再び・時の流れに。
外伝/漆黒の戦神
第六章 『戦神激怒』
その人は、全身を鮮血にまみれさせて戻ってきました。
無数の怪我を負いながら、私を見て、たった一言。
「すまん……メティちゃんを、守りきれなかった」
そう言って、意識を失いました。
そして、テンカワさんも、先ほど運ばれていきました。
ハルナさんも、犠牲になったそうです。
何故……こんな事に。
私は、何も考えられませんでした。
>SHUN
「と、まあ、こんな状況でした」
軍病院で事の顛末を聞いたとき、俺はナオが生きていたことに感謝した。
ハルナちゃんがメティちゃんと共に崖から落ちた後、アキトは狂った。
ナオに言わせると、
『ハルナちゃんが以前食堂で言っていた台詞の意味が、いやという程良く分かった』
とのことである。
もしあの場にナオがいなければ、アキトが浴びていたのは鮮血だけにはとどまらなかっただろう。
取り残された五人を、アキトは引き裂いた。ナオが割って入らねば、間違いなく全員、五体をバラバラに引きちぎられていたという。
ナオの奴は、はからずしも己が望んでいた、『真に本気になったアキト』と対戦することが出来た。
その結果がこれである。
全身をずたずたにされながらも、ナオはアキトに呼びかけた。
それが功を奏した。
さすがのナオでも後一歩と言うところで、アキトの目に光が戻ってきた。
『ナオ……さん?』
『やっと気がついたか、アキト』
そこでナオは崩れ落ち、アキトは血の涙を流して叫んでいた。
そこに我々が到着したのだ。
「まあ、死者がなくて何よりだ……どんな事情があろうとも、アキトが殺人をするのはまずい。俺たちは英雄になっちまっただけに、ネガティブキャンペーンを打たれるのはまずいからな」
意図的に気取った物言いで俺は言う。ナオの奴は、俺の意図を勘違いすることなく受け取った。
「そうですね。事実など、いくらでもごまかしが利きますからね。まあ、連中がそんな早まった手を打つとも思えませんが」
そこでナオは表情を切り替える。
「アキトの奴は……どうしてます?」
「何とか落ち着いた……。3日間は、あいつを監禁しとかなきゃならなかったがな」
あいつはあの日以来荒れ狂った。目につくものをことごとく破壊し続けて。
さすがにサラ君やアリサ君も、あのアキトには近づけなかった。いや、近づけさせられなかった。
あの時のアキトは、サラ君やアリサ君であろうとも、ためらわずに破壊しただろうから。
どうにか暴れなくなったのは今朝からだ。だからこそ、俺もここにこうして事情を聞きにこれた。
「そうですか……それはよかった。俺も今日中には退院出来そうですから」
「おい……ほんとか?」
俺の見立てでは全治1ヶ月だったんだが。
「これだけが自慢でして。昔っから、代謝が活発って言うのか、怪我の直りだけは早くってね。こういう稼業だと助かりますよ」
「それはこっちも助かる。何しろこんな事情だ。誰が狙われるか分かったもんじゃないからな」
テツヤのことは、既に報告書を受け取っていた。こいつが、意識を取り戻すと共に口述筆記で送りつけてきたのだ。
読んでみて、何故こいつがそこまであわてたのかが理解出来た。
クリムゾングループ・真紅の牙所属のエージェント。
そして殺人に禁忌がない。ターゲットにとって親しい人物をためらいなく殺し、ターゲットがこちらの意図を飲まなければ次々と殺しを続けられる。
とんでもない奴だ。
こうなるとこちらはどうしても受けにまわらざるを得なくなる。
「ナオ、そういうことなら退院次第ガードについて欲しい。表向きはまだ病院にいる事にしてだ」
「サラちゃんですか」
そういうと思ったが……まだ甘いな。諜報員としての腕は、1.2流くらいか。
「外れだ。サラ君のまわりには、一応軍の仲間がついている。こういうとき、腕利きなら、狙うのはただ1人……ミリア君だ」
「なにいいっ!」
その瞬間、ナオは跳ね起きて俺につかみかかってきた。
退院出来るって言うのはほんとだな、こりゃ。
「冷静に考えて見ろ。アキトの性格からすれば、無関係な人物でも相当堪える。サラ君やアリサ君ならよりいっそう効果的だが……この場合、復讐心に猛ったMoon Night全員が相手だ。いくらあいつが優秀でもそう簡単に手は出せまい。何せこっちは西欧最強の猛者だぞ? テロ行為でどうにかなるほど甘くはない。アキトのために差し違えてもかまわないって言う奴はいくらでもいるからな。だとすれば狙いはただ1人、親友の思い人で、メティの姉でもあるミリアさんただ1人だ。違うか?」
「……確かに」
奥歯をギリリと噛みしめながら、ナオはうなずいた。
「そこでお前には彼女を影から護衛して欲しい。本当なら堂々と貼り付けさせてやりたいんだが、そうしたら奴らはターゲットを替えるだけだ。それじゃ何にもならん。分かってくれるか」
「ええ」
ナオははっきりと言った。
「蛇は頭を潰さなきゃ死にませんからね……今の危険を怖れたら、生涯震え続けることになる。任せてください」
「頼んだぞ」
