影護家の居候となって以来、碇シンジの朝は早い。

「おっはよ〜、シーちゃん!」

何故なら、毎朝五時キッカリに、枝織ちゃんの朝の散歩に引き摺られるからである。
では、そのプロセスをもう一度見てみよう。
彼女達が散歩に出かける迄の所要時間は、僅か0.3秒に過ぎない。

「おっ」

この時点で、枝織ちゃんは、割り当てられたシンジの私室に音も無く侵入。

「はよ〜」

で、シンジの右手を掴み、窓枠に足を掛け、

「シーちゃん!」

と、朝の挨拶が終る頃には、鯉のぼりの様にシンジの身体を靡かせつつ、トップ・スピードで屋根の上を疾走中なのだ。

「あははははっ、今日もお日様が気持ち良いね」

「そ…そうですね」

従って、彼は毎朝、空中にて目を覚ます事になる。
此処で、事前に起きて待っていれば良いと御考えの向きもあるかも知れない。
実際、シンジも二日目の朝はそうしようと試みた。だが、

「駄目だよシーちゃん。ナナコさんに起される時、ジュンペイ君は、まだ寝ていなくちゃ」

と、木連に誤って伝承されてしまった作法の所為で、目覚めたまま彼女の来訪を待つ事は許されないのだ。
実際その日彼は、枝織ちゃんに昏倒させられ、『その日は朝から夜だった』を経験する事になった。
この時点で彼が全てを諦め、成り行きに身を任せる事にしたとして、いったい誰に責められよう。

「今日は、ミサイルが一杯付いてるビルの方に行ってみようか?」

「駄目ですよ、枝織さん。あの周辺って、一般人の立ち入りが禁止されてるんですよ」

現実逃避する事無く枝織ちゃんに相槌を打てる事だけとっても、寧ろ素晴らしい順応性だと賞賛すべきだろう。
瞬間的に散歩に引き摺られる事を考慮し、そのまま外出着にもなりうるジャージを寝巻きにしている辺りも、悪くない選択である。

「それじゃ、チョッと遠いけど、海まで行ってみようね!」

そんなこんなで、距離にして平均約60キロ程の散歩が毎朝行われている。
ちなみに、彼が散歩に付き合わされる理由は、『一人より二人の方が楽しい』という枝織ちゃんの嗜好もさる事ながら、
『危ないから、一人で外に出ちゃいけません』という、零夜の厳命に対応する為だったりする。
当然ながら、この事実をシンジを知らない。まあ、知ったところで、どうにもなるまいが。




「「「いただきます」」」

午前7時。シンジの死力を尽くしたナビゲートにより、毎朝遅れる事無く………
より正確に言えば、途中で迷子になる事無く、二人は朝食の席に着く。

「温かい」

毎朝、零夜から茶碗を受け取る度に、感慨深げにそう呟くシンジ。
それまで彼が食べてきた物とは異なる純和風のメニユー。
だが、そんな事など、彼にとって取るに足らない事でしかない。
誰かが自分の為だけに作ってくれた家庭料理を口にする機会など、彼の14年の人生に於いては数える程しか無い経験であり、
しかも、その味がプロ顔負けのレベルなのだ。
死地から生還したばかりである事もまた、空腹すら上回る絶妙のスパイスとなっている。
そう。朝食から伝わる温かさは、シンジにとって、正に生命の温もりだった。色んな意味で。

「おはよう御座います、日向さん。今日も宜しくお願いします」

午前7時30分。
送迎のリムジン到着。約15分程掛けてネルフに出勤する。
色々あった事もあって、正直気の進まないバイトだが、天涯孤独の身の上となってしたまった今では、唯一と言って良い収入源だ。
それ故、シンジは今日も笑顔で上司に挨拶する。
ある意味、彼は十四歳にして社会人だった。

午後9時。
今日もシンクロ率0.11%にて起動に失敗。その後、20分程のカウンセリングを受ける。
彼にとって、これがもっとも苦痛な時間である。
何故なら、自分に全く自覚の無い事について、根掘り葉掘り尋ねられるからだ。
実際、訓練初日の様に、その尻馬に乗って隣りでギャーギャー喚くミサトが居たら、今日まで到底持たなかっただろう。
出来るだけ申し訳無さそうな顔をしつつ、『これも給料の内』と割り切って必死に耐えるシンジ。
どっかの誰かさんにも見習って欲しい忍耐力である。




「げっ、サードが居るぜ」

「あれが、ハンガーでの事故を起こしたガキか」

午後12時。
御座なりに組まれたパイロット用の座学を終え、北斗と共に職員食堂にて昼食を摂る。

「あの、一寸良いですか北斗さん」

ウエイトレスに注文した後、シンジは居心地が悪そうに身を縮めつつ、恐ず恐ずと北斗に尋ねた。

「なんか僕、此処の整備班の方達に嫌われてませんか?
 最初はその………北斗さんの事を見てるんだと思ってたんですが、
 ここ数日のあの方達の態度からして、どうも敵意が僕個人に向けられているみたいなんですけど」

「実際その様だな。連中にして見れば、お前の怠慢が気に食わないんじゃないのか?」

どうでも良さそうに、そう返答する北斗。
彼には職員達の陰口が明瞭に聞えているが、その内容をシンジに教える気は無い様だ。
多分、ミサトのパイロット就任の顛末と、その所為で生まれた誤解について話すのが面倒臭いのだろう。

「勝手な話ですね。エヴァが動かないのは僕の所為じゃないのに」

憤懣やるかたなしといった様にむくれるシンジ。
オオサキ提督の提唱した性格改善計画は、順調に進んでいる様だ。
と言っても、日常会話を交わす相手が、太陽系で最も危険な男…という辺り、かなり歪んでいると言わざるを得ない物があるのだが。

