>SYSOP

   〜 一週間後、6月25日 第一中学校 職員室〜

知識としては知っていたが、軽いカルチャーショックだった。
道すがら擦れ違う、登校途中の生徒達。
これほど多くの同世代の少年少女を見たのは、アスカにとって初の経験だった。
それ故、軽い躁状態にあった。
だがそれは、彼女にとって馴染み深い、他者への攻撃性を伴うものではなく、『期待に胸を膨らませる』という言葉が過不足なく当て嵌まる類のものであった。
そう。他人を見下す事で、自身の優秀さを確認する等という悪循環に陥っていた少女は、もうどこにも居やしない。
あの運命の日、求めるゴールに辿り着き、新たな目標を自分自身で選んだ時から、セカンドチルドレン等という虚像は、弐号機という呪縛と共に砕けて散ったのだ。

チラリと、保護者として老教師と話をしているミリアに目をやる。
彼女には、幾ら感謝してもしたりない。
正直、最初の何日かは。特に、査問会から今の役職を勝ち得るまでの過程においては、
明確な敵が目の前に居たからこそ、それを攻撃する事で自分を保っていたと言っても過言じゃ無い。
すべてが終って気が抜けた時の猛烈な孤独感を思い出すと、今でも寒気がする。
彼女とナオの存在がなかったら、新たな戦いの第一歩目にしてリタイヤしていたところだ。

そんなミリアは、此処の英語教師として、一年生の授業を受け持っているとの事。
自分は二年生。それ故、学園内での接点は殆ど無いが、それでも心強い事には変わりない。

「それでは、そろそろ行きましょうか」

「惣流さん、頑張ってね」

老教師に促され、ミリアと別れ教室へと向かう。
『惣流さん』と呼ばれた時にはチョッと凹んだが、彼女は此処の教師でもあるのだ。
これは公私混同を避ける為だし、学園内ではそう呼ぶと事前に聞かされていた事でもある。
この辺、自分は子供だなあと苦笑。気を取り直し、目の前を歩く老教師をマジマジと観察する。

(コレの、どの辺が『真紅の羅刹』なのかしら?)

正直、首を捻らざるを得ない。 自分が転校する先の担任が噂の真紅の羅刹だと聞かされた時には、
その職業と逸話の数々とのギャップに驚いたものだが、その実像は更にチグハグだ。
そう。眉唾話だと思っていたそれが、厳然たる事実である事は既に確認済み。
それも、すぐ身近にその事例が居た。
実は、この一週間。ナオは、ネルフ本部内に『パスも無しに』自分を迎えに来ていたのである。
しかも、帰り仕度を待っている間も大人しくなどしておらず、事あるごとにスッタフにチャチャを入れる始末。
その挙句、キレたミサトが乱射したベレッタの銃弾を、マトリクスっぽい動きで回避しつつ、ヘラヘラ笑っているのだ。
そんな彼に比べれば。否、比べるまでも無く、目の前の男は平々凡々。足運びからして素人丸出しである。
例えばそう、今、体重の乗っている方の足を払えば簡単に、

   シュッ

と、考えた瞬間、目の前に正拳が打ち出されていた。
驚くアスカ。そんな彼女に向かって、老教師は手の平を広げて見せると、

「失礼。蚊が飛んでいたので、つい…ね」

なるほど、見た目通りの人間じゃないって訳か。
惚けた事を言う老教師を前に、新たな闘志を燃やすアスカだった。



   〜 四時間後 昼休み 〜

「さぁ〜て、メシやメシ!」

喜色満面にそう宣うトウジ。お昼を告げるそのセリフを合図に、他の2Aの生徒達も昼食の用意を始めた。

「おっ、なんか今日は毛色が違うな。どうしたんだ、シンジ?」

お裾分けを貰うのが恒例になりつつある為、つい覗き込んだ弁当の中身が常ならぬ洋食風だった事を不審に思い、事情を尋ねるケンスケ。

「ほら。北斗さんが、故郷の結婚式に出かけたでしょ。
 零夜さんもそれに付いて行っちゃたから、今日のは僕が作ったんだよ」

「そういうこっちゃ。(カパッ)おっ、ハンバーグにフライドポテトかいな。こういうんは、久しぶりやのう」

オカズを物色した後、トウジは、何時も通りの健啖ぶりで特大の弁当箱の征服に乗り出した。
数瞬、それを眺める。その後、ケンスケはオーバーアクションで肩を竦めて見せながら、

