再び・時の流れに。

 外伝/漆黒の戦神



 最終章 『戦神帰還』



 こうして、事件は終わりました……表面的には。
 ですが、こっちからすれば全然終わっていません。
 ブラックサレナ、テツヤ……さんの基地周辺にいたチューリップ、光と共に瞬間移動するアキトさんとハルナさん……。
 謎は目白押しです。
 アキトさんは帰ったら全て説明するといってくれました。
 ただ、どうもその際、オオサキ司令にこう言ったらしいです。

 「出来れば……グラシス中将を呼んでもらいたい」

 どうも、アキトさんとハルナの抱えている荷物は、そうとう重そうです。
 一介の整備士でしかない私、レイナ・キンジョウ・ウォンには、想像も出来ないくらい。



 結局、グラシス中将は来ることになりました。
 表向きは慰労と視察。ですが、本当は孫娘に会いに行くため、という噂が、裏のネットに流れていました。軍の内部にも流れているらしいです。
 まさかその裏にもう一つ理由があるとは、今のところ気づかれてはいないようですね。
 中将がこちらに着くのは二日後の夕方。それまでMoon Nightは通常体勢になります。
 アキトさんも再び食堂に戻ってきました。
 とたんに食堂は満杯です。みなさん、現金ですね。
 今日もその片隅で、ハルナさんが豪快にお皿を空にしています。
 テアさんも仕事を再開しました。
 こうしてみると、本当に日常が戻ってきたんだなあと実感します。

 「これで全部だ。久しぶりだな、この豪快な注文は」

 「ハルナ1人で30人分ですからね」

 厨房の裏から、こんな声が聞こえたりします。
 そうそう……少しだけ変わったこともありました。

 「じゃ、またな」

 「はい」

 さっきまで影でいちゃいちゃしていたナオさんとミリアさん。そのミリアさんの左手の薬指に、アメジストの指輪がはまっています。
 当然送り主はナオさん。お幸せに。
 でも……この見慣れたはずの光景が、後わずかなことだとは、私は思っていませんでした。



 そして二日後、グラシス中将はやってきました。最小限の随行員を引き連れた中将は、サラさんとアリサさんに出迎えられ、顔がほころんでいます。
 挨拶代わりにキスをするのだけは、東洋系の私にとってちょっと来る物がありましたが。
 中将と孫二人は、基地の視察もそこそこに、呼ばれたハイヤーに乗って基地を離れていきました。

 「随行ご苦労様」

 「やりがいのない仕事に当たっちゃいましたねえ」

 カズシさんとクラウドさんが、彼らに慰めの言葉をかけます。
 なんと答えてよいやら困っている随行員さんたちに、カズシさんはとどめの一言を投げかけました。

 「メシもまだなんでしょう? どうです、MoonNightでしかお目にかかれない、『漆黒の戦鬼』特製ランチなど」

 あ、さすがに彼らの顔色が変わりました。

 「おい、あの噂、本当だったのか?」

 「なんか凄い旨いっていうけど」

 「まずくたってかまうもんか! 生で、あの『漆黒の戦鬼』が見られるんだぞ!」

 何か言ってますね。まあ、想像は出来ますけど。
 そして舞台は食堂へ。



 「おい……あれが……」

 「漆黒の戦鬼?」

 「何か……全然強そうに見えないな」


 まあ、アキトさんを見た人は、大抵そう言います。
 もっともご飯を食べ始めたら、無駄口を叩く余裕なんかなくなっちゃったみたいですけど。

 「「「旨い〜」」」

 そして食事を終えた彼らには、宿舎でゆっくりおやすみいただくことにしました。



 「……不本意だ。食事に一服盛るなんて」

 「仕方ないでしょ、お兄ちゃん。サクヤ印の特製睡眠薬。無味無臭、飲んでから一時間ほどして、だんだんと効き始める上、副作用ゼロ。自信作だったけど、犯罪や女の子口説くのに使われたら問題だっていうんで市販出来なかった薬だよ?」

 そう言うことです、はい。
 ハーテッド一家は、食事の後、サイトウさんが迎えに行きました。
 これで、役者は揃いました。
 後は、幕が上がるのを待つばかりです。







 オオサキ司令
 タカバ副司令
 クラウド参謀
 グラシス中将
 アリサ大尉
 ヤガミ ナオ
 ミリア・テア
 そして、私。

 これが、アキトさんが公式に呼んだ人物でした。
 実際はこれにサラさんが加わりましたけど。
 基地のみんなには、話を聞いた後で、司令から話すかどうかは決めてくれ、とのことでした。
 機密保持的な問題もあるそうですので。

 「うん、盗聴器の類はないよ」

 ハルナさんが一通り部屋の中を調べたあと、そう言いました。
 それを聞いてうなずいたアキトさんは、みんなの方を向いて話し始めました。

 「みんな……今から俺の話すことは、ある意味突拍子もないことだ。けど、断じて嘘偽りじゃあない。ショックの大きい話もあると思う。
 さて、今回の事件だけど、ある企業が関わっている。もう判っていると思うけど、その企業とは、クリムゾングループだ」

 「アキトさん……ネルガルに対する牽制、ですか?」

 念のため、という感じで、クラウドさんが質問します。

 「それもあったとは思います。俺がこちらに出向してくるとき、ネルガルの支援を受けていたことくらい、誰にでも判ることです。その俺を潰す、もしくは引き抜ければ、ネルガルは大ダメージを受ける。普通なら、それで終わりでしょう。ですが、西欧は普通ではなかった」

 「アキトがいなければ、西欧そのものが壊滅していた……ということだ」

 オオサキ司令が重々しくいいます。グラシス中将も、同意するように首を縦に振っていました。

 「クリムゾンが企業倫理に従って動いているなら、これは明らかに損だ。ネルガルにダメージを与えても、西欧市場が潰れたら何にもならない。ここで俺を味方に引き入れるならともかく、敵にしたら、もしくは潰したら肝心の市場自体が消滅してしまう。ですが、クリムゾンが送ってきたのは、あのテツヤだった……。テツヤは狂気を秘めているが、決して無能ではないし、本来の目的はきっちり遂行する男だ。しかし彼の行動は……明らかに俺を潰してもかまわないモノだった。そう、味方にするのはついでだったとしか思えない。俺を無力化することを優先しているかのような動きだった。何故そんな真似が出来たのか。そして、何故あの場にチューリップがいたのか」

 「答えは一つしか考えられませんね」

 クラウドさんが、目を細めつつ言う。

 「クリムゾングループには、西欧市場を壊滅に追い込むことなく、ネルガルの影響を排除する自信があった……。そう、彼らは木星蜥蜴の動きを知っていた、ということです。つまり……」

 「そうです」

 アキトさんが後を引き継ぐ。

 「クリムゾングループは、木星蜥蜴と繋がっていた……そう言うことです」

 第1のラッパが、今吹き鳴らされました。



 「おい……それじゃ、俺たちは地球人同士で戦ってきたっていうのか? 企業の思惑の元で」

 吐き捨てるようにカズシさんが言います。しかし、帰ってきたのは、第2のラッパの響きでした。

 「ああ……だが、それは企業同士の争いなんかじゃない。木星蜥蜴は……本当に木星からやってきたんだ。
 そう、木星には、みんなの知らない国がある。木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星小惑星国家反地球共同連合体、略称、木連」

