機動武闘伝
Gナデシコ
第一話
「N(ナデシコ)ファイト開始!
地球に落ちたナデシコ」
その日、かつて美しさを誇っていた地球へ無数の輝く物体が落下して行くのが見えた。
ある物はネオアメリカへ。
ある物はネオチャイナへ。
そしてまた、ネオロシア、ネオフランス、その他の国々へ。
それは、宇宙に飛び出した人々の魂が、その故郷を懐かしんで帰り来るのに似ていた。
だが。
ここに、全く違った方向を目指す一つがあった。
ユーラシア大陸の西。
地中海として知られる巨大な内海に陸から突き出した長靴。
そのすねのあたりに位置する古い都、
かつては全ての道がここに通じると言われた街、ローマ。
その夜上空に垂れこめていた分厚い暗雲をゆっくりと割って、
この荒廃した街に輝く流星は降りてきた。
その光は一キロ四方を真昼の明るさで照らし、ローマ市内全域で見ることが出来た。
そして、豪奢な屋敷の二階のバルコニーからそれを狂にも似た歓喜の目で眺める男がいた。
額のあたりを逆立てた赤い長髪。
上半身は裸で片手に酒瓶を持ち、時々それをあおっている。
「来たか・・・!」
その言葉の端にも押さえ切れないほどの歓喜がにじみ出ている。
その目は、「着地」した流星にひたと据えられて少しも動かない。
興奮したように体が震える。左手の酒瓶が握り潰されて砕けた。
その口から低い笑いが漏れ、すぐに耳障りな甲高い哄笑に変わる。
「鳴りやがった・・・遂に鳴りやがったぜぇ・・・待ちに待った、ナデシコファイトのゴングがよぉ!」
その視線の先で、黒く巨大な影がうずくまっている。
どう言う仕掛けか、何かが繭のようにその影を覆うのにつれて周囲の土砂が巻きあがり、
その「繭」を更に包みこんで行く。
男の哄笑はいまだやまなかった。
大気圏突入の際の空気摩擦による超高熱によって
落下した物体の表面に張りついて半ば融解していた筈の土砂は、
ローマ市警の警官隊と捜査課が駈けつけて物体を包囲した時には既に冷たくなっていた。
物体の大きさは直径約10m、表面が融解してひとかたまりになっているため、
自然が作り出した奇岩に見えない事も無い。
ここが石畳と古めかしい建築物で覆われた古都のど真ん中でなければ、だが。
四十がらみ、顎鬚を生やしていかにも現場一筋の叩き上げ、といった風貌の男が
落下した物体を靴先で蹴る。
「見ろよ、これを。こいつは冷却装置でも持ってんのか?
それに、逆噴射で安全に降りて来たつもりかも知れねえが・・・」
「こうなったら観光地もおじゃん、ですね。」
これはまだ若い眼鏡にそばかすの刑事が相槌を打つ。
この物体の真下は、観光名所として名の知れた広場であった。
年かさの警部が苦笑とも自嘲ともつかない微妙な笑みを浮かべてそばの彫刻の台座に腰掛ける。
トレンチコートの懐を探って安い紙巻きタバコと使い古したライターを取り出すと火をつけて深く吸いこんだ。
「フッ、だがな、そいつはもう六十年も昔の事さ。
・・・・・コロニーの連中は下の事なんかなんにも考えちゃいない。」
「まったく、地球を何だと思っているんですかねぇ?」
「どうせ、汚れ切って使いものにならなくなった土の塊、くらいにしか考えちゃいまい。
そう言うご時世さ。・・・・さぁて、こいつの持ち主でも探しに行くか。」
「人の悪い」という表現がぴったり来る笑みを浮かべて立ち上がり、
吸いかけの紙巻きを投げ捨て、歩き出す。
部下が慌てて後を追った。
ローマ市街の道路は人と車とで混乱の極みにあった。
テレビで。ラジオで。有線で、街頭放送で。
あらゆる放送媒体が一つの事実を繰り返し述べ立てている。
「本日未明、スペイン広場に落下した隕石は調査の結果、
ナデシコファイトに関係のある事が判明しました。
その為、落下物の周囲5km圏内は超一級の危険地帯に指定されました。
繰り返します・・・」
着替えやなけなしの貴重品をカバンに詰め、あるいは幼い子の手を引き、
あるいは恋人同士が身を寄せ合って街路を駈けてゆく。
その悲鳴と怒号、泣き声が交錯する街を眼下にどこか超然と遠くを見る影が一つ。
広壮な屋敷の前庭に、百人近い男たちが集まっていた。
いずれも人相が悪い。暴力を生業にして生きている男たちと一目で知れた。
二階のバルコニーから男が出てきた。金糸で織られた成金趣味のガウンをまとっている。
先ほど流星を見て哄笑していた男だった。
「いいかァ!あの隕石のナデシコファイターは必ずこの街のどこかにいるッ!
