翌日、トリステイン魔法学院は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
コルベールは青い顔をしながら立ち尽くし、シュヴルーズは自分の当番の日でなかったことを神と始祖ブリミルにこっそり感謝していた。
昨夜当直の当番であったギトーは衛兵達に門を守るようにいいつけ、自分は逃亡するゴーレムを「フライ」で追ったのだが、ゴーレムは途中で土の塊に戻ってしまい、結局手がかりを見つけることは出来なかった。
そして一夜明けた今、学院の全教員は宝物庫でオールド・オスマンが来るのを待っているのだが、そこはギトーによる時ならぬ独演会、あるいは早口言葉演芸会の会場になっていた。

「この世の理は即ち速さだと思わないかね諸君物事を速く成し遂げればその分時間が有効に使える遅い事なら誰でも出来る二十年かければバカでも傑作論文をものせる有能なのは月一回より週一回週一回よりも一日一回つまり速さこそ有能が文化の基本法則!そしてそれと同じ事が戦闘にも当てはまる速く相手を見つけたほうが有利速く呪文を唱え始めたほうが有利呪文を唱える時間が速いほど有利発動が速い魔法が有利速く届くほうが有利速ければ相手の攻撃も当たらないいやそもそも魔法を打てない!その速さの中でも特に重要なのは呪文の詠唱速度だ何故って呪文そのものの長さやエアハンマーファイアボールウィンディアイシクルゴーレムの拳そうした物の速度はどうやっても変えようが無いしかし呪文詠唱の速度であればどの系統であろうとも高速化しうるそう言うなれば素早い詠唱つまり早口こそ実戦における最も重要な能力アビリティオブコンバットポテンシャル私は常々思っているのですよ軍務が貴族の尊い義務であるならば魔法学院においても軍事教練を課すべきでその最も重要な項目は早口言葉だと!話は変わりますが全く残念ですな噂のフーケを取り逃がしてしまったとはもしフーケが逃げ隠れせずに私の目の前に現れたならばわが風を以ってゴーレムごと切り刻み吹き飛ばしてやりましたものをいや全く口惜しい恐らく彼奴めはそれを知って逃げたに相違ないあのゴーレムは30メイル程もありました確かに土のメイジとしては噂通りの高位の術者しかしそれですら我が風の前には児戯に等しい何故なら戦闘における唯一絶対の要素は速さ速さ速さ速さ速さ一に速さ二に速さ三四も速さ五も速さ即ち速さ以外の要素などゴミだ!土の系統にはゴーレムがあるから風の呪文では削りきれないだろうってそれはあさはかというものだ大は小を兼ねるのか速さは質量に勝てないのかいやいやそんなことはない速さを一点に集中させて突破すればどんな分厚い塊であろうと砕け散るっ!そして決定的な差として風の系統の魔法に存在して土のメイジが操るゴーレムにない物があるゴーレムに足りないものそれはァ情熱思想理念頭脳気品優雅さ勤勉さ!そしてェなによりもォーーーーーッ!

 速 さ が 足 り な い ッ ッ ッ ッ ッ ッ ! ! ! ! 」

元はといえば、実力こそ高いながら陰気で無気力といってもいい、風の系統の優位性を声高に唱えるだけの教師だったギトーであった。
それが、春の使い魔召喚が終った少し後にいきなり「私は風の真髄を、否、速さの真髄を見たァァァァッ!」と叫びだし、以降ずっとこのような状態である。
「向こう側の世界を見た」のだとまことしやかに囁かれてはいたが、実際のところどうなのかは誰も知らない。
ただ変人が別のベクトルの変人になったと言う点では教師と生徒を含め概ね意見が一致していた。好感度が上がったかどうかは微妙な所であろう。
それはともかく周囲の教師は彼の長広舌を止めようにも止められず、半ば諦めてそれを聞き流していた。
正確に言えばギトーの演説がまったく途切れないために口を挟むタイミングが見つからないのだ。正直いつどこで息継ぎをしているのかさっぱりわからない。

「私はかつて軍人になって戦いを経験してから気付いたことがある確かに文化も忠誠も貴族の誇りも素晴らしいしかし人間は本来争う生き物なのだよ故に戦いは避けられぬならば戦いにおいて最強の系統である風こそ四系統の中でも最高最強の系統!私はこう思っているんだよ愛はすばらしいものだと愛する対象への献身心の支え心と心の触れ合いそれらがみな人生の経験になり得難い自分の一部として昇華する!しかし愛の目的を遂げるまでの時間は正直面倒だ前の男などさっさと忘れろと思う聞いてるかね諸君いいかね人の出会いは先手必勝だどんな魅力的な女性でも出会いが遅ければほかの男と仲良くなっている可能性もあるなら出会った瞬間に自分が相手に興味があることを即座に伝えたほうがいい速さは力なのだ興味をもった女性には近付く好きな女性には好きと言う相手に自分を知ってもらう事から人間関係は成立するのだ時にそれが寂しい結果を招くこともあるとしてもだそうとも先に告白したのに返事を保留されていつの間にか他の男とくっついていたなどありえないそしてこうも思うのだよ男子たるもの旅を人生を歩むならその隣に女性がいるべきだと二人だけの空間物理的に近づく距離美しく流れる愛の調べ体だけでなく二人の心の距離まで縮まっていくナイスな二人道中だが他人にやられるととてもムカツク!しかし自分でやる分にはまったく最高だ早く目的地に行きたいでもずっとこうしていたいこの甘美なる矛盾簡単には答えは出てこないしかしそれにうもれていたいと思う自分がいるのもまた事実!ウヒョーッ!ファンタスティーーーーック!!いいか私はこうも考えているのだ人間は自由だと無理な命令や願いには拒否権を発動することができる嫌なことは嫌だと言い切る悩んでいる時間は無駄以外の何ものでもない即決即納即効即急即時即座即答!それが残りの時間を有意義に使うことに繋がる加えて拒否権が無いのは他人に運命を左右されていると言う事他人に運命を左右されるとは意志を譲ったということで意志なきものは文化なし文化なくして人間はなし人間なくして私でないのは当たり前故に人間は自由であるべきであり私もまた自由であるべきだいい加減真面目に読んでいる読者も少ないとは思うがそれでも私は語り続ける何故ならば風こそはドラマチーック!エスセティーック!ファンタスティーック!ラーンディーングー!な系統でありそれゆえに全てを凌駕するつまり」
「サイレンス」

突然沈黙が落ち、ついでおお、というざわめきと拍手がそれにとって代わった。
部屋に入ってきたオールド・オスマンが杖をつい、と動かしてギトーと周囲の音の伝達を断ったのである。

「まずはギトーくん、昨夜起こった事を報告してくれたまえ」

返事が無いのをいぶかしみ、自分がかけた呪文を解除していなかったことに気付くと、オスマンは再び僅かに杖を動かした。

「おお感謝します、オールド・サンコン。これでようやくご報告ができるというもの」
「なに、礼はいらんぞ。後わしゃオスマンじゃ」
「それではご報告いたします、オールド・サンコン」

オスマンのツッコミを華麗にスルーし、ギトーが報告を始める。
内容は先ほどギトーが得々と語っていたものと概ね変わらないが、そもそも先ほどのあれをまじめに聞いていたものなどいなかったので問題ない。
一通り報告し終わったところで、このような場では珍しくコルベールが口を開いた。

「何故衛兵たちを門に残したのですか、ミスタ・ギトー?」
「陽動である可能性を考えたからだよ、ミスタ・コッパゲール」
「なるほど。それと私はコルベールです」
「それに、平民の衛兵では30メイルのゴーレムを相手に何も出来まい、ミスタ・コッパゲール」
「コルベールですってば」

まぁ確かに、と大方の教師が頷くのをよそに別の教師が口を開く。

「ミスタ・ギトー。あなたはゴーレムを追いかけたと言った。だが、途中で土の塊に戻ってしまったと言う事はゴーレムこそ陽動だったのではありませんか? だとしたらこれは責任問題ですぞ」
「誓って言うが、あのとき宝物庫の周辺には動くものは全くいなかったのだ。対してゴーレムの肩には黒いローブ姿の影が乗っていた。
勿論これが陽動である可能性は考えたが、ゴーレムも馬が全力で走る以上の速度で移動しており、そのまま逃亡しようとしていた可能性は低くは無かった。
 どちらかを選ばなければならないなら、門を衛兵達に警備させていたのだからゴーレムのほうを優先するのは誤った判断とはいえまい、ミスタ・ピグモン」
「マルモンだ!」

マルモンの難詰は退けた物の、他の教師からもぽつぽつとギトーの責任を問う声が上がり始めた。このような盗難事件で自分も巻き込まれてはかなわない、という集団心理である。

「ふむ、おぬしらの言葉にも一理ある。だが30メイルのゴーレムを操る、最低でもトライアングルの土のメイジに正面から挑んで阻止できた、と断言できるものはこの中に何人おるかの?」

が、オスマンの柔かくも毅然とした一言で彼らは皆黙り込んでしまった。
いるのならば挙手を、と求められて手を挙げたのがギトーだけだったのはともかく、他にギトーの責任を追及する声はもう上がらなかった。

「さて、これが現実じゃ。責任があるとするなら、我々全員じゃ。この中の誰もが――もちろん私を含めてじゃが――まさかこの魔法学院が賊に襲われるなど、夢にも思っていなかった。
 何せ、ここにいるのは、ほとんどがメイジじゃからな。誰が好き好んで、虎穴に入るのかっちゅうわけじゃ。しかし、それは聞違いじゃった」

オスマンの杖が、壁に空いた大穴を指す。

「このとおり、賊は大胆にも忍び込み『破壊の剣』を奪っていきおった。つまり我々は油断していたのじゃ。責任があるとするなら、我ら全員にあるといわねばなるまい」

教師達が唇を噛む。
オスマンが視線を隣のコルベールに移した。

「コルベール君、宝物庫の被害は調べてくれたかの?」
「大雑把に調べただけですが、少なくともめぼしい物は無くなっておりません。断言は出来ませんがやはり被害は『破壊の剣』のみかと」
「ふむう」

と、オスマンが考え込むような顔になってヒゲをしごく。
それが大抵ろくでもないことを考えているか、何かをごまかす時の癖だと知っているコルベールなどは露骨に嫌な表情をしていたが、この時のそれはまるきり無意識の動作であった。

「ご苦労じゃったの、コルベール君。ミス・ロングビルがいればこのような事を君に頼む必要も無かったのじゃが・・・」
「あ、いえ。そう言えばミス・ロングビルはどこに? 朝から姿が見えませんが」
「それなんじゃよ・・・まぁそれはいい。さて、皆の衆。幸いにも盗まれたのは剣一振り、しかも王室から預かった宝物や学院の所有物ではなく私の個人的な持ち物じゃ。
 今回の件は将来の警備や我々に対する戒めとするにしても、私の個人的な問題として片付ける事もできるじゃろう。諸君はいつも通り授業に戻ってくれ。ああ、ミセス・シュヴルーズ」
「は、はい!?」