 「木星圏に、地球人国家が?」

 「嘘、人類は、まだ、火星までしか行けないって……」

 「どういう事……?」

 私も含めて、みんなが混乱しました。

 「今の正式名称をもう一度見て欲しい」

 アキトさんは、私たちにそう言いました。ハルナさんが、傍らのホワイトボードに、正日本語でさっきの名称を書き、その下に英語訳を併記します。

 「反地球共同連合体?」

 あたしは、そこが引っかかりました。

 「どういう事なの、これ」

 答えは、第3のラッパでした。

 「文字通りの意味さ……木星に住んでいるのは、100年前……月で独立運動を起こした人達の子孫だ。彼らは全滅したと、表の歴史ではいわれている。ただ、それにはいくつかの裏があった。中将、あなたは知っているんじゃないですか? 独立派の人は、火星に落ち延びた。そして、そこで何があったのかを」

 「当時の連合軍は、彼らを殲滅すべく、火星に核を打ち込んだ……儂は残念ながらそこまでしか知らん」

 第4のラッパが鳴り響きます。

 「そんなひどいことを……」

 アリサが口に手を当てて言った。私だって、そんなこと初耳だ。

 「ですが、彼らは全滅していなかった。生き延びた人は木星へと落ち延び……そこで、ある物を発見した」

 「なんだい? 宇宙人の遺跡でも見つけたか?」

 ナオさんが冗談交じりに言います。しかしアキトさんは、黙ってうなずきました。

 「その通り……火星にあるのと同様の、未知の文明による遺跡を、彼らは見いだしたのです。しかもその遺跡は、『現役』だった。相転移エンジンや、地球の水準を遥かに上回る人工知能体、そして、チューリップ……彼らは九死に一生を得たのです。さすがに俺もその辺の詳しい事情は知りません。しかしはっきりしているのは、彼らは生き延び、そこに自分たちの生きる世界を築いたということです」

 第5のラッパが、高らかに鳴らされました。

 「なんとまあ……」

 「そして100年。彼らは再び地球にやってきました」

 「……復讐、という訳か」

 グラシス中将が、悲しげな瞳を浮かべました。
 しかし、アキトさんの目は、それよりさらに哀しげでした。

 「いえ……それならばまだ話は分かりやすかったでしょう。でも、そうではありませんでした。やってきたのは、通信です。彼らは、交流を望んでいました。お互い十分な時を過ごした。過去の過ちを謝罪してくれるなら、全てを水に流し、共に歩もう、と。
 しかし……その言葉は、無視されたのです」

 第6のラッパも鳴ってしまいました。

 「「お祖父様!」」

 サラとアリサの声がきれいにハモりました。目に非難の色が浮かんでいます。

 「待て! 私は知らんぞ、そんなこと」

 「ええ、そうだと思います。これを知っていたのは、軍でもごく一部……ネルガル及びクリムゾンと繋がっていた、ごく一部の人間だけだったと聞きます」

 「それはちょっとおかしいですね」

 クラウドさんがそこで意見を言いました。

 「これほどのこととなれば、連邦議会が動くはずではないのですか?」

 「その辺の事情は、さすがに俺にも判りません」

 アキトさんは、暗い目をしながらそう言いました。

 「ただ、そのメッセージが送られ、それを地球側が無視した……それは確かなことです」

 「軍がにぎりつぶしたのじゃろうな」

 グラシス中将は、そう言いました。

 「そう言う情報を受け取れるところは限られておる。嘆かわしいことだ」

 「結果、木連急進派は地球への攻撃を開始し、そしてクリムゾンは裏で密かに彼らと手を結びました……これが、現在の状況です」

 かくして、黙示録の獣はやって来た、ということでしょうか。

 「なんてこったい……全然する必要がないじゃないか。戦争なんて」

 司令は額に手を当てて、天を仰ぎました。

 「全く、俺たち、何をやっていたんでしょうね」

 カズシさんも、肩をすくめました。

 「全く持ってお恥ずかしい。連合軍の腐敗、ここに極まれり、じゃな」

 「これじゃあ私、連合軍の一員であることを誇れません」

 「私もです。私が守りたいと思っていたのは、何だったのでしょう」

 ハーテッド一家も、嘆きの声を上げています。
 私は……お姉ちゃんのことを考えていました。
 会長秘書という地位にある以上、お姉ちゃんは……知っていたはずです。きっと、全てのことを。
 私はそれが、少し悲しくなりました。



 「一つだけ、気になることがあります」

 そんな中、クラウドさんがいいました。

 「これほどの重要な出来事を、はっきり言って今の連合軍が握りつぶせたとは思えません。必ず情報が漏れて、政府組織を巻き込んだ大騒動になると思います。というか、この戦争は、まだ2年ほどの出来事。連合軍の人事は、大きく変わってはいないでしょう。なのに、情報の隠蔽が完璧すぎます。さらに気になるのは、木星から地球で受信出来る出力の通信が飛んできたら、確実に世界中で傍受されるはずです。特に木星に観測装置を向けている天文台などで大騒ぎになるはず……。なのに、何故、そんな兆候がないのですか?」

 そう言えばそうですね。アキトさんも、初めて不審げな顔になりました。

 「残念ながら……さすがに俺でもそこまでは知りません。俺が知っているのは、この戦いがばかばかしい戦いだっていうことです。何としてでも、やめさせたいという……」

 「私もその点は同意見です」

 クラウドさんもうなずきました。

 「私は記憶喪失の身です。でも……この戦いがおかしいことが判る。こんな戦いは、さっさとやめるべきだ……そんな思いがして仕方がないんです。アキトさん。どうやって、この戦い、止める気ですか。始まりはばかばかしくても、既に犠牲者が出過ぎている。もはや、普通の方法では、この遺恨は消せませんよ。
 まだ、その、木連の人が表に出ている戦争ならよかった。ですが、我々を襲ったのは、無人兵器の山。それは兵士と民間人を区別しない。また、連合軍は木連の存在を否定した。つまりこの戦いは戦争ではなく、テロリズムと同等の物であると規定したことに他なりません。だとすると、この戦い……殲滅戦になりますよ」

 クラウドさんの指摘に、みなさんはっとなりました。
 戦争なら、手打ちが出来ます。そう、条約締結などの形で、終結させることが出来るのです。ですが、地球政府が、木連を国家として認めなければ、彼らは犯罪者の集団として扱われ、逮捕、拘禁という形でしか決着が付きません。殲滅すらあり得るでしょう。そして軍は……それを一度やっているのです。100年前に。

 「アキトさん……この戦い、止める術が、あるというのですか」

 「ある」

 アキトさんは、はっきりと言いました。

 「実はこの戦いの裏に、もう一つ別の思惑が関わっている。元々この戦い、仕掛けた木連の側が不利なんだ。技術においては優越しているけど、資源をはじめとする国力が地球と木連では絶対的に違う。長期戦になったら、敗北は必至だ。連合軍も、そう思ったからこそ彼らを無視したのかも知れない。とるに足らない敵だと。だが……一発逆転の秘策が、木星側にはある。それ故に、木連は戦いを起こせたんだ」

