海上に設置された特設リングは狂乱と言っていいほどの歓声に包まれていた。

 足切りである決勝リーグ戦では共にこれまで全勝、シード選手である東方不敗マスターホウメイを除けば

 今大会の参加ファイターの中では間違いなく一、二を争う実力者と衆目の一致する二人である。

 本決勝バトルロイヤルを前にした決勝リーグ戦の締めくくりとして、これ以上ないカードであるのは間違いない。

 が、無論それだけがこの熱狂の理由ではない。

 今日のファイトは生死無用のデスマッチ。

 どちらかは必ず・・・・いや、むしろ両方死ぬ可能性のほうが高いかもしれない。

 かつてのボルトナデシコ V.S. ランバーナデシコ戦がそうであったように、

 観客にとって今日の戦いは残虐な流血願望を満たす絶好のチャンスなのだ。

 天の星に手が届いても、人類はなお己の業から逃れられないでいる。

 歓声が一際熱狂をはらんで、高まった。

 

 闘技場の床が開き、二体のナデシコがせり上がって来る。

 白のサムライ。白赤青のトリコロールが鮮やかに燃えるゴッドナデシコ。

 黒のニンジャ。黒と白のコントラストが静かな威圧感を放つナデシコシュピーゲル。

 共に抜き身の刃の如き雰囲気を纏った二体が今、相対した。

 

 貴賓席ではメグミとホウメイがその様子を注視している。

 腕を組み、長身を風になぶらせるホウメイは厳しく口元を引き結び無言のまま。

 メグミは小作りな口元に僅かな笑みを浮かべて。

 それは果たして嘲笑か、はたまた憫笑であったか。

 そして一体誰へのものであったのか。それを思う暇もなく、メグミが立ち上がる。

 一瞬、僅かに静まった歓声の中、よく通る声がファイトの開始を告げる。

 

「それではナデシコファイト、スタン・バイ!」

「「レディ!ゴォォッ!」」

 

 アキトとシュバルツが唱和し咆哮する。

 爆発的な歓声の中、二人は同時に動いた。

 

 

 激突。

 互いのショルダーアタックが正面からぶつかり合い、火花を散らす。

 さらに力を込め、アキトが踏み込む。その力が、逸らされた。

 肩から押す力をいなし、シュバルツがその背後に回りこむ。

 体勢の崩れたアキトの背中が、その目の前にある。

 咄嗟に転がったアキトの上を、ナデシコシュピーゲルのブレードが切り裂いていった。

 

 無論、一撃で終りではない。

 転がって距離を取ろうとするゴッドの脇腹を二撃目が浅く切り裂く。

 さらに転がって間合いを取った。

 転がりながら素早く体を丸め、回転にひねりを加えて傍から見れば起きあがりこぼしのように直立する。

 膝を伸ばせば直立できるその姿勢で、だがアキトはそのまま再び後ろに倒れこんだ。

 直後、アキトの顔面ギリギリをシュバルツのブレードが駆け抜けていく。

 風切り音だけで、顔の皮膚が切り裂かれたかのような錯覚があった。

 回避の為に後ろに反った動きをそのまま、殆どヤケの様にバク転し、

 ゴッドがナデシコシュピーゲルの顔面を蹴る。

 下手をすれば、自らをシュピーゲルの刃に無防備に晒しかねないその攻撃は

 さすがにシュバルツの意表を突いたようで、一瞬その動きが鈍った。

 その隙を逃さずに更にバク転し、床面を蹴って距離を取る。

 それで、漸くアキトはシュバルツの連続攻撃から逃れることが出来た。

 

 間合いを取ったところで立ち上がり、構えを取る。

 恐れていた追撃は無かった。

 シュピーゲルはいつの間にかブレードを畳み、両腕を組んで様子を伺っている。

 ゴッドを追撃することが出来なかったのではない。

 明らかに、意図的に追撃しなかったのだ。

 無理な追撃を仕掛け、体勢を崩して薮蛇になることを恐れたのかもしれないが、

 アキトにしてみれば舐められた様にも思える。

 だが、ここで冷静さを失えばそれこそ相手の思う壺だ。

 沸き起こりかけた激情を抑え、静かな目がシュバルツを見る。

 

 無機質なシュピーゲルの目が笑ったように見えた。

 間合いの外、拳は勿論両腕のブレードも到底届かない距離でシュバルツの右手が動いた。

 腕が輪郭が霞むほどに高速で動いた瞬間、アキトが体を傾け、

 シュバルツの手から放たれた刃の煌きを辛うじて躱す。

 続いて左から第二撃。右から第三撃。

 

「それそれそれそれそれそれそれそれ!」

 

 手裏剣状のビームナイフが矢継ぎ早にシュバルツの両手から放たれる。

 だがアキトとて徒手空拳の技のみを磨いてきたわけではない。

 手裏剣術も、そしてそれに対応する技も一通りは身につけている。

 相手が飛び道具を使ってくるところ、本来ならこちらも飛び道具で対処すべきだが、

 休みなく手裏剣を投じ続けるシュバルツに向け、あえてアキトは踏み込んだ。

 時には見切り、時には叩き落してアキトが疾る。

 一歩疾るごとに三本の手裏剣が飛んでくるが、アキトは殆ど速度を緩めない。

 スピードを重視し、躱した手裏剣に装甲を削られるほどぎりぎり最小限の回避と防御しか行わないでいる。

 後五歩。

 動かない胴を狙い、三連続で手裏剣が投じられる。

 一本ずつを両手で弾き、最後の一本を腹筋を引き締め、あえて下腹部の装甲で受け止めた。

 爆発が起きたが、元々装甲の厚い部分。案の定内部にまでダメージは及んでいない。

 後四歩。

 俗に言う「十字打ち」で両手の手裏剣を全く同時に投げてきたのを片方は頭を傾けるだけで躱し、

 もう一方は手の甲で叩き落す。

 側頭部と右手の甲に出来た傷には頓着せず、もう一歩を踏み込もうとして、アキトの背中に悪寒が疾った。

 

 ナデシコシュピーゲルがいつの間にか両手にそれぞれ二十一本ずつ、

 計四十二本の細身の手裏剣を握っていた。

 アキトはその型をホウメイの友人である手裏剣術の師範に一度だけ見せてもらったことがある。

 その師範は片手に十八本ずつ、計三十六本の手裏剣を同時に投げることが出来、

 同時に十までの目標を狙うなら百発百中の腕を持っていた。

 無論、投げ方も一通りではない。

 複数の手裏剣を同時に握り前方に並んだ敵に一本ずつ当てる技、「野分」。

 同じく敵の正中線に集中させる「橋立」。

 囲まれたとき、360度周囲の敵全てを打つことのできる「八方」。

 時間差をつけることで回避を困難にする「一之太刀」。

 一本目の陰に二本目を隠す奇襲技「燕」。

 そう言った技全てと、同時にそれらを破る術一通りをアキトは仕込まれている。

 だが、今シュバルツが投げようとしているそれを破れるほどの自信は無い。

 故に、咄嗟にバーニアを吹かして横っ飛びに大きく躱そうとした。だが間に合わない。

 

 次の瞬間、至近距離で放たれたショットガンのように手裏剣の嵐がアキトを襲った。

 2割ほどは直前の回避機動によって命中コースから逸れたが、まだ三十本以上がゴッドを狙っている。

 回避・・・限界がある。

 素手で叩き落す・・・手は二本しかない。全てを落とすには流石に手数が足りない。

 何らかの手段で防御する・・・ゴッドナデシコにはその類の装備が存在しない。

 結果、投じられた四十二本のうち七本が命中した。

 多いと見るか少ないと見るかはそれぞれだろうが、

 三十五本までを回避し、または防いだアキトの技量が賞賛されるべきものであったのは確かである。

 勿論ナデシコには装甲があるため、数十本を一度に投げられるような小型の手裏剣では

 重大な損傷を与えることは出来ない。

 だが、何本かは確実に装甲の薄い部分を貫き、ゴッドに損傷を与えている。

 先ほどのブレードのそれとあわせ、僅かずつではあるがダメージが蓄積されていきつつあった。

 

 跳躍の体勢を維持したまま着地。傷を負いながらも、次の瞬間アキトが全力で踏み込んだ。

 大技の次だけに、シュバルツも即座には対応できない。

 既に持っていたこれはかなり大ぶりの二本の手裏剣で咄嗟に十字打ちをしようとして、

 なんと左の手裏剣がその手からすっぽ抜けて落ちた。

 シュバルツの足元、闘技場の床に半ばまでそれが刺さる。

 その時にはもう、右手に握っていた手裏剣は投擲され、アキトの防御にはじかれて宙を舞っている。

 

 今度こそ接近戦に持ち込むことを期待し、アキトが疾る。残り二歩。

 最早シュバルツの手に手裏剣はない。もう一度投げて止められなければ、アキトの攻撃に無防備になる。

 故にシュバルツはもう手裏剣を投げることはないとアキトは確信する。

 ここからは、白兵の間合いだ。

 その次の一歩を踏み出すと同時に、ナデシコシュピーゲルが蹴りを出した。

 勿論届く距離ではない。

 後二歩踏み込まねば届かないその間合い。

 だが、その足元に先ほどすっぽ抜けて落ちた・・・否、「落とした」手裏剣があった。

 手裏剣がシュピーゲルの蹴りに弾かれて飛ぶ。

 一直線に、正確に自分の顔面をめがけて飛んでくるその手裏剣に、

 完全に意表を突かれたアキトの回避が遅れる。

 結果、体勢が大きく崩れた。

 致命的な隙だった。

 

 シュピーゲルの両手から発せられたビームの投網がゴッドの全身に覆い被さる。

 体勢を崩してさえおらねば避けられたであろうそれは、ボディの各所に絡みつき動きを著しく制限した。

 シュピーゲルが回し蹴りを打つ。

 網のせいでガードが間に合わず、脇腹にまともに受けたゴッドが無様に転がった。

 素早くシュピーゲルがマウントポジションを取り、

 乱打に見えて、その実隙のないパンチが的確に急所めがけて打ち下ろされる。

 関節に、装甲に、およそあらゆる部分に網が絡みつくために逃れることもならず、アキトは防御に徹していた。

 

 打つ。

 防ぐ。

 

 打つ。

 入った。

 

 打つ。

 反らそうとして、出来ない。打たれた。

 

 打つ。

 躱した。

 

 打つ。

 痛い。

 

 打つ。

 視界に星が飛んだ。

 

 打つ。

 入った。

 

 打つ。

 躱した。

 

 

 連撃が続く。

 辛うじて急所だけは外しているが、攻撃は容赦なくダメージを蓄積させ、機体の損傷が恐ろしい勢いで増えていく。

 サポートデッキではハーリーが歯を食いしばり、油汗を流しながらコンディションモニタを睨んでいる。

 イエローとレッドの表示がモニタを侵食する中、気は焦るが事態を打開する案が何も思いつかない。

 エリナとルリが、すがるような視線をハーリーに向けるが、

 何か口を出せばそれがアキトの集中を削いで致命的な事態が起こるように思えて、

 ハーリーは指一本動かすことが出来ないでいた。

 そんなハーリーと対照的に、シュバルツはアキトに容赦ない攻撃を加えながら、

 冷やかな眼差しで自分が組み伏せている相手を見下ろしている。

 

「その程度? その程度でデビルホクシンと戦うつもりだったの?

