ネオアメリカ対ネオデンマークのファイト当日。
二人の戦いの舞台となる筈の海上特設リングにはただ一機、マーメイドナデシコの姿だけがあった。
ネオアメリカの陣地の脇ではアキトが思わず大声を上げていた。
「まだ来てないってのか!?」
「しっ!声が大きいですよ、テンカワさん!」
「てっきり先に来ているもんだとばっかり思っていたんだが・・・。」
「困り果ててます、はい。ファイト開始は正午丁度。間に合わなければ不戦敗ですよ。」
「・・・・・確かにナオは最近、様子がおかしかった。」
考えこむカズシ達。
ミリアの事を言うべきか迷っていたアキトの横腹をガイが突っついた。
振り返ったアキトに無言のままある方向を指し示すガイ。
その指の先には、観客に紛れるようにしてこちらをうかがうミリアの姿があった。
アキトが手招きすると、躊躇うそぶりを見せた後おずおずと歩いてくる。
「なあミリアさん、だっけ?あんたナオさんの・・その、友達だろ?ちょっと訊きたい事があるんだけど・・・」
珍しく歯切れの悪いアキトの言葉に意を決したように、ぽつり、ぽつりとミリアが話し始めた。
騒がしい店の中で、その三人の間にだけは痛いほどの沈黙があった。
何かに怯えるように、それでもミリアが口を開く。
「どうしたの、お父さんもボギーさんも怖い顔しちゃって・・。」
「ミリア。この男の本名はヤガミ・ナオ。明日の、俺の対戦相手だ。」
「え?やだ、冗談でしょ?」
「・・・・」
「何かの間違いでしょ!?」
「・・・・・・・・。」
「そんな・・・ねえ、嘘だって言ってよ!」
沈黙を続けるナオにミリアが懇願するような目を向ける。
いたたまれなくなり、ナオが駆け出す。
後ろを振り返ることは出来なかった。
走りつづけ、ナオはいつのまにか公園に来ていた。
うっそうと木々の茂る公園内に人影は見当たらない。
胸中に、言葉に出来ない思いが駆け巡る。
「う・・・・おおおおおおおおおおお
おおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
いつしか両手を天に振りかざし、ナオは叫んでいた。
泣いているようでもあり、怒っているようでもあった。
ただ、叫んでいなければ心が張り裂けてしまう、その事だけは心の隅で理解していた。
ミリアの話が終わり、カズシが大きく息をついた。
「そうか・・そんな事が。」
「私、探してきます!」
「お、おい?」
カズシの声に駆け出したミリアが立ち止まる。
「私、このままじゃいけないと思うんです。それに・・・私のせいかも・・・私のせいかもしれないから!」
振り返ったその目には、今にも零れ落ちそうな涙がたまっていた。
「暑いのォ〜」
初夏の陽光に照らされた港に、ブルドーザーの親戚のような作業用MSが三機。
その傍らに浮かんだ資材の筏の上で魚河岸のマグロのように転がっているのは、
一週間ほど前ナオにのされた三人のチンピラだった。
「ホンマ、仕事なんかしとられへんわ。」
「せやせや・・・ん?」
「どないした?」
「あそこにおんのは・・・」
毎朝ミリアと待ち合わせていた堤防の上で、ナオは自分のひざを抱えていた。
空ろな視線がテトラポッドに寄せる波に注がれていたが、実際はその目には何も映っていない。
「もうすぐファイトだってのに・・・俺はなんでここにいるんだろうな。」
「わかっていて、何故ここにいるの?」
ナオが弾かれたように立ち上がり、振り向いた。
目の前に、ミリアがいる。
ナオが何かを言う前に、ミリアの右手がナオの頬を鳴らした。
「どうしてファイトに行かないの!?相手が私のお父さんじゃ戦えないって言うの!?」
「そういうわけじゃ・・ない。」
「じゃあどうしてっ!」
ナオが、初めてミリアの目を正面から見つめた。
その目に押され、激昂しかけていたミリアが黙り込む。
「マーメイドナデシコは、君のお父さんの機体はもう限界・・・ぼろぼろなんだ・・。」
「えっ?」
「俺とのファイトに勝とうが負けようが、もう戦えなくなってしまう筈だ。
そうなったら君は、国へ帰らなけりゃいけなくなる・・・。」
「それは・・・。」
先ほどとは逆にミリアが目を伏せ、ナオの声が高くなる。
「そうしたら・・・もう会えないんだ!君とはもう会えなくなっちまうんだ!