捜し出せェ!そしてナデシコファイト開始の狼煙がわりに血祭りにしてやれェッ!」
「「「オオオッ!」」」
バイクの、エアカーのエンジンが咆哮を上げる。
血に餓えた狂犬どもが、今街に解き放たれた。
危険地域との境界線ギリギリで、いまだに営業を続けている酒場があった。
店の客は五人。一人は酔いつぶれて寝こんでいる。
一人は黙然とカウンターに座り、
端のテーブルで十歳にもならない子供たちが三人、はしゃいでいた。
一人の少年が上質の牛革で作られたらしい財布を開けて歓声を上げる。
「うわ、すげえぜ札束だぁ!」
「だめだめ、こうなったらそんなもん紙くず同然だよ。こう言う時はやっぱこれだよ、これ!」
もう一人の少年がじゃらり、と貴金属をつかみ出す。
「宝石かぁ!」
「こんなんだったらいつもナデシコファイトやって欲しいよな!」
喜ぶ二人の少年を横目に、大きすぎる貴金属の腕輪やらネックレスやらを手首に巻きつけた
最年少とおぼしき少女がカウンターの客を物珍しそうに眺めていた。
確かに物珍しい風体の男だった。黒目黒髪の東洋人で歳は20に届くか届かないか。
赤いマントで全身を覆い、額には同色のとても長いバンダナを巻いて端を背中にたらしている。
(当然ながらイタリア生まれの少女は鉢巻という単語を知らなかった)
広くたくましい肩の上に無愛想な顔が乗っている。
「すいませんねぇ、お待たせしちゃって。でも、お客さんもいくあての無い口ですか?」
ちょび髭のマスターが琥珀色の液体を注いだコップをカウンターに置きながら男に話しかけた。
無論、先ほど目の前の男を「怪しい人物」としてどこかへ密告した事などおくびにも出さない。
「ま、どうせナデシコファイトが始まっちまえばどこへ逃げたって同じですがね。」
「なぁ、あんた。この女を街で見かけなかったか?」
相槌も打たず、赤い鉢巻の男がふところから写真を取り出してマスターに尋ねた。
色褪せた古い写真だ。半分にちぎれたそれには肩車されてはしゃいでいる女の子が写っている。
「さあ・・・見かけませんね。」
「三ヶ月くらい前なんだが。」
「いや、見てないねぇ。」
「・・・そうか。」
呟いた男が写真をふところに戻そうとして、写真が落ちる。
「あ・・あの、これ・・・。」
男が気が付くより早く、先程から男をうかがっていた少女がそれを拾い、差し出した。
男が無愛想な顔にわずかながらも笑みを浮かべてそれを受け取ろうとする直前、
ごつい手が少女の手をねじり上げて宙に持ち上げた。
少女の手から離れて宙に舞った写真を男が二本の指で掴み取る。
「こいつは子供には勿体無いなァ?」
身長2mを越す巨漢である。
いかにも下品な面構えで、先程赤髪の男の屋敷に集まっていた「兵隊」の一人だった。
その視線は少女が腕に巻きつけているネックレスに注がれていた。
視線を男に転じる。
「なぁ、兄ちゃんもそう思う・・・」
巨漢は、最後まで言う事が出来なかった。
分厚い木製の扉を粉々に砕いて、店の外へ叩き出されたからだ。
ご丁寧に大きなテーブルを抱きかかえている。
「「兄貴!?」」
周りを囲んでいたごろつきどもが騒ぎ始める。
店の壊れた入り口から赤いマントに身を包んだ人影が悠然と歩み出た。
逆光になって表情はわからない。
一瞬気を呑まれたごろつきどもが、群れをなして男に襲いかかろうとする。
いくつかの事がほぼ同時に起った。
目を回していた巨漢が気がついてテーブルを押しのけようとした。
一歩で数メートル踏み出した男がそのテーブルの端を軽く踏むと、
それが垂直にはねあがって、突進してきたチンピラ二人の顎を強打する。
同時に宙に浮いた男が両足で一人づつ、文字通り蹴散らした。
奇声を上げて巨漢がテーブルを持ち上げると男は一瞬その上に立ち、
巨漢の顔面に痛烈な蹴りを叩き込む。
この時、先程蹴りを食らって吹っ飛んだチンピラ二人が背後の川に落ちて水しぶきが上がった。
巨漢も後を追うかのように吹っ飛んで盛大な水しぶき・・というより水柱を上げた。
この間わずか数秒。
そのまま動きを止めず、背後のチンピラの顔面に拳を叩き込み、