ほっとしたのも束の間、いきなり名前を呼ばれて動転している中年女性に、オスマンは宥めるように柔かく語りかける。

「あーいやいや、そう緊張せずとも良い。確か貴女は今日は午前中授業がなかったの。この大穴を、外見だけでいいから錬金で直して置いてくれるかの?」
「は、はい、わかりました、オールド・オスマン」
「頼みましたぞ」

ほっほっほ、と笑ってオスマンは教師達に解散を告げる。
そして自身はコルベールを伴い、学院長室に戻った。
執務机についたオスマンの表情が滅多に見られないそれ――つまり、真剣な物へと変わる。

「さて、ミスタ・コルベール」
「はっ」

思わず、かつての軍隊時代に戻ったかのように背筋を正すコルベール。
いい加減でちゃらんぽらんで女にだらしないセクハラ爺であっても、オールド・オスマンがあらゆる魔術師から等しく――或いは不承不承の――尊敬を受けているのにはそれなりの理由があるのだ。

「虚無の使い魔についてはどこまで調べが進んだかね」
「ミス・ヴェリエールとミス・ツェルプストーの使い魔が、虚無の使い魔ガンダールヴであることはほぼ確実と思われます。彼らは武器を持つとルーンが光り、身体能力が増強されます。これは古書にあった記述と一致します。
 ミス・タバサのエルフの使い魔は額にルーンがありました。観察する余裕がありませんでしたので確認は出来ませんが、虚無の使い魔ミョズニトニルンである事はほぼ確実と思われます」
「確か始祖の使い魔は全部で四体おったのじゃの」
「はい。あらゆる武器を用いるガンダールヴ、あらゆる動物を操るヴィンダールヴ、あらゆるマジックアイテムを操るミョズニトニルン、そして存在だけが確認される謎の一体です」
「ふむ、ふむ。ひょっとして始祖の使い魔は全て人間であったのかな」
「エルフだったのかもしれませんがそれは分かりませんね」

しばしオスマンは口を閉じた。コルベールもそれにならい、学院長室に沈黙が下りる。
時計の長針が二回ほど時を刻んだころ、オスマンが口を開いた。

「ワシも色々とコネを使って王室の書庫やあちこちの貴族の秘蔵の文献を覗いて見たんじゃよ」

無言でコルベールが続きを促す。

「『虚無』とは、本来王家に伝えられるべき力だったようじゃの。始祖は己の三人の子と弟子に一つずつ、計四つの虚無を与えた。それを継ぐのが現在のガリア、アルビオン、ロマリア、そしてここトリステインの王家なのじゃ。
 じゃが、いつの頃からか虚無の知識は失われた。どうもこれは貴族とロマリアがかかわっておるらしいの」
「王家に伝わる力ですか。そうか、ヴァリエール公爵家は元々トリステイン王家から王女が降嫁して出来た家でした!」
「その通りじゃ、コルベール君。つまり王家の血を受け継ぐミス・ヴァリエールは虚無の系統の魔術師であるという可能性が高い。それならば彼女が通常の系統魔法を一切使えない事にも説明がつくというものじゃ」
「しかし、ミス・ヴァリエールはともかく他の二人は? ミス・ツェルプストーもミス・タバサもトライアングルですし、王家とはまるで関係ないはずですが・・・」

ちかりとオスマンの目が光った。

「コルベール君、君は馬鹿かね」
「は?」

この、頭は切れるがどこかうっかりしたところのある部下に冷たい視線を浴びせつつ、オスマンは説明を始めた。

「ミス・タバサはどこの出身だか知っとるかね」
「はあ、確かガリアから来たと・・・髪が青いのはガリアの貴族によく見られる特徴ですし」
「いいかね、ハルケギニアで青い髪といったら本来はガリアの王族のみが持つ特徴なのじゃよ。ガリアの貴族に見られるのは王族の降嫁や臣籍降下で血が広まった結果に過ぎん。
 そして、青い色が鮮やかであればあるほどそれは王家の直系に近い証拠なのじゃ。ミス・タバサの髪がそうであるようにの」

ぽかん、と口をあけるコルベール。

「で、では・・・しかし、家名すら分からないのでは・・・」
「だからおぬしは馬鹿じゃと言うておる。隠すからには隠すだけの理由があると言う事じゃろうが」
「は、はぁ」
「まぁこの先は軽軽しくは言える事ではないが、ともかく彼女が王家の血を引いていることは間違いないじゃろう」

唸るコルベールであったが、ふと気付いたように話題を転じた。

「ところでオールド・オスマン。ミス・ツェルプストーのほうはどうなのでしょう?
 こう言っては何ですが、新興国であるゲルマニアに王家の血が伝えられているとは思えませんが・・・確かトリステインやガリアの王族が輿入れしたことも無いはずですし」
「そちらはわからん。が、何せ先祖代々のああ言う家じゃ。どこかの王女をさらって駆け落ちするようなつわものが過去にいたとしても、驚くには当たらんの」
「確かに」

今度は苦笑して首肯するコルベールである。

「まぁ異性であれば王女でも酒場女でも分け隔てなく扱うのは、ある意味あの一族の美徳かもしれませんね」

彼としては珍しいユーモア感覚の発露であったが、学院長は真剣で冷徹な表情のまま、またちかりと目を光らせた。

「コルベール君」
「は?」
「我がトリステイン魔法学院に下品な男は必要ないぞ」
「気、気をつけます」
「まぁそれは冗談じゃが」

一転して悪戯っぽくウィンクするオスマンに、コルベールの全身からどっと力が抜けた。この学院長はこれだから付き合いづらいのだ。
というか、それを言うならいの一番に粛清されるのは学院長本人ではなかろうか、と真剣に考えるコルベールである。
そんな彼の内心も完全に分かっていて遊んでいるのだろうオスマンは、悪戯っぽいそれからまたも表情を変え、深く溜息をついた。
そう言えば盗まれたのは学院長の個人的な持ち物だったと今更ながらにコルベールは思い出す。

「ところでまた話は変わるが」
「はい」
「ミス・ヴァリエールたちが帰ってくるのはいつ頃だったかね?」

コルベールが少し考えるような表情になった。

「タルブを発ったという手紙が一昨日の昼頃にフクロウで届きました。片道三日ですし、恐らく今日のうちには帰ってくるのではないかと」
「そうか、帰ってきたらわしの所へよこしてくれ。ちと彼らに話がある」
「わかりました」

頷くとオスマンは退出するように促した。
コルベールが一礼して授業に向かい、オスマンは窓際に立ってまだ帰ってこない生徒たちを見つけようとするかの様に遠くの草原に目をやる。

「どうも様々な事がいっぺんに動き出しておるようじゃのう。若い頃ならともかく、この老体には些かきついわい」



結局ルイズ達が帰って来たのは午後の最初の授業が終わった頃だった。
職員室に報告にいったルイズ達は、たまたまその時限に授業がなかったコルベールによってそのまま学院長室に連れて行かれた。

「おお、お帰りミス・ヴァリエール、ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ、ショウ君とヤン君、リリス君も。それでタルブの村で収穫はあったかね」

中に入るなり好々爺の笑みで出迎えられ、ルイズ達は戸惑ったように顔を見合わせる。
やがて恐る恐る、と言った感じでルイズが口を開いた。

「あの、オールド・オスマン。それは一体どう言う・・・」
「何、特に深い意味はないぞ。わざわざ出向いただけの事はあったかなと聞いただけじゃ。例えば一般には知られていない系統の呪文とかの」
「えっ!? え、ええまぁそれなりには」
「そうか、それはよかったの」

と、ルイズの動揺など気に止めていないかのように頷いた後、オスマンが笑みを消した。

「さて、諸君等は帰って来たばかりだが、昨夜何があったかは聞いておるかね・・・ふむ、その様子では知らんようじゃの。
 かいつまんで説明すると、昨夜トリステイン魔法学院に賊が、知っとるかも知らんが『土くれのフーケ』が侵入し、宝物庫の壁に穴を空けて秘宝『破壊の剣』を盗んで行きよった」
「破壊の剣って・・・宝物庫を見学したときに見ましたけど、あの秘宝なんて言う割にショボいあれですか?」

身も蓋もないキュルケの表現に、苦笑しつつオスマンが頷く。
一方肩をすくめてそれに異を唱えたのはルイズだった。

「馬鹿ねキュルケ、そんな大層な名前がついているんだから何か凄い魔力が秘められているに決まっているじゃないの」
「あら、世の中見掛け倒しや名前倒れって事もあるわよ」
「例えばあなたの胸みたいな?」
「私の胸には愛情と情熱がたっぷり詰まってるのよ。毎晩ダーリンがもみ心地を確かめてくれてるんだからぁ」

そう言って誇示するかのように胸を突き出し、自分の手でそれをもみしだくキュルケ。
ダイナミックに形を変える双丘にヤンとリリスとルイズ、ついでにコルベールが頬を染め、ショウが礼儀正しく視線を外す。
そしてオスマンの目は鋭く輝き、そのゴムマリのような変形ぶりを一瞬たりとも見逃すまいとキュルケの胸元を貫いていた。
タバサとショウとコルベールの冷たい視線にさらされているのに気付き、咳払いして真面目な表情を作り上げたが、勿論後の祭である。
幸いにしてこの方面では今更失墜するほどの威厳もないのだが。
冷たい視線を向けたまま、ショウが話を元に戻す。

「・・・で? わざわざ俺達を呼びつけたのはその破壊の剣とやらとどう言う関係があるんです?」
「いや、まったく関係ない。単なる世間話と言う奴じゃ」

しれっというオスマンに冷たい視線や呆れた視線が突き刺さったが、もとよりその程度でどうにかなるほど彼の面の皮は薄くない。

「わしが聞きたいのはじゃな、おぬしらが持ち帰った呪文書。それを残した夫婦が一体何者であったかなんじゃよ」

静かな衝撃が走りぬけた。
ルイズ達は無言で視線を交わしあい、コルベールはその言葉が引き起こした効果に戸惑ったように彼らの顔を見比べている。
オスマンは何も言わず、ただルイズ達が口を開くのを待っていた。
やがて頷き合って互いの意思を確認すると、リリスが一同を代表して口を開いた。

「学院長のご推察どおり、彼らは私たちの世界から来た人たちでした。武具も、呪文書に記されていた呪文も私たちの世界のものです・・・どうして分かったのか、よろしければ教えていただけませんか」
「何、簡単な事じゃ。わしゃ彼らと面識があったんじゃよ」

再びさざなみのように走った驚きが静まったのを見計らい、オスマンが再び口を開く。

「リィナ殿が魔法を使うところも見せてもらったからの。彼女は水魔法だと言っておったが、そうでない事は一目見れば分かる。
 ただ、このハルケギニアで下手に系統魔法以外の魔法を使ったらどうなるか・・・わかるじゃろ?」

リリス達が僅かに目を見張ったのを見て取り、オスマンが頷く。

「そう、下手をすればブリミルの教えに背く存在として異端審問行きじゃ。実際リィナ殿も一度は背教者呼ばわりされて危ない所じゃったんじゃ」
「それがどうやって助かったんですか?」

