男が一人、物思いにふけっている。
手の中のものを見つめ、ただ無言でたたずんでいる。

「それは誰だ。恋人か?」

突然声をかけられ、男はやや驚いたようであった。

「貴様か。脅かすな」
「お前が気付かないのが悪い。で、誰なのだ? 随分綺麗な御婦人ではないか」

空気の動きにも気付かぬほど没入していたらしい。舌打ちを一つして男は答えた。

「母だ」
「母親? 意外だな。乳離れできないネンネだったか?」
「兄離れの出来ぬ貴様に言われたくはない」

くく、と声の主は笑ったようであった。

「かもしれぬな。まぁ、何かに入れ込み過ぎると大方ろくな事が無い。お前も程々にしておくのだな」

それには答えず、男はロケットの蓋を閉じた。
再び笑みを漏らし、闖入者はきびすを返した。目深にかぶったフードがかすかに揺れる。
この場にアニエスがいれば、先日武器屋の裏手で出会った人物だと分かったろう。

「どこへ行く?」
「どうも例の傭兵が失敗したらしいのでな。その尻拭いだ」

そのまま足音を立てずにフードの影は去ってゆく。
今度こそ気配が消えた事を確認し、男は一人ごちた。

「どちらにせよもう遅い、遅いのだ・・・」

その手元には何枚かの羊皮紙を束にしたものがあった。
そこに書かれているのはショウたちの戦闘の記録。

「勝てん・・・今の俺では勝てん!」

呻き声がその喉から洩れた。
風は最強。それが彼、ワルドの揺らがぬ信念であった。
机上の空論ではない。技を磨き、実戦を積み重ねた上での信念である。
風は攻撃と防御を兼ね備え、なおかつその速さは他の系統に一歩抜きん出る。どれか一つに優れているから最強なのではない。不得手が無いからこそ風は最強なのだ。
火は攻撃一辺倒であり、土は速度と機動力に大きく劣る。水は元より戦闘向きではない。攻撃力で火に劣り、質量と防御力で土に劣るとしても、それらの弱点を突ける戦闘巧者が用いるなら、風に勝る系統などない。加えて遍在の呪文の存在がそれを不動の物としている。

だが、その最強である風を奴はことごとく凌駕する。剣から放つ気とやらの斬撃は風をすり抜け、石や鉄であろうとも容易く両断する。それどころかモット伯の屋敷では巨人四体を纏めて肉片にする威力を発揮している。
しかも恐るべきことに、それらの攻撃は一切の詠唱を必要としないのだ。
さらにラグドリアン湖では剣をかざしただけで魔獣の炎の吐息を防ぎきって見せた。炎以外の攻撃に対してどの程度有効かは分からないが、恐らくワルドの得意とするライトニング・クラウドでも一撃必殺は望めまい。
かてて加えて奴は火と風のスクウェアクラスに相当する攻撃呪文を使用できる可能性すらあるという。
攻撃防御速度全てで上手を行かれ、フライの機動力でかく乱しようにもそれを問答無用で圧殺し得る広範囲への呪文攻撃すら備える。これでは風の長所である万能性などただの器用貧乏でしかない。
恐らく全力の遍在を用いたとしても間合いを離しての勝利は望めない。そもそも間合いを離すのは相手の遠距離攻撃がこちらより弱いのが前提。ショウが相手ではむしろ立場が逆転しかねない。
まだしも遍在を用い、数の利を生かして接近戦に持ち込んだほうが良いのではないかとすら思える。
だが、とワルドは首を振る。皮肉にも実戦で鍛えた判断力が、その最後の望みをすら否定した。
ワルドとてそこらの剣士では足元にも及ばぬほどの体術を身につけている。
しかしあの使い魔の剣捌きは明らかにワルドより一枚上である。不意を討たぬ限り、例え五人で取り囲んでも倒せる可能性は低いと判断せざるを得ない。
あの長大な剣のリーチは体格差を考慮してもこちらより半歩長く、何よりその刃は鉄をも容易く断つ。五人がかりで攻めながら急所だけを外して凌がれる内に、攻撃を受け流そうとするも杖ごと両断されて一人また一人と遍在を失っていく自分の姿が容易に想像できた。

「駄目だ! それでは駄目なのだ!」

両拳を机に叩きつける。
固い樫の板に思い切り叩き付けた拳の痛みすら、今の彼は知覚できていない。

「ルイズ! ああ、僕のルイズ! 君が・・君が必要なんだ! 僕には君が必要なんだ!」

初めてワルドがルイズを見たのは、ルイズが2つくらいの時であった。
それまでにも父親同士が友人で、また領地が隣り合わせだったこともあってそれなりの行き来はあった。同年代の長女にはかなり泣かされたものの、二つ年下の次女は儚げながらも優しく、話し相手を務めるのはそれなりに楽しかったことを記憶している。
それに比べて、十歳年下のルイズは彼にとってさしたる興味の対象ではなかったと言っていい。父親同士が酒の席で冗談のように決めてしまった婚約にしても、当時12歳の彼にとってはそれを口実にして公爵夫人から魔法の手ほどきを受ける事の方がよほど重要だったのである。
無論あどけない赤ん坊、少し大きくなってからは子猫のように懐いてきたルイズに妹のような愛情を覚えたり庇護欲を掻き立てられた事が無いわけではない。それなりに好もしく思い、結婚相手としては当然のように受け入れていた。
が、特にルイズを熱烈に愛していた訳でもない。ただ貴族である彼にとって、恐らくは彼の父や公爵夫妻にとっても、結婚とは概ねそういうものであった。彼らの階級では恋愛結婚のほうが珍しいのである。
それでも何事もなければ二人はやがて結ばれ、ゆっくりと愛を育んで大多数の貴族と同様それなりに幸福な家庭を築けたかもしれない。

それが少し変わったのはワルド14歳、母が死んだ直後のことだった。
多感な年頃に母を失った息子を少しでも元気付けようと、父親はヴァリエール家に息子を伴って訪れた。
一つにはこれまでの彼が軍務にかまけて息子の面倒を妻に任せきっており、妻の死によって親としての義務感を目覚めさせたこともある。
また過保護で愛情過多なところがあった母に対し些か甘えが過ぎていた息子が、涙の一粒も流さずその死に耐えている事を不憫に感じたからでもあった。
ヴァリエール家では公爵夫妻をはじめ、常には厳しい態度をとるエレオノールも、勿論カトレアも彼を気遣い、労わってくれた。
だがルイズは違った。ワルドを見て泣き、両親や姉に叱られても泣くのを止めなかった。ワルドがいる間は決して泣きやまなかったので、ついにはワルドの前に顔を見せないよう部屋に閉じ込められてしまった。
公爵は娘の無作法を詫び、ワルドは礼儀正しくそれを受け入れた。一見すると少し心を沈ませているようにしか見えない憂鬱そうな無表情で。
その変わらぬ無表情は父親の気分をも沈みこませるのに充分であった。彼の息子は妻の死以来その無表情を崩した事がなかったからである。母の死はこの14歳の少年に無表情の仮面を被りつづけなければ耐えられないような悲しみを与え続けているのだと思った。
だが実のところ父親はワルドの内面を見誤っていた。彼は母親を失った悲しみに耐えていた訳ではない。それは単に悲しいという感情すら湧いてこないほど巨大な虚ろな穴が、彼の胸の内にぽっかりと空いていたからに他ならなかった。
だがルイズの涙が、母親の死によって生じた心の空隙を、流した涙の粒ほどは埋めてくれたらしい。
その夜、ワルドはベッドの中で一人泣いた。母が死んで以来初めてその死に涙することが出来た。
その時の彼にはルイズの涙が自分にどう言う影響を与えたかまではわからなかったが、ただ母親のためにようやく涙を流せたと言う事がこの上なく重要であった。そして理由は分からないながらも、そのきっかけになったルイズを以前とは少しだけ違う目で見るようになった。

二度目の変化が起きたのはワルドの父親が戦死する少し前、ルイズに魔法の才能がないとはっきりした頃だった。誰も来ない忘れ去られた中庭、その池に浮かぶボートの中でひっそり泣いていた彼女の姿を、ワルドは今でも鮮明に思い出すことができる。
あの頃、ヴァリエールの家中にルイズの味方は次姉のカトレアだけだったと言っていい。内心はどうあれ父も、母も、長姉も彼女に対して厳しい態度を崩すことは無かった。
だからせめて自分は。
常に側にいることは出来なくても、その場にいるときだけは必ず彼女に味方し、守ってやろうと思った。
それがワルドにとってのルイズが、“ただの結婚相手”からそれ以上の何かに変化した瞬間だった。

あるいは彼はルイズに母親を欲していたのかもしれない。
それは彼にとって自分をけして裏切らず、無条件で受け入れてくれる存在であり、どのような事があっても、自分を許容し、抱擁してくれる誰かである。
母の愛を年下の少女から得ようというのは矛盾していると思えるかもしれない。
しかし母親の愛を求める人間が、誰かを絶対的に支配し彼女から無条件に捧げられる愛情を得る事によって、母から得ていた無償の愛を代替しようと考えるのは実はさほど不思議なことではない。
彼らが求めているのは無条件かつ無償の愛であり、確たる個を持たない存在を支配してその愛情を自分一人に向けさせようとするのは、倫理的にはともかく無条件の愛を得る手段としては理に適っていると言える。
更に穿った見方をするならば、ルイズに対する庇護欲や守ってやろうという決意も、ルイズを保護が必要な弱者として自身の下に置く事で、彼女からの献身を受ける正当性を補強しようした側面があったのかもしれない。
いずれにせよ、それら自体はいずれも決して奇異な心の働きではない。
親しい者を失った人間は再び親しい誰かを失う事に敏感になるし、好意を持った人間に対する支配欲、独占欲も程度の差はあれ全ての人間が持っている。
愛情過多に育てられた人間は成長しても過多な愛情を求めるし、親以外の人間にそうした無償の愛を求めるならば、おおむね絶対的な服従か依存か、それに近い形でしか得ることは出来ない(それが双方向の物であればおしどり夫婦などと呼ばれるかもしれない)。
ただ、それが社会通念上許される範囲からわずかにはみ出してしまった。それだけのことであった。
無論この時まだ未熟な少年であったワルドが悪いわけではない。母親が息子に対して愛情過多だったからと言って、また若くして死んでしまったからといって、彼に(後者については母親にも)責められるべき謂れは何も無い。
だがそう育てられてしまったのは彼自身と周囲の人間にとって不幸だったろうし、長ずるに至ってもそれを自覚し理性で抑える術を見出せなかったのは彼の不運であると同時に半ばは彼自身の責任でもあったろう。

そして父が死んで爵位を継ぎ、ワルドは領地を出て軍に入った。
入隊したばかりの頃のワルドには青雲の志があった。その頃の彼にとって世界はごく単純に出来ており、貴族は名誉を保ち、領地を治め、王に忠誠を尽くしさえすればそれで良かった。
戦死した父の後を継いで軍人として立身出世し、爵位持ちの貴族ではあるがさして裕福でも名門でも無いワルド子爵家の名を上げ、そして堂々とルイズを妻に迎え末永く幸せな家庭を築く。そんな牧歌的とも言える夢を抱いていたのだ。
彼のもう一つの不幸はなまじ父親が高潔な軍人貴族であり、仕事の話を家庭に持ち込まない昔かたぎの人物だった事だろう。理想と現実との乖離を実際に目の当たりにするまで、彼がそれに気づくことは無かったし、気付いた時には既に後戻りできない所まで来てしまっていた。
実力ではなく家門で出世する軍人達。コネと賄賂、不正と癒着がまかり通る閉鎖社会。精鋭である魔法衛士隊はさすがにそうでもなかったものの、それでもそうした腐敗と無縁とは言えなかった。
宮廷や官僚組織はさらに酷かった。かつて無邪気に抱いていた敬愛や尊崇は憎悪と軽蔑となり、怒りが絶望にとって変わった。抱いていた理想と夢は、ゆっくりとではあるが変質していく事を余儀なくされた。
だがそれでも彼は持ち前の真面目さともう一つの理由から任務を放り出す事は無く、その努力と才能とで戦功を上げ、昇進していった。
しかし職務への精励をマザリーニ枢機卿に認められその引き立てを受けたことですら、当時の彼にはもはや何らの感慨ももたらさなかったのである。
彼は力が欲しかった。この腐った宮廷と官僚と軍。否、トリステインそのものを変える力が。彼にとって、既に立身出世はその力を得るための手段に変わっていた。
力を得るためにもがき戦う日々の中、かつて護ることを誓った少女は、いつの間にか遠き日の幻となり。
そしてグリフォン隊の隊長を任されるまでになった頃、彼に『レコン・キスタ』が接触してきた。
世を憂える志高き貴族たちの力を結集して現在の腐敗した国家を一掃し、ハルケギニアを統一して聖地をエルフどもから奪い返す。レコン・キスタの使者が語った理想に、ワルドは魅せられた。
現実を目の当たりにし、そのありさまに絶望してなお彼は純粋であり、また若かった。あの理想や大義や偉業と言った、よく理解できない大きなものに身を任せる誘惑――或いは人はそれを野心とも言う――に、ついに彼は抗し得なかったのである。
レコン・キスタが『牙の教徒』によって生み出された組織だということすら問題にはならなかった。どの道ロマリアとて腐っているのだ、より純粋な始祖の教えに回帰するのならばそれも悪くは無い。
レコン・キスタの一員となったワルドは今まで以上に職務に打ち込んだ。領地にも帰らず、ただひたすらに来る日を待ち、忠実にして有能なトリステイン貴族の鑑と言う仮面を被りつづけた。