度肝を抜かれている体の数人を蹴り倒し、殴り倒す。
ようやく我に返った連中が襲いかかってくる。
右の男に後ろ回し蹴りで踵を叩き付けた脚を下ろさず、
左に同じ脚での内回し蹴りが決まる。
正面の敵に当ると見せて背後の敵を肘で砕く。
バイクで突っ込んでくる阿呆を続けて三人、飛び蹴りで沈めた。
拳、蹴り、肘打ち、膝。男の一撃が決まる度、面白い様に兵隊たちが倒れて行く。
同時に殴りかかった最後の二人が、これも同時に脚を払われた所を川に叩き落とされた。
それを見もせず身を翻した男の背後で、
二人が川に沈んだかと思うと、不意に浮き上がって水面の上に立った。
無論、自分の脚で立っている訳ではない。
背後から例の巨漢が襟首を捕まえて二人を持ち上げていた。
おめき声を上げて掴みかかる。
一瞬の後、だが苦痛の悲鳴を上げたのは巨漢の方だった。
男が、左手一本で百数十キロはあろうかという巨漢の、
胃のあたりを鷲掴みにして高だかと差し上げている。
腹筋に指が食い込んでいた。
男はその姿勢のまま右手で例の写真を出して巨漢に付きつける。
「答えろ!貴様らの仲間にこの女はいるか!?」
「お・・おごぉぉぉ・・・」
「どうなんだ・・・!」
苛立った様に男が繰り返す。
だが、胃袋を直接鷲掴みにされているような状態の巨漢が答えられる筈も無い。
むしろ、気絶しないだけでも大した物だ。
男が指に更に力を込めようとした時、一発の銃声が響いた。
「よぉし、もうそこいらでいいだろう、ぅん?」
じろり、と男は周囲を完全に取り囲んだ警官隊を眺める。
鼻を鳴らす。巨漢は放り出されて再び盛大な水しぶきを上げた。
数十分後、男は警察の取調室にいた。
持ち物を取り上げられた上で後ろ手に手錠をかけられて椅子に座らされている。
だが、そんな中でも眼光だけは恐ろしげにぎらぎらと光っていた。
顎鬚の中年警部・・ベルチーノと部下の若いのが並んでその眼光を受けとめている。
顎鬚の方が世間話の様に口を開く。
「何度も言うが、俺達ゃ街を荒らされる前に、
早いとこ広場に落ちているでっけえ荷物の持ち主に出ていってもらいたいだけなんだ、よ。」
そう言いながら机の上に置いてあったちぎれた写真を手に取った。
一瞬、男の顔が更に険しいものになる。
警部が例の、人の悪い笑みを再び浮かべる。
手にはまだ湯気を上げるピザのレギュラーサイズがあった。
それを男の前に置き、髪を掴んで頭を揺さぶる。
「どうだ、腹が減ったか。・・・なあ、我慢するなよ。
お前がナデシコファイターだって白状したら食わせてやってもいいんだぜ・・・えぇっ!」
椅子に座ったまま動けない男の顔面をぐりぐりとピザに押し付ける。
「どうだ、白状する気になったか?」
男は何もリアクションを返さず、ただされるがままに任せている。
むしろ内面は警部の方が必死だった。
一見楽しんでいるように見えなくも無いが、長年取調べをやっているとこんなものだ。
兎にも角にもあの「でっかい荷物」と持ち主を早い所この街から追い出さなくてはいけない。
さもないと・・・。
そこまで警部が考えた時、ノックの音がして取調室の扉が開いた。
「警部。その男の身元引き受け人が・・・。」
身長185cm。鍛えた体の上にちょっと東洋人離れした彫りの深い顔が乗っている。
眉が太く、目も大きい。一本通った鼻筋とがっしりした顎がそれなりにバランスの整ったいい男であるが、
全体的に漂う暑苦しさがそれを全てご破算にしているような印象があった。
暑苦しい雰囲気がどうしても先に立つ為、顔立ちが多少整っていても記憶に残らないのだ。
後ろの、警察署の扉が開く気配を感じて腰掛けていた階段から立ちあがり、振り向く。
先程まで取調べをしていた二人と取り調べられていた一人が出てきた。
「テンカワアキトとダイゴウジ・ガイ・・国籍ネオジャパン。ただの旅行者・・・。」
若い方が上司に聞かせる意味もあるのだろう、パスポートの記載事項を読み上げる。
「・・・いずれにせよ、この街から1時間以内に出ていけ!いいな!」