 「なるほど……けどそれはまだ奴らの手の内にはないんだな?」

 司令が面白そうにアキトさんの方を見ます。

 「はい。まだ彼らは、それを手に入れてはいません」

 「なら話は早い。そいつを押さえちまえばこっちのものっていう訳だ」

 しかし、アキトさんの答えは、歯切れの悪いものでした。

 「ですが、そうもいかないんです。なぜなら……地球側も……正確に言えば、ネルガルもそれを狙っています。そして、それは木連にも、ネルガルにも、決して渡してはいけない……いや、誰にも渡してはならない物なのです」

 「何なのですか? それは」

 その瞬間、アキトさんの周囲の空気が、はっきりと変わりました。
 アキトさん自身も、形相が一変しています。
 そして、地獄の底から聞こえてくるような声で、はっきりと言いました。

 「ボソンジャンプ……そう、俺やハルナが使える、瞬間移動の秘密です」







 そこにいるアキトさんは、あの狂気に囚われていたときのアキトさんにそっくりでした。







 「知っているんだな、お前は」

 司令が、じっとアキトさんのことを見つめながらいいました。

 「この戦争におけるワイルドカードを、お前は持っているという訳か」

 「はい。ですが……その札は、手元にあるだけでは、何の意味もありません。地球側も木星側も、戦いの裏でそれを狙っている。その札を切るためには、それに相応しい力が必要です。そしてそのための切り札が……」

 「ナデシコ、じゃな」

 グラシス中将の瞳が、鋭く光りました。

 「連合軍最強の船。君の持っている札を文字通りの切り札にするには、ナデシコの力が必要だという訳か」

 「はい。このばかげた戦争を終わらせ、和平を実現させるためには、ナデシコが絶対に必要なんです。それも、ナデシコの『力』だけじゃない。ナデシコの持つ『こころ』が、絶対的に必要になります。だからこそ、俺はナデシコを守る。俺の持てる力全てをつぎ込んででも」

 「……時が、来たようじゃな。テンカワ君、君は、十分に、この西欧のために尽くしてくれた。今度は、こちらがその恩を返す時じゃ」

 「中将」

 アキトさんも、中将を見つめ返しました。
 その瞳から、狂気の光が消えていき、元のアキトさんに戻っていきます。

 「帰りたまえ、君の故郷へ。故郷を守るために。明日、直ちに手続きをとろう。極東でナデシコを管轄しているのは誰だったかな?」

 「ミスマル提督とタケちゃんだよ」

 答えたのはハルナさんでした。

 「話は通しておく。ご苦労だったな、今まで」

 それは、宴の終わりを告げる言葉になりました。







 >NAO

 ミリアを送った後、俺は酒とつまみ、そしてソフトドリンクを抱えてアキトの部屋を襲撃した。

 「よう、いいかい?」

 「何ですか、ナオさん」

 アキトは身の回りの物の整理をしていた。

 「ちょっと話がしたくってな」

 抱えてきた瓶を床に置き、コップを取り出す。

 「なあ……アキト」

 アキトにソフトドリンクを勧め、俺は軽く一杯引っかける。
 ちょっとしらふでいいたくないこともあるからな。

 「何ですか、改まっちゃって」

 「……いいたくなければ言わなくてもいい。お前……これだけの機密を、どこで知った。はっきり言って、異常だ。そして、何故そこまでしようとする」

 「……詳しくは、言えませんよ」

 アキトは、そう答えた。

 「今の段階では……説明出来ません。というか、そもそも信じてもらえないでしょう。何故俺が、こんな事をしているかなんて。ただ、これは、俺が心底成し遂げたいことなんです……悔いを残さないために」

 「悔い?」

 「ええ……悔い、です。俺はナオさんの知らない……いや、本当にごくわずかな人しか知らないところで、大きな悔いを残してしまった。だけど、奇跡が起きたんです……きわめてまれな偶然が、俺に機会をくれた……贖罪の機会を」

 「何か……相当なことだったんだな」

 贖罪……そう言ったときのこいつの顔を、俺は絶対に忘れないだろう。
 これは亡者の顔だ。それも……地獄にいる。
 少なくとも、女の子には絶対に見せられん顔だ。もし見られたら……その娘はこいつと共に地獄に堕ちてしまうだろう。
 それほど危険で……魅力的な顔だった。

 「ですから俺は、やるべきことをやります。もう、あんな思いをしないために」

 俺は言葉を継げず……そのままアキトの部屋から引き上げた。

 「悪かったな、邪魔して」

 「いえ……なんか気が楽になりました」

 結局、聞きたいことは聞けなかったな。
 そう思ってアキトの部屋を出たとたん、横合いから声がした。

 「何か聞きたそうね、ナオさん」

 「……ハルナちゃん」

 そこにいたのは、いつもの明るい彼女ではなかった。
 もっと暗い……あのアキトよりも深い所に、彼女は立っていた。
 到底18歳の少女とは思えない、底知れぬ深みを湛えた目……。
 どうやったらこんな目が出来るんだ、と、問いかけずにはいられないような目だった。

 「つきあう?」

 ただ一言、娼婦が男を引っかけるような口調で、彼女は言った。



 ついてきて、というのでついていったら、たどり着いたのは屋上だった。
 クリスマスを控えた夜の屋上は、ことのほか寒い。

 「ちょうだい」

 俺が答える前に彼女は酒瓶を奪い取り、そのまんま瓶から直接一杯あおっていた。

 「ん、まあまあか」

 「おいおい、お前、未成年だろうが」

 震えつつ俺も一杯やる。
 夜の闇の中でも、基地は完全に眠ってはいなかった。一時期ほどではないが、やはりここは最前線なのだ。

 「ね、ナオさん……何から聞きたい? あたしの3サイズとか」

 「冗談はよせ」

 酒瓶を置き、じっとハルナちゃん……いや、ハルナのことを見つめる。
 今のこいつには、ちゃん付けはふさわしくない。

 「ま……いろいろあるが、お前、何者だ?」

 「テンカワハルナ、18歳、テンカワアキトの腹違いの妹……なんていう言い方じゃ、納得しないんでしょうね」

 「ああ。ただの小娘にしちゃ変すぎる。マシンチャイルドっていうのは、そんな化け物じみた代物なのか?」

 「そんなことないよ」

 彼女はあっさりと否定した。

 「変なのはあたしだけ……今ナデシコにいるルリちゃんとかは、ちょっと頭がよくってコンピューターの操作にたけてるだけだよ。もっともネットの裏世界で名をはせている『妖精』『アキトの目』『艦長命』……みんなマシンチャイルドだけどね。この三人がその気になったら、世界経済なんか簡単にひっくり返っちゃうよ」

