ピ、ピ、ピ、ピ、ピ ガシューーーー カチャ、カチャ、カチャ
そこは様々な機械が立ち並ぶ場所。数人の白衣が忙しそうに動き回っている。彼女の視界はガラスの厚い壁に遮られていてそれ以上は分からない。自分が閉じ込められたのと同じ筒状の容器が左右に微かに並んでいるのが見えた。
自分には固有の名前は無い。この場所で生まれ…………いや、作られた。それぞれの試験体には番号が振られ、私はNo.1654とだけ呼ばれている。存在を自覚し自分を認識してから定期的に行われる『実験』。
自分達はその為のモルモットなのだ。
「ふ、ふふふふ。可愛い、可愛い僕の子猫ちゃ〜ん。大好きな実験の時間ですよ〜」
白衣の一人が私のゲージに近づく。何が楽しいのかニヤけた厭らしい顔で私を嘗め回す様に見上げ、手にしたスポイトを掲げ持つ。
私達は作られたまま何も身に着けていなかった。それが男の嗜虐心を煽るのか。
「今日はコレだぁ。んふぅ、ど〜〜んな効果があるのかな〜楽しみだぁ。ねぇ、君もそう思うだろ?」
この男はいつもそうだ。私達は生成される段階で遺伝子操作をされ、生まれながら高い知性を与えられている。だから、こいつらが自分達に対しての行為は人間に対してならば許されない事だし絶対嫌!だけど、どれだけ抵抗しようとも自分達に自由は無く、人間ですら無い。
私のような女性体は12歳を過ぎた頃、白衣達に連れ出される。でも、下卑た奴らの表情からその後の彼女達の運命は決まっている。
いずれ私も同じ目にあう………後どれくらいココでいられるの? いいえ、こんな所になど居たくは無い。精神崩壊と死亡だけが自分達に残された希望。
死が私達を解き放つ扉…………自分達に未来などはなから存在しないのだ。
抵抗の意思、表情、言葉は逆にこいつらを喜ばせる。
でも、心までこいつらの自由にさせない。
だから…だから絶対、嫌悪・苦痛の表情といえど見せたく無かった。
「何だよ、何だよ!お決まりのその表情は!……ふんっ!まあいいよ、こいつを投与されてどんな顔を見せてくれるか、そいつが楽しみなんだよね。口では嫌がっても身体は正直だからな?」
男は私の変わらない表情に逆切れして勝手に怒って地団駄を踏んだ後、投入口にスポイトを差し込む。
ああ、また嫌な時間が始まる。少女の心を絶望が包み込む。
指に力が加わる、その時!男の背後の空間が歪み虹色の光芒を纏いながら黒き人が現れた。
「そんなに楽しいのなら自分で使え」
男の背後から顎を掴み口を閉まらなくすると、投入口から取り出したスポイトの中の液体を口腔に搾り出した。
「!?うぇ、ガッ」
男は自分に起きた事を理解できぬまま液体を飲み乾した。
「どうだ、気分は?」
黒い人の声に振り向き何か言おうとした後、白目をむきノドを押さえもがき苦しみ始めた。
「そんなに喜んでくれるなんて思わなかった」
この黒い人は何を言っているんだろう? 男の表情は苦悶に歪み肌の色がどす黒く染まっていく。
「さて、用事をすますか」
黒い人は私の視線に一度振り向くと身をひるがえし、他の白衣達を殴り倒していく。
突然現れた黒い人に対して抵抗できぬまま部屋の隅に追い詰められていく白衣達。
「……ぐっ、お、お前は……何者だ?わ、私達をど、どうする気だ?」
声を震わせながら集団の中の長らしき人物が詰問の声をあげる。
「いちいち名乗るのも飽きた」
黒い人はため息を一つ吐き肩をすくめ、
「大した事はしない、知識をもらうだけさ」
「私達が素直に従うと思うのか?」
長の男は少し落ち着いたのか尊大な物言いで黒い人に問いかける。自分達こそが目的で命の危険が回避された、とでも思ったのだろう。
「ん? 少し誤解しているみたいだが………まあいい」
黒い人は近くに居た一人に右手を差し伸べて頭頂部を掴む。
「な、何をする?」
掴まれた男が問い返しすと、黒い人の右手の甲に不思議な紋様が浮かび上がる。
「こうするのさ」
「!?ガッ、ぐぅあああああああああああああああぁ……あ、あ、あ」
男は苦しみ白目をむき、よだれを垂らし失禁したまま倒れ伏す。
「「「い、いやっぁぁああああああああ、あ、あ」」」
それを見ていた白衣の女性の何人かが悲鳴をあげ、失神する。
「ありゃ?壊れちまった」
黒い人はなんでもないような口調だったけど、何をしたんだろう?それにあの手の甲の模様は?
