たる事実だ」
そう。カヲリ君個人に関して言えば、俺は既に、全幅の信頼を置いている。
だが、このまま計画が進行すれば、最大で後14人もの元使徒を受け入れなければ成らない。
となれば、全員がカヲリ君の様にアッサリ受け入れられる可能性は可也低いだろう。
その時、彼女と彼女の兄弟達が如何動くか?
イザという時の保険の意味も兼ね、班長がこの辺をどう認識しているかは、是非とも知って於きたい所だ。
「まあ、シュさんの言いてえ事は何となく判るぜ。
でもよ、使徒っての本来、人間が辿る筈だった可能性の一つで、単一の存在故に他を排斥しようとするつう、
草壁みたいな行動理念の知的生命体なんだろ?
なら彼女は…カヲリ=ファー=ハーデットは使徒じゃない。少なくても俺はそう思うぜ。
それによ。万一、敵同士に成る日が来たとしても、思い出は無いより有った方が良いに決ってる」
何時になく淡々とした口調で語る班長。
以前からこの事は熟孝していたらしく、その顔と語り口には全く迷いが見られない。
やはり、余計な心配だった様だ。
照れ隠しに、ちょっと的外れな話題も振ってみる。
「本来なら彼と呼ばれる筈だった存在でもかい?」
「可愛いから許す!」
さよけ。
「って、誰だネコ耳なんて持ち出した奴は。
彼女は、お嬢様キャラなんだぞ。ヨゴレやキワモノなど俺が許さん!」
もはや辛抱溜まらんとばかりに、班長は撮影会の輪の中に飛び込んでいった。
その後ろ姿は、まさに漢のものだった。色んな意味で。
某組織が某同盟に初めて圧勝した宴の翌日。
俺とブロスさんは、地球在住メンバーの送迎に便乗し、カヲリ君に地球の佐世保まで送って貰った。
これにより、通常の航行手段に比べ、三日以上も早く目的地に着いた計算となる。
ブロスさんには、このアドバンテージを十全に生かし、その分スカウトに力を入れて貰おうという寸法だ。
この辺、政府のマークの緩く、しかも機転の効くプロスさんだから成立する技である。
無論、俺にはそんな適性など無い。だが、最初にスカウトに回るのは、どうしても欲しいあの人物。
それ故、居ても立ってもいられず、こうして無理矢理ついて来たという訳なのだ。
ちなみに、今日が休暇の最終日。
失敗が論外なのは勿論、天使が迎えに来てくれる約束の時に遅れる事も許されない。
はやる心を抑えつつ、決意も新たに気合を入れる。
そして、目深に被った帽子のつばを直しながら、プロスさんと共に路地裏を後にした。
スカウトA ― ユキタニ サイゾウの場合 ―
「こ、此処がそうなのか?」
「は、はい」
「「……………………落書き御殿?」」
〜 タタムぞボケが・ションベンたれ・ドタマかちわったろかワレ 〜
「これで、この店も見納めか」
〜 殺人マシーン・戦争の寄生虫・金の亡者 〜
「すまねえ、アキト。
俺はオメエを、現実から逃げてるだけの甘ちゃんとばかり思ってた」
〜 サイコヤロー・人でなし・黒服しか持ってねーだろお前 〜
「だが、ありゃ〜本物の地獄を知るが故のモンだったんだな。
本当にすまねえ。世間知らずの甘ちゃんは俺の方だったぜ」
〜 人類の敵・見境無しの色情狂・後ろから刺されて死ねスケコマヤロー 〜
ポン、ポン
「たった一月で、この有様た〜な〜
すまねえ。俺が不甲斐ね〜ばっかりに、こんな不様な最後を遂げさせちまってよう。
漆黒の戦神追悼番組で、ウチの名前が出さえしなけりゃ………
ふっ、この期に及んでグチかよ。いよいよもってお終めーだな俺も」
〜 ヘタレヤロー・ブルッてんじゃねーよタコションベンたれ・実はバッタにビビルんだぜコイツ 〜
「にしても、こうして繁々と眺めてみると、妙にアキトの事情に詳しい様な的外れな様な………
まっ、誹謗中傷の類なんて、そんなもんか。
ん?………これだけでも消していくか」
ゴシ、ゴシ、ゴシ、ゴシ
う〜ん。仮にもアキトの修行した店だから、周りが放っておくまいとは思っていたが、まさかそれがアダに成っていようとは………