 私に手も足も出ない程度の実力でデビルホクシンと。

 それくらいなら、いま私が引導を渡してあげたほうが親切というものかしらね」

 

 攻撃を全く緩めることなく、冷たい言葉がアキトの耳を打つ。

 

「この・・・・・・・・・舐めるなぁ!」

 

 そしてアキトが吼えた。火がついた。

 シュピーゲルの上半身に狙いをつけ、頭部のバルカンと肩のマシンキャノン計六門を同時に乱射する。

 だがそれより一瞬速くシュピーゲルの腕が動き、ゴッドの頭と上半身を床面に叩きつけた。

 方向をそらされた弾丸の嵐が空しく空を切り、あるいは金網をあるいはバリアの天井面を叩く。

 その瞬間、アキトは足の後ろ脛の部分、床に押さえつけられていたスラスターに全エネルギーを叩き込んだ。

 ゴッドの頭を叩き付けて前屈みになっていたシュピーゲルのバランスが致命的に崩れ、前方に転がる。

 ゴッドは足から推進炎を吐き出しつつ、逆立ちからコマのように両足を回転させて体を浮かせ、

 そのまま反転して蹲踞のような姿勢で着地する。

 そこから立ち上がるのと同時に、バルカンとマシンキャノンに撃ち抜かれてほつれていたネットを一気に引き裂いた。

 だが、さすがにその息が荒い。

 ゴッドナデシコも上半身のあちこちで塗装がはがれ、装甲が歪んでいる。

 無理をさせた脚部スラスターのダメージがモビルトレースシステムを通じて痛みとして感じられる。

 それでも、その闘志にだけはいささかの揺らぎもなかった。

 腰を落とし、構えを取った。巌のような強固さがそこにはある。

 

 素早く立ち上がったシュピーゲルの、そのアイカメラに再び笑みが見えたと思った次の瞬間、

 シュピーゲルが後方に跳んで更に間合いを開ける。

 次の瞬間、その姿が七つに増えた。

 どよめきの上がる中、それらのシュピーゲルが一斉に、今度はゴッドめがけて飛んだ。

 

 考える間もなく、アキトの体は動いていた。

 完璧な連係攻撃の形を取って襲い掛かるシュピーゲル七体。

 他の6体には目もくれずその後列、左から二番目のシュピーゲルに刃を振り下ろす。

 火花が飛び散った。

 

 ゴッドの振り下ろしたビームソードを、シュピーゲルが右手のブレードで受け止めている。

 いつのまにか六体の影は消えていた。

 本体が揺らげば、所詮虚像でしかない影は存在を続けられない。

 

 再び火花が散った。

 刃を返し、刀身にこもった力を受け流してシュピーゲルが再び間合いを取る。

 剣を片手青眼に構えたまま、アキトが激しい視線をぶつける。

 

「小手先の技を!」

「そうね。かつてはとにかく今のあなたにはこんな小手先の技は通用しない、それも当然。

 でも。これならどうかしら?」

 

 言うなりその全身から力が抜け、やや前屈みになった体から両手がだらりと下がる。

 その奇妙な構えがゆらり、と揺れて見えた。

 揺らぎが大きくなり、その姿がぶれる。

 前屈みに脱力した構えのまま、シュバルツが笑う。

 

「これは、小手先の技ではないわよ?」

 

 再び観客がざわめき始めた。

 揺らぎは更に大きくなる。

 シュピーゲルの姿が無数のぶれを起こす。

 ぶれが、どんどん大きくなる。

 ゆらりゆらりと揺れながら、ぶれたシュピーゲルがもはや「ぶれ」とは言えないまでに離れてゆく。

 それぞれのシュピーゲルが完全に離れ、リングの半ばに広がってゆく。

 ゆらりゆらりと揺れながら、大きさも質感も気配も、足元の影すら寸分違わぬナデシコシュピーゲルが二十体、闘技場に並んで立った。

 

「ゲルマン忍法・シュレディンガーの猫」

「ほう・・・」

 

 感嘆の声を漏らしたのはアキトではない。

 今日は貴賓席でメグミと一緒に観戦している東方不敗マスターホウメイだ。

 冷静さを失っていないとは言え、アキトに感嘆するまでの余裕はない。

 そのこめかみに一筋の汗が流れた。

 たとえシュバルツが作り出したものとは言え、ただの虚像ならば先ほどのように気配でわかる。

 逆にアキトが身につけたゴッドシャドーのような実体を持った分身であれば、それもまた気配でわかる。

 それはある程度以上の実力者を相手にした場合に、術の原理的に避けようがない弱点であるし、それだけの実力をアキトは持っている。

 

 だが、この無数のナデシコシュピーゲルは全てが実体としか思えない。

 本来分身なら足音などするはずもないし、動いても空気は乱れない。

 だが、こいつらは違う。空気を揺らし、床を軋ませ熱を発し、駆動音とオイルの匂いまで漂わせている。

 ゴッドのセンサーをもってしてもこれらのシュピーゲル達の間に一切の違いを見出すことは出来なかった。

 それどころかアキトの感覚が正しければこれらのシュピーゲルは「影であると同時に実体」であるという、恐ろしく矛盾した存在となる。

 

 実はこれら全部が虚像で、どこかに(例えばアキトの影にでも)本物のナデシコシュピーゲルが潜んでいるというならまだ理解できなくもない。

 逆に実は全てが実体で、どうにかしてナデシコシュピーゲルを二十体用意し、

 どんな手品を使ってか闘技場に瞬時に出現させたのなら――勿論ルール違反だが――まだ納得もいく。

 だが、アキトの感覚はどれもが本物で同時にどれもが偽者だと言っているのだ。

 完全に、理解を超えている。

 さすがにシュバルツがこの場面で出してくるだけのことはあった。

 おそらくはゲルマン忍法の秘術中の秘術。

 

 

「・・・・・・・・ホウメイ先生。これは・・・・ナデシコファイト国際条約違反ではないのですか?」

 

 部下からの報告を受けて一瞬冷たくなったメグミの声が、報告の続きと共に次第に鋭さが収まり、力が抜けていく。

 さすがに呆けたような響きがあった。

 顔のつくりの割に大きな、こぼれ落ちそうな瞳がホウメイを仰ぎ見る。

 その奥に縋るような光が湛えられていた。

 アキトが研ぎ澄まされた感覚によって知覚したことを、メグミは部下からの報告で知った。

 錯覚や幻像ではなく、全てに実体があるという事実はさしもの彼女の理解を超えていた。

 

「条約違反? ほう、今更アンタがそんなもんを気にしてるとは驚きだね」

「茶化さないで下さい! あれは一体なんなんですか?!」

 

 合理主義者や頭の切れる人間が、理解を超えた存在に遭った時に良くそうなるように、

 今のメグミもまた理解を超えた不条理に対して不可解な怒りを感じていた。

 そんなことなどお見通しといわんばかりに微笑を浮かべ(無論メグミの考えすぎではあるが)、

 こちらをいなすホウメイもまた腹立たしいことこの上ない。

 

「本人が言っているだろう。あれは『シュレディンガーの猫』さ」

 

 

 

 

 す、とナデシコシュピーゲル「達」が動いた。

 本体とも分身ともつかない朧な気配のまま、音も立てず空気も乱さず足も動かさず、滑るように動く。

 アキトが咄嗟に飛びのこうとするが、滑るようなシュバルツの・・・数体のシュバルツの動きのほうが速い。

 瞬く間に包囲網を作りあげてゆくシュピーゲルの動きには一切の無駄が無い。

 包囲網を完成させても、その動きは止まらなかった。

 時には二重、また三重。

 アキトの周囲に緩やかに円を描きつつ、個々のシュピーゲルの姿がすれ違い、重なり、位置を変え、また別れる。

 まるでワルツを踊っているように。

 本物の舞踏会と違うのは、これが人の目と感覚を欺くべく計算し尽くされた動きだということだ。

 

 見ているだけで幻惑されるような移動、位置の交換。

 いちいち目で追っていたらキリがない・・・などと、アキトは言われずとも判っている。

 朝格納庫でそうしていたように視線を動かさず、また視線の焦点を定めずに広く周囲に意識を拡散させる。

 周囲を観察、または警戒するときの基本に立ち返り、

 大きく視界全てを見渡し、全体の流れから飛び出す気配だけを、決して注視せずに注視する。

 息詰まるような対峙。幾ばくかの時が流れる。

 動いた。

 前、右、左、そして上。同時に四体のシュピーゲル。

 アキトもまた、遅滞無くそれに反応した。

 既にその腕には双刀が握られている。

 

「ゴッドスラッシュ・・・タイフゥゥゥゥゥゥンッ!」

 