「まあ、そう言うな。
 今後もお前は、あの連中と伍していかなければならないんだろう?」

「それは、そうなんですけど」

「それじゃあ保身の為にも、余り敵意は見せない方が良いぞ。
 俺が此処へ付いて来てやるのも、今日が最後になる事だしな」

「えっ!?」

突然の付き添い期間終了宣言に、蒼白となるシンジ。
無理もあるまい。彼にとっては、命綱を切られる様なものである。

「ど、ど、ど、どうしてですか、北斗さん!」

「仕方ないだろ。明日から仕事なんだから」

「仕事って、就職していたんですか? 貴方が!? 僕はまたてっきり………」

驚愕の事実に度肝を抜かれ、つい漏れる失言。それを北斗は耳聡く聞きつけ、

「お前は俺を何だと思っていたんだ? ひょっとして零夜のヒモか?」

「いえ、決してそういう訳じゃないんですけど………」

『その通り』等と本当の事は口が裂けても言える筈も無く、シンジは言葉を濁す。
そして、何とかその場を誤魔化すべく、ありきたりな………だが、心底知りたい事について質問した。

「それで、北斗さんの御職業って何々ですか?」

「教えてやらん。その方が面白そうだからな」

チシャ猫の様にニンマリと笑いつつ、そう答える北斗。
常ならぬ彼のその態度に、シンジは言い知れぬ悪い予感を憶えた。
二週間後、この予感は完璧なまでに的中する事になるのだが、それはまた次の機会に語らせて頂こう。
さし当って今の彼には、この後に控えている、パイロット用の格闘訓練の方が遥に重要である。
実の所、これに関しては、シンジは言い訳のしようの無い完璧な劣等生なのだ。




「何ですコレ?」

午後5時。
一日の仕事を終え、北斗の待つ遊戯室に行ったところ、安楽椅子に身を預けた彼の足元に、人間ピラミッドの潰れたバージョンが転がっていた。

「例の契約の違反者と、俺を相手にイカサマをしようとした奴らだ」

「(ハア〜)随分と無謀な事をする人達ですね」

卓上に散乱しているトランプのカードを横目で見つつ、シンジは呆れた様に嘆息した。

「まあ、そう言うな。
 お前を待つ間、俺が退屈しなくて済むのも、こいつ等が代わる代わる遊びに来てくれる御蔭だぞ」

どうして此処の職員達は、揃いも揃って北斗さんという現実を認識しようとしないんだろう?
監視者&探りを入れに来たエージェント達のなれの果てを前に、ふと、そんな疑問を胸に抱く。
だが、このままの方が都合が良いと判断し、敢えて口には出さないシンジ。

「そういう意味じゃ、此処は結構良い所だぞ。
 何せ故郷じゃ、俺はかなりの嫌われ者だったからな。怖がって誰も遊んでくれん」

それが正常な反応です。
と、心の中だけで呟きつつ、彼は北斗を促し家路に着いた。

午後6時。零夜がマーベリック社より帰宅。
普段なら此処で夕食の準備を始めるのだが、

「私、紫苑零夜は、本日付けをもって、マーベリック社を解雇になりました」

その日それは、彼女のこの爆弾宣言によって始まった。

「そうか」

どうでも良さそうに相槌を打つ北斗。
だが、シンジにとっては大問題である。

「ちょ、一寸待って下さい北斗さん。何々ですか、その薄いリアクションは!
 判ってるんですか? 零夜さん、解雇されちゃったんですよ、それもイキナリ!
 つまりその………世間一般で言うところの、重責解雇ってヤツじゃないですか!」

「少しは落ち着け。零夜に限って、そんな筈が無いだろう」

「そりゃ、僕だってそう思いたいですけど、他に考えられるケースは………って、まさか!?」

騒ぐだけ騒いだ事で、逆に多少の冷静さを取り戻し、事の真相に思い当たるシンジ。
此処に来て以来、両親から受け継いだ資質を、順調に開花させつつある彼だった。

「ど、ど、ど、ど、どうしましょう北斗さん。
 嗚呼! まさか此処まで倫理観の無い相手だったなんて。
 父さんは一体何をしていた………いや、違う! 父さんがトップだったからこそこうなった訳で………」

「だから落ち着け!」

だが、導き出された答えの異常さ故に、シンジは、またもグルグルと思考の迷宮に嵌まり込む。
北斗は、それを一喝して制すと、

「要するに、お前の心配は収入源なんだろ? それなら、俺が稼げば良いだけの事だ」

彼の不安を解消しにかかった。
そう。ネルフの暗部を熟知しているダークネス首脳陣にとって、この程度の事は、当然想定の範囲内。
この件に関しての対処法も、最初から用意されていたのだ。

「へ? あっ、そう言えば。北斗さんも就職していたんでしたね」

「それにだ。忘れたのか? こう見えても、俺は故郷じゃ、一寸した英雄なんだぞ。
 良くは知らんが、肖像権だか何だかだけでも、結構な額の収入があるらしいから心配はいらん」

「そうなんですか?」

半信半疑。いや、三信七疑位の心境で、シンジは、零夜に事の真相を尋ねた。

「北ちゃんの財産管理に関しては、舞歌様………
 いえ。実質的には、各務隊長の担当なので良くは知らないのだけれども、求めれば、何時でも本国からの援助を受けられるのは本当の事よ。
 ネルフにどれだけの権限があるかまでは判らないけど、
 幾らお膝元の第三新東京市でも、特定の相手にだけ品物を売らない様にするのは不可能でしょう?
 だから、経済的な面での心配はいらないわ」

「そうなんですか。
 あっでも、北斗さんの就職先まで手が回ったら、やっぱり拙くないですか?
 何て言うか、幾ら経済的には問題なくても、色々別の問題が出るんじゃ………」

「それも大丈夫。北ちゃんを解雇するのは、幾らネルフでも簡単にはいかないわ。
 北ちゃんの就職先にはね、とっても念入りに『お願い』してあるの。それも『形のある物』でね」

ネガティブ・シンキング全開になったシンジの言を制しつつ、零夜は悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、予め用意されていた策について語った。

「俺をクビにした時は、当然それを返さなきゃならん訳だが」

「彼の人に、そんな甲斐性は無いでしょうね」

そう言って、コロコロと笑い合う北斗と零夜。

「そ…そうなんですか。いや〜、心配して損しちゃったなあ」

『いったい幾ら積んだんだろう?』という根源的な疑問を胸に抱きながらも、
それを口には出せず、二人に迎合して愛想笑いを浮かべる、ヘタレなシンジだった。




赤木リツコの朝は早い。
と言っても、此処最近はまともに睡眠を取っていないので、もはや昼夜の区別など付け様も無いのだが。
ともあれ、彼女の一日の始まりは、自室の引き出しの中身の確認から始まる。