そして二年後。
『トリステイン魔法学院に在学中の公爵家三女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールを監視し、可能ならば取り込むべし』
レコン・キスタから下った命令を見たとき、10年間殆ど思い出すことも無かった遠き日の情景が、ワルドの記憶の片隅から鮮やかに甦った。
力を追い求める日々の中、忘れ去っていた少女の面影は、それでも消えずに心のどこかで息づいていたらしい。
渡された指令書には魔法が使えず『ゼロ』と呼ばれている彼女が、使い魔召喚の儀式で人間を呼び出したこと、そしてその使い魔が伝説の虚無の使い魔ガンダールヴであり、彼女は『虚無』の系統の使い手であるらしいこと。
同じく人間を使い魔として呼び出したその級友二人についても『虚無』の可能性ありとして監視を行うこと、但しこちらの二人、特にタバサを名乗る少女に対しては気づかれないことを最優先として直接的な活動は最小限に止めること、等などが記されていた。

即日、奇妙な胸の高鳴りとともにワルドはルイズの監視を始めた。
「ユビキタス」で生み出した遍在を「フェイス・チェンジ」で変装させ、学院に潜りこませる。
遍在の目で十年ぶりのその姿を捉えたとき、ぞくり、とワルドの体は震えた。
かつてボートの上で泣いていた小さな女の子は気品に溢れた少女に成長していた。魔法が使えず『ゼロ』と蔑まれながらも昂然と頭をもたげて前を見据えるその姿。それでいて不安定なそのありよう。
ワルドが貴族たる者かくあれかしと思っていた気高さと誇り、そしてそれらと裏腹の劣等感と脆さ。
その危ういまでのバランスを見出したとき、こらえようの無いほどの快感が体の芯をとろかす衝撃となって彼の背筋を駆け上った。
強く、そして脆い心を持つ少女。それがひとたび誰かに依存すれば、それは強さと気高さと絶対的な献身、そして力を合わせ持った、理想的な伴侶となるはずだ。
私にあっては無償の愛情を注ぐ母として彼の心を満たし、公にあっては伝説の虚無の担い手として彼の野心を成就する手助けとなってくれる事だろう・・・・
その為には彼女を護らねばならぬ。あらゆる外敵から彼女を護り、彼女が自分に頼り切るようにせねばならぬ。
そうして心を掴んでおけば、やがて彼女がその力に目覚めた後も自分への愛がかげりを見せる事はあるまい。
ワルドの中にある力への欲求と、遠き日の誓いが一つになった瞬間であった。

だが、それを実現させるには一つだけ障害があった。
他でもない、ルイズの召喚した使い魔の少年、ショウである。
当初、ワルドは十三歳の少年一人など歯牙にもかけていなかった。気にするとすればタバサという少女が召喚したエルフであり、その先住魔法である。
ショウはラインクラスの火の魔法が使えるとは言え所詮は剣士、風のスクウェアにして魔法衛士隊隊長を務めるワルドの敵ではない。
実力差を見せつけて屈服させた後、許婚と言うアドバンテージを最大限に活用してゆっくりとルイズの心を掴んでいけばいいと、そう思っていた。
その思惑にひびが入ったのは監視をはじめて一週間ほど、ルイズ達がラグドリアン湖へ精霊の涙を調達しに行った時のことだった。
エルフの使い魔が用いた魔法の強大さは予想する所だったが、斬撃が10メイル近い間合で「飛ぶ」――全くもって妙な表現だが他に言いようがない――と言うのはワルドの常識をひっくり返すのに充分だった。
それまでに収集した情報の中にきゃつらの故郷では剣士とメイジの地位が対等だと言う信じがたい話があったが、これを見せられては納得せざるを得なかった。
もっともこの時点でもワルドはショウを一個の敵として認めてはいたにしろ、戦えば勝つと言う自信は微塵も揺らいでいなかった。
しかしモット伯邸での戦いで彼の自信は脆くも崩壊することになる。
本来あの儀式にはワルド自身も参加しているはずだった。ツェルプストーの娘の持つ『召喚の書』を奪った時点で一悶着あるのは予想していたので非難を浴びつつも傍観に徹したが、結果的には正解だったと言える。
グラモン元帥の四男坊が殴りこんできた時はその健闘を称え、レコン・キスタの同志であるはずのモット伯の不甲斐なさを嘲笑う余裕もあったが、ショウの見せた剣技――あれを『剣技』などと称していいものなら――を見た時にそんな余裕は消し飛んだ。
身長5メイルの巨人の肉と骨をすり潰し、一陣の血風に変えたあの竜巻。“烈風”カリンのカッター・トルネードですらあれだけの威力を出せるだろうか。まして今なお自分は彼女に及ばないのだ。

勝てない。
繰り返しになるが、それが冷静な戦士としてのワルドが出した結論だった。
だがそれを認めることは自分がルイズにとって不要な存在だと認めるに等しい。
彼女の唯一無二の庇護者は他の誰でもなく、この自分でなくてはいけない。彼女の世界に自分以外の誰かは必要無い。ルイズは守られなくてはいけないのだ、このジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドの手によって!
だがあの憎むべき虚無の使い魔ガンダールヴはそんなワルドの思惑を木っ端微塵に打ち砕いた。
ルイズの心を全面的に手に入れるには彼女の守護者としての地位を確立し、自分に、自分だけに依存させなくてはならない。
その意味では友人も邪魔だったがそちらはまだしも看過しうる。
だがショウは、あの使い魔の小僧は存在する限りルイズの心をワルドに依存させきることは出来ないであろうし、それどころかこの三週間ほどの間にルイズはむしろショウに依存し始めているようにワルドには見えた。

例えば最初にワルドが憤慨したのは使い魔がルイズと同じ部屋で寝ていると言う事だった。当然同衾などするわけでもないが、それでも腹が立つのは変わらない。
教師を装って詰問してみた所、「使い魔であって男ではない」という答えが返って来たのでその時は見過ごしてしまったのをワルドは後に悔んだ。

数日後、馬鹿な貴族の小娘が恋人に惚れ薬を飲ませて、肝心の恋人が自分ではなくルイズの使い魔に恋してしまったとき、ルイズが使い魔を助けたことがあった。
ショウが素直に礼を述べたのに対し、ルイズが頬を赤くして視線を逸らせたのは二階席から様子を伺っていたワルドにとって衝撃であった。
只の使い魔にそんな態度をとる必要がどこにあるか、と憤慨する。歯軋りしている自分にワルドは気付いていなかった。

モット伯の屋敷。
とち狂ったモット伯がルイズ達を殺そうとしたのを使い魔が防いだのはいい。だが使い魔の剣技以上にルイズが使い魔のために涙を流した事に、ワルドは強烈な嫉妬を覚えた。
本来ならばあそこでルイズにすがり付かれているのは彼自身であったはずなのに、と。
その後で土くれのフーケに妹の事をちらつかせて協力を迫ったのも、ある意味では八つ当たりのような物であった。

その翌日。
朝食の席でルイズが使ったナプキンをとって、ショウが口元と手に付いた油をぬぐった。
その日、変装したワルドの遍在がメインディッシュの肉料理を何度も何度もフォークで突き刺していたが、それが目撃されて密かに噂になったのを彼は知らない。

さらにその翌日。
ルイズが部屋に鍵をかけ、ショウのベッドでこっそりゴロゴロ転がっているのを目撃してしまった。
ひどく、負けた気がした。

そして数日前、トリスタニアの武器屋に入ったルイズ達の会話に風の魔法で聞き耳を立てていると、

『つくづくあんたはご主人様への敬愛って物が足りないわね』
『だから敬愛されるような主になってみろといっている』
『顔は可愛いくせに本当唐変木ね!』
『顔は関係ないだろう! 大体貴様みたいな可愛げのカケラも無い女が言う事か!』
『このむっつり顔面神経痛!』
『頭の中まで桃色女!』
『スットコドッコイ!』
『チビ女!』
『童顔!』

余人ならば子供じみた口げんかに呆れるところだろうが、ワルドは違った。
ルイズとこれだけ屈託なく会話できることがひたすら羨ましかった。

他にもさまざまな事があった。
二人で遠乗りに出かけ、あまつさえ帰りは相乗りしていた。馬が潰れたわけでもないのに許せない。
課題を解いていてルイズが昼食に遅れ、付き合ったショウと二人きりの食事になった。会話しながら笑っていた。自分はこうしてルイズの声を聞くだけで精一杯なのに許せない。
ルイズが寝言でショウの名前を呼んだ事があった。自分の名前は呼ばないのに。許せない。
ショウが寝乱れたルイズに布団を掛けてやった事があった。あの使い魔がルイズの世話をするなんて許せない。
宿屋では熱を計るためにルイズの額に手を当てた。その行為もそうだがルイズが真っ赤になった。許せない。
その後酔ったルイズを抱き上げてベッドまで運んだ。絶対許せない。

何もかも悔しく、歯がゆかった。あの使い魔は彼が占めるべき位置を無自覚の内に奪いつつあると言うのに、ワルドはそれに対して何の手も打てないのだ。
遍在を使った工作ならまだしも、魔法衛士隊の隊長であるワルドが本人としてルイズに接触するには休暇を取るそれ相応の理由なり機会なりが必要になる。手紙という手もあったが、それでどれほどルイズに己を印象付けられるか、ワルドには自信がない。
つまりルイズを篭絡するための情の面においても、依存させるための力の面においても、明らかにワルドはショウの後塵を拝しており、しかもそれを挽回する手段を持たなかった。
この時点で、ワルドの脳裏からレコン・キスタの指令の事は綺麗に消えている。ワルドにとってレコンキスタはあくまで利用している存在に過ぎず、彼にとって最優先されるべきは自分がルイズを手に入れることなのだ。
もし、ワルドに質量共に豊富な人生経験、特に男女のそれがあればまだしも違っていたのだろうが、残念ながらワルドは腕は立ってもごく狭い世界で育ち、一つの目的だけのために生きてきた人間だった。
無力感が身を苛む。ガラスの窓越しに状況を眺めさせられているような物だ。様子は手に取るようにわかっても、決して触れることはできない。
何かが必要だった。劇的に状況をひっくり返す何かが。
ゆっくりと、俯いていたワルドの視線が上がる。
その静かな熱を孕んだ視線の先にあるのは、厳重な錠が下ろされた黒檀の箱。その中には黒い革でそっけなく装丁された書物・・・『召喚の書』が存在するはずであった。

――この時、ショウの謀殺と言う考えが脳裏に浮かばなかったのはルイズという聖域に対する甘さゆえか、それとも単なる思考の硬直か。
いずれにせよ、汚泥と濁流を泳ぎ渡った10年間を経ても、かつて純真だった青年は未だ非情の謀略家に徹し切れてはいないようであった。
だが最初は純粋な庇護欲であり、広い意味では間違いなく愛情と呼べたそれがやがて捻じ曲がり、ついには全くの別物になってしまっていることには、彼はまだ気付いていない。
彼にとってはむしろそれは幸いだったろう。それに気付いた瞬間、彼の全ては崩壊するのだから。



「いや、本当に危ない所だったみたいだね。助かったよ、ありがとう」

深々とシエスタの父が頭を下げた。
幸いアニエスも手加減していたらしく、念のためにリリスがかけた最弱の回復呪文、封傷(ディオス)だけで今はもうアザ一つ残っていない。
シエスタの曽祖父と曽祖母が残した武具と呪文書を奪おうとしたアニエスを阻止し、ショウが自力で「蘇生」してすぐ。
シエスタの父は曽祖父と曽祖母が作ったという寺院――それは明らかにショウの故郷であるホウライの寺院の面影を止めていた――で気絶している所を発見された。
旅人を装って訪ねてきたアニエスを寺院に案内し、二人の武具や呪文書の説明をしていたところ、いきなり後ろから首筋を強打されたらしい。

