ケースG 春待ユキミ三尉の夏休み

どうしても外せない緊急事態が起こったとかでシュン提督が不在だった為、その代役たるボナパルト大佐に連れられての、太陽系を代表するVIP達への挨拶周り。
それは、この世のものとは思えない怒声から始まった。

「ええぃ、此処まで言っても判らんとは! 
 老いたな、グラシス爺! 駿馬も齢を重ねれば駄馬と化すとは正にこの事! もはや愛想が尽きたわ!」

「ふざけるなよ小僧! コレは『潔く身を引いた』と言うんじゃ!
 ワシはチャンと引継ぎは済ませてある。
 そう! 貴様の様に、親バカ丸出しな公私混同をやっとる不良軍人とは違うんじゃよ!」

「どこがだ! あの後、フリーマン君がどれほど苦労したと思ってる!?」

「そこが貴様とワシの決定的な差よ!
 そこで苦労させたからこそ、フリーマンは今、立派な司令官代理に………否、次期司令官に成長してくれたんじゃ。
 彼はワシの現役時代の懐刀。アキト君との運命的な出会いがなければ、サラとアリサの婿候補にとまで考えていた腹心中の腹心だぞ。
 その成長を信じて、敢えて千尋の谷へと突き落とした、当時のワシの獅子の如き苦渋の決断。
 娘を猫可愛がりするしか能のない貴様には想像すら出来まい!」

そう。2199年の西欧州、グラシス中将の邸宅を訪ねると、そこでは、太陽系を代表する軍人達による極めて感情的な罵り合いが。
これには、冷静沈着が軍服を着ている様なボナパルト大佐ですら、一瞬、驚愕の表情を浮かべた程だ。
おまけに、大佐の仲裁によって、漸くその怒声が通常レベルの声量となった後ですら、

「小僧。風の噂で聞いた所によると貴様の娘のアーパー振りは、更に磨きが掛かっておるそうだな」

「(フッ)そんな根も葉もない噂話を根拠に中傷とは。現役を離れとる間に大分人間が腐った様だな、爺」

「かもしれんな。ワシは只、貴様の娘が講師を受け持っておったクラスが再編成を余儀なくされるくらい退学者が続出したという話を小耳に挟んだだけ。
 確かに、これは彼女が天才である事を示す証左という受取り方も成立する事実だったのう。いや、済まなかった」

「心にも無い謝罪をしおって。それが『金持ち喧嘩せず』な、商人スタイルというヤツか?
 (コホン)まあ良い。爺、孫の一人が、この間のパン職人大会で準優勝だったらしいな。この場を借りて祝辞を述べておくぞ」

「なんの。あの過分な賞賛を得た御蔭で、サラはすっかり調子に乗ってしまっておる。
 『私の手でヨーロパンを作って見せる!』とか、優勝した太陽の手を持つ少年の二番煎じな事を言い出した挙句、チッとも実家に寄り付かない始末。困った娘じゃよ」

「「クックックックックッ………」」

と、二人だけの世界を構築して、陰険漫才に終始する始末。
確かに、目の前に居る方達は雲の上の人。
一介の少尉(此方でも軍籍を取得済)に過ぎない自分など、取るに足らない存在なのだろうが………
こういうアウト・オブ・眼中の仕方は、人としていかがなものかと思う春待三尉だった。
この後、『こんなのは、まだマシな方だった』と思い知らされる前の。まだ初心な小娘だった頃の感想だった。



   〜 数日後。海神外交官の邸宅 〜

次の訪問先たる海神伝七郎外交官の所では、良識ある対応を。
何の問題も無く客間に通して貰った後、此方の話しを一通り聞いて貰う事が出来た。
親身になって話しを聞いてくれる、彼の誠実な人柄には、正直、感動した。
取り分け、『まだ若いのに苦労してきたんだな、嬢ちゃん』と、労いの言葉など掛けてくれた時には、思わず泣きそうになった程だ。
しかし、現実は、常に過酷なものだった。

「うむ。嬢ちゃんの話は良く判った。だが、断る!」

ピシャリと擬音が付きそうなくらいキッパリと断言する海神外交官。
その初老の年齢に似合わぬ裂帛の覇気に押され身を竦ませる。
どうやら、先程までの友好的な態度は只の社交辞令。
内心では此方の厚顔な願いに腹を立てていたものの、オオサキ提督の紹介状に免じて、敢えて最後まで話しを聞いてくれていただけの様だ。
流石、一流の方は懐の深さが違う………