後は何も言うことはない。俺はそのまま、病室を後にした。
>REINA
今回のことは、みんなの間に、大きな傷を残した。
この人もその1人だ。
「……入るよ、サイトウ君」
あたしは鍵のかかっていない……いえ、鍵の壊れた彼の部屋に入っていった。
両手には食事のトレー。彼はここ数日、ご飯を食べていない。
部屋の中もめちゃくちゃだった。
アキトさんより遥かに大人しいのが、何というか救いのような気がする。あっちはこんなもんじゃなかったから。
重営倉の壁に穴を開けるなんて、どういう作りをしているのよ。
それはともかく、私はトレーを、何とか作ったテーブルの隙間の上に置くと、ベットでうずくまっている彼に声を掛けた。
「泣いているのも仕方ないけど……何か食べないと体こわすぞ」
反応はなかった。
少し頭に来たあたしは、ふと思いついてこんな事を言った。
「それともハルナの後を追う気? だったら餓死なんかじゃなくって、さっさと首をくくるか手首でも切ったら? 今なら誰も止めないわよ」
その瞬間、彼は反応した。いきなり手首を掴まれ、そのままベットに押し倒された。
「な、なにするのよっ! 鍵、開いてんのよっ! あたしはハルナじゃないっ!」
そう叫んでサイトウの馬鹿の顔を見たあたしは、そのまま舌の根が凍ってしまった。
情欲に狂っていたとか、憤怒に燃えていたとかなら、抵抗出来た。最終的にヤバいことになっても、みんなが駆けつけてくる間くらいは持ちこたえられたと思う。
でも、こいつの瞳には、何も映っていなかった。
虚無、と言うものを見る目がどんなものなのか、あたしにもはっきりと分かった。
空っぽなのだ、今のサイトウは。
そしてあたしの口から出たのは、自分でも思ってもいなかったような台詞だった。
「いいよ……あんたが元気になるんなら、処女くらいくれてやる……」
それは、あたしというより、女が、母となる存在が持っている本能のようなものだったのかも知れない。
ただ、放っておけなかった。それだけだ。
けど、意外なことに、そう言ったらサイトウの瞳に光が戻りはじめた。
「……レイナ……さん?」
こいつ、ひょっとして本当にあたしをハルナと間違えてたのか?
そう思ったらいきなりムカついてきた。
「そうよ。で、どうするの? このまま一発決める気?」
そういったら、あいつはいきなりベッドから飛び降りると、米つきバッタみたいに頭を上げ下げした。むろん、土下座でだ。
「すみませんすみませんすみません!」
ひたすらすみませんを繰り返すこいつを見ていたら、なんだか可笑しくなってきた。
変な話だけど、元気が出たじゃないか、こいつ。
「もういいよ……元気も出たみたいだしな。ほら、そこにご飯置いといたわよ。しばらく食べてないんだから、ゆっくり食べなよ」
あたしは返事を聞かずに部屋を出た。
背後から、「あちちちちっ!」という叫び声が聞こえてくる。
「ふふっ」
私の口から、思わず笑いが漏れた。たぶん、彼は立ち直るだろう。
>LAPIS LAZULI
その瞬間、アキトの心が闇に染まった。押さえきれない憤怒が、あたしに向かって逆流してくる。
焼き付いた光景。額から血を流して落ちるハルナお姉ちゃん。
抱きかかえられた、メティとか言う女の子。
昔のあたしくらいの、ちょっと焼き餅を焼きたくなるような子。
ああ、これは、あの時と、同じ。
ユリカさんを目の前で奪われた、あの時と。
そしてあたしの心は、それに耐えきれなかった。
気がついたら、検査機器に囲まれていた。たくさんのスタッフが、心配そうにあたしを見ている。
しかしそこに、本当の愛情はない。貴重な存在が失われることを怖れる目。
私はそっとアキトの方を見た。
アキトは、まだ荒れ狂っていた。
荒れて、暴れていなければ、自分を壊してしまうのだ。
アレは、自分を壊さないようにする、心の防衛本能。
まだ、大丈夫。
私は安心して眠りについた。
アキトなら、大丈夫……
アキトが落ち着くまで、3日、かかった。
私の声に、アキトが答える。
けど、その声は……昔のアキトだった。
こちらに戻って来て、消えたと思っていた、復讐人の声。
以前は、それがアキトだと思っていた。
でも、今のあたしには分かる。
アキトが、また、壊れていく。
でも、止められない。あたしはアキトの目、アキトの耳……。
そして、アキトの心の鎧。
(ラピス……Bプランはどうなっている)
やっぱりそれを聞くの、アキト。
あたしは答える。
(タイプA……以前のブラックサレナなら、もうほとんど完成しているよ)
(いや……タイプBを用意してくれ)
(アキト! タイプBは……)
(ほとんどタイプAと共通のはずだろう。未完成分はタイプAのパーツで補えばいい)
(でも……)
タイプB……過去のブラックサレナに、独立した相転移エンジンを搭載し、完全単独行動を可能にしたタイプ。こっちの世界にはユーチャリスがないから、万一のために研究していたものだ。でも、タイプAでも、現在の機動兵器と比べたら、かなりの長時間行動が取れるのに、それじゃ、足りないって言うの?
