ジュール・ド・モット伯爵が異端派『牙の教徒(プリースト・オブ・ファング)』であったと言う事実はオールド・オスマン、そしてマザリーニ枢機卿の判断と素早い処置によって秘密のままにとどめ置かれた。
事もあろうに伯爵、そして王宮勅使であるモットが前国王を暗殺したテロリストの一員であったなどと、公に出来る物ではない。
あれから数日。結局あの書物――『召喚の書』とモットは呼んでいた――が見つかることは無かった。
後日トリステインの騎士団が屋敷の隅々までを調査した時も、発見されなかったという。
キュルケはその分の賠償金をモット伯の財産からちゃっかりとふんだくったらしいが、それはさておき。
あの時モット伯の屋敷前にわだかまっていた闇に、トリステインの人間はまだ誰も気付いていない。
とは言えそんな事とは関係なく人間生きて行かなければならない訳で、そうすると色々なあれやこれやも発生するわけで。
つまるところ色々な悲喜こもごもを孕みつつ、今日はトリステイン魔法学院は平和なのだった・・・「今日も」でない辺りがいささか微妙ではある。
「シエスター、このブタの丸焼きの配膳手伝っとくれ!」
「はーい、ヴァーゴさん、ちょっと待ってて下さいねー!」
飯時の厨房は戦場である。
が、マルトーは肉を刻む手をふと止め、ぱたぱたと駆けて行くシエスタを目を細めて眺めやった。
その視線に何とはなしに父親の慈愛のような物が含まれている、と思うのは食堂のコックやメイドたちばかりではあるまい。
「連れて行かれた時はどうなることかと思いましたけど、すっかり元通りですねぇ、親方」
「だなぁ」
「しかし、貴族のボンボンがわざわざ直談判に行ってくれるなんて、俺ぁちょいと連中の事見直しましたよ」
「ああ、ヤン達も一役買ってくれたみてぇだし、世の中悪いことばかりじゃねぇって事だな」
がはは、と豪快に笑うマルトーの肩を、肉料理担当のグレッグが不機嫌そうに叩いた。
「親方ぁ。感慨に耽るんだったらもちっと暇なときにしてくださいよ。さっきから詰め物の具合を見てもらおうと思って待ってるんですが」
「おう、わりぃわりぃ。今行くわ。リカルド、この肉刻んじまってくれ」
「ういっす!」
「親方、こっちのドビソースも!」
「わぁってる、すぐ行くから魚皿のマリネのほう始めとけ!」
繰り返すが飯時の厨房は戦場である。
マルトーも今は取りあえずシエスタのことを忘れ、ドスドスと床を踏み鳴らして厨房を歩いていった。
「ね、ねぇモンモランシー。何か凄く大きな誤解があると思うんだよ、僕は」
「誤解も何もないわ! どうせ私は魅力に欠けるわよ!」
一方こちらにも、はしたなくも肩をいからせ、足を踏み鳴らして歩く少女が一人。
金髪の少年はそれに取りすがり、何とか話を聞いてもらおうとしているが、まさしく取り付く島もない。
「ええそうよ、どうせ私は胸もお尻も薄いやせっぽっちよ! だけど、ケティにまで劣るだなんてそんな・・」
「そんなことはないさモンモランシー。ケティは凹凸のない本当に子供っぽい体型をしているけど、君はまるで違う!
なだらかに美しいラインを引いてくびれたウエスト! 熟れた桃のような柔かいヒップ! どれを取っても君は素晴らしい!」
ぴたり、とモンモランシーの足が止まった。
「だが何と言っても最高なのは形良く、貧弱でなく、かと言って下品にもならないギリギリの絶妙なふくらみを保ったそのバスト!
胸は大きければ大きい程いいなんていう奴もいるけど、ボクに言わせれば子供の趣味だね! 同様に薄いのが好きだなんて言う奴も偏った嗜好を持つマニアでしかない!
大きからず小さからず、張りと弾力を保った絶妙のラインこそが至高! 言わば大人の色気と少女の清楚さを合わせもったハイブリッドなんだ!」
「い」
「なんだい、愛しいモンモランシー!」
「いつ見たのよっ!?」
「へぶぉっ?!」
身体を殆ど一回転させて反動をつけた、豪快な平手打ちがギーシュの意識を見事に刈り取った。
まぁ、衆人環視の中で自分の裸体に付いて他の女性と比較されたら誰でも怒る。しかも大声。
ちなみにギーシュが実際にモンモランシーやケティの裸を見た事があるわけではない。
グラモン家の男として、服の上から女性の体型のラインを見極める程度の事はごく基本的なスキルなのである。
詰め物やコルセットに騙されない、完璧な審美眼こそ女性の美しさを礼賛するために重要な事なのだと、彼らは代々固く信じているのだ・・・女性の方でどう思うかは、また別の話である。
なおマウントポジションで殴打されるギーシュを、マリコルヌがはぁはぁと息を荒くして羨ましそうに見ていたが、それは余談である。
「と、言う訳で、モンモランシーにさんざんに引っぱたかれてさぁ」
「・・・そりゃギーシュ君が悪いよ」
いつもの学院外の原っぱ。全身に靴跡を付けたギーシュの話を聞き、ショウとヤンは呆れた顔になっていた。
さすがのヤンも今回はフォローの言葉が思いつかないらしい。
ショウに至っては無言のまま、半目で冷たい視線を投げかけているだけだ(睨んでいるように見えなくもない)。
あくまでも自己の正当性を熱弁するギーシュにしばし付き合った後、三人は腰を上げて修練を再開した。
ヤンが右手の木刀を大上段に、左の盾を正面に構える。
対峙したギーシュが滑らかに呪文を唱え、9体のワルキューレを作り出した。
詠唱のスピード、現れたワルキューレの数、明らかに今までのギーシュのそれではない。
「フッ。僕はどうやら本当にドットの壁を越えてしまったようだね!」
モット伯の屋敷から生還した後、ギーシュはそう言って大いに胸を張ったものである。そしてそれは事実であった。
トライアングルならともかくライン程度では胸を張るほどのことでもないのもまた事実だが、それを指摘するような暇人は彼の周囲にはいない。まぁ学生ならラインは十分優等生である。
戦いの経験が彼を成長させたのか、はたまた激しい感情の噴出が限界を打ち破ったのか、現在のギーシュは最大17体までのワルキューレを錬金することが出来る。
加えてそれらを同時にコントロールするマルチタスクぶりも健在である。勿論動かせるだけでは大して役には立たないので、今の課題はそれらをいかに連携させて戦うかだ。
大型のワルキューレを錬金すると言うアプローチもあるのだが、こちらはデザインが難航しているので後回しであった。
木刀を構えたヤン、そしてショウも交えてしばし9対2の模擬戦を繰り広げた後、ヤンが今度は真剣を構える。
盾と腕の隙間から漏れる光が、左拳のルーンが輝いていることをショウとギーシュに教えていた。
今ヤンが正対しているのは槍を構えた一体のワルキューレ。
深く息を吸う独特のストローク。
その吸気が止まると同時、ヤンが鋭く踏み込んだ。
完全に出遅れた物の、槍で迎撃しようとしたワルキューレの一撃を半身になって躱したと同時、鋭い呼気とともに剣を叩き付ける。
ばしぃっ、と青竹で大木を叩いたような、気持ちのいい音が響いた。
刃に込められたヤンの"気"が炸裂し、ワルキューレの上半身を粉々に吹き飛ばしたのだ。
辛うじて立っていた下半身が僅かに間を置いてどさり、と倒れる。
おおっ、とギーシュが声を上げた。
「なるほど、これが本来の威力って訳かぁ・・・」
感心したように呟いたのはギーシュ。ショウは無言で頷いている。
「ラグドリアン湖でのあれは火事場の馬鹿力とかではなく、そのルーンのせいだったんですね。それに踏み込みや振りの速さも上がってませんか?」
「うん。レベルが一気に3つか4つは上がった感じだね。とんでもないな、これは。ショウ君はどうなんだい?」
「それなんですけど、ヤンさんと違って全然強くなった気がしないんですよね。ただ」
「ただ?」
「この前、モットの屋敷の地下で烈風斬を放ったとき、一度気を失ってしまったでしょう」
「そうだね。あれはちょっとひやっとしたよ」
「ルイズにも言ったように、どれだけの威力の技を放てばどのくらい疲労するか、普通はわかるんですよ。けど、あの時は全力で撃ったことを考えても通常の烈風斬の2割増に近い威力が出ていた」
「うん、凄かった・・・あ、ひょっとして?」
「ええ。恐らくこれもルーンの影響なんでしょう。予想した以上の威力が出たぶん、消耗も激しかったんだと思います」
「魔法を使いすぎて極端に消費すると同じような事があるって言うけど。ショウのはもっと危険なんだよな?」
と、これは今まで二人の会話を黙って聞いていたギーシュ。
「ああ。魔法なら気絶で済むんだろうが、鳳龍の剣術の場合、限界を超えれば即座に死に至る」
「怖いなぁ。威力は凄かったけど、それじゃ危なくて使う気にならないよ」
「まったくだ」
「って、君の所のお家芸だろうに」
真面目な顔をして頷くショウに、思わずギーシュが突っ込みを入れる。ショウはこれには応えず、ただ苦笑を浮かべるだけであった。
その様子に何かを感じたのかそれとも無意識か、ギーシュが話題を変えた。
「にしても木刀では反応しなくて、真剣だと反応するって、不思議なルーンだなぁ。でもこの前ショウの手が光っていたのに比べると光り方が鈍くないかい? あの時は直視出来ない位だったと思うけど」
「確かに、言われてみれば・・・」
「俺はハルケギニアの人間でもましてや魔法使いでもないから分からないけど、使い魔のルーンってそういうものなのかい?」
「うーん。猫が喋ったりできるようになったりするらしいから、そういう事もあるのかもしれないけど。タバサあたりなら知ってるかもしれないな」
先日のモット伯との戦いを経て、彼らはようやく左手のルーンの謎をある程度理解していた。
もっともこれ以上の事はタバサも知らず、ひょんな事から詳しいことを知ることになるのだが、それは先の事である。
一方、食堂外のテーブル席ではキュルケとタバサ、リリスが午後のお茶を楽しみながら女の子同士のおしゃべりに興じていた。
勿論主に話すのはキュルケとリリスで、タバサは本を読みながら聞いていない振りをして聞いている。
今日の話題は主に男性関係についてだった。
リリスは実際に男性と付き合ったことは無いのだが、仮にも年頃の女性である。こう言った話題に興味がないわけが無い。
「それでヤンがね、そんな明るいうちからどうのこうのって言うから、キスで唇塞いでやったわけ。そんでそれからね・・・」
「もう、まだ明るいのよ?」
うわー、と頬に手を当て、顔を真っ赤にするリリス。
それでも目をキラキラさせてキュルケの言葉に聞き入っているのは、やはり若い女性と言うことであろう。
無言で本を読んでいるタバサも心なしか顔が赤く見えるのは光の加減かどうか、微妙な所である。
その内に衣服や化粧のほうに話は向いていった。
「でさ、やっぱりデートの時は勝負服とか用意するわけ?」
「そりゃ勿論でしょ。美しく着飾るのは女のたしなみ、それも殿方との道行きとなれば尚更よ」
「キュルケはいいわよねー。それだけスタイルよければ何でも似合うんじゃない?」
「リリスだってすらっとしてていいじゃない。お人形さんみたいな綺麗な顔立ちしてるし」
「やだキュルケったら!」
親友と使い魔の二人がきゃぴきゃぴ、という死語すら似合うようなはしゃぎぶりで話をしている間にも、その間に挟まれて黙々とタバサは本を読んでいた。
先ほどと異なり、化粧や服と言った方面には本当に興味がないのである。
かつてはそうでもなかったのだが、母親や貴婦人達の美しい化粧や着飾った晴れ姿に憧れを抱いた記憶は、そのほかの幸せの思い出とともに心のどこかに行ってしまった。
ただこの学院に入学して以降、タバサの興味の有無とは関係なくそちらの話に引きずり込もうとしてくる人間がいるのである。しかも最近は二人に増えた。
「やっぱりタバサって明るい色の口紅が似合うと思わない?」
「どうだろ。案外紫色とかが似合うんじゃないかと思ってるんだけど」
「リリス、さすがにそれはちょっと大人っぽすぎない?」
「タバサって謎めいた所も可愛いと思うのよ。それを考えると紫もいいかなぁって」
「うーん、コーディネイト次第ではありっちゃありね。そうね、そっち方面で行くなら黒と白で攻めるのはどう?
色調はその二つがメインなんだけどふわっと広がったフレアスカートに肩のところに黒い羽飾りがあって、フリルがたくさん付いた可愛い奴をこの前見つけたのよ」
平静を装って本を読みつづけるタバサのこめかみがぴくぴくと動いた。
一瞬そういう格好に身を包んだ自分を想像し・・・1秒でやめる。
まぁ、二人がタバサの格好について色々言うのはいつものことだが、嫌がるのを無理強いしたりはすまい。
なんと言っても二人はタバサの大事な友達なのだし。
「でも豪華な真紅のドレスとかもそれはそれで似合いそうだから困るのよね」
「男装とかもいいかもね。青系統の飾り気のないズボンとチョッキにワンポイントで細いタイを」
「それならいっそピンクってのはどう? 白基調でピンクの上着、勿論全身フリル沢山で、胸元と頭にも大きなピンクのリボンを・・・」
「うう、それは凄い可愛いかも! やだ、ちょっと凶悪すぎ!」
「でしょでしょ?!」
二人とも大切な友達のはずである。たぶん。
「あ、そうだ。私も今度タバサに革の胴着か何か買ってもらおうと思ってたんだったわ」
「胴着?」
ここで初めてタバサが本から顔を上げた。
「革? レザーファッションかぁ・・・似合わないことはないだろうけど、リリスにはもうちょっと華やかな感じの方がよくない? その頭に巻いた布とだって余り似合わないでしょ?」
「あー、そっちのほうじゃなくてね。戦う時のためよ。ほら、ラグドリアン湖でキメラと戦ったし、この前もちょっとあったでしょ?
