機動戦艦ナデシコ
ーピースー
第二話 [かわらないもの]
トン、トン、トン、トン。
できるだけ音を抑えながらゆっくりと階段を降りる音にアキトは目を開けた。
暗がりのなかで手を伸ばし、目前に時計を呼び寄せ睨むようにして時間を読み取る。
「二時半か、あいつまた」
言葉を言いかけでベッドを降りる。
一階にある自室を出て向かった先は、こんな時間に明かりのつけられたキッチン。
ドアの隙間から見えたキッチンでは、蛇口の水を出しっぱなしにしながらトキアが水を飲んでいた。
こうしてトキアが夜中に起きて来るのはこれで三日目。
さすがに知らぬ振りをしている事もできない。
「眠れないのか?」
アキトは驚かさないように気をつけたつもりだが、大げさすぎるほどにトキアの肩が震えた。
目もとに手をやってから振り向いたトキアの目元は濡れていた。
「どうした、アキト?
朝忙しいからって、これは早起きしすぎだろ?」
「そんなわけないだろう。気付かないとでも思ってたか?
これで三日連続だぞ、お前が夜に起き出してくるのは」
「あっ・・・」
気付かれていると思っていなかったのか、無理につくろった笑顔が崩れる。
「ただたんに眠れないだけならコクト兄さんに薬を処方してもらえばいい。それとも他にな」
「なんでもない。明日コクトにそう言うよ」
無理に脇を通り過ぎようとしたトキアに手を伸ばすが、するりと髪の毛一本捕まえられない。
そのまま階段を中腹まで上っていってしまう。
「こらちょっと待て」
「おやすみ、アキトも早く寝ろよ」
一度振り向いてまた駆け上がっていってしまう。
今が夜中でなければ大声を出してでも止めていたものをと、アキトの伸ばした手が所存なくさまよっている。
明日の朝、もう一度問い詰めてみようと、諦めて自室へと振り向くと目前にぬっと現れる人影。
「うわっ!」
「アキト、ダメよ人の顔見て驚いちゃ。母さん、へこんじゃうぞ」
「って母さん、起きてたの?」
「当たり前よ。コクトも起きてるみたいね。アキトが来なかったら、コクトがトキアに話を聞きにきたんじゃないかしら」
まるで部屋の中で様子をうかがっているコクトが見えるかのように話すアキエ。
「でも、トキアに話す気がないのならどちらが来ても同じだったみたいだけど」
「やっぱり悩みかなにかなのかな?」
「かもしれないわね・・・あの子は男の子と女の子、二人分忙しそうだし」
最後にアキエは今は待つしかないのかしらねとくるりと自室へと戻っていってしまう。
かと思うと、自室のドアの前でくるちと再びアキトに振り返った。
「アキト、今朝の御飯は納豆に茄子の味噌汁。あと玉子焼きにはホウレン草をたっぷりと入れてちょうだいね」
「いきなり、なに?」
「ルリとラピスはともかくとして、この非常事態に一家の大黒柱が起きてこないのは問題じゃないかしら?」
アキエが指差した部屋の暗闇からは盛大ないびきがもれてきている。
よくよく考えてみれば、納豆も茄子もホウレン草も父、ヨリトの嫌いな物である。
そういうことかと笑ったアキトにアキエも、もう一度おねがいねと言ってドアの向こうに消えて言った。
ヨリトの好き嫌いはこの際放っておくとして、アキトは目をぬぐっていたトキアを思い出す。
トキアの涙などあれ以来・・・何年ぶりといったところである。
あの性格からして人にいわれのないことも言われたりもするが、泣くといった事は決してない。
そのトキアが確かに涙で瞳を揺らしていたのだ。
本当に待つしかないのかなと、考えつつアキトも自室へと戻っていった。
「母さん、私が一体何をした。あれか、あれは会社の付き合いで嫌々、それにおさわり厳禁だったし」
「あらあら、何の事かしら。詳しく聞かせて欲しいわね」
「ヒィーッ、匂いが味が、食感が・・・グァ」
嫌いな物オンパレードでいらぬ事まで喋ってしまうよりとは涙をのみ、笑顔でそれらを無理やり詰め込められる。
「脂っこいおっさんのくせに、そんな所いくからだ。馬鹿」
「びばまぉ、さじがねがぁ!」
「おさわりってなに?」
「知らなくてもいい事です。一ヶ月は父と話してはいけませんよラピス」