 四体のナデシコシュピーゲルが間合いに入った瞬間、その姿が、一瞬にして荒れ狂う竜巻となった。

 ユリカの奥義を打ち破り、また舞歌のドラゴンナデシコの両腕を断ち切った技。

 四体のナデシコシュピーゲルは完璧な連携攻撃の形で迫る。

 どれが本物でどれが影かわからない以上、全てを斬るのみ。

 渦巻き昇り、触れたものを皆切り裂く刃の竜巻。

 四体のシュピーゲルはその中に飲まれ、為す術も無く切り裂かれるかに見えた。

 

 

「!?」

 

 

 双刀が作り出す竜巻に四体のナデシコシュピーゲルが飛び込み、すり抜けた。

 ゴッドが回転を止め、苦しげに膝をつく。

 火花が、その背中に大きく走る。

 斜めに切り裂かれた真新しい傷が、ざっくりと背中に開いていた。

 

 

 

 大多数の観客に見えたのは、ただそれだけであった。

 だが、ホウメイを初めとするファイターたちや会場の周囲に配置された超高速カメラは勿論別だ。

 程度の差はあるにせよ、彼らはその瞬間の攻防をその目で確かに捉えていた。

 

 

 常人の目からすれば輪郭がぼやけるほどに高速で回転するゴッドナデシコ。

 だがミリ秒単位の世界においてはその回転も緩やかな舞の如きものでしかない。

 その世界の中、同じ緩やかな、しかし息を呑むほどに無駄のない動きで四体のナデシコシュピーゲルが間合いを詰める。

 コマのような回転のバランスを崩さず、四体の内最初に間合いを越えたシュピーゲルに

 アキトが裏拳か、あるいは外回し蹴りのような形で左の一刀を送る。

 千分の一秒の世界の中でなお一瞬の間、アキトはその刃に手ごたえを感じる。

 だが、それは儚くも消えて、一の太刀は最初の影をすり抜けた。

 ほぼ同時、僅かに遅れて低い軌道を走った右の一刀が、タックルのように低い姿勢で滑り込んできたシュピーゲルの背を切り裂いた。

 またも、刃は敵の体をすり抜ける。

 

 そして三体目と四体目が、それぞれ真正面と真後ろにいた。今度は完全に同時。

 たった今二体の影を斬った双刀は僅かに速さを減じており、間に合わない。

 このままではアキトの攻撃はシュバルツたちの攻撃に一拍遅れて放たれることになるだろう。

 だが、体を捻ればどちらか片方になら先んじて一刀を送ることは可能だ。

 殆ど本能的に、脅威度の高いと思われる背中側のシュピーゲルに対して左の剣を送り込んだ。

 無理な動きながら流石にアキトである。

 送られた一刀はシュピーゲルに避ける事も許さず鋭く振り抜かれ。

 そして、刃は影を三たび突き抜けた。

 一呼吸遅れて正面のシュピーゲルがゴッドの脇を通り過ぎ、

 同時にトンファのように伸ばされたブレードがゴッドの背中を斜め一文字に切り裂いた。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・再び、時間が通常の速さで動き出す。

 膝を突いたゴッドの周囲を取り囲み、シュピーゲル達がゆるやかに回りつづける。

 先ほど攻撃を仕掛けてきた4体はその円陣の中に混ざり、

 既にどのシュピーゲルが攻撃を仕掛けてきたそれであるかは判らなくなっていた。

 

 

 ぎりり、とアキトが歯を軋ませた。

 運が悪い、と思った。

 見破れなかっただけであり、

 半目に賭けた自分のカンを裏切って壷の中のサイは丁目だったのだと。

 或いは読みあいに負けたのかもしれない。いや、むしろその方が可能性としては大きい。

 普通なら最も安全確実な背後から襲撃するという

 アキトの読みのその裏をかいて本体を正面に位置させていたのだろう。

 と、その瞬間。ほんのかすかな違和感がアキトの心に影を落した。

 だが、再び動き始めた円陣はアキトにその違和感を追求することを許さない。

 

 無言のまま、アキトが立ち上がる。

 再びその双刀が構えられ、それとともに周囲に僅かな変化が生じた。

 しばらくは誰も気が付かなかったがまずアキトが、そしてファイターやクルーたちがそれに気づく。

 ほんの僅かずつではあるが、20体のナデシコシュピーゲルが形作る円陣がその動きを早めていた。

 そしていまや大多数の観客にもはっきり分かるほどその速度は上昇し、

 しかもその人の感覚を欺く動きにはいささかの乱れもない。

 もしシュピーゲルのうちの一体に大きな目印をつけたとしたら、

 それは激しい渓流に流され渦に巻かれる木の葉のようにめまぐるしく動いたに違いなかった。

 もっとも並の人間では目を欺かれるより先にスピードそのものについていけないだろうが。

 

 だがその渦の中心にいるアキトは元から目に頼ろうなどという考えを捨てている。

 先ほどと同じように視線を動かさず、また視線の焦点を定めずに周囲を観察する。

 両の目だけではなく心の目をももって大きく視界全てを見渡し、

 全体の流れから飛び出す気配だけを、決して注視せずに注視する。

 魚が跳ねる寸前には、必ず水面に波が起こるものだ。

 

 

 魚が跳ねる寸前には、必ず水面に波が起こる。

 だがその瞬間まで回転しつづける円陣のリズムには一瞬の変調もなかった。 

 何の前兆も無く、「それ」が突然起こる。

 尤も跳ねたのはシュピーゲルではない。円陣その物が、跳ねた。

 

 円陣が、天地二つに分裂した。

 天の円は飛翔した10体のナデシコシュピーゲル。

 右手のブレードを大きく胸元にひきつけ、必殺の刺突の構えで跳躍している。

 まず五体。それに続いて更に五体。

 よしんば第一陣の五体を突破したとしても第二陣の五体による刺突を逃れる術はない。

 地の円は両腕を大きく広げた同じく10体のナデシコシュピーゲル。

 その両手には既にあの、二十一本ずつの手裏剣が握られている。

 次の瞬間それらが一斉に放たれ、驟雨の如き四百と二十の煌きがアキトの存在する空間を隙なく襲った。

 

 シュバルツ「達」のとった行動は極僅かな瞬間、アキトを困惑させた。

 このままでは間違いなく味方同士が互いの繰り出した刺突で貫かれ、互いの撃った手裏剣で針鼠になる。

 互いを射線上において十字砲火をかけるような物だ。

 同士討ち必至の捨て身の戦術・・・かと思ったが考えれば何のことはない、

 これらのシュピーゲルは一体を除いて全て分身、実体のない影なのである。

 アキトは全てを実体と考えて避けねばならないがシュバルツのほうにそんな制限はない。

 影の攻撃が影に当たろうが本体に当たろうが痛くも痒くもないし、その逆もまた然り。

 勿論、本来の陣形は同士討ちを必至として敵を必殺する捨て身の業なのであろう。

 だが同士討ちを考えなければこの陣の必殺性がこの上なく活かされる。

 そう言う意味で、これはこの上なくシュバルツに適した戦法であった。

 あたかもシュバルツの、「シュレディンガーの猫」と言う技の為に編み出されたかのような陣形であるとすら言えたかもしれない。

 

 無論、そんな戸惑いなどはアキトの行動に何ら影響を与えはしない。

 困惑といっても相手の戦術を分析する瞬間の過程の一つに過ぎず、アキトの精神は依然として常態であった。

 そしてアキトが選択した行動は、その場に不動で立ち尽くすことだった。

 煌く嵐がアキトを襲う。

 無数の手裏剣は悉くゴッドのボディを逸れるかすり抜けた。

 

「ならば・・・・!」

 

 最初の賭けに勝ったとアキトは信じた。

 手裏剣の嵐はゴッドのボディを傷つけていない。なら跳躍した10体の中に本体はいる!

 そしていかにナデシコシュピーゲルとは言え、空中ではバーニアの推力が許す以上の機動は出来ない・・・・!

 

 と、通常ならそう考えるであろう。

 だがアキトの感覚は自分の体を突き抜けずにある方向に飛散した手裏剣の数が微妙に多いことを察知していた。

 つまり、アキトの斜め後ろにいるその手裏剣を放ったナデシコシュピーゲルはわざと狙いを外したのだ。

 何のために?

 無論、それが本体である事を隠すため、本体が上の十体のうちにいると信じさせる為である。

 

 今度こそ。

 上空のシュピーゲル達に向けて構える。

 そのまま、唐突に、上空に備えた構えのままの姿勢でアキトは斜め後ろに跳躍した。

 空中で体を捻り、双刀による斬撃を送り込む。

 今度こそ。

 だがそう信じた連続攻撃は、またしてもシュピーゲルの体をすり抜けた。

 

 それより僅かに早く、後方でシュピーゲル達が着地する音が連続して聞こえていた。

 アキトが振り向いて双刀を構えるより一瞬早く、シュバルツのブレードが背後から駆け抜けざまにアキトの胴を薙いだ。

 咄嗟に体を捻っていなければ、臓物をブチ撒けて絶命していたかもしれない。

 今度の傷も、けして浅くはなかった。

 

 

 苦痛に耐えながら、再びアキトは歯を軋らせた。

 二度も相手の術中に陥ってしまったのだ。

 流石に経験で勝るであろうシュバルツに一日の長があるというべきか、読み合いでは分が悪い。

 立ち上がりながらそこまで考えた瞬間にぞくりと。背筋に悪寒が走った。

 脈絡もなく、間違っていると言う気がした。

 

 根拠はない。勘だ。

 だが、こう言うときの勘は多くが信じるべきものであることが多い。

 しかし、シュバルツが読み合いで勝ったと言う推測が間違っているならば、何故アキトの剣は影を切ったのか?

