ルイズは展開の目まぐるしさに軽く混乱していた。
そもそも今日一日でどれほど沢山の事件があったことか。
シエスタの実家があるタルブの村に到着するなり、あのアニエスとか言う金髪の女剣士にショウが胸を撃たれて死にかけた。
それがきっかけでショウと仲直り(実の所はルイズが一方的にドツボにはまっていただけだが)出来たのはいいが、自慢の髪から血を落すのにはかなり苦労した。タバサが水の魔法を使ってくれなければまだこびりついていたかもしれない。
その後シエスタの曽祖父母が本当にショウ達の世界からやってきたと判明して、彼らやリリスが『守護者』(ガーディアンズ)と呼ばれる転生を繰り返して世界を守る戦士だったという話をリリスから聞いた。
どう考えても信じられないような荒唐無稽な戯言にしか聞こえないのに、不思議に否定する事が出来なかった。
加えて天使や悪魔などの『異形の者』と呼ばれる存在やそれを封じた『魔除け』の話、それら全てを生み出したリリス達の世界の神――リリスは『集合無意識』とか言っていたが――の話。
その後シエスタの曽祖母であるリィナの残した呪文書のことをリリスから聞いたときには、ひょっとしたら自分でも魔法が使えるようになるんじゃないかと興奮したりもした。
そのせいか、呪文書の解読作業を続ける間中ずっと妙に頭が冴えていた。魔法理論には自信があったけど、自分でもあそこまでできるなんて驚いた。ひょっとしたら本当に不名誉な『ゼロ』から脱出できるかもしれない。
その後天使達が現れて、そのあたりのことは良く覚えていない。信じられないほど集中して呪文を唱えていたような気がする。起きたのはやっぱり爆発だったが。
でも本当に驚いたのはその後だ。
どことなくショウに似た面影のケイヒと名乗る女剣士が現れて、ショウと同じ技を使った。
ルイズが腰を抜かしている間に一対一でショウとケイヒが立会い、ショウが――あのショウが!――圧倒的な実力差を見せ付けられて敗北した。
あのままならひょっとしたらショウがケイヒに一矢報いていたかもしれないが、それでもルイズは戦いに水を差してくれたアニエスに感謝したい思いだった。ショウを撃った事は絶対許す気にはならなかったが。
その後魔法を使ってケイヒは姿を消した。一気に50リーグも移動する、凄い魔法だという。
それだけあれば、魔法学院からトリスタニアまでだって一瞬で移動できるだろう。改めてリリス達の世界の魔法に驚きと畏怖を感じる。
それでも、いずれまた現れるにしても敵は去ったのだし、ようやっと気を抜けると思った。
だが、今日という日はまだ終っていなかったらしい。
最後の最後で、ルイズにとってはこの日一番の驚くべき事件が待ち構えていた。
「ワ・・・ワルド様!?」
「やあ、僕の小さいルイズ。いや、もう小さくはないかな? ともかく久しぶりだね」
シエスタの家の屋根から下りてきた男――ワルドは、そう言ってルイズに微笑んだ。
彼としては本当ならばルイズを抱き上げてキスの一つもしたいところではあったが、ルイズの使い魔や後ろに控える青い髪の少女が鋭い目を向けてくるので自重する。
そのショウやタバサにことさらアピールするかのように、洗練された所作で幅広の帽子を胸に当て、一礼した。
「はじめまして、諸君。トリステイン王国近衛、魔法衛士隊グリフォン隊隊長、ジャン・ジャック・フランシス・ワルド子爵だ。以後お見知り置きを」
第七話 『死線』
にこやかに自己紹介するワルドであったが、心中は穏やかではない。はっきり言えばはらわたが煮え繰り返っている。
そもそもあの天使たちは勝手に持ち出した『召喚の書』を用いて彼が呼び出したものである。
本来の計画ではルイズの仲間が一人二人倒れた所で颯爽と登場し、"烈風"直伝のカッタートルネードを放って天使たちを退散させ、ルイズに心から感謝されてやがてその感謝が愛に変わり・・・という筋書きだったのだ。
昔読んだおとぎ話を元に『プラン・ド・ル・オグル・ルージュ』と名前までつけた完璧な計画であったはずだった。
が、ケイヒの登場によって出るタイミングを逸し、さらにはケイヒ、及びリリスの先住魔法の想像以上の威力によってあっさりと天使達が全滅。
計画が完膚なきまでに崩壊して唖然としている所で、潜んでいた遍在さえ発見されてしまうという更なる醜態。
遍在を消そうにも、天使たちをコントロールするために『召喚の書』を持たせていたのでそれもままならない。
ケイヒが姿を消した後だったのが不幸中の幸いだったが、それでも己の間抜けさ加減に舌打ちしたい思いであった。
それはともかく、ワルドの自己紹介は彼が期待したほどには波紋を呼ばなかった。
魔法衛士隊といえば王室直属の精鋭中の精鋭、名門貴族で構成されたトリステイン軍の花形である。
トリステイン貴族であればその名を聞いただけであからさまに見る目と態度が変わるものだが、この場にトリステイン貴族は一人しかいなかったし、しかも彼女は旧知の仲だった。
ルイズ以外の3人のいぶかしげな表情が変わらないのに気付き、自分の迂闊を悟ったワルドはもう一枚カードを切ることにした。心中憮然としながら。
「ああ、それと僕はルイズの婚約者でもある。軍に入ってから碌に手紙も出さなかったのをまずルイズに謝らないといけないけれども」
「こ、婚約者!?」
「ワルド様・・・」
今度は多少なりともワルドが期待していたような反応があった。
中でもルイズが頬を染めているのがワルドの自尊心を満足させる。
なんだ、これなら僕もまだまだ勝負になりそうじゃないか・・・。
もっとも驚きを露わにしているのはリリスくらいで、ショウもタバサも大して表情は変えていない。もちろん、ヤンは死んでいるので元から反応がない。
タバサは相変らず冷徹な視線をこちらに向けてきているし、ショウもこちらに向けた剣を下ろしていない。
ふらふらの癖に力の篭もった視線を向けてくるこの使い魔を、ワルドは改めて厄介な存在だと認識する。
常に冷静なタバサのようなタイプも戦いにおいては脅威なのだが、こういう手合いは敵に回すと総じて厄介なのである。
勝てる勝てないは別として、しぶとく、粘り強く、生半な攻撃では倒れない。完全に息の根が止まるまでは何度痛打を与えても、最後の最後までこちらの喉元に喰らいついてこようとする。
過去何度かこう言った敵と合いまみえた時には、いずれも勝ちはした物の例外なく苦戦させられている。
ショウの目には、そうした敵たちが浮かべていたのと同じ種類の光が浮かんでいるようにワルドには見えた。
そしてもちろん、ワルドは自分の直感を杞憂と笑い飛ばせるほどには楽観的ではない。いられない。
そのようなワルドの思考を、二つ名の通りの、冷たいタバサの声が断ち切る。
「ルイズの知り合いだというのはわかった。けれども、それはこの場にいた理由にはなっていない」
「ちょっとタバサ! 子爵様を疑うの!?」
怒り半分、ショック半分というところの表情でルイズがタバサを見やる。
ショウが視線はワルドから外さないまま、言葉を続けた。
「同感だ。ルイズの婚約者で、よくは分からないが魔法衛士隊とかいう大層な名前の部隊の隊長なんだろう?