それに、小型相転移エンジンは、まだ未完成なんだよ? 元々が、ウリバタケさんが趣味で研究していたもので、5年後のあの時ですら、まだ実物はなかったものなんだよ?
一応、実験用に作ったものはある。ネルガルのオートメーション工場にハッキングして作ったパーツだ。
でも、今はまだ試運転も出来ない。最初の予定では、アカツキさんたちを味方に引き込んでから試す予定だった。
それを、欲しいなんて……
でも、アキトがそういう以上、あたしに出来ることは一つ。
(わかった。でも、普通の人じゃ組み立てすら出来ないよ?)
(それは大丈夫だ)
そこまで言われたら、もう、何も言えない。
(すぐに手配する。ほかには?)
(……クリムゾングループの、西欧における動きを探って欲しい)
(……)
あたしは無言でうなずいた。そして、付け加える。
(でも、時間、かかるよ……)
>MIRIA
あたしは、空っぽでした。
店も焼け、メティもいなくなり……ヤガミさんも、入院しています。
未だに、面会謝絶が続いています。
私と父は、いま、以前クラウドさんが使っていた、倉庫の方に移っています。
父も落ち込み……仕事の再開は、まだ先でしょう。
「守れなかったよ……あの子を」
母の写真の前で呟く父は、ずいぶんと小さく見えました。
そんなときでした。
あの電話がかかってきたのは。
「はい、テア食料品店ですが」
「一応初めてになりますか、お嬢さん。このたびはご愁傷様で。不幸な事故、お悔やみ申し上げます。あの戦鬼様も罪ですね。彼がいなければ、こんな事にはならなかったのに」
……!
私は直感的に思いました。
メティたちを襲ったのは、この人であると。
とっさに受話器を置こうとした瞬間、彼の声が耳に入りました。
「おっと、今電話を切ると後悔しますよ。何故あなたの妹さんが死ななきゃならなかったのか、お教えしようと思っていたのですが」
「あなた達のせいでしょう」
電話を切るのをやめ、私は答えました。
「まあ、そういう見方も出来ますね」
相手は悪びれた様子もなく、喉の奥で笑っています。
その様子に、私は理不尽な怒りがわき上がってくるのを押さえられませんでした。
「ですけどね、この先あの戦鬼様がこちらの要求を拒み続ける限り、きっとあなたは不幸になりますよ……第一、あのヤガミとか言う男との関係すら、あなたの信じているものとは違うのですよ?」
……? 何故ここにヤガミさんが?