だけど不戦勝なら・・・戦わずにファイトが終われば少なくとも次の試合までは・・・」
再び、ナオの頬が音高く鳴った。
「馬鹿!」
頬を打った手を振り切ったまま、目に涙を一杯に溜めてミリアがナオを睨みつける。
「それでいいの?あなたは本当にそれでいいの!?
あなただってお国の、みんなの期待を背負ったナデシコファイターでしょ!?
その期待を裏切って、そんな姑息な事をしてまで私と一緒にいて、それで本当に満足なの!?」
「俺は・・・」
「みんなはマーメイドナデシコがマックスターに勝てるわけないなんて言ってるけど・・・
私は信じてる!必ずお父さんが勝つって!
だからお願い・・・・ナオさん。戦って!正面から、正々堂々と!」
そこまで言ってから、力尽きたかのようにミリアが俯く。
もう、涙は抑えようもなく流れ落ちていた。
「俺は・・・・・。」
ぎりっ、とナオが歯を食いしばった。
「俺は戦う!」
ミリアが三度顔を上げる。
ナオがミリアの肩を抱き、言葉を絞り出した。
「ミリア。俺は、君の父さんと戦う!そして俺が勝ったら、俺は君にプロポーズする!」
「え・・・・!」
「俺が勝ったら・・・プロポーズを、受けてくれるか。ミリア。」
「・・・・はい!」
涙がミリアの頬を流れ落ちる。
だが、今その頬を濡らす涙は先ほどのそれとは違う意味を持っていた。
時が止まったかのように見詰め合っていた二人の周囲に、重い金属音が響いた。
僅かに顔色を変えてナオが身構え、ミリアが頬を濡らしたまま呆然と頭をめぐらせる。
『おうおう、見せつけてくれるやんけ。』
『誰かと思ったらあン時の小僧やないけ。』
『ここで会うたが百年目、や!』
チンピラの操る作業用MSが三機、ナオ達の周りを取り囲んでいた。
「今は手前らと遊んでる暇はねえんだよ!」
『おぉっと、悪いがそう言う訳にはいかへんのや。』
『この前の借り、たぁっぷりと利子付けて返させてもらわなぁ。』
「こいつら・・・」
ナオが再びぎりり、と歯を鳴らす。
「お待ちなさい。」
涼やかな声が響いた。
意表を突かれたナオがいきなり現れた気配の方を見る。
いつの間にそこにいたのか、その言葉を発したのは、鈍く金色に光る装甲服の人影。
「お前は・・?」
「私はチェリーゲイル・ゴールド。ここは私たちに任せて、早く会場へ!」
「・・・・誰だか知らんが恩に着るぜ!行こう、ミリア!」
「はい!」
『待てや、この・・・』
「あなたたちの相手は私達だと言ったはずです!・・・・カァムヒアッ!」
瞬間、海が渦を巻いた。
渦の中心を割り、身長十五mの巨人が姿を現す。
「「「どっしぇ〜〜〜〜〜!!?!?!」」」
見事なまでにうろたえまくるチンピラ三人。
無理もない。
その巨人は極めて人間に近い形状のボディと紛れもない特徴的な顔立ち・・ナデシコフェイスを持っていた。
「GEARナデシコ、見参!」
そのナデシコのコクピットは通常のナデシコのそれとは違っていた。
まず狭い。両手を広げたほどの幅しかなかった。
普通ナデシコのコクピットにはファイターが飛んだり跳ねたりできるほどの空間が確保されている筈である。
また体全体で動かすものであるため席などは備え付けられていない。