リリスの質問にぱちり、とウィンクしてオスマンが答える。

「簡単じゃよ。『リィナ殿の魔法は特殊ではあるが水魔法である』と教会の連中に言っただけじゃ」
「・・・それだけで?」
「なに、わしゃこう見えても魔法に関してはトリステイン一の権威じゃでな。そのわしが系統魔法だと言いはれば、連中にそれをひっくり返すことはできん」

ほっほっほ、と好々爺の笑みを浮かべるオスマンに対して、再び呆れたような――ただ、今度は好意的な――視線が突き刺さった。

「悪党ですわねぇ」
「褒め言葉と受け取っておこうかの、ミス・ツェルプストー」

艶やかな笑みを浮かべたキュルケの賛辞に、変わらぬ好々爺の表情で返すオスマン。全くもって狸爺いと呼ぶに相応しい。
ノックとほぼ同時に、息せき切ってミス・ロングビルが部屋に入ってきたのはそんな時だった。

「オールド・オスマン、只今戻りました」
「ミス・ロングビル? 今までどこにいたのかね」
「遅れまして申し訳ありません。朝起きましたら土くれのフーケが魔法学院に侵入したことを知りまして、今まで調査をしておりました」
「おお、さすがじゃのう」
「それで、結果は?!」

鷹揚に頷くオスマンとは対照的に、息せき切ってコルベールが続きを促す。
ただその時、刹那オスマンの目に走った雷光に気付いたものがいたかどうか。

「はい、アジトらしき場所でフーケと金髪の女剣士が・・・」
「「「「「何ーっ!?」」」」」

この場にいていいものかどうか思案していたルイズ達が、タバサを除き一斉に叫んだ。
余りの反応に、ロングビルが驚いて口をつぐむ。
唯一冷静さを失わないタバサが、オスマンに向き直った。

「ひょっとしたら私たちに関係のある話かもしれない。傍聴の権利を要求する」
「ふむ。ま、いいじゃろう。ミス・ロングビル。続きを」
「は、はい」

彼女が語ったところによれば、フーケのアジトではないかと推察される廃屋で、フーケらしき黒いローブの人影と、大剣を背負った金髪の女剣士がなにやら会話しているのを見たものがいたのだという。

「細身で軽く湾曲した、変わった剣だったそうです・・そう、丁度彼が背中に背負っているような」

と、ロングビルはショウを指した。
ショウ達が互いに視線を交わす。

「知っておるのかね、その女剣士を」

オスマンの問いに、僅かに逡巡した後ショウが頷いた。

「随分と危険な相手のようじゃな」
「正直勝てる自信はありません。しかしこのまま見てみぬふり、という訳には・・・」
「いかないんでしょうね、やっぱり」

リリスが深い深い溜息をつく。
それに激烈に反応したのはルイズだった。

「駄目よ!」

回りが呆気に取られるのも構わず、ルイズが言葉を続ける。

「あちらのほうが圧倒的に強いんでしょう? この前だって私の目の前で死にかけたじゃない! そんなの絶対に駄目よ!」
「しかしな、ルイズ・・・」
「駄目ったら駄目!」

取り付く島も無いとはまさにこのことだった。
かといって、ショウとしてもロングビルの言うことが本当であるなら放って置く訳には行かない。
複雑な表情をしていたリリスが、渋々という感じで妥協案を出す。

「んー、今回はその『破壊の剣』さえ取り戻せば戦う必要はないでしょ?
 破壊の剣を見つけたら取り戻してそのまま逃げる。見つからないままケイヒに会っちゃったらその場合も逃げる。これでどう?」
「・・・・」

ルイズは決めかねているのか、口をつぐんでリリスとショウの顔を交互に見ている。
ショウのほうもだんまりだが、積極的に反対する意思はないようだった。
やがてルイズが口を開き、控えめに反論する。

「でも、あの女剣士相手に逃げられるとは限らないでしょう? その時はどうするの?」
「大丈夫よ、万が一の時は私の呪文で皆で逃げ出せるから」
「・・・本当?」
「ケイヒが使った呪文に似たやつを私も使えるのよ。だから、逃げる分には大丈夫なの」

と言いつつも、内心リリスはそれを使わないことを心底願っていた。
なぜならその呪文、『帰還(ロクトフェイト)』は、パーティの仲間全員を窮地から救う代わりに、それ以外の物は何も救わないからである。例えば、身につけていた装備とか、金銭とか、服とか服とか服とか服とか服とか。
あんな呪文を使うくらいなら死んだほうがマシ、とまではさすがに言わないが、それでも可能な限り使いたくないというのはうら若き乙女の心理としては当然であろう。

一方ミス・ロングビルこと土くれのフーケはあまりの食いつきの良さに内心驚いていた。
まさに入れ食い状態・・・川に釣り針を垂らすなり、魚が食いついてきたと言ったところだ。
あの仮面の男の計画の、一番難しい部分がどうやってルイズ達を追っ手にさせるか、という点だとフーケは思っていた。
学院の秘宝が盗まれたのに、幾ら腕が立つとはいえ、何で教師や軍ではなく生徒が取り返しに行かなければならないのだと、普通は思うだろう。
そもそも奴の立てた計画自体が適当もいいところなのだ。

(お前は『破壊の剣』を盗んだ後姿を消し、ルイズ達が帰ってくるのと時を同じくして学院に戻り、『調べてきた』フーケの情報を彼らの前でオールド・オスマンに伝えるのだ。
 そうすればルイズ達は追っ手としてフーケを追跡するだろうから、お前は案内人として彼女らを森の中の廃屋におびき寄せろ。
 そして案内人のふりをしてルイズ達の中に紛れたままゴーレムを出して適当に戦い、負けたふりをして"錬金"で作った『破壊の剣』の偽物を後に残していけ。それでお前の仕事は完了だ)

ちょっと考えただけでも穴だらけの計画で、正直ここまで順調に行っているのが信じられないほどである。
フーケが学院から逃亡している状態で、学院内部の人間が消えたらどう思われるのか。
案内するように言われた廃屋は馬で4時間の場所にあり、そんなそう近くもない場所の聞き込みをピンポイントに、逃げた痕跡が残っているわけでもないのに一日二日で出来るものなのかどうか。
そこは何とか誤魔化すとしても、ルイズ達が午前中に帰ってきて、それに合わせてこんな話をしたら「馬で4時間もかかる場所で聞き込みをして、どうやってこの時間に戻って来れるんだ」と突っ込みが入ること請け合いである。
なにやら盛り上がっているルイズ達を横目で見つつ、こっそり溜息をつく。正直こんな穴だらけの計画、まともにやってられない。
ショウ達を誘い出すためにケイヒの事を匂わせるのも、タルブの事件を見たワルドが思いつきで出したアイデアだったというのは知らないほうが幸せであろう。
もっとも彼女自身余り人の事は言えない。
『破壊の剣』を奪うために潜入するも目論見が外れ、ズルズル三ヶ月も秘書をやっているのがいい証拠だ。元より行き当たりばったりというか、細かい事を考えない傾向のある彼女なのである。
計画の穴に気付いたのも彼女が綿密で入念な計算づくの行動を愛するからではなく、それを立案した仮面の男が嫌いだからそのあら探しをしていた結果に過ぎない、というのは本人の気付かない事実であった。

閑話休題。

フーケとしてはルイズ達と戦うのは正直気が進まなかったが、妹の名前を出されて重ねて脅迫されては是非もない。
殺さなくてもいいというのがせめてもの救いではあったが、それを言ったらそもそも勝てる自信がなかった。
仮面の男は必要があったら逃げるのを手伝ってやると言っていたが、フーケもそれを信用するほどにはお人よしではない。

(ありゃ絶対何か企んでるね)

というか、ゴーレムだけ戦わせればいいと言うから不承不承でもやる気になったのであって、正面から自分も戦うという話になっていたら即座にばっくれて逃げていたところだ。
ポイゾンジャイアント四体とモット伯の手下二人を纏めて血煙と肉片にしてしまったショウのあの技、あんな物を向けられたらいくらゴーレムに乗っていようとひとたまりもない。
大体ゴーレムを操っている事だって、どこからばれないとも限らないのだ。

(さて、どうなることやらね)

半ばやけっぱちなその呟きに、当然ながら答えはどこからも返って来なかった。



一方、リリスの妥協案はどうにかルイズを承伏させたようであった。

「まぁ、そう言った手前私も付いていかないといけないでしょうね」
「私も付いていくわよ! ショウはいつも無茶するんだから!」
「お前に言われたくはないなぁ・・・」

苦笑しつつ、ショウもルイズの同行に反対する意思は無さそうだった。
キュルケが横目でタバサを見下ろしつつ尋ねる。

「で、リリスが行くって事は貴女もついていくのよね?」
「当然」
「なら、私も行くわ」

当然のように言い切るキュルケを、僅かに目を細くして注視する。

「貴女には関係のないこと。危険なのに付いてくる必要はない」
「やぁねぇ、心配だからに決まってるじゃないの」

特に誰が、とは言わなかったが、タバサにはそれで十分伝わったようであった。

「・・・ありがとう」
「んじゃま、結局全員で行くわけですね」

笑みを浮かべてヤンが一同を見回した。
キュルケが驚いたような表情を作る。

「あら、ダーリンも来るの?」
「ちょっ、キュルケさん、ひどくありませんかそれ!?」

ごめんごめん、と笑いながら肩を叩くキュルケ。
唇を尖らせて拗ねるヤン。
笑っているルイズとショウとリリス、表情は変わらないながら柔かい雰囲気を纏うタバサ。
そんな六人の様子を見て、オスマンはかすかに笑った。

「そうか。では、頼むとしようか」
「オールド・オスマン! わたしは反対です! 生徒たちをそんな危険にさらすわけには!」
「彼らがやる気になっとるのだからしょうがあるまい。それに、事実上この学院で一番腕が立つのは彼らではないかね?」

コルベールは口をつぐんだ。
オスマンの言葉は間違いなく事実であったし、「それともおぬしが行ってくれるか?」という言外の問いかけが言葉以上に雄弁にコルベールの反論を封じた。

「今回は大丈夫ですよ、コルベール先生。危なかったらすぐに逃げてきますし」
「そうですよ、心配しないで下さい」

笑みを投げかけてくるリリスとヤンを複雑な表情で見返すコルベール。

「おぬしが戦えぬのは承知の上じゃよ。と、なれば彼らに頼むしかあるまいて」

これはコルベールだけに聞こえるようにそっと囁くと、オスマンは居住まいを正した。
今までとは別人のような、威厳のある声がその喉から流れ出す。

「それでは諸君。魔法学院は、諸君らの努力と貴族の義務に期待する」
「「「杖にかけて!」」」

ルイズ、キュルケ、タバサが唱和する。ショウは剣を掲げもって鍔を鳴らし、ヤンとリリスも真面目な表情で頷く。

「と、言いたいところじゃが、実の所盗まれたのはわしの個人的な持ち物でのう。魔法学院として依頼する訳にはいかんのじゃよ」

が、続くオスマンの一言によってその雰囲気はどっちらけた。

「じゃからまあ、これは魔法学院ではなく、わし個人からの依頼と言う事になる。魔法学院が盗賊に入られて、しかもそれを自力で解決できなかったとなると、宮廷に介入されかねんでの」
「大人の都合という奴ですわね」
「政治というのはそういうもんじゃて」

