>SYSOP

「(ハア、ハア)」

生暖かい空気が………何やら吐息の様なものが顔に掛かっている。
そんな、お世辞にも心地良いとは言い難いモーニング・コールによって、シンジは目を覚ました。
否、意識は覚醒しているのだが、霞が掛かったかの様に五感の働きが鈍い。
聴覚と嗅覚は結構マトモなのだが、視覚は目を開いている筈なのに何も見えず、照明の光の下に居る事が辛うじて感じられる程度。
身体に至ってはピクリとも。指先一つも動かせない状態だった。

これはアレだろうか?
寝込みを襲われるというケースを想定しての抜き打ちテストで、これは襲撃者の。
北斗さんの接近に全く気付かなかった事に対するペナルティ。
『成す術も無くヤられる気分を存分に味わえ』とかいうシチュエーションなのだろうか?

いや、何か違う。これは北斗さんの趣味じゃない。
確かに、そういった訓練が行われる可能性はゼロではないだろうが、あの人がこんな回りクドイ罰を下すとは思えない。
では、この状況は? 身体の方はオカルト番組に出てくる金縛りというヤツとしても、隣にいるのは誰?

「(ハア、ハア)」

とか言ってる間に、彼の人の息遣いは更に荒く激しいものに。
だが、殺気はまるで感じられない。
何かがオカシイ。北斗さん曰く『獲物を前に舌舐めずりなど三流のやる事』という話だったが、これはチョッと方向性が違う様な気がする。
これではまるで……………

調息によって丹田に氣を溜め込み、収束したそれを両目に集中させる。
本来は拳や肘を強化する為のものであり、いまだまともに使えた試しの無い技なのだが、他に方策が無い。
そう、何か知らないが猛烈に悪い予感が。かつて無いくらい大ピンチな様な気がする。
四の五の言っている場合じゃ無い。

(良し!)

予想通り、それほど的外れな理屈では。
こういう使い方も出来なくはなかったらしく、ぼんやりとだが視力が回復してきた。
だがそれは、己の新たな可能性を見出した喜び以上に、激しい後悔を伴うものとなった。

(えっ?……………ひょっとして、僕?)

そこに居たのは、まだ少年だった頃の。
それも、まるで武術を習い始める前の、最低限の筋力すらない華奢な身体をした。
それでいて、何故か若干だが男臭い顔立ちをした自分だった。

此方を覗き込む様な体勢。
どうやら、自分は仰向けに寝かされた状態であり、向こうはそれを見下ろしているらしい。
その目は性質の良くないモノを。自分自身のものでありながら目を背けたくなるくらい、欲望塗れな光を帯びている。
そして、益々荒くなる吐息のリズムに合わせ、彼の右手は小刻みに激しく動いており、その掌の中には、今は無き見慣れたモノが。
こ…この展開はまさか!?

慌てて身体を動かそうとするも、時既に遅し。
顔に、頬に、口元に。はだけていたらしい胸元に。栗の花のニオイがする生暖かいナニカが降り注ぐ。

(〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!)

声にならない悲鳴が喉を突く。
せめてその汚物を拭いたいのだが、なおも身体が動かない! 動かないの!

絶望が胸に去来する。
だが、どこかで安堵もしていた。
こう見えても元は男の子。この手の衝動には覚えが無い訳じゃない。

何と言うか“出して”しまえば頭も冷えるだろうし。
それに、今の自分の容姿は“一応”女の子であり、ケンスケの評価によれば、充分使用に耐えるレベルとの事。
あの時は只の冗談だと思っていたが、こうなると………
正直、悪趣味の極みとは思うが、本当に追い詰められている時ならば、こういうケースも考えられなくは無い。

「最低だ、俺」

内なる声にて『まったくもって同感だよ』と、自分にソックリな少年の独白に同意する。
だがまあ、それが認識出来るという事は、多少は冷静に。それなりに、分別が付く様になったという証左。
幸い、向こうはまだコッチが眠っていると思っている様だし、この事は、野良犬に噛まれたとでも思って忘れてしまおう。

と、胸中で無理矢理合理化を。
泣いちゃダメだ。泣いたら、起きてるのがバレてしまう。

   ムニュ

だが、そんな此方の気遣いを打ち壊しに。
先程、後悔の言葉を紡いだ舌の根も乾かぬ内に、はだけていた胸元に彼の手が。
そのまま、お世辞にも豊かとは言えない自分の小振りな乳房を、微妙なタッチで揉み始めた。
って、チョッと待て! 俺はソコまでヤらなかったぞ!!

嗚呼、余りの事にナンか可笑しな電波が。
大体、そんな事してナニが楽しいの?
僕の好みは、もっと成熟した。ミサトさんクラスと贅沢は言わないまでも、出来ればCカップ以上。
間違っても、『貧乳はスティタスだ』なんていう特殊な趣味など持ち合わせていない筈なのに。

   ムニュ、ムニュ

いや違う。これは僕の手によるものじゃない。
もっと小さな手。そして、僕はこの手を知っている………

   パチッ

此処で、漸く目が覚める。
目の前には定番の天井ではなく、ほんの少しだけ色素の薄いグレー掛かった艶やかな黒髪。
視線を下げれば、そこには自分の胸元に顔を埋めた愛らしい少女の姿が。

「……………ん。早朝(おはよう)小姐ちゃん」

「おはよう、鈴音ちゃん。
 でも、出来ればお兄ちゃんって呼んで欲しいな。何度も言う様だけど」

と、そんな無駄な抵抗をしつつ、ベッタリと自分に甘えている鈴音が不快を覚えない様に注意しながら、
あの悪夢の原因となったと思しき彼女の小さな左手を、ゆっくりと己の胸元から外しに掛かるシンジだった。







オ チ コ ボ レ の 世 迷 言

第16話 笑うしかない現実、そして





それは、体育祭の翌日。丁度、ネルフの地下にて秘密の集会が開かれていた頃の事だった。

   キラッ

「あっ、流れ星」

その日の修行を終えての帰り道、シンジは夜空を流れる一筋の流星を見つけた。
此処は当然、

「世界が平和になります様に。世界が平和になります様に。世界が平和になります様に」

と、作法に従い、三顧の祈りを奉げる。
その一途なまでの真摯さ。紡がれた願い。そして可憐な容姿。
いずれも凡百の巫女達の及ぶ所では無い高レベルな。

   パシャ

この時、さりげなく撮られた写真が、後にケンスケの学生時代の最高傑作に。
破格なまでのプレミア価格を付ける事となる、正に完璧な『乙女の祈り』の図だった。
しかし、全知全能なる神の目から見れば、それすらも虚しく。
所詮は擬態。その実態は、私情丸出しの身勝手な願望の発露であった事を看破されていたらしく、

   キュイィィィ〜〜ン

「えっ?えっ?」

祈りを奉げた対象。ものの数秒程で消え去る筈の流れ星が、何故か燃え尽きる事無くグングンと。
まるで此方を狙っているかの様な軌道で、

   ドガ〜〜〜ン!

彼女達の目と鼻の先。芍薬の裏庭に落っこちた。

「(クッ)なんなんだよ、一体?」

着弾時(?)に巻き起こった爆風に対衝撃姿勢を取りながら。
それでもなお小揺るぎもしない、目の前に立つ己の師と己の住居とに言い知れぬ畏怖を覚えつつも、そんな乙女にあるまじき。
零夜の耳に入ったら最後、小一時間の説教コース間違いなしな悪態を。
って、こんな時くらい言葉使いが乱れたってイイじゃないか!