「いや、大切なじいさんばあさんの形見を盗られないで本当に良かった。遺言のこともあるしな」
「遺言?」
「ひいおばあちゃんが言い残したんですよ。必要になったら売ってお金に換えてもいいけど、できたら呪文書や墓碑を読めて、これを使いこなせる人達に譲ってあげて欲しいって。ひょっとしたらショウさんがその人なのかもしれないと思うんです」

首をかしげたキュルケに答えたのはシエスタであった。
その言葉にシエスタの父とショウ達がそれぞれ別の意味で目を見張る。

「シエスタ、それは本当かい!?」
「本当に私たちが貰っちゃっていいの!?」

二つの声が同時に上がった。
シエスタの父は純粋な驚きの、そしてリリスは好奇心に満ちた喜びの叫び。

「リリスさんとヤンさんはショウさんと同郷なんですよね。だったらお二人にも権利がありますね」
「ねえ、その墓碑ってどこなの?」
「すぐそこ、寺院の脇ですよ」

ぞろぞろと、全員で連れ立って二人の墓の前に移動する。
一抱えほどありそうな自然石に名を刻んだだけの、質素な墓である。

「ええと・・ホウライの名前かしら? 私には読めないわ」
「俺も」
「ああ、間違いなくホウライの字だ。俺の時代か、そうでなくても割合近くの時代だろうな」

墓碑に目を走らせたショウの、次の言葉を待って一同が静まり返る。

「ホウライの戦士テツ 司教リィナ ここに眠る」

淡々と墓碑を読み上げるショウの声だけが、その場に響いた。





   第六話 『天使』





そして今一行はシエスタの家に戻ってきている。
アニエスは縛って取りあえず納屋に。武具は寺院に戻しておいた。
遅めの昼食をショウ達と共にしたシエスタの父親は上機嫌だった。

「いやぁ、ようやくじいさんばあさんの遺言を果せるってもんですわ!」

昼間にもかかわらず妻に酒を頼み(当然ながらこれは却下された)、ショウやヤンの肩を嬉しそうに何度も叩き、シエスタ達家族も目を丸くしている。

「いやぁ、私がまだ小さい頃にじいさんばあさんにあの武具を使いたいと駄々をこねたことがありましてね。やっぱり男の子ですから英雄とかそういう話には憧れるんですよ」
「へぇ」

彼女にとっても初耳だったらしく、シエスタは意外そうな表情で父親を見ていた。
一方ショウは苦笑していたが、これにはヤンとシエスタの弟たち、加えてこっそりタバサもコクコクと頷いている。それに気付いた親友が妙なものを見る目で彼女を見ていたが、それはさておき。

「じいさんに剣の初歩を習ったりもしたんですが、結局使うどころか剣を振り回すことすら出来なくてねえ。悔しくて泣いていたらばあさんが教えてくれたんですよ。あの武具は選ばれた人間にしか扱うことが出来ないんだってね。
 えーと、何と言ったかな? 守る者とか番人とか、そんな感じの言葉でしたが」
「守るべき者(ガーディアンズ)」

ぽつり、とリリスが呟いた。

「そうそう、それそれ!」

得心してぽんと手を叩く父親とは対照的に、リリスの顔はむしろ物憂げだった。

「・・・・リリス?」

タバサが視線を向けたその横顔には、複雑な表情が浮かんでいる。

「どうしたのよ、リリス?」

そこでキュルケと、他の面々も気付いた。
諦めたような苦笑いを浮かべ、リリスが首を振る。

「ううん、なんでもないわ。ただひょっとしたら、運命じゃないかなって思っただけ」
「何よ運命って。私とダーリンの出会いのこと?」

ぎゅ、と己の乳房を強調するようにキュルケがヤンの腕を抱え込む。慣れ親しんだ感触ではあるが、それでも鼻の下が伸びてしまうのは男の性か。
テーブルの端ではシエスタの母が息子たちを捕まえて、おまえ達はああなるんじゃないよと真剣な顔で諭していた。
それを横目で眺めつつ、リリスが呟く。

「違うわよ・・・いや、ひょっとしたらそれもそうなのかもね」

その声には常の快活な彼女には無い、重い響きが混じっていた。


「で、どういうことなのよ?」

一同を代表してキュルケが尋ねた。先のリリスの発言からやや時を置き、一行は客間に移っている。シエスタは弟や妹たちの相手、父親は野良仕事、母親は晩の仕度で台所におり、今この場には一行しかいない。

「そうね、何から話したものか・・・タバサ、キュルケ、ルイズ。『古きもの』って言葉は覚えてる?」
「えーと、なんだっけ?」
「馬鹿ねツェルプストー。あの変態伯爵の屋敷で殺されかけたじゃないの。あの紫色の巨人の事よ、始祖ブリミルが操っていたって言う」
「あれはポイゾンジャイアント。正史にはその存在は記されていないけど、昔書物で読んだ事がある。
 付け加えるならば、湖で戦ったゴーゴンやキメラはその時封印を免れた極僅かな『古き者ども』の生き残り。吸血鬼やトロル鬼、オーク鬼、オグル鬼、ミノタウロスなども古き者どもの生き残りではないかとする説もある。
 でも、一つ気になることがある。その書物ではかつて跳梁跋扈していた『古き者ども』を封印して人が安心して暮らせるようにしたのがブリミルだとあった」

昨日より明日に生きる女キュルケを呆れた目で眺めつつ、ルイズが思い出させ、タバサがそれを補足する。

「ふぅん、こっちの世界にもヴァンパイアっているのねー」

リリスが何かを懐かしむような表情になった。古い知人を思い出しているようだ、と何とはなしにタバサは思う。

「始祖ブリミルについてはさておき、古き者どもというのは簡単に言えば人外の存在ね。でもその中でも実は二種類に別れるのよ。
 一つは竜とかキメラとか巨人とか、通常の生き物ではあるけれども普通のそれをはるかに上回る、或いは毒や石化などの危険な能力を有しているタイプ。
 実はヴァンパイアみたいな不死の怪物もこれに含まれるわ。不死族(アンデッド)を生かしているのは生命力ではなくて闇の魔力だという違いはあるけれども、それでもある種の生き物には違いないのよ」

ここでリリスは一端言葉を切り、一同を見渡した。
全員が理解度の差はあれ真剣に話を聞いているのを確認し、再び口を開く。

「正直こいつらは危険だけれども、それでも元々この世界に棲息していた存在よ。人里離れた場所に棲むとか、互いのテリトリーを侵さないようにすれば共存もできるわ。
 でも、そうじゃない奴らもいる。それがもう一つの古き者――そうね、生物ではない『異形の者』とでも呼ぶべきかしら。端的に言えば悪魔族(デーモン)ね。他にも天使族(エンジェル)と言うのもいるわ」

え? と複数声が上がった。

「天使って・・・あの天使よね。背中に羽根が生えてる」
「そうよ。かつては本物の神の使いだったのか、それとも私たちの考える神の使いの姿を装っているのかは分からないけど、見かけは本当に天使そのものよ。羽根が生えている人間の姿で光っていて。
 その本質は悪魔族とは確かに対極に位置するけど、ある一点では全く同じなの」
「・・・その、一点って?」

静まり返った一行を代表するかのようにルイズが問うた。
僅かに間を置き、リリスが口を開く。

「人を食料にすることよ」

その言葉の内容とリリスの鋭い瞳は他の五人に息を呑ませるのに充分な物であった。
沈黙してしまった彼等をよそに、リリスが淡々と言葉を続ける。

「人間を食料にするといっても頭から丸かじりするわけじゃなくて、人間の持つ『活力』――生きる力と言ったらいいかな――を喰らうの。
 人間は異形の者どもに比べるととても弱くて不完全な存在よ。天使や悪魔といった異形の者は寿命を持たないし、例え滅ぼされても充分な力を蓄えれば復活できる。対して人間は歳をとって死ぬし、蘇生魔法があっても消失(ロスト)すればもう甦らない。
 だけど、それだけに個体の強さではない別の武器を持っているわ。例えば人間は死んでも魂が転生する。転生した魂はかつての記憶や能力を失うけれども、別の生を生き、経験する事で魂そのものの成長を促すの。
 それは単一の生を永劫に繰り返しつづける異形の者たちには無い「変化」という強力な武器だわ。
 そして種としての人間、もっと言えばあらゆる生き物が持っている、環境に適応し生き抜くための力。変化の源。それが『活力』なの。
 悪魔も天使も元はといえば異界の存在。この世界で存在を維持し、力を振るう為には私たちの持っている『活力』が必要不可欠なの。
 奴等にしてみればこの世界は、沢山のエサが溢れている漁場みたいな物なんでしょうね。実際天使族はかつては神の眷属として人の信仰を集め、その活力を貪っていたのよ」
「なるほど・・・言ってみれば寄生虫ですか、やつらは」
「その通り」

怒りを滲ませたショウの呟きに、リリスが頷く。
外からは小鳥の声、台所から調理の音が洩れ聞こえてくるこのうららかな昼下がり、この居間は全く別の空気が満ちていた。
その緊張感の中、さらにリリスが言葉を続ける。

「幸いな事に、神から『魔除け』を授かった一人の勇者によって古き者は封印されたわ。そして異形の者――悪魔や天使と言った者たちは異界に追放されたの。
 でも魔除けの封印も絶対ではないのよ。奴らは時折、世界の壁を越えてこの世界に現れるの。再びこの世界を自分たちの物にするために。
 でもそれを阻む力もちゃんと存在する。それが『魔除け』であり、様々な伝説の武具であり、それを扱う人間――すなわち『守るべき者』、あるいは『守護者(ガーディアンズ)』なのよ。
 でも古き者どもと違って『守護者』はあくまでも人間。殺されれば死ぬし、歳を取っても死ぬ。その代り、何度でも転生し、異形の者がこの世界に現れるたびに戦うの」

ふう、と息を突き、水差しから木のコップに注いだ水を一息で飲み干す。

「で、なんで私がそんな事を知っているかと言うと、ワードナを倒して“真の”『魔除け』を取り戻したからよ」
「え? でも魔除けって沢山あって、ワードナを倒した人も沢山いて」
「だから“真の”『魔除け』なのよ。そこは今から説明するわ」

そこからリリスが語り始めた物語はさらに信じがたい物だった。
そもそも上古『魔除け』を勇者に与えた神とは『人』、つまり人間、エルフ、ドワーフ、ノーム、ホビット等彼らの世界に存在する人型諸種族全ての無意識の集合体、総和であり、『魔除け』はその力の収束する特異点であったと言う。
この集合無意識は『人』の進化を望んでおり、その為に様々な影響をこの世界に及ぼしてきた。
ある時この集合無意識が急速な進化を望むそれと、緩やかな進化を望むそれの二つに分かれる。そして前者が人の進化を促すべく解き放ったのが『古き者』であり、それを封印すべく後者が生み出したのが『魔除け』である。
トレボーは優秀な『人』、即ち『守護者』の血筋を数千年にわたって掛け合わせた末に生まれた一つの究極であった(余談だがこの世界では人の五種族はそれぞれ混血が可能である)。
そしてワードナとは、暴走して窮地に立たされたトレボーを救うと同時にその『魔除け』を奪い、迷宮の『古き者』と冒険者を戦わせる事で人の進化を促すための傀儡だったのだ。
だがトレボーはワードナの正体を見抜き、さらにはそれを操る集合無意識さえ吸収して、以降数十年に渡り迷宮で冒険者たちを弄び続けた。
そしてヤンのいた時代の数年後、リリス達の(正確に言えばリリスが死んで融合した双子の姉の)パーティがトレボーと戦ってこれを倒し、集合無意識が再び一つとなって分裂して以来乱れていた時の流れは正された。
リリスと姉は『巫女』と呼ばれる存在であり、『魔除け』に宿る集合無意識とリンクし、その知識を一部受け継ぐ事によってこれらの事情を知り、仲間とともにトレボーを倒したのである。

「に、にわかにはちょっと信じがたいわね・・・」
「まぁね。喋ってる当人もそう思うわよ」

相槌を打つルイズの言葉にも力が無い。スケールの大きすぎる話をどう飲み込んでいいのか分からないようであった。

「話は戻るけど、つまりそういう世界の危機に立ち向かうべき人材が『守護者』なのよ。つまり私も『守護者』の一員。そしてシエスタのひいおじいさんとひいおばあさんも恐らくそう。
 二人の使っていた武器や甲冑はいわゆる「伝説の武具」なんでしょうね。例えば伝説のダイヤモンドの騎士の武具みたいな。そう言った武具は『守護者』の血と魂を受け継ぐ者にしか扱えないのよ。
 だから、私は逆接的にショウやヤン、ううん、ひょっとしたら私たちをこの世界に呼び込んだタバサやキュルケ、ルイズも『守護者』なのかもしれないと思うの」
「ちょ、ちょっとまって下さいよ!?」