「戦鬼様も罪ですねぇ……あの人が現れなければ、一生涯こんな事を知らずにすんだというのに。お父様に聞いてみなさい。マリア・テアとヤガミ ケンジのことを。きっと、面白い話が聞けますよ……」
私は、その後何も考えられなくなりました。
耳の奥で何かが唸っているみたいです。
やがて、受話器を持ったまま立ちつくしている私の所へ、父が様子を見に来ました。
「おいミリア、どうしたんだ? そんなところで突っ立ったまんまで」
そして私は……こう、答えていました。
「お父様……マリア・テアと、ヤガミ ケンジを、ご存じですか?」
自分の物とは思えない、冷たい声で。
そのとたん、父は間違いなく、肩を震わせました。
「おい、ほんとに効くのか? この催眠誘導装置」
「あんまり確実じゃないですけど、心の安定を失っている相手になら、ほぼ確実に効きますよ。好きに操るなんて事は無理ですけど、こっちの言うことに素直に従うぐらいには効くはずです」
「そうか。じゃ今頃お嬢さん、自分から奈落の底に足を突っ込んでいるところか。全くエラい拾いもんだぜ。これなら何とか、妹殺しちまった失点を挽回出来るかな?」
父の告白を効いて、私は泣きたくなりました。でも、泣けませんでした。代わりに出てきたのは、乾いた笑いでした。
「あいつらが絡んできた以上、俺が黙っていても、このことはお前の耳にはいる。なら、俺の口から語るのが、せめてもの情けかも知れん。ミリア……お前は、俺の実の娘じゃない。俺の妹……マリアの……」
そして、その後の言葉……
それでは、父が私を男の人から遠ざけていたのも、
クラウドさんを側に置いたのも、
そして、ヤガミさんとのことを認めてくれたのも……
全部、そういうことだったのですか!
私は……私は……私は……!!
気がつくと私は、外へ走り出していました。
何もかも、捨て去るように。
>REINA
テンカワさん宛に大きな荷物が届いた。
テンカワさんが、それを見て笑っている。
いえ……嗤っている。
アレはテンカワさんの笑い方じゃない。あたしはそう思った。
「レイナちゃん」
それだけは以前のように、あたしに声を掛ける。でも、今彼に声を掛けられても、あたしの心は凍るばかり。
「お願いがある。これを、俺のエステバリスに装着してくれ」
……この荷物、エステの装備なの?
しかし、同時に渡された仕様書を見て、私の血は一気に沸騰した。
以前にも言ったけど、私は設計図をみただけでそれがどんな動きをする機械なのかを一目で見抜くという特技がある。だから分かってしまった。
これは……悪魔の機械だ。破壊という一点に特化された、死神の使徒。
それに……常識外れのシステムがいくつも組み込まれている。
一番がこの小型相転移エンジンだ。今の世界に、こんなものを作るのに成功した人はどこにも居ない。
相転移エンジンは、いわば真空を燃料にしたエンジンだ。
そして、それはガソリンや核燃料を燃やすのとは訳が違う。
相転移……水蒸気が水に、水が氷にというように、あるものがその形態を変えるときに出るエネルギーの差分を取り出すのが、相転移エンジンの原理である。
しかしそれには、自然界で安定している存在のバランスを崩さなければならない。そのためにはまずこちらからエネルギーを投入し、それ以上のエネルギーを回収するという手順を踏まねばならない。
で、何が言いたいのかというと、その原理上、相転移エンジンはある程度の大きさがないと、ほとんど有効なエネルギーが得られないのだ。
ある大きさの真空空間Rがあったとき、それを相転移させる事により得られるエネルギーは、Rの3乗に比例する。そして、そのためのトリガーとなるエネルギーは、効率Aに、Rの2乗を掛けたものになる。つまり、空間Rが大きいほど、取り出せるエネルギーは大きくなり、また低効率の機関でもエネルギーが取り出せる。
だが逆に言えば、小さすぎる空間からは、相転移エンジンはエネルギーを取り出せない。トリガーとなるエネルギーが、相転移によって取り出せるエネルギーを上回ってしまうからだ。現在の技術で作れる最小の相転移エンジンは、約3立方メートルの空間を必要としている。臨界点は約2立方メートル。しかしこのエンジンは……真空域がわずか1立方メートルしかない。それでいて予測される出力は、従来型の5倍以上。
私の目は、このシステムが成立すると見ている。相転移を引き起こすシステムに、画期的なアイディアが使われているからだ。ドミノ倒し式、とでも言うのだろうか。従来は一気に相転移を起こしていた所を、まるでドミノが倒れるように、連鎖的に相転移現象が起きるように改良されている。絶対的に見れば従来型より効率が落ちるように見えるが、従来型は得られたエネルギーを常に最大出力でしか取り出せないという欠点が存在する。せっかくのエネルギーを、かなり無駄に消費しているのだ。平均すれば、得られたエネルギのうち有効に使えているのはせいぜい10%くらいである。