「シンジ、お前は激しく間違っている」

親友の冒した失態を非難した。

「そんなに変かな? そりゃ、零夜さんの物とは比べようも無いけど、僕が作ったんだから、こんな物だと思うんだけど」

「せや。このハンバーグなんて冷凍食品やなくて手作りやぞ。これで文句言うたらバチが当るで」

口々に反論するシンジとトウジ。
だがそれは、的外れなものでしかなかった。

「弁当の出来は関係ない。問題は、『何故作ったか?』だ。
 つまり、お前は委員長の千載一遇のチャンスを潰してしまったんだよ!』

キラリと眼鏡を光らせつつ、MMRのキバヤシ張りに断言するケンスケ。
だが、返ってきた言葉は、お約束の『な、なんだって!』では無く、

「意味判る?」

「いや、(モグモグ)まったく」

極めて薄いリアクションだった。
正直、『まだそんな事を言ってるのか、コイツ等は』と思う。
だが、自分の口から告げるのはルール違反だろう。
言っているも同然のセリフを口にするのと、直接それを口にするのでは、似ている様でも、全然重みが違うのだ。

「(ハア〜)判った、もう良いよ。
 それに、良く考えてみれば、委員長の方も、心と材料の準備が必要な事。昨日の今日じゃ、多分、無理だったろうしな』

嘆息と共にヒントを散らしたセリフで締めると、ケンスケは菓子パンの袋を開けた。

と、三馬鹿トリオや使徒娘達が昼食をとっている場所から少し離れたヒカリの席の周辺で、アスカもまた、出来たばかりの友人達と昼食会を開いていた。
休み時間の世間話から、老教師が臨時の代理であり、真紅の羅刹では無い事は既に知っている。
だが、だからと言って気は抜けない。
彼女の周りは、決して油断できない曲者揃いなのだ。

「しっかし、窓際の席のヤツって、やたら“濃い”のが揃っているわね〜」

斜め後ろにたむろって居るその曲者達を指差しながら、そう宣うアスカ。
他意の無い正直な感想。だが、丁度、本来の自分の席の辺りだけに、結構切実なものがある。

「ゴメンね。シンジ君、ラナさん、ウミさんと続いたものだから、転校生=北斗先生の関係者って図式が出来上がってしまっていて………つい」

すまなそうに謝罪するヒカリ。
知り合ってまだ数時間だが、何故か不思議とウマが合い、既に友情らしきものが成立している。
それだけに、自身が言った通り、『多分この娘も』という偏見の元、隔離区画に配置したのが悔やまれる彼女だった。

「う〜ん。別に、それは良いんだけど〜」

と言いつつ、今一度、そちらの方に目をやるアスカ。

顔が隠れるくらい馬鹿デカイ弁当箱をかきこんでいるジャージ男。確か、鈴原トウジとか言ったか。
その隣は、暇さえあればシャッターを切っているメガネ。これは相田ケンスケ。馬鹿丸出しに見えて、意外と弁が立つ。
その斜め後ろ。授業中は勿論、朝から一度として顔を上げずに眠り続ける三つ編みの少女。日暮ラナと言って、あんなんでも学年主席の才媛らしい。
何故か、メガネが放った菓子パンが、その頭上で掻き消えている。
その後ろに置いてある水槽の中のナマコに何事か話しかけながらコンビニ弁当を食べているのは、自分のすぐ前の転校生で、魚住ウミ。
左右に髪を結い上げた御団子頭が特徴的。ただし、本人の前でそう言うと、『これはフジツボよ』と反論する辺り、所謂、電波少女と言われるタイプらしい。

