〜 9月23日。2015年では午後2時、芍薬の中庭 〜

それは、まず小豆を選ぶ所から始まる。
素材の厳選。これは、総ての料理の基本にして奥義と呼ぶべきものである。
そして、それを時間を掛けて根気良く煮込む。
この際、決して煮立たせてはいけない。
いい加減な火加減で作ったおでんの大根が、キチンと面取りをして尚グズグズに煮崩れてしまう様に、素材の風味を残したまま煮込むには細心の注意が必要なのだ。
また、その過程において丹念にアクを掬うと共に、徐々に和三盆糖を入れ甘味を付けてゆく。
当然ではあるが、教科書通りの分量を一気に全部入れるなど論外である。
小豆とは、ワインの原料であるブドウと同様に、それが採られた年によって内包する性質が変わる物。
均等かつ自然な甘味を出せるか否かは、この段階の作業のデキによって決定すると言っても過言では無い。
更に、そうやって丹念に煮詰めた物を、今度は餡床と呼ばれるスノコの上に二日程寝かせて熟成させる。
こうする事で、掬い損なったアクを初めとする雑味や余分な蜜が抜けて、スッキリとした甘味に仕上がるのだ。

と、この状態でも、既にかなり美味な物なのだが、まだまだ油断は禁物だ。
此処までの工程は、単に餡子という原材料を作る為の作業に過ぎない。
本当に重用なのは、それを練り上げ和菓子として形作る為の技にこそある。
これこそが本当の意味での職人芸であり、その詳細は各店の秘伝。
現代風にいうならば企業秘密であるが故に伏せさせて頂くが、それでもコレだけは言わせて貰いたい。
餡子そのものは、世間で思われているよりもずっと日持ちがする食材。
黄○様の世直し旅に登場する“うっかり”な人が御供え物の饅頭を摘み食いして腹を下すというアレは、事実だとするならば相当の日数が経ってからの物。
具体的に言えば、外側の生地もイイ感じアレな物になり一目でヤバイと判る故、本来ならばあり得ない事だったりする。
だが、これはあくまでも、それが可食物であるという事を示す事例であって、その本来の賞味期限を示す物ではあり得ない。
そう。ケーキにデコレートされている生クリームが、時間の経過と共にホイップされた際に練り込められた空気を失い、やがてはベシャベシャと口に重いだけの存在に成り下がる様に、
和菓子もまた、その真価を発揮し得る期限は、作られてから三時間以内。
保存状態を良好にして可能な限り引き伸ばしたとしても、精々半日が限界なのだ。
それ以上経過した物は、もはや和菓子では無い。 敢えて言おう、カスであると。

閑話休題。要するに、御彼岸の中日にあたる本日。
秋分の日に御萩を作り、それを振る舞う事。
集まってくれたお客さん達の前で成形したもち米の上に餡子を盛り付け、作りたてのそれをお出しするという、このイベントの主旨自体は素晴らしい事だと思う。
休日返上で、早朝から零夜の助手を務めて準備を。
そして、現在進行形で御萩作りを行なっている事にも、特に不満がある訳では無い。

初めての経験ゆえ色々と戸惑う事も多く、取り分け、最初の2〜3個は餡子が飯粒の中に入り込んでしまって、結果、甘ったるいだけの餡子の塊と化したものだが、
これまで培った料理カンと瞑目視想とをフル活用する事で、20個目あたりからは、模倣の対象である零夜の作るそれと遜色の無い物が出来上がっている。
従って、この点も全く問題ない。

「しっかし、(モグモグ)何を考えてるんやなあ、アキのヤツは。
 アレをヤったら後遺症が出るちゅう事は(モグモグ)この間、その身をもって(モグモグ)知っとった筈やのに。
 御蔭で、(モグモグ)全身筋肉痛で(モグモグ)こない美味いもんを食い損なうハメになるし」

「(クスッ)判っていませんわね、トウジ君。
 意中の女性の守る為に戦うのが殿方の本懐とするならば、意中の殿方の為に見栄を張るのが女の本懐。アキちゃんは、既に一人前のレディってことね」

「レディねえ。(モグモグ)何や、よう判らへんちゅうか、その。
 (モグモグ)カヲリはんの買被り過ぎやと思うんやけど」

と、トウジが食べる側で、自分が作る側なのも間違ってはいないと思う。
同じ弟子という立場ではあるが、適正を考えるのであれば妥当な配置だろう。
何故か、委員長さんが不安そうな。それでいて、どこか期待に満ちた顔で二人のやりとりを眺めているのがチョッと気になるが、これも敢えてスルーしておく。

大量に。既に200個以上の御萩を作っているが、それも当然の結果だろう。
何せ、いつものメンバーに加えて、舞歌さんを通して木連から大勢のお客さんが。
如何にも屈強そうな、見るからに格闘系の体育会系な人達が22人も来ているのだから。

また、最初はメインで作っていた零夜さんが戦線を離脱した事も仕方ない。
先程、顔に薄っすらと虎縞の入った見るからに巨漢といった感じの少年(?)が、
『わ…ワッシはもう』とか何とか叫びつつ御萩を渡そうとした零夜の両手を握るという暴挙に出た結果………
(フゥ)取り敢えず、まだ死んではいないみたいなので大丈夫だろう、きっと。
寧ろ問題なのは、

「(ハアハア)ご…ごちゃんです」

そんなイイ感じな殉教者が出たと言うのに、少しも懲りていないっぽい彼等の態度だ。
特に、固太りなガタイをした相撲系の武術を修めていると思しき人。
既に7巡目(計14個)なのだが、来る度に嫌な鼻息と言うか興奮度が上がっている様な。
何より、此方を嘗め回す様な視線が、かなりイタイ。
嗚呼、何が悲しくて、男のである筈の自分が『そういう』対象として扱われなければならないのだろう?
しかも、『逃げちゃ駄目だ』という以前に肝心の退路が無い。鬱だ。

「私にも、もう一つ貰えるかね?」

そんなシンジの苦行も終盤戦に。
用意した大量の材料も残り少なくなった頃、引率の先生と思しき30代半ば位の長身痩躯な男性が、3個目の御萩を求めてきた。
その姿に、ハッとする。最初の時は『押すな押すな』とばかりに兎に角混み合っていたので、その喧騒に紛れて気付かなかったが、こうして改めて見ると………

「ん? どうかしたか?」

「い…いえ。すみません、貴方の容姿が僕の父さんに似ていたもので、つい。
 本当にすみません、まだそんな御歳ではない………」

「問題ない。実際、私には君くらいの歳のが居る」

此方の弁解を遮る様にそう言い切る、厳つい顔付きの中年男性。
だが、何故か嫌な感じはしない。
それどころか、その不器用さが何だか懐かしく………

  ギン!