 アキトは読み合いに破れたわけでも不運だったわけでもない。

 だが剣はその実体を捉えることが出来なかった。

 それは矛盾している。

 何かあるのだ。アキトが見落としている何かが、この二つの事実を矛盾なく接続することができる。

 

 先ほど己が斬った影であるシュピーゲルの三つと自分の体を切り裂いた実体のシュピーゲル一体。

 地上から手裏剣を撃ってきた影と背後からアキトを斬ったシュピーゲル。

 ともに両者の気配には全く差は感じられなかった。

 データを解析しているハーリー達スタッフにもその差は理解できていない。

 ただ、実際にアキトを切り裂いたのがまぎれもなく本物のシュピーゲルであると言うことは確かだった。

 

 だがどう考えても筋が通らない。

 アキトの動きを読む以外に、あの状況を作為的に作り出す方法はないはずなのだ。

 あるいは、シュバルツはイカサマをしたのかもしれない。

 アキトもホウメイも、勿論ハーリーもメグミも知らず、ただシュバルツのみが知っているタネによって

 アキトを初めとするこの場の全員を欺いたのかもしれない。

 だがどんな?

 そこで思考は停止してしまう。

 結局、アキトには荷の勝ちすぎる問題であった。

 

「その通りよ」

 

 が、答えはシュバルツその人の口からあっさりともたらされた。

 

「私はイカサマをやったの」

 

 くすり、とシュバルツは。

 この場にはおよそそぐわぬ、だがそれだけに底冷えのする笑みをもらした。

 

「よろしい、説明しましょう。

 最初の攻撃のとき、最後に正面から攻撃したのが本体だったわけじゃないの。

 アキト君が後ろの方の私を攻撃したから前から飛び掛った私が「本体になった」のよ。

 でももしアキト君が全部の私を迎撃することに成功していたら、あの中に私の本体はいなかったでしょうね。

 二度目も同じ。アキト君がアレに気がつかずに上に注意を向けてたら、

 アキト君が攻撃しようとしていた私がアキト君を斬っていたわ」

 

 会場に静寂が下りた。

 殆どの人間が、理解不可能といった顔をしている。

 例外はアキトとマスターホウメイ、後はせいぜい分身たちの気配の矛盾に気がついていたファイター達や

 メグミ首相のように頭の回転の速い一部の人間くらいのものだろう。

 それほどまでに、常軌を逸したものであった。

 おそらく今のシュバルツ以外がこんなことを言ったら、十人が十人とも発言者の頭の中身を疑うだろう。

 

「いずれもが実体、いずれもが影。実体である私と虚像である私が混じり合い、

 それがどちらかは箱を開ける(拳を交える)まで誰にもわからない。

 故に名付けてシュレディンガーの猫」

 

 シュレディンガーの猫。それは量子力学における有名な仮定である。

 量子力学の基礎に「シュレディンガーの方程式」と呼ばれる一つの方程式がある。

 それを「箱を開けるまで生きているか死んでいるかわからない猫」に喩えたものが「シュレディンガーの猫」と呼ばれる思考実験だ。

 それは、「生きていると死んでいるが混じりあった」と表現される状態。

 箱を開けたときに生死の確率が五分五分であった場合、「生きている確率が50%、死んでいる確率が50%」ではなく、

 「50%の生きた猫と50%の死んだ猫が混ざり合った状態」という不可解な解を導いてしまう方程式。

 「生きていると同時に死んでいる」というありえない解を、厳密な、数学的手法から導き出してしまう式。

 観測という『行為』によって現実が『確定』されると言う魔法のような結論。

 

 どれかが本物、だとかどれが本物だかわからない、だとかいう状況とは根本的に違う。

 確かに本物は一つ。二十のうちの一つ。

 だがそれは観測という『行為』によって、そして観測という『行為』によってのみ初めて確定される。

 そして確定するまではシュバルツ自身にとってもこの分身は全て本物であり同時にただの影でもある。

 そう、シュバルツ自身にとってもだ。

 即ちそれは、実際に攻撃を受け或いは攻撃を当てるまで相手が影か実体か確かめる方法がない、という事。

 当然だ。

 全て本物なのだから偽者を見分けることなど出来はしない。

 全て偽者なのだから、その中に本物がいるわけがない。

 生きる猫と死ぬ猫とが確定するまでは。

 

 言い換えれば、シュバルツは無数の影の中から任意のそれを選んでその影を自分の実体にすることができる。

 影が攻撃を受ければ必ず攻撃を受けなかった最後の一つが本物となるし、

 逆に一斉に攻撃を仕掛ければガードをかいくぐって攻撃を当てた影が本物になる。

 

 伏せたトランプのカード二十枚の中に一枚ジョーカーが入っているとして、

 それを当てねばならない場合にたとえてみよう。

 アキトが20の内1つを選んで引いた場合、通常なら二十分の一の確率で本物に当たる。

 だがシュバルツはアキトがカードを引いた後で(そしてアキトが引いたカードを見る前に)

 伏せていたどのカードがジョーカーだったか決めることができるのだ。

 アキトが引いたカードがジョーカー以外なら、山札のどこかからジョーカーが顔を出し、引いたカードは山に戻りシャッフルされる。

 アキトが一度に19枚引いても1枚が伏せたまま残っていれば、その残った1枚がジョーカーになる。

 つまり真っ当にやろうとすれば、シュバルツの方でアキトにジョーカーを引かせるか、

 さもなくば20枚全部を同時に引かない限り、アキトはジョーカーを引くことが出来ない。

 確かにシュバルツの言う通り、これは正真正銘のイカサマである。そうとしか言いようがなかった。

 

「えーと・・・・つまり何? アキト君が全部のナデシコシュピーゲルを同時に攻撃しない限り、どれが本体か見破れないの?」

「そう言うことになると思います・・・・・たぶん」

 

 理解が追いついていないのか、どこか間の抜けたエリナとルリの会話が漏れ聞こえてきたが、聞いている余裕などなかった。

 アキトの拳にぎゅっと力がこもり、剣の柄を握り締める。

 シュバルツが本当のことを言っているという保証などはない。

 説明好きという彼女の性癖を考慮に入れても、だ。

 忍者は目的を果すためならいかなる手段でもとる。

 一つの目的の為にあらゆる手段が正当化される、それが忍者と言うものの恐ろしさである。

 その言葉を鵜呑みに信じるなど愚の骨頂のはずであった。

 だがそれでも何故か、アキトはその言葉を真実であると信じた。

 性質を知ろうが知るまいが、この術を破るのが至難の業であり、恐ろしい効果を発揮することには違いない。

 だから・・・・・と言う訳ではない。とにかく信じた。

 あるいはシュバルツの言葉を信じるよりむしろ自分の勘を信じたと言っていいだろう。

 真実と感じたからその感じたことを信じる。それだけであった。

 

 いつの間にか動きを止めていたシュピーゲルの円陣が、再び動き出す。

 どうやら、説明の時間は終りらしかった。

 

 

 ゆるやかな、人の目を惑わす運動が再び加速し始める。

 すぐまた、そこから必殺の一撃が繰り出されるのであろう。

 閃くものがあった。

 

「ならば・・・・・こうだっ!」

 

 言いざま、アキトが全力の拳を闘技場の地面に叩きつけた。

 爆発。

 拳は闘技場の床面を大きく抉り、ゴッドがすっぽりと嵌るほどの大きさのクレーターを作り出す。

 抉られた床の、その分の質量は破片となり全方向に飛散した。

 爆発によって文字通り弾丸の速度を与えられ、超音速の凶器となった破片の飛ぶ先に、20体のナデシコシュピーゲルがいる。

 この散弾の如きつぶてをその身に受ければ・・・・・・・・・・・・

 そう思ったその瞬間、幻惑の陣を紡ぐシュピーゲル達が一斉にその姿をブレさせ、残像となって消えた。

 そう、殆どの観客の目には見えただろう。

 無論実際には違う。

 シュバルツたちの動きが余りに速いため、一般人の動体視力が追いつかないのだ。

 音速を超えたスピードで飛来する無数の散弾。

 ゴッドを中心とした爆発によって弾丸の速度を与えられたそれを。

 

「・・・・・・それで?」

 

 それを、全てのシュピーゲルは体にかすらせることもなく躱した。

 一瞬の後にはアキトを包囲する円陣も元通りに組みあがっている。

 全力を込めて大地に拳を叩きつけ、体勢の崩れたゴッドが、付け入ることのできるような隙は全くない。

 

「随分前に言わなかったかしら? あなたの頭では考えるだけ無駄というものよ」

 

 シュバルツの声には傲慢なほどの余裕が滲んでいる。

 それからさらに二度、シュピーゲルの刃はゴッドのボディを切り裂いた。

 

 

 次にアキトが思いついたのはわざとシュバルツの攻撃を受けるという手段だった。

 攻撃を受けた瞬間にシュピーゲルを捕獲、そのまま他の19体と混じらせないようにして戦う。

(この場合捕獲行動がカウンターではあってはならず、必ず攻撃を受けた後でなければいけない。『確定』する前に攻撃しては今までと同じだ)

 が、そこで気がつく。

 シュバルツとて自分の技の性質は百も承知のはず。

 相討ちを覚悟でアキトがシュバルツを捕まえようとしても、それを許すほど甘くはあるまい。

 忍者は鉄則として、術を編み出したときにはその術の破り方も必ず考えておく。

 破る方法さえわかっていれば、逆にそれを封じることもできるからだ。

 いくら説明好きとは言え、自分の技の謎解きをわざわざやって見せたのはそう言った裏づけがあった。

 言い換えれば、アキトがこの術を破るためにはシュバルツとの知恵比べに、しかも相当に不利な条件の中で勝たねばならない。

 これこそ至難の業であった。

 

 

 事実、シュバルツはアキトに己の本体を捕まえさせなかった。

 最初の立会いと同じく、常に複数の分身で完璧な連携攻撃をかけ、

 一撃を加えては反撃の暇を許さず離脱する。

 完全なヒット&アウェイが出来ないときは決して実体での攻撃をしない。

 攻撃がヒットする寸前に危ないと思ったら、円陣を維持しているどれかが本物になればいいのだから、簡単なものだ。

 己の敗北に繋がる隙を微塵も見せず、完璧に勝つことに徹しきった戦術だった。

 

 

 

 

 それから更に五度シュバルツの剣が閃き、ついにゴッドナデシコは崩れ落ちた。

 サポートデッキ最上部でアキトとゴッドのステータスをモニタリングしていたハーリーが悲鳴をあげる。

 