吐き捨て、男のまとっていたマントとパスポートを投げつけた後、
警部は叩き付ける様に扉を閉めた。
取調べを受けていた男の方はそれを見もせず、マントをまとってすたすたと歩いてゆく。
署を離れた二人は取り敢えず西の方へ歩き出した。
パスポートをもてあそびながら名所、だったらしい橋の上を並んで歩く。
「・・・まぁったく!それさえ忘れてなけりゃあ、疑われずに済んだんじゃねえか。」
暑苦しい男・・ダイゴウジ・ガイがマントの方・・テンカワアキトに呆れた様に話しかける。
本人は普通に喋っているつもりだろうが、声がでかい。
テンカワアキトの方はその大声に慣れているのか、眉も動かさずに、
指の無い皮の手袋をはめた手でパスポートを引き裂いて、捨てた。
「へ?」
ガイは思わず足を止めたが、苦笑して再び後を追った。
「それにしても本当にナデシコファイトって嫌われてんなァ?たまげちまったぜ。
ま、戦いの度に街が壊されちゃあ、仕方ねぇか。
それに・・・特に、俺達の場合は・・・」
不意にアキトが足を止めた。
一瞬慌てるガイ。だが、すぐに表情が真剣なものに変わる。
体の力を抜き、すぐに行動に移れる様に身構えた。
アキトが振り向く。
暗闇の中、彼らの後を追ってやってきたのは・・・
あの酒場にいた三人の子供たちだった。
少年二人は小さな体には大きすぎるほどの大荷物をしょって、
少女はフランスパン二本を抱えていた。
リーダー格の少年が息を切らせながら話しかけた。
「今、警察に行ったら、もう、釈放した、後だって言われてさ。」
言いつつ、傍らの少女を促す。
「あ、あの・・これ・・・。」
アキトの眼前にフランスパンが突き出された。
「?」
「鈍いなぁ、差し入れだよ、差し入れ!さっき助けてもらったお礼!」
「つっても、パン屋に置きっぱなしになってた奴だけどな!」
アキトが屈んで、少女と視線を合わせる。
ふと、その表情が緩む。
それを見たガイも、どこか安心したような顔になった。
「済まねぇな、こいつに代わって礼を言っとくぜ。でも、お前達親とははぐれちまったのか?
早く避難しないと危ねぇだろ?」
その一言に、子供達が萎れた様に静かになる。
「・・・母ちゃんたちは、前のナデシコファイトで死んじまったんだ・・・。」
「そうか・・・じゃあ、今晩は一緒にどうだ?」
「えっ・・・?」
チィィィン!
古代ローマの貴族の館をそのまま改造したような豪壮なホテルに呼び鈴の音が響く。
だが、この広い空間にはアキトとガイ、子供達以外に人の気配はなかった。
「そっか、ホテルの連中もみんな逃げちまったんだな。」
結局無断で宿泊する事に決めた。
中世ヨーロッパを舞台にした史劇に出てきそうな巨大な階段を上りながら、
リーダー格らしいはしこそうな少年がしきりにアキトに話しかける。
「でもさぁ、まずいんじゃない?あの連中、
きっと今頃兄ちゃんのことをボスのサイトウに報告しているよ?」
「お前・・・そのサイトウを知っているのか。」
踊り場で足を止めたアキトに吐き捨てるように少年が答えた。
「知ってるも何も!この国の、ナデシコファイターさ!」
「でもさ・・本当はアイツ、マフィアのボスだったんだ・・それがファイターになってから、
もうやりたい放題でさ、どうしてあんなのが国の代表になっちゃったんだろ・・・・」
「・・・強いからだ。」
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃァ!その通りィ!」
その奇声と同時に壁を突き破って巨大な拳が現れた。
階段を転がって身を躱すアキトとガイ。
アキトが自分が庇った少年二人の無事を確かめて身を起こす。
巨大な拳の突き出した壁の上、ガラス作りの天井から巨大な影がアキト達を見下ろしていた。
額の特徴的なマルチブレードアンテナと
機動兵器としては無意味とも思える二つの目が光った。
「ナデシコだと・・・・!」
アキトが表情を厳しくした時、再びあの奇声が響いた。
「ひゃひゃひゃひゃひゃァ!散々俺様の部下を可愛がってくれたそうじゃねぇかよ?