「俺はマリアちゃん一筋だ、浮気はせん!」

「…………はい?」

次いで語られた、海神外交官の予想外な言葉に目がテンになる。
と、その時、幸か不幸か話のコシを折る形で襖が開き、黒いスーツを着た大柄男性が、

「会長、そろそろコンサートのお時間です。お仕度を」

「(チッ)もうそんな時間かよ。客の前だってのに、しょうがねえなあ〜」

と言いつつも、嬉しそうにいそいそと立ち上がると、

「おう、公介。お前、この娘を西沢の所へ連れてってやれ。
 ただし、あくまでもお前の一存って形でだ。俺の名前は出すんじゃねえぞ」

そう言い残し、今にもスキップでもしそうな軽い足取りで出て行った。
呆然とそれを見送る春待三尉。その硬直が緩む頃合を見計らって、

「(コホン)それでは、状況を説明致します」

咳払いと共に、黒いスーツの男性が。
海神外交官の秘書の三堂公介さんが、この訳の判らない展開の裏事情を語ってくれた。
そして、色々とオブラートに厚く包まれていたが彼の言葉を、ぶっちゃけて要約すると、
今の海神外交官には自分の立場を“つい”忘れがちになるという悪癖が付いてしまっているとの事だった。
他にも、『原因は不明です。この所、あまりにも暇だった所為か、或いは年齢的なものなのかさえも………』とか
『ひょっとしたら、ミスマル中将やグラシス中将辺りから、良くない病気を貰ってしまったと言う線も………』とか
『どうも、音無マリアのコンサートがある日は、この症状が顕著になる様です』とも言っていた様な気がするが、そんな事はどうでも良い。
何しろ、自分の知った事では無い問題だ。

そんなこんなで数時間後、

「いや。すまなかったな、嬢ちゃん。
 まさか軍人の方の新人が、俺ん所へ挨拶に来てくれるとは思ってなかったんでな。
 実を言うとよ。前に居たんだよ、『私、今度デビューするんです』とか言いながらコナを掛けてきた娘が。勿論、丁重にお帰り願ったんだが………
 何と言うか、今、過渡期なんだよな、木連は。
 そのうち、地球の芸能界みたいに腐ったヤツが蔓延りだすんじゃね〜かと、俺はもう心配で心配で………」

と、出だしこそこんな調子だったが、帰宅した海神外交官の様子は、三堂秘書官の言っていた通り落ち着いた思慮深いものへ。
輝かしい実績を誇る政治家の顔に戻っていった。
だが、一旦アレを見てしまうと、どれほど含蓄深い事を言われても、どこか上滑りに感じてしまう、春待三尉だった。
嗚呼、太陽系の未来は暗い。



   〜 数日後。東中将の邸宅 〜

「良く来てくれたわね、春待少尉♪」

木連が誇る若き指導者、東 舞歌中将は、まるで花の様な笑顔で出迎えてくれた。
色々と良くない噂を。更には大佐から信じ難い注意事項を聞かされた後の会見だっただけに、全くの拍子抜けだった。

実際、東中将は、噂に聞く人物像とは似ても似つかない。
知れば知るほどに、理知的で温和な女性にしか見えなかった。
常に優雅な立ち振る舞いで、各務少佐を始めとする中将の腹心の方々への顔合わせでも、双方が話し易くなる様、何かと気遣って下さり、
その日の夜には『ささやかな歓迎会』との名目で晩餐会まで開いて下さった程である。
正直言って、歓待され過ぎて怖いくらいだった。

だか、そんな和やかな時間は長くは続かなかった。
その夜、東中将が『此処は女ばかりの館ですから』といった事を口にし、世間への風聞を理由に“やんわり”と大佐を帰途へと着かせた辺で、遅蒔きながらなんとなく気付いた。
何かがおかしいと。

周囲を警戒しつつ、案内された寝室を。
木連では珍しい、洋風の間取りな部屋の中を素早くチェックする。
どうやら、盗聴器の類は仕掛けられていない様だ。この辺は、対2199年用の訓練も積んでいるので間違いない。
次に、逃走経路を確認すべくドアに手を、