「大丈夫ですかアキトさん!」

「心配するなガイ! この程度どうって事は・・・・・・・・・」

 

 沈黙が降りた。

 苦痛に思えるほど痛々しい、そんな沈黙。

 全てを圧する大歓声さえ耳に入らず、ネオジャパンのクルーデッキは凍りつく。

 

「あ・・・・・」

 

 呆然と、アキトの口から声が漏れる。

 いや、ただ音が漏れただけと言うのが正しいだろうか。

 この一瞬だけ、アキトは確かに戦いを忘れていた。

 もう三歩間合いが近ければ、シュピーゲルの刃によってゴッドナデシコは首を落とされていたはずである。

 この間合いでも、その気があれば強烈な一撃が決まっていたであろう事は間違いない。

 だがシュバルツは、その絶好の好機にもかかわらず動かなかった。

 ただ腕を組み、覆面をゆがませて嘲笑する。

 

「あらあら、結局のところ頼るのはガイ君、って訳ね。

 一人でも勝って見せるんじゃなかったかしら?」

「そうだな・・・その通りだ。ガイには、頼れないんだったよな・・・。

 全く・・・・・・いなくなってから頼るなんてな。あっちこっちで馬鹿呼ばわりされるのも当たりまえだな。」

 

 ぐ、と体に力を込めながらアキトが自嘲する。

 だが次の瞬間。

 その自嘲が強い意志を秘めた別の表情。決意や覚悟と呼ばれるそれに変化する。

 

 もう一度。

 苦痛に僅かに顔をしかめながら、アキトが立ち上がる。

 深手を負いながらも、ゴッドナデシコが立ち上がる。

 両肩に、背骨に、両足に、そして両目に闘志を込めて、立ち上がる。

 

 この程度の傷なら、何度だって受けてきた。

 その度に立ち上がってきた。何度でも、何度でも。

 負けるわけにはいかないから。勝たねばならない理由があるから。

 今更この程度で止まりなどしない。止まってなどいられない。

 まだまだ勝負はこれからだ。

 

 

 その立ち上がるアキトの後ろ姿を、クルーデッキの最上段からハーリーは見つめている。

 痛々しさと感嘆と、そして勝利を願う純粋な祈りが混在する瞳で傷だらけのアキトを見つめている。

 今、アキトはガイに頼ろうとはしたがハーリーを頼ろうとはしてくれなかった。

 だが悔しさは沸いてこない。

 一度アキトが頼ってくれたとはいえ、ハーリーはやはり整備が出来るだけに過ぎないのだ。

 自分の仕事は、自分に出来ることは既に終わっていることを一番よく知っているのは他ならぬハーリー自身だ。

 だから悔しくはない。ただ、悲しかった。兄がいればと強く思った。

 兄さえ、ガイさえいたならばアキトも・・・アキトも、どうしたろう。

 わからないが、きっと何とかしてくれたはずだとハーリーは信じる。

 それだけに、一人で戦おうとするアキトの姿を見て、ハーリーは痛々しさを抑えることが出来なかった。

 

 痛々しさを抑えられない人間がもう一人いる。

 ユリカだ。

 ガイの気持ちは知っている。後悔していたアキトの事も知っている。

 だから、ハーリーにも負けず劣らず心が痛む。

 できるものならネオジャパンのクルーデッキに駆け上り、アキトの支えとなりたい。

 だが、ユリカとて自国の威信と国益を背負って立つ身。

 自身が述べたように、今大会が終わるまでは敵味方でいなくてはいけない間柄なのである。

 今アキトの為にユリカにできるのは、只ひたすらに祈ることだけだった。

 そんなユリカを、ジュンが見つめている。

 

 

 アキトの苛烈な意思を込めた視線が正面からぶつかってくるのを肌で感じ、

 シュバルツは再び雌豹の微笑みを見せる。

 再び両腕のシュピーゲルブレードが展開し、腕の前方に向かって伸びた。

 丁度両拳の場所、トンファーの様に突き出た取っ手を握り、ブレードが腕と一体となる。

 また、円陣が動き出した。

 

 

 だが、立ち上がったからといってアキトにシュバルツに対抗する妙手が生まれたわけではない。

 再びシュピーゲルのブレードがゴッドナデシコの装甲を削り取ってゆく。

 そう、装甲を、だ。

 手応えが明らかに変化してきているのをシュバルツは感じていた。

 ヒットアンドアウェイを繰り返すこちらの戦法に早くも適応してきているのか、

 数度の攻撃を加えても深手と言えるほどのダメージを与えることができていない。

 だが、防ぐだけでは勝てない。

 隙を見て攻勢に転じるべく防御に徹しているのだろうが、

 そうと分かっていて隙を見せるほどシュバルツは甘くはない。

 第一、アキトは既に満身創痍。

 手裏剣の貫通創、マウントポジションを取ったときに負わせた打撃、ブレードで切り裂いた裂傷。

 少なくとも十を越える深手とそれに数倍する数の負傷を負わせているはずだ。

 アキトは常人ならショック死してもおかしくないほど傷ついた体を、今は気力で動かしているに過ぎない。

 人間は永遠には動けない。

 無限にダメージを耐えることも出来ない。

 例えこれ以上の深手を与えられずともいずれは力尽き倒れる。

 シュバルツはただ、それを待てばよい。

 

 だが、アキトがついに自分を超える実力を身に付けられなかったのが無念であった。

 無論今のアキトの実力とて恐るべきものである。

 今や新シャッフル同盟の中でも随一の実力者であろう。

 よくぞここまで成長したと、贔屓目無しに思う。だが、これでもまだ足りない。

 あの悪魔を倒すには今の自分に勝る力を身に付けてもらわねばならぬ。

 そのくらいでなくては、とても勝利はおぼつかない。

 敵は、そして敵を守る不死者どもの軍団はそれほどまでに強大だ。

 何より、自分では東方不敗マスターホウメイと互角にまでは持ち込めても、決して勝つことは出来ない。

 肉体と精神の深奥に眠るものを引き出せる相手には、同じ事ができる人間でなくては勝てない。

 そして、シュバルツがいかに強かろうとも「それ」を引き出すことはできない。

 「それ」は、シュバルツの内には元から宿っていないのだから。

 その意味でも、アキトの成長は必須なのだ。

 だがこのままでアキトが自分に勝てるとは思えなかった。

 それはそれでやむをえない、とシュバルツは考えている。

 その場合は、現状のシャッフル同盟とアキト、そして自分だけでどうにかするしかあるまい。

 かなり、分の悪いことになりそうであった。







 既にシュバルツは試合が終わった後のことを考えている。

 だがその彼女もひとつ忘れていた、あるいは計算に入れていなかった事がある。

 本来ならありえない・・・まともな人間ならやるはずのないことをやってしまう特殊な人種の事を。







 そう、馬鹿は死ななきゃ治らない。







「アキトの、

大馬鹿野郎ーーッ!!」

 

 シュバルツが何十回目かの攻撃を仕掛けようとしたその瞬間、その声が戦闘フィールドに轟いた。

 会場の各所に設置されたスピーカーの音が激しく割れるほどの声。

 メグミ首相を初めとして、その場にいた全ての人間が一斉に耳を抑える。

 ありえないが、スピーカーが火花を噴いて爆発してもおかしくないと思ってしまうほど大きく重く、腹に響く声であった。

 

 アキトとシュバルツ、そして事情を多少なりとも知るものの目が、一斉に一点に集中する。

 やっぱり、そいつがそこにいた。

 まるっきり、たった今病院から抜け出して来たと言わんばかりの格好で。

 ネオジャパンサポートデッキの最上段、セコンド席で唖然とする弟を押しのけ、マイクを握っている。

 

 にいっ、と歯茎をむき出して笑うダイゴウジガイの表情に、胸を貫かれた傷の影響はどこにもない。

 

「な・・・・な・・・・な・・・」

「馬鹿な! あんな体で!」

 

 アキトは殆ど愕然としていた。

 一方シュバルツが驚くより先にガイの体を案じたのは、忍者らしい冷徹さと、らしからぬ優しさの相乗した結果であろうか。

 如何に不死身の男ダイゴウジガイとは言え、並の人間なら絶対安静間違い無しの傷である。

 戦っている最中とも思えない二人の反応も、無理からぬ事といえよう。

 ガイに話し掛けるアキトの声が、震えていた。

 

「おまえ、ケガは・・・・」

「自主退院だ!」

 

 ガイが大威張りで胸を張った。

 それにカチンと来たか、アキトの声が荒くなる。

 シュピーゲルの円陣は何故かその動きを止めていた。

 

「この馬鹿野郎! こんなところに出て来れる体じゃないんだろうが! とっとと病院のベッドに戻れ!」

「ふっ、問題ない」

「馬鹿を言うな! あんな怪我がそう簡単に治ってたまるか!」

「ぬははははははは、愚か者め!