「今日は7個か。いい加減、山岸課長も諦めれば良いのに」

零夜が出社中に仕掛けられる盗聴器の類は、何故か、全て此処に帰ってくるのだ。

「それにしても、昨日、此処を離れたのって、トイレに立った時位なのに。
 いったいどうやって侵入しているのかしら?」

言っても詮無き事と思いつつも、つい愚痴が零れる今日この頃。
だが、それも無理ない事だろう。
彼女が保安部へと返しにいく盗聴器の累計は、既に三桁を越えているのだ。




「それじゃ、もう一度確認するわね」

午前10時。
何時も通り失敗に終ったシンクロ実験の問題点を洗い出すべく、シンジとのカウンセリングを行う。
と言っても、もはや聞くべき事は全て聞き終えている為、ここ数日のその内容は、ほぼ定形のものとなっている。
だが、それでもリツコは、根気強く同じ質問を続ける。
何故なら、彼女にとっては、東方三賢者が残した資料こそが絶対のものであり、それに従わないシンジの方が間違いだからだ。
実際、最近の彼女のシンジへの対応は、逆恨みに近いものが入りつつあった。

「兎に角、もっと真面目に取り組んで欲しいわね」

数日前までのミサトと似た様なセリフを吐きつつ、シンジを追詰めるリツコ。
某提督に言わせるなら、この辺がミサトと友人でいられる理由の一つなのだろう。
いずれにせよ、シンジにしてみれば、謂れ無き敵意を向けられる相手が、ミサトからリツコに変わっただけの事である。
それ故『これも給料の内』と割り切り、恐縮して見せるシンジ。
だが、実は彼のその殊勝な態度こそが、リツコの神経を逆撫でしているという悪循環に陥っていた。

午後11時。
別途に呼び出していた零夜との会談を行う。
その内容は、北斗&シンジの前で言えば、総ての契約を強制破棄し、何処かへと出奔されかねないもの。
契約者たる碇ゲンドウの不在を逆手に取り、『協力に関する対価及び契約違反の慰謝料を、一切払うつもりがない』というものだった。
リツコにしてみれば、価値基準が今一つ判らない北斗は兎も角、
比較的常識人に見える零夜なら、金ヅルとはなりえないと判れば、シンジを放逐するだろうと考えての策。
だが、これは完全に裏目に出た。

「そうですか」

零夜の反応は、この一言だけだったのだ。

「ちょ、一寸待って。本当にソレで良いの?」

相手の余りの反応の薄さに困惑しつつも、リツコは、既に帰ろうとしていた零夜を呼び止めた。

「余り良くはありませんね。でも、改善する気は無いのでしょう?」

振り返ると、蔑む様な視線を投げつけ、そう語る零夜。
否、彼女の目に侮蔑の色を感じたのは、リツコの側に疚しい所があったからに過ぎない。
この件に関し、零夜は最初からまともな交渉を諦めてる。
それ故、実際の彼女の胸には、なんの感慨も湧いてはいなかった。

「それに、思っていたよりは良心的なんで、一寸安心しました」

「良心的?」

「はい。何せその昔、調理人として雇っておきながら、諸般の事情から無理矢理戦闘機の操縦者をさせた挙句、
 契約に操縦者用の保険が含まれていなかったとかで、終戦後に法外な額の借金を背負わされたという故事もあるくらいですから」

零夜によって淡々と語られる某歴史の呆れた話に、つい呆気に取られるリツコ。

「まさか今になってから、『先の戦闘に於ける敗戦の責任』とか、言い出しませんよね?」

ニッコリと微笑みながらそう訊ねる零夜に、流石の彼女も、Yes以外の答えを出せなかった。

午後12時。
零夜との会談が予定より短時間で終った(リツコとしては契約を盾にゴネられると思っていた)御蔭で、
一週間ぶりにサプリメント以外のメニューにありつく。
だが、彼女の胸に喜びは湧かなかった。
敗北感と共に、砂でも噛む様にボソボソと食事をとるリツコ。そこへ、

「あれが、ハンガーでの事故を起こしたガキか」

比較的席が近かった事もあって、彼女の耳に、北斗が聞いたそれと同じ内容の陰口が飛び込んできた。
その内容の矛盾に疑問を覚え、暫し黙考する。

(ああ。そう言えば、ミサトのフォース就任の件、一般には発表していなかったわね)

そう。一般職員達に伝えられた情報は、初号機パイロットは、新たに選出されたチルドレンが勤めるという事のみ。
となれば、『チルドレンとなりうるのは子供だけ』という誤った前提条件の元、
『つい先日召還されたばかり』のサードがパイロットであると彼らが誤解するのは、寧ろ自然な成り行きなのだ。

(考えて見れば、プラグ内の映像は一般職員には公開していないんだから、当然の結果よね。
 でも、折角彼らの不満が別に向いてくれているんだから、敢えて真相を語る必要も無いでしょう。(クスッ)これも『給料の内』よ、シンジ君)

胸に湧く暗い情念の元、リツコはこの問題を傍観する事にした。




午後3時。
アポを取っておいたマーベリック社を訪問。
のらりくらりと話をはぐらかそうとするグラシス会長の話術を、半ば無礼とも取れる形で強引に押さえ込み、リツコは紫苑零夜の解雇を依頼した。

結果から言えば、これは致命的なミスである。
本当にシンジを孤立させたいのであれば、上司の非公式な命令という形で、シンジを放逐させる様に仕向ければ良かったのだ。
そうしなかったのは何故か?
無論、これは経済的に追詰めるという、当初のコンセプトに固執したからではない。
彼女自身は自覚していないが、実は嫉妬に端を発しての事なのである。
そう。初めて零夜と相対した時、リツコには一見しただけで判ったのだ。
零夜は、自分が既に失って久しい心を持っている。
それも、自分の部下の様な似非潔癖性ではなく、本当の意味での清廉潔白さを持つ存在だと。

ともあれ、その意図がどこにあったにせよ、第三新東京市に於けるネルフの権勢は、まだまだ絶大なものがる。
老練なグラシス会長といえど、最後には経営権の剥奪までチラつかせ始めたリツコには逆らえず、その日の内に零夜は解雇となった。その結果、