身のこなしを見る限りでは腕にも覚えがありそうだ。それなのに先ほどの戦いで最初から最後まで傍観していたのは確かに解せないな」
「ショウ! あんたまで!」
ルイズが叫び、ショウのほうに振り返った。今度はややショックのほうが大きいようにも見える。
そうしたやり取りを聞きつつ、ワルドは必死で頭を回転させていた。なんとかしてこの状況を上手く納得させなければならない。でなければ待っているのは破滅だ。
いや、レコン・キスタの計画などつぶれた所でたいした事は無いが、ルイズが自分から離れてしまうのはなんとしても避けなければならない。
ワルドがルイズに求めている無償の愛。母親が自分に注いでくれたのと同じ種類の愛情。
それを手に入れるには、なんとしてもここでつまずく訳にはいかない。いやむしろどうにかしてこれを逆にチャンスに変えなければ・・・。
「まぁまぁ、ルイズ。彼らがそう考えるのも仕方がない。けど、僕にもそうせざるを得ない理由があったんだよ」
「だったら是非とも事情を聞かせて欲しい。まさかルイズに張り付いて、ずっと様子を伺っていたと言うわけでもないだろうし」
氷のような瞳に底冷えのする光を宿し、タバサがワルドを見上げる。
実は全くそのとおりであったりするのだが、勿論ワルドとしてはそれを正直に言う訳には行かなかった。
背筋に冷や汗を垂らしつつ、代わりに、たった今組み立てた嘘八百を慎重に語り始める。
「実は僕は影ながらルイズの事を見守り、場合によっては危険から救うように、さるお方から命じられていたんだよ。ただし、可能な限り隠密裡にね」
「ええっ!?」
ルイズの反応はワルド本人が驚くほど激しかった。
一瞬嘘がばれたのかと思ったが、どうもそうではないらしいとわかり、ワルドはこっそりと胸を撫で下ろす。
「子爵様・・・あの、ひょっとしてそれをあなたに命じられたお方というのは・・・姫殿下ですか!?」
どうもルイズは勝手に誤解してくれているらしい。
アンリエッタ王女と親しい関係だったというのは知らなかったが、どうも上手い具合に転がってくれている。
ワルドは己の幸運に感謝しつつ、もっともらしげな表情を作ってその誤解を増長させることに決めた。
ショウもタバサも腕は立つかもしれないが、所詮人生経験を積んでない10代前半の若造である。それくらいならこの十年で身につけた経験でなんとしてでも誤魔化せる自信が彼にはあった。
「いや、残念ながらルイズ。それを君に言う訳には行かないんだ。僕は軍人だからね。任務の事を知られたからといってそれ以上のことをぺらぺら喋るわけにも行かないんだよ。済まないね」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません子爵様。秘密のお仕事の事ですのに・・・」
「そんな事を言わないでくれ。婚約者に何も話せなくて心苦しいのは僕のほうなんだから」
心底済まなそうに頭を下げるルイズに大人らしく余裕を見せて点数を稼ぎつつ、タバサとショウのまだ納得していない視線を意識する。
リリスはどうにか八信二疑という所だが、この二人は意外に手強そうだと認識を改める。
「ルイズ、姫殿下と言うのは?」
「この国の王女、アンリエッタ殿下よ。昔、遊び相手をつとめさせていただいた事があるの」
「へぇー、お姫様と知り合いなんだ」
「でも仮に王女がルイズの友人だから護衛を命令したとして、なぜルイズに護衛をつける必要があったのかわからない」
さすがにタバサの追及は厳しいが、ワルドもこれくらいは予想していたので用意しておいた答えを返す。
「そこまでは僕も知らないな。グリフォン隊の隊長とはいえ、僕は一介の士官に過ぎない。将軍でもなければ近衛隊の隊長ですらないんだからね。多分何か重要な意図か、さもなくば何かの気まぐれがあったんだろう」
「その気まぐれというのは?」
「やんごとなき方々にはよくある事だよ。いちいち裏を勘ぐっていたら身が保たない。これも処世術という所さ」
ショウの追求に肩をすくめて見せる。果たして、こう言った世界を知らないショウは反論できずに黙り込んでしまった。
一方タバサは追及の手を緩めない。
「ならあなたはいつからルイズの護衛をしていたの?」
「うーん、そうだな。もう二十日くらいになるかな? 君たちがラグドリアン湖まで行ったのが、僕が護衛についてすぐだったね」
キラリ、と眼鏡の下の目が光った。
「ならば、あなたがルイズの護衛を命令されていたのだとしたら、今までの戦いでなぜ一度も姿を現さなかったの?
ラグドリアン湖でのゴーゴンとキメラ、モット伯爵邸での戦い、昼間のアニエス、それに今の天使と、あの女剣士。
アニエスの場合はルイズに危害が及んでいなかったからともかくとして、それ以外の場合ではなぜあなたは出てこなかったのか、理由を知りたい」
「ちょっとタバサ! 子爵様が困っていらっしゃるでしょ! 秘密の任務だって言ったじゃない!」
「だけど、最低限巨人や天使と戦っていたときに出てこなかったのは、当人の話を信用するなら余りに不自然。
モット伯爵邸の時はショウがいなければ全員死んでいたし、さっきもケイヒが援護してくれなかったら、セラフの大炎(マハリト)を連続で10回以上受けて、間違いなく私たちは全滅していたはず。
モット伯邸でショウがあれを使うまでは、彼にあんな力があるなんて誰も知らなかったはずだし、今回の場合はショウは麻痺して動けなかった。あの状態でケイヒの援護を期待するのは筋が通らない」
鋭い。
ワルドは舌を巻いた。
先ほど、人生経験の差で如何様にも言いくるめられるなどと思っていた事は、既に記憶の彼方に消えている。
「それはその、出て行くタイミングを掴めなかったんだよ。ポイゾンジャイアントの時は剣士君たちがどうにかしてくれるだろうと思ったし、さっきの事だって・・・」
「セラフは広範囲に有効な火炎の呪文を持っている。しかもあの時は20体近くが存在した。範囲攻撃は持っていないとは言え、強力な攻撃呪文を操るエンジェルも同数存在していた。
その状況でルイズに危険が及ばないと判断するのであれば、あなたの判断力を疑わざるを得ない」
「そ、それは・・・・」
通常なら屋外(結界外)での大炎(マハリト)はタバサの言ったとおりルイズ達全員を巻き込んでなお余る効果範囲を持つ。
が、あのときはエンジェル達にルイズにだけは当てないように指示していたから、自分は安心して誰か一人二人死ぬまで高見の見物をしていられた・・・などと勿論言える訳が無い。
間違いなく、今の発言でワルドの実力に対するルイズの評価は大きく下落した事だろう。
しかもワルドはどうしたってそれに反論できないのだ。
表情に出ないように努力しながら、ワルドは心の中で何度もタバサの首を締め上げる。
そして、その時が来たならルイズの友人であろうがなんだろうが必ず殺す、ショウの次に殺してやると固く誓った。
おほん、と咳払いをして素直にミスを認めるふりをする。
「まぁ、それについては判断ミスだと認めざるを得ないかな。でも」
と、ここでワルドの声が演技ではない真剣味を帯びた。
「もし秘密の任務でなければ僕は何度だってルイズを助けるために姿を現していた。これだけは信じてくれ。亡き母に誓ってもいい」
この時ばかりはタバサもその真摯さに押されて黙りこんだ。未だに疑いの表情を浮かべているショウも、ワルドの気迫に押されて顔をしかめる。
実際この時のワルドが語ったのは、紛れも無い本心からの言葉だったのである。
もっとも、姿を現してルイズを守りたかったのはルイズの心を捕まえるためという理由も大きいのだが・・・。
「もう、この辺でいいでしょ! ショウもタバサも納得した!? わかったらとっとと剣を下ろしなさいよ!」
続いた沈黙についに堪忍袋の尾が切れたか、ルイズが怒鳴る。
溜息一つついてショウは刀を背の鞘に納め、タバサも突きつけていた杖を下ろした。
ワルドも心の中で安堵の息をつく。
どうやら第一の関門は切り抜けられたようだった。
その頃、トリステイン魔法学院。
既に日付も変わり、夜番の衛兵以外は皆就寝している時間帯である。
学院秘書ミス・ロングビルを名乗る女、マチルダ・オブ・サウスゴータ――その実は貴族だけを狙う怪盗「土くれのフーケ――の部屋に侵入する影があった。
気配を感じ、ロングビルが目を覚ます。枕の下に隠しておいた杖をそっと握りこんでベッドから身を起こした。
「どちらさまでしょうか? このような夜更けに・・・って、なんだ、あんたかい」
影のように静かに部屋に入り込んできたのは、モット伯の事件があった夜に彼女を脅した仮面の男であった。
自然、フーケの態度も冷淡な物になる。妹の名前を出されて脅迫されては友好を深める気にもならない。
「女が欲しいなら、小遣いやるからトリスタニアの淫売宿にでも行って来な。あいにくあたしゃそれほど安い女じゃないよ」
「お前に動いてもらうときが来た。すぐに仕度をしろ」
軽口に反応せず、要件だけを切り出してきた男の態度にフーケは顔をしかめた。
この前は嫌味な位に余裕たっぷりだったのに、今は逆に余裕がなさすぎるように感じたのだ。
この手の連中はプライドだけは不相応にたっぷりと持っているから、何かにつけて自分が優越している事を示したがる。
不必要に余裕を見せたがるのもその一つだが、それをする事も忘れていると言う事は、
(よっぽど追い詰められているね、こりゃ。それとも女に振られたでもしたか?)