対してこちらの方式なら、常に必要な分だけの相転移現象を起こすことにより、相転移によって得られたエネルギーを無駄なく利用出来る。得られるエネルギーは低くても、常にその100%を使えるのだ。瞬間最大出力では従来型に負けるが、実際の使用に当たっては遥かに効率よくエネルギーを得られる。
ただ……それだけの高度な制御、そして高エネルギーを扱うとなると、システムの素材強度が問題になる。私が見た限り、このエンジンの性能を完全に引き出すためには、従来の5倍以上の強度と耐熱性を持った素材が必要となる。そんなものは理論上存在しない。システムを改良し、冷却や部品の形状とかをうまくやれば、2倍程度にまで押さえられるだろうが、それでもそれ専門に形成された部品になる。ましてや現有の部品で組み立てれば……いつ暴走、爆発しても不思議じゃない欠陥エンジンにしかならないであろう。
だが、目の前の設計図に記されているモノは、まさにその通りの欠陥品であった。
「こんなモノを、取り付けろって言うの? この、いつ爆発してもおかしくない、爆弾みたいな代物を」
「ああ……頼む。今これを組み立てられるのは……レイナちゃん、君しかいない」
私はこのときばかりは、自分の勘の良さを呪った。
アキトさんの目は、言外にこう語っていた。
これを組み立てられるのは……私と、ハルナだけだと。
そう、あたしもまだハルナがここにいれば、こうもためらったりはしなかっただろう。
あの子がいれば、この危険きわまりないエンジンの制御系を、完璧なまでに組むことが出来る。それだけで暴走の可能性は半分以下になる。添付されているプログラムは一応完全だろうが、それを現物に合わせて調整出来るのはたぶん彼女だけだ。私ではそこまでには至らない。動作させるのが精一杯だろう。それでも安定域で使っていれば大丈夫だろうが、このシステムには限界域まで引っ張るおまけがつきすぎている。
けれども、今、彼女はいない。
そしてこのシステムは、彼女の敵討ちのために使われる。
止められるわけがなかった。止めても無駄だ。
ならば出来ることは、出来る限り完璧に、このマシンを組み立てることだけだ。
私の尊敬するハッカー、『瓜博士』の語った言葉が身にしみる。
『どんな機械においても、手を入れた以上は完璧にしなければならない。たとえ恋人が操縦する戦闘機が死地に出動するときでも、相手が飛び立てないようにわざと故障させるなどと言うことは、絶対にしてはならないことである。そんなことをしても、後に残るのはまず後悔である』
どこかの掲示板で、アニメ映画の演出に対して、マニア同士の激論が繰り広げられていたときの書き込みだ。ヒロインが主人公の出撃を止めるため、彼の愛機を破壊しようとしたというシーンに関してだったと思う。
私はそのアニメをみたことがなかったから軽く流していたけど、まさか私自身がそんなシーンに直面するなんて思ってもいなかった。
「分かった……。すぐにはじめるわ。でも、時間……かかるわよ」
「ああ、それでいい」
私は、自分に出来ることを、黙々とはじめた。
>SHUN
アキトの奴は、正気に返って以来、元ハルナ君の部屋に入り浸りになった。
何をしているのかと思えば、彼女の端末を使って、日長一日何かを調べている。
話を聞いてみると、彼女の端末が、この基地で一番性能がいいらしい。
元々は同じものだったはずなんだが……何でだ?
そして3日ほどすると、たびたび奴は出かけていった。
時には徒歩で。時にはサイトウの車を借りて。
あちこちを精力的に調べまわっているようだった。
だが、帰ってくるたびに、奴の顔には憔悴が刻み込まれていた。
おおかた、テツヤの行方を追っているのだろう。
だが、俺に言わせればそれは見当違いだ。ああいう奴は、こういうとき決して尻尾を見せない。こちらがいくら捜しても無駄だ。
だがあえて俺はやらせておいた。奴がああでもしていないと、自分が保てないのは俺にも分かっていたからだ。
そして今日も奴は、虚しい探索に出る。
そんなとき、その電話がかかってきた。
「はい、クラウドです……おじさん、どうしたんですか!……えっ、ミリアさんが!」
その電話は、ミリアさんが姿を消したという報せであった。
もっとも、その時点では俺は高をくくっていた。彼女にはナオを貼りつかせてある。むしろ、ついに魚が餌らくらいついた。そう思っていた。
だが、ナオからの連絡はなかった。定時連絡の時が過ぎても連絡がなかったとき、俺ははっきりと異変を悟った。
幸い今すぐに部隊にお呼びのかかる心配はなさそうだった。俺はカズシとクラウドを伴い、テアさんの所へ向かった。
そして……とんでもない話を聞いてしまった。
それが事実なら、一刻も早く彼女を捜さねばならない。
何より、ナオの奴が心配だ。
まさか……彼女にそんな秘密と、そして切り札があろうとは。
しかもまずいことに、テツヤたちはそれを利用する術を知っていてもおかしくはない。
俺は一か八か、奴に……アキトに賭けることにした。
