再び・時の流れに
〜〜〜私が私であるために〜〜〜
第18話 水の音は『嵐』の音……そのとき、歴史は動いたのです……その1
ぴちゃん、ぱしゃん、ぱしゃん………………
……ひさしぶり、と言うべきでしょうか。
あの『水の音』の夢を見ました。
見た目はともかく、私の中身はもう17歳です。
『前』ですでに解決している以上、いまさらあの水の音にとらわれる事はありません。
しかし……
やっぱり、気になっているのでしょうか。
明日……いえ、今日はピースランドへ向けて出発する日です。
こんにちは、ホシノ ルリです。
すべての準備は終わり、いよいよ出発です。
前回は空戦フレームで送っていただきましたが、今回はネルガル提供のシャトルになります。
何しろまだ月にいますし、ナデシコ。
そんなわけで、私とアキトさん、二人っきりにはなりませんでした。しかし……
なぜみなさん、ここにいるのですか?
「あたしもナデシコ艦長として招待されてるし、お父様も来ますし」
「僕もナデシコ副長として招待されてますから」
「あたしとアリサはおじいさまと一緒ですし」
「俺は二人の護衛だ」
「俺にもナデシコ提督兼元MoonNightの隊長として招待状が来たしな」
「あたしはそのおまけ」
「僕もついでだし、ね」
「私は会長秘書ですから、この場合仕方がありません」
直接答えてもらったわけではないですけど、要するにこういう理由です。
上から順番にユリカさん、ジュンさん、サラさん、ナオさん、シュンさん、ハルナさん、アカツキさん、エリナさんです。後アリサさんとカズシさん。総勢12人の大移動です。ナデシコの上層部、みんなお引っ越しですね、これは。
そう、すべては招待状にこの一言が書いてあったせいでした。
『夫人同伴』
まあ、西欧ではごく当たり前の事なのですが、招待された人の中には、奥さんを亡くした方も結構いました。こういう場合、そういう人はいるのならば娘さんやお孫さん、あるいは知り合いの女性を誘って、とにかく出来る限り一人で来るのは避けるのが暗黙の了解なのだそうです。
そして招待客名簿の中には、艦長やミスマル提督、グラシス中将、オオサキ提督にアカツキ会長などの名前もあったという事です。
しかもこの後極東や西欧各地を廻り、ミスマル提督やグラシス中将と合流してからピースランドに向かう事になるのです。
本当に……前回とは大違いです。
どうなるんでしょう、今回のピースランド訪問は。
>MAIKA
「じゃあお願いするよ、舞歌」
「かしこまりました、総司令」
私はあえて兄上をそう呼ぶ。私的に近い依頼であっても、事はれっきとした公式のもの、しかも極めて重大な任務だ。
兄の代理として地球との交渉へと赴くという事は。
地球の打ってきた手としても、これは本気で予想外だった。
まさか地方の小国が、本気で地球の連合政府と木連の調停を取り持とうとするとは。
まあ兄の話によれば、面積や人口的には小国であっても、経済面から見たら超大国だという事らしいが。
その国が取って付けたような慶事にかこつけて、地球と木連の間に新たな道筋を付けようとしてくる。
ふむ……確かにこれは『面白い』。
この戦い、元々の発端は地球圏政府が、我々を黙殺したところから始まっている。そしてこじれにこじれた両者の関係は、いまさら当事者同士が顔をつきあわせても納得がいかないところまで来てしまっていた。
そこに現れたのが、少なくとも表向きは政治的に中立な第三者である。地球圏の政府にも顔の利く第三者を仲介に立てた交渉なら、幾らかはましな話が出来そうだ。
……草壁閣下の性格からすると、そう簡単にまとまるとも思えないが。そもそもこの話、まとめてはいけないという指示も受けている。
『一つはあなたの目で、しっかりと地球の現状を見定める事。現在の連合政府はかなり腐敗臭のするろくでもない政府ですが、同時に彼らは半ばお飾りとも言えます。腐った政府が上にありながら地球圏全土が腐敗していないのは、すでに連合政府が殆ど傀儡と化しているという事を意味します。つまり今の政府高官や行政官達は、一部を除けば軍や大企業によって操られている人形のようなものです。表向きの情けない連中と違って、彼ら人形使いはしたたかですよ。私や閣下と伍する人物もいる事は間違いありません。
私が思いつくだけでも軍ではガトル大将、グラシス中将、そしてミスマル中将。経済界ではネルガルとクリムゾンのトップ。あとアスカインダストリーあたりですか。平たく言ってしまえば、今回の会合に出席予定の人物の、約半数が人形使いというわけです』
やれやれ……魑魅魍魎の巣か、地球は。
木連でもそれなりに陰謀その他はたくらまれているが、ここまで悪辣なことはまずない。
言いたくない話だが、子供の頃からゲキガンガーを見て育っている我らには、基本的に『悪行をなす』ことに強い抵抗がある。『卑怯な振る舞い』とかもだ。軍を率いるともなるとそうとも言ってはいられないが、実は優人部隊の大半は、そういう卑怯な真似の出来ない男達が占めている。
これがいい事なのか悪い事なのかは、私には判らない。兄上はそれがどちらであっても、それに対応して事を為すだけだ。つまりはあまり気にしない。
私は護衛を兼ねて付いてきている優華部隊一同の事を頭に浮かべた。
割と型にはまっている優人部隊に対して、彼女たちはどちらかというと型破りがそろっている。型にはまった感じがするのは、隊長の千沙くらいか。彼女はどちらかというと、有事より平時に強いタイプだ。私と逆である。
今回は私の副官としてここにいる。まあ、本番以外では、いろいろ行事もある事だし、華やかな方がよかろうという兄の意見もあって、木連一行は全員女性である。
割を食ったのが私の正式な副官である氷室だ。まあ彼には私の抜けた穴を埋めるという大事な仕事がある。普段は目立たない男だが、こういう仕事を任せるときっちりとこなしてくれる。出過ぎた真似をする事もない。
覇気が足りない、とも言えるのが困りものだが。
それはさておき。
出発の見送りに来た兄上は、型どおりの挨拶の後、私に向かってそっと小声で言った。
「もしこれで襲われたりするようなら、地球もおしまいですね。そのときは私も覚悟を決めましょう」
何気ない口調でありながら、目は恐ろしいほど真剣であった。
……もし我々に何かあったら、そのときこそ地球の愚か者達は兄の本当の恐ろしさを思い知る事になるだろう。
私ですら、そんな事は想像したくない。
幸い何の問題もなく、我々は指定された場所へ到着した。
>AKITO
俺たちが最初に到着したのは、アツギの空軍施設だった。