周囲にパネルやスイッチなどを配し、操縦席の中央には外骨格のような物が設置されている。
それは見ようによっては原始的なモビルトレースシステムのようにも見えた。
そして、なによりそのナデシコのコクピットには席が横に二つ並んでいた。
つまりこのナデシコは二人乗りなのである。
金色の装甲服・・・チェリーゲイル・ゴールドが外骨格を装着する。
既に乗りこんでいた銀の装甲服、かつてアキトを救い「バイオハンター・シルバー」と名乗った賞金稼ぎが
やや不安げにゴールドに尋ねた。
「いいんですか?」
「ま、彼にも借りがあると言えば言えなくもないし。機体テストのついでの人助けだと思えば。」
「・・・そうですね。彼はともかく、女性の方を見殺しにも出来ませんし。」
「そう言う事。」
「GEARナデシコ」、またの名を「MF(モビルファイター)『電送』」。
それは、今までのモビルトレースシステムに加え、
操縦者二人のチームワークによって最大限の性能を発揮する「バロム・システム」と
データの状態で保存されている武器を瞬時に出現させる事が可能な「データウェポン電送システム」を搭載した、
新世代のモビルファイターである。
まさしく一心同体。黄金と白銀、二つの輝きを胸に秘め、今GEARが咆える。
「「さあ、どこからでもかかって来なさい!」」
「ここここ怖がる事あらへんで!向こうは一人、こっちは三人や!ワシらの磨きぬいた技、見せたれや!」
「お、おおっ!」
GEARが構える。
チンピラの操る三機がホバー移動を駆使し、それなりに連携の取れた動きで距離を取った。
「行くでぇっ!」
「「おう!」」
掛け声と共に三機が一列に並んだ。
兄貴分の男の機体を先頭に、一直線の陣形を取った三機が突進する。
「初太刀を躱せば二人目が!」
「二人を躱しても三人目が!」
「今だかつて無敗のこの連携技、破れるモンなら破ってみいやぁっ!」
「ジェットォ!」
「ストリィィィムッ!」
「「「クラァァァァァッシュ!」」」
「“Unicorn−Lance”,in‐stall!」
GEARの右腕を包むように光が走った。
光が鋭角的なシルエットを描いた直後、それをなぞるようにして右手と一体化した巨大な槍が出現する。
ホバー移動で突っ込んでくる三機を正面から見据え、弓を引くように左腕をまっすぐ突き出し右腕を引く。
そのまま突進してくる三機を迎撃・・・せずにGEARは激突寸前でひょいっ、と横に避けた。
ただし、一角獣の角の如き槍の先端を先頭の機体の右足首と交差するポイントにちょん、と突き出しておく。
「わっ!?」
「どわっ!」
「ぬおっ!?」
つまずいた先頭に二番目がぶつかり、更に三番手が追突した。
ホバー移動ゆえに地面との摩擦で速度が落ちる事はなく、そのままひとかたまりになって三体が転がって行く。
そして三人が慌ててホバーを切った時、そこは海の上だった。
当然ながら揚力がなければ物体は万有引力の法則に従わざるを得ない。
「え。」
「あ。」
「お。」
盛大な水しぶきが上がった。
「「「覚えてがばごぼげべ」」」
ぶくぶくぶく。
まあ、今頃は水温も高いし、溺れる事はあるまい。
「試合開始まで後二分!しかし、いまだにナデシコマックスターは姿を見せていません!