とんでもない事を言われて、目を白黒させたのはヤンであった。

「ショウ君とかリリスさんならそんな凄い人かもしれないってのもわかりますけど、俺ただの戦士(ファイター)ですよ? しかも10レベルにすら達してないし!」
「分からないわよ? 単に今はまだ未熟なだけかもしれないし。私だって、最初は田舎から出てきた小娘に過ぎなかったわ」
「うーん」
「それにね」

と、リリスはいたずらっぽい顔をして微笑んだ。

「『守護者』も、最初から『守護者』であった訳ではないと思うのよ。彼等も最初は他の人間より少し強いだけだったんじゃないかしら。何度も転生を繰り返し、戦っては自分と魂を鍛え続ける事で『守護者』たる資格を手に入れたんじゃないかと思うの。
 だから、あなたがそうでなかったとしてもこれからその資格を得られないという話にはならないと思うわ」
「う〜〜〜ん」

難しい顔で唸るヤンを無言で励ますキュルケに視線を和ませつつ、いたずらっぽい顔はそのままにリリスが言葉を続けた。

「それにあなたは戦士でしょ。なら成長が早いのが取り得じゃない? こっちに来たばかりの頃より腕を上げているわけだし、このままの調子なら私やショウを追い越す事だって有り得るんじゃないの?」
「まぁ、理屈の上では」

照れながら、また苦笑しながらヤンが首肯する。

「大丈夫、あなたが『ただの戦士』なんかじゃない事はこの私が保証するわ!」
「そ、そうですか? でもマスターレベルの人に保証して貰えるならちょっと自信もつくかな」

今度は照れつつも、案外満更でもなさそうにヤンが笑みを浮かべたところで、リリスの笑みが人の悪いものに変化する。

「こっちに来る前のも合わせれば59回連続蘇生成功記録を保持してるあなただもの、あらゆる意味で普通であるわけがないわ!」
「・・・いやそういう保証されても全然嬉しくないんですが」
「まあ、そりゃそれだけ死んでるって事でもあるわけだしね」
「悪かったですね」

一転してぶすっとした表情に変わってヤンがふて腐れた。

「それはしょうがない。ヤンだし」
「ヤンさんですからねぇ」
「ヤンじゃしょうがないわよね」
「否定はできないけど酷いわねみんな」
「やっぱりみんなそういう認識なんだね・・・」

異口同音に賛同され、さすがにちょっと泣きが入るヤンである。
キュルケからの慰めるような視線がむしろ痛かった。

「まぁ、何にせよ個性があるのはいいことじゃない?」

死んでもすぐ生き返るのが俺の個性ですか、と思わず反論しようとしてヤンはギリギリでこらえる。一斉に頷かれそうだったからだ。
ヤンは、空気の読める男であった。

 

「さて、気を取り直しまして!」

沈んだ空気を変えようとして、リリスが努めて明るく声を張り上げた。
テーブルに突っ伏して涙で首刎ねウサギの絵を描いている誰かさんをズンドコに突き落したのがそもそも誰か、と言う点はこの際さておく。

「じゃーん」
「あれ、シエスタのひいおばあさんの呪文書?」
「ふふふ、これだけちょっと一足先に借りてきたのよー」

呪文書自体はホウライの物らしく、羊皮紙やハルケギニア風の紙ではなく、ホウライ独特の紙を背中で糊付けして糸で綴り合せた、別の世界なら和綴じと呼ばれる類の書物、あるいは雑記帳である。
おもむろにリリスが表紙をめくり、記述に目を走らせる。

「ふむ、ふむふむふむ」

頷きながらリリスはさらにページをめくる。
ようやく立ち直ったヤンはそれをちらりと覗き見て、理解する努力を一秒で放棄した。

「さすが司教。そんな訳の判らない文字よく読めますね」
「読めないわよ? ただ目で追ってるだけ」

ちっちっち、と指を振って何故か得意げにリリスが言う。

「・・・何の意味があるんですか、それ?」
「いや、ねぇ。ちょっと場が重くなってたから和ませようかなぁ、なんて・・・あー、ごめん、ショウ君お願い」

冷たい視線の集中砲火を受け、リリスが珍しく素直に謝った。
どう反応していいかわからない、と言った表情でショウが呪文書を受取り、気を取り直してページをめくる。
記述に用いられていたのはやはりホウライの言葉であった。ショウの慣れ親しんだものとはやや異なるが、それでも読み下すのに苦労はない。やはりシエスタの曽祖父母は彼とさほど遠くない時代のホウライから来たのであろう。

「この呪文書を与えてくれた我が師シェーラに感謝を。この書を開くものよ、願わくば良きことにその力を使いたまえ・・・。
 魔術師系1レベル、小炎(ハリト)。この呪文の要諦は大気の分子に魔力を持って運動の力を与え、もって火の玉となし打ち出す事にあり・・・やっぱり俺達の世界の呪文書みたいですね」
「やっぱりかぁ」

と、ややがっくりした表情でリリスが頭を垂れた。

「でもまぁ、そういうテキストがあればタバサ達に私たちの世界の呪文を教えることも可能になるかもね」
「あ、そうですね」
「え? 私たちにショウやリリスの呪文が使えるなら、ショウやリリスから直接学べばいいんじゃないの?」
「多分、リリス達の独特の呪文修得法が関係している」
「タバサご名答」

以前リリスがタバサに教えた事があったが、リリス達の世界の魔法は学ばずとも使える。
本来ならば系統魔法と同じくちゃんと勉強しなければ使う事はできないのだが、彼女たちの世界では古代の偉大な魔法使いによって学習と言う過程を飛ばして呪文を修得する方法が確立されているのだ。
まず、呪文を扱うクラスの者はクラスの修行をする過程でその潜在意識に呪文、正確に言えばその発動のプログラムを直接刷り込まれる。
そしてそれを使いこなせる力量と技術を得た時点で自動的に使用可能になるのである(これは「意識の底から呪文が浮かび上がる」と表現されている)。
この方式には呪文個々の学習や熟練に要する時間を省略でき、また自分の力量では手に負えない呪文を使って暴走させる等のリスクを回避できる利点があるが、同時にかつてリリスが語ったように修得したい呪文を自由に修得できないという欠点もある。
そしてもう一つの欠点がこうして身につけた呪文を他者に伝授することが出来ない事だった。
呪文を使う際、詠唱の速度上昇や細かなコントロールを個人的なスキルとして身につけ磨く事は可能であるし、基本的な呪文に含まれない様々な魔術・呪法を学習し修得する事も可能である。
しかしどれほどレベルを上げようとも潜在意識に刷り込まれた呪文にアレンジを加えたり、それを他者に伝授したりすることは出来ない。彼等は精神の中にある呪文の構成を流用しているだけであって、その構造を理解して使用しているわけではないからだ。
ならばその魔術師や僧侶を訓練する師匠はどうなるのかという話になるが、彼等は魔法を理論的に学習し、呪文知識を完全に理解しているその道のエキスパートであり、魔術理論の研究と理解に一生を捧げた一流の学者達でもある。
刷り込まれた呪文をわざわざ昔ながらの方法で学習しなおしている故に、それを他者に伝授できるのだ。
逆に言えば手段として魔法を実践する人間にはそのような学習に費やす時間はそうそうない。よって、例え元マスター僧侶であるリリスであっても、自らの用いる僧侶呪文を他者に伝授することは出来ない。
しかしこうした教科書があれば学習と言う手間をかけてそれを伝授することも不可能では無いだろう。それを聞いてタバサやルイズのみならず、付きあいで来ただけのキュルケすら目を輝かせ始めていた。
なんと言っても異世界の呪文の攻撃力はラグドリアン湖畔の戦いで見せてもらっている(あれで中の下レベルというのだから素晴らしい)。久々に恋以外の事柄に情熱が燃え始めたようだった。

「あれ?」
「どうしたの? ショウ」

呪文書をパラパラとめくりつづけていたショウがぽつり、と声を漏らした。
それを何とはなしにじっと見ていたルイズが首をかしげる。

「いや、この呪文書だけどな・・・俺の知らない呪文が載っているんだ」
「よしっ!」

ぐっと拳を握ったのはリリス。彼女としてはむしろこれを期待していたのである。
彼ら二人がショウのように千年も前から来たのであれば、かつて存在していた超魔法文明の遺産とは言わずとも、リリスたちの時代にはすでに失われた魔法などが記述されているかもしれない。
そのかすかな可能性に期待してここまで遠出してきた苦労は、リリスにとっては正しく報われたと言えよう。

「細かい記述は良いから、呪文のレベルと名前っぽいのだけ読み上げてって」
「分かりました。魔術師2レベル、俊敏(ポンティ)・・5レベル、召喚(ソコルディ)・・解除(パリオス)・・6レベル、凍嵐(ラダルト)・・。僧侶系4レベル、刃風(バリコ)・・5レベル、召霊(バモルディ)・・」

しばらくの間、ショウの読み上げる声とページをめくる音だけが響いた。
読み上げられる呪文の名前を聞くだけで、魔法使い達は興奮を隠し切れないようである。
タバサですら、日頃の無感情ぶりを返上してうっすらと頬を紅潮させていた。
が、その興奮を共有できない者も約一名存在する。

「なぁ、デルフリンガー。周りがみんな魔法使いだったり上級職だったりする中で、一人だけ剣を振るしか能が無いって寂しいよな」
「相棒二号もようやく俺様の気持ちがわかったようじゃねぇか。互いの気持ちを分かりあうことは友情の第一歩なんだね」
「誰が二号だよ。俺はお妾さんか?」
「しょうがねーだろ、本来一人しかいないはずの使い手が二人いる。これってデルフ的にちょっと不可解な現象なわけだよ」
「だからその使い手ってのはなんなんだよ」
「んー、思い出せね」
「この錆び刀め」
「何言ってんだよ。こう見えても俺様はすげーんだぜ?」
「どこが?」
「んー、忘れた」
「・・・・いっぺんキュルケさんに頼んで溶かして貰おうかな」
「はっはっは、まぁそのうち思い出すだろうから取りあえず今は話し相手になってやんよ」

剣にまで気遣われ、さらに凹むヤンであった。

テーブルの下でそんな会話があった事など露知らず、四人は手分けして写本を作ることに決めた。四人というのは、ヤンは勿論のことキュルケも余り役に立たなかったからである。地味な作業をやるのを面倒臭がったと言うほうが正確だが。

実の所、コルベールの口利きで遠出の許可を取ってはいるが、本来彼らはこの村に余り長居出来る身分ではない。
常には冷静なタバサや真面目なルイズでさえそれを言い出さなかったのは、やはり未知なる魔法への興味と興奮が理性と常識を吹き飛ばしていたのだろう。
ちなみにヤンだけは気付いていたし、コルベールへの「おみやげ」の約束も覚えていたのだが、彼は二つの理由でこれを口にしなかった。
一つはこの村に長逗留することになればその分ワインを楽しめる事。そしてもう一つは余りにも女性陣が興奮しているので怖くて言い出せなかったのである。

ともあれまずショウの読み上げる文章をそのままルイズとタバサとリリスが交代で書き写し、しかる後に校正をかけることにする。
もちろんショウの読み上げた文章をそのまま使ってもいいのだが、専門用語だと細かいニュアンスの違いが重大な過失を引き起こす事もあるのでそのまま用いるのは危険なのである。
いまやシエスタの実家の客間は時ならぬ勉強会の様相を呈しており、参加者はこのまま夜を徹しての作業も辞さんばかりだった。シエスタの実家が村長の家並に広くなければ、常識家のヤン辺りが止めに入っていたかも知れない。

「ここは『発動させるための要件を構成する存在』だから『発動因子』でいいんじゃないの?」
「系統魔法だと同じ言葉をもっと広い意味で使っているからちょっと不適切ね。そうね、『発動要素』とかどうかしら」
「それについては支持する。ただ、先ほどのセンテンスとの整合性を取る事も必要」
「んじゃこの"compornent"の訳語は『発動要素』ってことで。それで、その件のセンテンスの方だけど・・」