戦艦と違って、シャトルならこちらの方が便利らしい。
「着いたよ〜」
操縦席から、ハルナののんびりとした声が響いてきた。
ここで休憩と出迎えを兼ねて、一旦地上に降りる事になる。
「やれやれ、ナデシコとかに慣れちゃうと、シャトルは狭くていけないな」
アカツキのやつが大きく伸びをした。
「はしたない真似をしてるんじゃありません」
エリナさんにたしなめられても気にせず、アカツキは首をゴキゴキいわせている。
「さて、と。ここを出たら僕は会長に戻らなきゃいけないからね。これくらい勘弁してくれたまえ」
「判っていればいいんです」
そして俺たちは、順次シャトルを下りていった。
下には軍用とは思えない、なかなか立派なバスが出迎えに来ていた。
立派そうな服を着た士官他数名が、俺たちのほうを見てびしっと敬礼をする。
「お出迎えに上がりました。当アツギ基地司令、サエジマ タカヒコであります」
「ご苦労」
この場では一番階級が上になるシュンさんが代表として挨拶を返す。
この後の予定はこの基地で昼食の後、ミスマル提督と合流、軍の飛行機に乗り換えてそのまま一気に西欧へ飛び、グラシス中将宅で一泊、翌朝ピースランドへ向かう事になっている。
但し翌日以降は、俺とルリちゃんは別行動だ。いわば主役のルリちゃんは、『お国入り』の時点からすでにセレモニーが始まっている。お祭り騒ぎの規模を考えても、前回みたいに王宮前へ直接空戦フレームで乗り付けるような事にはなるまい。
なにをやらされるのかがちと不安だが、まあ何とかなるだろう、と俺は思っている。
対面そのものを阻止しようとする馬鹿は、政治的にも経済的にもいないだろうからな。
そして俺たちは、のんびりとミスマル提督の到着を待った。
さすがにハルナの食欲には、この基地の人たちも目を丸くしていたけどな。
食後のコーヒーを飲み終え、一息ついたところに、ミスマル提督が到着した。
建前上上官の出迎えという事になるため、俺たちも基地の方々と一緒に、正面玄関へと向かった。
ちょうど整列したところに、提督の乗った車が着く。ドアが開き、提督が下りてくるのが見えた時、俺は隣でごそごそと動く気配を感じた。
ちらりと横目で見ると、ルリちゃんがなぜか耳をふさいでいる。
それがなにを意味するかを理解した時には、すでに遅かった。
「ユリカ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!」
随行員も形式もなにもかもぶっ飛ばして、ミスマル提督はユリカの元へと叫びながら駆け寄っていた。
俺はくらくらする頭を抱えつつも、何とかまわりを見渡した。
立っているのは、ルリちゃんとシュンさん、カズシさん、ジュン、そしてユリカにハルナだ。
ちなみにユリカとハルナ以外の人はしっかりと耳をふさいでいる。
「さ……流石ですね」
俺が小さな声でシュンさんに問いかけると、彼はニヤリという感じの笑みを浮かべながら答えた。
「提督の大声は有名だからな」
「俺は提督の真似をしただけさ」
カズシさんもついでに答える。
「しかし慣れてるのかね〜、艦長は」
カズシさんの視線の先では、ユリカとジュンが提督をとっちめていた。
「お父様、場所をわきまえてください!」
「そうですよ、全く……」
それは俺もユリカに言いたい、と思っていたら、ルリちゃんが小声で言っていた。
「……似たもの親子」
同感だった。
とまあ些細な(?)トラブルはあったものの、我々は再び機上の人となった。
窮屈なシャトルから、軍用とはいえVIPのために使われるコミューターになったため、居住性は遙かに良くなった。ハルナもパイロット稼業から解放されて、俺の隣でのんびりしている。ちなみに反対側はルリちゃんだ。
「しかしお前、本気で器用だな。シャトルの操縦免許、いつの間に取ったんだ?」
ナデシコ関連で乗っているのならともかく、地上に降りてくるとなると操縦技術があったとしても、それだけでは管制をくぐり抜けられない。シャトルのパイロット免許は、そう簡単には取れないものの筈なのだ。ハッキングなどでごまかすとしても、そうなると今度はハルナの年齢が問題になる。名目上は18以上で取れる免許だが、普通こういうものを習得するのは20過ぎてからである。
ちなみにハルナの答えは。
「軍に組み込まれたのを、めいっぱい利用したのよ。あっちが現状待機なんて事言うから、こっちはその間に免許取ったことにしちゃった」
「おいおい、イカサマ免許か?」
「ううん、一応正規免許だよ。軍で取得できるやつ。筆記試験はちゃんと受かってるし。ただ、実地試験をちょっとごまかしただけ。本当は担当官と一緒にフライトして点数もらわなきゃならないんだけど、その辺を少し」
「ほどほどにしとけよ」
「は〜い」
やれやれ……全くいつの間に、だ。
そんなことを思いつつも、俺はちらりとミスマル提督の方を見た。提督はユリカとなにやら小声で言い合いをしている。
お義父さん……
ふと、そう呼びたくなるのをこらえる。俺的には単なる感傷でも、迂闊に口に出したら全然別の意味になってしまう。
ユリカが暴走するのが見え見えだ。と、
「懐かしいんですか」
小声でルリちゃんが話しかけてきた。
……気づかれたか。
「まあね」
俺はそう答えた。
「一度は義父と呼んだ人だからな」
「そういえばあたしにとっても義理のお父さんなんだよね、ミスマル提督」
反対側からハルナも口を挟んできた。
「そういえばそんなこといってましたね、いつぞや」
ルリちゃんも横目で提督の方を見ながらいう。
俺は『前』で提督を義父さんと呼んでいたわけだが、ハルナの場合はいささか特殊だ。
血のつながりはないが、今は亡き奥さんの変則的な忘れ形見である。提督自身も、この辺の事情が判明したとき、ハルナに対して『義父と呼んでもいい』と明言している。
「だとすると……きちんと挨拶した方がいいかな?」
ハルナはそういうと、思い立ったが吉日といわんばかりに、提督の方へ向かっていった。
「はじめまして……かな? 提督。それとも、お父さん、っていった方がいいですか?」
「うおっ」
ユリカと話していたところに割り込まれて、流石に提督は驚いたようだった。ユリカの方は……何かほっとしている。どうやらあまり楽しくない話をしてていたようだった。
「そうそう、肝心なことを忘れてたわ! お父様、この子が噂のハルナちゃん。お父様とは血がつながらないけど、あたしの妹でアキトの妹。話には聞いているでしょうけど、会ったことはまだなかったよね?」
「私自身は、あの反乱騒ぎの時に一度お顔は見ていますけど」