本当に、堅気の学生とは思えない連中が揃っている。
本来ならば、もっとも特殊である筈のサード・チルドレンが、完全に埋没している程だ。

そして、目の前の席に座る三人組。
右端に座っているのが、ネルフでの同僚にして唯一まともに戦えそうな人材。ファーストチルドレンこと綾波レイだ。
ママの知識から、普通の人間で無い事は知っているが、それを言い出したら、自分だって似た様なもの。出来れば、上手くやっていきたいと思う。
だが、目の前で展開されている光景は、それに二の足を踏ませるものだった。
三人で一つのバスケットを共有している、これはまあ良い。
とても仲の良い友人同士という話なので、不自然では無いだろう。
レイは手先が不器用らしく、スパニッシュオムレツの具をポロポロと取りこぼしている。
寒色系キャラのお茶目な弱点。わりとありがちな話だ。
それを、眼鏡を掛けた、いかにも文学少女風の娘に窘められている。
叱られてションボリとなるレイ。意外と言うか始めてみる表情だが、付き合いは向こうの方が長いのだから、そういう事もあるだろう。
それを取り成しながら、軽くウエーブの掛かった亜麻色の髪の少女が、小皿の上に散らばった具とスプーンで綺麗に纏め、それをア〜ンとばかりに、レイの口元に差し出す。
小さな子供向けと言うか、チョッと過保護だなあとは思うが、百歩譲ってこれも認めよう。
しかし、差し出されたそれを食べた時の、普段とは似ても似つかない、人懐っこい子犬の様に満足げな表情。
アレだけは許容出来ない。折角のクール・ビューティが台無しだ。
とゆ〜か、一体なんなのだ、あの妖しい雰囲気は。

「コイツ等って、何時もこうなの?」

小声でヒカリにそう尋ねる。
返ってきた答えは、彼女らしからぬ毒を含むものだった。

「気にしたら負けよ」

そう言って、乾いた薄笑いを浮かべるヒカリ。
どうやら地雷を踏んでしまったらしい。
仕方なく、現実逃避を決め込んでいる彼女をスルーし、改めて目の前の人物達を観察する。

左端に居るのが、レイの親友にして同居人でもある山岸マユミ。
自己紹介のおり、補足説明っぽくメガネが語った話を鵜呑みにするのであれば、
レイは、眼下の敵には一gの容赦さえせず、その排除を寸毫も躊躇わない冷酷な少女であり、
このマユミは、更にえげつなくて、寧ろ一生もののトラウマを背負わす様な排除手段を好む血も涙も無い少女らしい。
話半分だとしても酷い論評である。
とゆ〜か、普段は冷静沈着なレイなら兎も角、こんな虫も殺せそうに無い儚げな少女が、どうやったらそんな真似が出来ると言うのだろう?
だがまあ、ナオの様に人間の皮を被った超人も居ることだし、この件は保留という事にしておく。

そして、いよいよ大本命。
異常極まりないこのクラスにあって、その異常の総元締めとも言うべき人物。
それが、煌く様な笑顔をデフォルトで浮べている真ん中の少女、カヲリ=ファー=ハーテッドだ。
見るからにお嬢様風な。大学時代に見かけた、高級サロンでオホホと笑っていた自称上流階級な淑女達の様な感じの外見をしているが、
あんな連中と違って、根性悪でもなければ高慢ちきでもない。
それどころか、間違いなく善意の人物だろう。
何しろ、最初に声を掛けて来てくれたのは彼女だし、半ば強引に、この昼食会に引っ張ってきてくれたのも彼女なのだ。
だが、決定的な壁があるというか、基準となっている常識が違いすぎる気がする。
取り分け、目の前の様な痴態を演じる趣味は自分には無い。
決して無理強いをする様な人間とは思えないが、知らずに付き合っていた所為で、何かの拍子に向こう側に足を滑らしていたら?
運良くそれは回避出来ていたとしても、何時もの調子で彼女と衝突した挙句、『いけない娘ね、オシオキよ』とか言い出されたら?
そう考えると、我知らず身震いがする。
取り敢えず、健やかで安全な学園生活を送る為、コレにだけは逆らうまいと胸に誓うアスカだった。いや、マジで。



   〜 午後7時。芍薬102号、ヤガミ家 〜

「ただいま〜」

「お帰りなさい、アスカちゃん。御飯、もう少し待ってってね」

「は〜い」

台所で夕食の準備をしていたミリアに挨拶した後、自室のベッドに転がり込む。

「だあ〜、疲れた」

制服が皺になっちゃうな〜
そんな事をチラと考えたが、もはや起き上がる気力が無い。
僅か3時間チョッとの攻防だったと言うのに、精魂尽き果てたかの様だ。
このまま転寝したら、さぞ気分が良いだろうなと思う。
だが、自分にはそんな怠惰な事をやっている暇は無い。
ママとの誓いを果す為、一分一秒とて無駄には出来ない。
肉体を休ませつつ、頭の方はフル回転させ、今日の出来事を反芻してみる。