「なんや、素に戻った時のは○な愛みたいやな」

「クワッ」

嗚呼、友情ってナンだろう?
いっそ、ケンスケみたいに吹っ飛ばされて悶絶していてくれれば………

と、チョッピリ黒化しながらも身を起こし、師の後を追って、今も土煙を上げている事の原因が待つ裏庭へと向かう。

「……………ボール? それとも、ひょっとして宇宙船?」

そこには、二昔前の漫画に出てくる宇宙船の形状を無理矢理まん丸にしたかの様なデザインの。
朝のアニメのタイトルにZの文字が付いた後に見たのであれば、サ○ヤ人の襲来かと錯覚しそうな、直径3m程の球体形宇宙船が。

「北斗さんのお知り合いの方ですか?」

クレーターの中心部。半ば地面にめり込んだそれを指差しながら、恐る恐るそう尋ねる。
当たっていて欲しくない様な。だが、外れていれば外れていたで対応に困る。
ドチラになっても嫌な予感しかしないが、それでも確認しない訳にはいかない。

「知らん。舞歌辺りのイタズラと違うか、多分?」

そっけなくそう答えつつ、件のボールの外壁をペタペタと弄くる、北斗。
未確認物体を前に、何とも剛毅な事である。

そんなこんなで数分後、

   パカッ

唐突に。偶然にも開閉スイッチが入ったらしく、ボールの縫い目にそって扉が開き、

「えっ?……………ひょっとして、鈴音ちゃん?」

そこには、二ヶ月程前に修行中の中国で出会った少女が、その小さな身体でもなお窮屈そうな操縦席(?)に鎮座。
あたかも、緩衝材に包まれたフィギュアの様な感じで。
そんな錯覚を覚えるくらい生気の無い顔で力無くグッタリと。
焦点の定まらぬ、ハイライトの消えた目を虚空に向けたままピクリとも動かない。
ぶっちゃけ、もう完璧なまでに失神していた。

「うわ〜〜〜っ!! 零夜さん、救急箱を! いえ、救急車に電話を!」

思わぬ再会を果たした少女の惨状に慌てふためく、シンジ。

ちなみに、この事実を知った、とある二人のマッドエンジニア達が、

『って、おっかしいな? 衛星軌道からの降下とはいえ、加速は音速以下に抑えた筈なんだが』

『ええ。耐G機構も限界まで突き詰め、瞬間最大値でも4G以内に。
 着地の際の耐衝撃に関しても、完璧な対策をしてあった筈ですのに………いったい何がいけなかったんでしょうね?』

と、首を捻る事になるのだが、これは全く関係の無い話である。

兎にも角にも、こうして彼女はこの地にやって来た。




   〜 一時間後、影護家の居間 〜

「……………まあ、話は概ね判ったが。お前は、それでイイのか?」

取り敢えず、見苦しく喚く馬鹿弟子をボコってから、気絶していた少女に活を。
目覚めた後、さして動揺する事無く、前後の事情を語る彼女の姿に眉を顰めつつ。
その無茶苦茶な内容と、歳を考えればあり得ないくらい理路整然とした………
否、不自然なまでに出来過ぎた受け答えに二重の意味で不審を覚えつつ、北斗はそう尋ねた。

「良い訳ないで(ボコッ)へぶっ!」

「お前は黙っていろ」

懲りる事無く騒ぎ立てるシンジを、軽く小突いて再度黙らせる。
まったく、何時からコイツはこんな風になってしまったんだか。
出会ったばかりの頃は、もっと醒めていると言うか。自分に関係無い事には無頓着なほうだったのに………零夜か? 零夜の影響なのか?

「考え直そうよ、鈴音ちゃん。
 大丈夫。手術費の事だったら………何とかなるから、多分」

って、言ってる側からもう復活しやがって。
とゆ〜か、半ば錯乱してるクセに、そこでまず自分の預金通帳を確認するってのも………
その妙な現実感と冷静さはドコからくるんだ? 

内心、そんな突っ込みを入れながらも、北斗もまた事の善後策を熟考する。
そう。馬鹿弟子の様に見苦しく狼狽こそしないものの、彼自身もまた、この話には反対だった。

曰く、鈴音の右手は、ネルフ中国支部の医療機関では匙を投げられた難症例。これはまあ仕方ない。不幸な事故というヤツだ。

曰く、イネスに言わせれば『怠慢ね。念の為、チョッピリ未来技術も流用するけど、本来なら、2015年の医療技術でも完治可能なのに』との事らしいが、これも仕方ない。
アレの視点でモノを語られては無理もない。寧ろ、その眼鏡に適う医師の方がコワイ。色んな意味で。

曰く、執刀医はイネスの弟子。何でも、まだ医師免許取立てのペーペーらしいが『出来る』とイネスが判断した以上、これにも口を挟む気は無い。
万一の際は、アレがどんな手を使ってでもその尻拭いをするだろうから無問題だ。

曰く、手術は一ヶ月後、手術料は……………払うアテが無いのでKA☆RA☆DAで返す。
これはダメだ。納得しかねる。マズ過ぎる。最悪だ。ペケポンだ。
相手が悪い。貞操云々を通り越して、人としての尊厳の危機だ。

「大丈夫だヨ、小姐ちゃん。手術の経過観察を兼ねて、月に二〜三回、人間ドックっぽい検査を受けるだけで良いだけなんだから」

「甘い! 甘過ぎるよ、鈴音ちゃん!
 昔ね、日本でも『毎日、白いお米が食べられる』とか『三食昼寝付き』とか言って、若い娘さん達を集めて………」

言いたい事は判らなくもないが………いったい幾つだよ、お前は。
あと、『僕はお兄ちゃんだから』なんてセリフは虚しいだけだぞ、今更。
(ハア〜)いかんな。なんかもう、総てがドウでも良くなってきた。

チラッと零夜の方に目をやる。
状況的に、シンジ以上に騒ぎそうな彼女が、取り乱す事なく何時も通りの姿。
どうやら、事前に知らされていた。少なくとも、此処で口を挟まない程度には根回しを受けていたっぽい。

と、此方の目の色からその意図を察したらしく、コクリと小さく頷く、零夜。
つまり、これはシンジの教育の一環であり、と同時に、自分はお味噌にされていたらしい。

チョッとだけ腹が立ったが、まあ良い。
零夜が納得している以上、そう酷い事にはなるまい。
後は知らん。とゆ〜か、元々こういうのは俺が頭を悩ます様な事じゃないし。

「まあナンだ。(ポカッ)続きは、夕食を済ませてから部屋でやれ」

取り敢えず、既に感情的な水掛け論に突入していた馬鹿弟子を強制的に黙らせる。
と同時に、これが当座の鈴音の落ち着き先が決定した瞬間だった。




   〜 同時刻、某ファミレス 〜

そんなこんなで、影護家にてチョッと豪勢な夕食が。鈴音の歓迎パーティっぽいものが開かれていた頃、

「で、マジでやんのかよ、リーダー」

ドリンクバーから汲んできた5杯目の炭酸系ジュースを一口含んだ後、リーゼント頭の小柄な少年が、只でさえ目付きの悪い三白眼を更に歪めつつ最終確認を。
正直、これで終ってくれないと、彼としてはかなり困る。
夕暮れ時辺りから始まった、この仲間内での喧々囂々のやりとりも、既に二時間強が経過している。
そろそろ決めないとヤバイ。色んな意味で。
全員ソフトドリンクで粘れるのはこの辺が限界だし、これ以上帰宅が遅れれば、夕食を食いぱっぐれかねない。