これだから報道ってのは怖いな。
背中の風呂敷から覗くオタマが、また哀愁を誘ってくれるし。
ある意味、もう一寸だけ今後の展開を見てみたい気も………
「こんにちは。
御忙しい所を失礼ですが、少々お話を聞いて頂けますか?」
くっ、この状況で躊躇い無く声をかけるとは。
流石ブロスさん、ナデシコで揉まれた経験は伊達じゃない。
「ん? ああ、悪いがこの店は今日で閉店だ。
もう逆さに振っても目新しいモンは出無いぜ、ブン屋さんよ」
それまでは割とサバサバとしていた顔を歪め、此方を睨み付けてくるサイゾウ氏。
う〜ん、無理も無いが荒んでるな。
必死にプロスさんが誤解を解こうとしているが、頭から聞く気が無い様だ。
長期戦を予測し、退屈しのぎにサイゾウ氏が消そうとしていた辺りの落書に目をやる。
ん? こ…これは、
〜 テンカワ アキトは実はホモで受け。 サイゾウ(ハ〜ト)アキト 〜
「…………………………斬新な意見だな」
「なっ! ち…違うんだ! これは、いやその…」
俺の呟きの意味に気付き、サイゾウ氏が必死に弁解を始めるが、焦りまくっている所為か、まるで要領を得ない。
それどころか、そんな事実が無い事を『知っている』俺でさえ疑いたくなる様なウロタエぶりだ。
彼を安心させるべく、取り合えずフラットな口調ですっ呆けてみる。
「俺達は何も見なかった。そうだろ、プロスさん」
「え…ええ、そうですとも。
落書なんてどれも同じ。一々読むような奇特な人なんて居る訳無いじゃないですか」
「くっ、かたじけね〜」
既に涙目になっているサンゾウ氏。
どうやら、こうしたさり気無い優しさに触れるのは久しぶりの事らしい。
その御蔭か、その後の交渉は、割と和やかに進んだ。
だが、肝心のコック就任の件だけは頑なに固辞されてしまった。
本人曰く『悪いが他を当たってくれ。俺にはもう包丁を握る資格が無い』という事らしい。
それでも、一週間後の火星行きの輸送船が出る日まで熟考してくれる事を約束してくれたところを見ると、全く目が無い訳じゃない様だ。
極論すれば、彼が自信を取り戻してさえくれれば、後は何とでもなる問題だろう。
最大限の熱意を持って、スカウトに応じてくれる様アピールした後、さり気無く、名刺と一緒に輸送船のIDも渡しておく。
後は、彼が火星に来てくれる事を祈るのみだ。
その後も、ギリギリまでスカウト活動を続ける。
とは言え、目ぼしい人材がそうゴロゴロしている筈も無いので、当然、旧クルーへの再交渉がメインとなる。
正直、俺は望み薄だと思っていたのだが、その予測は嬉しい方に外れた。
なんと、本日交渉した12人中7人までが、再契約を受諾。
それも、『祖母の死を看取る事が出来たので、もう後顧の憂いが無い』とか『年老いた両親に、そっと背中を押されて』といった、
新たな決意を胸にしての参戦なのだ。
今回袂を別かつ事に成った者達にも、それぞれ譲れぬ理由があった事を知り、年甲斐も無く目頭が熱くなる。
あの大戦中、俺は本当に良い部下達に恵まれていたのだと痛感した。
まあ、『拘留中に付き合いだした彼女に振られたから』なんて奴も居たが、そんな事は如何でも良い。
この胸に滾るドス黒い何かは、きっと某組織の面々が代わりに晴らしてくれることだろう。
ともあれ、全体的に見れば大成功と言って良い結果だ。今夜は祝杯を挙げるとしよう。
かくて、まだ見ぬ勝利の美酒に心躍らせつつ、カヲリ君に送られ帰途につく。
だが火星駐屯地には、そんな俺を嘲笑うかの如く、ミスマル中将によって、信じ難い凶報が齎されていた。
呆れた事に、地球連合軍の一部隊が、木連に対し奇襲を計画していたのだ。
冷水を浴びせられた様に、浮れ気分が冷えていく。
今思えば、停戦から既に三ヶ月以上も経つというのに、延々和平調印式を先延ばしにしてきた理由は、恐らくこの計画の為だったのだろう。
