そこは暗かった。異国の神殿か、或いは聖域。厳かな雰囲気の中にも禍禍しい気配が漏れ出している。
ショウとルイズ、そして仲間達は邪気の源である巨大な怪物と対峙していた。
圧倒的な敵を前に、だが怯む者は一人もいない。特にその両手に構えた刀から迸る妖気とそれをも上回って刀身から放たれるショウの"気"は、怪物の邪気に比してもけして劣ってはいなかった。
気迫を込めてショウが叫ぶ。

「村正二刀流で100万パワー+100万パワーの200万パワー!」

両手の刀を共に大上段に構える。

「いつもの2倍の威力の死神憑きで200万パワー×2の400万パワー!」

その体からいつもの"気"とは違う、明らかに危険な。しかし恐るべき力を秘めた気配が漏れ出す。

「そしてソウルクラッシュによるいつもの3倍の攻撃回数を加えれば400万パワー×3の! ナインテール、お前を上回る1200万パワーだーっ!」

ショウの体が光の矢となり、巨大な9本の尾を持つ怪物に突っ込んでいく。そして網膜を焼くような閃光。白い闇がルイズの視界を埋め尽くした。




むくり、とルイズが身を起した。

「・・・なに今の」

周囲を見回す。神殿でも塔の中でも暗雲に包まれた王国でもない。見慣れた自分の部屋の、見慣れたベッドの上だ。
外はまだ暗い。日の出と共に起き出す(らしい。ルイズはそんな時間に起きているはずもないので見たことはない)ショウでさえも自分のベッドで静かに寝息を立てている。

「寝よ」

ひとつ溜息をつき、再びルイズはベッドに倒れこんだ。



   第四話 『邪教徒』



「学院のご理解とご協力に感謝いたしますよ」
「ふん、王宮の勅命に理解も協力もないでな」

トリステイン魔法学院本当最上階にある学院長室。執務机についたオールド・オスマンがわずかに不快感をにじませて杖を振る。
たった今オスマンが署名した羊皮紙がくるくると巻かれ、宙に浮いてその前に立つ一人の貴族の手に収まった。
持って来た書類に記されたオスマンのサインを確認し、気障ったらしく一礼するのはどこか人を小馬鹿にしたような表情の、壮年の貴族だ。
年のころは三十過ぎと言った所か。逞しいというほどではないが、贅肉の無い均整の取れた体に洒落た衣装を纏っている。
高価な香油を塗って形を整えた髪と巻きひげ、穏やかさを感じさせるそこそこ整った顔立ちではあるが、人を見下したような目つきと口元の軽薄な笑みがそれを台無しにしていた。
彼の名はジュール・ド・ラ・モット。トリステインの伯爵にして王宮勅使である。
もう一度、慇懃無礼に一礼すると彼は身を翻して学院長室を辞した。
ドアの外に控えていたミス・ロングビルが一礼する。
その顔から胸元に無遠慮に視線を滑らせる。好色そうな笑み。

「今度食事でもどうです、ミス・ロングビル?」

一瞬返事に間が空いた。

「それは光栄ですわ、モット伯」
「うむ、楽しみにしているよ」

最後にもう一度、ねっとりとした視線をロングビルの全身に絡みつかせてモット伯は去っていった。
ふん、と顔を背けてロングビルは学院長室に戻る。

「王宮は今度はどんな無理難題を?」
「なぁに、くれぐれも泥棒に気をつけろと勧告に来ただけじゃよ」
「泥棒?」
「聞いたことはあるじゃろう。"土くれのフーケ"じゃよ。この魔法学院には秘宝"破壊の剣"をはじめとしたさまざまな宝物があるからの」
「破壊の剣・・・物騒な名前ですこと」

書物を整理していたロングビルが笑みをこぼす。彼女の背中を見るオスマンに、その笑みは見えない。

「ま、大丈夫じゃろ。フーケがどれほどのメイジかは知らぬが、ここの宝物庫にはスクウェアクラスのメイジが幾重にも固定化を掛けておる。王宮の取り越し苦労じゃよ」

言いつつ、オスマンが机の上の、人差し指を伸ばした手を模した文鎮を宙に浮かべた。
だらしなく細められたその目は、本棚の整理をするロングビルの背中と尻に注がれている。

「ひぃぃぃぃっ!?」

オスマンが杖を振る。続いてロングビルの悲鳴。
つつつ、とロングビルの背中をなぞった指の主は、勿論先ほどオスマンが浮かべた文鎮であった。
いたずらが成功したのが嬉しいのか、ほっほっほと笑うオスマンの笑みが次の瞬間ひきつる。

「ま、待て。待つんじゃミスロングビル。話せば分かる、話せば・・・」

高く足を上げた見事なフォームから繰り出される文鎮の剛速球。学院長室にオスマンの断末魔が響いた。
まぁ、この学院ではもはや日常の光景ではある。




「詳しいことは知らない。ルイズがラグドリアン湖に行くと言ったから付いて行ったまでの事だ。おれはルイズの使い魔だからな」
「私はタバサが行くって言うから付き合いで。それ以上何が知りたいの、ミスタ?」
「自分、使い魔ですから」
「ギーシュは重い心の病だったし、それを秘密裡に治すには強い薬を作るしかなかった。であるならば水の精霊の涙はほぼ唯一の選択肢」
「うるっさいわね! いちいち細かいこと聞かないでよ!(聞かれたらボロが出るじゃない)」
「そのですね。ええと・・・そう、病気! ギーシュが病気だったからなんです! 私はポーション作りが得意だからそれで彼の病を治そうと」

「では君で最後だ、ミス・ヴァリエール。他のみんなにも聞いたが、まず君たちは何故ラグドリアン湖まで行ったのかね?」
「わ、私はその、ギーシュの病気を治すのに水の精霊の涙が必要だって言われたので・・・」

前回の騒動から数日後。ラグドリアン湖に向かったメンバーは一人ずつ呼び出され、コルベールと差し向かいで面談を行っていた。
建前としては無断欠席・外泊に対する質問であるが、タバサは何とはなしに危険な物を感じていた。
しかし他のメンバーはその危機感を共有していない。例えば今コルベールと向き合っているルイズのように。
勿論惚れ薬の一件(ギーシュの「病気」を治すために精霊の涙を取りに行った、ということで口裏は合わせてある)は隠し通すつもりだが、この面談の裏にそれ以外の何かがあるとは思ってもいない。

「では次の質問だ。ラグドリアン湖では何があったのかね?」
「えと、その。水の精霊と接触が成功したあとにキメラとゴーゴンが出てきて、皆で戦ったんです。
 タバサと、タバサの使い魔のリリスがみんなを指揮して、リリスがすごい炎の魔法でキメラの一頭を倒し、ショウが残りのキメラを、ヤンがゴーゴンを倒しました。私は爆発で援護しました」
「ほう、爆発で」
「う、嘘じゃありません! 確かに倒したわけじゃありませんけど、キメラを怯ませてショウを助けたんです」
「落ち着いて、ミス・ヴァリエール。私は君の言葉を疑っているわけじゃない。その事ならリリス君からも聞いているよ。よくやったね、おめでとう」
「あ、ありがとうございます!」

恐らく生まれて初めて魔法を褒められたルイズが有頂天になるのも、またコルベールのにこやかな笑みに隠された演技に気づかなかったのも無理はあるまい。
もっとも後者を見抜けるのは海千山千のタバサだけであったろう。
優しい言葉とささやかな賞賛でルイズの心を開かせ、コルベールはなおも面談と言う名の尋問を続ける。
世間知らずのお嬢様や純朴な田舎者の心を手玉に取ることなど、彼にとっては赤子を焼き殺すのと同じくらい容易い。
昔と違うのはただひとつ、殺し切れない心の痛みだけだ。


「ふむ・・・スクウェア並みの炎の呪文に、呪文も杖も用いず離れたところから敵を切り刻む見えない刃、か・・・」
「はい。ミス・ヴァリエールの話によればミス・ツェルプストーの使い魔も同じような力を発揮したそうです。彼らの国では高度ではあっても珍しい技術ではないとのことですが・・・」
「どちらにしろゴーゴンやキメラといった魔獣を一撃で倒すなど、よほど腕の立つメイジでもそうそう出来る事ではないわい」
「それを剣一本で可能にするとはさすがはガンダールヴ、と言ったところでしょうか」
「ガンダールヴの力があるから強いのか、ガンダールヴに選ばれたから強いのか、これだけでは判然とせんがの」

こちらは昼下がりの学院長室。
先日に続き、オスマンとコルベールがまたもや密談を交わしていた。
コルベールが無断外泊について問いただすとしてあの湖に行った一行を一人ずつ尋問した所、惚れ薬のことこそ話しはしなかったものの、なだめ、すかし、或いは脅して断片的に話させた事を総合し、ラグドリアン湖で起きた事態については概ね把握する事ができている。

「まさかこんな所で昔覚えた技術が役に立とうとは」
「なに、技術なんぞ道具にしか過ぎんよ。要は使いようじゃ」

叶うならば忘れてしまいたい過去の残滓を、しかも自分の生徒達に対して使ってしまった事を悔んでいるのか、自虐的な笑みをこぼすコルベール。
対するオスマンは平然とした顔でぷかり、と水ギセルを吹かした。このへんは人生経験の差であろうか。

「にしても、ミス・ヴァリエールの失敗魔法が実戦で役立つとは意外じゃったの。魔法とハサミは使いよう、といったところか」
「その点についてはミス・タバサの使い魔が色々とレクチャーをしていたようです。召喚した時も感じましたが、彼女はかなりの場数を踏んでいますね」
「君と比べてどうじゃね?」
「・・・私は鈍りました。普通にやったらもう勝てないでしょう」
「ふむ」

それ以上のコメントをせず、オスマンは再び水ギセルを吹かす。

「虚無の使い魔二人にエルフの娘・・・規格外が三人も揃った意味は一体なんじゃろうのう」

紫煙と共に溜息を吐き出すオスマン。
ミス・ロングビルが居る間は吸うことが出来ないので、鬼の居ぬ間の何とやらとばかりに煙の味を満喫する。後で臭いでばれて冷やかに睨まれるのはご愛嬌だ。




学院の外の平原でショウとヤン、そしてギーシュが戦闘訓練を行っていた。ここのところ、授業が終ってからギーシュも加わるようになっている。
ワルキューレを仮想敵として提供し、代わりにギーシュはショウやヤンから実戦の心構えを聞いたり、戦術を学んだりしている・・・というのが一応の理由ではあるが、実の所例の一件のせいで学院に居場所が無いのである。
そして休憩の間は概ねギーシュの愚痴にヤンが付き合うのがお定まりになっていた。

「そりゃあね、僕だって自分に原因があるのはわかってるよ? だけどさ、よりによって男に惚れさせる事はないじゃないか? 相手がモンモランシーなら甘んじて受け容れるけど、それ以外の、よりによって男だなんて!」
「・・・ひとつ言っておくが、お前だけが恥をかいた訳でも不快な目にあったわけでもないぞ。大体結局はお前の自業自得だろう」
「まぁまぁ、ショウ君。ギーシュ君も。そのうち噂も消えるって」
「人の噂も七十五日と俺の故郷では言うからな。三ヶ月も辛抱してれば誤解も解けるだろうさ。その間ゆっくりと自分の行いを反省してろ」