と、和み掛けた気分が吹っ飛ぶ。
無意識の内に、シンジは既に身体に染み付いている構え。
右手を大きく突き出した、彼女独特のファイティングポーズを。
そう。理由は判らないが、一瞬にして周りの雰囲気が激変した。
過去の経験が教えてくれる。これは明らかに戦場の空気だ。

「ふむ。予定よりチト早いが、双方共に準備が整った様だな」

師である北斗のその言が、更に混乱に拍車を掛ける。
いや。もう何となく察しは付いているのだが、出来ればそれを認めたくない。
しかし、彼女の悪い予感は常に図に当るのが、この世界の法則。

「は〜い、レディース&ジェントルマン。
 これより、碇シンジVS幼年学校生再選抜組による1対21(1名は既にリタイヤ)のハンディキャップマッチを行ないます!」

そんな百華さんのマイクアナウンスが聞えてきた方に向かうと、
中庭の裏手、先程まで自分が御萩を賄っていた場所からは死角になる位置に、即席の特設リングっぽい物を建設中のナオさんと、
何時もより更に露出度の高いチャイナ服に眼帯と蝶ネクタイを付けた百華さんの姿が。
どうも、『レフリーとラウンドガールを兼ねて』を狙っているらしいのだが、そのミスマッチ丸出しな外観は如何なものかと………
いや、今はそんな些細な事を突っ込んでいる場合じゃない!

「(ハアハア)ほ…北斗様、寝技もアリでごわすか!?」

   ズシャア!

と、良くない流れを断ち切るべく意気込んだ所へ、カウンターなタイミングで先程の固太りな少年からのイヤ〜ンな質問が。
脱力し、思わずつんのめるシンジ。
それに追討ちを掛ける様に、

「無論だ。この俺が『勝負』と言った以上、何でもアリに決まっている」

北斗さんがそんな無慈悲な止めの一言を。
無論、彼としては『これは、あくまでも真剣勝負だ』という意味で言ったのだろうが、

「「「うおおおおおおっ!!」」」

士官学校生達のこのどよめきからして、彼等が別の意味に受け取ったのは疑う余地が無い。

「「「アミダくじ〜、アミダくじ〜 引いて楽しいアミダくじ〜」」」

とか言ってる間にも、向こうでは軽快でありながらやたらと熱の篭った歌声と共に、対戦の順番が次々と決定されてゆく。
これはもう、やるしか無い様だ。

「……………(パチン)」

無言のまま己の頬を叩いて気合を入れると、色んな意味で覚悟を決めつつ、シンジは戦いのリングへと歩を進めた。

「それでは、レデイ〜ゴー!」

かくて、アイパッチを投げ捨てると言う御約束の号令の下、命だけでなく、そこはかとなく貞操までが掛かった勝負が始まった。

「ええぃ!」

かつて無いプレッシャーを前に気負い………より正確には、一秒でも早く終らせたくて、自分から打って出るシンジ。
無論、冷静さまで欠いた訳ではない。
遠い間合いからの、手打ちの軽い右ジャブを。
距離を測ると同時に、相手のガード隙を伺う。
或いは、焦れた敵が打って出てくるのを狙っての牽制攻撃である。

それを最初の対戦相手。
多かれ少なかれ興奮気味な他の木連士官学校の者達とは違い、クールな雰囲気を纏った理知的な顔付き少年が、突き出した構えの左手によって丁寧に捌く。

その精緻な動きに面食らう。
正直、恐ろしくやり難い。此方の攻撃は、総て真綿で包み込む様にいなされ、油断すると矢の様なカウンターが飛んで来る。

(えっ、コレって?)

内心、焦るシンジ。
そう。構えが左右逆であり、受け流す際の歩法の様式もやや鋭角的と言うかクイックモーションという差異こそあるが、彼の戦闘スタイルは、自分のそれに酷似しているのだ。
千日手。否、このままいけば、遠からず体力の差で負ける事になる。

(バシッ)シュッ

と、此処で相手の戦法が変化した。
カウンター狙いの“待ち”の状態を捨て、左手で攻撃を捌くと同時に、その隙を狙ってのスピードを重視した順突きの二本貫手を。
それをバックステップで避けると、今度は攻守を入替える形で、相手の左ジャブが飛んで来る。
歩法もまた、左右の斜め前に踏み出す形に。
此方の死角に潜り込みつつ、隙あらば接近戦に持ち込む事を狙っている様子。

(ちぃ)

右のジャブだけでは、その巧みな動きを捉えきれぬと悟り、敢えて強攻策に。
震脚を伴った左崩拳をカウンター気味のタイミングで放つ。
無論、クリーンヒットを狙ってのものでは無い。
当れば儲け。しくじっても、仕切り直す為の時間を稼げればそれで充分という二択の。
また、これまでの相手の戦闘データから、非力な自分のパンチでも全力攻撃ならば打ち負ける可能性は低いと判断しての戦術的な一撃だった。

だが、この読みが甘かった。
そう。接近戦を狙ってくる事自体が、目の前の少年にはインファイトでこそ真価を発揮する技があるという証拠であり、
また、シンジのこの苦し紛れな攻撃こそが、彼の注文通りのものだったのだ。