「当たり前だ。只でさえ、振り替え休日の所為で丸一日お預け食ってんだ。これ以上待てるか」

「(チッ)女相手にそんなムキにならんでも」

対面の席に座るリーダーからの変らぬ返答に、舌打ち混じりに不貞腐れるリーゼントの少年。
結局、この二時間強に渡る説得が不首尾に終ったのだから無理もない事だろう。

とゆ〜か、昨日の体育祭以来、リーダーの様子がメッチャおかしい。
隣の席で同様に気勢を上げている巨漢の少年。田打フトシの方はまだ判る。
その狙いが、手痛い一発を貰った鈴原とか言うヤツなので無問題。
最近、何かとイキがっているみたいだし、仮にシメる理由が別件だったとしても反対はしなかっただろう。
だが、リーダの方はマズイ。彼的倫理観からすれば完璧アウトだ。
いや、それ以前にリーダーは。似蛭田ケンは、間違っても女に手を上げる様な男じゃ無かった筈なのに。一体ナゼ?

「や、やるんだなリーダー? あのオカマ野郎をボコボコのフクロに出来るんだな?」

「オカマじゃねえ! つ〜か、ヤるからにはタイマンに決まってんだろ、このアホが」

「って、抑えてくれリーダー。殿中でござる……じゃなくて、ココでの喧嘩はヤバイ」

キレるリーダーを必死に宥める。
釈然としない。グラサンがトレードマークの仲間。城外イッタがNGワードを口走って地雷を踏み、リーダーに折檻されるのは何時もの事なのだが、今回はその理由が判らない。

騒ぎが収まった後、さりげなく隣の男。
例の騎馬戦の参加した四人の中では。自分を除く仲間内では唯一人遺恨を残していないっぽい、中須藤ウンガにその辺の事を尋ねてみる。

それによると、二学期の始め。とある一件で自分が停学を食っていた頃の騒動。
その当時話題にしつくされた所為で、今ではもう誰も口にしないし、
当人もまた、違和感なく(?)女生徒達の輪に溶け込んでいるので知らなかったのだ、どうも、件は碇とかいう女は元々は男だった。
それも、女装癖とかニューハーフとかいうヤツじゃなくて、SFよろしく実験中の事故による完璧なTS化らしい。
感想は………正直、微妙だ。ドコを突っ込めばイイのか判りゃしねえ。

「と…兎に角だ。明日ケリを付けるまでは、俺はアイツを女とは思わん! 只の敵として扱う! 文句あるか!?」

いや、この際それは別にイイんだが………何で顔が赤いんだよ、リーダー。
そんな色々突っ込みたいのをグッと堪えつつ、これで話は終わりとばかりに仲間達を促し帰途につく。
嗚呼、本当にワケが判らない。

自宅への道すがらも、アレコレと思い悩むリーゼントの少年こと米利ケンセイ。
その外見に似合わず、意外と頭のキレる。仲間内では参謀役を務める事の多い知性派なのだが、だからこそ思考の自縄自縛に陥り身動きの取れない彼だった。




   〜 同時刻、ネルフ本部最下層を通る下水道 〜

その頃、区画整理用の地図に記載されていない、とある下水道。
ターミナル・ドグマへと続く秘密の通路を、補助電源の『雙背帶書包(ランドセル)』(外伝参照)で稼動時間を延ばした零号機が、

  (ザブン)ガシャン、(ザブン)ガシャン、(ザブン)ガシャン、(ザブン)ガシャン、

「暗い、汚い、キツイ。そう、これが3K仕事というものなのね」

TV版とは似ても似つかない不満顔のレイが、ブツブツとグチりながらも南極から輸送されてきたブツを。
紅く輝く二又な秘密の槍を、当座の所定の位置へと運ぶ作業に従事していた。




   〜 翌日、第一中学校への道程 〜

登校中の道すがら、普段よりもやや遅いペースで。
今にも振り出しそうなドンヨリとした曇り空の下を、鉛の様に重い足取りで歩を進める。

「(ウウッ)僕なんて、僕なんて」

「泣くな。泣くんやない、シンジ。お前が泣いたら、なんや、わしまで悲しくなるやんか」

「いや、泣いてもイイんじゃないかな、こんな時くらい。
 あの北斗先生でさえ、掛ける言葉が無いってカンジだったし」

瞳に薄っすらと涙を浮かべつつ、お互いを慰めあうシンジ達。
そんな、お涙頂戴の三文芝居を演じている三馬鹿トリオをジト目で見詰めつつ、

「あんた等バカァ? チョッと年下の少女にペーパーテストで負けたくらいでビービー騒ぐんじゃないわよ、見苦しい」

さも鬱陶しいと言わんばかりな嫌そうな態度で突っ込む、アスカ。

「(ハッ)わしより成績悪いクセに大卒のお前には判らへん。判らへんのや、この屈辱は」

「屈辱〜っ!? アタシが言ったのはタダの事実。
 屈辱ってのはね〜、たった今、アンタがアタシに言った許されざる暴言の事を言うのよ!」

「って、よせよ朝っぱらから」

「うっさい。カメラは黙ってなさい!」

「せや、ケンスケ。今日という今日は、コイツをギャフンと言わせたるんや!」

と、もはや定番な掛け合いを経て、他の三人が概ね何時ものテンションに戻った後も、シンジは一人落ち込んでいた。
そう。親友達とは異なり、今朝方、とある理由から何時もの早朝の修行を中止して行った勝負で。
何故か予め用意してあった(成り行きから他の二人も受けた)学力テストで幼女にボロクソに負けた事自体は、彼女にとって大した事では無かった。
現実問題として、身近にいる天才少女達を基準に語れば。
たとえば、12歳で一流大学を卒業したアスカであれば、7歳の時点で自分より高い学力を持っていたとしても不思議ではないからだ。
まして、超一流企業の秘書をソツなくこなすカヲリさんクラスともなると、なんかもう人間としてのステージからして違う気がして、もはや比較の対象にさえならない。

兎にも角にも、理不尽な才能の持ち主は厳然として存在する。これは仕方ない。
問題なのは、自分が鈴音ちゃんに負けてしまった事。
それによって、『小学校には通わない』という、彼女の困った主張を認めざるを得なくなってしった事である。
これには本気で凹んだ。学校という所は、勉強をするだけの場所では無いというのに………
いや、友達なんて一人も居なかった。
そんなロクでもない小学校生活をおくってきた自分には、コレを口にする資格が無い事は重々承知しているが、それでも許せなかった。
正直、あの子に英才教育を施したらしいイネスという人が恨めしかった。

「何とか…何とかしないと」

思わずそう呟く。

「(グ〜、グ〜)」

しかし、決意も新たにした瞬間に聞こえてきた寝息に。
折りたたみ式のキャスターの上で眠るラナの姿を前に、早くも挫けそうなシンジだった。
そう、理不尽な才能の持ち主は厳然として存在する。大事な事なので二回言いました。

「チョッと待ちな!」

そんな色々困っている彼女に、更なる試練が。
呼びかけられたその先を見れば、某管理神と違って空気を読める精霊によって偶然にも吹き付けた突風によって吹き上げられた砂埃の向こうに五つの人影が。