  ガチャ、ガチャガチャ、ガチャガチャ、

「あ…開かない」

かくて、疑念は確信へと変わった。
自分は何か良くない企てに巻き込まれ………否、油断した挙句、アッサリと捕まったのだと。

改めて状況を確認する。
窓ガラスを破壊して………窓の無い特異な間取りの部屋だった。それだけに、意図的に此処に閉じ込めたと思われる。
C4による壁の破壊………ボディチェックの際に『規則だから』と言われ没収されている。爆発物はおろかナイフ一本身に付けていない。
IFSで鍵を開ける…………端末からホームセキュリティを乗っ取る事は出来るかも知れないが、外側から南京錠の様なものでアナログ式にロックされているので意味が無い。
トイレに行かせて貰う ……ご丁寧に部屋の中に、ユニット式の浴槽とトイレが付いている。
                下手に騒げば、監禁された事に気付いたとバラすだけで、脱出のチャンスを自ら棒に振りかねない。

結論:此処は客人を誘い出して閉じ込める為に、家屋を建てる設計段階から準備された豪奢な牢獄である。

「(ハア〜)皆に合わせる顔が無いなあ」

嘆息と共に一言そう呟いた後、ドアの側の壁に背中を預けもたれ掛る。
身体を休めつつ、ドアが再び開いた時、即座に対応出来る様に。
此処までの経緯から考えるに、詰めを誤ってくれる様な甘い相手とは思えなかったが、春待三尉には、もう他に打つ手が無かったのだ。



   〜 翌日。東中将の私室 〜

「おはよう、ユキミちゃん♪ 昨夜は良く眠れたかしら?」

「御蔭さまで」

昨日は春待少尉。今日はユキミちゃんか。
思わず胸中でそう呟く。だが、悔しいかな反論のしようがない。
アッサリ捕まった昨夜の不手際を。
そして、今朝方、ドアが開いた瞬間を狙って各務少佐(どうも純粋に起しに来てくれたらしい)を強襲してみたものの、手も無く捻られてしまった事を鑑みれば、
子供扱いもまた已む無しだろう。

「それで、私をどうするつもりですか?」

「どうするって………ああ、これからの予定ね。
 任せておいて、絶対に上手く纏めてみせるから。大船に乗った気で居て頂戴」

「…………ボナパルト大佐が。お帰りになれば、オオサキ提督だって黙ってはいませんよ」

「やあねえ、ユキミちゃんたら。
 そんなに目くじら立てて凄まないで。それじゃ、折角の可愛い顔が台無しよ」

かくて、精一杯の虚勢も軽くいなされてしまい、意気消沈する春待三尉。
そんな彼女に畳み掛ける様に、

「大丈夫。初めてでしょうから不安になるのも判るけど、心配無用よ。
 自慢じゃないけど、こう見えても私は、もう二桁を越える数の成功実績を誇るこの道の熟練者なんだから」

もう言葉も無い。此処まで自信タップリに言い切られると逆に興味すら湧いて来る。
既にまな板の上の鯉状態。ジタバタせずに、その真意を確かめるべく、此処は敢えて踊らされるのも一興だろう。
自分にそう言い聞かせつつ、不安を押さえ付け、東中将の次の一手を待つ。
この辺、春待三尉にとっては最後の矜持だった。



   〜 数時間後。最寄のとある高級料亭 〜

私は、こんな所で何をやっているんだろう?
思わず胸中でそう自問する。答えは出ない。思考がフリーズしている様だ。

   コン

嗚呼、獅子脅しの音が妙に遠くに聞える………

「それじゃあ、後は若いお二人に御任せして」

そんな御約束なセリフを残して、そそくさと出て行く東中将。
その後ろ姿を呆然と見送る自分と、同じく呆然とした顔をしている、各務少佐を縮小コピーしてショートヘアにした様な感じの容姿をした見知らぬ男性。
何でも彼は、自分の見合いの相手らしい。………って、見合いの相手!

此処で、漸く思考が再起動を果す。
そう。あの後、小一時間に渡って東中将に着せ替え人形にされた挙句、こんな似合いもしない着物姿に。
そのままどこへ連れられて行くのかと思えば、こうして、見知らぬ男性とのお見合いのセッティングがされていたのだ。
あまりの予想外な展開の連続に此処まで良い様に流されてしまったが、これは拙い。
かつてないくらいの大ピンチだ。何としても破談にしなくては…………

「あの。やっぱり、貴女に御迷惑をお掛けしてるんですね?」

と、決意を新たにした所で、目の前の男性が。
各務少佐の弟と紹介された各務千里さんが、恐ず恐ずとそう声を掛けて来た。
さて、困った。流石に『その通りです』とも言えない。
かと言って、上手い断り文句も出てこない。