「そういえばそっか」
……そういえばそうだな。ハルナの爆弾発言に真っ白になっていて、あの時ブリッジでまともだったのはユリカとハルナだけだったわけだし。
「おお……そういえば確かに。あの時、ブリッジにいた子だね」
「覚えててくれたんですか」
「ははは、職業柄な」
……いい雰囲気だな。提督の顔もどことなくゆるんでいる。
「顔形はそうでもないが、スタイルというか、体つきがあいつによく似ておるわい」
「顔はお父さんというか、お兄ちゃん似ですからね〜」
「……うむ、確かに」
「わっ」
いきなり提督に顔をのぞき込まれて、ハルナが少し焦っている。
「色合いが違うので受ける印象は違うが、確かにそっくりだわい」
それは俺も常々感じている。
もう少し肉体的に年を取ると変わってくるのだろうが、今の歳だとハルナが俺に似ているというより、俺がハルナに似ているという方が正しいかもしれない。
実のところこの時点での俺は結構女顔の美少年で通るからな。自覚は全然なかったが。
「まあちょっと変わった経緯ですけど、どんな形にせよ、よろしくお願いします。将来的にはお兄ちゃんも提督をお義父様と呼ぶことになるかもしれませんし」
その瞬間、俺とミスマル提督とユリカがそろって吹き出した。口に何も入れてなくて良かったぞ、全く。
「ハルナ!」
俺はハルナに駆け寄ると、思いっきり彼女に『梅干し』を決めた。
「言うに事欠いてなんて事言うんだ!」
そう言いつつぐりぐりと拳で頭を締め上げる。なに、銃弾すら跳ね返すハルナの頭だ。この程度で壊れたりはしない。
「痛い痛い痛い! ごめんなさい〜〜〜〜」
おっ、なんか素直に謝ってるな。
俺は手を離した。
「提督、すみません……全くなんて事言うんだ」
「いや、かまわんよ」
提督はむしろ親しげに俺に話しかけてきた。
「ユリカがこれではな……下手に反対しようものなら何をするか判ったもんじゃなさそうだ」
ん……? てっきり怒り出すかと思っていたんだが。『前』の提督の反応からすると。
ちらりとユリカの方を見ると、なんか変なモードに入ってしまっている。ぶつぶつとつぶやく言葉の内容からすると、なんかすでに新婚初夜にまで妄想が飛んでいるらしい。といっても『具体的行為』ではなく、シーツや枕の柄を選んでいるあたりらしい。
……聞いている方が恥ずかしくなってくる。
けど、提督のこれはちょっと意外な反応だったな。しかし……ユリカ、そろそろ戻ってこい。
と思っていたら、さりげなくハルナが言った。
「ま、もっともあくまでもお兄ちゃんがお姉ちゃんを選んだらの話だけどね。サラさんとかアリサさんとか、ライバルは多いし」
おいおい、と俺が思ったとき、不意に体が緊張した。殺気こそ反射的に押さえたものの、意識から何から戦闘モードに切り替わってしまった。
そしてそのままそっとまわりを伺った俺は……死ぬほど後悔した。
ユリカ&提督と、サラちゃん&アリサちゃんの間で、互いの視線がぶつかり合ってプラズマ化していた。
「ふっふっふっ……軍事上ではあの爺に先手を取られたが、婿取りでは譲る気はないぞ。お嬢さん方には恨みはないがな」
「アキトはあたしの王子様なの! サラさん達といえども譲れません!」
「それを決めるのはアキトさんです! あたしだって負けてはいません!」
「艦長……こればっかりは、そう簡単には譲れません」
どこからともなく、ゴゴゴゴゴという効果音が聞こえてきそうだった。
俺は気配を消したまま、そっと元の席にと戻った。
「モテるのも時によりけりだね、テンカワ君」
「全くだな」
後ろの方ではアカツキとシュンさんが、俺を肴にしていた。
勘弁してくださいよ……
>RURI
と、まあいい年をした大人の人たちが馬鹿をやっていますが、着実に時は過ぎていきます。
後1時間足らずで到着となる頃のことでした。
「テンカワ君、少し、いいかな」
ミスマル提督が奥のラウンジから、アキトさんを誘っていました。
「はい、何ですか?」
アキトさんも座席を立ってそちらに向かいます。
ちなみにユリカさん達は今、騒ぎ疲れて仮眠中。元々結構な強行軍でした上、コミューターも以前よりは遙かに安全とはいえ、万が一を考えてかなりゆっくりと飛んでいます。
ですから到着まで結構暇になるんですよね。
私もすることがないせいか、うとうととしていたところに、提督の声が届いたのでした。
アキトさんがそちらに向かった後、そっとまわりを見回してみると、誰も起きた気配はありません。
……いいえ、ナオさんだけは狸寝入りですね。というか、いつでも起きられるようにしたまま、体だけ休めている、という感じです。
プロですね、流石に。
後起きているのは私のすぐそばにいる人だけ。そう、ハルナさんです。
「ん? トイレかな、お兄ちゃん」
寝ていたことは寝ていたみたいですね。
「静かに。何かミスマル提督とお話があるみたいです」
私がそっと耳打ちすると、納得したようにこくりとうなずき、また寝てしまいました。
私も寝ようかと思ったのですが、気になって眠れません。
そっと立ち上がると、ラウンジに一番近い座席に座り直しました。
ついでに備え付けの雑誌を適当に一冊手に取ります……軍の広報でした。
大したことは書いてありません。というか私の知っている事実と違うことだらけです。
……連合軍、本気で危ないかもしれませんね。こんな嘘がまかり通るようじゃ。
ちょっと気になります。
私はアキトさんと提督のお話を気にしつつも、改めて広報に目を通しました。
…………
……
…
一つ判りました。
連合軍の腐敗っぷりは、どうも前回の比ではないようです。
優秀な人はあいかわらず優秀なようですが、無能な人がより無能になっているみたいです。
この調子だと、戦争が終わった後、連合軍を浄化しないと大変なことになりそうですね。前みたいに統合軍と連合軍が反発したりするのはまた問題ですけど、今のままの連合軍をそのまま存続させたら、必ずよくないことになります。
あとで連合軍の人事ファイルにハッキングを掛けて、この辺をちょっと調査してみましょう。場合によってはムネタケさんの助力も得た方がいいかもしれません。
と、背中の方から提督の大きな声が聞こえてきました。
声をひそめているつもりなんでしょうけど、地声が大きいですからね、提督……
かちゃかちゃというガラスと金属がぶつかる音がするということは、お酒でも出していたのでしょうか。
「じゃ、ちょっとだけ頂きます」
やっぱりそうみたいですね。でもアキトさんがそう言うということは、作っていたの、提督の方ですか?