「聞いているのか、おい!」
「あー、はいはい、聞いてますから続けて下さいな、若様」
軽くあしらわれ、仮面の男がフーケを睨みつける。
何か言おうとしたようだったが、結局その口から出てきたのは指示の続きであった。
「後数日でヴァリエール公爵の娘が学院に戻ってくる。タイミングは俺が指示するからその前夜『破壊の剣』を奪い、いつものように署名を残せ。そして次の朝、手がかりを見つけたと言ってヴァリエールとその使い魔達をおびき寄せるのだ」
「・・・はぁ? なんであたしがそんな面倒くさいことをやらなきゃいけないのさ」
「うるさい! お前は命令に従って動けばそれでいいのだ。黙って俺の言う事に従っていろ!」
フーケもさすがにかちんと来たが、逆らうわけにも行かない。
「はいはい、分かりましたよご主人サマ。それでご命令は以上ですか?」
「そうだ。合図があったらいつでも実行できるように用意しておけよ。いいな?」
そう言い捨てると、仮面の男は現れたときと同じように音も立てずに去っていった。
しばしその背が消えた扉を見つめていたフーケだが、やがてふん、と鼻息荒く拳を握った。
こうなりゃあの覆面男を出し抜いて、破壊の剣も手に入れて高く売り飛ばす。そんでもって今まで稼いだ金であの子と一生幸せに暮らしてやる。
半ばヤケクソ気味に決意を固めると、フーケはベッドにもぐりこんだ。何にせよ、全ては明日からだ。
遠く離れた魔法学院でそんな事が起きているとは当然ながら露知らず、ショウ達はワルドと友好的とは言わないまでも、どうにか消極的中立と言った空気を作り出すことに成功していた。
「本当にすみません、子爵さま」
「いや、それはもういいよ。彼らも分かってくれた事だしね。それよりも、彼らには礼を言いたかったんだ」
「お礼、ですか?」
タバサの片眉がぴくりと動いた。ショウは怪訝そうな表情になる。
「うん。ミス・タバサも使い魔くんたちも、そしてこの場にいないミス・ツェルプストーも。何度もルイズを助けてくれてありがとう。
君たちがいなかったら、君たちの助けが無かったら、ルイズはこうしてここに立っている事はできなかったはずだ。心からの礼を述べさせてもらう」
ごく僅かにではあるが、ショウが笑みを浮かべた。皮肉ではない、好感の笑みだ。リリスも、僅かに顔がほころんでいる。
「気にしないでくれ、俺はこいつの使い魔だからな。主を守るのが侍の勤めだ」
「私もよ。友だちのために力を貸すなんて当たり前の事じゃない」
タバサも無言ながらコクコクと頷いていた。
雰囲気が和やかになりかけたところで唐突に、リリスがぽんと手を打つ。
「あ、使い魔くんたちで思い出したけど、そう言えばヤンの事忘れてたわ」
「迂闊。私も忘れていたけど」
ショウやリリス、タバサの言葉に照れくさそうにしていたルイズもさすがに「あ」という表情になる。出がけに植木に水をやるのを忘れてきた、という程度の表情ではあるが。
黒焦げにされた上にエンジェルの減命(バディアル)を連続で喰らって絶命したヤンは、一行から3メイルほど離れた場所で未だに放置されていた。心なしかその背中が煤けているような気がする。
「いや、火炎呪文で丸焼きにされたんだし、実際に煤けてるわけだけど」
「誰に言ってるのよ? ともかくキュルケが寝ているのは不幸中の幸いだったわ。今の内にやっちゃいましょ」
些かぞんざいなルイズの提案にリリスも頷く。
「そうね、死言(マリクト)を二回使っちゃわなくてよかったわ」
「ヤンさんなら復活(ディ)でも甦るような気はしますが」
「同意する」
「そこはそれ、誠意って奴よ」
冗談のつもりなのだろうが、まるっきり冗談に聞こえないショウとタバサのセリフをリリスが笑い飛ばす。
復活(ディ)とは僧侶系5レベルの呪文で、その名のとおり死者を復活させる事ができる。
ただいつも使っている還魂(カドルト)に比べると成功率も低く、またある程度原形を留めた死体でないと蘇生が不可能なため、追い詰められた状況でもなければ実際に使うものは殆どいない。
時間は掛かっても死者蘇生の専門家集団である『寺院』に運び込んだほうがよほど確実なのだ。
もっともハルケギニアには『寺院』など無いので、どのみちリリスの還魂(カドルト)が最高の蘇生手段なのであるが。
その還魂(カドルト)は僧侶系の最高位、7レベルに位置する呪文である。であるから、リリスといえども一日に2回しか使用できない。
先ほど天使達に対して同じ7レベルの攻撃呪文、死言(マリクト)を使用したが、その後ケイヒに向かって再び死言(マリクト)を使用していたら、ヤンの蘇生は明日の朝まで待ってもらう羽目になる所だった。
もっともショウとケイヒの戦いに割って入っていたら、この場にいる面子全員が屠られていた可能性も高いであろうが・・・。
一方、自分をおいてけぼりにして話が進んでいることにいささかむっとしながらも、ワルドはそれを表情に出さないように努力する。
自分が割と感情的なほうに属する事は一応自覚しているのだ。そうでなければ、グリフォン隊の隊長を務めるほどの使い手にはなれない。
「ええとその、彼を埋葬するわけじゃなくてこの状態を魔法で治療できるわけかい?」
とは言えさすがに戸惑ったような声で尋ねるワルド。
傍目には焼死体としか見えず、実際そのものであるのだから無理もない。
「ええ、リリスの魔法は凄いんですよ、子爵様。・・・もっとも毎回甦ってくるヤンも凄いとは思うんですけど」
「それじゃあ、見せてもらってもいいかな?」
「いいですよー。別に減るもんじゃないし。ただ、集中が必要ですので静かにお願いしますね」
「わかった」
ワルドも、間近で蘇生の魔法を見るのは初めてである。
その目には少年めいた好奇心の色があった。
ショウがヤンの遺体を仰向けにし、両手を胸の上で組ませて後ろに下がる。
頷き、リリスが目を閉じた。
その喉から、僧侶呪文特有の柔かく規則正しい韻律が漏れ始める。
生命の源たる 熱き血の流れ
その身のうちに沁む 赤き血の流れ
生命の水よ
生命の流れよ
その流れ止まりて血潮冷えし肉体に 再び魂の宿らんことを
囁くように。
願わくばこの失われし魂を呼び戻し
闇を打ち払い
光をもたらし
浄められたる肉体に再び生命を分かち給え
凍てつきし血液の流れに再び炎を灯し給え
灰と変わりしこの身を再び血肉と為し給え
祈るように。
魂は不滅
御霊は滅びず
戻るべき肉体に
魂よ戻れ
祝福(カルキ)あれ
祝福(カルキ)あれ
詠唱は続き。
還魂(カドルト)!
そして、渾身の念が込められた『力ある言葉』(トゥルーワード)が発動し、呪文は完成する。
息を詰めて見守っていたワルドの目には、一瞬彼女とヤンの遺体が光り輝いたようにも見えた。
「お・・・おお・・・」
呻き声とも、溜息ともつかぬ、恐らくは感嘆の声がワルドの喉から漏れた。
炭化していた全身の皮膚が剥がれ落ち、ピンク色の筋肉の上に真新しい皮膚が再生する。
体中に開いていたいくつもの傷口も、時間を逆行するかのように口を閉じていく。
黒くちぢれていた髪は薄い小麦色の輝きを取り戻し、癖のない短髪に姿を変える。
青白かった全身に瑞々しいピンク色の血の気が戻り、最後に一つ、大きく息を吐いて、ヤンは目を開いた。
「おっし、成功。気分はどうかねヤン君」
「あー・・・リリスさんですか。すいません、またお世話になりました」
「いいっていいって。それよりも、記念すべき六十回目の蘇生の気分はどうかしら? まあ賞品が出るわけでもないけどさ」
満面の笑顔で尋ねてくるリリスに、ヤンとしては苦笑するしかない。
「一回死んだら後はもう何回死んでも同じですよ。・・・あれ? こっちの人は?」
「ああ、ワルド子爵って言う人。ルイズちゃんの婚約者なんだって」
「こ、こんやくしゃ!?」
「よろしく、ヤン君」
にこやかな笑みを浮かべ、ワルドが会釈する。
ヤンも慌てて立ち上がろうとしたが、自分が裸に近い格好なのに気づき、慌てて前を隠す。
それを手で制して、ワルドが顔をリリスに向けた。
その目には恐ろしく真剣な色がある。
「リリスくん」
「はい」
ごくり、と思わず唾を飲み込む。
「その、だ。その蘇生呪文は死んだ人間なら誰でも生き返らせることが可能なのだろうか?」
リリスの顔が曇った。ワルドが言いたいことを概ね察したからだ。
だが、こればかりは言っておかなくてはならない。
残酷な事実を告げねばならないのは気が進まないが、これは僧侶や司教など、治療呪文を操る者としての務めでもあるのだ。
「蘇生が可能な死者には大きく3つの条件があります」
無言でワルドは先を促す。
可能な限り感情が入らないように、淡々とリリスは言葉を紡ぐ。
「一つ目は死者が十分な生命力を持っていること。また死因は怪我や事故、病気等で無ければならず、老衰のように生命力を使い果たして死んだ場合は蘇生させる事は不可能です。
二つ目は死体がきちんと保存されている事。正式な処置を踏んで保管されている死体であれば、数百年経っても蘇生が可能ですが、腐敗したり、体の重要な部分が消失していたりすれば蘇生はやはり不可能になります。
三つ目は死者が我々の世界における冒険者クラスの修行を積んでいること。これにより、魂が戻ってきやすく、また肉体も復元しやすくなります」
「・・・その三つを全て満たしていなくては駄目だと言う事かな?」
「絶対、という訳ではありません。術者の腕や他の条件次第では、条件のうち一つ、肉体が多少損傷していたり、あるいは冒険者クラスで無かったりしたとしても蘇生に成功することはあります。
老衰で死んだ場合でも、蘇生呪文で復活し、数ヶ月後に別の病に倒れるまで命を永らえたこともあったそうです。
ですがその場合でも蘇生率はかなり低下しますし、三つのうち二つ以上の条件を欠いているのであればおよそ絶望的といっていいかと思います」
ワルドの目を真っ直ぐ見ながら、リリスは包み隠さず事実を伝えた。
もっとも、そう答えたせいでこの後何が起こるかを前もって知っていたら、率直に答えるのはさすがに躊躇したかもしれない。
神ならぬ身とはままならないものであった。
そして、表情の全く伺えない瞳がリリスの視線を見返す。
「そうか、ありがとう」
平板な声とともにワルドは頷いた。
やはり、異世界の魔法といえどもそこまでご都合主義ではないらしい。
「ワルド様・・・・」
ワルドの内心を多少なりとも察したのであろう、ルイズが彼を見上げていた。
その瞳がわずかに潤んでいる。
無言でワルドはその頭を撫でてやった。
手の平に伝わる感触が、ささやかな満足感と欲望を掻き立てる。
そうとも、死んでしまった母親が甦らないとしても、僕にはもう一人の母親がいる。
必ず、彼女を。僕の新しい母親を我が物とするのだ。
結局その日はワルドもシエスタの実家に泊ることになった。
ワルドは秘密の任務なのだから気にしないでくれといっていたが、さすがにそうもいかない。
シエスタの家族には事後承諾してもらうことにして、毛布を一枚分けてもらったワルドは客間の長椅子にごろりと横になった。
本来は納屋の焼けた事、アニエスが逃げ出したことなどを伝えるためにも彼らを起こさなければいけないのだが、ルイズは勿論、ショウ達もさすがに疲労が限界だった。
そもそも普段ならとっくに寝ている時刻なのである。
取りあえず天使のことは口を噤み、アニエスの仲間が助けに来て、その過程で納屋が燃えてしまったことで口裏を合わせる事だけを決め、一行は休むことに決めた。
ショウとヤンが水を浴びて着替え、他の面々も寝巻きに着替えてベッドにもぐりこむ。
今夜はこれ以上厄介事が起こらないでくれ、と切に念じながら。
翌朝。どうにか彼らの祈りは聞き届けられたようで、朝まで何も無く彼らはぐっすりと休む事が出来た。
とは言っても、朝に弱いルイズは普段より三時間は短い睡眠時間がこたえた様で、揺り動かされるどころか、さまざまなキュルケのいたずら――その大半はここでは到底書けない――にもかかわらず、中々起きようとはしなかった。
目が覚めてからも(頭がぐらぐら揺れて、まともに受け答えも出来ない状態をそういうのならばだが)体はともかく脳が覚醒する様子は無い。
ワルドの前ではせめて無様な姿を見せまいとするのだが、それでも我慢できずにふらふらと倒れかかり、そのたびに隣のショウに支えてもらっている。
(何故だ! 何故左隣に僕がいるというのに僕のほうにもたれかかってこないんだ、ルイズ!?)