リリス、ルイズ、タバサが熱心に討論を交わしているその横で、ショウはやや手持ちぶさたにしていた。
実の所こういう学術的な話になると彼は余り役に立てない。侍はあくまで「魔法が使える戦士」であって、魔術師や司教のような専門家ではないからだ。が、テキストの原文を参照する時に彼がいないとどうしようもないので付き合わざるを得ない。
生暖かい笑顔を浮かべたヤンが向こうの部屋から手招きしているような気がしたが、首を振ってその幻を追い払う。だからといって手持ちぶさたな状況が変わるわけでもないが。
やる事がないのに待機していなければならないと言うのは結構疲れるのであった。

一方意外なことに、この作業に一番熱心かつ貢献しているのはルイズであった。
実のところルイズは座学ならタバサと互角である。
タバサのように四六時中読書をしているわけではないため、吸血鬼の生態だの韻獣だのと言った雑多で広範な知識はもっていないようだが、今日の作業を見ている限り、こと魔法理論に関してはタバサを大きく凌いでいたらしい。
リリスをさえしばしば驚かせる鋭いひらめき、今日初めて見たはずの魔法理論を的確に理解する洞察力。それを要約して系統立て、整合させる構成力。
誰もが認める天才であるタバサが、この呪文書の翻訳作業においては完全にルイズに遅れをとっている。
努力家の彼女が魔法の使えない自分を乗り越えるためにどれだけの精進を重ねてきたか、タバサもリリスもその一端を見たような気がしていた。

結局作業は夕食を挟み、夜になっても終らず、三人はリリスの唱えた恒光(ロミルワ)の呪文の光の下で翻訳作業に没頭していた。
その間シエスタの父は「娘の恩人」に秘蔵のワインを振る舞い、いい感じに出来上がったヤンとキュルケを、やや憔悴した顔で手洗いに出てきたショウが彼にしては珍しく恨みがましい目で見ていたりもしたがそれは余談だ。

夜も更け、さしもの激論も精彩を欠き始めて、ショウがあくびをしたいという衝動に駆られ始めた頃、それは起こった。
発端はヤンである。
シエスタの家族や明日も早いシエスタの父親が寝室に引っ込み、キュルケも珍しくさっさと寝てしまった後、しこたま聞こし召した彼は酔い醒ましに家の外に出た。
このとき剣を携えていったのは、役に立たない事で定評がある彼の生存本能が珍しく警告を発したのかもしれなかった。もっともその時の彼は酔いで足元がおぼつかなかったので、杖代わりに持ち出しただけかもしれない。
しかしどちらにせよ、その剣が本来の意味で役に立つ事はなかったのである。

ヤンはほろ酔い加減で鼻歌を歌いつつ、村の中をそぞろ歩いていた。もっともほろ酔いと思ってるのは当人だけで、あっちへふらふらこっちへふらふらと、傍から見れば完全無欠の酔っ払いである。
欠ける事のない双月は今宵も明るく地上を照らし、歩く分には殆ど灯りもいらない。
立木にだらしなく背を預け、ヤンはその双月を見上げる。
赤と青の双子の月。なんとまぁ遠くへ来てしまった事かと柄にもなく感慨に耽っていたとき、ヤンの耳は何かが羽ばたく音を捉えた。
酔った頭に違和感が浮かび、そして間髪を入れずそれは危険信号へと変わった。
ヤンは田舎育ちである。夜になればフクロウや蝙蝠が飛んでいるのが当たり前の環境で育った。だから、今聞いた音がフクロウ程度の翼が空気を叩く音にしては明らかに大きすぎるのが分かる。
明らかに人間大かそれ以上、ワードナの迷宮で言えばファイヤー・ドラゴンとは言わないまでも、小飛竜ワイバーンや、この前ラグドリアン湖で遭遇したキメラなどのサイズだ。
即座に思考が戦闘時のそれに切り替わる。
酔っているとは言えそれでも一般人とは比べ物にならない動きで身を翻し、剣を抜き撃とうとした所でヤンの動きは停止した。いや、停止させられた。

輝き。
まず最初に思ったのはそれだった。
赤と青の満月すら圧し、地上を照らすその輝き。
背中から生えるまばゆい純白の六枚の翼がその印象をさらに強めている。
人に似て薄絹を纏ったその姿は男とも女ともつかず、だが非常に美しい。
天使。
そう呼ばれる、御伽噺の中にしかいないはずの存在が、今ヤンの目の前で翼を羽ばたかせていた。
呆然とその姿を見上げていたヤンは、だからその口が動いていることと、かすかに聞こえる旋律めいた音がリリスやショウの用いる魔術師呪文の詠唱である事に気付かない。

"大炎(マハリト)!"

ようやくそれに気付いたのは、その唇が詠唱を終え『力ある言葉』を紡ぎ出した瞬間だった。
ほぼ同時にワードナの迷宮ではおなじみだった勢い良くドアを蹴り破る音が聞こえ、視界の隅に建物から飛び出してきたショウ達が見えた。適当に歩き回っているつもりだったが、いつの間にか一回りしてシエスタの実家に戻ってきてしまっていたらしい。
さらにショウの背後にリリスらしき金髪を視認して、ああ、そう言えばこれで丁度六十回目だっけかなどと状況にそぐわぬ呑気な事を考えつつ、ヤンは迫り来る炎の渦に飲み込まれた。




時を同じくしてシエスタの家の居間では、ショウが傍らの刀を掴み、立ち上がっている。
説明もなく外に飛び出したショウに一瞬呆気に取られたものの、次の瞬間にはリリス達も椅子を蹴飛ばして部屋から飛び出した。
廊下を駆け抜け、体当たりする勢いで扉を押し開け、外を目指す。その彼らの目の前で炎が弾けたのは、ショウが玄関から飛び出そうとしたまさにその時だった。
直径20メイル近いオレンジの炎の渦。
炎の温度が比較的低い事を示すそれは、紛れもなく魔術師系第三レベルに属する攻撃呪文、大炎(マハリト)であると知れる。
唐突にその炎が消えた。
リリス達の世界の攻撃魔法は高い威力を持つだけにその引き起こす現象もさほど長くは続かず、十秒にも満たない時間で魔法の炎は現れたときと同様速やかに消え去る。
先ほどまでヤンがよりかかっていた立木が殆ど芯まで炭化し、炭の破片と火の粉を撒き散らして根元から折れ曲がる。
焦げた地面の中心にヤンが立っていた。
剣を持った手を顔の前にかざし、炎から顔を庇うようにして。
全身から煙を上げ、服も燃えかす以上のものではなくなってはいるが、なおも立っている。
ヤンはショウや高位の侍(或いは忍者やロード)がやるように"気"で自分の身を守る事などできない。
単純に、今まで戦士として鍛え上げてきた肉体の強さがヤンを死から守ったのだ。
天使はその秀麗なかんばせに僅かに驚きを浮かべたようだった。
口を動かさず、声とも意志ともつかないものがその場に響く。

"耐えたか。人間にしてはしぶといものよ"
「・・・天使!」

それだけ言ったきり、ショウが絶句する。
さすがに、話を聞いたばかりで実物に遭遇しようとは思っていなかった。
タバサやルイズ、リリスですら概ね似たようなものだ。
生まれかけた、動きがたい空気を天使の次の一言が攪拌した。

"ふむ・・始末すべき者が纏めて出てきてくれたか"

聞き捨てならない言葉だった。
だがそれを問いただす前に、新たに空気を攪拌するものがある。
空間を揺らめかせて現れたのは新たな天使だった。放つ光輝と美しい顔立ちは同じだが、最初に現れた六枚の翼を持つ天使――熾天使(セラフ)とは明らかに異なり翼は二枚、修道僧のような質素な衣に身を包んで右手に剣を持っている。
天使の中でも特徴がないことからただ"天使(エンジェル)"と呼ばれる種族であるに違いなかった。
言い伝えによれば天使の九階位の中で最底位に位置するというが、感じるプレッシャーは最高位に位置するはずの熾天使(セラフ)とさほど異なるところはない。

"見つけたか"

新しく現れたエンジェルが、最初に現れたセラフに話し掛けたのをショウの怒鳴り声が遮った。

「貴様等! 何のつもりで俺たちを狙う!?」

二体の天使が同時にショウに視線を向けた。
虹彩の無い蛍光色の眼球に、細く縦に走る瞳らしきもの。
人に似てはいてもやはり人ではないその瞳に浮かんでいたのは殆ど無関心に近い、人が虫に対して浮かべる物に限りなく近い感情であった。

"お前たちなどどうでもよい"
"だが、お前達を放置する事は我等が召喚者の不利益になる"
"『今は』それを看過する訳にはいかぬのだ"

そう歌うように呟くと、エンジェルは短く異質な"音"を発した。
言語のようではない。
呪文でもない。
しかし、その意図したところは次の瞬間、誰の目にも明らかになった。
三たび空間が揺れ、二人目のエンジェルが姿を現したのだ。
己の迂闊さを呪いつつショウとヤンが即座に剣の鞘を払い、リリスとタバサが詠唱を始める。やはり実戦経験の差か、ルイズは一拍行動が遅れた。
そして天使たちはそれを冷やかに眺めているかと言えば、そうではなかった。

"封印され衰えたりといえども、絶対の父なる主の眷属に歯向かおうとは"
"愚かなり"
"天罰を受けるがよい"

五人が戦闘体勢をとったとき、三体は既にそれぞれ呪文の詠唱を開始していた。明らかに仲間の出現と示し合わせていたのだ。完全に先手を取られた形である。
そしてセラフの唱えているのが先ほどと同じ大炎(マハリト)であり、しかも既に唱え終わる直前であることにリリスとショウは気付く。
タバサは抜かりなく炎の呪文を相殺できる氷の呪文を詠唱していたが、間に合わない。
リリスが詠唱中の、沈黙を強いて呪文詠唱を不可能にする僧侶系2レベル呪文「静寂(モンティノ)」にしても同じであり、ショウやヤンも"気"を剣に溜める一瞬のタイムラグが無ければ空中に攻撃することはできない。
結界外での魔法攻撃である先ほどの一撃は、鍛えぬいた戦士のヤンだから耐えられたのであり、華奢なタバサやルイズに同じ事を要求するのは無理があった。いや、ヤンでも二度は耐えきれるかどうか。

間に合わないと歯噛みしながらもショウが剣尖に気を満たし、サディスティックな笑みを浮かべた熾天使が『力ある言葉(トゥルーワード)』によって呪文の力を解き放とうとした瞬間。
セラフの喉から唐突に剣が生えた。
解放されようとした力ある言葉が、喉の奥に空しく消える。
"気"を放っても間に合わないと悟ったヤンが、剣を抜くなりセラフ目掛けて力いっぱい投擲したのである。
それが熾天使の喉元に吸い込まれるように突き立ったのは技量より幸運の為さしめる技であったに違いないが、ヤンの咄嗟の判断がタバサとルイズの命を救うことになったのは間違い無いようだった。
一瞬遅れて、ショウの剣が鋭く振り抜かれ、薄い面状に走り抜けた"気"の刃は、熾天使の正中線をすり抜けて真っ向唐竹割に斬って落す。信じられないような表情を浮かべたまま綺麗に等分された天使の骸は左右のずれを大きくしながら落下していき、血煙を上げる事も無く大気に解けて消えた。

""減命(バディアル)!""

だが、そのヤンも、ショウもリリスもルイズもタバサも、同時に発せられていたエンジェル二体の呪文を防ぐ事まではできなかった。
生命力を逆転させる僧侶系4レベル呪文、減命(バディアル)を二重に受け、ひどい火傷を負ったヤンの全身から鮮血が吹きだす。ごぼり、と血を吐きながらもにやりと笑みを浮かべ、そのままヤンは倒れ伏した。
虫けら同然と侮った人間に仲間が倒され、そのままエンジェルたちは憤怒の形相を浮かべて再度呪文の詠唱を始める。
だが、仲間を倒されて憤るのはリリス達も同じ事だ。
リリスの静寂(モンティノ)が、タバサのアイス・ストームが、ルイズの爆発魔法が、雪崩を打って叩きつけられる。
まず片方のエンジェルが呼び出そうとしていた魔法の力が、詠唱を中断されて消えうせた。リリスの静寂(モンティノ)が効果を発揮したのだ。
一方もう一体のエンジェルは何事も無かったかのように詠唱を続けている。異形の者がしばしば発揮する呪文無効化能力がリリスの呪文を打ち消し、その身を守ったのである。
とは言え二体の内の一体には効いたのであるから、殆ど全ての呪文を無効化するポイゾンジャイアントなどに比べればエンジェルの持つ無効化能力はかなり劣るようではあった。
続けて、タバサのトライアングルスペル、アイス・ストームが飛ぶ。
今度は呪文を封じられなかったほうのエンジェルが無効化に失敗し、無数の氷の散弾で身体を切り裂かれる。だが人なら即死しかねないその威力も、異形の者の強靭な生命力を断つまでには至らなかった。

"人間風情が"

さらに憎憎しげに顔を歪め、詠唱を続けるエンジェル。
そこへ、とどめとなるルイズの爆発が・・・襲い掛からない。
思わず振り返ったリリスとタバサの目に、いまだ詠唱を続けるルイズの姿が映った。
問い質そうとして思わず口から出かけた言葉が止まる。一見して尋常な状態ではなかった。
殆どトランス状態といってもいい位の、忘我の境地にあることが一目で見て取れる。
だがその理由を考える暇も無く、短く洩れた苦痛の呻きが二人の意識を戦場に引き戻す。
呪文を封じられなかった方のエンジェルが放った減命(バディアル)がショウを直撃していた。
先ほどのヤンほど派手にではないものの、体のあちこちから出血し、こめかみに赤い筋を一つ、服にも赤い染みを幾つも作る。かすかにその喉元が動いたのは、吐き出しかけた血を飲み込んだのであろうか。
そしてショウが再び大きく振りかぶった時には、呪文を封じられたもう一方のエンジェルが右手の剣を刺突の形に構えて急降下してきている。

「ハァッ!」
"死ぬが良い!"

