【ミスマル=コウイチロウの憂鬱】


   〜  2199年5月15日 ミスマル邸 〜

   パサッ

うん? やれやれ、何時の間にやらうたた寝をしていた様だ。
取り急ぎ、安らかな午睡を始める前に検証していた書類を拾い上げる。

私の名はミスマル=コウイチロウ。
ユリカの父親であり、また、去年の今頃には、アキト君の義父となる筈だった者だ。
だが、運命は残酷にもその仲を引き裂き、二人の結婚は、アキト君が生還を果たすまでお預けとなってしまった。
実に残念な事だ。

………まあ、100%本音を語るのであれば、内心ホッとしている部分も確かに存在している。
だが、これは男親の本能と言うべきもの。決して、アキト君の失踪を喜んでいる訳ではない。
嘘だと思うのであれば、この話を彼自身に吹聴してくれても構わない。
きっと、今の私の心情を理解し、笑って許してくれる筈だから。
そう。彼は心の痛みに敏感な男なのだ。きっと、ユリカもそこに惚れたのだろう。

いかんな。再び思考が脱線している。
私ももう歳なのかもしれん。早急に、グラシス中将の所の様に後釜を捕まえ………じゃなくて、養成する事にしよう。

未来についての考察に区切りをつけ、再び書類の内容に目をやる。
その内容は、一週間前に行われた模擬戦のことだ。
残念だが、あれは失敗だったと言わざるを得まい。

いや、その内容自体は、それほど手抜きだった訳ではない。
それどころか、洗練された艦隊運動といい、両陣営指揮官の心理の動きが如序に見て取れるあの牽制の掛け合いといい、
軍事関係者であれば、かなり見応えのある一戦。実際、私等は、流石アオイ君だと感心したものだ。
だが、ナデシコ級の戦艦と木連艦隊との対戦というネームバリューに引かれて参加した観客達は、
あの様な地味な戦いでは満足出来なかったらしく、甚だ不評。
『まともに戦っていない』だの『馴れ合いの泥試合』だのと、監視委員会が手配した大型旅客機内はブーイングの嵐だった。
平和ボケも此処に極まれり。どうも、何かのショーだと勘違いしているらしい。
中には『税金の無駄遣い』とまで言い出す者まで出る始末。
それだけに、海神監査官が『それはオメエ等の旅費の方だろ!』とタンカを切ってくれた時には、正直、胸のすく思いだった。

だが、それで不満が消え去った訳では無い。
アオイ君が取った戦術。最大の戦力であるジャッジをオトリに使うというその戦法自体は秀逸なものだった。
だが、それが連中の攻撃材料に。
各専用機の実力。とりわけ、リーダーと目されているアカツキ君のそれに疑問符が付いてしまったのは痛かった。
おまけに、それを吹聴しているのと別のグループが、真紅の羅刹死亡説などという荒唐無稽な噂を流しているのだ。
正に、誹謗中傷としか言い様のない風聞。
だが、こうした悪意に歪められた情報が、しばしば民意となってしまうからジャーナリズムは恐ろしい。
東中将としても、これでもう、次の模擬戦では、真紅の羅刹を出さざるを得まい。
相手をさせられるオオサキ君陣営としては、さぞや頭の痛い事だろう。

また、事務レベルでも、なんか幾つかの書類が滞ったとかで、ヨシサダ君がブリブリと怒っていた。
だが、これらの失態は、政治家共の横車のツケを、オオサキ君一人に押し付けたが故のもの。
もう少し好意的な対応をしてやっても良いんじゃないかと思う。
どうもこの所の彼は、『オオサキ君に対して含むところが有るのでは?』と、感じる事が少なくない。
今度、飲みにでも誘って、その辺りの事をそれとなく聞いてみるとしよう。

「たっだいま〜〜!! ルリちゃん居る〜!」

ん? この躍動感溢れる声は、間違いなくユリカのもの。
予定より少々早い時間だが、どうやら士官学校から帰ってきたらしい。
私は、取り急ぎリビングへと向かった。

「それじゃ、わざわざ西欧州まで通ってるんですか?」

「う〜ん、私もちょっと面倒臭いって思うけど、留学はお父様が許してくれなかったから。
 それに、これは私の我侭の極みみたいなものだモン。
 アントニオさんはもう引退した身だし、ホテル経営の仕事もあるのよ。
 イタリアを離れて此方に来てれなんて、とても言えません」