「雨にも負けず」「風にも負けず」「汚い金の力にも負けない」「そんな人間に」「俺達はなりたい」

「西にイキがってるボンクラがいれば」「ボテくりまわしてシメ上げる」

「東にカツアゲをするヤクザ屋さんがいれば」「泣いて頼んで止めてもらう」

「そう、俺達は」

「「「二年番組!」」」

ど…どこから突っ込めばイイんだろう。
それが、五人揃ってズッシャと大見得を切った彼等を前にしたシンジの率直な感想だった。

「なあリーダー。イイ加減ヤメない、コレ?」

「うっさい。仕方ね〜だろ、親父の代から連綿と続く伝統なんだからよ」

ああ。やっぱ恥ずかしいんだ、アレ。
僕だけじゃないんだ、苦労してるのは。
そう思うと、彼等の威圧感溢れる如何にも不良っぽい格好すら、何となく愛おしくなってくるシンジだった。

しかし、そんな彼女の親近感溢れる心情とは裏腹に、相手はケンカを売りに来たワケであり、
そうなると、アスカやトウジがそれを買わない筈もなく、

「うるさいぞ、お前。関係ないヤツは引っ込んでな!」

「あんたバカァ? そういうコト言いたいなら、もうチョっとTPOってモンをわきまえなさいよ!」

「せや、此処は天下の往来やで!」

気付けば、既に一触既発の状態に。
どうしよう。こういう時、上手く場を収めてくれるカヲリさんは今日は休みだし、レイさんもネルフの仕事で公休だし。
山岸さんに至っては、とっくにこの場に居なくて。他人のフリしてサッサと登校しちゃったし。
嗚呼。僕もああいう要領の良さが欲しい、切実に。

「そこまでだ。このケンカ、俺が預かる」

とか言ってる間に、事態は最悪の展開に。
騒ぎを聞きつけたらしい北斗が、嬉々として割り込んで来た。

「って、センコーなんかの出る幕じゃね〜ぜ!」

「そうよ、スっこんでなさい!」

互いのグループのリーダーが。ケンとアスカが揃って反論を。
それを手を振っていなし。より正確には、チョッピリ闘氣を滲ませて黙らせ、

「そうはいかん。何しろ俺は、生活指導員も兼ねているからな」

「そう………世も末ね」

驚愕の新事実を前に弁舌の矛先を折られるアスカ。
そこへ畳み掛ける様に、

「だが、安心しろ。俺はこういう事には理解のある教師だ。
 おう、そこのお前。お前も頭を張る身なら、数を頼みにするほど腐ってはいまい?」

「(チッ)当たり前だ!」

「シンジとお前。トウジと隣のデカブツとの個人戦で構わんな」

「お…おう!」

「よかろう。では、どこからも文句の出ない戦う舞台をスグに用意させよう。(フッ)そう、スグにな」

嗚呼、猛烈に悪い予感がする。
思わず、胃の辺りを押さえて蹲るシンジだった。




   〜 十分後、第一中学校の体育館 〜

「……………ウチにはボクシング部なんてモンは無かった筈なんだが?」

「とゆ〜か、こんな矢鱈と場所を取った。
 体育の授業の邪魔にしかならない無駄に本格感溢れるリングなんて、昨日までは絶対に無かった筈よね?」

「僕からも一つイイですか?
 ああやってラピスちゃんが嬉々としてカメラを構えている姿を見た時点で、もうそういうのは諦めましたけど、なんで鈴音ちゃんまで此処に居るんですか?」

「(フッ)細かい事は気にするな」

三者三様の。ケンとアスカとジンジのジト目の問いを軽く流すと、

「そんな事よりチャッチャと始めるぞ」

北斗は第一試合の選手。シンジとケンに準備を促した。
ちなみに、そろそろ朝のHRの時間なのだが、この場にソレを口にする様なヤボな者は居なかった。

「まあ、センコーのヤル事にしちゃー気が利いてるとは思うが。
 イイのかよ? 俺は『ルールを守って』なんてお上品なコトは出来ない男だぜ」

気を取り直し、ケンはそんな軽口を。
彼としては、前後の状況から『ボクシングで決着をつけろ』と言われていると思った様だ。

「ん? ケンカに規則なんてあるのか?」

勿論、北斗にそんなつもりはなかった。

「ケンカって………マジか? 肘や蹴りや頭突きもアリなんか?」

「無論だ。武器の使用に関しても自己判断に任せる」

「武器?」

いぶかしげに北斗の指差す方を見ると、シンジが薄手のグローブを嵌めている所だった。
まあ確かに、武器と言えばそう言えなくも無いのだろうが………こう、何かが違う様な。
一切の武器の使用を禁じている某地下総合武術大会でさえ、グローブの着用は全面的に認めているし。

「拳の怪我はクセになるからな。強制はしないが、一応、付けておく事を推奨する」

「………つまりナニか? アレは拳を痛め無い為“だけ”のモノなのか?」

「ん? アレに“それ”以外の使い道があるのか?」

「判った、もうイイ」

「おお。言い忘れたが、念の為。
 刃物の使用も止めておけ。そういうのは、ガキにはまだ早い。
 それと、四つの玉(目突きと金的のこと)もなるべく狙うな。
 と言っても、お前と違ってシンジには二つしか無い訳だが………」

「だから、もうイイつ〜の!」

思わず喚き、強引に黙らせる。
まったく、このセンコーと話していると、どうにも調子が狂う。
とゆ〜か、ビビったワケじゃないが背中に冷たいものが。
何となく、これまで信じていた常識がガラガラと音を立てて。
自らが寄って立つ足場が崩壊していくかの様な心細さを覚えるが、その辺は根性でカバー。急いでメンタルを立て直す。
落ち着きを取り戻した視界には、今度はシンジの方に試合前の諸注意(?)をしているっぽい北斗の姿が。

そうだ。冷静になれ、俺。
事実上の禁じ手無し。そして、対面のコーナーには意中の相手が居る。アレコレ悩む必要は無い。

「ふむ」

ケンの戦意の高まりを背中越しに感じ、チョッと微笑ましいモノでも見たかの様に相好を崩す、北斗。
そんな己の師の姿に猛烈に悪い予感が。

「なあ。今朝のアレ、やっぱ悔しかったか?」

更に確変突入!
最悪だ。普段は話の要点しか。ぶっちゃけ身も蓋も無い事しか言わない北斗さんが、こんな風に韜晦っぽい事を口にするのは、大抵ロクでもない事を企んでいる時!

「悔しいよな? 此処は一発、名誉挽回を狙うべきだよな?」

「そ…そういうのは、もっとゆっくり時間を掛けて回復させるべきモノではないかと愚考する次第で(クッ)痛ぅ!」

慌てふたむき、しどろもどろに。
どうにか話を逸らそうとした瞬間、何故か右手に刺す様な激痛が。

「つ〜わけで、チョッと格好つけてこい」

そう言い残すと、話は終わりとばかりに、

「始め!」

リングから降りると同時に、北斗は試合の開始を宣言。
それを受け、気持ちを切り替え、猛然と突進してくるケンを迎え撃つべく、何時ものファイティングポーズを。

と、その時、体中に戦慄が走った。
牽制のジャブを打つべく、突き出そうとした右手が動かない!