ショウの鋭い呼気と、エンジェルの殺意が交錯する。
刀を振り下ろすのと、長剣で片手の刺突を放ったのが同時。
エンジェルの剣は鎧を着ていないショウの左上腕をかすめ、浅からぬ傷を負わせる。
だがショウの剣は突進してきたエンジェルの右側の空間を薙いだに留まった。

"何!?"

エンジェルの体に触れたわけでもない。迸る気の刃が翼を断ち切った訳でもない。
ショウの攻撃は目の前のエンジェルに傷一つ負わせてはいない。
だが、それこそショウの狙いどおりであった。
ショウの刀から迸った気の刃は、いまだ空中にあるもう一人のエンジェルを捉えていたのだ。
左肩から右脇腹へ、袈裟懸けに両断されて空中のエンジェルが消滅する。
突進してきたエンジェルではなく、呪文発動能力を残しているもう一体の方を優先して討つ。実戦の場数を踏んだ剣士ならではの、冷静な判断力というべきであった。
が、その代償は意外に高くつくことになった。
エンジェルの剣に切り裂かれた左上腕から無感覚が全身に広がり、全身の筋肉が弛緩してショウは無様に倒れこんだ。
麻痺(パラライズ)・・・神経性の毒やある種の魔法的効果により引き起こされる状態で、全身の神経伝達を妨げられ筋肉が弛緩してしまう。僧侶系3レベルの治療呪文「治痺(ディアルコ)」を唱えてもらうまではいかなる怪力の持ち主であれ指一本動かせない。
そして敵の目の前で身動き一つ出来ないことがどんな結果を引き起こすか、考えてみるまでもあるまい。

歓喜に唇を歪め、エンジェルが逆手に剣を持ち替える。
無防備になったショウに止めを刺そうと言うのだ。
無論、黙って見ているリリス達ではない。ショウに当たらないように範囲を絞ったアイス・ストームがタバサの杖から迸る。リリスの口からは減命(バディアル)を大きく上回る威力を持つ僧侶系5レベルの単体攻撃呪文、大減(バディアルマ)が放たれる。
だがこのとき、エンジェルの身に備わった呪文無効化能力は最高の働きをやってのけた。ともに受ければ即死しかねない二つの呪文の効果を、連続して中和して見せたのだ。
そのまま先ほどのセラフそっくりのサディスティックな笑みを浮かべ、エンジェルの剣の切っ先がショウの背中に突き立てられた。
だが背中から胸を貫かれながら、それでもショウの身体はぴくりとも動かない。
エンジェルの剣に秘められた魔力により神経伝達そのものが阻害されているため、痛みに身をよじる事すらできないのだ。
だがさすがに鍛えぬいたマスターレベルの剣士というべきか、まだショウは生きていた。
それを見て取り、持ち手は逆手のまま、抜いた剣をもう一度エンジェルが振りかぶる。
リリスとタバサの呪文の詠唱は、当然ながらまだ終ってはいない。
タバサはショウからエンジェルを引き離すべく、最低限の詠唱で発動できるエア・ハンマーを、可能な限りの高速で詠唱していたが、それでも一瞬間に合わない。
リリスが絶望に囚われ、タバサの脳の冷静極まりない部分がショウの死を確定事項として捉え、エンジェルが再び勢い良く剣を突きたてようとした瞬間。
殆ど衝撃波に近い、腹に響く轟音とともにその上半身は大爆発を起こした。

炸裂した魔力の直接の効果範囲にいなかったにもかかわらず、爆風はリリスとタバサを吹き飛ばさんばかりの勢いで叩きつけられ、余熱が二人の体をあぶった。体術に関してもそれなり以上の物を持つ二人が、倒れないように必死で踏ん張らざるを得なかったほどだ。
エンジェルの上半身は、文字通り粉微塵に砕けて散った。
例え肉と骨の体を持っていたとしても、その一部なりとも見つけることは不可能に近かったろう。
勿論エンジェルが自ら爆発したわけがない。
たった今振り下ろした杖をだらんと右手から下げ、虚脱したような状態でショウとエンジェル――下半身だけだが――を見つめている、桃色の髪の少女がやったことに相違なかった。
上半身を消失させたまま、冗談のように膝立ちの姿勢を崩さないでいた下半身が先ほどのセラフとエンジェルの後を追うかのようにすっと存在を希薄にし、空気に溶けて消えた。

それが合図だったかのように、我に返ったリリスがショウに駆け寄った。ショウの横にしゃがみこみ、負傷と状態不全の双方を同時に治癒する僧侶系第六レベル呪文、快癒(マディ)を詠唱し始める。
一方タバサは彼女にしては珍しいことにその視線にかすかな畏れを滲ませ、まだ虚脱した表情を貼り付けたままのルイズを見やった。
今のは明らかに自分の知っているどの系統魔法とも違う。いや、そもそも彼女の爆発自体が系統魔法ではありえない事ではあるが、そのこれまでの爆発とも威力が違いすぎた。
射線を必要とせず空間の任意の一点から発生し、従って殆ど回避も防御も不可能という彼女の爆発の特性にあの破壊力が加わったならば。脳裏に走ったその想像はタバサを慄然とさせるのに充分だった。

そしてリリスも、快癒(マディ)の呪文を詠唱しながら、頭の一部で同じ事を考えている。
直接的な比較対象が存在する分、彼女の背を走った戦慄はタバサのそれを上回ったかもしれない。
爆炎(ティルトウェイト)。
魔術師系第7レベルに存在する、リリス達の世界における最強最大の攻撃呪文である。
この世界と次元の壁一枚を隔てた異空間において原子核融合を発生させ、その際に生じる熱と衝撃波だけをこちらの世界に呼び込み、効果範囲内の全てを破砕し、焼き尽くす。
放射線や放射性物質を発生させない代償としてその効果範囲や熱量は本来のそれと比して微々たるものではあるが、それでもその威力は凄まじい。
一千度を越える炎は火炎に耐性のある炎の巨人や火竜でさえ即死させ、衝撃波は人間サイズの生物ならば粉微塵にしてしまいかねないほどに凄まじい。
効果範囲は迷宮や都市を守る魔法結界の中で発動した場合ですらゆうに直径30メートルを超え、魔法結界の外で発動された場合は想像もつかない。
魔法結界外での攻撃呪文発動が認められている戦争時ですら、爆炎(ティルトウェイト)を用いるのは暗黙の禁忌なのである。
かつて家屋や都市を覆う魔法結界がまだ一般的ではなかった時代、狂った魔術師によって唱えられた爆炎の呪文が城塞都市一つを丸ごと地図から消し去ったという。
唱えた魔術師の名も消滅した城塞都市の名も知られていないこの話の真偽の程は明らかではないが、魔法結界の外で呪文を使う事を戒める訓話として、系統を問わず呪文使いに古くから知られているエピソードである。
今ルイズが生み出した爆発は勿論一つの都市どころか家が焼けるかどうかという規模に過ぎない。
だが、威力は明らかに尋常の物ではなかった。
人間を上回る身体強度を持つ異形の者の肉体を、しかも剣も含めて原形をとどめないまでに破砕し、焼き尽くすとなると、リリスの知識では爆炎の呪文以外にありえないのである。
だが唐突にぞくりと悪寒が走り、リリスの思考はそこで中断された。
唱えていた快癒(マディ)の呪文も途切れ、悪寒の源――空に目をやるなり絶句する。
釣られて視線を向けたルイズとタバサも同時に言葉を失い、次の瞬間辺りは真昼のように明るくなった。

天使。
天使。
天使天使天使天使天使。
無数のと言うほどではない。先ほど倒した天使(エンジェル)と熾天使(セラフ)がほぼ同数、それぞれ20体弱というところか。
だがリリス達を全滅させこの村を焼き払うには充分すぎる戦力ではある。
天使のうち半分ほどの目が、自分の足元に向いているのにリリスは気付いた。

(こいつら、ショウを狙っている!?)

狙われているショウに快癒(マディ)を掛けるべきか、それともいちかばちか相手の呪文で全滅する前に敵を全滅させるべく、攻撃呪文を唱えるか。らしくもなく、咄嗟の判断が遅れる。それが命取りだった。
リリスに先んじて、半数の天使が呪文を唱え始める。
一つ二つなら耐えられなくも無いが、何分にもこの数だ。先手を取って攻撃呪文で一掃する以外、選択肢は無かったのだ。
タバサも呪文を唱えてはいるが、広範囲に効果のある呪文はやはり時間がかかる。
ルイズも先ほどの呪文をもう一度撃てたとしても、天使たちの呪文に先んじて放てるとは思えない。
一瞬の迷いで分の悪い賭けになってしまったと、ほぞを噛んだ瞬間。
殺気が走り抜けた。
リリス達の後ろから、空を舞う天使たちまで、恐らくは一直線に貫き通したその殺気に。
リリスとタバサは硬直した。無数の修羅場を潜り抜けてきた二人がだ。
ルイズは呼吸ができなくなった。魔獣? 巨人? 天使? あんなものは子供騙しだ。なるほどあれらは強かった。そして怖かった。だがそれだけだ。こんな、心を打ち砕くような恐怖など、持ってはいない。
リリスとタバサが硬直から抜け出して振り向く横で、ルイズが尻餅を突きかけそうなのを必死でこらえている。
天使たちでさえ息を呑んで詠唱を止めた。眼下の獲物から目を離し、双月と自らの発する光の中、浮かび上がった闖入者に目をやらざるを得なかった。

殺気の源はシエスタの家の納屋の前に、影のようにうっそうと立っていた。
身長はそこそこ、深いフードつきのマントに身を包み、右手に布で包まれた長い棒のような物を持っている。
その口元が、嘲りの形に歪んだのをリリスとタバサは、そして天使たちもはっきりと見た。
激烈に反応したのは、呪文の詠唱を終えたばかりの熾天使(セラフ)たちだった。憤怒の叫びとともに放たれた複数の大炎(マハリト)が重なり合って炎の渦を巻き、シエスタの家の納屋ごとその人影を包み込んだ。
怒りは時として恐怖の裏返しであるという。ならば、このとき天使たちは咎人を裁く審判者であったのか、それとも天使たちこそが裁かれる咎人であったのか。
答えが、彼らの目の前に立っていた。
オレンジ色の魔法の炎が消えたとき、納屋は火に包まれ、地面の草はことごとく灰と化していた。
ただしその人物の周囲、半径1メイルほどを除いて。周囲の草は炭化を通り越して白い灰と化しているというのに、その人物の足元だけは未だに青々とした姿を見せている。
いつの間に抜いたのか、フードの人物は長剣を構えていた。顔の前に刀身を斜めにかざし、上中段の打ち込みから身を守るが如き構え。
それがラグドリアン湖に於いてショウがキマイラの炎のブレスから身を守った、その時の構えに酷似していることにルイズとリリスが気がついたのは後になってからである。
タバサを含めた三人がその時気づいたのは、フードの人物がかざしたのがおおよそ150メルチの長さを持つ、片刃でわずかに反りのある長剣――ショウの持っているのと同じ「カタナ」だという事だった。

「――今、その者を失う事は」

その剣尖がゆっくりと右下に垂れる。
空いた左手がフードを跳ね上げ、その顔が露わになった。
リリス、タバサ、ルイズが揃って息を呑む。

「私にとって大いなる損失となるのでな」
「ショウ!?」

叫んだのはルイズだけだったが、表情からしてリリス、タバサともに同じ思いであった事は疑いない。
だが次の瞬間自分の目を疑ったのも三人同じであった。
フードの人物は女性だったのである。
夜の闇の中、納屋の燃え盛る炎を背に、炎に照り映える剣を抜き放って倣然と立つ姿は、女性である事さえ除けばさながら火焔光を背負う降魔の武神か。
くすんだ金髪を無造作に背中に垂らし、肩の前にも左右一房ずつをそれぞれ垂らしている。手入れしている様子ではないが、不思議と整った物を感じさせる。
顔立ちは整っており、女性にしては鋭い雰囲気を与えるが、だからといってショウと瓜二つと言う訳でもない。強弁すれば似ているか、といった程度だ。
それを何故三人揃って見間違えたか、それを考える暇はなかった。
地に垂れた刀身がゆらり、と陽炎のように揺れたかに見えた次の瞬間、下からすくい上げるような一刀が跳ね上がっている。
ショウが見ていれば、揺らめいたように見えた刀身は"気"を高密度で収束したが故であったと看破したであろう。
リリス達が何か頭上を通り過ぎていったと感じたのも、"気"によって生み出された真空の刃であると理解したに違いない。
そして20体近いセラフの殆どが大根のように無造作に切り刻まれ、無数のパーツに分けられてバラバラと地上に落下していった事にも驚かなかったろう。
それは彼自身も身につけている技であったからだ。
我に返ったリリスとタバサが呪文の詠唱を再開する。遅れて、ルイズも慌てて詠唱に集中する。
今度は天使たちよりも一瞬早く、詠唱が完成した。

"死言(マリクト)!"