 「なんだそりゃ。充分化けもんじゃないか」

 俺は正直に言った。信じられんとかいう以前に、彼女がここで嘘を言う理由は全くない。それに、その名前は俺も聞いたことがあった。一年くらい前から、ハッキングを生業とする電子情報戦担当の同僚がぼやいていた名前。彗星の如く現れ、裏のネット世界を瞬く間に牛耳ったといわれる天才ハッカーたちの通称だ。今じゃそっちの世界では、これに伝説の『ウィザード』を合わせて、ハッカー四天王といわれているらしい。

 「それじゃネルガルはそっちの方面からも世界を狙う気かよ」

 「ううん、彼らはみんなお兄ちゃんの知り合いだよ。一人なんか堂々と『アキトの目』なんて名乗ってるくらいだし。お兄ちゃんが一言声を掛けるだけで、その3人は動く。お兄ちゃんは全然気がついていないけどね。ただ単にそう言うのが得意ってことぐらいしか知らないから」

 やれやれ……どこまでコネを持ってやがる、アキトの奴。

 「ま、あたしもなんだかんだいって裏の世界、長いけどね。ナオさんはこっちの世界には詳しい?」

 「いや、全然」

 「それもそうだよね。どう見ても荒事担当だし」

 その通りだった。

 「ハルナちゃんはやっぱりそう言う筋から情報をとっていたのか?」

 しかし、彼女は首を振った。

 「そうとも言えるけど、ちょっと違うよ。あたしは……ナオさんが予想している以上の化け物だから。強い割には甘っちょろいお兄ちゃんと違って、ナオさんは気がついていたんでしょう? あたしが撃たれたときのこと」

 それはあえて考えまいとしていたことだった。だが、彼女がそう言う以上、あれは見間違いじゃなかったということか。
 彼女が崖から落ちたとき、後頭部から血を吹き出していたというのは。

 「普通即死だよ。額から後頭部に銃弾が貫通したら。でもね……それでもあたしは死なない。そういう存在なんだ。あたしを殺そうとしたら……核でも持ってこないと無理ね」

 さすがに改めていわれると薄気味悪くなってきた。脳味噌吹っ飛ばされて、生きていられるだと?

 「ほかに誰が知っている、このこと」

 「ナオさんと……後、テツヤさんに教えた」

 そう言って彼女は、ぼうっと遠くを見つめた。

 「ほかの奴は知らないんだな」

 「うん」

 うなずくハルナ。

 「ナオさんはね……この先、たぶんこういう機会が増えると思うから、あえて教えた。あたしは危険に巻き込まれても、命の心配をする必要は全然ないから。むしろ燃料切れを起こして無力化する危険性の方が高いの。そのことを覚えていて欲しくて」

 「てったって……もうお別れだろうが」

 「ううん、そんなことはないと思うよ」

 そして彼女はいたずらっぽく笑う。

 「ナオさんとお兄ちゃんの縁は、まだ切れないよ。グラシス中将は、何が大切か、そして、今何が出来るかを、よく知っている人だからね。一つヒントをあげる。ナデシコってね、上げてる戦果は凄いんだけど、現場の人間にはかなり嫌われてるんだよ。特にプライドの高い現場の軍人さんたちには。あくまでも民間協力者であるナデシコは、軍から補給をもらっていないって知ってた? 全部軍から『払い下げ』てもらうか、自前で補給しているかなんだよ」

 「そりゃまた……ひどい話だな」

 俺はあきれかえった。

 「ま、その代わり、作戦目標は命令されても、それの解決に関する裁量もまたこっち持ち……つまり軍の思惑にハマる心配だけはないのがおっきいんだけどね。任務は果たすが命令には従わない……今のナデシコってね、そう言う存在なんだ。だからごく一部を除いて軍に受けが悪いんだよね……自分たちより強いのに自分たちの仲間じゃないから」

 「分かるな……それ」

 俺は何となくうなずいていた。本社より優秀な下請けは、重宝がられるが、同時に嫌われる……いつかこいつらに取って代わられるんじゃないかと思われてな。

 「けどね……連合軍もここまで強くなっちゃったナデシコをもてあましている……今はタケちゃんが何とか折衝しているけどね。そして、お兄ちゃんが西欧における戦果を持って帰還したら、連合軍、たぶんキレるよ。ナデシコの戦果とかは無視して、ただ自分の思う通りにならない存在がいる、その一点だけでナデシコを憎むようになる」

 おい、連合軍は、そこまで腐ってやがるのか?
 と、俺のそんな思いを見透かしたように、ハルナは言葉を続けた。

 「腐っている、っていうか、ヤキモチなんだよね。優秀な人材と兵器。豊富なサポート、そしてとっても軽いナデシコの雰囲気。軍人さんみたいに抑圧の強い人には、たまったもんじゃないんだよ。軍はさ、シビリアンコントロールの原則があるから、ナデシコみたいに気軽に軍事力を増強出来ない。それでいて成果は求められる。自分たちにもナデシコ級の戦艦とエステバリス、そして優秀なスタッフとバックアップがあればって思っている人は多いよ。本末転倒なんだけど、一概に否定も出来ないんだよね。その思いこそが、命を賭けられる元だから」

 さすがというか……若いのに大した眼力だ。軍の持つ問題点を的確に捉えている。

 「けどナデシコの強みは、まさにその『軍に属していない』というところにあるんだ。少なくともナデシコはいっさいの政治的責任や防衛義務を負っていない。その身軽さが、ナデシコを支えてきた。それを軍……特に極東軍は、忌々しく思っているんだ。多分極東でそう思っていないのは、艦長のお父さん、ミスマルコウイチロウさんとタケちゃん……ムネタケ提督だけだよ。だけどね……それは間違いなんだ」

 「何が間違いだって?」

 俺が聞くと、ハルナはため息を一つ付きながら言った。

 「軍はね……ナデシコを利用しなきゃいけないんだよ、本当は。なのに、今の極東には、ナデシコを利用出来る人がいないんだ。本当に目の利く人なら……協力と称して、ナデシコに『手駒』を送り込んでいるはずだよ。けど、それすらしていない。みんな、現実を全然見ていないんだ。まあ……極東はさ、ナデシコが活躍したせいで、西欧みたいに追いつめられなかったからね」

 俺はちょっと感心しながら彼女を見ていた。大した大局観だ。

 「それと俺になんの関係が?」

 「わっかんないかな〜」

 いや……何となくはわかるんだが。

 「グラシス中将はね。ナデシコに『手駒』を送るつもりだよ。絶対的に信じられる優秀な部下を、徐々に軍から敵対視されつつあるナデシコを救うためにね。表向きは『恩返し』として。裏では、ナデシコに対する影響力を握るために」

 「そんなことでナデシコを握れるのかい」

 「握れるよ」

 彼女はそう言いきった。

 「お兄ちゃんをまともに見れた軍人さんは、たぶん中将だけだからね。そして、中将なら気がついたと思うよ。お兄ちゃんは、ナデシコに対して無視出来ない影響力を持っている。そして、お兄ちゃんは命令には従わないけど、受けた恩義は忘れない人だって。特に見返りを求めない無償の援助を、無償のままにしておけない人だってね」