「……そ、そんな、ま、まさか貴様は………闇騎士?」
同僚の成れの果てを見た一人が呟く。
「ご名答……褒美だ受け取れ」
逃れようとしたその人も同じ目に合わすと、他の獲物を求め襲い掛かった。
私の視界で壊されていく白衣、白衣、白衣。命乞いの声を無視し、男女の区別無く平等に手を下す。
確かに死んでないけど……ああなったらオシマイだよ。
「ふん、ハズレだったか」
黒い人は最後の白衣に蹴りをいれ、私の方を向いた。
「見ていたな」
私は頷いた。自分の行為の帰結を知りながら…………大抵決まっている流れ。
「悪い……可哀そうだが死んでくれ」
黒い人が懐から取り出したモノを私に向ける。ソレから放たれた赤い基線がガラス壁に紅い点を灯し、
下から上がっていく。腹から胸、首、眉間へと。
アリガトウ 私はやっと解放される もう嫌な時間の来ない 本当の自由
少女の瞳から一筋の涙が零れ落ち、足元で跳ね返った時、ガラス壁の割れる音と共に視界が朱に染まった。
第二話『人生、楽しんでますか?』
一.
「……ルビアちゃん……ルビアちゃん」
遠くから自分を呼ぶ声が聞こえる。死んだはずの自分に呼びかける声。今の自分はさながら冥府から呼び出される魂、と、言ったところか。
「…もう!ルビアちゃんたらぁ………《ユサ、ユサ、ユサ》」
肩の辺りを掴まれて揺さぶられる。それに自分はルビアじゃない。自分は…………
「ルビアさん!起きなさいっ!」《パコッ》
「痛ぁああああい!」
目が覚めるとそこは教室だった。目の前には教科書を丸めて腕を組んでいるリンダ先生が立っている。
と、いうことは。
「また、いねむりですか?ルビアさん」
声は静かだが怒っている気配がひしひしと感じられる。下手な対応をしたら……駄目。
「…すいません」
素直に自分の非を認める。確かに4時間目の授業内容は退屈だったけども、だからって寝てしまった自分の方が悪い。
ア、ハハハハハハハハアハハ、ハハハ
周りのクラスメートに笑われた。隣の席のラピスちゃんが困ったような表情をしている。彼女は先生に内緒で起こそうとしてくれたらしい。
「確かに、あなたにとって退屈な内容だとは思います。しかし、何事も基本が大事なんですよ」
ルビアは2週間前に地球から転校してきた。丁度その時に受けた学期末試験で満点を取った。
性格も明るく紅い瞳が魅力的なルビアは一躍名をあげ、今ではラピスと人気を二分している。
そんな事も手伝ってクラスにすんなり受け入られたルビアはラピスと仲良しになり、よくフォローをしてもらうのだが報われず、いつものごとく怒られるルビアだった。
「…でも、だからと《キーン、コーン、カーン、コーン……》? もう授業の終わりですね」
リンダ先生は教壇に戻り教材を片付ける。
「それでは終わります」
きりーつ、礼
「それからルビスさん。今度…いねむりしたら、ご両親の方に来てもらいますから。いいですね?」
「え、えーーーー」
「いいですね」
「はい」
嫌がってみても先生は頑なだった。仕方が無く従う。でも嫌だなぁ、皆にお父さんを見られたくないよ。
お母さんは自慢できるけど。お父さんはアレだから。
ルビアは両親が呼び出される様を想像し少しブルーになった。
「今日も良く寝ていたけど、どうしたの?」
ルビアがくるまで学校一の美少女だったラピスの無邪気な問いかけに、
「うん。昨日ねお父さんの書いている小説を読んでいたら夢中になっちゃって、気がついたら朝の4時。
それで寝不足……ふぁああっ。でもありがとう。起こしてくれて、変な夢でちょっと怖かったから」
「どんな夢?」
ラピスの好奇心が疼く。
「私がどこかの研究所で実験されてるの」
「実験?」
ラピスの記憶の奥の何かに引っかかる単語。
「うん。ガラスの水槽みたいなところに裸で閉じこめられていて……? どうしたのラピスちゃん」
両肩を抱いて震えだすラピスを見て怪訝な顔をする。
何でだろ?そんな事はないはずなのに…………知っているような気がする。