そう。実を言えば、とある事件が原因で、春待三尉は年上の男性が苦手だった。
大佐や提督くらい離れてしまえばそうでも無いのだが、20代の若い男性は全くのペケ。
あの男を思い出してしまい、吐き気すら催してくる程である。
従って、まっとうな恋愛経験などある筈も無く、この手の駆け引きの経験が圧倒的に足りていない。
ぶっちゃけて言えば、彼女は対等な関係での男女のコミニュケーション方法を知らないのだ。

「実は俺…いえ、自分は、舞歌様から命じられたとある任務が原因で、士官学校の同僚達に散々笑われる事になってしまって。
 しかも、今後もそれを続けなければならなかった為、“つい”舞歌様に『こんなんじゃ嫁の来手が無くなります』って愚痴ってしまったら
 『任せておいて。そんな貴方の為に、太陽系一のお嫁さんを見付けてきてあげるから』と。
 自分が不用意な発言をしてしまった所為で、こんな事になってしまい、まことに申し訳ありません」

そんな困惑による沈黙を、図らずも肯定と受け取ったらしく、千里が全面的に謝罪をしてきた。
語られたその内容から、彼もまた犠牲者である事を悟る春待三尉。

暫しの沈思黙考の………否、逡巡の末に意を決する。
おそらく、この窮地を脱するには、千里との間に共闘関係を成立させるしかない。
幸い、彼は自分と同じ17歳だし、見るからに女顔なので、なんとか許容範囲内。三日間だけなら何とかなるだろう。

「貴方のその誠実さを見込んでお話します。コレを見て下さい」

そう腹を括ると、春待三尉は、いまだ頭を下げていた千里の前に、イネス=フレサンジュ博士謹製、特殊IFSのタトゥが刻まれた両手の甲を差し出した。

「これは、まだナイショの話なんですが、私、擬似マシンチャイルドなんです。
 多分これが、東中将が私なんかを『太陽系一』と表してくれた最大の理由だと思います。
 と言っても、本家マシンチャイルド達に比べれば、その足下にも及ばない。普通のIFS保持者よりはマシ程度の実力しかないんですけどね」

言外に『貴方だけの所為じゃない』と示して、罪の意識の軽減を。
と同時に、己の秘密を聞かせる事で共犯意識を植え付ける。
この辺の教科書はカヲリさん。そして、昨日見せ付けられた東中将のそれだ。

「御嫌でなければ、この手を握って頂けませんか?」

話の流れから、飛びつく様に差し出された手を固く握ったが、その数瞬後には、真っ赤になって振り解こうとする千里。
彼にしてみれば『自分は嫌悪感など持っていない』という意思表示のつもりであって、疚しい気持など欠片もないのだ。
だが、春待三尉はそれを許さず、

「有難う。それでは、この握手をもって友誼の証とし、私に協力して下さい。双方の安全を確保する為に」

そんな前置きをした後、握手したままこれからの事を語った。
そう。此処で千里を逃がす訳にはいかない。
前後の事情からして、彼に対しては『ごめんなさい』で型が付くだろうが、東中将が用意した見合いの相手が、彼一人だけだとは到底思えない。
従って、此処での滞在期間中、己の貞操を。
この場合は、社会的形式によるそれを守る為には、彼には無理矢理にでも共犯者になって貰わなくてはならないのだ。

「それじゃあ。これから三日間だけ行動を共にすれば乗り切るんですね?」

「その通りです。関係各所に言い逃れが出来る様、滞在期間の延長は無いと見て間違いありません」

「でも、ユキミさんは拘束された挙句に、此処に連れて来られたんでしょう?」

「それについては、通されたのは客間ですし、外から鍵を掛けたのも『機密保持の為、一人歩きはして欲しくなかった』とでも言えば済む事ですよ。
 そう。この異常な状況は、此方の選択肢の狭める為にブラフによって作り出されたもの。東中将が得意とされる心理戦の小道具なんです。
 兎に角、弱気になったり、その場の雰囲気に流されたりしたら此方の負け。あの方の思う壷に嵌まる事になります」

「あっ。判ります、それ! 何となくですけど」

こうして、春待三尉は、敵陣のまっただ中にあって、貴重な協力者を得る事が出来た。

ちなみに、千里と過ごした三日間は概ね順調だった。
男性との御付き合いは願い下げだが、緊張して固くなっている相手のケアには慣れている。
自分の知る酷く臆病な少女(例の件で自殺未遂を起こした事のある先輩)の面倒をみていた頃の要領で、どうにか対応する事が出来た。