ドアの前で漏れ聞く会話の内容からして、どうやらユリカが、ルリ君の友人に近況を語っている様だ。

あれからもう一年。
あの大戦が終結した後、ユリカは軍を退役して予備役となり、士官学校の講師を勤めている。
そしてその傍ら、自身も改めて戦術を学びたいと言い出し、足蹴く西欧州へと出掛けているのだ。

勝利とは、兵の士気を高め自信を与える肥やしであるが、同時に、己の力を過信させる毒でもある。
正直な所、数多の戦術家の中から、ボナパルト元大佐を師と選んだ娘の慧眼には、私自身舌を巻いている。
差し詰め『天才は天才を知る』と言ったところだろうか。
常勝不敗のユリカにとって、撤退戦の名手たる彼の教えは、総てが生きた教訓となるだろう。

実際、私自身の経験からも言わせて貰えば、撤退とは百の勝利を重ねるよりも難しいものである。
敗北とは、容易に人の心を蝕み兵力差以上に戦力差を落ち込ませる。
しかも、横との連絡が寸断され組織だった行動が取れなくなり、状況を把握する事さえ至難の業となるのだ。

ユリカもまた最前線を戦い抜いた歴戦の勇者の一人。九死に一生を得た事さえ、一度や二度ではあるまい。
だからこそ、平和を教授しうる今この時に、最も厳しい条件下での戦闘について学ぼうと思ったのだろう。
『治にて乱を忘れず』ミスマル家の家訓の一つであり、先人達の、そして私の教えが、着実にユリカに受け継がれている証拠だ。
窮地にあって、共に闘う仲間、取分けアキト君の存在は、さぞ大きかっただろう。
しかし、真にユリカを支えたのは、ミスマル家の人間に代々受け継がれてきたこの気概であると、私は自惚れている。

嗚呼! 立派な軍人となったその姿を見るにつけ、最近の軍内部の風評が腹立たしくてたまらん。
とりわけ、ユリカを快く良く思わない若手将官達等は、『持って生まれた才能と家柄の上に胡座をかいた苦労知らず』などと、的外れなと陰口を叩く始末。
まったくもって度し難い。戦場に出た事も無い癖に、戦地での苦労をしたり顔で語る姿など、正に噴飯ものだ。

「またまた。ルリルリにさえ羊羹のチョコレート掛け並に甘い小父さんですよ。
 ユリカさんには爆裂ワッフルよりも甘い事位、事例を見るまでも無く判りますって。
 目を潤ませてお願いポーズをとるだけで、そのアントニオって人の現役復帰とユリカさんの教官就任の為の命令書が、
 その日の内に発行されますよ、絶対に」

「もう、アユミちゃんたら冗談ばっかし。幾らお父様でも、そこまではやったりしません」

「「あははははっ」」

な…なんて事を言うんだ、この小娘は!
このミスマル=コウイチロウ、その様な公私混同など………しようと思っただけで実行には移さなかったぞ。
う〜む。どうやらルリ君には、今少し友人を選ぶ様、注意を促した方が良い様だな。

私は、顔が引きつっていないか手鏡でチェックした後、さも今着いたかの様にリビングのドアを開けた。

「おおユリカ、帰っていたのか」

「あっ、お父様! ただいま戻りました」

「うむ」

いかんな。どうにか平静を装っては返答する事ができたが、今のはかなり危険なものがあった。
そう。最近のユリカは、容姿ばかりでなく内面から滲み出る慈しみに満ちたしっとりとした母性までもが、亡きユリエに酷似してきているのだ。
そして、本来なら喜ぶべきその事が、私の心を狂わせる。

嗚呼、早く帰ってきてくれアキト君。
このままでは、いずれ君を裏切る事になりかねん。
正直言って私の理性は、もう長くは持ちそうに無い。