「ううん、何でも無いよ。それで?」
「本当に大丈夫?嫌ならやめるよ」
心配そうに聞いてくれたけど先が聞きたい。
「大丈夫だよ。先をお願い」
その先がものすごく気になる。
「それでいつもの実験がされる時間になって夢の中の私は何ていうのかなぁ、そう、諦めた気持ちでそれに従うの。そうしたら全身が黒い人が現れて悪者の学者の人たちをやっつけていくの」
何だか懐かしい気持ちになる。黒い人はきっとお兄ちゃんみたいに優しい人なんだろう。
「黒い人ってどんな人?」
「う〜ん、どう言えばいいかな〜。とにかく全身が黒い人」
ラピスの脳裏には黒髪に黒い大き目のサングラス。黒いライダースーツの上から黒いコートを纏ったアキトの姿がアリアリと思い浮かんだ。
なぜ、アキトを黒い人と重ねたのかラピスには分からない。でも、そう思ったのだ。
「あれ?今度は楽しそうだね」
「うん!それで?」
「それで最後に私は銃口を向けられて、自由になれる事を喜んでる。もう実験されないから。そしてガラスが割れて目の前が赤くなって終わり。私は殺されるの。ねっ変な夢でしょ」
ルビアの話は終わった。何だろう、何だか悲しい。どうして?自分を殺そうとするアキト。その口元は嘲りの笑みを浮かべ……そんなはず無い!
「お兄ちゃんはお兄ちゃんはそんな事しないもん!」
無性に腹が立ってきてルビアの襟元を掴み揺さぶる。
「ちょ、ちょっと落ち着いてぇ〜〜ラピスちゃん!今のは私の夢でアキト君の事じゃないよ!」
それはそうだ。今の話はルビアの夢であって現実ではない。アキトはルビアの後ろの席で難しそうな顔をして何か思索している。
「!?あっ、そう言えばそうだったね。どうしたんだろ私?」
急変したラピスの態度に驚きながらも息を整え、
「ふぅ、聞きたいのは私だよ〜」
どう対応すればいいのかわからない。こんな時はアキトに話を振ればフォローしてくれるのだが、
「ねぇ、アキト君聞いていたでしょ、て聞いていないぃぃぃい!」
後ろの席に座っていたアキトは二人の騒ぎを気にも留めず、何かを考えこんでいた。
「ねぇ、アキト君聞いていたでしょ……」ルビアの声を意識から締め出す。
そんな事より今一番気になっているのはユリカの事だ。
最近のあいつの様子はおかしい。何かを言いたいのに話せない、そんな感じだ。
登校時に声をかけても上の空。日課になっていた朝の抱擁も忘れている。一体どうしたんだろ?
一向に自分の言葉に耳を傾けないアキトに愛想をつかせたルビアはラピスの興味が自分の父親の事に向いた事に気付き、話をすり替えた。
「ねぇ、ねぇ。ルビアちゃんのお父さんってどんな人」
余り話したくなかったが興味を持つと中々諦めないラピスの性格をこの2週間で嫌というほど味わったルビアは根負けして話し出した。
「うんとね、これが私の家族」
首に下げたペンダントを取り出し下部のスイッチを押すと二人の間に映像が浮かぶ。二人の大人の間にルビアを含めて8人の子供がいる。
「うわぁあー、すごいね!これどうなってるの?」
そこに存在しているかのように見える浮遊映像に目を奪われたラピスに聞かれたが、
「さぁ、私も知らないけどお母さんが作ってくれたの」
そう答えるのがやっとだった。指摘されて気付いたけども一般に出回っていないモノかも知れない。
「へぇ〜そうなんだ。あっ、この人がお母…さ…ん? えっ?あれ?」
映像の端の一人の女性に見覚えがある!?
背中に流れる綺麗なシルバーブロンド。聡明そうな瞳。記憶のどこかであの人だ、と叫ぶ声。でも、
誰だっけ? 思い出せない。それにその人と目の前の女性は少し違う気がする。
もしアキトが二人の会話を聴いていて、女性の顔を見れば或いは違った展開になっていただろうか?
あいつの提案で父さん達に不信感を与えない様に極力、ガキの頃のしゃべり方を使ってるけど………
最近のユリカはいつにも増して幼く感じる。本当に幼児化したのかと疑う程だ。
前のこの時期何かあったっけ?