私は司教(ビショップ)だから重い鎧は着れないけど、それでも革鎧くらいなら身につけられるから、いざと言う時のためにね」
「そういう事なら問題ない」
「ありがと、タバサ。お返しに可愛い服見立てて上げるからね」
「・・・・」
「その時は勿論私も手伝うわ!」
「ありがとうキュルケ!」
妙にヒートアップしたまま、がっしと堅い握手を交すキュルケとリリス。
友情ってなんだろう。ふっと遠い目をして宙に視線を彷徨わせるタバサであった。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
そしてここに、ごろんごろんとベッドを転がるピンクの髪の乙女がまた一人。
乙女と言うにはあちこちが些か未成熟ではあるが、そこは見逃して欲しい。
それはともかくルイズは今悩んでいた。
悩みと言うと少々ニュアンスが異なるのだが、困っているのは確かだ。
そもそも悪いのはショウなのである。あの三つも年下の癖にやたら反抗的な、小憎たらしい生意気な使い魔なのである。
まあ腕が立つのは良い。あれで中々真面目で名誉を重んじる性格なのもヴァリエール公爵家三女たる自分の使い魔としては相応しい。
ご主人様を差し置いて魔法を使えるのがちょっと屈辱だが、それは寛大な心を持って流してやるべきだろう。
問題は先日の、モット伯邸でのことなのである。
『下がっていろ、ルイズ。危ないからな』
唸る風。
輝く左手のルーン。
風になびく髪で目は見えなかったが、自分と大して背丈の変わらない、学園の男子と比べても小さいはずのショウの背中がとても大きく見えた。
わずかにこちらに向けた顔の、口元が微笑んでいるのだけが見えて・・・
そこまで思い出した所でルイズの顔がぼひゅっと音を立てそうな勢いで真っ赤になる。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
頭をかきむしりながら、ごろごろごろごろと先ほどに倍する勢いでベッドの上を転がるルイズ。
知らない人間が見たら締め切り間近の物書きか、禁断症状に苦しむ麻薬中毒患者にしか見えない。
「なし! なし! いまのなし! プリーズギブミーワンモアチャンス!」
誰に請求しているのか、ばんばんとベッドを叩いてやり直しを訴える。
「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
そしてしばらくして顔の火照りが収まると、また唸り声を上げながらごろごろと転がり始める。
こういう事を先ほどからエンドレスで繰り返しているのである。
何かとちょっかいをかけてくる隣人が不在なのはルイズにとっては幸いであった。
そして何十回目かに転がった後、がばっとルイズは起き上がった。
その顔は、例えるならば締め切りをぶっちぎって入稿リミット3時間前まで追い詰められた作家が、会心のネタをひねり出した時のように輝いていた。
「そうよ、プレゼントよ!」
口に出した単語の意味を理解した途端、またしてもその顔が沸騰する。
しばしわたわたごろごろした後、胸に手を当て、必死に呼吸を整える。
ぶつぶつと、自分に言い聞かせるように――事実、言い聞かせているのだが――あるいは祈りの言葉のように呟く。
「そうよ、これはプレゼントとかじゃない、少なくとも恋人に贈り物をするような事じゃないわ。ご褒美、そう、忠実な家臣に主君が与えるような褒賞よ。だから別に恥ずかしがったりする必要は・・・」
「ルイズ」
「#$∩カ∀%ッ!?」
ルイズの声にならない悲鳴は分厚い石の天井と床を貫き、上下の階にまで聞こえたらしい。
間近で聞いてしまったショウが、両耳を抑えてしばらく身動き出来なかったことからもその破壊力は察せられよう。
閑話休題。
「そ、それでいきなり何の用よ!? 入るならノックくらいしなさい!」
「したんだがな。まぁそれはいいとして、頼みがある」
「頼み? 貴方が? 珍しいわね。何よ?」
「剣を一振り、買ってくれないか? 頑丈な奴がいい」
「剣? あんた結構いいのを持ってるんじゃないの?」
「予備だ。いつ折れるかわからないんでな。値が張るなら短い奴でもいい」
「そう。ひ、必要ならしょうがないわね! 買ってあげるから感謝しなさい!」
「・・・ああ」
「そうね、次の虚無の曜日! トリスタニアに行くから一緒についてきなさい! いいわね!」
何故か喧嘩腰で「文句ある!?」と言わんばかりのルイズに戸惑いながら、ショウが頷く。
内心では顔が赤いから熱があるのかもしれない、後で医務室に行くように言っておいたほうがいいだろうか、などと考えていたりする。
こうして紆余曲折はあったがルイズの思惑通り、次の虚無の曜日に王都トリスタニアに買い物に行く事が決定したのであった。
後でリリスやらキュルケやらが一緒についてくると判明した時、密かに、かつ結構深刻にへこんだのは誰にも言えない乙女の秘密である。
第五話 『背教者』
「で、何であんたたちまで一緒に来るのよ!?」
虚無の曜日。
学院からトリスタニアへ至る街道上、もう何度目かは分からないが苦虫を2、3匹まとめて噛み潰したような顔でルイズが意図せぬ道連れ――主にキュルケ――の顔を睨んだ。
ショウと一緒に今日一杯王都で買い物を楽しむはずだったのに、結局いつものメンバーになってしまっているこの状況が、彼女としてはひどく不本意であった。
「さぁて、どうしてかしらねぇ?」
対するキュルケはにやにやしながらその視線を真っ向から受け止める。いかにも分かっててわざと付いて来ました、という風情だが今回に限っては本当に偶然である。
単にリリスの革胴着を買いに行くタバサたちに便乗してヤンと一緒に出かけようとしただけの事で、ルイズのショウとのデート?にちょっかいをかけようとした訳ではない。
が、彼女がその機会を捉えたにもかかわらず、手出しをせずにおけるような性格でもなかったのは言うまでも無い。
「愛しい愛しい使い魔に〜♪ プレゼント一つもあげましょう〜♪」
「何変な歌歌ってるのよ! 私に対するあてつけ?!」
「あら、誰もあなたのこととは言ってないじゃない」
「ぬぐぐぐぐぐぐぐ」
結局トリスタニアにつくまでの間、他の四人は真っ赤になったルイズと猫のような笑みを浮かべたキュルケの毎度の如くのじゃれあいを延々と聞かされる羽目になったのであった。
もっとも例によってタバサは我関せずであったし、リリスとショウは苦笑を浮かべるのみ。ヤンは未だに馬に慣れずに付いていくのが精一杯であったから、それを気にしている人間は一人もいなかった。
「さて、まずはショウ君の剣を買いに行こうかしら。タバサの服をじっくり選びたいしね」
駅(馬や馬車などを置いておく公共の中継点)に馬を預け、門をくぐった所でキュルケがのたまった。
学院からこちら、ずっと不機嫌そうだったルイズがぎろり、とそれを睨む。
「なんで貴方が仕切るのよツェルプストー! というか武器屋にまでついてくるつもり!?」
「あら、いいじゃない別に。武器を買う以外には取り立てて用事もないんでしょ? 折角だから一緒に行きましょうよ。
あら、それともあれかしら、ショウ君とのデートにお邪魔虫は不要ってことかしら? そういう事なら気を利かせてタバサの服を選びに行ってあげてもいいんだけど」
「*@&$>#%ッ!」
茹でダコの様に顔を赤くし、もはや言葉にならぬ反論を歯軋りでかみ殺す。
そんなルイズを横目で見ながら、タバサは買い物の途中で逃げ出すべきか否か真剣に考え始めていた。
結局ヤンやリリスの取り成しもあり、今日一日は全員で纏まって動くことになった。
ショウの買い物と言うのにヤンやリリスが興味を示した事もあるし、逆にショウが防具の店に興味を示した事もあるが、結局のところルイズも仲のいい友人(そう言われれば必死に否定するであろうが)と町を歩くことは嫌ではないのだ。
トリステイン魔法学院に入学して以来、友人と呼べる人間の一人もいなかったルイズにとって、何度も死線をともにくぐりぬけたキュルケやタバサ、リリスやヤンは数少ない気の置けない相手なのである。
まぁ他にもショウと二人で町を歩きたいと言う密かな願望があった事を認めるくらいなら、キュルケの軍門に下ったほうがまだまし、という深層心理の働きがあったのは否めない。
「それにしても、ショウ君がどうして今更剣なんか? トリステインの武器屋にカタナがあるとも思えないけど・・」
「使えれば何でもいいんです。鳳龍の剣術には消耗以外にもうひとつ問題がありまして」
と、ルイズの案内に従ってぞろぞろと、混んだ大通りを歩きながらショウが説明を始める。
そもそも鳳龍の剣術の技は威力の低い順から高い順に「波・撃・弾・斬・陣」と分けられ、多少の例外はあるがこの順に威力が高まり、また消耗も大きい。
敵の足元から竜巻を生み出して切り刻む「烈風斬」はかなり高位の技であり、一方モット伯を打ち倒した「透過波」はさほど威力も消耗も高くない技、という訳である(もっとも任意の敵だけに気を当てると言う性質上、難度はそこそこに高い)。
余談ながらこのうち「斬」には三つの禁じ手がある。また二つあった「陣」も一つは喪われ、もう一つも禁じ手中の禁じ手として使用は戒められており、事実上使用出来ない。
ここで重要なのは難度が高いから、或いは威力が高いから禁じ手だということではない。それなりの実力の持ち主でも使えば容易く消失(ロスト)に至るからこそ禁じ手なのだ。「陣」に至っては使用すれば9割以上が消失(ロスト)すると言うのだから是非もない。
だがそのような技であってもこれを闇に葬ることはあえてせず、むしろ絶やさぬように代々伝授してきた所に鳳龍の剣術が修羅の技と呼ばれる理由の一端がうかがえるだろう。
「ふーん。まるで魔法みたいね。ドットとかトライアングルとか」
「まあ、順に強くなって行くと言う意味では似たようなものです」
それはさておき鳳龍の剣術の最大の欠点は、既に何度も述べたとおり使い手に死をもたらすその消耗の激しさである。
消耗が激しいということは即ち出力が高いということであり、これは威力の高さと言う利点と表裏一体の関係にあると言える。
そしてこれが鳳龍の剣術の持つもうひとつの欠点を生む。余りないことではあるが、技の威力に剣が耐えられなくなる事があるのだ。
"気"を操る侍の剣術において、剣は気の導体であり、また気を制御(コントロール)する媒体でもある(他の前衛職は武器を気の導体として使いはするが制御は出来ない)。
これは鳳龍の剣術においても同じであり、自然剣には使う技に耐えられるだけの強度とそれを制御できるだけの精度が要求される。
通常の侍の剣術であればそもそも剣の限界を超えた威力を発揮する事は出来ないのだが、鳳龍の剣術はその桁外れの出力により、その限界を時として容易く踏み越えてしまう。
下手な剣で強力な技を用いれば刀身が破壊されるし、刀身が持っても要求される精度を満たしていなければ技の暴発を招いてしまうのである。
「つまりドットスペルは安物の杖でいいけど、トライアングルスペルはそれなりに立派な杖じゃないと駄目な訳だ」
「魔法に例えればそういうことになりますね」
先日ショウが使った烈風斬は禁じ手を除けば「斬」に分類される中でも上位に位置する技の一つであり、それだけにショウの消耗も、剣にかかる負担も激しい。
そのためモット伯の屋敷から戻って来た翌日の朝、ショウは朝の走りこみの時間を使って刀の手入れと点検をしていた。
井戸の横で刀を濡らし、肌身放さず持っている小袋から砥石を取り出し、時間を掛けて丁寧に研ぐ。
洗いざらしの布で丁寧にそれを拭い、手入れを終えた刀をしげしげと検分した。
見たところ幸いにも傷はなかったが、鳳龍の剣術を使いつづける以上いつ壊れるか分かった物ではない。
ましてやあのルーンの効果で鳳龍の剣術の威力も上昇している。
素手で戦う術を知らないわけではないが、それでもなまくら剣の一本でもあったほうがいくらかましではあろう。
「と、言うわけでルイズに頼んで武器を買ってもらうことにした訳です」
「ふーん。杖の予備を準備するようなものね」
「そんな感じだと思って間違いないな。刀はないだろうから、せめて頑丈で切れ味のいい剣が欲しいんだが」
「でもこっちでもやっぱり高いでしょうね、そういうのは」
「そうよねぇ。ダーリンの剣は名剣みたいだけど、どれくらいするの?」
「こっちと金銭価値がちょっと違うので一概には言えないと思いますけど、金貨で15000枚ですね」
「「いちまんごせんっ!?」」
ルイズとキュルケが声を揃えて目を剥いた。
いきなりの大声に周囲の通行人や物売りがなんだなんだと一行に視線を向ける。
慌てて声を潜める二人だったが、金貨で一万五千ともなれば貴族にとっても莫大な額である。大声を出してしまったのも無理からぬ事といえよう。
「因みに王様が泊まるような最高級ホテルの一週間の宿代が金貨で500枚よ。その下が週100金貨」
「えーと、そこそこいい宿屋だと一月で160エキューくらいだから・・・」
「リリス達の所の金貨一枚の価値はだいたい0.4エキューということになる」
リリスの言葉を参考に指折り数え始めるルイズの言葉を引き取り、タバサがスパっと暗算で答えを出す。