「おはようございます、赤木博士」

次の日から、零夜が付き添って来る様になり、彼女は、強引にシンジをパイロットに登録する機会を失った。
嘆息と共に、内心、自らの失策を認めるリツコだった。




再び午前10時。
その日は、シンジが座学を受けている空白時間を利用し、エヴァ初号機による射撃訓練が行われた。だが、

    ガガガガガッ………

「………どこを狙っているのよ」

その結果は惨憺たるものだった。

「リツコ! どうなってんのよ、この銃。
 サイトやバレルの調整ミスどころの騒ぎじゃないわ。根本的におかしいわよ、コレ!」

期待こそしていなかったものの、予測したそれを遥かに下回る結果に頭を抱えるリツコの元へ、ミサトからの抗議の声が入る。

「そう? 此方で確認した限りでは、おかしな点は無かったわよ。純粋に腕の問題じゃないの?」

「そんなワケないでしょ! こう見えても、射撃は超得意科目だったのよ。
 教官に、『オリンピックの選考会に出てみないか?』って、誘われた事もあるんだから」

「………なんとなく、貴女が士官学校を卒業出来た理由が、判った様な気がしてきたわ」

「なによそれ?」

指揮能力と作戦立案能力の低さをカバーしたものの存在を確認したってことよ。
そう言ってやりたいのをグッと堪えつつ、

「それじゃ、もう一度最初からいくわよ」

リツコは、訓練の再開を促した。




「だあ〜〜〜! もうヤダ。この銃キラ〜イ」

一時間後。どんどん悪化していく射撃結果に、ついには幼児退行を起こし出すミサト。

「初号機とのシンクロを切って、MAGIによる完全シュミレーションでも同じ結果か。
 となると、これは初号機の特性によるものでは無いという事ね。
 でも、銃自体には何の問題点も見られないし、ミサトの照準から発射までのプロセスにも、特に問題は見られない。いったい何故………」

と、リツコもまた、別の形で思考の迷宮に嵌まり込む。
もはや射撃訓練は、完全に暗礁に乗り上げていた。そこへ、

「あの、一寸宜しいですか。
 今のは、初号機を通さずに行われていた射撃訓練なんですよね?」

今朝方、シンジに付き添ってネルフに来て以来、ずっと慇懃無礼な態度をとっていた零夜が、初めて能動的な意見を述べてきた。

「だから何?」

陰険漫才の末の買い言葉で、つい彼女の見学を許してしまった顛末を思い出すリツコ。
そうした背景の所為か、その声音は、不快さと警戒心が露になっている。

「つまり、私の様にシンクロなど出来ない者でも、
 葛城さんと同じシンクロ率で動かしていたという過程の元に、同様の訓練を行う事も出来るという訳ですよね?」

「まあ、理屈の上ではその通りよ」

「では、一寸やらせてみて貰えませんか?」

何故そんな事をしなけりゃならないの!
リツコは感情的にそう叫びそうになったが、科学者としての理性がそれを押し止める。
そして、後天的に身に付いた策士として打算が、彼女にこう囁いた。
このまま何の進展も無い訓練を続る位なら、多少危険でも、別の方面からのアプローチに切り替えた方が得るものが大きいと。

かくて、嘗て綾波レイが使っていた、エヴァとのシンクロを必要としないシュミレーターにて、零夜の射撃訓練が行われる事になった。

   ガガガガガッ………

「何よアレ、私よか酷いじゃない」

自分の散々な成績を棚に上げ、嬉しそうに零夜の醜態をあげつらうミサト。
リツコの胸にも、暗い喜びが湧き上がる。
だが、科学者としての彼女は、感情だけで行動している訳にも行かない。
今少しの間、晒し者にしていたい願望を抑えつつ、これ以上は経費の無駄と訓練を中止しようとする。
だが、その時、

   ガガガガガッ………

突如、それまでの事が嘘だったかの様に、標的を捉えだす零夜の銃弾。

「嘘………フルオートの銃で、何であんな精密射撃が出来るのよ」

自身に射撃の心得があるだけに、突如変貌したその技術に圧倒されるミサト。
だが、驚異的なのは、それだけでは無かった。

「平均命中率30、38、45、どんどん上がっていきます。標的への反応速度………ええっ!」

「どうしたの、マヤ!」

「平均反応速度0.1187秒! ありえません、こんな事!」

銃の技術については判らないものの、リツコ達もまた、数値と言う名の実績に打ちのめされる。
そんなこんなで、コントロール・ルームの人間が呆然としている中、零夜の訓練は終了した。
その成績は一流の射撃手。
訓練後半部分のデータだけを取れば、その上に超が付く事は言うまでもないだろう。

「それで、ミサトの問題点は何なのかしら?」

シンクロ率の関係から、通常の倍以上の物となる筈の反応速度が、一流の格闘家のそれに劣らぬ数値となるのは、
標的を『見ている』のではなく『予測している』から。
命中率に関しては、ミサトなど問題にならない腕だから。
本来ならそれでも異常なのだが、北斗という先例があった事で『これはそういうもの』と思考を棚上げし、
リツコは、コントロール・ルームに戻ってきた零夜に、実務的な質問をした。

それに対し、予め用意されていた説明を行う零夜。
その内容は、要約すると次の様なものだった。

エヴァンゲリオンの操縦とは、神経接続により、操縦者と機体が一体化する事によって行われる。
つまり、操縦者が考えるだけで、己の身体の様にエヴァを動かせる訳である。
しかしながら、自分の身体でない以上、完全に思い通りにとはいかない。
操縦者と機体の一体化の度合いを表す『シンクロ率』
これが100%でない限り、思考から行動迄の間に、時間的・感覚的なズレが、絶対に避けられない。
そして、生身の身体では起こらないタイムラグの発生により、脳は僅かに混乱する。
それが違和感を感じさせ、それを無理やり自身の感覚に合わせ様ととすれば、当然ながら、現実の動きとの間に誤差が発生してしまう。
それを埋める為には、操縦者の方で、それに対応しなくてはならないのだ。

「なるほど。
 ミサトの銃弾が明後日の方向に飛ぶのは、シンクロ率42.195%という生身の半分以下の反応速度によって生じるタイムラグを、
 全く考慮していない所為って訳なのね」