「おりゃあ!」

驚愕を強引に押さえ込み、気合一閃繰り出された大振りの右フックを避けつつ、サイドステップ。
相手の突進を包み込む様にいなしてその背後に回り込み、此方の姿を見失った一瞬を狙って逆コーナーへダッシュ。
可能な限り距離をとり、シンキングタイムを稼ぎ出す。

取り急ぎセルフチェックを。
両足と左手は問題なし。だが、右手の異常は回復していない。
肩周りには違和感は無いが、そこから先に痺れが。
特に二の腕周辺が酷く、ほとんど感覚がない。
肘が動かない。ダランと伸びた状態のまま全く曲がらない。
手首から先はどうにか可動するので拳を握る事は可能だが、あまりにも頼りない。
握力が乏しい。これでは、只でさえ心許無い打撃力が更にダウンする事に………否、現状では、パンチそのものが打てそうもない。

チラっと、リングサイドで固唾を呑んで此方を見詰めている鈴音ちゃんに。
より正確には、ギブスで固められた彼女の右手に目をやる。

OK、良く判りました。
手術を怖がる子供に勇気を与える為にホームランを約束したベーブルースの如く、この状態で勝って見せろって事ですね。
確かにエエカッコし〜ですね。思わず涙が出そうなくらい。

「(チッ)ちょこまかと!」

と、此処でタイムアップ。
舌打ちと共に転進。再びケンが突進してくる。
それを迎え撃つべく、構えを普段と逆に。
斜に構えた態勢から左手を突き出したオーソドックス・スタイルに。

  バシッ

まずは先程の焼き直しの様な一撃に合わせて。
モーションが起った。右手が振り上げられた瞬間を狙ってのカウンターを。
だが、これが通じなかった。

  ブン
       バシッ

何事も無かったかの様に飛んできた右フックをダッキングして避け、
今度は、打ち終わりの瞬間を狙ってのショートアッパーを合わせる。
流石にコレは効いたらしく、ケンの動きが一瞬止まる。
その隙を突いてコーナーから脱出。再び距離を取ってリングの中央へ。

背中を嫌な汗が伝う。
拙い。半ば予想はしていたが、左ジャブは無意味。打つだけ無駄っぽい。

って、こんなんアリなの?
ベストタイミングでカウンターが入ってもノーダメージってナニさ。
こんなのズルイよ。イジメ同然の対戦だって言われるス○ゼロUの豪○VSダ○でさえ、もうチョッと戦力差が低いと思うよ。

   ブン、ブン、ブン………

と、内心不平不満を並び立てながらも、ケンの猛攻を。
某ボクシングゲームの主人公の必殺技、デンプシーロールの如く、切れ目無く繰り出される左右のフックを躱し捲くる。
幸い、防御に徹する分にはコレの難易度はそれほど高くない。
此処は、ヘタに反撃するより暫くこのままで。敵のスタミナ切れを狙うのが吉と見ての戦術。
一発でも貰えばそこで終わりなので心臓には良くないが、その程度は何時もの事なので我慢する。

だが、そんな彼女の目論見に誤算が。
前に出るケン。八艘擦歩(八つのステップを基本とする円の動きで敵の攻撃を回避しつつ後の先を狙う歩法)を駆使し、躱し捲くるシンジ。
そんなリングの中心を基点に回り続ける周回運動が二桁を越え、リングサイドで観戦中のギャラリー達も持久戦に突入したと思い始めたその時、

   バキッ

突如、それまではボクシングの試合っぽい展開だったのが総合格闘技系に。
振り抜いた右フックを追いかける様なタイミングで、連携の右ミドルキックが。
顔面への攻撃に慣れきった所を狙っての奇襲。
回避不能………ではない。だが、あえてブロックを選択。
吸収しきれない衝撃は浮身で飛んで。
そのまま、弾き飛ばされる形で距離を取る。

構えを取り直す際、さりげなくチョッとだけフラついて。
さも大ダメージだったかの様に見せかける。
これで良い。相手は『まんまと撒き餌に引っ掛かった』と思う筈。

「オラオラッ!」

そんな彼女の演技に乗せられ、ケンはカサに掛かって。
『此処から本番だ』とばかりに、左ジャブで距離を測りつつ右ストレート。
時折、相手のバックステップのタイミングを崩すべく、前蹴りや膝蹴りを交えて距離感を幻惑。
フットワークだけでは躱せない。足が止まり、ヘッドスリップやスゥエアーといった体捌きだけで回避しなければならない状況を作り出し、そこを狙ってキメ技を。
当たり判定の大きな、ガードの上からなおシンジを吹き飛ばすキレの良いミドルキックを打ち込む。
そんな、それまでの粗雑な攻撃がウソの様に洗練された多彩な攻撃で圧倒的優位に。

「シンジ!」

右に左に。あたかもピンポン玉の様に弾き飛ばされる、その姿に。
あまりの一方的な劣勢に、思わず声を上げるトウジ。
だが、その隣の席の二人はと言えば、

「馬鹿だネ、あの前髪の長い人」

「ああバカだ」

それまではハラハラしながら試合を見守っていた鈴音のテンションは急降下。
北斗の反応もまた冷ややかな。如何にも興醒めといった感じのものに。

「って、ナニ言いやがる、このガキ!」

その毒舌にカッとなり、番組サイドのリーゼントの少年。
米利ケンセイが、掴みかからんばかりに食って掛かる。

「センセもセンセや、シンジがピンチなんにナンやねんそのリアクションは」

トウジもまた突っ込む。 と、その瞬間、二人がその答えを返す前に、勝負は再び急展開に。

   パシッ

ケンのミドルキックに合わせて。
その出鼻を崩す形で、シンジの左ストレートがクリーンヒット。

これを契機に、ターンが変った様にシンジが攻勢に。
守勢に回る事無く、これを迎え撃つケン。
だが、左の差し合いでは全く勝負にならず、一方的にジャブを貰う事に。
ジリ貧だ。それ自体は蚊に刺された程もダメージを負っていないが、それでも、こうも一方的にヤられては精神的にクルものが。
HP的には問題なくても、このままでは心の方が先に折れてしまう。
おまけに、これまでは有効だったミドルキックまでが通じない。
ブンブン五月蝿い相手を吹き飛ばさんと強引に放つも、

   パシッ

先程と全く同じ構図で。その出鼻を挫かれる形で、再びクリーンヒットを貰う事に。
そんな構図が何度か続き、ケンの動きが明らかに鈍りだす。

苦し紛れに、キレの無い前蹴りを放った所へ、

   バキッ!