 熱血パワーは全ての不可能を可能にするのだ!」

 

 もちろん痛くないわけが無い。

 平気なわけが無い。

 だがそんなことはどうでも良かった。

 友の危地を見過ごしては、男を名乗るもおこがましい。

 

 目が覚めたのはつい十数分前だった。

 見覚えの無い病室に寝かされている。腕には点滴のチューブが刺され、

 開け放たれた窓からカーテンを揺らす風に乗って聞き慣れた歓声が聞こえてくる。

 夢うつつをさまよいながら、意識の端っこでぼんやりと聞いていたそれを歓声と認識した途端、

 これ以上ないくらい完璧に目が覚めた。

 体の痛みも無視して上半身を起こし、窓の外を見やる。

 その男臭い相貌には恐ろしく真剣な表情が浮かんでいた。

 見慣れた海上リングは丸ごと趣味の悪い網で覆われ、その中で黒と白のナデシコが戦っている。

 あきらかに、白い方が押されていた。

 そこまで見て取り、ガイは一瞬の躊躇も無くベッドから飛び降りる。

 途端、胸に鋭い痛みが走り、胃がひどくむかついた。

 めまいを感じ、思わず四つんばいに両手と膝を突く。

 

 本人や周りがなんと言おうと、間違いなくガイは重傷の身だ。

 ベッドに横たわり、アキトの勝利を祈りつつTVでゴッドとシュピーゲルの戦いを観戦していてもよかったはずだ。

 だが、出来なかった。

 血が騒ぐ、と言おうか。

 体の中で燃える何かが、ガイに傍観者としてあることを許さない。

 それはアキトへの友情かもしれなかったし、シュバルツの「できることをやればいい」という言葉かもしれなかった。

 或いはパートナーとしてのアイデンティティに対する危機感焦燥感やアキトの敗北に対する恐怖だったかしれず、

 また単にそれら全てかもしれなかった。

 

 だが、ガイは気づいてはいないが知っていた。

 それは自分のもっと根源的な所から生まれてくる衝動だということに。

 その衝動こそ、自分が最も尊ぶ物であり、自分の自分たる核なのだと。

 

 もはや一瞬たりとも迷うことなくガイは病室を飛び出した。

 護衛が何か叫んでいたが、無理矢理振りほどいて置き去りにする。

 衝動が体を支配し、獣のようにガイは走った。

 幸い試合場は目と鼻の先だった。

 

 ネオジャパンの警備陣を顔パスで強引に通り抜けるとネオジャパンのクルーデッキに取り付き、

 非常用のハシゴを使ってあっという間に上まで昇る。

 そして驚いて振り返る弟を押しのけ、マイクを引っつかんで思いっきり叫んだ。

 

 

 

 絶句しているアキトを前に、ガイは今、ひどくいい気分であった。

 考えてみれば、実に下らないことで悩んでいたものだ。

 力が足ろうが足るまいがガイはアキトのクルーである。

 ガイがアキトを信頼するように、アキトはガイを信頼してくれているに決まっている。

 そのことを信じられぬなら、さっさと辞めた方がいい。たとえ、事実がそうでなかったとしてもだ。

 信頼されているからこそ、それを裏切らぬ働きもできる。

 使い古された言い草だが、それにふさわしくないと思うのなら、そうなるための努力をすればいいのだ。

 

 そもそも、だ。

 一人の人として男として、友を支えてやるのに何か特別な資格がいるか?

 特殊な能力が要るのか?

 否。

 断じて否!

 

「とにかく、だ! 俺はお前のクルーなんだ! お前がファイトするって言うのに俺がいなくてどうするってんだよ!」

 

 絶句したままのアキトに向かって追い討ちの一言。もちろん、自信たっぷりにだ。

 それがとどめになったのか、ついにアキトの、元から余り丈夫でない堪忍袋の緒が完全に切れた。

 

「・・・・勝手にしろ! 後で泣きごと言っても聞かないからな!

 試合が終わったら病院のベッドの上でたっぷり後悔しろ!」

「けっ、シュバルツにいいようにやられて、泣きべそかいていた奴が言うんじゃねぇよっ!

 それはともかくとして早速だが! 今から俺様が考えた超スーパーウルトラグレイトな作戦を伝授してやる!

 耳の穴かっぽじってよぉ〜っく聞けよ!」

 

 色々と気を利かせてくれたのか、それとも単に呆れているのか、

 先ほどから動きを止めて一斉に腕組みをしているナデシコシュピーゲル達を横目で睨みつつ、

 ガイが「超スーパーウルトラグレイトな作戦」を手短に伝える。

 元から半信半疑の態でガイの言葉を聞いていたアキトの目が、

 ガイが話し終わったときには完全に白くなっていた。

 

「・・・・・・・・・・・作戦というほどのものか? 大体、それができたら苦労はしないんだよ!」

「できるかできないか、やってみもせずに言うんじゃねぇよ!

 それに言っただろう。熱血パワーに不可能なことはねぇんだっ!」

 

 暴論である。

 だが・・・・・・・・・・・・・・・だがしかし、嘘は言っていない。

 人によって捉え方に違いはあるだろうが、少なくともガイは、真剣にそう信じている。

 

 何かを成し遂げようとするとき、当り前ではあるがその意志だけでは意味がない。

 それを実行する力が要り、知恵が要り、時間が要り物資が要る。

 それらが十分でなければ人の望みは現実の前に脆くも崩れ去る。

 だが、その意志さえ失わなければ、諦めさえしなければ、望みは崩れはしても潰えはしない。

 人が何かを為そうとして、それが真に不可能となるのは、その実現を諦めた時。

 あまりに高い壁に絶望し、意志が挫けたとき、それは不可能という名の絶対の壁になる。

 だが意志を捨てず、不可能を前に可能性を積み続ける者たちがいる。

 一見無駄と思える努力を積み重ね続け、決してそれを諦めないほんの一握りの者たちだけが

 不可能という壁を乗り越えることができる。

 熱血とは意志すること。絶望せず、諦めず、挫けず負けぬこと。

 目的に向かいただひたすら邁進する不屈の意志そのもの。

 故に。

 その意味においては、確かに熱血に不可能なことなどないのだ!

 

「熱血に不可能はない、か・・・・」

「おうともよ。大体だなぁ、さっきから見てればなんだ! 防御だけでどうする!

 そうやって、亀の子みたいに縮こまってて勝てるのかよ!?

 攻撃は最大の防御って言うだろうが!

 思いっきりガンガン! いきゃあいいんだよ! いつもそうやって勝って来たんだろが!」

「・・・・・・・・・・・・・・」

 

 もはや暴論を通り越した、だが妙に的を得た放言の連発に、アキトは沈黙するしかなかった。

 大きく、ため息をつく。

 そんな彼の内心を知ってか知らずか。

 

「オイ、迷ってるんじゃねぇよ。おめぇが負けるわけがねぇんだ!

 なんてったってなぁ、お前には、この俺様がついてるんだからな!」

 

 言い放ち、ガイは、最高に男臭い笑みを浮かべて親指を立てた。

 ひゅっ、とアキトの唇から呼気が漏れ、その肩が小刻みに震える。

 次の瞬間、爆発するような笑い声がその喉からほとばしった。

 

「ふ・・・・・は・・・・・はははははははは!」

 

 ごく自然に、心の底から笑いが溢れ出した。

 もう、何もかもどうでも良くなっていた。

 友人だのパートナーだの相棒だの、そんなありきたりな名前をわざわざ付けて、この男との関係を決めてしまう必要はない。

 隣にいてくれれば、それでいい。

 後ろで見守っていてくれればそれだけでいい。

 それだけで安心感がある。

 それだけで根拠のない自信が湧きあがる。

 それだけで自分は一人であるときの何倍も何十倍も強く在れる。

 それだけは、それだけは決して他のどんな人間にも……ユリカやルリにすら、真似できないことだ。

 

 

 

 

 

 おもむろに、ゴッドが剣を納めた。

 腰を落とし頭上で両腕を交差させ、ゆっくりと下ろしながら両脇に引き付ける。

 深く響く呼気が大気を震わせる。

 空手で言う「息吹」。

 びりびり、と。音という大気の震動とは別に、

 その場に存在する者全てのこころを揺さぶるような震動が皮膚に感じられる。

 腕を組んで佇立していたシュピーゲル達が腕をほどき、一斉に構えた。

 

「さて・・・・・お友達との話は終りのようね?」

「待たせたな」

「待たせられたわ。一体何を話していたんだか」

「すぐに分かるさ」

 

 言葉はそこで途切れた。

 もう何度目だろうか、またしても円陣が動き出す。

 緩やかなワルツが軽やかなタップダンスに変わり、更に加速してゆく。

 何度繰り返しても、この加速と、それがもたらす緊張感には慣れる事がない。

 攻撃のタイミングがいつも、それも絶妙に違うからだ。

 加速しきってからの事もあるし、まだ緩やかな速度のときもある。

 円陣が動き始めた瞬間に仕掛けてきたこともある。

 相手の間の外し方を、シュバルツは誰よりもよく知っていた。

 

 そんな、息詰まる数瞬が過ぎて。

 何の前触れもなく、ゴッドが鋭く真正面に踏み込んだ。

 ほんの一瞬の差で、五体のシュピーゲルが円陣から飛び出す。

 

(・・・・・・・・・・・見切られたっ!?)

 

 さすがのシュバルツが驚愕した。

 今まで、アキトは明らかにシュバルツが動いてからそれに反応していた。

 だが今アキトはシュバルツが動く一瞬前に動き、

 シュバルツが再び仕掛けようとした連携攻撃のタイミングをずらした。

 もしこれが偶然ではなく、シュバルツの攻撃のタイミングを読み、それを外して動いたのだとすれば・・・・

 アキトはシュバルツの動きを見切った、あるいは少なくとも見切りつつあると言う事になる。

 

 だが、今はアキトの動きの方が重要だった。

 今までとは逆に今度はシュバルツが間を外され、連携攻撃の形は完全に崩れてしまっている。

 その時にはもうアキトは向かって斜め前から飛び出したシュピーゲルを一体、抜き打ちに切り伏せている。

 無論影ではあったが、シュバルツをして回避する暇も与えないほどにその剣は鋭い。

 

 影が一体切り伏せられるその直前に、残るシュピーゲル達が一斉に動き始めていた。

 ゴッドの進行方向に位置する六体が陣を崩し、アキトも対応できない飽和攻撃を仕掛ける。

 残りはゴッドを追うように動き、再び円陣を組みなおす。

 ・・・・・・・・・はずだった。

 

 六体のシュピーゲルは瞬時に切り捨てられた。

 再度一定の間隔を置いて包囲しようとする試みは、こちらの動きを先読みしてくるゴッドの動きに阻まれる。

 牽制の為に仕掛けた攻撃も、悉く弾かれた。

 それどころか、ゴッドは積極的に攻撃を仕掛けて来た。

 前でも横でもそれどころか後ろでも、とにかく手当たり次第に斬撃を繰り出す。

 円陣は乱され、もはや、先ほどまでの完璧な包囲網は望むべくもない。

 シュバルツ達は舌を打ち、シュピーゲル達の動きが変わった。

 これまでの相手を封じるための陣ではなく、もっと動的な、攻撃的な動きに。

 陣形はもう、円と言うよりゴッドナデシコという獲物に群がる狼の群れの如くであった。

 ナデシコシュピーゲルが走り、身を翻し、跳び、目まぐるしく体を入れ替える。

 そして、ゴッドの側を通過するたびに必殺の一撃を繰り出す。

 

