【アキトの平行世界漫遊記C】
古代を越え、紀元をも遥かに越えた時代。
大洋の中に、その大陸はあった。
嘗ては大陸全土が統一され、華やかに栄えていたが、
1000年ほど前から数度起こった大災害と、氷河期時代の終焉による海面の上、
そして全土をひたひたと侵食する砂漠化が、大陸全土を荒廃させ、
大陸を統一していた共和国の体制は崩れ、群雄割拠の時代を迎え、全土は麻のように乱れた。
そんな時代の、ある日。
バタン
そこでは、極めて稀な光景が。
あのテンカワ氏が、赤子の手を捻るが如く容易く投げ飛ばされ、地面に叩きつけられていた。
「完敗です。こう見えても、柔術には自信があったんですが、どうやって投げられたのかさえ判りませんでした」
起き上がると、サバサバとした顔で対戦相手を賞賛するテンカワ氏。
その顔には敗北のショックなど微塵も感じられず、それ所か、幼い子供の様に純粋な、好奇心に満ちた目をしてる。
おそらくは、己を投げた技への興味で頭が一杯であり、許されるのであれば、その習得さえ望んでいるのだろう。
そう。彼は本質的に争いを好まない人間でありながら、その潜在意識化では貪欲なまでに力を求めている。
業が深さも、此処に極まれり。
だが、そうした業を彼が背負っているのは、私の監督不行き届きの所為。
これに目を背ける事は許されない。
「残念ながら、柔術というものがいかなる術なのかを私は知らない。
だが、これだけは言える。君は卓越した力を持っている。私はその一部を利用させて貰ったに過ぎない」
淡々とテンカワ氏の賞賛を否定するケイローン殿。
これは、別に韜晦している訳ではない。
彼らケントウリ族には、基本的に闘争という概念が存在しない。
従って、先程の投げ技も、武術のそれではなく、向かってきたテンカワ氏の力の流れを僅かに変えて避けてみただけの事。
本来ならば、少し押された程度にしか感じられない屈折率であり、テンカワ氏の力が強大だからこそ、まるで投げ技の様に感じられたに過ぎないのである。
「それこそまさに、柔術の極意そのものですよ」
「なるほど。霊視の力を人の技に置き換えたのか。興味深いな」
いや、その理屈はおかしいだろうケイローン殿。
相手の力を利用するのと、自分以外のもの総ての力を借りるのとでは、概念自体が違う。
実際、先程の貴公のそれは、空気の流れそのものを味方につけた、れっきとした魔術だし。
いや、そんな事を言い出したら、ケントウリ族である彼が、テンカワ氏の鍛錬に興味を持った事自体がありえぬ事。
やはり、ケイローン殿は相当の変わり者の様だ。
もっとも、だからこそ世界の相を育てる決心をしてくれたのだろう。
寧ろ、この巡り合わせに感謝すべきと言えよう。
この世界にとっても、私にとっても。
そう、彼等は半人半馬の。この星に流れついた、予言の才を持つ第三階梯の種族。
その力を少々拝借し、彼の口から、
テンカワ氏が世界の修復力に選ばれた事。
その為に、今後もこうした転移を繰り返す事。
という此方の事情を、既に遠回しな形で伝えて貰ってある。
さて。暫くこの地から離れていた読者諸氏の為に、此処までの状況を掻い摘んで説明させて頂こう。
あの後、恙無くシレーナ嬢を救出したテンカワ氏だったのだが、その直後、思わぬアクシデントに見舞われた。
何と、その直後に、彼女が産気づいてしまったのだよ。
無論、彼には産婆の心得なんて無い。
そういった事情により、普段は力の行使を嫌う彼も躊躇ってはいられない。
視認出来る範囲でのボソンジャンプを繰り返して、僅か数分でこの森に到着。
その御蔭で、
産まれなかった筈の世界の相が、無事、この世に誕生した。
そして、残念ながらシレーナ嬢は、史実通りこの世を去った。
世界の相が誕生して、僅か五日の事。
今少し生きていてくれたら、テンカワ氏の尽力によって、その未来を変えられただろうか?
いや、これは意味の無い仮定だったな。
彼女の心の中に住める男性は、後にも先にも一人だけ。
そうでなければ、あまりにも救いが無い。
ん? この波動は………そうか、オオサキ殿が再びやってくれたか。
初期の目的は果たして貰ってある事だし、早速、テンカワ氏を転移させるとしよう。
「別れの時が来たようだな」
蹄を鳴らしながら、淡々と別れの挨拶をするケイローン殿。
「最後に今一度聞こう。自分を許す気にはなったかね?」
「いいえ。ですが、貴方からの忠告は忘れない様にしたいと思います。それでは、お元気で」
シュッ
そうした拘りこそが、貴公を厄災の元凶にしている。
ケイローン殿は、そう伝えたかったのだが。
まあ良い。もとより、彼の一言くらいで翻意する様では、あの乙女達の苦労が浮かばれない。
これがテンカワ氏なのだと割り切るべきだろう。
さて。次の修復先は…………なるほど、あの男に武術の指南を…………
って、何故にもう死んでいる!?
ま…拙い! これでは、おもいっきり因果律が狂ってしまう。
サーチ。良かった、まだ死後それほど経っていない。魂も、この場に留まっている。
多少ルール違反だが、私が憑依して、彼の肉体を修復するとしよう。
心臓の鼓動を確認。自律呼吸開始。
うん。脳にも肉体にも、致命的な後遺症は無い様だ。
魂もまた、不屈の闘志を失っていない。
これならば、再びこの肉体に定着させる事が出切るだろう。
それにしても、一体どうなっているのだ、この事態は。
確かに、オオサキ殿が使徒を撃破する事で、数多の平行世界に影響がでるのは避けられぬ事ではあるが、これはもう、いくら何でも狂い過ぎと言うもの。
となると……………まさか!?
嗚呼、なんという事だ。
頼む。この世界での因果律修復が終り次第そちらに向かうゆえ、無事でいてくれよオオサキ殿。
既に手遅れなのは判っていたが、私は祈らずにはいられなかった。
遥か高次元に住まうロゴスを司るあのお方が、この願いを聞き届けてくれる事を。