リリスの口から漏れ出たのは、禁じられた滅びの言葉。
言葉にせず、音にならないまま発されただけであるのにも拘らず、それは空間に波紋を巻き起こし、衝撃波となって天使たちの肉体に浸透し、ダメージを与える。
よくよく観察すれば、無効化に失敗した天使たちの肉体が小刻みに震えているのが分かっただろう。この呪文を受けたものは見えざる無数の衝撃波に体の内部から乱打され、目立った外傷も無いままに内側から肉体を破壊されて死に至るのだ。
あらゆる攻撃呪文の中でも魔術師の爆炎(ティルトウェイト)に次ぐ破壊力と効果範囲を持つ僧侶系最高位の第7レベル呪文、死言(マリクト)であった。
生き残っていた天使の半数以上、呪文を無効化出来なかった全てが体液ともエネルギーともつかぬものを撒き散らして消滅したのがその威力を如実に証立てている。
残り7体。
間髪入れず生き残りにタバサ渾身のアイスストームが飛び、さらに5体を仕留める。

"減命(バディアル)!"
「ぐっ!」

エンジェルの呪文を受けたリリスの身体が揺れるが、倒れはしない。とどめを刺すべく今度は魔術師系4レベルの攻撃呪文、猛炎(ラハリト)の詠唱を始める。

「リリス!」
「大丈夫、まだ平気!」

一方金髪の女剣士の方も、もう一体のエンジェルが放った減命を受けたようであるが、少なくともさほどのダメージを受けたようには見えなかった。

"人ごときが・・・人ごときが!"

もはや狂乱に近い形相のエンジェルが咆える。それに応えたのは不敵な笑みを浮かべたルイズであった。

「言ってくれるじゃない、たかが『天使ごとき』が」

怒りの余り声も出なくなった天使を見上げ、青髪の少女と金髪のエルフの主従が小声で会話を交わしている。

「ねぇタバサ、ルイズって最近喧嘩を売るのがどんどん上手くなって来てないかしら」
「同意する」

その彼女らの目の前で、ルイズが気合とともに杖を振り下ろす。

「吹っ飛びなさい!」

この日二回目の、凄まじい爆発が起きた。
爆発はエンジェル一体をすっぽり包み込み、無数の羽根を散らせる。そして煙が晴れた後には、何も残っていなかった。
もはや呪文を唱える余裕もなくなったか、おめき声を上げて最後のエンジェルが剣を振りかざし、地上へ急降下する。
それとほぼ同時に女剣士が一筋の気を剣から放つ。怒りに我を忘れながらも身につけた戦闘技術は忘れていなかったのか、エンジェルはスピードを落さぬままに身体を捻り、左に一回転して迫り来る"気"の塊を躱す。
見事な空中機動であったが、女剣士の技はそのさらに上を行った。放たれた気の筋が、エンジェルの後を追尾するかのようにその軌跡を曲げたのだ。
流星は大きくS字型にカーブした軌跡を虚空に残し、向こう側を見通せるような、冗談のように巨大な穴をエンジェルの胸板に穿つ。
そのままバランスを崩したエンジェルは錐揉みを起こして大地に激突し、断末魔を上げることすらかなわず消滅した。
ここに、タルブ村を襲った天使の一団は全滅したのである。


「あ、あの」

礼を言おうとするリリスを、金髪の女性が左手で制した。

「礼など受ける筋ではない。それよりも仲間を治療するほうが先だろう、司教どの。それにそやつに死なれては、私も助けた甲斐がないという物だ」

一も二も無く頷いたリリスが、先ほどから放置された形になっているショウに快癒(マディ)を唱える。
すぐにショウが大きく息をついて身を起こした。
すんでのところで間に合ったようで、派手な出血跡こそ残っている物のその顔色は既に普段のそれと変わらない。
続けてリリスが自分に回復呪文を使用している間、タバサはじっと金髪の女剣士を見つめていた。

「一つ聞かせて」
「何かな」
「今あなたはリリスのことを司教どの、と呼んだ。リリスが司教(ビショップ)である事を何故知っていたの?」
「それはもちろん」

と女剣士は笑った。

「私がお前たちの敵だからだ」

問い掛けたタバサのみならず、リリスも、ショウの無事に安堵して腰が抜けてしまったと思しきルイズも、それに手を差し伸べていたショウも、一瞬言葉が出ない。
タバサにしてみても、単に正体を計るだけのつもりだったのである。例え敵だとしても、まさか今この時点でここまで直截な答えが返って来ようとは思っても見なかった。
ショウがゆっくりと女剣士に向き直る。
リリスとタバサが一歩後ろに後退し、ショウより前に出ないような位置に立つ。
ルイズは気に呑まれたか、尻餅をついたまま立てないようであった。
女剣士がわずかに体の向きを変え、炎を上げつづける納屋を背にショウと正対する形になった。
奇しくも、互いに右手の剣を地面に垂らした自然体の構え、いわゆる無形の位である。
僅かな沈黙を経て口を開いたのはショウのほうだった。

「まず、名前を聞いておきたい。知っているだろうが俺はショウだ」
「ケイヒだ」

女剣士が短く答えた。
素直に答えたことに軽い驚きを感じるとともに、ショウは戸惑いを覚えている。
初対面のはずの相手に、不思議な懐かしさを感じたからだ。見た感じでは自分よりも10歳ほどの年長か。だが、その容貌に全く覚えはなかった。
初対面なのは間違い無い。これだけの使い手であれば忘れるはずも無いし、そうでなくても「女の侍」などという珍しい存在を記憶から消してしまう事はありえないだろう。そもそもショウにとって女性との接点など母親か継母、屋敷の侍女くらいのものである。
にもかかわらず確かに感じる懐かしさ、親近感。全くもって不可解だった。
答えの出なさそうな思索を打ち切り、改まって口を開く。

「ではもう一つ。敵ではあっても助けてくれたことに・・」
「必要無い」

にべもなく、ケイヒがショウの言葉を遮る。

「何故なら、あそこでお前達を・・・いや、お前を助けたのは私がこの手でお前を殺すためだ。それ以上ではないしそれ以下でもない。恩義を感じるとでも言うならば、全力をもって私に挑んでくるがいい。それでこそ鳳龍の剣技の振るい甲斐があるというものよ」

燃え盛る炎を背に影となった顔に、ふわりとした笑みをケイヒは浮かべる。ただ、それはどこまでも邪悪な物にショウには思えた。

「鳳龍って・・。やっぱり、彼女ショウ君と同じ」

リリスの言葉は緊張の為か、最後のほうがかすれて聞き取れない。ケイヒから視線は離さぬまま、ショウが頷く。

「おそらく、最初に使った技が旋風斬。大気中に真空の刃を生み出し、それを気で操って敵を斬り裂く難度の高い技のひとつです。
そして最後のエンジェルを倒したのが曲流波。威力は中程度ですが、放った後に自由に操作でき、百発百中の精度を誇ります」

どうやら麻痺して倒れていながらもショウは気と空気の流れを察知し、周囲の情報を正確に把握していたらしい。
再び女剣士の口元が笑みの形に歪んだ。

「正解だ。気の流れだけでそこまで察するとは、さすがに鳳龍宗家の血を継ぐだけはある」
「何故俺を狙う? 理由は知らないが、この世界で俺達の世界の争いごとを引きずる必要があるのか!」
「道理だな。だが道理だけで世の中が回るわけではない。どの道死に行く身にはかかわりのない事だ」
「何一つ知らずとも構わないというのか」

知らず、ショウの目が険しくなる。表情を消してケイヒがそれを見やった。

「そうだな、それがせめてもの情けとでも言っておくか」
「情け? 何のことだ。俺はお前に会った事すらない。それとも俺が忘れているだけとでも言うのか」
「不可解か。そうだろうな――だが」

ケイヒの瞳に見えない炎が灯る。激情を秘めて、雌獅子が吼えた。

「この私の苦しみ――悲しみ――憎しみ――そして怨みの全てが。『ショウ』、貴様にあると知れ!」

咆哮とともに、その全身から"気"が迸る。それに煽られたか、背にした納屋が一際大きく炎を吹き上げた。
荒れ狂う熱気も彼女には全く影響を与えていないかのようだ。
それどころか、放つ"気"に取り込まれ、熱波となって自身に襲い掛かってくるような錯覚さえショウは覚えた。
叫ぶ。

「三人とも下がっていろ! 鳳龍の剣術の使い手同士の戦いに巻き込まれたらただじゃ済まない!」

リリスとタバサが、弾けるように動いた。
二人掛かりでまだ立ち上がれないでいるルイズを引きずり、シエスタの家の前にまで退避する。

「ちょ、二人とも何するのよ!?」
「黙って」
「あなただって見たでしょう! あれに巻き込まれたら蘇生できるかどうかさえ怪しいわ!」

なおも反論しようとしたルイズだったが、ショウの表情を見てその口をつぐんだ。
ショウとともに過ごして一月弱。その中で何度も一緒に戦いを潜りぬけたが、ここまで追い詰められた表情を見たことはなかった。ポイゾンジャイアントを前にしても、銃口を突きつけられても、決して怯む事はなかったショウなのである。

「サシで構わないな?」
「無論だ。貴様以外のものなどどうなろうと構わん」

それが開始の合図だった。
互いに半身になり、剣を構える。
奇しくも鏡映しにしたようにその構えはそっくり同じだった。
半身で左肩を相手に向け、体の右脇、地面と平行に剣を構える。
一見突きの準備動作にも見えるが、只の突きであれば二人の周囲で風が唸りを上げたり、あまつさえ剣の周囲で大気が渦巻く事など有り得まい。
"気"を目視することなどできないルイズ達にも一目で分かるほど、刀身にまとわりつく空気が震え、唸りを上げているのが分かる。
さながら、竜巻で出来た剣を構えているかのようだった。
実際は気を凝縮させ、技を放つまでのわずかな時間だったのだろう。だが傍観せざるをえないルイズとタバサとリリス、そして恐らくはショウにとってもそれは永劫の数瞬に感じられた。
しかし、錯覚はやはり錯覚に過ぎない。亀はアキレスに追い越されるし、飛ぶ矢は止まらないのだ。

""鳳龍――""

同じ構えから繰り出される技はやはり同じであった。刀を右脇に引きつけた構えから繰り出される、渾身の片手刺突。鏡に映したような対称の動き。刀身が帯びる竜巻が、敵を喰らい尽さんとする龍の如く飛翔する。

""渦旋斬!""