というか、それ以外に全く手の打ちようがなかった。
「アキト、話がある」
いつものように端末に向かっていたアキトに、俺は話しかけた。
振り向いたその目は、あまりにも暗く、深い。
俺はこいつがそんな目をしているのを見たくはなかった。
ましてやこれから俺の言うことを聞けば、またこいつは壊れるかも知れん。
それでも言うしかなかった。
「ミリアさんが、姿を消した。ナオの奴もだ」
「……そうですか」
静かに、そういうアキト。だがその奥歯は、ギリギリと噛みしめられていた。
「しかもどうやらこれは拉致ではない。ミリアさんが、自分からテツヤたちのほうに近づいた形跡がある」
「な……」
さすがにアキトも唖然としていた。そんな馬鹿な、と思っているのだろう。
「何故……それに……ナオさんは、どうして……」
「勝てないんだよ、いや、止められないんだ、ナオには、ミリアさんを」
俺はゆっくりと、わかりやすく、テアの旦那から聞いた話を説明した。
最初驚愕に囚われていた顔が、だんだんと憤怒のそれに変わる。
「そういうわけだ。テツヤの奴、おそらくミリアさんの心の揺らぎにつけ込んで、彼女の行き場をすべてなくす気だ。念のためにテアさんの所にはカズシを貼り付けてある。奴がどう動くかは分からんが、下手をすればお前だけが頼りになるかも知れない。
言いたいことは、それだけだ」
そして部屋を出た俺の耳に、その叫びはいやでも飛び込んできた。
「許さん……許さんぞ、テツヤァァッ!」
>NAO
参ったね。こりゃ。
俺はとある小屋の中でうろうろしていた。
何でこんな事になっちまったんだか。
テツヤのくそったれめ。ミリアに何をしやがった。
あの日、ふらふらと家を出ていったミリアは、どこか様子がおかしかった。こっそり後を付けていったら、街外れの方へと向かっていく。
人気のなくなったところで、さすがにヤバいと思って俺は彼女に声を掛けた。
「ミリア!」
「動かないで」
うつろな目で、ミリアはそう言った。
そのとたんだった。俺の体は、ぴくりとも動かなくなっちまった。
「ミ、ミリア……」
何とかそれだけ言うと、ミリアの目に一瞬光が戻ってきた。
だがそれは、地獄への一本道だった。
「やっぱり、そうだったの……ヤガミさん、あなたが今動いて、私を抱きしめられればよかったのに」
そして再びうつろな目をした彼女は、俺に向かって言った。
「抵抗せず、大人しくついてきなさい。以後、私の許可あるまで、すべての戦闘行為及び反抗を禁止いたします」
そのとたん、俺の体は自由になり、そして勝手に彼女について来ちまった。
その先に予想通りの……テツヤたちの姿を見ても、俺は立ち向かおうという気が全くしなかった。
自分が自分の意志通りにならない。
そして訳も分からぬまま、こうして奴のアジトの一角にいる。
「おじゃまするわよ」
そこに女が入ってきた。ライザという名前の、テツヤの部下だ。
「はい、食事。変なものは入ってないから安心して。何しろあなたは、絶対に彼女には逆らえないんですものね」
それは俺にもいやというほど分かっている。だとすれば、まあこれは食っても大丈夫だろう。
遠慮無く食事をかっ込みながら、俺は立ち去ろうとしないライザに聞いた。
「なあ……なんでまた俺はミリアに逆らえないんだ? 単なる催眠術とかそう言うものじゃなさそうだが」
「ふふふ、それはあなたが知る必要のない事よ。あなたは彼女の永遠の下僕。それだけのこと」
そして俺のほうに近づいてくる。
「今あなたは彼女の命令によって、いっさいの反抗が出来なくされている。そう、こんな事をされてもね」
そう言ってライザは俺に密着し、胸やら腰やらをこすりつけてくる。
しかし俺はそれを振り払おうとはしなかった。
出来なかった、と言おう。
このまま最後まで迫られたら、さすがにミリアに申し訳ない。
何といって彼女に謝ろうかと考えている自分に、俺は自分で自分を笑いたくなった。
幸い、彼女のいたずらはそこまでだった。
「まあ、あきらめるのね。これがあなたの宿命だった、そう言う事よ。じゃまたね」
言いたい放題言って去っていったあいつを、俺はせいぜい頭の中で恨むことしか出来なかった。
一体、どうなっちまってるんだ? 俺は……
>REINA
完成、してしまった。
送られてきた謎のパーツは、今、アキトさんのエステバリスに、すべて装着された。
二まわり以上逞しくなった四肢。
桁違いの装甲。
背中に取り付けられた砲身。
そして、小型相転移エンジン。
それは、黒い死神だった。
「出来たわ……アキトさん」
すべての作業が完了したとき、彼は隣にいた。
いつでも出撃出来るように。
「ありがとう……レイナちゃん」
そう言って笑うときだけ、彼は昔の彼に戻る。
だが、すぐその笑いは、枯れ果てた嗤いに取って代わられる。