一旦和平が樹立されてからでは、奇襲を仕掛けたら非難轟々だし、何より、奇襲そのものを仕掛ける事が難しくなるし。
俺の駐屯地就任が割とアッサリ認められたのも、或いはこうした背景が生み出したものなのかもしれない。
それを表面的な好事に浮かれて。挙句の果てに、此処までは全て、彼らの思惑通りに進んでいるという体たらくである。
しかも、起死回生のチャンスを狙おうにも、蚊帳の外にいる俺に出来る事など何も無い。
無理矢理しゃしゃり出た所で、相手に攻撃材料を与えるのが関の山だ。
『カヲリ君が三人居てくれたら』『せめて俺が公式の場に立てたら』
愚にも着かない考えがグルグルと頭の中を駆け巡る。
そんな自分を叱咤すべく、思い切り両頬をブッ叩く。
認めよう。これは俺の失態だ。自らの打った策によって自滅しただけだと。
辛うじて平静を取り戻し、グラシ中将とミスマル中将に激励のメールを入れる。
後はもう、二人を信じて待つ事しか俺には出来ない。
グラシス中将の安全だけは確保されている。
それが、この一件で俺の掴んでいる唯一のアドバンテージだった。
『 6月21日 曇り』
今日、数多の同胞達が、政治家共のエゴによって無残な死を遂げた。
一万人を超える犠牲者達の為に、暫し黙祷する。
「………という訳で、お爺様達の奮闘も虚しく。本日04:00、国交警備の名目で木連近在の宙域に駐留していた艦隊が奇襲を決行。
同日06:03、真紅の羅刹率いる優華部隊と接触。06:18をもって壊滅しました」
「そうか。で、この事実は」
「14:00、木連から地球政府に対し、正式に抗議を表明。
それに伴い、千人規模の人質の肉声と戦艦のスクラップの一部が届けられました。
それと、この件は政府だけでは無く地球の主要TV局にもリークしていたみたいですね。
地球では今、チャンネルを回せば今回の戦闘記録の映像が流れている様な状態ですわ。
もっとも、あれは戦闘と呼ぶに値しないでしょうね。一方的な虐殺ってことね」
「ははっ。北斗にとっちゃ、正に朝飯前ってわけだ」
「提督。余り、御無理はしないで下さい。
この惨事は決して、提督の責任ではありませんし、その………」
俺の軽口を遮る様に、心配げな顔で慰めの言葉を投げかけてくるカヲリ君。
やれやれ。平静を保った積もりだったが、それでも動揺が顔に出ていたらしい。
何せ、カヲリ君が持ってきたの資料からいくと、この会戦で死亡した将兵は、実に一万人以上。
捕虜になった者も、五千人を超えるという惨澹たる結果なのだ。
だが、大量の犠牲者が出た原因は、なにも北斗一人の所為ではない。
寧ろ全責任は、全艦艇の約三割が強襲揚陸艦という、敵地への上陸を前提とした艦隊編成をした人物にこそ帰されるべきだろう。
「大丈夫。予想以上の犠牲者数に驚いただけだよ。
それになんだ。確かに酷い結果だが、この作戦が成功するよりはマシな筈だ」
そう。もしも木連側が防衛線を突破されていれば、乗り込んだ陸戦部隊によって、この惨事を遥かに上回る数の犠牲者が出ていた事だろう。
呆れた事に、強襲揚陸艦には、完全武装の陸戦部隊一個師団だけでなく、BC兵器まで詰め込まれていたのだ。
これではもう、侵略戦争とさえ言えまい。
木連を壊滅させる事で、総てをウヤムヤにしようとしていた意図は明らかだ。
核兵器を使用しないのだって、単に木連のプラント確保の為なのだろう。
「それにしても、良くこんな杜撰な計画を実行する気に成ったもんだな」
計画書で読むだけなら、内容の悪辣さは兎も角、一分の隙も無い計画と言って良い物かもしれない。
だが、現実に照らし合わせた場合、彼我兵力をこうも此方に都合良く判断しているのは致命的な問題だ。
特に、幾ら奇襲を仕掛けるのに恰好のタイミングを狙ったとは言え、対北斗対策が全く採られていない点が理解できない。
この作戦を立案した人間は、これまでの戦闘記録を見ていなかったんだろうか?