「……テンカワ君」
少しして、提督の声がしました。
普段より一段、『重さ』を感じさせる声音です。
「君にはいろいろと迷惑を掛けるな。ナデシコが地球圏突破を図ったときには色々とあったが、いまさらその事は言わん。私自身は君の徴兵騒ぎの時、押さえようとしたのだが……押さえきれなかった」
「……いまさら、ですよ、それこそ。それに……我ながら意外ですが、あの出向は、いろいろな意味で自分のためになりました。今では却ってその方がよかった、と思っています。一旦ナデシコを離れたのも意味がありました」
「そうか……そう言ってくれると助かるよ。世間やほかの奴等が何といおうと、ここしばらくの地球は、殆ど君に守られていたようなものだからね、軍人として情けない話だが」
……自覚はあったんですね、提督。
ですが、続く言葉は、一転して鋭くなりました。
「が……その恩を自覚していて、私は君に問わねばならん。
なぜ君には、それだけの力があるのかね、と」
それと同時にアキトさんが気を引き締めたのが、壁越しに私にも感じられました。
「君の機動兵器の、パイロットとしての腕前はこの際おいておく。それとて常軌を逸したすごいものであるが、それはまだ有りうる話だ。エステバリスが配備されてまだ数年足らず。天才が埋もれていても何の不思議もない。だが、あのDFSや新型エステバリスの設計その他に関わり、また木連に関する情報を持っていることなどは、明らかに君がただの民間人であるとは思えないことを示している。テンカワ君……君は一体、何者なんだね」
「俺が答えると思っているのですか? 提督」
背筋が凍りそうに冷たい、アキトさんの返事。しかし提督は、それをさらりと流しました。
「いいや、思ってはいないよ。どんな理由があるにしろ、ここで私に語ってくれるようなことならそもそも秘密になどしまい。私が知りたかったのは、君が木連に関してどれほどのことを知っているのか、ただそれだけだよ」
「……提督?」
私も不思議です。なぜそういうことをアキトさんに言うのでしょう。
「恥ずかしい話だがな。私自身、軍のかなり中枢の位置にいながら、木星蜥蜴が木連という人類の一員であったという事実を、全く知ることが出来なかった。これは本来軍機なのだが、君には話してもいいだろう。実は現在の連合軍における事実上の最上位者である、ガトル大将もこのことを知らなかったといっている」
「えっ?」
私もびっくりしました。ガトル大将すら、知らない、ですか?
いくら何でもそんなことはないと思っていましたが。けど、ここでミスマル提督が嘘を付く理由はありません。
提督自身がだまされているか、すべてが真実かの、どちらかです。
「テンカワ君、シビリアン・コントロールという言葉を知っているかね?」
と、突然提督は話題を変えてきました。
「それはもちろん、知っていますが」
「ガトル大将は連合軍内部に於いては最上位者であるが、真にそうであるわけではない。連合軍は、連合政府主席を長とし、主席によって任命される連合軍長官を実質の最高指揮官とするとされている。つまり『軍』という組織に所属しているものの中では現在最上位のガトル大将にも、連合政府の主席と軍長官という二人の上司が存在することになる。
そしてだな……嘆かわしいことだが、この二人には軍内部の人間より遙かに買収が効きやすいのだよ」
それって、つまり……
「つまり、木連側の主張している対話要求は、そのラインによって握りつぶされたということですか」
「正確なところは、現在ムネタケ君……ああ、君たちのよく知っている提督ではなく、お父上のヨシサダ氏の方だが、彼が今内偵している。ここに来る前にその予備調査が出たが、この情報はどうやらまずオセアニアにもたらされ、次いで極東経由でアメリカにまわり、そこから軍長官に行ったらしいことは確認されている。だがどうもその辺で情報はぴたりと押さえられた。ここに来る前に聞いた最新の報告によると……あまり言いたくない話だがな、どうもネルガルが大規模な工作を行った跡がある」
それは私も薄々感じていました。きっとアキトさんもでしょう。
前回のことを鑑みるに、この対話要求を抑えられたのは、ネルガルかクリムゾンしかありません。
「ありそうな話ですね」
アキトさんも頷いているようでした。
「現に例の演説や調査結果を照らし合わせてみると、彼らが対話要求を提出した時期の直後、ネルガルの動きが明らかに活性化している。ナデシコ級の建造計画はその時より加速していることも間違いない。
そして、前会長が事故で亡くなったのもその後だ。事故だったのかは、少し怪しいようだがね」
私は身を乗り出して、壁に耳を付けていました。はしたないですが、だんだん声のボリュームが下がってきて、聞き取りにくくなってきたものですから。
「俺は、その辺の事情については大したことは知りません」
アキトさんは、そう切り返しました。
と、その時でした。
「ルリ君、何をしてるんだい?」
「ひゃ!」
いきなり後ろから声を掛けられて、思わず悲鳴を上げそうになってしまいました。慌てて口を押さえます。
口を押さえたまま振り向くと、やや寝ぼけ眼のアカツキさんが私の方を見ていました。
私は口を押さえていた手を外し、指を一本立てて改めて口に当てました。
『静かに』のサインです。
アカツキさんもすぐに口を閉じました。
「今アキトさんと提督が、何か大事な話をしているみたいなんです」
「そういうことか」
お互い蚊の鳴くような声でやりとりをします。
と。
「ん、どう……きゃ(モゴモゴ)」
エリナさんも目を覚ましてしまいました。慌てて二人がかりで押さえ込みます。
(何するのよ!)