ヤンは苦笑しながらも、ショウをなだめつつギーシュを慰める。
一連の騒動が原因で石にされた上に死亡したにも拘らず、嫌な顔ひとつ見せないあたりが底抜けの善人である。
一方言い方はきついがいちいち相手してやってるあたり、ショウも結局は人がいいのだろう。


休憩も終わり、槍と盾を構えたワルキューレと大上段に木刀を構えたヤンが対峙する。
双方が動いたと見えた次の一瞬、鈍い音を立てて青銅の女戦士の胴体がひしゃげ、首が折れた。
そのままワルキューレは力無く崩れ落ち、動きを止める。
袈裟がけに振り下ろされたヤンの木刀の仕業であった。
しかしヤンとショウの表情は優れない。

「駄目だ、やっぱり出来ないや」
「出来ませんねえ」
「どこがいけないのさ? 青銅のワルキューレを、しかも木の棒一発で粉砕したんだぜ?」
「んー、見てないと分からないだろうが・・」

先日ラグドリアン湖でゴーゴンと戦い、"気"を見事に使いこなしてこれを一撃で屠って見せたヤンであったが、その後何度練習してもあのときと同じどころか、まともに木剣に"気"を溜める事すらできなかった。

「あの時の気の扱いは俺から見てもかなりのものだと思ったんですが・・・」

普段なら事細かに説明をしてくれるショウにも理由はさっぱり分からないらしい。
彼らはまだ、自分たちの拳に刻まれたルーンの意味と、その能力を知らない。




「ムカツク! ムカツク! ムカツクぅぅぅぅっ! 何様のつもりよ、あのくるくるドジョウヒゲっ!」

一方食堂にはキュルケの怒声が轟いていた。
タバサは我関せずとばかりに本を読んでいたが、ルイズとリリス、及び周囲の生徒たちはあからさまに嫌そうな顔をしている。
喚き散らしている内容を繋ぎ合わせるに、今日学院を訪れたモット伯爵とやらがキュルケの家の家宝である書物を所望したらしい。
それも露骨にゲルマニア人を見下した高圧的な態度で。

「トリステイン伯爵だからどうしたってのよ! 王宮勅使ならそんなにえらいのかっつーの!」

ますますヒートアップするキュルケの息が酒臭い。既にワインの空き瓶が二本、テーブルの上に転がっていた。
今は三本目を左手に持ち、時々ラッパ飲みにあおっている所である。

「金貨の袋で横っ面をはたくような舐めた真似してくれちゃって! こうなったら何がなんだろうとあたしの目が黒いうちは譲ってなんかやらないわよ! 譲るくらいなら灰になるまで焼き尽くしてあげるわっ!」
「・・・・ねえタバサ、キュルケってお酒飲むといつもこうなの?」
「普段は嗜む程度。一定量を超えるとたまにああなる」

本から目を離さず、タバサが淡々と答える。
リリスが溜息をついて赤毛の友人に目を向けると、丁度ルイズが捕まった所だった。
もがくルイズをベアハッグに捕らえ、すりすりと頬摺りをしている。

「ねぇ、ヴァリエールぅ。このかわいそうな私を慰めてぇ」
「放しなさいよツェルプストー! 酒臭いのよこの胸おばけっ!」
「胸おばけなんてひどいわぁ、私だってね、好きでこんな胸をしてるわけじゃないのよぉ?」
「むぐもがっ!?」

そのままルイズの顔を自らの胸に押し当て、きつく抱きしめるキュルケ。
ボリュームのある物体が柔かく変形して顔面を塞ぎ、じたばたするもののルイズはもう声さえ出せない。
酔ってはいてもキュルケの力は強く、体格が一回り以上違う彼女では脱出はほぼ不可能だ。
しょうがないとばかりにリリスは助け舟を出してやることにした。

「ねぇキュルケ。その嫌な貴族がそんなに欲しがった本ってどんなものなの? ちょっと興味あるな。それととりあえずルイズ放しなさい」
「ん〜? ああ、別にどーってことない代物よ。一応家宝だなんていってるけど大したものでもなくて、頭下げて頼むなら譲ってやらなくもなかったんだけどさー。
 何でもある魔法使いが偶然召喚して、うちの先祖がそれを買い取ったって言うんだけど、誰も読めないのよ。そんなものをありがたがって家宝にする神経がわからないわねー」

ぴくり、と本を読みつづけるタバサの耳が動いた。
一瞬考えこもうとして別のことに気づき、本から顔を上げる。

「キュルケ」
「何よタバサ。貴方も私を慰めてくれるのー?」
「ルイズが動かなくなってる」
「あら」
「あらじゃないわよキュルケっ! だからルイズを放しなさいって言ったでしょ!」

幸いルイズは意識を取り戻した。
何故かマシュマロの海で溺れる夢を見ていたらしい。

数日後。朝食の後学院長室に出勤してきたミス・ロングビルの顔を見て、オスマンはわずかに首をかしげた。
普段とはうって変わって何か物言いたげな表情の中にどこか憂いを含んだ風情。
物思いにふける美人は絵になるのうなどと密かに喜ぶ内心はおくびにも出さず、心配を滲ませた声を出す。

「どうしたのかね、ミス・ロングビル」

オスマンの問いにしばらくためらった後、ロングビルは口を開いた。

「厨房のマルトー氏から話を聞きました。その、下働きのシエスタという娘を、王宮勅使のモット伯が引き取っていったとか」
「そのことか」

一転してオスマンが苦い薬を飲んだ時のような表情になった。
以前から目をつけていたのだろう、先日学院を訪れたモット伯爵はその王宮勅使としての権限と財力に物を言わせ、シエスタを自らの館に引き取ることをシエスタ本人に半ば無理矢理に承認させたのである。
念の入ったことに勅命という形で人事権を持つオスマンが反抗できないようにして、だ。
そして、シエスタが学院を離れたのが今朝のことであった。
本来は後一週間ほど先になるはずであり、オスマンはその間に勅命をどうにか撤回させようと働きかけていたのだが、今日になって急にモット伯の使者が現れ、半ば拉致同然にシエスタを引き取っていってしまったのである。

「そういう事でな。残念ながら今の時点では儂にも如何ともしがたかった」
「そう、でしたか・・・」
「しかし何故君が彼女の事を? ひょっとして知り合いじゃったかね?」
「そういう訳ではありません。その、少し気になりましたもので」
「そうか」

それきり、両者とも押し黙る。重い沈黙が部屋の中に立ち込めていた。
オスマンは厳しい表情で物思いにふけっている。
一方雑務の処理をしながらロングビルは、いや、マチルダ・オブ・サウスゴータは妹と同じ緑色の瞳をした少女のことが頭から離れなかった。
特に親しかったわけではない。遠くから顔を見たり、給仕をしてもらうときに一言二言会話したり、その程度だ。
ただ、その妹とそっくりな緑色の瞳は否が応でも目に付いた。容姿はまるで似ていなかったが、純朴さのにじみ出る笑みも妹を思い出させた。
仕事柄めったに会う事が出来ない妹の面影を、無意識に彼女に求めていた事に今更ながらに彼女は気づく。
モット伯は有名な漁色家だ。それも貴族を口説くのではなく、平民を買い入れて弄ぶ事を好む。今まで彼の館に連れて行かれた娘が帰って来たことはないという。
それどころかもっと悪い噂もある。モット伯は実は悪魔崇拝者で、買い集められた娘達は実は黒ミサの生贄にされてしまっているのだと。
両親と貴族の名を失って以来ではないかとも思える程どす黒い物が、胸の奥に沸き上がってくる。どうにももどかしい、最悪の気分だった。




同じ頃、厨房でそれを聞いて顔色を変えている少女がいた。

「え・・モット伯って、あのモット伯ですか!?」
「ああ、噂くらいは知ってるだろ。あの下衆貴族さ」

吐き捨てるようにマルトーが言った。
それを聞いて真っ青になったのはケティ・ド・ラ・ロッタ。
"燠火(おきび)"の二つ名を持つ学院の一年生であり、かつてのギーシュの浮気相手でもある。そしてギーシュに振られた時に慰めてもらって以来、シエスタとは身分を越えた友人とも言える仲であった。

「学院長にも言ったんだけどよ、あの人にもどうすることもできねぇって・・・あんないい子がよう、なんであんな野郎のところに行かなけりゃいけねぇんだ」

ケティもモット伯の噂くらいは知っている。新教徒であるとか、異端の信仰の持ち主だとか、悪魔崇拝者であるとか、彼の館に連れて行かれた娘は恐ろしい淫らな儀式の生贄になるとか、その手の噂は限りない。
ケティが二の句を告げないでいる内に、怒りの発作に襲われたか、マルトーが突然壁に拳を叩き付けた。

「畜生、貴族ってのはいつもこうだ! 俺たち平民を何だと思ってやがる! 俺たちゃ切り売りされる牛や豚じゃねえんだぞ!」

咆えるマルトー。びくり、と怯えてケティが一歩後ずさる。

「あ、すまねえな。あんたはシエスタと仲良くしてくれてたってのに・・・」
「い、いえ」

子供相手に当っても仕方ないと思ったのか、我に返ったマルトーがすまなそうに頭を下げる。
その顔をケティは直視出来なかった。出来るはずもない。自分も、貴族なのだ。彼らからすればモット伯と同類の人間なのだ。
結局、彼女に出来たのは逃げるようにその場を立ち去ることだけだった。

彼女には力がない。
彼女の系統である火は戦いに向くと言われる(正確には戦い以外の用途が殆どないのだが)が、彼女はドットの中でも平均以下の実力でしかない。
彼女にはコネもない。
彼女の実家は猫の額ほどの小さな領地を持っているだけの下級貴族であり、爵位すら持っていない。学院の授業料ですらそれなりの負担になっているくらいだ。
思い余って行ったオールド・オスマンへの直訴も功を奏さなかった。偉大なメイジは沈痛な表情で、ただ「すまんの」とだけ彼女に告げた。
なんとしてもシエスタを助け出さなくてはならない。だが友達を救うために頼れる人間はもう、一人しか思いつかなかった。




ケティがギーシュを見つけたのは、彼が丁度三人での稽古から帰って来て、リリスに回復呪文を掛けてもらっている時だった。
他の二人と違いギーシュは勿論体は動かしていないのだが、長時間集中してゴーレムを操作していたことによる精神的疲労がある。
リリスが試しに快癒(マディ)を掛けてみたところ、この呪文には精神的な治療効果もあるせいか、こうした精神的疲労を回復させることも可能な事が判明した(但し魔法を使うための精神力が回復するわけではない)。
今ではギーシュ自身、精神も肉体もリフレッシュするこの呪文による治療が結構楽しみになっている。
リリス達の世界でこの呪文を掛けてもらったら、最低でも金貨100枚を越す高額(額は患者のレベルに比例するのでショウやリリスなら1600枚超)を吹っかけられるという事実は知らぬが花であろう。

閑話休題。

ケティに最初に気づいたのは、やはり気配に鋭いショウであった。一方ショウにつられて振り向いたギーシュは、彼女の姿を視界に捉えた瞬間わずかに顔をひきつらせる。
無論嫌いとか苦手とかいう事は無いが、只でさえ複雑な関係であるし、ケティが今までに見たこともないような思いつめた顔でこちらを見つめていてはなおさらだ。