サイドステップで避けつつ回り込み、シンジはケンの右後方を取る位置へ。
踏み込んだ勢いを利用して、走り高跳びのベリーロールの要領で大きくジャンプ。
前蹴りを放った体勢。相手の重心が後方に傾いたままの所へ、打ち下ろす様な延髄蹴りを。
狙い済ました止めの。非力なシンジでも相手の意識を刈り取るに充分な、詰め将棋の如く計算された一撃だった。

「「「リーダー!」」」

先程とは逆の構図で、思わず声を上げる番組のメンバー達。
信じられない。だが、目の前で起った事実は。
力無くうつ伏せに倒れ込んだリーダーの姿は、何度目を凝らして見ても変らぬ現実だった。

「畜生! 何故だ! 何で女なんかに!」

悔し紛れにそう叫ぶケンセイ。
その独白に答える形で、

「仕方あるまい。自分で自分の優位を放棄する様な真似をしたんだから」

ボッソとそう呟く、北斗。

「って、さっきからナニ言ってんだアンタは! リーダーのドコがマズかったってんだよ!」

「いや『ナニが』と言われても、もう全部としか言いようが………」

『何故判らないのか?』と不思議そうな顔で。
ふと見ると、自分の弟子も。トウジも判っていないっぽい事に嘆息しつつ。
仕方なく、実例を上げて。サルでも判る様に噛み砕いて教えてやる。

「お前、チョッと片足で立ってみろ」

「お…おう」

反発心より好奇心の方が勝ったらしく、ケンセイは言われた通り片足立ちに。
そこへ、北斗は隣の少女に『やれ』と目で促す
それに応じて、鈴音は『えい!』とばかりに左掌底でドンと彼を突き飛ばした。

「って、ナニしやがる!」

悪態をつくケンセイ。

「ほらね。片足なら、ワタシの力でも簡単に倒せるヨ」

「そういう事だ。呼吸(タイミング)を盗まれている相手に蹴りを放つなど、悪手以外のなにものでも無い」

そんな彼に“してやったり”という顔で、鈴音をアシスタントに解説してやる、北斗。
と言っても、今やってみせた事が総てなのだが。
そう。武術において足腰の鍛錬が最も重要視されるのは、攻撃においてその発射台の役割を果たすからだけではない。
防御においては、敵の攻撃の衝撃を吸収する役割も担っているのだ。
つまり、重心の取り辛い片足立ちの時に攻撃を貰うという事は、サスペンションの効かない車でデコボコの荒地を走る様なものなのである。

「もっとも、アレは“まだ”終わってない様だがな」

「「「えっ?」」」

北斗のその言葉に驚き。指差す方向にギャラリー達が注目すると、丁度、ケンが身体を起こした。
クイックモーションでありながらユラリとした。
まるで格ゲーの3Dキャラの様な、チョッと非人間的な動きで立ち上がるところだった。

「あ…あれは友引商店街の悪夢!」

そんなケンセイの焦った叫びに呼応する様に、

「グォオオオッ!」

獣染みた咆哮を上げつつ、ケンはダメージなど感じさせない。
否、スピード・パワー共に、あきらかに先程までよりも上な。
まるで肉食獣の様な動きで、猛然とシンジに襲い掛かる。

「おいセンコー、すぐに試合を止めてくれ!」

「ん?」

「ヤベえんだよアレは!
 去年の暮れ頃、応急中のボンクラ共と抗争になった時、アイツ等、ヒキョーにもリーダーが一人の時を狙って集団で闇討ちしやがって。
 で、そん時と同じなんだよ! あの時もあんな風に、前髪で隠れていてもハッキリと判るくらいリーダーの目が爛々と輝いて。
 俺達が駆けつけた時には、五十人からいたボンクラ共が、全員血の海に沈んでいた時とよぉ!」

(なんか知らんが、泡食ってる割にはえらい詳しい説明だな)

これが解説キャラというものかよ。
そんな風に内心チョッと関心しつつ、

「(フム)確かに、自然で『魂降ろし』に至ったアレの才は賞賛に値しよう。
 だが、所詮は只それだけの事。その力に。殺戮衝動に呑まれ我を忘れる様では、まだまだ未熟よ」

せっかくなので、北斗もまたそれっぽい事を。

「それに、シンジを今の話の様な。本番を前に臆して何も出来ずに終る様な、童貞のボウヤ共と一緒にして貰っては困るな。
 ああ見えても、アイツはそれなりに場数を踏んでいる。今更、あの程度の相手に気圧されるものかよ」

「……………珍しいわね、アンタが下ネタを口にするんなんて」

内心、ケンの放つ殺気にチョッとビビらされた事もあって“つい”そんな悪態をつく、アスカ。
そんな彼女を諭すように、

「いや、違うから」

【童貞(どうてい)】
@まだ異性と交接していないこと。また、その人。主として男性について言う。
Aまだ殺傷の経験がないこと。また、その人。主として兵士について言う。
Bローマ‐カトリックの修道女。
【民明書房館:現代用語辞典】

「北斗先生の場合、A以外の使い方を知らないんだよ、多分」

辞書を片手にケンスケが突っ込みを。

「グワッァ!」

と、ギャラリーがそんな幕間狂言を演じている間にも、リング上では死闘が続行中。
野獣の如く力任せに襲い掛かるケンの猛攻をいなしつつ、シンジは的確にカウンターを。全力打撃の左ストレートを入れ捲くる。
しかし、全く通じない。ヒットした瞬間、多少グラつく位で、まるで痛痒を感じていない。
否、意にも介していないっぽい。

戦術変更。回避に徹し、出来るだけ距離を取ってシンキングタイムを稼ぎ出す。
脳内検索。該当例ヒット。これは、以前トウジがキレた時と同じ症状。
となると、通常の打撃は全くの無意味という事に………

  ブン、ブン!

此処で一時タイムアップ。
鋭い踏み込みと共に繰り出されたケンを左右の連打をスウエアーで回避しつつ、滑る様に右斜め後方へ。
闘牛士の如くその突進をいなしつつバックステップ。再度距離を取る。

落ち着け。そして思い出せ、あの時は如何した?
え〜と。確か、懐に呼び込んだ右崩拳を。右手が延びきった所を掴んで若苗(受身の取り辛い一本背負い)に。
地面に転がした所へ、表三角締めで締め落として………って、右手が使えないじゃ意味無いじゃん!

  ブン、ブン!

再度回避しつつ、中断した思考を再開する。

兎に角、片手では締め技は無理。
従って、的確に急所を。それも、左ストレート以上の威力で打ち抜く。
この二つの条件を満たし得る、二重の意味で困難な一撃が要求される。

と、某天才ボクサーの様なジレンマに陥り苦悩するシンジ。
そんな彼女に追い討ちを掛ける様に、更にそのハードルを上げる事態が。
闇雲にガムシャラだった相手の攻撃の質が変った。
一撃必倒の打撃に交えて、懐に引き寄せる様な。あきらかに“掴み”にきている動きが見え隠れし始めたのだ。

「ほう。今のままでは捉えきれぬと悟り組み付きに来るかよ。
 如何に技巧で勝ろうと、所詮は女の細腕。押し倒してしまえば後は力で如何とでもなると踏んだか。
 呑まれているクセに、なかなか良い判断をするじゃないか」

「ねえ、実はワザとでしょ。ワザと誤解を招く様に言ってンでんしょ、アンタ!」

そんなリング下の。北斗とアスカのやりとりを他所に、決断を迫られるシンジ。
こうなると、いまだ錬度の低い。モーションの大きい蹴り技を出すのは余りにも無謀だろう。
掴まれたらそこで一巻の終わりである。色んな意味で。
つまり、右手を使うしかない。より正確には、右手の動く部分を有効活用するしかない。
改めて右拳を握り込む。正直、心もとない事おびただしい。だが、やるしかない。

覚悟を決めて、その為の。最後の一手を打つ為の布石を張りに行く。
まずは、それまでの流れる様な淀み無い円の動きを捨て、スタミナを馬鹿食いする短期決戦用の歩法に。
地面スレスレを飛ぶ様に。水面を行くアメンボの如くクイックモーションで前後左右に飛び回り、相手を霍乱する動きに切り替え、

   バシバシバシッ

更に、威力を捨てて回転力を上げた弾幕の様な左ジャブで顔面を連打。
無論、ダメージは無い。だが、相手の視界を塞ぐ事は出来る。

   ドスッ!