このままではネオデンマークの不戦勝が決定してしまいます!」
ナオが現れぬまま、無慈悲に時計の針は進む。
遂に、試合開始時刻になった。
「この試合、対戦者の不在により・・」
「ちょっと待ったぁっ!」
リングが揺れた。
乾燥重量数百トンの物体が上空から着地・・というより両足から墜落してくるのが見え、
次の瞬間土煙が上がり、リングに大穴が開いた。
クレーターの底から、ナデシコマックスターがゆっくりと身を起こす。
怒涛のような歓声が会場を揺らした。
恐らく観客は、これもネオアメリカの作戦か、あるいは演出だと思っているに違いない。
「お待たせ!」
「ナオ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・うむ。」
「やれやれ、経費が無駄にならずにすみましたよ。」
押さえきれない歓喜と、幾ばくかの鬱憤を込めてマーメイドナデシコが一歩を踏み出した。
「遅ぇぞ、ヤガミ・ナオ!待ちくたびれちまったじゃねえか!」
「へへっ、真打ちは常に遅れて登場するもんさ。」
「しかし、お前さんがミリアの男友達だったとはな!」
「俺だってあんたみたいのにミリアみたいな美人の娘がいるとは夢にも思わなかったさ!」
ナオがアームドグラブを装着した拳でファイティングポーズを取り、サイゾウも矛を構える。
「ミリアの父親だからって遠慮はしないぜ!」
「ヘッ、小僧が!そんな舐めたセリフは、十年早ぇ。」
「ナデシコファイト・・・・!」
「レディィィィッ!」
「「ゴォーッ!」」
サイゾウの鋭い突きが連続して繰り出される。
ボクシングのファイティングスタイルを取ったまま、フットワークを駆使して踊るようにそれをかわすナオ。
マックスターが素手の間合いに飛びこもうとするとマーメイドが槍を繰り出し、マックスターがまた間合いを取る。
互いに隙をうかがっていたかと思うとまたナオが踏みこみ、サイゾウが矛を繰り出す。
そんな事がもう十回以上繰り返されている。
手詰まりだった。
サイゾウの攻撃は全てかわしているものの、ナオはいまだに相手の懐に飛びこめていない。
相手の攻撃をかわしても自分が攻撃出来なければ勝てない、というのは子供でもわかる理屈だ。
一方、サイゾウにしてみても手詰まりなのは同じだった。
懐に入られこそしないものの、自分の穂先はいまだに有効打を与えていない。
彼我の機体の性能差もあるが、アキトの言ったとおり若いながらも手強い敵だった。
素手での打ち合いに持ち込むにしても、水陸両用を考えて設計されているマーメイドと、
最初から拳での殴り合いをメインに考えて設計されたマックスターとでは、
機体の性能差以前に自ずからハンデがある。
しばし睨み合いが続いた後、マーメイドが初めて自分から攻撃を仕掛けた。
踏みこみが乗っている分、これまで以上に速く、鋭い突きがマックスターを襲う。
ナオの目が光った。突きにタイミングを合わせてナデシコマックスターがカウンターを繰り出す。
無論、相手は矛、こちらは素手。相手の体に拳が届くわけがない。
ナオが狙ったのは相手の矛の先端であった。
むろん、通常なら拳が使い物にならなくなるだけだが、ボクサーモードにシフトしたマックスターの両拳には
俗に「ナデシコニウム」と呼ばれる超剛性合金で出来たグラブ型の複合装甲板、
それも打撃の威力を増す為表面に鍛造削り出しの物を用い、
裏打ちは対弾対衝撃性能に特化させた特注品が装着されている。
矛の強度がどれほどのものかは判らないが、同じ鍛造ナデシコニウム合金同士なら条件は互角。
いや、矛の刃が潰れる可能性と装甲板が貫かれる可能性ならどちらが高いかは言うまでもない。
最悪、右拳が使えなくなっても相手の矛を封じる事が出来ればおつりが来る。
素手同士での打ち合いなら、例え右の拳がクラッシュしていても勝つ自信がナオにはあった。
長い間合いを誇る矛さえなければ、必殺の左ストレートが活きる。
そして、当然ながら拳こそがナオの最も信頼する武器であった。