(今テンカワ君とミスマル提督が奥のラウンジで密談中だ)
(そういうことなの? 判ったわ)
結局壁には、いい年した大人二人とエラそうなことを言っている子供(中身大人)が張り付くことになりました。
バカばっか。私もですけど。
「ですが、確かにこの時期、ネルガルがこの情報を押さえに掛かったことは理解できます……俺の父親が死んだのも、火星の遺跡より見いだされた数々の新発見を巡ってのことだと聞いています。そういったいろいろな犠牲の上にネルガルが育ててきた果実が、今まさに収穫されようとした時に、木連は現れたのですからね」
「なるほど……そういえば私もあのころは火星にいたな。よくユリカが君と遊んでいたのを見たものだよ」
「そういえば……そうですね」
アキトさんの声に憧憬が混じります。
「だから判らんのだよ、私には」
一転して提督の声はキツくなりました。
「私はあのころの君を見ている。素直な、よい少年であった。そして人間、変わるときは変わるものだが、今の君のようになるには、時はあまりにも短い」
アキトさんは無言でした。
「失礼だが君のことは調査させてもらった。そして少なくとも3年前、16歳の君が、火星で生活していたことは知っている。そしてあの悲劇の時、ユートピアコロニーにいたはずだということも」
「…………」
「ところがその後君は、なぜか地球圏に現れ、サセボの雪谷食堂で働いている。そしてそこを首になった直後、君はなぜか発進間際のナデシコに搭乗。ネルガルへの就職もまさにその時だ。
……普通に考えたら、恐ろしい結論が出てしまうことになるんだがね」
……確かに。
表面上の事実だけを追っていくと、とんでもない結論が出てしまいます。
「僕も大変に興味深いね、それは」
私の耳元で、アカツキさんも言っています。
「もっとも彼がテンカワ君本人であることは、出発時の遺伝子チェックで判明しているから、彼が謎の1年の間に別人になっていたなんて事はないって判っているけどね。まだ極東の連合軍には、ボソンジャンプの詳しい情報は知られていないはずだし」
「判っているなら脅かさないでください」
「いや、でも提督はどう思うかな」
それもそうです。ボソンジャンプによって火星から地球に瞬間移動した……この事実を認識しないままにアキトさんの来歴を調査したら、どこをどうとってもまともな解釈が出ません。
「意外かもしれんが、私は君が、私の知っている、あの『アキト君』とは別人だなどとは思っとらんよ」
「……そうですか?」
「調査を担当したものや、一部の者は君がネルガル、他の企業体、ことによると木連からのエージェントではないかなどと疑っていたがね。しかしそうでないことは先程確認した」
「先程?」
??? どういう事でしょう。
「ユリカに君のことをいろいろ言ってみたがね……あれの反応は、私の思ったとおりだったよ。もし君が別人だとしたら、あれに気がつかれないはずはない」
言えてます。おそらく他の誰よりも鈍くてかつ鋭い……それがユリカさんという人です。
表情は見えませんが、アキトさんの雰囲気が明らかに変わった感じがしました。
きっと苦笑いでも浮かべていると思います。
「そうかもしれませんね……ユリカは、どこまで行ってもユリカですから」
「流石だな。で、話は戻るが、いまさら聞いたところで君が何か答えてくれるわけもあるまい。だが軍人として、これから戦う相手……まあ、次の闘いは『交渉』という非暴力的な闘いだが、それを有利に進めるためには、出来るだけ相手のことを知っておきたい。君の語れる範囲のことでかまわんから、少し教えてくれんかな」
「判りました。なら以前、西欧出向中にグラシス中将やオオサキ司令に説明した範囲のことは教えましょう。ネルガルの企業秘密も少し混じっていますが、そこを隠したら話になりませんしね。それにどうせ到着したら、グラシス中将からも聞ける話です。だとしたら変な話ですが……グラシス中将からこのことを聞かされるのは、きっと提督の面子にも関わるでしょうし」
「それは助かる……やつの下に見られるのは勘弁して欲しいからな」
そしてアキトさんは、簡単に西欧での出来事をミスマル提督に説明していきました。
「やれやれ……こうしてボソンジャンプの秘密は漏洩していくんだな」
アカツキさんはそう言いましたが、言葉とは裏腹に表情は真剣です。エリナさんも、ツッコミ一つ入れずにアキトさんの話に聞き入っています。
無理もありません。一応の報告や話は聞いていても、アキトさんの西欧時代の話は、当時の同僚だったアリサさん達しか知らないのですから。
私ですらそうなんですし。
……結構長い話になりました。一区切り付いた時は、到着間近になっていました。
アキトさんが立ち上がる気配がしたので、私達は慌てて元の座席に戻ろうとして……ちょっとびっくりしました。
「ほれ」
いつの間にかナオさんが立っていました。私達に向けて、熱いおしぼりを差し出します。
「3人とも……ほっぺたに網目が付いてるぜ」
私達は素直におしぼりを受け取ると、壁に密着していた側の頬におしぼりを掛けて、座席で寝たふりをしました。
もうすぐ、西欧に到着です。
>NAO
やれやれ、やっとここまでたどり着いたか。
俺は自然と心がうきうきしてくるのを押さえきれなかった。
何故かって? それを聞くのは野暮って言うもんだ。
こうして着陸準備のために締めているシートベルトでさえ、この俺を止めることは出来ない……なんて言いたくなるくらいな。
なんて馬鹿なことを考えている間に、飛行機は無事に着地した。
タラップが横付けされ、分厚い扉が開く。
その時俺は、何故か
『帰ってきたか……』
と思った。
この西欧の地、アキトやMoonNightの面々とかけずり回ったこの地は、たった3ヶ月足らずの間に俺の第2の……いや、下手すると第1の故郷になってたんだということを実感した。
理由はもちろん、あいつがいるせいだ。
ちなみにここでは荷物の移動などの間休憩するだけだ。後は軍の車に分乗して、そのままグラシス提督の家に直行することになっている。
ちなみにこの基地の休憩室はそれほど豪華じゃない。設備よりも場所を優先して到着地点が決まった関係だ。