そうやって作り出した一瞬の隙を狙って懐に潜り込み、ダッキングと共に踏み込んだ左足を震脚として左フックをボディに。
ガラ空きの水月(鳩尾の事)を狙って痛打を叩き込む。
しかし、ケンは怯まない。シンジの方も単発なので畳み込めない。

ヒットアンドアウェイと言えば聞こえは良いが、彼女的には他に選択肢がない。
掴まるリスクを考えれば、懐に踏み込んだままの。足を止めての連打など論外である。
おまけに、肉体の耐久力的な意味でも問題が。
それをヤったら最後、ダウンを奪うより先に、自分の左手がイキかねない。
従って、確実に倒せるスキが生まれるまで、このまま耐え忍ぶしか。
その瞬間がやって来るの、ジッと我慢の子でを待つしかない。

そんな一進一退の攻防が続く。

「アレ? お姐ちゃん、ナンかパンチの打ち方がオカシいヨ。それに何発かワザとハズしてないカ?」

「気付いたか。聡いなお前は」

もっとも、その才気の所為でイネスに目を付けられたかと思うとチョっと………いや、かなり悲惨な気が。
そんな内心の同情を押し隠しつつ、

「跳歩(素早く飛び込んだり飛び退がったりする事に主眼をおいた歩法)にて常に前後左右に飛び回りつつ、飛燕(打つ瞬間にパンチの軌道を変える技)で翻弄。
 虚実の拳(フェイント)をも交え、絶えず間合いを幻惑・撹乱する。
 あれぞ水滸伝108星の英傑の一人、浪子 燕青が編み出したと言われる秘宋拳の流れを組む、木連柔術八大歩法の一つ『迷蹤芸』だ。

北斗は、今、シンジがやっている事を。
そして、これから鈴音に教え様としている事について語った。

「残念だが、アレをお前が習得するのは極めて難しい」

「難しいどころか絶対無理ネ。ドウ見ても足腰に負担が掛かり過ぎるよ、アレは。
 でも、その一部を流用する位なら。最初の滑る様な動きよりは出来る様になる見込みがあると思うヨ」

(か…カワイくないヤツ)

最初にガツンとやるつもりで。
敢えて厳しい事を言おうとした所へ、それ以上にシビアな自己考察を語られ、思わず胸中でそう唸る、北斗。
と同時に、自分が鈴音を買っているつもりでなお過小評価していたと悟る。

確かに、この娘にはシンジの様な先天的な才は無い。
平均以上の身体能力はあるが只それだけ。
幾ら鍛えても、その伸びしろは余り無い。習得出来る事の幅はさして多く無いだろう。
しかし、これはシンジ>越えられない壁>鈴音という意味ではない。
それどころか、怖いのは寧ろ鈴音の方なのだ。

その目で見たものを正確に理解し、尚且つ、それを自分の武器に作り変える。
それも、その分野では特筆すべき才を持ったシンジでさえも遥かに凌駕する。
肉体面での資質の差を補って余りある優れた頭脳が、この娘にはある。
正直、此処までくると、もう天分の才と言うよりも寧ろ全く異質な。いっそ、突然変異とでも呼ぶべき存在。
長じれば、自分やアキトすら越えて行くやも知れぬ。
この歳にして、そう思わせるだけの器を感じる。

「今後も、お前には可能な限りシンジの戦いを見せてやる。此処に居る間に、盗めるだけ盗んでいけ」

なんとなく、それだけで。後は放っておいても勝手に強くなりそうな気が。

「謝々。宜しくお願いするヨ、老師」

そんな鈴音の返答が空々しく聞こえる。
何と言うか、此処まで教え甲斐の無い弟子というのも空前にして絶後なのではなかろうか?

「グォオオオッ!」

と、そんなこんなで鈴音が正式に四人目の弟子となった頃、リング上の勝負もいよいよ大詰めに。
度重なる水月へのボディ攻撃によって、シンジはケンの足を止める事に成功していた。

そう。確かに『魂降ろし』によって。大量分泌されているアドレナリレンによって、ケンは打撃による苦痛がほぼ無効に。
また、三倍近くまでアップした身体能力によって、肉体的な防御力も格段に向上している。
だが、これは決して無敵を意味するものではない。
当然ながら、限界以上の力を引き出している以上、長くは続かない。
そこへ加えての的確なボディブロー。
如何に優れた心肺機能を誇ろうとも、この様に遠からず限界値が訪れるという寸法である。

しかし、その為にシンジが支払った代償もまた大きかった。
無理な動きを繰り返した所為で、スタミナは激減。
両足も既に限界を越えており、先程から情けない悲鳴を上げている。
おまけに、後の先に徹する本来のファイトスタイルと違い、自分から前にでる以上、回避率はどうしても落ちる。
偶に懐に入るタイミングを読まれ、迎撃の膝蹴りを貰う事に。
咄嗟のガード&浮身で衝撃を散らすも、相手のハイパワーを殺しきれず、少なからぬダメージを負う事に。

双方共に満身創痍。
しかし、半ば意図的にこの状況に持ち込んだ分だけ、此方が有利。
後は詰めを誤らぬ様、慎重に。

今一度、チラッと鈴音の方に目をやる。
もしかしたら、ギブスで固められたその右手は。彼女の右肘は、もう動かないかも知れない。
今後の人生に少なからぬ影響を及ぼすであろう、あまりにも大きなハンデだ。
でも、それに負けて欲しくない。だからこそ、此処は敢えて動かない右手で倒す!

決意も新たに、最後の力を振り絞り、それまで以上に鋭く懐に。
迎撃が間に合わず、ケンは腹部のガードを固める。
此処で、これまでの布石が生きる。

   バキッ!

左フックと見せて、ガラ空きの頭部へ。
ピンポイントで顎先を狙って、右斜め上に振り上げる軌跡で左アッパーを。
そう。再三のボディへの攻撃によって、彼は既に足にきている。
苦痛は軽減出来ても衝撃までは散らせない、ダメージの通り易い状態。
そこへ、狙い済ましてのベストショット。
激しく頭部を揺さぶる。人体工学上、如何にタフな相手でも通じる攻撃だ。

ケンの身体がグラリと揺れる。
だが、彼を倒しきるにはまだ足りない。
振り切った。限界まで捻った腰を瞬時に逆回転。
肘の動かぬ伸びたままの右手を、肩口から強引に振り回して。
丁度、サイドスローのピッチャーが行う投球フォームの様な軌跡を描いて、
ロングフックと呼ぶには些か弧の大き過ぎるものの、そのぶん充分に遠心力の乗った。
全身をバネとした、通常ではありえない打撃力の右パンチを再び顎先に打ち込む。

本来は左右の鉤突き(フック)を瞬時に顎先へと打ち込む『双月』の変則技。
連打で打ち込まれた急所への。脳味噌を激しくシェイクする攻撃だ。

  ドサッ

これには、さしもの彼も完全に意識を刈り取られ、一瞬、間を置いた後、ゆっくりとストップモーションで倒れ伏す。

「ち…畜生め」

数十秒後、意識が戻った(と同時に正気にも戻った)後もなお、中々立ち上がる事は出来ない状態だった。

無論、身の丈に合わぬ力技な攻撃を放ったシンジの方もまた只では済まなかった。
両膝がガクガク笑っている。右拳と右肩も、無茶がタタって鈍痛が走っている。
止めとばかりに、限界まで鋭く捻った腰が痛い。滅茶苦茶痛い。
身体が動かせない。一歩でも動けば、そのまま腰砕けに。ダブルKOになりかねない。
だから彼女は頑張った。虚勢を張って笑顔を作った。
渋々ながらもケンが敗北を認め、勝利の判定が下るまで残心を止めなかった。



