FLAT
OUT
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第二戦のマレーシアはカヴァーリ側がミスをしたことと、北斗のマシンにトラブルが発生したことで、かろうじて明人の方が上位だった。しかし優勝はクロトフ・フォーミュラ・チームの職人ドライバー、フェリックス・バールにもっていかれた。
「だめだよ。まったく。話にならない!」
表彰台にも上れない惨敗に、たまらず明人が愚痴をこぼしたのは、レースを終えてすぐのパドックである。
この日のネルガルNF211は開幕戦オーストラリアとは比較にならないほど神経質で、明人をしても完走させるだけでやっとだった。バランスという点で今のエンジンがシャシーに合っていないのは皆が分っていたが、今回はそれに加えてタイヤも合わず、ともかくどのコーナーでもリヤタイヤは滑りっぱなしだったのだ。
「何をしても全然安定しない。アクセルを踏んでもブレーキを踏んでも、途端にリヤがすっ飛びそうになるんだ。これじゃあまともに走れやしないよ」
メカニックに当たるわけにはいかない。そう分かってはいるものの、悔しさはどうしても感情となって噴き出してしまった。
もちろん、参戦してわずか二年目の新人ドライバーがそんな態度では、古参エンジニア達への印象が良いはずはない。だが明人にはデビューイヤーのドライバーズランキング二位という実績と、パワー不足のマシンをメルボルンで二位に食い込ませた実力があった。
そして何より、明人のそれが怒りのやり場に困った末のものであることを、皆がわかっていたのだろう。自分のミスならばまだしも、マシンが原因で勝てないのはドライバーにとって一番辛い。誰も何も言えず、不機嫌な態度を隠そうともしない明人を見つめるばかりだったのである。
第三戦のバーレーンGPは、最悪だった。そこまでなんとか頑張ってきた昨年型のエンジンは、砂塵の舞う中東のグランプリでついに根をあげてしまったのだ。砂そのものは関係なかったようだが、レース10周目にピットアウトした途端、明人のNF211は息絶えてしまった。闘うことすらできなかったのである。
まだ続いているレースをコース脇から眺めることほど悲しいものはない。だが明人は、そこを立ち去ることができないでいた。
FAのほとんどを占める欧州社会の人間たちなら、今回のトラブルは明人のせいではないと割り切ったろう。しかし、明人の中に流れる両親の――日本人の血がそうさせるのか、もしかしたら自分の運転がまずかったのかも知れないと、そう思わずには居られないのである。
チームの想いを全て背負って走る以上、結果を届けなければならない。それができなかったのが、明人には悲しくて、悔しくてならなかった。
レースはまたしても北斗が制し、彼女は昨年の明人をも凌駕する天才新人ドライバーとして世界に認められたのだった。
失意のレースが明けて月曜日の午後、明人はさっそくイギリスのシルバーストン・サーキットに飛んだ。そこは明人が育ったホームコースでもあり、翌火曜日からFA各チーム合同で行われる専有テストの日程が組まれている。そこで、待ちに待った新型エンジン搭載のNF211がお披露目されるのである。
初日に集まったのはネルガル、カヴァーリ、ローラン、そしてクロトフの4チームだ。本来なら10チーム全部が収まるだけの規模を持ったパドックだが、4チームでは車も人も少なく、開発費がゆうに一億ユーロを越えるマシンが集まることの緊張感こそあれ、どこか長閑な雰囲気だった。
「明人、新エンジンは間に合ったのかい」
テスト・デーの初日、サーキットに入った明人に最初に声をかけてきたのは、水色のレーシングスーツが鮮やかな『ローラン・ミッドランド・レーシング』のナオである。
彼は、赤月ほどに気障でもなく、また他の多くのFAドライバーのように垢抜けてもいない、不思議な雰囲気の男だ。いつもサングラスをかけている。明人の兄貴分であり親友でもあった。
「やあ、フォン・アウフレヒト」
「うん? あー……そうか、もう矢神じゃないんだっけ。忘れてた」
つい先日、彼の結婚式にも招かれた明人は、ナオの新妻が実は大層な家柄の出身であることを知った。彼女の姓で明人が知っていたのは『テア』だけだが、実はその後ろに数え切れないほどの父姓を持っていたらしい。もっとも、ナオはそれを知っても全く怯まなかったそうだ。
「ミリアさんに言ってやる」
「馬鹿、そのくらいでミリアが怒るはずないだろ。俺の女神様は」
「はいはい」
新婚のナオが上機嫌なのはともかく、今日に限っては明人の胸にも期待が満ちていた。ナオも尋ねた新型エンジンが、ついに実戦の場に登場することになったのだ。それだけではない。瓜畑はさらに「お土産」をつけるという。彼が言うのだから、まさか花束やワインなどではあるまい。
「で、どうなんだ」
「いや、僕もまだ見ていないんだ。楽しみにしてるよ」
「参るなあ、ただでさえネルガルはコーナーが速いのに、そのうえ直線も速くなっちまうのか」
「あはは……」
現在トップ4と呼ばれているチーム群の中では下位に低迷しているローランである。彼の嘆きに明人はなんとも言えず、愛想笑いでごまかした。
明人がネルガルのパドックに着くと、そこにはすでに、レースウィークを待ちきれないジャーナリストたちがうろついていた。一昨年のチャンピオンチームが満を持して投入する新エンジンを、一目見ようというのである。中には、他チームのエンジニアやメカニックまでがいた。