「?」
朝になっておこなわれたイジメを目の当たりにして、馬鹿にした態度でトキアは笑っている。
普段からそんな気をつけてみているわけではないのだが、やはり何処か様子がおかしい。
それに気をつけて顔をみてみるとうっすらと化粧が施されている。
おそらく眠れないためにできた目のくまをかくしているのだろう。
「はぁ、ごちそうさま。ちょい早いけど、行ってきます。アキト、お弁当は?」
「流しの横においてあるよ。俺も一緒に行くから待ってろ。母さん、悪いけど今日の洗い物おねがい」
「はいはい、いってらっしゃい」
にっこり笑っているが、未だにアキエの手は朝食をヨリトの口へと詰め込み続けている。
なんだか口の中が一杯で息すらできているのか怪しいが、アキトはさっさと自室へと鞄をとりにいった。
心配していないわけではないが、今のアキトの中ではトキアの事の方が重要だったからだ。
もっとも普段からヨリトの重要度はかなり低い位置にあるのだが。
「ぼなぁ、っぱい。ぉう、だべ!」
最後の叫びにアキトは、振り向く事さえしなかった。
「でね、けっこう可愛いアクセサリー見つけたんだけど、今月はちょっとピンチで」
ピンチでの後に濃厚に注がれる視線を感じアキトは頭痛の始まりそうな頭を抱えそうになった。
この朝っぱらから脳髄に響くハイテンションな声にではなく、買ってちょうだい光線をキラキラと放つ視線のせいでもない。
家を出てすぐに作り上げられたユリカワールドに対してだ。
二人が家を出るときにユリカもちょうどお隣から出てきて、聞いてもいないことを喋る事、喋る事。
嫌だという訳ではないが、トキアの事が気になる今は勘弁して欲しかった。
「トキアちゃんも今度一緒に行こうよ。ルリちゃんとラピスちゃんも連れてね」
「お好きに行ってらっしゃい」
「え〜、冷たいなぁ。一緒に行こうよ。アキトが好きな物買ってくれるって言ってるし」
よくも満面の笑みの相手に冷たい態度をとれるなとトキアに感心しつつ、とある事に気付く。
「おいこら、なにを勝手に」
「それ! 逃げるよ、トキアちゃん」
何故と言う理由は無いのだろう、トキアの手をとり走り出すユリカ。
しっかりと握られ離す事ができないのか、トキアも仕方なく走り出す。
「って、逃げるって事は無茶言ってるって理解してるだろ!」
「来週はアキトとデート、ついでにトキアちゃんとルリちゃんと、ラピスちゃんも」
「邪魔なら行きませんけど」
「だ〜め、みんなで行くの!」
「人の話を聞け!
来週は俺もお前もバイト入ってるだろ!」
「じゃあ、再来週で」
「再来週なら空いてるけど・・・ってそうでもない!」
走りながら突っ込むが、やはりユリカは聞いていなさそうである。
「再来週はアキトとデート、ついでにトキアちゃんとルリちゃんと、ラピスちゃんも」
「邪魔なら行きませんけど」
「だ〜め、みんなで行くの!」
「普通に会話がリピートしてるぞ。どっちがボケだ、どっちだ!」
学校の校門まで走り続け、一番はやく体力が切れたのは意外にも・・・なさけなくもアキトであった。
ユリカとトキアに遅れる事数分、学校をとりまく塀に手をつきながら歩いてくる。
酸素が足りないのかかなり顔が青い。
「もう、アキト運動不足だよ。もっと体力つけないと」
「いや・・・絶対、これはなんか・・・・・・ちが、ぅ」
呆れているのか怒っているのか手に腰をあて、無意味に胸をはるユリカ。
かと思うと、自分のうしろでアキトの様子をうかがっていたトキアに手を伸ばし、いきなり抱きしめた。
アキトは目をむき声も出ず、豊かな胸にうずもれたトキアも声が出ないというか・・・息ができない。
しばらくそのままでいると流石に暴れ出す。
「っは! なにするですか!」
「よし」
「よし、じゃないです!」
ちょっと赤くなって焦っているものの、声質と口調はしっかり外用であった。
「それじゃあね、アキト。また夕方」
「え、あ・・・」
「トキアちゃんも、またね」
なにがなんだかといった感じの二人を置いて、さっさと大学方面へと走って行ってしまう。