閑話休題………要するに、東中将は噂など及びもつかない様な凄い女性でした。
嗚呼、太陽系の未来はかなり暗い。



   〜 更に一週間後。イギリスの某所、グリューネワルト=フォン=ラズボーン侯爵夫人の別宅 〜

「(ハア〜)これって人身御供よね、絶対」

そんな愚痴など零しつつ、その日、春待三尉は、避暑地として夏期のみ滞在しているという、とある高原に建てられた侯爵夫人の豪奢な別宅の門を潜った。
これは、以前からオオサキ提督が再三打診されていた事であり、とうとう断りきれなくなったが故の訪問である。
しかも、侯爵夫人が送ってきた招待状には彼女の名前しか書かれていなかった為、最初からボナパルト大佐が付いて来てくれず、一人で向かう事に。
件の女性の良くない噂と合わせて考えれば、身の危険を感じない方が嘘というものだろう。
おまけに、到着するなりモノクルを掛けた老執事に、入浴を済ませる様“やんわり”と強制されたとあっては、もう疑う余地が無い。
向こうの注文通り大人しく、浴場で控えていたメイド風の二人の女性に徹底的に身体を洗浄された後、高級そうなバスローブを着込む。

大丈夫。野良犬にでも噛まれたとでも思って、サッサと忘れてしまえば良い事よ。
侯爵夫人の待つリビングを前に、そんな某事件に折り合いを付けた時と同様のマインドセットを己の心に施しつつドアを開ける。
だが、そこで待っていた事態は、そんな春待三尉の決死の覚悟すらも越えるものだった。

「まずは、その服に着替えなさい。話はそれからよ」

部屋に入ると同時に放たれた侯爵夫人の第一声がこれだった。
だが、それに応じようにも、部屋の中央に置かれたマネキンに飾られていた服は、

「すみません。どうやって着たら良いか、私には判りません」

「あらあら。貴女、良い歳をして着替えも自分で出来ないの?」

それは『服』じゃなくて『ドレス』よ。それも『何所のベルサイユ?』って感じのモンでしょうが。
侯爵夫人の侮蔑の篭った揶揄に俯きつつも、胸中でそう毒づく春待三尉。
だが、それが致命的な隙となってしまい、

「仕方ないわね。特別に私が着せてあげるわ。精々感謝なさい」

そう言いつつ唐突に利き腕を掴んだ侯爵夫人の動きに、彼女は全く反応出来なかった。

それは、決して鋭いとは言えない、踊る様に優雅な動き。
掴んでいる手の力もまた左程強くなく、その気になれば簡単に振り解けそうなものでしかない。
だが、常に重心を崩されている所為で、篭めた力が上手く分散されてしまう。
気が付けば、既にバスローブを脱がされて全裸に。
と思ったら、既に下着とコルセットを着せられていた。

柔術とも合気術ともまた毛色の違う。
なんと言うか、明らかに駄々を捏ねる小さな子供を強制的に着替えさせる事に特化された動きだった。
それに逆らえない我が身が、色んな意味でチョッぴり悲しい春待三尉だった。



(こ…これが私?)

30分後。ヘアメイクと薄化粧まで施された完成品を写した鏡台を前に。
まるで映画に出てくる貴婦人の様な自分の姿に見惚れて、思わず夢心地となる春待三尉。
だが、それだけに、

「(フ〜)判ってはいた事だけど、矢張り盛りを過ぎた子を着飾ってみても面白くも何とも無いわね」

溜息交じり呟かれた、侯爵夫人のこの一言は痛恨の一撃だった。

「…………すみませんね、旬を過ぎてて。(泣)」

涙目になりつつも、そう言い返す。
これが、春待三尉にとって精一杯な抵抗だった。
残念ながら『それじゃ、貴女は大年増ですね』とは言えない。
立場的な事はもとより、そんな事を口にすれば、自分が余計に惨めになるだけだったが故に。
そう。30歳の大台をとっくに越えていながらなお衰えを知らない、夫人の瑞々しい容姿は明らかに反則だ。
まともな審美眼の持ち主が相手ならば、自分が何を言ったとしても、その美貌を僻んでいるとしか受け取って貰えまい。

「まあ良いわ。あとは、簡単な礼儀作法のレクチャーでもしておこうかしら?」

と、侯爵夫人は仰いましたが、当然の様に、ちっとも簡単じゃありませんでした。
それから約三時間。以前、フレサンジュ博士から受けた講義と遜色の無い………否、スパルタ度では明らかに上な詰め込み教育を受けました。