 だが、その全ての攻撃にアキトは対応していた。

 先ほどまでのように防御に徹しているわけでもないに関わらず、だ。

 一瞬たりとも静止せず、前、斜め後ろ、左、右斜め前と目まぐるしく鋭角的なステップを踏み、しかも直線的ではない。

 曲線と曲線が鋭角で結合し、円と三角の動きを見事に融合させている。

 激しく回るコマが四角い箱の中にあるのを想像してもらえればいいだろうか。

 回転しつづける直径5センチのコマを6センチ角の箱に入れれば、丁度今のアキトの動きのようになるだろう。

 そして大きく、小さく、円と三角を描いてこちらも目まぐるしく銀の螺旋を刻む両刀の制空圏、

 いわゆる一足一刀の間合いに入った瞬間、そのシュピーゲルは両断され、自らが影である事を確定させる。

 

 だが、それでもシュバルツから、あるいは殆どのものから見れば、

 これは狼の群れに翻弄される獲物の最後の足掻きに過ぎない。

 やがて力尽き、狼の牙に引き裂かれる以外に運命はないのだ。

 いわば燃え尽きんとする炎の最後の輝きだ。

 

 それを証明するかのように、シュバルツの攻撃が次第にかするようになった。

 ダメージを与えるほどの深さではないが、装甲を削り傷を刻む。

 ゴッドのボディに刻まれるその傷も次第に深いものになってゆく。

 だがそれでもアキトの動きは衰えず、勢いは止まらなかった。

 

 

 

 時折、稲妻が走る。

 天にではない。

 限界を超えた機動をし続けるゴッドナデシコのボディ表面にだ。

 

 それに最初に気がついたのはもちろんシュバルツだった。

 穿たれ、切り裂かれた無数の破孔断裂を中心に、青白い電光が白い装甲板の表面を走る。

 初めはゴッドナデシコのボディが限界に来ているのかと思った。

 だがすぐに間違いに気が付いた。

 これは欠損や負傷ではなく、むしろ過剰。

 アキトの体に、ゴッドのボディに、気が満ち始めている、その副作用に過ぎない。

 今ゴッドの中に満ち始めている過剰な気が、出口を求めて吼え猛っている。

 それが放電と言う形で目に見えているのだ。

 

 だが、だからと言ってどうということはない。

 一瞬意表を突かれはしたものの、圧倒的な攻勢に出ているのはいまだに自分である。

 いかに目に止まらぬ速度で動いていようが(スピードなら、明らかに今のアキトは自分を上回っていた)、

 アキトは一太刀たりとも自分に報いてはいない。

 だが主導権を握っているにもかかわらず、

 そして状況が変わってからも僅かとは言えこちらの攻撃がヒットしてダメージを与えているにもかかわらず、

 アキトから感じるプレッシャーが僅かずつではあるが増大している。

 

 アキトは攻勢に出てシュバルツの陣形を崩し、

 かえって自分を不利な立場に追い込んでしまったように見える。

 今のアキトは誰の目にも再び防戦一方になったと映るだろう。

 だがそれは、あえて自分を追い詰めるためだったとしたら?

 先ほどの、己の実力を出せない戦いを強要された果てに、やがて失血死を迎えるような緩慢な死地ではなく、

 一瞬の気の緩みが全身を切り刻むようなギリギリの死地にまで自分を追い込み、

 バネをたわめるように、反発する力を得るためだったとしたら?

 

 何かが焦げるような匂いに気がつく。

 ゴッドの周囲の大気が、放電に触れて焼かれていた。

 踏みしめ、蹴られる床面からも、火花となってそれは時折迸っている。

 

 旋風の如く、雷光の如く、ゴッドの勢いは全く衰えない。

 その双刀が間合いに入ったシュピーゲルのことごとくを斬る。

 だがそれでも更に数度、アキトの防御と迎撃をかいくぐってシュバルツの攻撃はヒットした。

 だが倒れない。動きを鈍らせもしない。

 とっくに限界まで来ている筈なのに。

 さすがのシュバルツも驚嘆せざるを得ない。

 精神力……熱血でも根性でも不屈の魂でもいいが……で肉体を支えているにしても、これはやりすぎだ。

 いくらなんでも限界を超えている。

 

 ゴッドの装甲表面を再び稲妻が走る。

 そのプレッシャーが、又一段と強まったように思えた。

 だが、押されているのは依然としてゴッドナデシコのほうだ。

 

 

 

 これ以上は危ない。

 戦士としての勘がそう告げる。

 アキトに、ではない。シュバルツにだ。

 論理的ではないが、このままではジリ貧なのは自分の方だと「それ」が囁く。

 シュバルツは自分が冷静である事を改めて確かめる。

 いまだ勝負が付かない事にじれたり、焦ったりしている訳ではない。

 それを確認し、アキトがたびたびそうしたように、シュバルツもまた戦士としての勘ばたらきを信じた。

 

 これまでのように自分が傷つかないよう安全にダメージを蓄積させるのではなく、

 リスクはあっても確実に決着のつく戦法を取らねばならない。

 即ち、首を取る。

 アキトがいかに限界を超えようとも、たとえ永遠に動きつづけることができようとも、

 そしてたとえ無限のダメージに耐えることができようとも、

 ナデシコファイトのルール上、頭部を破壊されればそれで決着だ。

 確実だが決定打にならない攻撃ではなく、首を取るための攻撃。

 それを準備するための、ほんのほんのほんの小さなタイムラグ。

 それこそが、アキトが無意識のうちに待っていた決定的な隙だった。

 

 唐突に、ゴッドナデシコが両手のビームソードから手を放した。

 流石のシュバルツが意表を突かれる・・・・が、攻撃を仕掛ける手を緩めはしない。

 こうしている今にも数体のシュピーゲルはゴッドに向かって攻撃を仕掛けているのだ。

 これで首が取れれば同じ事。

 だが次の瞬間、20体のナデシコシュピーゲルと観客が見守る中でゴッドはその姿を消した。

 

「なっ!?」

 

 その場の誰もが、自分の目を疑った。

 瞬間移動でもしたかのように、ゴッドナデシコは包囲網を脱出していた。

 20体のナデシコシュピーゲルを物ともせず、である。

 いや、少なくともシュバルツにはそれが見えてはいた。

 だがそれは、彼女をもってしても追随どころか反応すら出来ない速度。

 一般人はおろか、ナデシコファイターの動体視力でさえ振り切りかねない速度。

 ゴッドが手放した双刀は、まだ太もものあたりをゆっくりと落ちている。

 20体のナデシコシュピーゲルが一斉に、ゆっくりと身を翻す。

 飛ぶが如くに翔けるゴッドは無手。

 闘技場中央で反転、自分を包囲していたシュピーゲル達の方に向き直る。

 空気を無理矢理に引き裂いて動いた事によって出来た大気の破れ目に沿って、

 またブレーキを掛けた足の裏の軌跡に沿って、床面に放電の筋が走る。

 この時、まだシュバルツ達は完全に振り向いていない。

 双刀は、まだ膝のあたりをゆっくりと落ちている。

 そして20体のシュピーゲルが振り返ったとき。

 彼女たちが見たものは、ゴッドナデシコの全身を覆う黄金のオーラと、背中に輝く紅蓮の日輪。

 双刀の、柄がふくらはぎのあたりにあり、切っ先は床に触れようとしていた。

 その瞬間。

 アキトはまさしく電光となった。

 20人のシュバルツが、20体のゴッドナデシコを見た。

 

 今度こそ。

 テンカワアキトはシュバルツ・シヴェスターの動体視力をも振り切った。

 

 

 

 全く同時に、20のゴッドの20の拳が、20のナデシコシュピーゲルの20の顔面に叩きこまれた。

 ゴッドが一体しか存在しない以上、それは絶対にありえない。だがそうとしか知覚できなかった。

 

(見えなんだわ・・・・このマスターホウメイの目をもってしても!)

 

 その場にいた全ての人間、ホウメイすらもがそう感じていた。

 誰よりも、その一撃を受けたシュバルツがそう感じていた。

 ゴッドの拳がシュピーゲルの頬にヒットした、その瞬間のみが感覚に焼きついたその結果だった。

 

 シュバルツのように分身しているわけではない。

 速すぎてシュバルツやマスターホウメイですらその動きを捉えきれないほど、残像しか見えないほどに速く。

 全てのナデシコシュピーゲルに一撃ずつを叩き込んだのだ。

 極限まで己を追い込んだのもこのため。

 けして諦めず、折れず挫けずそして何よりも己に負けず、自分の奥の奥、

 肉体と精神の、己の生命の本当の深奥にあるものを引っ張り出したその結果だった。

 

 そしてついに、20の箱は、全て同時に開かれた。

 生きている猫と、死んだ猫はもはや交じり合わず、不確定は全て確定したのだ。

 19体のゴッドが人々の網膜から消えるのに僅かに遅れ、

 完全に影である事を確定させてしまった19体のナデシコシュピーゲルもまた、その後を追った。

 残ったのは、顔面に拳を叩き込んだゴッドと、叩き込まれたシュピーゲルのみ。

 影でもなく残像でもない、生身の二人のみ。

 

 ゴッドの手放した双刀の柄が床面に当たって跳ね返り、鈍い金属音を立てた。

 

 

 

 右頬に正拳を突きこまれたシュバルツの体がグラリ、と揺れた。

 無論、一撃だけで終りではない。

 反撃はこれからなのだ。

 

「お お お お お お お お お お お お お お お お お お お っ ! ! !」

 