普段から意味不明な行動が多い物の、今日は極めつけであった。
「もう・・・アキト、いつまでも驚いてないで行こう」
「そ、そうだな」
衝撃的な登校から数時間、アキトは無心で書き写していた黒板から目を離した。
朝はユリカのせいですっかり調子を崩され、結局トキアには何も聞けないまま別れてしまった。
母アキエは待つしかないと行っていたが、本当にそうなのだろうかと思いつつ窓の外に意識をやる。
高等部のグラウンドは現在何処クラスも使用しておらず、更にその向こうの中等部には使用しているクラスがあった。
授業内容は陸上のようで、並んで走る少女達が幾人も見えた。
(あれは・・・・・・トキアのクラスか)
かなり放れているので顔が見えるわけではないが、あまりにも目立つ銀髪の少女が一人いたのである。
もう一人見知らぬ少女と並び走り出した。
当然余裕勝ちだとうなと思ってみていると、抜かれはしないものの辛勝といった感じであった。
(やっぱり体の調子がわるいんじゃ)
「あ〜、ゴホンッ」
わざとらしい咳に黒板に視線を戻すと、教卓の教師と目があってしまう。
慌ててノートをとるふりをするが遅かった。
「やれやれ、授業もきかずに女子中学生の観察かね?」
「いや、あの・・・妹が」
思わず立ち上がって言い訳を述べてしまったが、これでは認めたようなものだ。
「自分の学業をおろそかにしてまで妹の心配とは」
っと教師が言葉を続けようとしたところで教室の前のドアが勢いよく開いた。
教室内の幾人かがそのけたたましい音に肩をすくめ視線をよこすと、そこにはスーツをきた長髪の男がいた。
感涙したかのように涙をとめどなく流し、その男、アカツキ
ナガレはアキトに親指を立てて見せた。
「妹サイコ―!!」
閉め切られていないはずの教室にその声が反響するのを皆が聞いた。
「以上!」
再び勢いよく閉められたドア。
止まった時間が動き出すと同時に教師はため息をついた。
「・・・まったく、七光りが」
真面目を絵に描いたようなはずの教師が消えていったアカツキに対しつばを吐く真似をする。
嫌な思い出でもあるのだろうか、込められた怨念が半端ではない。
「テンカワ君、余所見はしないように」
最低限の言葉だけですんだのは良いが、前半分の「七光りが」が気になってしょうがない。
とりあえず教師の視線が再び黒板に向かったことで椅子に座りなおすアキト。
注意されたばかりだというのに後ろに座っているヤマダが背中をつついてくる。
「あのバカのおかげで助かったじゃねえか。「萌え」なんて言ってる軟弱者もたまには役にたつじゃねえか」
「軟弱って、お前は違うのか?」
「違うに決まってるだろうが。俺のは熱く魂がほとばしる「燃え」だ。漢字も違えば、言葉に込められる力強さも段違いだ」
血管が浮き出るほどに拳を握り締めている様を見て、確かに暑苦しいよなとアキトは思う。
「まっ、んなことよりトキアがどうかしたって?」
「ああ、ほら。最近眠れないみたいで、さっきも競争で負けかけてたんだ」
「トキアがか?」
「そう、トキアがね」
信じられないと顔に丸出しのまま、ヤマダが校庭の向こうの中等部のグランドにめをやる。
本来男であることを差し引いてもトキアの運動能力はぬきんでているのだ。
長兄のコクトも相当抜きん出ているが、アキトだけは並より上と普通であるのは本人の密かなコンプレックスである。
「なんとか元気付けたいんだけど、なんかないかな?」
「女が喜びそうなことを俺に聞くなよ。無難にアクセサリーぐらいしか思いつかねえぞ」
前半分の言葉に本当は男だけどなと思いつつ、後半分に今朝方のユリカの言葉を思い出す。
事情を詳しく知る相手に後で相談するかなと、身の入らぬ授業はすぎていった。
昼休みになると早々に弁当を片づけてしまい、中等部の職員室へとアキトは足を伸ばした。
自分が卒業したのは三年もまえだが、幾人かの顔見知りの先生に挨拶をとばしつつミナトのもとへと寄っていく。
トキア事を知り、なおかつ担任でもあることが選択した理由だった。
「あらアキト君、どうしたの?