   〜 五時間後。ハーブリッツ子爵家の居城 〜

「という訳で、私は今、無駄にお金の掛かっていそうなパーティの会場に。所謂、社交界に来ています。
 正直、とても馴染めそうもありません。早く人間界に。出来ればお家に帰りたいです。(泣)」

「いい加減、現実逃避をするのはお止めなさい。見苦しくってよ」

現実感を欠いているのは、この会場の方よ!
声を大にして、そう突っ込みたい春待三尉だったが、実際に口には出来なかった。
周りの空気に完全に気圧されていたのだ。
そんな彼女に向かって、

「やれやれ。私とした事が、少々買被り過ぎていた様ね。
 情けない。モニター越しに見た貴女はあれほど察しが良かったと言うのに、こうして直接会ってみれば、愚鈍も良い所だわ」

と、辛辣な前置きをした後、侯爵夫人は、漸くその思惑を語りだした。

「まだ判らないの? このグリューネワルト=フォン=ラズボーンが、貴女の後見人になってあげると言っているのよ」

「はい?」

その意外な内容に、別の意味で思考がフリーズする春待三尉。
そこへ畳み掛ける様に、

「無論、その見返りは要求するわ。
 取り敢えず、イセリナの娘を蹴落としてナデシコBの艦長におなりなさい。
 出来なかった時は、それなりの覚悟して貰うわよ」

「ちょ…チョッと待ってください」

「何故? 私、迂遠な事は嫌いよ」

「そこを何とか。お願いですから、五分…いえ、三分で良いですから時間を下さい」

強引に話を進めて行く侯爵夫人に平身低頭。
どうにかシンキングタイムを貰い、先程の話を手掛かりに、自分の置かれた状況を推察する。

『このグリューネワルト=フォン=ラズボーンが、貴女の後見人に』
これは言葉通りの意味だと思う。
実の所、素性のあやふやな自分が2199年の世界で軍人として生きていく為には、誰か事情を知る者に後見人になって貰うしかない。
現在の少尉の軍籍も、ホシノ特務中尉の尽力もさる事ながら、シュン提督がそれを勤めてくれている御蔭である。
その立場を侯爵夫人が引き継ぐと言ってくれているのだろう。それは何故?

『ナデシコBの艦長に就任なさい』
これも本気で言っているの様だ。そんな事が可能だと………いや、可能性はゼロでは無い!?
確かに、ナデシコBのポテンシャルをフルに引き出す為には、ホシノ特務中尉………否、ホシノ少佐の存在が必要不可欠だろう。これはもう、誰にも代役が効きはしない。
だが、考えてみれば、その前提条件自体が絶対のものでないのだ。
ネルガルにとって、ナデシコBは『勝たなければいけない。だが、勝ちすぎてもいけない』という諸刃の剣。
それ故、敢えて人材面でデチューンを施す為に、自分をその艦長にするという無茶苦茶な人事も、
かの会社の有力な株主でもある侯爵夫人ならば、ゴリ押し出来るかも知れない。
でも、そんな事をして、夫人に何のメリットが?

『イセリナの娘を蹴落として』
たしか、侯爵夫人のメインバンクはピース銀行だった筈。
そして、件のイセリナとは、十中八九ピースランドの女王陛下の事。となると………

「侯爵夫人は、ルリ=オブ=ピースランド皇女を完全に軍籍から外す事を御望みなのですか?」

ジャスト三分。頭をフル回転させて出した答えが正解か否か、恐る恐る夫人に尋ねてみる。
ちなみに、あえて『ホシノ特務中尉』や『ホシノ少佐』ではなく、プリンセスとお呼びしているのがポイントだ。

「その通りよ」

そんな春待三尉の問い掛けに『良く出来ました』と言わんばかりに微笑むと機嫌を直した侯爵夫人は、そのまま模範解答を披露した。

「何しろ、あの娘はピースランドのアキレス腱だもの。
 このまま安全な場所に引っ込んでいるか、出来れば、さっさとどこかへ嫁いで飼い殺しになって欲しいものね。その方が、あの娘自身の為でもあるし」

「そうでしょうか? 彼女の実力は………」

「実力なんて関係ないわ。
 純粋に、人としての資質の問題。極論するならば、あの娘は表舞台にはミスキャストなのよ。
 取り分け、艦長職なんてもう最悪。遠からず歴史に残る様な大事件を引き起こすわよ、きっと」