 豪拳・・・否、轟拳が風を裂き、空気を震わせる。

 音速を超えているのではないかと思われる程の速さで、アキトが拳を繰り出す。

 両の腕がピストンのように休み無く、正確に、そして疲れを知らぬかのように動き、拳を繰り出しつづける。

 ついに、耐え切れなくなったナデシコシュピーゲルが弾けるように吹き飛ばされた。

 半ばは自分で飛んだせいでもある。だがもう半分は純粋にアキトの拳の勢いに負けた。

 そのまま受身を取ることも出来ず、無様にグラウンドに叩き付けられ、二三回バウンドしてナデシコシュピーゲルは止まった。

 即座に立ち上がろうとするが、よろける。

 ふらつきながらも上半身を起こした瞬間、観客席から、一斉に呻きともざわめきともつかない声が上がった。

 シュピーゲルの頭部から胸部、腹部、肩から腕に至るまで、上半身の殆ど全てに装甲の歪みが生じている。

 いかにナデシコの装甲が強靭とは言え、これでは内部機構もただでは済むまい。

 

 流石に限界だったのか、ゴッドは追わなかった。

 構えてはいるが、肩で息をしつつ呼吸を整えることに専念している。

 代わりにさっき捨てた双刀を素早く拾い上げ、腰に納めた。

 起き上がったシュバルツと、呼吸を整えたアキトが改めて相対する。

 だが今、この試合が開始されて以来初めて、アキトの「気」はシュバルツのそれを凌駕していた。

 防戦一方であったアキトの「気」が膨れ上がり、シュバルツを圧している。

 

 確かにアキトは防戦一方ではあったが、それは裏返せばそれだけの間シュバルツが攻勢を続けていた、

 それにも関わらず、アキトを倒しきれなかったと言うことでもある。

 ましてや「シュレディンガーの猫」だ。

 いかにシュバルツといえど、あのデタラメな技を使うために体にかかる負担と消耗は想像を絶するはず。

 今こそ好機。

 

 そう思った瞬間ふと、シュバルツが笑った気がした。

 

 よろめき、弱々しかったナデシコシュピーゲルの動きが変わる。

 す、と背筋を伸ばし、正面を向いた自然体に戻る。

 それだけで、雨の日の水溜りのように乱れていたナデシコシュピーゲルの「気」が、静かな湖面のように整えられた。

 その立ち姿からは、既にふらつきは一切消えている。

 いつものシュバルツとなんら変わらぬ、達人らしく無駄の無い、そして隙の無い動き。

 ダメージが残ってないわけでは、無論ない。

 アキトと同じく今のシュバルツも、気力で傷ついた肉体を支えている。

 

 

 

 しばしの対峙があった。

 自然体で立つナデシコシュピーゲルに、ゴッドがプレッシャーを叩き付けている。

 シュバルツもそのプレッシャーを上手く受け流してはいるものの、完全ではない。

 僅かではあるが、この対峙はアキト有利のままに進んでいる。

 

 と、この試合が開始されて初めて、ナデシコシュピーゲルが構えを取った。

 忍者らしい詐術やだましの一切ない、正統極まりない構え。

 再びマスターホウメイが興味を引かれた顔つきになった。

 対照的にアキトは再び緊張の度を高める。

 それだけ、この構えの持つ意味は重かった。

 けれんを捨て正面から襲い来るこの正道の構えは、ある意味今までのいかなる術よりも恐ろしい。

 正面から打ち破る以外、立ち向かう方法がないからだ

 自然体のまま斜め下30度、鳥が翼を休めるように両腕を開いて剣を垂らし、正面から相対する。

 後の先を基本とし、二刀の内どちらが攻めともまた守りともつかぬ変幻自在、攻防一体の型。

 対するアキトもまた、双刀を抜き放った。

 右の剣で天を指し大上段に、左を真っ直ぐ正面の中段、青眼に構える。

 二刀流としてもっとも自然かつ基本的な、これも正統の構え。

 じり、とアキトが横に動く。摺り足の、人間で言えば数センチ単位での移動。

 対して、シュバルツはその場を動かない。

 だがその体はアキトの移動にあわせるように僅かずつその向きを変え、

 また両脇に垂らしたブレードがこれも一見動いているとは見えないほどのスピードで僅かずつ持ち上がっていく。

 

 正対していたアキトがシュバルツから見て30度ほど動いたとき、

 鶴のように、シュバルツの右足が持ち上がった。

 ごく自然な、付け入る隙のない動き。

 それと共に両腕が斜め45度まで持ち上げられる。

 大きく翼を広げたまま、膝を高く上げた片足立ち。その不安定な姿勢のままでシュバルツがぴたりと静止する。

 だが達人の演武や型がすべからくそうであるように、

 不安定である筈がその構えに微塵の揺らぎもなく、むしろある種の美しさすら感じられた。

 

 アキトにその美しさを賞賛するほどの余裕はない。

 最初の攻防一体、どちらかと言えば防御からの返し技を目的としていたそれとは違う、

 これは圧倒的な攻めの構え。

 対峙するアキトにしてみれば、今の状況は安全装置を外した銃を突きつけられているに等しい。

 目に見えないほどの移動を繰り返していたアキトの足が止まった。

 両者の間の緊張が一気に高まる。

 先の先を取り、こちらから仕掛けるか。

 後の先を狙い迎え撃つか。

 静かに、時間だけが過ぎる。

 アキトの剣は動かず、シュバルツも凍鶴の如く足一本で立ったまま揺るがない。

 ただその内に溜め込まれた力だけが勢いを増し、放たれる時を待ちつづけている。

 

 その溜め込まれた力が、弾けた。

 どちらが先に動いたか、もはや観客の目には捉えられない。

 殆ど同時に動こうとして、僅かにアキトが勝った。

 右の太刀を大上段から振り下ろし、左を横薙ぎに振るう。

 防御を考えず、ただ速く。一秒一刹那でも速く双刀を打ち込む。

 その捨て身の速さが、結果的にはアキトを救った。

 

 アキトが二刀を打ち込む更にその上からブレードを打ち下ろし、防御と同時に攻撃を仕掛ける。

 この攻撃であわよくば両腕を落とすつもりだ。

 が、この時。再びアキトの速度はシュバルツのそれを凌駕した。

 

 火花が二つ、散った。

 

 アキトの双刀がシュバルツの両脇で止まっている。

 シュバルツの両手に構えられたブレードもまた、アキトの左右で止まっていた。

 アキトの速度に完全に対応できず、僅かに早く剣を振ってしまった為に、

 シュバルツのブレードはアキトの腕ではなく剣を打ち、

 打たれたアキトの双刀はその軌道をずらした。

 コンマ数秒後にシュバルツのブレードから加わる力とアキトの双刀に篭もる力が拮抗し、互いの両脇で静止する。

 ブレードはシュバルツの意図したようにアキトの両腕を落とすのではなく、

 また双刀はアキトの意図したようにシュバルツの体に打ち込まれず、

 互いの剣を互いで封じあう、言わば二刀流同士のつばぜり合いと言う格好になっていた。

 二人の両腕が封じられた状態。

 その均衡を破ったのは互いの力でも技でも精神力でもなく、時間だった。

 

 耳障りなサイレンが試合会場全てに響く。アナウンスが残り時間を告げていた。

 無慈悲で、強制的な終末の執行猶予の残り。

 二人が噛み合っていた互いの刀を払い、同時に後ろへ飛ぶ。

 互いから注意をそらさぬまま、これも同時に闘技場のある方向へと一瞬だけ目を走らせる。

 闘技場の爆発、強制的な戦いの終焉までの時間を刻む巨大なタイマーの、

 その表示が今まさに残り三分を切った所だった。

 

 

 

 示し合わせたように、互いに視線を目前の相手に戻す。

 向き直ったシュバルツのその視線が今までにも増して鋭い。

 

「さて・・・・・今度こそ決着を、つけましょうかアキトくん!」

「ああ。互いに、最大の技でな」

 

 無言でシュバルツが頷く。

 それを確認して、にやり、と今度はアキトが笑った。

 男同士でだけ通じる、あの笑みだ。

 

「ところでガイ」

「んあ? な、なんだ!?」

 

 急に話を振られてうろたえていたガイの目が、アキトの次の言葉を聞いた途端、底光りを放ち始めた。

 

「最強の敵、地下に仕掛けられた爆薬、逃げ場のない戦場、迫るタイムリミット、負けるわけにはいかない理由。

 まるで、ゲキガンガーみたいなシチュエーションじゃないか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・あ、ああ・・・・・!」

「そしてガイ、お前にも見せていなかったが・・・実はな、俺は必殺技を会得したんだ」

 

 一瞬息を呑んだガイが、拳を握り無言の快哉を叫ぶ。

 絶句するルリやエリナ達を尻目に、その瞳が燃えている。

 

「さすがはアキトだぜ! この土壇場で新必殺技とは燃える展開じゃねぇか!」

「ああ、必殺技のお披露目はピンチのときと相場が決まっているからな!」

 

 ガイはもちろん心の底から燃え上がっている。

 アキトも、決して口だけではない。

 彼とて、子供の頃にはゲキガンガーの活躍に心を躍らせた口だ。

 バカなこととは思いつつも、心が躍るのを抑えきれない。

 意外とアキトも根っ子の所でガイと同じなのかもしれなかった。

 

 ホウメイは思わず苦笑する。メグミが絶句している。

 エリナが頭を抱えた。ルリはどう反応していいかわからない。

 シュバルツは満更でもなく好意的な笑みを浮かべている。

 ハーリーは、純粋に格好いいと思った。

 後になれば恥ずかしいと思うかもしれない・・・いや、間違いなく思うだろう。

 だが今の二人は真剣そのものであり、自信に満ちており、そして何より格好良かった。

 

 ガキと言わば言え。

 だが、男はいつまでも少年である事から抜け出せない生き物だ。

 どこかで大人になりきれない部分を持っているものだ。

 そしてそれ以上に、ガキの部分を残していない男など到底信じるには足りない。

 打算に基づかない誠実さは、少なくとも男のそれは、すべからく少年の部分から発するものなのだから。

 そしてこの二人の餓鬼の間には、まぎれもない確かな信頼があった。

 無形の絆があった。互いに対する誠意があった。

 そして、ガイが「熱血」と呼ぶ炎が二人の胸のうちには確かに燃えていた。

 

 そしてアキトとガイの咆哮が、シュバルツとの最後の戦いの始まりを告げる。

 

 

 

 

BURNING!!