えェ、ネオジャパンのファイターさんよォ?」
いつのまにか、壁から生えた拳の上に一人の男が座っていた。
赤い髪を前のほうで逆立て、襟元は背中まで伸ばしている。
体中に金属をつけた安っぽい服装と言い、この髪型と言い、
「チンピラ」の一言で斬って捨てられるほどのセンスの悪さだった。ただ金は掛かっている。
「こいつぁ、お礼をしなくちゃな?この脚でよォ!」
ナデシコの拳の上で、サイトウの体が宙に浮き、一回転した。
右から左へ、蹴りぬかれる脚の軌跡に沿って、不可視の衝撃波が発生する。
一直線に飛んできたそれを、アキトが両腕を交差させた「十字受け」で受けた。
数秒間耐えた後、衝撃波を振り払う。
アキトが、初めて構えを取った。
「さすがはナデシコファイターに選ばれた男だぜ・・・
だが!動くのはこいつを見てからにしてもらおうかァ?」
「ソフィア!」
拳を握っていた中指が持ちあがる。拳の中にいたのはあの少女だった。
ホテルの壁を盛大に破壊しながら拳が引きぬかれる。
今や踊り場の床から天井まで大きく開いた穴からはっきりと、巨大な人型の影を目視することが出来た。
「このガキを返して欲しかったら俺達のアジトまで一人で来な。
てめぇのナデシコなんざァつれてくるんじゃねぇぞぉ?
・・・・もっとも、てめぇらがここから生きて出られたらの話だがなぁ!?」
そのサイトウの言葉と同時に、巨大な影・・・
サイトウの「ネロスナデシコ」の頭部バルカン砲が火を吹いた。
身長十数メートルの巨人が、建築物を破壊する様はローマのあちこちから見えた。
だが、誰も手を出そうとはしないし警察も動こうとはしない。
サイトウがナデシコファイターだからだ。
「・・・・・やりやがったな糞ども!」
だがこの時、警察署の前でこれを見ていたベルチーノ警部の中で、遂に何かが切れた。
そんな事は知らず、命を持たぬ巨人はあくまで無表情に、黙々と主の命令を果たすべく破壊を続ける。
ホテルの大半が単なる瓦礫の山になった頃、巨人はいずこかへ歩み去って行った。
「・・・・行ったか?」
「ああ、もう安全だろう。」
瓦礫の山を押しのけて、二人の男と二人の少年が姿を現す。
咄嗟に発動させた携帯用のディストーション・フィールドが彼らの命を救ったのだ。
「くそっ!ファイトの開始前にナデシコを動かしやがって!」
うつむく少年達を見たガイの言葉が途切れた。
「済まねぇな。俺達の方からナデシコファイト委員会に掛け合って・・」
「やめとけ。どうせ規定外の事だ。言っても無駄さ。」
ガイの言葉をアキトが無情に遮る。
「じゃあソフィアは!?」
「関係ない。俺は奴と戦うだけだ。」
あっさりと放たれたアキトの言葉に少年達が絶句する。
だが撃鉄を起こす音が歩み去ろうとしていたアキトの足を止めた。
「そうはいかんぞ、ナデシコファイター。・・これ以上、貴様等に俺達の街を荒らされてたまるか。」
歯軋りの聞こえそうな表情でアキトが振り向く。
瓦礫の上で、ベルチーノ警部とその部下がライフルの照準をアキトに合わせていた。
「メジナ。こいつともう一人を見張っていろ。
悪いが人質を取り戻すのは、俺達警察の役目でな!」
警部の顔には、あの人の悪い・・だが今は不敵と形容すべき・・笑みが浮かんでいた。
コロセウム。
ローマ帝国が作り出したもっとも壮大な建築物の一つ。
かつて市民が奴隷階級の演じる命がけのショーを楽しんだこの場所で、
また血生臭い風が吹こうとしていた。
壁から突き出た巨大な拳から、一本のロープが垂れている。
その端には連れ去られた少女・・ソフィアが吊り下げられていた。
拳の上にはサイトウとあの巨漢の姿がある。
彼等は周囲に銃を持った兵隊を数十人潜ませ、獲物が網に掛かるのを待っていた。
「あの男、本当に来ますかね?」
「ああ・・・奴ァ必ず来る。」
巨漢にそう答え、サイトウはまたウイスキーをあおった。
同時刻。「あの男」を見張っている筈のローマ市警の若手刑事メジナは地に転がって呻いていた。
割れた眼鏡がそばに落ちている。
コロシアム近くの崩れた壁の隙間から、そっとライフルの銃口が突き出された。
「ねえ、ソフィアを助けてくれるんじゃなかったの!?」
「・・・黙っていろ!」
警部の気迫に押されたのか少年達が黙り込む。
照準をサイトウに合わせ、慎重に狙いを付ける。
「いいか、あいつがいなければこんな事にはならないんだ。
そうとも・・・ナデシコファイターなんざ屑同然だ。
その屑がいなくなれば・・・・何!?」
「来た!来ましたぜ、ボス!」
自分に言い聞かせるようなベルチーノの独白を遮り、巨漢の胴間声が響いた。
暗闇の中でも、その男の赤いマントははっきりと判別できた。
死地に赴くなどとは微塵も感じさせない、気負いのない無造作な足取り。
少女が気が付いてアキトの方を見る。
巨漢はそのロープの端を持ち、ナイフをこれ見よがしにロープに当てている。
アキトが赤いマントから右手を出す。コキリ、と指を鳴らした。
(あ・・・!あの野郎・・・!)