「その計画書の作成者であるアンドリュー=ホーク准将は、敗戦の報を聞いた直後に自殺したそうですわ。その真意は既に闇の中ってことね。
ただ、敢えて私見を言わせて貰えば、計画強行の中心と成った人物が、オセアニア方面軍の司令官だったからじゃないかしら?」
成る程。戦時中、なまじクリムゾンの庇護下に在っただけに、現実が見えていなかったって訳か。
カヲリ君らしくない邪推って気もするが、今回の一件で、散々人間の暗部を見せられた後では、この程度の偏見がおこるのも無理ないだろう。
実際、彼女が嫌悪感を顕わにした顔なんて、初めて見るし。
ビィー、ビィー
「(クスッ)どうやら、お別れの時間の様ですね」
ナカザトが執務室を出た事を告げるブザーを合図にしたかの様に、元の調子を取り戻すカヲリ君。
そして、一瞬こちらを覗き込むと、彼女は満足げな微笑を浮かべた。
如何やら、今度は御眼鏡に適ったらしい。
そう、本番はこれからなのだ。ナカザトの前では、動揺など微塵も見せるわけにはいかない。
「それでは提督。またお会いする日まで、ごきげんよう。………………ジャンプ」
シュッ
「ふう」
ドタ、ドタ、ドタ、ドタ………………
おっ、来たな。
シュイン
予想通り、ナカザトが必死の形相で飛び込んできた。
珍しくノックを忘れた上に、声も出せないらしく、肩で息を繰り返している。
良いねえ。こういうのを見ると、逆にコッチは落ち着いてく感じだ。
「(ハアハア)た、大変です提督!」
「如何したナカザト、息咳切って。廊下を走らないのが、お前のポリシーじゃなかったのか?」
「生憎ですが、御得意の冗談に付き合っている暇などありません。緊急事態です!」
「緊急事態だと! まさかヤマダの奴がアマノ君にプロポーズでもしたのか!?」
「そういうプライベートなものじゃなくて、公務の話です!」
「なんだって! それじゃあ………」
「だあ〜〜〜っ! 黙って報告を聞いて下さい」
ちっ、公務ネタは潰されたか。こんな時に限ってカンの良い奴だ。
「本日06:03。我が地球連合軍の艦隊が、木連の優華部隊と接触。
同日06:18、壊滅致しました」
何かを振り絞るような沈痛な面持ちで、二番煎じの報告をするナカザト。
しかも、肝心の部分が抜けているし。
いかんなあ。5W1Hを明確にするという報告の基礎を忘れるなんて。
注意を喚起する意味も込めて、俺は先を促した。
「それで?」
「それで?『それで?』とは如何いう意味ですか!
数多の同胞達が戦死したんですよ! 他に言うことは無いんですか!」
「少しは落ち着け。それと、まともなコメントが欲しいのなら、その為のネタを寄越せよ」
「しっ…失礼致しました。此方に詳細が記載されております」
やれやれ。漸く後生大事に抱えている資料を渡してくれる気になったか。
これで、やっと50点。スパイ疑惑を避ける為には、残りもナカザト自身に語らせなくてはならない。
「ふ〜ん。コロニー群が見える前にインターセプトされたのか」
「左様であります。おそらくは、悪辣にも事前に情報をリークしていたのでしょう」
珍しく、自分の立場を自覚した仄めかしなどをしてくるが、今回は全くの濡れ衣だ。
この件は、一切木連に伝えていない。
何故なら、地球VS木連の戦いには干渉するべきでは無いからだ。
木連には多くの市民がいる。奇襲に参加した将兵達にだって家族がいる。
二つの陣営の未来を賭けた戦いの行方を、俺達の都合に合わせて決定するのは余りにも傲慢だろう。
仮に、その方が犠牲が少なく抑えられるのだとしても、決して行うべきではないのだ。
「悪辣って、お前なあ。それじゃ騙し討ちを仕掛けた地球側はどうなるんだよ」
「何を仰るんです提督。書類上部を良く御読み下さい。
前日の03:00に於いて、正式に宣戦布告がなされています。
従って、間違っても騙し討ちなどではありません」
「わざわざ通常回線を使用してるんで、木連側に届くのは、地球側の開戦予定時刻以後に成るような代物でもか?」
「国際法には抵触しません」
だあ〜っ! 昨今の士官学校ってのは何を教えているんだよ。
こんな法の抜け穴話を自信満々に語りやがって、この男は。
「そんな事より、提督。一万人以上の同胞が死んだんですよ。何か思う所の一つも無いんですか」
『五月蝿い。お前にそれを言われたくは無い!』と叫びたいのグッと堪えて、明後日の方を向く。
なまじ本気のセリフなだけに、顔を見ていると反射的にブン殴りそうだからだ。
暫し瞑目し冷静さを取り戻した後、俺は成るべく興味無さそうに返答した。
「ま、木連市民が犠牲に成るよりはマシなんじゃないか?」
「そんな事は当たり前です。自分が言っているのは、あの忌むべき悪魔。真紅の羅刹についてです」
「そりゃ、ボロ負けしたからそう言えるんだろ?