キュルケの皮肉にオスマンは肩をすくめた。
タバサの目が一瞬鋭く光る。

「それは、私たちがそれなりの報酬を期待していいという事と理解する」
「まぁ、それは当然じゃの。わしのポケットマネーから出すのは少々痛いが・・・」
「お金はいらない」
「ほっ?」

タバサが報酬を要求した事と、それが金銭以外の何かであったことに興味をそそられた表情でオスマンがタバサの顔を覗き込むが、彼女はロングビルにちらりと視線を向けた。

「ああ、そうじゃの。ミス・ロングビル。馬車を用意してくれたまえ。それと彼女らの手助けを頼むぞ」
「元よりそのつもりですわ」

一礼し、ロングビルが退出する。
扉の閉まる音を聞き、オスマンがタバサに視線を戻した。
その目には強い興味の色がある。ルイズ達もキュルケも面白そうに、リリスは興味をそそられたようにタバサに視線を向けている。

「で、一体君は何を要求するつもりかね、ミス・タバサ」
「二つある。一つは、教師のみが閲覧を許される『フェニアのライブラリー』への入室許可」
「ふむ。今ひとつは?」

それに答える前に、タバサは杖を掲げて呪文を唱えた。
アレンジされた「サイレンス」の魔法が学院長室と外部の音の伝達を遮断する。
そして改めて口を開いた。

「ショウ達に関する知識を」

オスマンの眉が、器用に片方だけ持ち上げられた。コルベールの表情が僅かに動く。

「続けたまえ」
「何故私たちは普通の使い魔ではなく人間を召喚したのか、何故彼らは異世界から来たのか、何故彼らの体には珍しいルーンが刻まれているのか、何故ショウ達は武器を握ると身体能力が上昇するのか」
「ちょっと、タバサ、そこまで・・・」
「問題ない。学院長とコルベール先生は既にその程度は知っている・・・私が知りたいのはその先をどれだけ知っているか」

オスマンとコルベールがちらり、と視線を交わした。

「ふむ、何故そう思うのかね、ミス・タバサ」
「何故もなにも、単にコルベール先生がスパイには向いていないだけ」
「だ、そうじゃよ、ミスタ・コルベール」

面白そうな視線を向けるオスマンに対し、コルベールは僅かに動揺を顔に出していた。

「な、何のことかさっぱりですね、ミス・タバサ」

冷たい視線を飛ばした後、タバサが続ける。

「おかしいと思ったのはラグドリアン湖から帰って来たとき。本来なら無断外出・外泊したことを咎めてその理由を聞き出すべきなのに、コルベール先生はむしろ何が起きたかを詳細に話させようとしていた」

コルベールは無言のままである。

「そう思って考えてみると、コルベール先生がこちらを伺っていた事が何回かあったし、それ以降も何度か見られていた事に気がついた。
 これはショウにも確認を取ってある」
「確かに。俺やヤンさんのルーンに興味があるんだとばかり思っていたが・・・」

ショウの言葉に頷くと、タバサは言葉を続けた。

「加えて図書館での様子。先生が使っていたのは『フェニアのライブラリー』だったから中の様子はわからなかったけど、本を持ち出すとき、その題名からみるに殆どは始祖か使い魔に関係する文献だった。
 と、なれば答えは一つしかない」

コルベールが大きく息を突き、両手を上げた。降参のサインである。

「見張られていたことに気付かなかったかね、コルベール君」
「不覚でした」
「誰かを見張っている人間は、自分が見張られているとは中々考えないもの」
「真実じゃの」

重々しく、オスマンが頷いた。

「さすがタバサ、切れるわね」

キュルケの賛辞にタバサは杖を持っていないほうの手の人差し指を立て、ぴこぴこと動かして答える。

「なに、簡単な事件だったよキュルケ君」
「・・・あなた時々変になるわね」

そういうキュルケは、タバサが幼少の頃『イーヴァルディの勇者』の次くらいに『名探偵エルロック・ショルメス』シリーズに傾倒していた事を知らない。
それはさておき、改めて視線がオスマンとコルベールに集中した。
互いに視線を交わした後、オスマンが口を開く。

「それではわしから話そうかの。これから話すことはコルベール君以外の人間は知らん。勿論君たちも他言無用じゃ」

各々が頷いたのを確認すると、オスマンは先を続けた。

「まず、ショウ君とヤン君は『ガンダールヴ』と呼ばれる特殊な使い魔じゃ。知られている限りでこの使い魔を従えていたのはハルケギニア史上ただ一人――始祖ブリミルのみ」

ざわめきが起きたが、オスマンが言葉を続けたのでそれもすぐに静まる。

「左手に刻まれたルーン、武器を持つと強化される身体能力、それらは過去の文献と一致しておる。リリス君。君もマジックアイテムに触ったときに何か違和感を感じた事はなかったかね?」
「そう言えば・・・マジックアイテムについてだけ鑑定の能力が恐ろしく高まってたわ。見ただけでも大雑把には分かるくらい。
 魔法のかかっていない普通の剣は変わらなかったのに」
「それが始祖の使い魔のもう一体、『ミョズニトニルン』の能力じゃよ。あらゆるマジックアイテムを使いこなし、その知恵で始祖を助けたそうじゃ。
 始祖には他にも二種類、計四種類の使い魔がいたと伝説に伝えられておる」

きらり、とタバサの眼鏡が光る。

「つまり始祖と同じ種類の使い魔を従える私たち三人は始祖と同じ系統――『虚無』の使い手と言う事になる」
「え」

目を丸くするルイズをよそに、オスマンはことさら余裕を作ってその見事な白ヒゲをしごく。

「まぁまぁ、そう結論を急ぐ物ではないぞ、ミス・タバサ。確かに彼ら三人は伝説の使い魔ではあるが、だからといって君たちが虚無の使い手だなどと言う事は飛躍が過ぎる」
「そうですとも。虚無の系統の魔法でも使えれば別ですが、使い魔だけで判断するのは早計です」
「根拠はある」

ほう、とオスマンがヒゲをしごく手を止めてタバサを見る。
コルベールも内心の焦りを覆い隠して彼女の言葉に注意を向けた。

「ひとつには始祖が6000年前別の世界からこの世界にやってきたと言う事。ガンダールヴやミョズニトニルンが元々他の世界の存在ならば、異世界からリリス達が呼ばれた事にも納得はいく」
「それは仮説の域を出てはおらん話じゃの」

タバサの推理をばっさりと切り捨てるオスマン。タバサは淡々と言葉を続ける。

「ふたつめ。私もリリスも、ルイズが魔法を使えないのがずっと不思議だった。考えてみれば、魔法を使えない人間はいても、魔法をすべて爆発にしてしまう魔術師など聞いたことがない。
が、これはルイズが虚無の系統の魔術師で、かつ私やキュルケのように他の系統に才能を持たないと考えれば説明がつく。
スクウェアでも火の系統しか使えない魔術師がいるように、虚無の系統しか使えない魔術師がルイズなのだと」
「それも仮説じゃの。他には?」
「そして最後にもっとも確実な証拠として・・・コルベール先生は嘘をつくときに鼻の穴が膨らむ」
「嘘はいかんぞ、ミス・タバサ」

苦笑しながらオスマンが言ったのは、コルベールが思わず自分の鼻に手を当てた後だった。

「勿論嘘・・・でも、マヌケは見つかった」

一言もないコルベール。
ルイズやキュルケが改めて賛嘆の眼差しをタバサに送っている。

「愚か者め、生徒に手玉に取られてどうするか」

苦笑の度合いを深くしながら、オスマンがコルベールを叱責する。
コルベールとしては度重なる失態にただ恥じ入るしかない。

「私が欲しいのは真実だけ・・・そして、真実は常に一つ!」

タバサがぴっ、とオスマンに指を突きつける。
リリスとキュルケが「やっぱり楽しんでるんだ」と思ったかどうかは定かではない。
ふうっ、とオスマンが深く息をついた。

「まぁ、隠そうとしたのは悪かったが、悪意ではない事は理解しておくれ。例え名前だけでも『虚無』にはそれだけの力がある」

こくり、とタバサが頷く。

「改めて念を押すがこれからの話は他言無用。君たちの間で話をする時も気をつけて欲しい。ミス・タバサはその辺については理解しているようじゃがの」

ごくり、とルイズがつばを飲み込んだ。
ひょっとしたら自分は本当にゼロではなくなるのかもしれない。そう思うとさすがに平静ではいられなかった。

「さて、確かにおぬしらが、特にミス・ヴェリエールが『虚無』の系統である可能性は低くないとわしは思っておる。じゃが今のところそれが未確認の仮説であるのも確かじゃ。
 虚無でなくても始祖の使い魔を召喚できるのかもしれないし、ミス・ヴェリエールの爆発も虚無とは全く関係のないものかも知れぬ。その点は各自念頭に置いておいてくれ」

そう前置きしてオスマンは語り始めた。
虚無が始祖によって各王家に授けられた物である事、ヴァリエール公爵家はトリステイン王家の傍流の血を引いている故にルイズは虚無の系統となったのではないかと言う事。
恐らくタバサとキュルケも王家の血を引いているために虚無の使い魔を召喚出来たのではないかと言う事。

「なるほどねぇ・・・」
「そう言えば青い髪って言うのはガリアの王家か、王家の血を引く貴族だけが持つものだったわね」
「へー、そうなの、タバサ?」

ルイズが得心したように頷き、キュルケの問いかけにこくり、とタバサが頷く。

「それよりもゲルマニア人のキュルケに、いずれかの王家の血が流れているほうが不思議」
「自慢じゃないけどウチはなり上がりの国だしねぇ。まぁ、ご先祖様の一人がどこかのお姫様か王子様とでも駆け落ちしたんじゃないの?」
「わかっちゃいたけどあんたの所も相当に節操ないわね」
「あら、恋こそ人生全てを懸けるに値する情熱よ? ツェルプストーはそれを誰より良く知っているだけ」

キュルケとルイズがじゃれあうのをよそに、考え込んでいたタバサが口を開く。

「一つ、思いついたことがある。これが正しければツェルプストーに王家の血が流れている理由の説明がつく」
「な、何よタバサ?」
「ヒントは使い魔の種類。ガリア王家の血を引く私と、トリステイン王家の血を引くルイズで使い魔の種類が違う。そしてキュルケとルイズの使い魔の種類が同じ。
 ならば、キュルケはルイズと同じ血を引いていると考えるのが自然」
「ふむ、筋は通っていますね。それで?」

と、これはコルベール。いつの間に立ち直ったのか、今は熱心にタバサの話を聞いていた。

「つまり、ツェルプストーはトリステイン王家の・・・もっと言えばヴァリエール公爵家の血筋である可能性が高い」
「ちょ、ちょっとタバサ!?」
「いきなり何を言い出すのよ!?」