しばらく考えていても特に重要な事は思い出せない。そもそもウジウジ悩むのはあいつらしくない。
いや、以前もあったな………火星で避難民を見殺しにしてしまった時もそうだった。
あの時はバーチャルルーム《V.R》で励ます為にキスしようとして、見事玉砕。あいつは自分で立ち直った。あの時のあいつには驚かされたよ。楽天家なだけの奴かと思ったら俺より断然『大人』で。
アキトが昔(数年後の未来)の記憶を懐かしんでいる時もルビア達の話は続いていた。
「それで…………これがお父さん」
反対側の端に立つ人物を見て先ほどまで感じていた不思議な感じが霧散してしまった。それだけのインパクトを持つ存在感。
背は妻より二つ分低く、でっぷり太り頭のハゲた冴えない中年のオジさんだったから。
「…………」
「何も言えないよね、やっぱり。だから嫌だったんだ紹介するの」
どうしてお母さんはお父さんと結婚したのだろう?ルビアを含めた兄弟姉妹達の昔からの疑問だった。
ルビアと同い年のパールの下に6人の弟・妹がいるが、その誰もが父親と似ていない。あえて言うなら母親よりだろう。この点は皆感謝している。でもこれじゃあ『美女と野獣』だよ。何で?
「……う〜ん。意外な組み合わせだけど……幸せそうな家族だね」
ともすれば笑ってしまいそうになる口元を手で隠し、それを言うのが精一杯だった。
「うん!」
ラピスなりに気をつかってくれた事も嬉しかったし、実際不幸でもない。私にとっては何にも変えがたい親だった。
「それでぇ、お父さんは何してるの?」
視線をどこかへ泳がせながら別の話を振る。これ以上父親の容貌について追求すべきじゃないだろう。
「さっきも話したけど小説家。売れないけどね。お母さんはそれを手伝ってる」
「ふぅ〜ん。で、ルビアが夢中になった話はどんなの?」
聞かれたルビアは嬉しそうに語る。
「地球では人気が無かったけどとても面白いんだよ!」
宇宙暦196年火星に移住した人類に対して木星から謎の敵が巨大な岩を送り込む。
その岩からたくさんの虫型ロボットと戦艦が出てきて、地球軍はやられる。
地球軍の提督が自分の船をぶつけて岩を打ち落とすんだけど、火星のコロニーに落ちてたくさんの人が死んで、地下に避難していた主人公のT,Kが攻めてきたロボットから皆を助けようとするけど周りを囲まれた恐怖で叫ぶと光に包まれて地球に瞬間移動して助かるの。
主人公の持っていた石が光るんだけど、この石はT,Kの両親がテロリストに襲われて亡くなった時にそばにあったもので形見だったの。
ある企業が軍に内緒で開発していた戦艦に乗り込んで火星に向かう間にいろいろな事に気付き成長する主人公。そして知るの、敵の正体が100年前の月の独立運動の生き残りで、月から火星に逃げてそこでも核ミサイルで追われて木星の衛星に逃げ延びた人たちだった事を。
未知の技術を手に入れた人たちが復讐の為に起こした戦争である事を知った主人公達が和平の為に闘う
「…………という話なの」
「…………」
これもどこかで聞いたような話だった。確かアレは誰から聞いたんだっけ?
「ねっ、面白いでしょ?」
「う、うん」
ルビアの期待を裏切るわけにもいかず頷いた。
「でも、この主人公の気に入らない点が一つあるの」
「どこ?」
「その戦艦で色んな女の人と交際するの、とっかえひっかえ」
それも聞いた事あるような……
「ほんと!女の心を何だと思ってるんだろう、って、お母さんに聞いたらお父さんも昔そうだったて」
「えええええええええぇ!うっそだぁぁぁあ」
この中年太りのチビハゲがモテてたなんて信じられないよ!
「…そこまで言われると腹立つよ」
あっ、少し怒ってる。
「ごめん」
「いいよ。私もそう思うから。でね同じクラスにもそんな子いるよ、て、話になって」
えっ、そんな男の子いたかな? ラピスは周囲の男子を見回す。自分を見つめていたと思しき男子の何人かが視線が合ったとたん、顔を真っ赤にして俯いた。いないよ?