ついに始まった学園生活。コレに関しては問題ない。
正確に表現するならば、問題のあるクラスメイトばかりなのだが、あしらい方のメドはついたし、滑り出しとしてはあんなもんだろう。
後は、真紅の羅刹との初顔合わせのみ。多分、なんとかなる筈だ。
問題なのは本業の方。エヴァの戦闘指揮(予定)の方だ。
ネルフが誇る使徒迎撃体制。これがもう、まったく使い物にならない。
予測を遥かに下回る惨憺たるものだった。
戦闘を支援する兵装ビル。現状では、これが有って無きが如しな状態なのは、まあ良い。
何しろ、零号機のモデルチェンジの為の予算が通った事が、ネルフ7不思議の一つに登録されたくらい困窮しているのだから仕方ない。
先行偵察の為の戦力。これが何一つ無いのも、百万歩譲って許容しよう。
情報を制す者が戦いを制すとまで言われる近代戦において、これは致命的な欠点なのだが、エヴァ以外の戦力を保有する事は対外的に色々問題があるらしい。
『ふっざけんじゃないわよ!』と思わず叫びたくなったが、何とか堪える。
そう。世の中、正論が常に正論として通るほど甘くない。
とある島国の経済大国なんて、水不足によって国民の生活用水が断水しても、国家○員達が贔屓にしているゴルフ場の芝生に撒かれる為のものは、
何の問題もなく潤沢に供給される程なのだ。

だが、肝心要のエヴァパイロット。これの錬度の低さだけは、ど〜にかしないと本気で拙い。
特にミサト。これがもう、どうしようもない。 何しろ、此方の言う事をまるで聞きやしないのである。
確かに、兵士としての実力はレイより高い事もあって、個人戦闘に関しては優秀と言って良い。
一騎打ちを前提とするならば、事前に基本戦略をレクチャーし、後は総てを託すのも一つの選択だろう。
実際、ATフィールドが使用可能となった現在ならば、シミュレーションによる第三使徒戦の勝率は7割を超えている程である。
だがこれは、敵の特性が熟知されているが故の事。所詮は、限られた条件下で行なわれたゲームの結果でしかない。
そう。対使徒戦において一番怖いのは、相手の能力が未知数である事。
それが、ミサトには全く判っていないのだ。

………なんとなく、自分は今みたいな話を、『説教する方』ではなく『される方』の役だった様な気もするが、そうした違和感はさり気無くスルーする。

(コホン)兎に角、本日行なった、自分の指揮による第四使徒とのシュミレーションでも、ミサトはスタンドプレーのオンパレードをやってくれた。
にも拘らず、敗戦の原因を、アタシの指揮がヘボだった所為だと言い切りやがったのだ、あの馬鹿女は!

鞭が最初から枝分かれしてるなんて反則?
笑わせないで。戦闘訓練ってのは、実戦に則してナンボのモンよ!
何の為に、その鞭の最大スピードや最大到達距離といった重用情報を伏せた状態で戦ったと思ってるのよ。
まずは、そうした敵の特性を知るのが対使徒戦の基本戦略だって言ったでしょ!

いや、それ以前に、何の為にレイと組ませての二対一でやったと思ってんのよ!
バディシステムの連携確認の為だって事前に言ったでしょ! 
勝手に飛び出すな! レイの射線を遮るな! つ〜か、コッチの命令を無視すんな〜!!

……………正直、お前は士官学校で何を習っていたのかと、小一時間くらい問い詰めてやりたかった。
あの日、自分に事情説明を行ったオオサキ シュンと名乗る男が、ミサトを毛嫌いしていたのも、今ならもっともな事だと思う。

「負けられないのよ、アタシは」

ライバルの事を思い出した所為か、我知らずそう呟く。
そう。彼女の真の敵は、使徒でもなければミサトでもない。
あの、チョッと惚けたオジサンなのだ。

彼と出会ったのは、あの紅い世界で暮した日々が、一週間目に入った頃の事………



『お別れの時がきたみたいね』

『うん。……………さよならママ』

アスカは、笑顔でママに。惣流=キョウコ=ツエッペリンに別れを告げた。
今度こそ、これが今生の別れとなるが、泣いてなんていられない。
これから自分には、人類の命運を掛けた過酷な戦いが待っているのだ。

『えい』

『あひするのほハハ、ヒタひじゃなひ(何するのよママ、痛いじゃない)』

そんな決意に満ちた顔の頬を、突然、左右に引っ張られる。
抗議の声を上げるアスカ。そんな彼女に向かって、キョウコは幼子に言い聞かせるか様な調子で、ゆっくりと優しい声で語った。