とんでもない事を言いだしたタバサに、キュルケとルイズが詰め寄る。が、タバサは微塵も動じない。

「ツェルプストーの人間がヴァリエールの人間の恋人や婚約者を何度も奪ったのは有名。その中にヴァリエールの子供を宿した女性がいたとしたら全てに説明がつく。
 具体的にはルイズの曽祖父の妻がキュルケの曽祖父に寝取られたときに既に彼の子供を宿していた可能性が高い。だとしたら、キュルケとルイズはまたいとこにあたる」
「おお、なるほど。それなら辻褄が合いますな!」

コルベールは興奮したように眼鏡と頭頂部を光らせている。
が、それ以外の人間は表情の読めないタバサと飄々とした表情を崩さないオールド・オスマンを除いて絶句していた。
それはそうだ。数百年に渡り不倶戴天の仇敵同士だった家が実は血を分けた親戚でしたなどと、誰が思うだろうか?
特に当事者である二人の少女はショックが大きかったらしい。呆けたように、ただ互いを見つめていた。

「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「あ、あの、キュルケさん?」

ヤンの言葉に、二人の体がビクっと震える。
次の瞬間、示し合わせたように二人は馬鹿笑いを始めた。

「あはははははは!」
「はははははは!」
「馬鹿言ってるんじゃないわよ、私とキュルケが親戚だなんてそんな」
「そうよ、あるわけないじゃない、ねぇ!」
「でも蓋然性から言えば」
「「ありえないっ!」」

ぴったり息を合わせてタバサの発言を封じるルイズとキュルケ。
そのまま二人揃ってずい、とタバサに迫る。

「いい、タバサ! 今日からそれは禁則事項よ!」
「それはどちらかというとルイズじゃなくて私のセリフ」
「誰のセリフだろうと関係ないわ! とにかく禁止! 誰かに話すのも口に出すのも禁止!」
「・・・分かった」

後のことになるが、結局、当人同士の間でこの話が蒸し返されることは無かった。だが本人達は意識していなかったにせよ、その日からキュルケとルイズの間が少し遠慮の無い物になったのは確かなようだった。

オスマンはちらりとタバサに目をやった。いつもどおりの無表情な顔がそこにある。
ひょっとしたらこの少女は自分の血筋を詮索される事を嫌って、この爆弾を落したのだろうか?
だとしたらさすがにあの『無能王』の姪というところかな、とオスマンが考えたところでタバサがこちらに視線を向ける。

「話がそれたが、続きを」
「ふむ」

と、オスマンがヒゲをしごいた所でタバサは扉がノックされた事を感じた。サイレンスを解除すると同時に、扉が開いてロングビルが顔を出す。

「オールド・オスマン。馬車の用意が整いました」
「では話はとりあえずここまでにしておこう。報酬を先払いしすぎた気もするし、残りは閲覧許可証ともども仕事を終えてからじゃな」

ほっほっほ、と笑うオスマン。

「・・・わかった」
「それではよろしく頼むぞ。ありゃわしの恩人から預かった物での。金目当てに売り飛ばされるワケにはいかんのじゃよ」

タバサが頷いたのが合図であったかのように、ルイズ達は扉に向かう。

「馬車が用意してあります。こちらへ」

オスマンの言葉に頷いて、ロングビルが先導して歩き始めた。

「みなさん気をつけて下さい。何かあったらすぐに戻るのですよ。どんな宝物でもあなた方の命には代えられないのですから」
「わかってますよ。俺だって死にたくないですからね」
「大丈夫よ、ミスタ。ケイヒさえ出てこなければどうにでもなるわ」

コルベールの真摯な訴えにヤンが笑顔で答え、キュルケは投げキッスを返す。
彼らの姿が扉の向こうに消えると、コルベールは崩れるようにソファに座り込んだ。

「・・・学院長。生徒を死地に送り出してそれをただ見送る、私は臆病者でしょうか」
「さあの。誰が何を言おうと、それは結局おぬしが決めることであって、わしが決めることではないよ」

両手で顔を覆うコルベール。オスマンは突き放すように答えると、水キセルに煙草の葉を押し込み、火をつけた。



緊張感とは裏腹に、馬車での移動は退屈な物だった。
いつ襲われてもいいようにとの用心から、馬車といっても座席のない、荷馬車の類である。
その御者台に妙齢の女性、荷台に貴族風の少女が三人、甲冑を着込んだ男二人と鎖かたびらを身につけた女一人というのは実に目立った。
トリスタニアの大通りを通ろうものなら芸人と間違われていたかもしれない。
なお、リリスの身につけている鎖かたびらはシエスタの祖母、リィナの物である。軽く薄くまるで革鎧のようで、司教の貧弱な体力でもその動きを阻害しない。さすがに伝説の武具というべきであった。
一緒に持ち帰った杖は癒しの力を持っていたが、リリスを拒んだ(力量が不足なのだろう)ので、左手にトリスタニアで買った小盾を付けるに留めている。
それでも何かの役に立つかと思い、持ってくるだけは持って来ているのがリリスのベテランとしての用心であろう。
一方、ヤンはシエスタの曽祖父テツの武具にやはり認められないでいる。もっともリリスと違って既に質のいい装備を揃えている彼であるから、それほど困った顔はしていなかった。
腕を上げて使いこなせるようになればいい、などと気楽に考えており、装備自体もキュルケの部屋に置いてきていた。
閑話休題。
うららかな馬車の旅に、真っ先に緊張感の糸が切れたのはやはりキュルケであった。

「まるで『荷車の騎士』よね。ねぇ、馬でぱーっと行った方が良かったんじゃないの?」
「馬で飛ばすと体力を消耗するでしょ? 私とかヤンとか、余り慣れてないのだっているし」
「退屈ねぇ。ちゃちゃっとゴーレムが出てきて事件が解決しないかしら」
「ケイヒが出てくるかもしれないって事忘れるんじゃないわよ。下手すれば、馬車ごと全滅させられるんだから」

緊張感のないキュルケの独り言をルイズがたしなめようとするが、反応したのは本人ではなくロングビルのほうだった。

「みなさん手だれと聞いておりますが、そのケイヒというのはそんなに凄い魔法使いなのですか?」
「魔法というか。まぁそんなものかしらね。スクウェアメイジが子供に見える位の術を放ってくるから、とにかく正面から戦わないのが一番よ」
「リリスさんの先住魔法と比べても、ですか?」
「・・・まあね」

間が空いたのは、先住魔法という単語を咄嗟に思い出せなかったせいである。
そう言えばそう言うことになっていたのだなと、久しぶりに思い出したリリスであった。

「ところでミス・ロングビルの系統とランクは?」
「土のラインですわ」
「だったら万が一遭遇した場合は囮のゴーレムでも作って逃げて欲しい。私たちも逃げる。仮にあなたがスクウェアだったとしても、正直どうにもならない」
「わ、わかりました」

ロングビルの脳裏に、かつてモット伯の屋敷の地下で見た光景が甦る。・・・こいつらで到底敵わないって、どう言う化け物だ?
冷や汗が、じんわりとロングビルの脇の下を濡らした。

「そう言えばミス・ロングビルは学院にいらしてまだ三、四ヶ月ほどでしたっけ。その前は何をされてたんです?」
「ちょっとキュルケ、失礼よ」
「構いませんよ、ミス・ヴァリエール。隠すような物でもありません。
 そうですね、ゴーレムを作って荷運びの日雇いをしたり、酒場で働いたり。男だったら傭兵にでもなっていたかもしれませんわね。
 そんな事をしている内に酒場にいらしたオールド・オスマンに雇っていただいたのですわ」
「それは・・・大変でしたね」
「まあ、家名を失うとはそういう事です。それでも、いろいろやらないと食べていけませんから」
「あ・・」

どことなく優しい表情になったロングビルを見て、ルイズの口から、小さな呟きが漏れる。

「あの。何か?」

何かまずい事でも言ったかと内心ぎくりとしながら、戸惑った風を装ってロングビルが尋ねるが、ルイズの答えはどうにも要領を得なかった。

「あ、あの、ですね。その」
「なによルイズ、顔赤くしちゃってさ」
「黙ってらっしゃいキュルケ」
「どうせお母さんのおっぱいでも思い出してたんでしょ」
「お、お母様じゃないわよっ!」
「じゃあお姉さん?」

ぐっ、とルイズが詰まる。
こういう所では、やはりルイズはまだまだキュルケには勝てない。
にやにやしながらキュルケがルイズのほっぺたをつつく。

「ほれ、白状なさい。ミス・ロングビルが誰に似てるって?」

全員の視線が集中する中、真っ赤になったルイズがぽつぽつと語り始める。

「あの・・・その、ですね。今の優しげなミス・ロングビルの表情が、私の姉に似ていた物で・・・病弱なんですけど私には凄く優しくしてくれて・・・だからその、ミス・ロングビルがちい姉さまみたいだなって」

ロングビルの頬がかすかに朱に染まった。
照れているのであろう、振り向いていた顔を前に向けなおし、そのまま無言で手綱を取っている。
一方にやにや笑いをさらに深いものにしながら、キュルケがルイズの頬を人差し指でむにむにとこねくり回した。

「ふぅ〜ん。で、ミス・ロングビルと似てたからルイズちゃんは大好きなお姉ちゃんを思い出しちゃったわけだ?」
「うるさいわね、いいでしょ、そんなの! ちょっと、ショウもにやにや笑ってるんじゃないわよ!」
「別に笑ってないが?」
「嘘! 今だって笑ってるじゃないの! リリスも! ヤンも! タバサ・・・は、まぁいつもどおりだけど」

キュルケの指を払いながら真っ赤になったルイズが吼える。それでも一同の顔に浮かんだ温かい眼差しと微笑みは消えることがなかった。
正直ルイズとしては今のように可愛いものを見る目で見られるより、指差して馬鹿にしてくれたほうが余程気が楽なのであるが。
そしてそれらに背を向けたままのロングビルは動揺をまだ収め切れていなかった。
なぜならさっきルイズが指摘した「優しい表情」の時に彼女が考えていたのは、血の繋がらない妹であるティファニアの事だったからだ。
図らずも、ルイズの言葉はフーケの心中を正確に看破したことになる。
そして先ほどのルイズの表情と言葉に、一瞬フーケは妹を重ねてしまった。

(馬鹿だね、あたしにとっちゃこいつらは赤の他人に過ぎないってのに)

自嘲し自戒しつつも、彼女はその重なった面影を簡単に振り払う事はできなかった。
そうした内心の葛藤を気取られぬよう努力しつつ、話題を変える。

「そう言えば、盗まれた破壊の剣というのはどういうものですの? オールド・オスマンが名前だけは時折口にしてらっしゃいましたが」
「さぁ、私たちもよくは知らないのよ。キュルケはショボいなんて言ってたけど」
「だって本当にそうなんだもの。魔力がかかってるのは確かだけどね」
「でもそのような名前がついているからには強力な力を持っているのでしょう。それが私たちに使われたら大変なのではありませんか?」
「だとしたら学院長もそれを私たちに教えるんじゃないかしら。教えなかったって事は、多分そんな力はないか、学院長も知らないんじゃない?」

その一言はロングビル、正確にはフーケをがっくりと落ち込ませた。
荷台に背を向けていて、表情を読み取られる事のないのが幸いではあったが、もし本当にそうだとしたら骨折り損のくたびれもうけではないか。
だが、荷台に背を向けていたが故に、彼女は後ろのショウがこのとき怪訝な顔をしたことには気付かなかったのである。
そして、タバサの目が光った事にも。