  パシッ

突進してくるシンジの左崩拳を敢えて懐に呼び込み、
それを右手でガードしつつ、至近距離まで近付いてきていたその胸元に、まるでお笑い芸人が『いい加減にしなさい』と突っ込むかの様に自然に、左の水平チョップを。
全力攻撃直後の。それも、突き出していた左を横に振るだけのノーモーションからの一撃。
回避不能なタイミング。避ける術も無く、まともに喰らってしまう、シンジ。
そして、『しまった』と思った次の瞬間、両足からリングを踏締める感覚が消え、

「えっ?」

自分でも気付かぬ内に綺麗に転がされていた。

「……………」

当然ながら、目の前の少年は残心を忘れていない。
無言のまま冷静に。まるで、獲物の状態を推し量る猟犬の様な目で此方の様子を伺っている。
自分からは動けない。ダウン攻撃の際に生じる隙を狙っての乾坤一擲に掛けるしかない状況で、相手のこのクレバーさはかなり厳しい。

そんな絶体絶命の中、リング内にフワリと白い物が。
と同時に、目の前の少年が構えを解き、

「(カン、カン、カン)はい、此処でタオルです。
 第一戦は、TKO(テクニカルノックアウト)にて、蛟 遊学(みずち ゆうがく)君の勝利とします」

次いで、ゴングと共に百華が両手を交差しつつ、そんなアナウンスを。
かくて、己の師にギロリと睨まれはしたものの、どうにか無事に第一戦を乗り切れたシンジだった。
ホッと一息。出来れば、この敗北をもってゲームオーバーにして欲しい所。

だが、そんな彼女の心情を嘲笑うが如く、休む間も無く第二戦の開始が宣告され、
リング上には、トウジと同じ位の背丈だった遊学よりも頭一つ大きな長身の少年が。
しかも、先程の戦いに触発されたらしく本気モード。既に此方を女として見ていない。
それは、ある意味嬉しいのだが………

   ブン!

と、此方が鬱ってる隙を狙って、打ち下ろす様な右ストレートが。
そのまま返しの左。更に右。
バックステップで間合いを取ろうとするも、それを許さぬ。
総てが大振りでありながら切れ目の無い。まるで扇風機の様な連続攻撃。
苦し紛れに右ジャブを合わせてみたが、そのカウンターをものともしない反撃がシンジを襲う。

  バキッ

どうにかブロックに成功し、その勢いを利用して浮身(打撃方向に逆らわずに身をかわして、その威力を半減させる技)を併用して相手の射程内から離脱。
再び突っ込んでくるまでの僅かな隙をフル活用し、素早く攻略法を検討する。

イメージとしては、腕を棍棒に見立て振り回す技と言った所だろうか。
腰の回転を軸にロングフック気味に叩きつけてくる遠心力を利用したそのパンチは、トウジの崩拳に匹敵する攻撃力が。
しかも、震脚を必要としないので、この通り連続攻撃が可能と、実に厄介なものだ。
無論、その攻撃オンリーな無茶なスタイル故に、カウンターチャンスは幾らでもあるのだが、肝心のそれがまるで通じない。
寧ろ、それを奇貨として相討ち狙いの一撃が。
あ○たのジ○ー風に言えば、ダブル・クロスカウンターが飛んで来るとあっては、ダメージの蓄積を狙って兎に角カウンターを入れ続けるという案も却下だ。
そんな事をやっていたら、此方がラッキーパンチを貰う方が先という事になりかねない。

攻守共にパーフェクト。おまけに、コッチには有効な反撃法が無い。
強いてあげれば、このまま回避に徹してスタミナ切れを狙う事くらいだが、いまだ元気一杯にブンブンと両腕を振り回しているその姿を見るに、それも望み薄な気が………

「(トン)えっ?」

と、逃げ回りながら対応策を摸索している間に、気付けば背後にコーナを背負う事に。
どうやら、知らず知らずの内に誘い込まれていたらしい。
そして、目の前には、拳を左右に広げて通せんぼをしつつニヤリと笑う対戦相手の姿が。

   ドカ、バキ、ボコ、ドス………

「(カン、カン、カン)スタンディングダウン!
 第二戦は、レフリーストップで蜃海 守(しんかい まもる)君の勝ちとします」

逃げ場の無い状態からの一方的な攻撃が27発目に達した時、安全性を考慮してか百華が試合を止め勝敗の宣告を。
ホッと一息。正に地獄に仏の判定だった。
クリーンヒットこそ無かったとはいえ、これ以上アレを受け続けたら意識が飛んでいた所だ。
しかし、レフリーの温情はそこまでだった。
痛む身体を回復させる間も無く。まるで椀こそばの如く、即座に第三戦開始が告げられた。

ちなみに、三人目の相手は、先の二人に比べて格段に弱かった御蔭で難なく勝利する事が出来たのだが………
いや、よそう。対戦を続けていれば、いずれはこうなるのは判っていた事。
何より、チョッと胸を揉まれた位で動揺する男なんていない。
単にその手付きがいやらしかったんで虫唾が走っただけだ。そうに決まっている!




「で、何でお前等が此処に居るんだ?」

そんなこんなで30分後。
早くも7人目と既に軌道に乗ったと言うか、明らかに質の落ちた対戦相手達を順調に下し始めたシンジから目を離すと、
北斗は連立って観戦中の一人目と二人目の対戦相手に小声でそう尋ねた。
その目には、己の弟子がボロクソに負けた苛立ちからか、軽く威圧が入っいる。
だが、その程度で如何にかなる様な二人では無い。
何しろ、僅か数日とはいえ、彼の教えを受けた。
あの地獄の訓練に生き残った13名の中に名を連ねる、第31期優人部隊候補生の代表とも言うべき者達なのだから。

「これは幼年学校生(15歳以下)の修学旅行だった筈だぞ。
 それが、どうして優人部隊養成所の。それも、舞歌の所の分家のヒヨッ子共が?」

「すみません。それを口にする権限は、自分には与えられておりません」

「とゆ〜か、知らない方が精神的幸福だと思いますぜ」

遊学が、木連士官らしく生真面目に。守が、やや砕けた調子でそう答える。
対照的な返答だが、どちらも素直に口を割る気は無い様だ。
まして、バックに居るのが舞歌である以上、下手な詮索は薮蛇になりかねない。
そう判断すると、北斗は話の矛先を変え、