「灯台下暗し、て、言葉があるけど近くにいると案外気付かないもんだね。クラスの女子の見ている方向を見てみたら」
ルビアの言うとおりにするとアキトに行き着いた。
「えぇ、お兄ちゃん? でも……」
「んっ、俺がどうしたんだ?」
ラピスの『お兄ちゃん』という大声にさすがのアキトも顔をあげる。
「アキト君の写真をお母さんに見せたらお父さんの子供の頃にソックリだって」
「?俺がルビアの親父にソックリ? 何の話だよ」
途中から聞いたアキトには話の流れが見えていない。
「そんな事ないよね?お兄ちゃんは私だけが好きなんだよね!」
ラピスの発言にクラスの男子の耳がピクピクッと動く、
「おい、突然何言い出すんだ」
「だって、いつも一緒にお風呂に入って、一緒に寝ていつも私に言ってくれるよ!結婚して…《モガッ》」
最後まで言わせずにアキトの手が口をふさぐ。でも遅かった。周囲の温度が幾分下がり、突き刺さる視線の刃。
「な、何言うかなぁ。ラピスは冗談が好きだから」
冷や汗を垂らしたアキトが誤魔化そうとするけど無駄だよ。
「本当なのアキト君?」
レナちゃんの瞳からは涙がこぼれている。
「……この前約束してくれたのは嘘なの?」
「や、約束?」
「忘れたの!私と結婚するって言ったじゃない」
「「「「えええええええーーーーーーーー」」」」
「「「「「何ぃぃぃぃーーーーーー」」」」」
男子共の表情が激変し嫉妬の炎が燃え上がる。アキトにつめよる生徒達。
「むっ、ぐぐっ、プファ。………お兄ちゃん?…どういう事。ユリカお姉ちゃんとの婚約は親同士の決め事
だから、最後は私を選ぶ、て言ってたのも嘘なの?………ねぇ、ハッキリしてよ!」
動揺したアキトの拘束から逃れたラピスの声が冷えていく。
アレ、本気で怒ってるね、絶対。
ラピスに首を絞められ振り回されるアキトが皆にモミクチャにされている。
「ねっ、私の演技上手かったでしょ?」
いつの間にか騒ぎの中心から抜け出ていたレナがルビアのそばにいて、目薬を持って笑っている。……演技ね。やるね。
「……で、どうするのアレ。収集がつかないよ」
「たまにはいいんじゃない。アキト君って女子の誰にでも優しくするでしょ?それが相手にどんな影響を与えているのか自覚が無いし、それに……彼の微笑みは反則だよ」
多分に嫉妬もあるのだろう。同感だ。そもそも話を振ったのは自分だけど妹にまで手を出してるなんてね……アキトを見る目が少し変わるよ?
昼食時間の騒動は治まらないかにみえた。でもそれは、一人の少女によって終止符がうたれる。
「………アキト〜〜あのね、あのね、実は」
盛り上がっていた空気を一気に引き下げるほどの重い空気を纏いユリカは続ける。
「お父様の転属が決まったの」
それまでどこか困ったようにゆるんでいた表情が険しいものになり、それに気付いた何人かが怯えたように離れていく。
「!?……で、いつだ?」
いつになく深刻な表情を浮かべるアキトの周囲が開け、ユリカとの間に一筋の道をつくる。
「……来週には地球へ飛び立つの。どうしよう、どうしたらいいアキト……」
アキトにしがみ付き泣き出したユリカに誰も声をだせず、場は一変した。
「とうとう来たのか、この時が」
ユリカを抱きしめどこか遠くを見ながら話すアキトの表情には苦悩の影が射す。二人の間に入り込めない何かを感じて誰も言葉を発せない。
何だろ?二人を見ていると胸が苦しくなる。この痛みは何だろう?
自らの胸の内から発する痛みが何に起因するのか解らないまま、ルビアはアキトから視線を外した。
今はただ見たくなかった。
二.