もちろん、ワルドがそれを見て内心更なる憎しみを滾らせていたことは言うまでもない。
早朝のトリステイン魔法学院。
学院長オールド・オスマンの秘書を務めるミス・ロングビルはベッドから上半身を起こし、うん、と伸びをした。
まだ太陽が地平線から顔を出してそれほど経っていないことを確認し、朝食までの時間をどう使うかを考える。
数秒で二度寝をすることに決め、ぽふっと柔かい寝床の中に倒れこんだ。
どうせ早めに出ていってもあのセクハラ爺に尻を触られるだけである。
今日は色々と忙しい事でもあるし、せめて今はゆっくりしよう。
可愛い妹に心の中でおやすみ、と呟いて瞼を閉じようとした瞬間、鍵をかけていたはずの扉がいきなり開いた。
驚いて跳ね起きたミス・ロングビルの前に、あの忌々しい仮面の男が立っていた。
「そうやって惰眠を貪っていると言う事は、準備は済んだのか?」
「は?」
口調からすると随分ご立腹のようだが、彼女にはその理由が分からない。
そもそも、何を言っているのかが分からない。
「破壊の剣を盗み出す計画の準備は整ったのかと聞いているんだ!」
「ちょ、声が大きいよ! 石壁つったって、怒鳴ったりしたら隣に聞こえるんだからさ!」
さすがに焦るフーケを、仮面の奥の目がじろりと睨む。
「その時はお前が困るだけのことだ」
いや、あんたの計画にも差し支えるんじゃないのか、と言おうとしてフーケは言葉を飲み込んだ。
どう考えてもそんな正論が通じそうな雰囲気ではない。
「で、どうなんだ。朝から二度寝を決め込むからには準備は全て整っているのだな?」
「午前様になってからやってきてよく言うよ。仕込みをするとなれば昼間からしなくちゃいけないこともあるのさ。大体夜っぴて働くなんて美容に悪いじゃないか」
じろり、がぎろり、になった。
こりゃ軽口も通じなかったか、と心の中でフーケは嘆息する。
「ともかく啖呵を切ったのならば、今日中に全ての準備は終らせておけ。俺にはお前の二度寝を悠長に待っている余裕はない」
「へいへい」
「真面目に聞け!」
「ははっ、承りましたわが主」
よっぽど「余裕がないのはあんた本人だろうと言い返してやりたかったものの、さすがにそこは我慢する。
荒々しく、それでも足音を立てずに出ていく仮面の男を冷やかな目で見送ったフーケはさて、とひとりごちた。
すっかり目が覚めてしまったのだから、着替えて何がしかの準備でもするか、と思い・・・やっぱり馬鹿馬鹿しくなって、結局彼女は二度寝することにした。
シエスタの実家の食堂。
朝食の席でキュルケが一行を代表してワルドをシエスタの家族に紹介するとともに、昨夜の事件を説明する(事情は部屋にいる内にタバサが説明している)。
アニエスの仲間が彼女を助けに来て、それを阻止しようとしたが失敗。そのとばっちりで納屋が燃えてしまった事を伝え、賠償を行いたいと申し出るとシエスタの父親は快諾した。
人が死んだわけでもなし、貴族であり娘の恩人でもあるルイズ達に文句を言う筋合いでもないのだろう。
彼女の申し出た賠償の額が、納屋を中身込みで十軒ほど建て直せるほどの物だったのも影響しているだろうが。
「にしても、よく見ると結構いい男ねぇ」
いきなり、キュルケがまじまじとワルドの顔を見つめた。
「あなた、情熱はご存知?」
満更でもないキュルケの表情に、ヤンは些かむっとして、ワルドを敵だと確信することに決めた。
もっとも彼自身、召喚の儀式以降はキュルケの元ボーイフレンドたち及びファンから「トリステイン人民最大の敵」呼ばわりされていることは知らない。
「お気持ちはありがたいが、むやみに顔を近づけないでくれたまえ。婚約者が誤解するといけないのでね」
ワルドの言葉に再びルイズが頬を染める・・・と、ワルドは期待したのだが、残念ながら彼女は半覚醒の脳を全て目の前の朝食に集中している状態で、彼の言葉など聞いてもいなかった。
一方、余りに素っ気無い態度に、カチンと来たのはキュルケだ。
それはもちろんキュルケとて、ヤンがいるのに本気で他の男を誘おうとは思っていないが、女としてないがしろにされたようで、はなはだ面白くない。
今までこの表情で迫って、何も反応を示さなかった男はいないのだ。
キュルケは頭の中で、ワルドを人名リストの「好意的中立」から「消極的敵対」に移動させることにした。
ちなみにタバサは「友人」の中の「親友」、ショウとリリスは「友人」の「一般」、ヤンは「現恋人」のフォルダ(以前の男たちのデータは全て「未整理」フォルダの中だ)にそれぞれしまってある。
ちなみにルイズは「友人」の中の「おもちゃ」フォルダに大切に仕舞いこんである。
閑話休題。
「あら、興味はありますけれども別に好意を抱いているわけじゃありませんことよ? そちらこそ誤解しないで頂きたいわね」
「・・・・それは失礼した」
「私、自意識過剰な男って嫌いですの」
つん、と澄ましたキュルケに、リリスが必死で笑いをこらえていた。
ヤンはヤンで顔が笑み崩れそうになるのをこらえていたが、これはどちらかというと彼が女性心理に疎いことを自ら暴露しているような物である。
まぁこれは彼が「いい人」である裏返しでもあるので良し悪しなのだが。
そうこうしている内に、顎と胃の活動に連動して頭の回転が上がってきたのか、ルイズの目がどうにか普段の物になってきた。
先ほどから溜息をつきながら口元を拭いたりしてやっていたショウが安堵の息をつく。
それを横目で確認し、キュルケは次なる爆弾を送り込んだ。
「でも、私の体に何も反応なさらないのはご立派ですわ。つまり子爵様は豊満な私よりもつるんぺたんなルイズのほうがいいって事ですのね」
スープを飲んでいたルイズがむせた。
「ちょ、ちょ、ちょ、何言ってるのよ!?」
顔を真っ赤にして、怒っているのか恥ずかしがっているのかわからないルイズを横目で眺めつつ、ワルドは苦笑しながら頷いた。
「まぁそうなるかな・・・」
「成熟した私よりも、未熟な青い果実の彼女のほうがいいと」
「引っ掛かる言い方だが、そういう事だ」
「このロリコンどもめ」
タバサが小声で呟き、今度はワルドが口に含んだコップの水を盛大に噴き出した。
「そうね、タバサも気をつけたほうがいいわよ。ルイズにすら欲情するとなれば、タバサも危ないわ」
煽るキュルケとコクコク頷くタバサに咄嗟に反論する事も出来ず、ワルドは一瞬視界が暗くなったかのような錯覚を覚えた。
(ねー、かあちゃん。"ろりこん"ってなんだー?)
(シッ! そんな言葉使っちゃいけません! 後、エリザ、ポリーヌ、カロリーヌ。あなたたちはあのお髭の貴族様に近づいちゃいけませんよ。いいわね)
(なんで?)
(なんでも! わかったわね!)