こっちにくるなんて珍しいじゃない」
「ええ、ちょっと相談したいことが・・・ここ三日ほどのトキア変じゃなかったですか?」
いかにも心配でという顔つきのアキトにふっと何かを思い出すように笑うと場所を変えましょうかといわれる。
その場所は、生徒は当然のことながら教師もあまり使わない生徒指導室だった。
「そろそろ、こちらからも話を聞こうとしてたところなの。座ったら?」
うながされるままにアキトは対面にすわると切り出す前に尋ねる。
「こちらからって、気付いてたんですか?」
「ほら三日前って私の授業中に倒れた時でしょ?
気になって当然よ」
「そう言えば、あの時も居眠りしてる時・・・トキアを見てどう思いました?」
「そうねえ。ユキナちゃんと喋ってたり、授業中も普通だけど、何か時々上の空って言うか・・・何かを思い出そうとしてるみたいに見えるわね。妙にあのペンダントをさわっていたけれど」
あのペンダントと言われれば一つしかないと、アキトはトキアがいつも身につけているペンダントを思い出す。
ひし形の青い石がついていて、鎖の止め具が知恵の輪になっている珍妙なものだ。
「ミナトさんにも見当はつかないんですか?」
「さすがに、そこまではね。」
「それじゃあ、せめてトキアを元気付けられるような事ってないですかね?」
「そうねえ」
形の良い唇に人差し指を当てると意味もなく上目遣いにミナトが天井を見つめ始める。
「ルリちゃんとラピスちゃんに、うんっと可愛い格好させてみるとかは?」
「一応それは考えてたんですけど、ものすごく一時的なものだと思いませんか?」
「そっか、でも一応候補にいれておいたら?」
再びミナトが上目遣いに、アキトが腕を組みうつむいて思案に暮れる。
昼休みもあまり時間は残っていないと言う所で、ミナトがそう言えばと切り出す。
「コクト君には相談したの?
私よりももっと良い案出してくれそうだけど」
「兄さんにはまだですけど」
昨日アキエもコクトが起きていることに気付いていたことを思い出す。
何故今までそんなことを思い出さずに相談すらしなかったのか、喧しく椅子を鳴らして立ち上がるアキト。
一度そのまま何も言わずに部屋を出て行ってしまうが、直ぐにもどってくる。
「ミナトさん、ありがとうございました。さっそく兄さんの所に行ってみます」
「あら、そう?
それならついでと言ってはなんだけど次の日曜日コクト君が暇かどうか」
聞いておいてねと言う前にアキトの姿は消えていた。
「まあ、今回は場合が場合だし・・・諦めるか」
「兄さん、いる?!」
光明を得た気分で走ってきたためアキトの息は切れ、少々テンションもあがってしまったようだ。
勢いよくドアを開けてのぞかせた顔は、わずかに上気して赤い。
「廊下を走るな、入室は静かに。それと、授業がもうすぐ始まるぞ」
「き、きをつけるよ」
机から押さえつけるような鋭い目つきに勢いをそがれつつ、何とか切り出していく。
「あのさ、トキアのことだけど。兄さんも気付いているよね」
「当然だ。あいつがここ最近夜中に置きだしているのは知っている。何かを悩んでいることもな」
「それをなんとかしてやりたいんだけど。なにか良い手はないかな?」
「なんとかとはどういう状況をさす?」
問いかけを問いかけで返され、アキトは返答につまづいた。
「なんとか」を言葉にしようにも上手くいかないのだ。
漠然と言ってしまえば悩んでいない状態にトキアを戻すことだろうか。
「一時的に元気付けるだけか?