 そこまでいわれて、俺も納得した。アキトは確かに、受けた恩を忘れない男だ。ついでにいうと、本人より身内や身近なものの苦難を救ってくれることに恩義を感じるタイプだ。逆もまた然り。本人は苦しめられても相手を疎ましく思うだけで憎んだりはしないが、自分が原因でまわりの人間が苦しむと……ああなる。
 そんな男が、一番大切な身内であるナデシコへの援助を惜しまない存在に、どれだけの恩義を感じるか。それも見返りを期待してのことではないとなれば、どれだけの『見返り』が返ってくることか。
 さすが西欧を支えるじじい。一筋縄じゃないな。

 「やれやれ、アキトも大変だな……気づいている……訳はないか」

 「そ」

 小さく笑うと、じっと俺を見る。

 「でね、中将がこの件でナデシコに送れる『手駒』は、どう考えても1人しかいない……」

 「俺か?」

 そう言ったとたん、鼻で笑われてしまった。

 「うぬぼれるな。そんな訳ないでしょ。オオサキ司令に決まってるじゃない」

 「ちょっと待て!」

 いくら何でもそりゃないだろ。西欧最強の部隊、MoonNightの司令をぶっこ抜くだと!

 「やるよ、中将が『本物』なら」

 しかしハルナは、動ずることなくそう言いきった。

 「そして、それにかこつけて、サラさんとアリサさんを、お兄ちゃんに近づけるために送り込むはず。司令は当然カズシさんとクラウドさんを持ってっちゃうでしょうね。カズシさんが離れる訳はないし、クラウドさんは司令の私的参謀だから、軍に人事権がないし。そうするとたぶん、ナオさんも一緒だよ。サラさんとアリサさんのガードっていう名目で。ま、現状報告係兼任でね」

 「MoonNightの中核を、丸ごとナデシコにくれてやるっていうのか?」

 「で、それとは別にたぶんレイナもいく。ブラックサレナの整備、彼女じゃないと手に負えないだろうから。元々ネルガルからの出向だしね、彼女」

 「にしてもよく考えついたな、こんな事」

 「でしょ、さすが中将」

 「違う、お前がだ」

 そう、中将がその考えに至るというのは、充分あり得る話だ。たぶん軍内部からは猛反発だろうけど、あの爺さん、西欧方面内部では最上級職だからな。有無をいわさず強引にその人事を発令するだけの力はある。そしてナデシコも、アキトがうんといえば受け入れるだろう。
 見事な策である。だが、それより恐ろしいのは、その中将のやりそうなことをこの場で見切るこの女だ。
 とにかくやたらにメシを食うことを除けば、格闘、機動兵器操縦、コンピューターオペレーティング、戦術戦略なんでもござれ。おまけに瞬間移動や不死身など、どっかの漫画の主人公みたいな真似までかましてくれる。

 「本当に……お前、何者だ。こう考えてみると、あまりにも何でも出来すぎる……ただの天才少女改造人間じゃ収まらないぞ」

 「それはまだ内緒。っていうか、いくら説明したって理解出来ないよ。ゲーム機は子供でも使えるけど、そのソフトウェアのソースリストを見せられて、何故こういうゲームになるか、なんて理解出来る?」

 「プログラマーじゃなきゃ無理だな」

 なるほど。俺の頭……というか、知識じゃ理解不能か。

 「でもね、これだけは間違いないよ。あたしはお兄ちゃんの味方。お兄ちゃんに幸せになってもらいたいから、ばれたら間違いなく化け物扱いされるこの力を、あたしは振るっている。お兄ちゃん……自分が幸せになっちゃいけないって思ってるから。さっきお兄ちゃん、言ってたでしょ。『贖罪』って」

 聞いてたのか。油断も隙もないな。

 「確かに、言ったな」

 「それは本当のこと。お兄ちゃんはみんなの知らないところで、取り返しのつかない罪を犯した……ところが、何の偶然か、取り返しがついちゃったんだ。そしてお兄ちゃんは、罪を償う機会を得た……でもね、あの馬鹿兄貴、思いっきり勘違いしてるんだもん」

 「勘違い?」

 「幸せは、誰かの犠牲の元では、決して成り立たないってこと。誰かの犠牲の上に成り立つのは、無知と邪悪さがおりなす偽りの幸せに過ぎないってことに気がついていないんだ。ナオさん、子供の飴玉を取り上げてしゃぶって、幸せを感じられる?」

 そんな訳あるはずがない。それで幸せになれるのはサディストかいっちまった奴だ。

 「他人を幸せにするには、自分が幸せじゃなきゃ無理なのにね。口では理想を言ってるけど、あれ、ナルシズムと自虐癖の融合体だから。辛さに耐えかねて、自虐に逃げているだけ。全く見苦しい」

 ……ずいぶんキツいな、ハルナちゃん。ただ、不思議と納得出来る面があった。

 「お兄ちゃん、化け物みたいに強いけど、実はまだまだガキなんだよね、見た目通りの。ね、ナオさん、お願い。お兄ちゃんを、支えてあげて」

 「お前じゃダメなのか?」

 ちょっと意地悪に俺はいう。ま、答えはわかっているけどな。

 「ダメ。お兄ちゃんに必要なのは、同性の、責任感無しにつきあえる、『悪友』なんだもん。あたしじゃお兄ちゃんを風俗に誘うような真似は出来ないでしょ?」

 そ……そりゃ、出来ないな。

 「もっとも本当に誘われても困るけど。お金で買った娼婦に翌日プロポーズしかねない馬鹿だから」

 それを聞いて俺は腹を抱えて笑ってしまった。

 「なんだその甲斐性なしは」

 「浮気するぐらいの根性があればいいんだけどね」

 そう言うとハルナの奴、飲みかけの酒をぐいっと一気にあおってしまった。

 「お兄ちゃん、惚れた女を地獄に引きずり込んでダメにしちゃうタイプだからね。よっぽど強靱な精神力の持ち主じゃないとつきあいきれないよ。つきあって幸せになれるのは……ま、たぶんお姉ちゃんだけね。それもお兄ちゃん側の意識改革が出来てでのこと。今のままじゃ双方でつぶし合って終わるんだもん」

 「今度は恋愛問題か? 本気で傍迷惑な奴だな、アキトは。世のアキトファンのみなさまが、この実態を知ったらどう思いますかね」

 「だからよろしく。お兄ちゃん、実はそういう性格だから友人が少ないのよね。特に愚痴を言い合ったり、喧嘩したり出来る友人がいないの。上っ面は人当たりがいいけど根っ子がメチャ暗いから、ある程度大人の人格者じゃないと友達になれないのよ」

 「なるほど、気軽に相談にのれる兄貴役って所か」

 「そう。そのスタンスを保てれば、お兄ちゃんのいいところも悪いところも、ナオさんになら全部わかると思う。よろしくねっ!」

 そして、いいたいことを言うと、彼女は足早にこの場を去っていった。
 それこそ妖精のように軽やかに。
 そして俺は……無性に煙草って奴を吸いたくなってしまった。今時そんな物を吸う奴はいないが、古き良きハードボイルド小説には、煙草は定番のギミックだ。
 俺は心の中で煙草をくわえながら一人ごちた。
 女に謎はつきもんだけど、ちょっと多すぎるぜ、ハルナちゃん。