「学院長は恩人からの預かり物と言っていた。だとすれば金銭的には全く価値のない物であることもありうる」
「ああ、有り得ますね。再会を期してとか、何らかの記念品とか」
「それだったら、尚更取り返してあげないといけないな」

タバサの言葉にショウが返し、ヤンの純朴そうな声がそれにかぶさる。
様々な思惑を載せ、馬車は道を進んでいった。



幸い目的地の少し手前まで何事もなく馬車は進んだ。
深い、鬱蒼とした森の中である。道が判別できなくなったあたりでロングビルが馬車を止めた。

「ここからは歩いていきましょう」

頷く一同の顔に――キュルケでさえも――緊張感がみなぎる。ここから先は敵の庭だ。注意してしすぎることはない。
人がようやく一人通れるほどの、踏み固められた小道が森の奥に続いている。
ショウを先頭、ヤンを最後尾にして一行は森の中を進んでいった。

「この先にその小屋があるはずです。昔は木こりが使っていましたが、今は放置されているとか」

ロングビルの説明にショウとタバサがちらり、と視線を交わした。
道をそのまま進むと、やがて森の中の開けた場所に出た。広さは魔法学院の中庭くらいであろうか。
その中央にはロングビルの情報どおり、廃屋があった。
木こり小屋であったという話のとおり、壊れかけの炭焼き釜と物置が横に並んで立っている。
小屋から見えないよう、一行は茂みに潜んで様子を伺った。

「ショウ、ここから中の様子はわかる?」
「ああ、少なくとも人はいないようだ」

目を閉じて集中し、ショウが小屋の中の"気"を探る。
その感覚を信じる限り、中には人はいないようであった。
もっとも気配を消せる盗賊や忍者と言ったクラスの、それもマスターレベルかそれを超えるような人間がいた場合はその限りではないのだが・・・。
ロングビルが口を開いた。

「では、どうします? 人がいないなら尚更中を調べなければ」
「そうね、万が一にでも『破壊の剣』を置いてあるかもしれないし」

キュルケが頷く。
短い話し合いの結果、ショウが行く事になった。
重い板金鎧を着ているとは言え、それでもこの中で一番運動能力が高いのは彼である。
窓の無い方角から、素早い動きで、可能な限り音を殺しつつ接近する。
小屋の壁に背を預けた彼はしばし瞑目し(気を読んだのであろう)、そこからゆっくりと窓の側に移動する。
そっと覗き込み、しばらくして彼は頭の上で両手で○印を作った。
あらかじめ決めておいた「安全」の合図である。
残りの6人が近づくとタバサが一歩前に出て、「ディテクト・マジック」を唱えた。

「魔法の罠は無い」

ショウとヤンが頷き合うと、二人はゆっくりと扉の前に移動する。
後ろの五人が所定の位置についたのを確かめた次の瞬間、ショウとヤンは体当たりで扉を破り、中に入って素早く散開した。
後ろの五人は呪文の詠唱を終え、何があっても支援が出来るように待ち構えている。
が、小屋の中にはやはり何もいなかった。
突入したショウとヤンを出迎えたのは、巻き上がったほこりだけだった。

一行は手分けして屋内を探すことにした。
と言っても探す場所がそうあるわけではないし、どの道何も見つからないだろうとは思っていたのだが・・・

「ミス・ロングビル! それ、『破壊の剣』ですか!?」

期待は見事に裏切られた。
ミス・ロングビルがチェストから取り出したのは、まぎれもない、キュルケの記憶にあるとおりの『破壊の剣』であった。
ショウとタバサの目がちかりと光る。ルイズはその様子を怪訝に思ったが、キュルケやロングビルはそれに気付いた様子を見せない。

「嘘!? それって・・・」

一方、リリスは息を飲んでロングビルの手の中の『破壊の剣』を見つめている。

「あら、ミス・リリス。これがなんであるかご存知なんですか?」
「え、ええ。まさかこんな所にそれが・・。でもこれなら確かに『破壊の剣』なんて言われているのもある意味納得がいくと言うか」
「ミス・ロングビル」

ショウが何か言おうとした瞬間、ロングビルが機先を制する。

「見付かったからには外に出ませんか。ここは埃っぽくてかないませんわ」
「さんせー」

キュルケが同意したのを受け、すたすたとロングビルは外に歩み出る。
ショウが僅かに口元を歪め、タバサは小声で呪文を唱えつつ、その後を追った。
外に出ると、広場の中心でロングビルが笑みを浮かべていた。
手には『破壊の剣』。

「それではミス・ロングビル。学院までは俺達が運んでいきますので『破壊の剣』を渡して下さい」
「あら、私がお預かりしますわ。皆さんはいざと言うときに戦って頂かなくてはなりませんもの」

さりげないロングビルの反論に、ショウがほぞを噛んだ。
今、彼女は、ショウやヤンと微妙な距離を保っている。
それがホウライの剣術で言う『一足一刀の間合い』、つまり一歩で踏み込んで斬れる距離の僅かに外である事に気付き、ショウは少なからぬ驚きを覚えた。
同時に、やはり只者ではなかったと自身の認識が正しかった事を確認する。
この距離の外にいると言う事は、二歩目を踏むか、"気"を飛ばす為のごく僅かなタイムラグが必要になると言う事。
つまり、魔術師であるロングビルが剣士であるショウと互角に戦うための最低限の距離であり、それを正確に見定める力量があると言う事になる。
いまやはっきりと、ショウとタバサとロングビルの間には静かな緊張が走っていた。

「え、え? どういうこと?」

ルイズやキュルケはきょろきょろと三人の顔を見比べている。
リリスやヤンも、動揺こそしていないがかなり戸惑っているようだった。

「ショウ君、ミス・タバサ」

緊張に似つかわしくない、優しげな微笑みを浮かべるロングビル。杖はその手にはない。

「あなた達はやっぱり凄いと思うけど、それでもまだまだね」
「・・・まず勝ちて、しかる後に戦いを求める、か」

その笑みに、相手の言いたいことを悟ったショウが唸るように兵書の一節を呟いた刹那、魔法のようにロングビルの右手に杖が現れ、大地が揺れた。

「ショォウタァァァァァァァイムッ!」

ロングビルの立っている地面が盛り上がる。

「気をつけろ! ロングビルが"土くれ"だっ!」

ショウが叫ぶ暇もあらばこそ。

「えっ!」
「キャアッ!」

突如地面から現れた土の隆起に、ルイズとキュルケは捕らえられていた。
その間にも地揺れは続き、ロングビルの足元と、ルイズとキュルケを捕らえた隆起を結ぶ線もまた盛り上がる。
0.5秒ほどの間に、それはロングビルを頭に乗せ、ルイズとキュルケを両の拳に握った30メイルほどの巨大な土のゴーレムになっていた。

「くそっ! 系統魔法ってのはこんなことも出来るのか!」

巨人の拳を見上げてショウが叫ぶ。二人は殆ど体全てを拳に握りこまれ、顔だけを出していた。
ロングビル・・・いや、フーケがルイズとキュルケを捕らえたのは、万が一にもかわされる事のない、体術に劣る人間を狙ったのだとタバサやショウは察している。
彼女らの運動能力そのものは決して低くなくても、咄嗟の身のこなしや回避能力は、やはり鍛え上げたショウやヤン、後衛職とはいえ修羅場を潜り抜けてきたリリスやタバサに及ぶべくも無い。

「はーっはっはっはっはっは! あたしの正体に気付いたのはさすがだったけど、詰めが一歩甘かったねぇ!」
「くっ・・・」

タバサが悔しそうに唇を噛んだ。

「一体全体どうやったのよ? あいつ呪文なんて唱えなかったじゃない!?」

さすがにこのサイズの怪物とは出会ったことの無いリリスが唇の端を引きつらせて叫ぶ。
打てば響くようにタバサがその疑問に種明かしした。

「恐らくここに来る前に、既に地面の下にゴーレムを錬成しておいたのだと推測。それならば、一言の呪文だけであのように起動させる事が可能」
「・・・ここに誘い込まれた時点で既に負けていたって訳ね」

タバサの言葉に悔しそうに上を見上げるリリスと同様の表情でそれに頷くショウ。
それらを見下ろし、フーケが勝ち誇ったように叫ぶ。

「まず全員剣と杖を捨てな! この二人を握りつぶされたくないならね!」

拳に握りこまれたまま、ルイズは放心の表情でそれを聞いていた。

「嘘。ミス・ロングビルがフーケだなんて・・・・嘘よ!」
「しっかりしなさいルイズ! 私だって信じられないけど、目の前のこれが現実なのよ!」

キュルケの叱咤にも、ルイズの表情は変わらない。ルイズにとって「ちい姉さま」は聖域であり、そのちい姉さまと同じ顔をしていたミス・ロングビルがフーケである事などありえない、いやあってはならなかったのだ。
すがるようなルイズの視線に気付き、フーケが憐れむような目でそれを見返した。

「言ったろう? お嬢ちゃん。『色々やらないと食べていけない』ってさ」

ルイズの返事はなかった。
キュルケはルイズがショックを受けて黙り込んだのだと思ったが、それは違った。
ぎり、とルイズの奥歯が鳴った。
彼女を構成する重要なパーツの一つ・・・怒りがその精神の前面を覆い尽くす。
動かない首を無理に動かし、地上を見下ろしてルイズが叫ぶ。

「ショウ! 私のことは気にしないで、こいつをやっつけて! あなたなら簡単でしょ!?」
「ちょっとルイズ!」

無茶を言い出すルイズにキュルケが顔色を変えるが、それもフーケの余裕を崩すには至らない。

「その度胸は買うけどね。いくらあんたの使い魔が凄いって言ったって、この状況じゃあたしが斬られるよりあんたが潰される方がどうやっても早いよ?
 なぁに、言う事を聞くなら誰も殺しやしないさ。あたしは優しいからね」

満更馬鹿にしているわけでもない口調ではあったが、それでも冷酷にフーケが宣言する。

「さぁ、さっさと言うとおりにしな! エルフのお嬢ちゃんは両手を頭の後ろに置くんだ。ショウ、あんたもだよ! 手をこっちに向けたり呪文を唱えたりしたら、すぐさまお嬢ちゃん二人を握りつぶすからね!」

選択の余地無く、ショウ達は武器を捨てた。ショウとリリスは頭の後ろに手をやる。

「さて、本題の前に一つ教えてもらおうかね。お嬢ちゃんと使い魔くんはなんであたしの事に気づいたんだい?」
「貴女が戻ってくるのが早すぎたから」
「へぇ?」

タバサの答えに、フーケが笑みを浮かべた。

「盗難が起きたのは昨夜。貴女が今朝それに気付いたなら、馬で四時間もかかるような場所の聞き込みを終えてその日の内に学院に戻ってこられるわけがない。
 それができるとしたら、最初から見当が付いていたか、もしくは貴女が犯人ないし犯人の一味である可能性が高い」
「ああ、やっぱりそこかい。まぁ、ずさんな計画だったからねぇ」