それとも悩むなとでも言うのか?」
「一時的じゃ意味がないし、悩むなって言って解決するものでもないだろ。何が言いたいのさ」
かなりむっとしたようにアキトが正面から見返す。
「行動の理念が曖昧だと言う事だ。何も考えずに動けば返って深みにはまったり、傷つけたりすることもある」
確かにとアキトは何も言えなくなってしまう。
今朝方は悩みを聞いてやろうと思っていて、先ほどは元気付けようと、今は悩みそのものを解決しようとしている。
一貫性が無いと言えばない。
口篭もったままになっているアキトを見て、そこでようやくコクトから険がはがれる。
わかればいいと子ども扱いされたようで先ほどとは別の意味でアキトがむっとする。
「いきなり核心には触れないことだ。ベストはトキアが話してくれるのを待つことだ」
「それは母さんも言ってたよ。だけど、トキアのほうが持たないかもしれない」
「だったら、話しやすい状況をつくってやればいい」
「つくる?」
アキトが言葉を反芻したのを聞いてから、ゆっくりとコクトが続けた。
「まずは周りが心配していることを気付いてもらうことだ。トキアも今は悩みで頭が一杯でも、周りから心配されている事に気付けば、少しでも話そうという気になるかもしれない」
「そうか」
かみ締めるようにアキトは心の中で兄の言葉を繰返す。
ミナトの時のようにいきなり走り去ることだけはしなかった。
「よし、決めた。それじゃあ、ありがとう兄さん」
「ちゃんと授業には出ろよ」
「ごめん、それはサボり」
携帯を取り出しながら退室していったアキトは、相手が出るとさっそく頼み込んだ。
「ユリカ、これから空いてる?」
「ふはぁ」
自室のベッドに制服のまま寝転がっていたトキアは、ため息と欠伸を同時にだした。
現在時刻は十時、父と母は残業、ルリとラピスはコクトと外食、アキトはラーメン屋でバイト。
誰もいないことをいいことに夕食を抜いてずっと寝ていたのだ。
まるで鬱病にかかったように何もする気が起きず、胸がもやもやとしていた。
「暇だなぁ、お腹空いたなぁ・・・寂しいな」
最後の一言は三日前から漠然と抱くようになった思いであった。
授業中に何か夢をみてから、毎晩内容を覚えていない同じような夢で起されている。
仰向けから横向きに寝返りを返すと、そっと涙が流れた。
「トキアねぇ、起きてる?」
「へっ?」
「はいるよ?」
「わっ、ちょっと待ってて」
突然出かけているはずのラピスの声がドアの向こうから聞こえ、慌てて目元をぬぐい起き上がる。
「しまった、なにこれ!」
寝ていたためにしわくちゃになった制服を手で何とか伸ばそうとするが徒労に終わってしまう。
せめてとクシに手を伸ばして乱れた髪だけでも整える。
「まだぁ?」
「ごめん、もうちょっと」
それから数分も待たせてしまっため、怒ってしまったかと思ったがそうでもなかった。
と言うか、思ってもみない目の前の光景にトキアの方の思考が停止した。
今日は何か特別な日だったろうか。
そう思わせるほどにめかし込んだラピスが直ぐ目の前にいたのだ。
淡い桜色の髪は頭部でまとめられ髪留めをし、黒のドレスに胸元にワンポイントのブローチが輝いている。
「こっちこっち」
思わず後ずさりをしつつ頬擦りしていいのかなと伸ばしたトキアの手を取り、外へとラピスが連れ出す。
一体なんなのだと考えることも出来ずにされるがままになっていると、気が付けばコクトの車に乗っていた。
「さすがに効果絶大だな」
「コクトにぃ、ちゃんと前見て危ないよ」
運転の途中、後部座席に座る放心状態のトキアを見てコクトがおかしそうに呟いた。
それでもトキアの放心状態は変わらず、ただしっかりとラピスの手だけは握っている。
コクトが運転する車は十五分ほど走っただろうか、一見のラーメン屋の前で止まった。
「あ、ってここ雪谷食堂?」
「俺は車を停めて来る」
「ほらトキアねぇ、はやく」
せかすラピスに手を引っ張られ扉を開けた途端にトキアは誰かに抱きつかれた。
胸に伝わるあたたかさと、目に悪そうな光に貫かれパニックに陥りそうになったが、それも数秒の事。
胸元で顔を真っ赤にしているのはラピスと同じように、いや、少し違う方向でめかし込んだメイド服のルリだった。
そして、カメラのフラッシュをたいたのはアオイ
ジュンだった。
「ルリ、なにやってんの?