(((はーい)))
小声でまだ幼い娘達に注意するシエスタの母親の言葉も、ワルドの耳には逐一届いてしまう。
音に敏感な風のスクウェアである事が今は恨めしい。
精神的に打撃を受けているワルドに代わって、キュルケに噛み付いたのはルイズだった。
「キュルケ! それってどう言う意味よ!?」
我に返ったワルドも慌てて弁明を試みる。
「へ、変なことを言わないで欲しいな! 僕はルイズの婚約者であって、それ以外の女性には興味が無いんだ! ただそれだけだよ!」
「動揺するのがまた怪しい」
「よねー」
リリスまで加わり、笑いを含んだ目でタバサと頷きあう。
その傍らで、男二人が微妙にやってられない雰囲気を作っていた。
「そういうもんなんだろうか・・・?」
「俺に聞かないで下さいよ、ヤンさん」
勿論卓のもう一方で、シエスタとその家族が表情を引きつらせていたのは言うまでもない。
再びトリステイン魔法学院。
「おい、フーケ!」
人気のない廊下で、いきなり名前を呼ばれたフーケはギョッとしたが、振り向いてげんなりした顔になった。
「なんだ、またあんたかい。今度は一体なんなのさ?」
「・・・・・・決まっているだろう、作業の進展具合を確かめに来たのだ」
むっつりと、不機嫌そうに答えを返すのは、やはり例の仮面の男である。
言葉の前の不自然な間に、器用に片方の眉だけを持ち上げるフーケ。
「何さ、今の間は?」
「お前の知ったことではない。それより、進捗状況はどうなのかと聞いているのだ!」
イライラした様子を隠そうともしない男に、フーケが露骨に呆れた表情になる。
「あのねぇ、あたしだって昼間は秘書としての仕事があるんだし、準備を終えるとなったらどうしたって夜になるんだよ」
「俺がやれと言っているんだ! すぐに取り掛からないか!」
「・・・・はいはい、わかりましたよ。暇を見つけてやっておくさ」
「急げよ。状況はお前を待たないぞ」
言い捨て、仮面の男は身を翻して消える。
溜息をつき、取りあえずオールド・オスマンから言い付かった仕事を果そうと歩き始めた。
その脳裏にちらりとひらめいた考えがある。
(まさかとは思うけど・・・あいつ、あたし相手に八つ当たりしに来てるんじゃないだろうね?)
だがそのひらめきが正しいかどうか、今の彼女に確かめる術は無かった。
シエスタの実家。
朝食が終った後、シエスタとその家族は食休みもそこそこにそそくさと食堂から出ていき、ルイズとワルドも「二人きりで話がしたいというワルドの提案に席を外していた。
残っているのはショウ達5人だけである。ワインもお茶もないが、水のグラスを傾けてまったりとした食後のひとときを過ごしていた。
「にしてもルイズと子爵の話ってなんだろうな」
「なになに? ショウってば子爵にやきもち焼いてるの?」
「なんですかそれは」
照れ隠しに怒るでもなく、慌てて否定するでもなく、本当に何のことだか分からない、という顔でショウが答える。
あらつまんない、とキュルケとリリスが思ったかどうかはともかくとして、珍しくタバサが会話に参加してきた。
「それよりも、昨日の続きをしたい」
そう言うタバサはコップの水を僅かにこぼし、指先が机の上に水で文字を書く。
『声を出さないで。子爵は風のスクウェア。この会話も多分聞かれてると思った方がいい』
僅かに目を見張ったキュルケが、頷いて口を開く。
「そうね。だけどみんな結構疲れてるし、続きは学院に戻ってからにして、今日は少しゆっくりしない?」
一方で指はタバサの真似をして、口とは全く別の言葉を紡いでいる。
『タバサもショウも、そこまであの男を警戒するって事は、何かあるのね?』
頷いて今度はショウが水文字を書く。
「そうだな、正直俺も疲れが取れていない。昨夜はかなり消耗したからな」
『ワルドからは"気"が全く感じられない。生きてる以上、気配を断ってそれに気付かない事はあるにしても、全く感じられない事はありえないんだ』
三人が僅かに首をかしげる。
「ルイズもいないし、現状では余りはかどらないかもしれないわね」
と、これはリリス。
『どう言うこと?』
『もう少し詳しく説明を』
『屋根に潜んでいたのを気付かなかったのは、奴が忍びの達人だと言う事でまだ納得できなくもない。
だが、ああして正面に立っていても、俺は全く奴の気配を感じられなかった。
奴が何らかの理由で姿を見せている時も気配を断っているとしても、目の前にいるのに何も感じないというのはありえないんだ。
まるでギーシュのゴーレムみたいで、生きている人間とは思えない』
少し間が空いた。
ちなみに先ほどからヤンの発言がないのは、ヤンが読み書きが苦手で水文字を読み取って話についていくのがやっとだからである。
決して話が難しくて参加できないわけではない。
それはともかくしばしの後、タバサの指が再び水の文字を描く。
『だとすると恐らくそれは風のスクウェアスペル、『ユビキタス』。『遍在』と呼ばれる分身を作り出し、自由に操る術。この分身は何から何まで術者と同じで、戦ったり呪文を使ったりする事さえできる。
通常は本体と見分けがつかないが、何から何まで本体と同じといってもあくまで魔法で作られた分身だから、"気"を発しないのかもしれない』
『つまり気配を探ることによっては奴の分身を見つけることはできないわけか・・・厄介だな』
『私は空気の流れで彼の存在に気付いたけど、遍在が"気"を持たないと言うのなら、気配に恐ろしく敏感なショウが気付けなかったにもかかわらず、私が気付けた事の説明がつく』
『なるほどねぇ。あれはショウが消耗してたせいだと思ってたわ』
ずっと気になっていたのか、腑に落ちた表情でタバサが頷いた。
一方ショウは深刻な表情である。侍は"気"を用いて戦い、"気"をもって敵を察知する。
気配の察知能力において他のクラスの一枚も二枚も上を行くだけに、それに頼る所も大きいのだ。
即ち、相手が"気"を発しないと言う事は、彼にとって遭遇戦において大きな枷をはめられたに等しい。
が、ショウが真剣に悩む一方で暢気に脱線している連中もいた。
『なにか、"どっか〜ん! なぜなにトリステイン"ってノリになってきたわね』
『ねぇ。で、どうなんですかタバサおねえさん』
『誰がおねえさんか』
『えへ、僕頭の悪いうさぎさんだからわからないや』
『そこはむしろ説明役のお姉さんと間抜けな人形と言ったほうがいいんじゃ?』
『その話はもういい』
タバサが再度突っ込みを入れると、さすがにキュルケやリリスも話を本筋に戻す必要を感じたらしい。
『でも物は考えようね。分身からは"気"を感じないと言うなら、逆に言えば本体と分身が一緒にいてもショウ君は見分けが付くって事じゃない?』
『それはそうですけど、余り今の時点で役に立ちそうな話じゃないですね』
『まぁショウのほうは分かったわ。それで、タバサが気にしているのはなんなの?』
リリスの指先を見て、再びタバサが頷く。
『ひとつはショウが存在を感知できなかった事。もうひとつは、余りにもタイミングが良すぎる事。彼の言葉は一応の筋は通っているけど、それでも疑いは残る。
言っている事はいちいちもっともでケチはつけられないけど、結局彼は、私たちに何ら事情を説明していない。この状況で幾らルイズの婚約者だからといっても、それだけで信用しろというのは無理がある』
『タバサは、ワルドがケイヒやエンジェルと関係あるかもしれないと考えているの?』
『そこまでは分からない』
『エンジェルはまだしも、ケイヒが間違ってもワルドの下につくとは思えませんが』
『よねぇ。大体、ワードナならともかく人間にエンジェルを操ることが出来るとも思えないし』
『モット伯がポイゾンジャイアントを操っていたじゃないですか。あれは?』
ショウの言葉にはっとしてリリスが顔を上げた。
『そうか、『召喚の書』! あれなら人間でもエンジェルを召喚・使役できるかも』
『なるほど。そうなるとエンジェルを召喚したのはあの時『召喚の書』を隠匿した人間かもしれない』
『つまり・・・どう言うこと?』
『あの時出てこなかった『召喚の書』を隠匿したのが、ワルド子爵である可能性があると言う事』
『そう言えば、あの時も私たちのことを見張っていたはずよね』
一瞬遅れて、事態を理解したキュルケとショウの瞳が大きく見開かれた。
『つまり、あのエンジェルはワルドが召喚したもので、ケイヒはエンジェルとは関係ない・・?』
『でもアニエスは牙の教徒で、ケイヒはそのアニエスを助けに来たじゃない?』
『それもこれもまだ断言は出来ないわね。ただ、仮にケイヒがワルドの仲間だったとしても、仲がいいわけじゃ無さそうね』
『筋は通ってるわね。でもそれでも疑問は残るわ』
『ワルドの目的ですね?』
『そうよ。あれだけルイズが大切そうなのに、私たちをエンジェルに襲わせた。筋が通らないわ』
『む』