「それでも6000エキューじゃない。一等地の大邸宅が買えるわよ?」
「まぁ、魔法剣としても最高級の代物だしね」
「お金があっても命には代えられないって言うか」
呆れた様子のルイズだが、リリスとヤンは平然たるものだ。
「まぁダーリンの使う武器と思えば、その程度むしろ安いくらいよね」
「今の俺だとまだまだ実力が剣に負けてるけどね」
微妙にのろけるキュルケに今度はヤンが苦笑した。
そんなことを話している内に一行は大通りをそれ、小汚い路地に入っていく。
「えーと、ピエモンの秘薬屋の近くだったからこの当りのはずなんだけど」
「汚い所ねぇ」
「嫌ならついて来ないでいいわよ。まぁ、私も余り来たくなかったけど」
等と言いつつ、剣の形をした看板を見つけたルイズが店に入り、一同もその後に続いた。
薄暗い店の中をランプの光が照らしていた。壁や棚には乱雑に剣や槍が並び、一隅には精緻な細工を施した板金鎧(プレートメイル)が飾られている。
奥で店主であろう、50がらみの男がパイプをくゆらせていた。
最初に店に入ってきたルイズを胡乱げに見つめた後、後ろのショウとヤンに目を止め、僅かにその目が鋭くなる。
それからころりと表情を変え、揉み手をせんばかりの表情になって頭を下げた。
「これはこれは、いらっしゃいませ、奥様方。お連れ様の武器をお探しで」
「そうよ。こいつの使う剣が欲しいの」
そう言ってルイズが顎でショウを指す。
ふむ、と上から下まで眺められてショウが口を開いた。
「両手で使える奴がいい。なるべく頑丈で、出来れば切れ味のいい奴だ」
「ふむ。こちらの若奥様の護衛用ですか? 一応お聞きしますが、背中のものは実際にあなたが使われるんで?」
「ああ。それがどうした?」
ややいぶかしむような主人に対して、ショウも似たような表情になって答える。
「いや、時々見栄を張ってろくに振り回せないようなでかい武器を従者に持たせるお客様もいらっしゃいますんで。旦那は若いながら腕はお立ちになるようですが、さすがにその体格でその長さはないでやしょ」
確かにショウを知らない人間が見れば、160サントそこそこのショウが柄まで入れて150サントの大剣を振り回す様は想像も付かないに違いない。本人がむっとした表情を浮かべるより早く、リリスが割り込んだ。
「あら、そんなに貴族の客が来るの、この店?」
「よくって訳でもありませんけどね。ほれ、最近世間を騒がせている土くれのフーケ、あれに備えようと貴族の方々は下僕にも剣を持たせて身を守ろうって訳です」
「へぇ〜」
「ま、あっしらからすれば武器が売れてありがたい話ですけどね」
そう言いながら奥に引っ込んだ店主が持ち出してきたのは、刃渡り1メイルを越える大剣だった。柄まで入れると1.5メイルにはなるだろうか。長さはショウの背負う井上真改と大差ないが、刀身が幅広の為重量は数倍にもなりそうだ。
宝石や金銀の象嵌が惜しみなく施された豪奢な拵え(こしらえ)である。
「ご注文の品で今店にある中ではこいつが一番でさぁ。ゲルマニアの錬金術師シュペー卿が鍛えし、鉄をも両断する業物ですぜ」
「へぇ」
「わぁ・・」
ルイズとキュルケはその豪華な外見が一目でお気に召したらしい。綺麗なアクセサリーを見た時のように目を輝かせている。
一方ショウは外見に心動かされた様子も無く、無造作に剣を掴んだ。手振りでルイズ達に下がるように促すと、かなりの重さがありそうな大剣を軽々と持ち上げ、両手で振り下ろす。
ぶん、と空気を切り裂く刃の音が店に響いた。
ルイズとキュルケ、タバサまでもが感嘆の色を顔に浮かべた。一見すればさほど肉もついておらず、小柄な少年にしか見えないショウが、身の丈ほどの大剣を軽々と扱ったのだから当然である。
主人もショウの事を年に似合わぬ手練れと一目で看破はしたものの、この体格で大剣を使えるかどうかは半信半疑だったが、今はおもてに賞賛の色を浮かべていた。
が、ギャラリーの反応をよそにショウは表情を変えないまま剣を持ち上げ、その刀身を見つめていた。
「いやあ、お見事。先ほどは失礼しました。確かに貴方ならこの剣も使いこなせそうですな。おひとつどうでしょう? お値段は勉強させて頂いて・・・」
ここぞとばかり売り込みにかかる店主を手で制し、ショウは捧げ持つようにしてリリスに剣を見せる。
「リリスさん、ちょっと鑑定してもらえませんか?」
「いいわよ、ちょっとそのまま持っててね・・・・」
ショウに剣を支えさせたまま、刀身や柄に指を滑らせてリリスは『鑑定』を始めた。
司教(ビショップ)であるリリスは呪文を使うほかにクラスの特殊能力として様々なアイテムの本質を見抜き、その作りや込められた魔力、使い方を理解する事が出来るのである。
ややあって、手を引っ込めたリリスがやけにしかめつらしい表情になった。
「斬れませぬ。飾りかと。・・・ってとこね。値打ち物だけど、実戦に使ったら折れるわ」
「飾りか」
そしてその返答にやっぱり、という顔をしたのはショウ。一方色めき立ったのは店主である。
「ちょっと待って下さいよ、そりゃ聞き捨てなりませんね! シュペー卿の剣といえば有名な値打ち物で、この剣だって新金貨で1600枚の大枚はたいて入荷したんですぜ!?」
「あー、飾りとしてはそれ位の値打ちはあると思うんだけど、実戦用の武器としては役に立たないわよこれ。試しにあの鎧に振り下ろしてみたら? たぶん真っ二つに折れるわね」
わはははは、と低い男の声が店に響き渡ったのはその時だった。
「ざまぁねぇな、親父! 半分どころか三分の一生きてないような小娘に目利きで負けるようじゃ、もう歳だ! さっさと店をたたんじまったほうがいいんじゃねーのか!」
「黙れデル公! お客様の前で余計なことを言うんじゃねえ!」
「デル公?」
きょろきょろと、声の出所を求めて店の中を見回す一行だったが、声のする一角には乱雑に武器が積んであるばかりで誰の姿もない。
こわごわと、ヤンが棚を覗き込む。
「・・・・ひょっとして、この剣?」
「おう、デルフリンガーさまだ、見知り置きゃがれ!」
「剣!?」
「嘘、剣が喋ってるの!?」
声の元は一本の錆びた長剣だった。鍔元の金具がカチカチと、腹話術の人形の口のように動くたびに声が発せられる。
驚いているのはヤンと、ショウ、リリス。喋る剣など、彼らの世界にはおとぎ話にも聞いたことが無い。一方でキュルケたちはさほど驚いた様子も無い。
「へえ・・・インテリジェンスソードってやつ?」
「そのとおりでさ。いったいどこの魔術師が始めたんでしょうかねえ、剣をしゃべらせるなんて。とにかくこいつはロは悪いわ、客にケンカは売るわで閉口してまして。やいデル公! これ以上失礼があったら、貴族に頼んでテメェを溶かしちまうからな!」
「おもしれ! やってみろ! どうせこの世にゃもう、飽き飽きしてたところさ! 溶かしてくれるんなら、上等だ! 大体テメェの商売が上手くいかないからって俺のせいにすんじゃね!」
「ルイズよりやかましいな……」
「なんですって!? 空気も読めない鈍感男の癖に!」
沈黙が降りたのは一瞬だった。
「事実を言ったまでだが?」
「つくづくあんたはご主人様への敬愛って物が足りないわね」
「だから敬愛されるような主になってみろといっている!」
「顔は可愛いくせに本当唐変木ね!」
「顔は関係ないだろう! 大体貴様みたいな可愛げのカケラも無い女が言う事か!」
「このむっつり顔面神経痛!」
「頭の中まで桃色女!」
「スットコドッコイ!」
「飽きないわねぇ」
「喧嘩するほど仲がいい」
楽しそうにそれを眺めるキュルケ、本を読みながら的確な批評を加えるタバサ。
リリスはいつものことだがどこか懐かしそうに微笑みながらその様子を眺めていた。
ヤンも初めの頃こそおろおろしていたが、最近は苦笑しつつスルー出来る程度には慣れてきており、いきなり始まった子供の喧嘩に毒気を抜かれたか、店主共々黙り込んでしまったデルフリンガーのほうに再び視線を向ける。
「ん・・・? ちょっと、ショウ君!」
「チビ女!」
「童顔!」
「えぐれむ、っと、なんですか?」
「これ、ひょっとしてカタナじゃないか?」
ヤンが指差したデルフリンガーをしげしげと眺めるショウ。
拵え(こしらえ)がハルケギニア風だったために見分けにくかったが、よく見れば長さこそ両手持ちの大剣並ながら、先ほどの剣と違って細身かつ僅かに反りを持つ片刃の刀身は確かに刀の特徴である。
まだ手にシュペー卿の剣を持ったままだったことに気付き、ショウが振り返ってそれをカウンターに置く。
それと同時にヤンの手にとられた所で、今まで黙り込んでいたデルフリンガーが口を開いた。
「・・・・おでれーた。てめーら、二人とも『使い手』か」
「使い手?」
手の中の剣をじっと見つめるヤン。見慣れない形の剣ではあるが、重さや握った感触はカシナートの剣とそう変わらない。ただこの長さでは片手で振るうのは難しそうだった。
「ふん、自分の実力も知らんのか。まあいい。おう、てめーら。どっちでもいい、俺を買え」
何となくその場が静まった中で、ヤンがチラリとショウに視線を向ける。
頷いたショウに、ヤンがデルフリンガーを手渡した。
握ってみてショウは驚く。拵えこそ違うが、全体のバランスといい、刀身の形状といい、"気"を通した感触といい、刀そのものである。
切っ先から鍔元まで見事に錆びついているのと、そのせいで気の流れが滞り気味なのがなんだが、この異郷の地で刀が手に入ると言うだけでも御の字だろう。
「ルイズ、これを買ってくれ」
真剣な眼差しを刀身に注ぎながら、ショウが言う。
「むむむむむ」
対してルイズは不機嫌そうな顔のままで唸り声を上げるだけだった。
ついさっきまで喧嘩していたのもあるが、真剣な眼差しを注ぐならご主人様に注ぎなさい、と言いたいのをこらえている・・訳ではない。少なくとも本人の考えでは。
「あら、ルイズが買わないなら私が買って上げようかしら?」
「よっ、余計なお世話よツェルプストーッ!」
そうした逡巡を素早く見て取ったキュルケが機を逃さず割り込んでくるのを、がぁっと威嚇して迎撃する。
「私が買うわ! 主人、おいくらッ!?」
「し、新金貨100枚で結構でさ」
「百枚? 随分安いわね」
「まぁ厄介払いみたいなもんで」
「ついでに鞘と砥石も頼めるか? 自前のはそろそろ減りがきつくなっているんだ」
「へい、それくらいならおまけさせて頂きまさ。うるさかったら、こうして鞘に完全に収めれば黙りますんで」
ショウから受け取ったデルフを鞘に収め、布袋に入った小さな砥石と共に再びショウに渡す。
それを受け取りながら、ショウが少し真剣な目になった。
「そう言えば主人」
「へえ、なんでしょ」
「これはいつ、どうやって手に入れたんだ?」
その言葉に主人とデルフ以外の全員がはっとする。確かに、全くの異郷であるハルケギニアにショウ達の国の物があるならば、二つの国はどこかで繋がっていることになる。
「ええと、確か数年くらい前でしたか。一山いくらで仕入れた中にあったんですよ。最初はただの錆び剣かと思いましたがね、砥いでも錆びが落ちやしない。変だなと思ったらいきなり喋りだしやがりましてね。まぁこれでお別れかと思えば清々しますが」
「へっ、そりゃこっちのセリフでぇ。俺がいないからって寂しくて夜泣きするんじゃねぇぞ!」
「何だとこの野郎! 数年来の付き合いだから別れ際位は綺麗にしてやろうと思えば!」
「悪いがデルフリンガー、ちょっと黙っていてくれ。それで、どこから仕入れたものなんだ?」
「ああ、すいやせん。戦場かどっかで拾ってきたもんだと思いますが、詳しくは」
「そうか」
それ以上は聞く事も無く、ショウ達は店を出た。
次はリリスの革の胴着に、タバサの服もあるのだ。行き帰りの時間も考えるとそれほどゆっくりもしていられない。
「まいどありー」
羽根扉をくぐる背中に声をかけ、店主はカウンターに向き直った。シュペー卿の剣は売れなかったが、あの厄介なデル公が処分できたので、まぁ悪い客ではなかった。
そう言えば、とカウンターの上に置かれたままの大剣に目が行く。
あの金髪の娘ッ子はナマクラと言っていたが、そんな筈はない。信頼できる所から仕入れたのだし、確かにあれはシュペー卿の剣のはず。こうなれば、あの娘ッ子が間違っていると言うことを証明せねばなるまい。
と、なにやらもやもやと妙な意気地を起こしてしまった店主は剣を持って奥に引っ込んだ。
ややあって。
「ぎゃぁああああああ!?」
路地に店主の悲鳴が響き渡ったが、店内で何があったかは謎である。
ただこの日、近所の酒場で泣きながら管を巻く店主が目撃されたと、近所の噂話は伝えている。
「ところでデルフリンガー」
「デルフでいーよ、相棒」
店から出て少し歩いた所で、ショウが鞘から少し刀身を出したデルフリンガーに話し掛けた。
ちなみにデルフの鞘は元から背負っている真改と平行に背負っている。
「それじゃあデルフ。お前、知性があるなら自分がどこから来たのか分かるんじゃないのか?」
「いやー、それがだね。なんせ長く生きてきたもんだから良く覚えてねんだわ。あの店で目が覚めるまでは結構長いこと寝てたような気がするしな」
「で、それ以外の事は覚えてないと」
「まーね」
ショウがため息をついた。他のメンツも多かれ少なかれ同じような表情をしている。ボソッとルイズが呟いた。