地球側が勝っていたら、木連市民はどうなっていたと思ってるんだよ」
いや、木連市民だけでは無い。
あの作戦が成功していたら、精神的には自滅していた兵士も多かった事だろう。
それどころか、口封じを兼ねて、戦争犯罪人として処断されていた可能性だって少なくない。
そう言う意味では、ベストと言えないまでもベターな結果だったと俺は思う。
「どうなってって、圧政から開放されていたに決まってるでしょう」
さも不思議そうな顔で予想外の返答をするナカザト。
御蔭で会話の擦違いに気付き、俺は慌てて書類をチェックし直した。
成る程。『思想統制された木連市民を解放する為の解放軍』に『軍事拠点を制圧する為の陸戦部隊』
極めつけは『木星を開放する為の新兵器』か。此処だけ『木星』と記載してあるのがミソだよな。
いやはや。誰が校正したかは知らんが、原本のドギツさを見事にオブラートで包んだもんだ。
ナカザト辺りでは誤魔化されるのも無理はない。
かくて、聞きたい事は聞いた………いや。正確には、何を言っても無駄だと悟ったので、何時も通り適当な相槌を打って御茶を濁しておく。
そう、もう結果は出てしまった事だ。そして、俺には繰言など言っている暇は無い。
ナカザトの退室後、暫し戦死した将兵達の為に黙祷を捧げる事で、俺はこの件にケリを付けた。
遅めの夕食を摂った後、俺はこれまで先送りにしてきた問題の再検討を始めた。
色々あったんで忘れていたが、一週間後には火星到着以来初の全体会議が開かれる。
しかも、その席で実質的な行動内容が話し合われる事に成っているのだ。
艦長達同盟の………いや、おそらくはナデシコクルー全員が、邪魔するものは鎧袖一触に薙倒すつもりでいる事だろう。
その想いに水を差す気は無いが、アキト帰還の為の条件に『向こうの世界の存続』が含まれている故、余り無茶な事はしたくない。
裏の事情を語る訳には行かない以上、なにか暴走を規制できるネタ。それも、出来ればアキトの事とは別口のものが欲しい所だ。
無論、これは二次的な問題にすぎない。
最大の懸案は『2015年という全くの異郷の地で、如何に戦うか?』だ。
持ち込む戦力については、既に此処火星にて建設される新造艦を使用する事が決定している。
物はと言えば、ワンマンオペレーションの試作タイプを組み込む為だけの機体で、将来ナデシコBを建造する上での雛型となるものらしい。
随って、火力はナデシコAの約63%という体たらくだが、対使徒戦に使用するには充分だろう。
そもそも対使徒戦にはエステバリスをメインに使用する予定なので、『敵を倒しました。めでたし、めでたし』の話であれば、戦艦自体が必要無い位だ。
おまけに、グラビティ・ブラストで使徒を殲滅した場合、カヲリ君が使徒の魂(?)を回収出来なくなる危険性が高い。
そんな訳で、新造艦の主な仕事は、第三新東京市での情報戦と、かの地でのクール達の生活拠点となる予定である。
何かが決定的に間違っている気がしないでもないが、そんな事はこの際どうでも良い。
問題は艦を維持する方策。
そう。戦艦とは恐ろしく消費の激しいものなのだ。
単艦での長期運用を極限まで突詰めたナデシコAでさえ、補給無しでは半年と持たないだろう。
まして試作機ともなれば、メンテナンスが頻繁に必要となる。
従って、2015年にも補給基地が必要なのだが、その建造が実に難しい。
と言うのも、ネルフには強制徴発件・強制徴兵権・情報統制権・資産凍結糾合権・その他モロモロ………ほぼ総ての強権が集中しているからだ。
ここまで来ると、法的根拠を伴った『お前の物は俺の物』だと言っても過言ではあるまい。
流石にA―17(ホシノ君に2015年のデータベースを洗って貰った所、使徒捕獲作戦を展開するにあたって世界規模で資産凍結が行われる理由は、
他の組織の横槍を防止と無条件かつスムーズな徴発の為なんだそうだ)の様な無茶は、まだ行われていないが、
その横暴ぶりは、現時点でも世界各国で非難の的に成っている程だ。
まして、大義名分の揃う戦時下ともなれば、ネルフは………特に碇ゲンドウは、どんな無茶な強権の発動でも、寸毫も躊躇うまい。
つまり、此方が作った補給基地を、完成した順に徴発する事さえネルフには可能なのだ。
無論、実力で徴発を回避するのは簡単だが、それをやったら最後『人類の敵』の汚名を着る事になる。
ネルフ側の非道を訴えたところで、此方は所詮アウェーの立場。
世界征服でもして情報統制を行わない限り、民衆を敵に回す事は避けられないだろう。
そうなったら最後、力による排除は不可能となる。
暴徒と化した民衆の虐殺など、間違っても艦長達にさせる訳にはいかないからだ。
では、一体如何すれば良いのだろう?