「それじゃね、ギーシュ。私たちこのあとタバサ達と約束があるから」
「え、ちょ、」

ギーシュに反論の隙を与えず、リリスはショウとヤンの背中を押して強引にその場から離れる。

「リリスさん、約束なんて・・いてっ!」
「余計なこと言わない。野暮介はドラゴンの尾ではたかれるわよ」
「ああ、やっぱり?」
「どう見たって、でしょう」

三人が去り、その場にはギーシュとケティだけが残された。
しばらく逡巡したあと、少なくない勇気を振り絞ってギーシュがケティに話し掛ける。

「や、やあケティ。そんな思いつめた顔でどうしたのかな?」

無言のまま、ケティはじっとギーシュを見つめている。

「どうしたのさ、そんな顔をしていたら君の美しさが台無しだよ!」

ケティの表情は変わらない。固い、張り詰めた表情のまま目だけが感情を湛えてギーシュを凝視している。

「えーと、その。そうだ、最近一緒にいるシエスタって子はどうしたんだい? 君と一緒にいないのは珍しい・・・」

さっとケティの表情が曇った。まずいことを言ったかとギーシュは言葉を途切れさせる。

「お願いです、ギーシュ様!」
「は、はい!」

突然、ケティが大声を上げる。
思わず姿勢を正すギーシュ。

「シエスタを・・・シエスタを助けてください!」
「はい?」

ギーシュの手をケティがつかむ。
女の子とは思えない力で手を握られ、内心ギーシュは焦った。

「シエスタが、シエスタが!」

その後、興奮の余り支離滅裂に語るケティからなんとかギーシュが意味のある話を聞き出したのは10分ほどたってからのことであった。

「それで、シエスタがモット伯爵に引き取られていったから僕になんとかして欲しい、って事かい?」
「はい」

先ほどの自分が恥ずかしいのか、顔を俯けながらケティが言葉を続ける。

「あ、あのねケティ。僕にだってどうにかなる事とならない事が・・・」
「もうケティにはギーシュ様以外に頼れる人がいないんです! お願いです、私はどうなっても構いません! ギーシュ様の欲しいものは何でも差し上げます、シエスタを助けてください!」

何でも。

何でも!

何でもっっっっっっ!?!?

その一言はまさしく雷の如くギーシュの全身を貫いた。
全力で平静を装い、殊更に落ち着きのある表情を作ってケティに確認を取る。

「それは本当だね? その、何でもというのは」
「もちろんです! シエスタが戻ってくるなら、惜しいものなどありません! 私に差し上げられるもの、出来ることならば何であっても、ギーシュ様のお望みのとおりに致しますわ!」

これがとどめだった。

「いいだろう、任せておきたまえケティ! このギーシュ・ド・グラモン、必ずや君の友を連れ戻そう!」
「ああ、ギーシュ様!」
「はっはっは、この僕に任せておきたまえ!」

気がつくとギーシュは学院の厩舎から馬を借り出し、全速力でモット伯の屋敷に向かって走り始めていたのである。

「うおおおお、愛の騎士ギーシュ・ド・グラモン、参るっっっ!」

ぱからっぱからっぱからっぱからっ。
ギーシュの雄叫びと馬蹄の響きが草原にこだまする。彼は今(主観の中では)英雄譚の主人公そのものだった。

「バカばっか」

どこかで青い髪の少女が呟いたような気がしたが、気のせいだ。たぶん。




そしてしばらくの後、街道を駆けながらギーシュは考えていた。
どうすれば何事もなく、かつ体面を保って事を終えられるだろうかと。
「何でも差し上げます」の一言に舞い上がり、安請け合いして飛び出してしまったが、勿論何か考えがあったわけではない。
頭が冷えてくると同時に自分が何を約束してしまったのかを理解し、早くもギーシュは及び腰になり始めていた。
相手は伯爵、対してギーシュは元帥の息子とはいえ物の数にも入らない四男坊。しかもモット伯は王宮勅使であり水のトライアングルメイジでもある。
正直このまま帰りたくて仕方ないのだが、残念ながらトリステイン貴族の例に漏れず彼は見栄っ張りであった。
勝ってくるぞと勇ましく(と当人は思っている)飛び出していきながら「怖くなったので帰ってきました」では面子が丸つぶれなのだ。
シエスタを取り戻せずに戻るにしても何かそれらしい理由をつけてからでなくては、などと考えている内にも馬は全力で駆け続け、森の奥に沈みゆく夕日に照らされた塔が見えてくる。
まさしくモット伯の屋敷であった。

ギーシュが妙にピリピリしている門番に名前と来訪の目的を告げると、しばらくして中に通された。
玄関ホール正面の階段を下りてくるモット伯を見上げ、緊張の余り乱れていた呼吸を整える。

「ようこそ、ギーシュ・ド・グラモン君。はじめまして、私がジュール・ド・モットだ」
「お、お初にお目にかかりますモット伯爵閣下。ギーシュ・ド・グラモンです」

衛兵の見守る中、ギーシュはモット伯と握手を交す。
紳士的な物腰のモット伯からはともかく、衛兵達からも何とはなしに敵意めいた物が感じられて落ち着かなかった。

「それで、グラモン元帥のご子息が私のわび住まいに何の御用かな? 申し訳ないが今夜は大事な用があるのでお相手する訳にはいかないのだよ。出来れば後日改めてということでお願いしたいのだがね」
「いえ、お手間は取らせません。その、シエスタというメイドを学院に帰してはいただけないでしょうか」
「シエスタ・・・ああ、今日から働いてもらうことになったあのメイドかね」

いぶかしむような表情になるモット。
が、ギーシュの次の言葉を聞いてにやり、と得心したような嫌らしい笑みを浮かべる。

「シエスタは、あー、僕の友人なのです。ですから、彼女をその、お妾になさるのをお考え直しになって頂けるとありがたいのですが。失礼ながら伯爵閣下であればもっと美しい女性もよりどりみどりでありましょう」
「言わんとすることは分かるが私は彼女が気に入ってしまったのだよ。だから正式に学院から引き取ったのだ。
 残念ながら今回は『早い者勝ち』と言う事で諦めたまえ。学生である君にはこう言う真似は出来なかったかもしれないが相手は平民、力ずくという手もあったろうに。
 余計なお世話かもしれないがグラモン家といえば代々色の達人を輩出することで高名なお家柄だ。そのご子息であればそう言ったことも理解せねばやっていけないのではないかね」

むかっときた。
こいつは自分を二重の意味で侮辱していると思った。
まずギーシュとシエスタの関係については友人以上のものではなく、下衆の勘ぐりと言う奴だ。
もっと許せないのはギーシュのみならずグラモン家までを侮辱したことだ。
確かにギーシュだって貴族である事を当然だと思っているし、平民は貴族の役に立つべきだと思っている。
もちろん女性が大好きなのは言うまでも無い。
だが彼も、父も、その父も、手当たり次第節操なしに女性を口説きこそすれ、暴力や権柄ずくで女性をものにしたことだけは無い。
表情からそのギーシュの心中を読み取ったか、モット伯は愉快そうに目を細める。

「はは、青い、青いなギーシュ君。我々は貴族ではないか。始祖の教えと道を継ぐ我らに、平民は全てを捧げて然るべきなのだよ」
「で・・ですが」

少し前までのギーシュならそれに素直に頷いていたかもしれない。
だがほんのわずかとは言え、今のギーシュはそれに賛同することに抵抗を感じていた。
何かが心の底でちくちくとそれに抗っている。
ケティと楽しそうに話す彼女を覚えている。
自分がどん底にあった時に、励ましてくれた事を覚えている。
その、優しい笑顔を覚えている。
それに気づいたとき、怒りが込み上げてきた。
ああそうか、とギーシュは理解する。
これが、理不尽に対して憤るということなのだと。
そのギーシュの変化にまたしても目ざとく気づき、モット伯はますます愉快そうな顔になった。
一方、ギーシュは歯を食いしばるようにして言葉を紡ぎ出す。

「ではその、仮にですがシエスタがこちらで働く理由がなくなった場合、再び学院に戻って働いてもらうことなどは可能でしょうか」
「はは、まあそういう事もあるかもしれないね。だがそういう事はたぶん君が在学中にはないだろう。あの体は実に素晴らしい。今からそれをじっくりと味わうのが楽しみなのだよ」
「で、ではモット伯」

それでも言葉を続けようとしたギーシュをモット伯が身振りと言葉で止める。

「それにだ、ギーシュ君! 君は彼女に大層ご執心のようだが、われら貴族にとって平民など、いくらでも代えが利く食器のような物だ。
 お気に入りのティーカップが割れればその時は落ち込むかもしれないが、結局のところ、そんなものが割れたからと言って人生に何か変化があるのかね? どうと言う事は無いだろう?
 つまるところ、生きようが死のうが我々の役に、引いては始祖の聖なる教えの役に立てるならばそれが彼らの幸福なのだよ!」

その言葉に何かを感じたのか、ギーシュの目が大きく見開かれる。
思わず一歩、二歩と下がり、震える声で言葉を紡ぐ。

「モット伯・・・まさか、まさか貴方は」

そうやって買い入れた平民の娘たちを殺してきたのか、とはさすがに恐ろしくてギーシュには口に出せない。
だがその瞬間、モット伯の雰囲気が変わった。傲慢で好色な、だがそれでも紳士的な貴族ではなく、狂気に近い何かを目に湛えた危険人物。

「・・・おっと、これは失言だったかな。だがギーシュ君。余計な事は口にしないほうが身のためだぞ?
 シエスタはどうしても我々に必要な人間なのだよ」

口調は変わらぬまま、だがらんらんと目を光らせてモット伯は言葉を続ける。

「それに何を考えたかは知らないが、だとしたらどうだというのかね? 王宮勅使の私に楯突いたとあれば、いくら元帥の子といえども、いや家そのものも無事では済まんぞ、ん?」

見透かしたかのようなモットの言葉、それも彼個人ではなく「家」と言った事にギーシュは怯んだ。
彼に限らず貴族は家を出されると弱い。彼らにとって「家」とは構成員全員で守るべき運命共同体であるからだ。
言ってみれば現代の地球で会社員が自分の会社に対して抱くそれに似たものを、貴族は自分の家に抱いている。
それは家族愛に近いものだったり、また純粋に自分の居場所としての家そのものに対する愛着もあれば、社会の一員として収入を得るために必要だという現実的理由まで、諸々ひっくるめた上で彼らは家を守るのだ。
例え会社に不平不満があろうが、ただ給料を貰うために在籍しているだけであろうが、自分の会社が潰れて無職になることを喜ぶサラリーマンはそういまい。
そして家が潰れ家名を失った貴族は悲惨である。正社員がフリーターになるどころの騒ぎではない。
魔法が使えるだけの平民に堕し、特権も豊かな生活も、職や社会的信用すら失った状態で生きていかなくてはならない。
貴族本人のみならず使用人たちも貴族のお雇いと言う実入りのいい仕事を失って路頭に迷うことになる。
父も、母も、兄達も、使用人までもギーシュの行動のせいで全てを失う。王宮勅使として権勢を振るうモット伯ならば可能であるし、また彼ならば実行に移すであろう。
今ギーシュに突きつけられているのはそう言う選択であった。
父ならどうする、あるいは兄達ならばどうするか。
一瞬目を閉じ、そして答えは自然に心の中から浮かび上がってきた。