「で、どうだ。手を合わせた感想は?」

その問いに、遊学はスッとリング上を指差す。
すると、丁度、8人目のハイライトシーン。
鼻息の荒い固太りの少年の怒濤のタックルをいなしつつ、シンジが相手の脛裏に引っ掛る様な出足払いを。
と同時に、その体勢が後ろに崩れた所へ、駄目押しの左フックを相手の顎先へ決めて、見事KO勝ちを収めている所だった。

「自分が仕掛けた破刀手鍬腿(引っ掛けた足を起点に崩れた重心にそって攻撃する事で僅かな力でも相手を転倒させられるテコの原理を応用した技)を、
 即座に模倣したばかりか、それに応用を加え自分の物とする。
 あれが才能というものなのでしょうね。非才な身としては羨ましい限りです」

「ええ。正直、チョッとナメてました。
 特に、幾ら交差法(カウンター)とは言え、あの細腕で金布衫(柔道の前受けの要領で砂場にて身体を打ち付ける、硬巧夫の鍛錬方の一つ)で、
 鍛え抜いた俺っちの身体に有効打を打ってくるのは驚いたつうか、ハッタリ効かして平気なフリをするのに苦労しましたぜ。
 余程正確に急所を突いてこなければ、こうはなりません。彼女に並以上に腕力があったらと思うとゾッとしやすね」

「(フン)アレに世辞など不要だ」

と言いつつも、弟子の思わぬ好評価にチョッと嬉しそうに苦笑した後、

「それよりハッキリ言え。舞歌は『出すつもり』なのか?」

北斗は改めて本命の質問を。

「その質問にお答えする権限は、自分には与えられておりません。
 ただ、敢えて申し上げますならば、自分としましては、北斗様が『そのつもり』で鍛えられた彼女と、今一度戦ってみたいと切実に願っております」

「ちなみに、俺っちも以下同文です」

「ふむ」

二人の言に頷いた後、『俺も随分と世慣れたもんだなあ』と内心で苦笑しつつ状況を再検討する。
そう。これが一年くらい前ならば、『俺は『ハッキリ言え』と言った筈だぞ!』的な展開になっていた所。
この手の腹芸(?)にも、もう大分慣れた気がする。
まあ、結局の所、性には合わないのだが。

ともあれ、これで疑惑は確信に変わった。
もう何を言っても無駄。かつて、自分がアキトに魅了された様に、この二人は武人としてシンジに惚れてしまっている。
つまり、単に舞歌に躍らされているだけだという事を承知の上でなお、自分達にとって都合の良い状況に持ち込もうと。
然るべき舞台の上での、アレと再戦を望むだろう。
この辺、痛いくらい良く判る。
何せ、今思えば、大戦中の我が身が正にそんな状態だったが故に。

そんな自嘲と共に、あと2ヶ月以内に弟子達に覚え込ませなければならない事を。
今後の指導の青写真を立て終えた後、

「(コホン)しかし何だな。今の木連の若手には、あんなのしか居ないのか?」

この話はもう終わりとばかりに、嘆息と共に唐突に話題を変え、もはや安堵よりも不甲斐無さしか感じられない。
シンジ達と同世代の。14〜15歳の木連幼年学校生達の醜態を眺めながら、そう呟く。
実際、総合的な力量ならばシンジより上の者もチラホラ居る様だが、あんな気の抜けた状態では勝負以前の問題。勝てるものも勝てやしない。
正直、話にならない。よもや、これが木連の明日を担う若人達の実態とは。

「お言葉を返す様ですが、如何に本年度の上位20傑を募った選抜組とはいえ、所詮、彼等はまだ士官前の学生の身。
 海のものとも山のものともつかない、全くの素材の段階の者達に過ぎません。
 北斗様が自ら御指導なさっている彼女と比べるのは、些か酷かと思われます」

「おまけに、ヤリたい盛りの年頃ッスからね〜
 対戦相手が、あんな可愛い子ちゃんときては『舞い上がるな』って方が無茶ですって。
 まあ、所詮はタラレバっつうか、あのガキ共に混じって俺等が来た理由と合致しないんで意味の無い仮定ですが、
 アッチのトウジとかいう坊主が相手だったら、連中だってあそこまで無様は晒さなかったと思いますぜ」

呆れ顔の北斗を前に、後輩達のフォローをすべく、遊学と守は口々に弁護を。
なお、これは全くの蛇足ではあるが、良く言えば劇画調にキリリと大人びた、悪く言えば、年齢不詳な老け顔の多い木連男児の中にあって、
例外的に幼く見える顔立ちだった事が、今回この二人が、作戦の担当者に選ばれた主な理由だったりする。
まあ、そうは言っても、どこかの押しも押されもしないミス木連な優人部隊候補生に比べれば、至って普通な。
三歳ばかりサバを読んでも不自然では無い程度の、ごくありふれた童顔なのだが。

「そう責めてやるな。
 とある事情から、シンジの方は実戦経験を積む機会に恵まれているんでな。
 散打(組手練習)ならば兎も角、真剣勝負ともなれば、その心構えにおいて差が出るは自明の理。怠惰と言うには些か酷だろうて」

「いやその。そういう意味じゃないんッスけど………」

北斗の曲解に面食らう、守。
無論、彼の人の特異な人となりは、舞歌より事前に聞かされてはいたのだが、まさかそう取るとは。
だが、そんな彼の困惑に頓着する事無く、

「ふむ。言われてみれば、シンジは兎も角、トウジの方は………
 あと二ヶ月。間に合わせるには矢張り………いや、アレの物覚えの悪さは折り紙付きだ。
 或いは、今まで通り基礎のみを突詰めた方が、まだマシという可能性も………」