『駄目よ、アスカちゃん。イヤな事はイヤって言わなくちゃ』

『へ…へも、ハハヒがやはなは(で…でも、アタシがやらなきゃ)』

『あら。かかっているのは、たかが人類の未来じゃない。
 貴女にそんな顔をさせてまで守る価値が、一体どこにあるっていうのよ』

『へもね、ハハ(でもね、ママ)』

『ああ、心配は無用よアスカちゃん。
 たとえどんな姿になったって、私は貴女を見付けてみせるわ。
 全地球規模でのサードインパクトが起こったら、後はまた、此処で一緒に暮らしましょう」

言葉を失うアスカ。
何故、気付かなかったのだろう? 
ママはコアの中に居る。
つまり、自分もLCLに還元されてその中に入れば、再び一緒に暮らせるのだ。それも、無限とも思える悠久の時を。
堪らなく甘美な誘惑だった。
だが、今の自分は、何も出来なかったアスカちゃんではない。
惣流=キョウコ=ツエッペリンの娘、惣流=アスカ=ラングレーなのだ。
ならば、その答えは決まっている。

『ゴメンなさい。アタシは………アタシはソッチに行けない。
 だってソッチは、只、安らぎだけがある世界。幸福な時を数珠の様に紡ぐ事しか出来ない人生なんて、死んでいるのと同じだもの!』

決別の言葉。心が軋み砕けそうになる。
だがこれは、本来ならば、ママの肉体が滅んだ時に言わなければならなかった言葉。
それを、10年近くも待っていて貰ったのだ。
此処で俯くようでは、もうママの娘は名乗れない。
だからアスカは、キョウコの顔をシッカリと見据え、精一杯の笑顔を浮べた。

『良い笑顔よ、アスカちゃん!』

『ママだって!』

『当然よ。『辛い時こそ不敵に笑え』。ツエッペリン家の家訓と精神を貴女に伝えたのは、この私なんだから』

万感の思いを込め、どちらからともなく抱きしめ合う母娘。
暫し、静寂の時が流れる。そして、

『これは、ママからの最後の贈り物よ』

そう言って、キョウコは天空に右手を翳した。
すると、それを合図とした様に、世界が薄紅い光に包まれてゆき、

『チョッと待たんかい!』

母娘だけのプライベート空間に、無粋な中年男が乱入してきた。

『あら提督、御久しぶりね』

『なにが『あら提督』だ!
 惣流=キョウコ=ツエッペリン! さあ、俺の眉間の真ん中を見て話そうか。一体、アンタは、何をするつもりだった!』

掴みかからんばかりの勢いで詰問する中年男改め、我等が主人公、オオサキ シュン。
だが、何故かキョウコは顔を赤らめ、

『ひょっとして、口説いてます?(ポッ)』

『何故そうなる!?』

『だって〜、いきなりそんな情熱的に、母娘の問題に割り込んできたんですもの。
 これはもう、婉曲なプロポーズとしか思えないじゃない』

そう言ってシナを作りつつ、シュンの胸に凭れ掛かるキョウコ。

『ちょ…ちょっと!』

予想外の展開に焦るシュン。
その隙を逃さず、キョウコはチラリと愛娘に視線を送る。その目は、『コイツを挑発しろ』と言っていた。
『OK』と目で答えるアスカ。
10年近く離れていたとはいえ、母娘は母娘。この辺のアイコンタクトはお手のものだ。

『え〜っ、ママったら、そんなオジサンと再婚する気なの?』

『や〜ね、アスカったら。まだ気が早いわよ』

『だから、そうじゃなくて………』

OK、アッサリ引っ掛った。
手応えを感じつつ、アスカは更に言い募る。

『歳が違い過ぎるわよ。
 どう見ても親子………(フッ)にも見えないわよね』

『鼻の先で笑うな〜!
 ってゆ〜か、お前の母親だってもう○○才。俺と5歳しか違わん!』

やるわね、アスカちゃん。
胸中で娘の成長を喜びつつ、キョウコもまた一手を。

『あら、丁度良い歳の差ね。もう決めちゃおうかしら?』

『うが〜っ!』

内心、笑いが止まらない。
まさか此処までからかい甲斐があろうとは。
いや、暢気に楽しんでいる場合じゃない。
己を戒めつつ、慎重に且つ大胆に、キョウコはターゲットの失言を誘う。
敗北は決して許されない。この攻防には、自分達母娘の未来が掛かっているのだ。