ささやかな反論を封じる形で、そう言い切る侯爵夫人。
はっきり言って、無茶苦茶かつ一方的な見解である。
だが、奇妙な説得力と言うか、彼女自身、ルリへのライバル心を抜きにしても、何となく、そんな事になりそうな気がした為、言葉を失う春待三尉。
そこへ駄目押しとばかりに、

「ついでに言うならば、『統合軍所属ユーチャリスの艦長に』なんて、安易な安全策を採ろうとした貴女の性根が気入らなかった事も理由の一つかしらね」

要するに『ハーリー君が欲しければ、真っ向から皇女と戦いなさい』ってことか。
自身の立てた奇策を鼻で笑われた形だが、グウの音も出ない。
何故なら、公爵夫人の評価は、ほとんど只の事実だったから。
だが、一つだけ違う点が。
これだけは正して置かなくてはならない。

「確かに私は、ハーリー君を大切に思っていますが、侯爵夫人の御期待には添えません。
 何故なら、私は彼を異性として見ている訳では………」

「くだらない言い訳はお止めなさい。
 そんなの、単に10年後を。成長した彼の姿を想像したくなくて、心に予防線を張っているだけでしょう」

そんな春待三尉の必至の抗弁を切って捨てた後、侯爵夫人は冷笑を浮かべつつ、

「悪いけど、私は、貴女が性的虐待によるトラウマを持っているからと言って、同情する様な優しい女ではなくってよ」

「ど…どうしてそれを!」

「(フッ)この私を誰だと思っているの?
 これまで寵愛してきた愛人の中には、貴女よりずっと重度のトラウマを持った娘が幾人もいたわ。
 出会ったばかりの。その心を閉ざしていた頃のあの子達に比べれば、貴女のそれなんて顔に書いてあるのも同然よ」

(え? え〜と。夫人の愛人と言う事は……………イヤ〜! 考えたく無い!)

声にならない悲鳴を上げつつ、頭を抱えてうずくまる春待三尉。
しかし、目の前に居る相手は侯爵夫人。そんな不様を許しておく筈も無く、

「ほら、しっかりなさい。当時、(自主規制)歳だった少女も、半年後には自分の足で立ったわよ。
 貴女はもう17歳でしょう。何時までも、駄々を捏ねないで欲しいわね」

この後の事は、あまり良く覚えていない。
侯爵夫人に連れられ、只、機械的に身体が挨拶して回っただけ。

「いや、驚きました。
 その若さでラズボーン侯爵夫人に後継者に目されるとは。何とも凄いお嬢さんですな」

「ええ。この娘は、遠からず私すらも越えて行く器でしてよ、ハーブリッツ公。
 何しろ、齢17歳にして18人もの愛人を傅かせてハーレムの主に納まっている程ですもの。
 これは、その証拠の品。どうぞ御覧になってやって下さいな」

「ほう。(カサッ)おお、これは凄い。
 差し詰め、全ジャンルコンプリートと言った所ですかな。いやはや、若さとは羨ましいものだ」

何やら物凄い誤解に満ちた会話が聞えた様な気もするけど、根も葉もない、信憑性なんてゼロな話。
一目で修正が入っていると判る部隊の集合写真を見せられたからって、それを鵜呑みにする人なんて居る筈が無い。
何時も通り、ハーリー君を抱きしめている写真もあったけど、それ位は愛嬌というもの。
あれはきっと、噂に聞くパーティジョークというものなのだろう。そうに決まっている。

嗚呼、太陽系の未来は………とゆ〜か、私はもう駄目かもしれない。



ケースH 阿間田シロウ三曹&郷田キリコ三曹の夏休み

   キュイ〜〜ン

軽快なローラーダッシュの駆動音と共に、一騎の小型な人型機動兵器がスラロームを。
スキーの大回転競技の様な動きで、用意されたポールの外側を回るジグザグ運転を繰り返している。
その合い間を縫って、

   ガガガガガッ

殆ど一体化した形で右手にマウントされたマシンガンが火を噴き、同じく用意されていたプラスチック製の標的を、次々に破壊。
そして、それが終点に来た所で最後の大物の的に。
厚さ5cmはありそうな鉄板に向かって、鉄球型の左拳にて左ストレートを。

   ズガゴン!
          ボコッ

ヒットすると同時に炸裂音響き、見事に凹む標的の鉄板。
一拍置いて、その二の腕からカートリッジの様なものがリロードされる。
おそらくは、それがこの破壊力の秘密なのだろう。