「と、止まれ!」
止まらない。
不覚にもサイトウは、悠然と歩き続けるアキトに一瞬気を呑まれた。
「アンドレェ!」
それを押し隠すかのように、ことさら大声を上げる。
大男が少女を吊り下げたロープに切れ込みを入れ、少女の体ががくん、と揺れた。
「いかん!」
焦ったベルチーノが銃弾を放つ。自分の眉間を狙って放たれたその弾丸を、咄嗟にサイトウは蹴り飛ばした。
もちろんただの蹴りではない。先程アキトを相手にホテルで見せた衝撃波を放つ回し蹴り、
サイトウをしてネオイタリアのナデシコファイターたらしめた、いわば必殺技である。
そして、半ばまで切れ込みの入ったロープはその衝撃の余波にすら耐えられなかった。
精一杯の悲鳴を上げて少女が落下する。
地上まで約7m、石畳の上に落ちれば良くて重傷は免れまい。
銃声と同時に駆け出したアキトが済んでの所で少女をキャッチする。
「撃てェェッ!」
舌打ちを一つして、サイトウが命令を下した。
数十丁のサブマシンガンがアキトと少女に向かって火を吹く。
石畳が削れ、濛々たる土煙となって当たりを覆った。
無残な肉塊に変わった二人を想像し、巨漢が下卑た笑みを浮かべる。
ふと、その笑みが怪訝な表情に変わった。
風が渦を巻き、わだかまっていた土煙を吹き散らす。
その渦の中央にうずくまる赤いマント。
少女を庇い体の前に構えた右手の指には、受けとめられた無数の弾丸があった。
その右手の甲に輝く物がある。
それは、赤いハートと交差した剣を象った・・・・・王者の紋章。
がらん、と音を立てて巨漢の銃が落ちた。
その声がはっきりとわかるほどに震えている。
「あ・・・あの紋章は・・アイツがコロニー格闘技の覇者!
キング・オブ・ハート、テンカワアキト!」
(マ・・・マジかよぉっ!?)
サイトウが声には出さず呻いた。
「ボ、ボスぅっ!俺達じゃ敵いっこありませんぜ!?」
「うるせぇっ!」
内面の恐怖を押し隠して手下を蹴り落とすと、
サイトウはナデシコを立ち上がらせた。
「こうなったら・・・踏み潰してやるぜェッ!?」
きびすを返して走り出すアキト。もちろん腕にはソフィアが抱かれている。
「おっさん!」
「むう!」
ベルチーノ警部の腕に少女を投げ出すと、そのまま闘技場の端へ駆け出した。
サイトウの操るネロスナデシコが後を追う。
「ガイ!出してくれ!」
スペイン広場の隕石が崩れ、中から赤いつぼみか球根を思わせる形の物体が空に舞いあがった。
一直線にコロセウムを目指して飛行するそれが、サイトウの目にも入る。
「出ぇろぉぉぉぉぉっ!
シャァイニング!
ナデシコォォォォッ!」
コロセウムの夜空に小気味良く、指を鳴らす音が響いた。
まさしく花のつぼみの如く、飛行物体、ネオジャパンのナデシコキャリアーが展開して行く。
その花弁の中央に座しているものがある。
武者鎧をそのままナデシコにデザインしたような全体的に角張って無骨なシルエット。
鍬型を思わせるマルチブレードアンテナと二つのアイカメラ。
逆胴(腰の左側)にはビームソードが長短二振り納められている。
これが、ネオジャパンの誇る傑作機、シャイニングナデシコであった。
「・・・出やがったな・・・!」
サイトウが呻いた。
鋼鉄の巨人が今、立ち上がる。
コクピットに乗りこんだアキトの衣服が分解され、その裸体の首から下を
薄い膜となった超高密度の分子化合物(ポリマー)が締め付けてゆく。
シャボン玉の膜のように金属製の輪の中に張られたポリマーが
コクピットの中を回転しながら下降し、アキトの肉体にねじるように巻きついてゆく。
「ぐ・・・おおおっ!」
通常人なら骨が砕け、肉が潰れるこの圧力に耐えうる肉体。
それがナデシコファイターの最低限の条件なのだ。
肩。胸。腹。腰。尻。腿。脛。
ポリマーを張った輪が下降するにつれ、アキトの鍛え上げた肉体の形が露になる。
アキトの裸の全身を薄いポリマーのファイティングスーツが覆った。
これはアキトの動きを逐一機体に伝える為のセンサーであり、
機体の反応をアキトにフィードバックする為のインターフェースでもある。
「哈ぁぁぁぁぁぁぁ・・・噴!哈ァッ!ハイィィィッ!」
見よ。アキトが両腕を脇に引きつけ、構えを取る。
拳を突き出し、回転させる。
蹴り、踏み込み、仕上げに唸りを上げて回転し、静止して気合を掛ける。
アキトが自分の肉体で行ったその全ての動作を、
1ミリ秒の狂いもなくこの機体は再現して見せた。
これがモビルファイター。これがモビルトレース・システム。
肉体と直結した科学の神経がアキトの動きをそのままに伝え、
鋼の巨体がアキトの技をそのままに振るう。
今アキトは鋼鉄の巨人・・シャイニングナデシコと一体化したのだ!