互いの剣から、横向きの竜巻が唸りを上げて放たれた。
わずか一瞬、二頭の龍は拮抗するかに見えたが、次の瞬間ケイヒの放った龍がショウの放ったそれを飲み込んだ。
それは呆気ないほどにショウ本人をも飲み込み、数十メイルに渡って大地と何本かの立木を抉りとった。ショウの後ろに人家があれば惨事になっていただろう。

「ショウ!?」

上がりかけた悲鳴が途中で歓声に変わった。大地を削った竜巻は僅かな時間で消え、土煙の中に立つショウの姿が見えたからだ。
だが、その歓声も土煙が晴れるとともに再度悲鳴に変わった。
酷いありさまだった。
服はあちこちでズタズタに裂け、鮮血と煙を等分に噴き出している。額から鼻梁に一筋の血が流れ、顎から地面に滴りつづけていた。井上真改の柄糸も、腕から流れる血によって赤く染まりつつある。
それでも構えは崩さず、目に闘志を宿し続けてはいたが、傍から見れば既に勝敗は明らかだった。
髪一筋乱していないケイヒと、まだ立っているとは言え満身創痍、全身から煙を上げて無残に穿たれた大地に膝を突かんばかりのショウ。その光景そのものが完璧な勝者と敗者の図であった。
リリスは決着後にショウを蘇生させられる可能性と、残り一回しか残っていない死言(マリクト)、あるいは僧侶系5レベルの即死魔法・呪殺(バディ)や体力を死亡寸前にまで奪う6レベル呪文・奪命(マバディ)でケイヒを倒せる可能性を天秤にかけ。
タバサは小声でエア・ハンマーの呪文を呟き。
ルイズはショウの前に飛び出そうとして。
そしてショウは、まだ諦めていなかった。

――鳳龍の剣術、波撃弾斬陣に大別されり。斬に三種の禁じ手あり、また陣なる技も使用を固く禁ず――

既にショウは陣を除く全ての剣技の伝授を受け、また陣もこの世界に来る直前、兄の命と引き換えにした壮絶な伝授を受けている。だが勿論それらの禁じ手を実戦で使ったことはない。
いずれを用いるにせよ、今の消耗した状態で使えばどうなるかは分からない。只でさえ膨大な負担を心身に強いる技なのだ。
だが鳳龍の剣技同士で撃ち負ければ、結局のところ死体も残らず消失(ロスト)するだけであろう。
決意を固め、捨て身の覚悟と闘志を込めて眼前の恐るべき敵手を見やる。それを見て取ったケイヒの目に、獰猛な笑いが浮かんだようであった。
系統魔法に曰く、強い感情は魔法使いに強い魔力を呼び起こすという。
ならば絶体絶命の危機において"気"の使い手は何を呼び起こすのか。
手負いの狼の牙が無敵の雌獅子に届く事もありうるのだろうか?
己の残りの"気"全てをこの一撃に込めるつもりで、萎えかけた気力を呼び戻す。
"気"は気力。生命力と精神力から生まれるのが"気"であるならば、気力を振り絞るとは命と心を燃やすことに他ならない。
ショウはまさしく全身全霊を賭け、乾坤一擲の勝負に出ようとしていた。
ケイヒがショウには邪悪としか思えないあの笑みを浮かべる。再び、その"気"が膨れ上がった。
せめて覚悟では、気迫では負けまいとショウが一層眼差しに力を込める。
だがその僅か五秒後、ショウの決死の気迫は完膚なきまでに打ち砕かれるのである。


「ぶわぢぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!」

ケイヒの背後、今にも炎の中に崩れ落ちようとしていた納屋から何か飛び出してくるものがあった。よく見れば芋虫状態で縛り上げられたままのアニエスである。
日頃の鍛練の賜物か生への恐るべき執念か、この女性は簀巻きに縛られたまま燃え盛る納屋の壁を蹴り破って脱出を果したのであった。

「熱、熱い、あちちちちちちちっっ!」

服のあちこちに火が燃え移っている。アニエスはそのまま早送りで見る尺取虫のような、不気味な素早い動きで炎を吹き上げる納屋から離れ、傍目にも必死さが分かる動きでゴロゴロ地面を転がって、火を消す。
余りといえば余りの展開にその場の概ね全員が唖然とする中、ケイヒが真面目腐った顔で声を掛けた。

「そんな所にいたのかアニエス。全然気付かなかったな。心配したぞ」
「嘘をつけっ! ここにいる事ぐらい貴様の"気"を察知する能力とやらで分かっていたはずだろう!」

涙目でアニエスが絶叫した。
顔は煤だらけ、服は焦げ跡だらけで、短く切りそろえた自慢の金髪も、今は無残に焦げている。
無論、髪型はアフロだ。

「だが、それにしても空気の読めない女だ。せめてショウとの決着が着くまで待てなかったのか」
「それまで待ってたら焼け死んでるだろうがっ!」
「私はお前を助けに来てやったのだぞ。それを考えれば少し位は感謝して気を利かせても良かろう」
「うがあぁぁぁぁぁっ!?」

もはや声にならない絶叫を上げるアニエスを無視し、ケイヒがショウ達の方に振り向いた。
リリス達はこの展開について来れていない。ショウもこの状況で緊張感と気迫を持続させられるほど精神的にタフではなかった。

「さて、この女のせいで興が失せた。ここは引かせて貰うとしよう。お前の命はいずれまた改めて貰い受けに来る」

一方的に宣言して剣を納めるケイヒに対し、気を抜かれた形になったショウは何も出来ない。
もっとも、気力を奮い起こした所でそれより先にケイヒの一刀が鞘走るだけであろう。機を外されてしまった以上それを取り返すための時間が必要だったが、先方はそれをショウに与える気は無さそうであった。
そのケイヒはアニエスにつかつかと歩み寄り、手荷物のごとく無造作に持ち上げると、上着でも引っかけるような気軽さで肩に担ぎあげる。

「待て、せめて縄をほどかんか!?」
「それでは帰るぞ。今の内に任務を失敗した言い訳でも考えておけ」

アニエスの抗議をあっさりと聞き流し、そのまま呪文を詠唱し始める。

「お、おい、待て! そこのショウにはまだ言い足りない事が・・・」

わずかに時間を置いて呪文が完成した瞬間、ケイヒと肩に担がれたアニエスの姿は忽然と消えた。
喚いていたアニエスの声も、今はその余韻を耳に残すのみである。

「・・・・嘘。侍で転移(マロール)が使えるなんて」

呆然とリリスが呟く。
転移(マロール)は爆炎(ティルトウェイト)と同じく魔術師系の最高位、第7レベルに属する呪文である。
術者と仲間数人を空間転移させるテレポートの呪文だ。短い詠唱であれば約1キロ、相応の時間精神集中を行えば最大で50キロほども転移できる。
だが元魔術師ならともかく、侍や司教でそのレベルの呪文が使える冒険者をリリスはそれぞれ一人しか知らない。
マスターレベルを超えたショウですら、先日ようやく4レベルの呪文を全て覚えたばかりで、5レベルの呪文を覚えるにはもう1,2レベルほどという所である。
7レベルの呪文が使えるとなれば、その実力は想像を絶するだろう。ショウが完敗したのも無理からぬ事と言えた。
だがともかく目前の敵は去った。
誰かがふうっ、と大きく息を突き、緊張感が解けようとした瞬間、だがタバサの鋭い声がそれを引き戻した。

「敵! シエスタの家の屋根にいる!」

自分たちの背後の頭上に揺らめく空気の乱れを、風のメイジであるタバサは明敏に察知したのである。
三人が今度は先ほどとは逆にシエスタの家から走って離れた。
ショウがふらつく足で前に出、リリスがショウのために快癒の呪文を詠唱し始める。
ルイズは消耗しているショウの前に出ようとしたが身振りと苦笑で押しとどめられ、不服そうにフレイム・ボールの呪文を唱え始めた。
タバサは唱え終わっていたエア・ハンマーをすぐに解き放てるように、油断なく屋根の上を伺う。

「わかった、出ていくよ。僕は君たちの敵じゃない。だから魔法は撃たないでくれ」
「え?」

思わず、ルイズの呪文の詠唱が止まった。
はっきりとは思い出せないが、その声には確かに酷く懐かしい物を感じたからだ。

「ゆっくりと立ち上がって、ゆっくりと降りてきて。その気になれば先ほどと同じような攻撃をあなたに打ち込む事もできる」
「分かっているよ」

黒々とした影に覆われた屋根の一部が、むくりと身を起した。
その影はゆっくりと屋根の縁まで歩いてくると、良く通る声でレビテーションの呪文を唱え、地上に降り立つ。
その姿を見たルイズは、少なからぬ驚きとともに自分の感じた懐かしさの正体を知った。

「ワ・・・ワルド様!?」
「やあ、僕の小さいルイズ。いや、もう小さくはないかな? ともかく久しぶりだね」

鍔広の帽子にマント、実用的な旅装束。腰にはレイピアのような拵えを施した、魔法衛士隊の杖を下げている。
その動きには無駄がなく、恐らくは剣士としても一流である事が知れた。

「はじめまして、諸君。魔法衛士隊グリフォン隊隊長、ジャン・ジャック・フランシス・ワルド子爵だ。以後お見知り置きを」





さあう"ぁんといろいろ 第六話 『天使』 了





と言う訳で、結局『代々侍なのに頭が悪くて戦士止まり』なテツは生涯一戦士を貫き通しました。
色々ありましてリィナは僧侶から司教になってますが、あのパーティは他にも僧侶系最高レベル呪文を扱える君主と司教がいるんだから、マスターレベルになれば司教に転職するだろう(低レベル治療呪文の使用回数低下が余り痛くないから)ということで。w
もっとも世の中にはドワーフのマスター僧侶を戦士に転職させて前衛にしたり、僧侶のまま前衛に立たせ続ける人もいますが(誰の事だ)、まぁそこらへんの自由度の高さもウィズですので。

ちなみに無印では『魔除け』=「人の集合無意識」なのですが、外伝では割と気楽に魔除けの外をほっつき歩いているため、『魔除け』=「集合無意識が力を振るう焦点具」という設定にしました。ぶっちゃけイデとイデオンの関係ですねw
なお、この集合無意識やらの話はあくまで『石垣WIZ』の設定であって本家ウィザードリィの設定ではありません。その点混同なき様にご注意下さい。
後多分、集合無意識の元ネタはクトゥルフじゃなくてイデオンです。ゲッター線みたいってのは言われて気付いたけど、発表がゲッター號より前なんで多分偶然。w

それとWIZにはもとよりモンティパイソンの要素が結構入ってまして、首刎ねウサギ(ヴォーパルバニー)は1で、聖なる手榴弾(HHG of Aunty Ock)とまさかの時のスペイン宗教裁判(裁判官が敵として登場)もシナリオ4でしっかり登場しております。w

さて、今回はやたら間が空いたんで次回はできれば9/24までに投下したいなと。
そこを過ぎると一月くらいはスパロボ廃人になってるでしょうから。

ではまた、忘れた頃に。

ウィザードリィを知らない人向けキャラクター解説と用語説明

リィナ Lv.15 G-BIS HUMAN 

原作でショウの仲間だった女僧侶。原作登場時は中の上レベル(推定で9〜11レベル?)。
テツとは幼馴染でなにくれとなく世話を焼く。気立てが良くてさばさばした女の子。作者曰く「一緒にいて疲れないタイプ」だそうである。いわゆる「いいお嫁さんになれる女の子」だが、幼馴染のゆえか、テツに対しては扱いがややぞんざいになることがあった。
ショウに淡い思いを抱いていたが、結局は身を引き、テツの世話を続けることにしたようである。
この作品ではマスターレベルに達した後司教に転職したことになっている。タルブの村にテツとともに住み着き、そこで生涯を終えた。
シエスタが翠眼なのは彼女の遺伝である。


テツ Lv.18 G-FIG HUMAN

同じくショウの仲間の巨漢の戦士。
最初は長柄斧、後に2mを越すような長大な両手剣を操るパワーファイター。
代々の侍の家の生まれだが頭が悪くて戦士のままだった。ショウと初めて会った時はそれで鬱屈していたが、後に吹っ切った様である。
作者曰く「若者らしい若者」で血の気は多いが女には優しい。単純で意地っ張り、筋を通し約束は守る。良くも悪くも男らしい、不言実行タイプ。
タルブの村にリィナとともに住み着き、そこで生涯を終えた。
シエスタが黒髪なのは彼の遺伝。


シェーラ Lv.25 E-BIS HALF-ELF(※原作ゲームには存在しない種族)

原作でのショウの仲間。このSSでは名前のみの登場。元高位僧侶で、魔術師系及び僧侶系の全ての呪文をマスターした超高位の司教。
古代の遺失魔法を研究しており、ショウが読み上げた様々な遺失魔法(=原作ゲームのシナリオ5で登場した新魔法。このSS及び石垣WIZでは基本的にシナリオ1〜3の魔法がベースである)を発見、再現した(原作で再現したのは一種だけだが)。
このSSでは司教に転職した後のリィナの師となっていた、という設定。

 

 


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