「恐らくは、そうかと。実際、私も機体の癖を掴むまでに、少々の時間を必要としましたし」

ちなみに、IFSによる操縦を、エヴァのそれに当て嵌めると、シンクロ率99.89%の状態に相当する。
この高シンクロに加え、機械的なサポートも入る為、その誤差は、ほんの僅かなもの。
だがそれは、確実に存在する。
にも関わらず、ナデシコのパイロットで、その違和感を……タイムラグを感じる者は居ない。
無意識領域にて誤差修正を行う、通常の人間の処理能力を超えた存在。
それが、エステバリスのエースパイロットの正体なのである。

「そう。(フルフル)矢張り、エヴァのパイロットを務めるには、年齢的に無理があったみたいね」

予想外の問題点の発生に、頭を振りつつ嘆息するリツコ。

「ちょ…チョッと、どういう意味よソレ!」

「言葉通りの意味よ。
 私自身、こうして結果を見るまで思い付きもしなかった事だけど、
 エヴァのパイロットに求められる資質は、シンクロ率が全てって訳じゃなかったみたいね。
 未知の物事に対する対応力。これもまた、重要な要素だったのよ」

「大丈夫よ! こう見えても………」

「その『大丈夫』は、貴女もまだ若い頃の話でしょ!」

クリティカルヒットを受け、黙り込むミサト。

「実際問題、チルドレンの年齢が十代半ばなのは、あらゆる意味でベストの人選なのかもしれないわね。
 こうして、現役の軍人がシンクロしてみたところで、肝心の操縦への適応能力が低いんじゃ、御話にならないわ」

御約束の掛け合い漫才に圧勝するも、喜びとは無縁の表情でそう宣うリツコ。
実際、判った事と言えば、現状が手詰まりである事だけでは、それも無理ない事だろう。

   チャラ、チャチャチャ、チャチャ〜ン 

「あっ、御昼休みになったみたいですね。それでは、私はこれで」

そう言って、零夜は気落ちした二人をスルーし、一礼してシンジを迎えに行こうとする。

「チョっち待って。何んて言うかその、アドバイスは無いの?
 出来ればこう、パ〜ッと一気に問題が解決する様なヤツ」

それを引き止め、掴み掛らんばかりの勢いで質問攻めにするミサト。
些か身勝手ではあるが、彼女にしてみれば、長年の復讐が果たされるか否かの瀬戸際。
形振り構っていられる状態ではないのである。
もっとも、平時から礼節など弁えない人間故、余り変わらないという見方も成立するのだが。

「アドバイスと言われても、既に心得のある方に向かって言う様な事など何も。
 私は、あまり射撃が得意ではありませんし」

「貴女が得意でなかったら、どこの誰が得意………って、居たわね確かに」

サキエル戦におけるシンジのエヴァ搭乗迄のイザコザ。
その過程において、拾った銃で北斗が見せた、神がかり的な精密射撃を思い出し、身震いするミサト。
だが、すぐに何か思い付いたらしく、物欲しそうな顔で零夜を見た。
その顔から、言いたい事を察し、

「貴女の意図通り、北ちゃん………いえ、影護北斗に師事すれば、私程度の腕なら、すぐにでも身に付くと思います。
 ですが、その場合はまず、命を賭ける覚悟をして頂く事になりますが、それでも構いませんか?」

言外に『貴女には無理』というニュアンスを含めつつ、端的な事実を語る零夜。
その言に、ミサトはアッサリと挫折。
何せ、その内容に一片の誇張も含まれていない事は、疑う余地が無い。
そして、刹那的なものならまだしも、恒常的な生命の危機と向き合える程、自分は強く無い。
それが判る程度には、彼女は自分というものを知っていた。

返答に窮したミサトを置き去りに、零夜は再び一礼すると、今度こそコントロール・ルームを後にした。
それは、残された二人にしてみれば、一縷の望みが絶たれた瞬間だった。

「さてと、私もお昼にしよっと」

「………貴女には、危機感というものが無いの?」

前言撤回。この程度の事でメゲルのは、金髪の苦労人だけだった。

それから一時間後。
リツコ曰く『危機感の無い』ミサトではあったが、昼食をとり一息ついた後、目の前の問題を打開すべく行動を開始。
だが、その結果は芳しく無かった。

「ミサト。貴女、一体何をやったの? 
 ドイツ支部からクレームがきてるわよ、アスカのスケジュールが大幅に狂ったって」

「なははははっ、ゴメン」

そう。感覚のズレの問題は一時棚上げし、ミサトは、より根源的な問題点であるシンクロ率に注目。
その効果的な上げ方を探るべく、『一応』先輩にあたるアスカに教えを乞うたのだが、売り言葉に買い言葉で口喧嘩となってしまったのである。
ちなみに、実に5時間以上に渡って続いたそれは、ミサトの話を聞いたアスカが、最初に放ったセリフに全てが集約されている。

曰く、『はあ? 三十女がチルドレン? マジなのそれ? サギもイイとこじゃない!』

後はもう、あえて語るまでも無いだろう。
語ったところで、不毛以外の何物でもない。
本来なら、記録として残す事が義務付けられている各支部との通話内容を、MAGIが満場一致にて勝手に削除した程である。

「まったく。支部とのホットラインを無断使用。しかも、私用電話に使うなんて。
 この通信代は、自腹で払って貰いますからね!」

事情を聞いて絶句した後、即興で罰則を決定するリツコ。
ミサトの手綱を取るため、この辺の権限は、無条件に与えられている。

「そんなあ〜  国際電話じゃ幾らか掛かるか判んないから、ネルフの回線で話したのに〜」

職業倫理が無いのか、この女は!
と、余り人の事は言えない様な感想を抱きつつも、

「嫌なら結果を出しなさい。
 そうね。まずは命中率50%以上。期限は今月一杯。
 これがクリア出来たら、『意味のある会談だった』として、経費で落としてあげるわ」

救済策を提示するリツコ。相手がミサトだと、この辺、実に甘い。
これがマヤであれば『あら、気に入らないの? それじゃ始末書も書いて貰おうかしら』ぐらいの事は言っていただろう。
『馬鹿な子ほど可愛い』彼女だった。