『(コホン)先程、コア内部にて異常な波動の高まりを感知。沈静化を計ると共に、こうして様子を見に来た次第で………』

そんなこんなで、何とか良くない流れを断ち切ろうと、唐突に用件のみを語り出すシュン。
だが、これこそが、キョウコが待ち望んでいた失言だった。

『酷い! 母娘の語らいを覗いていたのね!
 しかも、最後の力を振り絞って、自分の持つ知識を全て娘に残そうという母の愛を邪魔するなんて! 鬼! 悪魔! 人でなし!』

『……………(パクパクパク)』

はは〜ん。なるほど、コイツがこの空間の管理者なのね。
キョウコの非難に絶句し、金魚の様に口をパクつかせているシュンを見詰めながら、アスカは、前後の会話からそう当りを付けた。
此処は当然、本来の要求を押し通す為の前フリとして、

『断固として、精神的苦痛に対する慰謝料を請求するわ。
 一時間以内に、日本円で10兆包んで。ビタ一文まかんないわよ!』

此処が勝負所と、裂帛の気合を込めて無理難題を押し付ける。

『そうねえ。私は、お金を貰っても仕方ないから………この空間をもう暫く延長して頂戴。最低でも三年、この線は譲れないわ』

それに合わせ、キョウコもまた、本命のネタを吹っ掛ける。

『ドッチも出来ねえって!  とゆ〜か、アンタ等、もう別れの挨拶を済ましたんじゃなかったのかよ!?』

『『ソレはソレ、コレはコレよ!』』

内心でペロリと舌を出しつつ、そうハモる惣流母娘だった。



   〜 午後7時半 再び、ヤガミ家 〜

その後、粘れるだけ粘って有利な条件を引き出した後、現実世界に帰還。
シュンの口から使徒戦の真実を始めとする事情説明が行なわれ、協力を求められた。
無論、これに承諾。
だがその際、彼女は肝心の情報を。これからやってくる使徒のタイムスケジュールと、その特性を敢えて聞かなかった。
表向きの理由は、ヘタにそうした知識を持っていては怪しまれる基だから。
真の理由は、ダークネスを出し抜くチャンスを伺う為だった。

この場合、情報は諸刃の剣。
それに対応した行動をとる事になるから、どれほど気を付けていても、情報提供者の意図通りに踊らされる可能性が高いのだ。
そんな状態では、彼等の思惑の上を行くなど夢のまた夢だろう。
自分の求める結果を得る為には、最低でも、あのオジサンに此方の実力を認めさせ、使徒戦を通じて、ある程度の共闘関係を作らなくてはお話にならない。
そのタイムリミットは最終決戦。弟十六使徒戦(流石に、敵の総数だけは聞いておいた)が始まる前。
あまり早いと此方の意図が見抜かれる危険性が増すが、出来れば初勝利の後すぐにでも。

胸のペンダントを握り締める。
これは、ママとの共闘の元に、むこう頭下げで勝取った戦利品。
ATフィールドとエヴァ改造案のノウハウの一部が、霊的に記録されているものだ。
云わばママの形見、大切にしよう…………と言った、健気な少女のフリを、シュンの前では演じておいた。
いやはや、あんなんでコロっと誤魔化されてくれるんだからチョロイ相手である。

そう。こんな装飾品一つで満足してやる気など、アスカにはサラサラ無かった。
狙うは、彼等の主導の元に行なわれる小規模なサードインパクトの瞬間。
テンカワ アキトとか言うヤツをサルベージするドサクサに紛れてのママの奪還だ。
出来る保障は無い。その為の理論も無い。ママの推測でも、ほぼ不可能。
それでも、アスカには確信があった。
とゆ〜か、『出来るけどやりたくない』と、シュンの顔に極太文字で書いてあったし。
正直言って、火星では、あんな嘘のつけない男が一軍を率いているかと思うと眩暈すら覚える。
もっとも、そのお人好しっぷりの御蔭で、自分の未来は繋がったのだ。難癖を付けるのは筋違いと言うものだろう。
それに、部下達とのやりとりを見た限りじゃ、どこかの作戦部長と違って人望だけはありそうだし。

「問題は、カードの切り方よね」

回想を終え、今後の検討に入る。
だが、いまだスタートを切ったばかり故、方針を再検討する様な情報が無い。
取り敢えず、強化案を出すのは次の使徒戦が終ってから。これは動かせない。
今のままでは、キ○ガイに刃物だ。