納得するフーケの様子に、タバサが僅かに怪訝な顔をした。
ショウが言葉を重ねる。

「加えて、お前が馬車で破壊の剣について話題にしたとき、破壊の剣の力を知らないとルイズが言った時も、俺が金銭的な価値は無いといった時も、お前は失望の気配を発していた」
「あらら、こんなお子様にまで読まれるとは。それとも、それも"気"って奴かい」
「そんな所だ」

素っ気無くショウが答える。
得心が行ったのか、一つ頷くとフーケは話題を変えた。

「さて、本題だ。そこのエルフの使い魔。あんたこいつがなんだか知っているって言ったね。なら当然使い方も知っているんだろうね?」
「それは、わかるけど・・・」
「なら教えな」

戸惑ったようなリリスに、フーケは単刀直入に要求を突きつけた。
恐れや危機感ではなく、むしろ困ったような表情でリリスが口を開く。

「あなたや他のメイジが使えるかどうか分からないわよ?」
「いいからさっさと教えな! 言っとくけど嘘を教えてもこの二人の命は無いからね!」

溜息をついて、リリスはフーケに従うことにした。

「えーとね、それじゃ『破壊の剣』を胸の前に掲げて。鞘から抜かなくてもいいから」
「ふむふむ」

興味深げに『破壊の剣』を左手で持ち、胸の前に掲げるフーケ。
剣とは言ってもナイフほどの大きさしかないので、女の細腕でも苦にはならない。

「こう唱えるの。『天と地、この世界をあまねく大いなる力よ……』」
「天と地、この世界をあまねく大いなる力よ」
「『今我の呼びかけに応え』」
「今我の呼びかけに応え」
「『我に新たなる力を与え給え』」
「我に新たなる力を与え給え」
「そうすると秘めた力が解放されて……」

リリスの解説をフーケの悲鳴が遮った。見れば、『破壊の剣』がフーケの手の中でボロボロと崩れ落ちている。

「こ、壊れちゃったじゃないかっ!?」
「『破壊の剣』が!?」
「あ、使えるんだ。すごーい」
「凄いじゃないでしょう!」
「オールド・オスマンから取り戻して来てくれって言われたじゃないですか! 力を解放させちゃってどうするんです!」
「あ」
「『あ』ってなんですか、『あ』って!」

呆然とするフーケ、ルイズ、キュルケ。顔に出さないがやっぱり呆然としているタバサ。
こうしたアイテムは秘められた力を解放すればおおむね壊れる、という事実を知っているショウとヤンの二人だけがリリスに詰め寄っていた。

「お、お、お、お前、騙したねっ!」
「騙してないわよっ! っていうか、その、あれよ! まさかいきなり使うとは思わなかったのよ!」
「嘘つき」
「嘘だな」
「嘘ね」
「嘘ですね」
「絶対後先考えてなかった」
「ああもうっ! これで今回の獲物がパァじゃないかいっ!」

思わず頭をかきむしって怒鳴るフーケ。
その一瞬の隙を、ショウとタバサは見逃さなかった。
フーケが気がついたときには鞘ごと捨てた剣をショウが拾い上げ、居合切りに虚空を一閃している。
次の瞬間ゴーレムの両手首がずれて落ち、キュルケとルイズが土に戻った拳ごと地面に落下した。
地上までの距離はおよそ20メイル余り。

「あいきゃんふらーいっ!?」

空中で手足をバタバタさせて訳の判らない悲鳴をあげるルイズ。その彼女に向けて、杖を拾い上げたタバサは咄嗟に「レビテーション」を唱えた。
空中に浮かんだルイズが、可能な限りのスピードでタバサのほうに飛んでいく。
一方キュルケは「フライ」を唱え、同じく全速でフーケのゴーレムから離れようとする。
手首の先が無いとはいえ、あんな物に殴られたらアザ程度ではすまない。

「ヤンさん! フーケを!」
「合点承知っ!」

一方ショウは"気"を集中させ、ヤンは剣を拾って突撃している。リリスも、素早く呪文の詠唱を開始していた。

「ちぃっ!」

ゴーレムの手首が盛り上がり、拳が生まれると同時にそれがショウが今まで立っていた場所に叩きつけられた。
かわしたショウは、それと引き換えに放とうとしていた技を撃つタイミングを見失う。
小屋ほどもある拳が、ショウを追って次々と大地に叩きつけられる。
当たれば勿論、かすっただけでも即死は免れまい。
フーケも本来殺すつもりは無い。
だが、モット伯爵邸の地下での出来事を見ているフーケには、ショウの剣技への拭いがたい恐怖が染み付いている。
間違ってもあんな物を受ける訳には行かなかった。
もちろん、小うるさい小娘どもが呪文を完成させないように時折手で彼女らを払うのも忘れない。
ルイズ達はそのたびに完成しかけた呪文を放棄して回避行動を取らざるを得なかった。
ヤンも、"気"を上手く溜めて放つ為のタイミングをつかめないでいる。
が、フーケの攻撃も今のところ有効打を相手に与えていない。
ショウさえ無力化できれば、そのままゴーレムで逃亡したいところではあるのだが、そのショウが実にしぶとくゴーレムの拳をかわし続けている。

「くっ。ちょこまかと!」

双方焦りが増す中、最初に状況を動かそうとしたのは拳をかいくぐる合間を縫い、どうにか呪文を完成させたリリスであった。

"静寂(モンティノ)!"

対象の周囲の空気の動きを止め、呪文詠唱を阻害する僧侶系2レベル呪文"静寂"が作り出す力場がフーケの周囲を覆った。
これでゴーレムを動かす事は出来まい、と笑みを浮かべた彼女を、今度は正面から3,4メイルはある拳が襲った。
豪快に頬を引きつらせた彼女の視界一杯に土の塊が広がる。
「フライ」を唱えていたタバサがギリギリのところで体当たりしなければ、リリスは血を吸いすぎて潰された蚊の様に、ゴーレムの拳にへばりついていた事だろう。

「何でまだ動いてるのよ!?」
「ゴーレムを作り出すことと操ることは別。操るのに呪文は要らない」
「何てインチキ!?」

だが、リリスが思うほどにダメージが皆無だったわけではない。
呪文が使えれば仮にゴーレムが破損してもすぐさま修復できるが、呪文を封じられてしまっては、もう今あるゴーレムと自分自身の肉体能力だけでどうにかするしかない。
そして、プロだけに自分の身体能力をまるっきり過大評価はしていないフーケであった。

(クソッ、やってくれるじゃないか!)

舌打ちを一つして、フーケはショウに攻撃を集中させる。その舌打ちさえ全く音を立てなかったが。最悪、ファイアーボールの一発位は覚悟の上で、ショウだけは無力化せねばならなかった。
幸いにも桃色頭の小娘の爆発はそれほどの精度は無いらしく、激しく動き回るゴーレムの上に乗っているフーケにクリーンヒットを出せていない。青髪や赤髪もそこらへんは大差ないようである。
だがそこまで激しくゴーレムを動かしているにもかかわらず、その頭の上に平気で乗っている自身の異常さに、フーケはまだ気付いていなかった。

何十回目かの攻撃の後、ショウの動きが僅かに鈍った事にフーケは気付いた。
好機とばかりに、これまでの叩き潰す動きではなく、地面を舐めるような横殴りの広い動きでショウを狙う。
これはさすがにかわせず、ショウと、ついでにヤンも吹っ飛んだ。
だが直後、それが同時に自分にも隙を作ってしまったことに彼女は気付く。
ゴーレムが腰をかがめて地面を薙ぎ払ったため、今まで細かく動いて地面に拳を叩きつけていた時と異なり、頭部の位置がほぼ空間の一点に静止してしまったのである。
それはとりもなおさず、フーケという的が静止していると言う事でもあった。

殺気を感じ、フーケが咄嗟にゴーレムの右肩に飛び降りる。
直後、爆発がゴーレムの頭部を抉った。
次に、青髪の少女が放ったエア・ハンマーをギリギリのところで、しかし余裕を持った動きで避ける。
その時には既に、この連続攻撃の最後の攻撃を、余裕を持ってフーケは見極めていた。
赤髪の少女キュルケの、ファイアーボールではなく「フライ」による術者本人の体当たり。
タックルして、あわよくばゴーレムの頭から引きずり下ろそうという魂胆である。
もしそうなればショウやヤンと同じ土俵に立つ事になり、ゴーレムをうまく動かす事も出来ないまま倒されるだろう。
だが。

(そんなへなへなの「フライ」であたしの意表を突けるものか!)

フーケからしてみれば、その体当たりはスローモーで大雑把過ぎた。
恐らく魔力切れであろう、とフーケは思ったが、キュルケとしては全速での飛行だったのである。
ともかくフーケは滑らかな動きで腰を回転させ、突っ込んでくるキュルケをかわすと同時にそのみぞおちに膝を叩き込んだ。
そのまま流れるような連続攻撃で、たまらず動きを止めたキュルケの首筋を強打し、気絶させる。
気を失ったキュルケは、フライの残存魔力でゆっくりと地上に落ちていった。

(まさかこれほどとは)

不意をついたはずの親友が難なく倒されるのを見たタバサは冷や汗をかいていた。
ここへ来るまでの観察から、体術面ではせいぜい自分と同じかそれ以下だと判断していたが、とんでもない。
下手をすればショウでさえ危ないと思われるレベルの達人だ。自分の目がそこまで完全に誤魔化されたのは信じられなかったが、それだけ相手が上手だったと言う事だろう。
だが、まだこちらのターンは終ってはいない。
一人二人倒そうが、現状は六対一なのだと思い知らせてやろう。

"暗霧(モーリス)!"

リリスの呪文が発動する。
魔術師系4レベルの呪文、暗霧(モーリス)は敵を闇で包み、視界をふさいでその反応を鈍らせる術である。
視界を制限された敵は行動におけるイニシアチブを失い、情報不足による一瞬の判断の遅れは回避能力の欠如となって現れるのだ。
視界が急激に暗くなったフーケは、慌てて闇を透かし見ようと目を凝らす。
だが、何かを見て取る前に総毛のよだつ感覚が彼女の全身を襲った。

"鳳龍――"

考える暇も無く、ゴーレムの肩部から地上へとフーケはダイビングする。

"爆裂波!"

それとほぼ同時に、全力の"気"の奔流をそのまま敵に叩きつけるショウの剣技が、かがんだゴーレムの胴体を見事に爆砕していた。
"気"を圧縮して叩きつけるだけの単純で大振りな技ではあるが、それ故に"気"の制御や圧縮が適当でもそれなりの威力を発揮し、放つまでの時間も短くて済むという利点がある。
吹き飛ばされたショウが、リリスの呪文で出来た隙に乗じてすぐさま反撃出来たのもこの故である。
飛び降りたフーケは――かがんだ肩とはいえ、15メイル以上はあるにもかかわらず――完璧な受身を取り、着地した一瞬後には立ち上がっている。
そして、そこに最後の攻撃が襲い掛かった。
カシナートを構えて突進するヤンである。
だが相手を女性と見たのか、その動きは明らかに切れが今ひとつだった。
先ほどフーケがキュルケを殺せるチャンスがあったにも拘らず、気絶させただけだったのも関係していたかもしれない。
が、それを見たリリスが重要な事実を伝えていなかったことを思い出し、急いで叫んだ。

「気をつけて! 今の彼女は"忍者"よ! 手加減は危険だわ!」

リリスがもう少し早くこれをヤンに伝えていたら話は変わったかもしれない。
だがそれを聞いたヤンが「え?」と思ったときにはもう遅かった。

地面に下りて立ち上がったときには、既に目の前にヤンが迫っていた。
普段はただのお人よしにしか見えないが、ショウほどではないにせよ、そこらへんの傭兵などでは及びもつかない実力の持ち主である事をフーケはその目で見て知っている。
呪文とゴーレムを封じられたこの状況で、どう考えても勝てる相手ではなかった。
諦めかけて、ふと、奇妙なことに気付く。

(あれ?)