「役に立たないわね」
「るせ」
「まぁいいさ。お喋りの相手をしてもらうために買ったわけでもない」
「そうそう、俺ぁ剣だからね。『使い手』と一緒に戦うのが仕事なんだね。そこんとこはどんと任せとき、相棒」
「どうせその『使い手』とかの事も覚えてないんでしょ?」
「あたり。はっはっは、鋭いね、ターバンの姉さん!」
再びため息が漏れた。
「でもまぁ、ダーリンとショウ君が両方その『使い手』だってことは、その左手のルーンに関係あるって事よね」
「でしょうね。まぁ、どっちみち真改の予備として買ってもらったわけですし、そこらへんは分からなくても」
「・・・・・・・え、予備? 使ってくんないの?」
「そ、予備。ショウもヤンも自分の剣はちゃんと持ってるしね〜」
にひひ、と意地悪く笑うのはリリス。何か知っているかもしれないと思って期待しただけに、落胆も大きかったのだろう。
デルフががーん!とわざわざ口でショックを表現し、哀れっぽい声を作って喚き始める。
「おでれーた! 折角使ってもらえると思ったのにまた埃を被ってろっていうのかよ!? 見ての通りの錆び剣だけどさ、人間外見じゃないぜ!? とゆーわけで相棒たち。どっちでもいいから俺を使ってくれよう」
「俺には今の所真改があるからな」
「俺も片手じゃちょっとデルフは振れないし・・・」
「大体あんた人間じゃないでしょ」
「実際錆びてるとねぇ」
「人間じゃなけりゃ外見で判断してもいいってのか! そりゃ差別だぜおい! 畜生、いーよいーよ、長らく退屈を囲っていて、ようやく使い手に会ったと思ったら両方とも俺はいらないって言うんだもんね。どうせ俺はそういう星の元に生まれたんだね。
ホントおでれーた! あんまりだよ! なんてむごいんだ、今度の使い手どもは! 俺はガンダールヴの左手デルフリンガー様だぜ!? ひでーよ相棒たち! 俺は・・」
「やかましい!」
耳の横でさんざんにわめかれて堪忍袋の尾が切れたショウが、有無を言わさずデルフを鞘に押し込む。鍔鳴りの音ともに、周囲は静寂に包まれた。
「いいのかなぁ」
「構やしませんよ」
ヤンが苦笑するが、ショウは苛立たしげにそれを遮った。
「でもなんか気になること言ってなかった? ガンダールヴの左手とかなんとか」
「鞘から抜けば喋るかもしれませんが、もう一度あれを聞きたいですか?」
「・・遠慮しとくわ」
リリスが両手を上げて肩をすくめた所でそういえば、とキュルケが声を上げる。
「次はリリスの革鎧だけど、防具屋の場所はわかってるの?」
「あ、俺が知ってます。厩舎のウォルフさんの親戚がやってる防具屋があるんだとか。革鎧とかの他に、鉄の甲冑や馬具なんかも扱ってるみたいですよ」
「さすがダーリン、頼りになるわぁ。にしても、使用人たちといつの間にそんなに仲良くなってるの?」
「いやぁ、皆さんいい人ばかりですから」
ほがらかにヤンが笑う。繰り返しになるが彼は学院の使用人たちと結構仲がいい。加えてシエスタを助け出すのに力を貸したと言う話が広まってからは更に彼らの態度は好意的になっている。
実際の所、彼らにとってショウ達三人は貴族に仕えている(本人たちの意識はともかく)時点で同僚のような物である。
その中で特にヤンが親しまれているのは、ショウが「魔法使い」である上にややとっつきにくい所があり、リリスがエルフである事を差し引いても、極めつけの「いい人」である彼の人徳と言ったあたりが大きいのであろう。
もっともリリスも若い男たちの間で密かに人気上昇中であったりするし、若いメイドたちの間では可愛い顔立ちに凛々しい表情を浮かべるショウが結構人気であるが、これはどちらかと言えば知らぬが華と言う奴かもしれない。
大通りを渡り、一本入った路地。まだ道もそれなりに広く綺麗なあたりである。
『グレースの店』と書かれた楯の形の看板の前で一行は立ち止まった。先ほどの店に比べると店構えも大きく、中々繁盛していると知れる。
「へぇ、結構綺麗な店ね。剣とか鎧の店ってみんなさっきのみたいのばかりだと思ってたわ」
「そりゃまあ、貴族相手の店じゃないですけどね。平民のお金持ちからの注文も結構あるみたいですよ」
店の中には大きな棚がいくつもあり、図書館の本棚のように店を区切っていた。
その棚の一つ一つには板金の鎧一そろいやぴかぴか光る胸当て、鎖かたびら、革鎧も鋲やうろこ状の鉄板で補強したりものや油で煮込んだりして硬くしたものなど、材質から形状まで様々な鎧が並べられていた。兜や小手、すね当て等もある。
他にも詰め物をした服(鎧の下に着る)や山歩き用のなめし皮の胴着、ロウを引いて防水した丈夫な皮製のマントやブーツなどもあった。片隅には山刀や馬の鞍、手斧やナイフ、はたまた鍋や包丁と言った細々とした品物もある。
一同が革の胸当てや胴着などの並ぶ一角に移動しようとした時、最後尾のショウはふと妙な気配を感じ、足を止めた。
覗き込んだ棚の間。そこにいたのは飾り気の無い白い上着と茶色いズボンを身につけた女性だった。
年齢は二十半ばか。短く切りそろえた金髪。きつめだが涼やかな面立ち。女性的なラインとともにしなやかに鍛えた筋肉の存在が伺える、隙の無い立ち姿。
腰の革帯から下がっているのは使い込んでいると一目で見て取れる長剣。常なら澄んだ泉の如くであろう青い瞳に、今は暗い炎を燃やしている。
と、そこまでショウが見た瞬間、殺気が迸った。
威嚇や探りの類ではない、まごう事なき殺意である。
反射的に僅かに体を開き、背中の真改の柄に手をかける。さすがにマスター侍、その動きによどみは無かった。
女剣士も素早く腰を落とし、腰の剣をいつでも抜き撃てる体勢を取る。
互いに一歩踏み込めば剣の届く、一足一刀の間合い。
数瞬の緊迫。
殺意と戦意を込めた女剣士の視線を、ショウは真っ向から受け止めた。
「・・・失礼した」
ふうっ、と大きく息をつき、剣から手を放したのは金髪の女剣士のほうだった。両者の間に張り詰めていた緊張がふっと雲散霧消する。
「・・・いえ、こちらこそ」
ショウもゆっくりと柄から手を離し、一礼する。
そのまま身を翻そうとした時、女剣士がショウを呼び止めた。
「待ってくれ。君はその」
と、一瞬女剣士は言葉を途切れさせた。
見た所13,4にしか見えないが、その年で傭兵稼業に出る若者はさほど珍しくない。この世界、食い詰めた農民や流民が傭兵になったり追いはぎになったりと言う話は日常茶飯事だ。
が、目の前の少年は明らかにそう言った類のごろつきではない。
服こそ質素だが落ち着いた物腰、幼いにもかかわらず漂わせる歴戦の勇士の風格、背中に背負った見事な大剣、どれもこれもまるで異様だ。少なくとも自分の知る「傭兵」というカテゴリーからはほど遠い。
「その、傭兵――か?」
「そう、だな。まぁ似たようなものだ。今は主持ちの身だが」
「名前を聞いていいか。私はアニエス。傭兵だ」
「ショウだ」
「家族は?」
「・・・いない」
「そうか、私もだ」
ふっ、とアニエスの目が細められる。
直感的なシンパシーを感じた。目の前の少年の瞳にたゆたう陰、それが自分と同じ、目の前で大切な者を失った者が持つ陰であることが直感的に理解できたのだ。
「君の目は、どうも昔の自分を思い出させる。互いに戦うのが商売ではあるが・・・なるべくなら敵味方としては会いたくないものだ」
「そうだな・・・が、そうも行かないのが戦場だろう」
「違いない」
あくまで生真面目なショウの答えに、どこか寂しげに苦笑すると、一礼してアニエスは去っていった。
いつのまにか、棚の陰、アニエスから死角になる所にヤンとタバサが立っている。
ショウがこちらに振り向いたことを確認し、安堵で力が抜けたように、カシナートの柄に掛かっていたヤンの右手が離れる。
ちらり、とタバサが目配せをして来るのに、大丈夫だとでもいうようにショウが頷いた。
アニエスが去ったのをもう一度確認し、ヤンが小声で話し掛ける。
「一体何があったんだい?」
「いきなり殺気をぶつけられました。それで睨み合いになりましたが、それ以外は特に」
「殺気って、何故?」
「分かりませんけど、物思いに耽っていたのを邪魔したので、他の誰かに向けていた殺気が俺に向いたんじゃないでしょうか」
「誰かって・・・誰さ?」
「それは分かりませんが、殺したいほど憎い誰かがいるんでしょう」
例えば家族の仇とか、と、これは言葉に出さずに内心で呟く。
タバサの雰囲気が僅かに厳しくなった。それにも、一瞬ショウがタバサに目を向けたことにも気付かず、ヤンが信じられないように首を振る。
「そんな、殺したいほど憎いなんて」
「世の中が乱れているとよくある事です」
戦争を知らず、戦いと言えば迷宮での怪物とのそれ以外知らないヤンには理解出来なかったが、淡々と語るショウの言葉は反論も質問も許さない重みがあった。
実際にショウは戦の折の焼き討ちで実母を失っている。ただ、彼の憎しみはむしろ母を見殺しにした実の父に向けられていたのだが。
結局ショウは防具屋を出るまで先ほどの女傭兵のことが頭を離れず、興味があったはずの防具の品定めも今ひとつ気が乗らないようであった。
その女傭兵、当のアニエスは僅かに笑みを浮かべ、店の脇の路地を歩いていた。
「ご機嫌だな」
一瞬前まで人の気配を感じなかった場所から声をかけられ、アニエスはぎょっとして振り向く。
声の主は路地の脇、箱が積み上げられて死角になった場所で壁にもたれかかっていた。
体格はアニエスと大差ないながらやや長身。右脇に長さ150サントほどの、布でくるんだ棒状の物を携えている。足元まで届く外套をまとい、フードを深く下ろしているため、性別すら定かではない。
「・・おまえか。何の用だ?」
アニエスは三日前に会ったばかりのこのフードの人物を今ひとつ掴みかねていた。
精悍で整った顔立ちはいいのだが、時折浮かべる笑みが恐ろしく冷たい。かと思えば子供のような邪気の無い表情をする時もある。
メイジではないかと疑ってはいたが、身のこなしも只者ではない。まるきり謎の人物であった。
「ふむ、あの黒髪の少年か・・・惚れたか?」
ぶほ、とアニエスが噴き出した。
「ば、馬鹿を言うな! ほんの子供だぞ!?」
「顔が赤いな」
「んなっ!?」
言われたことでさらに赤くなるアニエス。動転しているのか、咄嗟に次の言葉が出てこない。
そんなアニエスを見てひとしきり喉を震わせた後、フードの人物の声から、からかうような調子が消えた。
「ひとつ言って置くが・・・手を出すなよ?」
「だから! 私はそんな趣味は!」
「そういう意味ではない」
ぞくり、と体の芯が冷える感覚があった。赤面していた頬から一瞬で血が引き、体が勝手に身構える。
「あれは、私が殺す。誰にも邪魔はさせない。お前も邪魔をするようなら殺す」
そのまま返事も聞かず、フードの人物は身を翻して去っていった。
アニエスが一つだけ、この人物に対して確信できていることがある。底が知れないほどに強い、と言う事だ。幾多の戦場を渡り歩いたアニエスをして、手を出せば死ぬと確信させるほどに。
ショウ達が三人三様に物思いに耽る間にも、リリスは店の女主人と話し込んでいた。女主人は父親である先代の意向でゲルマニアで修行を積んで来たらしく、キュルケは金属製品の加工についてゲルマニア優越論を語りルイズを挑発していた。
結局リリスはなめし皮の胴着とズボン、それにオイルで煮込んだ革の胸当てと手甲、すね当て(いわゆる"硬い革鎧(ハードレザーアーマー)"と言う奴だ)、それに顔がすっぽりと隠れる程度の小さな楯を選んだ。
付け心地が昔装備していたものとほぼ同じであるらしい。かつて装備していた魔法の革鎧と違い、装飾性は皆無に等しいが、それは仕方の無い所であろう。
細かいサイズ調整のために寸法を取り、後日受取りに行くと言うことで今日は小楯だけを持って一行は店を出た。
「後でギーシュに頼んで『硬化』や『固定化』をかけてもらうといい」
「えーと、なんだっけ、タバサ。それって物体を強化する呪文よね」
「『硬化』は物体を強化する呪文。『固定化』は『錬金』や経年劣化から物体を守る呪文。長く使うものだから両方かけて置くべき」
「そうね、稽古の終ったときにでも頼んでみましょ。にしても、あの店は女の人が店主で良かったわ。ボルタックのアルアル親父なんか、サイズ測る振りして触ってくるのよ?」
「ああ、あのドジョウ鬚ですか? うちのパーティのロードの人なんか、剣を突きつけながらサイズを計らせてましたけど」
「あー、それはいいアイデアね。私もそうしてもらうべきだったかなぁ」
「・・・どう言う武器屋よ」
呟いたルイズの突っ込みは当然無視された。からかうようにショウが口を挟む。
「どうせリリスさんの事だから、触られるたびに何発か入れたんでしょう? だったらいいじゃないですか」
その瞬間、ぎしり、と空気がきしんだようにショウには感じられた。殺気とはまた違う、生の感情がプレッシャーとなって直接吹きつけられている。
目に不気味な光を湛えたリリスだけではない。ルイズが、キュルケが、そしてタバサまでもが冷たい光を瞳から放っているかのように思えた。
「ねえショウ?」
「は、はい・・・?」
金縛りに近い状態になっていたショウが、辛うじて言葉を搾り出した。リリスの優しげな声が余計に恐怖を掻き立てている。