『命を惜しむな、名を惜しめ』

その言葉を思い出した瞬間、彼の中からあらゆる打算は消えていた。
なにやら口の中でもぐもぐ唱えていたかと思うと、居住まいを正しモット伯に深々と一礼して、恭しく言葉を紡ぐ。

「失礼致しました。では私より申し上げることがひとつございます」
「ふん、申してみよ」

愉快そうに先を促すモット伯。だがギーシュの放った次の一言で、そのにやけ顔は凍りついた。

「あなたは下衆だ、ジュール・ド・ラ・モット」

絶句。
そしてモット伯に視線と薔薇とを突きつけ、ギーシュは畳み掛けるように高らかに謳い上げる。

「貴方には金輪際分かるまい。男子たるもの、平民であろうと貴族であろうと女性を守り慈しまねばならぬ。
 そしてもうひとつ教えてやろう。誇り高きグラモン家の一員が、例え末子と言えどそのような脅しに屈する事などありえない!
 トリステインのため、麗しの王女殿下のため、そして貴様の犠牲になった全ての女性たちのため、このギーシュ・ド・グラモンが貴様を討つ! 駆逐せよ、ワルキューレッ!」




第四話後編に続く


支援感謝。これにて投下終了、このひと誰?な展開です。
後編はもう完成しているので、おさるさんにならないよう適当に時間を見計らって、あるいは明日にでも投下します。

ちなみに最初のルイズの夢の元ネタは「ウィザードリィ・オルタネイティブ BUSIN-0」(PS2)です。
作中の通り攻撃力が倍倍に増えていくウォーズマン理論が実際に可能なので、暇な方はお試しあれ。
なお3倍というのは村正二刀流の将軍+村正持たせたモンクが二回ずつ攻撃するので2+1+2+1で村正二刀流の3回分、という勘定です。
そーいやこれも「ゼロ」ですな。ルイズに呼ばせて面白そうなキャラがぱっと思いつきませんけど。
にしても隠しダンジョンのテバイードの塔長過ぎる!
固定以外のモンスターとの戦闘なしで10時間かかったよ・・・。


「貴方には金輪際分かるまい。男子たるもの、平民であろうと貴族であろうと女性を守り慈しまねばならぬ。
 そしてもうひとつ教えてやろう。誇り高きグラモン家の一員が、例え末子と言えどそのような脅しに屈する事などありえない!
 トリステインのため、麗しの王女殿下のため、そして貴様の犠牲になった全ての女性たちのため、このギーシュ・ド・グラモンが貴様を討つ! 駆逐せよ、ワルキューレッ!」

衛兵達が動くよりも早く薔薇を振り下ろし、先ほど口の中で唱え終わっていた呪文を完成させる。
はらはらと散った薔薇の花びらが、またたく間に7体のワルキューレとなった。
ありえない、と頭のどこかが囁く。
快癒(マディ)の呪文を受けて精神的疲労は回復したとは言え、今日はショウたちとの戦闘訓練で既に5体のワルキューレを使用している。
時間を置いたことによる多少の回復はあるにせよ、自分の魔力では普通なら一日に7体が限度のはず。
どう考えてもこれはおかしい。今自分はなにか普通でない状態なのではないか?
だが、と高揚した心が叫ぶ。このままやっつけてやれ、と。ただそれだけを考えろ、と。

「然り。今はただ、この心が燃え猛るままに貴様を討つのみだ、ジュール・ド・ラ・モット!」
「ほう、大口を叩いてくれるなドット風情が。だがこの私は水のトライアングル。その力とくと味あわせてくれよう! 燃える心とやら、我が波涛で飲み込んでくれるわ!」

そのままモット伯も杖を振り上げ、素早く詠唱を行う。衛兵達は慣れた様子でその前に立ちはだかり、槍を構えた。
言うだけのことはあり、本人のメイジとしての実力も、衛兵の腕も一目置くべき物がある。
だが、その余裕も次の瞬間消え去った。
ワルキューレが二体ずつ、モット伯の左右を固めていた衛兵にタックルして槍と腕を抱え込み、別の一体が槍で頭を殴るというやり方で瞬時に、そしてあっさりと無力化する。衛兵は昏倒し、膝から崩れ落ちた。
先日ショウから教わったばかりの白兵戦の兵法「三位一体」の一手だ。
これは本来戦場で雑兵が三人一組となり一体の敵に当たるものである。
あたりまえのことだが、多少腕が立つ程度では白兵戦で三対一に追い込まれたらまず勝てない(勿論ショウなど10レベルを超えるような達人はまた別である)。
だがこれを実践するには三人が同時に、かつ連携して動かなくてはならない。
ショウの世界でもこれを実際に活用する事例が少なかったのは訓練に手間暇がかかるからである。
そしてかつてのギーシュでは、いや、殆どの土のメイジにはゴーレムでこれを実行することはできない。
自律行動が可能なガーゴイルならともかく、ゴーレムは基本的に全てを術者が操るのだ。
当然、そのコントロールには多大な集中力と熟練が必要とされる。
戦場におけるゴーレム使いは巨大な物一体を操るのが常識であり、多数のゴーレムを兵として用いるものがいないのは、ひとえに術者のコントロール能力の限界にある。
が、ギーシュはそれをやってのけた。
左右から同時に衛兵の腕に組みつき、両手と動きを封じたそのタイミングで脳天への正確な一撃。しかもそれを二組同時にやってのけたのだ。
そうでなかったら衛兵達も、少なくともモットが詠唱する間くらいは、ワルキューレの攻撃を凌げていただろう。

そもそもドットながら、ギーシュのコントロール能力は元より特筆すべき物であった。
人間大とはいえ七体のゴーレムを同時に操るなど、ラインやトライアングルでもそうそうできない真似である(もっとも、金属製とはいえ七体の人間大ゴーレムより土で出来た10メイルのゴーレム一体の方が単純に強いというのも事実だ)。
クラスはドットと低いが、一方でコントロールの技術とセンスに関しては目を見張る物がある。
言ってみればギーシュは本来力の差を技で補うべき特性を持ったメイジなのである。
五体のワルキューレを同時に動かして模擬戦を行わせる様子を見てショウは三位一体の戦術を伝授し、ここ十日間ほどそれに集中して訓練させていたのだが、当然彼がこれらの事実を知っていたわけではない。
が、集団戦を意識させた戦術はギーシュの持つそうした特性とすこぶる相性が良かったといえるだろう。

一方モットも、普通ならばてんでばらばらに殴りつけるだけのゴーレムが、一糸乱れぬ見事な連携を見せたことには驚嘆を隠せないでいた。
だがさすがにトライアングルメイジ、動揺しながらもワルキューレが自分に襲い掛かる前に呪文を完成させる。
ごとり、と音を立ててホールの隅に飾られていた花瓶が絨毯の上に落ちた。十分に厚い絨毯だったため割れはしないが、その代りにモット伯の呪文に応じてその口から水が飛び出す。
花瓶の水は水流となって蛇のように唸り、水の鉄槌となって宙を飛びギーシュに襲い掛かる。
だが、ギーシュはそれも読んでいた。
攻撃に参加させなかった七体目のワルキューレを水流と自分との間に素早く割り込ませ、両手を顔面の左右に掲げてガードさせる。
鈍い音が響いた。
水流はワルキューレの胸甲を5サントほどの深さに抉り、ワルキューレをよろめかせはしたもののギーシュには傷ひとつつけられない。
ギーシュが笑みを浮かべた。今日の自分は敵の動きが見えている。このままなら、本当にモット伯に勝てるかもしれない。

必殺の一撃を外された水流はモット伯の舌打ちと共にそのまま宙を飛び、衛兵を倒した6体のワルキューレとモット伯との間で宙に渦を巻く。
次の瞬間、しゅっと言うモット伯の鋭い呼気と共に水流が斜め上四十五度に伸び上がった。
今度は上から来る。
そう直感したギーシュは先ほどガードに使ったワルキューレを再び自分の前に出し、盾にする。
自らはその影にしゃがみこみ、同時に前衛の六体をモット伯に突進させた。
この時点でギーシュは勝利を確信していたかもしれない。まだ衛兵はいるかもしれないが、それが出てくる前にモット伯をワルキューレで取り押さえれば、と。
だが、やはりモット伯とギーシュとの経験の差は大きかった。
先ほどと同じように一筋の鉄槌の如くなり、ギーシュを打ち据えようと急降下してきた水流が、突然飛散した。
強い勢いで降り注ぐ無数の水滴の多くは盾になったワルキューレの全身に当ってしぶきを散らしたが、いくつかは細身のワルキューレの体を抜け、その影から様子を伺っていたギーシュの顔面に直撃する。

「うわっぷ!?」

勿論、土砂降りの雨より少し強い程度の勢いで水滴が当ったからといって、怪我をするわけが無い。
だが思わず目をつぶってしまったギーシュは負傷よりよほど重要なアドバンテージ・・・時間を敵に与えてしまった。
コントローラーであるギーシュが目をつぶってしまったため、目標を見失った六体のワルキューレは立ち止まり、モット伯はその隙に身を翻して赤い絨毯の敷かれた廊下を屋敷の奥に逃げてゆく。

「出会え! 出会え! 曲者だ!」
「くっ!?」

すぐに立ち上がり、ギーシュはワルキューレと共にそれを追う。
だが、モット伯の足が意外に早い。
加えてワルキューレは青銅であるから、実は走るスピードは遅い。
結局、ギーシュとワルキューレが廊下を半分も行かない内に十人ほどの衛兵がギーシュの行く手を遮った。
その後ろで、モット伯が息を整えながら余裕たっぷりの笑みを浮かべてみせる。

「本当に君は、現れて欲しくないときに現れてくれたな。今夜の儀式は我ら選ばれしもの達による理想郷の建設の、大いなる一歩だったというのに!」

緊張と興奮で限界を超えて回転数を上げているギーシュの頭の中で、かちり、と音を立ててパズルのピースがはまった。
若い娘。殺人。儀式。選ばれしもの。理想郷の建設。狂信者。邪教徒。

「貴様は・・・貴様らは『牙の教徒(プリースト・オブ・ファング)』かっ!」

ぽかんと口を開けてモット伯が言葉を止め、一瞬の後破顔一笑する。その表情に狂気の影はいよいよ濃い。

「いや、いや、いやいやいや。本当に君は勘がいい。さすがはグラモン元帥のご子息、出来れば我々の仲間に加えたい位だよ」
「ふざけるな! 恐れ多くも国王陛下のお命を奪い、始祖ブリミルの教えを歪める悪党共めっ!」

牙の教徒(プリースト・オブ・ファング)とはここ数十年でハルケギニアに現れた宗教結社である。
元は新教の一部派閥であった物が始祖直筆の経典を手に入れたと称して尖鋭化。
始祖ブリミルに選ばれし者による統治を掲げ、各国の王族の命を狙い続けていた。
一般にはトリステインの前王を暗殺したことで知られている。
そして彼ら自身ですら知らないことだが、彼らのルーツは実はこの世界にはない。
ましてやそのルーツとショウ達に関係があるとは思いもよらぬギーシュであった。