静寂(モンティノ)の作り出す沈黙の領域の中、フーケ本人以外には聞く事も出来なかったが、その喉から気の抜けたような声が漏れる。
世界がスローモーションになっていた。ヤンの動きも、余裕を持って見て取ることができる。それと共に、体に染み付いた動きであるかのように、体が勝手に動いた。
ヤンが振り下ろした剣の平で気絶させようとしてくるのを、無造作に体を開いてステップを踏むだけでかわし、剣を半ばまで振り下ろして無防備になった右側から、左手刀を喉に送り込む。
かわされた事への驚愕、これから受ける攻撃への恐怖、それでもどうにかフーケの動きを捉えようと追いかけてくる視線。フーケは一瞬だけでそれらの情報を全て読み取っていた。
そして熱したナイフがバターを切り裂くほどの手応えもなく、手刀は喉笛どころか頚椎までを易々と両断してヤンの首を宙に舞わせる。

クリティカル・ヒット。

忍者の五体は、ただそれだけで戦士の大剣に匹敵する破壊力を秘めている。手刀は肉を切り裂いて心臓を抉り出し、回し蹴りは虎の背骨を折る。
加えて忍者独特の武芸である急所を突く一撃(クリティカルヒット)と、人型生物の範疇を超えると言われるほどの身体能力を、何ら武具を装備していない状態のフーケは最大限に発揮できる。
それこそが、忍者が殺人機械とまで称される由縁。
それなり以上の戦士であるヤンの動きも(ヤンが手加減しようとしていた事もあったが)、今の彼女の目には止まって見えたのだ。
首の傷口から鮮血を、両目から滂沱の涙の筋を宙に引き、ヤンの首は木立の中に消えていった。
ヤンの胴体から吹き上がる血しぶきも、素早く五メイルほども飛びすさったフーケには染みの一つも作っていない。
とてつもない高揚感とともに、フーケは唐突に理解する。これこそが『破壊の剣』の力なのだと。



一方その頃のトリステイン魔法学院。オスマンと話していたコルベールがふと思いついたように尋ねた。

「そう言えば盗まれた『破壊の剣』、あれはどう言う由来の物なのですか? 名前からしてやはり恐るべき力を持ったマジックアイテムなのでしょうか?」
「ふむ」

しばらく考えこんでいたオスマンが顔を上げる。

「まあ君になら話しても良かろう。ただし、他言無用じゃぞ」
「はい」

真剣な表情で頷きながらも、コルベールの顔には隠し切れない知的好奇心の色がある。
この辺がこの男の欠点でもあり愛すべき所でもあるんじゃがの、と思いつつオスマンが始めたのは、些か奇妙な昔話だった。

「もう2、30年ほど昔になるかの。おぬしがこの学院に来るかなり前のことじゃった」

その頃もやはりオスマンは魔法学院の学院長であった。
そして学院近郊の森を散策していた彼は、いきなりワイヴァーンに襲われたのである。

「いや、ワイヴァーンと言っていいものかどうかはわからんがの。わしの知っているワイヴァーンとはまるで形も違うし、ブレスも吐いたが、敢えて表現するならそうとしか言えん。
 姿はむしろ蛇に近かったが、ワイヴァーン、或いはドラゴンのような特徴を備え、小さいながら手足もあった」
「それでどうしました? オールド・オスマンならばワイヴァーン程度造作もないでしょうに」
「いやな、そいつの吐く氷の息を防御するので精一杯で、中々攻撃できんかったんじゃよ。
 おまけにブレスの合間を縫ってフレイムボールを放ってもまったく効かぬ。
 あの時ばかりはどうしたもんかと思ったわい」
「氷のブレス? オールド・オスマンのフレイムボールに耐える? それは一体・・・」

目を白黒させるコルベールには構わず、オスマンは話を続ける。
そのワイヴァーンもどきの動きは素早く、オスマンがフライで逃れようとしても無理だった。
オスマンがブレスや直接攻撃を土の壁で防ぎ、合間に放つ呪文もワイヴァーンもどきに効かず、戦いが膠着したときにその男は現れた。
年が若いだろうと思われるのに見事な白髪のその男は、ぴったりとした革鎧を身につけ、手にあの『破壊の剣』を持っていたのだという。
彼はオスマンが襲われていることを見るや、合図をしたら森の奥に誘い込むように指示した。
数分後、その通りにしたオスマンを追いかけたワイヴァーンもどきは、木とロープを利用した即席の罠で見事に動きを封じられたのである。
そのまま暴れるワイヴァーンもどきに馬乗りになった彼はその眉間に『破壊の剣』を突き刺し、これを倒したのだった。

「なんと、魔法の効かない怪物をロープとナイフだけで・・」
「ま、なにも魔法だけが力ではないということじゃな」

断末魔のワイヴァーンが暴れたため、彼は振り落とされた。彼自身はオスマンのレビテーションで無事に着地したものの、ワイヴァーンは森の木々の下敷きになってしまったのである。

「その時に、ワイヴァーンの眉間に突き刺したナイフを彼がやたらに気にしておったので聞いてみたら、あれは持ち主に全てを打ち砕けるような素晴らしい力を与えてくれる物なんじゃと言う事じゃった」

まいったな、と頭を掻く恩人の様子に、オスマンはゴーレムを作り出してワイヴァーンもどき――彼によればティエンルンというらしい――の死骸を掘り出してやろうとしたが、作業を始めたその矢先男の姿がぼやけ始めた。

「な、これは転移・・・頼む、じいさんあの剣を早く!」

オスマンが急いで首だけでも掘り出そうとしたが到底間に合わなかった。
男は死骸に走りよろうとするが、その姿は加速度的に薄れていったという。

「俺の、俺のダガー・オブ・シーブスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッ!!!!」

後は言葉にならなかった。
悲痛な叫びの残滓を残し、若白髪の男は空気に溶けるように消えた。

「・・・あの時の彼の悲痛な叫びが、未だにこの耳にこびりついておる。彼にとってはよほど大事な物だったのじゃろうな。
 じゃから、彼の話から『破壊の剣』と命名していつか彼が戻って来た時に渡すために保管しておいたのじゃよ。それがまさか盗まれてしまうとはのう」
「心中お察しいたします。それでは結局その方の名前も分からずじまいですか」
「いや、名前は互いに名乗りあったよ。サンザ、といったかの」

オスマンが思いを馳せるような表情で瞑目する。

「今ごろ彼はどうしているのじゃろうのう・・・」

コルベールは無言のまま、学院長のその表情を沈鬱に見守っていた。

「ところで、今の話を彼女らにしておいたほうが良かったのでは?」
「あ」
「『あ』って何ですか!」
「いやー、彼女らが無事に帰ってくるといいのう」

今までのやりとりなどなかったかのように、オスマンが遠い目をして窓の外を眺める。
限りなく冷たい視線がその横顔に突き刺さるが、もちろん彼の面の皮はそれしきで貫かれるほどやわではなかった。

「・・・このボケ老人が」
「何か言ったかの、ミスタ・コルベール」
「いいえ何も。オールド・オスマン」




必ずしもオールド・オスマンのせいではなかったが、森には悲鳴と怒号が飛び交っていた。
二メイル近く鮮血を吹き上げていたヤンの胴体がぐらりと傾ぎ、倒れる。

「忍者・・・まさか『盗賊の短刀(ダガー・オブ・シーブス)』だったんですかあれは!」
「そうなのよ、御免!」

ショウとリリスのやり取りは理解できなかったが、ルイズもタバサも、『破壊の剣』の力が今のフーケをとんでもなく危険な存在にしてしまったことだけは理解できた。

「はは!」

森にフーケの高笑いが響き渡る。

「あはははは!」

即ちそれは、リリスの掛けた静寂(モンティノ)の効果が切れたと言う事。
そして、フーケが再び魔法を使えるようになったと言う事。

「あはははははははははははははははは!」

再び、30メイルを越す巨大なゴーレムが彼らの目の前に現れた。
日の光を遮るその巨体。
肩に乗るのは今や超人的な身体能力と戦闘体術、非人間的なまでの冷静さを併せもつ戦闘機械と化したトライアングルメイジ、"土くれ"のフーケ。

「あーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはぁ!」

森にフーケの高笑いが響き渡る。
ショウが井上真改の柄を握りなおした。
無論錯覚だが、今の彼には手からにじみ出た冷や汗で、柄糸がぐっしょりと濡れているように思える。
扱いなれたはずのその感触を、今ショウは初めて頼りなく感じていた。





さあう"ぁんといろいろ 第七話 『死線』 了







投下終了。支援と掲載、代理に感謝。

どうにか宣言どおりにかきあげられてほっとしてます。
なんせ今週末からはスパロボ三昧の日々が待ち受けてますので。

なおここだけは強調しておきたいのですが、リリスは決して馬鹿ではありません。
うっかりしてるだけです。


ではまた、忘れた頃に。

 

ウィザードリィを知らない人向けキャラクター解説と用語説明

若白髪の男 Lv.10 N-THI HUMAN

原作でのショウの仲間にして後のシェーラの亭主、サンザの若き日の姿。
中立属性の彼は通常の方法では忍者に転職できないため、若い頃に必死で「盗賊の短刀」を探して忍者に転職したというエピソードがある。
このSSでこの後ちゃんと忍者に転職出来たかどうかは不明だが、少なくともハルケギニアに盗賊の短刀を取りに来る事は出来なかった模様。
合掌。


盗賊の短刀(ダガー・オブ・シーブス)

盗賊(シーフ)を忍者に転職させる魔力を秘めた魔法の短刀。
通常WIZ世界で転職を行うには訓練場で転職を行い、レベルが1にまで下がったり、能力値が最低クラスまで落ち込んだり、年齢が数歳上がったりと言ったデメリットを受けなければならない。
加えて上級クラスは属性や能力値などで厳しい転職制限がある。
この盗賊の短刀はその中でも条件の最も厳しいクラスである忍者に、瞬時に、レベル低下などの一切のデメリットなしでそのまま転職することが出来る、あらゆる盗賊垂涎のアイテムである。
何せ盗賊はパーティに必要不可欠なクラスである一方戦闘力が低く、戦闘では概ねパーティのお荷物となってしまうからだ。
ちなみに武器としては意外に強く盗賊の使える武器としては最強クラスだが、所詮短刀なのでダメージは低い。

 



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