「ふみゅ〜」

「可愛い子ぶっても駄目よ。
 いえそれ以前に、いい加減止めなさいよ、そういうの。もう良い歳なんだから」




その頃、色んな意味で遠く離れた、2199年の火星では、

「よう。皆、頑張ってる様だな」

棒読み丸出しな口調で、オオサキ提督によるトライデント中隊への訓示が行われていた。
その姿からは、普段は恒常的に発散されている覇気が全く感じられない。
だが、それも無理ない事だろう。
つい2時間前迄、彼は自身が最も苦手とする分野で、極めて不利な戦いを強いられていたのだ。
取り分け、カグヤ オニキリマル大使とのそれは、正に絶望的なものだったと言わざるを得ない。
それでも、宿敵を前に一歩も引かず、辛うじて勝利………いや、引き分けに持ち込んだのだのだから大したものである。

無論、その代償は少なくなく、今やこの体たらく。
本来なら、彼が登場するシーンにおいては、彼の一人称にて語られる筈のこの物語なのに、引継ぎをする気力さえ無い有様という訳なのである。

「つ〜ワケで、作戦名『イッパツマン』は、当初の予定から大幅に遅れている。
 だが、この作戦の要とも言うべきハーリー准尉が、政府高官の奥様方のオモチャとなって………
 (ゲフン、ゲフン)いまだ木連を離れられない状況にある為、それを早める事は出来ない。
 よって、諸君らの本格的な参戦は、次の次。対ラミエル戦となるだろう」

入院加療中の浅利三曹を除いて勢揃したトライデント中隊を前に、計画の不備を語る口調にも、普段のキレが感じられない。

「提督、浅利三曹の救出は何時行いますか?」

常ならぬその態度に不審を覚えつつも、これまで『待った』を掛けられていた救出作戦について尋ねる春待三尉。
何せ、いかに無事だと判っていも、仲間が敵陣営に捕われたままでは落ち着かない。
彼女にしてみれば、手隙とならざるを得なくなった今の内に、手早く解決しておきたい問題である。だが、

「残念だが、その件は、いまだ時期尚早だよ。  浅利三曹の救出は、彼の取調べが終了して、一般病棟に移されてからの事。
 それも、多分2〜3日は後………いや。ひょっとしら、シャムシエル戦以後という事になるかも知れないね」

絶不調のオオサキ提督に代わって、ホテルオーナーモードのアントニオ大佐が、それを制止。
そして、浅利三曹の今後について語った。

「な…何故でありますか?」

「決まっているだろう。小さなレディの期待に応える為だよ」

「はい?」

かくて、各陣営共に若干の不安要素を抱えたまま、月日は飛ぶ様に過ぎ去り、シャムシエル来襲の日がやってきた。




その日、少年は極度の緊張状態にあった。
だがそれは、少年にとって馴染み深いネガティブなものではなく、『期待に胸を膨らませる』という言葉が過不足なく当て嵌まる類のものであった。
何故なら、少年は今日を境に生まれ変わるつもりだったのだ。
いや、『いつ死んでも構わない』そんな馬鹿な事を言っていた頃の少年は、もうどこにも居やしない。
朝、目が覚めて、自分が生きている事を実感する喜び。
今日を生き抜く為に、知らず身に付いた生への執着。
初めて手に入れた、家族の温かさ。
その総てが彼を変えたのだ。

社会的な面から見ても、少年は自立の道を歩み始めていた。
成り行きとはいえ、 自分の意志でエヴァンゲリオン初号機の臨時パイロットに就任。
それも、北斗という強力なバックボーンを得ているとはいえ、
『これは、零号機の専属パイロットが意識不明の重体なので、素人の自分に頼るしかないが故の人事。
 だから、その専属パイロットが回復すれば、晴れて自由の身』
という、本来であれば、決して認められなかったであろう、破格の労働条件の基にである。
おまけに、貰ったバイト代を定期預金に入れ、イザという時の生活費を確保しておくといった、したたかさまで、既に身に付けているのだ。
これは正に、長足の進歩と言わねばなるまい。

蛇足ではあるが、このバイト代。
ネルフが支払いを拒否しているので、実は、それを装ったマーベリック社からの入金だったりする。
これは、『いまだ精神的に幼いシンジに、余り汚い部分を見せたくない』という、零夜の教育方針によるものであり、
当然ながら、シンジはこの事実を知らない。
まあ、これは本編とは直接関係の無い話。あまり気にする必要はないだろう。

と言っている間にも、2Aの教室の前に到着。学園特有の喧騒が聞えだした。
一瞬、過去の事例から、少年の胸に不安が過ぎる。
だが、それはもう的外れなものでしかない。
仮に、彼をイジメの標的にしようとする者が現れたとしても、その人物は『人は見かけによらない』という格言を、
手痛いシッペ返しと共に思い知る事になるだろう。

彼が真に憂慮すべきは、イジメ等ではなく、その身の業の深さにこそある。
そう。担任以外の人間に案内されている時点で、少年は事の異常性に気付くべきだったのだ。

   ガラガラッ

「転校生の碇シンジです。宜しくお願いします!」

(良し! イメージ通りに出来た。
 これで第一印象はばっちり。後は、自己アピールを上手くやれば………)

「おお、来たかシンジ」

     ずがしゃああああっ

教壇の前に立つ、彼が知る中で、最もその場所と縁遠い筈の人物。
教師、影護北斗というありえない事態に、勢い余って自爆するシンジ。
かくて、彼の波乱に満ちた学校生活が始まったのである。

「どうしたシンジ? 教室に入るなり、いきなり頭から滑り込んだりして。
 ひょっとして、パフォーマンスとかいうヤツか?」

「そんな訳ないでしょ! いえ、そんな事より、なんで北斗さんが此処に!?」

「何故って、此処の担任だぞ俺は」

「担任〜〜〜〜〜!?」

弾かれた様に起き上がると同時に、見ざまし時計の様にキンキンと絶叫するシンジ。
北斗と出会って以来、急速にツッコミの才を開花させた彼である。
観客である2Aの生徒達も、また然り。
二位週間前の始業式において、北斗より浴びた最初の洗礼の効果は絶大だったらしく、
この程度の事では欠片も動じず、それどころか、面白そうに二人のやり取りを見物している。