寝食を忘れ、打開策立案に頭を回転させる。
だが、問題を再検討しているだけなので、実際には只の空回りに過ぎない。
それが分かっているからこそ悔しく、だからこそ考える事を止める訳にはいかなかった。
そして、立場上、その事だけを考えていられる訳ではない。
曲りなりにも司令官の身。その日の深夜、敗戦に関する対策会議とやらで、急遽地球に呼びつけられた。
当然ながら、今回はカヲリ君に頼る訳にはいかない。
火星駐屯地備え付けのチューリップからジャンプして、ターミナルコロニーでの各種チェックをキャンセルし、
チャターした高速シャトルで一気に降下。
そんな辟易する様な強行軍でさえ、普段5分と掛からず行っている地球行きが、約58時間も掛かるのだから笑ってしまう。
そして、愚にも付かない内容の会議の日々。
昼は、責任の擦り合いをするだけの無意味な討論。夜は、政府高官主催にて、前後の事情を無視したパーティという体たらくである。
とは言え、出される料理と酒には罪は無い。
生オーケストラが演奏する交響曲第七番を聞きながら、主催者秘蔵というふれこみのワインを片手に俺は言ったものだ。『うんめぇ』と。
また、ふと目にした街ビルの広告塔に映っていた、ホウメイガールズの歌声に勇気付けられた事もあった。
そして、帰還途中のシャトルの中で、ナカザトと何時も通りの掛け合い漫才をしている時。
突如、俺の中に天啓とも言うべきアイディアが浮かび上がった。
「そうか。じゃ、独立宣言を出して火星で第三勢力でも気取るとしようか?
そうなると俺は独裁者だなあ。お前、万年二等兵と一生便所掃除のどっちが良い?」
うん、これだよコレ。
〜 6月27日 火星駐屯地会議室 〜
「あ…悪の秘密結社ですか」
艦長がフラットな口調で、オウム返しに俺の発言を繰り返した。
流石の彼女と言えど、この画期的なアイディアには度肝を抜かれたらしい。
正直、ちょっと気分が良い。
「反対だ! 断固、反対だあ!!
一体何を考えてるんだよ提督。愛と正義の為に戦い抜いた、あの輝く様な日々を忘れちまったのかよ!」
輝く日々ねえ。反対は、まあ予測通りだったが。
やれやれ。停戦からまだ半年と経っていないと言うのに、どうもヤマダの中では、あの戦いが美化400%を突破しているらしい。
将来、何かの間違いで、コイツが木連戦争のドキュメンタリーを書いたりしたら、かなり嫌だな。
「反対!反対!反対!反対!………」
「落ち着けヤマダ。
別に本気で世界征服に乗り出そうって言ってる訳じゃない」
「反対!反対!反対!反対!………」
「だから話を聞けって。正義の使者、ダイゴウジ ガイ」
「おう! 何でも言ってくれ!」
げ、現金な奴め。
まあ良い。瑣末な事に拘っていては、話がちっとも進まんからな。
「(コホン)まあ、なんだ。要は2015年で行動する為の便宜上の名目ってヤツだよ。
手元の資料を見て貰えれば判ると思うが、正攻法で乗り込んだ場合、どうしても身動きがとれなく。
そこで、公然と国際法を無視出来る立場を取るという訳だ」
「公然と…って、悪の秘密結社自体が、違法そのものの存在でしょう?」
今だショックが抜けきらないのか、エリナ女史がオットリ刀で反対意見を述べてくる。
だが、それこそ俺が待っていたセリフだ。
「違法? 結構じゃないか。
なんせ違法と断じるからには、世間がその存在を認知しているって事だろ。
ああ、ひょっとして。悪の秘密結社よりも、宗教団体かマフィアと言った方が判りやすかったかな?」
「成る程。良く判ったわ」
彼女を始めとする社会派グループの顔に、渋々ながらも理解の色が浮かぶ。
そう。考えてみれば、別に2015年の世界に永住するわけじゃない。
要はその存在を認めさせるだけで十分であり、世間との関りは、寧ろ少ない方が望ましい。
そういう意味では、結構良い手だと自負している。
何しろ悪の秘密結社。税金を支払う必要も無ければ、暴力団法も適用されない。(笑)
「一寸待った!!
よ〜するに超法規的なモンなら何でも良いって事だろ。
なら、なんで正義の味方にしないんだよ!」
なっ! ヤマダが、この話について来ている!?
しかも、かなり内容を理解している!?
ああっ、嘘だ。誰か嘘だと言ってくれ!