「それは違うぞギーシュ君。今の聖職者共の教えこそ歪みきっているのだ。我ら牙の教徒こそが始祖の教えをもっとも純粋に受け継ぐもの達なのだよ。そもそも牙の教徒の経典は、始祖が手ずからお記しになったものなのだ」
「そんな出鱈目っ!」
「ふん、まぁ君に言っても分かるまいがね。さあ者共かかれっ! 我らが敵を打ち倒せ!」
「「「我らが理想社会の為に!」」」

その一声と共に、衛兵達が一斉に動く。
舌打ちし、ギーシュはワルキューレに迎え撃たせるべく、指揮杖の如く薔薇を振る。
戦いはすぐに乱戦になった。
ワルキューレと衛兵、それにギーシュが入り乱れての肉弾戦である。
もうギーシュも戦術を駆使している余裕はないし、モット伯のほうもここまで敵味方が混じって激しく動いてしまうと魔法での援護は出来ない。
既にギーシュも肉薄され、ここの所ショウとヤンに影響を受けて一人でこっそり特訓していた「ブレイド」の魔法で応戦している。
元が純粋に軍用の魔法だけあり、軍人である彼の父や兄たちはいずれもかなりの使い手で、彼も子供の頃から手ほどきを受けている。
もっとも飽きっぽい彼は当時余り熱心に稽古はしていなかったのであるが、それでも今はそれなり以上に戦えていた。
何しろ相手からしてみれば切れ味が鋭すぎて槍で受け止めることも出来ず、また重さが薔薇の造花の分しか無いため、振りは普通の剣よりはるかに早いという反則的な武器である。
剣と槍の間合いや彼我の白兵戦技量の差を埋めて有り余るアドバンテージであった。

自分が白兵戦に巻き込まれながら、それでもまだ七体のワルキューレを操りつづけているという驚くべき事実にギーシュ自身は気がつかず、ただモット伯だけが驚嘆と焦りを露わにしている。
術者本人に攻撃を仕掛ければ操作は乱れるだろう、という彼の目論みは見事に外れていた。
勿論息のあった連携など出来ず、出鱈目に槍を振り回しているだけなのだが、それでも一瞬精密な動きを取り戻す事があり、そうしたワルキューレに腹を貫かれてもう数人の衛兵が倒れている。
ギーシュ自身も何箇所か手傷を負っているが、戦いの興奮がその痛みを感じさせない。
もう無我夢中で自分が何をやっているかもわかっていない。

敵が槍で殴り倒そうとしてくる。
それをよけようともせず、ギーシュは“ブレイド”を真っ直ぐに突き出した。
槍の柄が左の肩口をしたたかに打ったが、右手の“ブレイド”は胸当てを貫き、衛兵は鮮血を吹いて倒れた。
相手が「牙の教徒」とはいえ、もしギーシュが正気だったら、自分が何をしたか理解していたら、真っ青になって薔薇を取り落としていたろう。吐いていたかもしれない。
だが今は戦いの狂気が彼を突き動かしている。
衛兵と槍でつばぜり合いをしているワルキューレのすぐ後ろに踏み込み、そのまま“ブレイド”を振り下ろす。
そのワルキューレは左腕を失ったが、衛兵も右腕を槍ごと失った。
だが衛兵は怯まない。残った左腕でワルキューレに組みつき、首をねじ切ろうとして、ギーシュが脇腹に“ブレイド”をねじ込んだ所でようやく動きを止めた。
こうした異常なまでの戦意を見せるのはこの衛兵だけではない。
その証拠に、鉄の剣でもそうそう傷つかないはずの青銅のワルキューレ達が、最早軒並み満身創痍である。
狂気に駆られているのはギーシュだけではない。衛兵達もまた信仰という狂気に駆られて戦っていた。

だが、明らかに戦況はギーシュのほうへ傾いていた。
いくら狂信という鎧を纏っていても、青銅のワルキューレと切られれば血の出る人間では耐久力が違う。
剣で青銅を両断するほどの腕があればともかく、そこそこ腕が立つ程度ではこの差はどうしようもない。
しかもギーシュは自分の手が空くたびに錬金を唱え、損傷の度合いの大きいワルキューレを改めて作り直している。
一気にギーシュを倒せない以上、ジリ貧になるのも当然であった。
衛兵が一人また一人と突かれあるいは殴られて昏倒し、残りが三人になったところで再びモット伯は仕掛けた。
気づかれないように、そしてギーシュから死角になるように慎重に廊下の花瓶から水を呼び出し(そもそも廊下に花瓶が置いてあるのはこの屋敷のどこででもモットが戦えるようにする為だ)、再び宙を飛ぶ水の鉄槌を生み出す。
狙うのはギーシュが衛兵を倒して気の緩む一瞬。
頃合を見計らっていたモットは、衛兵の一人が槍に殴られ、昏倒したその瞬間を狙って杖を振った。
倒れた衛兵の逆側、死角となる方向から低く、鋭く水流が走る。
奇襲は完璧だった。標的は忍び寄る脅威に全く気づいていない。
しかし、今日のギーシュはそれすらもかわしてみせた。
勿論ただの偶然である。首のあった空間を斜め下から水流が貫こうとした瞬間、ギーシュが視界を確保するために僅かに右側に身を乗り出したのだ。
水のノミが左の鎖骨を浅く抉り、マントとシャツ、そして肉を削ぐ。

「くっ!?」
「ちっ!」

僅かに苦痛の声を上げながらも、ギーシュは踏みとどまる。
だが、偶然とは言え今の一撃をかわしたのは大きかった。本来なら喉を抉られて絶命していたはずである。
一方、モット伯は完璧だったはずの奇襲がかわされた事に舌打ちしながらも素早く水流を反転させ、二の太刀でギーシュを屠ろうとする。
それを廊下に転がって辛うじてかわし、ギーシュは勝負に出た。
最初の衛兵と同じように、残りの二人に対して同時にそれぞれ二体のワルキューレにタックルさせる。
一人はワルキューレの槍を脳天に受け、あえなく昏倒した。
しかしもう一人の左腕を捕らえようとしたワルキューレは疲労によるコントロールミスからタイミングを合わせることが出来ず、その衛兵は咄嗟に右腕のワルキューレを盾にして振り下ろされる槍から身を守った。
だが、最後の衛兵の頑張りもそこまでだった。
残りのワルキューレに押し潰され、押さえつけられた所で拳の連打をガードも出来ずに顔面に浴びる。
彼が動かなくなったのを確認し、ギーシュはワルキューレたちと共に立ち上がった。

「逃がさないぞ・・・モット・・・」

その視線の先には再び廊下を走り去るモット伯の姿があった。
衛兵が残り一人になった瞬間、いっそ賞賛したい位の思い切りのよさでこのトライアングルメイジは再び逃げ出したのだった。
当然水流もコントロールを失い、今は廊下の絨毯の染みになっている。
“ブレイド”を消し、薔薇を持った右手で槍に打たれ水流に削られた左肩を抑えながら、ギーシュは歩き始める。
ワルキューレを率いて廊下の奥へ、モット伯を追うべく。


廊下の正面突き当たり、贅を尽した執務室にモット伯はいた。
巨大な樫の一枚板を使った最上質の執務机に、体力を使い果たしたかのように身を預けてギーシュを睨んでいる。

「ここまでたどり着いたか、小僧が・・・」
「シエスタを・・・返してもらうぞ」

ギーシュの息も荒い。負傷と疲労がその体力を奪っている。
だが、戦意だけは全く衰えていない。手負いの獣のような状態だった。
対するモット伯は手詰まり。水の魔法は攻撃に使うには単調であり、直線的なのが弱点だ。
当然トライアングルであるモットは水に風を混ぜたウィンディ・アイシクルのような呪文も使えるが、それで手数を増やすことは出来ても直線的という弱点は解消出来ない。
つまり、ワルキューレという盾を駆使できるギーシュには一撃必殺足りえないのである。
ギーシュはそう判断していたし、事実それは正しかった。
だが、もし彼がこれほど疲労していなかったら。
あるいはもっと経験豊富な戦士であったなら。
モット伯の態度に何か不審なものを感じ取ることが出来たかもしれない。

部屋の中央まで進んだギーシュは、薔薇を振ってワルキューレを散開させ、モット伯を確実に捕らえようとする。
その瞬間、今まで疲労困憊の態を見せていたモットが素早く後ろに飛び退り、窓のカーテンの、否、そう偽装されていた紐を引く。
その瞬間、ギーシュとワルキューレの大半を巻き込んで床に大きな穴が開いた。
咄嗟にレビテーションを唱えるギーシュ。
だが魔法は効果を表さないまま、ギーシュは石畳にしたたかに叩きつけられた。
呻くギーシュ。彼に受身の心得はない。辛うじて動く右手で薔薇を振り、一緒に落ちたワルキューレを動かそうとするが、青銅の兵士達は床に横たわったままぴくりとも動かなかった。
落とし穴の上からモットの声が響く。

「そこは消呪域! いかなる大魔法使いであろうが魔法は発動できず、魔力で何かをコントロールすることもできん! 死ぬまでの短い間、私に逆らった愚かさを悔いるがいい!」

消呪域。
始祖ブリミルの時代には既に存在した物の、現在では既に廃れつつある技術である。
ある特定の閉鎖空間内に特殊な結界を張ることでその中では一切魔法を使えなくする。
現在でも互いへの信頼を表すために貴族同士がそうした部屋で会見を行うことはあるが、反面そうした部屋は平民による暗殺の絶好の機会であるため、よほどの事がない限り使われる事はない。
またメイジ用の牢獄として使うには余りにコストが高く(それ以前に杖さえ取り上げれば魔法は使えない)、こうした言ってみれば貴族の自己否定にも繋がるような技術を、何故始祖が生み出したのかは謎とされている。
先住魔法への対抗策だったと唱える学者もいるが、真偽は定かではない。
そしてモットの高笑いと共に地下室の扉が開き、衛兵が二人現れる。
魔法という武器を失ったギーシュに、彼らに抵抗する術は既に無かった。

殴られて意識を失ったギーシュが再び目を覚ました時、彼はマントと杖を奪われた上で壁に繋がれていた。
枷に両手首を固定され、磔にされたような姿勢である。
体中の痛みを堪え、腫れて塞がりかけた目を苦労して開くと、そこは落とし穴で落されたのと同じような、しかしはるかに広い部屋であった。天井も王宮の広間と見まごうほどに高い。
ギーシュの正面、部屋の中央に腰の高さほどの壇があり、そこに裸身に薄布一枚掛けただけのシエスタが横たえられていた。
そしてその周囲を見たこともない形の法衣をまとったモット伯他数人の男達が取り囲んでいる。
モット伯の手には聖典に似た、禍禍しさを感じさせる一冊の黒い書物があった。

「シエスタっ!」
「ほう、目が覚めたかね」

モット伯が振り向き、あの人を見下すような笑みを浮かべた。
一方シエスタは薬でも使われているのか、目を虚ろに開いたまま天井を見上げるばかりで、ギーシュの言葉に全く反応しない。