もっともそんな程度のことで不満を言うようなボケは此処にはいない。むしろナデシコの食堂に似た雰囲気のこの場所に、馴染みまくっている奴等ばっかりだった。
実際、待つほどのこともなかった。
ちなみにここから中将の家まで、4人ずつ3台の車に分乗することになるのだが、その組み合わせで火花が散っていた。
アキトとルリちゃんはまあ一緒だろう。となると残る2つの席に座るのは誰か……で、艦長とサラちゃんとアリサと、そしてさりげなくエリナ女史がにらみ合っていたのだ。
おお、怖い怖い。
ま、結局の所、アキトと同じ車はサラちゃんとアリサちゃんに持って行かれた。流石にここは二人のホーム。アウェイでは厳しかったか。
そして残りは、ミスマル提督、艦長、ジュン、ハルナと、オオサキ提督、カズシ副提督、アカツキ会長、エリナ女史の組み合わせになった。
俺? 俺は護衛だぞ。当然護衛対象と一緒に決まっているだろう。ほかの車にだってちゃんと護衛官が同乗している。
もっともあの『漆黒の戦神』が乗っている車に、わざわざ護衛官が必要かどうかは判らんけどな。
予定ではこの基地から中将の邸宅まで約1時間。
長い1時間になりそうだ。
>SARA
ここから1時間、ちょっと幸せな時間が待っています。
軍のVIPカーで、おじいさまの家までのドライブ、というとちょっと不謹慎ですが、いくらVIPカーとはいえ車の中、4人で対面席に座っていると言うことは、かなり距離が縮まっていると言うことでもあるのです。
アキトさんの隣は、まあ当然ですがルリちゃんの物でした。これは仕方ありません。そしてアリサとどっちがアキトさんの正面の席を取るかでくじ引きをした結果……私が勝ちました。
ですからこうして前を見ると、そこには今まで以上の近距離にアキトさんの顔があるのです。
ちょっと、どきどきします。
「そういえばルリちゃんはこっち来るの初めてだったよな」
前の助手席から、ナオさんが声を掛けてきます。
なんか、微妙に固まっていた私達の雰囲気を察してくれたようです。
「……はい、一応はそうなると思います」
うーん、微妙。よくよく考えてみると、ルリちゃんはこっちの出身になるわけだし。
「まあ、でもきっと、これから行くところは違うと思うよ」
アキトさんがフォローを入れていました。と。
「アキトさん……聞いていいですか? こっちにいる間、どんなことを見てきたのか」
ふっ、と沈黙が下りました。
私はかいま見たアキトさんの昏い部分……それをルリちゃんに言っていいものかどうか、ちょっと心配になりました。
でもあのことはそう隠しておけるものでもありません。
アキトさんも、ふっと寂しげな目になりましたが、ゆっくりと、静かに言いました。
「そうだな……ルリちゃんには、話してもいいか」
そういったアキトさんを見て、ナオさんが何かごそごそしています……あ、前の席との間に、仕切りが上がってきました。
運転手さんに聞かせたくない話をする時のものですね。
仕切り板が上がりきったのを確認して、アキトさんはそっと口を開きました。
「こっちではいろいろあった、としか大まかには言えないな。最初の襲撃でサラちゃんに出会って、アリサちゃんやレイナちゃんも来て、ナオさんとも再会して……だけどそういうことは、ルリちゃんもナデシコに来て見ていると思う。だから俺が話した方がいいと思うのは……テアさん一家の話だ。元々は基地出入りの食料品店一家で、でも、いろいろなところで複雑に絡んだ事情を持つ人だった……」
アキトさんの目に、ふっと寂しさとも悲しさともつかない、不思議な哀感がよぎりました。
「テアさん一家はオヤジさんと娘二人、今はナオさんの婚約者になったミリアさんと、妹のメティス……メティちゃん、そしてたまたま拾われたクラウドさんがいた。そのままならただの人として、将来的にはクラウドさんとミリアさんあたりが仲良くなって結婚していたかもしれなかった。けど……俺がいたせいで、テアさん一家の運命は激変してしまったんだ」
「善きにつけ、悪しきにつけ、だけどね」
アリサが脇から言いました。東洋のことわざに『人生万事塞翁が馬』という言葉があるそうですね。いいことが必ずしもいいことばかりとは限らない。悪いこともまた同様だ、という意味らしいですけど。まさにテアさん一家の運命はそんな感じです。
じっと聞くルリちゃんに、アキトさんは言葉を続けました。
「一つはクラウドさん……八雲さんとの出会い。彼には西欧のみんなが助けられたと言っても過言じゃない。西欧でMOON NIGHTがあれだけ驚異的な成果を上げられた裏には、俺たちの力を200%発揮させてくれる、彼の存在があったんだ。ある意味正体不明だったにもかかわらず、みんな彼を頼りにしていたよ。変な話、彼がああして敵に回った今、彼の恐ろしさを誰よりも知っているのは、当時の仲間だったみんな……とりわけオオサキ司令だと俺は思う。
でもね、それでも、そうであっても、グラシス中将やかつての仲間達は、彼を裏切り者だなんて思ったりはしないだろうね」
ルリちゃんは小さく、こくりと、首を縦に振りました。
「そしてもう一つ、ミリアさんとナオさんを巡る事件。こっちに至っては、運命の皮肉、っていうやつをいやと言うほど感じさせられた。極端な話、俺が西欧に出向くことがなければ、あの二人の出会いはおそらくあり得なかった。俺が触媒になって、解かれていたはずの呪いが甦ってしまったんだ。ま、最後はハルナのやつが効かせてくれた機転で事なきを得たんだけどね」
そういえばその辺は流石に私達も知りませんね。あの基地の中での出来事は、流石にアキトさんもハルナちゃんも語ってくれませんでしたから。
「ミリアさんもナオさんも、本人はそれと知らぬまま、かつてクリムゾンで遺伝子操作による実験を受けていたんだ。実質的には失敗していて、二人ともただの一般人として生きていけたはずだった。けど、その二人が出会った時、『呪い』は発動した。
女神計画、と言われていたそうだ。人間の間に、絶対的な上下関係を刷り込む方法、とだけ覚えていてくれればいい。それ以上のことは……俺もあまり言いたくない。他人のプライバシーに踏み込む話になるしね。
まあ幸い、ある意味完璧すぎたせいで、今はその呪いも解かれているけど、クリムゾンをはじめとする、この技術の存在を知るものは、そう簡単に諦めないと思う」