「女の子の体を無遠慮に撫でまわすと言うことは、そんな事じゃ帳尻が合わないほど重い罪なのよ? というか、そもそも撫でなきゃ殴ったり引っかいたり噛み付いたりちぎったりすり潰したりしなくてすむの。わかった?」
「わ、分かりました」
一も二も無くショウは頷いた。頷かなければ心が持たなかった。
それを確認して、リリスが迫力はそのままに、にっこりと頷く。
ショウ13歳。女の怖さを我が身で体験したのはこれが人生で二度目である。
(それにしても、すり潰すとは一体・・・)
たぶんショウのその疑問に答えが与えられることは一生あるまい。
それはともかくとしてリリスとキュルケが表情を一変させ、楽しそうな笑みを交す。
「さて、それじゃ次はいよいよタバサの服ね!」
「思いっきり可愛いのを選ばないと!」
ぎくり、と傍から見て分かるほどにタバサの体が震えた。
防具屋に入ってからアニエスのことや自らの復讐に思いを致していたため、すっかりそのことを忘れていたのである。
「さあ、行くわよキュルケ! タバサにいっとう可愛い服を見立ててあげなくちゃ! 店の見当はついてるんでしょうね?」
「もちろん! 普段無頓着なんだから、たまにはとびっきりおめかししなくちゃね!」
硬直した一瞬の隙を突き、タバサの腕を両脇からリリスとキュルケが抱える。
そのまま大張り切りの二人にズルズルと引きずられていくタバサ――ひとつ間違えると連行されて行く犯罪者かなにかにしか見えない。
無表情ながらも何かを懇願するようなタバサの眼差しに対し、しかしヤンとショウはただ両手を合わせてその冥福を祈る事しか出来なかった。
「やーん、可愛い〜」
「・・・屈辱」
女の子向けの流行の服を扱う仕立て屋。予想通り、タバサはリリスとキュルケの二人によって着せ替え人形と化していた。最初は遠巻きに様子を見ていたルイズも、今では積極的にコーディネートに参加している。
男二人はと言えば、冷や汗を流しながら店の外で中の喧騒を聞くのみであった。
というか、こういう店の前で待たされているのは正直恥ずかしいにもほどがある。
ちらり、と交わされる視線。
互いの意志を確認し、二人が店の前から遁走しようとしたその瞬間、聞き知った声が二人の足を止めた。
「あれ? ヤンさんとショウ君? って、こんな店の前で一体何を・・・」
段々と小さくなっていく声の主はシエスタ、ついこの前ショウ達がギーシュと共にモット伯の屋敷から助け出した彼女であった。
最初こそ友好的に声をかけたものの、今は両手で口元を覆い、その緑の瞳を見開いて二人を見ている。
まぁ、女の子専門の仕立て屋(可愛いのからアダルトな物まで下着も豊富に取り扱い)の前で男二人がたむろっていれば怪しいにもほどがあるだろう。
「いや、これは!」
「ルイズ達が!」
「強引に、その、ここで、待ってろって、中に!」
焦りの余り、支離滅裂な弁解をするショウとヤン。戦場では常に冷静な歴戦の勇士も、こういう場面では少々勝手が違うらしい。
それでもどうにかシエスタには通じたらしく、表情が普段のそれに戻った。
「つまり、ミス・ヴェリエールたちはこの中にいて、お二人を待たせていると。さっきから男の人をこんな所に置き去りにして、中で何をしてるんですか?」
「えーと、着せ替えごっこ?」
「人形遊びかもしれないな」
「・・・はぁ」
シエスタも女であるから、何が行われているかは何となく察しがついた。
ため息をついて、まだ見ぬ犠牲者の冥福を祈る。
「ところでシエスタは何故こんな所に? 休みを貰って遊びに来たのか?」
「いえ、田舎から新鮮な野菜が届いたので、こちらで酒場をやっている親戚に届けに来たんですよ」
「野菜か」
と、少し懐かしそうに目を細めたのはヤン。彼も17の歳までは麦や野菜を作る立派な農民であった。
「シエスタの田舎ってどこ?」
「タルブの村といって、ラ・ロシェールの近くにあるんです。馬で三日くらいかな。何も無い辺鄙な村ですけど、ワインが結構自慢なんですよ?」
「ワインかぁ」
珍しく、ヤンの目尻が下がる。彼がこの世界に来て気に入った物の一つにワインがあった。
彼らの世界のワインは大概保存状態が悪く、作りたてのものでもなければショウガや胡椒と言った薬味を入れなければとても飲めない代物だったが、こちらの世界では違う。
魔法による温度管理の行き届いたワイナリーで丁寧に熟成保管されたワインの味は、澱などの不純物を歯でこしながら飲むようなワインしか知らないヤンにとって、まさしく天上の美味に他ならなかった。
一度などはついつい度を過ごしてベッドにもぐりこむなり高いびきをかいてしまい、次の日一日キュルケが拗ねてしまった事もあった。なので今ではほどほどにするよう気をつけてはいるが、それでも好物であることには変わりがない。
「それで、ワインの瓶詰はいつ頃かな?」
「そうですね、去年のがもうすぐだったと思います。昨年は気候に恵まれましたから、とても美味しいはずですよ」
「うむむむ」
思わずごくり、とヤンの喉が鳴る。くすくす、とシエスタが忍び笑いを漏らした。
「夏季休暇になったらタルブに来ませんか? 命の恩人を是非おもてなししたいですし、草原の景色もヤンさんたちに見て欲しいな」
「草原?」
「とっても広い、綺麗な草原があるんです。春になると春の花が、夏は夏のお花が咲くんです。ずっと遠くまで、地平線の向こうまでお花の海が続いて・・」
うっとりとその情景を思い浮かべるシエスタ。
ヤンはというと、困ったように鼻の頭を掻いていた。間違ってもこういう所で気の利いた事の言えるような男ではないのである。
勿論、隣で困ったようにそっぽを向いているショウもそれは同じだ。
「ああ、それと興味があるかどうか分かりませんけど、魔法のかかった杖と剣と鎧、それと魔法の本が村の寺院に飾ってありますよ」
「え? 何でそんなものが平民の村に?」
「私の死んだひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの物なんです。どこから来たのか分からないけど、あるとき村に流れて来て住み着いたんだそうです。
ひいおじいちゃんはとても強い剣士で、ひいおばあちゃんはどんな怪我でも治してしまう凄い魔法使いだったそうです。私の黒髪はひいおじいちゃん譲り、緑の目はひいおばあちゃん譲りなんですよ。
知られていない呪文が書いてあるって言う本も、私たちにも調べに来た貴族の方々にも読めなくて。インチキじゃないかって言う人もいますけど、ひいおばあちゃんが凄い魔法使いだったのは本当ですから、呪文書も本物だと思います」
興味を引かれたのか、ショウが口を開く。
「貴族も読めない呪文書か。シエスタの曽祖父たちはどこから来たんだ?」
「えーと、ですね。確かほうり、ホウラ」
「! 『ホウライ』かっ!?」
「え? え、ええ、そんな感じの名前だったと思います」
「ショウ達の故郷の言葉で書かれたかもしれない書・・・興味深い」
会話に硬質な第四の声が加わった。
振り向いた三人が揃って言葉を失い、動きを止める。
声からタバサだと言うのは見当がついていたが、そこにいたのはタバサであってタバサではなかった。
緑色の、スカートの長い田舎風のエプロンドレス。頭には白いヘッドドレスと、胸にまで垂れる飾り布をつけている。
いつものメガネは外し、極薄くではあるが唇に紅を引いていた。
右手に持った長い杖だけがアンバランスであるが、さすがにジョウロを持たせるわけにもいかない。
「そ、その格好は・・・」
「かっ、可愛い!」
絶句しているショウと、途中まで言葉を絞り出して停止するヤン、そして両手を組んで握り締め目を輝かせるシエスタ。どうやら彼女の場合、硬直は感動の為だったらしい。
それを見て、リリスとキュルケが「してやったり」という表情を浮かべた。
当のタバサはいつもにもまして無表情だが、心なしか顔が赤い。ひょっとしたら恥ずかしいのかもしれなかった。
「とにかく」
タバサがこほん、と咳払いをして話題をどうにか変えようとする。
「その呪文書。私たちも見れる?」
「え? 可愛いですよ・・じゃなくて、ええ、見れますよ。と言うか遺言では、呪文書を読めた人間に剣や鎧、呪文書を全部譲るように言われてまして」
「ルイズ!」
いきなり、真剣な表情でじっと。ショウがルイズの目を覗き込んだ。
どきり、とルイズの胸が高鳴る。
どくどくどくどく、と心臓が早打ちの鐘のように乱打される。
不意討ちは卑怯だ。あの真摯な瞳を正面から向けられるだけで、ルイズは胸を貫かれるような気分になってしまう。
「・・・イズ、・い・・・・ズ!」
ぼうっとしてもう何も分からない。そのまま高揚に身をゆだねようとした時。
「キュルケチョーップ!」
がつん、と脳天に痛みが走った。
頭を抑えて振り返ると、累代の仇敵が手刀を振り上げたまま、胸を張ってこちらを見下ろしていた。いつかもいでやる、と憎しみを込めて視線を向ける。
「いきなり何をするのよツェルプストーっ!?」
「おじい様が言っていたわ。作りの悪い魔法の道具は左斜め45度から適切な強度の打撃を与えなさいって」
「私は人間よ!」
「出来は大して変わらないわよ。大体貴方ショウ君の話聞いてなかったでしょ」
「・・・えーと、なんだっけ?」
「お前な」
と、ショウがこの日何度目かのため息をついた。
「タルブの村に行ってもいいかと聞いたんだよ。俺たちと同じ国から来てたかも知れない人間の残したものだ。何か重要な事実がつかめるかもしれない」
「・・・いいわよ。でも私も行くからね。止めたって聞かないわよ!」
「学校の授業はどうするのよ。それに今すぐって事も無いでしょ? 呪文書は逃げないんだし」
「ツェルプストーにしちゃ常識的発言ね」
「あら、私は元々良識人よ?」
嘘ではない。嘘ではないが、常識より優先するものを沢山持っているだけである。恋とか友情とか好奇心とかその場の気分とか。まぁ、結局のところは単に気分が乗らないだけであろう。
「いやあ、持ってかれる可能性もあるし、なるべく早いほうがいいんじゃないかと」
「・・・・ダーリン? 何か変なこと考えてない?」
「い、いやそのぅ」
ヤンの「今すぐ行こう」発言に些か冷たい眼差しを向けるキュルケ。下心がバレバレだ。もとより彼は嘘をつくには向いていない。
「私も賛成」
「え、タバサ?」
「学校では学べない未知の知識。十分な意味がある」
「しょうがないわねぇ・・じゃあ私も付いてこうかしら」
「何よ、結局ついてくるんじゃない」
「そりゃあタバサを放って置けないし、ダーリンも何故か乗り気だしね」
そこから後はトントン拍子に話が進んだ。
ただ学校を休むと言っても許してもらえるか分からないため、まずこういうことに理解を示し、かつ興味を持ちそうなコルベールに相談を持ちかけ援護射撃をしてもらう事にする。
コルベールは一も二も無く賛同してオールド・オスマンを説き伏せるのに協力し、オスマンも拍子抜けするほどあっさりとそれを認め、一方マルトーはシエスタの頼みに快く応じて休みをくれた。
もっともコルベール本人は授業を休ませてもらえず、がっくりと落ち込んでいたが。
「いいかね? 出来ればその呪文書の写しを、そうでなくても何かわかったら是非教えてくれたまえよ!」
そして翌日。未練たっぷりなコルベールの声に送りだされてショウ達は馬上の人となっていた。当然案内のシエスタも一緒だ。
ショウ達も武器こそ持ってきているものの、甲冑は寮において来ていた。これだけの面子がいれば、そこらへんの山賊などは文字通り瞬殺出来る。
学院から借り出した馬は7頭、うち体重の軽いタバサが馬に乗れないシエスタと相乗りし、もう一頭は予備である。
もっともくつわを並べてはいるものの、それぞれの内心はてんでバラバラだ、とルイズは思った。
付き合いで来たキュルケはおくとしても、タバサは純粋に知識欲に燃えており、リリスは知識欲というよりはむしろ好奇心。ヤンは武具に興味が無いではないがどうやらワインがお目当てらしい。
そして自分は例によって意地を張ってついて来ただけだ。時々自分で嫌になることもあるが、どうにもこればかりは止まらないようだった。
そしてショウ。ショウは一体何を考えているのだろう。ホウライ。それがショウの故郷の名前。ひょっとしたらシエスタの曾祖父母の故郷かもしれない場所。
呼び出して以来全くそんなそぶりを見せなかったから考えたことも無かったが、やはりショウも帰りたいのだろうか。故郷に大事な人が待っているのだろうか。
もし自分が見ず知らずの土地に呼び出されてしまったとしたら、と考えてみてぞっとする。父にも、母にも、姉さまにもちい姉さまにも二度と会えない。キュルケやタバサ、モンモランシーやシエスタやギーシュにもだ。
帰りたいはずだ。帰りたいと思うに決まっている。
わずかに俯くルイズを、ショウが首を傾げて見ていた。
「どうした、ルイズ? 調子でも悪いのか?」
「ううん、大丈夫。なんでもないわ」
目を合わせないままのルイズの返事。元気が無いのが気にはなったが、ショウも敢えてそれ以上は尋ねなかった。
街道筋の宿場町。一行は適当に(それでもそれなりに高級な)宿を取り、旅装を解いた。因みに部屋割りは男二人、タバサとリリス、ルイズとシエスタとキュルケである。