と、ブツブツを呟きつつ、弟子の修行プランを練り直し出す、北斗。
そのチョッと思考の袋小路にはまり込んだっぽいイライラした姿に、思わず顔を見合わせて苦笑する守と遊学。
どうやら、かの真紅の羅刹は、弟子達に課す修行の過酷さに反比例するかの様に、その心情の方はかなり甘いタイプらしい。
それでも、『トウジは出さない』という選択肢が存在しない所が、とっても彼らしかったりするのだが。

ちなみに、この一件を仕組んだ首謀者と目されている舞歌はと言えば、そんな意思は全く無く、
後日、北斗の口から参加を表明されて大いに困惑する事になるのだが、その辺はもう自業自得というもの。
計画の主旨をハッキリと二人に言い含めなかった彼女の失策である。

いや、失策云々と言うよりも寧ろ、如何に『当れば儲け』程度の牽制球とはいえ、少々見通しが甘過ぎな一手だったと言わざるを得まい。
当初はその役を務める筈の者達があまりに不甲斐無かった為、その主役を交代させた計画。
過日、ミルクにボロ負け(外伝参照)した者達を再編して捨て駒とし、本命の二人の力をアピール。
鮮烈な登場シーンを飾ると共に、あわよくばそのままそのハートをゲット。
そんな二昔前の少女漫画の様な展開を、メンタリティ的には(一応)男の子のシンジを相手に期待するなんて無茶も良い所。
ましてや、肝心のその王子様達が、スタンスこそ違えど強さを求めて弛まぬ修練を積んできた。
ぶっちゃけて言えば、強いヤツを見るとワクワクしてしまうサイヤ人木連軍人では、もう何を言わんやだろう。
まあ、それでも、『今度、修学旅行を兼ねてソッチにウチの子達が行くから(中略)ほら、シンジ君達にとってもイイ刺激になるでしょ?』という舞歌からの依頼を、
『その戦いぶりを見せる』のでは無く、『総当りで全員と戦わせる』という風に受け取った、北斗の方も如何なのものかと思われるが。

いずれにせよ、彼等の性格上、もはや何を言っても手遅れな話。
仮に、誤解から生じた事だと翻意を促された所で、一度点いてしまった灯火はその使命をまっとうするまで消える事は無い。
そう。本日只今をもって、11月23日より数日間に渡って開催される四年に一度の祭典。
木連最大の武術大会、天空雷台祭へのシンジ達の参加が本人達の承諾無しに、此処に決定されたのだ。



そして、そんな格闘漫画系のシリアスシーンっぽいものを演じてる北斗達を挟んだリングの反対側では、

「矢張り、名乗らないおつもりですの?」

「ああ。今の私には、そんな資格は無い」

「あらあら、なんとも弱気な発言ですこと。正直申しまして、貴方らしくないってことね」

「(フン)では言い換えよう。今“は”資格が無い」

「(クスクス)はい、大変結構なお返事ですわ」

と、カヲリを相手に余人を交えず小声で。
独特の深みのある渋い声質の効果もあって、その僅かなセリフに数多の苦い経験からくる重みというものを感じさせる、まるで人生劇場の様なやりとりを………
と、外見上は見せかけて、その実、全くの生返事を返しつつ、
その胸中では、リング下のかぶり付きの位置よりシンジの試合の数々をハンディカメラで撮影中の眼鏡の少年から、その映像内容を譲って貰う………
より正確には、上手くチョロまかす方法を鋭意摸索中の、謎の長身痩躯な中年男の姿があった。



   〜 数日後。ダークネス秘密基地内、トライデント中隊の女子用宿舎 〜

使徒戦も既に折り返し地点を越え、後半戦へと突入中。
これまでの対戦戦績は、ほぼ全勝。まず申し分の無い勝率である。
だが、実質的な戦いの軌跡。その対戦内容はもう、御世辞にも順調とは言えないものだった。

実際、当初の予定では、使徒戦とは『戦いました』『勝ちました』で終る筈のもの。
遥か未来のチートな超兵器とそのパイロットを持ち込んだ『俺ってTUEEEE〜!』といった感じの万全な体勢の下、一方的に眼下の敵を蹂躙。
そのついでに、ネルフ側の戦略的矛盾点を指摘して彼の組織の勢力を削り取り、サードインパクトの際のイニシアイテブを握るというコンセプトだったのだが、
今となって、この目論見は半ば瓦解した状態にあると言っても過言では無いだろう。

そう。諸般の事情から。予期せぬ使徒のパワーアップ&ネルフのスタッフ達が予想以上にアレだった事&そんな彼等に情が移ったらしい現地工作員達の嘆願。
その他諸々の要素が複雑怪奇に絡み合い、今や使徒戦は、僅かなミスが思わぬ効果をもたらすものに。
某スパ○ボ以上に繊細かつ困難な勝利条件の設定された、極めてシビアな戦いとなってしまっているのである。

閑話休題。兎に角、既に数日後に迫った久しぶりの全体会議は、これまでの使徒戦の問題点を洗い出すと共に、改めて今後の方針を決定する極めて重要なもなのだ。
単にジャンケンで選ばれただけの、姐さんのオマケ。
いわゆる員数合わせの身ではあるが、この大一番を前に気合が入らなければ嘘である。
何しろ、末席とはいえ、部隊を代表して意見具申が許される立場。これを有効利用しない手は無い。

「あの。良かったら下の名前、教えてくれない?」

姿見にて入念にチェックを入れた後、霧島三尉は徐にそう話し出した。

『え? えっと、シンジだけど』

「そう。それじゃあ、シンジ君ね」

予めボイスレコーダーに入れておいた緒方○美ボイスによる返答に合わせて。
あからさまに親密度アップを狙った。やや芝居掛かった声音にてそう宣った後、彼女はやおら姿勢を改め、

「本日、わたくし霧島マナは、シンジ君の為に午前六時に起きて、この制服を着てまいりました! どう? 似合うかしら♪」

と、これまた台本通りなセリフを口にしつつ、スカートを翻しながらクルリとターンしてみせる。
姿見に映る自分の姿は、ほぼイメージ通りの軌跡を描いている。
バッチリだ。一流のメイドさんでも中々こうはいくまい。