 >GRASIS

 「オオサキ シュン、入ります」

 「サラ・ファー・ハーテッド、入ります」

 「アリサ・ファー・ハーテッド、入ります」

 その日の晩、私はある決意と共に彼らを呼んだ。
 目の前に並んで敬礼する彼らに、私も礼を返す。
 今このときの私は、グラシス・ファー・ハーテッド中将であり、目の前の女性もかわいい孫ではなく、単なる一部下に過ぎない。

 「先ほど、極東方面軍及びネルガルに連絡がついた。ネルガル出向社員、テンカワアキト及びテンカワハルナは、12月23日をもって出向を解除、機動戦艦ナデシコに復員する。時差も含め、ナデシコ復帰は翌24日になるだろう」

 「了解しました」

 オオサキ司令がきびきびと答える。しかしその言葉の端に滲む、一抹の寂しさを隠し切れていない。
 彼は司令にとって、頼れる部下である以上に、息子のようなものだったというしな。
 そして私は続けて言葉を発した。

 「それに伴い、西欧方面軍はネルガル所有の独立協力部隊、機動戦艦ナデシコに対する援助を行う。援助は西欧方面域における補給及び駐留・上陸の自由化、そして人的資源について行う」

 人的資源、の言葉が出たとき、皆は一瞬呆然とし、そしてその意味することに気がつくと同時に、明らかな喜色が表情に浮かび上がった。

 「オオサキ大佐。君は12月23日をもって独立遊撃部隊『MoonNight』司令の任を解かれ、新たに独立協力部隊『機動戦艦ナデシコ』副提督に任命される。同時に、パイロット補充要員としてアリサ・ファー・ハーテッド大尉を、通信・オペレーション要員としてサラ・ファー・ハーテッド通信士を派遣する。
 また、これに伴い、オオサキ大佐は副官を二名随行することが許される。希望者はいるかな」

 彼は間髪を入れずに答えた。

 「タカバ カズシ少佐と、クラウド・シノノメ個人参謀をお願いいたします」

 「了解した。直ちに手続きをとろう。これに加えて、レイナ・キンジョウ・ウォン整備士がテンカワ君に付随してナデシコに異動する。また、護衛官としてヤガミ ナオ君がつきそう。以上がナデシコ派遣団の一員となる。テンカワ君とアリサ大尉はエステバリスで直接ナデシコへ、他の者はシャトルでランデブーするか、ニホン地区のヨコスカドッグで合流かのどちらかになる予定だ。これはナデシコの、直前での戦闘目的などによって変わる。よろしいかな」

 「「「はいつ!!」」」

 綺麗に揃った敬礼が、彼らから返ってきた。
 テンカワ君、私に出来るのはこの程度だ。下心がないといったら嘘になるが、無理にとは言わん。じじいからの贈り物だと思ってくれたまえ。
 オオサキ君やクラウド君の能力は、おそらくこの先、ナデシコでこそ必要になる。君のおかげで地上のチューリップがあらかた掃討された今、宇宙よりの侵攻を防ぐことが西欧の、ひいては世界のためになる。
 頭の固い部下やお偉方には、そう言っておくよ。



 「しかし……『漆黒の戦鬼』か。大した少年だな。あれだけの物を背負って、天を駆けるか……」

 私のつぶやきに、オオサキ君が合わせる。

 「確かに、彼の背負っていた物は、俺なんかの予測を越えたものでした。まあ、今はあえてそれをどこで背負ったのかは問いますまい。彼はそれを、運びきる気のようですからね」

 「そんな彼を、『鬼』とはいいたくないな。『戦鬼』などという言い方は、彼の一面に過ぎん。彼こそは……天が西欧に使わしてくれた、黒き戦いの神……『漆黒の戦神』に他ならなかったのだからな」

 「いいですね、それ。いただきましょう。『漆黒の戦神』……まさにあいつにふさわしい称号だ」

 「『Black Mars』……そう言えば、アキトさん、火星の出身でしたね。ぴったりです」

 「本当ね、姉さん」

 「ならアリサ、お前もこの先、『白銀の戦乙女(Silver Valkyrie)』から、『白銀の美神(Silver Venus)』といわれるようになるまで頑張るんだな」

 「お祖父様っ!」

 そして部屋は、しばし笑いに包まれた。
 こうして笑っていられるのも、テンカワ君、君のおかげだ。
 本当に、感謝しているよ……。







 >LAPIS

 その日のコンタクトは、いつものリンクではなく、ハーリーを交えての、ネット上の対面だった。

 「やほっ、ラピスちゃん、ハーリー君。はじめまして……っていう訳じゃないか」

 やけに軽い呼びかけをしてきたのは、端末の主、テンカワ ハルナ。アキトの妹。
 そして……その脇にもう一人。アニメじゃやられ役だったり護衛だったりヤクザだったりするような、サングラスの男の人がいた。
 これにアキトを加えたメンバーが、今日の話し相手。何かアキトが大事な話があるって言って、このメンバーを集合させた。

 「ご存じなんですか、ハルナさん」

 隣のウィンドウで、ハーリーが返事をする。
 やっぱりバカね、ハーリー。
 この世の中のどこに、あたし達の端末に逆ハッキング出来る一般人がいる訳? 裏の住人に決まってるじゃない、それも名のある。

 「こういえば分かるかな、ハーリー君。ウィズ君は元気?」

 「あ〜っ! HRNさん! てっきり男の人だと思ってましたよ!」

 なるほど……『AIトレーナー・HRN』か……。かなり腕の立つ人って評判だったし、あたし達に、あの『ウィザード』のことを教えてくれた人だ。
 世間は狭い。特に電子の世界は。
 だけど、あたしはだまされない。ハーリーと違って。
 ハルナの腕は、悔しいけど、たぶんあたしより上。
 そして、今の世界に、あたしより上の腕を持つハッカーは、二人しかいない。
 一人はルリ。ほんのちょっとだけ……たぶん、経験の差だけ、あたしが負けている。
 そしてもう一人……それはあの『ウィザード』しかいない。
 と、アキトが話しかけてきてくれた。

 (ラピス、悪いが大切な話がある。いいか)

 私は頭の中でうなずく。
 でも、やっと戻ってきてくれた。
 昔のじゃないアキトが。



 あの時……アキトの心は凍った。
 黙々と、ハルナと、メティ、二人の復讐の準備をするアキトは、とっても痛々しかった。
 実験途中のサレナBを要求したアキト。
 あの後、レイナとかいう人が送ってきたデータを見て、あたしとハーリーは焦りまくった。
 見てよかった。あのままではブラックサレナは、間違いなく爆発していた。
 ダッシュにも手伝ってもらって、何とかバランスを取り直して、レイナにデータを送り返した。
 幸い、うまくいった。
 アキトの派手な戦闘は、2重の囮。自分に注目を集めると共に、侵入開始の合図。
 あの時点で、基地の機能の大半はあたしの手にあった。怪しまれないように、情報の流入出以外は放置したけど。
 全部じゃなかったのは、スタンドアローンの場所があったのと、一部別の人に乗っ取られていたから。
 それをやったのも、あのハルナ。ハーリー、どこに目を付けているの。
 あたしが乗っ取ったシステムに侵入出来る奴なんだよ、こいつ。