電光の速さで繰り出された三又矛の穂先と、同じ速度で繰り出されたナオの右ストレートが正面から激突する。
ぴぃん。
その瞬間、アキトやカズシ達も含め、会場にいた人々の殆どが思わず耳を塞いだ。
脳に直接突き刺さるような高周波音が会場の一点を中心として広がり、消える。
ナオの、マックスターの右拳に装着されたアームドグラブの表面に無数のひび割れがあった。
何故、と考えるより先にナオの体が動く。
動きを止めたマーメイドに繰り出した渾身の左ストレートに、今度はマーメイドナデシコが合わせる。
次の瞬間再びあの高周波音が響き、そしてナオは自分の装甲が砕けた原因を知った。
少し時間を戻して見よう。
ナオが繰り出した左ストレート。
サイゾウは矛の穂先の方を持っていた右手の持ち位置を矛のけら首(柄と穂先の接合部分)にまで滑らせ、
ナオの左拳と正面から打ち合わせる軌道に乗せる。
驚いた事に、あれほどの勢いで装甲板に当りながら切先は折れるどころか刃毀れ一つ起していない。
サイゾウがごく微妙な腕の動きで矛の先端の位置を微調整する。
アームドグラブの表面を覆う鍛造の装甲板の一点を、マーメイドの穂先が一ミリの狂いもなく正確に突いた。
その瞬間あの高周波音が響き、同時に矛の切先が突いた一点から無数のひび割れが走った。
サイゾウが言うところの「筋目」、構造上の弱点を完全に見切り、その一点に強い力を加えれば
固い金属や結晶体はその筋に沿ってあるいは割れ、あるいは砕け散る。
あの高周波音は余りに固く、また強固なナデシコニウム合金の崩壊によって生じた物であったのだ。
「巌砕き!」
今や失伝され伝説に名を残すのみの、鍔迫り合いで相手の剣を砕くという秘剣の名を
感嘆の面持ちでアキトが呟く。
まさしくサイゾウの矛はナオの最大の武器を砕いたのである。
「へ!やるじゃねえか、オッサン・・じゃなかったオヤジさんよぉ。
俺をここまで追いこんだのはあんた以外じゃ一人だけだぜ。」
「じゃかましい!勝手にオヤジ呼ばわりするんじゃねえよ、若造が!」
「へっ。やだねえ、年寄ってのは。現実を認めたがらねえんだからよ。」
「自分一人の思いこみで突っ走るのが若造の悪い癖だぜ。」
「口のへらねえオッサンだぜ。しかし、確かにやられたよ・・・・・スゲェぜアンタ。」
がらん、と音を立てて砕かれたアームドグラブが転がる。
「けど、同じ手はもう通用しない。・・・それに、グラブを外した俺のパンチは段違いに速ぇぜ!」
にやっ、とサイゾウが笑った。
「早まるなよ、小僧。」
からん、と音を立て、放り捨てられた三叉の矛が転がる。
あっけに取られるナオを尻目にサイゾウがファイティングポーズを取った。
「これで、条件は同じだ。俺の娘を持ってこうなんて身のほど知らずには、
この拳で手前の分際ってもんを教えてやるぜ。」
「・・・・上等!」
ナオが白い歯を見せて獰猛に笑う。
同時に二人が咆え、腕と拳が交差した。
ネオアメリカ代表ナデシコマックスター対ネオデンマーク代表マーメイドナデシコ。
この試合が、第13回ナデシコファイト決勝大会において最長の試合となった。
日は既に傾いている。
試合開始から既に数時間はたっているだろうか。
にもかかわらず、拳の応酬はまだ続いていた。
既に二人の戦いは技も何もない、ただの殴り合いになっている。
「大体・・」
サイゾウの拳がナオの腹にめり込み、ナオが体をくの字に折る。
「何でミリアなんだ!?」
体を折って突き出たナオの顎をサイゾウが突き上げた。
「人を好きになるのに・・・理由なんぞいるか!」
アッパーを食らってのけぞったナオが頭上で両手を組み、いわゆる「ハンマーパンチ」を振り下ろした。
脳天を強打されたサイゾウの足がふらつくが、辛うじて転倒をこらえる。
体を起すと同時に、右ストレートがナオの顔面に突き刺さる。
「へ、へ、へ、へ、へ、へ。」
拳をナオの顔面に当てた姿勢のまま、笑い出したサイゾウをナオが胡乱な目で見た。
「なぁにがおかしいんだよ、オッサン!