「…………」

世界の意思に従って。とある事情から彼女を呼びに来た関係で、偶然にもその一部始終の目撃してしまうストラスバーグ三尉。
正直なんとも言い様が無い。
意外と弁が立つ方であり、友人達とのじゃれ合いの時などは結構上手い事を言うその口も、流石に咄嗟には動かず、既に間を外してしまっている。
それでも、この絶望的な状況をフォローし得る絶妙なセリフを沈思黙考してみる。

@『う〜ん、今一つ。次回に期待ってトコかな?』
A『まあ、昨夜は暑かったからな。なんでも、この時期の過去最高気温を更新したらしいぞ』
B『悪いけど、俺は制服フェチじゃないんだ』

   みゅいん、みゅいん、みゅいん……………ボッボッボッ

「って、何で肯定系の選択肢が無いのよ!」

と、サ○ラ大戦っぽく摸索している間に時間切れになり、自動的にCの逆切れするマナに。
いつもの様に、それを適当に。どこかの作戦部長とその親友のそれを彷彿させるやりとりでいなした後、

「で、結局の所、その仮装は一体何の真似なんだよ?」

概ね察しはついているものの、ストラスバーグ三尉は敢えてそんな質問を。
無論、聞きたくもない答が返って来る事は判っているのだが、まずこの辺をハッキリさせないと、その後の説得工作の足掛りを失う事になりかねない。
この辺、ツライ所である。

「(フッ)良くぞ聞いてくれたわ、ムサシ。
 不遇な下積み時代を。この間の特殊任務(外伝参照)の後、漸く貰った7通のファンメールの総てが『お前、アホだろ』って内容な。
 いわゆるアンチからのものだったっていう苦い経験を経て、私は遂に悟ったのよ。矢張り、一般受けを狙うには、ラブコメ要素を入れないとダメだって事にね!」

「………ひょっとして(もう何の意味も無い)スパイ・イベントとか狙ってるのか?」

胸中で『ああ、やっぱり』と嘆息しつつ、自信満々に自説を語るマナに再度そう尋ねる。
だが、もはや諦観気味な此方の気も知らんと、彼女は『我が意を得たり』とばかりに、

「おお、凄い。説明するまでもなく、それに気付くなんて。
 正に以心伝心。何だかんだで、トリオを組んで長いだけの事はあるって感じね」

その後も、上機嫌で『その時はゲーム版みたくライバルキャラっぽいフォローを宜しくね』とか
『ああでも、トライデントで私をさらいに来る下りは勘弁ね。漫画版と違って現実は厳しいって言うか、うっかりN2爆雷を貰ったりしたら、もう絶対助からないし』なんてメタな事を。

それにしても、そこまで具体的(?)なビジョンを描いているのに、ど〜してもっと根本的な問題点に気付かないんだろうか?
座学に関しては、ほとんどの学科が赤点上等なシノブやダイと違って、マナは比較的優等生。
戦略戦術論の定期テストでも、平均を軽く越える点数を取っている筈なのに。

と、一頻りそんな事を胸中でつらつら考えた後、ストラスバーグ三尉は本命の説得を開始した。

「なあ、マナ。お前、肝心な事を忘れていないか?」

「肝心な事?………ああ、上の許可だったら大丈夫。
 今度の全体会議でコレを発表すれば、きっと認めてくれるわよ」

そう言いつつ、机の上にあった数枚のレポートを差し出してくる、マナ。
ザッと目を通すと、意外と的を得ていると言うか、如何にも桃色髪のスポンサー様の興味を引きそうな計画が書き連ねられている。
駄菓子菓子(だがしかし)今やコレは机上の空論。
少なくとも、実行するには2ヶ月ばかり遅かった。

「まあ、わりと良く出来た計画だとは思うんだが………やっぱ、お前は肝心な事を忘れているぜ。
 この際だからハッキリ言うがなあ、『それ、何てギャルゲー』って感じなコレの主人公は所謂TSキャラ。今となってはヒロインなんだぞ」

「………………え? ちょ…チョと待って。
 今、完璧な筈のこの計画の唯一の欠陥が、ラッキョの皮を剥く様に少しずつだけど見え始めてきたから」

一発で判れ! てゆ〜か、寧ろ自分で気付けよ、それくらい。
漸く理解が得られた事に安堵しつつも、思わず胸中でそう毒吐く。
まあ何にしても、コレで漸くマナも諦めが………

「うん。確かに、少しばかり問題があるみたいね。
 でも、大丈夫。充分誤差修正範囲内。問題ないわよ、うん。
 幸い、健全路線だから18禁シーンとかは入らないし。
 今年も百合が流行るって、タカセさんちのカナタ君も言ってたし」

ついていなかった。

「……………了解」

かくて、ストラスバーグ三尉は問題を棚上げに。
全体会議の場にて姐さんが上手くやってくれる事を祈りつつ、もう一人の問題児の下へ。
普段ならば、こうした苦労を分担してくれていた筈の戦友の見舞いへと、マナを連れ出した。



  〜 1時間後。イネスラボにある集中治療用の個人向病室 〜

「んじゃケイタ、また来るから」

出鼻に、良く判らないが兎に角イヤな予感がする計画の話しを聞かされはしたが、ムサシのフォローもあって有耶無耶に。
その後、暫しの間とりとめの無い世間話をしている間に面会時間が終了し、二人は病室から去って行った。

「(ハア〜)」

深い溜息と共に、病院特有のチョッピリ消毒液っぽいニオイのするベッドにゴロンとなる。
そう。実の所、色々あって(序章〜第14話参照)崩壊寸前だったケイタの精神は、既に概ね社会復帰を果していた。
自分には理解不能な。何となく、馬鹿にされているかの様な印象すら受ける、あからさまに幼児向けっぽい内容ではあるが、
ドクターの組んだリハビリプログラムは順調な効果を挙げてくれており、夜中にうなされて飛び起きる事もメッキリ少なくなった。
にも関わらず、いまだに此処で寝起きをしている理由はと言えば、主治医である彼女が退院を認めてくれないからである。
少なくとも、ケイタ自身にはそれ以外の理由など思いつかない。