『案外ショウ君に嫉妬してたんじゃないの?』
『ないない』
思いつきで言ってみたキュルケ自身、それが最も正解に近い答えだなどとは思っても見なかった。
まぁ、その気になれば城を落せる程の戦力を、女の子の前でいい格好をするための低レベルな思いつきに使うなどと、普通は考えまい。
しばし言葉が途切れ、全員が考えこむ。
その間に文章を追っていたヤンがようやく追いつき、何の気なしに文章を書き込む。
『あっちもこっちも謎だらけですねぇ。意外と、ワルド子爵も牙の教徒(プリースト・オブ・ファング)だったりすれば話が簡単なんですけど』
「「「「!!」」」」
何気ないヤンの一言が、他の四人の目を見張らせた。
軽い冗談のつもりだった本人は、四人が一斉に示した反応にウサギのようにびくりと震える。
『ありえる』
『否定は出来ないな』
『モット伯の事件からすると、牙の教徒(プリースト・オブ・ファング)は宮廷内にも相当数入り込んでいると考えるべき。
彼が牙の教徒、あるいはレコン・キスタのエージェントだったとしても驚くには当たらない』
『レコン・キスタ?』
首を傾げたリリスと、似たような表情のショウを見てタバサは僅かの間不思議そうな顔をしていたが、やがて得心したのかまた文字を書き始めた。
『レコン・キスタはアルビオン――トリステインの西の海の上空を漂う巨大な空飛ぶ島――で内乱を起こしている勢力。王権の打倒とブリミル教の改革、そして聖地奪還を目標に掲げ、多くの貴族たちを傘下に収めている。
そのレコン・キスタが『アルビオン国教会』として掲げる教義が、牙の教徒の物に酷似している』
『つまり、牙の教徒であると言う事はイコールでレコン・キスタとやらのスパイでもあると言う事か?』
『あくまで可能性。断言はできない。まぁ、そうであってもなくても敵である可能性には変わりない』
『でも、考慮には入れておいたほうが良さそうね』
四人が頷く。
ワンテンポ遅れて、その字を読み取ったヤンも頷いた。
「それにしても出てくる気配がないな。ルイズと子爵は本当に一体何を話しているんだ?」
と、これは声に出してショウが話す。
にまっとした笑みを浮かべてそれを見やるキュルケ。
「ああら、やっぱり気になるのかなショウ君は」
「それはね」
「普通なら、長く音沙汰の無かった許婚だし、話は尽きる事がないんだろうと思うんだけど」
ごくわずか、影のかかった表情になってリリスが呟く。
『普通ならな』
今度は指先で、ショウは答えた。
ショウの懸念にもかかわらず、ワルドとルイズとの間に交わされていたのはごく普通の思い出話だった。
ルイズは当然覚えていないが、初めて会ったときの話。
赤ん坊のルイズを抱いて、あやすのに四苦八苦したこと。
4つ位のルイズと、彼女のお気に入りだった庭の池のボートで水遊びをしたこと。
ルイズの嫌いな野菜をワルドが食べてやったら、甘やかすなと二人揃ってルイズの母親にしかられたこと。
そしてルイズが魔法を使えない事が分かり始めたころ、母親にしかられたルイズは池のボートの中に逃げ込むのが常だったこと。
「覚えているかい? あの日の約束。ほら、きみのお屋敷の中庭で・・・」
「あの、池に浮かんだ小船?」
ワルドが頷く。
「きみは、いつもご両親に怒られたあと、あそこでいじけていたな。まるで捨てられた子猫みたいに、うずくまって」
「ほんとに、もう、ヘンなことばっかり覚えているのね」
「そりゃ覚えているさ」
唇を尖らせたルイズを見て、楽しそうにワルドが笑う。
「でも僕は、それはずっと間違いだと思ってた。確かに、きみは不器用で、失敗ばかりしていたけれど」
「意地悪ね」
ルイズがふくれっつらになる。
状況が期待通りに運んでいるのを確信して、ワルドは内心ほくそえんだ。
ワルドがショウに対して持っているアドバンテージは年月の積み重ねである。
いかに親密になっているとは言え、子供の頃に重ねた共通の経験はそう簡単に代替出来る物ではない。
思い出話でそれを喚起させておいてそこから今後の・・未来の話に繋げるのがワルドの書いた筋書きだった。
「違うんだルイズ。きみは失敗ばかりしていたけれど、誰にもないオーラを放っていた。魅力といってもいい。それは・・・」
「それは、私が小さな女の子だったからですか?」
きみが、他人にはない特別な力を持っているからさ、と続けようとして、ワルドの頭は真っ白になった。
いきなり何を言い出すのだこの桃色頭の許婚は。
「いやそのね、君には特別な才能が・・・」
「子供の頃、何かに付け私を庇ってくださったのも小さな女の子だったからなのですか!?」
絶句するワルド。ルイズが感情のままに言葉を畳み掛ける。
「おかしいとは思っていたんです・・・私、ショウを召喚するまでは魔法が全然使えなくて、もうとっくに婚約だって破棄されていておかしくないのに。
考えてみれば変だったんです、ずっと音沙汰の無かった子爵様が今このときに私の目の前に現れて、婚約者だと名乗ってくださる。
・・・ひょっとして子爵さまは姫殿下のご命令に便乗して、私が育ってない事を確認しに来たのではありませんか?
婚約を破棄しないでいてくださったのは私が子供のような体型のまま育たなかったからなのではないですか!?」
「ちょ、ちょっと待ってくれルイズ!?」
「ワルドさまは本当にロリコンなのですか!? 私が背が低くて肉もついていないから婚約を破棄しないでいてくださるのですか?!
子爵様の言う私の魅力や才能と言うのは、詰まる所胸が無くてちっちゃいことなのですか!? 答えて下さい!」
真剣な眼差しを向けてくるルイズ。視線を合わせたワルドは一瞬言葉に詰まった。
彼は間違いなくロリコンの気があったが、自覚はしていなかったので真実を突きつけられて言葉を失ったわけではない。
単純に、涙を目に溜めたルイズが美しく、それに見とれてしまったからだ。
が、ルイズはそうは思わなかった。
図星を指されてワルドが黙り込んでしまった物と思った。
「やっぱり・・・やっぱりワルドさまは小さな子が・・・小さな子だから・・・」
「ち、違う! そうじゃないんだよルイズ!」
「今までありがとうございました! さようなら!」
だっとルイズが身を翻して走り去る。
「閃光」と仇名されたワルドが、速度が身上の風のスクウェアたる彼が、それを引き止めることすら出来ない。
「待て! 待ってくれルイズ!」
我に返ったワルドが必死に呼びかけるにもかかわらず、ルイズは泣きながら家の外へ走っていく。
「ルゥゥゥゥゥイズ! カァァァァァムバァァァァァッッッック!」
ワルドの絶叫が朝のタルブ村に響いた。
玄関先で呆然としていたワルドは、いつの間にか自分が取り囲まれていることに気付いた。
ショウ、キュルケ、タバサ、リリス、ヤン。
いずれも程度の差はあれど、怒りの表情を浮かべている。
代表して、キュルケが口を開く。
「ワルド子爵。よろしければルイズに何を言ったのかご説明願えませんかしら?」
「ぼ、僕は別に何も・・・」
ワルドが母親と"烈風"以外の女性を怖いと思ったのはこれが初めてだった。
思わず気圧され、口篭もる。
「何もないはずがあるか。なら何でルイズは泣いていたんだ!」
今にも背中の剣を抜き放ちそうな剣呑な表情で、ショウが詰め寄る。
「ショウ、気持ちはわかるけどここはルイズのところに行ってあげなさい」
「でも! それに、こういうのはキュルケさんみたいな女友達のほうが」
「私はだめよ。喧嘩ばかりしてるから。互いに素直になれないの。だからあなたしかいないのよ、ショウ君」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! それはルイズの許婚である僕が行うべき役目じゃ」
「そもそもルイズを泣かせたのはあなたでしょう?」
リリスの一喝とひと睨みがワルドを黙らせた。
ショウはしばらく逡巡するようにワルドとキュルケの顔を交互に見ていたが、やがて頷くとルイズの後を追って駆けだした。
勿論ショウは野伏せりのような足跡を辿る技術は持っていないが、ルイズが駆け去ってすぐならばその後に残った気配の残りカスを追ってルイズを探し出す事も出来る。
一方、キュルケ達はいよいよ剣呑な表情でワルドに迫っていた。
「さて、子爵さま。ここではなんですし、客間のほうに行きましょうか?」
「いや、だから、僕は何も・・・」
「それはこれから伺いますわ。ヤン!」
パチン、とキュルケが指を鳴らす。
「アイ、マム。というわけで、申し訳ありませんけどついて来て下さいね」
「ちょ、ちょっと待ってくれヤン君・・」
こうしてワルドは、シエスタの家の客間で昨晩以上に厳しい追及を受けることになったのであった。
一方、ショウは首尾よくルイズに追い着いていた。
村はずれの立木にもたれかかり、しゃくりあげている。
一瞬躊躇したが、覚悟を決めると近づいて声をかける。