と、そんな所まで思考を進めた所で、

「アスカちゃん、御飯よ〜」

リビングからミリアの声が。
直ちに思考を中断。急いで私服に着替える。
今日の夕飯は、今朝方、つい好意に甘えてリクエストしたメニューなのだ。
期待に胸を膨らませ、そちらに向かう。

「(ング、ング、ング………プハ〜)あっ、アスカ。お先にやってるわよ」

そこには、居るはずの無い。否、居てはいけない人物が、エビちゅを片手に食卓を陣取っていた。

「ミサト〜、なんでアンタが此処にいるのよ」

「だって〜、北斗君達が不在なもんだから、今日はシンちゃん、トウジ君のトコに泊まるんだって」

「何よそれ、説明になってないわよ!」

思わず声を荒げてしまう。
こんな事ではいけないと理性は叫んでいるが、相手が相手。どうにも口が止まらない。
そこへ、ミリアが仲裁に入ってくれた。
内心、安堵と共に感謝する。だが、その後語られた事情説明は、頭を抱える様なものだった。
今朝方、前述の様な事情説明を受けてはいたのだが、つい何時も通りに来訪。
鍵の掛かったドアの前でチャイムを連打していた所を、不審に思って様子を見に来たミリアに拾われる。
聞けば、丁度、ナオが急な出張とかで、夕食が一人分余っているとの事。
これ幸いと、ご相伴に預かる事にしたらしい。

「そういった事情で、お招きしたのだけれど………いけなかったかしら?」

「か…構わないわ」

不満はある。そりゃもう、一晩中でも熱く語れるくらいに。
それでもアスカは、黙って席に着いた。
そう。ミリアさんは、こういう人なのだ。
彼女を困らせてはいけないし、夕食のアイスバイン(豚の骨付きすね肉を塩ゆでしたもの)とブーベンシュピッツェル(揚げていないコロッケのようなもの)にだって罪は無い。
目の前の席に座るミサトを、さり気無く無視しつつ、懐かしきメニューに舌鼓を打つ。

「(ング、ング、ング………プハ〜)いや〜、ドイツ料理なんて久しぶりよね〜、研修の時以来かしら?」 

(む…無視よ、無視。好物をあてがってある間は、コレだって大人しいもんなんだし………)

「(ング、ング、ング………プハ〜)これがもう、エビちゅにマッチするのなんのって」

「って、黙って見てれば何本飲む気なのよ、アンタは!」

一々カンに触る事をやってくれる異母姉と、どう付き合った良いのか?
いまだ、その答えを得る為の糸口すら見付けられずにいるアスカだった。



   〜 翌日、第一中学校 昼休みの校舎裏 〜

「見たか?」

「なにが?」

「知らねえのか? 2年A組に、また転校生がきたんだよ。それも、今度はドイツ帰りのハーフだぜ」

「うわ、マジに可愛いじゃん。それに、帰国子女って事は、やっぱ進んでんのかなあ?」

「バカ言え。きっとドイツで辛い別れがあっって、その傷を癒せずにいるんだよ」

「「「おお〜」」」

「でも、2年A組といえば………北斗先生のクラスなんだよな〜(嘆息)」

「馬鹿野郎。そんな弱気でどうする」

そんな噂話を聞くとはなしに聞きながら、ケンスケは、久しぶりに露店を開き写真を売っていた。
その隣りでは、遠くで見ている分には美少女な魚住ウミが、最近、何かと忙しいトウジに変わって、売り子(兼用心棒)を勤めている。
此処最近の供給量の激減と相俟って、これで売れない筈が無い
大盛況。以前の五倍近い枚数を用意したのに、早くも品薄になりつつある程だ。
一番人気は、評判の高さ通りダントツでアスカ。 まだボロが出ていない事もあって、アッという間に完売した。
次点が隣りに居るウミで、レイ、マユミと続き、一部のマニアによってラナや委員長等が支持されている。
ちなみに、レイとマユミが売上枚数でウミに劣る理由は、実物が怖いからという事もあるが、
最大の原因は、大抵、カヲリも一緒に映っている所為で、販売出来る写真自体が少ないからである。
そう、カヲリの写真は別格だ。一枚だって、コッチのルートには乗せていない。
そんな事をした日には、それこそ命に関わるし。