ドクター曰く『過度の緊張と閉塞感によってもたらされるストレスが……』とか何とかという話だったが、正直、少しばかり大袈裟だと思う。
まあ確かに、所狭しと飛行機の模型が並べられたあの部屋は(第6話参照)あまり開放的とは言えない気もするし、
プライベートな空間と言えば自分のベッドの上だけしか無かったりするが、慣れてしまえば大した問題では無い。
幼少の頃の。少年兵として拾われる前の野良犬の様な路上生活時代に比べれば、寧ろ快適な生活環境とさえ言えるだろう。

再度、深い溜息が出る。
実際問題、こうした不満が胸中に生じるのも、何かしていないと『イラナイ子』認定を受けそうで不安だから。
ぶっちゃけ、己の小心による所が大きかった。
それは理解しているのだが………

「(パン)よし!」

己の頬を張り、弱気になっていた自分を叱咤すると、ケイタはチョッとした冒険の旅に。
ナイショで病室を抜け出し、自室へと向かった。
目指すお宝は、彼の個人PCに入っているであろうメールである。
そう。曲がりなりにも、自分の所属する組織は悪の秘密結社。
情報漏洩対策もあって自分の方からは滅多に返信は出来ないのだが、アキちゃん(第一話&第三話参照)からは折に触れて定期的に。
特に、使徒戦の直後には、その勝利を祝ってくれるそれが必ず送られてきているのだ。
これは、色々あった(主にロリコン呼ばわりされた)が故に、仲間の前では決して認めない事ではあるが、
(自分の趣味を押し通す根性の無い者にとっては)娯楽の少ない此処での生活にあって、わりと心の支えだったりする。

   カチャ

そっとドアを開けると誰も居ない。首尾良くルームメイトは留守らしい。
安堵の溜息と共に、逸る心を押さえつつPCを立ち上げ、受信トレイ内のメールをチェック。

「よし!」

十数通の新着メールの中に目的の物を発見。
逸る心を押さえつつ、その内容を確認する。
病室への通信機器の持ち込みは厳禁。コミニュケも取り上げられているので、到着から五日ばかり遅れての閲覧である。

彼女からのメールを読む度に感じる心和む瞬間を前に、我知らず頬が緩む。
だが、何時も通り、その近況を写した写メ−ル(?)から始まる今回のソレは、そうした感慨を木っ端微塵に打ち壊す物だった。



その後に続く文章も読むには読んだが、まるで頭に入ってこなかった。
否、敢えて内容を確認するまでもなく、冒頭の写真が総てを物語っていた。
そう。なんだか知らないけど、向こうは向こうで大変なのだと。
数分後。病室に戻ったケイタは、そっとベットに潜り込み2時間眠った。
そして……目を覚ましてから暫くして………大切な何かが………彼にとって平和の象徴だったものが失われた事を思い出し………泣いた。



   〜 同時刻。日々平穏ダークネス秘密基地支店 〜

夕食が出来上がるまでの空き時間を利用して、トライデント中隊の隊員達がタベっている。

「つ〜か、最近、やけにムダが多くねえか? リックの動きはよ〜」

「仕方あるまい。戦闘飛行と曲芸飛行では、求められる資質が格闘家とボディビルダーくらい違うからな。故人曰く………」

「ああ、はいはい。それはもうイイって」

とはいえ、そこはそれ、戦勝パーティの折の様な馬鹿話ではない。
本日の訓練はシミュレーションがメインだった事もあって、その内容はそれに則したもの。
座るその席順もまた、そこに配慮し、各小隊ごとに綺麗に色分けされていたりする。
この辺は、姐さんに指示されるまでもない当然の行動。
彼等が第一線で戦っている兵士である証左である。

「ん? リック、お前のチームのオーナーが出てるぞ」

と、得意の格言を鈴置二曹に封じられてムッとしている朝月二曹の気をそらすべく、愛想は無いが面倒見は良い、部隊内におけるもう一人の参謀役。
紫堂一曹が、壁に掛けられる形で設置された大型プラズマTVを。
その画面内にて、盛大にフラッシュを浴びつつインタビューを受けている、如何にも英国紳士っぽい容姿をした三十歳前後と思しき伊達男を指差す。
だが、話しを振られたリチャード君はと言えば、

「(フン)関係ないね」

と、鼻を鳴らしつつ素っ気無く呟くばかり。
そう。初顔合わせから二ヶ月近くが経過した現在もなお、二人の仲は最悪だった。
否、伯爵様におかれては平民の小僧の事などに構っている暇など無いらしく、単に黙殺しているだけなのだが、
その頭からアウトオブ眼中な態度こそが、リチャード君にしてみれば最悪にして最大の挑発だった。

実際、あの日から暇を見付けてはチームに顔を出して交渉を。
概ね隔週位のペースで就職活動を続けており、他の者達とは既に絆っぽいものが生まれていたりするのだが、かの伯爵様だけが頑として首を縦に振ろうとしないのだ。

アレはマジに頭に来る。
昔、泉なんとかという俳優が、より完成度の高い演技を目指して『給料なんて要りませんから是非とも雇って下さい』と、撮影に協力して貰っていた某旅館の店主に頼み込み、
そのまま、己の演じる役所を、半年以上に渡って撮影と掛け持ちで勤め上げたという故事があるそうだが、
自分の心境も正にソレ。
予行演習がてら、チョッと練習に混ぜて欲しいだけだというのに、あの男は!