食事を済ませて部屋に入るなり、ルイズはベッドに倒れこんだ。憂鬱な気分を持て余しながら、今日一日考えて答えの出なかった問題をまた思い起こす。
「ルイズ? これから下に飲みに行くんだけどどう?」
「いい。疲れた」
キュルケが誘ってくるのを枕に顔を押し付けたまま断る。
「あら残念。それじゃシエスタ、行きましょ」
「え、でも、ミス・ツェルプストー」
「いいじゃないの、女同士たまにはゆっくり飲みましょ」
あらゆる意味で、シエスタではキュルケに敵うべくも無い。あれよあれよという間にシエスタはキュルケに連れられて部屋から消えていった。
ルイズが枕に顔を押し付けたまま、どれだけ経ったろうか。不意に、部屋のドアをノックする音がした。
「起きてるか、ルイズ」
「ショウ!?」
「入るぞ」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
「ん?」
疑問の声を発しはしたが、ノブに手がかかった時点でショウは動きを止めたようだった。
慌てて荷物から手鏡を引っ張り出し、顔と髪を確かめる。
服の乱れを素早く整えて、ルイズは「いいわ」と声をかけた。
「邪魔するぞ・・・と、お前相手にこういうのもなんだな」
「寮では同じ部屋でも今は別々の部屋に泊まってるんだから、それくらいのマナーは弁えなさい」
「わかったわかった」
さらに小言を言ってやろうとした所で、ルイズはショウの持っているものに気付いた。
銀盆の上にガラス製のデキャンタに入ったワインと、グラスが二つ。
簡単なおつまみまでついている。
「何よそれ?」
「さあ、キュルケさんがおまえのところに持ってけって」
ぴんと来た。これはあのゲルマニア女のお節介に違いない。
不思議とそれほど悪い気はしなかった。
「ふん、余計な真似を・・・そう、それじゃついでにご主人様の酒の相手をしなさい。命令よ!」
「? まぁ、構わないが」
ショウがルイズの横に座り、デキャンタからワインを二つのグラスに注ぐ。さっそく口に運ぼうとするショウをルイズが止めた。
「ちょっと、こう言う時は何かに乾杯する物なのよ」
「そうなのか? 俺のところでは乾杯と言えば固い席で誰かが音頭を取ってやるものだったが」
「そう言うのもあるけど、ここはハルケギニアよ。ロマリアへ行ったらロマリア人のするとおりにしなさい」
「わかったわかった。で、何に乾杯するんだ」
「そうね・・・」
言われて考えこんだルイズの脳裏に、「私と貴方のために」というフレーズがふっとよぎった。
「あああああ、なしなしなし、今のなし!」
真っ赤な顔で両手を振り回しわたわたするルイズ。実に進歩が無い。
ショウはこいつ大丈夫かと言う顔でそれを見ている。
「なあ。この前の時といい昼間といい、お前体調が悪いんじゃないのか?」
ショウがグラスをおき、ずいっと顔をルイズに近づける。
「そそそ、そんな事にゃいわよ!」
当然、さらにルイズの顔が赤くなる。
「ろれつも回ってないじゃないか」
「こ、これは関係ないのっ!」
「ふむ」
そのまま無造作に、ショウが自分とルイズの額に手を当てる。
「熱は無い、か・・・にしては顔が赤いのが」
「ッ!?」
ぼひゅっと音を立てそうな案配でルイズの顔が沸騰した。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「なっ、何をするだぁっ!?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
手当たり次第に物を投げつけ、しまいには椅子を振り回しはじめたルイズをショウがどうにかこうにか落ち着かせたのは、かれこれ20分近く経ってからのことだった。
テーブルの上のワインとおつまみが無事だったのは奇跡と言ってもいいだろう。
「だから、ぶしつけにレディの顔に触るもんじゃないの!」
「熱を測るのも駄目なのか? 中々厳しいな」
結局乾杯のことをうやむやにして、二人は杯に口をつけていた。
もっともショウもルイズも大して強いわけではない。自然、ちびちびと舐めるように飲むことになる。
「ねえ、ショウ」
「ん?」
「その、さ・・・・」
聞きたいことはいくらでもあった。元の世界に帰りたいのか、とか、私のことをどう思うのか、とか。
しかし、いざ言葉にしようと思うとそれが出てこない。
「えーと、その」
「何だ?」
「その、タルブの村の呪文書って、ひょっとして私の使えるような呪文も載ってるかな!」
「どうだろうな。シエスタの曽祖父母が本当に俺達の世界から来たのなら、それは俺達の世界の呪文ってことになる。使えるかどうかは厳しいんじゃないか」
「で、でもやってみないとわからないじゃない?」
「・・・まぁ、そうだな。馬には乗ってみよだ」
馬鹿、とルイズは自分を叱咤する。そんなことを言いたいはずではないのだ。もっと聞きたいこともあるし、聞かなければならない事だってあるのだ。
「あ、あのね、ショウ」
「ん? なんだ?」
「あの。あの・・・」
「だからなんなんだ? 言いたいことがあるならはっきり言えばいいだろう?」
眉を寄せ、少し困ったような顔のショウ。
ルイズは口をパクパクさせて、だが結局出てきたのは本心と裏腹の言葉だった。
「あ、あのデルフリンガーって剣ね・・・」
それから1時間ほども飲んでいただろうか。
何回も言い出そうとして、結局ルイズは「帰りたいのか」と聞くことが出来なかった。
何故、ただそれだけのことが言い出せなかったのか。
決まっている。怖いからだ。
ショウが自分を置いて故郷に帰ることを望んでいたとしたら・・・それを知ってしまうのが怖いからだ。
(しっかりしなさい、ルイズ! お父様も言っていたでしょう、『貴族とは、敵に背中を見せない者の事を言う』と!)
そう叱咤する物の、喉は震えず、舌は口蓋に張り付いたかのように動かず、肺は呼吸を忘れたかのように凍りつく。
自分の臆病さを痛感しつつ、ルイズは疑問を口に出来ないまま睡魔と酔いに負けて意識を手放したのだった。
そのころ。
「おい、ヤン。つげ」
「は、ハイ」
ごきゅごきゅ。
喉を鳴らし、ヤンについで貰った酒を一息に飲み干すシエスタ。飲んでいるのは既にワインではなく、度数60を越えるようなきつい蒸留酒である。ちなみに火をつけると燃える。
「キュルケも酒が減ってらいぞ。飲め」
「いや、明日も旅なんだし余り飲みすぎないほうがいいかしら〜、なんて」
「いいから飲め」
「・・・・はい、頂きます」
どぼどぼどぼ。
「えーと、こんなに飲めないんだけど・・・」
「あらしの酒が飲めないって言うんれすか」
据わった目で睨まれ、さすがのキュルケも少々泣きが入った。
彼女も酒はそれなりに強いつもりであったが、このメイドには敵わない。しかも相当にたちの悪い酒乱だ。
今後は絶対に彼女と飲むまいと決心し、とにかく潰してしまおうと二人がかりで酒を勧め、トリプル・ノックダウンという結果で終るのはもう少し先の話である。
翌日。ルイズの憂鬱は昨日にもまして重かった。
酒が残っている訳ではないが、それに負けず劣らずの酷い顔である。
そして本物の酷い二日酔いに悩まされている人間が横に二人いた。
「うえっぷ・・・少し休まない・・・?」
馬に揺られつつ、今にも死にそうな顔でキュルケが提案した。ルイズ達は勿論、付き合いの長いタバサにしてもここまで精彩を欠いた彼女は初めてだ。
もっともキュルケは喋れるだけまだマシで、ヤンは馬にしがみついて落ちないようにするのが精一杯である。
申し訳無さそうにちょこんとタバサの後ろに乗っているシエスタが、深酒の影響をまるで受けていないのと見事に好対照であった。
そんなこともあって、ショウを初めとする道連れの目に二日酔いにしか見えなかったのは、ある意味ルイズの不幸であったろう。
次の夜も、ルイズはショウに答えを尋ねることが出来なかった。
明けて三日目の朝ともなると全員がルイズが沈みこんでいることに大なり小なり気付いている。
キュルケだけはそんなことに気付いていないかのように明るく振舞っているが、これは心底からのものではなく彼女なりの気遣いでしかない。しかしその気遣いもルイズには届いていないようだった。
ショウやシエスタが度々心配そうな顔で話し掛けているが、そのたびにルイズは「なんでもない」と答えるだけ。
朴念仁のショウではあるが、さすがに何か悩みを抱えているのだと言う位は察せられた。一月ほどの付き合いでしかない彼にもルイズは悩みを自分の中に溜め込む上、真面目に考えすぎて煮詰まるタイプである事は何となく察しがついている。
しかし、それでもルイズが彼に理由を明かす事は無かった。そもそもそれが言い出せなくて今の状況になっているのだからここで話せる訳が無い。
ちなみに使い魔と主は似ると言うか、悩みを溜め込む点は彼自身も似たような傾向があるのだが、それには気付いていない。岡目八目とはよく言ったものである。
ともあれそんな重苦しい空気を払うように一行は馬を飛ばし(慣れていないシエスタとヤンは青息吐息だったが)、昼頃にタルブの村に到着した。
村の人間に挨拶しつつ、まずはシエスタの実家に向かう。突然の帰郷ではあったが、母親と弟たちは喜んで彼女を迎えた。
ショウ達のことも、シエスタの恩人と知るや下にも置かない歓迎振りである。弟たちはショウとヤンが剣士と知るや、武勇談を聞きたがった。やむなくヤンがたどたどしくもラグドリアン湖での戦いを語ると、弟たちのみならずシエスタや母までそれに聞き入る。
ひとしきり歓談した所でシエスタが違和感に気付いた。
「あれ? もうすぐお昼なのにお父さんは?」
「ああ、剣と鎧を見たいってお客さんが来てね。寺院のほうに案内してるよ。・・そう言えば遅いねぇ」
「わざわざ? 珍しいわね。どんな人なの?」
「女の剣士で、傭兵だとか言ってたわよ」
ぴくり、とショウの眉が動く。それまで読書に耽っていたタバサが本を閉じ、問い掛ける。
「・・・短い金髪で、青い瞳の?」
「え、ええ。ひょっとして知ってる人ですか?」
がたん、と音がした。音は同時に三つ。
ショウ、ヤン、タバサが顔色を変えて同時に立ち上がっていた。
「まさか、アニエスさん?」
「根拠は・・・ないけど」
「偶然とは思えない」
他の四人、それにシエスタとその家族は何のことだか分からず目を白黒させるが、ただ事ではないのは理解したようだった。
「シエスタ、俺たちをそこに案内してくれ、今すぐだ!」
タバサがショウを、キュルケがシエスタを抱えて「フライ」の呪文で空を飛ぶ。他の三人は馬でそれを追ったが、森の中なので思うようにスピードは出ない。馬術に長けたルイズはともかく、他の二人は遅れることになりそうだった。
飛び始めてすぐ、森の中の開けた場所に奇妙な建築物が見えた。
ショウは故郷の寺院に似ているような印象を受けたが、今はそれより優先すべき事がある。
身の丈ほどの大きな荷物を引きずって村とは別の方向に移動しようとしている細身の人影。
その髪が真昼の太陽を浴び、金色に輝いていた。
シエスタが巻き込まれないよう、キュルケは手前でシエスタを下ろし、そのまま村に帰るように言い含める。
一方、タバサとショウは人影の前に着地した。タバサは素早く一歩後ろに下がり、戦闘体勢を取る。
そしてショウは背中の剣に手を掛ける事もせず、盗賊と正面から向き合った。
「ショウ!」
「やはりお前だったか、アニエス」
一瞬その体が硬直するも、次の瞬間アニエスは背中の大荷物を思い切り良く手放し、後ろに跳ぶと同時に戦闘体勢を取った。
今日の彼女は鎖かたびらを身につけ、上から外套を着込んでいる。その外套の中に両手を突っ込んだかと思うと、次の瞬間、彼女の右手に短銃が出現していた。撃鉄は上がり、火蓋は開き、すぐにでも発射が可能な状態である。
左手には同じく一瞬の早業で取り出した火薬入れが握られていた。
本来ハルケギニアの銃は抜いただけで即撃てるような便利な代物ではない。
弾と火薬を筒先から込め、それを棒で突き固め、それから火蓋を開いてそこに火薬を盛り、撃鉄を上げ、と言った過程を経てようやく発射可能な状態になる。
アニエスはあらかじめ弾を込めておいた銃を用意しておき、熟練の動作で短銃を抜くと同時に火蓋を開き撃鉄を上げ、同時に左手で取り出した火薬入れで点火用の火薬を火打ち皿に盛るまでを一瞬、一挙動でやってのけたのである。
同時にショウも抜刀していた。アニエスが銃口を突きつけると同時に八双に構え終わっている。
天を指す剣からとんでもないプレッシャーを感じつつも右の銃口はショウから放さず、アニエスは左手で短銃を取り出し、片手だけで器用に発射の準備を整えた。
文章にすれば長いが、アニエスが荷物を捨ててからここまでわずか3秒。たとえタバサであっても呪文を発動させるには足りない。
「動くなよ! これでも、メイジ相手の戦い方は知り尽くしているのだ」
「くっ」
「銃・・・と言う奴か」
タバサが舌打ちする。ショウも未知の武器の前に迂闊に踏み込めない。
彼我の距離は20歩余り。短銃とはいえ、アニエスにとっては必中の距離。ショウからしても「気」の斬撃が十分届く距離ではあるが、剣を振り下ろすのと引き金を引くのではやはりアニエスのほうに分がある。