「でも……言っておくけど、はっきり言って、どこまでまともに動くか分からないわ。背中のグラビティーランチャー、そして、何のためについているんだかわかんないけど、ジャンプフィールド生成装置……どっちかを使うたびに、システムは確実にオーバーロードになる。まず3回に1回はドカン、よ。さらにDFSやバーストモードを併用すれば、その危険性は飛躍的に高まる……。はっきり言ってもこんな空飛ぶ棺桶に、私はあなたを乗せたくないわ。でも、何でこんなすさまじい機体がいるの? 変な話、ハルナやメティちゃんを殺した相手に復讐するとしても、こんな武装は要らないわ。元のエステで十分なはずよ」
「それは俺も考えた……だけど、俺は一つ、君たちの知らないことを知っている。そしてそのことが、俺にこいつを準備させた。
こいつを……使う羽目にならなければいいんだけどね。でも、何故か使う気が……そんな予感がするんだ」
その予感が何かは分からない。
でも、何故か私は、その予感が外れないことを確信していた。
アキトさんが厨房に立たなくなってからというもの、食堂は寂れきっていた。
あのおいしさを知ってしまったら、他の人の料理を食べる気にはならないと言うこともある。ただ、それ以上に……ここには思い出がありすぎる。
料理をしていたアキトさんと、
信じられない大食らいをしていたハルナの。
私も壁のディスペンサーからコーヒーを取り出すと、そのまま食堂を出た。
私は何気なくハルナの部屋に向かった。
今、その部屋はアキトさんが入り浸っているという。
コーヒーをもう一杯入れ、私はそこを目指す。
そして、部屋の前に来たときだった。
「見つけたか、ラピス!」
ラピス……? 誰かいる……訳はないわよね。
そのまま聞き耳を立てていると、今度は男の子らしい声が聞こえてきた。
「うん、間違いないよ。この地点に、奴らの動いた後がある。ただね、少し気になることがある」
「なんだい、ハーリー君」
今度はハーリー君ですか? 誰と話しているのでしょう。
「やっぱりチューリップがいた。偽装しているけど、たぶん間違いない。それも結構な数が。こいつら、これを砦にしているんだ」
「アキトがブラックサレナを頼んだの、正解だよ。そっちのみんなが総掛かりならともかく、アキト1人じゃキツかったと思う。持ちさえすれば……サレナなら勝てる」
「そうか」
中では何か、恐ろしい会話がなされています。
ブラックサレナというのは、あの黒い装甲の名前。
話の流れからすると、どうやら送り主はラピスというらしい。しかしその声は、どう聞いても子供としか思えない、それも女の子の声……。
「どうするの、アキト」
「どうもこうもない。奇襲をかける」
「なるほど……サレナを囮にするんですね」
「ハーリー君も気がついたか。サレナで主力を潰した後、自動操縦に切り替えてその隙に俺が敵陣に突入する。チューリップなんぞを用意して武装したのが運の尽きだな、テツヤ!」
「アキト……」
「アキトさん……」
聞こえてくる子供二人の声は、とってもアキトさんのことを心配していました。
アキトさん、声の主が誰かは知りませんが、あなたは今、子供にまで心配されているんですよ……。
「ラピス、決行するならいつがいい?」
「普通なら夜だけど、アキトの場合、むしろ敵の警戒が本能的にゆるむお昼時の方がいいと思うよ」
「同感。敵も夜襲は警戒していると思うけど、昼日中に奇襲が来るとは、たぶん考えていないよ」
「そうか……分かった。ありがとう」
「アキトのためだもん」
「僕だって頼まれたらいやとは言えませんし」
そして、声は途絶えました。私は一旦足早にそこを離れました。
程なく、アキトさんはハルナの部屋を出ていきました。それを遠くで確認した後、ハルナの部屋に入ります。
彼女の端末を立ち上げ、裏履歴を呼び出します。
案の定、記録が残っていました。念のため、ログも覗いてみます。
……ハルナ、やっぱりあなた、相当大物のハッカーだったのね。
急なことだったせいかもしれないけど、管理者権限にロックがかかっていないわ。
これなら……ちょちょいのちょいっと。よし、逆探接続完了。
程なく、二つのウィンドウが開いた。
「あれ、アキト、まだなにか……!」
「あれ、どうしたんですか……!!!」
二人ともあわてて回線を切ろうとするが、すかさずこちらからロックをかける。
「え……うそ! 何で回線を切れないの!」
「信じられ無い……僕たちのプロテクトが破られてる」
さすがはハルナのツール。そんじょそこいらのお子さまには負けないか。
しかし今は感心している場合じゃない。もし彼女がブラックサレナに関わっているなら、是非とも頼まなければならないことがあるのだ。
「お願い、あたしはアキトさんの知り合いよ! ブラックサレナを組み立てたのはあたしなの。お願い、話を聞いて!」
「……!……分かった」
「……そう言うことなら……」
どうにかその気になってくれたようだ。
しかしこうしてみると、本当にお子さまね。どう見ても、5、6歳じゃない。
ただ、ラピスちゃん……かな? 彼女の目が、ハルナと同じ色をしているのが気になった。
もしかして、ネルガルのマシンチャイルド、っていうやつ?