「ど…どないする?」

「如何するって、お前よ〜」

そんな激闘が終わり、いよいよ自分達の番となった訳だが、トウジはもう引き気味な。
ケンカを売った側の巨漢の少年。田打フトシもまた、困惑の色を隠せない状態だった。
それも無理ない事だろう。たった今、目の前であんな極限な勝負をやられてしまったのだ。

正味の話、もう喧嘩の原因となったわだかまり自体がほとんど残っていないと言うか。
今更、ナニをやっても興醒めっぽいと言うか。
気後れするという意味で言えば、カラオケでプロ顔負けの歌唱力で場を盛り上げ捲くった人の直後にマイクを渡されるよりも遥かにキツイ状態である。

ウ〜ンと唸りつつ沈思黙考する、トウジ。
数十秒後、珍しくピ〜ンとナイスなアイディアが。

「なあ田打。ぶっちゃけたとこアンタ、あの騎馬戦ん時に貰うた一発が気に喰わんのやろう?」

「お…おう」

「判った。なら、わしの事も一発ドツイてくれ。それでチャラにしようやないか」

と言うが早いか、その場でドンと軽く震脚を踏んで気合を入れた後、ノーガードの仁王立ちに。
『さあ、ドコからでも打ってこいや!』とばかりに目で促す。

チョッと面食らう、フトシ。
しかし、良く考えると悪くない気もする。
よ〜するに一発勝負。此処でギャフンと言わせれば自分の勝ち。耐え抜けば向こうの勝ち。実にシンプルだ。

「お〜し」

ボキボキと指の関節を鳴らし凄んで見せる。
それに呼応する様に、向こうもニヤリと笑みを返してくる。
これで決まりだ。コイツは絶対小細工をしない。ノーガードのまま自分の一撃を受けるつもりだ。
イイだろう、ブッとばしてやんぜ!

「オラァ!」

気合一閃。自慢の巨躯を利しての、体重を乗せた打ち降ろし気味の。元大関な父親直伝のツッパリを。
会心の一撃。自分のコレを食って立っていられた者など、これまで一人も居なかった。
しかし、ヤツは倒れなかった。
馬鹿正直に顔面で受けたにも関わらず、小揺るぎもしない。まるで壁でも殴ったかの様な手応えだった。

「(フッ)ええパンチや」

嗚呼、ダメだコイツ。本気でバカだ。
だがソレがイイ。気に入ったぞ、コノヤロウ。

「いやパンチじゃね〜し。つ〜か、鼻血出てんぞ、お前」

「(クッ)キビシイつっこみや。アンタにはカナわんでホンマ」

「「ハッ……クハハハッハハッ!」」

気付けばお互い笑い合っていた。
これが夕日の差す校庭だったら非の打ち所の無い。
『ケンカしたら友達』を地でいくトウジとフトシだった。

「……………よお」

そんな二人の影から、チョッと顔を赤らめ視線をソッポに向けた。
見るからに照れが入っている態度のケンが、シンジに話し掛ける。

「えっと。その………」

あたふたとキョドる、シンジ。
多分、あの二人みたいに。ケンもまた仲直りをしたいんだと予測はつくのだが、こんな時、如何したら良いのかが判らない。
何せ、元々が内向的な性格。対人関係の経験値が足りない。咄嗟に気の利いた言葉が出てこない。

え〜と。此処で『ごめんなさい』って、頭を下げるのもヘンだよね?
やっぱり握手とかの方がイイのかな、こういう時は?

「(ガシッ)なあ、放課後ヒマか?」

恐る恐る差し出した手を硬く握り締めつつ、ケンがそんな事を聞いてきた。
良かった。どうやらKYな行動ではなかったらしい。
放課後はネルフに行かねばならず、折角のお誘いを断わらなければならないのは残念だけど………

「ホレた。俺と哀愁デートしてくれ」

「はい?」

その瞬間、いきなりプツンと頭がハングアップした。
急いで再起動を掛けるも、CPUが処理落ちしたかの様に思考能力が正常に機能しない。

ヘンだな。目の前に居るのは、さっき拳を交えた………新しく出来た友達で………デートを申し込まれて………アレ?

「おおっと、手が滑った!(ボクッ!)」

「足が滑った!(バキッ!)」

「と…兎に角、滑った!(ドスン!)

とその時、番組の残りの三人がリーダーを袋叩きに。
問答無用で、彼の意識を強引に刈ると、

「すまねえ。リーダーってば、チョッと錯乱してたみて〜だ」

その惨状を隠す様に目の前に立った、リーゼントの少年。
米利ケンセイが、チョッと棒読みっぽい口調でそんな事を言ってきた。

「えっ?………ああ、そうか。僕が散々殴った所為なんだね。
 特に、最後の一撃は、頭を激しく揺らしたから。
 ごめんなさい。(ペコリ)決して、彼をこんな風にするつもりじゃ………」

「き…気にすんな。つ〜か、サッサと忘れてくれ。それじゃそういう事で!」

シュタッと擬音が付きそうなくらい素早く手を上げ別れの挨拶を済ますと、彼等は風の様にその場を立ち去って行った。
凄いや。あんな事があったと言うのに勝負と割り切って。
嗚呼、なんて潔い良い人達なんだろう。うん、そうに決まった。

取り敢えず、そんな風に自分を誤魔化しておくシンジだった。




その頃、この一件において、完全に蚊帳の外に置かれた二人の少女達はと言えば、



   〜 同時刻、ネルフ本部最下層、ターミナルドグマ LCLプラント 〜

「(ハッ)今、とても良くない事が。碇君の身に何かがあった様な気が………冬月司令代理、槍の投擲許可を願います」

「(ハア〜)まったく。昨日からワケの判らない事をブツブツと言いおって。こんな事は俺のシナリオには無い………
 (コホン)いや、それはそれとして。戯言はその辺にして、いい加減、真面目にやってくれんかね」

とある秘密の七つ目巨人に秘密の槍を突き刺す作業に従事するなか、新たな敵の出現を超感覚的に感じとっていたり、




   〜 同時刻、マーベリック社、秘書課事務室 〜

「(コン、コン)お嬢様、追加の書類をお持ちしまし………」

  シュバババババババッ!

圧倒的な質量を誇る書類の山7個師団+予備兵力を打倒すべく、
その類稀なる能力を限界まで振り絞り、某常春の小国の国王も顔負けな超スピードで速読即決速記を。

「なっ!? こ…これは一体?」

「あっ、豹堂さんですか。丁度良いところに。
 申し訳ありませんが、そちらの机に散らばっている書類を揃えて、お祖父様の………
 いえ、会長の所へ持っていって下さいませんか。私、今、手が放せないってことね」

そう指示を出す間もなお、無数の書類が途切れる事無く宙を舞い、
とある暗殺拳の達人である豹堂をしてなお見切るのが困難なスピードで、その内容に対する返答と承認のサインが記載されていく。

「お…お嬢様が燃えている。
 先のA−17発動による金融危機の時の様に………いえ、あの時以上に激しく燃えていらっしゃる」

そんな部下の感動すらガン無視して。
一秒でも早く終らせんと、全力全開で仕事をこなしていた。




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