「なぁ、ルイズ・・・」
びくり、とルイズが震えてショウのほうに振り向く。
次の瞬間、ショウにすがり付いてルイズは盛大に泣き始めた。
ショウはしばらく固まっていたが、やがて諦めたように頭を撫でてやる。
十三歳の少年としては、まぁこれでも上出来の部類だろう。
なお必死の弁解によりワルドのロリコン疑惑は一応――本当に一応――解けたものの、以降彼を見る目が些か冷たいものになったのはやむを得ない所であろう。
ところでその頃のトリステイン魔法学院。
「おいフーケ!」
「ちょっと! もう勘弁しとくれよっ!」
三たび仮面の男がフーケの元に計画の督促に訪れ、フーケがまたもや悲鳴をあげていた。
どうにかルイズに自分はロリコンでないと納得させた後、ワルドは居たたまれなくなったのか任務の続きと称して姿を消した。
「なーんか、見張られてるみたいで落ち着かないわねぇ」
「ずっと覗き見されてたと思うとぞっとしませんね」
キュルケのぼやきにショウが相槌を打つ。
「それじゃ、例の翻訳の続きをやっちゃいましょ。そんなに長くいられるわけでもないんだし、時間が惜しいわ」
言い出したルイズに視線が集中した。
「な、何よ?」
「いや・・・いいのか? 気分が乗らないのに無理にやる事はないんだぞ?」
むっ、とルイズが唇を尖らせる。
「大丈夫よ。リリスやタバサが疲れてるって言うなら休むけど」
「問題ない」
「ルイズがやる気になってるならこっちとしては望むところよ」
「しょうがないな、付き合うか」
笑み――中には苦笑も混じっているが――を浮かべつつ腰を浮かす四人に対し、それを笑って見送るものも存在する。
「頑張ってねー」
「魔法が使えない俺には応援しか出来ないからさぁ」
「そうそう、俺たちゃ三人で仲良くおしゃべりでもしてるんだね」
あら、と漏らしてリリスがヤンの手の中のデルフに気付く。
「何だデルフ、いたの?」
「いたよっ!?」
ちょっぴりショックなデルフリンガーはともかく、キュルケはまるっきり手伝う気はないようであった。
「ちょっと、ヤンとデルフは役に立たないからいいとして、キュルケ。あんたは手伝いなさいよ、一応トライアングルでしょ!」
「ひでぇよ娘ッ子!」
「そりゃそうだけど、そんなにはっきり言わなくたって・・・」
傷ついている一人と一振りはスルーして、キュルケが無意味に艶やかな笑みを浮かべた。
「残念、私実践派なの。テキストが完成したら写させてもらうわ」
「キュルケは頭はいいけど座学は余り得意じゃない。いてもらってもペースは余り変わらないと思う」
「むー」
「そういうことね」
下手をすれば侮辱とも取れるタバサの発言に、けらけら笑うキュルケ。
ルイズはまだ不服そうだったが、ショウに肩を叩かれて不承不承に客間のほうへ移っていった。
場に二人だけが残った所で、キュルケがヤンに囁く。
「ね、ダーリン。久々に二人っきりなんだし、歩かない?」
「う、うん? そうだね。シエスタが教えてくれたけど、花で一杯の綺麗な草原があるんだって。そこにいかないか」
「・・・なによぅ、いつの間にあの娘に手を出してたの?」
拗ねたような上目遣いで、キュルケがヤンを見やる。
「いや、その、そんなんじゃなくて、どこかでそんな話をしてたってだけだよ!」
面白いように動転するヤンに、キュルケは心の中だけで苦笑した。
それはまぁ、ヤンは流されやすくはあるが、どう考えても自分から他の女に手を出すような甲斐性はない。
おまけにこんな見え見えの引っかけを容易く真に受けて泡を食うなど、何ともうぶな事である。
まぁキュルケとしてはその辺りが新鮮で好もしいのだが。
二人が手に手を取って、微妙にほほえましいデートに出かけた後、デルフリンガーはテーブルに無造作に放置されていた。
さすがにデルフリンガーも、あそこで自分も連れて行けというほどには空気が読めないわけではない。
だが一人でぽつんと放置されると、やっぱり寂しい物は寂しいのであった。
あの武器屋にはしょぼくれた親父がいたが、今はそれすらいない。
「あー、誰か話し相手になってくれねぇかなぁ。デルフ、寂しいと死んじゃうんだよ。伝説の剣たるこの俺さまを寂しがらせるなんて、相棒達は重罪人だね! 本当、ハルケギニアの大損失だよ!」
ひとりごちてみる。
もちろん、どこからも返事はない。
窓の外には爽やかな初夏の風が吹き、時折小鳥のさえずりと牛の鳴き声が聞こえている。
溜息(?)をついてデルフは口を閉ざす。
一人で喋るのは果てしなく空しかった。
しばし後。
がやがやと甲高い喧騒がデルフの耳に飛び込んできた。
言葉遣いと声の高さからすると、変声期前の男の子のようである。
「ただいまー」
「「「「おじゃましまーす」」」
意外と礼儀正しく挨拶して玄関から入ってきたのは、はたして七歳から十二歳と思われる男の子ばかり十人ほどであった。
その中にはシエスタの弟たちのうち年少の二人も混じっている。
彼らはきょろきょろとあたりを見回し、デルフを見つけた。
「あれー、剣だけだぜ?」
「っかしーなー、剣士の兄ちゃんが赤毛の貴族様と残ってたんだけど」
「なんだよ、折角話聞かせて貰おうと思ってきたのに」
どうやらこの子達は、昨日ヤンが語ったラグドリアン湖の冒険譚を聞かせて貰おうと思って集まってきたらしい。
「なぁ、ヤンさんたちどこに言ったか知らないか?」
「何やってんだよジェローム。剣に話し掛けたって返事するわきゃねーだろ」
「ばっかだなぁ。これはえーと、イッテルゴゼンサマ・・だっけ。とにかく喋る剣なんだよ!」
「何言ってんだよ、剣が喋るわけ」
「このデルフリンガーさまに用かね、ガキんちょども。ちなみにヤンとキュルケは手に手を取って逢引中なんだな」
次の瞬間、子供たちから上がったどよめきは凄まじい物だった。
シエスタの母親とショウが揃って様子を見に顔を出した位である。
「すげー、喋る剣だぜ!?」
「な? 本当だったろ!?」
「すげーよ、これって悪い貴族からリュシアンとジェロームのねーちゃんを助けてくれた剣士様の持ち物なんだよな?」
「えー、魔法の剣なんだろ? だったら貴族様のじゃないの?」
「バーカ、貴族様が剣なんか持つかよ」
「そりゃそーか」
さすがに触りはしないが、取り囲んで好きな事を言っている。
「ったく、ガキンちょは遠慮がないんだね、これが。で、この俺様デルフリンガーに何用よ?」
おおおおおっ、と再びどよめきと歓声が起こった。
デルフにしてみれば喋るだけでこれほど驚嘆されるのは新鮮どころか、ちょっとした感動ものであった。
折角数百年ぶりに目覚めてみたのに話し相手もいないこの状況ではなおさらである。
一方、食堂の入口脇ではシエスタの母親が苦笑するショウを前に恐縮していた。
「あの、あなた様の剣を、よろしいんですか?」
「構いませんよ、どうせ今はあいつも暇だし。むしろ話し相手になってもらって感謝してるくらいです。
ただ、錆びてるとはいえ危ないから触ったり抜いたりしないように言って下さい」
「はい、分かりました・・・あんたたち! お許しが出たからお話はしてもいいけど、それは貴族様の持ち物なんだから触ったりするんじゃないよ!」
歓声が上がった。
無邪気にはしゃぐ様子に、自然とショウの口元にも笑みがこぼれる。
ルイズたちが見たら驚くだろう優しい笑みで子供達に頷き、ショウはそのまま奥に戻っていった。
子供たちはショウから冒険譚を聞きたがったが、シエスタの母親に一喝されたので諦めてデルフの元に戻る。
群がる子供たちを代表して、シエスタの弟が質問する。
「なー、デルフー。お前ってすげーの?」
「口の利き方を知らないお子様だな。もちろんすげーに決まってるじゃねーか」
「じゃーなんで錆びてるんだよう」
「知らね。幾ら落そうとしても落ちねんだから、まぁ仕方がないだろ」
微妙に白けた雰囲気が漂った。それはそうだ、幾ら魔法の剣といっても錆だらけでは威厳に欠ける事おびただしい。
ついでに言うと、子供は熱狂するのも早いが、冷めるのも早い。
「ひょっとして中まで全部さびてるんじゃねーのか?」
「このクソガキ! 何てこといいやがる! 俺様はガンダールヴの左手、デルフリンガーさまだぜ!?」
「ガンダールヴってなんだよ?」
「えーと・・・・忘れた」
子供たちからブーイングが巻き起こる。
「なんだよ、それじゃ本当に喋れるだけのただの錆び剣じゃないか!」
「馬鹿野郎、剣を外見で判断するんじゃねぇ! 俺はこう見えてもスゲえんだぞ!」
「だからどう凄いんだよ」
もはや冷め切った疑いの眼差しだけを向けてくる子供等に、デルフリンガーは己の名誉を守るべく必死でアピールを繰り返す。
「えーと・・・そう、そうだ。俺は6000年は生きてるんだぜ! なんせ元々ガンダールヴの愛刀だった俺をインテリジェンスソードにしたのはブリミルその人だからな!