……まあ、その辺は置いておこう。今はもっと大事な用事がある。
「あなた達があの機体を設計したのね?」
二人はうなずいた。なら、話が出来る。
「あたしはアレを組んだけど……調整に、今ひとつ自信がないの。今のままじゃ、あの機体は能力を半分も出せない。今から組み上がり後の諸元データを送るわ。それを参考にして、調整出来るポイントを教えて欲しいの。大丈夫?」
「……」
「……」
少したった後、一つのメールアドレスが表示された。
「そこにデータを送って。送った端末に、データを送り返すわ。それからこの回線、早く切り離して。ちょっと不安なの」
「はいはい。ま、あたしもハルナのツール借りてるから、加減がわかんなくって不安だしね。そうそう、あなた達も、その年で早くも裏の住人なんでしょ? よかったらハンドル教えてくれない? あたしは『裏特級整備士』の名前を使っているわ」
「聞いたことある。ウリバタケさんの所によく出入りしている人だ」
「あ、ハーリー知ってたの?」
「うん、ラピスも覚えない? アニメの掲示板でさ」
「あ〜〜っ! 覚えてる!」
どうやら心当たりがあったようだ。とすると知り合いかな?
「なら大丈夫ですね。僕の裏の名前は『艦長命』です」
「あたしは『アキトの目』」
それを聞いてあたしは吹き飛んだ。どっちも裏世界に君臨する大物中の大物じゃないの! この二人に匹敵するのって、後は『妖精』と、『ウィザード』しかいないのよ!
「お、お見それしました〜〜〜」
あたしは思わず頭を下げていた。
「どうしたの、お姉ちゃん」
「何か急に態度変わったけど。早く回線のホールド外してよ」
「はいはいただいま〜」
あたしはあわてて回線を解放した。
「じゃ、そこにね」
「後このことで連絡したかったらこのアドレスにね」
そう言い残して、二人の姿は消えた。
は〜っ、心臓に悪かった。
あの二人に逆らったら、銀行預金から身分証明まで書き換えられて、現代社会じゃ生きていけなくなるとまで言われる、凄腕のハッカーが、あんな子供だったなんて……
あれ?
それじゃその凄腕にハッキングを掛けられるツールを持ってるハルナって、何者だったんだ?
あたしはてっきり『AIトレーナー』の別名を持っている、『HRN』だと思ってたんだけれど。
『HARUNA』から母音を抜けば、『HRN』だし。
ま、いいか。今はデータが先だ。
送り返されてきたデータのおかげで、私はこれ以上出来ないくらい、完璧にあのモンスターマシンを調整出来た。
そしてお昼前、アキトさんは不意をついてあの機体で飛び出していった。
「見失うな! アキトを追え!」
司令が金切り声を上げている。バックアップのみんなが、あわてて飛び出していく。
それが、あの激動の一日の始まりだった。
私たちの人生を、根本から変えてしまった、あの一日の。
あとがき
ちょっと短めの6話です。
話の構造上、これ以上はまだ書けないので。
この後の話は、たたみかけるように続くと思います。
ナデシコの方をはさみ、本編とは違った展開になっているテツヤとの戦いを、一気に書き上げます。
こう、ご期待!
代理人の感想
やっぱミリアさんが人外になってるぅっ(爆)!
・・・・まぁ、人外なのはナオさんだけでミリアさん本人は普通の人と言う可能性もまだなくはないのですが・・・
無理かな。
逆らったら、銀行預金から身分証明まで書き換えられて、現代社会じゃ生きていけなくなる
・・・・・ひょっとしてやったことがあるのか二人とも(爆)?