ナオの左フックがサイゾウの右頬に炸裂する。
「殴られすぎて頭に来たか、え?」
「なぁに・・・・」
お返しとばかりに今度はサイゾウのフックがナオの右頬に。
「娘の連れて来た男をぶん殴るのはやっぱり気分がいいな、って思ってたのさ!」
続けて渾身のストレートが再びナオの顔面中央に叩きこまれる。
殴り合いは、まだまだ続きそうだった。
太陽は真っ赤に染まっていた。
既に両者の顔は無残に腫れ上がり、繰り出すパンチもハエが止まるようなスピードでしかない。
「ナオって言ったか・・・おめえ、本気でミリアに惚れてんのか?」
ばきっ。
「おお、心の底から愛してるぜ!」
どすっ。
「良く恥ずかしげもなくそんな事が言えるもんだ!」
ごん。
「ビートルズだって歌ってんだろ・・・『愛こそ全て』ってな!」
ぼぐっ。
だがそのハエの止まるパンチすらかわせないほどに、お互い足にも来ている。
不意に一歩下がって拳の応酬を中断し、サイゾウがナオに震える指を突きつける。
「ヤガミ・ナオ。おめえが本気だってのはよぉく分かった。そこそこに強いってのも分かった。
だがよ・・・・ミリアと一緒になりたけりゃ、まずこの俺を倒してからにしやがれ!」
ナオにも、そろそろ決着を着けようとサイゾウが言ってるのが分かった。
血塗れの唇でにいっ、とナオが笑う。
「ああ、わかってるさ。やってやろうじゃねえか。
アンタの屍を越えて・・・・・俺は、ミリアと添い遂げる!」
ナオが渾身の一撃を繰り出し、次の瞬間ナオの視界一杯にサイゾウの拳が映った。
「・・・・・・十年早え!」
のけぞった姿勢で天高くナオが吹き飛ばされた。
夕日の中を真っ逆さまに落下し、リングに激突してそのまま動かなくなる。
確かに、十年早かった。
「ミリア・・プロポーズ・・・。」
「ううん・・・いいんです。もういいんです、ナオさん・・・。」
『お見事でした。サイゾウさんの気合勝ちですね。』
落日の中で立ち尽くすマーメイドに、アキトからの通信が入る。
祝いの言葉に、だがサイゾウが肩をすくめる。
「アキトか・・・だが、俺の勝ちってのはそりゃァ見当違いってもんだぜ。」
『え?』
「勝ったのは俺じゃない・・・あいつらさ。」
サイゾウの視線の先には担架で運ばれるナオに付き添い、その手を固く握り締めるミリアの姿があった。
「やっぱり・・・行っちまうんだな。」
「はい・・・。マーメイドナデシコがなくなってしまった以上、もうここには居られませんから・・。」
数日後。サイゾウとミリアが国に帰る日がやってきた。
別れを惜しむナオとミリア。
サイゾウと見送りに来たアキトやガイ、ユリカや舞歌達の前で、二人の世界が出来ていた。
ずっと黙りこくっていたサイゾウが時計を見てやっと口を開く。
「ミリア。そろそろ時間だぜ。」
「あ、はい。」
「けっ、別れの挨拶くらい存分にさせろってんだ。」
ナオが小声で毒づいたのを耳ざとくサイゾウが聞きとがめた。
「何か言ったか、小僧。」
「べぇつぅにぃ。歳のせいで幻聴でも聞いたんじゃねえのか?」
「ふふふふふふふふ。」
「へっへっへっへっへ。」
「・・・・貴様にはもういっぺん自分の立場をわきまえてもらう必要がありそうだな。」
「そっちこそ。今度は俺の本当の実力を教えてやるぜ。」
「ま、まあまあ二人とも。」
アキトが冷や汗を浮かべつつ両者を分けた。
二人とも顔は笑っているが目が全く笑っていない。
サイゾウが空港のゲートをくぐった。
ナオの耳元に口を寄せ、ミリアが一言囁く。
硬直したナオを見てかすかに微笑むとくるり、と身を翻しミリアもゲートをくぐった。
「なあ、ミリアよ。」