あいつが俺の前の相棒を嫁さんごと異世界から呼び出して、ガンダールヴにしたんだ!」
しん、と場が静まり返った。
どうだまいったか、とデルフが胸を張る。
が、子供たちの反応は彼の望むようなものではなかった。
「嘘吐き!」
「え、えぇぇぇぇっ!?」
驚く暇もあらばこそ、子供達による厳しい糾弾がデルフに雨あられと浴びせ掛けられる。
「こんな錆び剣が、始祖様の作ったもんなわけねーじゃねーか!」
「ウソつくならもっとマシなウソつけよ!」
「始祖様の名前を軽軽しく口にしちゃいけないんだぞ!」
「お前が貴族様の持ち物じゃなければ鍛冶屋のパオリさんの炉で溶かしてもらうところだぞ!」
「ちょ、ちょっと! ホントだ! ホントなんだって! 俺の前の相棒と現相棒に誓ってもいい、本当なんだ、信じてくれ!」
「行こうぜ。こんな嘘吐き剣もう相手にしてやるもんか!」
「ちぇっ、ヤンの兄ちゃんが居ればもっと冒険の話をしてもらえたのになー」
「リュシアン達はいいなー、昨日話してもらったんだろ?」
「喋った時は驚いたけど、こんな錆び剣なんて見かけどおりのガラクタに決まってらぁ」
口々に失望と怒りを吐きだし、少年たちは去っていく。
ナイーブな心を傷つけられた一振りの剣を残して。
「違うよう・・・本当なんだよう・・・ウソじゃねぇってばよぉ・・・」
しくしくしくと鬱陶しく泣くその言葉に耳を傾けるものはもういない。
いや、ただ一人だけ居た。
姿を隠して翻訳作業を行うルイズたちを観察していたワルド、正確に言えばその遍在である。
ショウがルイズの手元を覗き込んだり、二人の顔が接近したり手が触れ合ったりするたびに、憎しみの炎を滾らせていたのだが、その彼の耳に、デルフリンガーの「ガンダールヴの左手」というフレーズが飛び込んできたのである。
しばしルイズのことも忘れ、無言で考え込むワルド。
やがて顔を上げた彼の顔中に、人を不快にさせるような笑みがべったりと張り付いていた。
「それじゃ、お世話になりましたわ」
「いえいえ、あなた方は娘の恩人です。またいつでも遊びにいらして下さい」
「ねーちゃーん!」
「今度は夏に帰ってくるから、おとうさんとおかあさんの言う事を聞いて、いい子にしてるのよ」
「「「「「「「はーい!」」」」」」」
翌日、一行はタルブの村を発った。
時ならぬ里帰りをシエスタは存分に満喫したようで、その表情は晴れ晴れとした物だった。
シエスタの曽祖母リィナの呪文書を発見・解読できたリリス達もその表情に曇りは無い。
呪文書の解読には参加しなかった物の、ヤンとキュルケは久々に二人きりの時間を作れて、ヤンはタルブのワインも存分に楽しんで、概ね満足な旅であったようだ。
二日目の午後には男の子たちの襲撃を受け、慣れない調子で夕方までの間ずっとこれまでの冒険譚を開陳させられる羽目になったが、それはそれで満更でもなかったようである。
ちなみにデルフはあれ以来シクシク泣いて鬱陶しいので鞘に収めて布でグルグル巻きにされた挙句、馬の鞍に突っ込まれていた。
だがただ一人、ショウだけは翻訳作業の折に時折思いつめたような顔をしていたのをルイズとタバサ、リリス達に目撃されている。
三人とも気を使って口にはしなかったが、意外に鋭いキュルケあたりは気付きながら黙っていたかもしれない。
恐らく、いや間違いなく原因はケイヒと名乗ったあの女侍。
明らかにショウを越える実力を誇る、鳳龍の剣術の使い手。
はっきりとショウに対する殺意を口にした以上、また彼女は現れるだろう。
それを思えば、ルイズ達も安穏とはしていられないのもまた確かだった。
とは言え四六時中それを思い煩っている事も出来ない。どちらにせよ、有効な対抗手段は無いも同じなのである。
何せ相手は転移(マロール)の呪文でテレポートすることができる。
いつどこで襲ってくるか分からないと言う事であるし、同時に最強の攻撃呪文である爆炎(ティルトウェイト)を修得している可能性も高いと言う事、つまり数を頼みにするやり方は難しいと言う事だ。
囲んでも爆炎の呪文一つで全員丸焼きになってしまったのでは意味がない。
ショウ達の世界の集団攻撃呪文は、術者やその仲間を傷つけないように発動と同時に術者の周囲に結界を張るようになっている。
つまりケイヒは四方を取り囲まれても、自分を中心に爆炎を発動させてそれら全員を同時に攻撃することが出来ると言う事だ。
レベルドレインと引き換えに巨大な力を発揮する呪文『大変異(マハマン)』、せめて『変異(ハマン)』が自分に使えればとリリスは思うのだが、大変異は魔術師系7レベル、それより効果の弱い変異も魔術師系6レベルに属する高位呪文である。
呪文の覚えが遅い司教(ビショップ)であるリリスにそうそう手が届く物ではなかった。
「ともかく、あれが出てきたら私が呪文を封じた上で集中攻撃をかけるしかないわね。
鳳龍の剣術だってタイムラグなしに連発できるわけじゃないんだし」
「・・・まぁ、それはそうですが」
「何を気にしてるのよ。私たち全員でかかればどうにかなるって」
「だから頭をなでないで下さいよ」
ケイヒがいかに恐るべき敵か分かっていて、なおこういうセリフが吐けるのもキュルケのしたたかな所である。
ショウもそれがわかっているから、今はキュルケに黙って頭を撫でられていた。
もっとも、キュルケがこういう事をすると本人以外に激発するのがここにひとり。むしろキュルケの狙いはそちらかも知れない。
「ちょっとキュルケ! あんた人の使い魔に何してるのよ! リリスも! ショウも振り払いなさいよ!」
「あら? やきもち?」
間違いなく狙ってやっているな、とショウやヤンですらわかる笑みである。
「むぐっ!?」
そのままキュルケがショウを抱き寄せてその頭を自分の胸に埋め。
しばらくして爆発音と悲鳴が昼下がりの街道を揺らした。
(何故だルイズ! なんでそんな使い魔なんかのことをいちいち構う!?)
そしてワルドも、ルイズ達から見えないどこかでハンカチを噛んでいたのは言うまでもない。
彼はこの日以降もルイズ達がキュルケにちょっかいを出されるたびに嫉妬の炎に悶え苦しみ、宿で翻訳の続きをするたびに歯軋りをして悔しがり、ショウとルイズが隣の席で食事をするたびに血の涙を流す事になるのであった。
数日後のトリステイン魔法学院。
またもや姿を現した仮面の男に、フーケはうんざりを通り越してもはや無感動になってしまった目を向けた。
なにせこの数日という物、この覆面の男は用もないのに現れては怒鳴り散らして帰っていくものだから(全くひまな事だ)、フーケの我慢もいい加減限界に来ている。
しかも授業中で人気のないときならともかく、食休みや授業の合間、或いは就寝前を狙ったかのように現れるので余計に神経を使う。
結果として加速度的にフーケのストレスは上昇していた。
「今日はまだ3回目だね。なんかいい事でもあったのかい」
それでも軽口を叩くフーケを――軽口の一つもなければやってられない精神状態に追い込んだのはこいつなのだから、それくらいは許されるだろう――仮面の男は無言で眺めやった。
「なんだ、だんまりかい?」
「今夜、実行だ」
短く、要件のみを告げる。
しばしフーケも沈黙を保った後。
「そぉうかい」
にまり、と満面の笑みを浮かべた。
「・・・・?」
仮面の男が怪訝そうにその顔を見やるが、フーケの顔に浮かんだ笑みはますます深くなる。
「とにかく、今夜決行だ。抜かるなよ」
「わかってる、わかってるともさ」
にたにた笑うフーケを内心無気味に思いながら、仮面の男は去った。
彼には、自分のここ数日の行動が多大なストレスをフーケに与えたという認識は全く無い。
そして深夜。
トリステイン魔法学院に時ならぬ大音響が響き渡った。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラー!」
巨大なゴーレムが本塔の裏手、宝物庫のあたりを両の拳で乱打する。
「ブレイクブレイクゥ!」
通常ゴーレムは大きければ大きいほど動きが鈍くなる物だが、怒りが魔力を増幅したか、30mのサイズでは通常ありえないようなスピードであった。人間と比べても遜色ない。
無論、拳は鋼鉄に錬金済みだ。
「家を壊すぞ橋を壊すぞ宝物庫壊すぞー!」
宝物庫の分厚い石壁が、拳が当たるたびに大きく抉られ、石材が削れていく。
あの口の軽いハゲから、宝物庫の壁は固定化以外の防御は施されていないと聞き出しておいたのは正解だった。
こんなにも容易く穴が空くのなら、あの疫病神が来る前にさっさと盗んでトンズラこくんだった、とわずかに苦い思いが胸をよぎるが、気を取り直して目前の破壊作業に集中する。
その途端、ゴーレムの腕がぽっかりと空いた空洞を突き抜けてゴーレム本体がわずかにバランスを崩した。
「なんだ、もう空いちまったのかい・・・物足りないねぇ。いっそこの本塔丸ごと潰してやろうか」
まるっきり冗談に聞こえない、物騒な口調で物騒なことを呟きながら、フーケはゴーレムの腕を軽やかに伝い、宝物庫の中に下りたった。
この日のために数ヶ月を費やしたというのに、感慨めいた物が欠片も浮かんでこないのは腹に溜まった怒りのせいだろうか。
それでも何度も確かめたお宝の位置を素早く確認し、危なげない足取りですたすたと歩み寄る。
「それ」は記憶のとおりの位置にあって、小さな『破壊の剣』と記されたプレートの下で鞘に収まったまま安置されていた。
「ふん・・・『破壊の剣』なんてご大層な名前の割に、ちゃちい代物だこと」
フーケの言葉どおり、『破壊の剣』はごく慎ましやかな外見の剣であった。柄にも鞘にも装飾の一つもなく、そこらへんの武器屋にでも置いてありそうである。
ただ、抜いてみた刃にはフーケが今まで見たことも無いような凄みがあった。
「まぁいいさ、魔法の品なのは確かなんだし、何かとんでもない魔法がかかってるんだろう」
自分を納得させるように呟くと、フーケは『破壊の剣』を左手に持ち、軽やかにゴーレムの拳に飛び乗る。
「おっと、忘れてた」
振り向いたフーケが杖を振ると、壁に燐光を発する魔法の文字が浮かび上がった。
"破壊の剣、確かに領収いたしました。土くれのフーケ"
後編へ続く