「シエスタに何をした! 彼女をどうするつもりだ!」
「それはもちろん、君が考えているとおりのことさ」

にまり、と笑みを深くするモット伯。
今あいつの顔をぶん殴ってやれるのなら1000エキュー払ってもいい、と半ば本気でギーシュは思った。

「そこで見ていたまえ、無謀な騎士よ。君が救おうとした姫君が無残に殺されるのをね」

ぎり、と歯を軋らせるギーシュを見てモット伯はついに声を上げて笑い出した。

「そう、それだ! その顔が見たかった! 我ら牙の教徒に仇為す君のその顔! さぞや始祖ブリミルもお喜びだろう!
 そして今、始祖に逆らいし血筋の女を生贄に捧げ、我らは大いなる力を得る!
 始祖よりつかわされし使徒のお言葉が成就する!
 この『召喚の書』によってな!」

始祖に逆らいし血筋? シエスタが? 一瞬そんな考えがギーシュの脳裏をよぎるが、次の言葉でそんな思考は消し飛んだ。
獣のように暴れ、叫び、枷を外そうと両手に力を込める。
だがオーク鬼ならいざ知らず、ギーシュ程度の力では当然びくともしない。
手首から血が流れる。
それでもギーシュは暴れることを止めない。
モット伯はその様子を見てひとしきり笑いこけた後、シエスタに向き直った。
その手には先ほど見た黒い書物。もう片方の手には、いつの間にか大きく湾曲した、まさしく牙のような鋭利なナイフが握られていた。
暴れるギーシュを最早毛ほども気にせず、モット伯はその顔に恍惚すら浮かべてナイフを振り上げ。
その瞬間、地下室の扉が木っ端微塵に吹き飛んだ。
そして先頭を切って走りこんできたのは。

「ルイズ! ショウ!」

桃色の髪をした魔法使い。黒い髪の剣士。
ゼロのルイズとその使い魔、ショウであった。
彼らが何故ここにいるのか。
それを知るために時間をやや巻き戻すことをお許し願いたい。




「「「『牙の教徒(プリースト・オブ・ファング)』っ!?」」」

思わず叫んだショウ、ヤン、リリスが互いの顔を見合わせた。

「やだ何、あいつらそんな昔から存在してたわけ!?」
「千年経ってもまだ活動してるのか、奴らは」
「偶然の一致の可能性もあるけど、ねぇ・・・」
「ちょっと、何を通じ合ってるのよ! 後ショウとリリス、顔近すぎ!」

むっとしてルイズがショウの袖をひっぱった。
だがそんなルイズに構っていられないほどに、ショウたちは驚きを隠しきれない。
そう、牙の教徒はショウたちの世界にも存在していたのである。
やっていることも変わらない。
神に選ばれたものによる統治を標榜し、各国の王族や貴族を暗殺する邪教徒集団。
ショウの時代に既に彼らは存在しており、リリスの時代の遥か後に起こる「イアリシンの宝珠探索」でもその姿は確認されている。
千年以上の長きに渡って世界の暗部に巣くう、文字通りの暗黒の徒たちであった。
一方でキュルケは首を傾げている。

「牙の教徒。聞き覚えはあるんだけど、なんだったかしら。タバサ、知ってる?」
「知らないの!? トリステインじゃ三つの子供だって知ってるわよ!? これだからゲルマニアの乳だけ女はっ!」
「・・・あら、言ってくれるじゃないルイズ」

などと睨み合う二人は意に介さぬが如く、いや事実意に介さずタバサが説明をはじめる。

「牙の教徒は一言で言うと新教徒の過激派。『選ばれし者による理想的統治』を掲げて各国で国王や王族の暗殺を仕掛けている。トリステインの前王を暗殺したのも彼らの仕業」
「そうよ! 前王陛下を害したその大罪、絶対に許さないわ!」
「他にもアルビオンの王弟モード大公やガリアのオルレアン公シャルルを暗殺したという噂もある」
「あ、トリステイン王の。それで聞いた事があったのね・・・え?」

一瞬、キュルケは目をしばたたかせた。オルレアン公の名前を上げた瞬間、二つ名の如く常に冷静沈着な親友から、一瞬だけ暗い炎が迸ったのを確かに彼女は見た。
キュルケが戸惑う間も、タバサの言葉は続く。

「それと牙の教徒は主にロマリア、そしてガリア、トリステイン、アルビオンで活動している。恐らくブリミル直系の国が優先的に標的とされているのだと思われる。
 そのせいでこれらの国では忌み嫌われているし、ゲルマニア出身のキュルケが良く知らなかったのも無理はない話」
「ふーん、そうだったの」
「分かったかしら? 頭どころか胸も無いトリステイン貴族さん?」
「こっ、この・・・!」
「いいかげんにしとけ、ルイズ」
「はいはいストップ、今そんなことやってる状況じゃないでしょ」

一触即発になりかけた二人の間にショウとリリスが入って場を収める。
実際のところ、確かに口論などをしている状況ではない。

「だがそれはそれとして、こっちの世界でもやってる事は全く変わらないんだな」
「全くね。まぁ千年も同じようなことやってる連中だし」

呆れたようにショウが呟き、その後をリリスが引き取った。


事の発端はショウ、リリス、ヤンの三人がギーシュと別れた直後の事だった。
三人が女子寮に向かって歩いていると、塔の窓のひとつから影が二つ飛び出し、続けて炎が噴き出した。

“仮睡(カティノ)!”

咄嗟にリリスが呪文を唱える。おそらく“フライ”であろう、空を飛んで逃げようとしていた影の片方がバランスを崩し、地面に落ちた。
意識は失っても呪文は効いていたのか、自由落下よりはかなり緩やかな落ち方である。
続けてショウも呪文を唱えようとするが、その頃には影のもう片方は気による斬撃や呪文も届かない位置にまで行ってしまっていた。

「で、何がどうしたのよ?」

本人は無事だった(部屋はあまり無事ではなかった)キュルケの話によれば、自室の扉を開けてみると怪しげな二人組が部屋を物色していたので、問答無用でファイアーボールを叩き込んでやったとの事。
相手はすぐに逃げてしまったが、先日話に上ったキュルケの家宝の書物を奪われてしまったのだと言う。
その後タバサの尋問により、盗賊は自分がモット伯の配下かつ『牙の教徒』の一員であり、盗んだ書物は牙の教徒にとって非常に大事なものであることを白状した。

ちなみにタバサの尋問がどのようなものであったかは分からないが、覗き見ていたルイズが

「やめて! 思い出させないでー! 私が悪かったからーっ!」

と、トラウマになってしまうようなものだったらしい。
以降ルイズがタバサに一歩遠慮するようになったのは余談である。

閑話休題。

「で、どうするんだキュルケ。モット伯のところに乗り込むのか?」
「そうしたいけど、さすがに牙の教徒のアジトとなると、無策で突っ込んでいい相手じゃないわね。書物自体は惜しくないけど・・・」
「相手は王宮勅使でもある。あの盗賊を証人にして法的にどうにかしてもらうほうが得策」

そうやって話しながら本塔に戻る道を歩いていた一行は、学院の正門前でうろうろしている一人の少女と出会った。
言わずと知れたケティである。ギーシュに頼みこんだはいいものの、やはり不安で追いかけようかどうか悩んでいたのだ。

「どうしたの、あなた。さっきギーシュに用があった子よね?」

びくり、とリリスの声に身を震わせるケティ。そしてリリス自身(彼女がエルフだということは学院中に知れ渡っている)に怯えながらも話していいものかどうか迷っている様子だった。

「その、シエスタが・・・」
「シエスタ? 誰それ?」
「あーっと、たしかメイドの一人だよ。黒髪で緑の目をしたそばかすの子」

怪訝な顔をしたルイズの疑問に答えたのはヤンだった。
この中で唯一掛け値なしの平民である彼は、学院で働く使用人たちともそれなりに仲がいい。
そして次の瞬間、その表情が凍りつく。

「・・・そう言えば確か、今日モットって奴の屋敷に引き取られていったって」
「なんですってぇー!?」
「ご存知なんですか!? それでギーシュ様がそれを助けに行って下さるって先ほど馬で」
「「「「「なにーっ?!」」」」」
「間の悪さもここまで来ると最早芸」

こうなるともう躊躇している余裕はなかった。

「あの馬鹿はなんだって毎度毎度毎度迷惑かけるのよ!?」
「言っても始まらないだろう! 追うぞ!」

ギーシュが戻ってくればいいが、戻ってこなかった場合学院や騎士団に動いてもらうには到底時間が足りない。
ケティに木に縛り付けたままの盗賊の事をオールド・オスマンに伝えるように言うと、一行は半ば無理矢理に厩舎から馬を引き出し、一路モット伯の屋敷へ駆けた。
そして到着するなり屋敷から漂う血の臭いにタバサが気づき、邸内へ突入。
そのまま家令に剣を突きつけて地下室まで案内させ、ショウが扉を破るなり吶喊したルイズと、続いてショウが慌てて駆け込み、今に至ると言うわけだ。

「ルイズ! ショウ!」
「ギーシュ!・・・・ひどい!」

ギーシュの姿と声を見て安心したのも束の間、腫れ上がった顔と傷だらけの全身を見てルイズが絶句する。
続いて駆け込んできたほかの面々も同様だ。
きっ、とルイズがモット伯を睨む。

「貴方がモットね! 私の・・・私の友達にここまでの事をしておいて、ただで済むとは思わない事ね!」

一瞬言いよどむ物の、怒りと共にルイズは言葉を叩きつける。
その視線をモット伯は余裕の表情で受け止めた。
ルイズたちの後ろにいるキュルケ達のそれをも涼しい顔で受け流し、ぱちりと指を鳴らす。
ローブ姿の衛兵三人がモット伯の前に出て剣を構え、一拍遅れて地下室が重い地響きに揺れた。
ルイズ達から地下室の向かって奥、巨大な扉が開き、「それ」が姿を現す。
まず毒々しい紫色の肌からして人間、いや真っ当な生物ではありえない。
その上背は見上げんばかりの高さ。5mはある天井に頭がつかえそうになっており、その筋骨逞しい肉体を覆うのは腰布一枚のみ。
それが四体。
モット伯らを守るかのように前に出た。

「トロル?! それともオーガー鬼!?」
「違うな。これぞ始祖が操った『古きものども』の一種族、ポイゾンジャイアント! 貴様ら程度では手も足も出まい!」

リリスの顔が真っ青になる。
だが彼女が何か指示を出すよりも、キュルケとタバサが先ほど唱えておいた呪文を発動するほうが早かった。

「ファイアーボール!」
「ウィンディ・アイシクル」

渾身の力を込めた火球と氷の槍がそれぞれ炸裂し、爆炎が収まった後には、全く無傷の巨人が変わらず立っていた。

「な!?」
「皆、逃げるわよ!」

リリスが叫ぶのに一瞬先んじ、再びモット伯が指を鳴らした。
リリスが身を翻した瞬間、その眼前で扉のあった場所に鉄格子が下りる。
退路は絶たれた。

「御覧いただけたかな、若きメイジ諸君。こやつらには全く呪文が効かない。そしてその毒の息はあらゆる生命を死に至らしめる。つまり君たちにはもう死しか残されていないわけだ。
 だが私は慈悲深い男だ。杖を捨て軍門に下るなら命は助けてやってもいいぞ?」
「くっ、塵化(マカニト)さえあれば・・・」