彼の火星での生活も2年目に入った。会長直々の指令『闇騎士対策』の成果は遅々として進まなかった。
初めての接触から1年前まで『闇騎士』についてほとんど分からなかった。
自称『アマガ・アキヒト』、年齢20歳代、身長・体重・出身地不明。高度な技術を操り、『フェイク』と呼ぶ女性らしきパートナーの存在を確認する。これだけだ。
しかし、数ヶ月前、事態は急変する。
それまで物的情報を一切残さなかったアキヒトから、少ないながら数点を持ち帰る事に成功したのだ。
今、それらは分析室の研究者に渡し調査中だ。分析の結果を待って報告書の作成作業に入る予定だった。
「……ふぅーーー、私も年ですかねぇ」
深くため息をつき、眉間を揉みながら背筋を伸ばす。若い頃は3日連続の徹夜など苦にもならなかったが最近はとみに疲れが取れない。
連合軍在籍中の上司だった現ネルガル会長に抜擢されて『N.S.S』に在籍して長いような短いような刻が過ぎていった。仕事柄、命の危険に見舞われた事は数え切れず、それでも生き延びてきた。
しかし、そろそろ引退を考えたほうがいいだろう。先ごろの遭遇の事を思い出しシミジミそう思った。
話は数ヶ月前に遡る。偶々立ち寄った施設でアキヒトに出逢った。あれは本当に偶然だった。あそこがどういう施設だったのかは良く分からない。だが、アキヒトに狙われる場所は大抵決まっている。またしても研究員は廃人にされメイン制御施設のメモリはウイルスによってクラッシュ。現在も復旧中だ。
私は数人の部下と共にガラス容器が立ち並ぶ実験室と思しき部屋に踏み込んだ、そこに彼は居た。ガラス容器を前に私達に背を向けた『闇騎士』アキヒトが。
「!?およしなさい!」
ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダッ
新たに補充された部下は私の制止の言葉を無視して発砲した。『闇騎士』には高額の賞金がかけられてましたから無理も無いでしょう。ですが、迂闊です。私は以前の光景が再現されると思いました。
こちらに振り返ったアキヒトの口元にも笑みが浮かんでいましたから。しかし、膝をついたのは銃弾を肩と腹に受け背後のガラス面に叩きつけられたアキヒトでした。
俯いた彼から垣間見える驚きの表情からするとアキヒトにとっても想定外の事態のようでした。
「よーし、動くなよ!それ以上痛い目は見たくないだろ?」
強気になった一人が不用意に近づく。私はただこの事態に混乱し見ているしかありませんでした。あれは演技で何かの考えがあるのでは?と、疑いはしましたがね。彼の表情でソレは無いと感じました。
後ろのガラス壁は割れ、少女らしき体が少し見えましたが、アキヒトが起き上がり見えなくなりました。
ここも狙われるべき理由があった、というわけです。
「動くな、と言っただろ!《ドッ》」
放たれた銃弾は、あらぬ方向に跳ね飛ばされました。不可視の壁によって。最近分かってきましたが、アレはディストーションフィールド『D.F』ではないかと私は考えています。どこも対人用に改良できていませんが、
「くっ、くくくくっ……久しぶりだな。この痛み」
立ち上がり、笑い出した彼の肩と腹の血は止まり、何か糸くずの様な物が蠢き傷口を塞いでいくのが見えました。アレは何でしょうか?
「ああ、痛みがある。俺が生物であるのを実感できる」
彼は何を言っているのですか。もしや傷の痛みで気が狂ったのでしょうか?いえ、それは無いでしょう。
私達の見る前で完全に傷は塞がりました。普通ではありません。
ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダ、ダッ
信じられない光景に我を忘れ銃を乱射する部下達。でも無駄でした。弾くだけでなく、あまつさえ両手が千手観音のごとき残像を残す動きで銃弾を受け止められ、彼の足元に数十発の鉛玉の山が築かれた。弾を撃ちつくした部下達は呆けたように立ち尽くす。
「もう終わりか?じゃあ、お釣りだ」
酷薄な笑みを浮かべるアキヒトが握った手から何かを飛ばす!
「うっ!?」 「えっ?」 「はっ!?」 「ぐっ!」 「…」
数秒と経たず私を残して倒れ伏す部下達。それぞれの眉間に銃痕のような穴が開き、今更のように血が溢れ出した。今度は『指弾』ですか。多彩な技をお持ちだ。私の長い人生で初めて見ました、伝説の技を。
「とても敵いませんね…………次は私ですか?」
正直脱帽です。次元が違いすぎます。オーバーワークです。会長、恨みますよ。
「いや、あんたには生きていてもらわないと後で困る」
また不思議な事を仰います。まるで未来を語るような……
私に背を向けたアキヒトは背後の水槽から少女を抱き上げ、身に着けたコートで包み込み私のそばを通り過ぎていきました。不敵な笑みを残して。
私は動けませんでした。幾たびかの死線が遊戯に感じるほど、冷や汗で濡れて震える身体を抱きながら、ただ見ている事しかできませんでした。
ピ、ピピッ
分析班からの報告ですね。アキヒトの残した血痕と衣服の切れ端からどれだけ分かったのでしょう?