「いいえ。この場合、正義を名乗るのは明らかにデメリットに成るわね。
ネルフとの間に交渉の場を持てば、嬉しくない結果になる事位は判るでしょ?」
「おいおい。なんだってあんな悪党共の話なんざ聞かなきゃならないんだ?」
「国家を通しての正式な打診を無視する様な手合いは、自動的に悪だからよ。貴方の好きな漫画と違ってね。
そして、ネルフに言い掛かりをつけられた挙句に反逆者と断じられるよりも、最初から反逆者を名乗った方が何かと有利でしょう?」
「えっ、え〜と…」
「説明が足りなかったかしら。
今のは、『国家からの要請を無視しようと、ネルフに喧嘩を売ろうと、悪の秘密結社なら問題無い』って意味の話なのよ。
使徒の撃退も『縄張り争い』とか『世界征服のための示威行動』とか言っておけば済む事だしね。
あら、まだ納得出来ないのかしら♪
それじゃ基本に立ち戻って、正義という言葉の概念から説明しましょう。
そもそもこの言葉が生まれた切っ掛けは、紀元前638年の………」
「わ〜っ、それだけは止めてくれ! 正義が…正義が穢れていく!」
「どういう意味よ!」
………と、暫し俺が現実逃避をしている間に、この世界に於けるセカンドインパクの引き金と成り得たかもしれない異常事態は沈静化し、
日常の喧騒が戻っていた。
嗚呼、流石は説明のスペシャリスト、イネス=フレサンジュ博士。
今日という日の貴女の偉業を、俺は生涯忘れないだろう。
いやはや、毒を持って毒を制すとは正にこの事。
「何か言いたそうね提督?」
「(ゴホ、ゴホ)いや、別に。さ…さあ、会議を続けようか」
突如向けられた凍りつきそうな視線から目を逸らしつつ、俺は会議の進行を促した。
〜 八時間後 再び会議室 〜
波乱の幕開けを切った会議だったが、その後は極スムーズに進んだ。
いや。正確には、引っ掛かる余地のさえ無い怒涛の如き流れだったと言うべきだろうか。
一度指針として決まってしまえば、ナデシコクルーにとって『悪の秘密結社』というブランドは、正に格好の玩具だったのだろう。
信じられない様な数のアイディアが次々に飛び出し、それが、艦長を始めとする戦略のエキスパート達によって校正されていった。
そんなこんなの過程を経て、俺の目の前に置かれた分厚い計画書。その荘厳な作りに、思わず溜息が出る。
誰のアイディアかは忘れたが、ハードカバーの古ぼけた事典風の外観ってのは一寸凝り過ぎだろう。
そりゃまあ、これが新たな死海文書といっても、そう的外れじゃないんだろうけど。
ピコン
『御歓談中の所を失礼致します』
「なんだ、ナカザト。俺は今、休暇中の筈だぞ。
酒の席にヤボな話は持ち込むなと何時も言っているだろう」
皆に素早く黙秘のサインを送りつつ、酔った振りの声で受け答えをする。
こんな事が起こるのも、ナカザトの奴が『緊急時の対応は一秒の遅れが命取り』とか言って、
着信待ちに状態しておく事を頑として認め無かった所為である。
もっとも、『判った。その代わり、その面は出すな。酒が不味くなる』と画像拒否を認めさせてあるので、これで十分誤魔化せる筈だ。
こういう時、『忘れていた』とか『機械の故障』とかいう発想が出来ないのがコイツの最大の弱点だよな。
ホント。何処の誰だろう、コイツをスパイに選んだ奴って。
『申し訳ありません。
ですが、明日07:34に到着予定でした707便輸送機が、予定を大幅に繰り上げ、本日22:12に到着。
しかもその際、予定されていた人員を24人もオーバーしている為、これは取り急ぎ御報告せねばと………』
ほう、新たに24人も参戦してくれたか。流石ブロスさんだ。
『………という訳で、私見ではありますが、これは明らかに、スパイを紛れ込ませる為の工作です。
何らかの対策をとるべきだと愚考致します』
普段に輪を掛けて四角四面の口調で諌言してくるナカザト。
その顔には、眼下に敵を捉えた軍人の緊張感が、しっかりと張り付いている。
………自分の立場、もう少し自覚してくれよな、頼むから。
「お前ねえ。何人か新人が増える事は予め判ってた事だろ?