「はい。なんでしょう。」
「この一年、俺に付き合ってずっと世界中を回ってきたが・・・どこが一番よかった?」
「どこの土地も・・・それぞれの良さがありました。どこも好きです。・・・けど。」
「けど?」
「やっぱり・・・香港ですね。」
「・・・・・・そうか。」
何をするでもなくナオがネオホンコンの町をぶらつく。
気がつくと、ここ十日ほどですっかり通いなれてしまった道を無意識の内に歩いていた。
足が自然にあの店に向かう。
ここへ来るのはあの時以来だったが、
店のたたずまいも、店内の客も下町の雑踏も、何もかもがあの時のままだった。
開いていると言う事は回復した老店主が切り盛りしているのであろう。
また無意識の内にナオは店に入っていた。
もう、この店にミリアはいない。
わかっている。
それでも、何となくテーブルに座って料理を注文すれば彼女が現れるような気がしてならなかった。
ナオがのろのろ、と手近なテーブルの椅子を引き、席につく。
顔の前で手を組み、俯いたまま動かず注文もしないナオを訝ってか、コックが厨房から出てきた。
俯いたままでも影が後ろに立つのが気配で分かった。
「いらっしゃいませ、ナオさん!」
笑みを含んだその声に弾かれたように、ナオが顔を上げた。
その拍子に鼻の頭までずり落ちたサングラスを見て、くすり、とその女性が笑う。
酸欠の金魚の様に口をパクパクさせるナオを見て、もう一度ミリアが笑った。
「軍にいるお父さんのお友達が書類に細工してくれたんです。
料理の修行、ということでしばらくここの店を続ける事になりました。ナオさんも御贔屓にお願いしますね。」
そしてミリアは今やナオだけの物となった、とびっきりの微笑みを浮かべた。
次回予告
皆さん、お待ちかねぇ!
アキトに新たなるライバル出現!その名はメティス・テア!
その力はあのヤガミ・ナオを瞬殺し、アキトをも大苦戦させます!
無敵の戦士として育てられた彼女が、
恐るべき狂戦士となってアキトに挑んでくるのです! 機動武闘伝Gナデシコ、
レディィィ!Go!
あとがき
無茶苦茶長くなったなぁ(苦笑)。
元はといえばナオとミリアが「ロミオとジュリエット」(?)をする話だったのに脱線しまくっているし。
ちなみにマーメイドナデシコ。最初は柳刃包丁で円月殺法かなんか使わせようかとも思ったのですが・・・
不謹慎すぎたのでさすがに断念しました(苦笑)。
結晶体の「ツボ」を尖った物で刺激して砕いたり割ったりする事を「劈開(へきかい)」と言いますが、
本当はああ言うのは固くて脆くて筋目のあるダイヤモンドなどだから出来るのであって、
サイゾウさんがやったような真似は普通出来ません(あたり前田のクラッカー)。
多分これまでの戦いで蓄積された金属疲労などを見切り、その筋に沿って装甲を砕いたのでしょう(笑)。
後ミリアさんがやってた食堂ですけれども、下町の大衆食堂なのに無茶苦茶多彩なメニューがあるのは
御愛嬌と言う事で(笑)。
管理人の感想
鋼の城さんから連載第二十九弾の投稿です!!
・・・青春を謳歌してるよ、ナオの奴(爆)
正道の中の正道を走りましたね〜
最後には父親と殴り合い・・・って、マーメイドと聞いて、ミリアがパイロットだと思ってたのに!!
う〜ん、見事に予想を外されましたね。
しかし、鋼の城さんは中華料理に詳しいんですね。
Benも中華は好きですけど、料理名まで覚えてません(笑)
では、鋼の城さん!! 投稿有難うございました!!
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