そして、軌道上で二つのナデシコの信号を確認し、
巨大なバリア衛星が地球全てを覆うリングロープ状のバリアを発生させる。
この時、第十三回ナデシコファイトの幕が上がった。
「く・・こうなりゃナデシコファイトぉっ!」
「レディ・・・GO!」
サイトウの怒声にアキトが唱和する。
ナデシコファイト国際条約で定められた、ナデシコファイト開始のほぼ唯一の作法だ。
正面から激突し、両手を組んでの力比べに入った。
数十トンの物体同士がぶつかる衝撃がコロセウム全体を揺るがす。
ベルチーノ警部と三人が隠れている物陰も、ひどく揺れた。
「とうとうおっぱじめやがったか・・・!」
力を外し、シャイニングナデシコが後ろへ跳ぶ。
「逃がすかァッ!」
バルカン砲が唸り、空中のシャイニングナデシコを追撃する。
両腕のプロテクターで受けた。アキトの腕にもファイティングスーツを通してその衝撃が伝わる。
着地した所に、ネロスナデシコの両肩に装備された粒子ビームが追い討ちをかけた。
今度は受けきれず、反動でシャイニングナデシコが吹き飛ぶ。
元々シャイニングナデシコ、というか殆どのモビルファイターは接近戦用の武装が主である。
長距離からの連続射撃には何とも抗し難かった。
やむなくアキトは建物の陰に隠れた。
陰に隠れつつ間合いを詰めようというのである。
「ならば・・・いぶり出してやるぜェ!この、銀色の脚でなァ!」
サイトウの右脚に銀色の輝きが集まる。
ネロスナデシコの右脚もまた、銀色の輝きを帯び始めた。
「キェェェェェェェェッ!」
サイトウの振り上げた右脚から、銀の輝きが迸った。
右脚のサテリコンビーム砲が唸りを上げ、集合住宅を三つ四つまとめて貫く。
「ひぇひゃはははははっはァ!」
サイトウがビーム砲を乱射する。
辺りは火の海になった。
ベルチーノ達もうかつには動けない。
「ええぃ、屑どもが!」
「でも、あのお兄ちゃん、助けてくれたよ!」
「・・・いや、良く見ろ。
軌道上のコロニー国家間の全面戦争を避ける為、
各国コロニーが四年に一度、ファイトと称して代表を送りだし、
戦って、戦って、戦いぬいて!最後まで勝ち残ったナデシコの国が
一方的に宇宙の権利を握るんだと・・・!
ふざけやがって・・・地球を、ゲーム盤のようにしか考えていやがらねぇ!」
余りの剣幕に少女が戸惑っていた。
ふと柔らかい表情になって、ベルチーノがソフィアの頭を撫でる。
「だがな・・地球に残った連中はどうなる?
俺がお前くらいの頃だ・・・あの日、俺達を残して勝手に宇宙に上っていった奴ら・・!
怖かったよ。お前は見捨てられた人間なんだって、言われているみたいでな。
くそっ・・!俺達の地球を・・俺達の街を・・こうまで馬鹿にされてるってのに
俺達には何もできやしねぇ!」
なおもビーム砲を乱射し続けるネロスナデシコをうかがうベルチーノ。
偶然、ネロスナデシコと目が合ってしまった。
その時、ベルチーノの目にはナデシコの鋼鉄のマスクが確かに笑った様に思えた。
乱射していたビームを止め、ベルチーノ達のいる方に向き直ってエネルギーを充填する。
「お前らはここにいろ!」
咄嗟に街路に飛び出した。
ライフルを構えてサイトウの注意を引く。
ネロスナデシコの脚の砲口が向きを変えて、ベルチーノに狙いを直した。
次の瞬間迸った重金属粒子の奔流がベルチーノを蒸発させようとする寸前。
鋼鉄の掌がそれを受けとめた。
「おおおぉぉぉぉ・・・!」
半ば呆然とするベルチーノとサイトウの前で、
シャイニングナデシコのフェイスガードが武者兜を模すが如く左右に開いた。
「な、なんだァ?」
「貴様が銀色の脚ならば・・・俺は黄金の指!」
アキトの拳に、あの、キング・オブ・ハートの紋章が輝く。
右の掌で「銀色の脚」を弾き返しつつ、シャイニングナデシコが突進する。
その掌が、黄金の輝きを放った。
「俺のこの手が光って唸る!