ネズミをいたぶる猫のような物言いに、リリスがほぞを噛んだ。
確かに今の状況では打つ手が無い。
ショウが一体、そして幸運に恵まれてヤンがもう一体を倒したとしても、残りの二体に毒のブレスを吐かれた時点で恐らくショウ以外は即死する。
ポイゾンジャイアントに対する唯一の切り札である、呪文無効化能力に左右されない毒ガス生成呪文「塵化(マカニト)」をまだリリスは修得していないし、ショウもそうだろう。
せめてショウに匹敵する前衛がもう一人いればともかく、今の状態では1%の勝利の可能性もない。
なおかつ逃走も不可能と来ては降伏以外に選択肢は無いのだが・・・。

一方、ショウは全く別のことを考えていた。
どのみち降伏しても命が助かる保証は無に等しい。
ならばいちかばちか、賭けに出てみるべきだろう。
リリスは塵化以外に対抗策が無いようなことを言っているが、彼に限って言えばそれはあった。
人をして殺戮兵器に変えしめる修羅の技。
命を削り取り、死をもたらし不幸を呼ぶ剣術。
ポイゾンジャイアント四体を一撃で屠りうる禁じられた侍の奥義。
有り余る才を持ちながら自身嫌悪するその技を、使うのならば今しかない。
それでも現時点での成功率は3割。加えてシエスタを巻き込んでしまう危険性も高い。
例えリリスが生き残っても、冒険者で無いシエスタが一度死ねば蘇生は絶望的だ。
そしてモット伯の好色そうな目つきを見れば、彼自身はともかくルイズ達も降伏すれば命だけは助かる可能性がある。
3割の勝利に全員の命を賭けるか。敗北を受け容れてでも望みを繋ぐか。
戦場往来の古強者とはいえ、十三歳の少年が選ぶには余りにも難しい二択だった。

リリスも、ショウも、タバサもキュルケもヤンも動けない。
モット伯のみが喉を震わせて忍び笑っている。

「さあ、どうするね? 降伏すれば命だけは保証してやるぞ?」

だがこのとき、一人だけ動いたものがいた。

「決まっているわ、答えはノンよ!」

ルイズである。一歩足を踏み出し、モット伯に杖を突きつける。

「ルイズ!?」
「ちょっとヴァリエール、状況を考えなさいよ!」

リリスとキュルケが泡を食って振り向いた。

「わたしは貴族よ。魔法が使える者を、貴族と呼ぷんじゃないわ」

だがルイズは胸を張る。だからこそ胸を張る。
杖を握り締め、巨人の向こうに隠れて他人を見下しているモットに、自らの誇りを突きつける。

「敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

一瞬間を置き、モット伯が爆笑した。

「いや、最高だ! さすがはヴァリエール公爵家の三女、気が強い! ますます貴様らを・・・」

その時、風が吹いた。

「何・・・?」

そよ風も吹かぬはずの地下室に、空気が渦を巻き風を呼ぶ。
つむじを巻き、ルイズたちのマントをはためかせ、風が吹く。
その渦の中心は、ショウだった。

「ショウ・・?」
「下がっていろ、ルイズ」

かすかに、ショウが笑みを浮かべる。

「危ないからな」

その左拳のルーンが、まばゆい光を放っている。
一方モット伯は困惑を隠し切れないでいた。

「じゅ、呪文も唱えずに風を・・・? それにその光は?」

しかし戸惑いながらも、生来の危険に対する敏感さでモット伯はそれの危険性を察知した。
なら虫けらを叩き潰すように、完膚なきまでにそれを潰してしまうのみ。

「ええい、何をする気か知らないが、ならばやってしまえ!」

命令に即座に従い、ポイゾンジャイアントが大きく息を吸い込む。
胸郭が鳩のように膨れ、肺に空気を満たす。
後は呼気を思い切り吐き出せば、体内の毒が混じった猛烈な息はこの世のあらゆる生物の命を奪う猛毒のブレスと化すだろう。
だが、それが猛威を振るう瞬間はもはや訪れない。
ショウの周りを渦巻く大気はいよいよ激しくうねり、轟く。
それはもはや空気ではない。
ショウの生み出す、大いなる気の渦。

今やショウははっきりと笑みを浮かべていた。
死の恐怖に怯えながらもはっきりと「逃げない」と宣言したその勇気、その覚悟。
初めて、彼はルイズに好もしい物を感じていた。
ならば、その覚悟に彼も全力をもって応えるのみ。
左拳のまばゆい光とともに、彼は己の全力を解き放つ。

"鳳龍――"

「キャッ!」
「ウワッ!?」
「何これ!?」

大気の渦が解放される。
今までとは桁違いの風が吹き付け、ルイズ達は或いは顔を腕で庇い、或いはバランスを崩して尻餅をつく。
そして解放された"気"の渦は同時にポイゾンジャイアントたちの周囲を取り巻く、もう一つの気の渦を作り出す。

"烈風斬!"

後は一瞬だった。
巨人どもの足元から立ち上る無数の細い竜巻。
石の床をも削り、天井を穿つその気の渦はそれ自体複雑に絡み合ってポイゾンジャイアント四体を飲み込み、その肉体をあっという間にちぎり、押し潰し、噛み砕き、引き裂いた。
祭壇のこちら側にいた法衣の男のうち二人もそれに巻き込まれ、一瞬の内に原形を止めぬ肉片となる。
血煙が舞い、グズグズの肉の破片が天井に張り付く。
ルイズ達はただただ呆然と、その様子を眺めていた。

「訓練所の教官から聞いたことがある――かつて、侍には秘技があったと」

いつの間にかキュルケを支えていたヤンが、呆然とした表情のまま呟く。

「それは己の命すら燃やし尽くす、禁断の侍の奥義だと」

その言葉と共に、ショウが崩れ落ちるように座り込む。

「ショウ? ショウ!?」

ルイズが顔色を変えてショウに駆け寄るのと、我に返ったリリスが呪文を詠唱するのとが同時だった。

"彫像(マニフォ)!"

僧侶系2レベルの行動阻害呪文、彫像(マニフォ)によって残ったモット以外の法衣三人のうち、二人が硬直する。
素早く詠唱されたタバサのエア・ハンマーが残りの一人を吹き飛ばし、石畳に叩きつけられた男はそのまま動かなくなった。
続けてキュルケが一歩踏み出してファイアーボールの呪文を詠唱しはじめ、ヤンは目にも止まらぬ踏み込みで距離を詰め、モット伯に一太刀浴びせようと振りかぶって・・・その剣を止めた。

「く、くふふふふ。馬鹿め、切り札は最後の最後まで取っておく物だよ!」

モット伯のナイフが、シエスタの白い喉にぴたりと当てられていた。
いつの間にか腰を抜かしていたモットはシエスタの喉からナイフを離さないように立ち上がり、後ろから彼女の体を抱え込んで立たせる。

「さぁ、どくのだ! この娘の命が惜しければ手出しはしないことだ! 私が安全な場所まで逃げたらこの娘は解放してやろう!」

そんな保証がどこにある、と毒づきたくてもシエスタの喉元に刃が突きつけられていては何も出来ない。
先ほどまでショウの肩をゆすり、その名を繰り返し呼び続けていたルイズも、今は息を詰めてその刃を見つめていた。

「動くなよ、動いたらこいつの命は無いぞ!」

ショウの穿った石畳の穴を避け、朦朧としたシエスタを無理矢理歩かせてゆっくりと歩くモット。
誰も手が出せない。
ぱらり。
そのモットの視線が、ふと上を向いた。
ぱらり。
小さな石の粒がモット伯の顔に当る。
その顔がひきつった。
先ほどのショウの技の余波か、削られた天井の石組にひびが入っていた。
しかも見る見るうちに加速度的に広がり、一瞬後には崩落が始まる。
思わずモット伯がナイフを持った方の手で頭を庇ったその瞬間。

「え、ショウ・・・?」

モット伯の抱えたシエスタの腹部に、ショウの左の手の平が当てられていた。

 "鳳龍透過波"

不可視の力がシエスタの体を通り抜ける。
ショウの手の平から発せられた力はシエスタの肉体に全く傷をつけることなく、その後ろのモット伯だけを直撃し、吹き飛ばした。
内蔵に直接殴打を受けたような衝撃を感じ、モット伯は先ほどショウが烈風斬で穿った大穴の中央あたりまで弾き飛ばされ、叩きつけられる。
その目に最後に映ったのは先ほど抉られた箇所を中心に全面的に崩落をはじめた天井の石組と、そこから落ちてきた一抱えほどもある石材だった。

支えるだけの力は残っていないのか、シエスタを床に横たえてショウが立ち上がる。

「よっこらしょっ・・・と」
「ショウ・・・大丈夫なの?」
「さっきから耳元で喚かれちゃな。うるさくて、寝ていられねえよ」

憔悴は隠し切れていないが、なんとかショウが笑みを浮かべてみせる。

「そう」

ぱんっ、と気持ちのいい音がした。
無言で、ルイズがショウに平手打ちを見舞ったのだ。
完全に不意を打たれたショウは、呆然として彼女を見た。キュルケ達も余りのことに固まっている。

「馬鹿っ!」

ルイズが、拳でショウの胸板を叩く。
二度、三度。
いつの間にか、その頬は涙に濡れていた。

「心配したんだから・・・馬鹿・・・馬鹿っ! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!」
「そうだな。すまない、心配かけた」

ルイズの両肩に静かに手を置き、ショウが謝罪する。胸板を叩く拳の音がやんでからも、ルイズの泣き声はしばらくやむ事がなかった。




「おーい。主従仲がいいのは結構なんだが、そろそろ僕を助けてくれないかなぁ」

無粋と思いながらも、我慢しきれなくなってついにギーシュが声を上げたのはそれから10分ほど経ってからの事である。


そして壁一枚隔てた場所の喧騒を聞きながら、溜息をついて杖をもてあそぶ女が一人。

「ったく、あたしも焼きが回ったかねぇ? あの子はテファじゃあないってのにさ」

ミス・ロングビル、いや今は怪盗"土くれのフーケ"か。
少し考えればわかることだが、先ほどのような崩落がそうそう都合よく起こるはずも無い。彼女が錬金で土と石を変形させて地下室の天井の石組に力を掛けた結果である。
とりあえずモットも死んだみたいだし後は自分たちでどうにかするだろう、とフーケは退散することに決めた。
最後に一度だけシエスタとリリスというエルフの少女をちらりと見、彼女は身を翻した。