「だって、北斗さんは、まだ19歳でしょ! 教員免許は!?」

「無い筈がないだろう」

と言いつつ、北斗は懐から教員免許を取り出し、シンジに見せ付けた。

「舶来物だぞ、凄いだろう」

得意そうに胸を張る北斗。
ちなみに、これは偽造品等ではなく、イネス博士の一ヶ月間に渡る特殊カリキュラムによって身に付けた実力の産物。
資格取得に年齢制限を設けていない地にて受けた試験によって勝ち得た、本物の教員免許だったりする。
ちなみに、その荒行の代償に、当時の彼は、 『裏切ったな枝織。俺の事を裏切ったな。クソ親父と一緒で裏切ったな』
と、訳の判らない事を口走るくらい追い詰められたりもしたが、今となっては良い思い出だろう………きっと。

「舶来物って、イタリアの教員免許じゃないですか、コレ!」

「………まあ、細かい事は気にするな。実際、まだ誰も文句を言って来ないことだし」

「気にしますよ、普通は!
 それに第一、教師一年生の身で、どうやって担任職に就いたんですか!?」

「それは秘密だ。何せ、此処に居る子供達には、将来への夢や希望があるからな。お前と違って」

「それはもう、言外に『汚い手段で有無を言わせず就任した』って言ってる様なもんですよ!」

と、言うだけ言った後、頭を抱え蹲るシンジ。
どうやら、漸く『何を言っても無駄』という事実に気付いた様だ。
決して頭は悪くないのに、事此処に至るまで、それが理解出来ない特異な思考。
この辺りが、彼が貧乏クジを引き易い最大の原因だろう。

(((そういう事だったのか)))

始業式以来、ずっと胸に蟠っていた疑問が氷解し、一斉にうんうんと頷く2A生徒達。
シンジを見詰める生暖かい視線も 珍獣を見るものから、やるだけやって玉砕した戦友を見るそれへと変わっていく。
かくて、図らずもシンジは、転校初日、それも最初の15分にして、クラスメイト達の信頼を勝ち得る事に成功した。

   キーン・コーン・カーン・コーン

「ちっ、もうHRは終わりか。仕方ないな。シンジ、取り敢えず座っとけ」

「えっ? でも、まだ自己紹介が。それに、座れってどこに………」

「どこでも構わん。不都合が起こったら、その都度合わせろ」

と言い残して、北斗はサッサと教室を出て行った。
当然ながら、呆然としたままそれを見送るシンジ。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。
その有様を哀れに思ってか、2Aの最後の良心、委員長の洞木ヒカリによって、

「ごきげんよう、碇シンジ君」

彼は、濃いめの人材を集めた隔離区画となっている、窓際の後列席へと案内された。
あれ? これもある意味イジメなのかな、ひょっとして?




「なんや、えろう減ったのう」

その3時間後。重役出勤にも関わらず、欠片も悪びれずにトウジが登校。
御約束のセリフを吐きつつ、窓際最後列の席に座った。

「久しぶりだなトウジ。どうしたんだよ、二週間も学校を休んで?」

その前の席のケンスケが、これまた御馴染みな感じで声を掛ける。

「ほれ。こないだの怪獣大戦争で、アキの奴がドジこいて、戦自に迷惑を掛けたやろ。
 その時の事情聴取とかで何度か呼び出されたんで、それに付き添わなアカンかったし。
 おまけに、チョッとお父んが事故に負うてもうてな。
 労災の申請やら入院の手続きやら、そらもう色々あって、学校どころやなかったんや」

「そうか。大変だったんだな」

トウジの返答に、取り敢えず頷いて見せるケンスケ。
だが、親友の言動から普段の覇気が感じられず、その顔には、常ならぬ暗い影が差込めているとあっては、それだけでは到底納得できない。
暫しの逡巡の後、彼は意を決し事情を尋ねた。

「その………聞き辛い事なんだけど、親父さんの具合、かなりヤバイのか?」

「いんや。確かに全治三ヶ月の重傷やけど、後遺症の心配は無いって話や。
 それに、なんかネルフの方に落ち度があっての事故らしくて、
 保険金は勿論、見舞金の方も仰山弾んでくれたんで、生活の方も、まあどうにかなっとるで。
 世話して貰ろうたハウスキーパーさんの給金も、向う持ちやしな」

「じゃあ、何でそんなに暗い顔してるんだよ?」

「いや、それなんやけどな………」




   〜 三日前、第三新東京市市立病院 〜

「いやどうも、この馬鹿がえらい御迷惑を掛けたそうで。えろうスンマヘンでした!」

そう言って、此処へ来る迄とは 180°変わった愁傷な態度で、トウジは深々と頭を下げた。

「もっと早よう来るべきところを、ホンマ申し訳ない。実は、あの後、お父んが事故で………」

『どうせ、お父んの見舞いのついでや。一応、礼の一つも言っておかんとな』当初は、そういうつもりでの来訪だった。
というのも、あれ以来、自分に良く懐いていた妹が、事あるごとに救出された時の話を始め、幼いなりに恋する乙女の顔を見せていたからである。
彼が浅利三曹に敵意を持ったのは、極自然の成り行きだろう。
だが、腹にコルセットを当て、左手にギブスを嵌めたその姿を見た時、そうした感情は胡散霧消し、感謝の気持ちのみが、トウジの胸を満たしていた。

「ほれ、お前も頭下げんかい」

そう言って、はにかんで後ろに隠れていた妹………アキちゃんを、浅利三曹の前に引っ張り出し、
更には、二人が話し易い様に、これまでは不機嫌のもとでしかなかった救出劇の話題を自ら振り、場を盛り上げるトウジ。
良くも悪くも、単純な気質の彼だった。

  (ガッ、ガッ、ガッ、ガッ………)

「あた〜っ。よりによって今日だなんて。ほんと、僕って呪われてんじゃないのかな?」

「それってどういうこっちゃ?」

一時間後。
だいぶ打ち解けてきた事もあり、突如頭を抱え始めた浅利三曹に、トウジは何時もの調子で尋ねた。
いや。彼の視点では、既に浅利三曹は友人の一人だったのだろう。
だが、現実には、二人の住む世界は違いすぎた。
まあ、『現時点では』であるが。

「これから嬉しくない訪問者が来るってことさ。
 そんな訳で、悪いけど、事が終わるまで、二人はベットの下に隠れていてくれ」

「へっ?」

「早く!」

それまでとは一変した浅利三曹の雰囲気に気圧され、訳も判らぬまま唯々諾々とその指示に従う鈴原兄妹。
と同時に、突如軍靴が鳴り響き出し、

   バン!