お前を倒せと輝き叫ぶ!
必殺!
シャァァイニング!
フィンガァァァァッ!」
「輝く指」がネロスナデシコの頭部を鷲掴みにしていた。
「ナデシコファイト国際条約第一条・・・!頭部を破壊された者は失格となる!」
「おごぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ネロスナデシコの頭部にシャイニングナデシコの指がめり込む。
失神寸前のサイトウ。
ファイティングスーツのフィードバック機能が今、
この男の頭蓋骨と脳に指がめり込む痛みを、そのまま伝えているのだ。
「まだ・・まだだ、サイトウ!お前には聞きたい事がある!」
一つのデータがシャイニングナデシコからネロスナデシコに流れこむ。
それは、一つの映像となってサイトウの目の前に映った。
古ぼけて、ちぎれた写真。肩車された少女がはしゃいでいる。
「この女を知っているか!」
「し・・知らねえよ・・!ぐおッ!」
ネロスナデシコのコクピットが、火を吹いた。
「知らねえ、知らねぇぇぇっ!そんな奴ぁ知らねえっ!」
「・・・そうか。ナデシコファイト国際条約第二条!」
一度目をつぶり、再び鋼鉄の視線でサイトウを貫くアキト。
サイトウはもはやおびえるだけだ。
その赤い髪が、見る見る白くなってゆく。
「コ・・コックピットは狙っちゃマジェェェェッ!」
頭部を砕かれ、ネロスナデシコが轟音とともに倒れた。
「命拾いをしたな・・サイトウ・タダシ。」
ネロスナデシコの残骸の回りを、警察の車両が固めていた。
髪を白く染め、顔も物腰も別人の様に老けたサイトウが手錠をかけられ、
よろよろと連行されてゆく。
「あ〜あ、サイトウもファイター失格になったらただの人、か。」
壊れた建物の屋根で、ガイと三人の子供達がその様子を眺めていた。
それには興味を失ったらしい少女が、現場から歩み去るアキトの姿を見つけた。
「あ・・・アキトお兄ちゃんだ。ねえ、ガイ兄ちゃん。アキト兄ちゃんと一緒に行かなくて良いの?」
「ん?ああ、俺はナデシコの修理があるし・・・・それにアイツの行き先はわかっているからな。」
「どこ?」
「地球の上、さ。」
地球の上ならどこへでも行ける。
だが、ナデシコファイトが終わるまで宇宙に帰る事は決して出来ない。
ナデシコファイト国際条約で規定されたその条項が、
地球の重力以上に彼らナデシコファイターを地球に縛りつける鎖であった。
「ナデシコファイター、テンカワアキト!」
いぶかしげに振り向いたアキトに何か平べったい物が飛んで来た。
「約束したピザだ!」
「・・・フッ。」
男臭い笑みを返し、アキトは再び身を翻した。
ふところから取り出した紙巻きに、使い古したライターで火をつけるベルチーノ。
最初の戦いを終えて佇むシャイニングナデシコを、
ようやく昇り始めたローマの曙光が照らしていた。
(ナデシコファイトの夜明けか・・・また嫌な一年が始まりやがったぜ・・。)
次回予告
皆さんお待ちかねぇ!
アメリカン・ドリームを叶えた男!
ヤガミ・ナオが生まれ故郷のニューヨークに帰ってきました!
彼のナデシコマックスターに挑戦するテンカワアキト!
しかし、その裏では陰謀を企む男たちが、
アキトに恐るべき罠を仕掛けていたのです!
次回!機動武闘伝Gナデシコ、
レディィィ、Go!
あとがき
さてさて。本当に連載が始まってしまいました。
途中で少々手を抜くかもしれませんが(苦笑)、
基本的に「G」のエピソードは全部やるつもりです。
いつ終わるかなァ(笑)?
管理人の感想
鋼の城さんから連載作品の投稿です!!
ついに始まりました!! このシリーズ!!
う〜ん、鋼の城さんは約束を守ってくれたようですね(笑)
しかし、気になるのがレイン役・・・
まさか、またガイで来るとはね〜
さて、同じオチは使えないという不文律の元(ニヤリ)
鋼の城さんはどんなラストを考えているのでしょうか?
では、鋼の城さん!! 投稿有難うございました!!
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