どうせその24人だって、殆んどはナデシコ旧クルーだろうし」
『考えが甘いですよ、提督。
仰りたい事は判らなくもありませんが、嘗て仲間と呼んだ者であろうとも、空白の期間がある者は疑って掛かるべきです』
「判った、判った。
で、旧クルー以外にも誰か来ているか?」
『はい。カデナ ウキョウ(22)職種:警備兵、ナカジマ セイジュウロウ(22)職種:警備兵、ユキタニ サイゾウ(42)職種:コックの三名であります。
自分は、このサイゾウなる人物が怪しいと睨んでおります。
前述の二人に関しては、軍から出向兵なので裏が取れておりますが、彼に関しては民間人なので工作が容易です。
何より、この人物はとてもコックに見えません。あれは幾多の死線を潜り抜けてきた猛者の目です』
惜しい。確かに地獄を見てきてはいるが、方向性がちと違う。
にしても、意外と人を見る目があったんだなあ、コイツ。
「ああそうかい。
んじゃ取り合えず、件のサイゾウ氏はゲストルームの方に。
明日、俺がそれとなく調べてみる。
残りは仮設住宅の方に適当に部屋割りしといてくれ」
『はっ、了解致しました』
ピコン
そうか。来てくれたんだなあサイゾウさん………
って、しまった。例の落書きの件を忘れていた。
我ながら不人情な話だが、なんせあの直後にショッキングな事があったからなあ〜
暫し自己嫌悪に浸った後、今だ会議室でダベっていた某組織の面々に声を掛ける。
彼らの仕業とは到底思えないが、そこはそれ蛇の道は蛇。
丁度、ハ―リー君以外の幹部も揃っている事だし、加害者の当て位は判るかも知れない。
そんな一縷の望みから、例の落書き御殿の一部始終を語ってみた。
「………という訳なんだが、心当たりはあるかね?」
「獅子身中の蟲………いや、違うね。
僕らが憎んでいるのは、天性の女ッ誑しであって漆黒の戦神じゃない。
まして大衆食堂の店員テンカワ アキトに至っては、面識すら存在しない相手だ。
そんな真似をする者が、僕らの中に居るとは思えないね」
「おうよ。世憚りながら俺達は、生きるも死ぬも一緒と誓った仲だ。
こんなふざけたマネをする奴は、ウチには居ないと断言出来るぜ」
俺の質問に対し、濡れ衣とばかりに憤激する某組織の面々。
予想通り、彼らにとっても寝耳に水の話だった様だ。
「いや、改めて確かめた方が良いかも知れない」
だが、話の間、一人思案顔だったジュンには心当たりがあったらしい。
驚く某組織幹部達。構成員達の間にも動揺が広がっていく。
「どういう意味だ、作戦部長」
憤慨する班長に対し、ジュンはあくまで淡々と疑問点を述べていく。
「確かに、ナデシコ内部の正会員については、俺も疑う余地は無いと思う。だけど、各支部の会員達はどうかな」
「おいおい、連中を疑うってのか。冗談じゃね〜ぜ。連中だって俺達と同じ………」
「いや。俺が言いたいのは、転戦中に同士と成った彼らの事じゃ無い。
最近急激に増えた、俺達やテンカワと直接面識の無い会員達。所謂、孫会員達のモラルだよ」
「孫会員? 何だそりゃ?」
「おいおい。何を言ってるんだい、ウリバタケ君。
例の『漆黒の戦神、その軌跡』の発刊以来、僕らの聖戦をバックアップしたいという真実の愛の使徒達が、
新規会員として続々登録されている事は、君だって良く知っているだろう」
ああそう言えば、アレには某組織への入会案内書が、栞代わりに同封されていたんだっけ。
にしても、聖戦や某組織の何処をつついたら『真実の愛』なんてものが出てくるんだよアカツキ。
そんなもの、某同盟にだって有るか如何か疑わしいのに。(笑)
「(ポン)おお、そう言えばこないだ『祝!1万人突破感謝祭』で記念品を発送したばかりだったっけ」
「そう。俺達とは面識の無い会員が九千人以上も居るわけだ。
おまけに、ウチの組織って、採用基準なんて何一つ無いだろ。
ウチの情報網だけが目当てで入ってきた会員が居たとしても可笑しくない」
「「「う〜ん」」」
ジュンの指摘を受け、各々思案に耽る某組織の面々。
それにしても、もう1万人以上も構成員がいるのか。信じ難い繁殖スピードだな。
「これは調べてみる必要がありそうだね」
「まあな。だが如何する。情報部長が不在の現状じゃ、会員の身元を洗うだけでも一仕事だぞ」
「う〜ん………ホシノ君にバイトを頼もう。この際、会員の個人データが同盟に渡るのも已む無しだよ」
「じゃ、その件はそれで良いとして………」
その後も幾多の論争が続き、会議の輪から少し外れた窓際の席で、その内容を拝聴。
どうやら『手ぶらでは会わす顔が無い』との意見が主流の様だ。
ふと見上げれば、今日も火星は澄み切った満点の星空を讃えている。
暫しその輝きを堪能した後、俺は擬装用に持込んでいたスコッチの封を開け、遠からず狩り出されるであろう愚か者達の末路に乾杯した。