 ……まあ、いいけど。

 あたしが乗っ取ったシステムからのデータを元に、アキトはジャンプして基地に侵入、そこでいろいろやりながら、ミリアさんとナオさん……サングラスの人を助け出した。
 何かハルナもいろいろやってたけど。倉庫から食料かっぱいだり。
 まあ、そんなことはどうでもいい。関係ないし。
 その後、テツヤとかいう男を目の前にして、アキトとハルナが、真面目なんだか漫才なんだかわからない話をしていた。
 でも、ここでハルナを少し見直した。彼女は、結構しっかりしている。
 いっていることが実感出来ないのが、なんか悔しかった。



 そして、ハルナとメティが帰ってきたことで、アキトの心は溶けた。
 心配掛けるな、って言いたい。
 無事なら無事って、さっさと連絡しろ、って言いたい。
 でも、アキトが元気になったら許してあげる。
 と、アキトが何か話し始めた。

 「ラピス、ハーリー君、今度俺は、ナデシコに戻ることになった。
 そろそろ頃合いだろう。
 二人とも……脱出だ。ナデシコに、乗ろう」

 ……………………
 …………………
 ………………
 …………
 ………
 ……
 …



 い、意識が飛んじゃったじゃない! いきなりびっくりすることいわないでよ!

 「ほんと! ホントなの!」

 「ああ、もちろん。必要な準備は、ハルナとナオさんがやってくれる」

 それでこの二人がいたのか。

 「さ、細かい打ち合わせだ」



 取りあえず、話は決まった
 ふっふっふっ、やっと……やっと、アキトに会える!!
 ジャンプでこっそりとか、ネット越しじゃなくって、一緒にご飯も食べられる!
 じゃ、こっちも仕込もっと。
 あたしとアキトのラブラブ天驚拳の威力、思い知るといいんだわ!



 「おい、今日の実験体、やけに成績がいいな」

 「機嫌も良さそうだ。何かいい夢でも見たのかな?」

 そりゃあ、うざいあんたたちを超級覇王電影弾で一掃出来るんだもん。

 (決行は12月24日。今年のクリスマスプレゼントは、『自由』だ)

 ふふふ〜、待っててね、アキト。







 >TADASHI

 今日、ちょっと驚きの発表があった。
 アキトさんとハルナちゃんが、ナデシコに帰還することが決まった。
 しかもそれに合わせて、オオサキ司令、カズシ副司令、クラウドさん、アリサさん、サラさん、そして……レイナさん。
 彼らもナデシコに出向になった。
 MoonNightも、たぶん開店休業になる。司令の話だと、しばらくはほかの部隊を鍛えるのが仕事になるらしい。
 まあ……うちとほかの部隊じゃ、練度や技術が違いすぎるもんな。
 これも全部、アキトさんとハルナちゃん、そしてレイナさんのおかげ……なんだよな。
 でも……ハルナちゃん。死んだと思われてたけど、生きていた。
 本当に、よかった。
 知らせがあったときは、ひっくり返った。
 でも、あの人は、帰ってきた。
 俺たちの元に。

 「そう言えば、もうじきクリスマスだっけ。少し早いけど、サンタさん、ありがとう」

 ガラにもなく、こんな言葉まで口をついて出た。



 そして……明日、みんなは出発する。
 夜の送迎パーティーは、無茶苦茶盛り上がった。
 普段決して一緒に飲まない司令と副司令が、今日ばかりは一緒になって酔っぱらった。

 「万が一の時は、俺が何とかしますよ……」

 送られる側なのに、ずっとパーティー料理を作っていたアキトさんがそう言ってくれたからだ。

 「お兄ちゃんにとって見れば、料理を存分に作らせてくれることが、最高のもてなしなのよ。そして作った料理を、みんなが美味しいっていいながら食べてくれることがね」

 とは、ハルナちゃんの弁。
 その言葉の通り、出てくる料理はどれも絶品だった。
 俺たちは全員が、大いに飲み、食った。
 明日からの寂しさを、忘れるかのように。



 さすがに暴飲暴食がたたって、部屋に帰るなり俺はひっくり返って寝てしまった。
 なのに、夜中、ふと目が覚めた。

 「……ん」

 何かの気配を感じて振り向くと、そこにハルナさんがいた。

 すっぽんぽんの姿で。

 「な(もごもご)

 思わず叫びかけた俺の口は、彼女に塞がれてしまった。

 口で。

 俺の口が解放されると同時に、耳元に彼女のささやきが聞こえた。

 「約束したでしょ。間に合ったら、一晩つきあってあげるって。遅くなって……ごめんね」



 田舎の母さん。俺、サイトウタダシは、になりました。







 >CLOUD

 今日は出発の日。
 特別に時間をもらって、早朝、僕はテアさんの家を尋ねた。

 「あ、おはようございます。クラウドさん」

 「おはよう、クラウドお兄ちゃん」

 ミリアさんとメティちゃんが出迎えてくれる。ただ、テアさんはちょっと寂しそうだ。
 僕やアキトさんとの別れがつらい訳じゃない。
 テアさんは、長年やって来たこの店を畳むことにしたからだ。
 今はしのいだが、この先、またクリムゾンの手が伸びないとも限らない。

 いや……確実に伸びてくるだろう。

 信じられない話だが、捕まえたはずの工作員たちは、翌日、基地郊外で、死体となって発見された。
 どうやら何者かが彼らを脱走させ、そして殺したようだ。
 このMoonNightの目をかいくぐるのだから、大したものだ。
 おそらく、彼らの息のかかったものが、基地内にもいるということだろう。
 元々MoonNIghtは第13大隊をベースに編成されている。パイロットはともかく、一般兵や整備兵の中に、彼らの息の掛かっている者がいたとしても不思議ではない。
 それにここのところ戦いも一段落していたせいで、僕を含めて、みんなの規律がゆるんでいたことは否定出来ない。彼らはそんな心の隙をしたたかについた。
 そして同時に、テアさん一家もまた、危機にさらされていることに気がついた。
 ミリアさんとナオさんを縛り付けた『女神計画』は、まだ生きている。
 ハルナさんの機転で二人の間に障害はないものの、あのナオさんの意志を縛り付けた『技術』は、確かに存在しているのだ。
 目を離せば、いつまたミリアさんが狙われるかわからない。そしてナオさんも、ミリアさんに貼りついてはいられない。
 そこでグラシス中将は、思い切って彼らを自分の懐に抱え込んでしまうことにしたのだ。期を同じくして、テアさんたちは、MoonNightの護衛付きでグラシス中将のお膝元に引っ越すことになる。
 そう言う意味のお別れもあるのだ。
 今日の朝餉が、僕にも、テアさん一家にとっても、最後の晩餐になる。朝に晩餐というのも変な話だけど。
 そして別れの前、テアさんが何かを差しだした。

 「クラウド……これを着ていけ。もう、大丈夫だろう」

 それは、制服だった。白い詰め襟。金の縁取りライン。
 これは栄光ある……木連優人部隊総司令の制服!
 そのとたん、頭の中に、すさまじい衝撃が走った。
 走馬燈のように、忘れていたはずのことが次々と押し寄せる!
 私は……私は……!