「だから教えてくれたんですね」
打てば響くように、ルリちゃんは答えました。
私はその時、何か途方もない違和感をルリちゃんから感じました。
何故、と問われても説明できません。しかし私は、その時のルリちゃんが、私より年上に見えました。
一瞬だけ瞳に籠もった光。ナノマシンのそれとは違う、人の心に映る光。
そんな不思議な力強さを、その光は湛えていました。
「アキトさん、ちょっと聞いていいですか?」
と、私の隣から、アリサがアキトさんに声を掛けました。
ただ……何かものすごく張りつめた声です。
「アキトさんとルリちゃんに、何か秘密があるっていうのはこの間のことで判っています。ですけどひょっとして……アキトさん達、最初から解っていたんですか? クリムゾングループが、この事件の裏で何か動いているって」
一瞬、それを聞いて二人ともぽかんとした表情を浮かべました。
恥ずかしながら、私もです。
「アリサ……」
私は声を掛けましたが、アリサはそれを無視して言葉を続けました。
「もちろんクリムゾンのことは、以前アキトさんから聞きました。けど……今のアキトさん達を見ていると、なんだか一番最初から……最初というか、アキトさんがこちらに来るずっと以前から、クリムゾンのことを知っていたみたいに見えます。そして……ルリちゃんも」
「アリサ!」
さすがに私は、アリサを止めに回りました。
「姉さん……」
「落ち着きなさい、アリサ」
私は、私自身も何となく感じていたことを振り切って言います。
「アキトさんには普通の人とは違う何かがある……そんなことは私にだって判ります。でもね……それを聞いてどうしようって言うの?」
アリサは、ハッと目を見開きました。
そして何故か、アキトさんとルリちゃんも。
「確かにアキトさんはすごい人よ。腕前も何もかも。そして……普通の人が知り得ないこともいっぱい知っている。クリムゾンやネルガルの思惑、ボソンジャンプ、そして木連のこと……確かに不思議よ。けどね、それが何故なのかをあたし達が知っていた方がいいのなら、隠す人じゃないわ、アキトさんは」
「サラさん……」
ルリちゃんが、私の方を見上げています。
その目はどこか寂しげで、何となく泣き出しそうでした。
それを見て、私は何となく判りました。
「アリサ、大きな秘密って言うのは、たぶん、隠している方もつらいのよ」
アリサにそういった後、私はアキトさんの方に向き直りました。
「アキトさん、つらくなったらいつでも言ってください。私達も、提督達や艦長達も、そしてナデシコのみんなも……みんなアキトさんのことを信じていると思いますから」
「……ありがとう、サラちゃん」
アキトさんは、小さな声でそう言ってくれました。
「けど……この件は本当にまだ早いんだ。ナデシコでも言ったけどね。すべての決着がつくまで、たぶん明かすことは出来ない」
「いいですよ、無理しなくても」
私はそう、アキトさんとルリちゃんに向かって言いました。
「アキトさんがアキトさんであることには、なんの変わりもないんですから」
>JUN
「くやしいくやしいくやしい〜〜〜」
やれやれ、ユリカのやつ、荒れ模様だな。
そんなにくじ引きで負けたのが悔しかったのかい?……だろうな。
「これ、少しは静かにしなさい」
提督もさすがにユリカを小声で叱った。
「は〜い……」
ほっ。とりあえず黙ってくれたか。
「大丈夫だって、お姉ちゃん。ルリちゃんも乗ってるんだし」
ハルナちゃんは気楽に言う。僕も同感だけどね。
車が静かに動き出してからも、ユリカは前を走るテンカワの乗る車の方を見つめていた。
僕も見てみるが、別段変なところはない。ただ話をしているだけみたいだ。
気にはなるが、僕はユリカを見ている方が楽しいしね。それにただ前を見ていればいいユリカと違って、僕が前の車を見ようとしたら、首をひねって後ろを向いてなきゃいけない。
そんな不自然な格好なんかしてられるかっていうんだ。
けど、ユリカがそんな調子なせいか、車内にはなんか気まずい雰囲気が漂っていた。
それに耐えかねたのか、ハルナちゃんがポケットから何か取り出してごそごそとやり始めた。
携帯用の端末かな、あれは。見たことのないタイプだ。
「何かね、それは」
提督も気になったのか、ハルナちゃんに聞いている。彼女は端末の画面を見つめたまま、それに答えた。
「ん……これ? ただの端末よ。占いソフト立ち上げてるだけ。これ、ものすご〜く当たるのよね」
「ほう……そうか?」
提督、占いなんて興味あったんですか?……いや、どっちかというと、ハルナちゃんのやることに興味があるのか。
「う〜ん、あたしはいまいちかあ。おとなしくしてよ……みんなも興味ある?」
「うんうん」
「うむ」
提督とユリカが、同じ様に首を上げ下げした。こうしてみるとやっぱり親子なんだな。仕草がそっくりだ。
彼女はそのまま端末になにやら打ち込みはじめ、しばらくして顔を上げた。
その顔がなぜか困惑に包まれている。
「どうかしたの?」
思わずそう聞いた僕に、彼女は困惑顔そのままに言った。
「珍しい……3人とも同じ結果だよ」
「同じ?」
「うん。これね、格言占いっていって、その人にもっとも必要とされている格言でアドバイスをくれる占いなんだ。で、この先のことを占ってみたら、見事に三人とも答えが一緒だったの。これ、かなりいろいろ格言入っているから、ダブったりすること滅多にないんだけどなあ」
そういって彼女は端末の画面を、みんなに見えるように拡大する。彼女の手元に張り付いていた画面が、みんなの前に立ち上がった。
そこには、こう表示されていた。
『信じるものは救われる』
「何だかな〜」
そうつぶやいた彼女は、さらにいくつかキーを操作する。すると補足説明のようなものが出てきた。
「わ、ここまで一致してる。こりゃなんかあるよ」
「ふ〜ん」
ユリカも興味深げにその文字を見つめる。
あなたの周りに、『裏切り』の気配が漂っています。あなたは身近な何かに『裏切られた』という思いを抱くことでしょう。でもそこでじっと我慢。相手のことを信じましょう。そうすればあなたに幸運が舞い降ります。逆に相手を疑うのは大凶です。
「どういう意味なんだろう、これ」
「そうね、お姉ちゃんなら……」
ハルナちゃんはユリカの顔を見つめながら言う。