「甲冑を着てくればよかったか」
ショウが呟いた。今の彼の格好は防御力など期待できない旅装束。ショウやタバサであればいちかばちか銃弾を回避出来るかもしれないが、どう考えても分の良い賭けでは無さそうだった。
視線はアニエスから逸らさぬまま、タバサがショウに囁いた。
「気をつけて。いくら貴方でも、当たり所が悪ければ即死する」
視線を動かさず、緊張した表情のまま、ショウが僅かに頷いた。
アニエスの銃口はショウとタバサの胸をぴたりと捉えている。そこから放たれるプレッシャーにはったりはない。
一つミスをすれば即死する、という事実が言葉ではなく感覚として理解できる。まるで素手で人の首を刎ねる手だれの忍者と向かい合っているような気分だった。
ショウは勿論、タバサにしてもここまでの技量を持つ銃使い(ガンスリンガー)との戦いは初めてである。
水の魔法があれば銃は致命傷にならない、などと言われるが、いくら水の魔法があるからと言って銃弾が頭や心臓を貫けば勿論即死、肺を貫通すれば動くどころか呪文を詠唱する事すらままならない。
「メイジ殺し」。噂には聞いていたが、目の前の女性こそそれかもしれない。タバサの杖を握る手にじわりと汗が滲んだ。
「無駄なことはするなよ? 剣では銃には勝てん。矢と違って目に見えぬ速さで飛ぶのだからな。魔法とて、この距離ならば銃が勝る」
「そうなのか、タバサ」
「ええ。見てから避けたり、刀で叩き落したりするような真似は恐らく貴方でも無理」
ショウの戦意が衰えないのを見て、アニエスの銃把を握る手にわずかに力が篭った。自分でもそれに気付き、表情に焦りが出ぬよう、手に力がこもり過ぎないよう、平静を保つことに全力を注ぐ。
彼女にしても余裕があるわけではない。何せ銃は単発。どちらか一方でも外せばそれで終わりなのだ。
二対一、辛うじて均衡を保ってはいるが、手詰まりなのは彼女のほうだった。
だがショウ達も動けない。
どちらかが動いて撹乱しようにも、アニエスはショウとタバサをそれぞれ見据えているのではなく、ショウ達のいる空間そのものを見ている。
人間の目は構造上同時に二つの物体を注視する事は出来ないが、アニエスは一点を注視するのではなく、空間を広く捉えることによってそれを事実上可能にしていた。
ホウライの武術で『観の目』と呼ばれる視認の術を、経験からかそれとも自然にか、アニエスは己が物としていたのだ。
ショウもタバサも、それがわかっているだけに動けない。だがこのままでは手詰まりなのも事実だ。
いちかばちか、ショウは"気"の斬撃を放つ心積もりを固めた。呪文の詠唱も杖も無く、あるいは投げナイフや銃でもない、剣から放たれる「飛び道具」などハルケギニアの常識ではありえない。
一見してかなりの経験を積んだ傭兵であるアニエスが、あの戦場往来の古強者がしばしば見せる類の第六感で危険を察知してしまうかもしれない、とは思ったが、ここは賭けて見る価値はあるだろう。
呼吸の調子を変えず、剣が放つ気の光から異常を悟られぬよう、最低限のそれだけを体内に溜め込む。
「動くなっ!」
だが剣を振り下ろそうとする一呼吸前、アニエスの厳しい声が飛んだ。
同時にショウは背後5、6メイルほど、木立ちの切れ目あたりにキュルケの気配を察知した。恐らくシエスタをなだめすかして帰らせるのに手間取っていたのであろう。
「動くなよ、そこの赤毛の貴族。動かばこの二人が胸に穴を開けて倒れることになる!」
厳しい声を出して脅しつけている間にも、ショウとタバサの二人を捉える視線と両手の銃口は微塵も揺らがない。
「もちろんそちらの青髪も、ショウ、お前もだ――お前が『斬撃を飛ばす』よりも、私の鉛玉の方が早いぞ?」
「!!」
ショウ、タバサ、そして背後にいるキュルケの顔に、同時に驚愕の色が走った。今ハルケギニアで『飛ぶ斬撃』を知る者は極わずか。ショウ達か、ラグドリアン湖の話を聞いたコルベールか、水の精霊か、あるいは・・・。タバサの目の色がわずかに変わる。
「貴女は・・・」
「そうだ、私は『牙の教徒(プリースト・オブ・ファング)』だ。かつてこの村に住み着いたメイジと同じ、『背教者』と言うわけさ」
タバサの目から、感情の色が完全に消えた。同時に、冷気かと錯覚させるような雰囲気がその周囲に漂い始める。
対照的に、ショウの目からはいまだ平静は失われていなかった。緊張と闘志をみなぎらせ、静かにアニエスを見据えている。
「ショウ、そのまま手を開いて剣を落とせ。手をこちらに向けるのも無しだ。モット伯を吹き飛ばした技を受けてはたまらないからな。そうすれば私は大人しくこの場を去ってやる」
「飛び道具で狙われているのに、大人しく武器を放すとでも?」
「言っただろう。どの道私の銃のほうが早い」
「どうかな」
こちらを見据えたままうそぶくショウの表情に動揺は無い。アニエスは辛うじて舌打ちをするのを堪えた。
最初に会った時から年端も行かない少年の癖に只者ではないと思っていたが、戦度胸も並ではない。よほどの場数を踏んでいるに違いなかった。
その斜め後ろに立つメイジの少女もそうだ。後ろの赤毛が手出ししかねて動けずにいるだけなのに引き換え、こちらの目には恐怖も怒りも諦念もない。下手すればショウよりも年下ではないかと思えるのに、ただただ冷静に、こちらの隙を突く事だけを考えている。
赤毛の貴族は仲間が銃を突きつけられて動けないでいるが、むしろそれが普通なのだ。
ショウもこの少女も、一体どのような人生を送ればこのようになるのか、と考えた所でアニエスはわずかに口の端を歪めた。全く、自分が言えることではない!
そう、23年の人生のうち丸10年以上を、ひたすら復讐を遂げる為の牙を磨くために費やしてきた自分が言えることではない。
「何故?」
そんな風に余計な事を考えていたからか、タバサが口を開いたとき、一瞬アニエスは何を問われているか分からなかった。
凍てついた瞳のまま、タバサは二つ名の通りの雪風のような声で重ねて問う。
「何故あなたは牙の教徒になったの? あなたは、どう見ても狂信者という柄ではない」
その瞬間、アニエスの、冷静なプロの瞳に炎がともったのをショウは見た。激情の炎、憤怒と瞋恚(しんい)の炎だ。
だがそれでも視線はショウとリリスから外さない。怒りに燃えても、指先はわずかにも震えていない。
食いしばった歯の間から呪いの吐息かと思われるような空気の塊が漏れる。
「私は・・・私は貴様らメイジが嫌いだ」
静寂。普段は森の中でさえずっているであろう小鳥の鳴き声さえ今は聞こえない。
タバサはその声に聞き覚えがあった。正確に言えば声に篭った感情に覚えがあった。それは他ならぬ彼女自身、常に胸の内に滾らせている物なのだ。
ぎろり、とアニエスの目が動いた。殺意と憎悪の篭った視線がキュルケを捉える。
「っ!」
「特に炎を使うメイジは嫌いだ。貴様も炎のメイジだな? わかるんだよ、そこからでも嫌な匂いが漂ってくるからな」
正面から「それ」をぶつけられたキュルケが思わず一歩後ろに下がった。そのまま踏み出しそうになった二歩目を、辛うじて貴族の矜持と女のプライドが押し止める。
「選ばれし者? 理想郷の建設!? そんなものはどうでもいい」
ぎらぎらと、アニエスの瞳が燃えていた。
「私の望みはただひとつ! 20年前私の故郷を焼き尽くした奴らを、一人残らずこの手で殺してやる事だけだっ!」
それは、血を吐くような叫びだった。
胸の奥で膿み続ける、負の感情の塊だった。
全てを奪われたあどけない子供が、少女となり、大人の女となるまでの間、ずっと胸の内を焦がし続けた炎が口から飛び出したものだった。
その言葉がタバサの胸に、深く沁み渡る。ああ、彼女もやはりそうだったのだと。そんな彼女が敵であり『牙の教徒』である事が悲しく、そして納得出来てしまっていた。
そんなタバサの様子にも気付かず、アニエスが、銃を抜いてからはじめて、ショウの顔を正面から見据える。
「ショウ。お前とて同じだろう。目の前で家族を失い、復讐を考えただろう。自分の無力を呪っただろう! それを思ったことが全くなかったとは言わせん!」
心の中に鋭く切り込んでくるようなその視線に、ショウは無言で応じた。
アニエスの顔に、僅かな苛立ちが混じる。
「答えろ! ショウ!」
無言のままのショウを、タバサがちらりと流し見る。
興味があった。自分やアニエスと同じく、いわれなき悪意によって家族を失ったこの少年が、一体いかなる答えを持っているのか。
「・・・その通りだアニエス。俺も母を失い、兄を失った。仇を憎み、見殺しにした父を憎んだ」
「ならわかるだろう! お前なら私の気持ちが、わかるはずだっ!」
アニエスの叫びはタバサの叫びでもあった。ショウならば、自分を理解してくれると。孤独な復讐者である二人は、無意識の内に理解者を求めていたのかもしれない。
「お前は諦められるのか。お前の母を殺した仇や、見殺しにした父親を許せるとでも言うのかっ!」
「どうだろうな。仇も、父親も、今は手の届かない遠い所にいるからな」
あくまでも淡々と、ショウは答える。その視線も、八双に構えた剣も揺らぐ事はない。
ふとアニエスは、ショウの左拳が輝いているのに気付いた。先ほどまでは無かったその輝きに戸惑いながらも、次の言葉を待つ。
そしてタバサも無言のままショウの次の言葉を待った。それがショウの本当に言いたいことではないのが分かるからだ。
「だが・・恐らくではあるが、手の届く所にいたとしても俺は仇を討たなかっただろう」
アニエスの表情がまず愕然とした物になった。次いで先ほどキュルケに向けた以上の怒りと憎悪に染まる。
その表情は、紛れもなく裏切りに対して人が浮かべるそれだった。
そしてタバサもまた愕然としていた。だがどこかでそれに納得している自分もいた。
「何故だ! 何故討たん! お前は仇が憎いのだろう! それとも母親も兄も、おまえにとってはその程度の価値しかないのか!」
「違う!」
一瞬、アニエスが気圧された。
その強い否定は同時に、この場でショウが初めて見せた生の感情でもあった。
常に冷静だったその瞳が今は強く揺れ、左拳の光は耐えがたいほどに強くなっている。
「違う・・母は・・俺にとって兄以外では唯一の家族と言える人だった」
「ならば何故!」
もはや悲痛とさえ言える叫びがアニエスの喉から放たれる。
その身を切り裂くような問いかけに、ショウの顔が苦悶に歪んだ。
苦痛に耐えるように、いや恐らく実際に痛みに耐えながら、ショウが言葉を搾り出す。
「俺が――――殺したくないからだ」
「きっ! 貴様は馬鹿か! それとも偽善者か! 剣士でありながら殺したくないなどと、その剣は飾りか! 今まで人を殺めた事がないとでも言うのか!」
「あるさ! だけどそんな事・・・そんな事俺にだって分かる物か!」
どちらが先に、或いは誰が先に動いたのかは分からない。ただ二人が叫んだ瞬間、均衡は崩れ去った。
タバサが横に跳んだ。
跳んだタバサのマントが大きく翻る。
アニエスの左手の銃から放たれた弾丸は、一瞬前までタバサが立っていた位置を正確に貫き、流れたマントを捉えて親指が入るほどの穴を開けた。
そしてショウは弾丸を避けなかった。
自分の拳がもはや正視出来ないほどのまばゆい光を放っている事にも気付かず、ただ、剣を振り下ろした。
そしてショウの剣が空を斬り裂く音を圧し、二つの銃声が森に轟く。それは、20年越しにようやく解き放たれた、あの日の幼い少女の慟哭のようにも思えた。
一瞬だった。
銃声が響き、タバサが横に跳んで転がり、ショウが剣を振り下ろした。
アニエスとかいう女が吹き飛ばされ、ショウの背中に真っ赤な穴が弾けて開く。
同時にショウはつんのめったかのように体を硬直させ、そのまま人形のように倒れこんだ。
そして。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「ルイズっ!?」
絶叫が響いた。愕然としてキュルケが振り返る。
丁度到着したルイズが、ショウが撃たれるシーンをまともに見てしまったのだ。
「落ち着きなさいルイズ・・・きゃっ!」
肩に手をかけ、止めようとしたキュルケを突き飛ばし、ルイズがショウに駆け寄る。
「やだ、ショウ・・・死なないでよ・・・行っちゃ嫌よ、どこへも行かないでよ、お願いだから!」
ぽろぽろと涙を流し、ルイズがショウにすがりつく。
うつぶせに倒れたショウの横顔に、もはや生気は無い。
倒れたショウと、それにすがりつくルイズを見下ろすタバサの顔は蒼白である。
弾丸は、心臓の位置を正確に貫いていた。
「ショウ! ショウ! 起きてよ! 目を覚ましてよ! 起き上がってまた馬鹿だなって顔で笑ってよ! ショウっ!」
必死でルイズがショウの体を揺り動かす。近寄ってきていたキュルケが何かを言おうとする前に、一つの呻き声がルイズの意識を引き付けた。
「う・・・うあっ」
無意識に呻き声の発生源に顔を向けたルイズの視界に入ってきたのは、ショウの"気"で吹き飛ばされたアニエスだった。
よく見ればその体には全く外傷がない。恐らくあの一瞬、ショウが手加減して気絶させるための一撃にとどめたものと知れた。
それを見た瞬間、ルイズの心の中に謂われない怒りが頭をもたげた。
何故この女は生きているのだ?