それにジュン、いつ返ってきたの?!」
「やっ、久しぶりだねトキアちゃん」
めかし込んだルリとラピスに、世界中を渡りまくっているはずのジャーナリストのジュンがいる。
それだけではなく、雪谷食堂の中はクリスマスかと疑いたくなるような大げさな飾り付けがなされていた。
これでは驚かない方が無理と言うものだ。
「ちょうど仕事が一段落してね、たまには可愛い女の子たちを撮るのもいいかなってね」
カメラを掲げてジュンが笑うと、厨房の奥からユリカが顔を出し、引っ込める。
「やば、トキアちゃんもう来ちゃってるよ。アキト、急いで!」
「急かすなよ、麺を湯から出すタイミングが大事なんだ」
「そんなのちゃっちゃとやっちゃってよ!」
「なんだと!」
奥から響くやり取りにジュンが苦笑し、そこでようやくルリも抱きつくのを止める。
「で、これはなんなの?
店をこんなにしちゃって、サイゾウさん怒るんじゃ」
「許可はとってあるってさ。アキトが初めてオリジナルラーメンを作るからって」
「アキトが?」
「トキアさんはここです。座っていてください」
それだけにしては店の飾りつけの意味が解らないのだが、未だ顔の赤いルリに勧められるまま座る。
するとルリはすぐにお冷をとりに厨房へと向かい、ラピスはトキアのとなりに座ってくる。
「それで一段落って今回はなにしてたの?」
「まだ駆け出しだからね、そんな大した事はしてないよ。主に先輩について雑用とかね。それでも結構各所を歩き回ったけど」
ジュンの話は日本だけに留まらなかった。
時に海外にまでその足は伸び、カメラを手にレコーダーを手に走り回ったらしい。
たった一度、それも片隅に小さな記事が載せてもらえたこと、その雑誌も見せてもらった。
それは味の良い伝統的な野菜の栽培方法を伝える老人の記事だった。
おそらく雑誌を買ったほとんどの人が目をとおさないであろうが、四角く切り取られた老人はとても良い顔で笑っていた。
「ほら見てラピス、ここにジュンの名前が載ってるよ」
「お〜・・・、でもこの野菜形がへんてこ」
「スーパーとかで売っているものは成長段階で無理やり形を矯正されたからだよ。野菜だって本当は色んな顔があるんだよ」
「は〜い、お話はそれまでぇ。アキトのオリジナルラーメンの登場だよ!」
お冷をとりにいったまま戻ってこないと思ったらルリもユリカと同じようにおぼんにお椀をのせて持ってきた。
その時ちょうど車を駐車場にまで置きに行っていたはずのコクトが、人を伴ってもどってきた。
「いやぁなんとか、間に合ったようだね。ルリ君、ラピス君とっても似合ってるよ」
「トキア、なんかご馳走がでるからってついて来ちゃった。もうお腹ぺこぺこ」
「アキト、アカツキさんとユキナちゃんの分追加できる?」
「平気だよ。直ぐにできる」
最初のラーメンが出来てから少々時間がたってしまったが、なんとか人数分がそろい、思い思いの席にすわる。
見た目は何の変哲もない醤油ラーメンだった。
茶より少し黒く染まったスープに縮れ麺、具は卵やシナチクとありあわせ。
ユリカがオリジナルと言っていたが、店主サイゾウの一品に手を加えただけらしい。
「それじゃあ、まずはじめにトキアから食べてみてよ」
「え、なんで私から? 皆一緒に」
「いいから、ほらトキアちゃん。アキトがトキアちゃんのた」
「だー!!」
何かを言いかけたユリカをアキトが止めた。
変なのと思いつつ、拘っていたらのびてしまうとラーメンに手を伸ばす。
あまり詰め込まないように麺をほおばり、レンゲでスープを口にふくんで味わう。
一斉に見つめられるとなんとも気恥ずかしいが、まろやかな味はしっかりと口に広がっていった。
それら全てを飲み込んだときにお腹から広がる温かさが広がり、ふいにトキアは目頭が熱くなるのを感じた。
なんで寂しいなどと自分は感じていたのだろうかと。
兄、妹、友達、こんなにもたくさんあたたかいものがあると言うのに。
流れた涙が一滴、スープに落ちた。
「トキア、まさか・・・まずかったとか」
あっと気が付けば誰もが心配そうに、トキアの顔を覗き込んでいた。
「そ、そんなことない。とってもおいしいよ!」
「よーし、それでは僕達も食すとしようか!」
「ぐぅ、お腹の虫も我慢できないって言ってるよ」
待ちきれないとばかりに誰もがラーメンに手を伸ばしていく。
そして皆同じようにラーメンの上手さに舌を打ち、忙しく手と口を動かしていった。
一番早く食べ終わったトキアは、そこでずっとアキトが自分を見ていたことに気付いた。
なんだろうと小首を傾げる。
「おいしかった?」
「十分、サイゾウさんには負けるけどね」
冗談半分に笑ってトキアが響くを言うと、納得するわけでもなく、ムキになるでもなくアキトが笑った。
「そうか。もう、大丈夫だな」
アキトから伸ばされた手のひらがトキアの頭を包み込むように撫でる。
ルリやラピスにはよくやっているのを見るが、自分がされるとなんとも気恥ずかしく頬が赤くなる。
「それ以上は、だめぇ!