『室長、報告します』
空中に浮かんだウィンドウの中の研究員の一人が答える。
「それで、何か分かりましたか?」
『結論から申しますと信じられない結果が判明しました!』
驚愕と喜びに包まれたその白衣の青年の表情はしまりが無い。分からなくもありません。知り合いのテンカワさんも研究対象が見つかるたびに同じような表情をしていましたしね。
『まずはこれを見てください。コレは彼の血液中のナノマシンです。今まで発見…もとい開発されていない新種のもので主な働きは不明ですが、室長のお言葉が本当でしたら医療用ナノマシンの可能性が大です。我々の医療部門は飛躍的に向上するものと思います。現在引き続き調査中です』
青年の画像が縮み、変わって何かの細胞片と共にミミズ状の何かの映像がアップになり、説明がなされる。途中言い換えたところをみると例の遺跡に関係するものかもしれませんね。
『血液中に残存する遺伝配列の調査結果がこれです。バンクに一致するものはありませんでしたが、唯一類似者がいました。火星ユートピアコロニー在住のテンカワ・アキト。彼の遺伝子と限りなく類似していながら一見すると全くの別物にも見えます。おそらく血縁者に違いありません』
そうであって欲しくない結果です。この事が知れればテンカワさんの処分の件が早まるかもしれません。
どうすればいいでしょうか。
彼にとっては無二の親友であり、本音を言える数少ない人達。失いたくない……だが、その事がネルガル全社員を危機に陥らせる要因になるのであれば切捨てなければならない。
『そして、衣服の材質は次期商品として開発中の我が社の防弾繊維と酷似していました。いえ、繊維構造は一致しましたから100%間違いありません。ここから少し別の話になります。この繊維はS.S配備の銃に対して十分な耐久力を兼ね備えています。ですが、お話によると件のテロリストは傷を負ったそうですね?』
我が社のものであったのには驚きましたが、過去の襲撃時に奪取された物を改良したのでしょう。
「ええ、肩と腹を負傷しましたが」
同一の防弾繊維でありながら貫通した事が残念なんでしょうか?
『それなら…………しかし。ここからは私見が混じり不確定なのですが』
何かを言いかけ言いよどむ。何を迷っているのでしょう。
「ええ、どうぞ」
とにかく聞いてみない事には。
『実は気になって放射線測定も行いましたところ信じられない結果が出ました』
報告の初めの《信じられない》はコチラでしたか。
『バカげていてとても許容できません。しかし、機器の故障その他モロモロを調査し、なおかつ測定を200回繰り返した結果、この平均値が割り出されました』
何かのグラフが表示されますが専門外なのでわかりません。
「結論を言いなさい」
『はっ、この数値はおよそ600年前の物である事を表しています。つまり、素材は現代の物に関わらず経過年数上は過去の物なんです。調べた自分でさえ信じられません。これではSFです。馬鹿げてますよ』
青年の困惑は当然だ。私でもこの事実は驚きの一途につきる。
困りましたねぇ〜益々、彼に興味が湧きました。体は拒否反応を示しているのに正体が知りたい。矛盾しています。
「この件についてはこちらで処理します。先ほどのSFモドキの話は口外しない方がいいでしょう。気狂い扱いされますから、御自分の胸のうちに留めていた方が身の為です」
『そう…ですね。科学的考証による結果を目の前にした今でも否定したいものです。過去に同じような事例は多々ありましたが、発表した当人が名誉を得たためしがありません……お言葉に従います』
戸惑いと興奮は中々静まらないでしょうが、余り触れるのは得策ではない。そんな気がします。
「それで《ピッピピ》ああ、緊急メールが入りましたので例のナノマシンについて他に分かった事がありましたら連絡して下さい」
『はっ、失礼します』
ウィンドウがブラックアウトしてメールの全文が流れる。本社人事部からのものですね。
辞令……『闇騎士対策部』は現時点を持って解散。室長の任を解くものとする。
よって貴方は今より7日以内に支社を発ち本社に向かわれたし。
発…人事部部長 ヨベ・アツシ
これはまた急な話です。それに妙です、確か本社人事部部長はアリイエ氏だったはず。何かあったのでしょうか?