「良し! 完璧なデキだぞ、キリコ!」

所定の位置に停止してコクッピットから這出ると同時に、相棒の阿間田三曹が。
そして、この機体の開発に携わった整備員達が、次々に賞賛の声を。
かくて、二人が中心になって開発した機体の機動実験は、大成功に終った。

さて。此処で少々補足説明をさせて頂こう。
夏休みに入ると同時に、例の計画案を携え意気揚々と整備班の下へと訪れた二人だったが、現実は彼等が思っているほど甘いものでは無かった。
まず、ウリバタケ班長と時田博士の所へ相談に行ったのだが、二人は某正義の味方の新装備を共同制作中とかで取り合って貰えず、
次いで、懇意にしていた整備員Aに相談した所、致命的な問題点が浮かび上がってきたのだ。

そう。彼等の機体は、その将来において破壊される事が確約されている物。
つまり、下手に防御力が上がってしまうと、最後の見せ場である殉職シーンが嘘臭くなってしまうのだ。
また、副次的な問題として、あまり先端技術を導入し過ぎると、機体の壊れ方によっては、その部分が丸々残ってしまうという可能性もあり、
その後の2015年世界の技術開発に悪影響を及ぼす引き金になりかねない。

そんな訳で、仕方なくDFの装備は諦め、当初の設計コンセプトだけを盛り込んだ機体を作るべく、
整備員Aの協力の下、設計シミュレーションをしてみたのだが、なんとこれが大失敗。
プログラム上で再現されたその機体は、これまでのミッションデータをクリアし得ない物。全くの欠陥機となってしまった。
何せ、装甲を犠牲にする事が前提になっているので、当然、機体の回避能力が必須となるのだが、
母体となっているのが『装甲で固めた移動砲台』というのが基本コンセプトな戦車だけに、どれほど工夫してみても自ずと限界があるのだ。
実際、第5使徒戦や第9使徒戦と言った弾幕の厳しい戦闘では、データ上とは言え開始五分で大破する体たらくだった。

そこで二人は、発想の逆転を。
戦車に拘らず、在りし日のアキトが佐世保にて数百匹のバッタやジョロを相手取った時の映像データを元に、
スピードと旋回力を特化した全く新しい物を。
その神技としか言い様の無い高速かつ流麗な回避運動を戦場にて実現した機体。陸戦型エステバリスの計思想を流用。
それを母体として、2015年の技術だけで新たな機動兵器として再現するという奇策を思いついた。

無論、本来ならば、これは机上の空論。無茶も良い所な話だ。
仮に上手く行ったとしても、通常ならば年単位の月日が掛かる飛躍的な技術革新だろう。
だが、良くも悪くも、ナデシコの整備員達は普通では無かった。
その為の支援ツールが。例の七体の専用機を製作する際に活躍した、エステバリスのバリエーションチェンジをシミュレートする専用プログラムがあったとは言え、
魔送球を基に極めて短期間で編み出された大○−グボール2号の如く、たった二週間でその試作機が完成してしまったのである。

それが、この全長4m前後の小さな人型機動兵器。
申し訳程度には二足歩行が可能な脚部マニュピレーター(トライデントシリーズのそれを可能な限り簡略化した物)の先にローラーダッシュを装備し、スピードと旋回能力を両立。
腕部マニュピレーター(同じくトライデントαのマジックハンドの機能を簡略化した物)は、それぞれ別の機能を。
右手は、マウントされた固定銃器を。左手には、ワイヤードフィストの代わりに前腕部をスライドさせて相手に打撃を与えるアームパンチ機構を搭載。
遠距離戦にも近接戦闘にも対応可能な2015年製のエステバリス。
否、その名は、

「Armored Trooper(鋼鉄の騎兵)、略してATの完成だ!
 後は、例の自動操縦システムに対応する所までデータ取りをすれば、何時でも実戦に投入出来るぞ!」

「ああ。後は壊すだけだ」

「(ハア〜)相変わらず、身も蓋も無いなあ、キリコは」

息はわりと合っているのだが、性格がとことん噛み合わない阿間田三曹と郷谷三曹だった。

ちなみに、このAT。 使徒戦終了後、フィードバックされたデータから、実用一点張りだった外見がかなり洗練された形で。
スコープ・ドックという商品名で証券会社を母体とした某多角経営企業から販売され、この時代を代表する汎用人型強襲兵器として一世を風靡する事に。
そして、その数年後に発表される事になるAS(アームスレイブ)やMS(モビルスーツ)の雛形となるのだが、それはまた別の御話である。




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