 「どうした、クラウド」

 「すみません……これを見たらめまいがして。ひょっとしたら、記憶が戻る前兆かも知れません」

 「おう……それは考えなかったな。考えてみれば、それは元々お前さんが着ていた服だ。あの時はヤバいと思って隠しておいたからな。記憶……思い出せるといいな」

 「はい。いろいろと……お世話になりました」



 僕は、テアさんたちに見送られて、再び駐屯地に戻っていった。
 でも……思い出してしまいました。
 僕の本当の名前は、東八雲。
 生体跳躍を可能としたエリートにより構成された、木連優人部隊の長。
 そしてあの日……僕はこの戦いの敗北を予測し、地球側の協力者である、クリムゾングループの代表に、この戦いを和平に導くように働きかけた。
 しかし、返ってきた答えは……。
 ロバート・クリムゾン。あなたは、何を狙って、我々にこれほどの援助をしてくれたのですか?
 私でも知らない、何かの理由があるのですね。
 おそらくは……テンカワさんが持っているという、ボソンジャンプ……生体跳躍の秘密。
 ああ、だんだん思い出してきました。
 あの晩、私を助けてくれた、電子の魔女……『ウィザード』と名乗った、仮面の女性……。
 髪型を除けば、彼女はハルナさんにそっくりでした。
 顔こそ見ていないものの、あのスタイルやものの言い方は、彼女そっくりです。
 たぶん、あれは間違いなく彼女でしょう。
 そして、彼女は言いました。

 『そして覚えておいて。あなたを眠りからさます使者は、『黒を纏うもの』。彼に出会ったら、それが行動の時。彼との接触は、いかなる事があっても切らないこと。ただし、『神』が『鬼』であるあいだは、そして、『神』が『神の国』に戻り、『真なる玉座』に座るまでは、あなたは決して真の名を名乗ってはいけない。それを守れば、あなたは『神の国』から『故郷』へ帰還出来ると思うわ』

 最強の使者……黒を纏うもの。これは、テンカワさんのことですね。
 そして、『神』が『鬼』であるあいだ……先頃より、テンカワさんの二つ名として、『漆黒の戦鬼』に代わり、『漆黒の戦神』という呼び名が広まっています……。
 あなたは、何故知っていたのですか? 彼の二つ名が変わることを。
 『神の国』は、彼のもっとも大切な場所……ナデシコのことでしょう。
 『真なる玉座』……これは、まだはっきりとはしませんね。神の国に戻り、といっているのですから、きっとこれからのことでしよう。
 そうすると最後の一文は、私がナデシコから木連へと帰還するということでしょうか。そしてそれまでは、私はまだ本名を名乗ってはいけないという警告も兼ねていますね。
 ハルナさん……あなたは、こうなることが、わかっていたのですか?
 だとしたら……あなたは、とても恐ろしい方です。
 ですが、今はあなたの忠告に従いましょう。ここは、敵地です。
 それにテンカワさんは、はっきりと和平の意志を口に出しました。それは、僕の目指すものと一緒です。
 これから、テンカワさんの大切な、ナデシコの力を、じっくりと見せてもらいます。
 そのためになら、あえて同胞の死にも目をつぶりましょう。
 今の僕は、まだ、オオサキ提督の個人参謀、クラウド=シノノメなのですから。
 この制服も、まだ着れませんね。



 そしてハルナさん、あなたが何故我々のことを知っているのか。じっくりと調べさせてもらいますよ。







 >REINA

 そして、私たちは、馴染みはじめていた西欧地区を後にしました。
 けど……信じられないことをしますね。ブラックサレナからアリサさんのエステバリスにエネルギーチャージをするなんて。
 まあ、派手な戦闘をしなければ可能ですけど。
 私は司令やクラウドさんたちと一緒に、シャトルで極東へ向かいます。
 ナオさんとハルナさんは、極秘の任務があるとかで、一足先に出発しています。
 ここに来てからいろいろなことがありました。
 そして、いくつもの思いを抱えて、ついに私はナデシコに向かいます。
 実は、私はお姉ちゃんに連絡していません。これまでは定期的に入れていた連絡を、最後だけごまかしました。
 今はまだネルガルからの出向ですが、もし現地でお姉ちゃんが私を追い出そうとしたなら、直ちにその身分を西欧軍MoonNightからの出向に変えてもいいという内示を、オオサキ司令にもらっています。
 私は聞いてみるつもりです。お姉ちゃんがどこまで知っていたのかを。
 そして……どこまで人の心を失ってしまったのかを。
 願わくは、まだ人の心を残して置いてください。
 私は、お姉ちゃんを、敵にしたくはありませんから。



 そして、『漆黒の戦神』は、今帰還の旅路をたどりはじめました。



 本編13話へ続く。








 後書き。

 外伝、終わりました。
 でもハルナ、ぼろぼろ正体がばれていってます。
 クラウドさんは何故か記憶を取り戻しちゃうし、ラピスには疑われるし。
 もう少し先だと思っていたんだけど。
 間違いなく、物語が加速しています。
 そしていよいよ本編では、どかっと増えた新キャラをのせて、ナデシコが再び宇宙へ旅立ちます。
 時の流れにと比較して、歴史はどう変化していくのか。
 物語は、流れていきます。



 後、少し先のお話を予告しておきます。
 14話の後にある『ラピスの夢』
 ここにラピスの話は入りません。
 ここに入る話は『ロバートの夢』になる予定です(爆)。
 外伝3話に張られた伏線の謎を、存分にお楽しみください。

 

 

代理人の感想

幸せは、誰かの犠牲なしには得られないのか。

時代は、誰かの不幸なしに越える事は出来ないのか。

 

今回の話を読んでいて、そんな言葉が浮かんできました。

OVA「ジャイアントロボ・TheAnimation」に登場する主人公草間大作の父、

草間博士が死に瀕して息子に残した問いかけです。

今まさに無念の死を遂げようとしていた彼は、

自らの人生を通じて答を見出せなかったその問いかけを息子に託したのです。

「お前ならば、お前達ならばこの問いに答を与えてくれるのか」という想いを込めて。

 

今回、これがこの「再び」の本当のテーマなのかもしれないとあらためて感じました。

(最初に何処で感じたかはひ・み・つ♪)

 

誰も傷つくことなく。誰も不幸になることなく。

そんな事は無理です。できっこありません。

でもアキトはやろうとしてますし、ハルナもやろうとしています。

ただ、ハルナはアキトの気がついていない部分もきっちり見つめて

それに対する手を冷静に(ときに冷酷に)打っているのが少し違いますが。

 

既にたくさんの人が犠牲となり、不幸になっているこの戦争。

彼女はどう決着をつけてくれるのでしょうか?