本来自分の部署変更に関しては会長からの直であって人事部を通すものではないはず。それが人事部のそれも既知の人物ではない者からの辞令で届く。何らか非常事態が本社で起こっているのだ。
…心残りですが辞令には従わないわけにはいかないでしょう。唯一、テンカワさんの事が気がかりですが。
元室長は気持ちを切り替え出立の支度に取り掛かった。
その後、分析室からの報告は無かった。元室長自身が雑事に追われ忘れていた事もあるが…………
「はっ、失礼します」
ウィンドウはブラックアウトし画面上から室長の姿を消す。
「…………これでいいだろう。皆を解放してくれないか」
彼は少し離れた場所で同僚達に銃口を向けている男に話しかけた。
ここはネルガル重工火星支社の中にある分析室。闇騎士の遺留品を分析・調査していた所である。
いつもは様々な機材のたてる音と研究員達の声が聞こえるはずだが、今はそれもなく静寂に包まれている。
いつの間にか部屋に現れた人物によって同僚達は部屋の隅に集められ、彼はその人物から手渡されたシナリオ通りに演じて見せた。いかにも分析結果に驚き、興奮しているように。
しかし、本当は戦々恐々とした思いで緊張の連続状態だった。自分の行動に同僚達の命がかかっているのだから。
「…………」
答えは返らない。
「おい!約束どおり皆を解放してくれ。なあ、頼む!この通りだ」
青年は生まれて初めての土下座をした。それで皆が助かるのなら安いものだ。
「それも、演技か?」
開放の言葉では無かった。
「…まあ、いいだろう。データーは消しておく」
男は銃口はそのままに右手を近くにあった機器に置く。甲に複雑な紋様が浮かび上がる。火星では珍しくないIFUコネクターの模様に似ているが、既知のパターンのどれにも該当しない。
ディスプレイを埋め尽くしていたあらゆる情報が消されていく。
「後はお前達の番だ」
男は銃を懐にしまうと腰のパックから試験管ぐらいの筒を取り出し、付属している目盛りを操作し始めた。
「何をする気だ?」
男の行動に何やら不吉なモノを感じた青年は問いかけずにいられなかった。
「言ったろ? データーを消すと」
操作し終えたものを床に置き扉の方に歩いたかと思うと、開閉装置を殴りつけ壊してしまった。
「……では、短い余生を楽しんでくれ」
男が言い終わるのを合図にしたかのように、例の物体から闇が漏れ出す。
「な、何だこれは?」
床の物体に気を取られている間に男の姿は消えていた。
「何か光を出して…消えたわ!?」「……アレは例の?」「それよりどうする?」
呆気に取られている者を残し、いち早く気を持ち直した者達が闇を避けながら青年に近づく。
「とりあえず外部に連絡を……!?」
闇が急激に膨張し全員を飲み込んだ!
その時、分析室のあった階を中心として振動が支社ビルを震わせ、数秒で収まった。この極所的な振
動で停電を起こした支社ビルの機能が復旧を終えたのは10日後だった。
何者かにハッキングされウイルスをばら撒かれた為にシステムの書き換えに手間取った為である。
復旧後、いつになっても退社しない分析室の社員を不審に思った友人達が、故障の為に開かない
扉を溶断機で溶かし切ると、何も無かった。何も、機材も人も部屋であった痕跡も。
そこにはただ何かにえぐられた様に構造材と配線がむき出しにされた空間が広がっていた。
つづく
ご無沙汰しています。ハゲ大臣です。例の企画もあり一月近く空けてしまいました。
その間に二編ほど書いてはみたのですが、しっくり来ないんですよね。
まあ、それのお陰でアキヒトというキャラの性格を煮詰められたのですが…………
私はよく『さっき言っていた事と言っている事が違う』と言われるほど、コロコロ言動が変わります。
そのときはソレが一番と思っていた事でもそれ以上のモノを見つけたら乗り換えているのですが。
そんなわけで当初のアキヒトは神のごとき力を持ちその正体は……やめましょう。没にしたプロットは。
頭の中でストーリーを組み立て破綻の無いこじつけを考えて書いています。
全体を通してのプロットは一応考えてはいるのですが、中々進まないんですよ。これが。
ですから、しばらく『火星編』は続きます。
予告のようなもの
偽りの生活、偽りの記憶。どこまでが現実で、どこまでが違うのか?
俺の記憶には無い光景……そこに奴はいた!俺は力を手に入れた。しかし、それが何だと言うのだ?
現に俺は無力で絶望は背中にこびり付く。悔恨の思いと共に時は流れ、俺は成長した。哀れな生贄を伴って。
そこで知る。何者かに踊らされる自分を…………また失うのか俺は?
ほんと、いつになったらナデシコに乗れるのか。今の時点では不明。話が膨らみすぎて………
管理人の感想
ハゲ大臣さんからの投稿です。
結局、アキヒトの正体は不明のままですか。
アキトとユリカがラブラブフィールドを展開しているのは、この際ほおっておくとしてw
ルビアの両親の正体って、やっぱりアレなんですかね?