ショウが胸を撃たれて死んだと言うのに、何故撃ったこの女は傷一つ無く生きているのだ?
目の前が真っ赤になり、そしてルイズは思考を手放した。
「え、ルイズ・・・?」
ゆらり、とルイズが立ち上がった。
念のためショウの脈を取ろうとしていたタバサはその顔を見てぎょっとした。
悪鬼の表情だった。
人の顔がここまで醜く歪むのかと思えるような、そんな表情。
ルイズの端整で愛らしい顔立ちは見る影も無く崩れ、常に漂わせている気品はかけらも無い。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「落ち着きなさいルイズ! 今こいつを殺した所で何にもならないでしょ!」
呆然とするタバサ。
アニエスに飛び掛ろうとするルイズをキュルケが後ろから羽交い締めにした。
ルイズが暴れ、もみ合い、獣のように咆える。
振り乱した髪が顔を隠し、髪の影から覗く目は人間のものとも思えないほど暗い。まるで人間とは思えなかった。
口から出る声も、既に人のものではない。人間の原初の本能を揺さぶるような、闇から響く獣の咆哮のような、そんな声。
これではまるで・・・まるでなんだ。まるで、まるで・・・悪霊?
否定出来ない。
あの顔、あの表情。さながら生きたまま悪霊と化したかのようにしか思えないではないか。
かちかちと歯の根が鳴る。無意識に一歩足が下がった。幽霊だ。今のルイズは生きながらにして悪心に取り付かれた幽霊となったのだ。
その考えにぞっとし、次の瞬間、あることに気付いて別の意味でぞっとする。
自分も、ひょっとしたらあのような表情を浮かべていたのだろうか?
だとしたら、たとえ母親の毒を癒す事が出来たとして、そのような顔をする自分が、悪霊になってしまった自分が、また昔のように家族として暮らす事が出来るのだろうか?
そもそも自ら幽霊となってしまった自分に、果たして耐えることが出来るのだろうか?
足元の大地が崩れて底の見えない暗黒へ落ちていくかのような感覚を覚える。
よろめいたタバサを呼び戻したのは、激情にかられたルイズの声だった。
「うわっ! うわ! うわぁぁぁぁぁぁぁっっ!」
「落ち着きなさいルイズ! ヤンが何度も生き返っているの、忘れたわけじゃないでしょう!?」
耳の側で大声で怒鳴ってやると、暴れていたルイズの体から力が抜けた。
「生き返る・・・そ、そうよね・・・ショウも、リリスに生き返らせてもらえるのよね・・・」
「そうよ。だから落ち着きなさい。大丈夫だから、ね?」
優しく、包み込むようにキュルケがルイズを抱きしめる。
久しく感じた事の無かったぬくもりが放心したルイズを包んだ。
「でも・・・」
言葉が途切れた。再び目に涙が盛り上がる。
「いくら生き返るって言ったって、絶対じゃないんでしょ?! ヤンがたまたま運がいいだけで、ひょっとしたらショウが生き返るのに失敗するかもしれない! そうしたら、そうしたらこの女を殺すしかないじゃないの!」
「ルイズ!」
悲鳴をあげるキュルケの肩を、手がぽんと叩いた。
振り向いたキュルケの口が、半開きのままで固まる。
違和感を感じて振り向いたルイズの口も、ぽかんと開く。そこから漏れる音はもう言葉にならない。
「あ・・・ああ・・・・」
「そんな・・・。生きてたの!?」
「うるさくて――寝てられねえよ。二人揃ってぎゃあぎゃあとわめかれちゃあな」
にっ、と笑うショウがそこに立っていた。剣を杖に突き、足取りもおぼつかないが、確かに自分の足で立っている。
「傷は・・・!?」
「平気ですよ。死ぬほどのものじゃありません」
苦しげでありながらも、再びにっ、とショウが笑った。
確かに、その胸に広がる血の染みはもう固まりかけており、赤い部分が広がっていく気配も無い。無造作にショウのシャツをまくり傷口を確かめると、キュルケが胸を抑えて溜息をつく。
「もう・・・心配かけるんじゃないわよ、馬鹿ね」
「すいません」
泣き笑いの顔でキュルケがショウの額を小突いた。ショウはただ、苦笑するだけである。
ついで、再び顔をルイズに向ける。
「俺はこのとおりだから・・・な? だからアニエスを殺す必要はないんだ、ルイズ」
「・・・・」
無言のまま、ルイズが俯く。
「ルイズ?」
剣を杖に突きながら、ショウがルイズの顔をこわごわと覗き込んだ。
唇が僅かに動いている。
「・・・・・・・・・・から」
「え・・・?」
ぼそりと、聞き取れないほどのかすかな声がルイズの唇から漏れた。
「・・んか、・・・だから」
「ルイズ・・・?」
いきなり、ルイズが顔を上げた。
「心配なんか・・・あんたの事心配なんかしてなかったんだからっ!」
そこが限界だった。
ルイズが体当たりするような勢いでショウの胸に飛び込んだ。
受け止めようとして、ショウの足がよろける。
そのままショウは押し倒されるように尻餅を突き、ルイズがその胸にすっぽりと顔を埋める形になった。
尻餅を突いたショックでショウの胸の傷に激痛が走るが、辛うじて苦悶の声を堪える。
その胸の中で、ルイズはショウの心臓の鼓動と呼吸のリズムを全身で感じていた。抱きしめた体に血が通い命が脈づいているのが分かる。
もうそれだけで、ルイズには充分だった。
「良かった・・・ショウがどこにも行かなくて良かった・・・」
「泣くな、馬鹿。ヤンさんなんて死んでも何度も甦ってるだろ」
ルイズはまた泣いていた。ショウに抱きつき、ぐすぐすとしゃくりあげている。
胸に走る痛みを堪えながら、ショウは優しく笑って見せた。
「ショウは強いけど、ヤンと違って人間だもん・・」
「馬鹿」
もし自分に妹がいたとしたら、こんな感じになるのかもしれない。
その思い付きと今のルイズの両方に苦笑しながらも、ショウはその頭を撫でてやった。何回も、何回も。
それを優しい瞳で見つめていたキュルケは、ふとシエスタの父親の事を忘れていた事を思い出した。
「やばっ」
ひょっとしたらシエスタの父親こそ、危険な状態である可能性もある。この状態ではショウとルイズを動かすわけにも行かないし、自分は"水"が使えない。タバサを連れて向こうに見える寺院らしき建物に行こうと思い、周囲を見渡した所で怪訝そうに眉を寄せる。
タバサは凍り付いていた。
大前提。
人は死んだら動かない。動くとしたらそれは人間ではない。
小前提。
ショウは死んでいた。心臓を撃ち抜かれ、呼吸も脈も止まっていた。
結論。
今目の前にいるショウは人間ではない。つまり。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
さっきとはまた別の意味で、足元が崩れるような感覚がする。
今度は呼び戻される事も無く、こてん、とタバサは気絶して倒れた。
結局キュルケは気絶したままのタバサを引きずって行き、シエスタの父が神殿の中で気絶しているのを発見した。アニエスの当身で意識を失っただけであったらしく、取りあえず寝かせておく。
あの後、泣きやんでもルイズはショウの服の裾を握って離さなかった。
ようやくやってきた(乗馬の腕の差で森の中で大幅に引き離されていた)リリスが治療呪文を掛けている間もずっとだ。
一方ショウに快癒(マディ)を掛けて傷を癒したリリスはしきりに首を捻っている。
(・・・あの傷、明らかに心臓を貫通しているのよね。肺も傷ついていたはずだわ)
常識的に考えて、生きているはずがない。いや、即死していなければおかしいのだ。
ルイズやキュルケは運良く急所を外れていたと考えているようだが、あの傷の位置でそれはありえない。銃弾は正確に心臓を貫いていたはずだ。
仮に万分の一の奇跡によって心臓は外れていたとしても、肺を貫通する傷を受けて人間がまともに動けるはずが無い。
いくらショウがマスターレベルの侍だからといって、それは人外に過ぎる。最後の力を振り絞って一撃、と言うならまだ分からなくもないが、ショウは消耗こそしていたものの普通に動いて喋っていたのだ。
案外ヤンよりもショウのほうがよほど不死身なのかもしれない、と一抹の恐れと共にリリスは思った。
「・・・・で、キュルケ。うちのご主人様は何してるの?」
「さあ?」
いつの間にか目を覚ましていたタバサはリリスがここへ到着してからこっち、ずっとキュルケの背中に隠れていた。
顔を半分だけ出してちらちらとショウのほうを覗き込み、ショウがこちらに振り向くたびにさっとキュルケの影に隠れる。先ほどからその繰り返しである。
明らかにショウを警戒、というか露骨に怯えていた。タバサが実は幽霊が苦手だと言う事を彼女達が知るのは、もう少し先の話である。
シエスタの父と、縛り上げたアニエスと、盗まれかけた剣と鎧をそれぞれ馬に載せ村に戻る道すがらも、ルイズはショウの服の裾を握ったままだった。
服の裾を握りながらだから、当然遅れがちになる。
「ほら、ルイズ。握るのはいいが遅れないように歩けよ」
「うん・・・」
他の面々からやや離れた事を確認し、ルイズは小声で聞いてみた。何故か今は素直に、胸のうちを言葉にすることが出来た。
「ねえ、ショウ」
「なんだ?」
「ショウはその・・帰りたいと思った事ってない? 自分の故郷に」
「そうだな・・」
言葉が途切れる。ショウが次の言葉を発するまで、ほんの数瞬。だがルイズにはそれが恐ろしく長いように思えた。
「まぁ、余り無いな」
「・・・そうなの?」
意外そうに、というかむしろ呆気に取られてルイズがショウを見上げる。
その横顔には僅かに困惑のような物が読み取れた。
「言わなかったか? 俺は母親も兄も亡くしてるんだ。父親や継母とは折り合いも悪かったしな・・まぁお前に不満が無いとはいわないが、無理して元の世界に帰ろうというほどの気は無い」
「・・・そう」
ショウの服を握るルイズの手に力が篭る。ショウは普段なら怒りそうなセリフを吐いたのにルイズが言い返してこないのを不思議に思っていたせいで、その僅かなルイズの変化には気付かないでいた。
それをこっそり伺っていたキュルケの、唇の端に僅かに笑みが浮かぶ。それをごまかすように、そしていつもどおりルイズをからかうように声を掛ける。
「ほーれほれそこのデコボコ主従! 早く来ないと置いてくわよ!」
「はい、すいません!」
「生意気言うんじゃないわよツェルプストーの癖に!」
一行に追いつくべく、ルイズとショウは小走りに走り出す。
「遅いわよ・・・あれ?」
「どうしたのよキュルケ」
キュルケの視線はルイズの頭に注がれている。
「ルイズ、頭。髪に血が付いてるわよ」
「ええええっ!?」
思わずルイズが両手で頭を押えた。
指で確かめてみると、自慢のサラサラした髪のおでこから頭頂部にかけて、確かにごわごわした感触がある。
リリスが気の毒そうに呟いた。
「あらら、ショウ君に抱き付いてたときに付いちゃったのね。後で念入りに洗わないと」
「こっ・・・・ここここここここここここここここ」
わなわなとルイズが震える。
「この、馬鹿犬ーっ!」
体を半回転させたいきなりの平手打ちを、辛うじてショウがかわした。
さらに追撃を与えんとぶんぶんと振り回される両手を訳が分からないながらもかわす。
突然のことにショウは戸惑うばかりだ。
「何をする!?」
「うるさい! この、ご主人様の髪を血で汚すような使い魔にはおしおきして当然でしょ!」
「お前が抱きついてきたんだろう!?」
「うるさいうるさいうるさい! 大人しく殴られなさい、馬鹿犬!」
「しかも犬呼ばわりか!」
「あんたなんか犬で充分よっ!」
「この・・・付き合ってられるか!」
だっ、とショウが駆け出した。三十六計逃げるにしかずである。
「待ちなさいっ! 逃がさないわよ!」
がぁっ、と咆えながらルイズがその後を追う。
取り残された一行は呆れて、あるいは呆然としてそれを見送った。
「・・・進歩が無いって言うか・・・」
「微笑ましくていいじゃない」
唯一にこにことそれを見送るリリス。
こればかりはさっぱり理解出来ない友人の感性に、キュルケは今日何回目かのため息をついた。
さあう"ぁんといろいろ 第五話 『背教者』
了
おまけ
「お、俺今回死んでない!?」
ヤンはありえない現実にちょっと感動していた。
おまけその2
「ふんだ、いーんだ、いーんだ、いーんだもんね。どうせ俺なんて登場するキャラクターが多くなれば忘れ去られる運命なんだね」
そしてデルフリンガーは、馬の鞍に無造作に差し込まれたままいじけていた。
リングアーマーとは巨大な指輪をたすきがけにした鎧であり、バンデット・アーマーとは山賊の使った鎧のことである。
・・・これが何のことか分かる人は30歳以上、下手すれば40オーバーですね。w
支援と掲載に感謝。これにて第五話終了です。
・・・・買い物中心ののんびりしたエピソードのはずだったのに、結局今まで一番長くなったもんなあ。
今回はアニエスさん登場回でした。
モット伯もそうでしたが、彼女も原作とはかなり立ち位置を変えた人間です。
結構ちょこちょこ出てくる予定(あくまで予定)。
シエスタのご先祖の方は、まぁ原作知ってる人なら見当はついてるでしょう。
今回二人の話も出す予定でしたが、構成の都合上次回ということで。
なので、タイトルにある『背教者』のうち一人は話に出てきませんでした。
ではまた。
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