「元トライデント中隊所属の浅利ケイタ三曹だな。国家反逆罪で貴官を拘束する」

乱雑にドアを開けられ、見るからに非合法な仕事に従事していそうな数人の黒服が乱入し、その内の一人がそう宣言した。

「反逆罪って、取調べにはちゃんと応じた筈だけど?」

「五月蝿い。恨むなら、貴官を見捨てて逃げた上官を恨むのだな」

そう言いつつ、浅利三曹に銃を突きつけ様とする黒服A。
だが、その銃は照準に捕らえる事無く、アッサリと蹴り飛ばされた。

「遅いよ。今のをまともに喰らう様じゃ落第だね」

「なにっ!?」

「オジサン程度の腕じゃ、兵士としては三流以下ってことさ。
 僕としては商売替えを推奨したいね」

拳銃を飛ばされた男の顔が、怒りで真っ赤に染まる。

「ふざけるなっ! こっちは餓鬼の戦争ゴッコとは訳が違う。本物の……」

   ガチャン

だが、言葉半ばで、顔面に花瓶をモロに食らって昏倒した。
この辺が端役の悲しさ………もとい、彼らが三流以下である証明だろう。

「戦場では、無駄口を叩く奴から狙われる。そう習わなかった、オジサン?」

残った男達の間に一瞬動揺が走る。
だが、すぐに立ち直り、彼らは素早く浅利三曹を取り囲んだ。
同士討ちを警戒してか、得物を銃からナイフに持ち替えている。
浅利三曹もそれに合わせ、腰を落とし、ギブスを填めた左手を前に突き出す。

「ほざくな餓鬼が。世の中、教科書通りには行かない事を教えてやる」

「教科書すら読もうとしなかった人に教わる事なんて何も無いね」

その挑発を合図にしたかの様に、一斉に飛び掛ろうとする黒服達。だが、

「TIME OVER」

突如、背後から褐色の少女に襟首を掴つかまれ、そのまま締め落とされ昏倒。
三人仲良く、夢の世界へと旅立った。

「サンキュー、ジル」

「礼など要らん。この程度の相手ならば、御粗末な格闘戦技しか持たないお前でも、なんとかなった筈だ」

礼を言う浅利三曹に、無関心な顔をしつつ毒舌をもって答えるワークマン士長。
これは、別に彼と仲が悪いからではない。
一般兵士の三倍近いのパワーとテクニックを誇りながら、社交性に関する技術が常人の1/10も無いのが、彼女の最大の弱点だった。

「相変わらずキツイなあ」

それを熟知しているので、気にする事無く会話を続ける浅利三曹。そして、

「只の事実だ。それより、来るなら早くしろ。でなければ帰れ」

「帰れって、どこに帰るんだよ?」

「知らんな。私はスポンサーからの指示通りの対応を取ったに過ぎん。ノー・プロブレム」

と、定形のやり取りの後、ベットの下の二人に、出てくる様に促した。

「ゴメンよ、アキちゃん。折角来てくれたのに、こんな騒ぎに巻き込んじゃって」

「ううん、良いの。それに、ケイタさんが悪いんじゃないし」

「有難う。これでお別れになるけど、元気で居てね」

突然の『お別れ』宣言に衝撃を受けるアキちゃん。
だが、それに負ける事無く、何とか翻意させようと、涙ながらに浅利三曹を引き止めている。
幼いなりにも女の子である。
だが、現実は常に非情なもの。彼女の初恋の相手は、歴史とか運命とか某提督の陰謀とかによって、戦う事が宿命付けられた人間だったのだ。

と、片方がやや若すぎるが、良くある愁嘆場が繰り広げられているその横で、

「Mr.Suzuhara」

「えっ。その…わ、わしの事でっか?」

「Yes。済まないが、我々はこれで撤収する。後始末を頼めるだろうか?」

ワークマン士長が、トウジを相手に、実務レベルでの話を進めていた。

「後始末ちゅうても………わし、いったいどうすれば良いんや?」

「今見た事の一部始終を、これから来るだろう警察なりネルフなりに報告。
 その際、自分達は偶然巻き込まれただけで、ケイタとの面識は無いと証言して欲しい。OK?」

「えっと?」

「Soryy、説明不足だった様だな。
 要するに、人質としての価値が無い様に振舞ってくれという事だ。Have you understood?」

その後すったもんだの挙句、別働部隊の乱入を受け、二人は別れの挨拶もソコソコに、待機していた赤木士長の駆るジープにて逃走した。
追いすがる黒服達のベンツ。
その前輪を、没収してあった銃で打ち貫いてスピンさせたシーンが、トウジ達が『生』で見た、最後の浅利三曹の姿だった。



   〜  再び2Aの教室  〜

「すっげえっ! 流石、特殊部隊の狙撃兵!
 ドラマなんかじゃ簡単そうにやってるけど、本当は猛烈に難易度が高いんだぜ、それ。
 何せ、絶えず動く部分だし」

「って、お前はわしの話のどこを聞いとったんや!」

テンプレートな掛け合い漫才をこなした御陰か、大分普段の調子を取り戻すトウジ。
それにより、漸く回りに気を回す余裕が生まれ、

「ところで、カヲリはん達とダベっとる華奢な奴。あれ誰や?」

「ああ、アイツ。今日、ウチのクラスに入った転校生だよ。名前は碇シンジね」

「ほ〜う、新入りかいな。どうりで見かけん顔やと思った。
 しっかし、知らん事とはいえ、山岸とカヲリはんの間に立つとは。
 見かけに依らずチャレンジャーな奴やのう」

「それなんだけどさあ、実はアイツ………」




と、物語がTV版に準拠し始めたその頃、

「うおおおおっ、やってやるぜ!」

直線距離にして80km程離れたダークネスの秘密基地では、専用の特殊シュミレーターにて、
トライデント中隊の子達による、作戦名『イッパツマン』に合わせ再調整された、各種専用機への転換訓練が繰り返されていた。