「お兄ちゃんが浮気、というか、他の人と仲良くしているように見える、とか。見知らぬ、あるいは見知った女の子と二人っきりで木陰に消えていくとか……」
「だめだめだめだめだめ〜〜〜〜〜〜っ! アキトはあたしが好きで、あたしはアキトが好きなの〜〜〜〜っ!」
さ、さすがにうるさいよ、ユリカ。
「もう、落ち着いてって。ところが実際には、親切なお兄ちゃんが、気分の悪くなった女性を介抱してあげただけだった。ってあたりじゃないかな。そんなときに騒いだら絶対逆効果だよ」
「なるほど……なんかありそうな話ね……」
僕も同感だよ、ユリカ……
実際、十分ありえそうだしね。
「でもね……」
と、ハルナちゃんの顔が暗くなった。
「お姉ちゃんだけならせいぜいこんなもんなんだろうけど、ジュンさんに提督まで同じとなると、ちょっと微妙〜ってかんじが」
「そっか……って、そんなに当たるの? この占い」
あ……よくよく考えてみれば、ただの占いじゃないか。いつのまりかつり込まれちゃってたし。
そしてユリカの問いに、ハルナちゃんはこう答えた。
「これね、ズバリと答えを出したりはしないから、ある意味いい加減なんだけど、少なくとも私、この占いの結果出てきた格言に、思い当たらなかったことないよ」
「む〜」
ユリカも唸ったまま、黙り込んでしまった。
しかし……そんなに当たるのかい、その占い。
僕も試しに占ってもらおうかな、ユリカとの恋愛運を……やめといた方が無難か。
>KAZUSHI
「すまんが遮音壁を立ててくれないか? これから我々は、重要な機密に関わる話をする。聞きたいと思うかもしれないが、聞いたらいろいろな意味で後悔する話だ」
車が走り出したとたん、副提督……じゃなくって提督は運転手と護衛官に脅しを掛けた。
すると直ぐにするすると遮音壁があがってくる。ちらりと見た顔付きからすると、素直に従ってるな、ありゃ。どうやらスパイの線はなさそうだ。
「で、提督。わざわざ内密の話ですか?」
「まあな」
アカツキ会長の言葉に、提督は真顔で答えた。
「正直なところを聞きたい……ネルガルとしては、この和平案、得か? 損か?」
しばし車の中を、沈黙が支配した。
いやはや、さすがというか大胆というか……提督、ひょっとしてナデシコに乗って、何というか、影響受けてませんか?
そしてその沈黙を破ったのは、アカツキ会長の答えだった。
「ズバリ言うと、単純に考えた場合……大損だよ、正直なところ。ただし、これはテンカワ君という要素を抜いての話だけどね」
「ああ、俺もその線での答えが聞きたかった」
提督もそう返す。なんというか……もはや俺にはついて行けそうにないな。
「正直なところ、テンカワのやつには悪いが、あいつの持っている『切り札』を抜きにしたら、この戦争、俺の見立てでは絶対に和平なんか無理だって気がするからな」
「そりゃまた過激な」
「わかっているんだろう?」
おちょくる様なアカツキ会長の言葉にも動じない提督。
「まあね」
会長もうなずいていた。
「ボソンジャンプ、相転移エンジン、その他諸々の先端技術。かっこいいこと言っても、その大本は火星から発掘された古代遺跡よりもたらされたテクノロジーだ。そして木連は、その遺跡の、現役の現物を持っている。今はまだこっちが勝っているけど、いずれは抜かれるだろうね。そうなったらネルガルはおしまいだよ。つまりネルガルとしては、企業体としての利益を守るためにも、木連に対して決定的な打撃を与えるか経済的なイニシアチブをとる必要がある。ましてやテンカワ君からの情報で、すでにクリムゾングループが木連とかなり深い関係があるとわかったからにはね。彼のくれた切り札を持ってしても、たぶん決定的な優位を得られるまでは行かない。となると残る札はただ一枚」
「テンカワが最後まで押さえている札……そしてたぶん、ハルナ君も一枚かんでいる、最大の切り札。それをこちらが押さえる必要があるという訳か、会長」
おほっ、エリナ女史、おっかない顔をしているなあ。
「さすがですね、オオサキ提督。そこまでお見通しですか」
アカツキ会長は、ナデシコクルーの目の前では見せない、きまじめな顔になって提督に答えた。
「……やっぱり、そう思っていたか」
提督も、どことなく疲れた顔でうなずいた。
「ボソンジャンプの完全制御、だろう」
会長と有能な秘書は、沈黙を以ってそれを肯定した。
「俺も同感だ……でな、会長。俺としてはハッキリさせておきたい。会長はネルガルが潰れるのを覚悟の上で、テンカワというカードに全財産を賭ける気かい? それともそこまでの博打は打たないかな?」
「選択の余地はない、と言っておくかな」
会長はちょっと疲れた様子で答えた。
「提督も知っての通り、その気になればテンカワ君は僕を排除することもできる。その気はないみたいだけどね。ネルガルとしては望む望まないにかかわらず、彼の言うことを聞くしかないのさ」
「……なるほど。その気はある訳か」
そういわれたとたん、へらへらしていた会長の顔にしわが寄った。
「これだから勘というか、洞察の鋭い人間と話すのは怖いね。エリナ君もそう思わないかい」
「同感ですわ」
やれやれ、とばかりに、エリナ女史も肩をすくめた。
「実際のところはね、賭とかそんなことに関係なく、ネルガルとしては彼に賭けるしかないのよ。この戦い、テンカワ君が勝たないことにはネルガルの勝ちもない、一蓮托生のレベルまで来ちゃっているんですもの」
「そもそも和平以前の話になるからね、そうなったら」
提督もしみじみと頷いた。
「それもそうか……悪い、ちょっと言い過ぎたかも知れん」
そういって軽く頭を下げた提督は、視線を戻し、言葉をつづけた。
「テンカワにもこのことは言っておく。和平が成ったとしても、おまえが何とかしないと、ネルガルは潰れるってな。おまえさんの口から言ったら角が立つだろう?」
「感謝しますよ、提督」
そこで会話はとぎれた。しばらく後、何となく寝ぼけた雰囲気の中、会長は遠い目をしてぼそりと言った。
「さて、テンカワ君……君の目は、どこまで未来を見据えているのかな。和平そのものは君の力を持ってすればそう難しくはないだろうけど……それを維持するのは、たぶん君の想像以上に難しいよ」
全くだ、と、俺も腹の中で思った。
その2