新型エンジンをつくったのは自分ではないのだが、少しだけ得意な気分で明人はピットに入った。すると、彼を待っていたのだろう、瓜畑が明人のマシンの横で腕を組んで立っている。珍しく険しい顔だ。その顔を見ただけで、明人にはわかった。このマシンに搭載されたエンジンこそ、彼の集大成なのだと。
「待たせたな、明人」
彼は言って、表情を和らげる。しかし明人は、はやくもそこにある新エンジンに目を奪われていた。
燃料タンクの後ろに限界まで低く積まれたそれは、頭の部分しか見えない。その頭もすぐ上の吸気ポッドに繋がっているので、見ただけで旧型エンジンとの差を見つけるのは素人には不可能だろう。だが、明人はそれがまったく違うものに見えた。細い金属製のパイプが放つ青や赤の光が、旧型よりも遥かに鮮やかになっているように思えたのである。
「すごい、綺麗だ」
ぽつりと呟くようにして言う明人に、瓜畑もにやりと笑った。
「エンジンだけじゃないぜ」
その言葉に明人はやはり彼の言っていた「おみやげ」が他の新デバイスであることを悟り、益々顔を綻ばせながらそれを探す。
果たしてそれは、すぐに見つかった。エンジンのすぐ後ろに繋がっているトランスミッションのケースが、それまでの銀白色から黒と深緑のチェックのような柄になっている。織物のようなそれは、炭素繊維素材の証だ。
「これは、カーボン・ファイバーのケース?」
「インナーはチタンとマグネシウムだ。相当軽い。非力なお前でも、片手で持ち上げられるくらいにな。手首を痛めるかも知らんが」
「酷いな」
瓜畑の笑みは、まだその先に何かが隠されていることを示しているようだった。明人はそれを察して、同じ笑みを浮かべて彼の揶揄に答える。
「明人、お前は以前、2万500は欲しいと言ってたな」
エンジンの回転数の話だ。回転数は、すなわち馬力である。ネルガルは序盤三戦、これに泣かされてきた。
「大丈夫なの?」
「もちろんさ。リミットは2万1100。存分に回してやってくれ」
「壊れない?」
「馬鹿、俺がつくったエンジンだぞ。壊してたまるか」
最高だ、と叫びたかったが、明人は言葉を飲み込んだ。本当に壊れないかどうか、それは実際にレーシングスピードでコースを走らなければ分らないことだ。
「――すごいよ、はやく試したい」
やっとのことでそれを口にした。セッション開始後と言わず、今すぐにでもコースに飛び出てそれを試したい気分だ。周りでそれを見ていたスタッフたちはまだ安心できないのかぎこちない笑みだったが、その表情には微かな自信も見て取れた。
「なんとかシフト・ポイントを2万1000にするために、マージンの100回転を稼ぎだしたかったんだ。おかげでこのエンジンは、負荷付きテストで1000キロ回しても壊れていない。信頼性もパワーも、全部保障するよ」
現在のFAでレースに必要なエンジンの寿命は、走行距離に換算して約800キロと言われる。うち300キロが決勝レースで、300キロが練習走行用、50キロが予選。残りはマージンだ。
回転数はFA界トップのカヴァーリに匹敵し、重心も低いし重量そのものも軽い。そしてそれだけの性能を出しながら1000キロ走っても壊れない。エンジニア達の奮闘も並大抵のものではなかったに違いない。
「すごい」
瓜畑の言葉を聞きながら、明人は子どものように目を輝かせながら新エンジンを眺めていた。
午前十時にセッションが開始され、真っ先に飛び出して行ったのはやはり明人だった。続いて赤月もピットアウトし、他チームのマシンも続々とコース上へと出走してゆく。
新エンジンはエキゾースト・ノートが少しくぐもって、カヴァーリ・エンジンのように軽く腹に響く音になっていた。しかし、驚愕はそれどころではない。最高速度までの到達時間は明らかに旧型よりもはやく、しかも低回転からでもぐいぐいとマシンを引っ張ってゆくのである。それまではコーナリング限界にパワーが負けていたところが、どんどん加速しながら抜けられるようになっていた。
そして早くも4周目である。まだ路面ができていないのに、明人はそれまでのシルバーストンの公式レコードを、あっさりと破った。テストでのそれはあくまで非公式ではあるが、それだけの実力をネルガルが備えたことを、周囲に知らしめたのだった。
『すごいよ! 星矢さん、ありがとう! これなら勝てる』
ピットに戻るまで待てないほどの興奮で、明人は思わず無線にむかって言った。それを聞いているのはエリナとプロスペクターだけなのだが、言わずにはいられなかった。
ただ惜しむらくは、まだそこに最強のライバルがいないことである。カヴァーリはこのテストにテストドライバーのみを派遣してきており、北斗とオランは来ていないのだ。テストドライバーが遅いというわけではないが、実際にレースで闘う本人に、復活したネルガルを見せてやりたかった。
明人の胸は、開幕戦オーストラリアで微かに感じた高揚感に溢れていた。
北斗の実力は凄まじく、ドライバーの腕だけで比べるなら自分と互角かそれ以上だと、明人は思っている。アルバート・パークでの彼女との一騎打ちは、まるで一日中レースをしたかのように疲れていたのに、楽しくて仕方がなかったのだ。
その一騎打ちに、今度こそ完璧な態勢で臨むことができる。明人は益々嬉しさがこみ上げてくるのを感じた。
to be
continued...
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