そんな訳で、思わず不貞腐れるリチャード君だった。
だが、常ならぬその態度は、不幸にも、もう一人のスポンサー様の逆鱗に触れるものとなった。

「ちが〜〜〜う!!」

「うわっちゃ!」

桃色髪の少女の駄目出しに。
唐突な登場&至近距離からの大声のコンボに驚き、椅子ごと後ろに引っ繰り返るリチャード君。
一見、コントの様な展開だが、受け身を取るのに失敗したもんだから地味に全身がメッチャ痛い。
そんな悶絶中の彼を見下ろしながら、

「まったくもってなってないわ。柴田○平を気取る様なキャラじゃないでしょ、君は!」

桃色髪のスポンサー様が、その幼い顔に精一杯の覇気を込め。いっその事、CVをくぎみ〜に差し替えたい様な調子で捲し立ててくる。
その雰囲気にチョッピリ押されつつ、転んだままの仰向けの体勢から『そ…それじゃどうしろと?』と問い返すと、

「だから、こういう時は『そんなの関係ない。あっ、そんなの関係ない』ってこう来るべきでしょ、君の場合!」

自身タップリに。下を向いた中腰の体制から小気味良いリズムで拳を振り下ろす動作を繰り返す。
自ら実演を交えつつ熱弁する桃色髪の専務様。

ノロノロと身体を起こしつつ、それに習う。
色々と不本意ではあるが、仕方ない。何せ、コレが一番ダメージが少ない対応だったりするのだから。
嗚呼、悲しき経験者。

「そんなの関係ない」

「ちが〜う! もっと腰を入れてテンポ良く!」

「そんなの関係ない!」

「う〜ん、まだ固いなあ。しょうがない、やっぱチョッと脱いでみようか?」

そんなこんなで小一時間後。
彼女の熱い指導に飲まれ。また、生来の調子の良さも相俟って、

「そんなの関係ない。あっ、そんな関係ない。はい、オッ○ッピー」

と、ごく自然に。カラフルなビキニパンツ一丁で演じる事となるリチャード君だった。
ちなみに、初期の問題と全く関係の無さ気なこの一発ネタに、実は某伯爵様との和解への重要なヒントが隠されていたりしたのだが、それはまた別の御話である。



   〜 同時刻。戦車小隊のテーブル 〜

桃色髪のスポンサー様とリチャード君が、芸道を極めるべく奮闘していた頃、戦車小隊の面々もまた、来るベく全体会議を前に、
その意見を統一すべく、夕食を終えた後も、喧々囂々の議論を戦わせて………

「だから、過度のスラローム走行は、友軍の射界をスポイルするだけで意味が無いだろ!?」

「いや、お前こそ判っていない。
 ATの最大の武器は機動力。まして、此方の火力では有効打を望めない以上、命中率や連射性に拘った所で意味が無い」

「『特に、あの途端場で敢えて予備兵力を残しておくクレバーさには………』
 あっ〜〜! やっぱ何度読み返しても、姐さんへの褒め言葉ばっかでアタシの事が一言一句書いてない〜〜〜っ!」

前言撤回。それぞれが自分の意見を勝手に並べ立てているだけで、議論と呼ぶには少々噛合っていなかった。
そして、それを諌め様にも、

「何て言うかなあ。シローもキリコも、もうチョッと歩み寄ろうよ、チームメイトなんだし。
 あと、サラ。その知人からのメールの話は、ここ数日で耳にタコが出来るくらい聞いたって言うか………ゴメン何でもない」

趣味が絡まなければ比較的常識人な中原三曹では、その軽薄さゆえに勝負にならず、山本三曹の一睨みで轟沈する結果に。
矢張り、寡黙でありながらも締める所はキチンと締めていた。
戦車小隊の纏め役だった塩沢一曹(二階級特進)が抜けた穴は地味に大きかった様だ。 
また、チョッと前までは、最年少でありながら、こうした部隊内の小競り合いを緩和する緩衝役を務めていたヴェラント三曹が、

「(もっきゅ、もっきゅ)」

と、食事時には全くアテにならなくなってしまったのが、正に止めと言った所だろうか。

「って、いつまで食べてるんだよ、ヴィヴィ。
 何て言うか、夏休み明けからコッチ、チョッとおかしいぜ、オマエ。
 確かに、此処のメシはかなり美味い方だとは思うが、何も毎回泣くほどの事も無いだろう?」

「(もっきゅ、もっきゅ………ゴクン)中原先輩。お言葉を返す様ですが、此処では三度三度キチンと出来立ての食事が食べられるんですよ。これに感動しなくてどうするんですか?
 特に主食が素晴らしい。嗚呼、飽くまでに白い銀シャリよ。口の中で溶けそうな柔らかな白パンよ。僕は君達を愛している」

独特の咀嚼音が止むと同時に、どこか芝居がかったポーズなど取りながら、そんな『何時の時代の人間だよ、オマエは!』と突っ込みたくなる反論を。
本当に、故郷への墓参りから帰ってきて以来、この後輩の言動は常軌を逸している。
普段はマトモと言うか苦労人タイプな。此処では数少ない空気の読める人材なだけに、食事時のこの異常さが際立つ。
これで、最近供給過多気味な大食いタレントっぽく、やたらと大食漢になったというのなら、
里帰り中にどこかの妖精界から迷い出てきた騎士王の霊にでも取り付かれたのかと疑う所なのだが、
過剰なまでに咀嚼回数が増えただけで、食事量自体はほとんど変化していない。
とは言え、この急激な感性の変化(食事限定)は異常としか。
矢張り、一度、ドクターに看て貰った方が良いのでは………

「まあまあ。そんな気にする程の事じゃ無いだろ?
 確かに、少しばかり大袈裟な気もするが、食事に感謝するのは素晴らしい事だぞ。
 御蔭で、最近はポールさん(ナイフの達人な部隊専属のコック兼白兵戦技教官殿)の機嫌も上々だし、良い事尽くめじゃないか」

「あの少々多めな咀嚼も悪くはない。
 胃腸への負担が減ると同時に下顎の鍛錬にもなる。
 食事時間が豊富に取れる現在の体制においては、寧ろ理想的だ」

「…………お前等なあ〜」

要するに『朱に交われば』ってヤツね。
あさっての方向に的を得た同僚達の言に、あの純真だった少年はもう何処にも居ないのだと悟る中原三曹。

もっとも、それは全くの誤解。
この後、およそ三ヵ月後の。新年の直前に起こったとある大事件の際に、この時、無理矢理にでもドクターに看せるべきだったと後悔する事になるのだが、
現時点の彼には、それを知る術は無かった。




次のページ