ふと、気配を感じてショウが振り向く。
だが鉄格子に閉ざされた入口の向こうには、もはや何者の影も残ってはいなかった。




「さて、これでどうにか一件落着ね」

ギーシュとシエスタに治療を施し、リリスがうん、と伸びをした。
本人は無用と言ったが、ショウにも快癒を掛けてある(効果は無かったが)。

「それで、今のはなんだったのよ? ちゃんとご主人様に説明しなさい!」

ルイズがショウに指を突きつけている。顔が赤いのは先ほど泣いたせいと、その照れ隠しもあるのだろう。

「ダーリンは『命を削る技』なんて言っていたけど」
「あれは俺の家に伝わる秘伝で『鳳龍の剣術』と言う。そうだな、端的に言えば"気"を操る技の強力な物だ。威力は見ての通りだが、それだけに消耗も大きい。
 限界を超えて使用すれば良くて灰(アッシュ)、悪ければ消失(ロスト)――つまり、蘇生不可能なレベルで死ぬということだ。命を削る技というのは全くもってその通りだな」

地下室の中が静まり返った。
ヤンが度々実証しているとおり、ショウたちの世界では死者を蘇生させる呪文が存在する。
死亡(デッド)した後蘇生に一度失敗すれば灰(アッシュ)、そこからの蘇生にも失敗すれば消失(ロスト)となるのは以前にも述べた通りだ。
だが、死亡を飛び越えて灰や消失の状態に行く事は普通ない。
例えばドラゴンのブレスで灰になるまで焼かれたり、死後肉体を喰われたりすれば灰相当の状態になることもあるが、そうそうない事である。
鳳龍の剣術は"気"を用いて敵を討つ。
"気"を消費したからといって負傷したり魔力を消耗したりするわけではないが、"気"の根源は即ち生命力そのものである(負傷を治癒する呪文が気の消耗に効果がないのもこれが理由だ)。
大量に消費すれば生命そのものを消耗させ、また限界を越えれば即座に消失(ロスト)する。
まさに使用者の命を削りとる技と言うに相応しい。

「馬鹿っ! なんでそんな危険な技を使ったのよ!」

そして当然というべきか、再びルイズが沸騰する。ただし、今度の平手はショウも余裕を持って見切ることが出来た。

「避けるんじゃないわよこの馬鹿っ!」
「無茶を言うなよ。あのなルイズ。俺はこれでも鳳龍宗家の人間だ。どれだけの技を使えば危険かは理解しているさ。
 それにさっき言っていたろう。『敵に後ろを見せない者を貴族と呼ぶ』と。ならば、後ろを見せずに勝つ方法はあれしかなかった」
「う・・・」

その言葉が、沸騰したルイズの頭を一瞬で元に戻した。言ってみればあの時のショウの行動にはルイズにも責任があったのだ。
その機を逃さず、ショウが畳み掛ける。

「別にそれをどうこう言う気はない。俺も同意見だからな。だが、馬鹿というならお前も同じだぞ」
「なんでよ!?」
「結果的には上手く行ったが、状況を考えろ。あの場であのセリフを吐いた勇気は賞賛するが、勇気も行き過ぎればただの無謀だ。自分と相手の力量を正確に判断することも重要だぞ」
「・・・わかったわよ」

口を尖らせながら渋々とではあるが、ルイズは頷いた。後ろでキュルケが「まぁ、素直」などと驚いているのは拳を震わせつつも無視する。
その時、さっきから黙っていたシエスタが恥ずかしそうに口を開いた。

「あの、そろそろ外に出ませんか? ええと、出来れば帰る前に着替えたいんですけど」

他に羽織る物も無いのでしょうがないのだが(平民が貴族のマントを羽織ると不敬罪になる)、未だに彼女は薄布一枚巻きつけただけの格好であった。
殆ど風呂上りにタオルを巻いているのと変わりない。
こつん、とルイズがギーシュのすねを蹴った。

「ちょっとギーシュ。わざわざシエスタを助けに来たのは褒めてあげるけど、それなら最後まで紳士らしく振舞いなさいよ」
「何を言うんだい、ルイズ。僕は常に紳士的な貴族たらんと心掛けているよ」

言いつつ、シエスタの胸元や半ばまで露出した太ももにちらちら視線を向けているのでは全く説得力が無い。

「い、いえそのミス・ヴァリエール。いいんです、ミスタ・グラモンは私の命の恩人ですから・・・」
「あなたのその心掛けは偉いと思うけど、元気になった途端これじゃあね。モンモランシーも苦労するわ」
「全くね。そこへ行くとうちのダーリンは、」

あたりを見回して、キュルケの言葉が途切れた。

「って、ダーリン? あれ、ダーリンは?」

くいくい、とタバサがキュルケの袖を引っ張る。

「なんかヤな感じね、このパターンは・・・」

そろそろ学習したのか、キュルケが諦めたように溜息をつく。

「正解」

タバサの杖が指した先、崩落した石組と土砂の中からヤンの右腕とカシナートの剣だけが飛び出していた。



ヤンをちゃっちゃと蘇生させた後、一行は乗ってきた馬に分乗して帰路についた。
消耗しているショウはルイズの、馬に乗れないシエスタはギーシュの後ろに乗る(服はさすがに着替えている)。
シエスタと密着しているギーシュの表情がでれでれと非常に見苦しい物になっていたが、一同も今日だけは見て見ぬ振りをしてやることにした。




馬蹄の音が闇の中に消えた頃、モット伯の屋敷の門前で声がした。闇に隠れて数はおろか姿とて定かではないが、人影の一人の手にあったのは、まさしくモットの持っていた『召喚の書』。

「モットはいい人形になるかと思ったのだがね」
「あれが攻撃を司る虚無の担い手の使い魔、ガンダールヴか」
「やれやれ、とんでもない化け物だね」
「心配するな、何もお前たちに殺れとは言っていない」
「・・・」
「殺るのは、この私だ」

それきり声は途絶え、屋敷の喧騒だけが遠く聞こえていた。




途中で学院のほうから馬を走らせてきたコルベールと合流し(彼が大いに安堵したのは言うまでも無い)、一同は無事学園に到着した。
夜遅いだけあってもう大部分の明かりも消えていたが、正門前でケティと、そしてオールド・オスマンが待っていた。

「ギーシュ様!」
「やあ、ケティ。約束どおりシエスタは連れて帰って来たよ。まぁ、ルイズ達に助けてもらったんだけど」
「ほっほっほ、謙遜せんでもよろしい。少なくとも君が行かなければミス・シエスタが戻って来れなかったのは確かじゃ。儂からも礼を言わせて貰おう。胸を張って自分を誇りたまえ。じゃが、無茶は大概にせんといかんぞ?」
「はい、オールド・オスマン!」

ありえないと思った直々のお褒めの言葉に完璧に舞い上がるギーシュ。人生に絶頂があるとしたら、彼にとっては今がまさにその時だった。

「その、ギーシュ様」
「ん、なんだいケティ?」
「お約束どおりお礼を・・・何でも差し上げますわ。その、私の大事な物でも」

頬を染めつつ、流し目でギーシュのほうを見るケティ。オスマンが一瞬心底羨ましそうな顔を見せる。
彼女の表情と視線にしばらく夢見心地を味わった後、ようやくギーシュは周囲の冷たい雰囲気に気づいた。

「ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅん。縁も縁もない平民の女の子を命がけで助けに来るなんて大した物だと思ってたわ。随分見直したのよ? でも、こう言う裏があったのね」
「る、ルイズ。違うんだよ、その」
「まぁ、そういうのもアリとは思うわよ? でもやっぱり評価は下がるかしらねぇ・・・いっぺん上がっただけに下げ幅は大きいわね」
「キュルケ! だから違うんだ! たたタバサ、君ならわかってくれるよね!」
「女の敵」

一縷の望みを込めて懇願するようにタバサを見るも、返って来たのはルイズのそれよりもよほど冷たい、雪風の凝視。

「この・・・女の敵! スケベ! 変態! 死んじゃえ!」
「ぶべらっ!」

とどめに顔を真っ赤にしたリリスの連打鉄拳制裁を喰らい、先ほど以上に顔面が酷いことになるギーシュであった。
加えて後日どこからかこの話が漏れ、再びモンモランシーに振られかけたらしい。
故人曰く、九仞の功を一簣に欠くとはまさにこの事であろう。




そうした様子を塔から見下ろす影があった。
ショウたちより先に学院に帰っていたロングビル、いやフーケである。
牙の教徒の巣窟に殴りこんだというのに、もう呑気に騒いでいる様子がおかしく、こっそりと笑みを漏らす。
自分自身も馬鹿なことをしたとは思うが、気にはならなかった。村に帰る以外では本当に久しぶりに、少しだけ心が軽くなった気がした。
そのまま自分の部屋に戻り、着替えようとした所で彼女の後ろから声がかかった。

「いや、見事な手並みだったよミス・ロングビル、いや土くれのフーケ。誰も君が消えたことになど気が付かないだろう・・・無論、この私を除いてだがね」

肝を潰して振り向いたフーケは、扉の脇に仮面をつけた男がもたれかかっているのに気づいて慄然とした。同じ部屋に居たのに、気配を一切感じなかったとは!
袖口に隠していた杖を構え、油断なく男の様子を窺う。
一方の男は悠然と、腕組みをして壁にもたれかかったままだ。

「さて、挨拶も終った所で本題に入ろうか。我々に協力しろ、土くれのフーケ」
「どこのどなた様か知らないけど、あんたらに手を貸す義理が何かあるとでも? 言っておくがあたしのことをばらしても意味はないよ。姿を隠せば済むことさ」
「お前は我々に協力せざるを得んさ、マチルダ・オブ・サウスゴータ。大事な妹のためにもな」

その一言が彼女の動きを止める。
自分に選択肢は残されていない事を、絶望と共にフーケは悟った。




さあう"ぁんといろいろ 第四話『邪教徒』 了





投下終了。ギーシュが受け容れられるかどうか不安でしたがそこそこ好評のようで安堵w

んで書いてて思いましたがブレイドの魔法強いですねー。
「岩をも断つ」という形容が誇張でないなら、多少の白兵スキルの差は問題にならないですよこれ。
なんせ重さがない上に普通の剣で受け止められないんですから。

なお原作の口絵ではティファニアの瞳は青かったり緑だったりするのですが、
黒いはずのシエスタの瞳が口絵では青という事を考えると微妙に信用できない(サイトの瞳も場合によっては青い)ため、アニメ第二期に準拠してこのSSではティファニアの瞳は緑ということになっております。

それでは支援と掲載に感謝しつつ、また忘れた頃に。


ウィザードリィを知らない人向けキャラクター解説と用語説明

牙の教徒

プリースト・オブ・ファング。シナリオ#3「リルガミンの遺産」に登場する狂信者集団。ゲームでは顔を合わせ るなり問答無用で即死呪文を乱射してくる変態ども。
石垣世界では宗教団体であると同時に理想社会を求める急進過激派集団でもあり、このSSではハルケギニアにおけ る新教徒の過激な一派である。



鳳龍の剣術

石垣WIZオリジナルの、『気』を使った侍の必殺技。
破格の強力さを誇るが消耗も激しく、使いすぎると即消失(ロスト)する。
普通の戦士だと初級の技を一発使ったらほぼ限界。ショウはこの技の宗家の息子。
なお、石垣世界では侍以外の戦士系も普通に気を操って戦うので高レベルの前衛同士であれば魔法抜きでもかなり の超人バトルが展開される。



古き者

石垣世界において、迷宮に出現する怪物達の事を指す。かつて『魔除け』(ワードナの魔除け)を手にした勇者に 封印されたが、ワードナによってこの世に甦った。

 



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