アキト、トキアちゃんは妹なんだよ!」
どんっとユリカに両手で突き出されアキトが椅子から転げ落ちる。
一瞬の静寂、始めたのは誰だろう。
小さな苦笑がやがて大きな笑いの渦へと変化していった。
「何言ってるんだよ。お前頭大丈夫か!」
「全然大丈夫だよ。知らないのアキト、最近は妹ブームなんだよ!」
「落ち着きたまえユリカ君。あくまでそこには義理と言う言葉が付く、そうでなければ犯罪だ。だからアキト君がルリ君やラピス君に手を出すのにはなんら問題はない!」
「お前は場を治めたいのか、まぜっかえしたいのかどっちだアカツキ!」
なんとも珍妙な漫才にお腹を抑えて笑っていたトキアが、ニヤリと悪戯を思いついて席を立つ。
転げ落ちたアキトの体をささえ起してやる。
「アキト、お礼がまだだったよね」
笑いを抑えきれないままつむがれた言葉の直ぐ後、チュっと小さな音がトキアの唇とアキトの頬の間から聞こえた。
あと、カシャっとシャッターを切る音も。
「「あー!!」」
「アキト君、なんて羨ましい。トキア君、僕にもあついベーゼをカムヒアー!」
「すっこんでろ!
ジュン、今さり気に写真撮ってたろ!」
「ん?
大丈夫、あとで引き伸ばして送ってやるから」
「いるか、バカ!」
「アキトのばかー!
トキアちゃんの方がいいの!」
「トキア私にだってしてくれた事ないのに」
なんともしがたい騒ぎになってきた。
アキトはユリカに責められつつアカツキを踏みつけ、ジュンは何が面白いのかこの光景を写真に収めている。
ユキナは訳のわからない我侭をいい、トキアにキスをもらい、また逆にしている。
騒ぎに巻き込まれず大人しくしているのはルリとラピス、コクトの三人だけだ。
「止めなくて良いんですか、コクト兄さん?」
いかにも止めてくださいといっている口調のルリだが、コクトは動かない。
「ん〜、私もトキアにキスしてもらう」
「あ、こらラピス」
てこてこと歩いていったラピスも騒ぎの中に突入していった。
だから止めてくださいと言ったのにと恨めしげにルリがコクトを見るが、コクトは黙ってルリの頭を撫でてやるだけだった。
「いやぁ、もりあがってますなぁ」
「理事長、あまりは目を外しすぎて明日に響いても知りませんよ!」
「いいじゃないエリナ、どうせいつも外してるんだし」
ガラリと入り口のドアを開け、プロスにエリナ、ミナトが入ってくる。
コクトが傍らに置いてあったアキトの携帯をのぞくと、これから行くとのメールが何通も入っていた。
それはコクト自身の携帯も同じであり、このバカ騒ぎは加速することはあってもまだまだ静まりそうにはない。
代理人の感想
うーん・・・・間が空いちゃってますからねぇ。
前回の話を読み返さないでもある程度いきさつがわかるような配慮がほしかったと思います。
特にトキアというキャラクターを知らないと何がなんだかわからないところがありますし。