売り切れにブーイングを上げるお客の熱い需要の声を受けながら、バイトにかまけて本業の方の手を抜いていた事を反省する。
報酬と充足感が破格なバイトではあるが、これでは本末転倒と言えよう。
十代半ば。青春時代にしか持ち得ない理想と情熱がある。甘酸っぱい香のする恋の花がある。
どうせ見るなら綺麗な夢。それを手助けする為にも、自分はまず、第一中学校生徒の為のカメラマンであるべきなのだ。
一部、熱いパッションのぶつけ所にも使われているかも知れないが、それもまた青春。必要悪というものだろう。

「お疲れ」

心配されたショバ代請求という名のカツアゲ(トウジと組む前はわりと良くあった)も無く完売。
売上金を集計し、売り子兼用心棒の給金として、経費を差引いた純利益の半分をウミに手渡す。
彼女の夢への一助。本音を言えば全部渡したって構わないのだが、それでは受け取って貰えないだろう。
出会ってまだ間もないが、そのくらいの事は判る。
そう。一見、彼女はナマコに依存している電波娘に見えるが、根は、とても真面目。
両親に先立たれた(らしい)苦学生ながら、海洋生物関係について学ぶ学者を目指している、今日び珍しい夢追人なのだ。
まあ、彼女の説明は要領を得なかったのでイマイチ確証は無いのだが、色々と頑張っている事は間違いない。

「有難うケンスケ」

渡された幾ばくかの紙幣と硬貨を前に、ホクホク顔となるウミ。
だが、隣に置いてある水槽に目をやった瞬間、その顔が曇り、

「えっ?『これ以上、彼に迷惑を掛けるのは止めたまえ』って、どういう事なのナッピー?」

親友というふれこみのナマコと話しかける仕草を始める。

「『生活には困らないだけの額を奨学金として貰っているだろう。君が困窮するのは計画性が無いからだ』って、酷いぞナッピー」

この腹話術モドキな会話にも、もう慣れた。
ハキハキとしたざっくばらんな喋り方をする彼女だが、意外と照れ屋なのかもしれないと思う今日この頃である。

そんな事をつらつらと考えていた時、二人の懐を潤してくれた女神達の筆頭の声が。

「ほら、急いで二人とも!」

そちらに目を向けると、レイとシンジを急かしながら、アスカが、校門に横付けされている黒塗りのリムジンに急ぎ足で向かっている所だった。

「ちょ…チョッと待ってよ、惣流さん。何で僕まで早退しなけりゃならないのさ?」

「そうね。碇君には召集命令が出ていないわ」

アスカの傍若無人な振る舞いを非難するシンジとレイ。だが、その返答はにべもなく

「あんた等バカァ? 折角の予備兵力が目の前に居るのに、確保して置かない手は無いでしょう」

「契約違反だわ」

「もうそれは良いからさあ、せめてこの手錠を外してよ」

「うっさいわね! チョロチョロ逃げようとしたアンタが悪いのよ」

呆然と、その短い珍道中を見詰める男子生徒達。
丁度、それと前後して流れてきた緊急警報をBGMに、ガラガラと彼等の作り上げたアスカという名の偶像が崩れた瞬間である。

「ケンスケ、シェルターへ急ごう。今回は、コッチにも被害がくるかもしれない」

「え? あ…ああ、そうだな」

思ったより早かったね〜 まあ、時間の問題だったんだけどさ。
呆けている男子生徒達を眺めながら、そんな太平楽な事を考えていた時だけに、戸惑うケンスケ。
そこへ畳み掛ける様に、

「さっきナッピーが『空軍司令官への指揮権委譲問題が浮上している事だし、今回はネルフも死力を尽くすだろうな』って言っていた」

「嘘だろ、それ!」

自分でさえ掴んでいなかった極秘情報を事も無げに披露され驚愕する。
だがウミは、それを別の意味に取ったらしく、『ナッピーは嘘なんてつかない』と、強く主張。
『相互理解の為、二人はもっと話し合った方が良い』と言いながら、彼女はケンスケに水槽を押し付けシェルターへ。

その後ろ姿を呆然と見送りながら、何となく、件のナマコに向かって『お前も大変だなあ』と、話し掛けてみる。
無論、返答は無く、その身を動かすそぶりさえ欠片も無かった。
だが、厄介な少女に引っ掛った己の運命を粛々と受け止めているかの様なその不動の姿に、
何故か、『君も強く生きろよ』と慰められたような気がするケンスケだった。




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